第六話  グストの森の決戦(前編)





 冷たい雫が一定の間隔で零れ落ちる。


 それは受け皿の上を滑り、血と結晶と混ざり合い、一種の聖水となって地面を流れて行く。地面を流れる水は幾何学な紋様を描き出し、それは時折白い輝きを発して、貪欲にクーから魔力を吸い上げていく。


 グストの村その中央にある井戸の周りの地面には、六つの歪んだ円が今も水を流しながら輝いていた。

 儀式魔法のための儀式場――クーが決戦の前に作り出しておいたそれらは、少しずつ魔力を喰らって、力を強めていく。


 すでに儀式場は完全な形で安定していた。

 後は特定の述式による魔法を行えば、問題なく儀式魔法を行使できるだろう。

 こちらの準備は万事抜かりなく終わっている。村人たちはちゃんと教会に避難しており、ある程度暴れたところで人的被害は出ない。


 後は陽動役の皆が無事に戻り、魔獣を誘き寄せてくれるのを待つだけだ。


「無事でいてくださいね、皆さん」

 その刻限を待つ時間が、異様に長く感じられた。
 もしも誰かが傷ついているかと思うと、総身から震え上がってしまう。

(ダメです。皆さんを信じなければいけません)

 縁起でもないことを考えてしまう自分を叱咤して、クーは待つ。
 
 儀式の成就の時を今か今かと待つ儀式場が、美しい水をたたえて、夜のグストの森に潜む闇を、ぼんやりと照らす。






       ◇◆◇






 ジュンタたち陽動班の前に現れたゴブリンの数は百匹を越え、二百にまで達していた。


 森をわらわらと素早く異形の姿は、肉眼で正確に数を把握できる数ではない。
取りあえず百匹はいそう……そんな感じで数を捉えた結果の二百匹だ。もしかしたらそれ以上の数がいる可能性もある。

 ゴブリンの前に姿を晒したあと、脱兎の如く村に向かって逃げている陽動役についた皆。
 ジュンタはその最後尾について、時折襲ってくるゴブリンを剣で切り裂く作業に追われていた。

「ジュンタ! 一匹真後ろから来たぞ!」

「了解!」

 前を走っている誰かの報告に、足を止めることなくジュンタは背後を振り返る。そこには報告通り、一匹のゴブリンが群れから一個頭を出して、今にも追いつこうとしていた。

「ええいっ、気持ち悪い!」

 右手に持った剣を逆手に持ち替えて、脇の横を通して背後に突き出す。

 虹で覆われた切っ先が、ぐにょりと嫌な感触と共にゴブリンの胴体に突き刺さる。慌てて柄に左手を添えて横に動かせば、すんなりと剣は肉を切り裂いた。
 
「うっ、倒しても気持ち悪い……」

 倒した一匹の感触が残っている気がして、ジュンタはついていないゴブリンの血を振り払おうと、剣を一度振る。

 すばしっこいゴブリンだが、やはり足幅の差か、それほどスピードが速いというわけではなかった。

 攻撃に転じれば中々あたらないが、攻撃を仕掛けてくるゴブリンを倒すのはさほど困難なことじゃない。二匹、三匹と切り裂いても、同じような行動を取ってくる彼らの知能が低いのも幸いしている。問題なく相手はできている。

「大丈夫か、ジュンタ!」


「ええ。大丈夫です」

「ジュンタ! もう一匹来たぞ!」

 心配して声を投げかけてくれた若者に返事を返してすぐ、ついでと言った感じでジュンタは再び剣を後ろに振るう。


 獣の悲鳴をあげて、襲いかかろうとしていたゴブリンは地面に転がっていく。

 これですでに何匹目か。決して引き離さず、かといって交戦状態にならないようなスピードで走っているため、殿を守るジュンタは幾度となくゴブリンたちを切り裂くこととなった。

(人間じゃないんだから、もうちょっと綺麗に死んでくれよな……って言うのは傲慢か)

 粘性の高い緑の血が視線の中を舞い、地面に飛び散る。

 腕に付着してしまった魔獣の血はとても気持ちが悪いが、それでも人と同じ熱を持っていた。生命ある相手を殺している事実を、否応もなく理解させられる熱さだ。


 やらなければこちらがやられる――それを理解して受け止めても、腕は震えた。

それでも振るう剣に鈍さが表れないように、ジュンタは『守りたいもの』を必死に考えて、必死になって剣を振るう。

待機していた場所から、グストの村までの十分間の間――すでにかなりのゴブリンを倒したはず。一斉に襲いかかられたらまずいだろうが、一体一体だったので特に問題もなく十数匹の数を倒すことができた。

しかし追いかけてくるゴブリンたちの数は、まったく減っていないように見える。

十匹単位では少ないと言うことか。少なくともその五倍は倒さなければこの光景に変化は見られないだろう。

「ちっ!」


 奇声をあげてまた迫ってきたゴブリンに向かって、ジュンタは舌打ちと共に剣を振り抜く。
乱暴な横凪ぎの一撃は、ゴブリンの身体を二つの肉片に分ける。

 やはりここまでゴブリンを楽に葬り去ることができたのは、この剣のお陰が大きかった。

 凄まじい切れ味。この『英雄種(ヤドリギ)』の剣は生み出されたばかりなのに、並の剣を遥かに超えた域にある。日本刀の切れ味はそのままで、それに西洋剣としての重さと頑丈さを併せ持ったような、いいとこ取りのような剣である。


 磨き上げられた刀身は、ゴブリンの血など付着させない滑らかさで身体を切り裂き、その鋭さはまったく衰えを見せない。剣になど詳しくもないジュンタだが、この剣は特別なのだということは容易く察せられる相棒っぷりだった。

虹の光に繋がれ、ジュンタの腕とまるで一体化したかのように動き回る刃――

 

 剣としての特性の他には、魔法的な力など未だ(ヽヽ)一切持たない剣だが、それでもジュンタにはこれ以上ないほど頼りとなる。

 この先、この剣が駄剣になるか名剣になるかは自分次第。

 自分と一緒に成長するこの剣ほど、頼りになる相棒はいないだろう。

「おっし、もうすぐ村だぞ!」


 先頭を行くリーダーが声を張り上げる。


 最後尾にてそれを聞いたジュンタは、もう少しかと思い、気を抜かないよう最後まで役割を全うしようとする。

「森の終わりが見えたぞ!」


 視線の先に森の終わりが現れる。
 そして作戦の要――自分よりも遙かに強い、白い陣の中に立つ少女の姿が目に入った。
 
 ゴールが見えたために、最後の力を振り絞ってラストスパート。

「頼むな、クー」

 頼れる少女に擦れ違い様に声をかけ、ジュンタたちはスピードを一気に上げて彼女の横を横切り、その攻撃の余波が届かない場所と指示された背後へと移動する。


 役目を果たした皆にクーは頷くことはせず、代わりに朗々とした言の葉を紡ぎ出す。

巨砲に弾を詰めよ 氷の弾を詰めよ

 クーは手を、村に足を踏み入れたゴブリンたちの群に向ける。 その手の先には白い魔法陣が。

魔法陣の輝きに合わせ、クーが立つ儀式場が光を放ち始めた。

白い魔法陣が儀式場によって、さらなる高みへと昇華する。輝きは目を焦がすほどの閃光となり、クーの姿は光に飲み込まれるように消える。

そして、儀式の終わりの詠唱が力強く響いた。

発射音は幾度も響く

 轟音。続いて夜の帳を晴らすような、閃光の花が咲く。

 空気を切り裂き、とてつもないスピードの何かが走る音。

 それに半ば重なるように、ゴブリンたちの断末魔の叫びが大地が砕ける音と共にあがった。


 ジュンタたちがそのあまりの悲鳴に驚く中、村の地面を大幅に抉った弾丸の姿が露わになる。

 それは氷――人の頭ほどの大きさもある、巨大な氷塊だった。


 あんなものが風を切り裂いて撃ち出されのだ。命中したゴブリンたちは、まるで大砲の弾でも受けたかのような有様を見せている。十数匹ほどが一撃であの世送り。命中しなかったゴブリンたちも、轟音と閃光に足を止めて戸惑っている様子だ。

 大した威力だ。大した威力なのだが……それでもジュンタは怪訝に思う。


 今行使された儀式魔法。これはこの間クーが使っていた魔法よりも威力が弱く、攻撃範囲も狭い。どうしてクーは以前使った氷雪の暴風ではなく、この魔法をあえて選んだのか?

 前もってその特性について聞かされてはいたのだが、少しジュンタは不安に思ってしまう。だがそれが杞憂だと宣言するように、クーの口は開かれた。

――発射


 高らかに続く、クーの詠唱の声。

 短い一言による詠唱により、クーの手から先程と同じ氷塊がゴブリン目掛けて発射される。それは固まっていたゴブリンの群に当たり、大地を抉って深い溝を作り、そこに緑の血を流し込んだ。


発射

 さらに続く詠唱――続いて氷塊が飛ぶ。


発射

 容赦欠片もなく、


発射


 鋭く冷たい声で、


発射

 何度もクーは『発射』という、魔法の詠唱を繰り返す。


 その言葉はクーが使った儀式魔法の特性とも呼べる、連続行使のため鍵であった。

 

魔法系統・氷の属性・儀式魔法――氷の連発銃(アイスリボルバー)

会議で語ったその魔法の名は、氷結の名を冠する魔銃の意。

一度の魔法陣の構成で、都合六発の氷塊の弾丸を敵に叩き込む、応用範囲の大きい広範囲殲滅用の儀式魔法である。

クーはゴブリンたちの数を予測して、牽制も兼ねたこの魔法の選択をしたのだ。一発の持続時間と範囲こそ[雪雲の暴風(スノウストーム)]に劣るが、最終的に与える規模としては凌ぐ。なるほど、[氷の連発銃(アイスリボルバー)]は儀式魔法の名に恥じない魔法である。

六発の弾丸を撃ち終わるのと同時に、クーが立っていた儀式場が光となって霧散する。役割が終わった単発用の儀式場は、魔法行使の終了と共に消え去るのだ。

クーは儀式場が消えたのと同時に、ステップを踏むように隣の儀式場へと移動する。


巨砲に弾を詰めよ 氷の弾を詰めよ


 再度[
氷の連発銃(アイスリボルバー)]の詠唱を開始。

先の攻撃で百近い仲間をやられ、浮き足経っているゴブリンに対し、容赦なく次弾を装填する。


発射音は幾度も響く

『発射』『発射』『発射』『発射』『発射』――轟音が何重にも響き渡り、ゴブリンたちの姿が土煙の向こうに消えていく。

 儀式場が消え、隣へと移動したクーは次の攻撃には移らない。

 様子見をしているようである。その横顔が少し幸せそうなのは、気のせいだと思いたい。

「………………トリガーハッピー。いや、マジックハッピーか……?」


 土煙が晴れた向こう、そこに動く影はなく、冷気がもやのように漂っているだけ

 クーの的確な砲撃は、一匹のゴブリンをも逃さずに計算され尽くしていたということだ。


 まるで爆撃にあったかのように、十二個の氷塊が地面にめり込んだ光景。

 この光景を村長が見たら、きっと顔を青ざめること間違いなしだ。村に多少の被害が出ても良いとは言ったが、ここまでのことになるとは思わなかっただろうから。


 まぁ、しかしこれで――

「終わった…………?」


 誰かが信じられないと言った感じで、小さくそう呟いた。


 ジュンタも甚だ同意である。とても信じられない。あっという間の終決だった。


「終わったのか? これで本当に終わったのか?」


「終わった……みたいだな」


 豪快なクーの魔法による一瞬の結末に、その場にいた若者たちは実感が持てない様子であった。しかし消えたゴブリンたちの姿を見て、静かになった村を見て、これで戦いが終わったということに実感を感じ始める。


「……やった!」


「勝った。勝ったんだ!」


 歓喜の声が徐々に上がり始め、それはやがて大きな叫びとなる。

 

万歳する人。歓喜の涙を流す人。早速教会に避難した仲間に報告をしに言った人……そんな彼らの横を通り、ジュンタはクーへと近付く。

「これで本当に終わったのか? またゴブリンが襲ってくるなんてことは……?」


「たぶん、ないと思います」


 辺りを注意深く見つめていたクーが、振り向いて笑う。


「先程のゴブリンで、この村に現れた数は千匹近いです。さすがにこれ以上の現れるなんてない……はずです」

「百パーセントの確信はないんだ?」


「はい、今回はあまりにおかしなケースですから。ですが、以前よりグストの森に感じていた淀みがなくなっていますから、きっと大丈夫だと思います。一応私は当分この村に留まって様子を見てみるつもりですが」

 アフターサービスまでフォローするとは、まったく大したものである。


 張り詰めていた空気を取り払い、未だ起動している儀式場の効果範囲から出て、クーはやっと一息つく。


「ふぅ……これで終わりました。一安心です」

「そうだな。本当に、よくがんばったなクー」

「いえ、これもジュンタさんや皆さんのお陰です。私一人では、儀式魔法を行使する暇を作ることが出来なかったと思いますし、ここまで一網打尽にすることも――――ッ!!」


 その時、クーが何かに勘付いたかのように、大きくその場から跳び下がった。

 突然の彼女の行動に驚く暇もなく、ジュンタは後ろに下がったクーに思いきり突き飛ばされ、その場から押し出さてしまう。


 直後、巨大な空気の塊が落ちてきたのは、今まで二人が話を交わしていた真上にだった。


「うぁっ!」

「これは!?」


 吹き荒れる暴風により、ジュンタとクーは大きく吹き飛ばされる。

 クーはよく訓練されたもので、空中でバランスを取り、華麗に着地を決めて見せた。ジュンタはそのまま地面に尻餅付いて着地する。


「な、何なんだ一体? なんで魔法が……?」

 空から突如降ってきたのは、魔法に間違いなかった。

 風の魔法だ。質量を伴った風の塊。直撃すれば死に至るところだっただろう。一体、誰かそんな物騒なものを撃ってきたというのか?

 ジュンタはすぐに飛び起きて、クーと一緒になって辺りを窺う。

 まったくの真上から弾丸は降ってきたため、どこから撃たれたものかよく分からない。しかしこちらの騒ぎに気付いた村人の一人が、ある一方を指差して叫んだ。


「おいっ、あっちに誰かいるぞ!」


「こっちか!」

 

 ジュンタは村人が指を指した方を振り向く。 確かに、そこには人影らしきものが揺らめいていた。


「誰だあれは? やっぱり魔獣じゃない。人、間……?」

 人影を確かめようする最中、その人影の手で緑色の光が瞬く。

「クー!」

「はいっ!」


 その手が自分の方を向いている気がして、ジュンタは直感的に逃げの行動を取る。

クーに一言言ってから、その場から走り出す。その数秒後には背後で破砕音が響き、暴風が背中に向かって吹き込んできた。

 放たれたのは、先程と同じ風の魔法だ――人一人を丸ごと中に取り込めるほどの大きさの、圧縮された風の砲弾である。

 抉れた地面を中心に、ジュンタとクーは距離を取って立つ。
 
 ジュンタもクーも、
視線は魔法を撃ってきた相手に向けられていた。

それは人影。今更疑うまでもない。魔法を撃ってきたのは、まず間違いなくあの謎の人影だ。

氷の矢よ


 クーは視界に謎の人影を入れるよりも早く、即座に魔法の詠唱を唱える。

 一瞬で構築された魔法陣は弾け、白い光を発した後、氷の矢となって目標へと飛ぶ。数にして四つ。それぞれ別々の軌道を描き、離れた敵へと向かっていく。


 しかしその氷の矢は、相手の唱えた風の魔法によって防がれてしまった。

 牽制のための攻撃だ、それほど強い威力を持っているわけではないが、これではっきりした。二度にわたって自分たちを砲撃してきたのは、グストの森の入り口に立つ人影なのだ、と。

「ジュンタさんは村の皆さんを守ってあげてください!」


 敵を見定めた後のクーの反応は早い。

 ジュンタや他の村人が事態の急展開に硬直しているうちに、すぐにしっかりとした攻性魔法による攻撃に移る。

 人影に向かって差し出した手に、白い魔法陣が浮かび上がる。


奔れ雪雲 
(しゅ)に仇なす敵を打ち砕け

 風の魔法で地面は砕かれても、変わらず残る四つの儀式場は使わない、単独での通常魔法――しかしそれでも当たれば怪我だけでは済まない、氷を孕んだ暴風を放つ[雪雲の暴風(スノウストーム)]の魔法が、クーの手から放たれた。

 

 ゴウという音を奏でながら、広範囲に影響を与えつつ人影に向かって暴風は突き進んでいく。が、相手の魔法使いも相当な手練れらしく、即座に対応の魔法を唱え、自分の足の下に風を巻き上げながら上空へと飛び上がった。


 風の魔法を操る魔法使いは、『風』というその性質故に敏捷性が高かった。自分で起こした風を使って空に上がり、クー目掛けて、そのまま滑空するようにローブ姿の魔法使いは落ちてくる。


 落下時の風圧でローブの裾がはためき、その下に隠されていた豊満な褐色の肌が外界に晒される。

 その起伏に富んだ体型は、紛れもなく女性のもの。突然襲いかかってきた魔法使いは女性だった。

風の刃は 切断する


 飾りっ気のない、無個性な魔法の詠唱。

 それでも自己暗示力は大したもので、クーに接近した女が放った風の刃は、緑の色を伴って地面に亀裂を生み出す。


「へぇ、今の奇襲を受けきるか! なら次は――

「させません!」

 亀裂を生み出しただけで、相手の本来の狙いであるクーには風の刃は一切届いていない。魔法が発動するすぐ前に、クーが目の前に氷の障壁を張ったためだ。そして次の攻撃の順番は、敵の女魔法使いではない。


氷の槍よ

 クーが詠唱と共に、手に魔法陣を構成して、敵の魔法に切断された氷の欠片に触れる。
 するとその欠片が周りの水分と合わさって凍り付き、鋭い氷の槍となって切っ先を輝かせた。


 相手も着地と同時に身を捻って交わそうとするも、クーの放った魔法の槍のスピードはかなり早く、回避行動は間に合わずに、女の横腹に鋭い切っ先が突き刺さる。

氷の矢よ


風の刃よ


 致命傷にはほど遠い自分の魔法の効果を見て、すぐにクーは追撃の魔法を放つ。
 それと時同じくして、負った傷を気にせずに魔法使いの女も切断の魔法を放つ。


 至近距離から同時に放たれた魔法は互いに命中することなく、衝撃だけを受け止めきれずに、互いに吹き飛ばされるいう形に収束した。


「クー!」

 ここまでの攻防を立ちつくして見守るしかなかったジュンタは、地面に転がったクーに慌てて駆け寄る。

「クー、大丈夫か!?」

「ジュンタさん。ええ、大丈夫です。少し腰を打っただけですから」


 腰をさすりつつ、クーは立ち上がる。
彼女の言うとおり、衝撃によるダメージはほとんどないらしい。

 クーは手の平を、自分と同じように立ち上がった魔法使いへと向ける。

「教えてください。あなたは誰ですか? どうして私たちを狙うのですか?」


「たぶん、私はあなたの思っているとおりの存在よ」


 ゆらりと隙のない歩みで近寄ってくる女は、そう言って被っていたフードを剥ぎ取る。

 露わになった女の顔はエキゾチックな色気を纏っていた。

 褐色の肌にグリーンの瞳。少し眺めの髪をポニーテールにして、金属の留め具で纏め上げてアップにしている。露出の多い服の上にローブを纏った姿は、秘境に住む女呪術師のようだった。

「……では質問を変えさせていただきます」


 どんな相手にでも丁寧に話すクーは、異国感漂う女性に向けて口を開く。


「あなたは、ベアル教に属する人間ですか?」



――無論、そうですとも」

 

 クーの質問に対する答えは、女性以外の場所からあがった。


 そちらへと視線を動かしてみると、いつの間に現れたのか、中性的な容姿をした男がこちらに向かって歩いて来るところだった。


 長い金髪の髪に、黒く澱んだ目。

 ジュンタがどこかで見た覚えのあった男は、魔法使いの女の隣で止まり、ニコリと自然な笑みを浮かべる。

「初めまして。お会いできて光栄ですよ、かわいらしいエルフのお方。旅人のお方」


『!!』


 自分たちに向けられた男の言葉に、ジュンタとクーの二人はそれぞれ衝撃を受ける。


 クーに向けられた言葉はいい。クーの容姿を見れば、彼女がエルフであることは一目瞭然だ。しかし自分に向けられた台詞は、決して聞き逃して良い物ではない。


 旅人だと分かっていたように接してきた男――そこから分かることは、彼が前々から自分たちのことを知っていたということだ。さらに状況を見て、魔法使いの女は彼の部下であるということも知れる。

(何者だ、コイツ?)


 少しの距離を開けて、男と女をジュンタは睨み付ける。剣を握る力は緩めない。

 状況もそうだが、なんだかこの男からは嫌な感じがする。ジュンタは不快な気持ちを抑えることが出来なかった。


「あなた方は、ベアル教の信徒の方なのですか?」

「ええ、その通りですよ。聖神教の魔法使いさん」

 

クーが男と女を交互に見てから、泰然とした面持ちで確認を取ると、自らベアルの異教徒であることを名乗った男は笑顔のままに頷いてみせる。

 敵意をまったく見せない行為と表情に、ジュンタは寒気を催す。

 彼は良くない。彼が放つ毒々しい気配は、聖人のような見た目とは裏腹に魔的な性質を窺わせる。

 クーも男からは同じような感じを受けているのか、冷静な顔の下に緊張の色を見せている。しかしそれでも彼女は毅然と彼らと向かい合って、情報を得ようとしていた。


「では、ベアル教の信徒であるあなたに、質問をさせていただきます」


「どうぞ。私に答えられることでしたら」


「あなたの名前を。そして、どうしてこの場所にいるのか、その説明を」


「かしこまりました」

 男は質問に答えることを受領すると、優雅に一礼し、


「私の名はウェイトン・アリゲイ。ベアル教の導師を生業にしております。彼女はグリアー。私が雇った暗殺者です。そして――」


 自己紹介をした後に、ベアル教の異端導師たる男は、



――この村には、魔獣の精製と能力の実験のために訪れさせていただいております」



 残忍で、疑いようのない、全ての黒幕であることを宣言する言葉を述べた。

 彼は自分から、このグストの村に魔獣を毎夜襲撃させていたことを肯定したのだ。

クーは男――ウェイトン・アリゲイの述べた真実に、前もって覚悟を決めていたのか、驚いたような様子はほとんどない。それでも握り拳を作って、全ての元凶を前にした怒りを示している。


「ウェイトン・アリゲイ導師ですか……聞いたことがあります。確か、広域指名手配をされている方ですね?」


「ああ、そうなっていますね。この世には、真の正義を理解していない者が多すぎるようで」


「あなたは自分に正義があると? 村を魔獣に襲わせることに正義があると? そう言うのですか?」


 顔を俯かせて、感情のこもっていない静かな声でクーは問う。


 ピリピリと緊迫した空気が辺りを満たして行く中、ウェイトン異端導師は朗らかに答えた。


「もちろん。我らの行いにこそ正義がある。いえ、正義こそが我らの行いなのです。

今回の実験ではあなた方は我らが到達点へと至る、その役に立つことが出来ました。構いません。感動に震え、感謝することを我が神の名において許しましょう」

 両手を広げ、喝采を受けるようにウェイトンは振る舞う。

 それが静かな時間の終わり。研ぎ澄まされた刃のような明確な敵意が場に流れ、空気が焼け付くような音が響く。

「あ」

 小さな声は、ウェイトンの口からもれたもの。

 突如横殴りにされた彼が、空中を吹っ飛んでいく驚きの中零した言葉である。

 何が起こったのか? それをすぐに理解できたのは、同じ行動を魔法という形で起こそうとしていたクーだけだろう。


 呆然と、ウェイトン異端導師を殴り飛ばした自分の拳を見ているジュンタを振り返って、クーは驚いた顔を作った。

 ……だが、本当に驚いたのはむしろこちらの方だ。

 自分で殴り付けておいてなんだが、今のは思わずやっちゃいました的な行動だ。意図的にやったことではない。感情の爆発って奴だ。それで三メートル近くも吹き飛ぶなんて思っていなかった。


 利き腕である右手でジュンタはウェイトンを殴った。それはもう、力一杯に。


 クーの質問に陶酔した表情で答えていた彼を殴ったことは後悔してない。爽快だったし、間違ったこととは思えないからだ。

 あんな非道な行いをしておきながら、それを正義だと抜かす大馬鹿野郎は、殴られて当然なのだ。
 自分がしなければクーがしていただろうし……まぁ、彼女の小さな手では思いきり吹き飛ぶようなことはなかっただろうが、魔法を使われた場合吹っ飛ぶだけじゃ済まなかっただろう。


 クーと、そしてウェイトンの仲間であるグリアーが、未だ驚いた視線を向けてくる。

 もしかしたら、中肉中背の自分が、ウェイトンを吹き飛ばすほどの腕力を持っていたことに驚いているのかもしれない。

 しかしながら自分が使ったのは反則だ。そんなに驚かれるのは、少し居心地が悪い。


 ジュンタは自分の右手に灯った、虹色の光を興味深そうに見やる。

 心なしかいつもより多めに集まって、光っているように見えた虹色の煌めきのお陰で、ウェイトンをあれだけ弾き飛ばすことが出来たようだった。


 この物の質量を無くし、自分の身体の無駄をなくす力は、きっと何かしらのエネルギー体の集まりなのだろう。


 ある特定の効果にのみ影響を与える、虹色の光を持つ未知のエネルギー……佐倉純太という人間が抱える『特異能力』の一部なのかも知れない。

(ああ、そういや、この力の詳細をリトルマザーに訊くの忘れてたな)


 未だ正体が掴みにくい自分の力を見て、ジュンタはしまったと後悔する。


 これを説明できそうな相手がいたというのに、自分は訊くことをしなかった。大事なことだったのに。訊いていたら、もっとちゃんと力を使えたかもしれないのに、だ。


 この虹色の力で分かっていることは、本当に少ない。


 触れた相手や物が自分に与える『質量』を無くし、まるで身体に適合させたようになることが基本で、対象へと不可視の虹色の光が浸透し、完全に包むことによってその効果を最大限に発揮するようで、
生物の方は、たぶん精神的に触れられることを受け入れられないと、その効果を及ぼすのに時間がかかること。

 あとは
その質量や存在規模に応じて、浸透する時間に個人差があることぐらいだ。ウェイトンを殴り飛ばした時に出た、不思議なスパーク現象はこれが初見であり、理解不能である。

「……不意打ちとは、あまり育ちがよくはないようですね」


 赤くなった頬を抑えたウェイトンが、ジュンタを軽く睨み付けながら立ち上がる。


 ジュンタは殴った右手に剣を握り直し、その切っ先をウェイトンに向ける。彼がこちらを見たときに見せたのは、確かに敵意と殺意だった。

「殴る前に言っておくべきだったが、お前は大馬鹿野郎だ。お前のしたことが正義じゃなくて悪に属することだってことは、その育ちが悪い俺にだって分かることだ」


「本当は正しいことでも、それを真に理解させるのは難しいのですよ。だからあなたは分からない。無知は既知以外の全てを悪と認じさせる。つまりあなたのような人間には、決して本当の正義は理解することはできないということです」

「言ってくれるな。正義の理念を知らないお前に、正義という言葉は似合わない。
 そうか。履き違えているんじゃなくて、そもそも正義を知らないんだな、お前。ならアドバイスをしてやる。これ以上恥をかきたくないなら、もう口は閉じてろ」

「そちらこそ言ってくれますね」


 それぞれ言いたいことを言って、ジュンタとウェイトンは睨み合う。


 掲げる意思としてはジュンタの方が正しいのだろうが、そこに賭けた熱意はウェイトンの方が上だ。
勝てば官軍。負ければ賊軍――違えた認識を押し通すなら、それは結局力勝負になってしまう。むしろこの状況においては、力での戦いになるのは避けられないと、最初から分かっていたことだ。

ウェイトンは視線をジュンタから逸らすことなく、自分の部下である魔法使いに指示する。

「グリアー君。彼に語る言葉はもはやありません。始末をお願いします」


「ですが良いのですか? その坊やは、ヤシューが興味を持っていた相手ですけど?」

「構いません。時間になっても起きない彼に、義理立てする理由はありませんから」


「御意に」


 グリアーは頷いて、腰につり下げていた二本のナイフを手に取る。

 

 そして鋭い視線をジュンタに向けて、そのまま疾走の態勢を取った。


「させません!」


 ジュンタとグリアーの間に立ち、疾走を阻む壁となろうとするクー。
瞳にウェイトン異端導師に向ける敵意を灯し、グリアーを負けじと睨み返す。

 二組の間に、決定的な境界線が引かれる。


 これから先はただ戦うのみ――ジュンタはクーの横に並び立つように進み出て、相棒たる旅人の剣を正眼に構えた。

「行くよ!」

 グリアーが両手の刃を光らせながら、こちらに向かって走り寄る。

 かなり早い。瞬く間に距離を詰めてきて、手に握る刃を左右同時に振るう。


「くっ!」

ジュンタはそれを剣で受けることによって何とか避け、


「はっ!」


 クーは顔を半歩後ろに下げることによって避け、そのまま小さな身体をさらに小さく屈め、足払いをかけるように蹴りを放った。


 ブーツの先に取り付けられた金属板が、グリアーのふくらはぎに向かって一直線に進む。

 それは軽く避けられるも、その時にはすでにクーの拳がグリアーの腹部に突き刺さっていた。


 足払いと見せかけて、その実狙いは腹部。足払いに重みを付けるために捻られた腰は、小さな拳をも重い一撃と変えていた。

「っ!」


 今まで魔法使いとして戦ってきたクーの、その意外なまで高い近接格闘能力に、油断してグリアーは思いきり攻撃を受けた。すぐにクーから距離を取り、態勢を整えようとするが、その時には追撃の一斬が迫っていた。


「くらえっ!」


 右横から左へと振り抜く薙ぎ払い。ジュンタもクーだけに攻撃を任せていた訳じゃない。


 ジュンタは渾身の力で――傷つけることの意味を努めて考えないようにして――思いきり剣を振り抜く。


「くっ!」


 グリアーは両方のナイフを持ってジュンタの攻撃を受けたが、態勢も悪く、そのままバランスを崩してしまう。そこへすかさず走り寄ったクーの回し蹴りが、当然のように胸を捉えた。

急所攻撃への躊躇ない打撃。

魔法使いとしてかなりの腕を持っているとは分かっていたが、どうやらクーは近接戦闘の腕もそれなりに鍛えているらしい。その動きは、ちゃんと格闘技を学んだ人間の動きだ。

「は、かっ」

小さい身体による蹴りとは思えない回し蹴りを受け、グリアーは豊満な胸を押さえて荒い呼吸をする。満足に空気を吸えないらしく、かなり苦しそうだ。


 ジュンタの見たところ、クーとグリアーの近接戦闘の腕は同じぐらい。

 グリアーの方がダメージを受けたのは、ナイフを構え、自分が近接戦闘を出来ることをアピールしてしまったからだ。後は純粋に数の差である。クーにジュンタという少しだけ戦える人間がつけば、戦力は普通に上回る。

 相手方の方にも確かに一人仲間はいるのだが、そいつはまったくグリアーを助けようとはしない。

ただ攻撃を受けたグリアーを、少し不満そうな笑顔で見ているだけである。


「……やるじゃない。正直、その歳でここまでの実力とは寒気すらわね。
 そこまで鍛えるのに、一体どれだけ血反吐を吐いたか……それを思うと実に興奮するわ」


「お褒めにあずかり恐縮です」

 少し呼吸を戻したグリアーは唇の端を吊り上げ、クーに賞賛の言葉に贈る。


「降参をしてください。あなた方二人だけでは、私たちに勝つことはできません」


 こちらの戦力は何もクーと自分だけじゃない。背後には、ことの成り行きを静かに見守っていたグストの村の村人たちもいるのだ。多勢に無勢。戦力差は、初めからはっきりとしていた。


 クーは慈悲を持って彼らに降伏勧告を投げかけた。
 それは彼らがこれまでしてきたことを考えれば、寛大すぎる処置だろう。


「断ります。我々は、悪に屈することはできません」


 だが、ウェイトンはクーの申し出をにべもなく断る。


「悪、か。お前の言う悪って、一体何だ?」


「もちろん。我々正義に敵対する、全てのものですよ」


 思わず尋ねてしまったジュンタの問い掛けに、ウェイトンは静かな面持ちで断言する。自分の言葉に一切の疑いを持っていない、清々しいまでの笑顔で。

「そうですか……」


 ウェイトンの返答を聞いて、クーは少し悲しそうに顔を歪める。

 

「では仕方がありません。あなた方を犯罪者として、捕まえさせていただきます」


「出来るものなら、どうぞご自由に。

――ですが、古来から勝利するのは正義だと決まっているのですよ」


「なら敗者はお前だな。どこからどう見ても、悪人はそっちだろう?」


 言う言葉全てが癪に障るウェイトンを、ジュンタは呆れを含んだ目で見る。

 彼にはどんな言葉も通じない。どんな言葉も彼の耳には入らない。初めから、彼と正義や悪を語るのは意味のないことだったのだ。


 全ては最初から決まっていたこと。

 己の考えを決定とし、それ以外の考えは理解しようとしない。悪名高きウェイトン・アリゲイの危険性は、その異常と呼ばれる精神にあったということだ。

 それに気付いた時、ジュンタは嫌な予感を胸に抱いた。


 思考が走る。自分たちに圧倒的優位な状況。簡単に倒せてしまった魔獣。今になって得もないのに現れたウェイトンたち。

(…………何か、裏がある……?)


 今一度思い直してみれば、そう考えてしまうのは至極当然のことだった。


 今なお余裕の笑みを浮かべるウェイトン異端導師。彼は何ら今の状況に恐怖を抱いていない。それは彼が狂いを有しているからだけでは、きっとない。何かこの状況を打破する――いや、自分たちの計画のことを話しても構わない理由があるのだ。


「抵抗はしないでください。しなければ、あなた方の身は保証します」


 クーは手に魔法の煌めきを灯して、ウェイトンに向かって突き出す。

 それは剣の切っ先を首もとに向けられているのと同じことなのに、やはりウェイトンは余裕の笑みを絶やさない。


 彼は徐に懐から黒い背表紙の本を取り出して見せ、


「どうやら話し合いはここまでですね。――では宴を再開しましょう。次は、私も行かせて貰いますよ」


 自らの参戦表明を述べた。

 グリアーがウェイトンの近くに寄り、ナイフを油断なく構える。


 彼女の背に庇われながら、ウェイトンは手に持つ本を開き、詠唱を開始した。

 それは魔法の詠唱に似た響きで、小声のために内容までは聞き取れない。しかしなぜか強い不安を抱かせる響きだった。

「クー! なんだかまずいぞ!」

 

 ジュンタの言葉を受け、クーはウェイトンに向けて無詠唱で氷の弾丸を飛ばす。

 それはグリアーに阻まれてしまったため、クーはより強力は魔法を放とうと、地面に刻まれた儀式陣の中へと足を踏み入れる。


 行使者を迎え入れた儀式場が、白い光を放って喜びの声をあげる。


 儀式魔法という強力な魔法の発動の兆しが見えたその時、



――狂宴せよ! 魔の宴の参列者!」



 ウェイトンの大きな招集の叫びと共に、地響きが辺りに響き渡った。


「大規模な魔法!?」


 クーが揺れる地面にしっかりと足をつけつつ、次に襲ってくるかもしれない攻撃に備え、放とうとしていた攻撃魔法から防御魔法へと魔法陣を組み替える。


「いや、魔法じゃない」


 周りが慌てふためく中、ジュンタはその地響きの正体に気がついた。


 奴らが向かってくるその一直線上に偶然いたために、一早く奴らの登場に気が付いたのだ。こちらに向かってやって来る、怒濤の軍勢の姿に。

 気付くべきだった。ウェイトンは、魔獣を毎夜襲わせていた犯人だったと自ら名乗ったのだ。

 人が魔獣を操ることなど普通はできない。しかしそれを可能としたのならば、そこには何かしらの術があるはずなのだ。そう、例えば魔道書などを用いた特殊な術などは存在しないのか?
 人を魔獣へと変化させることができるように、もしウェイトンが他の何かを――例えばグストの森に潜む動物を魔獣に変化させられるとしたならどうだろう?

 初めて森に足を踏み入れた時、少しだけ不思議に思ったことがあった。

 広大で豊かな森だというのに、まったく動物や虫の声がしなかったことにジュンタは疑問を抱いたのだ。

 だが、もしも動物たちはいなかったのではなく、目に見えない他の場所にいたとしたら?
 例えば地下。いくら森を探しても見つからない地下に、実験のモルモットとして飼われていたら?

 それは結局予想でしかないけれど、目の前にはその答えが明確に存在していた。


 異様な気配を発する黒い光をたたえたウェイトンの手の本と、こちらに向かってやってくる尋常じゃない数の……


「あなた方には、本当に感謝をしていますよ。我らベアル教の信じる高みへと至るための実験に、多大な貢献をしてくれたのですから。感謝の言葉はいりません。ただ一方的に感謝の念を送りましょう。研究の、この成果を以て!」

『『■■■■■■ッ!!』』

 ウェイトン異端導師の下に集いし奇声をあげるそれらは、絶望的な数のゴブリンの大軍団だった。






 非常にまずいことになったと、クーは迫り来るゴブリンたちの姿を見咎めた瞬間に理解する。

 魔獣の軍団を率いる異端の導師は、暗い眼差しで高笑いを浮かべている。ゴブリンたちを動員した黒幕と自ら名乗ったウェイトンは、その仕上げといわんばかりに村を掃討するつもりのようだった。


 もはや迷う時間も惜しい。クーはすぐに、儀式魔法を発動させる。


霧の風 冷たい雫 広がりて敵を囲め


 発動一歩手前だった儀式魔法が輝きを強める。
 右手にこれから使う魔法の魔法陣を構築し、左手にはそれに付け加える魔法陣を構築する。

 霧散する儀式場と共に、クーの手から白い霧が魔獣の軍団に向かって放たれた。 


 それは自分よりも前にいる者――ウェイトンやグリアーをも包むほどに拡散し、彼ら全てを囲むように広がっていく。

「なんのつもりです、これは? 魔獣であるゴブリンに目隠しが効果があるとでも?」

 広範囲に効果を及ぼした、しかし視覚を遮る以外に効果を発揮しない魔法に、ウェイトンが訝しげに眉を顰める。それでいい。今の段階でこの魔法の効果を察知されるわけにはいかなかった。


阻む壁は城壁の如し 氷の壁は溶けるなかれ

 ウェイトンたちが辺りの様子に気を取られている隙に、クーはすでに次の儀式場の上に立って、魔法の詠唱を終えていた。


 魔法の発動と共に、今まで広がり続けていた霧が一気に凝固する。

 霧は分厚い氷の壁となって、囲んでいた場所全てに地面からそびえ立つ。


閉じた門 閉鎖す鎖 解錠の鍵は氷の中に」


 さらに次の儀式場へ。
三つの儀式場を使用して作られた魔法は、ここに完成の威容を見せつける。


 魔法系統・氷の属性・儀式魔法――
氷鎖城壁(グラシカル ランパート)

本来なら一つの儀式場で発動可能な魔法を、追加の術式を入れることによって、三つに分割して発動させたのだ。長い詠唱と三つの儀式場からなる強大な魔力は、[氷鎖城壁(グラシカル ランパート)]を強固な檻として機能させることに見事成功した。

魔獣の軍団とウェイトン、グリアーを囲むようにして、分厚い氷の巨大なドームが出来上がる。
 それは本来、分厚い氷の壁を作るだけの魔法である[
氷鎖城壁(グラシカル ランパート)
]の変則使用――相手を完全に閉じ込める、封印の魔法の姿である。

 強大な魔力を制御したことで、ふらつく身体をなんとか押さえつつ、クーはよく通るように声に魔力を通し、この村にいる全ての人に聞こえるように大声で叫んだ。

 思い出すのは櫓の火。そこに会った笑顔の姿。

「皆さん! すぐに村から退避してください! 魔法は、十分程度しか持ちこたえられません!!」


 自分はあの笑顔を守ることが出来なかった――クーの切実な叫びが意味するところは、グストの村の放棄に他ならなかった。








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