Epilogue


 

 ボフッと自室のベッドに飛び込んだリオンは、ドレス姿のまま枕に顔を埋めた。

 そのまま数十秒間、動きを止める。

「はぁ……やっと街に出た被害の復興も終わりましたし、これでようやく、事件も終幕ということですわね」

 大きく息を吐きながら、眠たい身体に鞭打ってリオンは枕から顔を離す。
 このまま寝てしまいたいほど疲れているが、ドレス着のまま眠るなんて、淑女としてあるまじき行いだ。いついかなる時も優雅に、誰の目もない時だからこそきちんとしなければならない。

 リオンはベッドから転がるように立ち上がり、ドレスを脱ぎながら、ユースが用意をしておいてくれた寝巻きを手に取る。

「お風呂、は、朝に回してもいいですわね。汗はかいていませんし……」

 今日までとは違い、明日はこれと言った用事はない。朝にゆっくりと湯に浸かっていられる時間はある。

 ドラゴンによる一連の被害の処理は、ゴッゾと力を合わせて今日までで終了させた。事件から一週間。長いようで短い日々は、一応の終わりに到達したのだ。

 リオンはのろのろと寝巻き着に着替え、それから着ていたドレスをしわにならないように木製ハンガーに掛ける。

 それから半ば眠っているような目つきで髪からリボンを取り、櫛で髪を梳く。自慢の紅髪は、サラサラと簡単に整ってくれて本当に助かる。

「よしっ……終わりましたわ……」

 櫛を置き、リボンを宝石箱にしまって、一応最低限の睡眠の身支度は整った。

 さぁ、寝ようと、リオンはベッドに向かおうとして、その前ににゃ〜と鳴く声を聞いた。

「猫の、鳴き声?」

 ドキリとして、リオンは鳴き声のした方を振り向く。
 そこには、部屋の窓をカリカリと爪で引っ掻く、真っ白な小猫の姿があった。

「……もしかして、サネアツですの?」

 首には自分が結んだ赤いリボンが。その白猫は見知った小猫――サネアツだった。

 飼い主が屋敷を後にしてから一度も見ることがなかったため、てっきり一緒にどこかへと行ってしまったかと思っていた猫の登場に、リオンは不思議に思いつつも窓を開けて部屋に招き入れる。

 僅かに開いた窓からするりと部屋へと滑り込んできた白猫は、もう一声にゃ〜と鳴いた。

「シャルロ……ではなくサネアツ、一体どうしましたの?」

 窓を閉め、サネアツの前でリオンはしゃがみこむ。そしてそのまま、サネアツの顎の下をそっと撫で上げた。

 ゴロゴロと気持ちよさそうに喉を鳴らすサネアツに、リオンは思わず笑みを零す。
 
 子供もそうだが、こういった小動物のかわいらしい仕草は疲れた身体を癒してくれる。眠気も覚めてしまったため、リオンはまだ眠らないことにした。

 折角珍しいお客様も来たことだし……リオンはとてもいいことを考えついた。

 そっとサネアツを抱き上げると、彼の小さな身体を自室のテーブルの上に優しく置く。

「外は冷えましたでしょう? 今、温かいミルクを作りますわね」

 そう言い残しておいて、リオンは部屋に備え付けの調理場へと向かった。
 調理場と言っても、紅茶を淹れるための最低限の道具しかない調理場だ。しかしそこは大金持ちのシストラバス家。一般家庭の調理場の、数十倍はする高級な道具が置いてある。

 小さな鍋にミルクティー用のミルクを入れ、魔法によって動く発火器で温める。

 しばらくして人肌に温まったそれをお皿に注ぎ込み、小猫用のミルクは完成。自分の分として紅茶を併行して淹れておいたので、クッキーと一緒にお盆に載せ、テーブルに持って行く。

 こうしてリオンとサネアツで、真夜中のお茶会と相成った。

 もちろん人間と猫とでは、会話などできようもない。
 それでも会話を楽しむかのように、リオンはサネアツに話しかけた。

 サネアツの方もリオンの話を黙って聞いている。時折相槌を打つように、尻尾を動かす。
そんなのどかな時間は瞬く間に過ぎて行き、リオンが一杯目の紅茶を飲み終わった頃――話の話題は必然的にある少年のことへ移っていった。

 軽く頬を染め、自分のカップにお代わりの紅茶を注ぎ入れながら、リオンはサネアツに訊く。

「と、ところで、あなたの主人は、今どこにいますの?」

 その質問に対し、サネアツはミルクを舐めていた顔を上げ、白く色付いた髭を揺らし、にゃ〜と寂しそうに鳴いた。

 それをどう取ったのか、リオンはすまなそうな顔となる。

「……そうですの。今は一緒にいませんのね」

「にゃ〜」

 そうだと言わんばかりに、サネアツは鳴く。

 リオンは淹れた紅茶に口を付け、一口飲む。

「やはり自分で淹れた紅茶は、あまりおいしくありませんわね。いえ、ユースの淹れる紅茶が美味しすぎるのかしら? でも、あなたのご主人様が淹れた紅茶よりはおいしいですわよ?」

「にゃにゃにゃ」

 からかうようにそう言えば、サネアツが否定するように鳴いた。
 
 まったく彼はとてもこの小猫に愛されているのだと、少しリオンは嫉妬してしまう……何を考えているんですのと、リオンは赤くなった顔を隠すように窓の外を見つめた。

 今日の月は、とても明るい。
 窓の向こうには、愛すべきランカの街の夜景が広がっている。それを見る度に、リオンは思うことがある。

 夜というのに、きっとどこかでは誰かが騒いでいるだろう。でもどこかでは、家で眠っている子供もいるだろう。もしかしたら、夜中の晩酌でもしている夫婦もいるかもしれない。

 それぞれが、それぞれの夜を過ごしている。
 それをまた見て、思うことができるのが、一体どれほどの奇跡かリオンには分かっていた。

 死ぬはずだったのに、ドラゴンを滅して一緒に死ぬつもりだったのに、今自分はこうして生きている。月明かりに照らされた、美しい街を見ることが出来ている。それがどれほどの奇跡の果てに叶ったことか、リオンは知っているつもりだった。

 そして、薄々気が付いていた。

 あの日見た、美しい不死鳥。
 今こうして見る、美しい景色。
 生きていられるだけで得られる、その幸せ。

 それは誰かが起こしてくれた奇跡であると、リオンは薄々感づいていた。

 ……感謝している。とても感謝している。

 誰かは分からないけれど、いつか絶対にありがとうと言おうと思う。何度ありがとうと言っても足りないぐらいの感謝を、その誰かからは受けたのだから。

 いつか、どんな形であれ、自分はその誰かを知ることになるはずだ。この気持ちはそれまで大事に取っておこう。

 リオンはしばらくそのまま大好きな街並を眺め続け、それから視線を小猫の方に戻した。

「あら?」

 しかしもうそこに、小猫の姿はなかった。

 あるのは空になったお皿だけ。美しい毛並みの白猫は、もういない。部屋を見回すが、どこにもその小さな姿を見つけることはできなかった。

 猫らしい気まぐれ――リオンは紅茶を口に運びながら、少しだけ残念だと思った。でもまたきっと会うことができるだろう、そうとも思った。

 今日、突然出会ったように、また、きっといつか出会う。

 それはどこかの町はずれかも知れない。雑踏のただ中かもしれない。はたまた、見知らぬ街の、名も知らぬ場所かもしれない。そこでサネアツとは、またすぐに出会うだろう。こうして一回会えたなら、二度目はすぐだ。

 リオンは思う。次に出会うときは、その飼い主とも会いたい、と。

「まったく、騎士を辞めることは認めましたけど、使用人を辞めることまで許したわけではありませんわよ。私の裸を見た代価……勝手に辞められるほど、安くはないんですから」

 紅茶を片手に、リオンはここにはいない、サネアツの飼い主へと愚痴をぶつける。

「…………まったく、今一体、どこにいますのよ……?」

 その愚痴はやがて寂しそうな声色となって、小さな溜息となって口から出る。それは紅茶を空にしても、飲み込むことはできなかった。

 リオンは椅子から立ち上がり、カップなどを片付ける。

 それからベッドへとボフッと倒れ込んだ。

 自分の選んだ選択を、決して悔やんではいない。
 今回は運がよかっただけ。必ずあるだろう次の機会も、リオンは同じ選択をする。それはリオンがリオン・シストラバスである限り、決して変わらない決定事項だ。

 だけど……もう一つの選択は、少しだけ悔やんでいたりする、かも……

「…………バカですわね、私は……」

 ――寂しい。

 生き延びた自分は、これから幸せな日常を続けていく。だけどその日常の中に、欲しいピースが一つ欠けている。それが少し、いや、とても寂しかった。

「寝ましょう」

 陥った思考を、はっきりとそう口にすることにより中断させ、リオンは布団の中に潜り込んで、枕へと頭を埋めた。

 そして眠りに落ちる前、その名前を呟く。

「……ジュンタ」

 
 ――せめて、夢の中では会えるように、と。

 

 



 紅い騎士のお姫様は眠りにつく。ほんの小さな、誰かの奇跡に包まれて。
 いつか、再会という奇跡を祈りながら。

 

 

 

 


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