第十話  談笑


 

 時が過ぎていくのは早いもので、ジュンタが異世界に来てから早くも二週間が経とうとしていた。

 密度の濃い、もとい波瀾万丈な二週間だった。
 異世界への召喚(?)に始まり、高飛車貴族の下での使用人としての生活。現れたドラゴン――ワイバーンとの戦いと、現代人にはあり得ない出来事のオンパレードだ。

 それでジュンタの、そんな二週間を駆け足で走り抜けた感想はと言うと、

「…………これからは平和であって欲しいなぁ……」

 大変だった、これ以上は勘弁して欲しい。


 

 

「それで結局、剣を受け取ってしまったのか?」

「……まぁ流れ的に。仕方がなかったというか、こんなことになるとはその時は思いつけなかったというか……」

 自室――ジュンタは床に仁王立ちする子猫の前、正座して座っていた。

 肩を落とし、半笑いでいる姿にはどこか哀愁が感じられる。
 別に正座をサネアツに強制されている訳じゃない。ただなんとなく、不甲斐ない自分への戒めのつもりでしているのである。

 ジュンタを若干呆れた眼で見ているサネアツは、これ見よがしに溜息を吐き、自分の目の前に置かれている剣を叩く。

 剣は昨日リオンより勲章として受け取った、紅い刀身を持つ剣である。
 刃渡りが普通の剣より少し長く、その切れ味は名剣の位に位置するほど。個としての銘はないが、紅い刀身の剣としての、分類としての銘は存在している。

 即ち、竜滅剣――ドラゴンスレイヤー。

 リオンの持つオリジナルのドラゴンスレイヤーを見本に鍛えられ、魔法使いによって[魔力付加エンチャント]を施された、シストラバス家の騎士の証ともされる剣である。

「これをどうするのだ? これを受け取るということは、それ即ちシストラバス家の騎士になることと道義なのだぞ? 知らなかったで済む話じゃないだろう?」

 そうなのである。
 ジュンタがこうして考え込んでいるというか、悩んでいる理由はその一点にあった。

 ドラゴンスレイヤーはシストラバス家の騎士の証。
 ワイバーンを倒し、ランカの住民への被害を回避させた勲章として受け取った剣は、騎士への任命と同じ意味を持ち合わせていた。

 騎士ジュンタ。

 それが現在のシストラバス家における、書類上のジュンタの呼び名。そしてジュンタにとっての悩みの種である。

「こんなことになるなんて、聞いてなかったのは事実だけど、そう言っても聞いて貰えないと思う。もし聞き入れられても、その日から夜道に気を付けないといけなくなるだろうし……ああ! こんなことなら、追っ手覚悟で脱走しておけばよかったか……!」

 今更後悔し、嘆こうとも遅い。まるで嵌められたかのような騎士任命。

 ただの一使用人から、天下に名を轟かす竜滅騎士団の騎士への昇格。
 一般人から見れば羨ましいほどの大出世は、本人の望みを無視して行われた。主に嵌めた人物としてあげられるのは、実際に勲章をジュンタに渡したリオンではない。

 リオンは紛れもなく、ただ自分が一番褒美だと思ったことをしただけだろう。

 こうなる結果を予想していなかったのかと問えば、首を横に振るかもしれないが、それほど罪はない。

 ……問題があるのは彼女の父親の方だ。

 柔和な微笑みで人を誑かす彼こそ、この事態を完全に予測立てて行った張本人。
 リオンが用意した勲章の意味を正しく理解していながら、強制連行という強引策に打って出た、悪意ある策士。

 ゴッゾ・シストラバス。これから仕えるべき家の当主にして、諸悪の根源の名前である。

「こうなっては致し方ないだろうが、困っているというなら知恵は貸そう」

 四日の日を置いてようやく会話をすることができたサネアツは、急展開の事態の説明を受け、呆れながらも自分のことを考えてくれている。ありがたい。ありがたいが、どことなく楽しんでいる辺りに少し不安を覚える。

「取りあえず最初に確認しておくが、ジュンタにはシストラバス家で騎士をするつもりはないのだな?」

「もちろん。執事長とかみんなはよかったって言ってくれるし、やった方がいいとか言うけど……やっぱり俺には務まらない。騎士ってことはさ――

 ジュンタは自分が貰った剣を手に取り、

――こんな重たい凶器を使う、そういうことになるだろ? きっと危ない目に遭うことも多いだろうし、何より誰かを殺す、なんてことをしなくちゃいけなくなるかもしれない。覚悟のない俺じゃ、とてもじゃないが務まらない」

 サネアツの目を真剣な瞳で見る………言っていることは微妙に情けないが。

 ただその情けないことをジュンタは何ら恥を感じてない様子で、さらに言葉を続けた。

「それに俺はまだ、元の世界に戻ることを諦めたわけじゃない。サネアツにも元の世界に帰る方法は分からなくても、この異世界のどこかにはその方法があるかもしれない。だから、俺はそれを見つけ出したい」

「そうか……」

 正直、サネアツの内心は微妙なのかも知れない。

 彼は元の世界に戻れないことを前提に、この異世界にやってきたのだ。何の覚悟もなく異世界に突如やってきた自分とは違う。この世界で生きていく決心をしている。

 そんなサネアツの目に、自分は一体どう映っているのか?
 僅かな希望に縋る愚か者か? 巣離れのできない甘えん坊か?

 手助けようと思っている相手にしては、あまりに情けないと思っているのかも知れないが……すまし顔でいる小猫の表情は、今一つ分かりにくい。

「なるほど、分かった。それがジュンタの望みなら、俺はその手助けをしよう。不可能とされる異世界への到達か。ふっ、目指す価値は十分にあるな」

「悪い…………ん? えっ! い、いいのか!?」

「何がだ?」

 てっきり呆れられると思っていたのに、サネアツの返事は同意の言葉。好意的ですらある。

「そんなことでいいのか? だって、お前は俺が救世主になる手助けをするために、わざわざ異世界まで来てくれたんだろ?」

 以前、サネアツはこう言った。

『お前は救世主、メシアだ。そうなる資格があるらしい』

 そしてそのことを知って、サネアツは手助けをしてくれるために異世界まで来てくれた。
 それならば、サネアツは自分を救世主というものにさせようという腹じゃないのか。そしてそれは必要不可欠なことなのではないのか――ジュンタはそう考えていた。

「なんだ、そんなことか。その考えは違うぞジュンタ、間違えてくれるな。別にいいも悪いもない。ジュンタが何を目指そうと、俺はその手助けをするだけだ。無論、悪行をするというのなら止めるが……その点は心配ないだろうからな」

「……えぇっと、そんなに救世主の資格ってのは簡単に捨てられるものなのか?」

「残念だが、救世主としての資格はなくならない。生きている限りは、な。
 だがな、ジュンタがそれを受け入れる必要はない。嫌なら嫌で、ならなければいいのだ。世界はお前に求めているが、俺は求めていない。ならば後はジュンタ自身が決めればいい。自分の未来における、進路の一つ程度の認識でいいのだ。たぶんな」

 まぁ、もっとも、とサネアツは付け加える。

「ジュンタの性格はよく知っている。確たる理由もなく、そんな面倒くさいものにはなる気はないのだろう?」

「まぁ、その通りだけど。救世主って言うのがどんなものか、どうして世界が求めているのかは知らないけど、俺はなる気はない……というかうさんくさ過ぎる」

「違いない。だが、一つだけ言っておこう。ジュンタに救世主になるつもりはなくても、救世主になるための試練は絶対に付き纏ってくる。オラクル十の試練を踏破することで候補者は救世主となるのだが、オラクルの内容によっては、普通の生活を営んでいる最中に向こうからやってくるものもある」

「俺の一番目のオラクルって言う、『竜殺し』みたいにか?」

「ああ、そうだ。ジュンタの一番目のオラクルである『竜殺し』は、どんなに救世主への道から遠ざかろうと、決して避けられない。行く先々に必ずドラゴンは現れるだろう。オラクルをクリアするまではな」

「?? 何言ってるんだ? そのオラクルはもうクリアしただろ? ちゃんと俺ドラゴンを倒したじゃないか?」

 おかしい。まるでサネアツの言い方は、まだオラクルをクリアしていないと述べているようだ。

 そう思ったジュンタの指摘に対して、サネアツは苦々しい顔を作る。

「……よく聞け、ジュンタ。俺はジュンタの巫女ではないから、絶対の確証はないが、どうやらまだお前の一番目のオラクルは終わっていないらしい」

「え!? どうしてだ? まだ、倒す数が足りないとか? あの時ドラゴンは三匹一緒に襲ってきたし、全部一人で倒さなきゃいけなかったりするのか? つまりは後二匹ドラゴンを倒さなきゃ、一番目のオラクルはクリアにならな――

「違うのだジュンタ。その認識は間違っている。正直俺も驚いているのだが、ジュンタと俺が力を合わせて倒したあの翠の怪物はドラゴンではない。ワイバーンという名であるらしいのだ」

「……ワイバーンっていうのは、ドラゴンの一種じゃないのか?」

 確かにみんなワイバーンと呼んでいたが、それを『ドラゴンの一種であるワイバーン』という風にジュンタは認識していた。地球では、ワイバーンはドラゴンの一種として見られているからだ。

 ……だが、ここは地球ではない。

 今まで地球での認識とこちらの世界での認識が合致していたとしても、これからの全てが全て、そうとはいかないかもしれない。その真実に、ジュンタは初めて自覚を持った。

「ワイバーンは、ドラゴンの一種じゃないようだな……」

「ああ。ワイバーンは、ワイバーンという一つの生き物だ。ドラゴンではない。この世界においてドラゴンとは、ワイバーンなどとは比べものにならない災厄のことを指すらしい。
終わりの魔獣ドラゴン――それは数十年間隔で現れる魔獣の王。二十メートルにもなる身体と、鮮血の瞳を有する悪魔。それこそがドラゴンであり、ジュンタの一番目のオラクルに従い倒すべき相手だ」

 言葉にならない、というのはこういう時のことをいうのか。サネアツの言葉が信じられなかったし、信じたくなかった。

 信じたくないのに……それでもサネアツは説明を続ける。

「俺が文献より知った事実によると、かつてドラゴンは世界を破滅にまで追い込んだことがあるらしい。そして人間には絶対に勝てないとまで言われているそうだ。ワイバーンは『魔獣』と呼ばれる獣の一種で、それなりの武芸者ならば倒すことは可能だとか」

「嘘だろ。じゃあなんだ? 俺はそんな化け物を倒さない限りは、平穏無事な日々は謳歌できないってことになるじゃないか? それにワイバーンとドラゴンが別物だってことは、この前倒したワイバーンは別に俺が原因で街に現れたわけじゃあ……」

「ない、ということだな。恐らくはお前ではなく、リオン・シストラバスを狙っていたのだろう。貴族として多くの敵に狙われているようだからな」

 ジュンタは知らされる事実に愕然とし、正座したままゴロリと横に倒れ込んだ。

 恐るべき魔獣――ワイバーン。

 かの魔獣に立ち向かったのは、自分が原因だと思ったからだ。自分が原因でリオンを危険な事態に巻き込んだ。そう思ったから、命を危険に晒してまで戦ったのだ。

(それなのに、勘違いだって?)

 リオンが巻き込まれたのではなく、自分が巻き込まれた。それが事実。
 巻き込まれたことに対する怒りはないけれど、行いに対する熱はガクンと下がった。なんだがやるせない気持ちだ。

 同じく、当初はワイバーンがドラゴンではないと知らなかったのだろう。サネアツは落ち込むジュンタに、元気を出せとフォローを入れる。

「ほ、ほら、そういうことなら、ジュンタは勲章を貰うのに何ら抵抗はなくなるということだろう? すごいじゃないか。素晴らしい栄誉な行いだったぞ!」

「でもその勲章が原因で、今現在騎士云々の悩みが……」

「…………」

「……ほんと、どうしようかなぁ…………」

 異世界に来て二週間――ジュンタの波瀾万丈な日々は、まだまだ続くようである。


 

 

       ◇◆◇

 

 


「こうしてお父様とお茶を飲むのも久しぶりですわ」

 リオンは真向かいに座る男性。父親である、ゴッゾ・シストラバスに対してそう話しかけた。

「確かに、私も色々と忙しかったからね。長く屋敷を留守にしてしまったし……ああリオン、言い忘れていた。ありがとう。私がいない間、よく街を守ってくれたね」

「そんな大したことありませんわ。シストラバス家の人間として、当然のことをしたまでですもの」

 ウフフ、アハハとゴッゾとリオンは会話を楽しんでいる。

 大きく外へと飛び出したテラス。そこでティータイムを行っている一組の親子。

 傍にはメイドのユースが控えており、時折空になったカップに紅茶を注ぐ。晴れやかな陽光がテラスを囲んでいる緑と、色とりどりの花々を照らし、美しい眺めを生み出している。

 そんなテラスの様子は、なんとも雅な一枚の絵画のようであった。

 親子二人の会話は楽しく続けられ、数分後――その話題はゴッゾの方からあがった。

――ところで、ジュンタ君のことなのだけれど」

 ゴッゾが口に出した名前に、リオンはビクリと肩を震わした。

「ど、どうなさいましたのお父様、突然? ティータイムに話すべき話題ではありませんわよ」

 突然振られた話題に、つい反射的に口が動いてしまった。
 その話題に上がった名前が、ここ最近よく関わった人物の名前だったからだ。
 
 まさか父親からそんな相手の名前が上がるとは思っていなかったため『どうして?』と思ったが、よくよく考えればその名前が話題に挙がることに、そう不思議なことはない。

 なんと言っても、彼は昨日騎士に任命されたばかりの新参者だ。
 シストラバス家の当主であり、シストラバス家所有の騎士団の団長として、ゴッゾにも気になるところなのだろう。

 そのことに気付き、リオンは自分の先の発言が少しばかり不適切であったと思って、訂正の言葉を述べようとする。

 しかしその前にゴッゾが言葉を紡いでしまった。

「いやいや、それは少し酷いよリオン。彼も昨日から我が家の騎士に無理矢理に嵌められてなったのだからね。そう邪険にしなくてもいいだろう? 主君たる者、騎士には平等でなければいけないよ」

「その通りです。すみません、不適切な発言でしたわ」

 ちょうど謝ろうとしていたところだったのだが、注意が飛んできたことにより――何か不適切な言葉が囁かれた気もするが――リオンは自分の非をすぐさま認めた。

 リオンは敬愛する父に怒られて、少ししょぼくれた様子となる。
 そんな娘の落ち込んだ様子を見て、ゴッゾは含み笑いをしながら言い放った。
 
「そんなに気にしなくてもいい。私もリオンとジュンタ君の間に、主君と騎士以上の関係があることは分かっているつもりだからね」

「なにゅにっ?!」

 ゴッゾが突然口にした発言に、リオンは自分でも分からない叫びを上げてしまった。

「お、お父様。そ、そそそれは一体どういう意味ですの!? 私と彼との間に特別なものなど…… は! もしや、あの根も葉もない噂をお聞きになりましたの?! 違いますわよ! 誤解ですわ! あれは本当にただの噂でしかなくてですわねっ!!」

 顔を真っ赤にし、動揺も露わにリオンは立ち上がる。
 紅茶を飲んでいる最中に立ち上がるという、不作法なマナーはこの際気にならない。いや、気付く余裕がない。

 耳は疎か首まで真っ赤にした娘を見て、ゴッゾは「ふむ」と意味ありげに頷く。

「何を勘違いしているかは知らないが、私が話題にしたのは彼がリオンの入浴を覗いたことだよ?」

「ぇ? ……あ……そ、そうですわよねっ! ええ、もちろん分かっていましたわ! そうです、あの不埒者は私に対して破廉恥な真似をしましたの! それはやはり騎士になろうとも、なかったことには……そうしたはずですけど?」

 ジュンタ・サクラが屋敷で働くことになった原因である、あの忌々しい事件。そのことはユースとの間で密約がされ、ゴッゾには伝わっていないはずである。

 それなのにゴッゾは知っていた。それはどういうことなのかと、リオンは傍に控えているユースに目配せする。

 ユースは真っ向からリオンの視線を受け止め、

「しゃべっちゃいました」

 無表情でそう言い放った。

 正直かつ簡潔なユースの言葉に、リオンは絶句して固まる。

 そんな簡単に言ってしまえるのなら、密約の意味がないではないか。
 リオンがあの時、屈辱を我慢してユースの提案に乗ったのは、一重に屋敷の留守を預かった手前、父親に対して事件を秘密にしたかったという想いが強かったからだ。

 自分が何の問題も起こさずに、きちんと留守を守りきった――そう示したかった一念で、騎士として、そして淑女としてのプライドをねじ曲げたというのに。

 心の中に、この無表情なメイドに対する怒りが沸々と沸きあがってくる。というよりかは、裏切られた悲しみが怒りへと転じている感じだ。

 そのことを敏感に察ししたのか、場を取りなすようにゴッゾが口を開いた。

「リオン、ユースのことは怒らないで欲しい。全ては私が指示したことなのだからね」

「え? それはどういう……?」

 リオンの視線がユースよりゴッゾに変わる。
 娘の不思議そうな顔を前にし、変わらぬ笑顔でゴッゾは説明する。

「リオンも知っての通り、ユースは魔法使い、それも凄腕の風の魔法使いだ」

「ええ、それは存じていますが」

 今はメイド服に身を包み、心までメイドとして染まっているユースも、場所が戦場となれば凄腕の魔法使いへと姿を変える。それこそ、リオンと互角に戦えるほどの力を持っている。そんなことは、リオンとて当たり前に知っている。

 未だ疑問の解けないリオンに、ゴッゾは考えを促すように、

「風系統の魔法というのは、治療や補助にも優れた魔法属性だ。その一つに、長距離間でも言葉の伝達を可能にする高度な儀式魔法が存在する」

 リオンの知らない情報を述べた。
 リオンはゴッゾの説明した内容を考察し、一つの答えに辿り着く。

「……まさかお父様。ユースを通して、留守中のことを聞いていたなんてことは……?」

 まさか、そんなことがあるわけないですわ、と思いつつも、リオンはゴッゾに視線を向けた。
 
 敬愛する父親は、紅茶を飲みつつ、

「……まぁ、あれだ。リオンのことを信じていなかったわけじゃないが、もしもの事態が起きた時の情報は得ていたい、という私の悪い癖が発揮されてしまってね。ユースに何か事件が起きたら連絡をして貰うように頼んでおいたりしなかったり」

 笑って誤魔化さず、素直に謝った。

「というわけでユースは悪くない。命令した私が悪い。すまないね、リオン」

 父親の言葉に、リオンは口をあんぐりと開けて呆然となる。それから事実を深々と噛み締めて、脱力するように椅子に腰を下ろし、恨めしそうな瞳で父親を見た。

「う、うぅ、まだ私が一人前と認められていなかったというわけですのね」

 珍しくも同伴じゃなく、留守を任せて王都へと出かけたと思ったら、これである。
 ゴッゾが出かけた日、留守を任せられる信頼を得たと喜んだ自分がバカみたいである。

「どーせ、私はまだまだ未熟ですわ。結局、問題も起こしてしまいましたし、お父様が心配するのも無理ありませんわね」

「そんなに拗ねないでくれリオン。かわいい愛娘のことはちゃんと信頼していた。ただ、それでも気になってしまうのが親心というものだよ。自分の留守中に悪い虫がついていたらどうしようって、旅先で眠れなくなってしまうからね」

「ですけど……いえ、こんなことで拗ねてしまうから子供扱いされますのね。分かりましたわ。今後、全てを一人で任せられるぐらい成長して見せます。
 それで、ですけど。結局、お父様は彼――騎士ジュンタについて何が知りたいんですの?」

 自分に内緒で父親と従者の間で交わされていた密約に対してまだ思うことはあるが、取りあえずそれは横に置いておく。

 そもそも事の発端はゴッゾの質問であったのだから、まずはその内容をリオンは尋ねた。

 ゴッゾは優雅に紅茶を一口飲んでから、話を戻す。

「昨日、リオンは彼を騎士に任命した」

「ええ、そうですわ……もしかして何か不満でもありましたか?」

 ゴッゾの静かな話し方に、リオンは急に不安に駆られる。

 ジュンタ・サクラ。彼の騎士任命に関わることは、基本的に全てリオンが決定したことである。

 もちろん個人的な思惑ではなく、昔の出来事に当てはめ、それが相応しい褒美だと考えて実行した。普通の騎士でも手こずるワイバーンを倒し、住民を守った。この功績の褒美には、我が騎士団の一員に加えるのが一番である、とはリオンの考え。

 彼は使用人であり、更に言えば無償奉仕の身。聞けば身元もかなり怪しい。だけどそんな騎士なら、騎士団には多くはないが在籍している。見たところ――なんとなく認めがたいが――彼は悪い人間ではない。そう判断したのだから、身元不詳の点も良しとした。

 だが、それも結局はリオンから見た評価でしかない。
 自分の二倍以上の年月において様々な人を見てきた父の目には、ジュンタという少年は眼鏡にかなわなかったのかも知れない。

 シストラバス家の当主はゴッゾであるから、彼が騎士には相応しくないと決めたらそれまで。ジュンタ・サクラの騎士身分は剥奪される。

 リオンがごねようがどうにもならないし、ゴッゾの観察眼を信じているから反対もしない。だけどやはり思うところもあるわけで……リオンの表情は少し曇ったものに。

 娘のなんとも不安そうな表情を楽しんでいるかのようにしばらく間を開けてから、ニコリと笑ってゴッゾは話の続きを始めた。

「いや、不満はないよ。ワイバーンを倒し、住民への危険を回避させた。私でも騎士としての任命をしただろう…………本人の意思の確認をしたあとに、だろうけど……」

 前半ははっきりと、後半はボソリとゴッゾは言った。

 リオンには小声の部分は聞こえなかったようで、ホッとした表情となり、すぐにそれを否定するように紅茶に手を伸ばす。

「有能な人材はこの国では常に不足しているからね。彼ほどの人材なら、多少強引にでも引き入れておいて損はない。リオンの判断は間違いではないよ」

「ありがとうございます。……ええと、それならお父様は何をお訊きになりたいのですか?」

 ごもっともなリオンの意見に、ゴッゾはようやく本題を口にする。

「ああ、リオンの判断は確かに間違いではないんだけれど、私が見たところ、彼の適性は他にもあるように見えてね。それで少しばかり相談を、と」

「他に適性が? 確かに、執事としてもそれなりにやれていたようですけど、それは一体?」

「そうだね。私が思うに、彼は秘書としての適性が高いと思うんだ。戦力の増強も大切だけど、やはり内務的な方も大事だからね」

「秘書……ですか?」
 
 リオンも貴族として、帝王学をそれなりに学んでいる。シストラバス家の秘書に選ばれるということがどういうことなのか、よく理解していた。

 ゴッゾの秘書――つまりは内務の手伝いをしているのは、高等な学を学んだ優秀なる人間である。名高い学校の卒業生でもなければ、ゴッゾの激務にはとても付いていけない。

「お父様の厳しく難しい仕事をあの男に? 私、とても彼にそんな学があるようには思えませんのですけど」

 のほほんとした顔に、目上の者にでも適当な態度。人が見ていないときでも仕事を真面目にこなしているところを見るに、根は真面目な性格なのだろう。要領が悪いとも言うが……いや、でも真面目にしてなければ注意していただろうから、要領はいいのか?

 リオンの評価はそんなものだったのだが、どうやらゴッゾは違ったらしい。

「いや、彼の知識面はそれなりのものと私は思う。少し世間知らずというが、常識に疎い感じがしないでもないが、深いところでは信じられないくらい多種多様な知識を持っているよ」

「へぇ〜、人は見かけによらないんですのね……って、ちょっと待ってください。どうしてお父様がそんなことまで察していますの?」

「それは簡単だ。昨日や今日、秘書をやらないかって二、三度持ちかけてみただけさ」

 ハッハッハッ、と事も無げにゴッゾは言い放つ。
 
 一体いつの間にそんなことをしていたのだろう?
 今日の午前中は溜まっていた仕事をしていたはずなのに。それに、と言うことはつまり、娘との茶会より優先して行ったということになる。

 リオンはなんとなく気にくわない。父ではなく、ジュンタの方が。だが気にするべきはそこではなく、その結果だ。

「それで彼は何と? お父様の秘書になると言いましたの?」

「いや、それが頷いてくれなくてね。残念。まぁ、まだ諦めてはいないけど」

「お父様の誘いを断るなんて、なんて罰当たりなんですの! 彼には身の余る光栄ですのにっ!」

 やはり気にくわないと、リオンは瞳をつり上げる。

「いやいや、人には人それぞれの目標があるわけだしね。そう簡単には決められないだろう。……それでリオン、ものは相談なんだけれど」

「え? あ、はい。なんですの?」

 ゴッゾは柔和な微笑みとなって、リオンの耳元に口を近付ける。

「私の秘書が嫌なら、リオンの秘書にと思ってね。そう持ちかけたんだけど、これが私の時より反応が良くてね。どうだい? リオンもそろそろユース以外で秘書としての適性を持っている従者が必要だろう?」

「わ、わたくっ、私にですの!?」

 リオンはまたもや思わず腰を浮かし、心底驚いた様子を見せる。

「た、確かに私にも秘書は必要だと思いますけど……でも……」

 年齢的にも十六歳。リオンもそろそろ、家の内務に関わってきてもいい頃合いである。
 ユースにも秘書の適性はあるが、基本的には身の回りの世話をするための従者であり、秘書というわけではない。専門的な秘書は別に必要となる。

(だ、だからといってあの男を秘書になんて! 秘書なんて、ほぼ四六時中一緒にいることになるではありませんの! ……いえ、冷静に考えてみれば特に問題があるわけでも……い、いいえ、やっぱりダメですわ! 何がダメかは分かりませんけどダメですわ!!)

 別に秘書は必要だが、決してそれは彼ではない……と思う。

「お、お父様、やはり私にはまだ秘書は早すぎますわ。まだ、知識も足りないですし」

「そうかい? なら、仕方がないな。……そうだ思い出した。確かフィリス君も秘書を欲しがっていたな。リオンが嫌なら、仕方がない。仕方がないから、彼女にこの話をしてみるかな」

「フィ、フィリスにですのっ!?」

 フィリスというのは、シストラバス家に連なる貴族の家系の女性だ。
 シストラバス家では珍しくもないが、貴族全体から見れば珍しい女性の当主で、リオンより少し年上。とても綺麗な人で、ちょうど結婚相手を探しているお年頃。

 そんな相手の秘書にジュンタが……リオンの脳内で、かなり桃色な映像が描かれた。

「ダ、ダメですわ! 危険すぎますわ!!」

 リオンは得体の知れない感情に突き動かされ、否定の言葉を並べる。

「何が危険なんだい?」

「え、ええと、ほら! あの男をフィリスの秘書にしたら、フィリスの身が危険ですわ。あの男には私の入浴を覗いたという前科もありますし……って、何なんですのお父様? その目は。わ、私は心の底からフィリスの身を心配して言ってますのに」

 ゴッゾが向けてくる優しげな瞳が、どうしてかリオンにはいつもとは違って見えた。なんだか妙に気恥ずかしくて、声が徐々に小さくなっていく。

「まぁ、彼がそんなことをするかしないかは横に置いておいて、リオンがそこまでダメだと思うのなら止めておこうか……そもそも、彼が秘書になると決まったわけでもないしね」

 クスリと笑って、ゴッゾが残っていた紅茶を飲み干すと、今まで黙って聞いていただけのユースが近寄ってきて、彼のカップに新しい紅茶を注ぐ。

 なんだかとっても疲れた。

 リオンもゴッゾと同じように残った紅茶を飲み干し、ユースに新しい紅茶を注いで貰う。それから先程の話は終わったと、新しい話題をゴッゾに振った。

「お父様は王都に何をしに行かれましたの? 国王陛下からの緊急のお呼び出しと聞きましたが?」

「うん? あ〜、それはね。すまないが、少し言えないことなんだ」

「あ、そうでしたの……」

 親子と言っても、内緒にしなければいけないようなことは、実は多かったりする。

 名門貴族の当主と、次期当主。その距離は平民の認識よりも遥かに遠い。国家のトップシークレットは、次期当主では知ることが許されないのだ。
言葉を濁させてしまったことに謝罪して、リオンは新たな話題を振る。

「不躾な質問、申し訳ありませんでしたわ。では、お父様。王都では何か変わった様子などはありませんでしたか?」

「ああ、民の様子は特に変わった様子はなかったけれど、そうだな……フェリシィール様が来訪された日は賑やかだったな」

 これにはゴッゾは問題なく返答に応じた。

「え? フェリシィール様が王都にいらっしゃっていましたの?」

 リオンはゴッゾの出した人名に、軽く驚いたように声をあげる。
 
 フェリシィール・ティンク。その名を知らぬ人間などこの国、いや、大陸にはいないだろう。世界全土にだって少ないに違いない。

「……ああ、ご視察にいらっしゃったらしい。私も少しだけ話す機会があったよ」

「まぁ、羨ましいですわ。私、かの使徒様にはあまりご挨拶する機会に恵まれませんでしたから」

『使徒』フェリシィール・ティンク。聖神教におけるトップの一人であり、人類の救い手であり導き手である女性使徒である。

 使徒の証である金色の双眸以外にも、高貴なる証とされる美しい金髪を持つ金色の使徒で、聖地との関わりの強いグラスベルト王国に彼女が視察をすることはそれほど珍しくはない。年に数回、そういうことはある。

 だからリオンは、ゴッゾが王都へ緊急招集されたことと、フェリシィールが王都を来訪したこと。二つの関連性に気付くことはなかった。麗しき使徒の持つ特異な能力を知っていたリオンだったが、ただ単に偶然にも一致したと、そう思いこんでしまった。

 ――曰く、使徒は神の獣であり、人知を越えた力を有する。

 そう謳われる使徒は実のところ、正しく人を越えた力を有していた。
 神が地上に遣わした救世主のようなものである彼ないし彼女には、神の加護か、とてつもない力を持っている者が多いのだ。いや、例外なく皆持っているといってもいい。

『金糸の使徒』フェリシィール・ティンク。彼女が持つ特異能力は【未来予知】だという。
 
 自然に限定された彼女の予知は、驚くほどよく当たる。

 日照り、水害、地震や火山活動。それら自然現象の脅威を、彼女は予知することがある。そしてそれを各地に伝え、危険回避を促し多くの人間を救ったというのは、よく耳にする話である。

 そんなフェリシィールが最も忌諱する予知の結果は、最大級の『厄災』である存在である。

 悪魔の名をも冠するその厄災は、人を越えた存在である使徒の彼女でも恐れる相手。
 使徒が世界における善の象徴だとしたら、その厄災は悪の象徴。古来より、人が生きていく中では切っても切れない関係にあるもの。

 時には世界を終焉間近へと追いつめた。
 時には一夜にして一つの街を灰燼と化し、時には一瞬で一国の大軍勢をも焼き滅ぼした。

 その脅威は自然災害と同義、いや、その上をいく。人ではどう足掻こうとも、太刀打ちすることも、回避することもできない。
 
 唯一相手取ることが可能だとしたら、それは人の姿をしているが、人とは一線を画す存在――例えば、使徒のような神の獣でなければ不可能だ。

 だから使徒たるフェリシィールはその災厄を予知した時、その危険を自ら持って伝えるという。せめて対処方法の一つである自分が、選択肢の一つとなれるように、と。

 フェリシィールの名を聞き、彼女に対して興味を向けたリオンに、ゴッゾがいかに『金糸の使徒』が美しかったかと、そんなことを話し始める。

 ……リオンは大事なヒントに気付くことなく、父親との会話を楽しみ続けた。

 終始笑顔で、娘との会話を楽しんでいるように見えたゴッゾの心の内に、今どんな想いが渦巻いているか――それに気付いていたのは、傍にいたメイドだけだった。


 

 

       ◇◆◇

 

 


 それは暗い闇より生じた。

 長い、長い、途方もなく長い時間の果てに、暗い闇より生じた。

 低い唸り声を発して、それは闇よりなお暗い翼を広げる。

 空には月。新月に近い、細い月。
 見渡す限り広大な世界に、それは誕生してすぐ飛び込んでいく。

 恐れはない。やるべきことはすでに分かっていた。

 理解ではない。生まれながらに、本能でシッテイタ。

 殺せ。

 ころせ。

 コロセ。

 それを殺して、自由を手に入れろ。

「グルゥウウウウウウウウウウウウアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 雄叫びには醜悪なまでの欲望が溢れていて、鮮血の瞳は、暗い憎しみをたたえている。

 世界に忘れ去られた獣は、そうして本能に導かれるままに。
 世界に否定された災厄は、そうして欲望を叶えるために誰かの下へと飛んでいく。


 ――どこかの誰かが望まぬ願いは、悪魔にとっては望む願いであるために。



 

 

 


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