第十四話  それぞれの檻


 

 数秒間気絶していた頭を振り、落下により痛む身体を堪え、剣を杖にリオンは立ち上がった。
 いきなりの投擲にも大事な剣を放さなかった自分を褒めてやりたい気分だったが、それは後回しにしておく。今はそれより、やることがあった。

「……まったく、あの不埒者。やってくれましたわね」

 口の中に溜まっていた血を地面に吐き出し、荒い息をリオンは吐く。
 両手で剣の柄を持ち、ふらつく身体を何とか立たせているリオンの姿は、瀕死一歩手前のように見えた。

「絶対に腹部の傷……開きましたわ。ただでさえ深い傷だというのに…………今すぐにでも治療を開始しないと、本気の本気で傷が残りますわよ」

 据わった目で、自分を今いる林へと投げた相手――ジュンタがいる方を睨みながら、一歩、また一歩とそちらへとリオンは歩いていく。

「何が、責任を取る、ですのよ……このリオン・シストラバスが、傷一つの責任であなたみたいなどこの馬の骨とも分からぬ輩を、本気で良人にすると思っていますの? それがどんなに浅はかで愚かな考えか……一発殴りつけて教えて差し上げなければなりませんわね」

 ふふふっ、と笑って、リオンはゆっくりと歩を刻んでいく。
 ボロボロの身体は一歩足を前に進めるごとに酷い痛みを発する。が、死にはしない。この程度の傷でリオン・シストラバスは死なない。だから進むことはできる。無問題だ。

 一歩進む。

 目は霞むし、視界はふらつく。過去最低を記録するコンディション。

「あっ」

 バタン、と地上に出ていた木の根に躓き、リオンは地面に倒れ込んだ。

 自慢の紅髪に泥が付き、一度倒れたことでさらに傷が痛みを増す。

 それでもリオンはまた立ち上がろうと、剣を地面に突き立て、それを支えに試みる。
 体力も気力も限界だけど、リオンの瞳の輝きは失われていない。助けられたという原因がある限り、選択肢は歩き続けるという選択のみ。

「わた、くしは……騎士、ですわ。剣ある限り、倒れはしないのですわ……!」

 渾身の力を込めてリオンは立ち上がる。

「待って……なさい、ジュンタ…………私が……今、たすけ……に……だから……死ぬんじゃ……ありませんわ……よ……」

 リオンの瞳は林の先、炎の壁の先。遠く、頭だけが見えるドラゴンだけを見据えている。その道中はもう、リオンの視界に入っていない。

 だからリオンは、彼女の接近に気付かなかった。


 

 

 熱を含んだ空気を浄化するような、澄んだ空気の到来。 渦巻く大気と共に、疾風の如く現れたのは一人の女性だった。
 
 フワリとエプロンドレスの裾を風に膨らまし、風と共に現れた女性――ユースは、リオンの進路上に黙って立つ。

 ユースのリオンを見つめる視線は酷く優しく、そして酷く厳しい。その割合は、リオンが歩を進める度に後者が膨れあがっていく。

 それでもユースはリオンを止めることはせず、自分の姿を目に映していないリオンが、自分の元まで辿り着くのを待った。

 ……リオンがユースへと倒れ込むように当たり、止まる。

 足はもう動いていないのに、視線だけはまだ目的地を見ている。 それを確かに感じ取ったユースは、もう休ませてあげるために、リオンの耳元で囁く。

「安心してください、リオン様。ジュンタさんは大丈夫ですよ。ゴッゾ様が、ちゃんと助けてくれます」

「え、ぁ、お父……様が?」

 ユースの囁きにリオンがうわごとのように呟く。

「ええ、リオン様のお父様がちゃんと助けてくれます。私も、微力ながらお手伝いさせていただきますから。……もう、安心してお休みください」

「そう……ですの…………」

 いつもの淡々とした声ではなく、慈愛の溢れたユースの声に、リオンはゆっくりと目を瞑り、身体から力を抜いた。

 意識を失う前、リオンはユースに向かってお願いを呟いた。
 その言葉を聞いたとき、ユースは柄にもなく泣きたくなった。

 傷だらけで弱り切った身体で、リオンは言った。『頼みますわ』と、願ったのだ。

「本当に……優しいですね。リオン様も、そして彼も……」

 リオンを抱き留め、その傷に治癒魔法を施しながら、ユースは遠くにいるだろう少年の方へと視線を送った。


 その瞬間――空より巨大な何かが、リオンが救出を願った少年がいる場所を中心にして、猛スピードで落ちてきた。


 ユースの位置にまで落下の衝撃波は伝わってくる。慌ててユースは障壁を張り、リオンの身体を衝撃から守る。

 吹き付ける風に視界を奪われたのは一瞬のこと。
 砂埃はやがて消え、炎の海だった場所の今の姿を映し出す。

 ドラゴンのブレスによって出来た炎の海は、今はもうほとんど消火されていた。
 風によって燃え広がったのではなく、完全に炎を鎮火させた。そんな現象を起こせるのは魔法という神秘を除いてはあり得ない。

 ドラゴンを中心に、約百メートル範囲を対象に発動した魔法をユースは知っていた。

「神殿魔法[閉鎖魔女クローズウィッチ]……まさか、これほどの威力とは」

 魔法の効果範囲に今、巨大な透き通る水晶の柱が立っていた。

 それはまるで大地に根を下ろす、巨大な大樹のよう。水晶の大樹は空高くへと伸び上がり、美しい輝きを放っていた。

 人一人による魔法行使――『単独魔法』
 儀式や触媒などを用い、単独または多数で行う魔法行使――『儀式魔法』

 単独魔法より儀式魔法の方がその威力は高く、効果範囲も大きい。だが魔法には、それ以上の力を誇る魔法の行使方法が存在する。

 それこそが『神殿魔法』と呼ばれるもの。

 儀式魔法が儀式場による儀式を以て行われる魔法なら、神殿魔法は神殿――魔力を掻き集め、保存する最高位の霊的建造物のバックアップを以て、大多数で行うものが神殿魔法である。その威力は儀式魔法とは比べものにならないほど強い、対軍魔法である。

 今、目の前で発動した神殿魔法――閉鎖魔女クローズウィッチ]は、攻撃力こそ皆無だが、こと封印・束縛においては魔法の中で最強と言える。これを使われたら、いかなる存在も身動きを取ること叶わず、そして樹木の形をした魔水晶の内部から抜け出せなくなってしまう。

「これなら、いくらドラゴンといえども――

閉鎖魔女クローズウィッチ]の直撃を受けたドラゴンは、今、水晶樹木の中にいる。
 
閉鎖魔女クローズウィッチ]は対象を封印・束縛する魔法の中で、最も強力な魔法である。その効果は対象を物理的及び魔法的に縛り上げるというもの。

 物理的に重く固い水晶の大樹を、対象を中心に構成して、中に閉じこめるように落とす。

 対象となった相手――今回の場合はドラゴン――に、巨大な水晶樹木の重さを与える。
 つまり今ドラゴンは、『城』の重さにも匹敵する水晶樹木を、背中に乗せられたような状態なのである。それに加えて、魔法によって何重にも拘束と圧迫を与えるのがこの魔法の効果。

 効果対象であるドラゴンが[閉鎖魔女クローズウィッチ]を解呪するには、水晶樹木を物理的に破壊し、魔法の拘束を破るしかない。この効果によって、本来拘束など不可能に近いドラゴンを拘束することが可能なのである。
 
 並の人間では、内部からは一生かかっても出ることができない究極の魔法一つ。
 世界を滅亡させる力があると言われるドラゴンといえども、この魔法によって封印されたのなら……

「――二日は、閉じこめておける」

 一日で街一つを灰燼と化すドラゴンを、二日の間閉じこめておくことができる。
 それを長いと見るのか、短いと見るのかは個人の判断次第。魔法使いであるユースは、これを長いと見た。

 ズキン、と胸が痛む。

「……申し訳ありません、リオン様」

 一瞬、ユースの耳に悲鳴のようなものが聞こえた気がした。

 分かっている。それはただの幻聴だ。彼は今[閉鎖魔女クローズウィッチ]の封印の中にいる。声が聞こえるはずがない。

 リオンの傷に手を当てながら、ドラゴンの傍にいたために[閉鎖魔女クローズウィッチ]に巻き込まれた少年へと、ユースは謝罪する。


「…………ごめんなさい、ジュンタ様……」

 

 

 

       ◇◆◇

 

 

 

 天井は透き通るように透明で、壁は透き通るように透明で、地面は透き通るように透明で、目に見える自分以外の全てが透明で、まるで水晶に閉じこめられているようだとジュンタは思った。

「……ここ、どこだ?」

 目を覚ます度に見知らぬ場所にいることには、もう慣れてしまった。
 だが、今回は少しばかり今までとは毛色が違う。驚愕度で言えばリオンと初めて出会った時には劣るが、神秘的な雰囲気がする不思議な空間である。

 透明な世界がどこまでも続いているように見えるのだが、しかし手を伸ばせばそこに壁があるかのようにも、また見える。あまりずっと見続けていたら、方向感覚が狂ってしまいそうだ。

 気が付けばここに突っ立っていたジュンタは、首の後ろに触れながら状況判断に努める。
 
「剣を握ってるってことは、あのドラゴンと戦おうとした続きなんだろうけど……」

 手に握られた騎士剣たるそれは、ジュンタがドラゴンに立ち向かおうとした証であった。

 だが肝心の敵であるドラゴンの姿が、今では見あたらない。
 あのでかい図体が隠れられるようなものは近くにない……というより、物自体が皆無である。それに、そもそもあのドラゴンが自分の前から隠れるわけがない。

「……消えた、のか?」

 周りのまったく同じ景色をぐるっと見回してから、ジュンタは剣を鞘に戻した。

 静寂が満ちる不思議な空間。
 ドラゴンもいなければ、広場にあった瓦礫も何もありはしない。たった一人、自分だけがいる。

 ……ジュンタの背筋に嫌な汗が流れた。

「まさかとは思うけど、これってかなりまずい状況……だよな」

 ここがどこか分からなければ、どう脱出して良いかも分からない。見える範囲には何もないし、誰もいない。食料もなければ水もありはしない。

 危機的状況に自分が陥っていると、ジュンタが認めたのはすぐだった。

「どうするよ? どうにも状況が進展できない場所じゃあ、さすがに何かしてどうするってわけにもいかないし……せめて状況が分かれば、何とか脱出の糸口も見つかるかも知れないけど……」

 声を出して考えを述べるのは、自分が正気であることを確認する意味合いもあった。

 変化のない、上下左右すらあやふやなこの空間。思っていたよりも精神的に厳しい。

 風もなくて、明るいのか暗いのかすらも分からなくて、ただ透明な、始まりも終わりも見えない世界にただ一人……これほどの恐怖が他にあるだろうか? ドラゴンと対峙したときとは違うベクトルで、これは最上級の恐怖体験である。

「くそぅ、どこかに出口がある、ってわけじゃなさそうだな」

 ジュンタは、歩き回るのを止めて床に座り込んだ。

 瞼を閉じ、迷走する思考回路を落ち着かせる。
 変わらない景色を眺めているより、目を閉じていた方が気分的には楽だった。

「さて、どうする?」

 無言で気を落ち着かせてから、ジュンタは自分自身に問うた。

「とにかく、ここから出ないことにはどうしようもない。時間経過で元の世界に戻るのか、それとも何か条件があるのか……それとも考えたくはないが一生このままか……」

 自問自答し、どうにか脱出する案を考えることに専念する。

 そうして長い間ウンウンと唸ったのち、ジュンタは行動に移った。
 剣を鞘から抜き、ジュンタは切っ先を真下に向け、両手で真上に持ち上げる。

「せやっ!」

 そしてそのまま、床に向かって勢いよく叩き付けた。

 ガキン、と音を立てて剣は床に弾かれる。

「……固いな。剣なら傷ぐらいつくと思ったのに」

 ジュンタは剣を手に取って、困り顔でその刀身を見やる。
 手荒に扱われても傷一つない刀身は、ジュンタの顔を映し出していた。それをジュンタは『不安そうな顔をしてるなぁ〜』と思いつつ見る。

 黒い髪に黒と金の瞳。黒縁眼鏡のいつもどおりの自分の顔には確かに不安の色があって……

――いや待て、おかしい」
 
 そんな不安の表情より、遥かに問題視するべき点に気が付いた。

 ジュンタはもう一度マジマジと刀身を覗き込む。
 いくら澄んだ刀身と言っても、色は紅。映りばえは良くないが、大ざっぱな容姿はちゃんと分かる。

 黒い髪はいつも通り。黒縁眼鏡もちゃんと歪まずにある……でもただ一つ、黒いはずの瞳の色だけがおかしかった。

 右目はちゃんと黒色である。だが、左目の色が黒ではなかった。

 この色は恐らく――金色。

 左目は、普通の日本人にはあり得ない色をしていた。

「どうして、こんな……」

 今朝鏡を見たときには、瞳の色はちゃんと両方とも黒だった。一体いつ変色したのか、ジュンタにはまったく心当たりがなかった。

「……今考えてもしょうがない、か。それよりここから脱出する方が先決だな」

 自分の身体のことだ。気になりはするが、取りあえずは脇に置いておく。今何より優先するべきことは、この場所から脱出することと、そう自分に言い聞かせる。

「脱出するには、やっぱ床をどうにかするしかないかなぁ……どうにか壊せれば、脱出できるかもしれないんだけど……」

 コンコン、と手で床を叩き、ジュンタは頭を悩ませる。

 剣すらもはじき返した床は、とてもじゃないが傷つけることはできそうにない。
 ジュンタの頭に、脱出不可能の五文字が浮かび上がってくる。こんな時、冷静に状況を判断する脳が恨めしい。

「いや、何か方法があるはずだ。絶対に脱出不可能なんてあり得ない。何かが――

 諦めずに方法を模索しようとしたジュンタの耳が、その時微かな人の声を捉えた。
 この変わらぬ世界に、頭が狂ったわけじゃないようだった。耳を澄ましてみると、確かに人らしき声が聞こえてくる。そしてそれは徐々に大きくなり、はっきりしてくる。

『……じょ……か? ジュ……返……し……ッ!』

 それは誰かに訴えかけているような声色。よくよく聞けば、それはジュンタに馴染みが深い、聞き慣れた声だった。

「サネアツ?」

 ジュンタがその声の主――サネアツの名前を呼ぶ。

『ジュンタ!? 良かった、無事だったのか!』

 それに対し確かに返事が返ってきた。間違いない。声の主はサネアツである。
 でもサネアツの白い小猫の姿は確認できない。それに声も、どこか遠くから聞こえてくるかのよう。

「サネアツ? お前、どこにいるんだ?」

『すぐ近くだ。一メートルも恐らく離れていない』

「?? 一メートルも離れていない?」

 まるで脳に直接響いてくるかのようなサネアツの声に、ジュンタは眉を顰める。

 やはり周りにサネアツの姿は見えず、一メートル以内には誰も存在していないが……

「……もしかして、床の向こうにいるのか?」

『ああ、その通りだ。穴を掘ってそこにいる』

 一メートル。その言葉に、もしかしたら床の向こうにいるのではと気付いたジュンタが言ったところ、それは正解だった。

 サネアツはどうやら、水晶の壁を挟んだ反対側にいるらしい。そのことから、ジュンタは壁の向こうに外があり、そして自分が今、何かの中にいることを悟った。

「ん? でも待て、ならこの声はどうやって届いてるんだ?」

『これはな、ただの力業だ。声に魔力を通して、特定の相手にだけよく聞こえるようにする魔法で、距離のある相手との会話が可能になるのだ。それを使っている』

「どうりでおかしな風に聞こえると思った。でも、俺の声は普通に届くんだな」

『少し聞き取りづらいが、俺の聴覚器官は普通ではないからな。この程度の壁なら、難なく聞き取れる……さすがに少し小さな声だが』

「よし、なら話すのは問題ないな。なら早速、ここから出る方法を教えてくれるか?」

『これでもかと言うぐらいストレートだな。もう少しぐらい、突っ込んだことを聞いてくれてからでも遅くはないというのに』
 
「仕方ないだろ。この中、お前が思っているより息苦しいんだ。早く出たいと思うのも、しょうがないだろ?」

『そうなのか。それなら、悪い情報だ。出る方法は確かに存在するが、それを実行に移しても出られるのは当分先のことになる』

「ちょっ、待て? 本当に?」

 サネアツの報せにジュンタは慌てふためく。

 この不可思議な世界にまだいなければいけないかと思うと、気が重くなる。煌めく透明な世界は、マジマジと見れば見るほどに気力を奪っていくのである。

「でも、出られる方法があるだけマシか……うぅ、悲しい。なんだか俺だけ不幸な目に遭ってばかりな気がする」

『気のせいだ』

 口をついて出たぼやきに、サネアツがわざわざフォローをいれてくれたが、ジュンタの心には響かない。サネアツが比較的幸せそうに見えたからだ。

 ある意味では猫の姿になってしまったサネアツの方がもっと不幸なのだが、それを本人が気にしているように見えないために同情もできない。……考えれば考えるほど、自分の不幸度がはっきりとしてきて、なんとも空しかった。

「いいや、もうそんなことは。サネアツ、ここから出る方法を教えてくれ」

 不毛な考えを中断して、ジュンタはサネアツに頼む。

『了解した。いいか、ジュンタ。今から俺が言ったように行動するんだ。まず最初に、両手の平を床につける』

「分かった。床にだな」

 ジュンタはサネアツの指示に従い、床に両手をつける。冷たくも熱くもない。ただ固い床の感触だけが手に触れる。

『……何か床に変化は見られないか?』

「いや、何も」

 床が突然崩れたり、歪んだり、変化したりということはまったくない。そう正直に答えたところ、困ったような声が響いてくる。

『変化がないわけないのだがな。いいか、ジュンタ。今お前がいるのは[閉鎖魔女クローズウィッチ]という魔法によってできた、水晶樹木と呼ばれる物質の中なのだ。
閉鎖魔女クローズウィッチ]の効果は水晶樹木に対象を閉じこめ、動きを封殺するというもの。これはドラゴンに対して唱えられた。ジュンタはドラゴンの近くにいたために、一緒に閉じこめられたに過ぎない。封殺の効果もドラゴンに比べたら十分の一以下だ』


「ん〜、よく分からんが、ここは魔法でできた物質の中で、俺はドラゴンのとばっちりを受けただけ。あと、ドラゴンがこの空間のどこかにいるってことか?」

『ああ、ドラゴンは魔法の影響を大きく受けているからな。ジュンタの感じている空間では、遭遇することはないだろう。そこは安心して良い。
 それで、だ。肝心の脱出の方法なんだがな。脱出にはジュンタが受けている[閉鎖魔女クローズウィッチ]の効果を解呪する必要がある。外部からの解呪はできそうにない。だからジュンタに内部から解呪をして貰わなければならないんだが……』

 そんなことを言われても、ジュンタは解呪の魔法なんて使えない。

「……解呪って簡単にできるのか?」

『俺が調べたところ、[閉鎖魔女クローズウィッチ]を解呪するには、高位の魔法使いで数ヶ月を費やすらしい』

「うわぁー、絶望的な数値だな」

 魔法のエキスパートでもそれくらいかかるとなると、ジュンタではどれほど長い年月がかかるか分からない。いや、そもそもまず魔法を覚えるところから始めなければいけないのでは?

 解呪できるようになるまで、こんな場所にいなければいけない絶望感と言ったら、無気力になりそうなぐらい大きい。

 だらけそうになるジュンタの気配に気付いたのか、そこへすかさず声が飛んでくる。

『…………悪いが、こちらの状況もあまり芳しくない。あきらめないでくれ』

 いつになく真剣なサネアツの言葉に、ジュンタはビクンと肩を揺らす。

 ブラフ、という感じではない。魔力を声に通している所為か、ダイレクトにサネアツの心理が伝わってくる。冗談が一切感じられない。紛れもなく外の事態は悪いのだろう。

「……そんなにヤバイのか?」

『ああ、ある意味な。このドラゴンによる騒ぎの発端が、どこにあるかはジュンタも分かっているだろう?』

「俺だな。俺がいるから、ドラゴンは現れた。認めたくはないけど、あの広場の惨状も、俺のこの状況も、元を正せば全部俺のせいだな」

 脳裏に紅蓮に燃え盛る広場の情景が浮かび上がってくる。人の死体を目にしたのは、あれが初めてのことだった。

 ドラゴン――あの恐ろしい魔獣は、今ジュンタと同じように封印されている。しかしジュンタにこの空間から脱出できる方法があるように、ドラゴンにも脱出する方法は存在するに決まっている。


何も終わっていないし、変わってはいない。ただ、結末が先延ばしにされただけ。
ドラゴンがこの[閉鎖魔女クローズウィッチ]から開放されれば、その時あの広場の惨状が、さらに凄惨さを増して再現されるだけだ。


「それは、ダメだ。捨ておけない。どうにかして、俺がドラゴンを倒さないと」


『全てを全て、ジュンタ一人が背負い込む必要はないのだが……何を言っても無駄か。ならばさっさとそこから脱出せねばな。なに、問題ない。ドラゴンが[閉鎖魔女クローズウィッチ]を解呪するまでにかかる時間は二日と言う計算らしいが、俺の計算ではジュンタはそれより早く出られるはずだ』

「本当か? 魔法の魔の字も知らないのに?」

『ふっ、愚問だな。この俺がジュンタに対し、嘘をついたことがあるか?』

「そこは、うん、流れ的に取りあえず首を横に振っておこう。どうせそっちからは見えないだろうけど」

 苦い記憶は、この際語らないでおく。

『ならば、もう言葉は必要ないな。ジュンタ。俺を信じろ。そしてイメージするのだ。 自分は誰にも害されない、ただ、支配する側にいる人間であると。全ての邪魔なものを打ち壊し、放棄し、打ち消す力をイメージするのだ!』

「イメージ……」

 相変わらず、サネアツの言葉は無茶苦茶だが、なぜかストンと胸に落ちた。

 イメージ――この状況を打破する、そんな自分を。
 イメージ――魔法に害されない、守りを有した自分を。

 イメージするのはそんな力。目を閉じ、意識を研ぎ澄まし、自分の中にある何かを知覚する。
熱が身体を伝っていく。渇きが腕に集まってくる。

 瞳を開ければ、そこには不思議な力の象徴たる『虹色』が輝いていた。

「これは……」

 透明な床につけられたジュンタの両腕には、今や虹色の光が淡く光っている。その光は徐々に床へと浸透していき、波紋を打つように床を伝っていく。

 それは剣の重さを感じさせなくし、身体の無駄な重さを感じさせなくした、虹色の力――それが今、害してくる魔法を解呪しようと発現していた。

「サネアツ、お前は、この虹色の光がなんなのか知ってるのか?」

 光を見て、ジュンタにも何となく分かった。この光を用いれば、この世界から脱出することはできる、と。

 そしてこうなることを、前もってサネアツは分かっていたのだ。

『ああ、ジュンタにそんな力があることは分かっていた。いや、思い出した……というのが正しいか。ジュンタは救世主になる資格がある。そしてそうであるための力も、また有していた。そういうことだ。
 虹の光――それは言ってしまえば、魔法と似たようなものだ。効果は限定されるが、その分効力は凄まじい。魔法では長い時間がかかることも、その力を使えば大幅に時間を短縮でき、なおかつ同等以上の結果を得られる。まさしく、救世主に相応しい神獣の力というわけだな』

「救世主か……」

 床に手をつけたまま、ジュンタはその場で座り直す。
 
 感覚で分かる。[閉鎖魔女クローズウィッチ]を解呪出来るまで、こうしてずっと床に手を触れさせてないといけないと。そして解呪までは、まだまだ時間がかかるということも、また分かった。

 ならば解呪出来るまでのその時間、精々、有意義に使わないと罰が当たる。

「サネアツ、俺には聞きたいことが山のようにある」

『答えよう。時間はまだあるからな』

 今まであやふやなままで終わらせていた質問。それを尋ねようと、ジュンタは口を開く。だがそこで思い直す。そのことよりも、まず先に聞きたいことがあった。

「……なら、初めの質問だけど」

『なんだ? 能力の詳しい説明か?』

 サネアツにしては珍しい、張りつめた声が聞こえてくる。
 真剣に答えようとしてくれているようで、だからこそ、少々ジュンタはこの質問をするのが恥ずかしかった。

「そ、その……だな。別に深い意味とかはなくて、俺のせいで被害にあったから一応聞いておかないといけないと思って……その、リオンとか、大丈夫なのか?」

 それでも覚悟を決めて訊いてみると、案の定サネアツがきょとんとしたことに、ジュンタは見えなくても気付くことができた……そりゃ、含み笑いが聞こえてきたら、嫌でも気付くというものだ。

(だからあんまり訊きたくなかったんだ……)

 いや、訊きたいんだが、サネアツには訊きたくなかった、が正解である。

 異教徒によって傷を負わされ、諸々の事情から思い切り放り投げることになった少女について、ジュンタはまず知りたかったのだが……

『そうかそうか、なるほど、ジュンタはああいったタイプが趣味だったのか』

 ……そんなことを言われると思ったから聞きたくなかったのだが、後十二時間ぐらい経たないと他の誰かに訊けないとなると、サネアツに訊くしかなかった。壁があるため、顔が真っ赤であることがバレてないのが唯一の救いだ。

 ジュンタはサネアツにからかわれることを覚悟で尋ねた。

 予想通りサネアツは面白い、と言う反応を見せたが、予想外にそれはすぐに彼から消えた。

『そのことだがな、ジュンタ。ある意味では最も彼女はまずい状況にあるといえる』

 サネアツがジュンタの感情を知り、今まで以上の真剣さで話し始めた。

 その後――サネアツの話す内容にジュンタは絶句した。


 

 

       ◇◆◇

 

 


『竜滅姫』と呼ばれる存在がいる。

 その名の通り、竜――ドラゴンを滅する姫君、というこのあざな字は、竜殺しの役割を担ったとある一族のお姫様を呼ぶときに使われた字であった。

 ――いと高きシストラバス。

 世界全土に名を轟かす、尊き不死鳥の一族の正統後継者である女に対し、その竜滅姫という名は使われている。

 シストラバス家を興した、偉大なる不死鳥の使徒ナレイアラ・シストラバスより、その血を分けた子へ。その子はまた己の子に。そして千年という途方もない間、子孫から子孫へと脈々と受け継がれ、その高貴なる血と共にその偉大なる名は今も変わらず巡っている。

 そして先代の竜滅姫たるカトレーユ・シストラバスから、今代の竜滅姫たるリオン・シストラバスへ、その名は受け継がれていた。

『竜滅姫の役割は、もちろん竜殺しだ。千年も前に生きた『始祖姫』の一柱――使徒ナレイアラの時代より、シストラバス家は代々竜殺しを担ってきた一族だったのだ。
ドラゴンはなにも、ジュンタの様な救世主の候補者への試練のみに生まれるわけではない。約五十年周期に自然発生する生命体だ。そうして生まれ、人を襲うドラゴンを殺し続けてきたのが歴代の竜滅姫ということになる』

「そして今代の竜滅姫であるリオンは、現れたドラゴンを殺す役割を担っているってわけか。何だよ、それ。どうしてリオン一人にそんな危険なことをやらせるんだよ? 昔からの決め事っていっても危なすぎるだろ!?」

 サネアツの話を聞けば、シストラバス家に生まれた女には色濃く祖先である始まりの竜滅姫――ナレイアラ・シストラバスの血が受け継がれるらしい。

 千年間も絶やさずに受け継ぐことができたのは奇跡に近いが、実際リオンにもその血は色濃く受け継がれている。紅髪紅眼こそが、その証だという。

 だからといって先祖たちがそうだから、何も竜殺しを使命にすることはないじゃないか、とジュンタは思う。ドラゴンと実際に対峙したから分かる。竜殺しは、人間のなせる技じゃない。リオンがドラゴンに挑むなんて、自殺行為以外の何ものでもない。

 リオンがそんな危ないことをしなければいけない。
 そのことに対しジュンタは憤りを見せる。いや、それだけではない。自分がそもそもの原因となって、彼女を危険な目に遭わせようとしている……そんな自分が許せなくて、憤慨していた。

『ジュンタの憤りも至極当然のことだ。俺も最初はそう思った。だがな、考えても見ろ? 人間ではドラゴンには敵わない。それくらい誰にでも分かることだ。だが竜滅姫の存在は必要とされ、受け継がれ続けている。それがどういう意味か、ジュンタには分かるか?』

 分かりたくもない。分かりたくもないが……ジュンタには分かっていた。

 ドラゴンは五十年間に一度の頻度で現れる。そしてその度に、シストラバス家の竜滅姫は竜殺しに赴く。千年もの間、それは行われ、受け継がれ続けてきたことなのだ。

 つまり、歴代の竜滅姫は実際に竜殺しを完遂させてきた、ということだ。

 そして竜殺しを行えたということは、竜滅姫にはドラゴンを退治することができる秘策があるということになる。

 考えてみれば当然のこと。勝てる見込みがないなら、誰も竜滅姫には頼らない。千年間を経て、今なお必要とされているのなら、竜滅姫は高い勝率でドラゴンに勝つことが可能だということに他ならない。

 そして自分の気にするリオンにもまた、ドラゴンを滅する秘策はあるだろう。

 だからそれほど心配することはない。心配しなくても、リオンはドラゴンを滅してみせるはず。

 ……だが、ジュンタには懸念があった。

――私は十年前、妻を亡くした――

 リオンの父、ゴッゾがある日言ったこと。

――君も知っているかも知れないがね。私の妻カトレーユ・シストラバスは、ドラゴンに殺された――

 リオンの母、先代の竜滅姫であるカトレーユ・シストラバスは、死んだのだと。

――殺された、というのは間違っているか。妻はドラゴンを倒すために、その身を捧げたのだからな。知らないかい? オルゾンノットの魔竜の話を――

 死んだ理由はドラゴンが現れたため。ドラゴンを倒すために、己の身を捧げたから。

「……サネアツ、一つ聞いても良いか? お前は人間が、ドラゴンに敵うと思うか?」

『人の身で人ならざる力を用いれば、あるいは可能かも知れないな』

「そうか……でも人の身で人ならざる大きな力を使うのなら、それはきっと代償を伴う力だ。サネアツ。お前は、竜滅姫がドラゴンを倒す際に用いる力を、その代償を知っているか?」

『知っている』

 サネアツの返答に、ジュンタの身体に緊張が走る。

『竜滅姫はドラゴンを倒すために、『不死鳥聖典』と呼ばれる代物を使うそうだ。使徒の聖骸聖典の一種である『不死鳥聖典』は、『不死鳥聖典』の元になった使徒ナレイアラの直系と、そして同じ使徒にしか使えない。その力は『竜殺し』であり、その代償は……』

 先代の竜滅姫が死んだ理由。

 ドラゴンに関わって、死んだ。ドラゴンを倒すために、身を捧げた。それが意味しているところは、恐らくただ一つ――

『力の行使者の、死だ』

 ――竜滅姫は、ドラゴンを倒す代わりに、死ぬ運命にあるということ。


 

 

       ◇◆◇

 

 


 約一日と半日ぶりに見た空は、もうすぐ赤く染まろうとしていた。
 肌に感じる秋風は酷く冷たい。そして第一級避難勧告によって、閉鎖されたランカ北地区の人気のない様子は、どこまでも空虚な雰囲気を作っていた。

「それでいいのか、お前は?」

 ジュンタが水晶樹木から外に出てすぐ、サネアツがそう訊いてきた。

「確かに、ジュンタの願いを叶えるのなら、それ以外に方法はないだろう。だが、そのために犠牲にするには、あまりにも大きすぎやしないか?」

「大きいな。たぶんこの世で一番か、二番目くらいに大きい犠牲だ」

 小声でサネアツと話しながら、ジュンタは歩く。
 水晶樹木の生えた広場には、今多くのシストラバス家の騎士がいる。

 ドラゴンを封じ込めた[閉鎖魔女クローズウィッチ]を見張るために、だ。計算上、ドラゴンは二日ほど閉じこめておくことが可能らしいが、それがある程度前後する可能性は十分にあり得る。

 そんなもしもの脅威に備えている彼らは、ピリピリとした空気を放ちながら視線を水晶の大樹に、広場の周りへと注いでいる。そんな彼らの目に、ジュンタが発見されたのはすぐのことだった。

 見知った騎士は辺りにいなかったので、ジュンタは軽く愛想笑いを浮かべながら、隊長格っぽい騎士へと近寄っていく。周りの注視を集めているため、まだ何か言い足そうにしていたが、サネアツは口を噤んでジュンタの肩に飛び乗った。

 近付いていく相手の騎士は、酷く驚いたような顔でジュンタを見ている。それはまるで幽霊でも見たかのような驚き方だった。

 目の前まで近付いたジュンタに、紅鎧の中年騎士の方から声をかけてきた

「……驚いた。お前、騎士ジュンタだろう? [閉鎖魔女クローズウィッチ]に巻き込まれたっていう。まさか生きてたなんてな。こりゃ、驚いた」

 騎士がジュンタの顔を知っていたのは、先日の騎士勲章の時に見たからだろう。 
 驚きに目を丸くした彼は、こっちがどのような経緯で魔法に巻き込まれたのか、それも知っている様だった。

 彼への説明として、ジュンタは軽く嘘を織り交ぜて語る。
 
「思いっきり死にかけました。でも、俺一応魔法使いですから。なんとか脱出できましたよ。ドラゴンより先に脱出できてよかったです」

「おう。まぁ、なんだ。俺は魔法のことはよく知らないんだが、無事でなりよりだ。命がけで主君を守るため、ドラゴンに戦いを挑んだ騎士ってお前評判なんだぞ? 仲間の騎士たちもみんな心配してた……というか死んだって思ってた。生きてたって知ったら、みんな喜ぶぞ」

 ガハハハと男笑いを上げた彼は、どうやら気の良い飲み屋の親父のような性格らしい。

 粗野な態度は今一つ騎士らしくないが、その言葉から伝わってくる喜びは、ジュンタの心を温かくする。

 ……正直に言えば、ジュンタは少しシストラバス家に対し、懸念を抱いていた。

 命がけでドラゴンに挑んだところに、自分がいるにも関わらずに[閉鎖魔女クローズウィッチ]を打ち込まれたのだ。まるで駒のように扱われたことに、少なからず怒りと疑念を抱いてしまうのはしょうがない。

 だが、目の前の騎士はジュンタの無事を心から喜んでくれた。

 死んだと思われていたのは甚だ心外だが、心配をしてくれていた。

「ありがとうございます。心配かけてすみません」

 思わずジュンタは片眼だけの顔で、笑顔になった。
 ドラゴンのことも、これからのことも、全部忘れた純真な笑みだった。

「良いってことよ。おっといけね。お前のこと、お嬢様に報告しないとな」

 一頻りジュンタの無事を喜んだ名も知らぬ騎士は、そう言ってちゃんと現場の隊長としての任を果たそうとする。

「リオンに、ですか……?」

「おうよ。お前が魔法に巻き込まれて、一番心砕いてたのはお嬢様だからな。一番に報せなきゃいかん。おいっ! 誰か屋敷に報告に走れ! あと、治療魔法が使える奴こっち来い!」

 隊長の指示に、騎士の一人が大きく返事をして走り去っていった。このことを屋敷に報告に行ったのだろう。

 それから、一人の鎧を着ていない、まだ若い少年が近寄ってきた。

「お前、あんまり怪我はないみたいだが、一応治療は受けとけ。特にその目、ドラゴンにやられたもんだろ?」

 隊長と近付いてきた魔法使いの視線は、共にジュンタの顔――正確にはその左目を覆うハンカチへと向けられている。

 ジュンタの身体には、これと言って怪我らしきものは見あたらない。だから、まるで眼帯のように左目を隠すハンカチの存在は、特に目立っていた。

「ああ、これは別にいいんです。少し目元を切っただけですから」

 ジュンタは包帯の上から左目を指でなぞり、治療は必要ないと言う。

「ですが、一応処置はしておいた方が……」

「いや、本当に大丈夫ですから。それより、できれば休ませて欲しいんですけど」

 魔法使いの言葉を丁重に断って、ジュンタは隊長へと伺いを立てる。
 ドラゴンと対峙して、一日以上魔法の中で捕らわれていた。その疲労がかなり溜まっていることに気付いてくれたのか、隊長は大きく頷いた。

「屋敷に戻る前に休息取りたいなら、あっちにある教会を使うといい。一応休憩所として使わせて貰ってるんだ。フカフカとはいかんが、結構上等なベッドがあるぞ」

「それは嬉しいです。ありがたく使わせていただきます」

 ベッドの感触に頬を弛ませ、軽く隊長へと一礼した後、ジュンタは休憩場所として設けている教会のある方へと歩いていった。

 

 


 ジュンタの背を見送った隊長に、隣の魔法使いが質問をぶつける。

「……そう言えば、彼、一体誰なんですか? 騎士ではあったようですけど?」

 まだ若い魔法使いの少年の身分は、正騎士となる前に作法や訓練を学ぶ、将来の騎士団を担う騎士見習いであった。

 人手が圧倒的に不足している今、訓練も兼ねて彼のような見習いも現場に配置されていた。今回は戦いがない――そう言われていたため、正騎士たちとは違い、見習いの少年はどこか気の緩んだ様子を見せている。

 そんな見習いの彼は、無論ジュンタの騎士勲章式へ参加していない。

 だからジュンタの顔は知らなかった。でも気になったらしく、先輩である隊長に尋ねたのだ。

 現場の隊長の一人である男性騎士は、見習いの背をバンッと叩く。

「よく見ておけよ。あれが噂の、執事から騎士になった男だ。お嬢様やゴッゾ様が目にかけている、将来有望な騎士だよ」

「えっ!?」

 思い切り背中を叩かれ、前のめりとなった騎士見習いの少年は驚きを露わにした。

 ジュンタの顔は知らなかった騎士見習いだが、最近執事から騎士へと取り立てられた男がいるという噂だけは知っていた。彼も将来は騎士を目指す身。厳しい訓練もせず、自分を抜かして正騎士となった彼に、小さな妬みのようなものと、それ以上の興味を抱いていた。

 なんでも主君たる二人が直々にスカウトしたという話で、魔法使いながら、ワイバーンを倒す程の剣の腕を持っているらしい、と今シストラバス家で一番噂になっている人――

「それが、あの人……?」

 想像していたのとは違う、中肉中背の優しそうな雰囲気を持った先程の騎士が、その噂の騎士。驚くなというのが無理な話だ。

 腕を組んだ隊長は、驚く騎士見習いをニヤニヤと見て、

「お前もあいつを見習えよ。腕はよく知らんが、心構えは中々に出来てる。恐ろしいドラゴンを前に、お嬢様を命がけで救って、さらにはお嬢様を逃がすために一人ドラゴンに戦いを挑んだって話だからな」

 中々見上げた若者だ、と隊長はジュンタを褒める。

 隊長の言葉を受け、騎士見習いは驚愕を含んだ声色で、ボソリと言った。

「驚くところ、そこじゃないですよ隊長。彼が噂の騎士ってことは、つまり[閉鎖魔女クローズウィッチ]にドラゴンと一緒に閉じこめられた騎士ってことですよね?」

「そうだぞ。そして脱出したんだ。先のお嬢様を救った働きといい、ゴッゾ様たちが目にかけるのも頷けるってもんだな」

「そんな次元の話じゃありませんよ!」

 うんうんと頷く隊長に、何も分かってないと騎士見習いは叫ぶ。

 部下である少年の気迫に少しだけ驚きながら、今度は逆に隊長が質問する。

「何がそんなにおかしいんだ?」

 騎士見習いは呆れた視線を隊長に向け、軽く肩を落としてから説明を開始した。

「僕も魔法を扱えるから分かるんですけど、あの[閉鎖魔女クローズウィッチ]は桁外れの魔法なんです」

「らしいな。よく知らんが、十年近く溜めた魔力でやっと発動できたっていう話だろ?」

「そうです。神殿魔法っていうのは、普通の魔法の数百倍、いえ、数千倍近い威力と規模なんですよ。それをですね、一日と少しで解呪したっていうことが、どれだけとんでもないことか! いくら直接の対象ではなかったとしても、ドラゴンですら二日かかるんですよ? そんなの、人間じゃできるわけがないですよ!!」

 もの凄く興奮している騎士見習いの言葉に、隊長は小首を傾げる。

「……つまり、なんだ。あいつは俺が思っている以上に、とんでもない奴ってことか?」

「そ、それは……合っているような、間違っているような。いえ、もういいです。隊長は深く考えないでください。隊長は武闘派なんですから」

「おうよ! 任せておけ! ドラゴンがもし予定より早く出てきても、俺がぶっ倒してやるさ! 紅き剣に騎士の名を、だ」

 ガハハハと笑い飛ばす隊長を、騎士見習いは呆れ眼で見てから、決意を口にする。

「……早く騎士になれるように、がんばろう。うん」

 

 

 

 

 戻る / 進む

inserted by FC2 system