第十四話 紅色の本気VS雪色の全力
「――分かっていると思うが、ジュンタが勝利できるかどうかはお前にかかっていると言っても過言ではない」
ふいに暗がりから声がかかる。
武競祭準々決勝の後半。戦いの場に向かおうとしていたクーは、姿の見えない人の声を聞く。
「十数日の鍛錬ではやはり無理があった。相手の情報をいくら分析しても、奇策珍策を揃えても、最後は鍛錬に費やした時間と密度が勝敗を決める」
「はい」
人が三人ほど通れる程度の通路には、しかし自分以外の人影はない。
けれどクーは声に返答を返す。そもそも声の主は人の姿をしていない。かつては人だったが、今は小さな猫の姿をしているのだ。
視線を下へと移す。そこには暗がりに隠れるように、白い子猫――サネアツの姿があった。
「奇策珍策は一度限りの策だ。防がれれば次はない。ジュンタがこの戦いにおいて用意した策は七にも昇る。初戦で二つ。二戦目で一つ。残り四つ……それであと三つを勝ち抜かなければならない。これはもう無理と言ってもいい」
「はい」
「次のジュンタの対戦相手、エルジン・ドルワートルは強い。これまでとは訳が違う。それも奇策の通じにくい経験豊富な騎士だ。下手をしたら、策の全てを労する必要もあるだろう。そうなれば、その次にあのリオン・シストラバスに勝つのは非常に難しい」
「はい」
サネアツは静かに言葉を紡ぐ。それは意志の確認であり、激励であり、お願い。
「だが、そのリオン・シストラバスをクーヴェルシェン、お前が倒せたなら話は別だ。勝利は掴めるかも知れない。だから俺はこう言おう――――まぁ、ほどほどにがんばれ、と」
「はい。もちろんです」
これまで以上に強く頷いて、そしてクーは戦いの場に赴く。緊張はサネアツのお陰で少しほぐれていた。前へと進む足に淀みはない。
『さぁ、この戦いばかりは両選手を同時に紹介するしかないでしょう。なぜならば、今大会における最初で最後の美少女同士の戦いなのですから!』
初日の失態により謹慎していた騎士アブスマルドの紹介の声が響く中、クーは自分が倒すべき敵を見る。
それはなんて美しい人か。
紅の髪に瞳を持った、不死鳥の騎士姫――
『これまでの戦いにおいて、相手を瞬殺してきた優勝候補! 燃え焦がす紅き剣はあらゆる全てを切り開き、その前にあってはただ敵は見惚れ、見取れ、敗北するのみ! 其は偉大なる『始祖姫』ナレイアラ様の系譜――リオン・シストラバス選手!!』
――リオン・シストラバス。
片手に剣を握った美しき騎士が纏う闘志は、コロシアム前で出会ったときとは訳が違う。
微笑を浮かべるその身からは、敵対するものを打ち砕くという炎の意志が見て取れる。触れれば焼けてしまいそうなほどに熱く、彼女の闘志は燃え上がっていた。
でも彼女であっても負けないと決めた。なら、例えどれだけ強かろうと、意志には意志で応えるしかない。
『さて対するは、これまでの戦いで絶対不利と思われていた魔法使いながら、巧みな業を見せつけた小さな妖精! 歌う声は敵をとろけさせ、凍てつかせる雪色の歌声! 其は氷雪を操る、綿雪のような魔法使い――クーヴェルシェン選手!』
燃える炎をも凍てつかせる気迫を抱いて、クーはリオンに相対する。
向ける瞳には敬愛と決意を。向けられる瞳には信念と好奇を。
「準々決勝第三試合。リオン・シストラバス選手対クーヴェルシェン選手。試合――」
レフリーが手を振り上げるのに合わせ、リオンは剣を構え、クーは魔力を練り上げる。
そして二人の戦いは――――今ここに。
「――開始ッ!」
「雪原を吹く風の精 雪原を染める雪の精」
試合開始直後に、クーは指先に白い魔法陣を生み出す。
先手必勝。ただでさえ魔法使いは、詠唱という決闘においては絶対のハンデを背負う。ある程度の距離が空いた初手から攻めるしかない。無
詠唱の魔法では威力が足りず、詠唱を紡ぐ必要性は絶対だった。
「手を取る精たち ほこ――ッ!」
だが甘かった。リオン・シストラバスの初手の速度は、そんな詠唱など許してくれない。
「させませんわっ!」
試合直後にクーへと迫ったリオンの踏み込みの速さは、これまでの戦いで見たそれよりも速かった。なんということか。これまでの戦い、彼女は本気を出していなかったのだ。
「くっ!」
詠唱を完成させる時間はこの速度の前ではあり得ない。クーは詠唱を中断し、咄嗟に後ろへと跳びながら無詠唱で簡単な魔法を組み立てる。
リオンの斬撃が迫る。鋭い踏み込みで加速された高速の突き。
抉るように下から突き上がってくる切っ先に対し、クーは自分の手のひらを向けた。
ガキン、と手の肉が裂ける音ではなく、剣と硬いものとがぶつかった音が響く。
避けきれない攻撃ならば受けるしかない。が、無論素手でリオンの剣を受けることなんてできようはずもない。クーがリオンの攻撃を受けるために用意したのは、人の顔ほどもある氷塊だった。
魔法属性・氷の系統――[凝固]
氷の属性魔法において、初歩の初歩とされる大気中の水分を氷結させるだけの魔法。
これをクーは咄嗟に使い、リオンの攻撃地点に合わせ凝固させた。リオンの突きは生み出された氷塊に当たりこれを見事に砕くが、刃はクーまで届かない。
「やりますわ、ね!」
それでもリオンは攻撃の手を休めない。
初撃からの怒濤の連続攻撃。フェイントなしでの斬撃の速度は、並の騎士でも対応できないレベル。
だが、そのことごとくをクーは剣でも盾でもなく、魔法をもって防ぎ切る。
瞬く白い魔法光。その度に生まれ身を守る氷塊。斬撃、突き、薙ぎ払い、いかような攻撃での一撃も防ぎきる堅さを持った氷塊が、リオンの攻撃の全てを防ぎ、砕け散る。キラキラと輝く氷の欠片は、至近距離で視線をぶつけあった二人の少女を美しく飾り、その熱意に触れて溶けていく。
「初歩とはいえ、この密度での連続無詠唱魔法――この状況下で、恐ろしいほどに冷静な魔法行使ですわね」
砕け散った氷の欠片が舞う中で、リオンは楽しそうに笑った。
その直後に繰り出された斬撃は、これまでよりも鋭い――しかしクーも今までただがむしゃらに攻撃を防いでいたわけでもない。
リオンの斬撃の軌道とパターンの一部を読み、次の斬撃を先読みし、クーは攻撃を防ぐ[凝固]ではなく、弾く『矢』を選択する。
奔るリオンの斬撃に合わせ、クーの手から三本の氷の矢が飛び出す。
驚くリオンの剣を一つ目の矢が速度を鈍らせ、二つ目が停滞させ、三つ目が弾く。
リオンは大きく剣を後ろへと弾かれたが、それでも関係ないと身体を一回転させて横からの薙ぎ払いを放った。
その斬撃地点には、すでに魔法を放とうとしているクーの手があった。
「氷の槍よ」
リオンが身体を回転させる僅かな一瞬――それは一言だけの詠唱時間をクーに稼がせることになった。詠唱によって、これまでよりもいくらか強い魔法がクーの手より生じる。いや、正確にいうのなら、クーの手の先に浮かび上がる魔法陣から。
辺りの水分を集め、凝固し、それは鋭い切っ先をリオンの剣と合わせて奔る。
片や回転を加えて威力を増した一撃。
片や魔法によって生み出された氷結の一撃。
紅の剣と氷の槍とが音を立ててぶつかり合う。
威力はイーブン。そのため、この激突の勝者を明確に決めなければいけないというのなら、その後の行動へとタイムラグが少ない方に軍配は上がる。
リオンは弾かれた剣を次に繋げる時間が必要だが、クーの場合は違った。先程の氷槍は魔法で一時的に作ったものに過ぎない。つまり放った時点で次の攻撃の準備ができるのだ。
「氷の矢よ」
果たして、リオンが次の攻撃に移る前に、クーの手から幾本もの氷の矢が飛び出した。
そこからは最初の攻防の反対だった。
「っ!」
絶え間なくクーの手から放たれ続ける氷の矢。それを剣で打ち払い続けるリオン。
さっきはリオンがクーを徐々に背ろへと押していた。そして今はクーがリオンを押している。
だとするなら、またその結果も先程と同じ。
長く詠唱するほどの時間は得られないため、威力が足りないクーの攻撃は決定打にならない。そうなれば、やがて攻撃に慣れたリオンが反撃に移る。
クーの氷の矢。これを剣で払うのではなく、リオンは横へとステップを踏むことで避けた。そのままリオンは氷の弾幕の中を抜け、一気にクーへと走り寄りその刃を煌めかせる。
その攻撃はクーの身体には届かない。ただ、攻防をまた逆転させただけ。
まさに一進一退の攻防――互いに決定打になる一撃を放つことができず、しかし魔法使いのクー相手ではリオンは間合いを取って仕切り直すこともできず、ただ場は激しい膠着状態に移るのみ。それは強者同士がぶつかりあったための、素人では理解しがたい膠着だった。
「すごい……」
二人のレベルの高すぎる試合を見て、ジュンタは忘我のままに呟く。
二人がすごいことは理解していた。この戦いをどちらが制すか分からないとも思っていた。こんな風に拮抗した戦いになることは想像できていたのだ。しかし、実際に目の当たりにするとその苛烈さに息を飲む他ない。
これまでの試合とは一戦を画した、まさに熾烈極まる戦い。
騎士と魔法使いの戦いは、大方の予想に反して長く長く続いていく。
休む間のない攻撃の嵐。その中で二人は互いの手を読み、自らの攻撃を通すことを考え、一瞬の集中の途切れもなく動いている。
「本気の集中……」
戦闘者が持つ、並はずれた集中力。二人ともがその極限において、互いに凌ぎを削っていた。トーユーズがここにいればまだまだ甘いと言うかも知れないが、それでもジュンタにとってはあまりに高次すぎる激闘。
「これが準々決勝。強者の中の強者同士の戦いか」
背筋が震える。拳に力が入る。
観客を興奮へと引きずり込む美しい戦い――リオンとクーの戦いは、まだ始まったばかり。
◇◆◇
(これは想像以上ですわ)
あらゆる方向から飛んでくる氷の矢を剣で払いつつ避けながら、リオンは思う。
クーヴェルシェン――現在魔法の矢を湯水のように次から次へと放ってくる対戦相手の実力は、これまでの試合からリオンが推測していたレベルよりも遙かに上だった。
こうも遮蔽物の一切ない一対一の決闘において、魔法使いのハンデは想像よりも多い。
詠唱が唱えられないということは、決定打に欠け、防御力に欠け、戦略に欠ける。
戦士の剣の一撃は魔法使いの詠唱速度よりも速い。無論、速い詠唱を唱えられる魔法使いもいるだろうが、逆に速い一撃を加えられる戦士も、またいる。
どうなっても、やはり総合的に見れば魔法使いの劣勢は免れないのだが……
(これ以上離れるのはまずいですわね)
クーのその魔法の巧みさの、なんと凄まじいことか。
至近距離まで間合いを詰めたというのに、それを無詠唱の初歩魔法で防ぎきる魔力と制御。
間近に刃が迫っているのに、表情に焦り一つ浮かべず心乱さずに魔法を使われたときは、高揚と共に寒気すらした。
エルフだから魔力量が多く、強い――決してそれだけではないとリオンは気付いていた。
クーという少女、とても戦い慣れている。
それも対魔法使いだけではなく、戦士を相手にした戦闘にも慣れているように見受けられる。
(これはとんだダークホースがいたものですわ)
アルカンシェルという黒騎士に付き従っている純真無垢なエルフというのが、リオンにとってのクーという少女の第一印象だった。
サクラとの関係もいまいち不鮮明だが、彼女がアルカンシェルに向ける敬愛は昨日のことを見ても明らかだ。あの怪しい男の何がそうさせるのかは置いておいて、間違いなくクーが武競祭に出場した理由はアルカンシェルの手伝いだろう。
そこに助けるという望みはあっても、武競祭の優勝を目指す信念はない――決して油断はしていなかったが、そう言う意味ではクーヴェルシェンという少女を侮っていた。
(認めますわ、クー。あなたは理由がどうであれ、勝つための信念を持っています)
リオンはここに来てそれを認めた。
本気で潰しにかかってくる少女は、まさに一瞬でも隙を見せれば食らいついていくる猛獣だ。かわいい小動物のように見えて、その実獰猛な獣と来たものだ。もっと刃を研ぎ澄まさなければ、もっと集中しなければ、この少女に負けるのは自分に他ならない。
「おもしろい! では――ここからが本当の戦いでしてよ!」
そう、彼女には本気を出して戦う価値がある。まさに全力を尽くすべき強者だ。
対戦相手に対する認識を改めた上で、リオンは自らの意志でクーから距離を取るという選択を下した。
横へとサイドステップで移動し、そこから斜め後ろへとこれまでより大きく下がる――瞬間、氷の矢が途切れた。
代わりに――
「奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け」
――歌うような魔法の詠唱が、風に乗って届く。
魔法の詠唱は、個人個人で違う自己暗示だ。よって魔法の種類を知っているリオンだが、どんな魔法が来るかはほとんど分からない。よって身構えるのは、あらゆる攻撃に対して勝つという心構えに他ならない。
ドッ、と強烈な冷気の流れがクーの手に集う。
突き出された手のひらに浮かぶ魔法陣。それが弾け、荒れ狂う冷気の暴風が舞う。
魔法系統・氷の属性――[雪雲の暴風]
直線に対して氷の礫を混ぜた極大の風の渦を解き放つ魔法は、石のリングを砕きながら、これまでの魔法とは桁が違う威力を示しながらリオンを襲った。
「思い知りなさい! これが私の本気――」
突き進む嵐に対し、ただリオンは剣を上段に構え、振り下ろす。
「――いと高き不死鳥の血の力ですわ!」
ただそれだけ――ただのそれだけのことが、荒れる冷気の嵐を断ち切った。
クーの放った冷気の風の渦が、リオンの刃に触れる傍から切り裂かれていく。
それは一体いかなる原理か、紛れもなくリオンは魔法そのものを切り裂いていた。
「なんだ……あれ?」
ジュンタは冗談みたいな、だけど目の前で現実に起きている現象を見て、ただ唖然となる。
リオンはクーの放った[雪雲の暴風]のただ中を、剣で切り裂いて走っている。
さしものクーもまさか暴風の一撃を、防ぎ切るならともかくとして切り裂かれるとは露も思わなかったのだろう。暴風を突き抜けてきたリオンが振り上げた剣から、避ける行動に若干の遅れが見られた。
その一瞬でリオンの刃はクーへと届く。
間一髪で避けたクーの服の裾が、鋭い切っ先によって切り裂かれる。続く返しの刃をクーは魔法で防ぎ、後ろへと至近距離で受けた勢いで弾き飛ばされつつも体勢を戻し、氷の矢を前方へと弾幕を張るように放つ。それをリオンが剣で弾いて、またもや膠着状態に。
「なるほど、な。リオン・シストラバスは試したわけか」
「サネアツ?」
次の試合が自分の番であるため、選手入場口から試合を見守っていたジュンタの足下へと、サネアツがやってきた。サネアツは甲冑の上を駆け上って肩の上まで上がってくると、その場で先程のリオンが魔法を断った行為について説明を始めた。
「いいか、ジュンタ。今リオンが使ったのは、言ってしまえば[魔力付加]のようなものだ。剣と身体を、使徒を祖に仰ぐ竜滅姫の膨大な魔力で包み込み、それを極限の集中によって[魔力付加]に等しい効果として現しているのだな」
「[魔力付加]? 俺が『加速』の魔力性質で、[加速付加]に成功すれば速度が一時的に上がるように、リオンも今そうなってるわけか……でもリオンは魔法使いでも魔法騎士でもないんだろ? それで使えるもんなのか?」
「一流の戦士ともなれば、自分の持つ力ならば自然に使えるようになっているものだ。魔法使いでも、魔法騎士でもないのに関わらず、あれは魔道書の助けを借りれば儀式魔法を放てるような高い適正持ちだ。あれはどう見ても、感覚だけで[魔力付加]を使っているな」
「うわぁ……」
サネアツによれば、クーの魔法を切り裂いたリオンの力は[魔力付加]の効力によるものらしい。
個人個人によって効力が違う[魔力付加]は千差万別。あらゆる効果を持つ。よってジュンタは感心と共に納得すると同時に、サネアツにもっと詳しい話を催促した。
「それで、リオンの魔力性質って何なんだ? どんな原理で魔法を切り裂いてるんだ?」
「ああ、シストラバス家が代々持つ稀少な魔力性質は、使徒ナレイアラが竜殺しに特化していた理由に近しいとされている。即ち『竜滅』とも呼ばれる、ドラゴンの守りすら崩す『封印』の魔力性質に他ならない」
「『封印』の、魔力性質?」
「そう。『封印』の魔力性質とは相手の力を封じる力。その性質を利用した[封印付加]は、触れた全ての力を弱体化させ、ともすれば打ち消す力を持つ。
リオンがクーヴェルシェンの魔法を破ったのは、この『封印』の力により魔法を弱らせたからだ。切り裂いたように見えたのは、リオンの持つドラゴンスレイヤーがドラゴンの『侵蝕』を切り裂くように、相手の神秘を切り裂く竜滅剣であるためにそう見えたのだろう」
リオンの持つ剣こと、聖骸聖典たる『不死鳥聖典』は、そもそも元から[封印付加]が施されている剣だった。
その名の通り、鉄壁の守りを誇るドラゴンの防御すら貫くそれは、相手の防御はおろか神秘をも弱らせ切り裂く剣。そこにさらにリオンの『封印』の魔力が上乗せされたことにより、さらなる『神秘殺し』の力を発揮したわけである。
魔法は魔力によって起こされる、いわば世界の神秘なる現象――あらゆる全てを封じるのがリオンの魔力性質『封印』なら、魔法使いに対し絶大なる優位を持つことになる。
「まずいな。だとすると魔法使いのクーは、リオンとは相性最悪ってことじゃないか」
「どれほど強力な魔法を使っても、ドラゴンスレイヤーに触れた時点で威力は弱まる。あの集中では、魔力は身体も覆っていることだろう。全ての魔法が、そのダメージを著しく軽減されるはずだ」
使徒という膨大な魔力を持つ神獣の血を引くリオンには、並の人間を超える魔力がある。それを発揮された上での[封印付加]に、ガス欠を望むべくもない。クーがリオンに勝つためには、あの[封印付加]を超える魔法を繰り出すしかないのだ。
「これがリオンの本気……がんばれよ、クー」
拮抗はここに崩れた――ジュンタは徐々に押され始めたクーを見て、そう届かないエールを呟いた。
◇◆◇
生物には大抵魔法に対する抵抗力が存在する。これは基本的に、保有魔力が多い生物ほど高くなる。魔力と魔力は融合し反するものであるために、だ。
『始祖姫』ナレイアラを祖に仰ぐリオン・シストラバスの保有魔力量は、高位の魔法使いを超えた域にある。同時に、それは魔法に対する耐性も強いということを示している。戦いが始まる前から分かっていたのだ。彼女に魔法が通用しにくいことには。
だがここにきて魔法を軽減ではなく無効化されるとは、さすがのクーも想像だにしてなかった。
現状、怒濤のラッシュを加えてくるリオンの剣を、最初のように[凝固]によって防いでいる状態だ。が、最初とはまったく違うことがある。始めは攻撃を受けるたびに砕け散っていた氷塊が、今では砕けるのではなく、リオンの剣に切り裂かれていることだ。
(こんなことができるのは、たぶん)
聞いたことがある。シストラバス家を筆頭に、竜殺しの武具を作る一族が持つ魔力性質――『封印』の魔力には、相手の魔力を含めた『力』を封じる力があると。
リオンの握る剣がその恩恵を受けているのならば、氷塊の構成を弱らせられ、バターのように切り裂かれるのも不思議ではない。もはや氷塊はリオンの刃に対する盾ではなくなった。
(これが、リオンさんの血のなせる技……!)
竜滅姫リオン・シストラバスは間違いなく、魔法使いにとっては鬼門のような相手だ。
「どうしましたの、クー? まさかこれで終わりだなんて言いませんわよね?」
「――ッ!」
攻撃の後に大きく合間を取ったリオンが、余裕の笑みと共にクーを揶揄する。
リオンは余裕を持っている。最初はしなかった、距離を取るという行為を平気で行っていることからもそれが分かるというもの。彼女にとっては、もはや詠唱されることも怖くないのだ。どれほどの魔法が来ても、弱らせ、断つことができるのだから。
魔法が通用しない――そんな相手に、魔法使いがどう勝てと言うのか?
(負けてしまいます。私は、リオンさんには勝てない……)
試合開始にあった自信も、こうなっては意味がない。
実力は拮抗していると思っていた自分の認識のなんと甘いことか。
思い違いも甚だしい。そもそもこんな自分が、栄えある『始祖姫』の子孫である、竜滅姫と肩を並べられると思った考えこそが尊大だったのだ。
才能とか努力とかいう前に、存在がまず違う。
竜滅姫である証明の紅髪紅眼を持って生まれた瞬間に、リオンという少女は人とは違う尊き人となったのだ。そう、自分が主と仰ぐ、あの偉大なる使徒のように。
「――違います。私は、弱くなんてありません」
ジュンタのことを思い出して、クーは弱気なことを考えた自分を叱咤する。
(言ってくれたじゃないですか。ご主人様が私は強いと。それを信じられなくて、一体何を信じると言うのでしょう?)
馬鹿なことを考えた。リオンが強いことなど当たり前だ。ただ、それでも負けられないのだ。負けるわけにはいかないのだ。こうも本気でリオン相手に戦えているのは、これが決して負けられない戦いだからだ。
「負けません」
じっと見つめてくる真紅の瞳を睨みつけて、クーは改めて宣言する。
「負けません。私は、この勝負には決して負けられません」
「言いましたわね。ですが、そうでなければおもしろくありませんわ!」
優美に笑ったあと、再びリオンは攻撃をしかけてくる。
その身体から立ち上る魔力は、さらに密度を増し、総量を増している。特に剣を覆う魔力に至っては激しく燃えるように迸っていた。
魔力性質『封印』の魔力を、魔法属性『火』によって揺らぐ不死鳥の炎へと変え、それを統制する極限の集中力をもって、炎よりも苛烈な真紅が襲いかかってくる。
これほどまでに強い相手と本気の戦闘を行うのはこれが初めてだ。
鋭く奔る刃は、もはや下手な氷塊では受け止めきれない。[凝固]の魔法で僅かに剣筋を逸らしつつ避けるしかない。だがそれも長くは持つまい。一撃ごとに熱を高め、鋭さを増す炎の剣に勝つならば、無理でも無茶でも、全てを凍てつかせる気でいかなければ鎮火できない。
「行きます!」
「!!」
リオンの斬撃を逸らした瞬間、自らクーは相手の懐へと入り込む。
魔法使いであるクーが接近戦を仕掛けてきたことにリオンは少し驚くも、すぐに間合いを取って反応して来る。それに追いすがり、クーは体術と無詠唱の魔法を組み合わせて攻め立てていく。
一歩を深く踏み出して、クーは下からリオンの顎めがけて掌底を繰り出す。これは避けられるが、その瞬間に繰り出した掌底の先から魔法の矢を空目がけて放った。
氷の矢は空から雹のように降り注ぐ。
それに合わせ体術を放ち、なおも攻める……それでもリオン・シストラバスの対魔力と剣術の前に、一切の攻撃は通用しない。
「なかなかの体術ですけど、その程度では私には勝てませんわよ」
「かふっ!」
剣の動きに集中していたクーの腹を、リオンの放った鋭い後ろ蹴りが捉える。
生半可ではない威力にクーの小柄な身体は宙に浮かび上がる。その無防備な姿に、紅の刺突が放たれた。それに攻撃を受けた瞬間から構築していた氷塊で逸らすことができたのは自分としても褒めてやりたいほどだが、結局のところその場しのぎでしかない。
「まだ、まだですっ」
脳裏を掠める『勝ち目はない』という言葉を全力で否定して、着地と同時にリオンの横を転がり抜け、クーは立ち上がって距離を取る。
リオンはクーを追うことなくその場で剣を構え直す。それは集中し直すということであり、彼女が纏う魔力の密度は天井知らずで上がっていく。
[魔力付加]という魔法は初歩の初歩であるが、同時に極みともされている魔法だ。それほどまでに、この[魔力付加]という魔法は極めるのが難しいとされている。
魔法使いにとっては、あくまでも[魔力付加]は本格的に魔法を学ぶための足がかりでしかない。しかし魔法騎士などは、主にこの魔法こそを極めるのだという。自らの魂の性質をもって身体能力をあげる力は、白兵戦では高い威力を発揮するために。
(魔法もダメ。接近戦でもダメ……)
トーユーズなどはまさに[魔力付加]を極めているといえよう。
リオンはそこまでの領域には達していないものの、恐るべき集中力とその特別な魔力性質をもって、白兵戦において十二分に切り札として使えるまでに至っている。
相手の物理防御、魔力防御、さらには付加された神秘に至るまでを断つ破断の力と剣――いわばそれは純粋な力による戦いへと相手を引きずり込む、騎士の姫たる少女にふさわしい『本気』であった。
「あ、っ……」
クーは気付く。今ここにリオンとの戦いの舞台に引きずり出されたのは、自分という存在――信念や理念、感情や意志など、これまで培った自分という存在の力に他ならないことを。
であるなら、クーヴェルシェン・リアーシラミリィがどうして勝てると思えるのか?
自己暗示の詠唱すら必要なく、リオン・シストラバスという少女は自分を信じ切っている。
己の誇りの尊さを、竜滅姫の在り方を誰よりも自負しているための、それは絶対の自信――どれほど目を逸らしても、自分を世界で一番信じられないクーが敵うはずもない強さだった。
(ご主人様は私を強いといってくださいました。それは疑えません。ただ……そう単純に、私よりもリオンさんが強かっただけ……)
認めてしまった。胸の鼓動を早くするほどに、対峙する彼女に見惚れてしまったその瞬間、クーは自分がリオンには勝てないことを認めてしまった。
「なんで……どうして、ですか……? 折角、こんな私でも……」
「あら? 諦めてしまいましたの?」
剣を構えるリオンが、俯いて震えるクーを見て興ざめという感じに眉を顰める。それでも彼女の集中が途切れることはない。
「ダメですわよ。たとえ敵わないと悟ったとしても、最後の最後の瞬間まで諦めては……敵である私がいうのもなんですけど」
「…………あ、う……」
「……まぁ、よろしいですわ。降参するというのなら、構いません。私はそれを認めましょう。あなたが私に本気を出させたのは事実ですもの。誇り高く負けて行きなさい」
「負け、る……? そんな、この試合、ご主人様も見ていますのに……」
ドウシヨウ? 刹那の間に、敗北を前にしてクーは自身の内面に潜り込む。
もはや自分ではリオンに勝てないことは明白。つまり自分はこの試合に負けるのだ。それはジュンタの望みと救世への道程を阻害しかねない事態を招くことになるだろう。そんな風に役に立たなかった自分を、あの人は一体どう思うのか?
(ご主人様のオラクルのために唯一果たせるかも知れなかったこの手助けさえ、私には無理で……前の巫女様のようにはできなくとも、それでもがんばろうと思ったことさえ…………ご主人様の期待を裏切ってしまいます。ご主人様の邪魔となってしまいます)
どうしよう? どうしよう? どうしよう? どうしよう? どうしよう?
このままでは、こんな役立たずのままでは、こんな汚いだけの自分のままでは、あの人に、大切で貴いあの人に、優しくて温かいあの人に――
「――そんなのは絶対に嫌、です」
――見捨てられて、捨てられてしまうではないか……!
(嫌。それだけは嫌なんですっ)
そんなのは耐えられない。こんな温かな居場所と幸せを知って、それをこの敗北で失うのなら、負けない代わりに死ぬことだって恐くない。
――――ああ。なら、やるべきことは決まっていた。
自分の命よりも大事なもののためならば、何の犠牲を恐れる必要があるのか?
この戦いに禁断の全力を持ち出すことに、何の戸惑いが今更あるというのか?
ない。ない。ない――あるわけがない。
ならば、目の前のリオン・シストラバスという高貴なる竜滅姫は敵でしかない。大切なものを奪い去っていく、許すわけにはいかない敵でしかない。
……思い出すのは、あの呪い。
『――手向けの花束よ。捧げられし花嫁よ。クーヴェルシェン。あなたはなんて幸せな巫女』
そう、この身は生まれたときより呪われている――ならばあの美しい姿だって、必ずこの血まみれの手は汚せよう。
俯いて震えるまま、ポツリと『嫌』と呟いたクーに、リオンはにんまりと笑う。
戦意をなくされたときはどうしたものかと思ったが、クーは降参することを拒絶した。それは即ち、最後まで足掻くことを決意したということだろう。勝利の望みは薄くなっても、それでも戦士として戦場に残る、と。
「自分から降参することはできないということですわね。その心意気や良しですわ。胸を張ってアルカンシェルの元に戻れるよう、最高の一撃で華々しく散らせて差し上げます」
「胸を張ってご主人様の元に戻るには……そう、それしか…………ないのなら……」
俯くクーが何か呟いた気がしたが、リオンには届かない。
「さぁ、ではこれで終わりにしましょう。私はリオン・シストラバス! この名を胸に刻み倒れなさい!」
可憐な魔法使いに誉れ高い敗北を与えるために、リオンは名乗りをあげ、剣を振りかぶりつつ一気に肉薄する。
自分でもわかる。これ以上ないほどの鋭さと威力を秘めた、上段からの斬撃。
魔力の迸りが大気を震わしクーに迫る。勝った、と思ってしまうのも無理のないことだろう。そう思ってしまうほどに、リオンにとってもこの攻撃は最高のものだった。
「――クーヴェルシェン・リアーシラミリィ。そう、あなたはわたしの敵なんですね、リオンさん」
その攻撃がまさか、突如としてクーの手に握られた氷の杖によって防がれるとは、一体誰が想像できたか。
声もなく驚いたリオンは、クーの細腕に追い返されるままに後方へと弾き飛ばされる。
軽々と着地を果たしたあとに、ようやくリオンはクーが纏うその異常なほどの魔力に気が付いた。
「なんですのよ? 一体」
自身の魔力が燃えさかる不死鳥の炎ならば、クーが纏うのは凍土に眠る魔獣の吐息か。
渦巻く力が幻視できてしまうほどの圧倒的な威圧感――顔を上げたクーの見下すような眼差しは、温かみというものが一切欠けた無表情極まりないものだった。
膨れあがった魔力の理由。突如として具現した氷の杖。事態の推移に未だ思考がついていかないリオンも、氷の杖が振り上げられたことに対する危機感だけは直感として理解できた。
「貫く極寒の魔槍 槍の切っ先は鋭く 我に仇なす敵を貫く牙たれ」
ゴゥッ、とクーが纏っていた魔力を喰らって具現する、鋭き七つの魔槍。
「この一撃はっ!?」
氷の槍は先程クーが放った短い詠唱のものとは比べものにならない鋭さと威力を持っていた。そしてその突破力は、リオンの『封印』をもってすら無効化できないほど。
「ぐぅっ!」
ここに来てリオンは初めて、クーの攻撃によって後ろへと弾き飛ばされた。
「七つの氷槍が一斉に襲ってくるこの威力……間違いありませんわね。これは儀式魔法……!」
何とか剣を盾に魔法を防ぎきったリオンは、確かな確信をもってそう言葉を発した。
律儀に答えてくれる丁寧な返答の声はなく、返ってくるのは冷たい眼差しだけ。……気に入らない。どうしようもなく、その眼差しは気に入らなかった。
「ふふっ、さすがはあのアルカンシェルを主と呼ぶだけのことはあるということですの。いいですわ。まだこの戦いが続くというのなら、それは私も望むところ。どちらが強いか、はっきりさせて差し上げます!」
剣を強く握り直したリオンは、手の中で砕け散った氷の杖を見下ろすクーに迫る。
「二度も私の攻撃を防げるのなら、防いでみなさい!」
先の魔法は間違いなく儀式場を使っての魔法――儀式魔法だった。
しかしクーの足下に儀式魔法を使うための儀式場はなく、詠唱も儀式魔法ほどの威力を発揮する単独魔法ではありえない短さだった。
このことから推理して、クーが儀式魔法を行使できたのはあの氷の杖のお陰だろう。
いつ取り出したのかはわからないが、あれはクーの切り札たる魔道書だったに違いない。考えてみれば簡単で、別に魔法使いが試合に魔道書を持参することは禁じられていない。先の儀式魔法は、敵わないことを理解したクーの最後の一投だったのだ。
最後まで戦いを諦めない姿勢には敬意を払おう。だが、その視線の冷たさだけは気にくわない。教育的指導だ。これで終わらせる。
「覚悟!」
最後まで戦い抜いたクー相手に油断はせず、リオンはフェイントを混ぜた斬撃を放つ。
確実にクーの意識を刈り取るだろうその一撃――しかしその攻撃は再び防がれる。先程と同じように、クーが伸ばした手の先に突如として現れた、分厚い氷の壁によって。
「また、無詠唱でこんなものを!」
ジリジリとドラゴンスレイヤーと触れ合った氷の壁が切り裂かれていく。しかしすぐには断てないほどに、それは密度も厚さも即席とは思えないほどの代物だった。
この魔法もまた儀式魔法であることは想像に容易く、だからこそ『なぜ?』と思わずにはいられない。儀式魔法に必要な儀式場も魔道書もクーにはなく、ただ圧倒的な魔力が渦巻いているだけ。……儀式魔法が使えるはずないのだ。
だが、その疑問を深く考えていられる時間はリオンには与えられなかった。
ついに断たれた氷の壁の向こうで、名乗りをあげた魔法使い――クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、すでに次なる儀式を終えていた。
「私はまだ あの夜の感触を覚えている」
それは一体いかなる意図の詠唱だったのか――氷の壁より伸びた無数の棘を遮二無二避けるリオンには、それを疑問に思う時間すらなかった。
「私はまだ あの夜の嘆きを覚えている」
槍に壁に棘。そこに続く四番目の儀式魔法は、広範囲に広がる冷たい氷の息吹だった。
視界を真っ白に染め上げる冷気の中、『封印』の魔力を身体に纏ったリオンは、棘の攻撃から白い息を吐きながら大きく下がる。とにかく、今は下がるしかない。
肌を刺す冷たさの中、大きく間合いを外し、息吹の中に消えたクーを強く睨む。
「どうして儀式魔法がこれほどの頻度で放てますのよ? 一体、どんな裏技を使っていまして?」
ここに来てまで疑う必要はない。クーは今、儀式魔法を何の触媒も必要とせず、単独魔法を使うように行使している。
それは本来あり得ないことだった。
儀式魔法の単独魔法化は、多くの魔法使いが研究してきた夢の命題の一つだ。しかし未だその理論は確立されておらず、特殊な触媒を用いてようやくという感じの代物だったと記憶している。
……いや、疑うことに意味はない。現にクーがその本来あり得ないはずの儀式魔法の単独魔法化を行っているのだ。今はこれの脅威と打倒を一番に考えるべきだろう。
「……魔法使いが夢見るだけのことはありますわね。私の『竜滅』でも打ち消せない儀式魔法を、こうも立て続けに使われるなんて」
とにかく儀式魔法を使われるなら、一対一の決闘における魔法使いのハンデはなくなったも当然だ。ここから先、競う一撃一撃が自分を勝者たらしめ、敗者たらしめる。
まさにとんだダークホース。アルカンシェルなど目じゃない。目の前の少女は、間違いなくこの武競祭において自分と並び立つ実力者だ。
「クーヴェルシェン・リアーシラミリィ、でしたわね。その名前、しかとこのリオン・シストラバスが胸に刻み込みましたわ。ですけど――」
紅い切っ先をまっすぐクーがいるだろう場所に突きつけて、紅き姫は再び舞踏に戻る。
「――私を下していった勝者とは覚えて差し上げませんわよ!」
◇◆◇
もはやリオンとクーの戦いは、誰の目から見ても勝者が誰か、敗者が誰かわからない有様になっていた。
リングに満ちる、まるで広範囲に広がるべきものをリングのみに凝縮させたような白いもや。
リング付近にいるジュンタには冷気がはっきりと感じられるそれは、クーが放った大気中の水分濃度をあげる儀式魔法に相違なかった。
もやの中からは、鋭い剣戟の音と激しい破砕音が絶え間なく聞こえてくる。中でどれほど熾烈な戦いが繰り広げられているか、見えなくとも、感じる魔力の猛りだけで十分にわかった。
「どういうことだ? なぜ、クーヴェルシェンは儀式魔法を単独魔法として扱える?」
思考の海に潜ったサネアツが目を細めてリングを見つめていた。
観客もまた、優勝候補筆頭のリオンに食らいつくダークホースの存在に、熱意をあげて応援の声をあげている。
「クー、リオン」
ジュンタが分かっているのは一つだけ――あのもやが晴れるときは、この戦いの勝者が決まるときだろう、ということだけだった。
戦いは序盤と同じく、完全に一進一退の攻防のまま続いていた。
幾度舌打ちと感嘆の吐息をもらしたかわからないほどに、クーが纏う魔力は衰えを知らない。いや、実際には減っているのかも知れないが、リオンには詳細が掴めなかった。
というのも、リオンは視界の悪いもやの中、狭いリング上にあってクーの姿を見失いつつあった。
「姿を隠すとは何事ですか!」
迫る氷の弾丸の嵐を凌ぎながら、リオンは攻撃が向かってくる方向に向かって大声をあげる。
その瞬間――次なる攻撃がまったく正反対の方向から放たれる。
大地を走る、幾本もの海を泳ぐ鮫のヒレのような氷の刃。空からは弾幕のような氷の雨が降り注ぎ……空から地上からとは何ともいやらしい。それ以上にいやらしいのは、クーの魔力がリング全体に散って、四方八方から押し寄せる魔法も相成って、彼女がどこにいるのかわからないこと。
それはまさに魔法使いの本領。遠方からの圧倒的火力による破壊は、多くの敵を同時に倒せる魔法使いならではのものだった。
「あくまでも姿は見せないというわけですのね!」
上等だ。と、リオンは全神経を集中させて魔法の攻撃を避けきる。すでに身体には少なくない数の傷ができているが、それでも動きを鈍らせるほどではない。
「ならば、私のこともまた捉えられぬと知りなさい! コソコソ隠れた相手からの攻撃を受けるほど、私は鈍くはありませんわよ!」
所詮リング上にいることは確かなのだ。このまま魔法を避け続けつつ、ジリジリと追い詰めてやる。
徐々に濃度を濃くする視界の中、リオンは自らの鍛えた年月を信じ、直感の赴くままに一方へと走り寄る。そこで、追い詰められていたのがどちらだったのかを理解した。
「――ッ!? ここがリングの端でしたの!?」
すぐ足下にリングの端があった。もう数歩もいかないところである。いつの間にか、自分はリングの端へと追い詰められていたのだ。
無論のこと、リングから出れば失格だ。この視界の悪さではレフリーにも誰にもばれないと言っても、これが決闘であるのなら、リオンはその禁を破れない。あと一歩でも下がりリング外の土を踏んだなら、それは絶対的な敗北を意味する。
クーにもそれが分かっているのか一端攻撃が止む。
代わりにリング一帯に満ちた魔力の中でも、一際強大な魔力が目の前から感じられた。
クーはこの直線上にいる――自分の居場所を知られることになっても魔力を練ったなら、彼女は試合を決めにきたということだ。一発勝負とはおもしろい。追い詰められたリオンも、また乾坤一擲に出ることを決める。
「――賞賛を贈りますわ。あなたは私が今まで戦った魔法使いの誰よりも強い」
「私はまだ あの夜の味を覚えている」
賞賛に返ってきたのは、無慈悲な詠唱な声。大した気持ちの切り替えようだと、リオンは口端をつりあげて走った。
握る刃の輝きが、今までより一段と輝きを強める。
それは白き大地の中を切り裂き飛ぶ不死鳥の路を作り出す。
駆け抜けるリオンは強大な魔力の揺らぎの直前へと、一瞬で駆け抜ける。
「もらいましたわ!」
逃げ道は作らない――魔力ごと薙ぎ払うつもりで、リオンはドラゴンスレイヤーを振り抜いた。
辺りに満ちた魔力を根こそぎ奪うような、巻き込むような渾身の一斬――
(自分で感動するほどに、最高の一撃でしたわ)
手には切り裂いた確かな感触が。
神秘を砕くドラゴンスレイヤーが切り裂いた一帯は、やがてリオンの前にさらけ出されて……
直後――リオンは真上より強襲したクーによって、首の後ろを持たれ地面へと引き倒された。
「ぐっ! 上、に、いましたの!?」
凍りついた地面へと力ずくで顔を押しつけられ、強かに顔面を強打したリオンは、クーがどこに潜んでいたかを察した。
クーはずっと自分の真上にいたのだ。
どうやって空中に滞空していたかは定かではないが、視界が悪いのを利用した彼女は、地を駆ける人間ではなかなか想像できない空中に潜んでいた。真上にいたのなら、四方どこからでも魔法を放てたことにも納得できる。
しかし、納得できないのは先程の魔力の猛りだ。
(では、私が断ったものは一体なんでしたの?)
何も語らぬクーの力に抗いながら、リオンは視線を前方に向ける。
そこには自分がついさっき両断した巨大な氷柱が真っ二つになって倒れていた。
「氷柱……? ですけど、確かに私は魔力をここから……」
本当に分からないことだらけだ。
クーが宙にいたのなら、魔力は宙より感じるべきで、目の前の氷柱が設置された場所からは感じないはずだった。
しかし、あり得ないはずの儀式魔法を単独魔法として扱う規格外の魔法使いであるクーに、そもそもそんな常識を当てはめることが間違っていたのか――リオンは首筋に盛大な寒気を感じつつも、すでに全身を覆うように広がりつつある氷の手前、剣を振るって脱出する力も出すことができなかった。
先程クーが悟ったように、リオンもまた悟る。この試合、自分はこのまま負けるのだと。
肌に触れるクーの手から、何か良くないものが干渉してきている。
『封印』と激しくぶつかりあっているが、直接肌に触れられた状態では抗いきることは不可能。
(くっ! まさか、この私が準々決勝で……!)
それは目に見えない悪意のような力…………なぜだろうか。ふいにリオンの脳裏にとあることが思い出される。
「嘆きの、リアーシラミリィ……」
かつて栄華を極めたエルフの一族――『栄光のリアーシラミリィ』をある日襲った、痛ましい事件。かの一族を『嘆きのリアーシラミリィ』と呼ぶようになった原因の事件のこと。
とある夫婦によって引き起こされたという誘拐事件。多くのエルフの子供が帰ることなく死んだ、『狂賢者』の実験。リオンもまた無関係ではない、生み出されたと言われている実験の最終成果。十年前、オルゾンノットにて魔竜に何万もの人が虐殺された原因ともなったソレ……
曰く、人の身でドラゴンになった者――先代竜滅姫カトレーユ・シストラバスによって滅ぼされたはずの、禁忌の『竜の花嫁』……
「私はまだ あの夜の愉悦を覚えている」
クーからの侵蝕の声が届く。
とんでもない圧力で軋む身体を、精一杯リオンは動かして振り向いた。そうしなければいけない気がした。
「――この血塗れた手に侵蝕を」
白い泥のようなもやの中、リオンの瞳にぼんやりと輝く人影が映る。……果たして、それは気のせいだったのか?