第八話  長い瞬き





 ジュンタは目を覚ますと同時に、すぐにクーを捜して部屋を飛び出した。


 起きた場所は狭いながらも清潔な部屋だった。どこをどう見ても、ちゃんとした家屋の一室である。それは自分の陥った状況を考えるに、不可思議極まりない。

 自分が気絶する前のことを、ジュンタはちゃんと記憶していた。


 ヤシューとの戦い。現れたゴブリンたち。

そして自分の中の何かが切れ、軽く暴走して気絶してしまったことを。

 その状況から鑑みるに、自分が生きてどこかに運ばれたということが考えられる。その目的地として一番始めに考えられるのは、ヤシューのところ――ベアル教のアジトである。

 木でできた廊下を音を立てずに歩くことに注意を向ける。

 幸い部屋に自分の剣は鞘に入ったまま置かれていた。不用心極まりないが、これが手元にあるということは非常に助かる。しっくりとくる剣の柄は、頼もしさを与えてくれた。


(ここが敵のアジトなら、ウェイトンの奴がいるはずだ)


 ジュンタは廊下の角から頭を出しながら考える。

 今、ジュンタの頭にあることはただ一つ。ウェイトンまで辿り着き、そして彼の口からクーのことを聞くことだけだった。

死んでしまったと思い、暴走する原因になってしまった彼女だが、自分を助けるという敵のやり方を見ると、もしかしたら同じように捕らわれている可能性もある。もしそうなら、何とかして助け出して一緒に脱出を試みよう。

(でも、もし殺されてしまっていたら? ……いや、考えるな。生きてることを信じろ)

 

 頭に浮かんだ嫌な考えを打ち消したところに、コツコツという足音が聞こえてきた。

 慎重に廊下を確認してみると、誰かがこちらへと近付いてくるところだった。あまり顔を出しすぎるとバレてしまうため、顔は確認できない。しかし体格から男であることはわかる。

 体力は眠っていたからか、それなりに回復している。だが、怪我の治癒具合は芳しくなく、少しだけ疲労も蓄積している。まともに戦うことは避けなければならない。ここが敵のアジトだとしたら尚更に。


(角を曲がってきたところを襲って、クーのことを訊き出す。知らなかったら、ウェイトンの居場所を。その後は……気絶させて部屋に放り込んでおけば大丈夫か)

 最も良い案はそのまま殺してしまうことだが、さすがにそれは出来ない。
 相手が魔獣ならともかくとして、人間相手だとさすがにジュンタには無理だった。

 ジュンタは頭を引っ込め、相手に見えないように潜む。

 足音が、徐々に大きくなって聞こえてくる。

 それが本当に間近に聞こえてきた瞬間――ジュンタは飛び出して、その男の首に剣を突きつけた。

「動くな。静かにしていれば命は取らない。いいか? 質問に答えろ…………って、へ?」

「ああっ、すいまへん。申し訳あらへん! 何が何だか知らへんけど、命だけはお助けを……って、何をやらせるねん自分! これ真剣やないか!? 一体何を考えて……はっ! まさか自分、ワイの身体を狙って? いややっ、初めてはお姉さんにリードされてって決めとるんやっ!!」

 ガタガタと震えた後、怒ってから、自分からの身体を掻き抱くようにして隠したのはラッシャだった。この耳に響くエセ関西弁は間違えようもない。

「………………ラッシャ、お前なんでここにいるんだ?」


「なんでって、ジュンタのこと心配して見に来てやったに決まっとるやろうが?」


 まさかお前もベアル教の人間だったのか? とは訊かない。そんなことはあり得ない。ラッシャのヘタレ度は、そんなおいしい役周りにありつけそうにない。

 そこから考えてみて、ジュンタは愕然としながらもある考えに至る。


 ラッシャがいる場所。それがどこであることを意味しているかは、単純明快だ。


「そうか、ここはエットーの街なのか……」


「そうや。ここはワイらが目指した避難先、エットーの街やで」


「……村のみんなは?」


「無事や、一人も欠けてへん。まぁ、移動で筋肉痛になったり腰痛めた輩はおるけどな。
 実のところ、ワイはゴブリンに追いつかれると思っとったんやけど、全然追いついて来んかったし。偶に数匹現れたけど、何か混乱してるみたいで弱っちかったし」

 万事オッケーやな、と笑うラッシャを見て、ジュンタは嬉しさ半分悲しさ半分だった。

 嬉しいのは、村のみんなが無事に逃げられたこと。

 そして悲しいのは、ここはエットーの街で、クーはいないことだ。


「でも、ならどうやって俺はこの街に来たんだ? 
誰が運んでくれたんだ?」

「ああ、それはな……っと、ちょうどええところに自分の命の恩人が来たで。おおーい、こっちや! ジュンタが目を覚ましたでー!」

 ジュンタの位置からは見えない、廊下の向こうにいる人を手招きするラッシャ。


「なっ、お前!?」

 曲がり角から現れた男を見て、ジュンタは慌てて剣を構え直した。


「なんだァ? それがここまで運んできてやった恩人に対する反応かよ?」

 現れた男はベアル教のエルフ――ヤシューだった。


「どうしてお前がここにいるんだ? 俺を助けたって……一体何を考えてる?」

「何、簡単なことじゃねぇか。お前を助ける理由なんて、もう一度お前と戦うために決まってんだろ? それ以外にあるかってんだよ」


「あ、あれ? なんでそんなに一触即発の空気なん? 自分ら知り合いやなかったんか?」


 ラッシャが緊迫した空気を発する二人を見て、冷や汗を掻きながら引き攣った笑いを浮かべる。どうやらヤシューは自分の正体をしゃべっていないようである。

(俺ともう一回戦うために助けた……本気か? コイツ)


 ジュンタは注意深く剣を構えたまま、何の構えも見せないヤシューを睨む。


(確かに、コイツは俺を買い被ってる節がある。だからって普通敵を助けるか?)


 難しい。だが、この場で戦いを始めようとする様子は見せないので、取りあえずジュンタは剣を鞘に戻すことにした。

「今は、お前と戦っている暇はない。戦わないって言うなら、そこをどいてくれ」


「いいぜ。その代わり、いつか俺と本気で戦うって約束しな」

 鼻先がくっつくほどの距離で睨みあう二人。クーの安否を知るためにも、この男と話している暇はない。

「……分かった。いつか絶対に戦う。だからどいてくれ」


「約束してくれたってんなら、今は用はねぇ。いいだろう、消えてやるぜ。

ジュンタとか言ったな、お前? もっと強くなって俺を楽しませろよ。その時を楽しみにしてるからよ」 

 男臭い笑みを浮かべたヤシューは背中を見せ、ヒラヒラ手を振って、素直に立ち去った。

 彼が消えた後、恐る恐ると言った感じでラッシャが話しかけてきた。

「なぁ、なんやったんやあいつ? クー嬢ちゃんと同じエルフやし、ジュンタ運んできてくれたし、知り合いか何かやとワイらは思っとったんやけど……」


「別に――


 ジュンタはヤシューの消えた空間を何とも言えない表情で見ながら、答える。

――ただの戦闘馬鹿(バトルジャンキー)だよ」







       ◇◆◇







 ポタン、という水滴が落ちる音を聞いて、クーは目を覚ます。

 目を覚まして始めに思ったことは、今自分がいる場所がとてつもなく澱んでいることだった。


「ここは?」

 真っ暗な空間を、クーは目を凝らして見てみる。しかし何も見えない。

 不思議に思うこと数秒……クーは自分が目隠しをされていることに気が付いた。


 目隠しだけじゃない。手足は鎖に繋がれているし、腹や腰も鎖で拘束され、身動きを取ることができない。手足を揺するとジャランジャランという金属音と共に、水の跳ねる音が聞こえる。


 ひんやりと冷たくて、気持ち悪い風が頬をなぞる。
 どうやらここは水場の近くで、そして恐らくは地下だ。

 帽子はないが、服などには特に変化はない。取りあえず女の身として、身体が無事であったことにクーはほっとする。けれど安堵してばかりもいられない。詳しくは分からないが、こんな対応をしてくるのだ。ここは敵地――まず確実にベアル教のアジトだろう。

(どうやら、捕らえられてしまったようですね)


 気絶していたが、あまり長い時間気絶していたわけではないらしいことを、傷む身体と空っぽのままの魔力から判断する。ウェイトン異端導師がグストの村を襲った日から日にちが経っていたら、魔力が回復しているはずだった。

 魔力がなくては頼みの綱の魔法も使えない。口が自由なのは、相手方もそれが分かっているからだろう。一応用心のために、魔法を封じるための処置が施されてあるようで、魔力が回復する様子を見られない。


(村の皆さんは……ジュンタさんは、無事に街に着くことができたでしょうか?)


 一通り自分の身体の状態を確かめた後、クーは助けようとした人たちのことを思う。
この状況にある自分では知ることはできないのだから、考えても詮無きことなのだが。

(大丈夫……ですよね?)

 無事であって欲しい。誰一人傷つくことなく、街に辿り着いていて欲しい。
 それが叶うなら、自分なんてどうなってもいいと、そうクーは思っていた。が、無論死ぬつもりもない。出来るなら助かりたい。


「……まずは、ここがどこか調べることから始めないといけません」

 といっても目隠しされて、身動きも魔法を封じられた状態では大した調査などはできない。クーはせめて少しでも知ろうと、耳を澄ます。


 耳には水流の音――
部屋の中を反響し、水は途絶えることなく流れている。


(地下水脈? ということは、ここはグストの森の地下部分でしょうか? なるほど、道理で森を探してもアジトが見つからないはずですね)

 冷たく澱んだ空気の中、一人クーはぼんやりと思考を動かす。

 それもやがては途絶えてしまう。現状では分かることがなくなった、という方が正しいか。

 自分を捕らえたウェイトン異端導師の姿もこの部屋にはないようだ。音の反響具合からそれなりに大きな部屋であるが、そこには自分以外の誰もいないようである。


 独り――そんな言葉が、ふいにクーの頭を過ぎった。

「私は、何を考えているんでしょうか?」


 独りぼっちだなんて、そんな当たり前のこと、今更考えるのがおかしかった。


「一人きり……ですか……」


 改めてその事実を認識し、クーは自分が震えていることに気が付く。


(一人……一人きり……私には、きっとこの状況こそがふさわしいんですね)

 クーは独りごちる。今までが幸福すぎたのだ、と。

こんな風に誰からの目も向けられない、孤独こそが本来自分の在るべき姿なのだ。


 本来なら自分はこうなって然るべきだったのに、優しい周りの人に支えられ、幸せに生きてきた。それは身分不相応すぎることだったのだが、それを自分は甘受していた。幸せを前にして、自ら遠ざかることなんて出来なかった。

 そしてさらには、恐れ多くも偉大なるお方の従者に選ばれて、手助けをするなんて栄誉まで授かったのだ。幸せ過ぎる。だからその反動が今ようやくやって来たのだ。

 敵に捕らわれたことに対し、クーはそんな理由を付けて自嘲する。


 孤独がふさわしい。罪に濡れた自分には、孤独こそがふさわしい。

これは罰だ。苦しめた人たちからの。今まで裏切ってきた自分からの、これは罰に違いない。ならばこの状況を甘受しようと、クーは瞼を閉じた。

……でもおかしい。どうしてか、当たり前の状況のはずなのに涙が溢れていくる。

(…………本当におかしいです。こんなことを今更自覚するなんて……)

 この思考は何年も昔に通り、そして結論が出たことだ。
 
 この寂しさも不安も、幸福に対する罪悪感も、自身の存在に対する憎悪も、全て呑み込んだ過去があった。だから、おかしい。どうして今になってまた改めて考えているのか…………こうして囚われの身であることを差し引いても、あり得ない気がする。
 
 そう、あり得ない。こんなことを考えているなんて、本当にあり得ない。

 許されぬ罪に塗れた自分が――
 苦しむことが当然の自分が――



 ――――助けて欲しいと、そう思っているのがあり得ない。


(私なんか、誰も助けてなんてくれないのに……)


 ずっとずっとダメだと思っていたのに、どうしてか今は望んでしまっている。
助けて欲しい。出来ることなら、会いたいあの人に助けて欲しい、と。

「………………使徒、様……」


 弱々しい呟きは、水音に隠れて消える。


 ――――ほんの少し、触れる水かさが増えた気がした。






       ◇◆◇







「だから、今すぐ騎士団を村に向かわしてくれと言っておるんじゃ!」

「だから、騎士団を動かすには領主様の許可がなければ無理だと言っているだろう! くどいぞ平民!」


「ならさっさと領主に許可を取ってこい! 今こうしている間にも、我々の村が、守ろうとしてくれた人が危機に陥っておるのじゃぞ!」

 怒声を響かせて、貴族らしき男に詰め寄っているのはウェイバー村長だ。


 彼を含めたグストの村の人間の幾人か。そしてジュンタとラッシャとで、エットーの街の騎士団に応援の要請をしている真っ最中だった。

 王国騎士団はもちろんのこと、領主が国王より保有を認められた、個人の騎士団にも領内の治安と住人を守る義務がある。村一つが魔獣の軍勢により壊滅したのなら、それは出動するのが当たり前のことである。

 しかしこの街の騎士団は、一向に動こうとはしない。

 嘆願はジュンタが起きる前から続けられているというのに、一向にだ。

 ウェイバー村長は、村長としての義務を果たすため、半ば居座る形で領主ロン・バーノン伯爵邸で嘆願を続けていた。


 何度衛兵に追い出されても向かっていくため、騎士と来て、ついには貴族まで引っ張り出し、さらにその貴族に何度も詰め寄った結果……


「分かった、分かったから。今伯爵様を連れてくる。だから、顔に唾を飛ばすなっ」

 鬼気迫るその気合いで、ついに領主との面会までこぎ着けたのだった。


 応接間から貴族が逃げるように出ていき、村長はその背を鼻息荒く見送る。


 部屋の壁際につい二十分前ぐらい前から突っ立っていたジュンタは、やっと領主に会えるとのことだが、あまりに遅すぎる領主側の対応に思いきり眉をひそめていた。

隣に立つラッシャに、不機嫌極まりない低い声でジュンタは話しかける。

「やっぱり、こんなところで押し問答してる暇があったら、今すぐにでもクーを助けに向かった方が……」


「だーかーらー、ジュンタ一人でなんて無理やって。騎士団を動かして貰わんことには、あの魔獣どもを追い払うのは無理や。一人で行っても無駄死にするだけやでっ」

「だけどこうしている間にもクーが……」


「気持ちは分かる。でも、落ち着き。馬鹿な衛兵、騎士、貴族と勢いで取り次がせて、ようやっと領主を引っ張ってこれたんやからな。安心せい、もう少しの辛抱や。この状況で騎士団を動かさない領主なんて……」


「貴様らか、儂の屋敷で好き放題をしている馬鹿者どもは! ええいっ、さっさと屋敷から出て行け! うるさくて眠れやせん! 睡眠不足は髪の天敵なのだぞ!!」



 バタンと扉を開いて、髪の薄い、でっぷりとした男が姿を現した。

 怒声と共に現れた彼の言葉を聞くに、彼がこのエットーの街一帯の領主――ロン・バーノン伯爵その人らしい。


 寝巻きらしいガウンを着た領主を見て、ラッシャが普通に言葉の続きを引っ込めた。

(このおっさんが領主?)


 先程の発言。どう見ても領主の発言とは思えない……というか今の今まで彼は寝ていたというのか? 今の時刻は、すでに朝の十時過ぎだというのに。


 こんな状況で眠っていた彼に、呆れてジュンタは声を出すことができなかった。


 それはこの部屋の中にいた全員の共通認識のようで、その中で一番に我を取り戻したのはウェイバー村長だった。


「待ってくだされ、領主様!」


「うるさいっ! 平民の分際で、この儂を呼び止めるでない!」


 一言怒声を浴びせた後、退室しようとした領主に待ったをかけた村長に、再びバーノン伯爵が怒声を浴びせる。

 しかし村長も負けじと、怒鳴っているのと同じ迫力と音量で嘆願する。


「我々の村をお救いください! そのために騎士団を動かしてくださいませ!」


 単純明快な事実だけを述べた言葉を聞き、領主はふんっと鼻を鳴らす。


「騎士団を貴様らの村の危機如きで動かせだと? 馬鹿を言うな。騎士団にはな、そんなことよりももっと重大な任務をこれから命じるつもりなのだ」


「重要な任務……それは一体?」

 ウェイバー村長が聞き返す。


 バーノン領主は酷く辛そうな、苦しそうな顔をして、グストの村の危機よりも重要だという任務の内容を述べる。

「……危険極まりない場所に、とても効果のある育毛剤の材料があるというのだ。これに騎士団を動かさずして、一体何に動かすというのだ?」


 心底からそう思っていると思しき領主の言葉に、その場が凍り付いた。


 誰も彼もが領主の言葉に驚愕し、失望する。

 あり得ない。この男はダメだ。人の上に立つ人間として、最低なダメっぷりだ、と。


「黙りおったか。貴様らのような浅学な輩でも、ことの重大さが分かったようだな。そう、この重要な任務には儂の家族の絆がかかっておるのだ。では、儂はもう行くぞ。さっさと屋敷から出て行け」


――ちょっと、待て。このハゲ親父」



 今度こそ本当に部屋を出て行こうとした領主の足が、ジュンタのその一言でピタリと止まる。

「…………貴様、まさか、この儂に向かって、今、ハゲと、抜かした、のか?」

 ジュンタが吐いたその文句はタブーだったのか、領主が凄まじい形相で振り返る。

声が震えており、言葉は途切れ途切れだ。脂ぎった顔は怒りで歪み、まるでゴブリンのようだとジュンタは思う。

「ちょ、ジュ、ジュンタ! はよ謝らんかい! こ、このままやと不敬罪で縛り首になるで!?」


 ラッシャが小声でそんなことを言ってくるが、そんなものは無視だ。


 確かに、人の身体的特徴を悪口として使うのは頂けないことだ。それは分かる。分かるが……この男に対しては例外だろう。すでにジュンタは完全に切れていた。ジュンタの発する迫力に、ラッシャがビビって後退る。


「貴様、この儂に向かってハゲと抜かしたな? その発言がどういう意味を持っているか、分かってのことだろうな?」


 口元をいやらしく歪めて、高圧的な態度で領主は睨み付けてくる。


 そうすれば全ての人が泣いて謝るとでも思っているのだろうか? 

そんな理はないとそう分からせてあげるために、ジュンタはにっこりと笑って、


「もちろん。アンタが完全無欠のハゲだってことだろ?」


「………………いいだろう。もはや土下座しても許しはせん。おいっ、衛兵!」

 完全にぷっつんした髪が薄い領主の怒声に、部屋の戸が開いて鎧を着た衛兵たちがやってくる。


 領主は彼らを見やり、それからジュンタを指差す。


「あやつは儂を愚弄した。即刻、捕まえて縛り首にしろっ!」


「はっ!」


 衛兵にとって、領主の言葉は絶対だ。
それがいかなる命令であろうとも、従わなければいけない。


 それでも理不尽だと思っているのか、ジュンタに近付く衛兵の顔は、憐憫の色で染まっていた。武力に出るのではなく、あくまでも優しく捕まえようとする。


「抵抗するなよ。そうすれば、こちらは危害を加えない」


「…………」


 ラッシャや村長、村のみんなが顔を青ざめる中、持っていた剣を取られ、ジュンタは無抵抗で捕まる。二人の衛兵に挟まれて、掴まれてはいないが逃げられないようにされる。

 ここで暴れても、結局はまた捕まるのがオチだ。

それなら無抵抗で捕まって、それから逃げればいい――そう考えての無抵抗。

(待ってろよ、クー。すぐに行くからな)


 牢へと連れて行かれようとする中、ジュンタはそれだけを考えていた。

 クーを助けること。それ以外に気が回っていなかった。
だから――ジュンタは、まさか彼がそんな行動に出るなんて思っても見なかった。

「待てや、伯爵。自分、ワイの友人になにさらしてくれてんねん?」


 低く抑えた声に、その場の誰もが身動きを取ることを忘れ、硬直した。

 ジュンタもそれは同じで、足を止めて振り返る。領主に対して言葉を吐いたその男の、『ついにやっちゃったよ』という顔を驚いた表情で見る。

「ラッシャ、お前……」

「安心しいやジュンタ。自分を縛り首になんて、ワイが絶対にさせへんからな」


 グッと親指を立てて笑ったラッシャは、膝をガクガク震わせながらも、目つきを鋭くして領主の方を向く。そして先程と同じように、怒りを込めた低い声で言い放った。


「自分、この辺りの領主の癖して、何バカなこと言っとるんや? 普通じゃあらへんで。ジュンタだって別に悪いこと……まぁ、悪口はともかくとして、その怒りは正当なもんだったはずや。それなのに縛り首って、ちょいおかしいとワイは思うで?」

「な、ななっ、貴様も儂をバカにするのか!?」


 ラッシャの文句を聞いて、バーノン伯爵が癇癪を起こしたように怒鳴り散らす。

「儂は領主だ! その儂をバカにした者を縛り首にして、何がおかしい! 儂こそがここでは最も偉いのだ! 貴様のような商人風情が説教するなど、恐れ多いことと知れ!」


「何やそれ? 自分それでも貴族か! 貴族は民の模範であり、導く者のはずや……グラスベルトの大方の貴族が腐ってることはワイかて知っとるけど、自分はその中でも最悪やな!」

「なんだと貴様、黙って聞いておったら!」


 村長や神父が止めるのを振り切って、ラッシャはやけくそ気味に領主に文句を付けている。

 そんなラッシャの姿を、ジュンタはしっかりと見た。
 本来なら危険極まりない行為で恐怖しかないはずなのに、ラッシャがどうしてそこまでやっているのか…………その理由に気が付かないわけがない。


(俺はバカだ。自分のことしか考えてなかった!)


 ジュンタは牢屋に繋がれても、逃げ出す自信があった。そのための力があったからだ。

 だからここでこれ以上無駄な問答をするよりも、さっさと牢屋から逃げてクーを探しに行った方がいい。そう思って捕まるようなことを平気で口にしたのだ。
 だが、それがこうなると……周りの人も巻き込むことになるとは考えが及ばなかった。もっと冷静だったら思いついたはずなのに、余裕がなかったために気付けなかった。

 失態だ。自分が本当に縛り首にあうと思ったラッシャが、自分のために怒ってくれている。

この状況は、ラッシャが危険な状況になってしまったのは、向こう見ずだった自分の所為だ。

 ジュンタはゴクリと息を呑み、どうにかしないといけないと思い、声を張り上げる。


「ラッシャ! 俺のことはいいから! さっさと――


 謝れ――そう口にしようとして、ジュンタは言葉を飲み込んだ。

 ラッシャの顔を見たら、そんなことは言えなかった。

 謝れば済むなどと、そんなことはない。これはラッシャのプライドの問題だ。まったく悪くないのに、謝らせることなんて出来ない。


(どうする? 俺に、何か出来ることは……)


 考えつかない。すぐに考えついていたら、捕まる前に実行している。


「なぁ、自分。頼むで。少しでも良心が残っとるなら、ジュンタ助けて、村に騎士団を派遣してくれや」


「バカを言うな! 貴様なんぞが、儂に命令できると思うな!」

 訴えるように言ったラッシャの言葉を、一喝でバーノン伯爵は拒絶する。


 そして続けられた彼の台詞に、ジュンタは再びにして、今までよりも盛大に息を呑むことになる。


――儂に命令しようと思うなら、使徒(ヽヽ)でもここに連れてこい!!」



 ………………正直、眼から鱗が落ちた気分だった。

「は、ははっ……」

 どうしてそのことに今まで気付かなかったのだろう? 


 ラッシャを、ひいては村を救う方法は、ずっと前から自分にはあったというのに――ジュンタは愚鈍過ぎた自分が情けなさ過ぎて笑ってしまう。

「俺はバカだ。大バカだ。そのことに、一番最初に気付くべきだったのに」


 独り言にしては大きい言葉に、周りの視線が突き刺さってくる。


 それを好都合だと思って、ジュンタは素早く眼鏡を外した。

 

その動作に意味はない。意味があるのは、これから先だ。


「なんだ、貴様? 一体何をしようとしている?」

 怪しい行動といえば怪しい行動だが、何ら危険度の感じられない、自分で自分の目に触れるという行為に及んでいるジュンタを見て、バーノン伯爵が怪訝そうな顔をする。

 衛兵二名が止めたものかと悩んでいる内に、ジュンタは身に着けていたカラーコンタクトを外し終えた。


 瞼を閉じて、瞳の色が見えないよう、ジュンタは伯爵の方を向く。

 ……気付けば至極簡単なことだった。


 確かに領主は偉いが、それは所詮この領地内だけの話。少し足を運べばもっと偉い貴族もいるだろうし、国王だって彼より偉い。そして、国境を越える権力者――聖神教のトップたる金色眼の導き手たちもまた、バーノン伯爵より偉いのだ。


 彼は自分より身分が低い者には、一切の容赦と遠慮なく我が儘をぶつけてくる。
 だがそれは逆を言えば、自分より身分が高い者には弱いということに他ならない。


 よって、瞼をゆっくりと開いたジュンタを見て、一国の領主でしかないバーノン伯爵が驚くのは無理のないことだった。



 ――それは金色に輝く、美しき双眸。


 幾度となく凍り付いた部屋が、この時、最も時間を静止させた。


 誰も彼もが視線をジュンタに――正確にはその両目の色である『金色』に着目し、目を見開き、口をポカンと開けて驚く。

 特にバーノン伯爵などは、顎が外れんばかりに口を開け、脂汗をダラダラと流しながら驚いていた。いや、戦慄しているのか。いつもは鈍いはずの彼は、自分の危機が関わることに限っては、冴え渡る脳を持っているようだった。

 誰もが驚きに我を忘れ、言葉を発さない。

 その中で、ジュンタは徐に領主へと歩み寄る。
 衛兵は、もちろんジュンタの歩みを引き留めない。

さぁ、にやりと性格の悪そうな笑みで脅してやろう。
 精一杯やって、矛盾点に気付くより早く、上辺だけで今を完結させてやるのだ。

 ドンと靴音も大きく、ジュンタは腕を組んで口端を吊り上げる。見本にしたのは、目の前の傲慢貴族の人を見下す態度だった。


「なぁ、領主さん。一つ質問してもいいか? 俺とあんた、一体どっちが偉いと思う?」

「そ、そっそそそっそそっそそそ――


 話しかければ、バーノン伯爵は直立姿勢となる。

 それも仕方がないだろう。彼のような地方の一領主では、自分のような『使徒』に間近で会うことなど、これが初めてのことだろうから。

(新人類になるつもりもないし、使徒として生きるつもりもなかったから忘れてた。俺は、この異世界では偉くもなれる人間だったんだ)


 使徒とは人類を導き救う神獣だ。小国の伯爵などとは比べようもない、遥か雲の上の人なのである。


 だからどちらが偉いなど聞けば、その返答はもちろん、


「それはもちろんあなた様ですとも、はい!」


 そうなるだろう。


「よろしい。んで、
俺は思うんだけど、ラッシャは何か間違ったこととか言ったかな?」

「い、言っていません! 全ては正論であります! 使徒様の言うことは紛れもなく事実であります、はいっ!」

 笑顔に迫力を込めて、問い質す。それはもう問い質すというよりは脅しで、バーノン伯爵がさっきまでしていたように、力で持って弱者を押さえるというやり方だ。


 あまり好きなやり方ではないが、今はそうも言ってられない。

 時間はない。クーは早く助けなければいけないし、ラッシャのこともちゃんとして、グストの村のことだって考えないと。それが本当に自分のするべきことだと、ジュンタは気付けていた。

 一緒にそれらの最善を考えるのは、難しい。

 だからこそ冷静になるよう自分に言い聞かせて、ジュンタは真剣な顔で領主に協力を求める。


「なら、ラッシャの言うとおりに、村に騎士団を派遣してくれ。今すぐにだ!」


「りょ、了解いたしましたっーー!!」

 ビシリと敬礼をして、足早にバーノン伯爵が部屋を飛び出していく。

 

 騎士団を動かすための準備をしに行ったのだろう。当初から、違う目的のためだが動かそうとしていたらしいから、準備はすぐに終わるに違いない。


(これでいい。後は騎士団の人たちに便乗して、村まで行ってクーを探し出す……まぁ、その前にやらなきゃいけないことがあるけどな)

 ジュンタは部屋に残った面々を見回す。


 使徒の証であるジュンタの金色の眼を見て、異世界に生まれ育った人たちならば、全員が全員バーノン伯爵のような行動を取るのは想像に容易い。貴族平民関係なく、だ。
 ある意味条件反射のようなものだろう。汚い物を見れば眉をひそめるように、微笑ましいものを見れば頬が緩むように、この異世界の人は、金色の瞳を持つ人間を見れば恐縮して畏怖するのだ。


 仲間だと思っているグストの村のみんなや、自分を助けようとしてくれたラッシャに、バーノン伯爵のようにされるのは嫌だ。


だって、仲間だ。俺は一人じゃない

 ジュンタはラッシャへと近寄って、その肩を少し乱暴に叩く。

「いやぁ、助かった。ありがと。ラッシャのお陰で、忘れてたことに気付けた」


「え? あ、いや、その……え? えぇとジュンタが使徒様で……え? マジで? ちょ、ちょっと待てよ。ワイは………………あれ? 何か頭がこんがらがってきたで!」

「いやいや、難しく考える必要はないさ。俺は俺だよ」


 未だみんなが混乱している内に、ジュンタはさっさと強引に纏め上げてしまうことにした。

「さぁ――クーを助けに行こうか」






       ◇◆◇






 必要なのは恐怖と孤独、嘆きと求め、そして絶望と拒絶だ。

 恐怖と孤独、嘆きと求めにより、人は絶望を始める。それはやがて拒絶へと発展するのだ。

 今ある状況を拒絶する。今の自分を拒絶する。今の世界を拒絶する。
 
 拒絶こそが枠からの離別。弱者である人間からの逸脱。そして、新たな自分への『反転』に繋がる行為なのだ。

「ああ、しかしなかなかがんばります」

 うっすらと笑みを浮かべて、ウェイトン・アリゲイは磔の姫君を見る。

 黒い光に犯されて嗚咽する少女は、相当の抵抗を見せている。
 この儀式はすでに彼女が眠っている間にも進められていた。すでに数時間、拒絶への促しに抵抗するとは、これまでの実験対象にはなかったことだ。

 多くの実験を費やして、ウェイトンは儀式に抵抗できる人間のパターンというものを、大雑把ながら掴んでいた。

 魔力が豊富にある人間ほど、抵抗が激しい。現に彼女は回復した魔力を無意識に抵抗にあてている。本人が眠っているというのに、床からのびる黒い光が白い光に打ち消され、後退させられる姿は壮観だった。

 だが、ウェイトンが真に感心したのは魔力の強大さではなく、目を覚ました瞬間から続く、精神性による抵抗の方だった。

「これに抵抗できるということは、常に自分を偽り、押し殺した人間であるということ。常に恐怖に怯え、孤独に震え、存在に嘆き、救いを求めているということ。促される前に、すでに絶望的。これほどまでに自分自身を拒絶されていたら、『偉大なる書』の効果も薄いというもの」

 ままならないと、ウェイトンは笑う。

 全力で侵しているといういうのに、これでは今しばらく時間がかかってしまう。
 まぁ、所詮抵抗に過ぎず、無効化は出来ないのだからかわいいものだと言えばそうなのだが。

「ヤシュー君は帰らず、グストの村人たちは取り逃がし、ゴブリンたちはなぜか混乱……長居をするべきではないんですが、彼女ほどの逸材の反転を逃す手はない。仕方ありませんね。オーガを出し惜しみせず、グリアー君にもう少し働いて貰いましょうか」

 笑みのまま、一旦ウェイトンは訪れた地下の実験場を後にする。

 その手には、黒い魔力を発する一冊の本――怪しく鼓動する黒い光は、絶えず変わらず、磔の姫君を責め立てる。

 慟哭は心地よく。澱んだ空気はとても美味しい。
 
 残念といえば、この場所をもうすぐ廃棄しないといけないことが、残念だった。

「生に絶望しても、それでも人は死には耐えられない。構いませんよ。全力で抵抗しなさい――

 最後に澱んだ瞳に陶酔の色を浮かべ、クーヴェルシェンには届かない声で歓喜を述べる。

――そして本当の救いがなんであるかを、死の淵で知りなさい。ああ、美しきあなたよ。我らが偉大なる神となり、もっと美しくなりたまえ」

 正義を語る悪意の声が、部屋を満たす水に吸い取られていく。

 水かさは、少女の涙を受け止めて、全てを呑み込もうと増えていく。









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