第一話  湖の妖精





 ――それは満月の夜だった。

 静かな夜を迎えたその日、ふいに何かを感じて、空を見上げた。

 木々の天井の合間から見えたのは、金色に輝く真ん丸なお月様。今の今まで気付かなかったが、どうやら今日は満月だったらしい。

 古来より、満月には不思議な力があると言う。

 魔法の開祖である『始祖姫』メロディアは、満月の夜に生まれ、その不思議な力の恩恵を受けたのだとか。それが魔法という神授の力であるのだから、満月は神の世界と人の世界とを繋ぐ門なのではないか? そんな風にも言われている。

 寒い冬も終わり、春の夜空に浮かぶ金色の満月には、なるほど、確かに神聖な輝きがある。

 そう言えば、と満月を見上げて思い出す。

 あの日――神託が下ったあの夜も、こんな綺麗な月が夜空に輝いていた。

 だからこそ思わずにはいられない。一体あの人は、今、どこにいるのだろうか?

 確証あってその場所を言い当てられない我が身の、なんと愚かなことか。本来ならば、すでに秋の日には出会っていたはずなのに、あまりに鈍い自分の所為で今なおあの人とは会えずにいる。

 そして会えない自分は、だけどまた回り道をしていた。


 ――最初は、ほんの寄り道のつもりだった。


 目的地である、グラスベルト王国の商業都市ランカにいるだろう人に会うための、その旅の途中。その森に寄ったのは、ただの気まぐれでしかなかった。

 ただ続く平野を歩くよりも、森に誘われた。
 ただそれだけの理由で、グストの森へと足を踏み入れ、そしてその森の中の村に辿り着いた。

 最初は、本当に寄り道のつもりだった。
 長く居座る気なんて毛頭なく、あと少しで到着する王都レンジャールまでの、休憩場所として一夜を過ごすだけのつもりだった。

 けれども、その夜に体験した出来事により、些細な寄り道ではいられなくなってしまった。

 グストの森には魔獣が出る
――つまりはそう言う話だ。

 守らなければならない。
 そこにある命を、危険に脅かされている命を、守らなければならない。

 それは至上命令であり、自分が自分であるためには、決して引いてはならない一線だ。
 例えその所為で会いたい人に会うのが遅れたとしても、いや、あの人に会いたいからこそ、背を向けてはいけないのだ。

 守らなければならない。
 そこにある命を、危険に脅かされている命を、守らなければならない。自分の身を犠牲にしても。

 では、今日もまた疾く成さねば。

 ソレはいてはならない害虫だ。ソレらはあってはならない汚物だ。
 疾く成せ。聖なる殺害の詩を歌え。躊躇いなく、容赦なく、一切合切を殺し尽くせ。

 それが正義――悪なる魔獣どもは、疾く殺害せしめなければいけない。

 この綺麗な世界に、そう、悪などは必要ない。正義の使徒が在る世界に、悪のドラゴンの眷属などがいていい場所はない。

 だから魔獣は全て、命を賭けても殺し尽くさなければならない。
 ドラゴンが決してこの世にはあってはならないように、ドラゴンを見つけたら必ず死を与えなければならないように、それは決定された正義だ。

 …………でも、どうしてだろうか? なぜ、なんだろうか?

 殺した魔獣の死骸が、まるで、自分の最期を表しているかのように見えるのは……


 

 

       ◇◆◇ 

 


 


 旅する雲を追って歩き出したら、続く草原の途中に、サクラ・ジュンタは街の案内板のような物を見つけた。


 ところどころ腐った、木で作られた立て看板である。


 矢印が二つ書かれていて、それぞれの矢印の中に、街か村の名前らしき物が書かれている。が、それをジュンタは読むことができない。この異世界では言葉こそなぜか通じるが、文字は日本語とも英語とも、地球のどの文字とも違うからである。


「う〜ん、どっちに行くべきか」


 立て看板の前には、道らしき物がある。

 道は東西に延びており、それぞれ東には森、西には山脈と、足を踏み入れるのに戸惑う景観が広がっている。


 かといって、このまま南に歩き続けるのも不安が残る。

 道もない草原は、地平線となって目の前に広がっている。このまま歩き続けても、一体どれだけ歩けば街に到着できるのかという話だ。

 旅人初心者というか、異世界初心者であるジュンタは、グラスベルト王国の商業都市ランカ以外の場所を知らないのであった。


 地理もまったく分からないので、今自分がいる場所すら分からない。

 どの大陸のどの国か、誰でも分かる自分の現在所在地がジュンタには分からなかった。

「さて、どうする? 山か、森か……」

 右を向いて左を向いて、そして悩む。

 正直どっちでもいい――ジュンタは重い荷物を背負い直し、手に持っていた布袋の片方の先を地面に付け、そのまま手を離した。


 古来より、二者択一の際用いられてきた伝統的方法である。

 布袋の中に入った鞘に入った日本刀をそのまま地面へと倒し、その先が示す方を行く道と定めるのだ。

刀の先が向く方角は斜めだったが、どちらかというと森の方角を指し示している……気がする。


「よし、決まった。森だ」

 ジュンタは布袋を拾い上げ、足先を街道に沿って東へと向ける。


 その顔は、無邪気な子供みたいに輝いていた。







 クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、朝食をごちそうになった後、調査も兼ねてグストの森を散策していた。


 鬱蒼と茂ったグストの森――
 

 近くの土地に住む人々に豊潤な実りを与える森は、陽光にキラキラと輝き、どこか幻想的な空間となっている。空気も澄み渡っており、話を聞いてなければ、とてもこの森が危険な森となっているとは思えなかった。

 春へと季節を移した今、森には新芽が芽生えている。

 それを踏みつぶさないよう気を付けて歩きながら、クーヴェルシェンはそのまま散策を続ける。


「これと言って、事件の手がかりになりそうな物はないようですね」


 静けさに満ちたグストの森に、クーヴェルシェンの声はよく反響した。


 なんだか声を出すことさえ申し訳ないと思うぐらい、森は静かだった。

 本来あるべき森に住む動物の鳴き声や、鳥の鳴き声がまったくしない。それがこの森が異常であることを指し示す、唯一の証拠と言えなくもなかった。

 散策を続けて三十分あまり。

 今自分が滞在している、グストの森の中にある小さな村――グスト村と、遥か気高い山脈への分岐点たる草原。この二つの中間地点へと、クーヴェルシェンは足を踏み入れていた。

 相も変わらず、野ウサギや野鹿などの動物は見かけない。


 神秘的ながら、変わらない木々の眺めに少々目を痛めていた頃、その場所はクーヴェルシェンの目の前に現れた。

「わぁ……」

 思わず感嘆の声が出てしまう。


 それも仕方がない。
クーヴェルシェンも少女だ。
 目の前に湖――ちょうど汗を流せそうな綺麗な湖が広がっていれば、喜ばずにはいられない。

「こんなところに、湖なんてあったんですね」


 目の前に現れた湖は、小さいながらも中々立派な湖だった。

 大きさにして、半径十メートルぐらいあるだろうか?

 お金持ちの貴族が好んで領地内に作る、人造の湖とちょうど大きさは同じくらいである。

 クーヴェルシェンが最初グストの森へと足を踏み入れたのは、グストの村を挟んで向こう側だったので、ここに湖があることは知らなかった。


 これはいい発見だと、森が危険な場所であることを頭の隅へ追いやり、クーヴェルシェンはそわそわと辺りを見回す。


 自分以外に人気はない。何の生き物の姿も、やはりない。


 幸いだと、クーヴェルシェンは恥ずかしげもなく着ていた服を脱ぎ始める。


 複雑に着重ねられた白い服が、一枚、また一枚と脱がされていく。

 クーヴェルシェンの驚くほど真っ白な肌が、服を脱ぐ過程で徐々に露わになっていった。


 やがて全ての服を――下着も含めて脱ぎ終え、服を近くの岩の上に綺麗に畳んで置く。

 靴も湖の端に揃えて並べ、それから瑞々しくも発育途上の緩やかなラインを描く身体も露わに、クーヴェルシェンは三日ぶりの水浴びに心躍らし、足からゆっくりと湖に入っていった。

「気持ちいいです〜」


 ひんやりとした水は常ならば少し冷たいぐらいだが、ここ最近働きっぱなしだったクーヴェルシェンにはとても気持ちのいい温度だった。汗が洗い流されていくのがよく分かる。

 湖は中央に行けば行くほど深くなるので、慌てずに、少しずつ中央部へと向かって歩いていく。


「あ」

 そして膝上まで水に浸かったところで、はたと思い出した。


 クーヴェルシェンは手を頭の上へと持って行き、軽く触れる。

 自分の頭髪の色である金髪の、その手触りとは違う布の手触り。大事な人からプレゼントされた大きな帽子が、頭の上に乗っかったままだった。

(いけません、帽子を脱ぎ忘れていました)


 服は全部脱いだのに、帽子を脱ぎ忘れていた。
誰の目もなかったからいいものの、誰かに見られたら、かなり恥ずかしい格好だろう……いや、裸を見られる時点で極限に恥ずかしいが。


 クーヴェルシェンはいそいそと湖から出て、先ほど服を置いた岩へと戻り、羞恥で頬を染めながら帽子を脱ぐ。
飾りをあしらった白い帽子は、服の上に置くと、服全てが隠れてしまうほど大きかった。


「よしっ、これでいいですね」


 岸へと戻ったクーヴェルシェンは、自分の長い髪を留めておいた二つの髪留めもついでということで取っておくことにした。


 サラリと金砂の髪が風に揺れ、白い裸体に散らばる。

 長い髪は腰近くまであるため、深いところまで入ったら濡れてしまうだろう。だけど『まぁ、それでもいいですね』とクーヴェルシェンは判断し、再び湖へと行く。


 冷たい湖に、今度は少し勢いよく足を踏み入れ、どんどんと中心部へと進んでいく。

 太股、腰、平らな胸まで水に浸かったところで、クーヴェルシェンは勢いよく湖の中へと潜った。

 透明な水が、肌を、顔を、髪を包んでいく。


 泳ぎが達者なクーヴェルシェンは、身長一四六センチという小柄な身長故に深くなって足が着かないところでも、余裕で水浴びを楽しむことができた。


 水の中で手と足を伸ばし、仰向けになり、湖の青さに負けない碧眼で揺れる水面を見つめる。


 大変だった数日間の緊張から一時的に解放され、心も体も洗われる気分だった。

目を細め、クーヴェルシェンは 気持ち良さそうな顔を水中で浮かべる。その姿はまるで、湖の妖精のようであった。

「ぷはっ」

 クーヴェルシェンは息が続く限り水中の風景を楽しんでから、水面に顔を出す。


 少し岸の方に寄って、足がつく場所で立ち上がる。

 肌にくっつく髪を手で払いつつ、軽く前へと垂らして纏め上げる。すると初めは帽子で、次は髪で隠れていたかわいらしい耳が露わになった。


「ん〜、やっぱり水浴びは気持ちがいいですね」

 ツンと横に伸びた耳は、人とは少し違うデザインをしていた。







       ◇◆◇







 森へと足を踏み込んで、早三十分あまり――
 ジュンタは慣れない森の中を歩くことに、少しばかり疲れを見せていた。荷物が重たいというのも疲労が激しい理由にあるだろう。

 取りあえず目的地をランカに決めた旅路は、まずは自分のいる場所を知ることから始めなければならないため、長くなるに違いない。だが、別にあまり急ぐ必要もないので、休息を入れることに何ら問題はなく、ジュンタはこの辺りで一つ休憩を取ることにした。

「さてと、森の中にいい休憩場所はないかな?」


 街道が分からなくならない程度の範囲で、休憩に相応しそうな場所を探す……といっても特に期待はしておらず、座るのに適した岩でもないか、という程度の期待で探す。


 しかしながら探している途中、静かな森の中で微かな水音が聞こえてきたため、その期待は高まることになった。


 近くに川か湖がある――そうジュンタは判断して、少し冒険ながら、街道から離れることに決めた。

 やはり故郷を捨てて異世界までやってきたのだから、それなりに冒険したい気持ちはあるのである。一応は夢見る男の子であるからして。


 耳に響く小さな水音を頼りに、ジュンタは森の奥へと入っていく。

 草木が街道の付近より延びていて歩きにくいが、手に持った布袋でかき分けながら進んでいく。

 そして木々は開け、ジュンタの眼前に綺麗な湖は現れた。

「おー、良い感じだな」


 太陽の光を反射してキラキラと光る、透き通るような水面。


 湖の周りには腰掛けるのに最適な岩が少なからずあり、視界も開けているので、水に潜っていない限り、誰かの接近に気付がないこともない。襲撃者なんて考えてはいないが、この世界には魔獣なる危険な獣がいるため、一応の用心はしておくべき点から見ても休憩場所としては最適だ。


 取りあえずそれだけを確認してから、ジュンタは喜び勇んで湖に近付いていく。


 別に水浴びとかをするつもりはないが、喉が渇いているので飲めるなら飲んでみたい。

 一応ジュンタも水を故郷の世界から持ってきているが、限りある量だ。現地調達は基本だろう。湖の水はかなりきれいで、これなら十分飲めそうである。

そんなことを考えながら歩いていくと、その途中、見かけた岩になぜか大きな帽子が置かれてあるのが目に付いた。

 …………帽子が、である。


 飾りがついた、白い大きな帽子。

 それが何となく異様な存在感を醸し出しつつ、岩にちょこんと乗っている。


 しばし呆然と帽子を見つめ続けたジュンタは、ちょっと考えてみる。

(あの岩は何かしらのお守り岩みたいなもので、帽子で飾ってある……とか?)


 自分で考えておいてあれだが、それはないだろう。


 取りあえず気になるので水を飲んだ後にでも調べてみようと思い、では早速とジュンタは湖の岸辺に荷物を下ろし、しゃがみこんで両手で水を掬う。

「お、うまい」


 冷たい水は、思っていたよりずっと口当たりもよく、おいしかった。


 喉も渇いていたのでもう一口飲もうと、再び水を掬おうとした――――その時である。

――へ?」


 綺麗な、まるで湖の妖精のような、そんな少女を目の当たりにしたのは。

 小さな水しぶきを上げながら、突如水中から現れた金髪碧眼の少女。

 年齢は恐らく十一、二といったところ。少し垂れ目気味な大きな青い瞳に、長く伸びたストレートの金髪。綺麗というよりはかわいいと称す方が上手く言い表せる、とてもかわいらしい少女である。


 正確な年齢はジュンタには分からなかったが、少し発育が遅いと思われる身体には、何一つとして衣服を纏っていない。普通に考えて、彼女は水浴びをしていたのだから、服を着ていないのは当然なのだが…………思わず彼女をリトルマザーの同類かと思ってしまった。

まぁ、それはともかくとして、ジュンタは物の見事に硬直していた。

あまりにいきなり少女が現れたので、状況把握する思考こそ動くものの、身体が動かないのである。

水滴や髪の毛を肌にくっつけた少女の裸体は、色気こそないが魅力は十分ある。劣情こそ抱かなかったが、やはり見ていると恥ずかしさが湧き上がってくる。

「髪も洗いましょうか……」


 浅瀬へと近付いてくる少女は、自分の髪へと視線を注いでいるため、どうやらこちらには気付いていないようだった。浅くなっていくため、どんどんと露わになっている肌の白さを隠そうともしない。

「う、あ……」

 水面が少女の腰元まで落ちてきた辺りで、ジュンタはようやく身体を動かすことが出来た。まずしたことは、少女から目を逸らすことである。


(なんだかよく分からないが、とてもまずい気がする)


 少女から視線を外したことで少しばかり冷静さを取り戻したジュンタは、背中を流れる嫌な汗に口元を引き攣らせる。


――――――え?」


 ついにというか、ようやくというか、ジュンタの耳に少女の素っ頓狂な声が届いてきた。

 視線をそろりと少女に向けると、彼女が驚きに目を見開き、呆然と湖の中で突っ立っているのが見えた。


 二人の視線が交差する。

 ジュンタは精一杯の努力として、わざとじゃないことを明確にするため、愛想笑いを浮かべて少女に話しかけようとする。


「あの、俺は別に覗こうとしたわけじゃ――



 ――――ヒュン、と頬を何かが掠めて飛んでいった。



 浅く擦過した何かの所為で、頬が切れた。

 タラリと頬に熱い血が垂れたことに気付き、ジュンタは笑みを硬直させ、言葉を見失う。

 …………かつて、これに似た状況が、あった……


 デジャヴじゃない。明確な、その時の再現が今、眼前で行われようとしている。


 目を潤ませ、片手で胸を隠し、首まで真っ赤にして……そして指先を向けてくる少女。

 そんな裸の少女を前にして、呆然としている、どこをどう見ても覗きにしか見えない自分。

(ああ、こりゃダメだ)

 ジュンタはこの後の自分の運命を悟り、言い訳を並べることを諦め、せめて命は助かるようにと祈ることにした。


 名も知れぬ少女は、その指先に白い光を灯らせる。


 それはさきほど凍てつく礫を、ジュンタへとノンタイムで撃った魔法の光――魔法陣と呼ばれる構成式が少女の指先で構成された際、輝いた白い魔法光。

「あ、あわわっ」

 混乱をしている少女が、暴走したまま、口を大きく開く。

 ジュンタは両手を心臓と顔の前に出し、次の瞬間に来る攻撃に備える。


 そして目をグルグル回した少女の指先で、白い魔法陣が弾けた。


「きゃぁああああああぁッ!!」


「のわぁああああああぁッ!!」

 ジュンタが最後に見た光景は、大きな氷の礫が自分に向かって猛スピードで突っ込んでくるのと、その衝撃で湖の水が弾け飛び、完全に身体が露わになった少女の艶姿だった。


 瞬く間に消えていく意識の中、ジュンタは少女の姿を瞼に焼き付けたまま、後ろに倒れ込む――
その刹那に、ジュンタは今見た少女の姿に一つの疑問を抱いた。


(……あれ、なんで、耳の形が、違う――?)






       ◇◆◇







 ひんやりとした、冷たくも柔らかな感触を額に感じ、ジュンタは目を覚ます。


 眼鏡は外されているが黒色のカラーコンタクトレンズはそのままらしく、目を開けた途端に瞳に少しばかりの違和感を感じた。


 そしてその少しぼんやりとした視界の中、まずジュンタの目に飛び込んできたのは、とても愛らしい少女の顔だった。

 幼い風貌は、数年後の美貌を感じさせる、整った顔をしている。


 首の後ろあたりで二つに髪留めで纏め、そのまま背中に流されている金髪はとても手触りが良さそうである。白い服はかなり複雑な着方がされていて、半分だけのケープのように左側の肩を隠しており、腰の方にも似たような白い布が付けられている。

 こちらが起きたことに気が付いたらしい彼女は、碧眼を心配そうに歪め、額に当てていた自分の手をどかした。


 …………どこかで見たことがある少女である。


 どこかで見た。絶対見た。それは分かる…………が、一体どこで見たか?


 起き抜けの頭でそれを考えていると、先に少女の方から声をかけてきた。


「あの、大丈夫ですか?」


「大丈夫……?」


 そう言えば、どうして自分はベッドに寝かされているのだろうか?


(あ、そういえば……)


 ジュンタは自分がベッドの上で目を覚ました理由と、そして目の前の少女が誰であるか、その二つを同時に思い出した。

 森の中、水浴びをしていた少女が、目の前の名も知れぬ少女だ。自分が眠っていたのは、羞恥で暴走した少女に魔法で昏倒させられたからである。

 そこまで思い出して、ジュンタは急に少女と目を合わせているのが気恥ずかしくなった。偶然の結果ではあるが、少女の裸を見てしまったわけだから。


「その、ごめん……」


 服を着て落ち着いたらしい少女に、ジュンタは謝ることにした。


 きょとんとする彼女に対し、傷む身体を起こし頭を下げる。


「わざとじゃない。わざとじゃないが……ごめん。その、覗いちゃって」


「あぅ……」


 少女も裸を見られたことを思い出したのか、頬を赤く染め、ヘタリとその長い耳を少し垂れ下がらせた。

(やっぱこの子、耳が普通の人より長い)


 普通の人より長い少女の耳。かなり気になるが、今は謝ることに集中する。


「ほんと、悪い。ごめんな」

「そ、そんなっ、頭を上げてくださいっ!」


 恥ずかしそうにしていた少女が、慌ててジュンタの頭を起こそうとする。


「あ、あなたは何も悪くありません! 悪いのは私の方です! 勝手に勘違いをして、魔法をぶつけて怪我をさせて…………最低です。本当に、すみませんでしたっ」


 目の端に涙を浮かばせて、少女は勢いよく頭を下げた。

その拍子に帽子が床に落ち、少女は慌てて帽子を拾って、胸に抱いて頭を下げ続ける。

「え、え〜と」


 謝っていたのに、今はなぜか謝られている。そのことにジュンタは戸惑いの声をあげた。

どうやら彼女には、自分が覗きを故意にしたわけじゃないことが分かっているらしい。それでいて、魔法なんかで昏倒させてしまったことを詫びているのである。


 ジュンタは自分の身体を見る。
白いカッターシャツの下、清潔な白い包帯が巻かれているのが分かった。


 身体を動かせば少し痛みが走った。傷はそれほどないが、どうやら打ち身はかなり酷いようである。


(まぁ、あんな大きな氷塊をぶつけられたらな〜)

 下手に頭に命中していたら、それこそ命がなかったかもしれない。何気にピンチだった自分の状況に、ジュンタは冷や汗を一粒垂らした。


 しかしだからと言って、加害者である少女を責めることは憚られる。

 本当に申し訳なさそうに頭を下げているし、彼女だって故意にやったわけではないだろう。自分の裸を見られ、混乱して、ついやってしまったに過ぎないのだ…………そのついでこちらは死にかけたわけだが。


「ほら、そんな頭を下げないでくれ。痛み分け……じゃなくて、喧嘩両成敗ということで」

「でも私は――


「でもじゃない。本当に大丈夫だから」


 軽く頭を上げ、上目遣いでこちらを見てくる少女は、なんだか守ってあげたいオーラを発している。涙目でそんな風に見られたら、とてもじゃないが怒れやしない。


 例え事故とはいえ裸を見られたことには憤って当然なのだから、謝ってくれただけでお詫びとしては十分だ。本当に、報復宣告を嬉々してやらないだけで、ジュンタとしてはもう十分も十分だった。


「気にしないでくれ。覗いちゃったことは本当だし……うん、全然気にしないでくれ」


 むしろ忘れて欲しい。覗きをした事実は雲の彼方に忘れ去って欲しい。本音を言えば、どこかの誰かさんのようになかったことにして欲しい。


「でも…………いえ、分かりました」


 あまり謝る方が悪いと思ったのか、少女は頭を上げた。

 表情は少し曇った、申し訳なさそうなものだったが、それでも出来るだけ明るくしようと少女は笑う。花瓶に入った花のつぼみが、そっと花開くような謙虚な笑みだった。


 その性格の良さが伝わってくる笑みをみると、庇護欲というか、なんというか……ちょっぴり危ない気持ちが溢れてきそうになってしまう。


 この少女はまずい。色々な意味でまずい、とジュンタは直感的に悟った。

「あ、でも、私に何かできることがあったら、何でも言ってください。私にできることならなんでもします!」


「なんでもって……そ、そんなこと、気軽に女の子が言っちゃはいけません!」


「え? どうしてですか?」


「どうしてってそれは…………誤解が。とんでもない誤解が、生まれるかもしれないわけで…………というか何を言ってるんだ俺は?」


 不思議そうな顔で見つめてくる少女から視線を逸らし、ジュンタは一度大きく深呼吸をする。


 ペースが掴めない。リトルマザーとは違った意味で、この子は無垢で純真過ぎる。


 そんな彼女の裸を見てしまったことに、今更ながら罪悪感がふつふつと湧いてくる。
涙目になった少女の顔が思い出されて……なんだかこの世の全てに謝りたくなってきた。

「どうかしましたか?」

「いえ、なんでもありませんよアハハハハ。ところで、ここどこなんだ? 君の家?」


 渇いた笑い声で誤魔化したジュンタは、さらに話題を変えることで誤魔化そうとする。

 内心では一応気になっていたことなので、少女も特に不思議に思わず話題転換に乗ってくれた。


「ここはグストの村の教会です。私の家ではないんですけど、一応今は間借りをさせて頂いています」

「グストの村?」


「はい。グストの村です」


「そう、グストの村か……」


「そうです。グストの村ですよ」


 子気味よい返事を返してくれる少女には悪いのだが
――――そこどこですか?


「ええと、グストの村はどこの国に属すんだっけ?」

「国ですと、ここはグラスベルト王国領になりますけど」


「あ、ここってグラスベルト王国なんだ」


 どうやらここは神聖大陸エンシェルトの小国――グラスベルト王国にあるグストの村と言うらしい。森の中で倒れた自分を、目の前の少女が運んできてくれたのだろう。


「と、そう言えば、まだ名前訊いてなかったな。俺は佐倉純太……じゃなくて、ジュンタ・サクラって言うんだけど、君は?」

「あ、すみません。自己紹介が遅れました。

 私はクーヴェルシェン・リアーシラミリィと言います。その、長いので、もしよろしければクーと呼んでください」


「分かった。じゃあ、クー。俺も好きなように呼んでくれて良いから」


「はい。分かりました、ジュンタさん」


 ニコリと笑った少女クーヴェルシェン・リアーシラミリィ――ではなくクーは、それから心配そうに顔を覗き込んできた。


「あの、つかぬことをお尋ねますが……もしかして、記憶喪失なんてことにはなってないですよね?」

 いきなりな質問に、ジュンタはベッドの上に座り込んだまま首を横に振る。記憶喪失なんてなってない。ちゃんと、全ての記憶を思い返すことが出来る。


「どうして俺が記憶喪失だと思ったんだ?」


「ここがグラスベルト王国のグストの村だってことは、グストの森に入ってきた方なら、大体は知っているはずなので。もしかしたら、そう言った知識をジュンタさんが忘れてしまっているのかと……かなりの衝撃を与えてしまいましたし」


「そ、そうなんだ……」

 使った本人でも心配するような魔法だったのかと、ジュンタは笑みを引き攣らせる。引き攣らせてばっかりだ。


「でも大丈夫だよ。俺はあてもなく適当に旅をしてたから、今自分がどこにいるとか、そういうのが良く分かってなかっただけだから」

「そうなんですか……よかったです」


 ほっと胸を撫で下ろしたクーを見て、気を付けなければと思い直す。


 この異世界は、ジュンタにとっては知らないことだらけだ。

 常識も、自分の中の常識とは合致しないこともあるだろう。今みたいに自分がいる国も分からないという発言は、出来るだけ控えた方が良いのかも知れない。


 今回が心優しいクーだったからいいものの、これが危険な相手だったら怪しい奴だと思われても仕方がない。

 いっそう気を引き締めて、ジュンタはこの世界で生きていくことを決意した――と、力んでしまったからか、その時石造りの部屋に、グ〜〜と言う音が響き渡った。

「…………」

 思わず沈黙してしまっていると、クーが笑顔で訊いてきた。


「もしよろしければ、料理、私にごちそうさせてください」


 その申し出を断る謙虚さを、ジュンタは持ち合わせてはいなかった。






◇◆◇

 





 グストの村は、グラスベルト王国にある農村の一つとして数えられている。


 グストの森の中にあるグストの村は、他の村との交流こそ少ないが、そこそこ豊かな村である……あくまで農村の範疇のことではあるが。

 森の恵みと林業によって、飢えることのない生活。

 四季の移ろいに素朴ながら、幸せに生きている百数名あまりの村民たち。
 新鮮な森の空気に包まれ生まれ育った彼らは、クー曰く本当に優しい人たちなのだと言う。

 この異世界へと辿り着いたのが朝の八時程度だとすると、そんなグストの村で五時間あまり眠り続けていたことになる。
 よって今の時刻は昼食をいくらか過ぎた午後二時――少し遅い昼食に、ジュンタは今ありつこうとしていた。


 グストの村にはレストランなどはないようで、昼食を食べることになったのは、気絶されて運ばれた教会の広間だった。

 白石で作られた天井の高い部屋。真ん中には大きな木のテーブルがあり、周りには十ばかりの椅子が置かれている。

大陸宗教である聖神教のシンボル――天馬のレリーフが飾られた壁と、派手さこそないものの、ジュンタからしてみれば見慣れない雰囲気を醸し出した、大広間である。

「悪いな、クー。料理を奢って貰っちゃって」


 目の前のテーブルに置かれた、山の恵みが豊富に使われた食事を見て、ジュンタは隣に腰掛けるクーに改めてお礼を述べる。


 彼女は少し照れた様子を見せて、


「いえ、気になさらないでください。私がしたことに比べたら、ほんの些細なお礼ですから。それに用意なさってくれたのは教会の神父様ですし…………あれ? 私、ジュンタさんにごちそうしていないような……」


「さ、さぁ、食べようかな! ほら、クーも昼食食べてないんだろ? 一緒に食べよう!」

 気付いてはいけないことに気付きそうになってしまったクーを見て、慌ててジュンタはフォークを握る。


 そのままいつもみたく手を合わせようとして、ハッと気付いてクーへと視線を向ける。


「偉大なる我らが神と、我らを導きし使徒様。

今日も生きる糧を与えてくださったことに感謝いたします」

 彼女は目を閉じ、両手を握り、小さな声で食前のお祈りをしていた。それはジュンタの故郷の『いただきます』と同じ意味合いを持っているお祈りだった。


「え、えぇと、偉大なる我らが神と、我らを導きし使徒様……って使徒かよ。あっと、今日も生きる糧を与えてくださったことに感謝いたします」

 ジュンタも手を握り、見よう見まねで食前のお祈りなど捧げてみる。

 これはきっと聖職者オンリーのお祈りではないだろう。

 思い出してみれば、かつてランカの街にいた時も、一緒に食事を食べた人たちが同じことをしていた気がする……してなかった奴もいた気がするけど。


 クーもジュンタのお祈りに違和感を感じている様子はなく、瞼を開き、行儀良く背筋を伸ばしてフォークを手に取った。


 ジュンタも握っていた手を解き、


(いただきます)


 心の中でやっぱり手を合わせ、そして食事を食べ始めた。


「うん、うまい」

 以前にも思ったことだが、異世界の料理は日本人であるジュンタの舌によくあった。ほとんど変わらない食材で作られているというのもあるだろうが、非常に美味である。


 山菜のサラダにキノコのステーキ。クリーム味のスープに、何かの肉の香草焼き。それとパン。籠に入った色とりどりのフルーツの中には、ジュンタが見たこともない種類も含まれていた。


 空きっ腹に、どんどんとジュンタは食事を入れていく。


 それをクーが楽しそうに見ていた。


「そう言えば――

 食事を瞬く間に終え、フルーツに手を伸ばした頃、ジュンタは今気付いたと言わんばかりに口を開き、未だパンを小さく千切り、まるでリスのように食べているクーに質問をぶつけた。


――教会に滞在してるってことは、クーは聖神教の関係者なのか?」


「えと、それは難しい質問ですね」


 コクンと口の中の物を飲み込んでから、クーが神妙な顔つきで言う。


「確かに育った場所は聖地ラグナアーツでしたし、一応は教会でずっと過ごしてきましたが……実際にそうだったかと聞かれると、少し違う気もします」


「というと……?」


「おじいちゃんが聖神教の関係者だったんです。だから、私も聖地でおじいちゃんのお手伝いをしていたんですけど、何かしらの役職に就いていたわけではありませんので。関係者と言えば、関係者で間違いないんですけど、ちょっとややこしいです」


「なるほど。……ん? でも、じゃあどうしてクーはこの村にいるんだ? 聖地ラグナアーツっていうと、グラスベルト王国とは違う場所だろ?」


 聖神教の聖地であるラグナアーツという場所は、確かグラスベルト王国より大陸の中心部に近いところにあると聞いた気がする。このグストの村にいるのは少しばかりおかしいなことである。


「その、実は私、昨年の秋より旅をしていまして。この村に寄ったのも、その旅の途中に偶然立ち寄っただけなんです」


「旅を? 一人で?」

「はい、初めての一人旅です。ジュンタさんと一緒ですね」


 そんななんでもない共通点を、とても喜ばしいことのようにクーは思ってくれているようだった。まだ幼いながら一人旅をしていることは、彼女にとっては特別なことなのかも知れない。


「そっか……」


 ジュンタは旅人としての先輩に出会って、ふと色々と訊いてみたい衝動に駆られた。というより、一つのことがもの凄く気になった。


 しかし好奇心は猫をも殺すという。

 興味本位でこの質問をぶつけてみることにより、クーの笑顔が曇ってしまうかもしれない。彼女にとって旅は特別な意味合いを持つらしいので、そんなことはないと思うが。

 悩むこと数秒――――ジュンタは好奇心に負けた。

「これは言いにくいことなら言わなくてもいいんだけど……」

「はい、なんですか?」


 ジュンタはクーの青い瞳を真っ直ぐ見て、


「クーの、その、旅の目的ってなんなんだ?」


「私の旅の目的、ですか?」


 クーが自分の中で反芻させるように尋ね返してくる。頷き返すと、彼女は少し俯き加減になってしまった。


(やっぱり、訊いちゃまずかったことなのか?)


 落ち込んでしまった様子のクーを見て、ジュンタはそんな風に考える。


 旅に出るのが自主的か、それとも必要に駆られたかで、今の質問は百八十度相手に与える衝撃が違うだろう。クーの場合は後者だっのか、慌ててフォローを入れようとして……その時彼女の長い耳が真っ赤に染まっていることに気が付いた。

 どうやら、別に落ち込んでいるわけではないらしい――というよりも、クーはもの凄く照れているようだ。

 耳まで真っ赤にして、上気した顔を見られないようにと俯いている。

 小さな手を両頬に当て、まるで熱に浮かされたようにぼうっとしている。


「もしもし? あの、クーヴェルシェンさん?」

 声をかけても反応を見せない。まるで恋する乙女のように、ぼんやりとしているだけである。

そこからジュンタは推測して、それを口に出して述べてみた。


「なんだ? クーの旅の目的って、想い人でも探してるのか?」


「え、ええええっ!」


 反応を見せなかったクーが、想い人という言葉に顕著に反応を示して大声を上げた。


 バッとクーは真っ赤になった顔でジュンタを見て、両手と首を大きく左右に振る。


「そ、そんな、想い人なんて恐れ多いです! 私はただ、従者として出会えるようにと、それだけの気持ちでなんです! 違うんです! いえ、好きじゃないというわけではなくてですね、そもそも身分が違いすぎると言いますか、私なんかじゃ到底釣り合わないと言いますかっ!」


「あー、ゴメン。何か押してはいけないスイッチを押しちゃったみたいだな」

「ほ、ほほほ本当に違いますから! 想い人ではなくてですね。その、そのぅ……」


 再び照れて顔を俯かせてしまったクーはそう言うも、とてもじゃないが信じられない。クーの態度は、紛れもなく図星を言い当てられた時の態度だった。


 ジュンタは表面上は笑みを浮かべ、テーブルの下で握り拳を作る。


 まるで妹に彼氏ができた兄のような心境で、娘が婚約者を連れてきた父親のような心境で、


(羨ましすぎるぞ、そいつ!)


 こんな良い子でかわいらしいクーに想われている誰かに、本気で呪いの念を送った。

 別に彼女に恋愛感情を持っている訳じゃないが、一男子として、かわいい女の子に思われているモテ男は憎悪の対象なのである。ええ、どうせ振られましたよ、自分は――と、ジュンタは暗い笑顔を浮かべた。


 カラッカラに渇いた笑い声を浮かべ、やけくそ気味にフルーツを齧る。

 リンゴに似たフルーツはとても瑞々しく、甘く、ジュンタはすぐに幸せな気持ちになる。

 そこへ、顔を俯かせていたクーが小さく言葉を発した。


「…………実は、探している人には一度もお会いしたことがないんです」


「え?」


 驚いて、ジュンタはクーに視線を向ける。


 照れて俯いていると思っていた少女は、いつの間にか不安そうに表情を曇らせていた。長い耳が、タラリと垂れ下がっている。


「クー?」


 小さな肩が、小刻みに震えている。まるで見えない恐怖に怯えているように。

 その理由を察しようとして、ジュンタは先程のクーの言葉を頭の中で繰り返す。


(……まだ、探し人に一度も会ったことがない? それって、想い人に会ったことがないってことだよな。でも……)

 先程のクーの表情は、確かにその探し人に恋している表情だった。


 かつての知り合いじゃない。会ったことがある誰かじゃなく、クーが探している人は会ったこともない誰かだというのか? そしてクーは、その会ったこともない誰かに恋をしている……

「見つかりません。もう、半年近くになります。旅をして、それでもまだ見つかりません……」


 会ったこともない人を探している。

 会ったこともない人に恋している。

 会ったこともない人に、まだ会うことができない。


(……意味が分からない。どういうことなんだ?)


 クーが表情を曇らせているのは、探し人が見つからないからだろう。それは分かる。それは分かるが、どうして会ったこともない人を彼女が探しているのか、それが分からない。


 だがとにかく、目の前で悲しんでいる人がいるのだから、自分のするべきことは決まり切っていた。


「まぁ、取りあえず、事情は分からないけど、大丈夫じゃないかな?」


「え?」


 クーが顔を上げる。彼女が被った大きな帽子に、ジュンタは手を置く。


「上手く言えないけど、クーならその誰かに会えるんじゃないか? 根拠はないけど、俺はなんだかそう思うな」


「そう……でしょうか?」


「ああ、間違いない。よく分からんが、そんな気がそこはかとなくする」


 ポンポンと、優しく頭を叩いてやると、クーは笑みを取り戻してくれた。


「すみません。突然変なことを言ってしまいました」

「別にいいさ。ずっと一人で旅してきたなら、中々愚痴や不安なことも言える相手がいなかっただろうしな」

 旅をしている最中だけと言っても、独りでいることはきっと辛いことだっただろう。


 クーみたいなまだ幼い少女では、それは顕著に表れるに違いない。まだ出会ったばかりの少女が、そんな風にジュンタには見えた。


 クー
その笑顔を見て、ジュンタは自分の中に芽生えた気持ちがなんであるか悟る。


(妹がいたら、こんな感じなのかもな)


 クーの笑顔を見てそんな風に思った。そんな風に思って、気恥ずかしくなったジュンタはリンゴのような果物を齧る。


「…………あの方が、ジュンタさんみたいな方だったら嬉しいんですけど……」


 小さく呟いたクーの声は、ジュンタが果物を齧った音に遮られ、誰に届くこともなく消えていった。









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