第七話 グストの森の決戦(後編)
「風よ 礫となりて敵を刻め」
緑の光を伴い、グリアーの手から風の塊が撃ち出される。
弾丸は囲む氷の壁に命中するも、僅かながらの氷を削り取ったあと霧散してしまう。
「……どうやら、通常の魔法では突破は無理なようです。とんでもない密度の魔力で形成されたもので、この魔法だけでも私の総魔力量を超えてます。さすがはエルフといったところのようで」
「そうですか」
グリアーの言葉に、傍らに立つウェイトンがどこか興味深そうに頷く。
「儀式魔法ならどうです? あなたも儀式場の構築のための触媒は持っているのでしょう?」
「ええ、構築は可能です。しかし私の魔力はあのエルフの少女と違って、一般の魔法使いの平均値ほどしかありません。あれだけの魔法行使の後で儀式場を作ろうと思ったら、かなりの時間の要します。それならば――」
グリアーは少しずつ溶けている氷の壁を手で示し、
「――魔法の効果が消えるのを待った方が早いかと。恐らく後十分も持たないでしょうから」
「なるほど……その間に逃げられてしまいそうですが、それならそれで追い立てる楽しみが出来るというもの。では、解呪の時までゆるりと待ちましょうか」
グリアーの提案を承諾し、長い金髪を翻して、ウェイトンは背後に控えた自分の軍を見やる。
「精々楽しませて貰いましょうか。宴には、血の臭いこそが似合う」
血に飢えたゴブリンたちの奏でる金切り音が、氷のドーム内に響き渡る。
ウェイトンの言葉に呼応する魔獣たちの数は、群という言葉を逸し、軍と呼ぶべき数であった。
『グストの村を捨てる』
そう意味するクーの叫びを聞き、その場に集まっていた村人たちは悲鳴のようなざわめきを発する。
彼らにとってこの村は故郷。故郷を捨てて逃げろと言われても、すぐに納得は出来ないだろう。
(故郷を離れるっていうのは、とても不安なことだからな)
自分もその経験をしたジュンタは、今、村人たちがどんな気持ちでいるか少しは理解できた。
瑞々しい自然に囲まれた、小さな村。
都会ほどの華美さはないが、素朴で平和な村。
ここには生まれ育った思い出と、過ごしてきた愛がある。不安を隠しきれない村人たちは、その場に突っ立ったまま動くことができなかった。
その間にも、刻一刻と時間は過ぎていく。クーの魔法が魔獣たちを抑えておける時間は十分程度しかない。すぐに行動に移さなければ、その時点でジ・エンドだ。
(さっきの魔獣たち、生半可な数じゃなかった)
まるで自分たちが保有する全ての魔獣を出してきたかのような、ウェイトン異端導師の魔獣の軍勢。その醜悪な金切り声と威圧感を思い出し、ジュンタは寒気を催す。
あれを見た全ての人間の共通認識として、対抗する術はないと思ったに違いない。
あれに立ち向かうには、それこそ騎士団ぐらいの人数が必要だ。クー一人では、村人だけでは、到底敵いようのない数。頼みの綱の儀式場も後一つしか残っていない。
ウェイトンの奥の手は、紛れもない決戦の勝者と敗者の姿を浮き彫りにした。
敗者であるジュンタたちに出来ることは、何とか生き延びるために逃げることだけ。だけどその逃げる段階になって足踏みをしていたら、助かる命も助からない。
「皆さん! 早く逃げてください! このままでは本当に全滅してしまいます!!」
オブラートに包まない現状の突きつけ。
クーの言葉は確かに彼らの意思を逃げる方向に持って行っているのだが、それでも後一歩が足りない。その後一歩は、クーでは無理だ。クーはグストの村で生まれ育ったわけじゃない。あと一歩を踏み出す切欠は、グストの村の人間からでなければいけない。
刻一刻と過ぎる時間に、焦燥を濃くする村人たち。
「――――生きるのじゃ。例え、村を捨てたとしても」
全てを打破する一石は、やはりウェイバー村長の手から放られた。
重い口調で教会から出てきた村長は、自分の周りへと集まった皆に告げる。
「逃げるのじゃ、今すぐに。こうなる可能性はすでに考えていた。あの宴の日に、こうなる可能性を考えなかったとは決して言わせん。皆、その覚悟はとうに出来ているのじゃろう?」
村長の言葉に、村人たちはあの笑顔だけがあった夜のことに想いを馳せる。
全ての不安を拭って参加した酒盛りの席。
夜の闇を照らした炎に、皆が思い描いた未来の一つ。村長が語った乾杯の真の意味を、理解していない者などこの場にはいない。
「グストの村とは、そこに生きる村人たちのことを言う。真の意味で村を滅ぼしたくなければ、逃げるしかあるまい。なぁに、大丈夫じゃ。人とは幸せを求め欲する生き物。故郷を愛する想いさえあれば、いつの日が我らが故郷は必ず甦る」
誰よりも長くこの村で生き、この村を愛した男は、悔し涙を流しながらも笑って叫ぶ。
「さぁ、準備を終わっているのじゃろう? ならば逃げるぞ! 目指すはエットーの街じゃ。森を抜けるまで一時間。街道を走り抜ける二時間。死ぬ気で走れぃ!!」
『『おうっ!』』
村の統率者の声の元、今村人たちの心が一つになった。
皆悲しみと悔し涙を浮かべながら、それでも、それぞれ前もって纏めていた荷物を手にして逃げることを始める。助かるために。本当の意味でグストの村を終わらせないために。
荷物は村で飼っていた馬の背に。老人、子供は若者の背に。
都合一分――一分で皆は村への想いを置き去りに、生き延びるために準備を終了させた。
「では、行きますよ! 皆さん、私についてきてください!」
村人たちの先頭に立ったのは、教会の神父だった。
村長より若く体力もある彼が、村人たちの先導者となって森を行くのだ。
村長は一番の老齢であるが故に、最後尾近くにつく十匹いる馬の一匹にまたがる。さらにその後ろにラッシャが馬に乗って続き、その後ろを荷物を背負った馬たちが続いた。
どうやら馬の扱いに長けているラッシャは、馬たちの統率の任を任されたらしい。なるほど、確かに彼以上の適任者はこの場にはいないだろう。
村から一番近い街であるエットーの街に続く森へと、次々に村人たちが入っていく。
「それじゃあ、また後で会おうや」
ラッシャも、ジュンタとクーに手を振って、木々の中に消えていった。夜のグストの森は暗く、すぐに姿は見えなくなる。
「よしっ、それじゃあ、俺らも行くぞジュンタ!」
「分かりました」
そして本当の最後尾には、体力のある若者たちがそれぞれ武器を持って続く。
まず間違いなく追ってくる魔獣たちを追い払うためのメンバーだ。その中に、必然的に戦力として数えられているジュンタもクーも含められる。
「気合いを入れろ! ここからが本当の決戦だと思え!」
ゴブリンたちをクーの前まで陽動した任とは、遥かに危険度が違う。
今度は村の皆を守るために殿を守るのだ。
スピードだって、自分たちだけで走った時よりも遅い。村人を守るために何度武器を振るうことになるかわかったものじゃない。
それでも一人の犠牲も出さないようにと、若者たちの顔には決意の色が見て取れる。
(俺も、やらないと)
村は守れなかった。だが、村人は絶対に守ってみせる。
ジュンタは決意を新たにし、村人たちの列に続く若者の後を追う。その前に、当然のこととしてクーに手を差し伸べた。
「行こう、クー」
氷に閉じ込められた魔獣たちを油断無く見ていたクーは、差し出された手を見て、少しの躊躇の後掴み返した。
「――はい。行きましょう、ジュンタさん」
その瞳に、確固たる決意が渦巻いていることに、ジュンタは最後まで気付けなかった。
◇◆◇
クーヴェルシェン・リアーシラミリィの故郷と呼べる場所は、聖地ラグナアーツである。
水の都と謳われるラグナアーツは本当に美しい都だ。
白亜の神殿がいくつも並び立ち、民家でさえ景観を作るのに一役かっている。蜘蛛の巣のように広がり絡み合った水路は、いつだって透明な水をたたえていた。
そして美しき聖地の中央で威光を放つ――アーファリム大神殿。
聖神教の頂に立つ使徒が暮らす、清楚ながら煌びやかな聖域の中の聖域だ。
誰もが足を踏み入れることを望み、それが果たされずに一生を終える、この世で最も貴い場所。
ほんの一握りの幸運な人間しか入ることを許されないそこに、初めてクーが足を踏み入れたのは、まだ五歳になったばかりの頃だった。
祖父に手を引かれて初めて訪れた時の、その場に満ちる神聖な空気は今もまだ鮮明に覚えている。
まるで神の居住区にでも訪れたようだと、幼きクーは錯覚した。だからそこで出会ったその人は、そのときのクーには神に見えて仕方なかった。
十年ほど前――クーは初めて使徒と呼ばれる、人ならざる神聖なる絶対者に出会ったのだ。
金色の双眸が美しい、聖母のような金色の髪の女性だった。
声をかけるでもなく、まずその金糸の使徒が最初にしたことは、たおやかな手をクーに向かって差し出したこと。
触れることすら恐れ多い手が髪に触れ、聖母は微笑を口元に浮かばせ、こう言ったのだ。
『わたくしとお揃いね』
髪を撫でる手は頭の上へと登り、次に頭を撫でられた。
優しく、優しく、慈しむように、彼女は自分なんかの頭を撫でてくれた。
――全てはその瞬間に決まった。もしもこの人のようになれたなら、それはどんなに素晴らしいことなのだろう、と。
幼い日に焦がれた憧憬は、今も変わらず胸にある。あの日より、より一層燃え上がって。
いつかこの人のようになれたら。いつかこの人のように笑えたら。
許されない身分不相応な夢と知りつつも、それを胸に抱いてずっと生きてきた。
……でも、それは無理なのだと、やがて悟った。諦めるのは、早かったと思う。
どんなに努力しても、どんなに真似ても、どんなに焦がれても……決してその人のようにはなれないのだと悟った日があった。
生まれから違う。神めいた素晴らしさを有した使徒には、どう足掻いても人では辿り着けない。ならば、かつて許されない罪を犯した悪たる自分など、憧れることすらおこがましい。
そう理解したからこそ、届かないからこそ、さらに憧れた。
その先に、クーは一つの夢を抱く。
本人には決してなれないなら、自分は貴いその人を――いや、その人たちを助けられるような人になりたい、と。金糸の使徒に仕える自分の祖父のようになりたいという夢を抱いたのだ。
それもまた、等しく困難に過ぎる道だということは分かっていた。
恐らくそれもこんな自分では無理だと言うことは、否応なく理解できていた。
でも、一度目の挫折は受け入れたが、二度目の挫折は受け入れられなかった。
二度目の挫折は自分の存在すら否定してしまうと、そう分かっていたから、決して受け入れることは出来なかった。
さらに努力を。さらに研鑽を。
苦しんで、辛い思いをして、泣いて叫んでその先に。
より高く、強く、やがてこの上なく貴い誰かの隣に立てるように、と。
――――そしてその鬼気迫る努力は、ついに実を結んだのだ。
秋のある日、祖父と同じ役目を担うに値するという天啓が、クーの元に舞い降りてきた。
唐突に、何ら前触れもなく、しかし確かに降りてきた。
自分は認められたのだと、クーは天にも昇る気持ちで歓喜した。
それから数日は、己が仕える誰かが発見される一報を待ち、一体どんなに素晴らしい人なのかと夢想しながら過ごした。
どんな人なんだろうか? かっこいい人なんだろうか? 優しい人なんだろうか? 強い人なんだろうか? ううん、きっとその全てを兼ね備えた人に違いない。
現実にはまだ生まれたばかりのその人に、人格の形成などあるはずないのだが、それでも未来に思いを巡らしクーは幸せに浸っていた。
出会いに胸焦がし、自分を見つけてくれたまだ会わぬ誰かに恋情を抱くのには、そう長い時間を必要としなかった。それこそ数日――秋に舞い散る落ち葉のように、一瞬で。
………………しかし待てど、その人との出会いが訪れることはなかった。
そんな中、驚くべき事実が判明した。
それは生まれたばかりだと思っていたその人が、実はすでに何年か前に生まれ、そしてその一番目の役割を果たしたという事実だ。
誰よりも先んじてそれを知ったクーは、だから恐怖した。
その人はすでに、自分の従者を見極めることが出来るのだと、そう知って。
祖父曰く、その人を見れば、自分の仕えるべき人であることがはっきりと分かるらしい。
しかしクーが今までに出会った誰かの中に、そんなはっきりとした想いを抱く人はいなかった。
ならばきっと、まだ見ぬ誰かが自分の主なのだろうとそう思って、怯えつつも待っていたのだが、出会いはやはり訪れない。
そんな日が続くほどに、クーの心は沈んでいった。
考えたくもないのに、嫌な考えが頭を過ぎり出す。
もしかしたら、自分は必要とされてない……見捨てられてしまったのではないか、と。
その気持ちを認めないために、自ら主を捜す旅に出た。
天啓が舞い降りたのだから、この世界のどこかには必ず己が主はいる。
待っているんじゃない。自分が従者なのだから、自分こそが会いにいくべきだと。待つのではない。きっと待っていてくれているはずだから、会いに行くべきだと。
故郷を離れ、まだ見ぬ国へと足を踏み入れ、大事な大事な希望を胸に旅路を進んでいく。
そうして過ぎた季節は二度。
秋より冬に。冬より春に………………未だ、探し人は見つからない。
新たな誰かと出会う度に、いつも思う。考える。
会えないのは、自分が『巫女』にふさわしくないからなのでは、と。
(違う)
欲した『巫女』と自分があまりに違うから、誰かは自分を選んだことを後悔しているのではないか? よくある話だ。自分の『巫女』は一人だけでいい。例え失ってしまっても、二人目は必要ない。
(違う!)
自分が赴く救世の道にふさわしくないとそう思われて、自分は見限られたのだ。
(違う!!)
何の根拠もないのに否定をするな。むしろ見捨てられることの方が、自分にはふさわしいと思っているくせに。
自分の中の劣等感が、いつだってそう自嘲していた。
どんなに良くあれと思っても、どんなに潔い生き方をしても、犯した罪は決して消えない。死ぬまで、いや、死んでもその罪は贖罪されることはない。永遠に苦しみ、永遠に懺悔し、それでも許されない事実を抱えて生きることこそが自分であると。
――――ああ、それを否定したくて、憧れたのに。
一人殺したのだから、百人は救わないとダメだと思った。
百人殺したのだから、万人は救わないとダメだと思った。
幾千もの想いを踏み躙ったのだから、この世界を救わなければダメだと思った。
そしてそれが出来る唯一に憧れて、挫折し。今度こそはと手伝える自分になろうと願い、そして今また挫折しようとしていた。
旅の途中――訪れた村で、とある一人の旅人と出会う、その直前までは。
第一印象は優しい人。自分と同じ旅人で、極々普通の優しい人。
次の印象はとても優しい人。自分なんかを心配してくれた、とても優しい人。
話を聞いてくれた。元気づけてくれた。慰めてくれた。褒めてくれた。手伝ってくれた…………本当にとっても優しい男の人。それこそ、あの方に差し上げることが出来る唯一の財産を、捧げたいと思ってしまったほどに。
彼との出会いは、旅のほんの少しの幸せだと思う。
偶々同じ村に寄り道をして、同じ場所で眠って、同じ役割の元で仲良くなっただけの人。
これまでにも出会った人と同じ。……ただ少しだけ違うのは、その人といるとなぜだが胸がポカポカ温かくなって、とても安心できたというだけ。不思議な安らぎを与えてくれたというだけ。ただ、それだけ。
でも、それだけでよかったのだ。もう少し、がんばってみようと思うには。
心配して握ってくれたあの手からは、彼の想いが伝わってきた。
大丈夫だと、きっと出来ると、認めてくれると、そんな想いが伝わってきた。それは彼が、自分のことを認めてくれたことに他ならない。
彼は優しいが、とても優しいが…………残念なことに探し人ではない。
でもきっと、探している人は彼のような人だと思ったので、彼の言葉は本当に嬉しかった。涙が出るほど嬉しかった。
いつか出会うその人に恥ずかしくないように。そして、小さな元気を与えてくれた人に誇れるように。これから先、もう少しだけがんばってみよう。
だから――
「ありがとうございます、ジュンタさん」
クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、握られた優しい手を、そっと離した。
「ありがとうございます、ジュンタさん」
そう言われるのと同時に手を離され、ジュンタは驚いて足を止めてしまった。
グストの村から逃げ始めて五分。ちょうどクーの使った魔法の効果が切れるまで、後半分へと差し掛かった時間である。
エットーの街へと続く森の道の中、長い列を作って逃げていく列の最後尾。
村からずっと握ってきて、そして今離された手を見て、ジュンタは呆然とクーを見た。
「クー、どうしたんだ? 早く逃げないと」
ジュンタの言葉に、クーは首を横に振る。
そして綺麗に笑って、
「私は村に戻りますから、どうぞジュンタさんは先に逃げてください」
「なっ!?」
息を呑む。馬鹿げたクーの言葉に、衝撃のあまり言葉を失う。
戻る? どこに? 村に? それがどういう意味か、彼女は分かっているのか?
「馬鹿なこと言うな! 今村に戻ったら、確実に死ぬぞ!?」
「でも、誰かがやらなければいけないことですから」
村には魔獣の軍勢が、氷の封印が溶けるのを今か今かと待ち侘びている。
そんな中に戻るというのは、自殺行為以外の何ものでもない。
そんなこと、自分より聡い彼女には分かっているはずなのに……いや、違う。分かっているからこそ、彼女は戻ると言ったのだ。
……正直に言えば、ジュンタは、どうしてクーが村に戻ろうとしているか分かっていた。
自分でもそのことに気付けていたのだ。彼女が気付いていないはずがない。
「このままではそう遠くない内に魔獣たちには追いつかれてしまいます。それに、列の側面から叩かれたらどうにもなりません。だから、一団となったままの状態で誰かが引き留めておかないといけまないんです」
このままでは、全員が無事に森を抜けられないことに――気付いていないはずがないのだ。
「だからって、みんなが助かっても、クーが死んだら意味ないだろ?」
「大丈夫です。私は死ぬつもりなんてありませんから」
両手を組んで、クーは目を閉じる。
「色々とありがとうございました、ジュンタさん。ジュンタさんみたいな人に出会えたこと、とても嬉しかったです。皆さんのこと、よろしくお願いします。――――あなたの旅路に、使徒様のご加護がありますように」
「待て、クー!」
祈りを捧げた後、ジュンタの静止の声を振り切って、クーは反転して走り去って行ってしまった。
ジュンタは消えていく小さな背を見て、それから前方の離れていく村人たちの列を見る。
片方は死地へと向かう道。
もう片方は死地から遠ざかり、助かろうとする道。
「くそっ!」
ジュンタは迷わず、悪態付いてクーの後を追いかけた。
クーヴェルシェン・リアーシラミリィという少女を死なせないことは、ジュンタの中では決定事項になっていた。このまま彼女を追えば死ぬかも知れないとか、そういうことは関係なかった。それよりも、彼女を死なせてしまう方が今は怖かったのだ。
僅かに戸惑った時間の所為で、路の途中でクーに追いつくことは出来ないだろう。
彼女の走る速さは自分と同じぐらいで、彼女は弛めることも、振り返ることもないだろうから。
だから村へと到着し、彼女の背に追いついて共に戦う。
そうしようと考えて走り、
「――よう。ようやく追いついたぜ」
その案を考え直さなければいけない男の声が、横手から響いた。
「誰だ!?」
足を止め、ジュンタは剣を構えて声のした方を向く。
木々の間から出てきたのは、身長百八十センチ以上もある長身の男だった。
「会えて嬉しいぜ、この野郎。変態に置いていかれた時はどうしようかと思ったからな。まぁ、俺が寝てたのが悪いと言えば、悪いんだがよ」
整った鼻筋に、横へと走る傷跡を作った金髪碧眼の男である。
口元に獰猛な笑みを浮かべて近付いて来るその男を見て、この状況から考えて味方とは思えるはずもない。
「でもまぁ、こうして会えたんだから関係ないだろ? ようは結果だ。過程じゃねぇ。お前は俺と出会って、そして――」
エルフの男は、その両手に真っ赤なガントレットをつけて、ガツンガツンと鳴らし、
「――このヤシュー様と戦うんだよっ!」
大きく手を振り上げて、いきなり殴りかかってきた。
「クーを追わないといけないのに!」
ジュンタはタイミングの悪さに歯を食いしばって、ヤシューに向かって剣を振り上げる。
◇◆◇
「やれやれ、やっとですか」
ウェイトンはようやく直に見ることが出来た月を見上げ、軽く息を吐く。
今まで自分たちを閉じ込めていた檻が、ようやく溶けた。思ったより少しばかり長かった。どうやら、自分はあのエルフの少女を甘く見ていたらしい。
(そう言えば、エルフを実験体にしたことはまだありませんでしたね)
いきり立つ魔獣たちの声を聞きながら、ウェイトンは一つの案を考える。
自分たちの戦力を考えれば、その案を実行するのはさして難しいことではない。故にとても良い考えだと、そのように思えた。
「我が魔獣の軍勢よ!」
ウェイトンが片手を上げ、もう片手で黒い光を発する本を掴み、声も高らかに叫ぶ。
醜くも美しい化け物共が声を震わし、耳を傾けているのを感じた後、続けて自分が考えた素晴らしい案を伝えようとする。
その耳に――
「凍り付け」
朗々とした詠唱の声が届き、次の瞬間氷結の魔法は襲いかかってきた。
何より先に気付くべきだった、と今だからウェイトンは思う。
自分たちの足下が、氷が溶けたことによって水浸しになっていたことを。
魔獣の軍勢が見る先――白く淡い光の舞台の上に、一人の魔法使いがいたことを。
解呪と共に獲物を追うことのみを考えていたために、誰かが囮となって待っているとは考えていなかった。だからこそのこの奇襲に、何の備えもしていなかった。
魔法の発動と共に、辺りに散らばっていた水が急激に凍り付く。
[凝固]の魔法だ。氷の属性における初歩の初歩。ただ水を凍らせるだけの、それだけの魔法。しかし今村に満ちる水全てを凍らすなど、並大抵のことではない。とてつもない魔力を必要とする行為だ。それを、彼女は儀式場を使わずに成し遂げたというのか?
すでに彼女――クーヴェルシェンなるエルフの少女は、五つの儀式魔法と、グリアーとの戦闘で使った魔法とで、数多くの魔法行使を行っている。
いくらエルフが魔力も多く、魔法を扱う術に長けた種族であろうとも、もういい加減限界であろう。
彼女の魔力はすでに底をつき、それによる負荷で昏睡してもおかしくないはずだ。
魔力とは体力であり、生命力だ。過度の使用は寿命を縮める結果になるし、下手をしたらその場で命を落としかねない。
それなのに――彼女はどうしてここまで戦えるのか?
「は、ははっ、素晴らしい!」
足下を凍らされ、再び捕らわれながらもウェイトンは笑った。素晴らしいと、拍手をしながら笑った。
初めてだった。これほどまでに誰かを欲しいと思ったことは。人を導く導師としての欲求を刺激されたことは。
「素晴らしいですよ、ミス・リアーシラミリィ! あなたこそ、我らの仲間になるに相応しいお人だ! 我々はあなたが聖神教を崇めていたことを非難はしない! 仲間になれば、皆が等しくベアルの使徒です!!」
「嬉しくもない誘いをありがとうございます、ウェイトン異端導師」
誘いの言葉に、絶対零度の拒絶が返ってくる。
「私は使徒様にはなれません。聖神教における、世界が、人が望んだ使徒様にも。あなたが望む使徒にもなることは出来ません。
私に出来る最大限は、かの人を手助けすることだけ。使徒様に託宣を伝える役目を担う者。この身を盾とし、剣とする従者――」
そして続く言葉に合わせ、クーヴェルシェンの身体から魔力の奔流が流れ出る。
それは彼女が踏む儀式場へと流れ、儀式場はこれまでより、より一層の光を生み出す。光と共に迸る魔力の輝きは、辺りの空気すら凍らせる勢い。
ウェイトンが興奮する気持ちをどんどんと膨れあがらせているのと共に、魔力は際限なく膨れあがっていく。美しい光の舞台に立つ妖精は、まるで全身が光り輝いているかのように純白に煌めき、最後に己の誇りと共に詩を紡ぐ。
「――私は、『巫女』クーヴェルシェン・リアーシラミリィですッ!! 奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け」
クーヴェルシェンの手から放たれた[雪雲の暴風]の魔法は、儀式場の力を持って昇華する。
光――それは純白に輝く絶対零度の光だった。
光の奔流は、固まったままの魔獣の軍勢へと突き刺さる。
命中したものを凍らせ粉砕する光は、今の彼女が使える最大最高の魔法に相違なかった。
儀式場が光となって散るのを合図として、クーヴェルシェンの身体がふらりと傾き、そのまま地面に倒れ込む。限界を超えての魔法行使に、ついに身体の方が強制的に意識をシャットアウトしたのだ。
限界を振り絞った魔法の一撃。その威力は計り知れない。
身動きの取れなかった軍勢の中央に突き刺さった魔法は、百以上の魔獣を一瞬で粉砕した。余波を受けた魔獣も、かなりの痛手を被っている。
しかしそれでも、無事でいる魔獣の数の方が、負傷した魔獣よりも多い。
百以上二百未満の死亡者と負傷者に対し、三百近い無事な魔獣。
森から続々と出てきて、ついには村を満たすことになった軍勢のリーダーは、クーヴェルシェンへと近付いて、その気絶した姿を視界に収める。
「いやはや、肝が冷えました。ここまで命の危機を敏感に感じたのは、以前我が神ドラゴンを前にした時以来でしたよ」
ウェイトンは、その身体中に緑の血を付着させながらも、致命傷となるべき傷は負っていなかった。
魔法が命中する前に、配下の魔獣たちを自分の前に何重にも並べて、その威力を拡散させたのである。肉の壁で防いでなお、浅くはない傷は何重も付いたか、それでも生きていた。
「ふふっ、ますますあなたが欲しくなりましたよ、ミス・リアーシラミリィ。その魂、肉体、精神、素晴らしいの一言です。あなたらなら、もしかしたらドラゴンへと反転することも可能かも知れませんね。もっとも――」
ウェイトンは気絶したクーヴェルシェンの傍らにしゃがみこみ、その頬を愛おしそうに、酷薄な笑みと共に撫で上げる。
「――少々、準備が必要ですか。もうしばらく地下の神殿暮らしになりますね。
と、皆さんにお預けをしていたのを忘れていました。では、魔獣たちよ。村人たちを追いなさい」
血しぶきを風で振り払ったグリアーにクーヴェルシェンを運ばせながら、ウェイトンはもはや特に興味もないと、適当に追跡の指示を出す。
ゴブリンたちの嬉々とした笑い声が唱和する。
魔獣の軍勢は、グストの村人を追い求めて進軍を開始した。
◇◆◇
ヤシューの拳は硬く、重い。
ガントレットで包まれているための固さだけじゃない。鍛錬の果てに得た全身の動きが、拳の威力を、速度を、鋭さを倍増させているのである。
「おらおら、どうしたァ! テメェの力はこんなもんじゃないはずだぜ!」
暗闇の中に煌めく深紅のガントレット。左のジャブの後に、渾身のストレート。
風切り音と共に顔面に向かってくる一撃を、ジュンタは何とか剣で弾くことに成功した。
「ぐうっ!」
だがジャブの後に再度撃ち出された左のストレートを避けきることができずに、そのまま腹に打撃を叩き込まれて、後ろに弾き飛ばされてしまう。
込み上げてくる吐瀉物を強引に飲み込み、ジュンタは何とか態勢を崩さないよう努める。
都合四回目――これが、ジュンタがヤシューの攻撃を受けた回数である。
彼が放ってくるパンチのほとんどをガード出来たのは、自分でも信じられないくらいに運が良かったとしか言えない。二発目を受けた時にわかった。彼は自分よりも遥かに強い、と。
貰ったダメージは、そのまま身体に穴でも空くかと思ったぐらい痛かった。
内出血しているのは間違いなく、今もジリジリと痛む。
何とか相手の攻撃を読み、隙を狙って反撃しようと考えていたのは最初の方だけ。後は、ずっと攻撃を受け続けることに意識を集中している。いや、しないといけなかった。
(コイツ……強い……)
口の中の血を吐き捨てながら、ジュンタは未だ傷一つないヤシューを睨む。
こちらが立ち直るのを飄々と見ている彼は、こちらが態勢を立ち直らせるのと同時に、再び攻撃を加えてくる。そして一撃を食らわして、態勢を崩したところで攻撃の手を止める。
間違いなく、ヤシューは手加減をしている。遊んでいる。そうでなければ、一方的にやられている自分が十分近くも生きていられるはずがない。
どうしてそんな風に手加減をしてくれるのかは分からないが、発言から推測するに、どうやら彼は自分を買い被っているようである。
「ほら、そろそろ本気を出せよ。今まで待っててやったんだからよ。少しぐらい俺にご褒美をくれたっていいだろ?」
「…………」
「かー、無口な野郎だな。全然予想より弱いしよ。まぁ、タフなのは認めてやる。だけど、それだけだ。俺の拳に反応できないんじゃ、サンドバック以上の楽しみようがないぜ」
別にジュンタだって、好きで無口でいるわけじゃない。しゃべる方に意識を傾けられるほど余裕がないだけだ。ただでさえ意識がクーの方に傾倒してしまい、どうしても集中が散漫になってしまうのだ。喋ることすら禁じなければ、ここまで立っていられなかった。
「ほら、さっさと俺を倒して先にいかないと、テメェの仲間が死んじまうぜ」
「っ!」
こちらの内心を察し、からかうようにヤシューはクーのことを話題に出す。
それが挑発のためにやっていることとわかっているのに、ジュンタは怒りと焦りの念を隠すことが出来ない。
(さっさと、クーを助けにいかないといけないのに!)
クーがグストの村に向かってから、すでに十分近くが経過している。もう、封印から解除された魔獣たちと対峙していることだろう。今すぐにでも駆けつけないといけないのに、目の前の男が邪魔をする。
「いいねぇ、その顔。最高だ。もっと怒れ、そして本気を出せよ。俺がお前から感じた力は、こんな素人に毛が生えたような力じゃないぜ」
ジュンタの怒りを読み取って、ヤシューが再び構えを取る。
腰を深く落とした、まるで獲物に跳びかかろうとする獣の構えだ。
「もっと本気を出してみろ。俺を楽しませてみろ。じゃなきゃテメェ、いつまでたっても女を助けにはいけないぜ!」
「くそったれ!」
向かってきたヤシューに向けて、思いきり剣を振り下ろす。
一般人よりも素早く剣を振れている自信はあったが、それは本当の強者の前には通用しないレベルでしかなかったらしい。それもそのはず、ジュンタは喧嘩ぐらいしか戦闘経験のない、剣術も習ったことのない素人だ。
「はんっ、フェイントもない斬撃が俺に届くと思ってるのかよっ! 不快不愉快愉快過ぎだぜ!」
今できる渾身の一閃もヤシューに軽くガントレットで受け止められて、逆にカウンターが腹にめり込む。
「ハッハー! 今ので骨二本はいったな、おい!」
アッパー気味に吹き飛ばされたジュンタは地面に転がって、ゲホゲホと胃の中の物を吐き出す。
「く、そ……」
歯が立たない。それがこんなに悔しいものだったなんて、思ってもみなかった。
今まで努力なんてしなくても、大抵はどうにかなった。いや、どうにかなることしかやってこなかったのか。どちらにしろ、ジュンタにとっては、これが初めて味わう劣等感と敗北感だった。
「こんなことをしてる場合じゃないのに…………クーのところに行かなきゃならないのに……」
口に出るのは同じような言葉だけ。今のジュンタには、それ以外が頭にない。
それがお気に召さないのか、ヤシューはガントレットを打ち鳴らしながら、睨み付けてくる。
「ダセェな。女女って、そんなに女が大事かよ? 男にとって何より大事にすべきなのは力だろうが。そんな簡単なこともわかってない奴に……ったくよ。俺は一体何を期待してたってんだ。――ちっ、所詮は俺の気のせいだってことかよ、くそつまんねェ!」
剣を支えに、震えながら立ちあがるジュンタを見て、期待はずれだとヤシューは吐き捨てる。
「ああ、もういいぜ。テメェには何も期待しねえよ。もう楽にしてやる。きっとテメェの大事な女も、ゴブリンどもに喰い殺されてあの世にいるだろうからなァッ!」
気合いの声と共に、ヤシューが拳を打ち出してくる。
今までよりも速い。やはりこれまでかなりの手加減をされていたようだ。
ヤシューの拳はジュンタの顔面目掛けて迫る。重たい金属の拳が当たれば、頭蓋骨が割れて死ぬだろう。死ぬ…………ああ、なんて大ピンチだ。
ジュンタは何とか、最後の力を振り絞って剣を構えようとする。
思えばこの剣にも申し訳がない。最高の剣であるのに、その担い手が自分じゃ、まったくその力を発揮することができなかった。
淡い、虹色の光が煌めく剣。大事な親友がくれた剣で、クーが直してくれた剣。
――ふと、誰かの言葉を思い出す。
『騎士の剣とは騎士の誇り。片時も傍から離しておくなど、言語道断でしてよ』
美しい紅の騎士の姿――その凛々しい姿をイメージし、ジュンタは剣を握る力を強めた。
守ると約束した。この剣に誓った。村を守ると。そこに生きる人たちを守りたい、と。
何より、たった一人で戦おうとしていた少女の手助けをしたいと、あの宴の笑顔に誓ったのだ。
誰も彼もが笑っていたあの光景を、思い出す。諦めてはいけない。諦めたくない。
「諦めて――」
誓いを剣に。この一撃に全て託して、ジュンタは自分の身を守るのではなく、敵を倒すために剣を振り切った。
「――たまるかぁッ!!」
火事場のくそ力という奴か、その時のジュンタの剣は今までで一番速かった。
ガキン、と金属同士がぶつかる音が森に響き渡る。
同時に、ぶつかり合った剣とガントレットの間に虹色のスパークが炸裂した。
「うぉっ!?」
驚いたように拳を引っ込めたヤシュー。しかし予想外のスパークは、彼の目を焼き、拳を焼く。
バチリと盛大に火花が散って、スパークが収まるのと同時に二人はそれぞれ逆方向に弾け飛ぶ。
ジュンタは剣を握ったまま背中を木に打ち付け、そしてヤシューは地面を滑って止まった。
「……マジかよ」
ヤシューが驚きの声を零す。
彼の視線は自分の手へと注がれていた。そこには焼けこげたガントレットの姿が。先程のスパーク現象が持っていた熱量により、溶かされてしまったのだ。
「ハ、ハハッ」
ヤシューは愉しげな笑みを浮かべ、ジュンタを見る。
「おいっ、こいつはなんだ! 剣の力か? それともテメェの力か!? いや、どっちでもいいぜ。やっぱテメェは普通じゃねぇ! カカッ、こいつはおもしろくなってきやがったァ!!」
歪んだガントレットを外し、素手となったヤシューは無邪気な子供みたいに笑う。
何とも気をそがれる態度だが、例え素手だとしても油断など出来ようもない。なぜなら自分の力は、先程の一撃で使い果たしてしまったからだ。
もう身体はフラフラ。意識だって朦朧状態。何がなくなったかというと、体力とかがなくなった。
それでも意思だけで立ち、ジュンタは剣を構える。
「戦える。ああ、戦えるとも。こいつに勝って、クーを助けるまでは倒れられない」
二人は再び向かい合う。この時この瞬間――互いを最大の敵だと認識して。
「ん?」
「あ?」
だがその二人の耳に、獣の奇声が届いたはそのときだった。
響いた獣の声にジュンタは聞き覚えがあった。ゴブリンの声だ。たくさんの、それこそ数百のゴブリンが一斉に鳴いたような金切り声……
「そんな、もう追いついて来たのか……」
ジュンタは愕然として、木々の間からのぞく、ギョロリとしたゴブリンの赤い瞳を見る。
ゴブリンの軍勢が追いついてきたということは、それ即ち足止めに向かったクーが彼らに敗れたということだ。それがどういう意味を持つか………………分かりたくもない。
だが理性は、感情は、それでもそうだと強引にわからせようとする。
グストの村で見た時より、数を減らしたゴブリンたち。誰がそこまで数を減らしたのか、ジュンタにはすぐに分かった。
「嘘、だろ……?」
頭に暗い映像が過ぎる。笑っていた少女の優しい笑顔が、血に染まった映像が。
――――プツリと、ジュンタの中で何かが切れた。
それはきっと大事なもので。切れることは、何かをなくすことを意味していた。
「お前ぇらぁあアアアッ!!」
力尽きた身体に、怒りという孔が穿たれる。
それは、人間の殻を被った獣の本性を暴く孔に他ならない。
ジュンタの身体から無造作に魔力が放出される。
色のない、何の付加もされてない無色透明な『虹』の魔力であったが、その魔力は辺りへと影響を確かに与えた。
「ンだよっ、これはよォ!」
楽しい戦いに茶々を入れられ憤っていたヤシューは、突然吹き荒れた魔力の奔流に背筋を震わせる。
肉体への影響などない無色の魔力――だが、エルフという魔力に敏感な一族の生まれであるヤシューの魂と精神に、それは多大なプレッシャーをかけてくる。
それは初めて感じる、触れただけで昏倒するかと思えるような威圧感であった。
生き物としての本能が、目の前の魔力を放つ男を危険なモノだと判断する。逆らってはいけないと、頭の中でシグナル音が鳴り響く。
それはヤシューだけではなく、その場にいたゴブリンたちにも等しく起こった反応だった。
いや、獣として活動しているゴブリンたちの方が、その影響は大きかったかも知れない。
『グストの村の村人を殺す』という命令の下、行動をしていたゴブリンたちは魔力の放射に昏倒し、中には混乱して同士討ちを始めたものすらいる。
「…………クー」
それは魔力の奔流が途切れ、ジュンタが気絶した後もしばらく収まらなかった。
「クッ、楽しすぎるぜこの野郎!」
圧倒的な魔力を見せた男を前にし、ヤシューは武者震いに震えて、混乱して向かってきたゴブリンを叩きつぶす。ついでに近くにいた奴らも快楽殺人しておいた。
それでも興奮は収まらない。いや、当分収まりそうにない。
ヤシューはジュンタの身体を徐に抱きかかえ、楽しげな笑みを浮かべたまま歩き出す。
闇の向こう。エットーの街へと続く、グストの森の出口の方に。
「いいぜ。いいぜェ。今回は見逃してやる。だからもっと強くなって、俺と戦えよ好敵手! テメェの中にいる本当のテメェを俺に見せろよ。俺は、そいつをぶっ潰す!!」
その時ヤシューは、これまでの人生で最高潮のテンションだった。