第十七話 ドラゴンスレイヤー 使徒と呼ばれる者こそ、ドラゴンに太刀打ちできる唯一の存在だという。 使徒は普通の人間と同じように生まれてくる。
愛し合う両親の間に、子供として生まれてくるのだ。 使徒ジュンタは、 ドラゴン終わりの魔獣の姿を持っていたのだから。 ドラゴンの姿に変わってしまった自分の身体を、ジュンタは静かに観察した。 人の姿をしていない身体だが、前から自分の身体だったように感じる。
歓喜が沸く。 (ああ、いいだろう。以前できなかった戦い。今こそ――) 妙な高揚感に流されるまま、ジュンタも相手に敵意を向けた。 多少の危険は覚悟して、ジュンタは虹の翼を動かし、空を駆ける。 (どこだ? あいつは?) 背後に感じた気配――ジュンタが漆黒のドラゴンの気配を感じとった時には、すでに自分と相手の距離はゼロだった。 「くっ!」 人為らざる身体をしていても、自分の血の色は真っ赤だった。
その金色の瞳には、確かな冷静さがあった。 時折見える白と黒、虹と紅蓮のぶつかり合いを見ながら、リオンは拳を強く握りしめる。つい先程まで、その人知を越えた戦いに見惚れていた自分が、酷く恥ずかしかった。 そこへゴッゾが近付いてきて、話しかけてきた。 「大丈夫かリオン!?」 「お父様。私は大丈夫ですが、『不死鳥聖典』が……」 ゴッゾに対し、リオンは持っていた『不死鳥聖典』だと思いこんでいる紅い魔道書を見せる。その本はドラゴンの力により、すでにボロボロの状態になっていた。 「いい、気にすることはない」 全てを仕組んだゴッゾだから、申し訳なさそうにするリオンに対し、それしかかけられる言葉がなかった。 二人は揃って、空で戦いを繰り広げ続けるドラゴンたちを見る。 「どうしますか、お父様。まだ、この状態でも『不死鳥聖典』は使えるかも知れませんわ。話によれば一度に二体のドラゴンを滅することも可能だと言う話。もう一度挑戦を――」 「いや、ドラゴンの戦いが終わるまでここで成り行きを見ておこう」 リオンが懸念するように、ドラゴンの戦いはすでに街へと被害を及ぼしていた。 「お父様、そんな希望的観測は――」 「……分かりましたわ。ここで戦闘の終決を見届けてから、次の行動に移りますわ」 リオンは両者相打つなどという、奇跡のような結末は期待していない。そうなれば自分の命は助かるが、それが起きることなどあり得ないだろう。 それは本当におかしな考えだった。 「できれば勝者は白いドラゴンの方がいいだなんて……本当に、おかしな考えですわ」 リオンを守るために、自分の命さえ捨てる決意をした少年がいた。 その少年は、傍目から見れば極々普通の少年だった。何もおかしなところのない、その辺りで誰か親しい人と笑い合っているような、そんな少年だった。 そんな少年は偶然に、あるいは必然に娘と出会った。 計画はある意味成功し、そして完膚無きまでに失敗した。 そのなんと美しいことか。妻を殺した忌々しいものでしかなかったドラゴンの、なんと神々しいことか。 ゴッゾは思う。極々普通に見えた少年は、本当の本当に救世主だったのではないか、と。 「カトレーユ、私は誓うよ。この世界には君とリオン以外にも、美しいものがたくさんあるのだな。私は、それを守ろうと思う。他でもない、あの虹の煌めきにそれを誓おう」 リオンも、ジュンタも……二人とも死ななくて済む。 それがどんなに素晴らしい結末かは、言うまでもないこと。 (ジュンタ君、頼む。勝ってくれ!!) 激しくぶつかり合うドラゴンとドラゴン――人知を越えた戦いは、未だ終結を見せない。 ◇◆◇ それを回転飛行で突っ切るように避けながら、ジュンタは作戦が上手く行っていることに内心でほくそ笑んだ。 (もっと。もっと攻撃してこい!) 「オォォオオオオオオッ!!」 威嚇するようにジュンタは咆吼をあげながら、炎を突っ切るスピードのまま漆黒のドラゴンへと突進する。 金色に輝く爪を閃かせ、それを持って相手の身体をすれ違いざまに攻撃しようとする。そう、相手も思ったのか、爪が届かない場所まで漆黒のドラゴンは移動しようとする。――が、甘い。 「ギャゥッ!」 すれ違う瞬間に急激に減速をかけたジュンタが、そのまま身体を素早く一回転させ、長い尾で漆黒のドラゴンの腹を叩いた。 悲鳴をあげて、飛行のスピードを乗せた尾の一撃に、たまらず漆黒のドラゴンは地面へと落ちる。 さらにそこへ、ジュンタは追撃のブレスを放つ。 空から輝く虹の雷が地上へと降り注ぐ。 さすがにここまでやれば、ドラゴンとは言えども傷は必至だろう。 周りの空気が前へと流れていく中、視界に紅蓮の輝きが幾つも見える。 (ちっ、なんて回復力! ドラゴンって言うのは、本当に化け物だな!!) 大気を焼き焦がす音が、幾重にも重なる。 連続して放たれる音は、火炎放射器の放つ音に近い。 上昇からスピン。そして転回し滑降。漆黒のドラゴンの背後へと回り込み、その無防備な背に向けてブレスを放つ。 それがドラゴンにダメージを与えられたかは、もはや言うまでもなかった。 ユースの言葉にサネアツが疑問の声を上げる。 サネアツの目には、両者の戦いはほぼ互角に見えた。 「……どうしてジュンタの方が劣勢だと思うのだ?」 立ち位置がめくるめく変わる戦いを、どうやって観測できているのかは知らないが、ユースには戦いの詳細がほぼ分かっているらしい。 「それならダメージが大きいのは、相手の方ではないのか?」 サネアツの質問に、ユースは首を振って答える。 「差が出てしまっているのは、回復力の差です。黒いドラゴンの回復力、あれはもはや再生といってもいいほど強力です。あれではいくらダメージを与えても、すぐに完全回復されてしまいます。恐らくあれは、あのドラゴンの特異能力による恩恵に違いないでしょう」 「特異能――ぐっ!?」 ドラゴンという生物は、悪の象徴――善の象徴である使徒の、真逆の存在といえる。 ジュンタが対決している漆黒のドラゴン。その特異能力は――【無限再生】。 「それに加え――」 新しい知識をサネアツが噛み締めている傍らで、ユースがジュンタの小さく霞む姿を、しっかりと目で追って見つめる。 例え情報を得ても伝えられない。こうしてここで見守ることしか出来ることはないと言うのに、あまりの戦いに目で追うことすら、サネアツには出来なかった。 「俺に、ジュンタを手助けする力があれば。折角、ジュンタが死ななくても大丈夫そうな展開になったというのに!」 「もっと力があれば……せめてもっと時間があれば、俺もッ!」 ◇◆◇ 腹の下を擦過していく炎の熱に、ジュンタは苦悶する。 すでに打ち出した炎は百を超えた。 純白の身体は健在であるが、見えない場所では衰弱が始まっている。 予想では、こうなる前に戦いは終わっているはずだったのに……ジュンタはどうしてこうなってしまったのかを考える。 そのために無駄な体力を使わないよう、炎は必要最低限にし、敵に炎を多く吐かせようとした。 ――だがそれが間違いと、相手の戦力を見誤っていたのだと気付いたのは、つい先程のこと。 (どうするっ!? このままだと、先に攻撃を避けきれなくなるのは俺の方だ!) 先程から受ける炎の数が、明らかに増えている。 (勝つためには、その前に勝負を決めないといけない! だけど、どうやって?) あの無限に再生を繰り返す黒いドラゴンを一撃で下す方法など、持ち合わせていない。 そして頭に流れ込んでくる言葉のまま、ジュンタは物語を紡いだ。 「その果てに、己は幸福ではないと気付いたが故に」 それは第八の聖句――『不死鳥聖典』発動のための、八番目の鍵。 炎の塊はその輝きを強め、威力を強め、足場となる魔法陣の上、『不死鳥聖典』のページと混ざり合って渦を巻く。 あとは最後の聖句を紡ぎ、竜滅を咆吼するだけでことは済む――それで全てが終わるのだ。 だが、心は逆に穏やかだった。 瞼をそっと閉じる。 頭にひとりでに、不思議なイメージが浮かんでくる。 「まったく、あの両親あってこの子あり、ってところかな」 自分の両親は、家族のためなら本気で自分の命を賭けられる、とても愛情深い両親だ。そんな両親に育てられ、影響を受けて育った自分もやはりそうだった……好きな人のために命を賭けても惜しくないと、そう思える人間だったのだ。 「なんだ、最期がこんな風になるなんて、別に不思議なことじゃなかったんだ」 そしてジュンタは――最後の聖句を高らかに謳った。 旅の終わりは、まだ見つからない 生まれながらにして、決定された者 定められた路に沿って、独り竜を滅し世を救う その栄華は約束され、栄光はその手から零れない されど栄華も栄光も、ただ空しく響くものなり 英雄たるその人生は、そのまま終わりへと至り ナレイアラの人生の物語である、彼女が生前果たした九つのオラクル。 そして不死鳥に敵と認められた漆黒のドラゴンは、目の前の存在が自身の天敵であることを本能で悟り、咄嗟に逃走を計ろうとする。 その後に、もう漆黒のドラゴンの姿も――純白虹翼のドラゴンの姿も、残ってはいなかった。 ユースの手の中から飛び降りたサネアツは、一目散に『不死鳥聖典』が発動された、その真下へと走り寄っていく。 「ジュンタ……」 紅の剣――『不死鳥聖典』は、太陽の光を反射してキラキラと輝いている。 サネアツは無表情のまま、その声に答えた。 「最初に言ったはずだ。俺は、ジュンタを手助けするためだけにここに来た。別にお前の願いを手助けするために来たわけではない」 『あら、同じことじゃない? わたしの願いはジュンタが生きて、強くなって、そして世界を救うことだもの。それが本当のハッピーエンド。ほら? サネアツ、あなたの願いと一緒でしょ?』 「違うな。お前はそれが一番のハッピーエンドと決めつけ、そこへ持って行こうとする。だが俺は、ジュンタが願うハッピーエンドへと持って行こうとした。ジュンタの意思を尊重しているかしていないか……それは決定的な差だろう?」 クスクス、とここではないどこかから、ここへと笑い声が届いてくる。 「……何がおかしい? お前の望みを叶えられる、唯一無二の計画は挫折してしまったのだろう? それにお前は言っていたのではなかったか? ジュンタことを、大切に思っていると」 「なに!? まさか……いや、馬鹿な。お前はジュンタを手助けすることができないはずだ」 『確かにわたしはオラクルが始まったら、手助けはできない、そう言ったわ。わたしが介入をマザーに許されるのは、全てが始まる前か、全てが終わった後だけ。 ゾクリ、と少女の声に、自分の心臓が握りつぶされたかのような悪寒を感じた。 『……まぁ、いいわ。あなたを殺したら、ジュンタは悲しむもの。今回は見逃してあげる。でも次はないから。助けられたのは奇跡のようなもので、二度目はないもの。 「……言われなくても。お前は黙って、この俺のがんばりを見ていればいいのだ」 『あら、頼もしい。それじゃあわたしは、どこかを彷徨っているジュンタの魂を探しに行かなきゃいけないから。バイバイ』 サネアツは秋の青空を見上げ、静かに親友である幼なじみのことを想う。 その時まで―― しかし目には何も映らない。内から蝕まれた竜滅の火は、徐々にその身体を焼き尽くしていく。 ……もう遅いんだけど、と、動かない口でジュンタは笑う。 (ああ、眠たいな……今回は柄にもなくがんばりすぎたからな……仕方、ないか……) 瞼をゆっくりと閉じる。 (…………ああ……) ありがとう。それと――ごめんなさい。 それはなぜか、とても尊い声として、耳に残った。 考えて、考えて、考えて、もう思い出なんて存在しないのに考えて……それで大事な時間を限界まで使ってしまったけれど、それでも思い出せたことの方が嬉しかった。 それが自分の、名前も思い出せない自分の、好きだった人の名前…… 絶対に―― 永劫に――忘れない。 刻まれた人生の聖句は、まだ一つ―― ――ただ在って、全てへと至る者
何かの力を借りて竜殺しを行う者とは違う、単身のみでドラゴンに勝つ可能性を持つのである。その可能性を導き出す秘密が、『神獣』と呼ばれるもの。
これは使徒そのものを指す言葉であり、使徒と言うものの本質を表す呼び名である。
しかし生まれた時点で、使徒は人間ではない。金色の双眸を持った、神獣として生まれてくる。
使徒の外見は人と同じに見えるが、それは見せかけ。ただ人間の殻を被っているだけで、その本質は人間とは違う何らかの獣の姿をしているのであった。
例え人間の殻を被っている時の肉体ポテンシャルが、人と同等程度しかなくとも、使徒の本質は神獣としての姿の時――つまり神獣としての強さが、使徒の真の強さであるのだ。
使徒にはそれぞれ神獣としての姿があり、そして個別な特異能力と合わせ、ドラゴンと同等の戦いを行うことができるという。
もちろん強さには個人差や個性があるが、大抵の使徒ならばドラゴンに勝つことは難しくとも、一方的に負けることはない。かつて竜殺しに特化した特異能力があったナレイアラのように、ドラゴンに絶対的優位に立てる使徒もいる。
そしてジュンタの場合は、限りなくドラゴンと互角に戦える力を有していた。
シストラバス家の開祖である使徒ナレイアラが、不死鳥の姿を持つように、
聖神教の開祖である使徒アーファリムが、天馬の姿を持つように、
魔法の開祖である使徒メロディアが、聖獣の姿を持つように、
人間の時にはなかった尾も、翼も、本能的に自由自在に動かすことができた。
(これなら、戦える!)
自分の身体だから分かった。この肉体ポテンシャルなら、ドラゴンとも対等に戦える。今や自分もまたドラゴンなのだから、戦えない道理はない。
一頻り歓喜し、それを噛み殺した後、ジュンタは遠く空へと飛翔してきた漆黒のドラゴンを見る。遠く、というのは語弊があるか。この程度の距離、ドラゴンの翼なら一秒程度だ。
敵意の眼差しが、漆黒のドラゴンより注がれる。
確かな殺気と敵意を肌で感じるも、以前のように恐れは感じない。
一番目のオラクル『竜殺し』――その本当の瞬間が来たのだと、ジュンタは確信を持って動く。
そして――激突。
漆黒のドラゴンが口を開いて炎を吐こうとするのに合わせ、ジュンタも同じように炎を吐こうとする。
漆黒のドラゴンより吐き出された炎。時同じくしてジュンタも口内より炎を吐き出す。
吐き出した炎はどちらかというと、炎と言うよりは雷のような感じだった。虹色の奔流。炎の雷と言った方が上手く言い表すことが出来る。
互いの中央で炎はぶつかりあい、爆発炎上する。
大気を焼き焦がすような熱気が押し寄せてくるも、それを不快に思うような身体ではもはやない。普通の剣でも魔法でも傷つけられないドラゴンの肉体は、間違いなく世界で最高なのだろう。
だがそれは相手も同じこと。
互いに相手に当たることのなかった炎は、双方共に何のダメージも与えなかった。
ジュンタは静止した状況での遠距離戦では、攻撃が相手にまで届かないことを悟った。それは自分にもダメージはないということなのだが、相手を倒せなければ意味がない。
一瞬でスピードは音速に迫る。
漆黒のドラゴンとの距離はゼロとなり、ジュンタは擦れ違い様に炎を撃ち出す。それを相手は見事にかわし、返礼の炎を吐き出してきたが、直線飛行のスピードは炎の速度では追いつけない。漆黒のドラゴンの攻撃はジュンタに当たることはなかった。
トップスピードを維持したままで方向転回するジュンタの視界から、その時、漆黒のドラゴンが消えた。相手も高速飛行に突入したのだ。
ジュンタは長い首を動かし、Gが支配する世界の中、目標を探す。
慌てて急速回避を試みるが、僅かに間に合わない。
腕の辺りに鋭い痛みが走って、ジュンタは小さく苦悶の声をあげる。見れば擦れ違い様に爪で切り裂かれた腕から、赤い血が出ていた。
それを見て、ジュンタは急激に自分の中で熱が下がってきたのを感じる。
ドラゴンという圧倒的存在になったが故の高揚感に支配されていたジュンタは、自分に対しクールダウンを呼びかける。
(なに調子に乗ってるんだ。絶対に勝たなきゃいけない戦いなんだぞ!?)
そう、この戦いにはリオンという大事な人の命がかかっているのだ。
初めてドラゴンになったというのに、どうして相手のドラゴンに勝てると自信を抱けたのか? 向こうの方が、経験でいけば圧倒的に上だ。状況はこちらが未だ不利なのだ。
(冷静になれ。考えろ。そうじゃなきゃ、俺はリオンを救えない!)
漆黒のドラゴンと距離を取りつつ、ジュンタは慎重に戦略を講じる。考え無しに勝てる相手じゃないと、ようやく気付くことができた。
――なら、ここからが本当の戦いだ。
ジュンタは炎を吐きながら、漆黒のドラゴンへと肉薄する。
◇◆◇
ドラゴン同士の戦いは苛烈を極めていく。
互いが互いに向けて撃ち出される炎は、まるで花火のように空で炸裂している。その数はもう、視認できた分だけでも三十をとうの昔に越えている。
炎のその一撃一撃は儀式魔法に匹敵する威力であるのだが、それでも相手に大きなダメージを与える攻撃にはなっていない。
空を飛ぶスピードは、巨体でありながら毎秒五百メートルを越すスピード。
人と人との白兵戦ではありえない、超広範囲フィールドでの音速を超えた空中バトル。霞むほどのスピードは、とても人の目では捉えきれない。
戦っているのは両者とも自分の宿敵たるドラゴンだというのに、何を見惚れているのか? それはあまりにも、祖先や母に対する裏切り行為だ。
ドラゴンへの怒り、自分に対する憤りにリオンは震える。
「申し訳ありませんでしたお父様。私、やり損なってしまいましたわ」
「待機、ということですの? しかしあのままドラゴンを捨て置けば、街に甚大な被害が出てしまいますわ!」
基本的に空で戦っているドラゴンだが、命中し損なった炎が街に当たり、超速のスピードのせいで、間近を掠められた建物は衝撃だけで半壊してしまっている。
故郷の街が壊れていく様をまざまざと見せつけられて、リオンは黙ってはいられなかった。そこにあった住人の思い出を考えると、居ても立ってもいられない。
「……だがそれでも、もし『不死鳥聖典』を使用して、片方しか倒せなかった場合の方がその被害は甚大になる。ドラゴン同士の戦いの決着がつくまで、見守っておいた方がいい。それに、もしかしたら両者相打ちになる可能性もある」
リオンは父の姿を見て、ハッと気が付いた。
歯がゆい思いをしているのは、自分だけではないのだ。また父の拳も、強く握りしめられていることに気付く。
「ああ、そうしてくれ」
『不死鳥聖典』を強く握りしめながら、リオンは今なお続く戦いの終わりを待つ。
……ふとそんな時、おかしな考えが頭を過ぎった。
ゴッゾの内心は、リオンの心よりもさらに大きく揺れていた。
そして娘と出会った少年が、その実、使徒と呼ばれる救世主の一柱であると知ったとき、ゴッゾはしてはならない計画を実行に移した。
計画を実行に移す前に、その少年自身がすでにリオンに一目惚れしていたのだ。
それだけで計画は何もかもがぶち壊しで、その結果が今空に広がっている。自分の他人を犠牲にしようとしたやり方ではない、自分の意志で、今必死に運命に抗っている少年の姿がそこにはあった。
純白のドラゴンがジュンタであることを知っているが故に、誰よりもドラゴン同士の戦いに見入っていたゴッゾ。無論、望むのは純白虹翼のドラゴン――ジュンタの勝利である。
そうなれば、全てが万事解決する。誰も死なない。死ななくて済むのだ。
彼を戦いに駆り出した身で、何と身勝手なことかとは思うが、祈らずにはいられない。
燃えさかる炎の弾丸は、ドラゴンの口から撃ち出され、まるでホーミングミサイルのようにこちらへと殺到してくる。
ドラゴンもろとも、辺り一帯の家屋を消滅させるほどの一撃が、地上を舐め尽くしていく。
街を破壊していることは頭の隅に追いやりつつそう思うジュンタは、家屋が崩れたために起きた粉塵を吹き飛ばし、一瞬の加速で上昇してきた漆黒のドラゴンに、思い切り頭突きを食らって吹き飛ばされた。
その発射音を聞き届ける前に、ジュンタは回避のためにさらに上昇を開始していた。
その戦いに現れ始めた優劣に最初に気付いたのは、魔法使いのユースだった。
腕の中に小猫のサネアツを抱き留めながら、彼女はドラゴン同士の戦いを見ていた。サネアツ共々、無論、白いドラゴンがジュンタであることには気付いている。
「まずいですね。ジュンタ様が劣勢になっています」
「そうなのか?」
時折命中するのは炎だけで、互いに大した傷は負っていないように見える。戦いは空高く、目で追えないスピードで行われているので、詳細までは分からないが。
「明らかにダメージがジュンタ様の方が大きいからです」
「黒いドラゴンの方も、ジュンタ様の攻撃の命中数はほとんど変わりません。いえ、僅かにジュンタ様の方が多いでしょう」
ユースの言葉に、サネアツの脳内で情報が弾ける。宮田実篤と呼ばれた異世界生まれの人間の精神が、本来持ち合わせていないはずの異世界の情報を欲した途端、肉体の方からドラゴンについての情報が与えられた。
その生物としての在り方は、善悪を除き、酷く使徒が持ちうる神獣形態と似通っていた。
つまり使徒が神獣としての姿の他、個別な特異能力を持ち合わせているように、ドラゴンにも個別に特異な能力が備わっているのである。
限りなく死ににくいドラゴンの中でも、この漆黒のドラゴンは輪にかけて死ににくいドラゴンだったのだ。無論、ジュンタはそんなこと知りはしないが。
「――ジュンタ様が神獣形態となったのは、恐らくこれが初めてのこと。肉体的にも精神的にもきついはずです。……持久戦では勝ち目はありません」
「そうなのか……くそっ!」
険しい表情で空を見上げ、自分にはジュンタを助ける術が何もないこと……その事実にサネアツは震える。
見守ることもできない自分が、情けなく、そして歯がゆい。
もし手助けできて、それでジュンタが漆黒のドラゴンに勝つことができたなら、それはとても素晴らしい結末を迎えることになるというのに。
「自分を責めないでください、サネアツ様。私たちが今、するべきことをしましょう。せめてジュンタ様が勝つことを祈りましょう。ええ、それが――」
ユースはサネアツの背を優しく撫でながら、呟いた。
「この状況で、今、唯一許されたことなのですから。そうですよね? 我が主」
「くっ……!?」
直撃は免れたが、腹に熱と共に火傷の痕が残った。それはドラゴンの生命力によってすぐに回復していくが、回復に費やした分体力は減る。
すでに受けた炎による傷は百に近い。
漆黒のドラゴンに対し、自分が劣勢に立っていることは、すでにジュンタにも分かっていることだった。
自分の戦力と相手の戦力を分析し、勝敗の分け目は持久力だと考えた。
相手もこちらも同じドラゴン。その基本ポテンシャルはほぼ同じ。
保有魔力も耐久力も攻撃力もスピードも同じ。それならば、先に体力を使い果たした方が負ける。そう考えるのは当然だと言えよう。
炎のダメージはすぐに回復されてしまうが、その回復にはエネルギーを消費するし、炎を吐くだけでも魔力――やはりエネルギーを消費する。この二つを上手く組み合わせて戦えば、本能のまま戦っている獣相手には勝てると踏んだ。
自分の体力が減じる前に、向こうの体力がなくなるはずだった。そうなるように、戦った。だが、未だ相手は健在で、体力の消費は自分よりも少ない様子だ。
それが一体どういうことか、ジュンタは悟る。
回復力だ。それが今、決定的な優劣を生み出している。
漆黒のドラゴンの回復力はこちらの予想を遥かに超えていた。いや、あれは回復というレベルではない。再生だ。ドラゴンの生命力とは違う何かしらの力が働いて、その傷を再生しているのだ。恐らく、そこには体力の消費も魔力の消費もない。
向こうは傷の回復に回す分の力を、最初から攻撃に回すことが出来たのだ。持久性に持ち込んで有利になるのは、向こうの方だったのだ。
ああいう手合いに勝つには、相打ち覚悟で特攻した方が、まだ勝算はあったはず。
自らもドラゴンになったけれど、ドラゴンという生物を詳しく知らなかったこと。それがジュンタを劣勢にした一番の要因だった。
その度に再生に力を消費するため、このままではどんどんと不利になっていく。戦いが長引けば長引くほど、勝算は少なくなっていく。
取るべき方針は分かっていても、その方法が分からなかった。
自分の神獣としてのドラゴンの身体には、恐らくまだ目覚めぬ力もあるだろう。だが、それも今使うことができなければ意味がない。
どうにかしようと炎を避けながら思考する。
何か、方法はあるはずだと、その方法を模索する。
――そしてその時、視界の隅に紅蓮に燃え盛る炎の塊が映った。
「あれは……? ……あ、ははっ!」
その炎の塊の正体を思い出し、ジュンタは笑みを浮かべた。
今までどうして忘れてしまっていたのか、と思わず自嘲してしまう。
漆黒のドラゴンを倒す方法など、戦いが始まる前からそこにあったというのに。
ジュンタは上空で方向転換し、一気にその炎の塊へと接近する。
その上で急停止すると、漆黒のドラゴンが近付いて来られないよう、消耗を気にせずに、炎をむやみやたらと乱射して弾幕を張る。
第七の聖句までで止まっていたため、徐々に勢いを無くしていた――それでもまだ巨大な――炎の塊は、次の聖句が詠まれたために再び勢いを取り戻す。
まるで竜巻の如く、中心部にジュンタを閉じこめて、竜滅の炎は勢いを増していく。
そして、巨大な炎の竜巻が出来上がった。
白いドラゴンの巨体を覆い隠すほどに巨大な竜巻は、まるで世界の終わりかのようなイメージを抱かせる。中心部にいるジュンタも、そんな恐ろしいイメージを頭に過ぎらせた。
だが、それと同時に、これならば確実に漆黒のドラゴンを倒せるという確信も湧く。
竜殺しという概念の前では、いかに強力な再生能力も、漆黒のドラゴンがドラゴンで在る限り意味をなさないだろう。
ドラゴンを殺す概念を孕んだ炎に囲まれているという状況は、また自分もドラゴンであるジュンタには死ぬほど辛い。先程から伝わってくる熱は、漆黒のドラゴンに貰った炎とは段違いの痛みを訴えてくる。
それは自分の人生についぞ幸福を見いだせなかった、悲しい女のイメージであった。
その女が成したことは偉業なれど、その存在は高潔なれど、誰かから向けられる感情は憧憬や信望なれど、それでも自分の人生に幸福はなかったと知ってしまった英雄の物語。
静かにドラゴンの死骸を見つめる彼女の姿に、酷く寂寥感を覚える。
それはきっと、その英雄が大事な人に――リオンにとてもよく似ているから、酷く悲しく思えてしまったのだ。
美しい紅髪金眼の女性の悲しい姿を見ると、リオンが悲しんでいるように見えてしまう。
それはダメだ。絶対に捨て置けない。
彼女には、自信溢れる笑顔こそが似合うのだと、そう思うから。
一瞬の幻視。そっと瞼を開いたジュンタの心に、最後の聖句を紡ぐ不安はなかった。
これで自分は死んでしまうのだろうけど、それでも後悔はまったくなかった。
ドラゴンになって変わってしまった声で、ジュンタはおかしそうに笑う。
今ならリオンの気持ちが少しだけ分かる。
リオンが母であるカトレーユの影響を受けたように、また自分も、知らず両親の影響を受けていたのだ。もしくは憧れた、リオンの影響かも知れない。いや、きっとどちらもだ。
最後にそのことに気付けた。なら、もう良いだろう。今ならきっと、笑って死ねる。
炎の加護を持ちて、最強を誇り
その果てに、己は幸福ではないと気付いたが故に
「――許された続きへ、彼女は旅立つ」
第九の聖句――それが紡がれた瞬間、ジュンタの身体を中心に立体的な魔法陣が形成された。
炎で編まれた魔法陣は周りの炎を巻き込んで、ジュンタの身体を覆い尽くす。
紅蓮の竜巻はその立体魔法陣へと姿を変え、そしてそれは凝縮されたのち、マグマの噴火のように一気に弾け飛んだ。
その魔法陣の内より現れたものは、雄々しき炎の両翼を持っていた。
燃え盛る巨体は、鳥の形をしている。
紅蓮に燃え盛る、それは『破壊』と『再生』を司る不死鳥――ナレイアラの持ち得た、神獣の姿であった。
それを意味する九の聖句を持って具現化された竜滅の神鳥は、その神々しき存在感に似て、纏う炎は酷く清澄であった。
パラパラと落ちていく火の粉は、ランカの街を焼くことはない。逆にドラゴンに侵された不浄な空気を浄化するよう。
不死鳥の火は、敵と認識した相手のみを焼き尽くすだけ。
だがそれを許さんと、不死鳥は空を一直線に駆ける。
紅の残像が残る速度で、一気に不死鳥はドラゴンに肉薄する。
それだけでもう、ドラゴンが逃げうる道は完全に閉ざされてしまっていた。
重なる二つの巨体――刹那の時を置いて、不死鳥はそのまま空へと駆け上っていく。
高く、高く、雲を突き抜け星へと変わるほどに高く、駆け抜けて消え去った。その駆け抜けた道には炎の帯が残り、それもやがては消え去った。
◇◆◇
竜滅の神鳥はただ一撃を持ってして、終わりの魔獣を滅した。
まるで夢のような、一瞬のことだった。
もう空には二体のドラゴンも、不死鳥の姿も見つけることはできない。
戦いは終わったのだと、空を見上げていた人々は皆知ったことだろう。
準備段階で崩れた、鐘付き塔だった瓦礫の山を避けながら、小さな身体で懸命に走る。
そして親友が命を賭けたその場所で、墓標のように突き刺さった紅の剣を見つけた。
ここで一人の男が命を賭けたことを表す、たった一つの名残は、猫の手には重すぎて持ち上げることはできなかった。
ふと思う。果たして、この結末はハッピーエンドなのだろうか?
ハッピーエンドなわけがない。
例えサクラ・ジュンタという少年にとってはハッピーエンドでも、サネアツというかつて人間だった猫には、とてもハッピーエンドだなんて認められない。
あんな優しくて、何でもないことを愛していた奴の物語がこんなところで終わるなんて、それはあまりにも非経済的過ぎる。世界に対して、この上ない反逆だ。
その少年は世界を救うことより、ただ愛する少女を救うことを選んだ――
ただそれだけの結末が、どうしてもサネアツには許せなかった。
――その想いは果たして同じように、どこかの誰かも同意だったようで。
『こんな結末になるようになんて、わたし指示してない』
遠くから、近くから、零れるように透明な声が落ちてくる。
『でも、その結果がこれよ? 果たしてこれが、ジュンタにとっての本当のハッピーエンドだと言えるのかしら?』
透明な声の主は、愉しそうにサネアツに問う。
サネアツは黙り込み、その声に返事をすることができなかった。
『ええ、思っているわ。わたしにとって、ジュンタは大事な子供だもの。
こうして笑っていられるのは、そうね、安堵の笑いなのよ。ほんとギリギリだったけど、助けることができたことに対する、安堵の笑い』
透明な声の主が言った言葉に、サネアツは信じられないという顔をする。
クスクスと、またどこかから愉快そうな声が落ちてきて、少女の声が続いた。
でもね、今回は運が良かったわ。オラクルが終わって、次のオラクルが選別される前に死んじゃったから。ほら? ジュンタはオラクルには挑んでいない。百万回に一度とないタイミングだったわ。だから助けられた。肉体はダメだったけど、魂と精神はちゃんと逃がすことができた……保護はできなかったけどね』
遠い世界にいる少女の言葉が、サネアツの心の中で何度も響く。
この性悪な少女は、ただこちらの反応を愉しんでいただけなのだ。助かったのならそうと、さっさと言えばよかったのに。
『何、そんなに怒らなくてもいいでしょ? 喜びなさいよ? わたしはとっても喜んでるわよ――ついさっきまであなたを殺そうと思ってたのに、それを撤回しちゃうぐらいにね』
息が出来ないほどの圧迫感を声のみで受ける。
怒っている――異世界に関わることになった全ての元凶である少女は、間違いなく怒っている。その殺気は、サネアツの動きを完全に封殺し得るほど。
生殺与奪権を握られたサネアツは、審判が下るまで、じっと待つことしかできなかった。
――ジュンタを死なせたら、わたしがあなたを殺すから。あなただけじゃない。オリジナルもよ』
その宣告の後すぐに身体にかかっていた重圧が消える。
サネアツは荒く吐く息に、自分が生きていることに対する安堵の吐息を混じらせた。
『サネアツ。わたしの巫女であるあなたは、ちゃんとがんばらなくちゃダメなんだからね?』
途絶えた少女の声に、やっとサネアツは、うるさい女が消えたと胸を撫で下ろした。
「生きている、か。……はてさて、次はいつになることか」
季節が巡り、もっと寒くなって、この空から雪がちらつく頃か。
それとも桃色の花びらが咲き誇る頃か。熱い日差しが降り注ぐ頃か。
もしくは、季節が一周巡ってこんな空を見上げることが出来る頃か。
いつになるかは分からない。でも、いつかは会える。きっと、そう遠くない未来に。
「しばしのお別れだ、ジュンタ」
自分の命の火がもうほとんど消えかけていることを感じながら、ジュンタは静かに瞼を開いた。
もう、痛みも何も感じない。肌に何かが触れる感触も、匂い立つ太陽の匂いも、舌をくすぐる空気の味も、今はもう感じられない。
こうなってから、それらがどんなに喜ばしいことだったのかを知った。世界は本当に美しかったのだと、知った。
暗い世界は、眠るのには最適だった。
…………もう、何も思い出せない。
幸せだった思い出も、
辛かった思い出も、
いつも一緒にいた幼なじみのことも、
初めて好きになった少女のことも、
もう、何も思い出すことができない。
まるで記憶全てが、誰かに奪われてしまったかのよう。
この身体には、きっと、もはや記憶というものが残っていないのだ。今こうして考えている自分は、ただの心の残照でしかない。
消えていく意識の中、最後に、誰かの声を聞いた気がした。
空耳だったのか、それとも本当に誰かが囁いたのか、それは分からない。ただ確かに聞いたのだ、その、申し訳なさそうな声を。
どうしてそうなのか――思い出せない。
どうしてこうも愛おしいのか――思い出せない。
考える……分から、ない。
(……ああ、そうだ…………リオンだ……)
覚えている。他の何かをなくそうとも、その名前だけは覚えている。
忘れない。忘れるはずがない。
もう思い出はなくとも、この身体がその名前を覚え続ける。
―――― リオン ――――
何度繰り返そうとも、なんどやり直そうとも、■■■■はその名前を胸に刻んで、存在し続けるだろう。
……だから…………何度でも……きっと……愛し…………
空へと舞い上がる不死鳥の火は、やがて舞い散る花びらように、小さな火の粉となって虚空に散った。
その消えた後には、一冊の本だけが残った。
白い背表紙に虹色の金属でドラゴンの形が描かれた、それは聖骸の本。とある一人の少年の、その物語が綴られた人生録。
次の聖句が書に刻まれるのは、一体いつのことになるのだろうか?
それまで閉じた物語は、開かれる時をずっと――待ち続ける。