第十五話  前夜の告白

 


 静かに夜が更けていく中、一台の馬車が閉鎖されているはずのランカ北地区の、とある教会の前に止まった。

 白亜の教会は、周りの建物が暗い中、唯一中から光がもれている。
 教会が多い北地区の中で、一番件の広場に近いその教会は、現在シストラバス家の臨時的な休憩拠点として使用されていた。

 暗闇を走り抜けて教会前に到着した馬車は、黒塗りの豪奢なしつらえをしている。どこぞの御貴族様が乗っているであろうことが一目で分かる、力強い駿馬が引く馬車であった。

 その馬車から、御者が扉を開けるのを待たずに扉を開け放ち、飛び降りるように地面に降り立ったのは、美しいドレスを着たリオンだった。

 リオンが着ているドレスは、いつにも増して煌びやかな装飾がなされている。大きな宝石があちこちに散りばめられ、赤を基調としたドレスには金糸で刺繍が施されている。

  比較的露出が少ないのは、まだリオンの身体に怪我の治療の跡が残っているためか。それでもリオンの美しさに翳りはなく、微かに化粧がされた顔は女神に見間違うほどの美しさである。

「ここに、ジュンタが……」

 教会を見上げて、リオンはルージュの塗られた唇で呟く。
 リオンの元に、騎士ジュンタの生存が伝えられたのは、シストラバス家で開かれたパーティーの最中のことだった。

 パーティーの主役だったリオンは、その報を聞いて直ぐさま屋敷を後にした。自分を心配してやってきてくれた友人たちに少し悪いとは思ったが、足は止められなかった。

 仕方がない。死んだと思っていた相手が生きていたのだ。
 自分を命をかけてまで庇ってくれた騎士が生きていたのだ。
 それがどれだけ嬉しいか、リオンの表情を見る限りは分からない。

 ……リオンの表情は、暗く曇っていた。

 リオンの心の内には、今、不安と恐怖が渦巻いている。
 それはジュンタに対し、シストラバス家がしてしまったことが原因だった。

(お父様が指示したこととはいえ[閉鎖魔女クローズウィッチ]を、彼が巻き込まれると、それが分かっていながら使用した。彼は私を命がけで助けてくれたのに、それを裏切るようなことをしてしまった。彼は……ジュンタは、私のことを恨んでいるかもしれませんわね…………)

 そうなっていたとしても、リオンは仕方がないと思った。

 自分に当てはめて考えてみたら、とても許せないことだからだ。助けた相手に裏切られることがどれほど辛く、憤ることか……悲しみの全てを想像は難しいが、痛みだけは少し想像がつく。
 
 やって来た者を拒まない、開かれた教会の玄関扉。
 奥からは温かな蝋燭の明かりがもれてきているが、中に動いている影は見られない。たぶん、ジュンタは二階にいる。

 ゴクリと息を呑んで、リオンは一歩足を前に踏み出す。
 その背に、馬車の御者を務めていたユースが声をかけた。

「リオン様、私も一緒に参りましょうか?」

「いえ、必要ありませんわ。これは私が一人で行わなければならないこと。恨まれるのも、なじられるのも、蔑まれることも、全ては私が受け止めなければいけないことですもの」

「ですが責任なら、リオン様より私の方が――」

「それは違いますわ。あの時、あの策を取ったことは決して間違いではなかったのですから。竜殺しを担う我がシストラバス家なら当然の判断。行使者に責任があるのではなく、竜殺しを担う私にこそ責任があるのですわ。
 ユース、あなたはここで待っていなさい」

 その言葉はユースだけではなく、自分に対しても向けられた言葉だったのだろう。
 
 リオンはユースへの指示を最後に、意を決して教会の中へと足を踏み込んだのだった。

 

 


       ◇◆◇

 

 


 リオン・シストラバスから見て、ジュンタ・サクラという少年は理解しがたい相手だった。

 生まれも定かではなく、身分すら自分とは比べものにならないというのに、平気でタメ口で話しかけてくる。からかってくる。暴言を吐いてくるとんでもない奴――それが最初の、リオンのジュンタに対する評価だった。

 その評価が良いものなのか、悪いものなのか……リオンには判断がつかなかった。自分が下した評価なのに、だ。

 そもそも、彼とは出会いからして最悪だった。
 今思い返しても顔から火が出るような恥ずかしさと悔しさを感じる、その出会い。浴室で全裸を見られ、そして胸を揉まれるという出会いは史上最悪、この上ない最低の出会いだった。

 その出会いを経たため、リオンは当初、彼に対して絶対なる敵意を持っていた。

 絶対に報復してやりますわと思って、何度も何度も仕返しの方法を考えて、それを実行に移した。誇り高きシストラバスの次期当主として、絶対に彼に自分が受けた何倍以上もの屈辱を与えてやるつもりだった。

 つもりだったのに……それはことごとく、彼には通用しなかった。

 何もその全てが失敗に終わったわけじゃない。

 夜、ベッドの中で睡眠時間を惜しんで考えたり、父から任された公務の途切れ途切れに考えたり、入浴の最中に考えたり……そうやって考えた作戦の幾らかは、確かにリオンの望んだ結果を出した。

 でもその作戦の結果、ジュンタが見せた表情は屈辱の表情ではなくて、怒りの表情でもなくて、冷たい眼差しでもなくて――ただ、仕方がないとばかりに笑う、素朴な苦笑だった。

 正直、完敗だった。
 
 作戦が成功したと思った矢先に見せられた子供みたいな笑顔は、こちらから敵意を奪って余りあるものだったし、この方法では絶対に彼には勝てないと理解するには十分だった。

 そう分かっていながら何度も突っかかった自分に、彼は毎回意地悪そうな笑み、呆れたような笑み、おかしそうな笑み…………そうだ。ジュンタは笑顔ばっかり見せた。

 ちょっと疲れていそうな時にやってきても、『またか』と言いながら結局、相手をしてくれた。それはきっと、子供に向ける親の対応に近かったのだと、今はそう思う。

 やがて報復の行為が敵意からではなく、楽しみからに変わった頃には、リオンはジュンタに対して微かな親しみさえ覚えていた。だが同時に、自分は彼に嫌われているのだということも、はっきりと分かっていた。

 確かめたわけでも、そう告げられたわけでもない。でも毎日嫌がらせをして、それでも好かれていると考えられるほど、リオンはお気楽ではなかった。

 温かな眼差しは、凍える瞳に変わるかもしれない。
 やがて自分に向けられる笑顔は、冷たい表情に変わるかもしれない。

 せめて謝れれば良かったのかもしれないが、それができないのがリオンという少女だった。
 それは彼を騎士に任命しようと思った時も、そしてドラゴンから助けられた時も、結局変わらなかった。

 ――ありがとう。ごめんなさい。

 他の誰かには言えるようなその言葉が、どうしても言うことができなかった。
 そしてそのままで、彼をドラゴンなどという恐ろしい敵の前に、見捨てることになってしまった。

 それがリオンの後悔だった。




 

 教会の二階。階段を上がった、すぐ横の大部屋。
 多くのベッドが並べられた、寝室である場所の一つのベッドに、彼は横になって眠っていた。

 黒い髪に閉じられた目。左目には白い包帯が巻かれている。
 いつもかけられている眼鏡は枕の隣に置かれ、意外なほどに童顔な寝顔が露わになっている。眼鏡が置かれているのと反対側には白い小猫が丸くなっていて、とても微笑ましい。

 音を立てないように気を付けて、ベッドの脇まで近寄ったリオンは、じっとジュンタの寝顔を見つめる。

 泥のように眠っている彼は、目を覚ますことはない。安らかな寝息は規則正しく、静かな室内に響いていた。

 思わず、脱力、である。

(……そうですわね。慣れない戦場から帰ってきて、ようやく休むことができたんですもの。眠っているのも当然かも知れませんわね)

 緊張が空振りに終わってしまったリオンは、ジュンタを起こすことなく隣のベッドへと腰を下ろして、深く息を吐いた。

 ようやく休むことができた少年を起こすわけにはいかず、リオンはどうしようかと考える。

 ふと横目で窓を見れば、そこには水晶の大樹が輝いているのが見えた。
 薄闇に輝く月の光を反射しているそれは、明日の昼には消えて無くなる。間近でよくよく見れば、水晶には罅が入っていることだろう。

 時間は、もう本当に少ない。自由でいられる時間は、もうほとんどないのだ。

 許された二日という時間に、リオンがしたことは結局、いつも通りの生活だった。
何か特別なことをしたいとも思わず、ただ純粋に今まで通りの日々を営みたかったのだ。でもその日常生活の中に、大切な何かが欠けていたことには嫌が応にも気が付いていた。
 
 リオンは見入るようにベッドに眠る少年を見つめ――

「まったく、あなたという人は、とてもおかしな人でしたわ。
 いつもバカみたいに笑って、私のすることにもヘラヘラと笑って、どうしてそんなに笑っていられるのか不思議なぐらい自然体で……毒気なんてすぐに抜かれてしまいましたわ」

 ――そう、初めて自分の本音を口にした。

 恥ずかしくて、認めるのがどうしようもなく恥ずかしくて悔しくて言えなかったことも、彼が眠っているという状況だから言うことができた。それでも密かに綴っているポエムを誰かに聞かせるのより、それは恥ずかしい。

 リオンは月光の差し込む部屋の中、ゆっくりと眠るジュンタの前で、顔を赤らめながら、だけど柔らかい笑顔を浮かべた。

「きっと、これが最後になるでしょうから認めますわ。
 ジュンタ。私はあなたと一緒にいた時間を、とても楽しいと思っていましたわ。日常の一部だと、そう感じてしまっていましたわ」

 使用人でありながら、ただの友人のように軽口を叩いてくる人。
 バカをやっても許される、気心の知れた相手。
 初めてできた、異性の友人かもしれない、不思議な男。

 ジュンタ・サクラ。
 
 気付くことが遅くなってしまったけど、彼との時間は、自分にとって何ものにも代え難い時間の一つに、掛け替えのない思い出になっていたのだ。

 楽しいことに理由はいらない。もう残りの時間が少ないからか、リオンは素直な気持ちで、それを認めることが出来た。

「楽しかったのですわ。あなたみたいなバカでぼんやりしている人と一緒にいるのが。新鮮で、面白くて、楽しかった……何か特別なことがあったわけじゃありませんけど、それでもなぜか楽しかった。叶うなら、この先も同じように過ごしていたい」

 リオンは言ってから、まるで愛の告白のようだったと思い、顔を真っ赤にして俯く。

 今のを誰かに聞かれていたら確実に死ねますわ――と、それくらいの羞恥心がリオンの身に襲いかかってくる。妙な雰囲気だからつい言ってしまった。恥ずかしい。恥ずかしすぎる。
 
 だが悲劇的にも、そのリオンの言葉を聞いてしまった者がいたのだ。それも複数名。

「……そう、すればいいじゃないか?」

 羞恥に悶えるリオンの耳に、静寂を破って声が届いた。
 それは聞き慣れたと言ってもいい、とある少年の声だった。

 リオンがバッと顔を上げると、ちょうどベッドの上で身を起こそうとしているジュンタと目が合った。

 世界が硬直すること数秒――まるで燃え盛るかのようにリオンの顔が瞬時に沸騰する。

 思わず腰をベッドから浮かし、リオンはジュンタに対し指を突きつけ、わなわなと震えた。

「あ、ああああなた! いつから起きていましたの!?」

「まぁ……バカみたいに笑っての下りの辺りぐらいから」

「最初の方じゃありませんの!!」

 リオンは絶望でもしたかのように頭を抱え、顔をジュンタから隠す。

(あ、あああ穴があったら入りたいですわ! わ、私ともあろう者が、起きているか眠っているかの区別もつかなかったなんて! 一生の不覚ですわ!!)

 恥ずかしさで死にそうなリオンは、しばらく隣のベッドに顔を埋め、ジタバタと悶え狂っていた。その間、ジュンタがリオンに声をかけることはなかった。

 なぜならジュンタも同じような感じで、静かに悶えてたからだ。
 恥ずかしい台詞というのは言った方も、言われた方も、かなり恥ずかしいのである。

 ……リオンの身体から赤みが抜け、赤くなっている部分が顔だけに留まるまでに費やした時間は、結構な時間であった。


 

 

 やっとのことで羞恥を克服したリオンが、コホンと場を取りなしてから、素知らぬ顔で声をかけてきた。

「気分はどうですの? 痛いところとかありません? もしあるのでしたら、ユースを呼んできて治癒魔法を施して差し上げますけど」

 どうやらリオンは、先程の言葉をなかったことにするらしい。

 彼女のことだから、頭に強い衝撃を与えて記憶を奪うぐらいやりそうな感じだったが、一応怪我人だということで遠慮してくれたのか。……まぁ、どっちにしろ、話題をぶり返すと自分もかなり恥ずかしいので、同意の意思を表すためジュンタもリオンの質問に答える。

「大丈夫だ。特に痛いところもないしな。そっちはどうだ? 大丈夫か?」

「私はあなたとは鍛え方が違いますのよ。あの程度の怪我、すぐに治りますわ」

 どうやらリオンの怪我も、そこまで重傷という程ではなかったらしい。

 さすがに完治していると言うことはないだろうが、ユースという魔法使いもいるし安心できる。彼女の腕前は、身をもって知っている。

「そっか……それなら、安心した」

 安堵から来る笑みを浮かべると、リオンにはそっぽを向かれてしまった。

(う〜ん、リオンは笑いかけられると、恥ずかしがるのか)

 先程の彼女の言葉から考えるに、リオンは人から素直な好意を向けられるのに慣れていないらしい。自分の笑みが素直な好意かと問われれば、それはかなり首を傾げることになるのだが。

 腰に両手を当て、横目でジュンタを見やるリオンは、そのままの状態で顔を赤くしている。
 時折思い出したみたいに咳払いをしたり、なんだか落ち着きがない。何かを言おうとしているが言えない、そんな感じである。

 リオンは何かを言いたいのかもしれない。だがそれはジュンタの方も一緒だった。ジュンタも、リオンにどうしても言ってやりたい、いや、今日中に言わなければいけないことがあった。

「リオン」

 名前を呼ぶと、彼女はピクンと肩を震わし、顔をこちらに向けてくる。

「な、なんですの? 改まって……別にいいですわよ。なんでも好きなこと言いなさい。私は心が広いですから、大抵のことなら聞き届けて差し上げましてよ」

「なんだそりゃ? えらく寛容だな…………どうかしたのか?」

「別に、なんでもありませんわ。ええ、別に助けて貰ったことに対し何か礼をしなければいけないとか、魔法に巻き込んでしまったお詫びをしようということでは、無論ありませんわよ」

 つまりはそういうことらしい。
 この素直じゃない少女は、こんな風に遠回しにしか、自分の気持ちを伝えることができないのだ。

 なんとも不器用なリオンに、ジュンタは顔がにやけてしまうのを堪えるので必死だった。 
 自分の中にある、彼女に向かう感情がなんであるか分かってしまっただけに、こういうリオンの態度は、こう、胸に来るものがある。天然というのは真に恐ろしい。

 しかし、あまりこそばゆさに浸ってもいられない。
 
 窓の外には水晶の大樹。戦いはまだ、終わってはいない。

 真剣な顔を作って、邪な気持ちはどこかへ追いやる。
 一度大きく深呼吸をしてから、こっちの言葉を待っているリオンに、ジュンタは告げる。

「リオン、俺は――

「なんですの? さっさと言うがいいですわ」

 真剣に。真摯に。万感の想いを込めて、その言葉を、


――お前が苦手だ」


 ようやく、伝えることができた。

 きょとんとした顔をしているリオンに、ジュンタは堰を切ったように言葉を続ける。

「初めて会った時からお前は我が儘だし、高飛車だし、高慢ちきだし、人の言うこと聞かないし、短気だし、嫌がらせはしてくるし。あと、人が休憩してるとタイミング良く現れるし、人使い荒いし、勝手に騎士に任命するし、細かいし、神経質だし、何気にネガティブだし……俺はそんなお前を迷惑だと思ってたし、そういうところが苦手だった」

「…………」

 声を失っているリオンを、ジュンタはじっと真っ向から見つめる。
 今になって、リオンという少女と出会ってから感じた不満を口に出したのには理由があった。その理由をジュンタが教えようと口を開こうとしたところに、遮るようにリオンが話し始めた。

「そんなの……あなたが私を嫌っていることなど、百も承知でしたわ。別にわざわざ言わなくても、そんなこと……わかっていま……した…………わよ……」

「へ?」

 ボソリと呟くように言い始め、最後は蚊の鳴くような涙声。
 肩は小刻みに震えているし、俯いた顔からは床にポタポタと雫が落ちている。

 聞いていると、胸が痛くなるようなしゃくり泣きが聞こえてきて……そんなリオンにジュンタはあんぐりと口を開けた。

「え? え! えぇ!?」
 
 気丈でいつも自信たっぷりな彼女が泣く姿など、見ることになるとは思わなかったジュンタは、動揺を露わにする。

 なんで? どうして泣いているかが分からない。原因を考える。そして――気付く。

(ま、まさか、俺が苦手って言ったから泣いてるのか!? というか、嫌いとは誰も言ってない!!)

 まさかとは思ったが、この状況ではそれ以外考えられなかった。

「ご、ごめん。泣かせるつもりはなかった!」

「ひくっ、だ、誰も泣いてなんていませんわよ……!」

 目を擦りながらそんなことを言われても、信じられるかとジュンタは思った。

 リオンは泣いていた。完膚無きまでに泣いていた。もう、これ以上ないくらい見事に泣いていた。それがとてもとても悲しい。
 
 本当にそんなつもりはなかった。苦手と言ったのも理由あってのことだし、そもそもそれは苦手であって、不満ではない。別に直して欲しいとかじゃない。

 ジュンタはリオンに対し慌てて謝る。が、同時におかしな気分を自分が感じていることにも気が付いた。

 力なくベッドに腰を下ろし、泣き顔を両手で隠す彼女の姿が、こんなことを言うのは最低かもしれないが、とてもかわいらしかった。

(ああ、やっぱり、俺はそうとういかれてるんだな……)

 泣いている姿をかわいいと思ってしまうなんて、末期だ。変人だ。変態だ。
 これではサネアツのことを言えないと、自分にサディスティックな趣味があったことに初めて気が付きながら、ジュンタは最後の決心をした。

 ここまで言うつもりはなかったのだが、何となく、言ってしまいたい気分になってしまった。

 ジュンタは先程と同じく、真剣に、真摯に、万感の想いを込めて――そして言った。



――俺は、リオンのことが好きだよ」



 ピタッ、とリオンのすすり泣きが止まった。

「きれいだと思った。かわいいと思った。剣を構えてる姿がかっこいいと思った。悔しがってるところは微笑ましいし、凛と胸を張ってるところは、正直憧れた。……気になってるんだと思う。俺はリオンっていう奴のことが、気になってるんだ」

 とてつもなく恥ずかしいのに、言っていて清々しい。
 それは本音だからだ。嘘偽りない、本音だからだ。だからこんなにも安らかな気持ちで、想いを伝えることができるのだろう。
 
 まさかこんなことを言う日が来るとは思わなかった。それを言うならば、好き人ができる日が来ることすら思っていなかったりするのだけれど、でも来てしまった。来てしまったから、もう少しだけ言うことにする。

 最後にこれだけははっきりと言っておきたかった。これからどうするにしても、これだけは……

「俺はリオン、お前が好きだ。だから――俺と一緒に遠くへ逃げないか?」

 リオンは今度こそ顔を上げた。
 
 目尻には涙が溜まっていて、頬は濡れている。潤んだ瞳は、驚愕に見開かれていた。

「なに……を、あなた何を言っているんですの? 本当は、私をからかっているのではなくて? 嫌いって言っておきながら、次は好きって……そんなことを言われて、はいそうですかなんて言えるものですか!」

「まぁ、普通はそうだよな…………嫌いなんて一言も言ってないけど」

 緊張でバクバク言っている心臓をジュンタは抑えながら、先程の自分の『苦手』発言の理由を話す。

「俺がお前と一緒に過ごした時間は短いけど、お前の思考はだいたい分かるつもりだ。単純だからな。不器用で素直じゃないお前が、今日、俺に何を言いに来たか……俺には分かってるつもりだ。
だから言ってやった。あれが罰だ。お前が俺に負い目を感じてるなら、あれで帳消しだ。俺は、誰かに伝える最初の告白を、そんな負い目を感じられてる状況で言いたくなんてなかった」

「…………そ、それじゃあ、その、ええと……つまりそういうこと、ですの……?」

 真剣な言葉を受けて、リオンはしばし黙考し、その後にジュンタの思惑の全てを悟る――と同時に、今の告白が本気だったと知る。

 見ればジュンタの顔は、リオンと同じくらい、いや、それ以上に真っ赤になっていた。

「返事、聞かせてくれると嬉しいんだけど?」

「うぇっと、え? あああ、そ、そうですわね! その、ええと、わ、私はですね……その……つまり……あなたの告白を受けてですわね? ええ、まぁ……その…………」

 リオンは動揺を隠しきれない様子だ。んなことになるとは露にも思わなかったのだろう。返答を考える余裕がないという感じである。

(こりゃ、時間がかかるかな)

 パニックに陥っているリオンを見て、ジュンタはそう判断する。
 
(まぁ、ゆっくり待とう……まだ、もう少しだけ時間はあるんだから……)

 

 


       ◇◆◇

 

 


 リオンが落ち着きを取り戻したのは、ジュンタが告白してから悠に二十分近く経った後だった。

 その間頭から煙を上げるぐらいの勢いでリオンは、ずっと同じ場所――自分が使っていたベッドの上――に座って、悩み続けていた。

 だが結論が出たのか、返事が貰えるのを待っていたジュンタに、緊張の面持ちでリオンは向き直る。

「は、初めに訊いておきますが、先程の告白は、本気の、あ、あああ愛の告白と受け取ってよろしいんですのね?」

「本気の告白を、それ以外で取られるとさすがにショックだな」

「そ、そうですの…………分かりましたわ」

 毅然とした態度を少し取り戻したリオンは、一度頷き、それから告白に対する返答を述べようと口を開く。

 ジュンタはゴクリ、と思い切り喉を鳴らした。

「あなたの想いは正直、とても嬉しいですわ。でも、申し訳ありません。私は、あなたの想いを受け取ることはできません」

「……そっか、予想はしてたけど。理由を聞いてもいいか?」

 告白を断られるのは、半ば覚悟していたことだった。ただジュンタは、その理由が知りたかった。

 リオンは断る理由を言うのを僅かにためらった後、覚悟を決め、

「私は明日死にますわ。だから、あなたの想いには応えられません」

 そんなとても悲しいことを、はっきりと口にした。

 明日リオンがドラゴンを倒すために、死に行こうとしていることは、ジュンタとて分かっていたつもりだった。だが本人の口で言われると、その現実味はまるで違った。

 彼女は本気で死に行くつもりだということを自覚してしまって、本当に苦しい。その苦しさを顔には出さぬよう気を付けて、ジュンタは言う。

「リオンが、そうだってことは知ってる。だからこそ、俺と一緒に逃げないかって言ったんだ。全部を捨てて、血のしがらみとか全部捨てて、一緒に逃げて欲しい……そう思ったから、俺は言ったんだよ」

 リオンはこのままでは死んでしまう。なら、逃げればいい。
 逃げてしまえば、リオンは死ななくて済む。それは好いた人を亡くしたくないという、当然で、醜悪な想いだった。

 それがどうして、高潔な彼女の気持ちに届くというのか?

 分かっていながら、でもジュンタは言わずにはいられなかった。

「不可能ですわ。私はシストラバス家の竜滅姫です。決して、ドラゴンを前にして逃げるなんて真似はできません。それにもし私が逃げたら街の住人はどうなると思っていますの? 大勢、死んでしまいますわ」

「それがどうしたとは言えない。確かに人が死ぬのは悲しいことだし、見逃すことはできないことかもしれない。だけどそれは自分の命を犠牲にしてまですることなのか? 
 そんなのはおかしい。何の罪もない一人の女の子の犠牲の上に成り立つ平和なんて、そんなのはおかしいだろ?」

 ジュンタのそれは、本当に正直な気持ちだった。
 リオンが好きなのだ。だから死んで欲しくない。そう思うのは当然のこと。

 だがリオンからしてみれば、その言葉は度し難いもの。目をつり上げ、厳しい目でジュンタを見据える。

「私の家は、代々ドラゴンを倒すために在り続けてきましたわ。それを愚かだと断ずるのは、命を賭して責務を全うしてきた先祖や私のお母様を侮辱する言葉ですわ。撤回なさい」

「できない。歴史がなんだ、先祖がなんだ、血がなんだ! そんなのは結局、悪しき因習と同じだ! 子供に死ね、子孫に死ね、そう伝え続けた伝統が本当に正しいのか? リオンはそう、本当に思ってるのか?」

 リオンが尊き血の流れを是とするように、ジュンタは否とする。
 
 認められるはずがない。好きな相手を死に追いやる血の宿命など、断じて認められるはずがなかった。例えそれが大事なことなのだと分かっていても、それを認めてしまうことは、自分の気持ちに嘘をついてしまうようでどうしても嫌だった。

 その想いは強い。そしてジュンタの想いの強さに等しいほど、リオンの覚悟も強かった。

「私たち竜滅姫は、決して歴史の犠牲になっているわけではありませんわ。私たちは、私たちが守りたいと思う、大事なもののために命をかけるのです」

 悲しみも辛さもない、リオンは穏やかな瞳をしていた。

「それは私も同じ。私はこの街が好きで、この街で生きている人が好きなのです。そしてなにより、私はお父様やユース、屋敷のみんなが大好きなんですの。
 私が責務を放棄することで、その大事な人たちに火の粉が降りかかるぐらいなら、私は喜んで笑って死にますわ。お母様がそうであったように、私はそれを幸福な最後だと思っていますもの」

 話はこれで終わりだと、リオンは立ち上がり、部屋の出口の方へと歩いていく。
 ジュンタの想いは、結局リオンには届かなかった。ただ、それだけのこと。要は自分は、彼女に完膚無きまでふられてしまったのだ。

 項垂れるジュンタに、部屋の出口の前で止まったリオンは、振り返って綺麗に笑う。

「ジュンタ。私にとって、あなたも守りたい大切な人の一人ですわよ。
 嬉しかったですわ。逃げようと言ってくれた言葉、とても嬉しかった。好きだと言ってくれた言葉、リオン・シストラバスは一生忘れません。――だから、ありがとう」

 死に行く人の顔とは思えないほどに、清々しい笑顔。ジュンタが一目惚れした笑顔は、変わらずにリオンにあった。

 その笑顔が今のジュンタには辛い。ありがとうなんて、言わないで欲しかった。そのありがとうは、さよならと同じ意味を持っているのだから……

 ジュンタはベッドから降りて、立てかけてあった剣を手に取る。
 剣はリオンから渡された、シストラバス家の騎士の証でもある剣。その剣を、ジュンタはリオンに向かって放り投げた。

 ある意味、それはリオンへの決別の覚悟も意味していた。

 そのことにリオンも気付いたのか、少し寂しそうな表情を見せる。

「……お前が死ぬなら、俺は騎士をやるつもりはない。それは返す。元々、俺には荷が重すぎる物だったからな」

「そう、ですか。……分かりましたわ。ジュンタ・サクラ。今までご苦労さまでした」

 受け取った剣を沈痛な面持ちで見つめた後、リオンは再びジュンタに背を向けた。

 そのまま教会の一階へと続く階段へと消えていく。その前に――

「ありがとう。それと――ごめんなさい」


 ――そんな万感の想いと覚悟に溢れた声が、ジュンタの耳に届いた。


 

 


「…………最後まで、勝手な奴」

 ベッドに腰を下ろし、ジュンタはぼやくように呟いた。

 その隣に、今まで目を覚ましていながらも黙っていてくれたサネアツがやってくる。
 ジュンタはサネアツの背中を何気なしに撫でながら、もう誰もいないはずの部屋の出口へと、声を発した。

「俺のしたことは、結局、あいつの気持ちを整理させる結果になっただけみたいです。すみません、ゴッゾさん」

 ジュンタが声を向けたところに、スルリと人影が現れる。 
 リオンが消えた階段とは逆方向から、一人の男性が姿を現す。それはリオンの父のゴッゾであった。

 彼は自分の存在が気付かれていたことに軽く驚きを見せた後、笑顔で口を開く。

「気にしないで欲しい。君は、リオンにとって今、一番嬉しいことをしてくれたのだから。誇るのはいい。だが、落ち込むのは間違いだろうね」

 ジュンタがゴッゾの存在に気付いたのは、リオンに告白をした少し前の頃である。リオンを泣かせてしまった時に、一瞬だけだが強い敵意を感じたのだ。

 この状況でこの場所に現れて、あの瞬間に敵意を見せた相手……それを考えると、該当者は二人だけ。ゴッゾだと確信をしたのは、まぁ、一種の勘である。

 部屋に入ってきて、ゴッゾはジュンタの目の前までやってくる。

「でも私もできることなら、リオンにはジュンタ君の言葉に頷いて欲しかった。街なんて放って置いていい。私たちなんて放って置いていい。ただ、自分の幸せだけを願って、逃げて欲しかった……これは親の傲慢かな?」

「かもしれません。でも、それが当然なんじゃないですか? 誰にだって、絶対に死んで欲しくない人はいますから」

 この場合、ジュンタとゴッゾの死んで欲しくない人は一緒だった。
 二人とも大切な人に死んで欲しくないと、心の底からそう思っていた。

 でも、このままではリオンは死ぬだろう。誰の言葉でも、リオンの心を揺さぶることはできない。強情極まりない彼女は、このまま使命に殉じて死ぬだろう。

 名誉の死と聞けば響きは良いが、残される者からしたら喪失の悲しみは変わらない。

「私は、このままリオンが死ぬことが許せない」

 だから許してはおけないのだと、ゴッゾはジュンタに語り始めた。

「カトレーユが死んだあの日から、私はリオンを幸せにするという目的に縋って生きてきた。そのリオンは死ぬ? そんなことは許せない。許せるはずがない……でも私は非力だった。
 いかに権力と財力を手にしても、強力な魔法を用意しても、それはドラゴンの前ではまったく意味をなさない。私は十年前から無力なままだ。リオンを死なさずにドラゴンを倒す方法が、ドラゴンが来るという予知を聞いても分からなかった」

 ゴッゾはそこで一度言葉を切り、端正な顔を苦しそうに歪める。
 その顔がまるで、罪人が罪を告白しているようだと、ジュンタには思えた。

 そしてそれは果たして、正しかった。

「だが――見つけてしまった。もうダメだと思ったその時、私はドラゴンを倒す別の方法を見つけてしまった。偶然に、あるいは必然に。それを行うのは最低なことだと分かっていたが、私はそれを実行すると決めたんだ」

 ジュンタには、この先の言葉が少しだけ予想できた。
 少しだけ、ゴッゾという男性と接していた時に感じた違和感のようなものが、ここに来て溶けるように無くなった。それは違和感の正体に気がついたために。

 その違和感の正体は負い目だった。

 ゴッゾが何か自分に対し隠し事をし、負い目を感じることをしている――ずっと、知らずにそう感じていたのだ。それが小さな違和感となっていたのだ。

 その負い目が何か、本当に僅かだけど想像がついた。

 想像をついたから、ジュンタはあえてゴッゾに質問する。

「リオンを助ける方法が、他にあるんですか?」

「ある。リオンを殺さず、ドラゴンを倒す方法はある。
 だけどそれは君に対し、とてつもなく最低の行いだ。君を犠牲にするやり方だ」

 やっぱり、とジュンタは思う。

 自分が犠牲になるやり方など、一つだけしか思いつかなかった。それはジュンタも考えていたことだったために、すぐに想像がついた。

「俺が『不死鳥聖典』を持って、ドラゴンを殺す、ですか?」

 ――そう、その方法しか考えられない。

 ジュンタの言葉に、ゴッゾは首を縦に振る。予想はどうやら的中だったらしい。
 ジュンタは怪我のない左目の包帯を解き、その下の瞳をゴッゾの眼前に晒した。美しいまでに神秘的な金色の瞳が、薄暗い室内に宝石のような輝きを見せる。

「いつから気付いていたんですか? 俺が、そうだって」

「……君がワイバーンを倒した後だ。ユースが気付いた。君の右目が金色に変色していたからね」

「あの時も、今みたいに瞳の色が変わってたんですか? ……気付きませんでした」
 
 ワイバーンと戦いユースに治療を受けていたとき、周りに鏡はなかったし、自分の目の色が変わるなんて思いもしなかったから、自分の瞳の変色に気付くことはなかった。

「それじゃあ、俺に誰も見舞いが来ないようにしたのも、怪我が治ったのに退院できなかったのも、もしかして……?」

「そうだよ。全ては、君の右目を見られないようにするため。そして退院も、まだ色が元に戻っていなかったからだ。いや、元に戻るとは思ってなかったのだけれど……」

 正直に話すゴッゾに、ジュンタは少しだけ呆れかえる。

 なんてことない。全ては初めから、ゴッゾの計画通りだったわけだ。
 ユースが自分の治療役となったのも、全部、ゴッゾの指示だったというわけ。自分の正体を、他の誰かに知られないようにするための処置だったのだ。

 だけどジュンタには、一つ疑問に残ったままのことがあった。

「俺の目が金色に変色したのは、片方だけなんですよね? そうだという証は、金色の双眸だって聞いてますけど、それだけで確信できたんですか?」

 自分は確かにその通り――ゴッゾの思っている通りの存在だ。

 だが、ゴッゾがそうだと認めるのは難しかっただろう。
 普通、偶然に娘の浴室に現れた人間がそうだとは思えない。何かの間違いだと思うのが普通の考えだ。

 だがゴッゾは、それを覆す理由を見つけてしまったため、気付くことができたのだと言う。

「ジュンタ君。君は、我がシストラバス家が誇る、最強のドラゴンスレイヤー――『不死鳥聖典』を、一体どういう代物だと思う?」

「そりゃ聖典っていうぐらいですから、本の形をしているんじゃあ……違うんですか?」

「いや、確かに『不死鳥聖典』は本の形をしている。しかし、それだとあまりにも分かりやすすぎるだろう? 泥棒対策にね、何代か前の竜滅姫が『不死鳥聖典』に仕掛けを施したのさ。一目ではそれが『不死鳥聖典』だと分からないようにね。
 そしてその秘密は代々当主と竜滅姫だけが知り、次の世代へと受け継がれていった。親から子へ、親の形見として」

「親の形見? ……それじゃあ、『不死鳥聖典』って?」

「ああ、リオンの持つ、妻の形見の剣――ドラゴンスレイヤーこそが、剣の形へと姿を変えた『不死鳥聖典』だ。
 あれは特別製でね。『不死鳥聖典』を行使する資格がない人間では、剣の形で受け取ろうとも、剣の形で保っておくことはできない。指輪の形になってしまうんだ。だから剣の形で保っていられたなら、それは『不死鳥聖典』を扱う資格を持つ者、そういうことになる」

 なるほど。確かに、それならばゴッゾが気付くことが出来て当然だ。

 代々受け継がれた血の後継者たるリオン以外に、『不死鳥聖典』を行使できる資格を持つ者を考えれば、答えはおのずとそれしかない。

 即ち、救世主候補である――

「『使徒』――この世で最も偉大なる神の使い。使徒ジュンタ。失礼を承知で頼みます。リオンの代わりに、『不死鳥聖典』を用いてドラゴンを倒していただきたい」

 ――使徒でしか、ありえない。

 その場で膝をつき、額を床に擦り付けて、使徒の一柱たるジュンタにゴッゾは乞うた。

 ゴッゾには、自分が使徒であると知られていた。
 ジュンタが自分の救世主としての資格が、異世界では使徒と呼ばれていることに気が付いたのは、ほんのついさっき、水晶樹木の中でサネアツに話を聞いた時だ。

 ワイバーンと戦った後には、すでにゴッゾに知られていたということになるのなら、彼は自分より先に気が付いていたことになる。なるほど、それならどうにかして屋敷に留めようとした理由も分かるというものだ。

 ジュンタはそこから判断して、土下座し続けるゴッゾの計画の全容を悟った。

「……ずるいですよ。そのお願いに、首を横に振れるわけないじゃないですか。これも――俺がリオンを好きになって、リオンを助けるために命を賭けることまで、ゴッゾさんの中では計画通りってわけですよね?」

「申し訳ない。最低なことだと思った。愚かなことだと思った。自分の娘のために、誰かの――それも使徒様の命を犠牲にすることは悪だと思った。でも私は、この方法を選んだ」

「そうですか……」

 ゴッゾの計画は、ジュンタをリオンの代わりに『不死鳥聖典』の犠牲として捧げることだった。

 シストラバス家がドラゴンを滅する秘策である『不死鳥聖典』の行使権は、『不死鳥聖典』の元になった使徒ナレイアラの直系か、同じ使徒のみにある。リオンを除けば、『不死鳥聖典』を扱えるのは使徒だけなのだ。

 使徒は聖神教における最高権力者で、それこそグラスベルト王国の国王の権力をも凌ぐ、世界の最高権力者である。

 その権力者にドラゴンを殺すために死んでくれなどとは言えまい。言えるとしても、使徒の前にリオンという使徒の子孫がいる限り、使徒に『不死鳥聖典』を使う役目を願うことはできないだろう。使徒の子孫も偉いが、それでも現役の使徒には劣るからだ。

 しかし、その使徒自身が竜滅姫を殺したくないと願ったのなら、果たしてどうだろうか?

 答えは簡単。リオンの代わりに、『不死鳥聖典』を扱うことにも頷いてくれるかも知れない。
 だからゴッゾはジュンタが使徒であると気付いたあと、リオンに近付けさせたのだ。彼女を好きになって、大切だと思うようになって、命がけで助けてくれるように、と。

 まんまとリオンを好きになって、ゴッゾの策略に嵌ってしまったジュンタだが、その心に怒りはなかった。ジュンタには、ゴッゾの気持ちが痛いほどよくわかったからだ。
 
 それに自分がリオンを好きになったことは、決して策略に嵌ったからじゃない。その前に、きっとすでに自分は彼女に惚れていた。

(そうだ。こんなの、初めから決まってたことだ)

 今さらゴッゾにお願いされることもない。お願いなどされずとも、こっちからお願いするつもりだった。

 リオンの代わりにドラゴンを倒す? 

 それがそもそも違う。サクラ・ジュンタという使徒こそが、最初にドラゴンを倒すと決まっていたのだ。リオンが、代わりに倒そうと息巻いていただけなのだ。

 自分の役割を横から奪い取るなんて、許せない。

 しかも自分の命を犠牲にしようとするなんて、なんて許し難い行為――それは、リオンを好きだと告白した自分の気持ちを、あまりにも無視しすぎている。

「俺、やります。ゴッゾさん、俺、リオンの代わりにドラゴンを倒します。俺は別に街なんてどうでもいいけど、リオンだけは死なせたくないから。だからゴッゾさん。俺に、『不死鳥聖典』をください」

 覚悟はもう、とうの昔に。――死ぬ覚悟は、もうとっくの昔にできていた。

『不死鳥聖典』を扱うことを肯定したジュンタに、ゴッゾは感謝の言葉も、謝罪の言葉も言わない。いや、言えない。死んでくれてありがとう。死んでくれてごめんなさい。そう、言えるはずもない。

 無言で感謝と謝罪を表すゴッゾを、困ったように見るジュンタに対し、これまで黙っていたサネアツが声をかけた。

「……ジュンタ、いいのか? 本当に死んでしまうんだぞ?」

 ジュンタ以外の人前では話すことをしなかったサネアツの声――ここにはいるはずのない第三者の声に、ゴッゾが驚いて頭を上げる。

 ゴッゾの瞳はサネアツの子猫の身体を捉え、驚きに見開かれている。
 かなりレアな表情だ。経験豊富な大人の彼とはいえ、さすがにいきなり猫が人語を話し始めれば驚くらしい。

 サネアツはゴッゾの驚いた顔に気付き、ニヒルに笑う。

「一応初めましてだな。俺はジュンタのソウルパートナーのサネアツと言う。見ての通り、チャーミングな猫だ。よろしく頼む、ミスタ」

「パートナー……と言いますと、ええと、巫女様ですか?」

「巫女?」

 ゴッゾが言った、聞きなれない単語にジュンタは疑問の声を上げる。

「巫女とは、使徒一人につき必ず一人いる神のお告げ――オラクル試練の神託を使徒に告げる役目を担った、使徒の相棒のような存在のことだ。まぁ、それなら確かに、俺はジュンタの巫女のようなものと言っても相違ないだろうな。さて、だがそんなことはどうでもよく――

 サネアツは一応説明をした後、真剣な瞳でジュンタを見た。

「最後に、もう一度だけ問おう。ジュンタがリオン・シストラバスの前に召喚されたのは、彼女がいればジュンタが失敗してもドラゴンを倒すことができるからだ。世界も、誰もお前の死を願ってはいない。それでもジュンタ、お前はドラゴンに挑むのか?」

 これは恐らく、サネアツからの最後の確認だ。

 自分と一番近しく、一番心配してくれている彼だから、実際にことが始まる前に決意を知りたいと思ったのだろう。本番直前になって、余計な邪魔をしないために。

 ならば、その優しさに応えよう――ジュンタはサネアツに、はっきりと宣言した。

「ドラゴンは俺が倒す。命を賭けて、リオンを守る!」




 薄い雲に隠れた月の光を受け、水晶の大樹は輝く。
 その中で、不気味に漆黒の命は脈動していた。

 決意の夜は更けていき、そして――誰にとっても長い長い、夜は明けた。

 

 

 

 

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