第四話  旅人の刃





 鳥の鳴く声もなく静まりかえった森。

 毎夜毎夜、グストの村を襲うゴブリンが現れる森。


 それが今夜は、不気味なほどに沈黙していた。


 村の教会の広間には、今、村人たちがいつものように避難をしている。

 広い部屋だが、百人を越す村人が集まればかなり狭い。ジュンタはそんな広間の中央テーブルに並べられた椅子に座り、目の前で行われている会議に参加していた。


 昼中行われていた話し合いとは少し違う、今回は本当の意味での会議――ゴブリン掃討のための作戦会議である。


 昼と同じように十数名の人間が集まり、招集者である教会の神父の話に耳を傾けている。

ジュンタも隣に座るクーに倣い、真剣に話を聞いていた。


「今夜、ゴブリンによる襲撃はありませんでした。クーヴェルシェン様が森を確認になられても、ゴブリンの姿は一匹として見つけられなかったそうです。そうですね? クーヴェルシェン様」


「はい。一通り探してみましたが、ゴブリンの姿は見つけられませんでした」

 進行役を務める神父に尋ねられ、クーははっきりと頷く。


 村にいる唯一と言って良い戦力として、彼女は先程まで森に出て探索をしていた。

 毎夜現れ、村を襲おうと付近の森に潜んでいたゴブリン。
それが今日に限って、まったく見あたらなかったのだという。

その報告を聞いて、もうゴブリンがいなくなったと楽観視する人間はこの会議に参加する人間の中にはいなかった。昨日、傭兵たちが倒し損ねたゴブリンが、十体単位で森には残っているはずだからである。

つまりゴブリンたちは、何らかの意図があって今夜は姿を見せないのだ。

その不気味さは、襲撃してくることよりも恐怖を感じさせた。

「そしてもう一つ、夜でもないのに出たオーガですか……」

「ええ。間違いなくオーガでした」

 会議の内容は昼間ジュンタとクーが戦った、赤銅色の魔獣の話へと移り変わる。


「ゴブリンにオーガ……一体、私たちの村はどうなっているのでしょう?」


「分かりません。ですが分かっていることは、魔獣たちの脅威度が上がっていることです」


「そうですね。昼にも魔獣が現れるとなると、日々の営みすら行うことができない。すぐではない。ですが近い将来、グストの村は滅んでしまうでしょう」


 神父の一言に、会議に出ていた村人だけじゃない、避難してきている村人の間から溜息がもれる。


 昨日の傭兵たちに希望を持った安堵から一転、急転し出した状況は、以前よりも悪化している。


 ……もう時間はない。このままではいつか、本当に死者が出てしまう。


 そう思ったのか神父は力強く握り拳を作り、絶対の意思で己が意見を述べた。


「原因を突き止めましょう。それしか、我々が生き残る道はありません!」






 会議が終わって自室に戻り、ジュンタはゴロリとベッドに寝転がった。そしてそのままの状態で、今回の事件について考え出す。


 なんだかんだの内に関わり合いになってしまっている事件。

 今更村を見捨てて逃げるなんてことはしないが、それでも恐怖は確かに芽生えている。何の後腐れもなく逃げられるなら、さっさと逃げ出したいぐらいに。


「でも、逃げるわけにはいかないしなぁ〜」


「ですね」


 ぼんやりと呟いた独り言に、相槌が返ってくる。

 自分と同じように村にやってきて、今は同じ部屋で寝起きしているクーである。


 彼女ははおっていた上着を脱ぎ、それを綺麗に畳んでから、そろそろとベッドの中に入っていく。ジュンタのように布団の上で転がるようなことはしない。

「でも、本当に危ないと感じましたら、ジュンタさん、逃げてもいいんですよ?」


「バカ言え。クーたちを置いて逃げられるわけないだろ?」


 こっちのことを心配してくれているということは分かるが、今更そんなことを言われても悲しいだけだ。

ジュンタはぼ天井を見つめたまま、


「まぁ、本来なら俺には関係ないことだけど、ここまで来たら最後まで付き合うさ。旅の途中に訪れた村の事件に積極的に関われることが、旅人の特権だって昔誰かが言ってたしな」


「そうなんですか?」

「ああ、確か実篤が……」


 ジュンタは幼なじみのことを思い出して、そこから砕けた刀のことを思い出す。


 銘もない日本刀は、幼なじみから受け取った大事な品だった。


(折れちゃったな。でも、命には代えられないか)


 オーガと戦ったとき、あの日本刀が無ければ自分は確実に死んでいた。豪腕から来る一撃を避けられたのは、思いきり日本刀をぶつけて、軌道をずらすことをできたからだ。その時の衝撃で日本刀は折れてしまったが、それは仕方のない犠牲といえよう。

 もう二度と行けないかも知れない故郷の、もう会えないかも知れない、あの宮田実篤から受け取った品だ。大事なものだった。だから惜しむ気持ちはあるが、後悔してはいけない。


 形あるものはいつか壊れる。それがあの刀の場合、少しばかり早かっただけのこと。


「う〜ん。だけど、武器がなくなったのは痛いよな。何か明日にでも見繕わないと。取りあえず村長……はまだ寝込んでるから、神父さんにでも相談してみないと」


 思わず声に出して明日の予定を立てたジ言葉を、横でクーが聞いていたようである。


 おずおずと言った感じで、クーが尋ねてきた。


「あの、ジュンタさん。あの剣は……その、ジュンタさんにとって大事なものだったんですか?」

「まぁ、な。一応親友から貰った奴だし。まだ、愛着が湧くほど持ってたわけじゃないけど、一応思い入れはあったかな。でも、使う人間あっての武器だからな。何の悔いもないさ」


 先程考えたことを、ジュンタは特に考えもせずに言葉にする。

 するとクーが息を呑んだように言葉を詰まらせ、悲しみを孕んだ声で、


「ごめんなさい。私がしっかりしてなかったから」


 また、そんな風に謝ってきた。


 ジュンタはクーからの謝罪に、ガクリと肩を落とす。

 またこの自分を追いつめることが好きな少女は、何ら責任のない事柄に責任を感じてしまっているようである。ほんと、これだけはどうかと思う。


「あのなぁ〜、クー。俺は何の責任もない奴がする謝罪の言葉ってのが嫌いなんだ。だから、そういうのはこれから一切なしにしてくれ」


「ですが――

「『ですが』も、『でも』も禁止。クーは責任感が強すぎなんだ。もっと肩の力を抜いてればいいと思うぞ? クーは、もう十分すぎるほどがんばってるんだから」


 倒れるまで村人のためにゴブリンと戦って。報賞もないのに、ただ困っている人を助けたい一心で戦って。そんな少女に、ごめんなさいの言葉は似つかわしくない。


 ジュンタはそう思って、クーと交わした話を思い出し、言葉を選んでクーに言う。


「だから……俺がこんなことを言うのもなんだけど、クーが認めて欲しい人も認めてくれるさ。よくやったって、頭を撫でて褒めてくれる。絶対だ。クーが褒められないなら、他に褒められる資格を持ってる奴なんていない」

「そう、でしょうか? 私は誰かに認めて貰えるような人になれているのでしょうか? …………私には、まだまだとしか思えません」

 部屋の天井を見上げているジュンタには、クーの顔は見えない。でも、きっと複雑な表情をしているだということは声から分かった。

 ベッドに転がったまま、ジュンタは頭の後ろに手を組む。

 どうやったらこの自分を過小評価し過ぎる少女に自分自身を認めさせられるか……それを考えて、それはきっとクーの求める『探し人』にしか無理なのだと結論を出す。


(悲しいな。俺にはほんと、何も出来ない)

 そうしてジュンタは今できることを探し、ベッドから飛び降りた。

 ベッドの上で小さな身体を丸めるクーに近寄り、その手を取って握る。優しく、少しでも想いが伝わるように。


 握った小さな手は、握り替えしてくれる。

 布団から半分だけのぞく顔が、少し安心した風に落ち着いたのが嬉しかった。


 ゆっくりと眠りに落ちていく少女を見て、ジュンタは遠いどこかにいる誰かへと贈る。


(どこにいるか分からないけどさ。クーの探し人さんよ。早くクーの目の前にやってきて、手の一つでも握ってやってくれ。毎日でも、クーはそうされる資格を持ってるんだから)

 

 それまでは、せめて自分が代わりと努めてやるという気持ちと一緒に。






       ◇◆◇






昼間にも魔獣が出没することを知ったグストの村は、太陽が出ているというのに、夜と同じように出歩く人は見あたらず、死んだように寝静まりかえっている。

「いらっしゃ〜い! いらっしゃい! 誰か見に来たってやー!!」

そんな見ているだけで悲しくなってくる光景の中、一人の男だけが騒がしく声を張り上げていた。


 短い髪に赤い縄のようなはちまきを巻いた、十七、八歳ほどの男である。

人懐っこい顔を今は必死の形相にして、村で一番目立つ教会前で風呂敷を広げて品物を売っている。男はどうやら商人のようだった。

 広げられた風呂敷には様々な食品、装飾品などの品々が並べられ、男の背後に転がる壊れた馬車の荷台には、さらに様々な品物で溢れかえっていた。

「…………なんだ、あいつ?」


 そんな初対面の男を見て、思わずジュンタはそんな言葉を口から発してしまった。


 男は客もなく暇をしていたようで、教会から出たばかりのジュンタの声に過度の反応を示す。耳をピクリと動かし、全速力でこっちに近寄ってきた。


「今、ワイの名を呼びおったな自分!」


 逆エコーを響かせながら走ってきた男は、荒い息を吐きながら、おかしな口調で話しかけてくる。

 凄みがある。何か、得体の知れない恐怖をこの男から感じる。

 勢いにまかせて顔を寄せてくる男から後退り、ジュンタは微妙に顔を背けた。

「あ、ああ、呼んだ、ような。呼んでないような……」

「おおっ、やっぱり呼んだんやな! いやぁー自分、運がいいで。いつもならワイに話しかけるには、集まったワイのファンの女の子の後になってまうからな。おおっと、贔屓だなんて言わんといてや。自分も同じ男やから分かるやろ? お客様は神様っちゅうけど、やっぱむさい男より女の子の方を優先したいやんか。なっ?」


「いや、いきなり同意を求められても困るんだけど……」


 まるで今まで我慢していた反動が、今ここに吐き出されたと言った感じでしゃべってくる男を前にして、関わり合いにならない方がいい奴に関わってしまったことを、悟りたくもないのにジュンタは悟ってしまう。


 馴れ馴れしくも肩を強引に組んできて、ニカニカ笑っている男は……なんというか不思議にヘタレっぽい男である。

「おっと、そう言えば自分にはまだ自己紹介をしてへんかったな」


(正直、名前を知りたいとは思わないんだけど、めちゃくちゃ聞いて欲しそうな顔してるよコイツ)


 初対面ながら、ジュンタはこの男の性格を掴んだような気がした。

 遠慮する気がまったくおきないのは、商人としてはフレンドリーに接っすることが出来ていていいのだろうが、友人として見るのにはどこか疑念が混じる、そんな性格をした男だ、と。


「ワイはラッシャ・エダクールや。こう見えても古今東西の品が揃った貿易会社――エダクール商店の跡取り息子なんよ。今は見聞を広げるために、行商人の真似事をしながら旅している真っ最中なわけや。自分も旅人なんやってな。つまりはお仲間っちゅうことやな!」

 商人風ヘタレ風味男の名前は、ラッシャ・エダクールというらしい。

 年齢も自分とそう変わらないので、ジュンタは彼を名前の呼び捨てで呼ぶことに決めた。


 ジュンタはラッシャをちょっぴり胡乱げな視線で見つつ、早口のようにしゃべった彼の言葉の中で、気になったことについて尋ねてみる。

「俺はジュンタ・サクラって言うんだけど、お前、なんで俺が旅人だってこと知ってるんだ? 俺とお前、初対面のはずだよな?」


「あっははははっ、中々面白いこと言うやっちゃな。しかしワイを笑かそう思うたら、もっと捻って貰わなあかんで。そんなちょっぴりブラックなジョークじゃ…………って、え? 何で真顔なん? えっ、自分もしかして本気で言っとるん!?」

 手を『またまたぁー、冗談きついわ〜』見たいな感じで振っていたラッシャが、笑顔を引き攣らせて身体の動きを止める。

 どうやら彼の反応を見るに、自分とラッシャは以前に会っているようだが……まったく覚えがない。


「うそんっ! 今朝も昨日の夜も昼も朝も! 自分、一緒に飯食べてたやん!?」


「嘘? 全然気付かなかった」


「…………………………な、なななな何や何や視野が狭いやっちゃなぁ」

 もの凄いショックを受けているのに、それを必死にこっちの所為にしてくるラッシャは、とてもじゃないが存在感が薄いとは思えない。本当に一緒にご飯を取っていたとするなら、覚えていてもいいものだが……

 とそこまで考えて、ジュンタは最近の食事中のことを思い出す。

 教会でご飯を用意してくれることになっているジュンタは、同じようにお世話になっていたクーと食事の席を同じくしていた。そして隣同士で食べていると、その話題は村で起きている事件の方に自然となってしまう。


 真剣な話をしているのだ。

広いテーブルなので、例え同じ席にいたとしても、気付くことはなかったのだろう。

……でもまぁ、何やら衝撃を与えてしまったのは事実なので、ラッシャにジュンタは軽く謝っておくことにした。


「いや、なんか悪いな」


「…………ええよ。謝られた方が、辛いさかい」


 どんよりと影を背負って、ラッシャは先程の広場に広げた商品の方へと、トボトボと歩いて行ってしまった。

その時、背後の教会の戸が開き、中からクーが顔を出す。


「あ、ジュンタさん。その、すみません。少し相談ごとが――

「へいっ、クー嬢ちゃん! 元気しとるか? あーいかんなぁ、どことなく元気ないように見えるわ。よっしゃ。命の恩人が元気ないのを放って置いたら、エダクール家の恥! ひいてはワイのいい男道の恥や! 元気になる品物の一つや二つ見繕ってやるさかい。商品見ていったってや!」


「え? え!? あ、あのちょっと、ラッシャさん!?」

 猛スピードで引き返してきたラッシャに、何かを言いかけたクーが連れ攫われてしまった。


「……これは、追いかけるべきなのか?」


 グイグイと腕を引っ張られていくクーは、どことなく困っているように見える。しかしラッシャはそう悪い奴ではなさそうなので、放って置いてもきっと問題ないだろうけど……


「まぁ、暇だし、行くか」


 取りあえずジュンタは、二人の後を追うことにした。







「いらっしゃい、らっしゃい。ワイの自慢の品々を目に穴が空くほど見たってくれや!」


 商売根性たくましいというか、ふてぶてしいというか、強引にも客を商品の前に引きずり込んだラッシャの言葉にクーが苦笑しつつも素直に頷く。

 ジュンタもクーの隣にしゃがみこみ、ラッシャの並べた商品を見る。

「食料品に……装飾品だな、これは」


「マンドラゴラに死屍草。儀式魔法の触媒に、わっ、これ凄く珍しい魔道書です! おじいちゃんが持っているの以外で、この魔道書を見るのは初めてですよ」


「他にも曰く付きの品とかもあるで〜」

 種々雑多に並べられた商品は、なるほど、確かにラッシャが自慢というのも頷けるラインナップである。その辺り価値をジュンタはよく分からなかったのだが、クーはかなり驚いている。

 彼女もやはり女の子だったらしく、目を輝かせて珍しい商品を――主に興味ある商品が怪しい草や道具だったのはともかくとして――見ている。

 ラッシャが説明し、それは色々と聞いている内にジュンタはふとあることを思い立った。


 それは今現在もジュンタが握っている、布袋の中身のことである。


「なぁ、ラッシャ。実は欲しいものがあるんだけど」


「おうっ、なんや? エロスか? エロスなんやな? 任せられたわ兄弟っ! ワイもその辺りの品には特に力を入れているさかい、安心してや!」


「あ、おいっ!」

 話を最後まで聞かず、怪しい笑みを浮かべて背後の馬車の荷台に特攻していったラッシャを見送って、それから隣で顔を真っ赤にしているクーを見て、一体どうしろとジュンタは嘆きたくなった。


 ちらり、ちらりと横目で見てくるクーの視線が、かなり恥ずかしい。『もう仕方がないですねぇ』という微笑みがちょっぴり辛い。

「おうおうっ、待たせたな! これがワイのおすすめの品やで!」


「いや、俺が欲しいのはこういうものじゃなくてだな……」


 何やら赤の背表紙で出来た本を差し出してきたラッシャに、自分は折れてしまった刀の代わりの武器が欲しいのだと、そう伝えようとして……本から発せられる色香に負けた。


 これは研究だ。これから先、この世界で生きていくための研究なのだと言い訳しつつ、ジュンタは本を開く。そこにそろ〜と、隣から小さな顔と大きな帽子が覗き込んできたため、チラリと中身を確認しただけで直ぐさま閉じる。閉じて、ラッシャに突き返す。


「どうや自分? ワイがオススメと言った意味が理解できたやろ? 一冊金貨五枚もする百冊限定裏本なんよ! これを手に入れるためにどれだけ苦労したか!」

 

「…………取りあえず、お前が変態だということはよく分かった。

いいか、クー。金輪際、絶対に一人の時はこの変態に近付いちゃいけないからな?」

「え? あの、それはどういう……?」


 クーの身体を後ろから抱え上げて、ジュンタはラッシャから心持ち距離を取る。


 あれは危ない人間だ。特にクーのような少女を好んで狙う、魔獣にも劣る畜生だ。


「な、ななな何言うてんねん自分!? こ、これはあくまでお客様のために買い揃えたものであって、決して秘蔵の宝石を売ってまで手に入れたモンやないんやで! 

ああっ! クー嬢ちゃん。ワイを、ワイをそんな生暖かい目で見んといたってや!」


「……えと、良く分からないですけどすみません」


 ジュンタの言葉と行動に困惑していたクーは、やがてその意味合いに気が付いたようである。しかしクーはあの本の中身を見ておらず、ラッシャにどんな視線を送って良いか分からない様子なので、別に生暖かい目など送ってはいない。
ラッシャが一人で悶えているのは、何かやましいところがあったからなのである。

(まったく、なんてもんを見せるんだ……)


 チラリと見ただけながら、インパクトの強かった映像を思い出すと、視線は何ともなしにクーへと移ってしまう。

いや、別にやましいことは何もない。

ただ、あの色本の被写体らしき人物が、クーと同じ長い耳をしていたというだけのことで。むしろちゃんとした写真に近い画像がプリントされていたことの方に驚いた……きっと魔法技術の力なのだろうが。いや、もしかしたら本自体におかしな魔法がかけられて…………


 ジュンタはラッシャの持つ本に、程よく興味津々っぽいクーの身体から手を離し、未だ悶える一人の変態へと近付いていく。


 先程のことは忘れよう――その方が自分のためにも、ラッシャのためにも、そしてクーのためにもいいに違いない。

「ラッシャ。俺が欲しいのはこういうのじゃなくて、剣なんだよ」


 ジュンタは気持ちを切り替えて、今度はちゃんと本題を先に伝える。


「違う! 違うんやっ! あれはクー嬢ちゃんと出会う前に買ったもんなんやからっ!」


「聞けよ」


「ああっ! 足先で突かんといて! ……ってすまん、ちょいと暴走し過ぎてたみたいやな。それで欲しいもんは剣っちゅうことやけど」


「使ってたのが折れたんだ。商品の中にあるか?」

 懐に本をしまい、服についた汚れを払いつつラッシャは座り直す。

 ジュンタが欲しがっているものが剣と聞いて、その用途がいかなることに使われるためのものか分かったのだろう。真剣な顔つきになっている。


 しかしながら、ラッシャの返答は首を横に振るというものだった。

「悪いんやけど、森の中のこの村用に用意した品ばっかりやからな。売れへんのにかさばる剣は持ってきてへん。エットーの街に預けといた荷物には、秘蔵の防具とかもあるんやけどな。それを今から届けようと思うても、馬車も壊れてもうたし……」

「いや、ないならいいんだ」


「……悪いな。折角、自分らががんばってくれてんのに、ワイは何も手伝ってやれへんで」


「仕方がないですよ。ラッシャさんが怪我をしているんですから」


 クーが近付いてきて、ラッシャに向かって柔らかな笑みを浮かべる。

 そこでジュンタは思い出す。この村にやってきた初日に、自分以外にも村の外から人がやってきたと言う話があったのを。

その商人の男は、来る途中にゴブリンに襲われて怪我を負ってしまったらしい。

乗ってきた馬車も壊れ、馬も無くし、たくさんの荷物があるため帰るに帰られない状況になっているという話だ。

旅装を着ているため怪我の有無は分からないが、このラッシャ・エダクールがその件の被害者なのだろう。


「安心してください。このグストの村の平和は、私がちゃんと取り戻して見せますから」

「私が、じゃなくて、私たちが、だろ?」


「あ、はいっ、そうでした。私たちが取り戻して見せますが正解でしたっ」

 ジュンタはクーに訂正を入れさせる。その些細な言い回しが重要であると、そう思えたから。


 ジュンタとクーの二人を交互にラッシャは見て、それからニカリと笑みを取り戻す。

「おっしゃ。じゃあ、二人にワイの命を預けたわ」


「そ、そこまでですか? 責任重大ですね。はい、がんばりますっ」

「軽そうな命だよな…………しかし、そうなると武器はどうしたもんかな。さすがに魔獣相手に素手はダメだしな」


 ジュンタは持っていた布袋の中から、日本刀を取り出し、柄を持って鞘から引き抜く。

本来なら、綺麗な波紋を広げた細身の刃がのぞくはずなのだが、今はその半分からを失っていた。

商人であるラッシャに代わりになる武器はないかと思ったのだが、そのあても外れてどうしたものか。

「さて、どうしたもんかなぁ。武器がないと俺は戦えないし」

クーとラッシャも、ジュンタの刀を見て悩み出す。


「…………いえ……ですが……でも…………ですし……」


 無言で、何やらもの凄い葛藤を見せているクー。


「珍しい形状の剣やな。片刃の刃で細身過ぎる、けど特に何かしらの[
魔力付加(エンチャント)]がされてるわけやないのに、かなりの切れ味を持っていそうやし…………というか、さっきのかなり酷い一言はみんなスルーなんやな。いや、ええけどね」


 商人のラッシャは刀そのものに興味を持ったようで、顎に手を当て、鑑定するように折れた刀を珍しそうに見ている。

やはり異世界では西洋剣が主流で、日本刀のようなものはほとんど出回っていないのだろう。対人ではなく対魔獣用なら、確かに西洋剣の方が効果的で使いやすいに違いない。


「しっかし話には聞いとったけど、ほんまにオーガなんて化け物が現れたんやな。こんな風に折れた剣を見たら、実感してもうたるわ」


「やっぱオーガって珍しいんだよな?」


「そりゃそうやろ、オーガやで? 普通魔獣は単独では怖くなくて、群れてるから怖いんやけど、オーガなら単独で十分脅威やな。
ゴブリンとは桁が違うわ。
 ドラゴンとまでは言わへんけど、ワイバーンくらいには珍しいで。確かに魔獣の分布や研究は中々進んでへんのが実状らしいけど……おっ、そうや。そこら辺のことを聞いて、一つクー嬢ちゃんに教えときたかった情報があったんやった」

「情報ですか?」


「そうなんよ。この村で起こっとる事件のことを聞いてな、ちょっと前に噂に聞いたことを思い出したんや。この村とまったく同じ状況やないんやけど、魔獣が人為的に運用された事件の話やで」

 やはり商人だからか、ラッシャは知識と、そして各地の噂に精通しているようである。

 中々重要そうな情報にクーが興味を持ったのを見て、ラッシャはさっそく話し出す。


「クー嬢ちゃん。ランカの街は知っとるよな?」


「ランカですか? 『始祖姫』様の一柱ナレイアラ様の子孫である、シストラバス家の方が当主として治めていらっしゃる街ですよね? ランカの街の噂というと、『双竜事変』のことですか?」

「その通り。ちょうど昨年の秋頃に起きた、一度に二頭のドラゴンが現れたっちゅう、前代未聞の事件のことやな。二頭現れたことで、逆に被害が少なかったっちゅう話やけど」

 ランカやドラゴンという単語に、ジュンタは思わず心臓の鼓動を早くしてしまう。


 その名前はジュンタにとって、とても意味を持った名前だった。

 昨年の秋頃と聞き、改めて今があれから二つ季節が移り変わった頃であることを知り、そしてジュンタはラッシャの言いたい噂の内容に見当がついた。


「『双竜事変』のことは有名やからな。大抵誰でも知っとる。だが、このラッシャさんはその大事件の影で起こっていた、とある事件のことも知っとるんや。それは――


「そうか。確かに人を魔獣に変えて襲わせていたベアル教なら、今回みたいな事件も起こせるな」

「………………実は! ランカの街であの有名な異教徒集団ベアル教が、シストラバスの姫さんを亡き者にしようと、魔獣を操って暗躍しとったっていう噂やっ!」


 聞かなかったことにした。絶対に聞こえていたはずなのに、聞かないことにして言い切った。


「そ、そうだったんですか……」


 重要な話だったのに、クーはちょっと困った風に苦笑いを浮かべる。

仕方がない。一言動をここまでギャグっぽく振る舞えるのは、ある意味ラッシャの才能である……今はこっちを恨めしそうな目で見て、地面にしゃがんで落ち込んでいるが。


 地面にのの字を描いているラッシャを尻目に、クーは何やら考え込んでいる。
先の言葉――つまりランカの街で起きた、ベアル教の暗躍について考えているのだろう。

 ベアル教とは近年、この神聖大陸エンシェルトで活動している宗教団体の名前である。

 大陸を越え、世界の九割以上を占めている聖神教という宗教があるこの世界で、聖神教以外の宗教はあまり広まってはいない。更に言えばジュンタが今いるグラスベルト王国という国では、聖神教以外の宗教は異端と見なされているように、扱いはかなり悪い。


 ベアル教も異端宗教と罵られている宗教の一つで、神の代行者たる使徒に人が導かれることを主とした聖神教と違い、神に縋らず己を高みへと導くことを掲げた宗教団体である。


 それだけ聞けば中々良さげではあるのだが、ベアル教のしていることは人の道理にことごとく反している。

 聖神教の関連施設、または関係者へのテロ行為。自分たちの宗教に害なすモノへの暴力による粛正。さらにはラッシャのもたらした噂にあるように、彼らは外法を使って人を魔獣へと変貌させることが出来るのだとか。


 クーもその辺りの悪名は耳にしているのか、どこか愁いを帯びた非常に難しい顔をしている。


「もし、その話が真実であるとしたら、今回の事件にもベアル教が関係している可能性もありますね」

「どのくらいの確率で?」


「十パーセント、と言ったところでしょうか? グストの村にはベアル教が狙うような聖神教の施設はありませんし、魔獣がベアル教によって運用されている確証もありませんから」


「まぁ、一つの可能性とでも考えておくか」


「そうですね」


 クーとジュンタは頷きあって、取りあえずこの話を頭の片隅にでも引っかけておくことにした。


 噂は真実だが、それでも今回の事件に関係あるとは限らない。関係ある可能性はかなり低い。
 今は関わっているかどうか分からないベアル教のことよりも、さらに優先すべき事柄が存在する。


 そう、それは例えば――

「……早く、事件を解決させなければいけません」


 ――クーが悲しそうに見つめる先の、閑散とした村の様子であるとか。

 夜にゴブリンの襲撃があったとはいえ、少なからず昼間は人が行き交っていた村には、もう人影はない。みんな家に閉じこもり、恐怖に震えている気配がする。


 終わりの見えない状況に、村はすでに死に絶え始めている。

ずっとグストの村のことを気にかけてきたクーには、見るに堪えない光景だろう。

 この村を、かつての素朴ながら笑顔が絶えなかった村に戻すこと――それが今は一番重要だ。

「せめて、村人の心を少しは楽にしてあげられないものかな」


 思わずジュンタは、村の姿を見てそう呟く。それにクーも頷いて、

「はい。何か良い方法でもあるといいんですけど。何か、気分転換になるような……」


「それならワイにまかしときっ!」


 パンと、その時ラッシャが手を叩いて自己主張した。


 ジュンタとクー、二人の視線がラッシャに集まる。

 ラッシャは少し照れた風に笑い、背後の壊れた馬車の荷台を見て、その中にたくさん並べられていた物を一本取り出す。


 それは瓶に入った――


「まぁ、少しは村のために尽くさなあかんからな。値引き交渉には、快く応じる気やで?」







       ◇◆◇







 ウェイバー村長は、積もり積もった心労により自宅で寝込んでいた。

かといって、別に眠っていたわけじゃない。いや、眠れなかったと言った方が正しい。

 眠れば悪夢を――自分の愛する村が滅んでしまう夢を見て、ゆっくりと眠ることすらできなかった。


 しかし起きていても、嫌なことを考えてしまう。

 村に起きている前代未聞の事件の解決策が、まったく思い浮かばず頭が痛くなる。


「ああ、ご先祖様、使徒様、神様。私は一体どうしたら……」


 自分の代わりに、頼れる教会の神父が色々と方法を模索していることは知っている。

彼に頼んだのは自分だ。信頼しているし、村人からの信頼も厚い。何より彼はグストの村を酷く愛している。彼ならば、何か案を思いついてくれるだろう。

 そう思い託して、自分は自宅に引きこもった。


 しかしながら、分かってはいた。
それは建前でしかなく、本音は彼に全てを放り投げて逃げているのだと。

 先祖代々、受け継いで、そして自分が託された大事な村。

 豊かなグストの森に囲まれた、小さな平和なグストの村。

 守りたい。守れるなら、自分の命だって懸けてもいい。老いぼれ一人の命で助けられるなら、喜んで命を差し出そう。それが神でも悪魔でも、誰にだって喜んで。


 だが、縋るべき神は何も答えてくれず、悪魔などは見つけることすら出来ない。


 いや、きっと神に祈りは通じたのだろう。いきなりゴブリンたちが現れて、領主の寄越した騎士が敗れた時はもうおしまいだと思ったが、その数日後にクーヴェルシェン・リアーシラミリィという心優しい旅人が助力を申し出てくれたのだから。

もの凄い幸運だ。彼女がいなかったら、すでに村は滅んでいたことだろう。

 彼女には心の底から感謝をしている。だが、ウェイバー村長はその上で神に祈っていた。

 ――どうか村をお救いなさってください、と。

 その祈りが神に通じるか通じないかは分からない。だが祈らずにはいられなかった。何も出来ない、無力な村長としては。

 自宅のベッドの上、少し折れ曲がった腰を持ち上げてウェイバー村長は起きあがる。


 すでに身体に体力はなく、精神もかなり不安定だ。食事も喉を通らない。日に日に声を無くしていく村を見ていれば、そうなるのは必然だった。

(ああ、今日もまた夜がやってきた……)


 薄暗くなり始めた夕刻から夜へと変わる瞬間を、村
人が家の外に出ない現状に苦しみを露わにした村長は家の中から見つめる。

 視線の先に生い茂る緑の森が見えた。遊び、働いたグストの森だ。

 そのグストの森に潜んだ魔獣が蠢く夜が、また今日もやってきた。


 日が沈み、グストの森の木々は黒い闇色に変わっていく…………はずなのに、しかし今日に限っては、いつまで経っても緑の色はその色を変えなかった。

 どういうことだ? まだ夜ではないのか? ついに昼夜の区別もつかなくなってしまったのか? ……そう思って、村長は眉を潜める。

 その時だった。耳に家の玄関戸をノックする音が聞こえてきたのは。

 来客である。そうなると必然的に、妻に先立たれた村長は自分で出迎えるしかない。よろよろとしながらも、何か重要な事柄かも知れないと思い、玄関へと歩いていく。


「こんにちは。いえ、もうこんばんはですかね村長」


 玄関の戸を開くと、そこには教会の神父が笑って立っていた。


「どうなされた? 何か良くない事態でも起きたのか? いや、今更どんな事態になっても変わるまい」


「馬鹿なことは言わないでください。村長、あなたがそんなことでどうすんですか? さぁ、来てください。あなたが来ないことには、始まらないんですから」

 自嘲の笑みを浮かべた村長に、見たこともないような強気の姿勢で神父は接する。


 村長は驚く暇もなく強引に神父に腰を掴まれ、軽々と持ち上げられてしまった。


「ど、どうしたというのじゃ! 一体、どういうことなんじゃ、これはっ!」

「すぐですよ。ですから暴れないでくださいね、すぐそこですから」


 まったく要領の得ない神父の言葉に、抱え上げられた村長は憤る。今まで溜まってきた心労は怒りに変わり、癇癪となって神父にぶつけようとした。


「だから、なんじゃと――

 その前にそれを見て、全ての感情を忘我の彼方に吹き飛ばしてしまった。



 ――その光景は何よりも自分が望んだもので、だからこそ言葉が出なかった。



「皆さん、同じなんです。不安で不安でたまらないんです。村長の心の内は分かるつもりですが、それでもあなたは村長なんです。あなたがこのグストの村の村長なんです。私じゃダメなんですよ。その責任を果たしてください」


「お、おぉ……」


 ゆっくりと地面に下ろされ、村長は生まれ育った土地に立ち、もう一度目の前の光景を目に収める。


 教会前の広場の中心には、真っ赤に燃える巨大な木のやぐらが組まれていた。


 その明かりが辺りを照らし、森を照らし、先程見た緑を未だ鮮やかに残していたのだ。
 
そしてそのやぐらを囲むように、自分の子供も同然の、愛すべき村人たちの姿があった。

皆が皆手にグラスを持ち、心配そうな、だけどどこか吹っ切った笑みを浮かべている。

 
村はもう死にかけている……そう思っていた自分を、村長は心底から悔いた。


 何が死にかけているだ。そう思いこんで責任から逃避していただけだった。村はまだ死んではいないと言うのに。自分が愛しているのと同じように、また村人も村を愛し、甦らせたいと思っていたというのに……自分は一体、彼らのために――村のために何をした?


 衝撃に震え、目から涙を零す村長に、優しい声音で神父が話しかけてくる。


「クーヴェルシェン様と、ジュンタさん、ラッシャさんの案なんですよ。せめて村人たちを元気づけるために、こうして宴の席を用意してくれたんです。対策用に集めたお金を、勝手にラッシャさんからお酒を買うために使ってしまいましたが」


 勝手に村のお金を使ったというのに、それを全く後悔してない風に神父は笑う。


 朗らかな笑みだ。しばらく見ていなかった笑みだ。それを見て気付く。
重大な責任を与えてしまった彼もまた、自分と同じように苦しんでいたのだ、と。

「さぁ、村長。みんな待ってます。村長が音頭を取ってくれないと、みんなお酒を飲めません」


「お、おお、すまなんだ。すまなんだな……」


 背中を優しく押されるのを村長は受け入れ、確かな足取りで炎のやぐらの傍に近付いていく。


 皆の注目を集める中、白い服を着た、少し耳の長い少女が近寄って来る。


「どうぞ、村長さん。ワインです」


「ああ、ありがとう。ありがとう、クーヴェルシェン殿」


 並々とワインが入ったグラスを渡され、彼女が笑顔を浮かべて戻っていくのを見届けた後、村長は周りをグルリと見回した。


 周りには、襲撃があるかもしれない不安を押し殺して、宴に参加した村人たちの姿がある。

村人全員の顔が分かるから、そこに全員がいることが簡単に知れた。一人も抜け落ちていない、大事な子供たちが集まっていた。

 衰弱などしていない。そう思いこんでいただけ。ならば、さぁ、声を張り上げよう。


「楽しいことも、辛いことも、嬉しいことも、悲しいことも、我らはずっと皆で分かち合ってきた。それはなぜか? 我々が家族だからだ!」

 村人たちの顔を一人一人、ウェイバー村長は見渡していく。そこにある表情を心に刻み、村長としての役割を果たそうと、村の理念を言葉にして声を張り上げる。


「グストの村とは、そこに住む我が家族たちのことを言う!

 グストの村とは、諸君ら我が愛すべき子供たちのことを言う!

 そして諸君らがいる限り、グストの村は決して滅びることはない!」

 不安な空気が空の闇に広がっている。だが、その静寂を切り裂く炎が、声がある。


 この村に満ちた全ての不安を、苦しみを打ち消すように、ウェイバー村長は魂を込めて叫ぶ。


「恐れるな! 隠れるな! 我々が此処にいること悔いるな!

 泣いてもいい。怒ってもいい。されどその後は笑え! 泣いてから、怒ってから、それから笑って全てを飲み干そう! 我らが愛すべき故郷グストの村に祝福あれ! 乾杯っ!!」

『『乾杯!!』』


 何重にも乾杯の声が重なる。

 ウェイバー長老は、今まで考えた泣き言と一緒に、ワインを一気に飲み干した。






「よかったな、みんな、笑ってる」


「はい」


「これもラッシャのお陰だな。後で良くやったと褒めてやらないと」


「はい」

 
 目の前で、火の櫓を囲んでグストの村の村人たちが、飲んで喰って騒いでいる。

 

その顔には初めて見る笑顔が溢れていた。誰も彼もが、全ての不安を忘れて笑っていた。

村長は一人一人と乾杯し、元気づけ、大丈夫だと元気よく笑っている。

神父さんも今日は無礼講なのか、ワインをがぶ飲みし、よっぱらって誰彼構わずからんでいる。今回の宴の立役者である商人のラッシャは、若者衆にどつき回されてやはり笑っている。

ジュンタはその騒ぎの中から少しだけ離れ、顔を赤くしたクーを膝枕していた。


 本来なら騒ぎに混ざるべきなのだろうが、クーが最初の乾杯でのワイン一気飲みで、普通に倒れたため急遽看病をしていた。先程彼女は目を覚ましたが、少しフラフラするとのことで強引に寝かせている。

自分たちの代わりに騒ぎ、騒がせているラッシャに感謝しつつ、しばらく二人して外から宴の様子を見続けていた。

皆が楽しそうに笑っている姿は、見ているだけで十分に楽しい。

クーに至っては、先程からボロボロに泣いている。泣き顔を見られたくないだろうから見てはいないが、声が感動で打ち震えているのが分かった。

ギュッと握りしめられた手から、クーの気持ちが伝わってくる。

 ありがとう、よかったという気持ちは、きっと様々な人に対する感謝の言葉だ。

宴は続く。――きっと、まだまだ終わらない。


 今夜もどうやら、魔獣たちの襲撃はないようだった。

村人たちが騒げるようにクーは備えてくれていたらしいが、それも杞憂に終わってしまった。宴の雰囲気を壊さなくて済むため、それはいいことだが疑いが深まる。

昨夜、今夜と来ないからといって楽観視はできない。昨日、今日と来なかった悪意は、きっと形と威力を増して襲いかかってくる。それからは逃れようのない。自分たちにできるのは、それに立ち向かうことだけ。

(まったく、退屈はしないよな)


 なんだかんだで完璧に巻き込まれた自分に、ジュンタは苦笑する。自分で選んだことなので後悔などはまったくないが、それに巡り会った自分の数奇な道には笑わずにはいられない。

「……ジュンタさん」

小さな声で、クーが話しかけてきた。

 その
声は涙声じゃなくなっていた。かといって魔獣を感知したような危機迫るものでもない。真剣ながら、その声は穏やかないつも通りの声だった。

「どうかしたか、クー?」

「はい。実はお渡ししたい物があるんです」


 ジュンタの膝の上に頭を乗せたまま、クーは自分の胸元から、きつく紐で縛られていた小さな布袋を取り出した。


 クーはその布袋の紐を解く。
 
シルクのような真っ白な布袋から出てきたのは、親指大の無色透明の水晶のような石で、クーは握っていたジュンタの手を解き、それを代わりに手に乗せた。

「どうぞ、受け取ってください」

 どうやらそれが渡したい物らしく、ジュンタは受け取って、目に近付けて見てみる。


 無造作にカットされたように見えた水晶は、その実完全な天然だったらしい。カットは一切されてない。そして水晶の中央には、金属片のような平べったい何かが入っていた。


「これは一体何なんだ?」


「それは特殊な金属の実で、『
英雄種(ヤドリギ)』と呼ばれるものです」


「『
英雄種(ヤドリギ)』やって!?」


「……ラッシャ、お前突然現れるなよな」

 先ほどまで騒ぎに加わっていたはずのラッシャが、いつの間にか目の前にいて、驚いた様子でクーが渡された『英雄種(ヤドリギ)』なる水晶を見ていた。


 どうせ二人きりでいたから茶化しに来たのだろう。

幼なじみのお陰で大して動じなかったジュンタとは違って、クーは真っ赤になってすぐに離れてしまった。心地よい重さのなくなった膝が、ちょっとだけ不機嫌になる。

しかしジュンタの注目も、ラッシャの注目も、今は『英雄種(ヤドリギ)』にある。


 ラッシャは一頻り驚いた後、クーを興奮したような目で見た。


「クー嬢ちゃん。ただ者やないと思っとったけど、まさか『
英雄種(ヤドリギ)』なんて持っとるなんてな。実はどこぞの大貴族の令嬢とか、いやいや、実は王族とか?」


「いえ、私は平民です。貴族でも、王族でもありません。ただ、ルドールおじいちゃんが偉い人に仕えているだけで。『
英雄種(ヤドリギ)』はその方から頂いた物なんです。とあるお方に渡すつもりで持ってきました」

「渡す相手って、もしかしてクーの探し人?」


「はい、そうです……でもいいんです。今それが必要となるなら、私はここでジュンタさんに差し上げた方がいいと思います。いえ、ここでジュンタさんに渡さない方が、あのお方の恥になるような気がするんです」

 なんだか大層な代物を前にして、ジュンタはクーが語った『聖人君子のような誰か』のことを思い出す。本来なら、この『英雄種(ヤドリギ)』はその人に渡されるはずだったのだ。クーの手から、その人に巡り会えた時に。


 しかしその前に、今必要だからとクーは自分に渡すと言う。

問答する気はない。これが何かは分からないが、きっと村を助けるのに重要な物なのだろうということだけは分かった。


「『
英雄種(ヤドリギ)』ってなんなんだ? どんな効果があるものなんだ?」


「見た目は宝石っぽいけど、それは金属なんや。『
英雄種(ヤドリギ)』っちゅうのはな。売れば親子三代ぐらいが余裕で遊んで暮らせるほど高価なもので、たとえ王侯貴族と言えど、欲しがっても手に入れるのが難しいものなんや。確実に手に入れられるんは、使徒様だけとちゃうかな?」


「クー、こんな高価な物は受け取れない。という受け取れるはずありませんです、はい」


 ラッシャの言葉にジュンタは、『
英雄種(ヤドリギ)』をクーに返そうとする。

 問答する気はない。こんな高価な物なんて貰えない……というかこれっぽっちの物が数億ですか?

「いえ、貰ってください。それはジュンタさんに必要な物です」


 クーは返されることをあくまでも拒否して、代わりにその効果を説明し始める。


「この『
英雄種(ヤドリギ)』は、百年に一度実を付けるという特殊な木の実を、魔法使いの方々が儀式を経て創りあげた金属です。その効果は一つ。これは武器を魂ある武器へと変える力を持っています」


「武器を、魂ある武器に……?」


「別に話し始めるとかいうわけじゃないで。魂があるっちゅうことは、つまりは名剣、聖剣、魔剣みたいに、もの凄い武器になるっちゅうことや。『
英雄種(ヤドリギ)』は武器を触媒にした魔法みたいなもんでな、そんなとてつもない効果があるんよ。

 つまりクー嬢ちゃんは、この『英雄種(ヤドリギ)』を使こうてジュンタの剣を直し、そして魔獣をばっさばっさと倒して欲しいと、まぁ、そう言いたいんやな」


「折れた剣が、直るのか?」


 信じられない『
英雄種(ヤドリギ)』の効果に、ジュンタはクーの顔をマジマジと見てしまう。


 彼女は肯定するように大きく頷いて、それから説明を付け加える。


「だけど『
英雄種(ヤドリギ)』は誰にでも扱えるわけではありません。『英雄種(ヤドリギ)』から生まれた武器は、その持ち主の力量、魂の形、精神、魔法属性や魔力性質に合わせて力と姿を変えるんです。

 愚者が持てば駄剣に。英雄が持てば名剣に。勇者が持てば聖剣、賢者が持てば魔剣、そして悪しき魂を持つ者が持てば邪剣にもなりかねない代物なんです」


「つまりは持ち主次第で、姿形を変えてふさわしい形になる剣か……」


英雄種(ヤドリギ)』は異世界の魔法の産物なのだろう。詳しい原理こそ分からないが、そうなるというのなら偽る必要もない。ジュンタはもちろんこれを使って剣を直したい。折れてしまったことは納得したが、それでもあれは大切な剣だ。


 ジュンタは魔獣の襲撃に備えて、ずっと傍らに置いておいた刀を取り出す。
 

「本当に俺が使ってもいいんだな? 後悔は――


「しません。きっと、ジュンタさんなら素晴らしい剣になると信じていますから」

 そして最後に確認をとって、それから刀にジュンタは『英雄種(ヤドリギ)』を近付けた。


 片手に大事で、そして折れた日本刀を。

 もう片手に『英雄種(ヤドリギ)』を持ったジュンタを前に、クーが魔法の詠唱を唱え始める。


錬金秘術・術式解放 我はあなたに希おう 其はヤドリギの大樹の加護を持って災いを退けるもの也

 白い雪のような光が辺りに舞い、やぐらの炎とは違った、聖なる輝きを見せる。


 淡い光はクーの周りを飛び交い、それに呼応して『
英雄種(ヤドリギ)』が輝き出す。

 輝きは触れる刀にも浸透していき、やがて鞘も含んだ刀全てが輝き出す。

「繰り返してください――土に願いを 芽吹きに祈りを 命の水をかけて花を咲かそう

土に願いを 芽吹きに祈りを 命の水をかけて花を咲かそう


 白い輝きは、その色をやがて、ジュンタの魂に響くような虹色の煌めきへと変化させる。

 儀式を見守るラッシャが息を呑むほど美しい虹色の煌めきは、やがて消え、そして後には一振りの刃のみが残った。

 簡素な鞘と飾り気皆無の剣は、日本刀の時の面影を残しつつも、西洋剣へと姿を変えていた。

日本刀の時の二倍はある刀身の厚さの、それは片刃の剣――

 ひんやりとした、白と灰色の中間ぐらいの色で全体は統一されている。華美さはないが、どことなく優美さを持つ、何になるか分からない可能性の刃。それを握った感触は、これまで触れた何ものよりも手に馴染む気がした。

 ああ、とジュンタは理解する。これこそが自分の相棒。自分の一振りなのだと。


「いつかふさわしいと思う名前に巡り会ったら、銘を付けて上げてください」

 クーが言う。ジュンタは彼女に頷き返しながらも、見とれるように剣を見る。

 その澄んだ刀身に映った櫓の火。櫓を囲んだ人たちの姿。
 運命とか、自分には本来関係ないとか、もはや何の意味もないそれらを無視して、ジュンタはただ自分の欲求に従う。

「頼むな相棒――俺はこの村を守りたい」

 まだ名前もない旅人の剣を掲げ、ジュンタはこの日見た、精一杯の笑顔を守りたいと思った。










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