第十二話  異端教徒

 


 広場の周りには木々が茂っている。それは林と言っても良いぐらいの茂り具合で、身を隠すのには最適だった。

 リオン率いる騎士隊は、彼女の指示の元に木々へと向かう。
 音を立てぬように、迅速に一人一人移動する。最後にリオンが上手く木の陰に隠れることができたのを合図に、騎士全員が剣を抜き放つ。

 太陽に反射する紅の剣も、葉で陽光を遮るこの場所ではさほど目立たない。
 
「さぁ、それでは行きますわよ」

 広場へと一番近い木の陰に潜むリオンが、右手を挙げて合図を送る。
 リオンの合図を受けて、騎士のうち二人がそれぞれ剣を地面に突き立てた。

 音もなく土に刺さった剣。その紅の刀身が、騎士の詠唱を持って淡く輝き始める。
 それは魔法光の輝き。地面に剣を突き立てた二人の騎士は、四人一組の隊列において必ず一人含まれる、魔法を扱うことができる騎士――魔法騎士であった。

 さした音もなく二人の騎士は魔法陣を構築する。それはドラゴンスレイヤーの武器としての側面、魔法の儀礼用としての用途による恩恵である。

 二人が揃って小さく詠唱を行い、ここに魔法は完成する。
 ズボン、と少し大きな音を立てて剣が突き刺さった地面が陥没。いや、剣の周りの土が溶解した。

 人一人ぐらいが入れる穴が瞬く間にできたところで、リオンは騎士たちに動きを止めるように合図する。そして広場を一度見、先程の魔法行使が気付かれていないか確認する。

「大丈夫ですわね」

 異教徒たちに気付かれた様子はない。
 リオンはもう一度騎士に合図を送り、騎士たちは再び剣を地面に突き刺した。

 さて、話は変わるがランカの街を治めているのはシストラバス家である。

 そんなものは常識で、シストラバス家を知らない人間などジュンタのような例外を除いては存在しない。

 そんな高名なるシストラバス家が治めるランカの街。実は色々と仕掛けが施されていたりする。
それはランカの街が王都の隣にある街で、戦争がもし起きた場合、聖地と王都を守る『城壁』を兼ねた街であることも関係している。ランカの街はゴッゾの手により、敵の侵入を遮る仕掛けが何重にも施されているのである。

 もちろんそのことを市民は知らない。いや、知ってはいけない。
 仕掛けの存在はシストラバス家のみが知るトップシークレット。それこそ、外にもらしたりしたら死刑確実なぐらいの重要機密である。

 秘匿とする理由は簡単で、敵の侵入を阻む仕掛けなら、敵に仕掛けの全てを知られたら、逆に侵入を歓迎してしまう結果になってしまいかねないからだ。

 張り巡らせた仕掛けは、街中で自分の周りをグルッと一周見回せば、大抵一つは目に収めることができるほどだが、完全な隠蔽によって隠し通すことができている。

 そしてこの林の中にも、そんな仕掛けの一つが存在した。

 魔法騎士が魔法で土を、仕掛け発見の鍵でもあるドラゴンスレイヤーを用いた魔法により、掘り進めること三回――その仕掛けはリオンの眼前に現れた。

 林の一角の地面の底に、石で舗装された空洞が姿を現したのである。
 それこそがシストラバス家秘蔵の仕掛けの一つ――巨大地下通路であった。

 通路は迷路とも呼べる仕組みになっており、いくつかの出入り口を繋ぎ、事件が起きたとき迅速に現場に向かえるように、また逆に逃げられるようにできている。

 石で覆われた、人二人が並んで通れる程度の通路には魔法障壁が張り巡らされ、然るべき場所からでないと出入りも発見もできない仕組みになっている。リオンはこれを使って犯人へと近付こうと考えたのだ。

 犯人たちは知るよしもないだろうが、彼らが事件の最初に壊した噴水こそ、この地下通路の入り口の一つなのである。ここから広場へと、犯人たちに気付かれずに近付くことは容易い。

 リオンは自ら先頭に立ち、通路へと降り立つ。
 彼女が着込む鎧が微かに音を立て、通路の中で反響した。

 リオンは奥が暗くて見えないほど長い通路を進む。少し行って一旦止まり、後続の騎士全員が通路に降りたところで、音を立てないように進行を開始した。

 シストラバス家の次期当主であるリオンは、この秘密地下通路の全てを網羅している。噂によると、当主しか知ることの許されない部屋もあるとのことなので、全てというのは間違いであるかもしれないが、少なくとも街のどこへでも出られるぐらいには知っている。

 林の入り口から数メートル先に行くと、通路の奥に広い空洞が見えてきた。

 そこには綺麗に澄んだ水がたたえられた、広場の噴水の真下である場所だ。
 この噴水はポンプでくみ上げているのではなく、魔法技術を使った噴水であるらしい。異教徒によって爆破されたが、真下までは影響が及ばなかったようである。外へと出ることは可能だ。

 足下に水の溜まった空洞に足を踏み入れたリオンは、注意深く上を仰ぎ見る。

 ここまで来れば後は地上に出て異教徒を強襲するのみ。リオンは子供を人質にした異教徒の位置を耳を頼りに突き止め、その真下に身を潜める。

 噴水ごと地面を吹き飛ばすのは魔法騎士の仕事だ。
 自分のするべきことは、その魔法行使のあと、直ぐさま子供を救うこと。

 背後の騎士たちをリオンは一度振り返る。準備はいいか、という無言のサインに騎士たちは頷きを返し、魔法騎士たちは剣を天井へと構えた。

 準備万端。突入までのカウントダウン開始。騎士たちに向かってリオンは手の平を広げ、その指を一本一本折っていく。

 そして――


 

 

       ◇◆◇
 

 

 

 犯人全てが捕まるまでにかかった時間は、一分を切っていた。

 広場に突如響く爆音と、犯人たちのあげた悲鳴。
 噴水の真下からリオン率いる騎士隊は現れ、まずリオンが人質の少年を助け、他の騎士たちが犯人を捕縛していく。

 騎士と同数いた犯人たちは、物の数秒で昏倒させられてしまった。リーダーらしき男も、リオンの握った剣の一振りにより、すでに地面に倒れ伏している。

 丘の上からハイ・レンズで広場の様子を見ていたジュンタは、リオンの行った奇襲が見事成功に終わったのを確認し、思わず感嘆の声をもらした。

「すごいな。一体、どうやってあんな場所に出たんだ?」

 ジュンタも一応はシストラバス家の騎士ではあるが、騎士としての教育など何一つとしてされていない新人――いや、そもそも騎士であるという自覚すらない状況である。地下通路の存在など知るよしもなかった。

「……まぁ、無事でよかったってことだな」

 リオンから貸し出されたハイ・レンズなる双眼鏡に似た代物は、遠くを見ることができるだけではなく視野も広く見ることができた。恐らくは魔法を活用した代物に違いない。それを覗き込んで、リオンたちの作戦が成功したことを確かめたジュンタは、一度ハイ・レンズを目から離し、

「しかし……怪しいよな、俺」

 今更ながら、自分の今の様子を考察する。

 ハイ・レンズを片手に、丘の上で隠れている帯剣した男。素晴らしい怪しさである。

 客観的な自分の姿に少しげんなりしつつ、事件が解決したなら別に広場に行っても良いよな、と判断したジュンタは移動を始める。別に一人が寂しかったわけではない。

 広場へと向かう最中、手持ちぶさたなのでジュンタはハイ・レンズで広場をもう一度眺めることにした。声が聞こえるわけではないので、状況的に何か変化があるわけではないとは思ったが、暇つぶしにとピントをリオンに合わせる。

 彼女は助けた人質の少年を地面に下ろし、泣いている彼をあやしているようだった。ジュンタには一度も見せたことのない、慈愛を感じる優しい笑顔を浮かべている。

「……って、はっ!? な、何見入っているんだ俺!」

 ボ〜とその場で突っ立ってしまったことを恥じらいつつ、ハイ・レンズを離し、足を速める。

 ジュンタは駆け足に近いスピードで、位置的に先程リオンたちが潜んでいた林の辺りまでやってきた。

 そして広場へと足を踏み入れようとして、視界の中で地面に倒れていく紅の騎士の姿を見た。

「え……?」

 ジュンタは起きた出来事を、すぐに許容することができなかった。
 紅い綺麗な髪の少女が、広場の真ん中に何の前触れもなく倒れた。どうしてだろう? ジュンタにはリオンが倒れた理由が分からない。

 それはリオンと一緒にいた騎士たちも同じらしい。

 犯人たちを拘束していた騎士以外がリオンに慌てて駆け寄る。そしてどうしてそうなったのかを判断し、視線はリオンにあやされていた子供へと向けられた。

 そう言えば、先程まで聞こえていた子供の泣き声がいつの間にか止んでいる。

 背中に冷たいものが伝うのと同時に、ジュンタはその音を耳にして反射的に木の陰に身を潜めた。

 広場で三度爆発音が響き渡る。

「なっ!?」

 ジュンタは驚きに目を見開いた。

 一体なにが爆発したのか? もうもうと砂埃が立ち上がる広場へと視線を送り、砂埃が止むのと同時に爆発の原因を知ることになった。

 ……正直、ジュンタはその場で吐き出してしまいそうだった。

 爆発したのは、正真正銘の人間だった。騎士たちに捕まっていたベアルの異教徒たちの身体が、一斉に爆発したのだ。砂埃が消え、爆破した痕と焼けこげて人の形をしていない何人かの焼死体を見て、ジュンタは吐き出しそうになったのだ。

 自爆テロ――そんな言葉がジュンタの頭の中に浮かび上がる。

「な、なんだって言うんだよっ?!」

 吐き気を必死で堪えながら、現状の把握に努める。

 魔法使いたちが爆破したせいで、彼らを見張っていた三人の騎士たちが傷を負って地面に倒れている。遠目からでは怪我の正確な状態は分からないが、至近距離で爆発を受けたのだ、恐らくかなり酷い状態だろう。

 そして彼らと同じように一度は地面に倒れたリオン。

 彼女は騎士たちに比べればまだ無事だった方だ。しかし彼らに比べたら、の話である。健康な人間と比べれば、十分リオンは重傷の範疇に含められる。

 紅の鎧の継ぎ目を狙って、リオンの腹には小さなナイフが突き刺さっていた。陽光に刃が反射していたから、刃物で間違いないだろう。

 ジュンタはリオンを傷つけた相手が誰なのか、ようやく気付く。

「くそっ、あの子供、ベアル教徒の仲間だったのか!」

 リオンの横腹を突き刺したのは、異教徒に人質にされていた子供だ。位置的にもタイミング的にも、あの子供以外にはあり得ない。それが意味するところはただ一つ。あの子供が爆死した異教徒たちの仲間だった……全ては初めから演技だったということだ。

 遠目から状況を把握しようとしたジュンタでは、それ以上を把握をすることは難しかった。

 ……そして実際のところ、現状はジュンタが思っているよりさらに悪かった。

「密集隊形!」

 リオンの澄んだ声が、ジュンタの耳に届くぐらいの声量で発せられた。

 即座に無事だった騎士たちがリオンを囲み、密集隊形を作る。
 騎士たちに守られる形で中心にいるリオンは、横腹のナイフを抜いて、魔法騎士に応急手当を受ける。その手は強く、騎士の誇りである剣を握りしめていた。

 ジュンタは疑問に思う。どうしてリオンたちは密集隊形を作ったのか?

 リオンたちの現状を今一つ理解できなかったジュンタだが、彼女たちの身を襲った次の出来事を見て、正しく理解した。

「うそ、だろ……?」

 思わず呆然と呟いてしまったジュンタ視界の中で、広場にいた市民――そう、ただの市民だと思っていた人たちが、それぞれ隠し持っていた得物を抜き放っていた。

 つまりはこういうこと。

 子供が人質の振りをしてリオンを襲ったように、また異教徒に怯えるようにしていた彼らも、怯えている演技をしていただけということだ。そして今、演技をする必要性をなくした彼らはその本性を剥き出しにし、リオンたちに襲いかかろうとしている。

(なんて、ことだよ……)

 リオンたちを包囲して、ジリジリと詰め寄っていく市民、いや、異教徒たちを見て、ジュンタは声を完璧に失う。

 助けようと思っていた相手が敵だった。そんな物語でしか見られないような状況が、今目の前で現実のものとして起こっている。

 しばし我を忘れたようにジュンタは立ちすくむが、なんとか自分に活を入れて我を取り戻す。

(落ち着け。今更、こんなことで驚いてどうする? 非日常なんて、嫌って言うほど体験してきただろうが!)

 一度、冷静さを取り戻させるために大きく息を吸って、吐き出す。

「考えよう。俺に今できる、最善を」

 そして胸を渦巻く怒りと不快感を押し殺すように、鞘から剣を抜き放つ。

 リオンは言った。剣は騎士の誇りだと。

 ジュンタは騎士ではない。だけど、その剣を抜く意味は分かっていた。
 剣を抜くということは、決意の表明である。助ける、という覚悟のいる意思を世界に表すための、意思表示に他ならない。 

「リオンを、助けないと」

 そのジュンタの意思に呼応するように、抜き放った剣の刀身に、虹色の波紋が伝っていった。


 

 

       ◇◆◇

 

 


 その男がリオンの前に進み出てきたのは、異教徒たちが完全に包囲してからすぐのことだった。

 市民の格好をしていた、暗い瞳の男である。

 金色の髪は長く伸ばされ、一目には男だか女だか分からない容貌をしている。

 年齢は二十代前半ぐらい。微笑を口元にたたえて寄ってくる姿は、まるで聖職者のよう。いや、彼は正しく聖職者であるのだろう。聖神教の聖職者ではなく、ベアル教の聖職者ではあるが。
集まった人々に頭を下げられつつ出てきたその男を、リオンは知っていた。

 会ったのはこれが初めてだが、その噂と容姿、名前だけは聞き知っていた。

「ご機嫌麗しく存じます、ミス・シストラバス」

 リオンの前へと進み出てきて、恭しくお辞儀をする男。その名を、忌々しげにリオンは呼ぶ。

「……ウェイトン・アリゲイ異端導師」

「心外ですね。異端、などとは付けないで頂きたいものです」

 微笑はそのまま、男――ウェイトンは頭を上げる。その暗い瞳は、先程と違って笑ってはいない。

 ウェイトン・アリゲイ導師。または異端導師。
 
 その名は悪名として、リオンの耳にも届いていた。
 約十数年前に新しく発足し、聖神教の聖地のあるこの神聖大陸エンシェルトで幅を効かせ始めた異端の宗教――ベアル教。

 その掲げた理念はリオンの知るところではなかったが、彼らが各地で起こしている聖神教へのテロ行為はとても有名だった。

 ベアル教の信徒は、聖地、グラスベルト王国の王都、魔法大国エチルアの『満月の塔』、また各地聖神教会の施設に対し破壊行為を――聖神教の信者に対しては悪辣な攻撃行為などをして、神聖教関係に対して病的なまでに過激な攻撃を行っているという。

 そのベアル教の導師としているのが、今目の前にいるウェイトンという男だった。

 彼は主に布教活動を行っており、街を回っては信者の数を増やしている。それだけならまだ捨て置けるのだが、彼が信者となった人間に対し、聖神教への攻撃思想を教え込んでいるとなれば話は別だ。今ではかなり悪名高い犯罪者として指名手配されている。

 そんな彼が現れたということは……

「そう、全てはあなたが企てたことというわけですのね」

「いかにも。その通りでございますよ、姫。この舞台を整えたのは、全て私の企てです」

 自分の行いを自慢するように、ウェイトンは自分が首謀者であることを認めた。
 敵を倒すために仲間を殺す、という行為を選んだことを、彼は胸を張って認めたのだ。

 とんだ最低な男が出てきたものだと、リオンはウェイトンを汚物でも見るような目つきで見る。

「あなたのような最低な男が布教活動を進めているんですもの。ベアル教というのは、とんだ下賤な宗教団体のようですわね」

「おや? いいのですか、そんなことを言って。今、ご自分の状況がどうなっているか、分からないとは言わないでしょう?」

 リオンの言葉に対し、ウェイトンが僅かに反応を示す。導師をしている身、自分の信じる宗教をバカにされたのことは我慢できなかったらしい。

 威圧をしてくるウェイトンに対し、リオンは彼をさらにバカにするように口元をつり上げる。

「ええ、あなたなどより正確に状況把握をしていると自負していますわ。ウェイトン異端導師。作戦を上手く動かすのなら、あなたは出てくるべきではありませんでしたわね」

「ははっ、中々切れ味のある負け惜しみですね」

 リオンの言葉を、形勢が不利になった相手の負け惜しみと取ったウェイトンは、冷たい眼でリオンを嘲るように見た。

 生理的に悪寒を誘う彼の視線に、リオンは背筋を震わせる。いや、彼の視線だけが原因ではない。身体を震えの主な原因は、先程子供により与えられた腹部の傷の方だ。

(まったく最低な輩ですわ。あんな小さな子供を、あんな風に利用するなんて) 

 治癒魔法によって傷だけは塞がっているが、薄皮一枚の向こうにはまだ傷が残っている。しかもナイフには毒が塗られていたのか、傷口から熱が吸い取られていくような感じがある。本当ならすぐに本格的な治療を行わなければならない傷の具合である。

 ここが自宅であれば別だが、今リオンがいるのは敵陣のど真ん中。誇り高き騎士たちと共にいる戦場の中なのだ。休息の時にはまだほど遠い。

 リオンは騎士たちに囲まれた中、チラリと辺りを一瞥する。
 視界の隅に、先程の爆発によって傷つき、倒れた騎士の姿が映り込む。

 一人は苦しみ悶えている。そしてもう二人は……ピクリとも動いていない。すでに事切れている。

 ギリッと奥歯を噛み締めながら、リオンは目の前の男に斬りかかりたいのを必死で堪える。

 現在状況は敵約五十。その誰もが市民に扮した――いや、もしかしたら本当に市民かもしれないが――異教徒。恐らく、多少ではあるだろうが戦闘訓練を受けていると思われる。

 そしてこちら側の戦闘力。

 二人が死に、一人は重傷。さらに自分までもが満足に動けないため、実質的な戦力は五人。騎士一人が武器を持った相手五人を相手取れると考えるなら……

「……ほぼ互角、と言えますわね」

 現存戦力でも、十分相手と戦える。中でもエルジンほどの手練れがいれば、決して遅れは取りようもない。

「ほぅ」

 リオンの淡々とした確認の声を受けて、ウェイトンの顔が苛立ちげに歪んだ。美貌の顔は、ヒステリックな女を彷彿とさせる形相に。

「何を言うのでしょう、戦力が互角? どうやら今代の竜滅姫は、ご両親からいい観察眼を受け継げなかったと見える」

「そうお思いになりたいなら、どうぞお好きになさい。現実を分からぬ無能な導師様」

 小馬鹿にするようにリオンはウェイトンを嘲る。その姿からは、多数の敵に囲まれている恐怖など見て取ることは出来ない。

 悠然とした佇まいはただ美しく、気高く、誇らしい。
 リオンという少女の自信は、この状況においても微塵も揺れることはなかった。

 ……それが、ウェイトンには気にくわない。

「そう、ではこれならいかがでしょうか? 圧倒的な戦力差があるのだと、これならお分かりになるでしょう?」

 見下すように、自らの自信を力を誇示するかのように、ウェイトンがローブの裾の中から黒い背表紙の本を取り出す。

 その本を見た瞬間、リオンの中の戦士としての勘が警報を鳴らした。

「ふふっ、さぁ見せて差し上げましょう。我らベアルの神の、その眷属の力を」

 ウェイトンは取り出した、その黒い光を待った本の背表紙を撫で上げる。それが合図だったのか、異教徒の群にいた何人かが前に出てきた。

 一体なにをするのかと、リオンは前に進み出てきた異教徒たちを厳しい目で見る。

「なんですって!?」

 そしてその次の瞬間に起きたあり得ない現象に、目を大きく開いて驚きを露わにした。

『ギャウォオオオオオオオオオオッ!!』

 広場全てに轟く、獣の奇声。

 信じがたいことに、異教徒たちはリオンの眼前で黒い光に身体を包まれたかと思うと、その身を人から獣へと変化――魔獣であるワイバーンへと変化したのだ。

 それはいかなる外道の術か。人を魔獣へと変える魔法。リオンも初めて見る、おぞましき外法だった。

 鈍い翠に輝く鱗を持った、翼と腕が一体となったワイバーン。
 それが六匹。真昼の広場に現れ、奇声を上げ続けている。まるで卵から孵った雛のように、異教徒たちは血に濡れた獣と化している。

 あまりの異常に、リオンを含めたシストラバスの騎士たちは声も出ない。

 そんな彼らに対し、ウェイトン異端導師が誇るように両手を広げた。

「素晴らしいとは思いませんか? これが我がベアル教の力! 人を強く進化させる、神の奇跡です!」

「神の奇跡ですって? こんなもの、悪魔の契約と同じですわよ。それにこのワイバーン、先日の事件もあなたの仕業でしたのね?」

 街中に突如現れたワイバーンが、襲ったきた事件。
 人為的な手が加わっていることとは思っていたが、ここに来てワイバーンも用意した犯人がはっきりした。

 リオンははっきりと理解する。ウェイトン・アリゲイ異端導師。彼は噂に聞くよりも、さらに外道な男だと。

「ふぅ……やはりあなたのような人にはこの奇跡の素晴らしさが理解できないようだ。まぁ、それも仕方がありませんか。あなたは我々の最大の敵なのですからね。むしろ理解できないことこそが、当然と言えるのかも知れませんね」

「? 私が、あなたたちの最大の敵?」

 やれやれと言った風にしゃべるウェイトンの言葉に、リオンは眉を顰める。

「ええ、その通りです。シストラバス家の次期当主にして、今代の竜滅姫――リオン・シストラバス。あなたこそが我ら、やがてドラゴンとなりて神の御許に辿り着く、ベアル教徒にとって最大の敵なのですよ」

「ドラゴンになる、ですって?」

 その自分と縁深い、忌々しい『ドラゴン』という単語に、リオンは目つきを細める。

「その通り、ドラゴンになるのです。神の作りたもうた最高の生命! かの魔獣の王こそが我らベアル教にとっての神! いつか我々が辿り着く終着点なのですよ! 今は、我らが神に姿形が似ているワイバーンへと辿り着くのが精一杯ですが、いつか必ず我らはドラゴンへと辿り着く!」

 陶酔の面持ちのウェイトンによる叫びに、広場の異教徒たちが歓声を上げる。

 ウェイトンを讃える声。ドラゴンを讃える叫び。
 その狂気としか思えない叫びに、リオンは血の気が引いていくのを感じた。

 ベアル教徒たちの声を一身に身体に浴びていたウェイトンは、しばらく陶酔の面持ちでいたが、すぐに柔和な笑みに戻ってリオンに向き直った。その目は相変わらず、暗い色をたたえている。狂気の布教者は、あらゆる意味で危険な男だった。

 ベアル教――その恐るべき思想はリオンには理解できない。否、悪魔たるドラゴンへと辿り着く、そんな愚かな思想など到底理解できるはずがない。

 彼らがワイバーンとなったように、いつかドラゴンへと変化することが可能になったなら、それはとてつもない危機だ。ベアル教を多くの聖神教関係者が目の敵にしている理由が、リオンにはよく分かった。

 こんな危険な考えを持っている人間は、聖神教に属しているからという理由だけではない、人として見逃してはならない。

「そのためにリオン・シストラバス。ドラゴンを害することができる、唯一とも呼べるあなたは今ここでどうにかしなくてはならない」

 そしてなにより、ドラゴンの天敵として滅ぼす立場にある自分は、彼らをのさばらせておくことなど許されない。

「それがあなた方ベアル教の狙い、というわけですのね?」

「然り。輝かしい未来のために、あなたにはここで死んでいただく」

 リオンが正しくベアル教徒を敵と認めたように、ウェイトンは以前より敵と認識していたのだろう。

 ウェイトンは片手に持った、ページの開かれた黒い本を背後に合図するように上げ、

「やれ、全員殺しなさい」

 それが下ろされるのと同時に、一斉にワイバーンはリオンたちに襲いかかった。

「総員、離脱を優先せよ!」

 襲って来るワイバーンを見て、リオンが出した指示はそれ。
 戦力は相手方に絶対的有利。逃げろ、と全力でリオンは命令を下す。

 ワイバーンの力は並の騎士よりも上に位置する。ベテランの騎士と同等と言える戦闘力を秘めているのだ。特に、空を飛ぶことができるというのはかなり脅威だ。そのためにこの状況、逃亡すら絶望的といえる。敵は何もワイバーンだけではない。自分たちを取り囲む、異教徒たちも敵なのだから。

 上から襲ってくるワイバーンと、行く手を阻む異教徒たち。

 この状況を打破するには、外部からの協力が必要不可欠だ。

 しかし援軍はまだ期待できない。最低でもあと五分、到着までには時間がかかる。今、リオンたちの助けになってくれる人間は近くに存在しない。

 否、一人。この状況でも助けに来られる味方が、一人だけ存在した。

 応戦するために剣を仲間と共に構えながら、知らず、リオンはそのたった一人に対して声を向けていた。

 助けが欲しい、と。打算ではなく、感情として。その名前を呼ぶ。

「……ジュンタ」



 


 ――果たして、助けはその呟きに導かれるようにやってきた。




 

「な、なんですか、この風は……?」

 突如吹いた強烈な突風に、ウェイトンの慌てた声が広場に響く。

 その声より少しした後、広場に状況を打破する生き物が、何の前触れもなく降ってきた。

 ――それは、厄災だった。

 一体誰が、その到来を予想していただろうか? 
 あるいはゴッゾなら、あるいはサネアツなら、その突然の来訪者の登場に驚くことはなかっただろうか?

 広場に集まった人間と獣。その誰もが突然の事態に動きを止め、空を仰ぎ見ていた。

 敵味方の区別なく、等しく彼らの胸を襲う疑問。
 どうして、と誰しもが思った。あり得るはずのない新たな登場人物に、誰しもがまだ、到来には早すぎると疑問を吐いた。

 ――空から舞い降りたのは、漆黒の獣。

『其は神に対する悪。其は人に対する毒。其は世界に対する災厄』

 人に古より恐れられる悪魔にして、最悪の災害とも呼ばれる厄災の獣。
 ワイバーンたちを踏みつけるように落ちてきたその獣を、間近で見上げたリオンは、誰よりも深い縁があるために、誰よりも早くその名を呼んだ。


――終わりの魔獣ドラゴン』」


 リオンは呼吸すら止めて、空より突如として舞い降りたその獣――ドラゴンを見る。そして自分たちの状況が、さらに悪化したことを瞬時に悟った。

 凍り付いた時間。静止した世界。
 それを溶かすように、壊すように、突如現れた二十メートルを越す厄災は口を開いた。

 ドラゴンより吐かれた炎により、広場にその日、四度目の爆音が響き渡った。


 

 


       ◇◆◇

 

 


 広場にその漆黒の魔獣が現れた瞬間に、自分の中の何かが教えてくれた。

「あれが、ドラゴン……」

 戦慄と共に、戦慄の名を吐くジュンタ。
 広場の中心から離れていたため、恐らく一番冷静にドラゴンの到来を見届けられたに違いない。それでも震える声は、隠しようもなかった。

 空を覆うかのような巨体は、漆黒に染まっている。ワイバーンと違って両手両足がしっかりとあり、鋭い爪を伸ばしている。骨張った翼は雄々しく広げられ、広場にいる人を見る鮮血の瞳は、酷く冷たい。

 ワイバーンという怪物を見たジュンタだが、広場に空より現れたドラゴンを見た今なら言える。

 ワイバーンなど、ドラゴンに比べれば可愛いものだ、と。

 二十メートル近い巨体。尾を含めればさらに大きな獣の存在感と威圧感、そして嫌悪感は、ワイバーンを目の前にした時よりも強い。数十倍、と言っていいかもしれない。

 離れた林から見ているからまだマシだ。もし間近であの鮮血の瞳を向けられたなら、とてもじゃないが正気を保ってはいられないに違いない。視線だけで、そこに在るだけで、人を殺すというのはああいうのをいうのだ。

 そう、ドラゴンはもう生物という範疇を超越している。

 あり得ない存在。悪夢の現象。最強の最悪。あれは全てに終わりを告げるものだ。

 広場は今、ドラゴンの出現と共に静寂に包まれている。誰一人として口を開く者はいない。悲鳴すら、ドラゴンの前では口から出ないのだ。魂が抜けた状態とでも言えばいいのか、あの騎士エルジンでさえ呆然と突っ立っているのが確認できた。

 しかしその静寂は、ドラゴンが炎を吐き出したことによって打ち破られた。

 ゴォゥ、と炎のブレスが上空より吐き出される。

 それはワイバーンの炎の比ではない。空気すら焼き尽くすような、紅の豪炎。

 ドラゴンの炎は、的確に狙った相手のみを焼き尽くしていく。

 ドラゴンが狙った相手。それは足下に踏みつけていた異教徒たちのワイバーンであった。
 まるで自分と似ていることが気にくわないとでも言うように、ドラゴンの炎にいとも簡単に六匹のワイバーンたちを、逃げるという行動を取る前に焼き尽くしてしまった。灰すら残らぬ、絶対的な死。それを見て、冷静でいられる人間などいない。

 つんざくような悲鳴が、広場のあちらこちらから響き始める。

 老若男女関係ない。異教徒たちはパニックになり、手に持っていた得物を捨てて逃げ惑う。それは指導者であるウェイトンも例外ではなく、むしろ率先して逃げている。
眼下でウロチョロと逃げ惑う人間ども。

 それを次に燃える炎の上に立つドラゴンは目障りと思ったのか、長い首を眼下へと向けた。それはちょうど、逃げ惑う異教徒たちに向けられていた。

 ジュンタはドラゴンが何をしようとしているのか察し、

「やめろっ!」

 反射的に、意味のない静止の叫びが口から出した。

 静止を呼びかけるにはあまりに遠く、ジュンタの声は影響力を持たない。しかしどうしてか、ジュンタの声に反応したようにドラゴンは首を動かした。ドラゴンの視線はジュンタのいる林の方に向けられ、その時、両者の瞳は確かに交差した。

 鋭い鮮血の眼差しを向けられ、ジュンタは心臓を握られたかのような錯覚を覚えた。

 足下が不安定になり、身体が自分の制御下を離れたかのよう。
 視線があった瞬間に感じたのは、確かに『殺意ある敵意』であった。お前を殺すと、視線だけで告げられたような気がしたのだ。

「はぁ、はぁ……ちくしょうっ!」

 ヘタリ、とその場に座り込みそうになるのを、ジュンタは剣を支えにして必死に堪える。

 怖い。確かに怖いが、怖いなんて言っている場合じゃない。事態は何一つ好転していない、いや、むしろ悪化している。リオンたちはさらなる強大な敵の前に晒されているのだ。

 ドラゴンの視線が自分から離れるのと共に、ジュンタはリオンへと視線を向ける。

 腹部に傷を負った騎士の少女は、ドラゴンの登場にも剣を下ろさずに構えていた。

 微かに剣の先が震えているのがジュンタの目には見えたが、それでも彼女は気丈に戦意を見せている。どうやれば人はあそこまで格好良くいられるのか、尊敬せずにはいられない。

 リオンは本当にすごい。前々から抱いていたことだが、ジュンタは改めてその認識を強くする。

「それに引き替え、俺は……」

 ガクガクと膝を震わし、剣を支えにようやく立っていられる状態。とてもじゃないが、かっこいいとは言えない姿。つい先程までは助けようと思ったのに、今ではこれだ。情けない。

「こんな姿をリオンに見られたら、あいつは笑うだろうな……」

 笑うだけならまだいい。もしかしたら幻滅されてしまうかもしれない。いや、これでもかというぐらい最底辺の評価だろうが、これ以上評価を下げるのはゴメン被りたかった。

 ……気が付いていなかったが、どうやら自分はリオンに嫌われたくないらしい。

「ああ、それなら、やることなんて決まってるな」

 鼓舞するように、ジュンタは自分に言い聞かせる。

「なんてことはない。敵は蜥蜴を大きくしたような爬虫類だ。大丈夫。恐れる必要なんて何もない。そうだ。別に躊躇は必要ない。所詮ドラゴンは、一番最初の試練に過ぎないんだ。これをクリアできないはずがない。それは世界すら認めている決定事項だ」

 何度も、何度もできると、そうジュンタは自分に言い聞かせる。

 言い聞かせる度に、ジュンタは自分の身体の変化を感じていた。

 身体が熱い。心が熱い。

 熱くて、熱くて――渇いている。

「そうだ。クリアする方法のない試練なんて存在しない。ドラゴンは決して倒せない相手じゃないんだ。何か、倒す方法が俺の中にはある」
 
 渇きを癒そう。癒しに行こう。
 
 渇きを癒す方法は、ずっと前から知っていた。ただ、今まではそれに気が付いていなかっただけ。手を伸ばせば、意識を向ければ、それは初めからそこにあったというのに。

「手を伸ばせ。意識を傾けろ。自分という存在を、人間という枠組みで埋没させるな。はっきりと打倒する敵を見ろ」

 ジュンタは手を伸ばす。遥か遠く、限りなく近くに。
 どこでもない上に。存在しない下に。彼方より此方を知覚し、不可能だと思っていた事柄を、勘違いだと認識する。

「ドラゴンは、俺に倒されるために生まれてきた敵だ!」

 ――その瞬間に、今までの自分を見失い、本当の自分を見つけられた。









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