第十八話  アルカンシェルの仮面





「リオン様。起きていますか? 騎士エルジンがお越しになったのですが」

 そんなユースの声を耳にして、リオンは瞼を開いた。


 まず最初に見たのは淡い緑の光。
床に描かれた巨大な魔法陣が発する風の魔法光である。魔法陣の上に置かれたベッドで眠っていたリオンは身体起こして隣を見る。


 白い石作りの壁に煉瓦をつけ、重苦しさを和らげた一室。
 包帯や薬品などの様々な治療道具が集められたその場所は、主に貴賓者用の治療部屋として貸し出されている場所だ。

そこにはユースともう一人、騎士エルジン・ドルワートルの姿があった。


「リオン様、怪我の案配はどうでしょうか?」


 エルジンが魔法陣の外まで寄って、リオンの怪我の具合を伺う。


 リオンは訊かれ、自分の身体を軽く見やる。
 グルグルに包帯の巻かれた左手と左足。そこが身体を動かすたびに、未だ鈍い痛みを発する。


「芳しくはありませんわね。取りあえず左足の骨は繋がりましたが、全快は無理。腕の方は握力が戻れば御の字ですわ」


「恐ろしい手練れです、あのクーヴェルシェンというエルフの少女は。相手を凍結させるだけはなく、氷に治癒遅延の付加効果まで与えるとは。その執念が凄い、と言い換えてもいいですが」

 リオンとユースは揃って、隣の部屋――ここと同じような感じになっていて、そこに眠っている少女を壁越しに見る。

 クーヴェルシェン・リアーシラミリィ――準々決勝の相手から与えられた傷は、ユースの懸命な治療にもかかわらず未だ完治していなかった。儀式魔法や稀少な触媒、治療薬を使ったのにもかかわらず治らないのは、一重にクーが次の試合に万全で出られないようにと自爆したからだ。


「準決勝は昼休憩を挟んだ後ですから、まだ少し時間はあります。ええ、問題なく戦えますわ」


 リオンは視線を畏まるエルジンに戻し、


「だから安心なさい。私は、あのアルカンシェルには負けませんわ」


 そう、まだ何の報告もされていないのに、エルジンが来室した理由を察して告げた。


「……申し訳ありません、リオン様。騎士エルジン・ドルワートル。準々決勝の対戦相手、アルカンシェルに対し敗北を喫しました。この失態への罰は、如何様なものでも謹んでお受けします」


 改めて準々決勝敗退の失態に、その場で立て膝をついて頭を深々と下げるエルジンを見て、リオンが敗北に気付けたのはあることが理由だった。


 甲冑の下に隠しているが、リオンの目は誤魔化せなかった。

 エルジンの甲冑の下にある盛大な火傷のあと。強烈な熱を持った一撃を食らったそのダメージは、恐らく相当なものだ。


 アルカンシェル――未だ謎深き騎士は、かつて両腕が健在だった頃はリオンよりも強かったエルジンを退けたのか。

「騎士エルジン。頭を上げなさい。あなたがあなたの戦いを行い、それでも勝てなかったと言うのならば、褒めるべきは相手であり、あなたを責めることなどありえません」


「はっ、ありがとうございます」


 頭を上げるエルジンは敗北したことを代表として謝りつつも、どこか清々しい笑顔をしていた。きっと自分とクーとの戦いのようではなく、気持ちが良い試合だったのだろう。そんな笑顔を浮かべる騎士の一体何を責めろというのか?


(ですけど、となると私は、エルジンをも倒した相手と不完全な状態で相対することになりますわね)


 まさしくクーが願ったとおりの戦いとなる。苦戦は必死。が、負けるつもりは毛頭ない。驚いたことに、クーとの戦いを経てなお沸々と湧き上がる闘争心が、アルカンシェルに対してはあった。

――おもしろいですわ、アルカンシェル。私がこの手で必ずや打ち倒し、公衆の面前でその仮面を剥がし、晒し者にして差し上げましてよ!」


 高笑いしたリオンは、それで「いたたたたたっ」と腕を押さえて痛がる。


 そんなリオンを見たユースは呆れ眼となり、エルジンは真剣な眼差しのまま立ち上がった。


「リオン様。一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」


「質問? ええ、構いませんけど」


 厳格で知られる峻厳な――娘が関わること以外では――騎士であるエルジンからの質問は、とても珍しいと言えた。

 リオンは真剣なエルジンにならって、ベッドの上で姿勢を正す。


「それで質問とは一体なんですの?」


「はい。リオン様には、どなたかご好意を向けていらっしゃる相手がいるのですか?」


 リオンはエルジンが真面目に言い放った言葉を、本気で幻聴かと疑った。


「………………………」


「………………………」


「…………………………ごめんなさい。もう一度言ってもらえますかしら?」


「私も、少々信じがたい言葉を聞いてしまったようです。これが風の妖精の悪戯というものなのでしょうか」


 ユースと互いに顔を見合わせてから額に手を当て、長い長い沈黙のあとにリオンはエルジンに聞き返した。


「分かりました」


 エルジンは表情を崩すことなく一つ頷き、また先程自分が述べた言葉を繰り返す。


「リオン様には、どなたかご好意を向けていらっしゃる相手がいるのですか?」


 ……やはりエルジンの質問は空耳ではなかったのだ。


 リオンとユースはやはり顔を見合わせてから、なんとも言えない複雑怪奇な表情を作るしかなかった。その一分後――リオンは恐る恐る口を開いた。


「ええと、それは本気で訊いてますのよね? 自分の意志で、他の誰かの指示でもなく」


「無論です。これはただ、自分の興味から来る素朴な質問です」


「素朴ってあなた…………珍しいにもほどがありますわよ……」


 エルジンはまったく驚かれている理由が分からないよう。

 
エルジンの質問にリオンが驚いた理由は簡単だった。
 リオンの印象ではエルジンは色恋沙汰になんて興味はないし、そんなことを尋ねてくるような相手ではなかったので、ユースと共に驚いてしまったのである。


「そう、ですわね……」


 だが一頻り驚いてしまえば、エルジンの姿勢にリオンも真剣に考え込む。

 

 これが質問してきた相手が他の誰かならば、恥ずかしいと話題を流して終わりだろう。だが、相手が意外過ぎるエルジンということが、リオンの中でその言葉を真剣に悩ませた。


 悩むことしばし――赤面や渋面など色々な表情を経て、リオンは小声で質問に答える。


「私には好きな人はいませんわ。今も、そしてこれまでもです」


「そう……なのですか?」


「そうですわ。ですけど――


 不思議そうな、というか信じがたいというエルジンの顔を見て、リオンは言葉を続けようとする。


 それは自分でもとっても恥ずかしいことで、本当に顔を真っ赤にしつつ……でもやっぱり真剣なエルジンの顔に、リオンは真剣に応えた。


「ですけど――好きになるならこんな人かも、と思っている人はいますわ」


 エルジンが何を思って、こんな質問をしてきたのかは分からない。ただ、彼にとってはこの返答だけで満足だったらしい。

 満足げな笑みを浮かべた彼は『ありがとうございます』とだけ言って、一礼して部屋を退出した。


 いなくなったエルジンの背を見送って、リオンは未だ上気した頬のまま小さくぼやく。


「エルジン・ドルワートル……やはり侮れない騎士ですわ」







        ◇◆◇







 準決勝進出――つまりはベスト4の内に入れたということで、武競祭開催側からの扱いはかなり良くなった。

 準々決勝の終わりと共に入った、二時間の昼休憩。
 
準決勝、三位決定戦、決勝戦と続く戦いへの最後の休憩と呼べる時間には一つの部屋が与えられ、ジュンタはそこでこれまで色々と手助けしてくれた人たちと過ごしていた。


「あ〜あ、これは相当派手にやられちゃったわねぇ。これで勝ったっていうんだから、完璧に勝利を譲られたわね」


「分かりますか? 先生」


「そりゃね、分かるわよ。はい、取りあえずはこれでいいでしょ」


 包帯片手にエルジンとの戦いで負った傷を治療してくれたのは、剣を教えてくれた先生ことトーユーズ。
その隣では、情報を色々と集めてくれたサネアツがにゃ〜と鳴いている。そんな風に普通の猫の振りをしている理由――部屋にはもう一人、ラッシャがいた。


 手に金槌とナイフを持ったラッシャは、難しい顔で目の前の甲冑を睨んでいる。


 十二畳ほどの石の部屋。ベッドとソファーとテーブルが置かれただけの部屋を、異様な雰囲気と変えている毒々しい魔力を放つ漆黒の甲冑。その近くにいるというのに、全く平気そうな顔でラッシャは頭を掻く。


「どうだ、ラッシャ。甲冑直りそうか?」


 部屋の隅に置かれた甲冑と睨み合うラッシャへと、ジュンタは話しかける。

 ラッシャは振り向いて、両手の平を上へとあげた。


「直すも何も、ワイは鍛冶師やあらへんからな。本格的なもんは無理や。ここまで問答無用に切り裂かれて剥がされてたら、本格的に鍛冶師に頼むしかあらへん。でも、そうなると午後には絶対間に合わへんからなぁ」


「そうか……」


 ラッシャと一緒にジュンタは、エルジンのドラゴンスレイヤーで傷つけられた『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を見る。


 全身甲冑だった『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』は、胸部を大きく切り裂かれ、その他にも多くの場所が抉られてしまっていた。衝撃が伝わり、歪んでしまった場所もある。これを脱ぐとき、その辺りが引っかかって相当な時間を費やす羽目になった。


「取りあえず歪んだ部分を直そ思たけど……さすがは『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』。金槌やナイフだとどうにもならへんかったわ。こいつは本格的にお手上げやな」


「そうね。下手に弄くって、さらに構成をグチャグチャにする方が問題よね」


 近付いてきたトーユーズが『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』を観察する。


「どうせ次の相手も、ドラゴンスレイヤー使いの騎士姫様でしょ? いっそのこと、歪んだりした部分を剥がした方がいいかも知れないわね」


「リオンの剣の前だと、普通の鎧並みの防御力しかないですからね」


「なら剣以外の攻撃は受けないよう大事な部分だけをつけて、必要外の部分を外すやり方でいったらどうだ?」


「部分的に剥がすだけなら、ワイでもなんとかできるで…………ん? あれ、今の誰の声やったん?」


 ジュンタの肩に昇って咄嗟に口出ししたサネアツの声に、ラッシャが惑って周りをキョロキョロと見回す。元凶は足で耳の裏を掻いたりと、未だ正体を晒すつもりはないようである。サネアツは折角の秘密を、ナイスなタイミング以外では教える気はないようだ。


「じゃあ、取りあえずはそうするか。他に選択肢もないし。悪いけどラッシャ、頼んでもいいか?」


「おうっ、ええで。ワイかて、自分には優勝して欲しいからな。これくらい先行投資かと思えば屁でもあらへん。大船に乗ったつもりで任せておいてくれや」


 ドンと胸を叩いて、ラッシャは好意的に引き受けてくれる。

 
思わずジュンタはそんなラッシャに感動してしまいそうになって、しかしトーユーズが告げた次の言葉でその感動を打ち消すことになった。


「そうよねぇ、ラッシャ君。ジュンタ君の優勝に結構な額賭けてるものねぇ〜」


「そうなんよ! ワイの商人としての再出発のためには、なんとしてもこの賭けに勝利してウッハウハにならへんと…………はっ! 違う、違うでジュンタ! ワイのお前に対する協力は、純粋な友人としてやなぁ」


「人ががんばってる横で、お前はそんなことをしてたのか……まぁ、いいや。世話になってるのは変わらないし。よろしく頼む」


 ポンと、呆れを混ぜた声でジュンタはラッシャの肩に手を置く。その後ギロリと睨みつけて、


「…………下手な仕事はするなよ?」


「サ、サーイエッサー!」


 ビシリと引きつった笑みと共に敬礼するラッシャに満足感を覚えて、肩から手を離す。

 取りあえず他の選手に賭けていないだけ、こっちに期待してくれているということだろう。そう思っておく。


「じゃあ、甲冑はラッシャ君に任せて、ジュンタ君はあたしと武競祭前の最後の修行かしらね」


「え? 今からやるんですか?」


 甲冑に向き直ったラッシャの横で、ジュンタはトーユーズから急な提案を告げられた。


 このタイミングでの鍛錬。確かにいいかも知れないが、怪我を負った上に体力も相当削られている。休まなくてもいいのだろうか?

「それは今の俺に必要なことなんですね?」


「そ、ある意味大事な大事な修行ね。とにかく、ジュンタ君はあたしに付き合いなさい。ああ、サネアツちゃんもいらっしゃいな」


「分かりました」


「にゃ〜」


 強引にトーユーズに手を引かれ、ジュンタは部屋を後にする。

 扉の向こう
から「うぉっ!」とか「とりゃっ!」とか「しまったぁ!」とか聞こえてくるのは聞こえなかったことにして、そのまま廊下をズルズルと引きずられていく。

引きずられて…………どこに行くんだろう?


「先生、一体どこに行くんですか? 下手に出歩くと俺、素顔ですから色々と困るんですけど」


「そんなのもう今更でしょ? そんなことより、ジュンタ君。一つ大事なことを忘れてるわよ?」


 ようやく手を離され、そのときトーユーズに向けられた言葉にジュンタは首を傾げることすらしなかった。

 

 大事なこと……少し考えてみれば、すぐに気付くことは可能だった。


「クーのことですね?」


「そうよ。もうそろそろ起きててもおかしくない頃合いよ。準々決勝突破。ちゃんと報告してあげないとね」


 ウインクをして、トーユーズは先行して歩き始める。

 後ろをついていきながら、ジュンタは頭の上に乗っているサネアツに尋ねた。


「お前、しばらくクーについてたんだろ? どうなんだ、クーの容態は?」


「リオンに斬られた腹部の傷は、治療魔法によって傷も残さず塞がったらしい。倒れたのは体力と魔力を一気に使いすぎたからのようだな」


「あれだけの魔力を使ったんだもの。それは仕方がないわね……でも、自分すら巻き込んでリオンちゃんを倒そうとするなんて。ジュンタ君、クーちゃんに愛されてるわねぇ」

 からかうようにトーユーズはそう言ったが、ジュンタは苦笑することもできなかった。


 自分を犠牲にしてまで他者を助ける。聞こえはいいが、他でもない自分が原因でクーが自爆なんて真似をした真実だけが残っている。そこに笑う要素など一つたりともありはしない。


 口を噤み黙って通路を歩くジュンタを見て、トーユーズが優しい笑みを浮かべる。そして子供に言い聞かせるように、静かな声で話し始めた。


「確かにクーちゃんはちょっとだけ――ううん、かなり危なっかしいところがある子よね。あんなに優しいのに、あの子は自分自身にだけ優しくない」

「自信がないんだって、そう言ってました。俺はクーの過去に何があったかは知らないけど、きっとクーには何か大きなことがあったんだと思います。自分を嫌ってしまうような、何かが」

 出会ったばかりと言ってもいい少女。
 
優しくて、助けようとしてくれる少女。

「罪滅ぼしなのかも知れません。クーは自分が悪い奴だって思ってる」


「ジュンタ君は? ジュンタ君はクーちゃんのことを悪い子だって思ってる?」

 トーユーズの質問に、ジュンタは即座に首を横に振る。


「まさか、ありえません。だって俺にとってのクーって奴は、優しくて、がんばり屋で、放っておけなくて、危なっかしくて……それだけの、ただそれだけの普通の女の子なんですから」


「なら、いいでしょ? ジュンタ君にとってのクーちゃんがそうなら。いつか何かを知ったとしても、それはその時ジュンタ君の中でクーちゃんが変わるだけのこと。その時、またジュンタ君も一緒に変わればいい……でもそれは今じゃない。今はジュンタ君が見た優しい女の子だけでいいの」


「そうでしょうか? 俺は何かをしてやるべきなんじゃ……」


「なら、見ていてあげなさい。女の子はすぐに変わってくものよ。昨日と今日、今日と明日では全然違う。だからジュンタ君は、今のあの子をしっかりと見ていてあげなさい。馬鹿なことしたと思ったら叱ってあげなさい。良くやったと思ったなら褒めてあげなさい」


 振り返って、トーユーズは微笑む。


「それで最後に、ジュンタ君が大好きだってことを教えてあげなさい。自分が嫌いなクーちゃんが、自分を好きになれるようにね」






 クーがいたその部屋に、ジュンタは一人だけで入ることになった。


 ニヤニヤと笑うトーユーズとサネアツに背中を押され、たたらを踏むようにベッドが置かれたそこに放り込まれる。


 白いベッドの上でクーはすやすやと眠っていた。ちゃんとリオンは治療をしてくれたようで顔色も悪くない。

「大丈夫そうだな」

 ジュンタは一安心して、ゆっくりと息を吐き出した。


 それが聞こえたのか、はたまたちょうど目を覚ますところだったのか――長いまつげを震わせて、クーはゆっくりと瞼を開いた。

「あ、れ……私……」

 ぼんやりと天井を見上げたクーの視線が、そのままベッドの傍らにいたジュンタの顔に固定される。


「ごっ、ご主人様!」


「起きあがらなくていいから。そのまま寝てろ」


 一瞬で目を覚ましたクーが、慌てて起きあがろうとするのをジュンタは止める。


 クーは少し渋ったが、少し強めの視線を向けるとしゅんと肩を落としてベッドに戻った。どうやらこっちが怒っていることに気付いたようである。毛布を口元まで引き寄せて、沈んだ顔でクーはまず一番最初に、


「ごめんなさい、ご主人様。私、負けてしまいました」


 いきなりの自己嫌悪混じりの謝罪に、ジュンタの眉がピクンとあがる。


 いきなりそう来たかという感じである。いや、そう来ると思っていたが、やはり試合に負けた謝罪から来た事実が寂しくて、腕を組んだジュンタはクーをじっと見つめて口を開いた。


「……他に、もっと謝ることがあるだろ?」


「え?」


「……分からない、か」


「す、すみません……」


 枕に頭を預けたまま、泣く一歩手前の表情をクーは見せる。

 

 クーには、こちらが自爆まがいのやり方に出たことに対して怒っていると気付けなかったよう。静かに怒るこっちを見て、ただ負けたことを責められていると思っているのだろう。毛布を掴む指が、見ていて痛々しいほどに震えていた。

 できることなら、今すぐにでもその手を握って震えを止めてやりたかった。けれど、今はそれより先に言うべきことがあるのだとジュンタは思う。


「……俺はな、たぶんかなり怒ってる。もちろんクーに対してだ」


「……は……い…………」


「だけどな、それ以上に俺は自分に対して怒ってるんだ。どうして俺は、こんなにもクーを傷つけちゃったのか、って」


「え?」


 零れ始めていた涙を止めて、クーがベッドの上からじっと見つめてくる。
 怒っているような、心配しているような、謝っているような……色々な感情を混ぜ合わせた微笑みでクーを見つめ返して、ジュンタはそっと手を伸ばす。


 手を伸ばすと、クーがギュッと目を瞑った。まさか叩かれるとでも思っているのだろうか? 


 馬鹿だなって思って、ジュンタは布団の端を力強く握っているクーの手にそっと触れる。


「クーに対して怒ってるのは、クーがあんな風に自分を傷つけるやり方で戦ったから。俺に対して怒ってるのは、クーをそこまで追いつめたのが他でもない俺だから。……ゴメンな、クー。傷つけて」


「そ、そんな……っ! 違います、私が悪いんです! ご主人様はちっとも悪くありません!」


 ベッドから飛び起きて、クーが両手で手を握ってくる。その表情が、身体の傷と見えない傷の痛みに歪む。


「私が……私が、そうしようと思ったんです。ご主人様はきっとあんな決着は望んでないって分かってたのに、私はただ自分の我が儘で――


「それは俺のための我が儘だ。
クーはきっと、本気でそう思ってると思う。だけどそれと同じように、俺も自分が悪いと本気で思ってる。だから、ゴメン。俺はクーを傷つけた」

「ご主人様……」


 潤んだ蒼が見上げてくる。その瞳に浮かぶのは戸惑いと恐れと、それ以上の罪悪感。

 例えどんなに優しくしても、どんなに優しくされても……きっとクーヴェルシェンという少女はそれを罪だと思う。偽善だと、身分不相応だと、そうやって自分を否定するのだ。


 それはクーの過去にあった何かから来る贖罪のためか――それを知らないジュンタには想像することしかできないが、それはきっと苦しいはずだ。

人の好意を素直に受け取れない。人への好意を素直に認められない。何をしても自虐に変わり、変わらないのは罪の意識だけ……


 ジュンタはクーの過去を知らない。ただ分かっているのは、今目の前にいる少女が苦しんでいるということだけ。だから、せめてその苦しさを和らげてあげたい。それが自分とクーとの、仲間という関係だ。


「クーは、本当はリオンの奴に負けてもいいから、最後まで戦いたかったんだろ?」


「それは……」


 自分の本心を踏みつけてまで選んだ道連れという選択肢――もしもアルカンシェルという選手が武競祭に参加していなかったら、きっとクーはそんな選択肢は選ばなかった。

 視線を床に落とし、しばしの沈黙のあと、クーはコクンと頷く。


 やっぱり、とジュンタは声に出さずに心の中で思う。


 クーは頑固な性格だ。一度決めたことは頑なに譲ろうとしない。それは言い換えれば、負けず嫌いとも言えるのだ。
だからクーは、本当は試合に負けたくなかった。引き分けなんかにしたくなかった。選びたかったのは『勝利』することだけ……それを押し殺した少女は、静かに独白する。


「…………悔しかった、です」


 それがきっと、クーヴェルシェンという少女が否定した本音。


「悔しかったんです。リオンさんに負けて、本当は悔しかったんです」


「ああ、俺もだ。クーがリオンに負けて悔しかった」


 クーはうつむけていた顔を起こす。その瞳には、悲しみではない悔し涙が光っていた。


「勝ちたかったんです、本当は。勝ってご主人様に褒めて欲しかったんです……よくがんばったなって、頭を撫でて欲しかったんです! でも……でもリオンさんはとても強くて、勝てるかどうか分からなくて……!」


「そう思ったら、俺のために引き分けに持ち込もうって考えが頭を過ぎったのか。そうしないと、俺に失望されるとでも思って」


「はい……私、ご主人様だけには嫌われたくなかったんです……」


 ジュンタの胸に小さな額を押し当てて、クーは小さな声で肯定する。


「馬鹿だな、クーは」


 そんなクーの金糸の髪を、ジュンタはすくように撫でた。片腕で抱きしめた。


「本当に、馬鹿だ。こんなにがんばってるクーを、俺が嫌いになるはずないだろ? 俺はな、クーが思っている以上にクーのことが好きなんだから」


 ギュッと抱きしめる力を強めて、


「だから心配しなくていいんだ。この先何があっても、どんなことがあっても、俺はクーを嫌わないって誓うから。だからクーも信じてくれ。俺が好きなクーは、きっと素敵な女の子なんだって。

自分をもう苛めるな。馬鹿なことをしたら俺が怒ってやる。どうしても苛めたかったら、俺が代わりにクーを苛めてやる。だから……これ以上自分で自分を傷つけないでくれ」


「……私、自己嫌悪の塊ですよ? そんなこと言ったらご主人様、きっと毎日大忙しです」


「だからこそ腕がなるってもんだ。俺は結構意地悪だから問題ない」


 少しだけ軽口を口にすれば、クーはクスリと小さく腕の中で笑った。


 そんなクーの声を聞いて、最後にジュンタは告げる。いや、誓う。
 腰にはいた、クーがくれた『
英雄種(ヤドリギ)』の剣を引き抜いて、それに誓う。



――誓う。俺は、この剣でクーを守る。どんなものからも、絶対に」



 誓いを聞いたクーは肩を震わせる。
 
そのままの体勢でクーはしばらくじっとしていて…………やがて少しだけ頬を染めて、顔をジュンタの胸から離す。

クーは恥ずかしそうに、はにかんで言った。隠す必要のない本心を。


「私もご主人様を守ります。だって――私もご主人様が思っている以上に、ご主人様のことが大好きですから」


「そっか……それならがんばろうか。これからお互いに、な」

「はいっ!」


 誓いに誓いを返されて、ジュンタは笑う。


 双剣の一振り――無骨ながらも真っ直ぐな剣は、自分が守る相手を定めて、どこか嬉しそうに刀身を煌めかせた。






       ◇◆◇







 紅い甲冑を身につけ、母の形見の剣を携え、リオン・シストラバスの戦支度は終了した。


 治療を受けていた病室の中、軽く鞘から剣を抜いて振る。身体の感じを確かめるように、二度三度剣を振る。やはり左手と左足に僅かな違和感が残っていた。


「やはり、少しの戦力低下は免れませんわね」


「大丈夫ですか?」


 傍らに立つユースが、リオンに心配そうに話しかける。


「すみません、私の治療の腕が至らなかったために」


「何を言ってますの? ユースだからこそ、このレベルで済んでますのよ。他の術者では、骨折したまま出場していたか、例え骨が繋がっても激しい動きで再び折れかねないレベルでの治癒になっていましたわ」


 鞘に剣を戻しつつ、リオンはユースに自信満々に微笑みかける。


「あなたはよくやってくれましたわ。さすがはユース、私の従者ですわ。
 安心なさい。例え身体の方は万全ではなくても、心の方はこれまで以上に絶好調ですから。あんな無礼な輩など、ギッタンギッタンにして差し上げましてよ!」


 確かに万全とは言わないが、何ら問題はない。


 騎士にとっての強さとは、その心の強靱さにある。身体能力など二の次だ。
 決して何者にも侵せぬ心と、自らを最強と誇る魂こそが真実の力。それが健在であるのなら、相手に負ける道理などあり得ない。


 それが騎士。それがシストラバス家の竜滅姫――リオン・シストラバスという少女。

 調子の有無に関係なく、本気で問題ないと思っているリオンは、獰猛な獣の本性を秘めた優雅な仕草と共に戦地となる場所を睨む。


「それでは、参りますわよユース。敵を完膚無きまでに倒しに」


 敵は色々な理由で、目の敵にしている黒甲冑の騎士。
 
あの無礼な男に勝利する喜びと、あの男に敗北の悔しさを与えるために、リオンは全力で行く。







「それでは、私は観客席の方に行っていますね」


 白い帽子に上着。長い髪を二つに結って後ろに流した、いつものスタイルになったクーがサネアツを胸に抱えてジュンタに告げる。


 シストラバス家の治療の腕が良かったのか、もうすぐ準決勝が始まる今、病室から出ても問題がないほどにクーは回復していた。回復していなくても、『ご主人様の応援をしないといけません』と、強引に病室から抜け出しそうだったから一安心である。


「クー、あんまり無理はするなよ? 傷が痛くなったら、すぐに病室に行くんだからな」


「はい、分かりました。そうしないとご主人様にまた叱られてしまいますから、気を付けます」


「安心しろ、ジュンタ。クーヴェルシェンの面倒は俺がしっかりと見ていよう。ジュンタは試合だけに集中していればいい」


 クーの腕の中で、サネアツは小さな毛むくじゃらの胸を肉球で叩く。


 愉しそうに笑ってのサネアツの返事には少し不安を覚えるが、これで約束は守るタチなので、しっかりとクーが無茶しないように監督していてくれるだろう。猫の姿のサネアツに、ブレーキを外して暴走特急となったクーが止められるかは微妙だが、きっと大丈夫だろう。


「それじゃあ、頼む。俺はそろそろ行ってくるから」


 サネアツによろしく頼んでから、ジュンタは始まった、準決勝第一試合が行われているリングの方を通路から見つめる。


 そろそろ選手控え室に向かわなくてはいけないだろう。試合試合の間の休憩時間は長くなっているが、それでもこの試合の次の試合に出るのだから。


 すでにラッシャから色々と分解された『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』は受け取って、着用している。


 兜と首もと。胸当て部分と二の腕から先のガントレット。腰回りと太股から下だけが、漆黒の全身甲冑だったもの。トーユーズの案で、動きやすいように歪んだ部分を外されたソレで覆われていない部分には、下の黒いウェアーが見えている。

 一分の隙もない時に比べると、隙間がかなり空いていて少しだけ心許ない。胸当て部分も四分の一程度欠けている。が、リオン相手にはあってない物も同じだ。いくら『侵蝕の虹』で滑らかに動かせるといっても、圧迫感を和らげる点で見れば、これもいいかも知れない。


 そしてジュンタは減った『
竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』の上で、さらに覆う部分を減らすことが分かっていても、もう決めていたことがあった。


「ご主人様、がんばってください。私、がんばって応援しますから」


「ああ、応援頼むな」


 やはりリオンに負けた悔しさもあるのか、これ以上ないぐらい激励に力の入ったクーに、ジュンタはグッと握った拳をかかげて見せる。


 クーは笑顔で大きく頷いてから、サネアツを落とさないように抱き直して、


「それではまた後でお会いましょう」


「うむ、がんばれよジュンタ。ここが正念場だ」


「あ、ちょっと待ってくれ」


「はい?」


 去っていこうとするクーを呼び止める。
 ジュンタは徐に素顔を隠し続けていた兜をその場で外すと、クーに向かって差し出した。


 差し出された兜を見て、きょとんとクーは小首を傾げる。

 その胸の中でサネアツはニヒルに笑う。長年の付き合いからこっちの気持ちを察したのか、クーの腕の中から抜け出て、彼女の肩へと昇った。


「ご主人様、これは……?」


「持っていってくれないか、この兜」


「え? でも……いいんですか?」


 兜を受け取り、胸に抱いたクーが尋ねてくる。

 ずっと付けていた兜を外して持っていって欲しいと言うことは、即ち次の試合に兜を外したまま出場するという意味だ。それは素顔を晒す、正体を晒すということに他ならない。


「ご主人様、ずっと素顔を隠していらっしゃったのに……」


「いや、いいんだ。リオン相手なら兜はあってもなくても同じだし、視野を広めるって点を見ればない方がいいかも知れないからな。いや、そういう戦術的目的じゃなくて――


 ジュンタは恐らくすでに控え室にいるだろう紅い騎士を思い、エルジンの言葉を思い出し、はっきりと自分の考えを口にする。

――仮面を外すことも、また強くなることなのかも知れないって、そう教えてもらったんだ。だから、それはクーが持っててくれると嬉しい。一応ずっと守ってきてもらったものだから、放って置くのは少々悪い。たぶん今のそれなら、本当に調子が悪くなったりはしないはずだから」

「そう言うことでしたら、はい、お預かりさせて頂きます」


 強く漆黒と紅の兜を抱きしめて、今度こそクーは観客席へと足を向ける。


「がんばってください、ご主人様。ご主人様ならきっと、リオンさんにだって負けません」

「その通りだ。ここまで来たのなら、もはや優勝するしかあるまい」


「だな。それじゃあ、いっちょ勝ってくる」


 クーとサネアツの最後の激励に、眼鏡なし仮面なしの素顔のままでジュンタはしっかりと頷く。


 クーは満足そうに微笑んで、そしてサネアツを肩に乗せたまま通路の向こうへと消えていった。その姿が見えなくなるまで見送ってから、ジュンタも選手控え室へと向かった。







 トーユーズが待っていたのは、選手入退場口へと続く通路の途中だった。


「先生」


「いよいよね」


 昼食後にリオン相手の戦術を教えてくれたあと、てっきり一足早く観客席に行っていたと思っていたトーユーズの予想外の登場に、ジュンタは驚きの声を出す。


 仮面をつけていない生徒をトーユーズは真剣な顔で見て、それから嬉しそうに笑った。


「そう、ここで仮面を外したのね。うんっ、やっぱり素顔の方が何十倍も格好良く見えるわよ」


「先生も、やっぱり仮面は外した方がいいと思ってたんですか?」


「まぁ、ね。こればっかりはあたしが教えるようなことじゃないから黙ってたけどねと言うか、きっとそれは心構えの問題よ。別にジュンタ君だって、誰かの指摘を鵜呑みにして外したわけじゃないでしょ?」

 エルジンとの試合中の会話を知っているのかいないのか、意味深な言葉を吐くトーユーズに、ジュンタは首を縦に振って返す。


「確かにアドバイスをくれた人はいましたけど、最後は自分で決めました。きっとこうした方がいいって」


「そう……それじゃああたしも先生として、恋に悩む生徒に一つアドバイスをあげるわね」


 コツコツと隣まで歩いてきて肩に手を乗せ、トーユーズは耳元に囁いてきた。


「さっきジュンタ君はクーちゃんを守りたいって言ったわね? それはね、ジュンタ君がクーちゃんの気持ちを考えたから出てきた言葉。だから今度はリオン・シストラバスのことを考えなさい。自分の気持ち、彼女の気持ち、片方だけじゃ答えは見つからないわ」


「俺の気持ちと、リオンの気持ち……」


「どっちの気持ちを優先するかは人それぞれだけど、どちらにしても相手の気持ちはちゃんと考えなきゃね。片思いだけじゃ辛いわよ。それじゃあ、がんばって」


 最後に肩を叩いて激励してから、トーユーズは振り向くことなく去っていってしまった。

「あの人はどこまで分かってて、どこまで修行のつもりだったのか……スパルタだな、ほんと」

 先生であるトーユーズの言葉で、何かにジュンタは気付けた気がした。

 エルジンの言葉――リオン様をお前が悲しませているという言葉。

 クーに告げた言葉――悲しませたくない、守りたいという気持ち。

 トーユーズが教えてくれた言葉――大事な人の気持ちを考えていないという助言。

――ああ、そうか。俺はちっとも、リオンの気持ちなんて考えていなかったんだな」


 ジュンタは歩く。向かう。光差す、武競の場へ。

 戦いたいと、隣に立ちたいと、強いと示したかった女の子。

 素顔を隠していたのは、正体を晒したくなかったのは、弱い自分を見せたくなかったから。自分の気持ちだけで、そう選んでいた。


 だから、隠すことによってリオンがどう思っていたかなんて、ちっとも考えていなかった。


 どうしてそれがリオンの悲しみに繋がるかは分からない。だけど、自分勝手に正体を隠すことでリオンが悲しんだのが事実なら、エルジンが怒るのも当然の話だ。


「何やってたんだかな、俺は。知らないところで、あいつのこと悲しませるなんて」


 右手に大剣を。左手を後ろの腰に伸ばし、ジュンタは苦笑しながらリングへと赴く。


『さぁ、一回戦も終わり、準決勝続いての試合で激突するのはこの二人!

 片や紅で全身を飾った紅き騎士。片や漆黒で全身を塗りつぶした黒き騎士……ん? おや?』


 騎士アブスマルドの選手紹介が、素顔を晒したアルカンシェルの登場に止まる。


 それには気を払わず腰の剣を引き抜いて、ジュンタはリング中央へと進み続ける。

 
見つめる相手はただ一人。まっすぐ前――綺麗に歩いてくる、憧れの騎士のお姫様。

「悲しませたなら、責任は取らないと。悲しんでいる理由を知って、俺が元気にしてやらなくちゃいけない」


 対戦相手には聞こえない声量でそう呟いてから、今度は大きな声で、はっきりとジュンタは告げる。


 驚きに目を見開くリオン・シストラバスに、己が名を――だって、ジュンタは彼女に自分の名前を覚えていて欲しかった。



「その上で、俺はお前に勝つ。リオン! 俺の名前はジュンタ――ジュンタ・サクラだ!!」


 アルカンシェルという偽りの仮面を捨て去り、ジュンタは今最高の敵に挑む。

 武競祭準決勝第二試合――サクラ・ジュンタは双剣を強く握り、心のままに全力で行く。









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