第三話  その横顔は





 白い暴風が唸り声を上げて三十あまりのゴブリンを飲み込んだのを見て、正直ジュンタは寒気を催した。


 魔法という理外の範疇に属す力の、その威力――自分たちが精一杯戦って倒した敵を、一撃で飲み込んだ力は、衝撃とともに恐れすら抱かせるには十分で。例え、それが心優しい少女による守るための力でも、あまりに強すぎる力は寒気を催させた。

 でも、駆け寄ってきた少女の姿に一瞬で恐怖は霧散し、安堵と共に喜びが広がった。


 輝く指にて魔法を撃ち放った少女は、初対面と同じ優しさで接してきた。開いた傷を、癒しの魔法で治してくれた。

 その優しさが、結局この状況を生んだのだと、気付かないはずもない。


 夜も更けた教会――その一室の戸の前で、ジュンタは村長と一緒に待っていた。先程クーをベッドに運び、その調子を確認しに行った教会の神父を。


「ああ、私はクーヴェルシェン殿になんと謝ればよいのか」

 頭を抱えたウェイバー村長が、そんなことを隣で呟いている。


 彼が悩んでいるのは、クーが倒れ、その結果ゴブリンを阻む人がいなくなったことを嘆いているのではなく、純粋に戦いを任せてしまい、その結果優しい少女が倒れてしまったことに対してだった。


 きっと誰も悪くない。そう、ジュンタは思う。
 
クーの身体に外傷はなく、ぱっと見疲労か貧血で倒れたように見えた。が、その前に彼女がしたこと――傷を癒やすために魔法を使ったことを考えると、もしかしたら他に何か理由があるのかもしれない。

 人の病気を診ることなど出来ないジュンタは、村の医師も兼ねている神父が出てくるのを待つしかなかった。


 …………長い、長い、数分間。

 夜の十二時を回り、村人がようやく寝静まった頃――クーが運ばれた部屋の戸が開き、中から神父が出てきた。


「神父さん。クーの様子はどうですか?」

 まずジュンタが訊き、


「も、もしや命に関わることでは。ああ、もしそうなったら、私は命を持って償うしかっ!」


 続いて村長がシャレになってないことを、マジ顔で宣う。


「落ち着いてください、お二人とも」


 取りあえず村長の言葉が本気であることを察し、神父は困った顔をしつつ、唇の前に指を立ててシーと言う合図をする。


 はっとしてジュンタは口を噤む。

 戸がまだ開いた向こうには、倒れたクーが寝ているのだ。ここで騒いだら起こしてしまう。村長も同じことに気付いたのか、慌てて落ち着こうと深呼吸をしていた。

 神父がまず部屋の戸を閉めて、それからジュンタと村長を少し離れた廊下の隅へと連れて行く。


 そこで彼の方から改めてクーの話があった。


「クーヴェルシェン様のご体調ですが、あれは疲労と魔力切れによるものです。大丈夫ですよ。少し休めば目を覚まされるでしょう」


「そうですか……よかった」


 ほっと胸を撫で下ろすジュンタの隣で、ウェイバー村長が安堵にむせび泣く。いや、安堵によるものだけではなく、クーの状態そのものを嘆いているが故の涙だ。


「疲労と魔力切れを起こすまで、あんなに屈託なく笑っておられるなんて……そしてそれに気付かなかった私は、私は、なんたる大馬鹿者か!」


「村長、お静かに」


「ぬ、重ね重ねすまん」


 神父の笑顔の一言に、村長が黙り込む。神父は村長にとっては相談役のようだった。

「取りあえず、今日のところは安静にしていれば大丈夫でしょう。しかし魔力切れとなると、一晩での完全回復は難しいかもしれません」


「魔力切れか……」


 神父の言葉に、ジュンタは少し考え込む。


 魔力というのは、魔法を使う際に消費する……まぁ、言ってしまえば
MP(マジックポイント)だ。精神力、体力に関係する、生命力のようなものである。


 クーのような魔法使いという職種にいる人間は、この魔力を使って神秘を行使する。
 全ての人間が魔法を使えないように、魔力量は人によって違うらしいが、使えばもちろん魔力は減る。これは絶対だ。クーの状態は、その魔力が底をついてしまったために起きたものらしい。

 ようは体力を全て消費したのと同じことと、そう思えばいいのだろう。


(そんなになるまで、クーは戦ってたのか……)

 村長が嘆くのもよく分かる。まだ幼い少女に、目の前でぶっ倒れられるまで戦われたら、そりゃ嘆かずにはいられないだろう。それに気付けなかったのであれば、尚更だ。

「それで、どうしますか村長? クーヴェルシェン様のことは大丈夫として、明日……いえ、今日の夜ですか。まず間違いなくゴブリンたちはまたやってきますよ?」

「そ、それは、うむぅ……」


 ジュンタが扉一枚挟んだ向こうで眠っている少女を思っている間に、村長と神父の話はこれからのことに移っていた。

 クーがまだ目覚めていないのに、他のことを相談し出すのはちょっとどうかとは思うが、彼らグストの村の人間にとっては死活問題なのだからしょうがない。


「クーヴェルシェン様が倒れたことで、村人たちの間にも動揺が広まっています。早めに対応策を決めなければ、パニックに陥るかも知れません」

「しかしな。だからと言って若者たちに任せるというわけにもいくまい? 今夜はゴブリンに勝てたからと言って、次も無傷で勝てるとは限らん。数で押されれば、武術など習ったことのない村人たちでは敵いはせんじゃろうて」


「あの、すみません」


 良案が出ないらしい二人の会話に、ジュンタは口を挟む。


「どうかなされましたか、旅人殿?」


「いえ、一つ訊きたいんですけど、村の外の誰かに助けを頼むとかはできないんですか? この辺りを治めてる領主なら、騎士団を保有しているんじゃあ……」


 ジュンタの疑問は、素朴なものだった。


 まるで自分たちの村の中だけで解決しようとしている二人に、疑問を持ったのだ。

 このグストの村の人間だけゴブリンを倒せないなら、他の村や、もっと大きな街から助けを要請すればいい。

 そんな軽い気持ちで口にした意見を、村長が不快なことを思い出したかのように目をつり上げ、否定する。


「無理ですじゃ。ここら一帯を治める領主は自堕落にふけって、我らの村のような小さな村の危機には騎士団など差し向けやせんのです!」


「一応、以前に嘆願書は送ったんですけどね。やってきた騎士の方は四人だけ。一夜で二人やられ、後の二人は逃げていってしまいました。それからはさっぱりです。……見放されたんでしょうね、私たちの村は」

 そのあんまりな領主の対応に、ジュンタはあんぐりと口を開けて、呆れかえる。


 領内の村が助けを求めているのに、それを無視するとは、よく分からないがダメとしか言いようがない。


「なら、お金で傭兵とかを雇うのとかは?」


 まぁ、これもダメだろうなぁーと思いつつ、ジュンタは一応言ってみた。


 自分が考えるようなこと、先んじて誰かが提案していないはずがない。それでも傭兵が村にいないのなら、それは何らかの理由で却下されたということだ。


(ほら、二人とも呆れて…………ない!? なんか喜んでるっ?!)


「おおっ、その手があったか!」


「素晴らしい! これで何とかなるかも知れませんよ、村長!」


「こうしてはおられん! 今から早馬をエットーの街に出して、直ぐさま募集の張り紙を貼るのじゃ!」


「では私が張り紙を製作します」


「あ、ちょっとお二人さん、クーのことは……ってもう行っちゃったよ」


 ドタバタと、あっという間に村長と神父は廊下を走り去っていってしまった。


 自分の提案が即採用されたことに……というか誰一人として民間の護衛を頼むことに気付かなかったことに少し呆れつつ、しかし助けになったならと、二人をあえて強く呼び止めるのは止めにした。


 自分には関係のない村のことだけど、それでも困った誰かを少しでも助けられたなら、それは気持ちがいいことだ。過ぎ去った二人にエールを送りつつ、ジュンタは今朝自分が運ばれた部屋に――今は倒れた少女が寝かされている部屋に静かに入った。

 二つのベッドが並んで置かれた教会の一室には、健やかな寝息が響いている。

 音を立てないよう気を付けながら、ジュンタは膨らんでいるベッドへと近付く。
 
そっとベッドを覗き込んでみると、上着と帽子を脱いだクーが無垢な寝顔を見せていた。

その年齢相応な寝顔を見せる少女が、あんな強力な魔法を使った少女と同一人物だとはとても思えない。でも、倒れるほどに身体を酷使したのなら、こんな小さな身体でも、とも思う。


「…………ジュンタ、さん……?」


 そんな風に眠るクーを見て考えていると、気付かないうちに寝息が止んでおり、彼女が青い瞳を開いていた。


「あ、悪い。起こしちゃったか?」

「いえ、大丈夫です。身体もかなり楽になりましたから……心配をおかけしてしまったようで申しわけ――あ、すみません、寝転がったままで。すぐに起きま……あれ?」


「あ、こらっ」

 元気になったことをアピールしようと起きあがろうとして、そのままクーは操り糸が切れたマリオネットみたいに動きを静止させた。起きあがろうとしても、今の彼女の身体にはそんな力は残ってないのである。


「いいから。俺はクーが横になっててくれた方が落ち着くからさ。気にしないでくれ」


「重ね重ねすみません……」


 クーは申し訳ないのと恥ずかしいのを半分ずつに、布団の端で半分顔を隠す。
その状態のままでおずおずと口を開いた。


「あの、ジュンタさん。村の皆さんはご無事ですか?」


「大丈夫、誰も怪我はないよ」

「そうですか。はぁ〜、よかったです」


 本当によかったと、心の底から喜ぶクーは満面の笑顔を顔に浮かべてみせる。


 自分よりも年下の少女が、自分の身体より他人の身体を気遣う姿を見て、ジュンタはすごい、と素直に感嘆し、同時にちょっとその様子に違和感を覚えた。


「クーは他のことは気にしないで、今は自分の調子を治すことだけに気をつけような」


「はい、そうですね。今日の夜までに、魔力をちゃんと回復させておかないといけませんし」


「いや、そう言うことじゃなくてな……」


 あくまでも村を助けることを前提に置くクーに、ジュンタはちょっぴり怒った顔を作る。


「まだ会ったばかりなのにこんなこと言うのはあれだけど、クーは自分より誰かのことを心配しすぎじゃないか? さっきだって、魔力が残り少なかったのに俺の傷を治そうとするし」


「でも、ジュンタさんの傷は私が原因ですから」


「そうかも知れないけど、俺にはその所為でクーに倒れられたことの方が、傷が開いたことよりずっとショックだったわけだ」


「あぅ…………それは、ごめんなさいでした……」


「別に謝って欲しいわけじゃなくてだな」

 申し訳なさそうに表情を曇らす少女に、ジュンタは何を言っても無駄なのだと理解した。


 クーの頑固さは近年稀に見る頑固さだ。それも天然が入っているのか、今ひとつ自分がどうして怒られているのか、それが分かってないようである。


 呆れ眼に見られることに、きょとんとした顔になっているクー、


「ほら、取りあえず今は眠っておきな。何か俺にできることがあったら、なんでもしてあげるから」


「そんな…………いえ、分かりました。すみません」


(また、謝る)


 また謝罪の言葉を口にするするクーに、ジュンタは年齢不相応の何かを感じた。


 まるで甘えることを知らず、その年齢で大人になってしまったかのように。だけど幼いが故の弱さを抱えるクーの姿は、酷く危ういもののように見えた。

 出会ったばかりの彼女だけど、それでも自分がしっかりと手綱を握っておかないとこの少女は際限なく暴走する――そんな気がしてならなかった。しかも自分以外の誰かのために、だ。


 自分の言葉に素直に目を閉じてくれたクーを見て、ジュンタは近くに置いてあった椅子に腰掛ける。せめて眠るまではこうして近くにいてあげたかった。

「………………あの、ジュンタさん」


 しばらくそうして、眠りにつこうとしているクーの顔を見ていたジュンタの耳に、囁きのような小さな声が届く。


「ん、どうした?」

「あ、いえ、その……」


 その声色に込められた今までになかった甘さを感じ取り、ジュンタは少しドキッとしながら返答を返す。


 桃色に頬を染め、瞼を開いたクーは、そっと恥ずかしそうに呟いた。


「その一つだけ、お願いをしても良いですか……?」

「ああ、いいぞ。俺に出来ることなら、なんでもするって言ったからな」


 眠りに落ちる寸前だからか、トロンとした顔のクーは、なんだかとても子供っぽく見える。仮面を外した、彼女本来の年齢が露わになったといった感じである。だからなのだろう。きっといつもなら口にしなかったはずのお願いを、クーは口にする。

「と、とても恐縮なんですが、その
――」

 布団で顔を隠したまま、クーは長い耳まで赤く染めながら、




――――そ、その、私が眠るまで、手を握っていて貰っても良いですか?」



 なんて、本当に些細なことを、さも身分不相応なことでも言うかのように口にした。


「あ、す、すみません! 今日会ったばかりなのに、こ、こんな我が儘を! 今のなかったことにしてください! おやすみなさいっ!」


 クーは早々に前言撤回して、頭まで布団を被ってしまう。

 ジュンタは素早くクーの被る布団を剥ぎ取って、彼女が胸元に寄せた手を強引に手に取った。


「バカ。それくらい、甘えてもいいんだよ」


「あ……」


 顔を向こう側に向けたクーは振り返って、恥ずかしそうに、でも嬉しそうに、握られた手を見る。


「これでいいんだろ?」


「あ、ありがとございますっ」


 ジュンタが優しく笑いかけると、クーは弱い力で握り返してきた。

 布団をちゃんとかけなおしてやると、クーはもう一度「ありがとうございます」とお礼を言って、


「……ジュンタさんの手、思っていた通り、大きくて、とってもあったかいです」

「そうか?」


「はい、とても安心します」


 眠たそうな眼で頷くクーの顔色は、初めよりだいぶ良くなっているように見えた。それでも調子が悪いことには変わらないので、クーを休ませるために、最後の言葉をジュンタはかけた。

「じゃあおやすみ、クー」


「はい。おやすみなさい、ジュンタさん」


 クーは少し残念そうにしながらも、居心地がよさそうに目を瞑った。


 それからものの数分もしないうちに、その桜色の唇から寝息が聞こえ始める。


(寝ちゃった、か……)


 クーは眠るまでと言ったが、ジュンタが手を離すことはなかった。
 離そうとしても、眠ったことにより正直になったクーの手が離してくれそうになかったのも理由だが、それよりも――


『病気の時とか、手を握られて眠ると安心しませんか?』


 ――その言葉を思い出して、手を離す気にはなれなかった。


(すごいよな、こんな小さな身体で)

ジュンタは誰かのためにがんばって、その結果倒れた少女が少しでも元気になって欲しいと思って、その手を握り続ける。

(助けたいな。こんなに、一人で一生懸命がんばってるクー、を…………)

そのまましばらくクーの寝顔を見ていると、やがてジュンタの口からも寝息が聞こえ始める。


 寝静まった静かな部屋――繋がった二人の手がゆっくりと、虹色の煌めきに包まれていった。






       ◇◆◇







 ジュンタが目を覚ましたのは、やけにガヤガヤとした喧騒が聞こえてきたからだった。


 目を擦りつつ、ジュンタは瞼を開ける。
 

 耳には大勢の野太い声が話し合っているような声。昨日感じたグストの村の様子とは、かなり違った喧噪が絶えず届いてくる。

「……なんだ、この騒ぎ?」


 そう呟きつつ、ジュンタは故郷の世界からしてきた腕時計に視線を送る。


 昨日のうちにこの世界の時刻に会わせておいた時計の針は、昼の十二時過ぎを指していた。


「かなり眠ってたみたいだな……」

 異世界初日の昨日は、色々と予想外のことが多くあった上、怪我をしたりと疲れていたので、眠りも深くになっていたのだろう。


 ジュンタは眠っていた椅子から起きあがろうとする。すると、かけられていた毛布が身体からずり落ちた。


「これ、クーだな」


 被った覚えのない毛布である。ならばこの毛布を掛けてくれたのは、一緒の部屋にいたクーだろう。


 その彼女は、今はベッドの上にはいない。あるのは綺麗に整えられたベッドだけである。

 机の上に置かれていたはずの彼女の上着と帽子もないことから、起きたのであろうことは分かる。
 調子が戻ったのかとジュンタは一度安堵し、それから一日で把握したクーの性格を考え、もしかしたらまだ調子が戻ってないのに起きたのかも、と思い直す。

ジュンタは部屋を出て、クーを探しに教会の広間へと足を運んだ。

教会の広間には誰もいなかったので、ジュンタは広間からまっすぐ行ったところにあった正面玄関の戸を開け、そこから教会前広場へと出た。


「うおぅっ!」

 出て、思わずそこに広がっていた光景に、二歩後ろに後退ってしまった。


「あ、ジュンタさん!」


 そこにいたクーが、こっちを見つけて駆け寄ってくるのはいい。

元気良さそうな姿は安心するし、かなり和むし、見ていて微笑ましいし……だが彼女以外に教会前広場へと集まった輩は、見ていて微笑ましいどころか、うっとうしくて暑苦しい。

ジュンタの目の前までやってきたクーが、ペコリと礼儀正しく頭を下げる。


「ジュンタさん、昨日はありがとうございました」 


「あ、ああ、それは別にいいんだけど…………この光景は何?」


 そう言って、ジュンタは目の前にいる十数名ほどの厳つい顔の男たちを指差す。

 クーはジュンタが指を指した先に視線を送ってから、かわいらしく小首を傾げた。

「村長さんが雇った傭兵の方々です。村長さんの話ですと、提案したのはジュンタさんだと聞いていたのですが、違ったんですか?」


「傭兵? ああなるほど、傭兵ね。こんなに早く、こんなにたくさん集まったんだ」

 確かにそう言われてみれば、広場に集まった男たちは傭兵と言った感じの男たちである。


 腰に剣を下げた奴。分厚い鎧を装着した奴。スキンヘッドの筋骨隆々した奴……全員が全員まともな職業には就けなさそうな、荒くれ者のような印象がある。彼らこそが、村長が徹夜して準備を行った末に獲得した傭兵たちだったのだ。


 広場を埋め尽くす傭兵たち。見た目は厳つくて怖いが、それが逆に頼もしくもある。

 それは今まで一人で戦ってきたクーも同じなのか、彼女の傭兵たちを見る目はどこか温かい……とはちょっと違うような。どちらかと言えば、値踏みをしているような目だ。


 彼らがクーのお眼鏡に適ったかどうかは定かではないが、取りあえずこれで彼女一人が戦わなくて済んだので、自分としては一安心である。

 これで事件の方の問題は一段落ついたよう――ジュンタは改めてクーの方を観察する。


「それで、クーは身体の調子どうだ?」

「あ、はい。元気溌剌です。大丈夫ですよ」


 グッと両手で握り拳を作り、クーは笑顔そう言った。


 その姿だけを見れば、確かに元気そうだが……彼女には倒れるまで働き続けたという前科がある。まだ無理をしているかもしれないので、簡単には信用できない。


 そんな風に思ったこちらの視線を感じたのが、クーは少しむくれた様子を見せる。


「ジュンタさん、信じてませんね? でも、本当に大丈夫なんですよ。自分でも正直一晩では使った魔力を回復するのは難しいと思っていたんですけど、驚くぐらいたくさん回復しているんです。
 これも全部、看病をしてくれたジュンタさんのお陰です。本当にありがとうございました」


「……どうやら嘘を言ってるようじゃないようだけど、お願いだから、無理だけはしてくれるなよ?」


「はい。ジュンタさんがそう言うのでしたら、気をつけます」

 どこか慕われているような台詞を真剣に言われて、ジュンタは照れて頬を赤らめる。昨夜手を繋いだこともあってか、妙に気恥ずかしい。

 そんな空気を払拭したのは、クーから視線を背けた際、こちらに歩いてくる村長の姿を見つけたからだった。

 ウェイバー村長は、これまで見たどの時よりも機嫌良さそうな顔で近付いてくる。


「やぁ、旅人殿、おはようございます。クーヴェルシェン殿、調子はいかがですかな?」


「こんにちは村長さん。私はとっても元気ですから、安心してください」


「おお、それは良かった。私も一安心ですじゃ」

 太陽の下、頭を輝かせて、ウェイバー村長は機嫌も最高潮に笑う。


 ゴブリンとの戦い。クーが倒れたこと。この二つの心労から解放された彼は、とっても元気一杯のご様子だ。
そしてこれこそが彼の本当の姿なのだろう。快活に笑う彼は、本当に生き生きとしていた。


 そして喜んでいるのは村長だけではなかった。
 広間の様子を見に来た村人たちも、頼もしそうな傭兵を見て、手を取り合って喜んでいる。


「これが、グストの村か」


 以前の様子は知らないが、ジュンタにはこんな村の様子が、きっと本来のグストの村なのだと思えた。それを心強い救援を迎え入れて、取り戻しつつあることが喜ばしい。

 だけど、元気なグストの村と村人の様子を見つめるクーの横顔が本当に嬉しそうだから、ジュンタとしては、正直そちらのことの方が喜ばしかった。


「さぁ、旅人殿。クーヴェルシェン殿。宴の席を用意させて頂きますので、どうぞご参加ください」

「そう言うことなら、断る理由はないよな?」

「はい。一緒に参加させてください」


 その日の宴は、村人全員が集まって、傭兵たちを歓迎して盛大に行われた。
 終始笑顔が絶えなくて、少なくともこの時は、本当に誰も村の明日に希望を持っていた。


 ――――翌日の朝、ただ一人を除いた傭兵の、その死亡が伝えられまでは……








       ◇◆◇







 賑やかで明るかった昨日とは一転し、今日のグストの村は通夜の最中のようだった。

 あいにくの雨ということだけが原因じゃない。家から出る人間はなく、村はまるで死に絶えた廃村のような姿を見せていた。

ジュンタは教会の広間、そのテーブルを囲む椅子に座り、神父の話す言葉に耳を傾けていた。

建物の屋根を叩く雨音の合間を縫って響く、神父の報告。

それはその場に集まった十数名ばかりの人間の胸の内に、絶望感を与えるには十分なものだった。


 神父の言葉を聞き、無言になった室内で、まず始めに言葉を発したのはクーだった。


「……ゴブリンが百体以上、ですか……?」


「はい」


 クーの確認に、神父が頷いて肯定する。


「昨夜、傭兵の方々との戦闘にて現れたゴブリンの数は、百を超えていたという話です。昨夜唯一生き残った傭兵さんの話では、一度にそれだけの数が現れたとのことです。これは、今までの出現パターンとは明らかに違います」

「そうですね。あるいは――


 神父の説明にクーが言葉を続ける。


――今までが違ったのかも知れませんが」

「それはどういうことでしょうか?」


 神妙な顔でそう言ったクーに、今度は神父が尋ねる。

本来この場で尋ねるべき村長の姿は、今この話し合いの場にはいない。村長は傭兵が全滅した報を聞いた次の瞬間、倒れてしまって今は寝込んでいる。


 村長の代わりに村人たちの混乱を鎮めたのが、村長の相談役もしていたらしい教会の神父さんであった。


 彼は直ぐさま、こうしてゴブリンに対する対策を話し合う場を作り、人を呼び寄せた。

 話し合いに参加しているのは、村人の中でも頼れる存在ばかりのようで、戦力としても知識としても高い能力持つクーももちろん呼ばれていた。

(…………なんで? どうして俺も話し合いに招かれているんだろうか?)


 そしてなぜか、ジュンタもこの話し合いに招かれたりしていた。

 どうやら傭兵のことを提案したことに、少なからずいい案を出してはくれないか、と神父から期待されているらしい。こっちは普通の意見として述べただけなのだから、そんなに頼られると困るというのに。

 しかし実際に招かれてしまったので、出来る範囲でやるつもりはある。
 
ジュンタは先の自分の発言について説明しようとするクーの言葉に、耳を傾けた。

「元々、少しおかしな気はしていたんです。一度にたくさんのゴブリンが出るだけでも異常なのに、この村では毎夜ゴブリンが現れます」

「ゴブリンは魔獣の中では生息数の多い魔獣ですから、一カ所に百や二百はいてもおかしなことではないと思うのですが」


「そうかも知れません。ですが今回の場合、傭兵さんたちとの戦いのときのように、一度に百も出るくらいたくさん生息していたのに、私のときはその三分の一程度しか現れなかったことがおかしいと思うんです。

 毎夜毎夜現れないで、その分を一度に合わせて襲わせれば、まず確実に私の力では守りきれなかったはずですから」

「だけど、そのようなことはしなかった……ですか? ゴブリンたちにそれほどの知恵があるとは思えないんですが……」

 神父の言葉に、他の村人たちも頷く。


 ゴブリンという魔獣はそれほど知力が高くないのである。獣の本能として人を襲うことしか頭になく、それ以外を考える知能はないのだとか。そんな彼らに、一度に襲えば勝てる、という考えが思いつかないだろうという意見は正しいように思われる。


 しかしクーは、村人たちの意見に対して首を横に振った。

「改めて言いましょう。一カ所にゴブリンがたくさん現れるのは異常です。倒しても次にはまた同じだけ出てくるのも、また異常です。そして何よりここのゴブリンは、あからさまに相手を見て動員されています。私は、何かしらの人為的な手が加わっている可能性があると思います」

「人の手が?」
 

 クーの出した意見に、村人たちがざわめき立つ。
 なぜならば、クーの意見は自分たちの村を誰かが故意に狙っていると、そう言ったも同然だからだ。

それが正しい結論かは分からない。だが、そうだとすると問題になってくるのは、一体誰がそんな酷いことをしているかだ。

「神父様。何かこの村が狙われる原因になりそうな、宝物とか秘密などはありませんか?」


「いえ、そのようなものは一切我が村にはありません。村にあるものと言ったら、囲むグストの森の恵みだけですから」

「そうですか……」


 神父の否定の言葉に、クーは考え込む様子を見せる。


 この村を襲うゴブリンの件が人の手によるものなら、そこには何かしらの襲う理由があるはずだ。金銭が目的じゃないなら、恨みなどが目的か……しかしそれは違うとジュンタは思う。このグストの村の素朴な村人たちが、誰かに恨みを抱かれているとは考えにくい。

 話し合いはそうして硬直状態をみせる。
 
正解を導き出すには、まだ色々と判断材料が足りなさすぎた。

 話し合いの終わりに、神父の代わりにクーが言う。


「取りあえず今日は、今まで通りに私が討って出ます。皆さんは、教会に避難をお願いします」


 結局その言葉に、渋々誰もが頷くしかないのだった。







       ◇◆◇







「どうしてジュンタさんは村に残られたんですか?」


 話し合いが終わり、クーと一緒に教会の外に出てから、開閉一番に彼女が口にしたのはそんな疑問だった。


 空には厚い雲が未だ浮かんでいるが、雨はすでに止んでいる。

 だが、まだ夕刻前だというのに、村は夜更けのように寝静まっている。人の声が一切しない。廃村のような雰囲気は、雨が止んでも変わることはなかった。

 クーと二人並んで、意味もなく村を縦断する形で歩いていく。


 その最中、ジュンタは先の質問の答えを返した。


「だって、放っておけないだろ?」

 何が、とは言わない。誰が、とは言わない。

色々と放っておけないものが多すぎて、言葉として説明するのは難しい。

 クーは黙ってジュンタの言葉を受け止め、それからポツリを呟く。


「……ジュンタさんは、とてもいい人ですね」


「そうか?」


「そうです。普通なら、傭兵さんたちでも敵わなかった……殺されてしまった相手に狙われてる村に留まろうとは思わないはずです。生き残った傭兵の人も、今朝一番に逃げてしまわれましたし」

「そうは言うけど、それを言ったらクーだってそうだろ? クーだって逃げなかったじゃないか」

「私は……私には死んでいった傭兵さんたちの分まで、この村を守らなくちゃいけない責任がありますから」


 ジュンタは一度立ち止まって、クーをまっすぐに見る。


 見返してくる青い瞳は今までにないほど悲しみと、そして静かな決意に燃えていた。


 やっぱり、とジュンタは思う。

 この優しい少女は、名も知らぬ傭兵が死んだことを悲しみ、憤りを感じているのだ。そして恐らくは自責の念も、また一緒に感じている。


 昨夜、森に向かった傭兵たちにクーは同行を願い出た。これはまぁ、ジュンタにも予想できたことである。クーならばそうすると予想していた。


 そしてクーに対応する傭兵の返答も、また予想通りだった。


『子供は寝てな』
『女は足手まといになるからついてくるな』

 クーが今まで一人で戦っていることを知っても、その返答は変わらなかった。

 結果、傭兵たちは仲間内だけで森に向かい、そして死んだ。


 クーの所為じゃない。クーに悪かったところなんて一つもない。だが、少女は肩を震わし、助けられなかったことを悔いている。

 その姿がすごいと、ジュンタには正直に思えた…………そして同時におかしいとも、以前よりも増して思う。

 少し考え、ジュンタはクーに対して贈る言葉を選ぶ。


「……クーが傭兵たちが死んだことに何か責任を感じてるなら、俺だって責任を感じなきゃいけないな」

「え? どうしてですか?」


 見返してくるクーの碧眼が、ジュンタの言葉に困惑の色を見せる。意味が分からないと、そう言った風だった。

 それはそうだろう。意味は分からないはずだ。きっと、自分以外では誰も気がつくはずがない責任なのだから。

クーがしっかりと耳を傾けているを確認してから、ジュンタは神妙な顔つきで理由を告げる。


「俺が提案者だからな、傭兵とか雇ってるみるのはどうですかって言った。クーが自分の些細な言葉に責任があると思ってるなら、俺にも責任があるよな? ……というか俺の方が責任重いな。そもそもの原因だしさ」

「そんなっ、ジュンタさんは何も悪くないです!」

「なら、クーも悪くないってことになるよな?」

――ッ!」


 神妙な顔から一転。ジュンタのちょっと意地悪な笑みに、クーははっとして口を噤む。


 誰も責任があるだなんて思わない些細なこと。
 あるかないかの責任を否定するなら、それは自分の責任も否定するのだと、彼女は気付いたのだ。


 故に、それを認められなくてクーは顔を俯かせる。

 別にジュンタにクーを困らせようとする意図はない。ちょっと虐めてくださいオーラを発しているから虐めたとか、そう言うのは…………取りあえずないと思っておきたい。

 あくまでも彼女を心配する身として、少しだけ注意を――その不安定さを問うたに過ぎないのだ。

「でも…………私は助けないといけないんです」

 ただ、その心は伝わっても、内容までは認められなかったらしい。クーは断固とした意思を瞳に乗せ、訴えるように独白する。


「私は苦しんでいる人を、見捨ててはいけないんです」


「どうしてだ? 誰だって自分が一番大事だろ? 困ってる見ず知らずの他人を助けるのはいい。でも、それが自分の命を危機に晒すなら、手を差し伸べられなくても誰も責めはしないと思うけど?」

「違うんです。私のは、もっと自分本位な理由なんです。

ジュンタさん。以前、私には会いたい人がいると言ったのを覚えていますか?」


「ああ、会ったこともないけど、クーが大好きな人だろ?」

「はい」


 今度は赤くなって否定はせず、クーは頷いてみせた。

 
 クーの旅の目的である、探し人。
それが一体彼女の人助けの理由に、何の関わりがあるのというのだろうか?


 少し遠くを見つめながら、クーは続ける。


「その人はとても素晴らしい人なんです。困っている人を、苦しんでいる人を在るだけで救う、それこそ全ての人にとっての希望の光なんです」

「それはまた……」

 
 聖人君子みたいな奴だな――ジュンタは声には出さないが、内心でそう思った。


「その人に会ったことはありません。でも、その人と在り方を同じくする人をずっと見てきました。綺麗で、優しくて、強くて…………私の憧れなんです。そしてそんな大命を背負った人を助けるのが、私の夢なんです」

 憧れの人と、その在り方を同じくする探し人。

 会ったことはないけれど、性別すらきっと分からないのだろうけれど、クーにとっては想いを向けるには、ただそれだけで十分なのだ。

 それは一目惚れ。会ったこともない誰かを、その姿を想像しただけで好きになる。それはある意味、一目惚れのようなものだろう。


「だから私は、いつか会ったその人に恥ずかしくないように、その人の従者になるのが恥ずかしくない人間になるために、困っている人を見捨ててはいけないんです」

 全てはいつか出会う誰かに認められるために――

 そう言い切ったクーだが、それは結局、誰かを救う理由の一つでしかない。

 クーという少女は、きっとその理由がなくとも、困っている誰かには手を差し伸べずにはいられないに違いない。


「クー。お前は――

 両手を握りしめ、彼方の空を見つめる少女を見て抱いた言葉を、ジュンタは伝えようとした。

 だがそれを言うことは叶わなかった――クーの向こう側に、輝く赤い色を見たために。

 なんだ? と思う前に、ジュンタの頭の警報は鳴り響き、身体が勝手に動いていた。

「危ないっ!」


 咄嗟にジュンタはクーの背中を押し、彼女をその攻撃の範囲外に叩き出す。

 自分もそれから回避行動に移り、思いきり横へと跳んだ。

「きゃっ!」


 という小さな悲鳴を打ち消すように、つい先程までジュンタとクーがいた場所に、燃える炎球が叩き付けられた。


「敵襲!?」


 素早く身を起こしたクーの言葉に、ジュンタは持っていた布袋から刀を取り出す。


 作戦会議ということで、ずっと持っていたのが幸いした。武器は手元にあった。
勢いよく鞘から刀を抜き放ち、ジュンタは神経を集中する。

 今まで幾度となく自分に力を貸してくれた、あるいは発揮した虹の煌めきを、初めて自分の力で使おうとする。


 感覚はすでに掴んでいる。
自分の中にある何かを封じ込めた蓋をこじ開けるように、そこへと意識を集中すれば事足りる。


 魔法の詠唱と同じような自己暗示――

 少しあやふやながらも脳裏に描かれる、七色に輝く虹の光――


「虹の波紋」

 内に働きかける、一つの言葉。


 身体の中から何かが染み渡るかのように出て、虹の光が身体と日本刀を包んでいく。


 隣に立つクーには、ジュンタが何をしたか分かっていない。いや、気付いてすらいない。この虹の波紋を打つ光は、ジュンタ以外には不可視であった。


 身体の無駄な部分が削ぎ落とされた感覚。

 刀から重さが消失して、ずっと握り続け、腕と一体化したかのような錯覚。


「なんとか出来たな」


 確かな感覚を掴み取り、ジュンタは刀の切っ先を、炎が出てきた方へと向けた。


 そこはグストの森と村との境界線だ。
村の端にある教会の、その裏手の森辺りから先程の攻撃は来た。

「ついに夜以外に襲撃が……ジュンタさん、気を付けてください。炎を撃ってきたということは相手はゴブリンではありません。別の何かです」


「了解」

 自分より冷静に状況を把握しているクーの言葉に、ジュンタは握る手の力を強める。


 ピリピリとした緊張感の中、ゆっくりと、その巨体が木々の間から現れたのは次の瞬間のこと。
現れたのは、赤銅色に輝く肌を持った獣だった。


「オーガ!?」


 三メートル近くある、赤銅に覆われたような硬質の肉体に、やけに長い手と短い足。耳のない顔には目と鼻と牙がのぞく大きな口。そしてスキンヘッドの頭には二本の角が生えている。

 一見すれば人間にも見えるが、よくよく見れば、それが人間外の魔獣であることは一目瞭然だ。
 なにしろ、手に人間大の大きさの棍棒を持っているのだから。あんなもの、普通の人間には持ち上げることすらできまい。


 クーが呼んだその魔獣の名は『
赤銅色の鬼(オーガ)――どことなく『小さな鬼(ゴブリン)』の進化系にも見える、巨躯の魔獣であった。


「クー、あれは強いのか?」


 ジュンタは半ば解答を予想できる質問を、クーにぶつける。


「はい、かなり。ワイバーンが空の王者なら、オーガは陸の王者と呼ばれています。身体は硬く、力は強く、口からは炎を吐きます」


「マジかぁ〜」

 ドスンドスンと一歩ごとに地面を揺らしながら近付いてきたオーガを見上げ、ジュンタはかつて戦って死にかけた相手――ワイバーンと同じぐらいの強さと聞き、背筋を震わす。


 だが、続いたクーの言葉に元気を取り戻した。

「ジュンタさん安心してください。大丈夫です。私の氷の魔法属性はオーガとは相性がいいんです。使える最大級クラスの魔法を撃てば、問題なく倒せますから」


「本当か? よかった」

「ですが問題が……」


「あるんだ、やっぱり」


 そう上手くいくとは思っていなかったが、希望を持たせた後一気に絶望にたたき落とす手際。クーのことだから天然なのだろうが、ちょっぴり酷い。


「す、すみません。強力な魔法を撃てる儀式魔法は、まず儀式場の構築から始めないといけないんです。持っている触媒を総動員しても、五分ぐらいはかかってしまいます」


 申し訳なさそうにするクーを見て、彼女が内心では何を自分に望んでいるのか、悟るのは容易い。


 決して口にはしないだろうが、クーは準備が整うまでの時間稼ぎを頼みたいのだ。


 オーガはゆっくりとながらも着実に近付いてきている。時間はない。


「……分かった。じゃあ俺がその時間を稼ぐから、クーはでかいのを一発ぶっ放してくれ」


「そんなっ! 危ないです――ってもう行っちゃいました!? すみません、ジュンタさん。すぐに儀式場を構築しますから!」

 ジュンタは決意して、オーガに向かって走り出す。

その背にクーの悲鳴と、決意した声が届く。自分の意思はちゃんと届いたようだ。後ろの方で、白い綺麗な魔法光が煌めき始めたのが分かった。


 ジュンタはもう二メートルもない場所まで接近したオーガを見上げ、

「クーのところへは行かせない」


 そう、恐怖を押し殺してやけくそ気味に笑って見せた。

 怖い、怖いが、それでも虚栄を示して、ジュンタはそれを力とする。


「オォォォオオオオオ!」


 理性のない、獣の唸り声がオーガの口からもれる。

 そしてそれに合わせ、オーガは持っていた巨大な棍棒を振り下ろしてきた。


 あんな一撃受け止めたら、衝撃に弱い日本刀なんて折れ曲がってしまう。いや、きっと折れる、自分ごと。たぶん確実に。


 ジュンタはすぐ回避するために横に動く。

 最善なら後ろだが、クーを守っているためそれはできない。
 大振りの力任せの一撃なら、それほど難しくもなく避けられる……そうジュンタは思っていたが、それは大間違いだった。

 人外の筋力による一撃は、技などなくても十分脅威的だった。


 得物の重さも相成って、オーガの一撃が振り下ろされるスピードはとてつもなく速い。あと少し回避に移るタイミングが遅れていたら、確実に潰されていた。

 ジュンタはオーガの一撃でひび割れた地面を見て、ぞっとしない未来を描きつつも、決して逃げずにちょこまかと翻弄する。


 これは時間を稼ぐためだけの戦いだ。攻撃をして倒さなくても良い。というか絶対倒せない。逃げるしかない。だが、それでいい戦いなのだ。


 オーガは棍棒をのっそりと持ち上げると、そのまま大きく振り上げて、振り下ろす。それだけの単調な攻撃しかしない。だからこそまだジュンタも生きていられるのだが、これで理性が伴ったらと思うと……ダメだ。ぺしゃんこになっている未来しか思い描けない。

「おいっ、こっち向けデカ図体!」


 死に物狂いでジュンタはオーガの攻撃を避け続け、気を惹くように声を上げる。


(今、何分経った?)


 その内心では、焦燥と共にそんなことを考えていた。


 正確な時間は腕に嵌めた時計を見れば分かるが、余計な動きをしているだけの余裕はない。
 オーガの攻撃を避けることに集中しないと、次の瞬間には挽き臼に潰された豆のように、プチッと潰されて死んでしまう。


 避ける。避ける。避ける。避ける。

 逃げる。逃げる。逃げる。逃げる。


 それで精一杯。他のことに意識を割く余裕は、ジュンタにはまったくなかった。


「オアァアアアアア!」


 その時、オーガが徐に口を開いた。その口には赤い光が灯り始める。


「炎か!?」

 ジュンタはクーの言葉を思い出し、すぐさまオーガから距離を取る。


 オーガの口には赤い焔が輝き、それは次の一瞬にはジュンタ向かって吐き出された。


 かつて戦ったワイバーンより劣る威力とスピード。

 ジュンタは難なく炎を避け……そして炎の礫ごとこちらを打ち砕きに来る、棍棒の動きを見て戦慄した。


 炎で隠しながらの攻撃――
まさかオーガがそんな狡い手を使ってくるとは、露ほどにも考えていなかった。

「ジュンタさん?!」

 クーの悲鳴が聞こえる。オーガのこの一撃は、自他ともに認める避けられるタイミングじゃない。


「死んでたまるかぁあああああっ!!」


 だからジュンタは避けることを諦め、渾身の力で刀をオーガの棍棒に合わせ、振り抜いた。


 ガキン、という鈍い金属音が響き渡り、続いて棍棒が地面に突き刺さる音が響く。


「ジュンタさん、離れてください!」

 自分が死んだのか、そうでないのか……それが当事者であるから分からなかったジュンタの耳に、クーの声が届く。それで自分が生きていることを確かめ、ジュンタは大きくその場から背後に下がる。


 一目散に逃げる自分とは逆に、ジュンタはオーガへと向かう、クーと擦れ違った。






 オーガへと接近したクーの手には、それまで握られていなかったはずの氷の杖が握られていた。

 

この杖こそ、儀式によって生み出した一種の『魔道書』だった。
 魔道書とは、魔法行使をバックアップしてくれる魔法の式が編まれた品のことを言う。書物の形が最も普遍的だが、氷で出来た杖の形をしたこれも、立派な魔道書である。

 儀式により生み出した、僅か数分しか形と術式を保てない魔道書――
だがそれで十分。オーガ一体ならこれで何とか出来るし、それにこれ以上ジュンタが戦っていると言うのに、儀式を続けることは出来ない。

 がんばってくれたジュンタに報いるため、クーはオーガへと突っ込む。

 巨大な棍棒が獲物を求めて向かってくる。その当たれば骨を砕き、命を奪うだろうソレを、クーは冷たい眼差しで睨んで、

貫く極寒の一撃 槍の切っ先は鋭く 主に仇なす敵を貫く刃たれ

 詠唱と共に杖をオーガに向かって振り抜いた。

杖の先から、七本もの氷で出来た槍が生まれ、オーガの棍棒もろとも、赤銅色の肌を貫く。

魔法系統・氷の属性・儀式魔法――氷結の七槍(フリージング セブンランス)

接近しなければ使えないが、瞬間的突破力で言えば、今自分が使える魔法の中でも高位に属する魔法である。魔道書の力によって昇華された一撃は、巨大な氷の杭を以てオーガの身体を絶命せしめた。

 全身を貫かれたオーガは、緑の血を吹き出しながら仰向けに倒れ込む。

 それと同時に、役割を負えた氷の杖がひび割れて砕け散った。

 

「……勝ったんだな」

 クーは背中にジュンタの声を聞いて、不思議な想いに駆られた。

 自分たちはオーガに勝利した。二人いたからこそ、何の被害もなく倒すことが出来た。
 それがなぜか非常に嬉しくて、誇らしくて、この喜びを分かち合いたくて、クーは笑顔でジュンタを振り向いた。

「ジュンタさ――

 振り向いて…………だけどこの戦いが、決して喜びだけの勝利ではないことに気が付いた。

 笑顔が凍った。嬉しい気持ちが一気に萎んだ。

ジュンタは紙一重でオーガの棍棒の軌道を逸らし、命を救ってくれた自分の剣を見ていた。その姿は、酷くショックを受けているかのようで……

「…………あ、う……」

 クーは自分の足下に散らばった、僅かに光る、氷の結晶以外の輝く欠片の存在に気付く。

 ジュンタの剣――その刀身は、その半ばから砕け折れてしまっていた。









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