第一話  旅支度





 よく晴れたその日に、グストの村の村人たちは村に戻ることになった。


 貸し出された馬車に荷を積み込み、向かうのは魔獣によって蹂躙されてしまった村。今は動物や虫の声も乏しいグストの森のただ中にある、愛すべき故郷だ。

 戻ったところで家は壊され、畑は踏み荒らされ、森の実りも暗く澱んでいよう。だがそれでも、いや、だからこそ戻るのだ。一日でも早く、かつての自分たちの故郷を取り戻すために。

 そう呵々と笑って言ったウェイバー村長は、清々しい笑みを浮かべてあいさつを述べた。


「それではジュンタ様、クーヴェルシェン様、色々とありがとうございました。このご恩、私ウェイバーは子々孫々語り継がせていただきますぞ」


「いえ、そんな。俺はほとんど何もしていませんから」


 村の人々を代表してお礼を述べたウェイバー村長に対し、逆にジュンタは恐縮した態度で対応する。


 結局のところ、村を守りたいと思っていたのに守ることができなかった。それなのに、お礼を言われるのは少し心苦しかった。


 それはクーも同じなのか、

「申し訳ありませんでした。私、皆さんのお力になることができずに……」


「いえいえ、お二方がいらっしゃったからこそ、今こうして我々は生きていられるのです。グストの村とは我らそこに住む村人のこと。あなた方は、真実グストの村を救ってくださった。本当に、感謝してもしきれませぬ」

 村長の言葉に他の村人たちも皆頷く。


 エットーの街の前に集まった彼らの顔には、ウェイバー村長と同じような笑顔が。
 
これから先の苦難に負けぬ村への愛と、その村を救ってくれた人に対する感謝がこめられた笑みだった。

「さて、それでは我々はこれでお暇させていただきます」


「ええ、どうかお元気で。これから先も大変でしょうけど、がんばってください」


「皆さん、どうかお元気で……」


 村人の笑顔に釣られ笑顔を浮かべたジュンタと、うるうると瞳を潤ませたクーがお別れの言葉を贈る。

「お二方も、もしまた旅の途中に近くまで訪れることがありましたら、是非村に寄ってくだされ。その頃には、以前と変わらぬ美しいグストの村をお見せすることを約束いたしましょう」


「はい、必ず」

「いつか、ご主人様と一緒に必ず訪れさせていただきます」


「それは嬉しい。がんばりがいがありますな。

――では、本当にありがとうございました。それでは、またいつか」

 その言葉を最後に、お辞儀をしてグストの村の皆は去っていく。草原を抜けた先の、青々としたグストの森に向けて。

 一団の後ろ姿を見送りながら、ぽろぽろと涙を零す自分の巫女を見て、ジュンタは安心させるようにそっと横から手を取った。

「きっと、グストの村は元通りになるさ。あの人たちなら、きっとすぐにでも」


「はい、ご主人様。私もそう思います」

 ギュッと握り返してくる、小さな手


 二人は手を握り合ったまま、色々とお世話になった人たちが見えなくなるまで、ずっとそこで草原の彼方を見つめ続けた。







 ――――それを物陰から見つめる、怪しい男が一人。







「な、なんかものごっつう出て行きにくい雰囲気なんやけど」

 タラリとシリアスな空気に馴染めない軽い空気を放っているのは、短い茶髪に、赤く染めた獣の毛で作った三つ編みを、はちまきとして額に巻いた男である。

 男――ラッシャ・エダクールは、手を握り合って入っていけない二人だけの空間を築きあげているジュンタとクーを見て、戦慄の声をあげる。

「まさか、僅か数日でクー嬢ちゃんをそこまで骨抜きにしてしまうなんて……ジュンタ、自分なんて守備範囲の広いテクニシャン。ワイ、思わず尊敬してしまうわ」


――そこ、何かとても失礼なこと言わなかったか?」


 ギロリ、とラッシャの小声を耳に捉えたジュンタが視線を尖らせる。

 クーと一緒にラッシャの方まで近付いていき、アホなことを宣う彼に言い聞かせるように脅……諭す。


「ラッシャ。俺は前にも誤解するなって言ったよな? 俺はともかくクーに失礼だから、そう言う誤解を招きそうな言い方は止めろって。覚えてないとは言わせないぞ? それで伯爵邸では、俺はクーをたぶらかす破廉恥貴族って風に囁かれてるんだからな」


「分かっとる分かっとる。艶っぽい関係やなくて、ジュンタが使徒で、そんでクー嬢ちゃんがジュンタの巫女なんやろ? 何度も言われんでも分かっとるわ。ワイは商人やからな。記憶力には自信があるんよ」

 ドンとラッシャは自分の胸を叩いてから、ニカニカ笑って親指を立てる。


「あれやろ? つまり使徒と巫女ってのはいわゆる、主人と愛奴れ……ほ、ほほほほんまにすまんかった! 今のは冗談、エダクール流の冗談や!」

「エダクール流の冗談は俺には通じないみたいだな。ほんと、今度からは止めような? でないと、明日から俺は惨殺貴族って囁かれることになりそうだ」


 ジュンタは引き抜いた剣をラッシャに突きつけ、青筋を浮かべて微笑みかける。擦れ違うメイドさんに、小さく悲鳴を上げられる苦しみが理解できないらしい。

 青ざめた顔でコクコクと頷くラッシャに、良しと一つ頷いてジュンタは剣を鞘に戻した。


「まったく。お前は本当に、俺が使徒だろうがなんだろうが態度が変わらないよな」

「なんや、ジュンタ君はワイを媚びへつらわせたかったんか? ええ、趣味しとるやないか……ま、まさか! そんな風にクー嬢ちゃんもっ?!」


「いやぁ、そろそろ雨が降りそうだな…………血ノ雨ガサ」


「だ、誰の血なん? それ」


 怒らんといて〜、と拝むポーズを取るラッシャに対し、表面上は怒った風を装っていても、ジュンタは内心では感謝していた。

 使徒であることを晒した結果、色々と好転した事態もあったのだが、多くの相手から敬語を使われ敬われる姿勢を取られてしまった。それは使徒が特別な意味を持つこの異世界ではしょうがないのだろうが、ジュンタとしてはあまりいい気はしなかった。

 しかしラッシャだけは、以前と変わらずに接してくれている。


 それを望んでいたことを、商人として機敏に察したのかも知れないし、ただ敬語とかが苦手なだけかも知れないが、どちらにしろ今まで通りに接してくれるというのは嬉しいものなのだ。

「あの、そう言えばラッシャさんはどうしてここに来られたんですか? 確か見送りは苦手と言って、お屋敷での見送りを最後にしたはずでは?」

 男の、というか二人のアホな会話についていけなかったクーが、会話が一段落したタイミングを見計らって、ラッシャがここまでやってきた理由を尋ねた。

「……おおっ!」

 ラッシャは、思い出したと言わんばかりの顔になり、ポンと手を叩く。

「そうやったそうやった。忘れてたで。実はジュンタに言伝を預かってきてたんやった」


「俺に? 誰からだ?」

「いけすかないハゲ伯爵のかわいそうな秘書の貴族さんや。何や、『例の件に関することに進展がありました』って言えば分かるいうとったけど……自分わかるか?」

「バーノン伯爵の秘書の方と言いますと、レジアスさんですよね。ご主人様、もしかしたらあのことではありませんか?」

 

 ハゲ伯爵のかわいそうな秘書の貴族でクーにさえ分かってしまった相手は、今日までグストの村の村人たちを自分の邸宅に保護していてくれた、あのバーノン伯爵の秘書とは思えないほどいい貴族さんである。

 その名をレジアスと言った彼の言う『例の話』に、ジュンタもクーと同じく見当がついていた。


「レジアスさんの話って言うと、十中八九武競祭のことだよな」

 話は十中八九、今から少し後、グラスベルト王国の王都レンジャールで開かれることになっている武競祭のことだろう。

使徒の試練であるオラクルと呼ばれるもの。その三番目――『雌雄決す場にて頂に立つ』を発端とし、ジュンタはその武競祭に参加することを決めていた。
 
それから色々と画策して、一つの案をレジアスに対して持ちかけていたのである。恐らく彼の用事というのは、その策の進展の報告に間違いあるまい。

「じゃあ、さっそくレジアスさんの家に行くかな」

 ジュンタは首の後ろに手を触れつつ、二人に声をかける。


「そうですね。行きましょう」


 笑顔で頷いたクーと、


「ちょい待ち。その前に一つ、二人に言いたいことがあるんやけど」


 何やら嫉妬のこもった視線を向けてきて、ラッシャはエットーの街の門を潜ろうとするのを邪魔してきた。


「さっきの雰囲気上、そこに至るのは仕方あらへんとしても、自分らいつまで手を握っとる気や?」

 ジトーとしたラッシャの視線は、グストの村のみんなを見送ったあとから、ずっと繋がれ続けていたジュンタとクーの手に注がれていた。

「くっ、なんやそれは! それはワイに対する当てつけなんかそうなんか!? ちくしょうっ! ワイやって、ワイやって……かわいくて従順な女の子が欲しい!!」

「そういえば繋ぎっぱなしだったな。悪いなクー、気が付かなくて」


「あ、いえ……」

 魂の叫びをあげるラッシャは無視して、ジュンタはクーと繋いでいた手を離す。するとクーは残念そうな顔をしたが、ジュンタはそれに気が付かなかった。

「んじゃ、改めて行くか」


「はい、ご主人様」


「よぅ〜し、今度こそ何の迷いもなく行ける――あ、あれ? なんでクー嬢ちゃん頬膨らませてワイを睨んでるん? そんな顔もバッチかわええで!」

 息を荒くして親指を立てるラッシャから、女性としての防衛本能から反射的にクーは距離を取る。ジュンタも咄嗟にクーの手を掴んで、ラッシャから遠ざけた。

「ラッシャ。お前、普通に言動が怖いぞ」


「……でも、ちょっぴり感謝したいです」

「ん? クー、何か言ったか?」


「い、いえ、なんでもありませんよ。さぁ、ご主人様。少し時間がかかってしまいました。レジアスさんを待たせては悪いですから行きましょう!」

「あ、ああ。うん、そうだな」


 何か妄想をし続けているラッシャは置いて、クーに引っ張られるままにエットー街に入り、ジュンタは大通りを進んでいく。

 武競祭まで後十五日――まだジュンタたちは、エットーの街にいた。






       ◇◆◇







 エットーの街の貴族であるレジアスの邸宅は、バーノン伯爵邸のすぐ近くにある。

 代々バーノン家の人間に仕える立場にある彼の家は、先代である彼の父親が早くに亡くなってからは、若くしてレジアスが継いでいた。その邸宅の規模は、バーノン伯爵邸には劣るもののかなりのものだ。それこそ、大勢いたグストの村の人々を全員収められるくらいには大きい。

「ああ、お待ちしておりましたよ」


 使用人の男性に執務室へと案内されたジュンタを、レジアスは快く出迎えてくれた。

「どうぞ。お座りください。すぐに紅茶を用意させますので」

「あ、どうも」

 途中でラッシャとクーとは別れ、一人だけになったジュンタは、レジアスに薦められるままに黒革のソファーへと腰掛ける。真向かいにレジアスが座ったあとすぐに紅茶が用意されて、その後使用人も下がって部屋にいる人間は二人だけになる。

「では早速、例の件――武競祭に関する報告をさせていただきます」

「お願いします」

 やはりレジアスの話は武競祭に関することだったようだ。

若くも貫禄を匂わせる貴族は膝の上で手を組んで、丁寧な口調で話し始めた。


「武競祭は今日から十五日後につつがなく開かれるようです。それにあたり、すでに王国側は『騎士団』の登録を行っているようですね。枠は十二。内四つは、王国騎士団ともう一つが二人ずつ代表を送ることが決定しているようです」

「つまり、実質登録できる騎士団の数は八つということですね?」

「そうです。すでに我ら、バーノン伯爵家の騎士団も登録を申し込んであります。

バーノン伯爵家は伝統ある古き家柄であり、その騎士団も昔からあります。これまで開かれた武芸大会でも何度か功績をあげていますから、登録される可能性も高いでしょう」

 そう言う割には、レジアスの表情は曇っている。ジュンタはそれが気になった。

「……あの、何か登録されない心配事でもあるんですか?」


「……やはりお分かりになられますか? 実は、お恥ずかしながらあるんです。元々今回の武競祭において、多くの騎士団が参加する旨を出すだろうということが心配の一つではありますが、それよりももう一つの心配事の方が、より審査に悪影響を与えると思われます」

「その、もう一つとは?」


 言いにくそうにするレジアスに、ジュンタは真っ向きって尋ねてみた。彼はモゴモゴと口を動かしたあと、ため息混じりにその心配事を口にした。


「…………伯爵が」


 その一言には、問答無用で納得できる絶大な意味が込められていた。


「あ〜、伯爵ですか?」


「伯爵です」


 お互い、それで何となく意味が通じてしまうのが憎たらしい。


 エットーの街の領主――ロン・バーノン伯爵は、会ったばかりのジュンタでも分かるほどのダメダメ貴族だった。どれくらいダメかというと、取りあえずこうしてエットーの街が存続していられるのは、レジアスが奮闘したからと確信できるくらいにダメダメである。

「伯爵は騎士団を本来の責務とは別に扱っていました。無論、騎士団長である伯爵の意向は大切ですし、時には私情に走るのは至って普通です。

……しかし伯爵の場合は度が過ぎていたと申しますか、ここ数年の間、一度もそう言った国の催しものには出場していません。その上――


 ガクリとレジアスは肩を落として、

――グストの村の一件前では騎士団の士気も最悪で、古参の騎士も田舎に帰る始末。必要な団員を簡単な審査で入団させないとやっていけない状態で、騎士の錬度も伝統ある騎士団とは思えないほど低く…………まぁ、そう言う噂はどうしても隠し通せないものでして」


「それが数ある騎士団の中から、武競祭へと参加が許される八組に入れない可能性を作るかも知れない、と?」

 脱力しきったまま、レジアスは頷く。ずっとロン・バーノン伯爵の秘書を務めていた彼の背中は、哀愁に煤けて見えた。これまでの苦労が手に取るように分かるというものだ。


(そう言えばウェイバー村長が、嘆願書を送って来てもらった騎士が、ゴブリンに負けてさらには逃げたとかなんとか言ってたな)

 エットーの街にある、バーノン伯爵家の私有騎士団の現状を語るレジアスの言葉を裏付けする事実を思い出し、ジュンタは軽く引きつった笑みを浮かべる。

「……よっぽど好き勝手やってたみたいですね。あのハ……伯爵は」


「まったくです、あのハゲは」

 ジュンタは決定的な言葉を言うのをためらったというのに、まったく気にせずレジアスは自分の主に悪態付いて紅茶を飲む。どうやら相当ストレスが溜まっているようである。


「ですが――


 カチャリ、と紅茶のカップを受け皿の上に置き、レジアスはうって変わって微笑みを浮かべた。


――ミスタ・サクラのお陰で、どうやら前よりマシになりそうです。
 グスト村の再建に力を入れさせることも確約させられましたし、当分は真面目に働かせることもできましょう。本当にありがたいことです」

「あはは、俺なんかが少しでも役に立てたなら幸いです。でもいいんですか? 色々と忙しいはずなのに、こっちの身勝手な話を聞いてもらっちゃっても?」

「ええ、まったく構いませんよ。どちらにせよ、今度の武競祭のような国のイベントに出て、国や国民に存在をアピールすることは必要不可欠なことですしね。今お話したように、我が騎士団には優勝できそうな騎士はおりませんから。ミスタ・サクラの提案は我が騎士団にとっても、願ってもない話なんです」

 レジアスと話していると、まるでゴッゾと話しているかのようにジュンタには感じられた。

 穏やかさの中に見え隠れする、打算的な感情。いかにして利益を手に入れるかを常に頭の隅で考えている、考えてしまう職業人の顔をレジアスは持っている。若くして街の運営に――それも領地をのことを気にしない領主の下に――ついたことが、彼をそんな人間にしたのだろう。

 自分の大切なもののことを第一に考える姿勢は、施政者としてはこの上ないものに違いない。
 今までの話を聞いて少し不安に思ったが、彼に任せておけば万事滞りなく武競祭には参加できそうだ。

 そうなると、問題は後一つということになる。


「責任重大ですね。たぶんバーノン家の騎士団の団員よりも、俺は剣の腕へぼいと思うんですけど」


 それは根本的な部分の問題だ。

 
即ち、武競祭に出場できても、今の自分の実力では優勝など到底不可能だということである。そんなかなり致命的と言える問題を、ジュンタは抱えているのだ。

「本当に、俺を代表選手なんかにしてもらっても大丈夫なんですか?」


「大丈夫ですよ。少なくとも、ミスタ・サクラには優勝する目的と、優勝したいという気持ちがあります。家の騎士では、恥ずかしながら出場する時点で優勝をあきらめてしまうでしょう。その差は大きいと私は思います」

 言葉の端々から、自分の知る騎士たちへの呆れの念を滲ませながら、レジアスは苦笑してみせる。どことなく、ポーカーフェイスじみた苦笑を。


(バーノン家の騎士たちよりかは、俺の方が優勝する確率が高いって思われてるのか? ……いや、それだけじゃないか)


 彼が協力してくれるのは、きっと色々と語らない部分で利益が生まれるからだろう。が、それでも協力してくれるなら乗っておこう。そう思える程度には、ジュンタはこういう裏がありそうな相手との対話に慣れていた。

「それじゃあ、すみませんがお願いします。俺も精一杯がんばりますので」


「ええ、是非ともよろしくお願いします」


 立ち上がって、軽く握手を交わす。

それから退室しようとしたところで、ジュンタは視線を部屋の端へと送る。すると、するりと部屋の家具の影から白い影が現れた。


「おや? いつの間に」

 立ち上がったレジアスが、部屋に潜んでいた白猫の登場に驚く。


 しかしジュンタは驚くことなく、肩へと乗りたがっている子猫を、手を差し伸べて迎え入れた。

「すみません。どうやら俺の猫が逃げ込んでたみたいで」

「いえ、お気になさらず。それではミスタ・サクラ。明日にも審査の結果は出ると思いますので、何か進展があったらまた報告させていただきます」


「はい、よろしくお願いします」

 レジアスに部屋の外まで見送られ、片手で猫を押さえつつジュンタは部屋を後にする。


 玄関近くで待っているだろうクーとラッシャに合流するため、案内をしてくれようとした使用人に丁重に断りを入れて、玄関へと一人で――否、一人と一匹で歩き始めた。


 廊下の一つ目の角を曲がり、そこで周りに誰もいないことを確認する。


――で、どう思うよサネアツ。お前はバーノン家の騎士団が登録されると思うか?」


 用心深く小声で、ジュンタは白い気品のある毛並みをした子猫――幼なじみのサネアツに訊いた。

 レジアスの部屋に潜んで会話を聞いていたサネアツは、ゆらゆらと尻尾を揺らし、口から当たり前のこととして人の言葉を発す。


「恐らくは大丈夫だろうな。今回の武競祭は、実力よりも家柄が重視されるはずだ。バーノン家はこのグラスベルト王国内ではなかなかの重鎮。今代は当主に恵まれなかったが、先代、先々代とかなりの活躍をおさめている。珍しさもあって、まず審査は通ることだろう」


「そっか。なら、後は本当に俺の手一つってわけか。ほんと、どうしてこんなことになってるんだか」

 深々と息を吐いて、ジュンタはここ数日のことを思い出す。

 オーガとグリアーとの戦いによる怪我が、筋肉痛も含めて全治したのは三日前のこと。

その数日前にクーから、託宣――オラクルを受けていたため、その時にはすでに武競祭に向けての準備を開始していた


 使徒と呼ばれる特殊な存在であるジュンタは、十のオラクルをクリアしていくことで、新人類へと進化する可能性を有している。だからどうしたと自分では思っているが、期待を寄せてくれるクーのためにも、取りあえず次のオラクルのための手回しは進めていた。

 特にその中でも、運良く結果的に大きな成果を得られることになったのが、今レジアスと話していた『騎士団』のことだった。


「しっかし、できすぎなくらい運が良かったよな。偶々滞在してた街のバーノン家の騎士団が、武競祭に代表選手を送るつもりで、さらにその席が未定だったなんて」

 武競祭は今回が初の試みであるが、その内容はすでに国中に知れ渡っていた。

 ルールというルールは特になく、なんでもいいから、とにかく一対一で相手を倒せばオーケーなんだとか。観客もいるので殺傷は御法度だが、故意ではない場合は仕方がないという、ちょっぴり危険なルールぐらいしかない。

武器や防具、魔法までもが、いい人材のスカウトも兼ねているという名目の下なんでも使用して良く、いい装備を調えることが勝利の鍵の一つとなっているのは、もはや周知の事実だ。

「やっぱり武競祭の一番のポイントは、予選と本戦とで分かれてるってことだよな」


大勢の参加が予想されるため、貴族や王族が観覧する本戦に出場する選手を絞る目的で、武競祭では予選が行われる。

 十のブロックに分け、その上位二名が本戦参加者となり、
予選通過者は計二十名ということになる。さらに加えて、十二人の国中に存在する各騎士団の代表選手を合わせた、計三十二名によって本戦が行われ、優勝者が決定されるという仕組みになっていた。

この騎士団に一人、または二人だけを代表選手と決め、その選手のみを武競祭に参加させるという措置は、一つの騎士団による本戦参加者の占有という事態を引き起こさないためにあった。

つまりは、騎士団という職業上腕の立つ人間の出場を無制限に許すと、一般参加者が本戦に一人も参加できないという事態になったりするわけである。それを防いでより盛り上がれるように、各騎士団には、代表選手のみを除いて大会には参加できないよう制限が設けられているのである。

現在は、バーノン伯爵家の騎士団など、武競祭に参加する旨を示した数多くある騎士団から、代表選手を出すことを許される八組を選ぶ選出が行われている最中である。

これに落ちれば、残念ながらバーノン家の騎士団からは一人も武競祭に参加できないということになる。バーノン家からの代表選手となっているジュンタとしては、なんとしてでも通ってもらいたいところである。

そう、ジュンタとサネアツが武競祭に優勝するために考えたのはそれだった。

より多く戦わなければいけない予選をパスするため、実質騎士団を動かす立場にいるレジアスと交渉をし、バーノン家の騎士団の代表選手にしてもらったのであった。


「代表選手にしてもらっておいてなんだけど……ほんとに俺で良かったのかな?」

 一応責任を負う形で出場することになっているジュンタは、少しの不安を覚える。


「なぁ、サネアツ。仮にバーノン家の騎士団から代表選手を出せることになって、俺が武競祭本戦に出場できることになったとする。それで実際のところ、俺が優勝する見込みがあると思うか?」

「ないな。断言できる。今のままでは、一回戦とて勝ち抜くのは難しいだろう」


「やっぱり、そうだよな」


 断言したサネアツの言うとおりだ。


 日々腕を鍛えあげた戦士たちが参加するのが武競祭だ。その本戦とはつまり、予選を勝ち上がってきた一般の強者と各騎士団の代表という、凄腕の戦士たちと試合するということに他ならない。素人同然の自分では、勝つことなど夢のまた夢だ。


「レジアスさんは俺を代表選手にしてくれたけど、俺の実力が分かってるのかね」

「さぁな。先の話のように、人材に恵まれていないというのは事実だろうし、グストの村の再建など、色々と領地内の整理に騎士を派遣しなければならないという背景もあろう。

国へのアピールのために出場はしたい。けど勝てない選手を代表にするくらいなら、騎士団とは関係ないジュンタでもいいと思う気持ちは分からんでもない」

「つまりは武競祭優勝よりも……」

 

「ジュンタのお願いを聞くという行為を、彼はプラスであると考えて協力してくれているのだろうな。レジアスはジュンタが使徒であることは知らないが、傲慢なバーノン伯爵を下手にさせるほどの大貴族、あるいは関係者と思っている節があるようだ。まぁ、間違ってはいない」

「政治的判断って奴か。ほんと、策謀の時代なんだな。この異世界は」

 ジュンタもサネアツも、元々はこの世界の住人ではなかった。

 今でこそそうなっているが、実際のところは別の世界の出身だ。そんな身分から言わせてもらうと、陰謀策謀渦巻く中世のような異世界は、なかなかにスリリングなのである。

 使徒と言う存在になってしまった今、預かり知れぬところで権力の渦に巻き込まれてしまうのは避けられないのか。軽く気を揉みつつ、本格的に始まろうとしている第三のオラクル――武競祭での優勝にジュンタは思いを馳せる。


「とにかく、今のところは結果待ちだ。これで騎士団として武競祭に出られないとなると、予選から勝ち抜くしかなくなるんだから」

「明日には結果が出ると言う話。今日のところは昨日のように、クーヴェルシェンでも誘って訓練でもしていればいいだろう。あの小鳥の雛を愛でるように、恐ろしく手加減された訓練が訓練になるのかは知らないがな」


「……その手加減された状態でも勝てないんだけどな。よしっ、ならその前に昼飯だ。腹が減っては
(いくさ)はできぬ。時間的には少し遅いけど」

 玄関へと辿り着いたジュンタの言葉に、働く使用人の姿を認め、サネアツはにゃ〜と普通の猫の振りをして返事を返す。

 仲間であるエルフの少女とエセ関西弁を話す男の姿を、玄関前で見つける。

 なんだかんだで、すでに異世界の生活には馴染みつつあるジュンタであった。







       ◇◆◇







 平地が多いグラスベルト王国は、物資の流通スピードが速いことで知られている。

そのため、地方の都市であるエットーの街にも、豊富な食材が揃っていた。美食文化こそがグラスベルト王国の平和と繁栄の証なのである。


「世界各地から集められた、豊富な食材とスパイスで味付けされた料理こそが、流通網が発展してるグラスベルト王国が誇れるものや。特にこの辺りは森の恵みが多い場所やからな。近くに港町もあるし、新鮮な野菜と魚介類をふんだんに使った料理がワイのおすすめや」

部屋を貸し与えられているバーノン伯爵邸までの道のりにある店屋――その四人がけのテーブル席に座って、ジュンタたちは昼食のメニューを選んでいた。

こぢんまりしていながらも、内装が綺麗な、昼時を過ぎても店内が満員な食事処である。

世界各地の美食を味わったと豪語するラッシャが最近見つけた店らしく、うんちくを披露しながらこの場を取り仕切っている。

「とってもたくさんメニューがありますね。私、迷ってしまいます」

「う〜ん、確かに。こいつは問題だな」

テーブルの中央に置かれたメニューに視線を注ぎ、そのメニューの豊富さに悩むクーの傍らで、ジュンタは密かに困っていた。


(俺、話は普通にできるけど文字は一切読めないんだよなぁ)


 ジュンタは、異世界の文字で書かれたメニューが一切読めずに困っていた。よしんば読めても、異世界の料理名では実際どんな料理か分からないのだが。


(そもそも、会話ができる方がおかしいんだよな。ここは文化も何もかもが違う異世界なんだから。だけど、みんなが話す言葉は日本語として聞こえるし、日本語を言えばちゃんと通じてる……)


 聞くときは、本来異世界にないだろうことわざや引用、カタカナや日本語と化した英語まで、普通に翻訳されて届く。改めて、ジュンタはそのことを不思議に思った。
 
 クーはメニューを見て『メニュー』などと言っている
けど、たぶん実際は『メニュー』とは言っていないと思われるわけで…………やっぱりこれは、この世界に来る前に使徒の身体なんかに改造されてしまった影響なのだろうか?

「サネアツ、少しいいか?」


 その便利さと不思議さに、ジュンタは清潔を大事にする料理屋ということで懐に隠れているサネアツに、学生服の前を少し指先で引っ張って話しかけた。

 腹部で丸くなっていた小さな毛むくじゃらは、そのつぶらな瞳を向けてくる。


「どうしたのだ、ジュンタ? まだ食事は終わってないのだろう?」

「いや、少し疑問に思ったことがあって。お前ってさ、日本語で話してるし、日本語で言葉を聞いてるよな?」


「そうだが? ……ああ、なるほど。読めないメニューを見て、そのことに疑問を持ったわけか。俺もそこは通った道だ。いいことを教えてやろう」

「何だ?」


「即ち、考えるだけ無駄だと言うことだ。
 翻訳機能がどこにあるかなど、俺たちには考えても分からぬこと。だから気にするな。……
まぁ、あえて語るのならば、俺たちの人物に対する印象が翻訳には重要だということぐらいか。ジュンタ、お前はラッシャ・エダクールの言葉遣いが、どんな風に聞こえている?」

「ラッシャか? 俺にはエセ関西弁に聞こえてるけど……」

「関西弁か。まぁ、ジュンタにとってはそのような第一印象だったわけだな。そんなラッシャという個人の情報を纏めたものが、翻訳によって決定された俺たちが聞こえる彼自身のしゃべり方となっていると、俺はそう考えている。ちなみに俺も今でこそ奴は関西弁だが、始めは語尾に『ヤンス』がついていた」


「ぶっ!」


 サネアツのラッシャの第一印象に、思わずジュンタは吹き出してしまう。


 語尾にヤンス。そう聞こえたなら、これまで聞いたラッシャのいい言葉は……

『まぁ、少しは村のために尽くさないとでヤンス。値引き交渉には、快く応じる気ヤンスよ?』

『安心するでヤンス。ジュンタを縛り首になんて、ワイが絶対にさせないでヤンスから』


「うわっ、果てしなく微妙だ」


「なんや自分、さっきから一人で……ワイの顔に何かついとるか?」


「い、いや、何も。うん、やっぱりラッシャは関西弁が一番だよな」


「俺も今はそれがしっくり来るな。第一印象から、付き合っている内にもっとふさわしい形に変更されたのだろう。これは俺の経験則だが、こういった輩は非常に珍しい。だからやはり気にするな。
 メニューならばクーヴェルシェンに読んでもらえ。そうすれば、一番分かりやすい言葉で変換されて聞こえるはずだ」


 じゃ、と言わんばかりにサネアツは首を引っ込める。

眠たいらしく、小さな牙の生えた口であくびし、ゴロゴロと鳴いて丸くなってしまった。


「結局はそれしかないか」

ジュンタは自分の服の中で眠り始めたサネアツのアドバイスに、納得と諦観を滲ませて、広げていた襟元から手を離す。久しぶりに再会した幼なじみは本当に、以前よりも猫らしさが増している。それでいて、奇抜さもパワーアップしているように見えるから始末に悪い。

「おぉ、あの店員さんはやっぱりかわええ。これは足繁く通うしかあらへんよなぁ」


「う、う〜ん、悩みます。食べたことない名前の料理がいっぱいです」

 テーブルに視線を戻すと、ラッシャは近くにいた綺麗な店員に視線を奪われていて、クーは未だに決めあぐねているようだった。


「『レインボートロピカルフルーツパスタ』、『ココナッツバケーションスープ・とらふぐ』……どちらにしましょうか」

「…………一体、異世界ではどんな名前の料理なのか、ものすごい気になる変換だな」


 そしてそれを食べようとするクーの味覚は、どうやら相当な甘党のよう。今度何か地球のお菓子でも作ってあげよう。


 それからしばらくして、激しい葛藤の末にクーはレインボーを選んだ。選ばれなかったバケーションに興味を引かれつつも、ジュンタは無難にラッシャがお勧めと言ったものを選んだ。ついでにデザートらしき数品も。

「へいっ、そこ行くかわいい定員さん! ワイの愛の囁きのような注文を聞いてくれへんか!」

ラッシャが自ら進んで、わざわざ目当ての店員が近くに寄ってくるのを待って注文する。

「そういえば、ジュンタたちは王都に行くつもりやってな」

 そしてちょっぴり嫌な顔をしていた店員さんに注文を終えたあと、頼んだ料理が来るのを待つ間、最初に口火を切ったのもおしゃべりな彼だった。

「ああ。そうだけど……」

 出されたお冷やに口をつけていたジュンタは、そう言えばラッシャには武競祭に出るということを、まだ伝えていなかったことに気付く。

「今度王都で武競祭があるだろ。それに俺も出場するつもりなんだよ」


「武競祭に? ジュンタが? へぇ〜、そいつは驚きやな。ジュンタがそう言う腕試しに興味がある奴だとは思っとらんかったわ」


 ラッシャの疑問は正当なものであり、実際自分もそう思っているのに、なぜかちょっぴり腹が立つ。そんなちょっとしたことをわざわざ態度に出したりはしないのだが、代わりに態度に出る女の子が若干一名いたりする。

「そんなことないですよ。ご主人様はとてもチャレンジ精神旺盛な方ですから」


「いや、一体いつ俺のどんなところを見て、そんなチャレンジャーな人間だと思ったんでしょうか? クー、ことによっては俺はこれからの自分を一から見直さないといけなくなるんだが」

 クーがにこにこ顔で横からラッシャに訂正を入れる。それを聞いて、逆にジュンタがクーに疑問を抱いた。


「あ〜でも、ワイもちょっとクー嬢ちゃんの言うこと分かるかも。ジュンタって、自分では知らないうちにチャレンジャーになっとるような奴っぽいで」


「それはチャレンジャーじゃなくて、トラブルに巻き込まれやすい奴って言うんだよ……というか俺は別にそんなこと…………ないとは嘘でも言えないね」

 服の中にいる奴や、今こうして異世界なんかで武競祭に出ようとしている自分を思うと、とてもじゃないけどラッシャの言葉には否定できない。悲しすぎるが。


「仕方ないんだよ。俺の周りに集まる奴は、みんな一癖も二癖もある奴ばっかりで……」


 親からして普通の親とはちょっと言えないし、幼なじみは変人だし、異世界へとご招待した少女は魔法使いだし、異世界で初めて出会った相手はお嬢様な騎士だし、異世界における初めての男友達は異世界情緒のへったくれもないエセエロス関西弁だし……

(それに……)

 視線をラッシャから、ジュンタは金髪碧眼の少女へと変える。小首を傾げられた。

(クーもなんだかんだで、普通とは違うからなぁ。他の奴らとは違って癒されるけど)


 クーのその仕草に思わず笑みを浮かべてしまうジュンタに、ふ〜んと自分が変人の一人に数えられていると気付かずに、ラッシャは会話を元に戻す。


「でも武競祭って、もうすぐ開幕やろ? ということは、ジュンタもクー嬢ちゃんもすぐに王都に立つっちゅうことになるん?」


「そうだな。早ければ明日、明後日には出発することになるかも知れない」


「滞在中の宿の確保や、相手選手の情報収集。やるべきことは色々とありますからね。できるだけ早く王都レンジャールに向かわないといけません」

 クーと顔を見合わせて頷きあう。
 バーノン家の騎士団の代表として出られるかが分かったら、早々に王都へと行く必要性があることは、前もって話し合って決めていた。

 しかしそうなると、必然的にラッシャともお別れになることに……そうジュンタは思ったのだが、その考えはラッシャの次の言葉で間違いだと気付かされることになる。

「へぇ〜、それならワイと一緒に王都へ行こうや。新しい馬車もなんとか調達できたしな」

「え? ラッシャさんも王都に行かれるんですか?」


「初耳だぞ?」


 驚くクーと一緒で、ジュンタも驚いてラッシャを見る。


「あれ、言ってへんかったっけ? 武競祭みたいなイベントは、ワイら商人には稼ぎ時やからな。ワイもご相伴に預かろうと考えとるんや。グストの村で結構な損害が出てしもうたし、稼いで稼いで稼ぎまくらんと」


 損をしたことに対しては特に気にしたような態度は見せず、ニカリと笑うラッシャは、さすがは商人と言ったところか。非常にたくましい。

「それじゃあ、一緒に行っていいか? 馬車に一緒に乗せてもらえるなら、金が浮くし」


「おいおいジュンタ、そう言う世知辛い理由やなくて、素直にワイがおらんくなると寂しいって言えや」


「うおっ!」

 椅子から腰を浮かして、徐にラッシャが首に手を回してくる。

「ご主人様とラッシャさん。仲がいいですねぇ」


 と、どこか羨ましそうに微笑むクーは気付いていない。


 首に回してきたラッシャの腕。痛い。相当力が込められていて痛い。

 ジュンタが顔を顰めていると、クーには聞こえないよう小さな声で、ラッシャが耳元で囁いた。


「自分をクー嬢ちゃんと二人っきりにさせたら、どんなエロエロなことになるか分かったもんやあらへんからなぁ。ワイがしっかり監視してやらんと」

「アハハ、そっちこそ素直に寂しいって言えよ馬鹿野郎」


 ピシリと青筋を浮かべて、ジュンタはラッシャの手を強引に振りほどく。


「今のは聞かなかったことにしておいてやる」


「それはおおきに。しかし本当にジュンタはそう言うことに興味ないんか? あんなかわええのに……なんや、自分のタイプとはちゃうんか?」

「え? ご主人様のタイプですか?」


 自分のことが話題に上がっているとは分からなくとも、クーは興味ある事柄だけは確実に捉えて、長い耳をピクリと動かした。


 興味津々な視線とともに、上下に小さくクーの耳は動く。

「それは私も気になります。ご主人様の好きなタイプってどんな方なんですか?」


「いや、それは……」

 言い辛い、というか言いたくない――ジュンタはどう誤魔化したものかと考え込み、


「俺のタイプは年上で落ち着きがあって、出来る女といった感じかな。容姿でいうならクールな感じ。つるペタよりも巨乳好き。属性はメイドではぐぁっ!」

「俺は特に好みとかはないかな、うん」


「へ? でも、今年上と――いや、なんでもあらへんよ。うん、ほんまに。せやから手を腰の剣に回すのは勘弁してくれへんやろか」


 わざわざ声真似までして話題に介入してきたサネアツを無理矢理黙らせて、ジュンタは有無を言わさぬ迫力でラッシャも黙らす。その隣でサネアツがしゃべれる猫である事実を知るクーが、何やら手のひらに暗記するように文字を書いていた。

「しっかしジュンタが武競祭にねぇ。好み云々はないとか言うけど、自分も健全な男やからな。もしかして武競祭に参加する理由、腕試しとかが目的やなくて、実は例の噂が目的なんとちゃうか?」

 椅子に全員腰を落ち着けて、話は一段落。

 混雑しているのでなかなか来ない料理を待つ間、再び会話を始めようとすると、やっぱりラッシャから話は始まる。

 ラッシャはさっきの話題の続きを振ってきたが、取りあえず好みの女性のタイプ云々じゃないので、ジュンタも一安心して会話に混ざった。


「なんだよ噂って? 確かに俺は腕試し目的じゃないけど、その噂も知らないぞ?」


「またまた、誤魔化さんでもええて。ワイも同じ男やからな、その気持ちは理解できるでぇ。ワイもいっぺん遠目から見たことあるけど、えらい別嬪さんやったもんなぁ〜。王者の貫禄って言うんやろうね、ああいうのは。思わず踏まれたいって思ってもうたし」

「?? 何言ってるんだ、お前?」


 どこか遠くを見ているようなだらしない表情を見る限り、ラッシャは女性のことを妄想しているようだが、どうして武競祭の噂からそんな妄想に飛躍するのか、ジュンタには分からない。だが、なんだかきな臭くなってきたことだけは分かった。

「噂ってなんなんだ……って、聞いてないし」


「あの、ご主人様。その噂のことなんですが、もしかしたら私知ってるかもです」

「え? クーも聞いたことがある噂なのか?」


「ラッシャさんがおっしゃられているのが、私が聞き知った噂と一緒なら、ですけど」

 妄想から現世復帰していないラッシャに変わって、クーが噂について説明しだす。


「今回の武競祭は、実はグラスベルト王国でも初の試みなんです。騎士の国グラスベルトは、毎年『不死鳥祭』というお祭りで武術大会を開いているんですけど、それとは独立した新たな武術大会が、今回開かれる『第一回レンジャール武競祭』なんだそうです」

「そう言えば、確かにそう言う話だな。特に気にしてなかったけど、武競祭の開幕になんか特別な理由でもあるのか?」


「主催者である王宮側は、騎士にふさわしい人材を見つけるためと謳っていますが、他に本当の開催理由があるんじゃないかって言われているんです。その一番の理由だと思われる話が、武競祭開幕のお話とともに噂として広まっているんですよ」

「それはラッシャが、こんな風に鼻の下を伸ばすような噂なのか?」


 もしそうだったら嫌な噂だなぁ、とジュンタが思って訊くと、クーは肯定をしてしまった。

「そうですね。はい、たぶん男性の方でしたら、嬉しい噂じゃないかと私も思います」


「男性なら?」


「中には女性の方にも嬉しいと思う人もいるかも知れませんけど……」


「ふ〜ん、じゃあクーも?」


 話の流れ上、よく分からないがそうクーに振ってみる。


 するとクーはぎょっとした顔になって、ガタリと椅子を弾き飛ばす勢いで立ち上がって、頬を赤らめてジュンタに顔を近づけた。


「わ、私はご主人様一筋ですから! 相手が女性であろうと、目移りなんてしませんっ!」


「そ、そう……分かった。俺が悪かったから、落ち着いてくれ」


 鬼気迫る表情でぷりぷり怒るクー。よく分からないが、ラッシャのいう噂とは男性にとって嬉しく、少数の女性にとっても嬉しく、しかしクーには嬉しくないものらしい……訳が分からない。


「それで、結局噂って何なんだ?」

 大事なところから焦点がずれていく話の本題を、ジュンタは戻す。


 ハッとなって恥ずかしそうに腰掛けたクーは、若干頬が赤いまま話を再開させた。

「お騒がせしてすみませんでした。それで噂の方なんですけど、実は今回の武競祭の優勝者は、とある女性貴族の方の婚約者になれると言うものなんです」

「なんだそれ? どうして優勝者が、その貴族の人と結婚することになるんだ?」


「詳しくは分かりませんが……恐らくは、早くその貴族の方に世継ぎを生んで欲しいからだと思います。高貴なる血を絶やさないために。だから今度の武競祭は、その貴族の方の結婚相手を決めるために開かれたものだと言われてるんです。あくまでも噂なんですけど」

「なるほど、ここでも政治的なドロドロとした裏事情が絡んでいるわけか……参加者側からすれば、そう言うのは勘弁して欲しいって感じなんだけどな」

 優勝すると、名前も知らない貴族の人と結婚しなければならなくなるなんて……自分は無論のこと、相手としても最悪だろう。貴族が元来恋愛結婚など難しいとしても、巻き込まないで欲しいという話だ。

「優勝を目指す手前、噂が噂に過ぎないことを祈るだけか……その噂だけど、信憑性はどれくらいあるんだ?」


「それが、結構あると思います。時期が時期ですので。ご主人様も知っているかも知れませんが、半年前にその女性が亡くなってしまう可能性があった事件があって、その直系の血が途絶えかけてしまったことがあるんです」

 

 クーが言った半年前と言う言葉に、ジュンタはドキッとする。


 予感が脳裏を過ぎった。悪い予感だ。何か、良くない予想が脳裏を走り抜けた。クーの話に耳を傾けつつ、すでに脳裏ではもしかして、とジュンタは思い始めていた。


「その家はグラスベルト王国にはなくてはならない家ですから。血が途絶えそうになったことを重く受け止めた王宮側が、今回の武競祭を言いがかりにして結婚を強制した……その可能性は十分考えられるんです。その貴族の方は騎士の家系ですから、武競祭優勝者ともなれば世間からも認められるでしょうし」

 どこか話を語るクーの口調は熱っぽい。


 話に上がる女性貴族を、クーも知っていると思われる。知って、憧れることができる相手なのか。少なくとも、ラッシャを見るに美人であることは疑いようもない。


(貴族で、美人で、半年前の事件が絡んでいて、それで騎士の家……おいおい、まさか)


 嫌な予感で、ゴクリとジュンタは息を呑む。

 恐る恐る、決定的となる事柄をクーへと疑問としてぶつけてみた。


「それで、クーはその貴族の名前って分かってるのか?」

「あ、はい。とても有名な『始祖姫』様の子孫の方ですので」


 今度の武競祭で、優勝者の婚約者になるという貴族の少女。その名は、いと高き――


「シストラバス家。その今代の竜滅姫――リオン・シストラバス様です」







       ◇◆◇







 夜――バーノン伯爵邸に用意された豪華すぎる自室にて、ジュンタは考え込んでいた。

 薄暗い部屋。クーは別室のために、部屋には一人と一匹だけ。サネアツは枕の横で丸くなっている。時折ピクピクとひげが動いているので、まだ起きてはいるようだ。


「……なぁ、サネアツは知ってたのか? 例の噂のこと」


 一人で考えることに疲れたジュンタは、サネアツに意を決して話しかけてみた。

話しかけたあと、頭の下で手を組んで巨大なベッドの天蓋を見つめていると、やがてサネアツから返答があった。


「俺はずっとシストラバス家にいたからな。無論、知っていたとも」


「なら教えてくれれば良かったのに。それでさ、噂は本当なのか? リオンが今度の武競祭の優勝者と婚約することになるってのは……?」

「ああ、本当だ。ジュンタがいない半年間で、色々とあったのだ」


「そっか」


 噂の渦中の家にいたサネアツからの証言により、噂でしかなかった話が、急に現実味を帯びてくる。

「リオンが、か」

 リオン・シストラバス――その名を持つ騎士のお姫様のことを、ジュンタはまだ色濃く覚えていた。

 感覚としては、彼女と顔を合わせていた日々は一月ほど前になる。だから覚えているのは当然なのだが、きっとこの先月日が経っても、彼女という少女がいたことは忘れないだろうと言う確信があった。

 なぜならば、彼女こそは自分にとっての……


「ジュンタは、まだリオン・シストラバスのことが好きなのか?」

「またストレートに訊いてくるな、お前は」


 考えている最中にサネアツが寄越した質問に、ジュンタは少し押し黙ったあと答えた。


「リオンは俺の初恋の相手だ。それはずっと変わらないし、揺るがない。
 恥ずかしい話題でも、話していて全然恥ずかしくないのは、たぶんそれだけあいつを好きになったことが純粋だったからだ――俺にとっては、リオンって奴を好きだったことは誇りなんだと思う」


「だった……過去形か。今は好きではないのか?」


 サネアツの質問を脳内で反芻して、記憶の中にある真紅の少女を思い出す。


 胸に込み上げてくる熱。それがかつて好きだった相手を考えているから来るものなのか、今好きな相手を思っているから来るものなのか、分からない。それが正直な気持ちだった。


「……今でもリオンの奴が好きなのか、俺は分からない。一回振られたしな。

 確かに俺が異世界に戻ろうと思った理由の中に、もう一度リオンに会いたいって気持ちがあったのは確かだ。会えばきっと何かが分かる気がしたのは本当だ」

「でも、それでも好きかどうかは分からない、か……こればかりは俺にも分からないことだからな」

「だろうな」
 

 ジュンタは天蓋を見つめたまま、リオンという異世界に来て初めて出会った少女のことを――人生で初めて好きになった少女のことを思う。

リオンに対し好意は持っている。それは間違いなく言える。また会ってみたいと思っているのも間違いなく、そのために自分はここにいる。

 けれど付き合ってみたい。いつかは結婚までいきたい……そう思っているかと問われれば、どうかな、と首を横に捻るしかない。


 告白した時は、あの夜に燃え上がった想いの丈をどうにも堪えられなくなって、衝動的に告白したというのが正直なところだ。本当は告白するつもりなんてなかった。あの時は自分の想いを一番伝えられる方法がそれだったから、きっと選んだのだろう。後悔はしていない。


 その告白の結果は残念だった。ならば自分は、まだ彼女を好きでいることができているのだろうか?

「……やっぱり分からない。リオンの奴が今でも好きなのかどうかは。けど、一つだけ分かってることはある」


「それは?」

「リオンが他の男と結婚するのは、とてつもなく気にくわないってことだ」


 そうはっきりと口にしたところ、サネアツが驚いたことが見なくとも雰囲気でジュンタにはわかった。


 クックックと楽しげな笑い声のあと、サネアツは納得した様子で口を開く。


「なるほど。それだけでも優勝を目指し、結婚騒ぎを邪魔するのには十分過ぎる理由だな」


「ああ、オラクルなんかよりはよっぽど分かりやすい」


 頭の下から右手を抜き出し、ジュンタは何かを掴むように天井に向ける。


「本気だ。本気で、俺は武競祭の優勝を狙っていく。――取りに行くぞ。サネアツ」


「良し。その協力願い、受理しようではないか。マイソウルパートナー」

 勝ちたい理由が、勝たなければいけない理由が、思いがけないところでできてしまった。

 開かれる武競祭――その優勝者は一人だけ。

 覚悟も新たに目をつむり、ジュンタは見えない夜空を瞼の下に思い浮かべ、想いを巡らす。


 色あせない姿はただただ美しく、誇らしい。

リオン・シストラバス――

 
瞼の裏に焼き付いた、その誇り高く、高潔な騎士姫の姿を思い出しながら、ジュンタはゆっくりと眠りに落ちた。





 ――ジュンタの元に、バーノン家騎士団代表として武競祭に出られる報が舞い込んできたのは、その明くる日の朝のことであった。










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