第五話  ゴブリン殲滅会議

 



 静粛なる空気が流れている、地下の教会。

 昔から異端とされている宗教に属す者が、人目から隠せる地下に教会を作るのは決して珍しいことではない。地属性の魔法を扱える魔法使いが数人いたら、取りあえずの体裁を整えた教会を作ることは造作もないことだ。

 十に満たない人間と、大多数の獣だけが過ごせる空間としてある地下教会の、シンボルたるレリーフは悪の象徴たる終わりの魔獣(ドラゴン)に似せて作られたモノ。近年、この神聖大陸を賑わす、とある宗教団体のシンボルマークである。

 そのレリーフが飾られた祭壇を前に、一人の男が後ろで手を組んで立っていた。

 一目では男か女か分からない中性的な男で、身に纏った服装から、聖職者であることが分かる。

 この地下教会の主であり、また、とある宗教団体の導師であるその男は、今部下からの報告に耳を貸していた。


 部下である暗いローブ姿の魔法使いは、膝をついて男に頭を下げ、黙々と報告を並べ立てている。虚偽の一切ない、純然たる真実のみを語るローブ姿の人間は、褐色の肌を持つ女性であった。

「先日の傭兵による我らの側の被害はかなりの数に上っております。このままでは、後数日程度しか『実験』を行うことは出来ないかと」

「そうですか……致し方がありませんね。グストの村ほど我らの実験におあつらえ向きな場所は早々ありませんが、決して他にないというわけではありませんからね」


 背を向けられているため、女には男の表情は見えない。

 だが残念そうな声と、背中から発せられる空気から、男の真意を先読みしようとする。


「では、すぐに撤退を?」

 実験の中止を男は告げたのだ。
 ならばこの場所を直ぐさま引き渡し、手を引くのが女のような『暗殺者』の流儀だ。秘匿の内にことが運べたのだから、最後まで自分たちの存在は秘匿するべきである。

 しかし、それはあくまでも暗殺者の考え。聖職者であり、人を導くことを我が使命とする導師の考えとは、あまりに擦れ違った考えでしかない。

「いえ、撤退はしますが、今すぐではありませんよグリアー君。何も焦らなくても、『封印の地』が開かれるのにも、次のドラゴンが現れるのにも、時間は有り余っているのですから」


「と、言いますと?」

 膝をついたまま、暗殺者の女――グリアーは少し顔を上げ、今の雇い主である男を見る。


 長い金髪の髪に、血に塗られた人生を歩んできたグリアーでもぞっとするような暗い瞳をした男は、荘厳なるままに告げる。

「これまで我らが実験に協力してくれたグストの村の村人たちに。そして何より、我らが作りし魔獣の力量の調査に大きな貢献をしてくれたエルフの少女に。私たちは礼儀に則り、感謝を伝えなければなりません」


 男の言葉の真意を見抜いて、グリアーは冷たい笑みを浮かべる。


 悪名高き異端導師たる男は高らかに命じた。


「では最後の実験は、村一つをどれだけの時間で壊滅できるかという実験にします。出し惜しみなく、最高の素材で最高の宴を演出して差しあげましょう」


「御意に」

 グリアーは男の言葉を最後に、宴の準備を整えるために姿を消す。


 彼女に取って代わるように、礼拝堂に一人の男がやってきた。

「よう、聞いたぜ変態導師。最後に一発、どでかい花火をぶちかますらしいな」


 粗野な言葉を使う来訪者は、その容姿だけならば十分教会に似合う美しさを有しているのだが、纏う雰囲気は教会にはあまり似つかわしくない男であった


 金髪の髪に青い瞳。鼻筋を横に通った傷でさえどこか魅力的に映る、筋肉質の美丈夫。そんな彼の一番の特徴は、人とはデザインの異なる長い耳――つまり男はエルフであった。


「ヤシュー君かい? ははっ、君の呼び方にはいつも驚かせて貰っていますよ」


「どうでもいいこと言ってんじゃねぇよ、変態サド神父。おい、最後にあいつらぶち殺すなら俺にも参加させろ。戦いたい奴がいる」


「ほぅ、君のお眼鏡にかなった人物がいましたか。やはり、あなたと同じ種族の彼女ですか? 

確かに、彼女の魔法の腕には目を見張るものがあります。単独での儀式魔法。魔力が平均的に高いエルフと言っても、彼女は特別でしょう」


「はっ、テメエと一緒にするなよ、変態サドロリコン神父。俺が戦いたい奴は、最近来たあの旅人の野郎だよ」

 エルフの男――ヤシューの言葉に男は僅かながら驚きを見せる。


「彼ですか? 別に、特別な何かを持っているようには見えませんでしたが?」

「テメエには分からなくても、俺には分かるんだよ。アイツは普通とは何かが違う。絶対だ。きっと俺を楽しませてくれるに違いないぜ」


 ヒヒッ、と男臭い笑みを浮かべながら、ヤシューは男に背を向けて手を振る。


「やるのは今日の夜だろ? それまで俺はテメエの作った玩具で遊んでるからよ。時間になったら呼びに来いや」

 楽しげな笑いを浮かべて去っていった、本来は自分の部下であるエルフを見送って、男は嘆息する。


「どなたも楽しそうでいいですね。まったく、中間管理職の身にもなって少しは控えて欲しいものですが……」


 片や、血を見るのが大好きな、生粋の暗殺者の魔法使い。

 片や、強い奴と戦うためなら平気で任務放棄するエルフ。


 長い穴蔵生活からの解放も相成って、嬉しそうな笑みを浮かべていた二人を思い出し、小さく導師は溜息を吐く。


 しかしもしこの場所に他の誰かがいたら、気付いたことだろう――


「まったく、宗教戦士というのも大変だ」


 ――そう言った男が、もっとも残忍な歓喜の表情をしていることに。






       ◇◆◇







「いやぁ『
英雄種(ヤドリギ)』の剣、ほんま何度見てもほれぼれするなぁ。これ一本を上手く上手〜く売ったら、お城が買えるかも知れへん。一国一城の主……グフ、グフフフフ」


「見るのはいいけど、あんまり触るなよ。何か危険な香りがするから。あとその笑いは止めろ」

 教会の自室にて朝食後の休憩を取っていたジュンタの元へと、ラッシャが遊びに来たのはつい先程のことであった。

彼は部屋に入って来るなり、剣に熱視線を送り続けている。ずっとずっと飽きもせずに、目を爛々と輝かせて。

かつては日本刀で、今は片刃の西洋剣となったジュンタの剣――無名の剣は、特殊な方法で生まれた剣だ。商人としての血が騒ぐのは無理の無いことだが、それでもラッシャの目つきはいやらしい。

この剣はクーが大事な『英雄種(ヤドリギ)』を使ってまで創りあげてくれたものだ。
 勝手に触って欲しくないと思うことは、果たして強欲なことなのだろうか?


「グフ、グフフフフ、グフフフフフフ」

「よだれを垂らすな、よだれを。まったく、もうそれくらいにしとけよ」


「ああっ、もっと見せてーな」


 ジュンタは剣を鞘にしまい、ラッシャの視線から守ることにした。


 ラッシャは不満そうな顔をするも、それもその内収まる。 

 部屋にあった椅子を掴み、そこへ腰を落ち着けてから、改まった口調で彼は話しかけてきた。


「なぁ、自分。本当のところ、クー嬢ちゃんのことをどう思う?」


「はぁ? お前いきなり何言ってるんだ?」


 真剣な顔をして何を話すかと思ったら、本当に何だその質問。ジュンタは眉を露骨に顰める。

 クーヴェルシェン・リアーシラミリィという少女のことをどう思うかなんて、そりゃ悪い印象なんて抱いていない。というか、彼女に対して抱けるはずがない。

あんな優しい少女は生まれて初めてである。歳があれだから恋愛感情というよりは妹に向ける兄の感情のような感情だが、好意は間違いなく抱いている。


(だからって、どうして改まって訊かれなきゃいけないんだ?)


 そんなこと訊かなくても分かるだろう。恐らく、目の前のラッシャも自分と同じ感情を抱いているはずで…………と、ジュンタはどうしてそんな質問を彼がしてきたのかピンときた。


 思い出すのは、昨日彼が見せた一冊の本。そのモデルは一体どんな女性だったか?


「……ラッシャ、お前まさか?」


 戦慄もほどほどにラッシャの顔を見る。

 ラッシャは静かに頷いてみせると、どうして先程の質問をしたのか、その理由を話し始める。

「ワイは商人やからな。それなりに物の知識も鑑定眼もあるつもりや。ほんで昨夜も言ったように、ジュンタの剣を直して変化させた『英雄種(ヤドリギ)』は、ものごっつう高い物や。それをポンと取り出して誰かにあげる――こんなん出来る奴、世界中探しても一握りぐらいしかおらへんで? なぁ自分、クー嬢ちゃんは一体何者なんやと思う?」


「………………ゴメン、取りあえず謝らしてくれ。ゴメン。なるほど、そう言うことだったか。疑ってしまった俺を許してくれ、ラッシャ」

「訳分からん。ちゅうか、分かりたくないけど許してやるから、ワイの質問に答えてくれや」


 ジュンタはラッシャに謝った後、真剣に彼の寄越した質問を考える。


(クーの正体、ねぇ)


 そんなことを言われても、クーのことは本人から訊いた話ぐらいしか知らない。クーとは数日前に会ったばかりのまだ付き合いの浅い関係だから、知らないことの方が圧倒的に多い。


「俺と同じ旅人で、魔法使いで、怖いくらい優しくていい奴、ってことぐらいしか俺には分からないな」

「そか……まぁ、ワイも同じようなところやな。後はエルフっちゅうことぐらいしかヒントはないか」

「エルフ? そう言えば、クーは人じゃないのか?」

 ジュンタはクーの人とは違った耳のことを思い出して、今更ながら疑問を持った。


 姿形がほとんど同じだからそこまで疑問視していなかったが、クーは普通の人間ではないのかもしれない。エルフという言葉から察するに、人とは少し異なる種族の出なのだろう。


「エルフは湖の妖精とも呼ばれとるけど、別に人間じゃないわけやあらへんで。同じ人の仲間のエルフ族の出身者なだけや。人間の何倍も生きる一族なんよ。
 クー嬢ちゃん、リアーシラミリィってことは、『始祖姫』メロディア様の巫女――シャス・リアーシラミィ様を輩出した聖地の近くの森出身やな」

 ラッシャはそうエルフについて説明をしてから、嬉しいような悲しいような顔をする。

「エルフは高貴って呼ばれとる金髪を大体の奴が持っとるし、魔力量も潜在的に高い。長寿やからな、ワイら人間とは生命力が根本的に違うんや。そしてこれが肝心。エルフはほとんどが美形と来たもんや! ほんま男として、美形が多いっちゅうんは女性なら嬉しいけど、男なら反吐が出るわ!」

と、悪態をつき始めたラッシャを無視して、ジュンタは改めてクーのことを考えてみる。


 ラッシャに言われたからではないが、色々と彼女も秘密が多いのは確かだ。

 浅い関係だからまだ分からないという部分も多いだろうが、それでも色々と不鮮明かも知れない。入手困難だという高価で稀少な『英雄種(ヤドリギ)』を持っていたり、会ったこともない誰かに会うことを使命として帯びていたりと、普通とは少しだけ違うところがある。

「クーはクーだ。それでいいだろ、別に」

 だが、それも全部ひっくるめて彼女は彼女だと言うのが、ジュンタは結論だった。


「そやな。かわいいっちゅうのは、それだけで全て許されるものやからな」


 ラッシャはきょとんとした後、ニカリと笑って、それ以上の詮索を止めたのだった。







 そんなちょっとクーに話すことが憚られる内容の話をラッシャと朝交わしたからか、教会前にいた彼女と出会ったとき、ジュンタはちょっと動揺してしまった。

「あ、ジュンタさん。どうかしましたか?」


 いつもと同じ柔らかいクーの笑顔を見て、そんな動揺はすぐにどこかへと消えてしまう。疑う必要のない相手というのは、やはり彼女のような人物を言うのだ。


「あの、笑われてますけど、どうかしましたか? 私の顔に何かついてますか?」


「いや、大丈夫。何もついてないから」


「そうですか。それなら安心です」


 コシコシと服の袖で顔を擦っていたクーは、安堵の息をもらす。見ていて和む。その姿はこんな状況ではとても尊いものだろう。

 ジュンタはクーの隣に立ち、グストの村の様子を見る。


 太陽の下、精力的に働く村人たち。

 子供たちは家の前で遊び回り、母親たちは談笑しながら我が子の様子を見ている。
 

 穏やかな光景。素朴ながら幸せで満ちている光景は、やはり何度見ても気持ちが良かった。


「嬉しいです。皆さん、元気になられて」


 昨日までの暗さは村人の顔にはない。

 事件自体は片づいていないが、それでも村人たちの顔には笑顔がある。昨日まではなかったものだ。クーが見ていて、嬉しがるのも無理はない。


 しばらくそんな村の様子を見ていたクーは握り拳を作った。その横顔は凛々しい。


「ずっと、こうして皆さんが笑っていられるように、守らなくてはいけません」


「ああ、そうだな。俺らで守らないと」


 彼女の呟きに答える。当たり前の返答だ。


 この笑顔を守る――それは剣に誓った、違えてはいけない約束だ。その約束を条件に、自分はクーの大事な『
英雄種(ヤドリギ)』を受け取ったのだから。

 力強く、ジュンタは剣の柄を握りしめる。この笑顔を守るため、戦うことを誓って血を滾らせる。


 決戦の日は近い。それは何も特別な感知能力がなくとも、視線の先にある緑を見れば誰にでも分かること。


 グストの森に満ちる空気は、もう、決定的に濁っていた。






 
       ◇◆◇







 グストの村にいる人間を、戦闘員と非戦闘員とで分けると、やはり非戦闘員の数の方がかなり多くなる。

 のどかな農村だから、その割合値は仕方のないことだろう。

 作戦会議をするにあたってはあまり喜ばしくないことだが、それでもそうなのだから仕方がない。むしろ少なからず戦闘が出来る人間がいることを喜ぶべきである。


「恐らく今日の夜は、今までより激戦を極めることになるでしょう」

 作戦会議において、主導を握るクーが集まった皆を見てそう言う。


 今日の夜に敵は来るだろう、とは言わない。それは言わなくとも、みんな気が付いていることだ。時間は残り少ないのだから、無駄なことに時間を割いている暇はない。


 今の時刻は午後一時――空が闇に包まれるまで、残り五時間弱しかない。


「傭兵さんたちの時ほどのゴブリンが現れれば、私一人では捌けないかもしれません」

 事実を述べたクーの言葉に、軽く衝撃を受けた相手がいた。

 

 少しざわついたメンバーを見て、クーが少し申し訳なさそうな顔をした後、すぐに真顔に戻って説明を続ける。会議とは名ばかりで、実際はクーがすでに作戦を決めおり、それを村長や神父、他の村人たちに開示するための時間というのが正しい。

 この中に実際に戦闘訓練を受けた人が、クー以外にいないので必然的にそうなってしまうのは致し方がないことなのだが…………幼い少女の作戦に耳を傾ける男たちという構図は、少々情けない光景かも知れない。


「しかしながら、現状の戦力では総力戦でも勝率はさほど変わりません。そのため皆さんには申し訳ありませんが、この作戦にあたり、皆さんの役割は敵の陽動ということになってしまいます。この役割は危険なため、もし反対がありましたら――

「構いませぬ。我々に出来ることがあれば、何でも言ってくだされ。我々は謹んで、クーヴェルシェン殿の作戦に従いましょう」

「ええ、我々に出来ることと言ったら、それぐらいしかありませんからね。我々のことはどうかお気になさらず、どうぞ説明を進めてください」


 村のまとめ役である村長と神父が、それぞれ断固とした姿勢で提言した。

 それに合わせ、戦闘員である村の若者たちも頷いて同意を見せる。すでに彼らは決意をしている。何をクーが言おうと、この意見は変わらない。


「……分かりました。皆さんがそこまでおっしゃられるなら」


 クーは村長たちに頷き返し、


「では作戦の概要を説明させていただきます。
 作戦は、言ってしまえば大火力の魔法による、一斉殲滅を主として行います」


「やっぱ魔法か。それしかないよな」

「そやな。今村にあるジュンタ以外の武器じゃ、もしオーガが出てきたらダメージを与えられへんし。クー嬢ちゃんの魔法が、唯一の有効手段やろ」


 クーの意見に今まで黙っていたジュンタが発言して、続いて戦闘員ではないが、幅広い知識を持つラッシャが同意する。


「はい。私もそう考えました」


 二人の言葉にクーは頷いてから、作戦の肝の説明に移る。


「大火力の魔法――つまりは儀式魔法を唱えるには、それなりの準備が必要になります。儀式場の構築ですね。私はこれを触媒を用いて作ることが出来ます。ですから、前もってある場所に複数の儀式場を作っておきます」

(儀式場か……)


 ジュンタは以前喜々としてサネアツから説明された、魔法についての知識を思い出す。


 儀式魔法と呼ばれる対隊魔法の行使には、儀式場と呼ばれる特殊な『陣』か、または高位の『触媒』を必要とする。前者が儀式場で、後者が魔道書などだ。

 儀式魔法はこれらの陣や触媒を用いて、普通の魔法を昇華させることによってその威力を示す。故に、儀式魔法の行使にこれらの準備は必要不可欠となる。

 今回のクーの場合、彼女は儀式場の構築による儀式魔法の行使を考えているようである。

 儀式場の構築は、正しいやり方と触媒さえ揃えれば、個人でも十分作ることが可能なようだった。


 短い時間で作った儀式場は儀式魔法を単発でしか撃てないし、構成が荒くなりがちなため魔力の消費も激しいらしいが、魔力量が生まれながらに多いエルフのクーならば、問題なく行使できると前もって会議の前に外で説明を受けていた。

「幸いにも、ラッシャさんの商品の中に儀式場構築に使える触媒がありましたから、私が持っているものと合わせれば、五つか六つは儀式場を敷けるはずです。それに一度だけですが――


 クーは懐から、古書のような一冊の古びた本を取り出し、皆に見せる。

 

その正体に気付けたものは、クーとラッシャを除いていなかった。

――この『召羅の魔道書』による、ある特殊な儀式魔法を行使することも出来ます。これは失敗する可能性が高い最高位の秘術ですから、出来れば使うような事態にならなければいいんですが……」

 クーが取り出した古書は、昨日ラッシャの店で驚いていたあの魔道書だった。

 正式名称を『召羅の魔道書』と言うらしい魔道書は、クーに取って切り札になりうる品であったらしい。


 その後、クーの作戦に捕捉の説明が入る。


 クーの魔法使いとしての、魔法の属性である『氷』。

この氷の属性を生かすために、クーが選んだ儀式場構築の場所についてだ。


「本当なら村の中に作るのは、建物に被害が出てしまうためあまり良くないのですが……」


 クーの心配に、村長が構わないという表情を見せる。

 多少の被害は全然構わないという、無言の意思であった。


「氷の魔法属性の儀式場構築には、水があれば都合がいいです。だから構築する場所は、村の中心にある井戸の付近にします。この井戸は地下水路を通して、森から水を引いていらっしゃるんですよね?」


「ええ。グストの森の中にある、湖から引いています」


「では、大丈夫ですね。自然の地下水源なら、聖水とはいきませんが、それに近い効果が得られるはずですから。儀式場の構築はこの作戦会議が終わり次第すぐに取りかかります」


 神父の言葉に、クーは問題ないと力強く頷いた。

 

儀式魔法の連射による魔獣の撃退――それがクーの立てた作戦の概要。恐らくは、魔獣たちに対抗できる、今現在で最善の策。

 ジュンタは作戦を脳内で反芻させている村の若者衆を見て、

「それじゃあ俺たちの仕事は、魔獣を井戸まで惹きつけるってことになるのか」


「そうみたいだな。旅人さん、殿は任せたぜ」


「うっ、やっぱ俺か。信用されてるのは嬉しいけど、一番危険な場所だよなぁ〜」


 仲間の最後尾で後を追ってくる魔獣を牽制し、クーが作った儀式場へと誘き寄せる役。

 なまじ『不可視の虹の力』があり、他の村人よりは少しだけ素早く動けるために、自分がその一番大事な役に抜擢されてしまった。


 ジュンタはプレッシャーを感じつつ、肯定して、仲間である若者たちに言葉を返す。


「今更だけど、俺の名前はジュンタだから。旅人じゃなくて、そう呼んでくれると嬉しいんだけど」


「おおっ、そう言えばそうだ。いや悪いな、ジュンタ。よろしく頼むぜ」


「ああ、よろしく」


 握手を求めてきた若者たちのリーダーにジュンタが応じた頃、その他使用する儀式魔法の詳細などの説明が入ったあと、作戦会議は終了した。


「考えたくもありませんが、一応の備えとして村人の皆さんには伝達をお願いします――

解散となるその最後――重たい口調でクーが一言二言述べた。一応の備えとして、つまりは魔獣たちに敗北した時の保険として。

――もしもの時、いつでも村から逃げられる準備をして置いてください、と」


 付け加えられた一言に、これが本当に危険な戦いであることを。これが決戦であることを、ジュンタたちは改めて認識したのだった。






       ◇◆◇







 夜へと差し掛かろうとしているグストの森は、木々がたくさん茂っているため、すでに真夜中のような暗さを見せている。

 ジュンタたち陽動班は、これまでのゴブリンの出現から考えて、一番敵が現れそうな場所で待機をしていた。十数名あまりの男たちだけで、一塊となって。


 春の夜は時折寒気がするぐらい冷たい。

 

寒気は気温の所為だけではなく、澱んだ森の空気の所為もあるのだろう。

本来、森に生息して然るべきの動物たちの生命の息吹がまったくしないのである。まるで全て狩り出されたか、逃げてしまったかのように、森はまったくの無音であった。

「いつもはこの森、野鹿や野ウサギ、小鳥や虫とかで夜でも結構音があるのにな」


「そうだな。やっぱゴブリンたちが現れたから、みんな逃げちまったのかな。退治をしたら、戻ってきてくれるといいんだがな。肉が食べられないのは我慢できん」


「戻ってきてくれるさ。ここは動物たちにとっても故郷なんだからよ」


 隣り合う者とヒソヒソ話をしている皆は、すでにこんな状態を一時間あまりも続けている。当初は張りつめていた緊張も、少し弛みだしてきたようである。


 それはジュンタも、そしてその隣のリーダーも同じだった。


 リーダーは仲間たちの話を耳にして、


「ジュンタ。お前はどこの出身なんだ?」


「俺ですか?」


 以前の日本刀よりは軽くなったとはいえ、それでもそれなりに重量のある剣を、ずっと力を使って持っているわけにもいかず、鞘に収めて地面に置いていたジュンタは、唐突な質問に胸をドキッとさせた。


 分かっている。彼は話の流れで故郷について訊いただけで、別に自分の事情を知っているわけじゃない。それでも故郷を旅立った身としては、少し表情を曇らしてしまう。薄暗いため、表情の変化を気取られることはなかったのが幸いか。


「良いところですよ。別に何か特別なところがあるわけでもないですが、両親がいて、友達がいて…………とても温かい場所でした」


 胸に郷愁の念を抱きながら、ジュンタは少し最後に間を開けつつも、質問に答える。


「そうだな。故郷っていうのはやっぱいいもんだ。俺も昔は都に憧れて、一度は都で暮らしてたんだがな。やっぱこうして故郷に戻ってきちまったからなぁ」


「そうですね」


 リーダーの言葉には、故郷に対する深い愛情が感じられた。


(故郷、か)


 まだ離れてほとんど経っていないというのに、ジュンタには故郷にいた頃が、まるで遠い日のことのように思えた。


 自分の家や学校。実篤に父さん母さん。


 もう一人の自分がいるために異世界へと旅立つ決心をしたが、それでもジュンタに取ってあの場所が故郷であることに変わりがない。いつまで経っても、自分はあの場所を懐かしいと思い続けるだろう。


 遠い場所というにはあまりにも遠すぎる、世界すら隔てた彼方の故郷の地。――自分はもう一度、あの地を踏むことがあるのだろうか?

 それを可能とするには、十のオラクルを越え、マザーの望む救世主――新人類になるしかない。


 それは困難を極める道だ。
勝手に人を二人にしたマザーの思うとおりになるのも面白くないし、ジュンタとしては新人類となる気はなく、候補者である使徒として行動する気もなかった。
 眼鏡の下。寝るとき以外は外さない黒のカラーコンタクトレンズの下、以前とはまるっきり変わってしまった瞳の色の存在はあるが、それでも……


 故郷への想いはある。だが、きっと二度とあの場所へ帰ることはないだろう。

それこそ他に何か新人類にならなきゃいけない願いが出来て、なって、願いのついでに帰るぐらいの可能性しかない。
 

 きっと、それでいい。

 故郷を追い求めるのではなく、これからこの世界で幸せに生きていくことを考えるべきだ。そのためにこの世界に来たのだから。


(今は、故郷よりも)

 故郷とは違って、歩いて辿り着ける場所にいる、会いたい一人の少女のことを想う。


 不思議と彼女に会えば、自分の中の何かが変わる気がしていた。錯覚かも知れないけれど、今はそのために当面の旅の目的地として定めている。そこへ辿り着くまでの旅――今こうしていることも、旅の途中のことでしかない。でも、
その寄り道こそが旅の醍醐味なのだろう。

 数分あまりの黙考時間。ジュンタはこれからの方針を再度固め、それを実行に移すために、まずは今出来ることをしようと剣を鞘から引き抜いた。

刃渡りは西洋剣としては短めで、日本刀の名残を見せる片刃の剣――握った重みを忘れないように、しっかりと布が巻かれた柄を握りしめた。


「来た! ゴブリンだ!!」

 視力のいい、仲間の誰かが小声で叫ぶ。

「おうっ、行くぜジュンタ。男の正念場だ!」


「ええ、男を見せてみせます!」


 ジュンタの決意の表明に答えるように、虹の光が輝き出す。

光は今までにないスピードで剣へと浸透していく。

 飾りっ気のない剣は虹の光を受けて美しく輝き出す。他の誰にも見せられないのが残念なほど、それは美しい旅人の剣――


 少し離れた場所には、予想通りこれまでにない数のゴブリンが。

 緊張のために渇いた唇を舐めて、ジュンタは勢いよく立ち上がる。


 ――――うして、グストの村の存亡をかけた決戦は始まりを告げた。





       ◇◆◇






 グストの村から歩いて三時間ぐらいの場所に、エットーの街はある。

 グストの森を抜けて二時間程度の場所にある、この辺りでは一番大きい街だ。
 辺りの土地を治める領主である貴族がいるために、それなりに街には活気というものがあった。
 

 街に必要なものは大抵揃っている街には、やはり己が権力を誇示するために大きな――それこそ街一番の大きさのある領主の邸宅がある。

 少し小高い坂の上にあり、他の民家を見下ろすように建てられた邸宅の主は、邸宅の印象である無駄に派手な嗜好のように、似合う似合わないの問答の意味のない、装飾品で飾りすぎの男だった。

 でっぷりとした腹に、豊かな口髭。

 最近髪が薄くなってきたことが原因で、娘に嫌われそうなのを最大の悩みとする、ロン・バーノン伯爵である。

 彼にしてみれば、領地の村の一つが送ってきた救援要請の嘆願書よりも、いい育毛剤を手に入れることの方が重要なのである。これだけでも、この貴族の性格が知れると言うものだ。


 バーノン伯爵は豪華な夕食を家族と食べた後、まだ食べたりないとお抱えシェフに急遽作らせた厚さ十センチはあるサンドイッチを食べながら、椅子に腰掛けて鏡と向き合っていた。


 サンドイッチを掴む方と反対の手で、後退してきた生え際を見ては、う〜んと唸る。

 悩む理由が執務机の上に積まれた、まだやっていない仕事を見てのことなら分かるが、悩んでいる原因は髪である。これには彼に仕える貴族の中では、かなりまともな思考の持ち主だと自負している秘書は呆れてしまった。


「バーノン伯爵」


「なんだ? 儂は今、忙し――――また書類か」


「はい。全てバーノン伯爵に確認印を貰わなければいけない書類です」

 どの口がほざくかと怒鳴りたいのを必死に堪え、秘書レジアスはバーノン伯爵に近付いてく。その手には、領主の捺印が必要な書類の山が一抱えになって乗っていた。


 チラリと部下の持つ書類を一瞥し、でっぷりとした顎を揺らしながらバーノン伯爵は鏡を横にしまう。さすがにもうすぐ天井に届きそうなぐらい書類が積まれては、いくら彼とは言えども仕事をする気になるらしい。

「早く書類を運べ。まったく使えん奴だな」


「…………あなたにだけは言われたくはありませんよ」


「うん? 何か言ったか?」


「いえ、何も――食事後の食事中で申し訳ありませんが、どうぞ伯爵様のお力で素早くお片付けください」


 内心の悪態をおくびにも出さず、ニコニコ笑顔で皮肉を吐く。

 伯爵の性格を考えれば、皮肉一つにも激怒しようなものだが、生憎と彼には回りくど過ぎる皮肉は通じないのだ。皮肉だと分からないのだから怒るわけがない。

 レジアスは金箔が貼られた伯爵の机に、書類を一枚ずつ置いていく。
 書類には目も通さずにバーノン伯爵はサインを書いて、横に置いていく。

 そんな反復作業を十数分ほど繰り返し、早くも伯爵のやる気と機嫌が減じて来た頃、一枚の書類が目に留まった。


 以前から気になっていた書類だったので、思わずレジアスはもう一度目を通してしまう。


「なんだ? 一体、どうした?」


 サインを書き終わっても次が来ないため、苛々とした表情で伯爵が睨んでくる。


「いえ、こちらは伯爵にも眼を通していただきたいと思いまして」


 レジアスは素知らぬ顔で、バーノン伯爵に書類を手渡す。

 面倒くさそうに伯爵は書類に眼を通し、おや、と言った感じで片眉を上げた。


「この書類は以前にも一度眼を通したはずだろう? どうしてまたここにあるのだ?」


「それは二枚目ですよ、伯爵。グストの村からの救援要請の嘆願書。今回は村で起きている事件の詳細が載せられています。今一度、ご理解のほどをお願いします」


 気になった書類というのは、最近街でも噂になっている、街から一番近い村――グストの村で起きている謎の魔獣襲撃事件の書類である。

 以前にも同じような嘆願書が来て、伯爵は騎士を向かわせたのだが、その騎士の内二人が死んで残りが逃げ帰るという驚愕の事態となった。


 普通、そうなると今度はもっと大勢の騎士を現場に向かわせるものであり、
レジアスも伯爵にそう進言したが、彼は聞き届けてはくれなかった。『村の一つのために、騎士団を動かしてどうする?』と言って結論を保留としたのだ。

 そうしている間にも、村の様子はどんどんと深刻化していった模様。新たに送られてきた書類には、事細かな事件の詳細と、村人の悲痛な助けの声が込められていた。

 だが、それをこともあろうに、またバーノン伯爵は――

「保留だ。また今度にでも考える」


「なっ、見捨てるおつもりですか!?」


 書類を横に置いてしまう伯爵。彼の正気とは思えない選択に、ポーカーフェイスを崩してレジアスは叫んでしまう。
 

 伯爵は部下の態度に大層機嫌を損ねたようで、睨みをきかせてくる。長年ぐうたら貴族を続けてきた彼の見下したような視線は、実に様になっていた。


「誰が見捨てると言った。保留だと言ったのだ、保留だと。人の言うことはしっかりと聞いておれ、まったく」

「……申し訳ありません、伯爵」


 仕事の手を止めた伯爵に向かって、レジアスは頭を下げる。しかしバーノン伯爵からは見えない表情は、失望と怒りに燃えたぎった形相だった。


(……ダメだ。やはり、ここは独断だが村に騎士団を送ろう)


 椅子の背にもたれ掛かって、またもや鏡に向かって髪の様子の確認に入ってしまった伯爵を見て、内心でレジアスはそう決める。


 このまま彼に任せたままでは、領地の中でも豊富な資源により多大な税を治めているグストの村が滅んでしまう。それは他の領地でも軋轢を生み、最後にはお家お取りつぶしとなる可能性だって捨てきれない。


 レジアスはもう今日は役に立たない伯爵を置いて、一礼した後に部屋を後にする。


 廊下を歩きながら、バーノン伯爵領のためになるにはどうすればいいのかを考える。伯爵をどうにかするのが一番領地のためになるのは言うまでもないので、それ以外を。


「ただでさえ、最近はシストラバス家のランカに人を奪われているんだ。例え独断専行と捉えられようとも、ことは迅速に運ばなければ」


「そうだな。確かに、これは放って置けない問題だ。旅人たちと協力して魔獣退治にあたっている、か。クーヴェルシェン・リアーシラミリィ。確か、かの高名な召喚師である巫女ルドールの孫の名前も。そして――ふっ、つくづくお前は問題に巻き込まれるのだな、ジュンタ」

「旅人では魔獣は倒せない。最低でも数十名の騎士を…………え!?」


 驚いて、部下は隣を振り向く。

 誰かの声が聞こえたはずなのに、振り向いた先には誰もいない。廊下には人っ子ひとりいやしない。開いた窓から、風が吹き込んでくるばかりである。


 代わりに、床に先ほど伯爵に渡したはずの例の嘆願書が落ちていた。

「これは一体……?」

 部下は周りを探りつつも、床から書類を拾う。

 

 ――――どこかからか、猫の鳴き声が聞こえてきた。











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