第十二話  稲妻の切っ先





 大地に足跡を刻んだと思ったら、その切っ先はすでにオーガの身体を貫いていた。


 まさしく雷――大地を駆け抜けた虹色の稲妻は、盛大な音を轟かせてオーガに突き刺さったのだ。

 先程仲間だった教団員をウェイトンが反転させて生み出したために、自然のものより弱くなっているとはいえ、固く頑丈なオーガの赤銅色の肌を難なく焼き貫いて、三体の内一体を上半身と下半身とで腰から断ち切ってしまった。それを横目で見て、グリアーは正直ぞっとした。


 森の中で遭遇したジュンタ・サクラとかいった少年を、正直グリアーは舐めていた。

 

 情報でも、偶然に森にやってきただけの旅人で、ゴブリンとの戦いの中でも大した活躍はしていない。旅人として、水準より少し上の戦闘能力しか有していない少年のはずだった。

 しかし、現実はどうだ?


 頬を撫で付ける、熱い風。

 鼻につく、肉が焦げる香ばしい臭い。


 異様な虹色の魔力を、剣はおろか身体に纏わせてオーガに特攻してきたジュンタは、今オーガの背後にあった木々を薙ぎ倒し、数十メートル行った先で身を起こしている。先程よりは衰えたといっても、身体に纏った魔力は健在だ。


(こいつ、本当に人間?)

 グリアーは魔法使いとして、今の一撃に込められた魔力量と威力に驚愕した。だが、それ以上に驚いたのは、彼の取った魔法行使の方法の方である。


 そう、今の攻撃は魔法に近い。


 魔力を彼の魔法属性である『雷』に変化させ、それを詠唱も魔法陣もなく、膨大な魔力を無理矢理動かすことによって可能とさせた、強引極まりない魔法とも呼べない魔法行使。

 身体に雷を纏い、剣の切っ先を鋭く磨き、身体の機能を麻痺させて特攻する――そんな攻撃、普通の魔法使いなら絶対にしない。


 その攻撃には多くの問題がある。

 例えばそれは消費魔力の甚大さだとか、一歩間違えば暴発するだとか、命中精度の甘さに、肉体を酷使するために起きる後日の弊害だとか……色々だ。特に身体に魔力を流し、肉体機能を麻痺させて大幅に向上させるやり方は、後々に多大な後遺症を残ることが多い。


 もしこの場が戦場であり、周りを敵に囲まれ、行使者が後のない状況なら致し方がないだろう。

残った魔力を総動員し、後のことなど関係ないと背水の陣で特攻する。なるほど、大した成果を発揮するはずだ。例え後々に後遺症が残ろうとも生き残れるかも知れないのだから、その行使に悪い部分などはない。

 グリアーも風の噂で、そのような効力のある魔法の存在を知っていた。確かその名を――

「[稲妻の切っ先(サンダーボルト)――戦場の終わりに煌めく、命の稲妻」

「そうか、これは[稲妻の切っ先(サンダーボルト)
]っていうのか。なんだ、いい名前じゃないか」

 荒い息を吐きつつ、負荷に耐えて、ジュンタが立ち上がってみせた。

 魔法属性・雷の系統――稲妻の切っ先(サンダーボルト)
 
 珍しい雷の魔法属性と『加速』の魔力性質を合わせ持つ魔法使いにのみ許された、命を燃やす必殺奥義。

 戦場においては多大な効力を発揮する魔法も、しかしこの場で選択するのは愚かしいこと極まりない。よしんばこの場を勝利したとしても、残った人生を半身不随で過ごしたりと、人間としての大事な機能に障害が出るのを覚悟してまで使う必要はない。その覚悟あるなら、必死に逃げるべきだ。

 だからこそ、そんな攻撃をジュンタ・サクラが仕掛けてきたことにグリアーは背筋を震わさずにはいられない。

稲妻の切っ先(サンダーボルト)]は、自分を省みることができない状況になって、ようやく使うべき自爆攻撃だってのに。でも……自分の身を顧みない狂人ほど、恐ろしいものはない。いや、落ち着こう。二度目はない。あの魔力消費じゃ、二発も――

 じきに魔力がなくなりジュンタは倒れる。もしかしたら、魔力不足で息絶えるかもしれない。魔力は生命力だ。完全なる消費は死を意味する…………はずなのに。


 ――再び、グストの森に雷鳴が轟く。



 大地を駆ける虹色の稲妻。

 

 突進の最中に暴発する魔力により、ジグザクに駆ける姿はまさしく稲妻を表す。

 雷鳴のすぐ後に輝く稲妻は、グリアーの横を恐ろしいスピードで通り過ぎ、大地に突き刺さって辺りの木々をなぎ倒した。


「……」

 掠ってもいない。掠ってもいないのに、その余波だけで肌が鳥肌立った。

 

 喰らえばオーガのように一溜まりもない。直撃すれば、人間など余裕で貫く。それこそドラゴンの息吹のように、それは避けられない結果を招くことだろう。


「ありえない。魔力が続くはずがない」

 二度響いた雷鳴に、グリアーは思考を混乱させる。


 グリアーの見立てでは、二発も行使できる魔力はジュンタにはないはずだった。

一撃に並の魔法使い一人分以上の魔力が込められていたのだ。つまり二度攻撃を行った彼は、魔法使い二人分の魔力を有していることになる。

そんなに魔力があれば、遠くからでも気配が分かる。けれど、グリアーはジュンタからまったく魔力を感じなかった。常人並の魔力も、だ。

今思い返してみれば、そもそもそれがおかしいのだが。

彼には一度だってあんな攻撃を放てないはずだった。だけど、クーヴェルシェン・リアーシラミリィを背に庇い、剣を構えた瞬間、一瞬にして魔力が膨れあがった。

確かに高位の魔法使いともなれば、魔力を自由に抑えることは可能だ。だとするならば、彼は……

――ッ!」


 三度目の雷鳴。続いて上がる、オーガの悲鳴。

 見れば、残った二体のオーガの内片方の腕が、肩の辺りから消失していた。切断ではない。推進力に焼き焦がされ、捻りきられたかのようになくなっている。


「オォオオオオオオッ!」

 オーガの悲鳴は怒号にも似て、魔獣の本能は度し難い敵に憤怒を抱いている。

 

 殺したい、という明確な意思。殺気を放つオーガを見て、グリアーはようやくこの状況に冷静になることができた。

(なるほど、ヤシューが特別視してたのも頷ける話のようね)


 相手の正しい情報もなく、正しい戦力分析ができないのなら、過小評価よりも過大評価の方がいい。

(彼の魔力量は高位の魔法使い。いや、もしかしたらそれよりも上と考えた方がいいかも知れない)

 基本、魔力量というのは基準というものがある。魔力量で魔法使いの全てを決めるとは言えないが、やはり魔力量が多い方が優秀と見られる。

魔法使いと呼ばれる人間は、普通の人間が持つ魔力の百倍以上の魔力を有す。その中で、高位の魔法使いともなれば千倍以上だ。

 さらに言えば、長寿で高い魔法の腕を持つエルフなどは常人の千倍。凄腕ともなると万倍近い魔力量を持つ。並の魔法使いの百倍、高位の魔法使いの十倍だ。あのクーヴェルシェン・リアーシラミリィも、その位の魔力量を持っている。


 もちろんエルフ以上に魔力を持つ、使徒やドラゴンなんて化け物もいるが、あれは比較に出す方がおかしい。常人の百万倍以上なんて、次元違いも甚だしい。

 取りあえず、グリアーはジュンタの魔力量を高位魔法使いレベルと想定する。

 一撃の威力に込められた魔力が並の魔法使い並なら、十発近くは放てると計算しておく。
 普通は数発で肉体が限界を迎えるのだが、あの様子ではそう見立てておいても間違いはない。


(制御はまったくできていない。狙った場所に攻撃の照準を合わせられないなら、こっちは向こうの消耗を待てばいい。当たらなければ、どんなに強くても怖くない)


 グリアーは身体に魔力を流していく。

 風の力が肉体に満ち、ふわりと他人から気付かれない程度に宙に浮きあがった。

 この状態なら、もし仮に稲妻が向かってきても、避けられるはずである。

 オーガたちは、まぁしょうがない。対魔獣用ならば、ジュンタの特攻は多大な成果を発揮する。あの図体のでかさだ。曖昧な照準でも、五割近くの確率で命中するだろう。別に愛着もなければ本当は使うつもりもなかった。組織としても切り捨てられた駒だ。捨て置いても構わない。

(時間をかけても。倒して、ターゲットを捕獲してすぐに逃げれば問題はない)

 グリアーは足先に緑の風を巻き起こし、遠目で煌めく虹色の光を見る。

「さぁ、稲妻坊や。この私を捉えられるかしら?」


 舌なめずりをして、ゾクゾクする戦いに血を滾らせる。

次の瞬間――瞬きをした間に、四度目の雷鳴が森に轟いた。






       ◇◆◇







(くっ、当たら、ない!)

 四度目の攻撃。その攻撃が、敵に対して傷を付けることはなかった。

 一直線にオーガ目掛けて向かったというのに、途中に魔力の流れが歪み、見当違いの方へと寄って行ってしまったのだ。


 オーガたちの代わりに森の木々を切り裂き焼いて、ジュンタはようやく止まる。


「はぁ、はぁ……くそっ! どうして制御できないんだ」

 虹色の雷を纏った剣を持ち上げ、切っ先を真っ直ぐ、オーガたちへと向ける。


 そのまま、足の裏に意識を集中し、踏み込んで大きく前に踏み出す。そしてそのまま、一気に加速に入っていく。

 まるで身体を包む虹色の魔力に、溶け込んだかのような錯覚。

 掴んだ剣と腕が同化して、世界がゆっくりとなるような錯覚。

 脳が痺れて、全てがぐちゃぐちゃにかき乱されるような錯覚。

 三つの錯覚を身体と心に刻みつけ、内から湧き上がる魔力を噴き上げて、ジュンタは五度目の稲妻と化す。
もの凄い負荷が身体にかかると共に、進行方向に莫大な力が生み出された。

 

 バチリバチリと身体を至るところで火花が散り、肌に幾つも裂傷を刻む。
 だがそれは同時に、本来あるはずの痛みをも打ち消して、肉体を限界の限界――さらにその先へと無理矢理に引っ張り込んでいく。

 不可能を可能とする力。正常を異常と変える力。現実を神秘で染め上げる力。

 それが魔法であり、この[
稲妻の切っ先(サンダーボルト)]という、グリアーが名を教えてくれた攻撃だ。


 雷鳴を轟かせ、身体ごと雷の奔流と変える魔法は、そのまま真っ直ぐオーガたちへと突き進む。

(真っ直ぐに、行けっ!)


 五度目の魔法行使により、ジュンタは何となく、無意識下で行使している魔法の特性を理解していた。

 知覚した魔力の全てを強引に雷の力に変換し、身体全てを包みこませる。そして雷に指向性を与え、一気に加速して敵にぶち当たる。単純かつ強引にして、豪快な一撃だ。魔法というよりかは肉弾戦玉砕覚悟の一発勝負に近い。

 現にジュンタの身体はすでにボロボロ、瀕死状態もいいところだった。

 初見でクーから受けた傷。ヤシューとの戦いで負った傷。弾けた雷がつける傷。それらが魔法の負荷に耐えきれずに傷口を広げている。骨だって、罅でも入っているかも知れない。

 でも幸いに……いや、不幸にもか。ジュンタの痛覚はすでに麻痺していた。

 稲妻の如きスピードで特攻する[稲妻の切っ先(サンダーボルト)]を扱うため、身体は一時的にその機能を大幅に強化されているようだ。脳内パルスを雷が狂わせ、リミッターが外れ、肉体を限界以上の状況まで使わせているのである。


 保有していた、人の枠組みを超越した使徒の圧倒的な魔力量は、強引にでも[稲妻の切っ先(サンダーボルト)]の魔法を完成させてしまっている。理論も何も知らないのに、だ。恐らく厳密な意味で、これは魔法ではないのだろうが、それでも使える力を手に入れたのには変わりない。

 手に入れた戦う力は、使うごとに肉体を破壊する、まさしく『必殺』であることが条件とされる魔法であったわけだけど……

 必殺限定の魔法を五度という特攻根性。
 
 初めて意図的に扱う魔力――この身が使徒でなければ、果たしてどうなっていたか。普通に考えれば、すでに死んでいてもおかしくなさそうだ。なんて恐ろしい。

 ――だが、それでも止まるわけにはいかなかった。

 雷となって突き進むジュンタの身体から、赤い鮮血が飛び散る。それを糧として、魔力はさらなる猛りを生む。高位魔法使いなど目じゃない、エルフなど目じゃない、使徒としての魔力が、際限なくジュンタに供給されていく。


 加速。加速。加速。
ただ速く、鋭く、強く、ジュンタは加速していく。


 稲妻の切っ先は雷気を生み、虹色の閃光となって大地を駆け抜ける。

 一度目はオーガ一体を。二度目は外れ、三度目はオーガの手を一本持っていった。四度目はまったく見当違いのルートを通り、そして今回の五度目。


(このまま、真っ直ぐに――

 虹色の稲妻は数回ルートを外れたが、強引に方向を変えて、ジグザクにオーガたちへと突き進んでいった。


――貫けぇぇぇええぃいいいあ、止まれ止まれ止まれ止まれッ!!)

 雷が閃く。

 雷が迸る。


 地面を焼き焦がしながら突き進む稲妻は、薄い笑みを浮かべて立つグリアーへと迫る角度。オーガを狙っていたジュンタは必死に攻撃を止めようとするが、止まらない。

 オーガたちと同じように、人間であるグリアーを殺してしまう恐怖に青ざめた瞬間、


――逆巻く風よ

 

 彼女の詠唱の声と共に、背後にいたオーガ一体を断ち切った。


「オォオオオオオオァアオオッ!!」


 断末魔の悲鳴をあげて、二体目のオーガが地面に崩れ落ちる。


 オーガを貫いてもそのまましばらく突き進み、転がるようにして止まったジュンタは、当たるはずだったのに当たらなかったグリアーを安堵と共に捜す。

「当たらなかった……?」


 前にはいない。
空を見上げると、そこには緑の風を引き連れて、空に浮かぶグリアーの姿があった。

 剣を握る以外の感触はない。ただ、剣の切っ先をグリアーに向けて、ジュンタは思考する。


(グリアーは風を使う魔法使いだ。スピードが速い……今ので分かった。彼女に直撃は無理だ。なら、当てても大丈夫)


 底を知らない内界にある魔力から、今ジュンタが使える限界値の魔力を汲み出す。

 身体を電気が流れ、満ちていく感触と共に、腕から剣へと虹の波紋が打ち出される。

足の裏に魔力の渦を迸らせ、すぐにでも弾き出されそうになるのを堪え、ため込む。

「もっと――もっと速く。鋭く!」


 足の裏の地面が爆発し、ジュンタは六度目の稲妻と化す。


 地面より天空へとのぼる、本来とは逆に天へと落ちる雷。

 大気を切り裂き、空気を燃やし、一直線に雷は宙に浮かぶグリアーに向かう。


 今度も、グリアーの動きの方が素早かった。

 緑の閃光が瞬いたかと思うと、次の瞬間には目標地点からグリアーの姿が掻き消えていた。

 
そのまま真っ直ぐに空に上がり、やがて加速が衰えたところで、ジュンタは辺りを見回す。
上は蒼穹がどこまでも広がり、眼下にはグストの森の緑が青々と広がっている。

 
地面よりも遥かに広い、空と言うフィールド。
 
その空を吹く風を自在に操る魔法使いである女性は、静止したジュンタのすぐ下に迫っていた。

「あがっ!」

 驚く暇もない。気が付けば、腹部に衝撃を感じたのと同時に斜め下へと落下していた。


風の刃は 切断する


 さらに追撃と言わんばかりに、グリアーの手から風の刃が撃ち出される。

「まずっ」

 宙に放り出された今、真っ直ぐに自分に向かう風の刃を避ける術はない。落下の最中という状況下を顧みない強引な反転を行うため、ジュンタは魔力を総動員して爆発させる。


 落下から一気に上昇へ。反転して再び雷と化す。


 剣の切っ先は風の刃を軽く掻き消し、勢いも衰えぬままにグリアーへと向かう。だが、
グリアーは吹く風に舞う木の葉のように、ジュンタの攻撃を華麗に避けてみせる。そして避けた先から、加速の減速地点目掛けて風の弾丸をいくつも撃ち出した。

 唸りを上げて向かってくる風の弾丸。それを剣で強引に振るうことで軽減し、それでも思いきりジュンタは食らってしまう。


「っあ!」

 身体中から上がる悲鳴。痛みはないが、骨が軋む音が気持ち悪くて、ジュンタは悲鳴をあげた。

血を口と傷口から吐き出しつつ、力なく落下していく。その中で、思考だけが冷静に動いていた。

(ダメだ。空中じゃあ、どう足掻いても命中しない)


 二度の攻撃で、完全にそのことは理解した。

 風の魔法使いであるグリアーには、自分のにわか魔法じゃ相手にならない。

 速度が負けているわけではない。むしろ勝っている。けれど、いくらスピードを上げても彼女には恐らく、方向と到達地点が予測されてしまっている。

 風の流れでも読んでいるとでも言うのか? 
 明らか
にこちらの攻撃を逆手に取って、グリアーはカウンター気味に魔法を放ってきている。何度やっても、彼女には命中する自信がない。

これじゃあダメだ。この攻撃方法では、これ以上の成果は得られない。

(直撃を考えると、どうしても躊躇する。これ以上速くするのも、きっと無理)

 なら、次の手段を考えないといけない。

(次の攻撃を…………考える前に、どうやって俺は墜落を回避すればいいんでしょうか?)

 血が足りなくなって青白くなっていたジュンタの顔が、さらに白くなる。


 上からの攻撃を受けたため、かなりのスピードで落ちている。高度もかなりあった。落ちれば死ぬ。たぶん。いや、まず確実に死ぬ。何か回避手段を取らないと。

 ……だが、どうすればいい?


 ジュンタは魔力を引き出しながら、考える。


 先の雷で上に上昇するやり方はダメだ。

確かに落下の勢いを消して上に上がれるが、それだとまたグリアーに打ち落とされる。墜落という結果を先延ばしにするだけでしかない。

(せめて勢いを殺せるだけのスピードならいいんだけど……細かい制御は絶対無理だ)


 感覚として掴んだ全ての魔力を総動員させて放つ[
稲妻の切っ先(サンダーボルト)]は、常に全力で手加減などできない。そも、ジュンタには手加減に必要な魔力の制御の方法が分からなかった。


 …………つまりは、今の自分に墜落を回避する手段はないということになるのだが。どうしよう?


 自分の死因は出血死ではなく、墜落による心臓破裂かと嘆きつつ、ジュンタは最後の手段ということで神に祈ってみた。

(神様……というかマザー。俺が死んだらまずいんだろ? だから助けろ。いや、助けてくださいお願いします)


 ぎゅっと剣を握る手に力をこめ、蒼穹に佇む敵をジュンタは睨む。


「まだ、俺は敵を倒せていないっ!」


 心残りがあるのに死んでたまるか、という気持ちを込めて叫ぶ。
異世界の神様は大嫌いだが、生き残るためなら頭だって下げられた。


 だけど、神様はやはり、何もしてはくれない。

 仕方ないと、ジュンタは先送りになるだけということは分かっているが、[稲妻の切っ先(サンダーボルト)]を使用しようとする。今死ぬよりは、後で死ぬほうが万倍マシだ。


 魔力だけはたくさんあるのに、肝心な使い方を知らない自分を罵りつつ、ジュンタは剣の切っ先を目標地点である空へと向ける。そして一気に加速しようとスパークを起こし――

――――ぁ」

 ――背後で光った、茶色の魔法光の輝きに目を見張る。

 光り輝いた魔法光。茶色ということは地の魔法だ。よくその辺りの色合いについて知らないジュンタだったが、それだけは知っていた。

 そして、魔力を前より感じることができるようになったジュンタは、その突然感知した魔力に覚えがあるような気がした。いや、絶対ある。

 澄んだ湖のようなクーの魔力とは違い、やけに独特というか、いやにからみついてくる存在感というか、文化祭でいきなり『軍人喫茶をやろう』と言い放つ、普通とはかけ離れた感性がにじみ出た魔力というか……とにかく、なぜかとても見知った魔力の輝きだった。


「……なるほど。完全無欠に俺はピンチだな。なら、お前の登場の舞台は整ってるってことか」
 

 使おうとしていた[稲妻の切っ先(サンダーボルト)]を、確信に似た予感のためにジュンタは使うのを止める。


 どんどんと近付いていくる地面の存在を感じつつ、感覚を研ぎ澄ますように目を閉じ、ジュンタは苦笑の笑みを浮かべた。

 近付いた地面から、酷く懐かしい声が、耳に届く。



――さぁ、ジュンタ。俺の胸の中に飛び込んでくるがいいっ!」



 切羽詰まった状況にそぐわない発言に、ジュンタは瞼を開く。

視界の片隅に地面が現れ、次の瞬間に背中に強い衝撃を感じた。だが、衝撃は命を奪うほどの衝撃ではなかった。

背中を打ち付けたのは固い地面ではなかった。
 
――柔らかく粘性のある泥に、背中から落ちたのだ。

身体を弾力ある泥が包みこんで、衝撃を拡散させてくれた。もちろん、落下地点にちょうど運良く泥沼があったわけじゃない。偶然としてはできすぎている。そう、これは人の手――いや、猫の手による必然だ。


「だ、大丈夫ですか!?」


 泥に包まれた身体を引っ張り上げようとに、手に小さな手の感触が触れる。

 掴もうとしてきたその手を握り返すと、ゆっくりとだが、着実に泥沼から引っ張り出された。


 泥から顔が出て、ジュンタはそこにあった顔ぶれを見る。

 

 自分を引っ張り出してくれたのは、やはりクーだった。手を服を泥だらけにして、心配そうに覗き込んでいる。そして彼女の頭の上に乗っていたのは、やはり泥だらけの猫だった。


 本来は白いはずの毛並みを汚した小猫――
首には誰かに飼われている証のリボンが結ばれていた。


「んっ〜〜!」

 顔を真っ赤にして、クーがさらに引っ張り上げようとしてくれる。ジュンタは近くの泥じゃない地面に手をついて、自分の力も合わせて泥沼から這い出た。


「あ〜、死ぬかと思った。なかなかいい具合のピンチだったな」

 口の中に入ってきて、血と混じって赤くなった泥を吐き出す。


「大丈夫ですか!? ああ、こんなに傷だらけ……って、この傷は少し。いえ、かなりまずいレベルじゃないかと私思うんですけど」

「ふむ。ジュンタが使徒でなければ、三回は死んでいる怪我だな」


「あわわっ、そ、それはエマージェンシーコールです。い、今すぐ傷を治療しますからっ」


 クーが慌てて駆け寄ってきて、治療用の魔法を唱えようとする。


「いや、いい。大丈夫だ。なんとか動けるから」


 クーの魔法詠唱を中断させ、ジュンタは起きあがった。


 相も変わらず身体の痛覚は麻痺しているが、[
稲妻の切っ先(サンダーボルト)]を使っていない状態だからだろう、かなりの痛みを感じる。これで少しだというのだから、魔力を霧散させれば想像を絶する痛みに襲われることになるのは間違いない。ショック死レベルかもしれない。


 服は血まみれ。傷はやばいぐらいに広がっており、鮮血が流れ出ている。
 さらにやばいことに傷口に泥が入り込んで、やばいとしかいいようがないほどヤバ気である。

ここまでの状態だと、何というか、怖いというよりかは笑えてくる。

ジュンタは剣の柄に付いた泥を拭って、それからクーに視線を向けた。


「ありがとうな、助けてくれて」


「いえ、私は何も。助けてくれたのは、サネアツさんです」


「そういうことだ。感謝するがいいぞジュンタ」


 普通に会話に入り込んでくる白い猫――幼なじみの元・人間に視線を移すと、ジュンタは視線をジト目に変更する。

「そうだな。感謝しとく、サネアツ。人のピンチまで出てこなかったのは置いといてな」

「失敬な。元はと言えば、ジュンタがベアル教のアジトごと俺を吹っ飛ばしたのが悪いのだ。生き埋めになって、何とか隙間を潜って出てきたのがつい先程のこと。見ろ! 俺の素晴らしい毛並みがこんなにも汚れてしまったではないかっ!」


「いや、それほんとか? ……というか、あそこにいたのか? お前」

「いたとも。『にゃんにゃんネットワーク』をフル活用し、ベアル教の地下アジトを見つけ出し、さらにはクーヴェルシェンがジュンタを召喚するのに一番貢献したのは誰だと思っている? ふっ、何を隠そうこの俺だ。ああ、お礼はいいぞ。先程クーヴェルシェンから貰いすぎてお腹いっぱいだ」


「なに内緒で舞台裏で暗躍してるんだよ、お前は」

 打てば響くような会話。
久しぶりの再会だというのに、サネアツとはこうも普通に接せられる。

 軽口には軽口を以て。そんな風に僅かな間会話を楽しんでから、ジュンタはサネアツに真面目な用向きを告げる。


「状況は分かるか?」

「クーヴェルシェンから大概は説明を受けた。要は、敵を倒せばいいのだろう? 何、俺とジュンタが力を合わせれば楽勝だ」

「そうか。なら頼む。俺は、あいつらに負けるわけにはいかないんだ」

 サネアツはクーの頭の上で、意味なくニヒルな笑みを浮かべる。


「なるほど、ソウルパートナーがそう言うのであれば。応とも、半年に渡る長き猫まっしぐらな修行の日々で得た、俺の魔法の腕を披露する日が来たということだな」

 半年――その言葉に、ジュンタはサネアツの想いを知る。


 自分の感覚的には数週間だが、異世界に残ったサネアツからしてみれば、自分との再会は半年ぶりなのだ。それなのに、会ってすぐに助けてくれることが嬉しかった。

 身体は痛むし、どう倒せばいいかも分からない。
 
だけど不思議なもので、負ける気は一切しなかった。

サネアツがぴょんとクーの頭の上から、ジュンタの頭の上に飛び乗る。

「では、行こうか。グリアーとか言った魔法使いも、痺れを切らしかけているぞ?」


 早速戦場分析をしたサネアツが、そう言って肉球で頭を叩いてくる。

 ジュンタは頷くと、視線を最後にもう一度クーに向けた。


「あの、私もやっぱり……」

 目元を潤ませ、手を胸の前に組んで、真っ直ぐに見つめてくるクー。
 その顔には、ありありと心配しているだとか、自分も戦いますだとか、そう言う想いが滲み出ている。

(そうだよな。戦うのはいいけど、それで悲しませちゃ意味ないもんな)

 ジュンタはクーに、安心させるように笑いかけた。

 自信はある。サネアツというパートナーを得た自分に、怖いものなんて何もない。今までがそうだったように、今回も、これからもそうだ。

 そんな自信を声にして、優しさを行為にして、ジュンタはクーに伝える。


「安心しな。俺は負けないし、これ以上傷つかないから」

「分かってます。でも、それでも私は……」

 また涙を流そうとするクーの頭を、剣を持たない左手で撫でる。

 泥だらけの手と髪だ。それでもクーの髪はすべすべとしていて気持ちよかった。


「大丈夫だ。俺は使徒――正義の救世主様だからな。悪人には負けないって決まってるんだ。だから、安心して見ててくれ」

「……本当、ですか? もう、傷ついたりしませんか?」


「まぁ、こんな身体で言われても信じられないよな。困った。でも、今度だけは本当だ。もう一回だけ、チャンスをくれないか?」

 最後にグリグリとクーの頭を少し乱暴に撫でてから、ジュンタは手を離す。

 
 僅かな触れ合い。だけどクーの頭から離れた手は、ちょっと寂しそうだった。


 左手が寂しくないように、剣の柄を握る右手にそっと合わせる。それは
英雄種(ヤドリギ)』の剣に、右手だけじゃなくて左手からも魔力を送るような構えだった。

 心配そうな表情で両手で頭を抑えるクーに背を向けて、ジュンタは剣以外のもう一人の相棒へと、戦闘再開前の儀式めいた遣り取りを行う。


「サネアツ、怖くないか?」

「はっ、まさか。そう言うジュンタこそ怖がっているのではないのか?」


「馬鹿いうな。あんな敵のどこに怖がる要素があるって言うんだよ」


「違いない。確かに、敵は色っぽいねーちゃんにこんがり肌の短足魔獣だしな」

 熱くなった気持ちを落ち着けるために、あえてサネアツと軽口を叩き合う。


 終了を告げる言葉はない。その代わりにグッと剣を握り込んで、


「戦闘のアドバイスは?」

「可能だな」


「魔力の使い方は?」


「この偉大なキャット・オブ・魔法使いのサネアツ様に向ける質問ではないな」

「じゃあ、よろしく。俺はもう頭を回転させることも億劫だ。できるのは、あと少しの間だけ――


 剣の切っ先を、空から降りてきて、残ったオーガの肩に乗ったグリアーにジュンタは向ける。

――剣を振るうことぐらいだからさ」

 にやりと、ジュンタとサネアツは同じタイミングで笑った。







 また背中を向けて戦いに赴く彼を見て、不安と期待で動悸が速くなる。

 先程の戦いを見て、傷付いた姿を見て、クーは思い知ってしまった。確かにジュンタは強いが、それでも決して過程の中で傷付かない存在ではないことを。


 使徒の本質は神獣だ。最強と呼ばれる由縁もそこにある。

だが、人の姿時のポテンシャルは、あくまでも人間の範疇に含まれてしまう。魔力量は使徒の名に恥じない量だが、それでも上手くは使えていない様子。あんな自分をも傷つける戦い方を見て、絶対の安心などは抱けない。

それでも負けない。この人は絶対に負けない。

傷付きながらも、力強い背中に感じる確信は変わらない。
 だけど、その結果に傷付いた彼が残るのなら、守って欲しくなんてなかった。


「……私、は…………」


 でも、それでも身体は動かない。


 大切な人に守られるという多幸感。それが、四肢を拘束して動かせない。
愚かなことに、なんて愚かしくも、自分は守られる身分に陶酔しているのだ。

 本来なら、今戦おうとしている使徒様と自分の立場は反対である。


 例え関係を断られても、自分がすべきことは彼を守ることに他ならない。
 その責務に背を向けて、何を守られて喜んでいるのかクーヴェルシェン・リアーシラミリィ?


「だって、仕方がないじゃないですか。こんなの、初めてなんですから……」

 頭を撫でられ、戦わないでいいと言われた。守らなくていいと言われた。


 戦いは嫌いだ。けど、いつか必要だと思って身体を鍛え、戦い続けてきた。全てはこんな事態に遭遇した時のために、だ。

 ……けど、あの人には戦わないでいいと言われてしまった。


 戦うべき自分と、戦わないでいいと言われた自分。どっちを求めるべきか、思い悩む。

 本当なら悩む必要なんてない。戦うことこそが、守ることこそが、自分に求められた役割だ。大切な託宣も、自分が死ねば次の『巫女』が行ってくれる。


 命すら賭して使徒様のために戦うこと――それこそが唯一無二の巫女の天命であり、役割。


――ああ」

 気が付いた。ストンと悩みが一瞬で消えて、結論が胸に落ちてきた。


「そう……そうでした。私は、そんな巫女になりたいと、そう願っていたんでした」

 自分の本当の落ち度は、幸福に酔って当初の目的を忘れていたことだったのだ。


 守るとか、守られるとか、そういう責任も幸福も関係なかった。
 ただ、自分は自分の目指すべきものの在り方を貫いてやろうと、そう思っただけなのだった。

 守られることは幸福だ。だけど、巫女が得る幸福ではない。巫女になりたい自分のしたいことではない。ならば、結論は一つ。主の意思に反することになるが、それでも足を戦地に向けよう。

「この肉この血この魂の一欠片まで、全てを主に捧げん」

頭に過ぎるのは、巫女の在り方を決定づけた、古の巫女の詩。

「救世の道を辿り、神託を賜る我こそ、唯一使徒の従者を許された者なり」

手に付着した神獣の血。周りに飛び散ったジュンタの血。

自分にできることはまだある。苦痛を快楽とし、クーは壮絶な笑みを浮かべた。

指先に白く、淡い光が灯る――それを戦意の証として、最後の詩を口ずさむ。


 欲することは一つだけ。その一つだけのために、今この時よりこの称号を名乗る。

――忠誠こそ我が名誉。我が名誉は永劫にあなたの傍に。

使徒ジュンタ・サクラ聖猊下が巫女――クーヴェルシェン・リアーシラミリィ」

高らかに――そう、自分はただそれだけのために、きっとこの世に生まれてきた存在。









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