第七話  商業都市ランカ

 

 商業都市ランカ。
 王都レンジャールに続く道と、ラグナアーツの南巡礼都市サウス・ラグナへ続く道の中央にあり、東西南北から運ばれる交易品の中継都市として栄えている街。

 周りを森と平原に囲まれたランカは、非常に分かりやすい造りをしている。

 まず東西南北に街を横切る形で大きな道が作られている。
 そしてその道を挟んで東西南北にそれぞれ特色ある文化を形成しているのだ。

 王都に近い南地区は、騎士団や防衛的な施設に趣を置き、各種学校などの育成機関が多い。また、それに合わせ図書館や闘技場などの大型建造物もあり、貴族などの邸宅も多い。

 王都とは逆で聖地ラグナアーツに近い北地区は、大陸最大の宗教でありグラスベルト王国の国教でもある聖神教が勢力を伸ばしている。東・西地区の商業中心地区と合わさりながら、教会などの宗教建造物が多い自然が豊富な地区となっている。

 そして東地区と西地区は商業都市ランカの商業の中心である。平民たちが住み、多くの店が建ち並んでいる。揃わない物はないといわれるほどに品々が溢れ、とても活気がある。またどんどん開発が進められ、多くの人々が夢を求めて集まってきている。それが東地区と西地区だ。

 そのランカの街を治める領主は、シストラバス家の今代の当主にして、商才に関しては右に出る者はいないとまで言われる、恐るべき手腕の持ち主――ゴッゾ・シストラバス。

 彼の屋敷はランカ南地区にあり、目的である紅茶の葉を扱っている商店は東地区にあるという。
南地区をユースが用意した馬車で進むこと数十分。

 ランカ東地区にたどり着いたジュンタは、その街並に呆気にとられていた。

「どうです? 我がシストラバス家が治めるランカの街は? ここまで活気のある街など、王都レンジャールか聖地ラグナアーツぐらいなものですわよ」

 それこそ馬車から降りるなり、そんな自慢をしてくるリオンも気にならないぐらい、ジュンタは感激していた。

 大きな通りのそこかしこで、屋台が、露天商が開かれている。

 道に面した建物は全てが店。
 威勢の良い声が蒼天に響き渡り、カフェで談笑する人々、道を急ぎ足で行く人、様々な人々で溢れかえっている。

 建物はレンガ造り、石造り、木造とごっちゃな感じになっていて、景観としては統一されていない。それでもそこに住む人の生活の営みが、見事な統一した雰囲気を作り出していた。

 外国の観光客がよく訪れる古い街並とは違う、人々の生活が今なお続く異世界の街。

 サネアツではないけれど、確かにこの街並は旅人が憧れる風景だろう。

「素晴らしいな、これは。これを見ると、やはり異世界であるという気がしてくる」

 肩に乗ったサネアツが、興奮を堪えきれない様子で話しかけてくる。

「そうだな。でも、気を付けろよ。リオンに喋っていることは知られないようにしないといけないんだから」

「大丈夫だろう。ここまで賑やかなのだ。少しくらい大声で話しても、人物の特定はできまい」

「まぁ、確かに……って、うおっ!」

 サネアツと二人、興奮しながら話していると、唐突に首に圧迫感を感じた。後ろから思い切り服を引っ張られたのだ。
 こんなことをする奴は、もちろん一人しかいない。

「なにするんだよ? 一瞬息止まったぞ」

 紅の暴君ことリオン・シストラバスだ。
 彼女は眉尻を上げて、腕を組んで睨みつけてくる。

 何がそんなに不満なのかと、ジュンタが訊く前に彼女は口を開く。

「田舎者のようにあまりはしゃがないでいただけません? あなたは仮にもシストラバス家の使用人。常に毅然とした態度でいなさい。そう、この私のように」

 小さな胸に手を当て、リオンは自信たっぷりに胸を張る。
 
 リオンの言うことはあれだが、確かに少しはしゃぎすぎていたかとジュンタは反省する。
 これでは折角外へと出してくれたユースに申し訳が立たない。きちんと役目は果たさなければ。

「ええと、確か紅茶の葉を売ってるのはぐへぇ」

「だからどうしてあなたは私を無視しますの!? 失礼ですわよ!」

 またもや服を引っ張られ、ジュンタは咳き込む 

「お、お前な、首は普通にシャレにならないんだぞ? そこのところちゃんと分かってるのか?」

「お黙りなさいっ! ちゃんと手加減はしていますわ。何の問題もありません」

「大ありだよ。まったく話せって言ったり、黙れって言ったりと、我が儘な奴だな」

 感激に水を差されたみたいで、憮然とした表情でリオンを見る。
 
 リオンはピクリと頬を動かし、引き攣った笑みとなる。

「ど、どこの誰が我が儘ですって? まさかとは思いますけど、この私に対して言ったのではありませんわよね?」

「……驚いた。お前、自覚なかったのか?」

 あそこまで傍若無人に行動しておいて、自分が我が儘であることに気が付いていなかったらしい。

 でも、考えてみればそんなものだろう。
 我が儘という自覚をもって我が儘をする人間など、そうはいないだろう。むしろ自覚がある方が人間としておかしい。そういう点で見れば、まだリオンはマシな方か。

「ジュンタ、戯れているのもいいが、そろそろこの場から離れるべきだと思うのだが」

「え、どうして?」

 ストレートな暴言に顔を真っ赤にして口をパクパクさせているリオンを、温かな目で見ていたジュンタの耳元でサネアツが囁く。

 小さな肉球が周りを見れと、軽くジュンタの頬を押した。

「分かったか? どうして俺がこの場を離れた方がいいと思ったか」

「……ああ、しっかりとな」

 リオンに気を取られていて、周りのことが目に入っていなかったようだ。

「これは、あれだよな……全員リオン目当て?」

「だろうな。俺の愛くるしさに酔いしれているというには、男の比率が多すぎる」

 突き刺さる視線。ヒソヒソと隣の人と交わされる囁き。
ジュンタとリオンを中心として、いつのまにか人垣が生まれていた。

 その理由は恐らく、リオンの存在の所為だろう。

 美しいドレスを着た見目麗しい紅の少女。これだけでも人の目を集める存在感を持っているというのに、彼女はこのランカの領主の娘だ。ジュンタはリオンが街にどれだけ来ているのか知らないが、彼女ほどの容姿では人々の間で噂にならない方がおかしい。

 まぁ、リオンはこの街では一種のアイドルの様なものなのだろう。
 野次馬となってでも一目見たいという気持ち、同じ男として分からないでもない。

「なんですの、この人だかりは? 近くで何か催しでもあるのかしら?」

(いや、全員お前目当てだよ)

 ジュンタたちに遅れること数秒、リオンもようやく周りの様子に気が付いたようである。その理由までは推測できなかったようだが。

 リオンは自分に視線が集まることに慣れているのか、特段、視線におかしな印象は受けなかったらしい。だが、ジュンタからしてみれば、この注視は気分のいいものじゃない。
 
 ……それに先程からおばさま方のひそひそ話が聞こえてきて、肩身が狭い。

 悪口を言われているわけじゃなさそうだが、自分が噂の対象になるのは……うん、もう懲り懲りである。

「リオン、紅茶の葉が売ってる店に早く行こう」

「それは構いませんが……って、どうしてあなたが仕切ってますのよ!? その言葉は私の台詞ですわ!」

「どっちでも大して変わらないだろうに……まぁ、いいや。なら、指示に従うからさっさと行きましょう、お嬢様」

 この視線の檻の中から、一刻も早く抜け出したい。
 その一念でジュンタは殊勝な態度を取る。何が悲しくて休みの日までリオンの相手をしなければいけないのかという話だが、下手に言い返すと泥沼の展開になりかねない。

「分かれば良いんですわ、分かれば。まったく、初めからその態度でいれば私も一々注意しなくてもよろしいですのに」

「申し訳ございません。今後は気を付けますので」

 ジュンタが自分の言うことを素直に聞いたことに、うんうんと頷くリオン。

 取りあえず下手に出ていればリオンは気をよくしてくれるので、扱いやすいと言えば扱いやすい。単純というわけじゃないが、プライドを上手く操れば行動の操作は容易い……いや、それを単純というのか。ほんと、いつか詐欺にでも引っ掛からないか不安である。

 リオンがここまで乗ってきた馬車の御者席にいた人に何かしらを言っている。
 恐らく『買い物が終わるまでここで待っていなさい』とか、そういう話だろう。ここまで来る道すがら、御者席の隣で御者と談笑していたジュンタは、彼が頷いたのが見えた。

「それではさっそく向かいますわ。一歩後ろをちゃんと付いてきなさい」

 話の終えたリオンがこちらに近付けてきて、立ち止まることなくそのまま道を突き進んでいく。それに返事をすることなくジュンタも付いていく。

 主人と使用人の正しい立ち位置。
 こんな些細なことを不満に思うほど、器は小さくない。気分はガキ大将に付いていく子分のような感じだ。あるいは、落ち着きのない子供の後を付いていく保護者の気分か。

 リオンが早足に近いスピードで、それでも傍目からは優雅に見える足取りで通りを歩いていく。

 貴族、平民の差がはっきりした世界だからか、リオンが歩く度に混雑している通りが、海を行くモーゼの如く空いていく。

 こんな周りの対応がリオンの態度を大きくしていくのかと思いつつ、特に会話をすることもなく歩き続けた。

 ランカの街は、ジュンタの目には珍しい物ばかりが溢れていた。
 日本人には見えない住人たちもそうだが、売っている代物、着ている服装、装飾品、そのどれもが少し地球とは違って見える。

 周りの風景と相まったが故の錯覚かも知れないが、この時違うように見えたのだから、それはきっと違うのだ。

「おおっ、あれは魔法の品だな。中々良い仕事をしている」

 時折頭の上にいるサネアツの小声を聞きながら、リオンの後をついて歩くこと十分程度――リオンの足が一件の店の前で止まった。

「ここですわ。ここが、我がシストラバス家御用達の紅茶葉を取り扱っているお店ですわ」

 そう言われて、ジュンタはその店へと視線を注いでみる。

 まず目に付いたのは大きな看板だ。
 白い金属板に金で書かれた何かしらの異世界文字。その文字の周りを彩っている飾り。

 白い木でできた店舗はそれほど大きいとは言えないが、どこか高級感の溢れる佇まいをしている。よく見れば周りも馬車を降りた場所とは違って、どこも高価品を取り扱っていそうな店舗ばかりである。セレブ向けのショッピングエリアにいつの間にか、足を踏み入れていたらしい。

「何ぼさっとしているんです、さっさと入りますわよ。扉を開けなさい」

「あー、畏まりました」

 周りの高級な雰囲気に飲み込まれていたジュンタを、いつも通りの態度で告げるリオンの言葉が元に戻す。

 彼女に言われたとおり店の扉を開け、リオンが入れるように道を空ける。
 さすがは高貴な生まれ。リオンはそうされることが当然として店に入っていく。

 ジュンタもリオンの後について入ろうと、一歩店内に足を踏み入れる。

 紅茶を売っている店独自の店内の匂いが鼻をくすぐり、

「……そう言えば、サネアツ。お前を連れて中に入っちゃいけないんじゃないか?」

 ――何の脈絡もなく、そんなことに気が付いた。

 ジュンタの疑問で初めてサネアツもそのことに気付いたようである。

「む、そう言えばそうだな。小物とかの店ならともかく、食品関係の店に猫が入るのはまずいか。むぅ、まさか猫であることがこんなところで問題を生むとは思わなんだ」

「それでどうする? 俺はたぶん、リオンについて行かなきゃいけないと思うんだけど。ユースさんから直接頼まれたのは俺だしな」

「仕方あるまい。俺はその辺りを散策していよう。なに、心配することはない。ジュンタが出てくる頃にはちゃんと戻ってくるさ。戦利品は期待していてくれ」

 そう言ってサネアツはピョンと頭から飛び降りる。人間からしてみると建物の二階から飛び降りるのと同じぐらいの高さを、躊躇無く、事も無げにサネアツは飛び降りた。猫の姿にかなり慣れてしまっているのか、肉体はともかく、精神はそう変わらないだろうに。

「ジュンタ。まぁ、言っておくこともないだろうが、一応言っておこう。言動には一応気を付けておくといい。では行ってくる」

「ああ、どこかの猫好きな令嬢にさらわれるなよ」

 トトトトッと道を駆けていってしまったサネアツを見送り、ジュンタは改めて店内に足を踏み入れた。

 店内には所狭しと紅茶の葉が並んでいる……というわけではなく、軽く見回せば必ず紅茶葉は見かけるが、ゆとりある店内となっていた。

「リオンの奴はどこに行ったんだ?」

 こんな狭い場所で見失うわけもないのに、入り口に入ってすぐの場所では彼女の姿を見つけられない。店員も出迎えに来ないところを見ると、リオンの対応をしているようだ。

 ジュンタは軽く店内を探す感じで、奥へと足を進み入れる。
 外見はそれほど大きく見えなかった建物だが、奥行きはかなりあった。

「お、いた……って、なにやってるんだ、あいつ?」

 ジュンタがリオンを見つけた時――なぜか彼女は紅茶を飲んでいた。

 ジュンタが見つけたのと同じく、リオンもこっちを見つけたようである。
 太陽の光が差し込む優雅な一席に腰掛け、白磁のカップを持ち上げたところでジュンタを見つけた彼女は、呆れたような視線を向けてきた。

 リオンへジュンタが近付いていくと、

「遅いですわよ。まったく、一体何をしていましたの? 主人に無言で離れる使用人など聞いたことがありませんわ」

「いや、サネアツを店内に入れるわけにもいかないから、少し手間取ってたんだよ」

「シャルロッテを? 別に気にせず店内入れればよかったですのに。誰にも文句など言わせませんわ」

 それは正しく事実だろう。
 彼女が本気で命じたら、逆らえる奴などそうはいまい。家柄とかだけの理由ではなく、彼女の持つ『人の上に立つ雰囲気』がそうさせるのだ。

「それで結局シャルロッテを外に置いてきてしまったのですわね。まったく、愛が足りませんわ。私なら決してそんなことさせませんのに。……やはりシャルロッテの主人に相応しいのは私ですわ」

「俺としては正直どっちでもいいんだが……それより、どうして紅茶を飲んでるんだ? 今日は買いに来たんだろ?」

 別に紅茶を飲める場所があること自体は不思議じゃないが、それを使用していることがおかしい。彼女にはお使いに来たという意識は存在していないのか?

(……ないだろうなぁ)

 というよりも、そもそもどうして付いてきたんだろうと言う話である。

「この店の店主がいい紅茶葉が入ったからと先程教えてくださったので、こうして賞味しているわけですわ。良い紅茶を求めるのは貴族の嗜みですから」

「はぁ、そんなものか。ところで一つ訊いても良いか?」

「あなたが言葉遣いを改めるのなら聞いて差し上げましょう。なんですの?」

 気を抜くとすぐに言葉使いが敬語から元に戻ってしまう。これ即ち、リオンに恭順することを精神が拒否していることに他ならない。

 それを意識してぐっと抑え、ジュンタは質問をぶつけてみた。

「どうしてお嬢様は、お使いに同行されたのですか? 暇じゃないってよく言ってますけど?」

――ッ!」

 驚いて、ケホケホとせき込むリオン。
 別におかしなことを尋ねたわけではないのに、どうしてそこまで動揺する。

「大丈夫か?」

「大丈夫ですわよっ! ま、まったく、あなたが急に変なことを訊いてきたせいで、折角の紅茶が。勿体ないですわ」

「そんなに俺、おかしなこと訊いたか? 当然の疑問だと思うけど。俺と違ってリオンはいつでも街に来れたわけだし、別に今日付いてこなくても……」

「違います。勘違いしないで貰えません? 別にあなたに付いていこうと思ったわけではなく、純粋に今日街に出かけようと思っていましたの。出かけようとした矢先にあなたが使いに行くと聞いて、ついでに街まで馬車に乗せて差し上げた。そういうことですわ」

 先程の紅茶の影響か、少し頬を赤らめてリオンがきっぱりと言う。

 ……だが、それはおかしい。

 もしリオンの話が本当なら、ユースは塀を見上げていた自分にお使いの話など持ちかけなかっただろう。リオン付きの従者であるユースが、主の予定を知らなかったはずもなく……やはり言っていることはおかしい。

 でもまぁ、さして気になることでないので、ジュンタは『そうか』と頷いておく。

「そうですわ。まったく嫌ですわこの庶民は。一体どんなあり得ない想像をしていたのか、身の程を知りなさいという話ですわね。もしかして、最近屋敷で広まっている噂を広めてるのはあなたではなくて?」

「あ、すいません。これが件の紅茶葉ですか。はい、確かに受け取りました。大丈夫です。ちゃんとユースさんに渡しますから。代金は……あ、前もって貰っている。そうですか。分かりました、では貰い受けます。ありがとうございました」

「私を無視するのではありませんわっ!!」
 

 

 

        ◇◆◇

 

 


 さて、当初の話では紅茶葉を貰うというお使いの後、ジュンタには街を散策する自由が与えられていた。

 定められた帰宅時間に間に合うのなら、どこに行ったって構わない――そういう話になっていた。

 ――だが、それはもう過去の夢。リオンが同行しなかった場合の話だ。

 彼女がお使いに同行したということが、こうなることだということはジュンタも気が付いていた。気が付いていてもなお、異世界の街というものを見て回りたかったのだ。

 それは冒険心。未知なる物に対する純粋な好奇心だった。

 まだ見たことのないものを見てみたい。
 一生かかっても本来は見ることができなかった世界を見てみたい。

 それは誰にだって許された、当然の権利だった……はずなのに。

「どうして、俺はこんな苦痛を味わっているのだろうか?」

 呼吸は荒く、秋だというのに汗だく。
 両手両脇一杯に荷物を抱え、ジュンタはフラフラと左右に揺れながら歩いていた。

 一歩歩く事に、振動で肩に荷物の入った袋の紐が食い込んでくる。

 痛い。これは一体どんな拷問なのだろうか?

(俺が一体何をした。俺はただ、のんびりと休日を堪能したかっただけなのに)

 この異世界は、そんな些細な祈りさえも許してくれないというのか。

 過ごしやすいはずの大気が、どうしようもなく熱い。
秋の街並を照らす太陽が、今はこんなにも憎い。うっとうしい。

 蒼天よ曇れ。むしろ雨よ降れ。

 そして――

「大丈夫かジュンタ? いや、悪いな。俺も人の姿なら荷物を持つことができたのだが」

 ――白い畜生よ。頭の上からどいてくれ。

「サネアツ。お前は可能なんだから降りろ。それが嫌ならリオンの方に乗れ。向こうの方が髪もサラサラだし、抱きしめられたら柔らかいだろうし、きっと居心地がいいぞ」

 そしてサネアツの重さが消え、温もりが消え、自分もかなり居心地がよくなる。

「確かに感触としては向こうの方が上だろう」

「なら、行けばいいだろ。さっきからチラチラと羨ましそうに見てくるし」

 明らかに必要外の重い荷物ばかり入った買い物袋を持ち直しながら、ジュンタは目の前のリオンを恨めしい瞳で見る。

「ふっ、甘いなジュンタ。猫が飼い主に求めているのは決して抱き心地でも、良質な食事でもない。愛さ、愛なのだよ」

「どう考えても愛は向こうの方が大きいぞ」

「それはペットに向ける愛情だろう? 俺が欲しているのは友に向ける友愛なのだよ。それを考えると、ジュンタ以上の適任はいない。それに安心してくれ。ジュンタの髪もそれはそれは触り心地が良い」

 絶対にこの猫は、暗にどけと言っているのに気付いている。それなのに、どかない。これでは友愛など向けられない。着実に増えるのは憎悪のメーターだ。

 と、そんなやり取りを数回繰り返した頃、リオンが一つの店の前で足を止めた。

 ジュンタは彼女が足を止めた店を見上げ、脂汗を浮かべる。

 高級そうな佇まい。
 ガラスの向こうには、いかにも重そうな壺なんかが並んでいる。

 リオンはクルリとジュンタの方を振り向き、とても悪戯っ子な笑みを浮かべた。

「私、なんだか無性に壺が欲しくなってきましたわ。この店に入ろうと思いますけど、どう思います?」

「……運送業者を使うのなら、いくらでもご購入ください」

 精一杯の抵抗としてジュンタがそう言うと、リオンはより笑顔を深める。

「運送業者など、そんなお金の無駄遣いはできませんわ」

「いや、このレベルの店なら運送賃はタダだろ。それに無駄遣いだっていうんなら、この大量の絶対に無駄な買い物はなんだって言うんだよ……」

 ジュンタの持つ大量の買い物袋は、紅茶葉を買ってから約一時間。リオンが購入した無駄な買い物である。

 服や装飾品などではなく、どこで使うのかと言わんばかりの置物ばかり。
 おかしなオブジェや焼き物。大きさの割に重量のある品々は、屋敷まで宅配ができるというのに、それを断ってジュンタが持つことになっている。

 どう考えても嫌がらせ。それ以外の何ものでもない。
 これまでの屈辱を晴らさんとばかりに、次々に購入された品々。これが無駄遣いでなければ、一体何だというのか? プライドを満たすための買い物は無駄遣いではないとでも言うのか? 

 ……リオンなら普通に頷きそうで怖いな、それ。

 ジュンタは怒りを噛み殺し、この場に荷物を置いて逃走してやる算段を考える。
それでも実行に移せないのは、無一文の身であるため、明日からの衣食住をまかなえないという一点にある。

 なら、いっそのこと荷物を強奪して逃げようかという気持ちも沸く。いくら不必要な品でも、売ればそれなりの金になるだろう……なんだか凄くいい提案に思えてくる。

「ふふっ、どうしたんですの? まさかもう疲れたなどと言うのではありませんわよね? まだ買い物の半分もいっていませんのに。鍛え方が足りないですわね」

「は、半分って、あからさまに無計画な衝動買いばかりだろ?」

「それは庶民の感覚ですわ。私ほどの貴族になれば、買い物とはこれ即ち衝動買いですわ」

 自分の無計画を開けかす台詞を言い切ったリオンに、ジュンタは内心悪態付く。

 ポンポンとサネアツが慰めるように頭を叩いてくる。むしろお前も同罪であると言いたい。

「……最悪の休日だ」

 いや、屋敷を出かけた時にはもう分かっていたことだが。

 

 

 レス・ティオーナ聖堂はランカの街でもそれなりに大きな教会である。

 敷地面積は普通の教会の約十倍。
 珍しく北地区ではなく南地区にある聖堂で、主に神学校の関係者が使用する教会である。

 白亜の二階建ての建物に、鐘付き塔が取り付けられた威風。
 厳かな雰囲気の中にも優美さを兼ね備えた聖堂は、周りを自然公園に囲まれている。

 位置関係からランカ東地区の市民も憩いの場として使う公園に、サネアツに案内される形でジュンタは連れてこられた。正確には、荷物持ちに耐えきれなくなったジュンタがサネアツに頼み、逃げる振りをして休めそうな場所に案内して貰った、というのが正解である。

「もう、シャルロッテ。勝手に走っていってはダメですわよ?」

「……にゃー」

 整えられた緑の園。
 白い子猫を優しい風貌で抱き上げる、麗しい乙女の姿はとても絵になっている……隣のベンチで、荷物に埋もれるように一人の執事が死にかけていなければ。

 微妙に嫌そうな顔で撫でられているサネアツに感謝をしつつ、ジュンタは疲れ切った身体を癒す。

 サネアツにリオンがかまけている間は、自由に休むことができるだろう。

 サネアツはどうやらリオンを苦手としているらしく、若干心も痛むが我慢して貰いたい。あのまま壺を購入されていたら、確実に今頃路上で気絶していた。

「み、水が欲しい……」

 カラカラの喉を震わし、か細い声を出すジュンタ。

 ここは公園なのだから、探せば水飲み場ぐらいはあるかもしれない。だけど一歩も歩く気力がない。だから、ギブミーウォーター。でも取ってくれる人は誰もいません。

 ここは教会の管理する公園なのだから、心優しい修道女でもいないのだろうか。ジュンタは辺りを一度見渡す。

 広大な公園には人っ子一人見あたらない。
 今日は休日ではないようなので、夕刻まで後一時間ぐらいあるこの時間帯は常にあまり利用されていないということか。

(あー、疲れた。まったく、リオンも酷いことするよな。サネアツが散策でこの公園を発見していなかったら、一体どうなっていたことか)

 というよりもそこまで彼女に嫌われていたことに、結構凹むジュンタだった。

 確かに彼女の裸を見たり、胸に触ったり、からかったりと……考えてみると嫌われることしかやっていない。
 ジュンタは溜息を吐いて、笑顔でサネアツを撫でるリオンを見る。

「ほら、シャルロッテ。クッキー食べます? 私がオススメする老舗店舗の限定品ですわよ」

「にゃ?(ほう、クッキーか。俺は和菓子の方が好みなのだが……貰おう)」

 屋敷から持ってきていたのか、それともどこかで買ったのか、じゃれついてくれないサネアツを餌で釣っているリオンの姿は、どこからどうみても可憐な美少女だ。

 白い肌に小さな顔。唇は紅でも塗られているようにほのかに色付いている。吊り目がちな紅眼を優しげに細め、赤子をあやすように子猫をかわいがる少女。風に長い紅の髪は揺れ、白いドレスは翻っている。

「……ああいう風にしているなら、かなりかわいいんだけどなぁ……いや、別にいつもがかわいくないってわけじゃないんだけど……」

 誰しも認める絶世の美少女であるリオン。

 ジュンタが今まで見たことある誰よりも美しく、そして恐らく誰よりも気高い。
 強い意志の感じる紅眼でじっと見つめられ、優しく頬笑まれたのなら、きっとほとんどの男は骨抜きになり従属を誓うだろう。

 嫌われていることが分かっているから、ジュンタは見つめられても大したことはない。そも、見つめるというより睨まれるという感じだし、優しく笑いかけられたことなど一週間で一度もない。高値の薔薇と称するが相応しき相手である。

 世界が違えば文化が違い、文化が違えば人も違う。
 そんな当たり前のことの前に、もっと簡単で重要なことがあった。

 男と女は違う。

 裸を見られるということがどれほど重大なことなのか、たぶん自分は気付いていなかった。

 リオンを見る度に感じる『何か』は、きっとまだちゃんとした意味で『ごめんなさい』と謝ることが出来ていない負い目だ。胸を締め付けられる痛みは、きっとそこから来ている。

「……嫌われるのもしょうがない、か」

 はぁ……と過ぎ去ってしまった過去にもう一度溜息を吐く。

 それは思ったよりも深々としたもので、リオンの耳にも届いてしまったらしい。
 サネアツにクッキーをあげていた優しい表情を怪訝なものにして、リオンはジュンタの方を振り向いた。

「突然溜息を吐いてどうしましたのよ? 溜息を聞く方はかなり気になりますのよ?」

「う、ごめん」

「……どうしたんですの? あなたとは思えない殊勝な反応ですわね」

 気になると言った視線をリオンと、その腕の中のサネアツに向けられるジュンタだが、だからといって考えていたことを述べられるはずもなく、適当に言葉を濁す。

 それが二人に通用するわけもなく、二人の怪訝な視線を強めるだけ。

 リオンは視線を遠く、レス・ティオーナ聖堂の方に向けつつ、独り言を呟くように、

「ふんっ、まぁ、あなたのことなどどうでもいいですけど……隣で溜息を吐かれるのは気に入りませんから、何か悩みがあるのでしたら聞いて差し上げますわよ」

 そんな、とても意外なことを言った。

「へ?」

 自分でも失礼だとは思ったが、素っ頓狂な声が出るのを我慢できなかった。

 我慢できずに出た声を聞き、リオンが眉をつり上げる。

「なんですのよ? 私がそんなことを言うのがおかしいとでも?」

(うん、とっても)

 内心即答したが、なんとか声に出さずには済んだ。ただ、表情には少し出てしまったようで、こちらに振り向いたリオンはムッとなる。

「別に、あなたが特別というわけではありませんわ。私はシストラバス家の留守を預かる身として、使用人の悩みを聞く義務があります。ただ、それだけですわ」

 リオンは当然のようにそう言ったが、それでもジュンタには驚きだった。

 決して彼女が嫌な奴ではないことはわかっていたが、まさかこんな風に気を使ってくれる少女だとは思っていなかった。

 なんというか意外過ぎて、情けなくもジュンタは感動してしまった。

 リオンは視線を再び聖堂の方に向け、深くは問い質したりはしてこなかった。
 強く訊くのではなく、あくまでも向こうから言われるのを待つ。きっと、彼女はそんな風に誰かの悩みを聞くのだ。

 ジュンタの悩み、というか心残り、これを話すことはできない。
だから代わりに、

「ありがとな。なんだか、明日からもがんばれそうだ」

 少しだけ、感謝の気持ちを。

 特に意識を向けているわけじゃないが、きっと自分は笑っているだろう。

 リオンはリオンで、顔をジュンタから逸らす。
 その耳が少し赤く見えるのは、きっと夕日のせいだろう。

 聖堂の向こう。色を変えていく空に照らされ、緋色の髪は美しく輝いていた。

(綺麗だな……)

 夕日に染まった異世界の街――商業都市ランカ。
 公園より見えるその街並が綺麗だと思ったのか、それとも別のものを綺麗だと思ったのか、疲れた身体では今一つ分からなかった。

 ただ、思いの外。初めての休日は健やかな気持ちで終われそうである。
 
 それがすごく、嬉しかった。

 

 


 そうして日も暮れ始め、屋敷に帰ろうと思った矢先――ソレは現れた。

 

 


 誰がソレの到来を予期できただろうか?
 
 夕暮れの空から恐るべきスピードで滑空してきた翠の影。

 轟音と共に砕かれた地面。
 そして砂埃の中に消えていった、紅の少女と白い子猫。

 思わず頭が真っ白になるほどに、それは非現実的な光景だった。

 いつか、そう昔じゃない最近に、小さなことを思い描いた。

『この先、この異世界ではきっと色々な異常に巡り会う』

 ――それは正しく事実だった。目の前の光景がそれを証明していた。

 だけど……その意味を正しく理解してはいなかった。

「…………あ……」

 静かに胎動する脈。
 思考は止まっているのに、どうしてだが心臓の鼓動が早いことだけ自覚できる。

 驚いているのか――そうだろう。
 怯えているのか――そうだろう。
 怒っているのか――そうだろう。

 こんなにも理不尽な突然の始まりに、世界と共にジュンタは動きを止めていた。

 一秒にも満たない時間の中、一体どれだけの感情を抱いたのだろう?

 砂埃が立ちこめ、視界を覆い隠す中……巨大な影が蠢いている。

 鈍く輝く巨大な翼。
 爛々と輝く鮮血の瞳。

 鋭い牙の生えそろった口を開き、天に向かって咆哮する。

「グォオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!」

 ビリビリと空気は震え、怪物はそこに降臨した。

 それは原初の恐怖を抱かせる、醜悪なる翠の魔獣。
 古来より人を襲い続けてきた魔獣の中でも、一際強く、獰猛なる空の悪夢。

 御伽噺でしか知らなかったソレを現実に目にし、ジュンタは恐れおののくようにその名を呼んだ。


――ドラゴン」


 赤に染まる美しい空を一望する緑の庭園。
 翼の魔獣は現れ出でて、そうしてジュンタの前に立ち塞がった。

 

 

 

 

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