第三話 シストラバス家の少女 神聖大陸エンシェルト中央より、少し南下した辺り一帯を治める小国――グラスベルト王国。 それもそのはず、そもそもグラスベルト王国の千年の歴史上、戦争などほとんど起きていない。それもその戦争のほとんどが、国と国との争いではなく宗教上からの争いだった。 どうしてそうなのかと言えば、それはグラスベルト王国の建国に深く関わってくる。正確には、建国に関わったとある偉大なる使徒のことが、だ。まぁ、全ての理由を簡単に要約してしまえば、グラスベルト王国と深く結びついている団体が脅威だということになる。 大陸を越えた、世界の九割以上を信徒とする大宗教――聖神教。 「さて、それではあなたに私が直々に罰を与えてさしあげますわ。喜びなさい」 ――紅髪紅眼の美しい淑女。リオン・シストラバスその人である。 決めつけではなく見抜いた、である。 僅か十分程度のことで、初対面の人間の何がわかるのか? (……まともな性格をしている奴が、こんなことをするはずがない) ジュンタが嘆息というか呆れというか、そんな面持ちでリオンに接しているように、彼女は現在乗りに乗っている状態だった。 その姿は、ジュンタが一番性格が歪んでいると確信している、幼なじみのサネアツに酷似している。酒を飲んでいないのに酔っ払っているというか、常に暴走状態。オーホッホッホッホッ、と素面で高笑いできるなんて普通考えられない。 それに現在の自分の格好はなんだ? もちろん足の下にクッションのようなものは存在しない。豪奢な部屋一面に毛足の長いジュータンが敷いていなければ、相当痛かったに違いない。サディストというよりは痛々しいほどに高飛車なお嬢様。それがジュンタのリオンに対する印象だった。 ゴロニャーン、と気持ちよさそうに身を丸めている白い子猫のサネアツ。 許すことはできるだろうか? いや、できない。断固無理。 リオンの対応にもむかつくが、それよりもサネアツの態度が腹立たしい。 自分は少女に見下されながら正座という、肉体的精神的な苦痛を受けているのに、奴は何一人で天国気分を味わっているのか。細い指で背中を撫でられ、気持ちよさそうな鳴き声をあげやがってこんちくしょう。代われるものなら代わって欲しい。 「……ちょっとあなた! 私の話を聞いていますの?」 「ん? ああ、悪い。忘れてた」 視線で人を殺せるなら、サネアツに殺してやると言わんばかりの睨みをきかせていたジュンタは、先程よりリオンの話を聞いていなかった。 一人高らかに演説をしていたリオンはそのことにようやく気付き……ジュンタに忘れていたと事も無げに言われ、気分のよかった時間を完膚無きまでに破壊された。 「いやですね。別に忘れていたというのは無視していたというわけではなくてですね」 これまでの体験。つい先程の、牢から引き摺られるように彼女の部屋に運ばれてきたことを思い出し、さらには昨日の浴室での一件を思い出し……口にしようとした言い訳を止める。 確実に無駄であると、これまでのことから判断できた。 ジュンタは素直に今すぐにでも来るであろう、リオンの感情の爆発を待つことにした。 爆発はすぐに来た。 「なるほど。あなたはまだ自分の状況を理解していないようですわね」 「いや、そんなことないけど。この上なくヤバ気な状況だということは、理解してるつもりなんだけどね」 「ふんっ、その程度で理解した気になっている時点で底が知れるというもの。ユース。この男に自分がどれほどの罪を犯したか教えて差し上げなさい」 「はい、かしこまりました」 リオンがパチンと指を鳴らすと、後ろに控えていたメイドが返事をして一歩前に出た。 茶色の短髪に翠眼。 リオンの従者である彼女――ユースは無感動な眼差しをジュンタに向け、 「家宅侵入罪に婦女暴行未遂。家宅破壊に……これはリオン様が付け加えたもので不敬罪」 「分かりました? あなたは四つも罪を犯していますのよ? その罪科、この場で首をはね飛ばされても文句は言えませんわ。もっとも、そんな簡単に終わらせるつもりはありませんけど」 楽しそうに笑ってリオンは見てくる。 「そうは言われてもなぁ……」 けど、その願いは叶わず、ジュンタはあくまでの普通な反応。 命にすら関わる罪と言われても、今一実感がない。そもそも後ろ二つの罪は微妙に間違っている。その犯人は今現在リオンの膝の上で、腹ばいで転がっている猫です。 だけどそんなことは知らないリオンは、重罪人であるジュンタが特に反応を見せないのを見て、憮然とした表情となる。 「……気に入りませんわね。そこは泣いて命乞いをするところでしょう? なに、平然としているんですの?」 「うわっ、とんでもない理屈だな。それはちょっと人としてどうかと思うぞ」 「なっ! 乙女の裸を覗くような輩に、人としての品位について語られたくはありませんわっ!」 その意見はごもっともなのだが、そもそも二人の間には根本的な認識の差異があるため、言い争いは永遠に平行線になるだろう。 そのことに気付けたジュンタは口を噤み―― 「あら、少しは自覚がお有りのようですのね。そこで黙ると言うことは、この私の言葉を認めたも同じ。あなたにしては殊勝な心がけと褒めて差し上げましょうか?」 ――リオンの心底バカにした言い草に青筋を浮かべた。 さすがにここまで言われたら、ジュンタといえども黙っていられない。 牢屋から無理矢理に連れ出されても、手を縛られ正座をさせられても、じっと堪えているのはリオンに対する負い目があったからだ。確かに不幸な事故だったとはいえ、ジュンタはリオンの裸を見、胸を揉んだことを気にしていた。だからこんな待遇にも文句は言わなかった。 だがそれも終わり。少しは言い返さないと、人間としてダメになる。 「……お前の言葉は確かによ〜く分かった。その上で言う。お前、めちゃめちゃ性格悪いな」 お嬢様の紅眼を軽く睨み付けながら、真摯な顔でジュンタはそう言い放った。 リオンはポカンと口を開いて小首を傾げる……自分がなんて言われたか理解が及ばないらしい。だが、すぐに彼女は言われた言葉を飲み込む。 リオンを顔をカッと真っ赤にさせ、 「こ、この私に向かって性格が悪いですって!? なんたる言い草! あなた目が悪いのではなくって! いえ、そもそも人間としておかしいですわ! ええ、そうでしょうとも。だから覗きなんて最低な真似が出来るんですのよっ!」 「……確かに覗きの一件は悪かったと思ってる。だがな、悪いが俺はお前の裸になんて興味はなかった。確かにお前は美人だ。認める。だが性格が最悪すぎる。覗く方にだって選ぶ権利があるんだよ、このバカ」 「バ、バカ? この私に向かってバカですって!? し、信じられませんわ。ただの平民が、それも男として最低の部類の不埒者に、バ、バカだなんて……」 身体をわなわなと震わし、リオンは勢いよく椅子から立ち上がる。 「ジュンタ、今更だがあまり彼女を怒らせない方が良いぞ」 それはとても小さな声で、リオンにもユースにも聞こえないだろう。 「……どういう意味だよ?」 ジュンタもサネアツにしか聞こえないように、小声で答える。 「そのままの意味だ。いいか、ジュンタ。ここは異世界だ。文化も思想もまったく俺たちがいた世界とは違うんだ。だから下手なことを言えば、タダじゃすまなくなる場合もある」 「分かってるさそれぐらい。このリオンって奴が貴族ってことは気付いてるし、性格だって分かってるつもりだ。でも、これくらいでどうにかなるなんて……」 ジュンタは視線をサネアツからリオンに戻す。 やはり初対面の人間の全てを、十分そこらで理解することはできなかったようだ。そう言う意味では、リオンという少女を侮っていた。 紅の瞳を燃やし、屈辱に口を噤んでリオンは仁王立ちしている。 「……よく分かりましたわ、あなたには何を言っても無駄だと言うことが。ええ、嫌になるほど分かりました」 「そ、それは一体どういう意味でございましょうか、リオンさん?」 背筋に冷たいものが走る。 一人取り残されたジュンタは、震えながらリオンの言葉を聞くことになる。 「どういう意味か、そうね、教えて差し上げますわ。あなたに対する罰則を」 澄んだ声で高らかに言うリオンは、死刑を告げる裁判官のようで、 「あなたの罪は「すみません。言い忘れていましたがリオン様、彼を罰することはできませんよ」っうぇええ!?」 言葉の鼻先を、物の見事にユースに折られてしまっていた。 「ちょっ、どういう意味ですのユース! どうしてこの近年稀に見る重罪人を罰することができませんのっ!?」 「それはですね――」 慣れているのか、リオンの叫びを受けてもユースはどこ吹く風。淡々と告げる。 「――体面の問題です」 「体面の問題……ですって?」 「そうです。体面の問題です。いいですかリオン様? よくよく考えてみてください。この屋敷は、名高いシストラバス家の本邸。幾人もの騎士がいて、万全の防犯体制を取っている堅固な屋敷です」 「そんなこと、私が誰よりも存じていますわ。我が家の防衛能力は、王城の守りにも匹敵します」 事実のみを語るユースも、リオンの言葉には同意を示す。 「その通りですリオン様、その通り。だからこそ彼を罰することはできないのです。今現在、彼の存在を知る人間は極少数であり、これを多くすることはできません」 ユースの言葉の深いところが分からないらしいリオンだが、ジュンタには思慮深いメイドが何を言いたいのか分かった。 そう、体面の問題だ。つまるところ、リオンは大貴族の令嬢であり、彼女の家であるシストラバス家は大貴族なのである。それ即ち、敵する輩も多いことだろう。 だが、もしそれをたった一人の人間が、それも重要人物であるリオンの直ぐ傍まで侵入したとなるとどうなるだろうか? 「リオン様の湯浴み中に不貞の輩が屋敷内に侵入した。もしもこのことが世間に広まったら、とてもまずいことになります。たった一人の人間でも侵入できるぐらい、シストラバス家の防犯体制は緩いのか……などと思われでもしたら、侵入者は激増するでしょう」 そういうことになる。 たった一人でも侵入できたのなら、リオン・シストラバスを暗殺することも可能かもしれない。シストラバス家をよく思っていない人間が、そう考える可能性は高いだろう。 だからこそ、この問題は起こらなかった。無かったことにした方がいい……そうユースは言ったのだ。なかったのだから、犯人には罰は与えられない。そういうことなのだろう。 リオンは腕を組んで、納得したように、でも不満そうに頷く。 「なるほど、そういうわけですの……言いたいことは分かりましたけど、ですが罪を犯した者をのさばらせておくことなど出来ませんわ」 (まったく、その通りだよな……) リオンの反論も間違いなく正しい。 侵入を許してしまった。だから、そのこと自体を抹消するべき。そんな面倒くさいことをしなくても、まだ知っている人間が少ないのなら他に方法は幾らでもある。 例えば、一番簡単な方法―― (秘密裏に俺を処理してしまえばいい。そうすれば外に事件のことはバレないし、罰にもなる) そんな単純で簡潔な方法が残っているというのに、どうしてリオンもユースも話にあげないのだろうか? そのことに気付かぬほど、二人は頭が悪くないように見えるが。 何かしらのやり取りをしている二人を見て、ジュンタは訝しく思う。 ……だがそんな時間が続くうちに、ジュンタはその疑問の答えに気付いてしまった。 どうやら、まだリオンという少女のことを侮っていたらしい。 「わ、私の裸はそんなに安いものではありませんわよっ!」 時折大声で聞こえるリオンの言葉。 「では、こんな方法はどうでしょう」 憤る主人に、提案をするユースの声。 二人の会話の話題が、ジュンタに対する『罰』であることは分かる。だがその話の中で一度たりとも、先程不思議に思ったように『死』という単語が上がらない。思いつかないのではなく、間違いない。初めからその考えは却下されているのである。 (ああ、つまり。リオンって女の子は、根本的なところは優しい奴なんだな) 自分の裸を見られても、自分の胸を触られても、自分のことを悪く言われても、リオン・シストラバスは決して死による罰は与えたりしない。 誰かを殺したわけでもない、覗きと脱獄という罪だけの人間に、死罪は当て嵌まらない。 リオンという少女の姿勢は間違いなく、眩しいほどに高潔である。 ……勘違いをしていた。 リオンは決して嫌な女ではなく、ただ正しいことを行う正義感溢れる騎士なのである。剣を構えた姿を見たとき、感じた印象は間違いではなかった。 話し合いが終わり、自分を振り向いたリオンの姿は酷く美しい。 「決まりましたわ、不埒者。あなたに対する罰は私の気がすむまで無償奉仕ということで片が付きました。精々、がんばりなさい」 そう、嫌うことはできない……でも少々苦手意識を持ってしまうのはしょうがないか。 不敵に笑う紅の少女。間違いなくいい女である彼女は―― 「私のプライドを傷つけた罪。決して安くはありませんわよ」 「あー、了解であります。お嬢様」 ――やはり、屈辱に対する報復は忘れてないようだった。 ◇◆◇ シストラバス邸の外観は、それは見事なお城である。 だが、これはあくまでも屋敷であるという。 豪華なのだか嫌味のない作りは、確かにリオンが好みそうな造りだ。ジュンタは当主であるという彼女の父は知らないが、娘を見るに同じような趣味だろう。 紅の鎧に不死鳥のエンブレムという、シストラバス家の騎士の証である姿をした騎士の後ろを歩きつつ、ジュンタは廊下にある窓から外を眺める。 案内をかって出た中年ぐらいの騎士は、案内はちゃんとしてくれた。 ならばこちらから訊けばいいという考えもできるが、それも無理。 (これから一緒に働くんだし、せめて一言ぐらい声をかけてくれても……いや、無理か。この人から見れば、俺は主の入浴に突貫した犯罪者だもんな……) 案内をかって出た騎士の男性はなかったことにされたジュンタの起こした事件。それを知る人間であるらしい。だからこそ、監視のような感じでジュンタの案内係を努め、射殺さんばかりの眼光で睨んでくるのだろう。今、胴体と首が繋がっていることが不思議なくらい嫌われている。 それはつまるところ、お前の扱いは使用人のそれじゃなくて奴隷のそれだ。精々与えられた屈辱の分、酷使してやる――そういうこと。 無償奉仕はリオンの気が済むまで。 隙あったら逃げる、そういうことではなく、元々ジュンタは異世界から来た身。異世界に帰れるまで、せめて働いて罪を償おうと、そういう殊勝な精神である。 給与はないが、住むところと食べるものは与えて貰えるのだ。 この異世界で頼れる相手など、猫の姿になってしまった幼なじみのみ。生きる糧を得られるということで、我慢してリオンに従うのも止むなしだ。 (……でもなぁ、これから先が思いやられるよなぁ……) 案内役の騎士の態度を見て、ジュンタはこれからを不安に思わずにはいられなかった。 リオンの話によると、彼女の裸を覗いたということは、屋敷の人間のほとんどが知らないことらしい。だから彼のような態度ではなく、一使用人として接してくれる人も少なからずいるだろう。だけど上の立場にいるだろう騎士がこれでは、下の立場の人間からもよくは思われそうにない。 ジュンタが思うに、生活上必要な場所はほとんど周り尽くしたように見える。むしろこっちの様子には気付いてるのに、何ら反応しない騎士が恨めしい。 一体どれだけリオンは人気があるというのか。これから先、もし何か問題を起こしたら即首チョンパな気配である。今回は初犯に免じて許してくれた罪も、次はないに決まっている。 「ここが最後だ。今日からしばらく、ここが貴様の部屋になる」 「俺の部屋?」 そう言われて、ジュンタは窓の正反対――扉が立ち並ぶ方を見てみた。 部屋は廊下の突き当たり。歩いてきた道を顧みるに、ここは屋敷の二階、その丁度角にあたる場所になる。 「そうだ」 まさか、自分一人の部屋が与えられるとは思っていなかったジュンタは、軽く驚くと共に部屋を用意してくれた誰かに感謝の念を贈る。 リオンの奴じゃない。きっとメイドのユースの方だろう。 「いいか? 今日は働かなくていい。飯が食いたかったら食堂に来い。あと、明日は朝一番に食堂に来い。他の使用人との顔見せを行う。それに当たって一つ忠告をしておこう」 ギロリとこれまでより強い眼差しで、 「使用人の中には俺の娘もいる。もし、娘に不埒なことをしたら……分かってるな?」 「……あ、あいあいさー。分かっているであります」 内心兎のように震えつつ、ジュンタは背筋を伸ばして騎士を見る。 もの凄く怖かった。腰の剣に手が伸びているところが怖かった。 騎士はジュンタの態度と言葉に納得したのか、一度頷いてみせる。 「貴様が娘を間違えないように、名を名乗っておこう。俺はエルジン・ドルワートル。娘の名はエリカだ。それと娘にも忠告しておきたい、貴様の名も教えろ」 そう言えば彼に名前を名乗った記憶がジュンタにはなかった。初めからこんな感じの接され方だったので、言うタイミングも何もなかったのだが…… 「おい、どうした? 早く名乗れ」 「あ、すみません。俺はジュンタっていいます。ええと、名前と家名が反対だから、ジュンタ・サクラです」 「そうか……その名、覚えておこう。それともう一度だけ言っておく。娘に手を出したら殺すっ!」 「出しませんっ! っていうか、完全に忠告が宣告になってます!」 真面目で厳つい騎士と思ったら、ただの親バカな人でした。 リオンを筆頭に悪い人ではなさそうだが、誰も彼もがどこかおかしい気がする。これから出会う人達に希望を託し、自室となる部屋の戸を開け放つ。 異世界の、それも貴族の邸宅ということで、自覚はなかったが自分は結構部屋に期待をしていたらしい。 使用人、それも前科のある使用人ということで、どうせ狭い部屋だろうとは思っていた。だけど…………想像を超えてました。 「…………ここで俺に寝ろっていうのか……?」 カサカサという気味の悪い音がする、突き当たりの一室。 シストラバス家の使用人の能力を疑うようなその部屋は、一言で言えば混沌だった。 外観はお城なのに、廊下や見てきた部屋は綺麗なのに……どうしてここだけがこんなにも汚いのだろう? 比較的広い部屋には使い古された道具が山積みになり、汚いという形容詞を超えた痛い感じになっている。辛うじて床は見えるが、汚れて変色している。元は綺麗な白だったはずなのに、今では茶色だ。汚物の色だ。 部屋唯一の窓はひび割れ、天井問わず壁には蜘蛛の巣。明らかに黒いデビルが群体で住んでいそう。 「…………泣いて良いですか?」 「いいさ、ジュンタ。俺の胸の中で存分に泣くといい。俺が聖母の如く慰めてやろう」 「サネアツ……お前……」 白い子猫が、とても優しい瞳で見上げていた。 サネアツはポンポンとジュンタの靴を叩き、 「部屋を片付けるのを手伝おう。なに、俺とジュンタならすぐに終わるさ。今日という日を自由に使っていいとしたあの女を、二人で見返してやろうじゃないか」 「サネアツ……ふっ、まさかお前に慰められる日が来るなんてな」 「なに、悔いることはない。落ち込んだジュンタを慰めるのは、前世からのソウルパートナーである俺の役目だと決まっているのだからな。さぁ、始めよう。黒いデビルは任せてくれ。魔法の実験台にしてくれる」 なんとも頼もしいことを言ってくれたサネアツに、身体の底から反骨心と共に力が漲ってくる。 「わかった。なら、俺はゴミを外に運ぼう。焼却処分にしてやる」 頼もしい相棒を仲間にし、ジュンタは意を決して再び扉を開いた。 扉の先に広がるのは、苦しみ満ちる、朽ち果てた世界。 「任せろ! 俺の力の真髄、今こそ見せてくれるわっ!!」 一人と一匹は異世界における、初めての戦いを始めた。 ……その数分後、一人と一匹は異世界における、最初の挫折を経験した。
歴史は古く、聖地の誕生と同時期に発生した大陸最古の国。
騎士国家として誕生したグラスベルト王国は、この戦乱の時代において平和な国だった。
その聖地と古から密接な関係を築いているが故に、グラスベルト王国に手を出す国は少ないのだ。
騎士国家として誕生しておきながら戦争はなく、その在り方はどこの国々よりも貴族国家としての形に移行して数百年。国王が変わるにつれ文化形態も変わってきたグラスベルト王国は、今も豊かな自然に助けられて繁栄を続けている。
そんなグラスベルト王国に近年新しく生まれ変わった街がある。
かつての名のオルゾンノット。今の名をランカ。
王都レンジャールより聖地に近く、ここ数年で飛躍的に発展を遂げてきた街だ。
大陸中心部近くにあるために交易品の流通拠点として発達し、領主である大貴族シストラバス家によって様々な事業が展開され、その規模は王都に迫りつつある。
他大陸の文化形態を取り込み、王国の古き文化形態を取り込み、聖地の文化形態をも取り込んだ新しき都。毎日多くの商人、聖地を目指す巡礼者、職を求めてきた旅人を迎え入れ、止まることのない発展をしていく街――商業都市ランカ。
そのランカにおいて、最も権力を有するのは一体誰か?
そんなものは決まっている。
ランカの領主である貴族、シストラバス家の当主だ。
商才においては右に出る者はいない傑物――ゴッゾ・シストラバス。
ランカ南地区に本邸を構えたシストラバス家に、現在彼はいない。ゴッゾは現在、王都レンジャールに赴いている。
ゆえに彼の留守の今シストラバス家、ひいてはランカで一番権力を握っているのは、ゴッゾの一人娘でありシストラバス家の次期当主である少女――
間違いなく、リオン・シストラバスという少女には性格に難がある――ジュンタは十分にも満たない彼女との対面の中、すでにそう見抜いていた。
それは正しい。確かに分かる。だが、彼女に対しては例外だろう。
革張りの椅子に足を優雅に組んで腰掛けるリオンの前に、跪くように前傾状態で正座をしているという、時代劇の悪者のような格好をさせられている。
そんな風にジュンタが極々自然にリオンの前に座ることになった原因は、今現在リオンの膝の上にいる。
リオンにあからさまな八つ当たりをぶつけられる原因となった、猫の姿になった幼なじみは、こともあろうに彼女の柔らかそうな太股の上でのんびりとしている。
ジュンタも返事をしてから、自分がまずいことを言ったのだと気付く。
そろ〜りと上目遣いにリオンの方を見てみる。
膝の上にサネアツを置き、紅いドレスを見事に着た彼女は、美貌の顔を怒りに歪めていた。
無表情と言えども、とても美人なメイドの女性である。
どうやら彼女は、死刑にすらなる罪だと告げられ、怖がる姿を見たいらしい。
それに合わせて膝の上からサネアツが飛び降り、ジュンタの方を呆れた風に見た。
トコトコとサネアツは近付いてきて、肩へと飛び乗った。そして頬をすり寄せる振りをして、耳元で囁く。
つまり二人以外誰もいない部屋の中では、自分にしか聞こえていない。
そうして、自分が思い違いをしていたことに気が付いた。
その手にはいつの間に取り出したのか、紅の刀身が美しい剣が握られている。確か、そんな剣など持っていなかったはずなのに。
ピョン、とサネアツが避難するために肩から飛び降りた。
ビシッと突きつけられる予定だった人差し指は、行き場を失って力なく垂れ下がる。
大した自信だが、恐らくそれは事実なのだろう。
異世界に来た時にはもう内部にいたジュンタは外観は知らない。だけどこの屋敷が途方もなく巨大であることと、高い塀に塀に守られていることは脱獄騒ぎの時に気付いていた。
「まぁ、確かに犯した罪が罪ですから、捕縛に関わった騎士以外に教えるのははばかられましたけど……」
そんな不貞の輩に対して屋敷の守りが強固であることは、それだけで示威行為にも、防犯行為にもなる。
そして、ジュンタにはもっと大きな疑問があった。
潔白で悪を許さぬ、騎士道を貫く正義の人。
いくら高飛車なことを言われようとも、彼女のことは決して嫌えはしないだろう。
東西南北でそれぞれ街の雰囲気が代わるランカ。その南地区に高くそびえ立つ巨大な石造りの城。王都レンジャールにある王城よりは幾らか小さく、しかし普通の貴族の屋敷なんか目じゃないほど巨大な城。
まったく、貴族というものの感覚は理解できない。この話を道すがらに聞いたジュンタは、一般庶民の感覚として呆れてしまった。
シストラバス邸の内装は、外観に似つかわしい豪華ではあるがどこか洗煉された作りになっている。
屋敷という名の城には数え切れないほどの部屋があり、塔があり、広大な庭にはお抱えの騎士達の修練場はもちろんのこと、緑茂る庭園があって、池というよりか小さいスケールの湖という感じの物まである。
シストラバス邸にあるもの。使用人が使うための部屋や食堂。トイレ、浴室、中庭に出る通路、修練場への道、見張り台や書物が収められた塔など。へとへとになるぐらい歩き続けて、ずっと彼は屋敷の案内をしてくれた。
だが、それだけ――一言たりとも余分な話はしてくれなかった。
背筋を伸ばして歩く彼の背からは、話しかけるなオーラがこれでもかというぐらい出ている。
結局、リオンに対する数々の罪は、彼女の家で無償奉仕することによって手打ちとなった。犯した罪を考えれば、無罪も同然の扱いである。
だが、部屋を出ていく寸前のリオンの言葉――
『言っておきますが。私はあなたを人間とは認めませんわ。我が家が守る市民にも劣る畜生です。いえ、こういっては日々人のために働いている彼らに申し訳がありませんわね』
……一体何年馬車馬のように働かないといけないのか。溜息の一つ二つ出てしまうのは仕方がない。
だがジュンタは、それを不屈の精神でがんばると決めた。
はぁ、と溜息を吐いて、ジュンタはトボトボと歩く。
朝からかれこれ一時間近く歩き、結構くたびれている。
手と足は自由になったが、今度は全身を拘束する気迫を持つおっさんが相手ではしょうがない。
(あー、ほんと。疲れてきたし、案内早く終わらないかなぁ……)
と、憂鬱にジュンタが肩を落として歩いていると、唐突に騎士が足を止めた。
騎士とジュンタの傍には一枚の戸が。この向こうの部屋が、今日から自分の部屋になるらしい。
「えっと、部屋には俺一人ですか?」
確信に似た想いを抱きつつ、ジュンタは横目で騎士を見やった。
厳つい顔で睨んでくる騎士は、我関せずといった感じでジュンタに一方的に告げる。
そう騎士が述べた瞬間、廊下の温度が数度下がった。
それに、そもそも他の人間にも名前を名乗った記憶がない。ただ一人、ユースだけが名前を聞いてきただけだ。その事実に気付いて、思わず寂寥感を感じてしまう。
綺麗な姿勢で去っていく騎士エルジンを見送りつつ、ジュンタは苦笑いを浮かべる。
ゴミ屋敷の主人とは違って極々普通の美的感覚を持っているジュンタには、到底愛せも出来ず、暮らすこともできないマイルーム。
絶対にこの部屋を用意したのはリオンだ――そう確信をして、ジュンタは自室の扉を閉じた。
心からの本音の吐露に対し、靴に微かな感触が返ってくる。
涙目で下を見る。
だが、なんてことはない。
苦難を超えた先に、本当の愛着は沸くものなのだ。だから今は、ただ己の役目を全うしよう。
ギィイイイイイ〜、と長年使われずに錆びた扉が、新たなる住人を迎え入れるように音を立てて閉まる。
ジュンタは新たなる生活の始まりに、自分だけの部屋を手に入れるために、
「いくぞサネアツ! ミッションアタックバニッシュコックローチABC!!」