第十五話  炎は氷上に揺れて





――――――え?」


 リオンが自分の敗北を覚悟したとき、一体何が起こったか。
 疑問に思ったその時
には、すでにクーの手はリオンの首の後ろから離され、身体を束縛していた氷は『封印』の魔力の前に消え去っていた。


 疑問を消化するより前に、身体は立ち上がってクーから離れることを始めている。


 一瞬鮮血の瞳をしているように見えたクーを冷静に判別できる位置まで下がったリオンは、そこで初めてずっとリングを包んでいたもやが晴れかけていることに気付く。


 よくよく見れば、クーが纏っていた魔力もほとんどが霧散していた。
蒼い瞳の彼女は、よろよろと力無くその場に膝をついている。

「クー……あなた、大丈夫ですの?」


 試合中だということを忘れて、リオンはクーの身を心配していた。それほどに彼女の顔は蒼白だったのだ。


「はぁ、はぁ、はぁ……私、わたし、今、リオンさんを……」

 

 大きく口を開けて、過呼吸なほどに息を吸っているクー。顔中から大粒の汗が流れ出て、クーは先程リオンの首筋を抑えた右手を、ぎゅっと左手で血が通わなくなるほどに握りしめていた。


 一体彼女に何があって、今どうなっているのか?


 剣を片手に立ち尽くすリオンを前にして、クーは青ざめたままゆっくりと、しかし確かに立ち上がって見せた。


「試合を……試合を、続けましょう」


「……大丈夫なんですの?」


「平気、です。少し魔力を使いすぎてしまっただけですから」


 丁寧な反応は、まさにリオンが知るクーという少女そのものの反応。だからこそ、先程の豹変した姿が信じられないのだが。冷静に分析できる今となって、殊更に彼女が儀式魔法を連発していた事実に疑問が残る。


 そして、あの敗北を覚悟した瞬間に頭に過ぎった考え。……あり得ないことはわかっている。だってアレは死んだ。他でもない自分の母によって倒されたはずだ。


 だからあり得ない。あり得ないのだが……それでも疑ってしまうのは、クーが儀式魔法を使ったことを、『侵蝕』の魔力性質と結びつけて考えてしまえば説明できてしまうからだった。

『封印』と対を成す魔力性質――『侵蝕』


 それはドラゴンのみが持ちうる、最悪の魔力性質だ。


 他者を侵し、魔法を打ち消し、攻撃すら否定するソレは、また世界にも働きかける。


 そこにいるだけで辺りを侵蝕するドラゴンは、自分の周りの世界を自分に害なす異物として、好き勝手に侵蝕して変質させてしまうのだという。
 それはドラゴンが何か特別なことをして初めて起こる現象ではなく、あくまでも自動的に起こる。ドラゴン本人も意識的には使っていないとさえいわれていた。


 これこそドラゴンが世界に対する毒と呼ばれる理由であり、そうして歪められた世界の中心にいるドラゴンには、普通の攻撃では通じなくなるのだ。


 つまり『侵蝕』とはそういうもの。他者を侵して取り込んでしまう、何もかもを汚す魔力性質なのである。


(『封印』が魔法を弱らせるなら、『侵蝕』は自分の周りを魔力によって都合のいいものに歪めてしまうもの。圧倒的な魔力による『侵蝕』ならば、特殊な魔法陣を起動させることによって、自分の周りを見えざる儀式場に変えることもできると言われていますわね。……『狂賢者』の残したという理論ですけど)


 立ち上がって戦闘続行の意を見せながらも荒く息を吐いて、プルプルと右手を震わせているクーを見つめるリオンの目つきは鋭い。


 今のリオンには、クーという少女の何もかもが疑わしく見えた。
 改めて自分に問うまでもない。リオン・シストラバスはとてつもない屈辱に震えていた。


 実際のところ、クーが何者でも関係なかった。なくはないが今この瞬間にはどうでもいいこと。

 クーは武競祭準々決勝においての敵。打倒するべき相手であり、それ以上でもそれ以下でもない。……だからこそ、許せないのだ。


(私が、リオン・シストラバスともあろうものが、敵に情けをかけられた?)


 リオン・シストラバスが負けたと覚悟したのだ。間違いなく、あのままあと数秒でもクーに首筋を握られていたなら、自分が負けていた。こうして決着がつかずにいるのは、ただクーが攻撃の手を弛めたからに他ならない。


 クーの様子を見るに、手加減されたのとは違う気もするが、それでもこうして負けていないのが敵の手によるものだなんて……屈辱だ。


 そして何よりリオンに奥歯を噛み締めさせているのは、クーが攻撃を止めた理由が、もやが晴れたことによるものであると察したからだった。


「……クー。あなたが私への攻撃を止めたのは、アルカンシェルに見られると都合が悪かったからですわね?」


「…………」


「無言は肯定ですわ。……そう、私はあの無礼者がいたから助かりましたのね。なんて屈辱ッ!」


 恐らくは、クーはアルカンシェルに先程までの自分の姿を見られたくなかったのだろう。

理由は知らない。ただ見られたくなかったから、視界を塞ぐもやが晴れてしまった瞬間に離れたのだ。それはつまり自分との決着より、アルカンシェルに嫌われないことをクーが優先したということ。

 自分一人が熱くなって、自分一人が本気で戦って……これではただの道化ではないか。


(私は一体、なんのために戦ってますのよ。勝手に婚約者を決められそうになって、負けるわけにはいかなくて、楽しい戦いもできなくて……こんな戦いに熱くなることに、何の意味があると言いますのよ……!)


 リオンは強く強く、手が真っ白になるほどにドラゴンスレイヤーを握りしめる。


 誇りである紅き剣。だが、この戦いのどこに誇りがあるのか甚だ疑問だった。


 でも――


「……それでも私は、負けられない」


 勝敗はもう着いたようなもの。先の戦いでリオンは自身の負けを認めたのだから。


 だけど、リオンには負けられない理由があった。だから戦いは続けるしかない。


 身に纏う『封印』の魔力が、目に見えて衰えていることを感じつつも、リオンは剣の切っ先をクーに向ける。彼女もまた著しく魔力を減衰させている。次の戦いで勝負は決すことだろう。


「……勝たせていただきます。私にとっての戦いに」


「あなたの勝利は、あのアルカンシェルという男の勝利ではなくて?」


「そうです。私はご主人様のために全てを」

 

「…………羨ましいですわね。それほどに愛せる人を見つけられたなんて」


 皮肉じみた言葉を向けると、クーは弱々しくも確かに笑った。


 その笑みを見て、リオンは他の何かを考えることを止めた。
 ただ今この一瞬の戦いに全力を尽くすこと――それだけに全てを注ぐ。







       ◇◆◇







 開かれた距離を詰めることなく、リオンはさらに集中してその場で剣を構えている。

 

(本当にリオンさん、あなたは格好いいです)


 いかなる魔法も通用しないという力を見せた騎士に賞賛を贈って、クーは残ったありったけの魔力を使っての一撃作戦に出る。


 これで決める――否、決めなければならない。


 先程までの自分は自分を見失っていた。あの憎むべき力を使うなんて、他でもないジュンタの前で使うなんて、あり得なかったというのに。

 

 不幸中の幸いにも、先の姿はジュンタの目に止まることなく、リオンもまた無事だ。本当に良かった。どちらか片方でも、この取り返しの着かない失敗をしていたら、もうクーヴェルシェン・リアーシラミリィとしてどうしようもなかった。


(私は、私として勝ちます。ご主人様のために。リオンさん)


 何とか我を取り戻せた。なら、後は当然の役目を果たすまでである。


 そう、何も自分の勝利とはこの試合に勝つことではない。

自分にとっての本当の勝利とは、ジュンタがこの武競祭で優勝することなのだ。

そのために必要なことはなんでもする――それが巫女としての役目。

全て凍てつくのなら心は置いていけ」


 
さぁ、それでは歌おう――この詩がせめてもの祝福となるように。全ては、ご主人様の優勝のために。







全て凍えるのなら身体は置いていけ」


 
長い長い、詠唱の詩。クーが最後の一撃として選択したのは、一回戦で見せた相手を空間ごと凍らせるという魔法だった。


さすれば想いだけが残ろう 神の御許に運ばれるであろう


「この詠唱は!?」


 詠唱の詩を聞いたリオンが剣を片手にクーへと一気に駆け寄る。


 さすがに空間ごと凍らされれば、いかに強い対魔力だとしても試合には負ける――相手の攻撃を発動させないのもまた一つの戦い方。発動前に防げるか否かで、この戦いの勝者が決まる。

凍土の名は汝が名 凍結の時は汝が時 氷結の意で我らを試す


 未だ魔法の詠唱が完成していない段階でクーとの距離がゼロとなった瞬間、栄冠はリオンの頭上に輝いた。クーが最後の詠唱を遂げる前に、リオンの刃はクーへと向けられる。もはやクーには避ける以外の方法はなく、それを選んだ時点で彼女に決着をつける手段はなくなろう。

 

――私の勝利ですわっ!」


 リオンは詠唱を中断させるために大きく剣を振りかぶり――



其は煌めく氷棺なり


 ――攻撃を避けることなく、受けながらも最後まで詠唱を遂げたクーの姿に、戦慄を抱くと共に剣を振り下ろした。


 幾度も振るわれ、その度に避けられた剣は、今度こそ敵を捉えた。

 身体を切り裂かれたクーの身体から鮮血が飛び出る。
 
それを気にすることなく、クーはリオンに向かって微笑みかけた。

「リオンさんには、私とここで一緒に沈んでもらいます」


「あなたは、そこまで――ッ!」


 クーの指先の白い魔法陣が弾け飛ぶ。

 魔法系統・氷の属性――氷の棺が汝を試す(オルディアルアイスコフィン)

 自らを犠牲にして紡がれた魔法――それは至近距離からリオンの身体を、術者のクーごと凍らす棺を具現した。







 ジュンタは青ざめた顔で見届けた――全てを氷で覆い尽くすかのような、そのクーが切り札とした[
氷の棺が汝を試す(オルディアルアイスコフィン)]の魔法の威力を。

 一回戦でクーが見せたものとは規模も威力も桁が違う。全てを凍てつかせる、本当の意味での氷の棺だった。


「…………クー……」

 

 だが氷の棺が包み込んだものは、何もクーの相手だったリオンだけではない。行使者であるクーですら、あの魔法は巻き込み、凍り尽くした。リング全てが氷によって包まれ、戦っていた二人の様子を見ることはできない。


 リオンも、クーも、どうなったか分からない……


 場は一時騒然とし、ジュンタはただ、両者相打つという形で試合を終わらせようとしたクーの思惑に、愕然としていた。


 この魔法を使ったらこうなるだろうということを、クーほどの魔法使いが予期していなかったはずがない。使えばリオンごと自分も凍らせることになると、そう考えつかなかったはずがない。


 それでもクーは使った。両者相打つでは、負けことはないが勝てもしないというのに、使った。ジュンタには、クーがどうして両者相打つ形でも勝負を終わらせようとしたか、理解できてしまっていた。

「……俺のためか? 俺と、リオンが戦わないようにするために……?」


「…………」


 肩に乗ったサネアツは、何も言ってくれない。『そうだ』とも、『違う』とも、言ってくれない。


「馬鹿か、クー。お前、こんなことして……俺が喜ぶと本当に思ったのか?」


 確かに、最終命題を『アルカンシェルの武競祭優勝』と定めているため、強敵をクーが自分の身を犠牲にしても止めるやり方は、戦術的には決して間違っているとは言えない。言えないが……それでもそれが正しいことだとは到底思えない。


「くそっ!」


「ジュンタ!」


 ガツンと壁をジュンタは殴りつけ、サネアツの制止も無視して飛び出し、
リングへと走り寄る。


 今はルールとか勝利とか、全てがどうでも良かった。ただ、一刻も早くこの凍てついた棺の中から二人を助けなくてはと思った。


「クー! リオン!」


 リングに辿り着いて間近で見ると、氷が重く分厚いことが分かる。
 剣の一撃でも早々貫けないコレ。ジュンタは腰にくくり付けておいた、大剣ではなくもう一方――正真正銘の愛剣を手に取ろうとする。


 その手が無骨な柄に触れたとき――ドン、といきなりリング中央で巨大な氷塊が空に舞い上がった。

「何!?」


 真上へと叩き上げられた氷塊が落ちてくるまでの間に、氷塊があった場所から紅い少女が素早く外へと脱出する。


 その腕の中に白い少女を抱き留め、もう片方の手で紅い刀身の剣を持つ少女は、他でもないリオンだった。

 彼女は氷の上に着地する――それに申し合わせたかのように、氷塊が地面に落下した。


「……まったく、生きた心地がしませんでしたわ」


 リオンは剣をしまい、クーを両手で抱き上げたまま氷のリングとなった場所から降りようとする。その最中に、リングの外から見つめる黒甲冑の男を見つけた。


「あなた!」


 リオンの瞳が、これまでにないほどの怒りの炎に燃え上がる。しかしその瞳はすぐに困惑と変わり、やがてリオンは納得したように一度頷いてから、ジュンタに近付いていく。


「……まず何よりも先にあなたに尋ねておきますわ。アルカンシェル、あなたはクーに、先程のように両者相打つ形の終決を命令しましたか?」


「まさか、そんなことするはずないだろ」


「そうですの……まぁ、心配して駆けつけてきたのを見れば、大体予想がついてましたけど」

 リオンは自身の腕の中で眠るクーの小さな身体を、心配する母親のような眼差しで見た。


「危うい子ですわね。そこまで誰かのために尽くせるのは、幸せかも知れませんが酷く危ういですわ」


「ああ……そうだな。俺は、それを分かってたのに……」

 

 リオンの言葉に、ジュンタはうなだれる。

 

 そんなことは言われなくても分かっていた。分かっていたのに……とんだ失敗だ。

 クーがあんなことをするとは思わなかった。それがいけない。他でもない自分が、ちゃんと予想していて然るべきだったのだ。


 優勝の手助けをするために、クーは本来出なくてもいい武競祭に出場したのだ。
 出場するということは、戦うということは、こうなる可能性だってあったということなのに。


「ごめんな、クー。俺、気付いてやれなかった」

 腹部を血に染めて、でも冷たい氷で感覚が麻痺しているのか、苦悶の表情もなく眠っているクー。その頬を冷たいガントレット越しにジュンタは撫でる。


 リオンはジュンタのクーに対する優しさを間近で見て、なんとも複雑な表情で口を開く。


「ふんっ、あなたのような怪しすぎる男の何がそこまで惹きつけるのかは知りませんが、あなたがこの子をちゃんと導いて差し上げなければならないのではなくて?」


「分かってる。もう二度とこんなことにはさせない。させるもんか」


「当然ですわ。決闘の最後があれだなんて、興ざめも甚だしいですわよ。
 それとアルカンシェル、あなたの方に治癒のできる人間はいますの? いないのでしたら、私の家でクーの傷を癒して差し上げますが?」


「なら頼む。クーの傷を治してやってくれ」


「了解しましたわ。あなたは次の試合なのですから、精々精神集中でもしておくがいいですわ。クーがあそこまでしたんですもの、少しぐらいはしっかりなさいと言って差し上げますわ」


 最後にそう言い放つと、リオンは澄まし顔になって、クーを抱えたまま毅然と選手入退場口へと歩いていく。


 その背を見送ったジュンタは静かに拳を握る。


「……サネアツ。悪いけど、クーについててくれるか?」


「頼まなくとも、当然だろうに。クーヴェルシェンのことは俺に任せておくがいい。ジュンタは次の試合に勝つことだけを考えていろ」


 鎧の影にやってきていたサネアツは、隠れてリオンの後についていく。彼がついていてくれるなら、きっとクーも大丈夫だろう。そうであると願いたい。


「……頼むな、サネアツ」


 やり方がどうであれ、クーが自分のためにとあそこまでしてくれた事実は変わらない。それに応えることがせめてもの償いだと思うから、今はクーについていてあげられない。


「負けられないだろ、こうなったら。クーのためにも」


 遅れながらにリオン・シストラバスの勝利がレフリーによって叫ばれ、王国騎士たちがリングにやってきて、炎の魔法で氷を溶かしていく――その横を通り過ぎながら、ジュンタはそう呟いた。







「……最後まで、不愉快な試合でしたわね」


 リオンはクーを抱きかかえたまま、選手入退場口へと入る。その心中は、今の試合に対する悔恨で一杯だった。


 確かに自分は勝利した。けど、手放しで喜べるような勝利でなかったのは明白だ。


 ――否、そもそも自分は本当に勝利したのか? この胸に残る後味は、どう考えても敗北のソレと一緒だ。


(当然かも知れませんわね。実力で上をいかれ、最後は相打ちの覚悟を見せつけられ……私の恥がさらけ出された戦いでしたもの。……本当に私、何をしてますのよ)


 薄暗い道をいくらか進んで、リオンは後ろを一瞥する。
 光差すリングはもう見えない。つまり、向こうからももう自分の姿は見えないということ。


「もう大丈夫ですわね……くっ!」


 膝が笑って、リオンはその場に倒れ込みそうになる。しかし手の中に傷を負ったクーを抱えている今そんなことはできない。歯を食いしばって根性で耐える。


(まったく、一体どれだけの骨がいかれているのかしら?)


 壁に背を預けて、ゆっくりとリオンはその場に座り込む。


 先程はアルカンシェルの手前、平気な振りをしていたが……その実身体はボロボロだった。

 あんな至近距離で、しかも玉砕覚悟の自爆の一撃を受けたのだ。

クーがこめた想いの強さの分だけ、リオンだってダメージを受けていた。


 氷の棺に閉ざされ、痛みが麻痺していたのが幸いだったか。なんとか氷塊を切り裂いて脱出することはできたが、その過程で魔法によってボロボロになっていた身体はさらにボロボロになってしまった。


「大したものですわね、クー。あのアルカンシェルという男、あなたがそこまで入れ込むほどの男なんですの?」


『もちろんです!』


 リオンには、そうクーが即答したような気がした。

 
太股の上で眠るエルフの少女を、リオンはおかしなものでも見るように見つめる。と同時に気になった。

 湖の妖精。森の妖精なんて呼ばれているエルフ。

 そんなエルフの少女が主と慕い、命すら賭けて尽くそうとするアルカンシェルという男――果たして一体何者なのだろうか?

 初見では、その異容と身に纏う醜悪な魔力に警戒を抱いた。

 修行場において、圧倒的な魔力を放出したときには強敵だと認識した。

 一回戦を見て、大した膂力ではあるが狡い奴だと思って憤慨を覚えた。

 二回戦では、その甲冑の力だけで相手に勝って、最後に虹色の魔法光などを見せつけた。

 怪しい。考えるほどに怪しいと思えてくる。一体中身はどんな相手なのだろうかと、リオンは考え、


「……ッ!」

 ふいに思い出したくもない一人の少年の顔が頭に浮かんできた。


 苦笑する黒髪黒目黒縁眼鏡の、半年ほど前に少しの間一緒に屋敷で過ごした彼。アルカンシェルという無礼者に負けないくらいの無礼者で、不埒者で、でも一緒にいるととても楽しかった彼……
自分を好きだと言ってくれて、その後いなくなってしまったジュンタ・サクラという人間の姿と一瞬、アルカンシェルの姿が重なった。


「…………何を、馬鹿なことをですわ……」


 自分の妄想具合に、リオンは相当ダメージを受けてしまったようだと自嘲する。


 確かにアルカンシェルの正体が、彼に思えてしまうのもしょうがないのかも知れない。

 アルカンシェルの知り合いだというあのサクラは、ジュンタと同じ珍しい黒髪と黒眼をしていた。神聖大陸エンシェルトではほとんど見ない髪の色と瞳の色である。肌の色もそうだし、その容貌も二人は似ていたような気がした。


 そんなサクラの知り合いだから、アルカンシェルもまた同じように黒髪黒目だと思ってしまうのは……まぁ、しょうがないことだろう。気のせいかもしれないが、アルカンシェルからは甘いショコラの匂いがした気もするし。


 それに……そうだ。自分を好きだと言ってくれた彼ならば、結婚しなければならないという噂を耳にして、武競祭まで駆けつけてくれるのではないかと、そう思ってしまったのだ。


「……本格的に、私も馬鹿になってますわね」


 けど、彼は現にいない。どの予選にも出ていなかった。

半年前から一度も会ってなくて、今回の戦いにも姿を見せない。だからといって拙い願いを、現状において唯一素性の知れないアルカンシェルに託すのは本当に馬鹿げている。


 それでも、もしかしたらと思ってアルカンシェルに突っかかっていった時もあった。
 パーティーでアルカンシェルの正体がサクラと勘違いしたときには、酷く落胆したものだった。


 ……けれど今となってはもうどうでもいい。

いや、できることなら、アルカンシェルがジュンタではないことを祈ってすらいる。その想いはクーとの戦いを経て、さらに自分の中で大きくなっていた。

「もしアルカンシェルがジュンタでしたら……」


 リオンは自分の太股の上で眠る少女を見る。


 もしも、本当にもしもアルカンシェルが彼だったなら、彼にはもうクーという優しくて、かわいくて、自分のために尽くしてくれる素敵な人がいるということになる。


 先程アルカンシェルが見せた、クーへの優しい視線もそうだ。互いに大事と思い合っている二人。それにサクラもいることになるし………………嫌だ。何でか知らないけど、アルカンシェルがジュンタなのはとっても嫌だった。


「思い出したくないですわ。今は、あなたのことは……」


 楽しかった思い出。友人だと思っている少年。今彼のことを考えると、どうしようもなく全身から力が抜けていく感覚を味わってしまう。


 一秒一秒が勝負を分ける戦いにおいて、その隙は致命的だ。


 だから蓋をする。楽しかった思い出に、嫌な予感に蓋をして、大丈夫だとリオンは知らず剣の柄を握る。


 ……休もう。まだこの後二つ試合が残っている。今は傷を癒し、休むべきだ。


「リオン様!」

 

 向こうから慣れ親しんだユースの声と、彼女を含めて二人分の足音が聞こえてくる。彼女が来たのならもう大丈夫だろう。自分とクーを治療してくれるはずだ。


 リオンは目を閉じて、休むことにした。苦悩を忘れるために。


 忘れろ。忘れろ。忘れろ。忘れ、たいのに……


「…………ねぇ、アルカンシェル。あなたは一体誰なんですの……?」

そう呟きをもらすことを我慢できずに、リオンは静かな眠りについた。







◇◆◇







 クーヴェルシェンが治療を受けた部屋をサネアツが見つけ出したのは、ちょうど隣室からリオンの治療を終えたらしいユースが出てきたときだった。


 隣の扉の前でばったりと出くわした二人は、しばし互いをじっと見つめ合う。


「こんにちは、サネアツさん」


「こんにちはだ、ユース」


 あいさつはどちらからともなく交わされた。


 お辞儀をしたユースはサネアツの前まで歩み寄ると、しゃがみこんでそっと手のひらを差し出した。それの意味することをこの半年で理解していたサネアツは、何の躊躇もなくその手の上への乗る。


 優しくユースの手によって運ばれた先は彼女の肩の上。いつもと違う場所ではあるが、彼女の腕の中にはすでに、多くの魔法の触媒が抱えられているからしょうがない。


「サネアツさんはクーヴェルシェン様の様子を見に来られたんですか?」


「うむ。仲間だからな。誰かは見に来てやらなければ、彼女がかわいそうだろう?」


「そうですか。すでに他の術者によって手当は終えられていますが、これから治癒促進の陣を敷きに行きますので。よろしければご一緒しますか?」


「おお、それは僥倖。この手では正攻法でドアを開けて入るのが、なかなかに面倒なのでな」


 淡々としたユースの様子にニマニマ笑いつつ、サネアツはじっと目の前の扉を眺める。


 ユースの手によって開けられた扉の奥には清潔感漂う部屋があった。

 先程まで治療の魔法が続けられていたのか、部屋の中には普通よりも多い魔力を感じる。

 サネアツはユースの肩に乗ったまま、部屋の奥に設置されたベッドに眠るクーヴェルシェンの様子を見る。試合の最後、青ざめた顔をしていた彼女は健やかな寝息を立てていた。

「どうやら大事はないようだな」


「自分が使った魔法ですから。たとえ自爆覚悟でも、そのダメージは少ないのです。むしろここまで衰弱しているのは、それまでの戦いが原因のようですね」


「目隠しのもやの中での戦いか。ユースはリオンからその時の様子は?」


「聞いていません。リオン様はクーヴェルシェン様とは違い、かなりのダメージを受けていますので。未だ眼を覚まされていません」


 テキパキと持っていた触媒を、クーヴェルシェンの眠るベッドを中心にして並べていくユースが口にしたことに、サネアツは少しだけ驚く。


「いいのか? 俺にそんなことを教えても?」


「どういうことでしょうか?」


「分かっているだろうに、誤魔化すのか。まぁ、いい。つまり今回は敵側である俺に、リオンの状態に不備があることを教えてもいいのか、ということだ。今起きられないほどのダメージならば、確実に次の準決勝にまでダメージは残るのだろう?」


「そうですね。遺憾ながら、今の私の実力では完治させるのは難しいはずです。ですので、責めるべきは自分自身。サネアツさんに内緒にするべきようなことは何もありません」


「さすがは竜滅姫の従者。主に負けず劣らずの高潔さだな」


「恐縮です」


 耳元で囁かれているからか、どこかくすぐったそうな声色でユースはそう言った。


 しばし無言で、そのままユースは作業を進めていく。今彼女が作っているのは、長い持続効果を保つための風の儀式場だった。丸く円を描くように陣が床に描かれ、そこにはユースにより魔力が与えられている。


「……サネアツさん。一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」


「なんだ? 隠されることなく語られてしまったのだ。大抵の質問には答えよう」


 儀式場を完成させたユースが、立ち上がりつつ質問をぶつけてきた。
 
サネアツはクーヴェルシェンが眠るベッドの上へと飛び降りてから、ユースに振り向いて質問されるのを待つ。

儀式場の微調整を行っているユースは、じっとサネアツと、ベッドに眠るクーヴェルシェンを見てから口を開いた。


「……先程の試合、私も拝見させていただきました。ですが、クーヴェルシェン様が使われた異常な力のカラクリはわかりませんでした」


「それを俺に説明しろと言うわけか? 残念ながら、俺もそれは知らないのだ」

「いえ、それはこの際気にしません。確かにあまりに強力であり異常な力ですが、あくまでもそれはクーヴェルシェン様……すでに敗北した方のお力ですから。私が気になる点はただ一つ、アルカンシェル――リオン様が次に戦われる可能性のあるあの黒騎士のことです」


 ついにこの質問が来たか、と言ってもよかった。

 ユースが『鬼の宿り火亭』にやってきたあの日から、いつ何時ぶつけられても不思議ではない質問だったのだ。


「サネアツさん。あなたが今回選んだあの方は、クーヴェルシェン様のような強いお力をお持ちなのでしょうか? ともすればリオン様ですら勝てないような、特別なお力を」

 優しく動物たちのお世話をするメイドではなく、魔法を懇切丁寧に教えてくれる魔法使いではなく、今サネアツの目の前に立つユースは竜滅姫の従者として睨んできていた。


 全ては負傷した主のために――クーヴェルシェンの精神にも通ずるものがあるその精神に、またサネアツも嘘偽りない返答を返す。

「特別というのなら、あいつほどに特別な奴はいないだろうな。確かにリオン・シストラバスに勝てる可能性は少ないだろう。だがゼロではない。いや、どんな可能性であっても、あいつの前ではゼロになることはない。あれは可能性がなくなることが無き者だからな」


「……つまり戦ってみなければ分からないと、そう言うことでよろしいのでしょうか?」


「まぁ、そういうことだな。ただ一つだけ言えることは、この先の試合がどうなったとしても、最終的には全員が笑っていられるだろうということだ」


「それが最も望むべくもない結果ですが……いえ、あなたがそう言うのでしたら、私も信じてみることにします」


「それは光栄だ」


 ニヒルに笑うサネアツを見て、ユースは表情を和らげる。
 
変わらぬ無表情だが、それでも表情が和らいだのは間違いない。

そんなどこか肩の力が抜けたままの表情で、次にユースはそう言った。


「アルカンシェルには何が起きてもおかしくない、ですか……ところでサネアツさん。私は『鬼の宿り火亭』というところで、とある方と出会ったのですが。その方はなんでも、ジュンタ様の妹さんなのだとか」


「ほぅ、それは初耳だな」


「私もでした。いえ、元より私はジュンタ様のことはさほどよく知らなかったわけですので、これでもかなり心を痛めたものです。現在進行中でもあります。……しかし、最近あり得ないはずの考えがふいに頭を過ぎるのです」


 和らいだはずの表情が、どこか問い詰めるように強ばっている気がするのは気のせいだろーか?


 サネアツは尻尾をピンと逆立てつつ、懇切丁寧だが、かなりスパルタなお師匠様から視線を逸らしていく。


「それはあってはならないことのわけですが……どうなんでしょう? なんだか今、その可能性もあり得る気がしてならないのです。

 ですからお尋ねしたいのですが、サネアツ様。もしあの言葉が嘘だった場合……」

 半年の間に止めてもらうことに成功した呼び名が、ここだけ元に戻る。

 稀にジュンタが見せるような、眼鏡の奥の瞳を細めるような感じでの眼圧に、なぜだか身体が震え始めた。


「サ、サクラがジュンタの妹でなかった場合、どうする気なのだ?」


「いえ、久しぶりに一日かけて修行を一緒にしましょう、と。ただお誘いしたいだけです。もちろん、断ったりはしませんよね?」


「………………………………時は満ちた。俺はもうすぐ生まれ変わるだろう。そう、新たなるスーパーキャットに!」


「ええ、では楽しみにしておきます。それでは治療を開始させてもらいますね」


 どこか楽しそうに笑ったユースから隠れるように、サネアツはクーヴェルシェンの頭の隣に置かれた帽子の中に身を潜ませる。


 耳にはユースの淡々とした詠唱の声が、肌には温かな魔力の感触が。


「う〜む、抜かった。恐るべき敵はミスタだけではなかったか……」


 竜滅姫の従者ユース・アニエース――結構お茶目で主同様、報復万歳なメイド様である。







       ◇◆◇







 エルジン・ドルワートルは何も、シストラバス家最強の騎士というわけではない。


 両腕が健在だった頃は、リオン様直属の騎士であり護衛としてことにあたるぐらいの実力は持っていたが、それでも十年前に一回り年下でありながらシストラバス家最強を誇っていた騎士を知っている身として、最強を名乗れるほどの強さでなかったと認識できていた。

そして利き腕を失った今の自分の力量が、一体どれほどのものなのかも理解できている。


 半年のリハビリでは、かつての冴えは取り戻せなかった。

 当然か。十年近い年月をかけて足掻くように鍛えた腕を、半年で取り戻すことなどできようはずもない。いや、恐らくはもう一生無理なのだろうと、そう思う。


 ……自覚があった。自分はもう、次に想いを託す他ない場所にいるのだと。


 かつての紅き騎士たちがそうであったように、また自分もこの場所に辿り着いてしまった。胸には悔しさが溢れている。かつて一人の後輩が選んだ道こそ正しかったのはないかと、そうとすら思う。


 託すことに意味はあるのか? 繋ぐことに意味はあるのか?


 千年かけてダメだったのなら、また自分が託したところで意味はないのではないか? ……そう思ってしまうのは、果たして情けない弱気なのか。


「ふんっ、くだらない。たとえこれが俺の最後の試合だとしても、ここに立つ身に選ばれたのなら、果たすべき役目は全力で果たしてみせよう」

 いつだって思っていた。この世界の真実ともいえる厄災の暴虐さを思い知ったあの日から、いつだって胸に抱いていた。


 かつて少年として胸に抱いた騎士への憧れはもはやなく、現実を知った今の自分にあるのは、ただこの手に紅き剣を握る誇りのみ。憎悪にも似た、畏怖にも似た、慟哭にも似た、誇りと決意の障害を打破するという意志のみ。


 ならば、この想いこそが尊重されるべきだと、そう選ばれた自分は全力を尽くす。


 それがシストラバス家の騎士。

 それが紅き剣の騎士の在り方。


「だから…………最初に謝っておこう、エリカ」


 エリカ・ドルワートルの父親は、最後まで敵わぬものに挑み続けた馬鹿の一人だった。


「俺はお前が誇れるような、そんな勝利を飾ることは無理だろう」


 そう分かっていても挑むことを止められなかった愚か者の一人であり、愚か者だということを理解しつつも止められず、愚か者を愚かと蔑む者を許せぬ阿呆だった。

 

「それでも許せぬのだ。俺は、我らが願いを汚す輩を――あの、ジュンタ・サクラという大馬鹿者を」

 一人、誰にも届かぬ独白をし、エルジン・ドルワートルは戦いに挑む。


「紅き
(けん)に騎士の名を。シストラバス騎士団が騎士エルジン・ドルワートル。いざ、我らが竜滅姫様のために」










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