第十九話  再会





 リオン・シストラバスの意識は、都合二分ほど真っ白になっていた。


 ついに始まりを告げた武競祭準決勝。恐らくは、本当の意味での決勝戦。

 対戦相手は黒騎士アルカンシェル――かの忌々しく無礼な男はいつもつけていた兜を今日はつけていなくて、露わになった素顔を真正面から見たリオンは意識を手放しかけた。


 …………意味が、分からない。


 受けた驚愕と動揺を隠し切れない面持ちで、パクパクと酸欠の魚のように口の開け閉めし、リオンは静かに繰り返す。アルカンシェルの仮面を取った男が名乗った、その名を。

「ジュ、ンタ……」


 騎士アブスマルドの紹介を、観客の声援を、レフリーの試合開始の合図さえ忘我の彼方に追いやって、ただリオンはその名前だけを反芻させる。


 ジュンタ・サクラ――眼鏡こそしていないけれど、間違いなくアルカンシェルと呼ばれていた騎士の素顔は、彼に相違なかった。

 半年前、リオンを中心に回っていた世界に入り込んできて、強引に自分が中心に回る世界に引きずり込んだ侵略者。生まれて初めて裸を晒した異性にして、初めて身分や役職の関係無しに接してきた無礼な少年。そして、生まれて初めて告白してくれた男の人……


 あらゆる意味でリオンにとって特別となってしまった――ならざるを得なかったジュンタ・サクラという少年が、半年前の別れのときとまったく変わらぬ姿で、そこにいた。


 頭のどこかでは、きっともう二度と会うことはないだろうと思っていた彼との再会に、再会の舞台が武競祭のリング上であるという現実に、彼がアルカンシェルの正体であるという事実に、リオンは硬直から立ち直れない。


 だからジュンタの放った大剣の一撃を避けられたのは、一重に日頃の鍛錬の賜物だったのだろう。あるいは、彼にもまた当てる気がなかったからか。


 下から突き上げるような大振りな大剣の一撃が、風を切り裂いて目の前に迫る。
 
それを横へと反射的に移動することで避け、ついにリオンはジュンタに話しかけた。


「…………どうして?」


 その様々な『どうして?』を混ぜ合わせた台詞に対して、ジュンタは『やっぱり』という感じに笑って大剣を肩に預ける。


「相変わらず、お前の第一声はわかりにくいな。リオン。その『どうして?』は、一体何に対する『どうして?』なんだ?」


 ジュンタはもう一振りの剣を突き出してくる。それは自らが敵であることをアピールする行為。


「その『どうして?』が、なんで俺がここにいるのかってことを訊いてるんだとしたら、俺はこう答える。――リオン。俺は今、お前の目の前に敵として存在している。武競祭優勝の席を賭けて戦う、お前の対戦相手としてな」


――――そう」

 カチリ、とリオンの頭でスイッチが切れ替わる。
『俺はお前の敵だ』――躊躇なく、戸惑いなく、明確な敵意を見せつけて宣言したジュンタに、リオンの戦士としてのスイッチが入る。


「そう、ですの。そう…………あなたは、私の敵ですのね」

「そうさ。俺がアルカンシェルの仮面を外しても、お前の対戦相手だって事実が変わるわけじゃない。勘違いするなよリオン。俺は今、お前に剣を向けている」


「…………」


 ジュンタの言葉に、もはや語る言葉はないとリオンは剣を構えて応じる。


 静かに場に緊張感が満ちていく。

 戦いの場は、ここに来てようやく本来の在り方を思い出す。


(なに我を失っているんですの、リオン・シストラバス! アルカンシェルの正体がジュンタだった…………ただ、それだけのことじゃありませんの!)


 陥った、致命的な隙を作る疑問の雪崩は終わりにしよう。
 
訊きたいことも、言いたいことも、怒りたいことも、悲しみたいことも、たくさんたくさんあるけれど。今は目の前の敵を倒すことだけを考えよう。それが剣を抜くという意味だ。

 レフリーの試合開始から一分後――一つ深呼吸をして、リオンは紅い剣を構える。
 リオンの気迫に応えるようにジュンタもまた、二振りの剣を半身になって構える。


「もう一度、名乗るぞ」


 戦い前の儀礼として、彼は謳う。


「アルカンシェルは偽名。俺の本当の名前は、ジュンタ・サクラだ」


「では私も。私の名前は、リオン・シストラバスですわ」


 互い今度こそちゃんと名乗り合って、直後――――激突。
 剣が鋭く震える音を奏で、二人は武競祭の参加選手として戦いを始める。

(ジュンタが今、私の目の前にいる)

 
身体ごと剣をぶつけあう。そしてまた、剣に乗せた自らの心も。


(声が届く、こんなに、近くに……!)

 その中でリオンは、隠しきれない本心があることを、静かに悟っていた。






覆面選手のアルカンシェルが、その素顔をついに晒した。

その事実は一時観客席に波紋を呼んだが、試合が実際に始まれば、それはもはや忘れ去られるべきこと。観客にとっては、ただ心躍る戦いこそが目的なのだ。

だが、やはり見守る人の中にも、アルカンシェルの素顔を見て放っておけない人たちは多くいた。


 少なくともその一人は、まさにサネアツの真後ろにいた。一体いつからそこにいたのか、
一度始まった戦いが諸人の思惑を無視して加速していく中、音もなく接近されてしまった。

「…………サネアツさん」

「何だ、ユース? この愛くるしい子猫様に何か御用かな?」

 混雑した観客席最前列だが、サネアツの周りには人がほとんどいなかった。
 正確に言うのなら、前方にいるクーが抱える黒い兜の影響で周りに人がいなかった。小さな声を出すぐらいは何の問題もない……きっとそれだけが理由だ。背後に立つユースのクール度が増しているからでは、きっとない。

「俺も罪な男だ。メイドであるユースを、主の試合の最中だというのに夢中にさせてしまうとは。しかしそれはメイドとしてどうかと思う。むしろしっかりと選手入退場口のあたりで見守るべきだと俺は思う。さぁ、ハリー! ハリー! ハリー! 俺など無視してさっさと…………ふっ、早く言うべきは俺の方だということか」

 ギチリと食い込んでくる指に薄ら寒いものを感じて、サネアツは態度を真剣なものに変える。

「それで、何が聞きたいのだ? 俺の計画は完璧な形で終決しようとしている。もはや隠し立てをする必要もない。何でも質問してくれて構わんが?」

「……質問すべきはこれだけでしょう。リオン様と戦っているアルカンシェルの正体が誰かを見れば、筋道は自ずと理解できますから。
 サネアツさん、教えて下さい。あなたはリオン様を悲しませることが分かっていながら、この計画を実行に移したのですか?」

「もちろんだとも」

 本気の怒気が込められたユースの問いかけに、サネアツは即答を返す。偽る必要性などどこにもなかった。

「俺はジュンタ研究の第一人者だからな。ジュンタの様子を見れば、何をどう考えているかはだいたい分かる。偶に本気で分からないときはあるが……今回はそうではなかった。ジュンタが仮面を手に入れたあのとき、俺は全てを理解して、この演出を手がけたのだ」

「リオン様は望まれていました、ジュンタ様との再会を。……あの方がどうして生きているかはわかりません。ですが生きていたのなら、あなたがそれを知っていたなら、どうして教えてくださらなかったのですか? リオン様にすぐに会っていただけるよう、言ってはくださらなかったのですか?」

「それがジュンタの意志だったからだ」

 どこか悲しそうなユースの言葉にも、やはりサネアツは悩むことなく返答を返す。

「ジュンタには必要だった。会いたいと願うリオン・シストラバスと、胸を張って再会できる瞬間が。だとしたら悩む必要はあるまい? リオンの奴も、こうしてある意味では衝撃的な再会を果たすことができたのだからな」

 それは本気の言葉。偽りなどない本心。
 故にユースは怒気をおさめることはない。当然だ。それがシストラバス家の者――竜滅姫を何より大事に思う、紅き者の至極まっとうな反応である。

「……結果さえ良ければ、過程でどれだけリオン様が苦しまれてもいいと、サネアツさんはそう思われていたのですか?」

「そうは言っていないし、思ってもいない。できることなら彼女にも、また苦しまずに楽しんで欲しいと思っているとも。だがそれはあくまでも、ジュンタの意志に反しないことが前提だ。
 つまるところ、そちらがリオン・シストラバスを第一に考えているように、俺はただジュンタを第一に考えただけということだ」

 剣戟の木霊するリング。
 蒼天へと吸い込まれていく、むき出しの魂と魂とをぶつけあう素面の二人。

 サネアツは別にリオンのことが嫌いなわけではない。あの気高さには思うところもあるし、何よりジュンタが惚れたような相手だ。人間として魅力的じゃないわけがない――彼女からはトラブルの臭いがするのである。

 しかし、それでもジュンタとどちらを取るかと聞かれたら、迷い無くサネアツは幼なじみを取る。それが今回の演出において、リオン・シストラバスのことを後回しにした理由だった。自分がジュンタを第一に考えてやらずに、一体誰が考えてやるのだという話だ。

「俺やジュンタにとって、この世界はあまりにも新天地過ぎる。この世界に俺たちを無条件で守ってくれる親はなく、無条件で信じてくれる仲間はなく、無条件で助けてくれる神はいない。
 故郷の地で生まれてからずっと積み上げてきたものを、手放さなければいけなかったジュンタ――手放してまで旅立ったジュンタは、この地でまた再び最初から全てを築きあげなければならないのだ。なら、せめて俺だけは、最初からジュンタのことを無条件で支えよう」

 異世界が異世界であるがために――まだ始めたばかりの異邦人たちは、帰るべき居場所を見出していない。

 いや、サネアツはまだ良かった。最初からやってきた理由がジュンタのためであったし、何より彼の日々に便乗するだけでいい。帰るべきはジュンタの隣。帰るべき場所はあるのだ。けど、ジュンタにはまだない。半年間過ごした自分と違い、ジュンタにはまだ味方も少ない。力が足りない。 
 
 もちろん、ジュンタのことを考えてくれる人もいる。ユースやゴッゾ、エルジンもそうだ。
 だが、彼らにはジュンタの前にリオンがいる。それが当然。そうでなければおかしいと言えるが、だかこそ今回彼らはサネアツの敵側にいた。

「此度の武競祭で、境界線がはっきりと見やすくなった。今回ジュンタの側についた人間が、ジュンタの手に入れた味方。敵に回った人間が、未だ手に入れていない味方……」

 絶対に力を貸してくれる、ジュンタをご主人様と慕う――クーヴェルシェン。
 ジュンタの友人となった義理堅い、良くも悪くも明るく軽い男――ラッシャ。
 過去のために『竜滅紅騎士』となったジュンタに力を与えてくれる――トーユーズ。

 ここに自分を含めた者が、ジュンタの側についた味方。
 もしも今回のようにシストラバス家を敵に回したとき、こちら側に力を貸してくれる人間だ。

「俺の行いを非道を貶すのなら、ああ、貶すがいいさ。そのときは俺も最大の侮辱をもって、シストラバス家の在り方を貶そう。や〜い、や〜い、ツンデレが多いぞシストラバス家、と」

「サネアツさん…………ふぅ。そう言われてしまったら、返す言葉はありませんね」

 ユースの手から力が抜ける。背中を向けているために表情の見えない彼女が、だけど苦笑したように思えた。

「なるほど、反論の余地すらありません。我らシストラバス家の生き方はリオン様が中心にあってこそ。であるなら、ジュンタ様を中心に置くあなたが述べたことは、決して否定できない、してはいけないことなのでしょう。結果的にリオン様も笑うことができそうなだけ、ありがとうございますと言うべきなのでしょうか」

「礼には及ばん。今回は俺に有利すぎた。次あるかも知れないその時、過程がどうあれ結果としては皆が笑っていられるよう、そちらに恩を売ったに過ぎん。何よりそっちの方が楽しいのでな」

「……今回は全て、サネアツさんの手のひらの上で転がされていた。それ以上でもそれ以下でもなかったわけですね」

「ふっ、猫の手は非常に転がしやすいということだな」

 冷気が消え、耳にはまた剣戟の音が戻ってくる。
 ジュンタ自身に自覚はないだろうが、サネアツが数えた勝利の策の六つ目――素顔を晒すことによる相手の動揺を誘うという、リオン限定の必殺技は功を奏しているよう。

 試合は続く。ぶつけ合いはまだまだ続く。別れていた時間を埋めるまで、擦れ違っていた時間が重なるまで、見ていて飽きない二人はクルクルと踊る。

「…………ところで、そろそろ手を離してくれると嬉しいのだが?」

 そんな二人を見つつ、サネアツは背中に向けられた静かな怒気が未だ健在なことにしっぽをピンと逆立てた。

「……サネアツ様のお言葉は理解しました。完璧だと思われます。しかし僭越ながら、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「な、何をだね?」

「その理由なのでしたら、別に私にあのような嘘をつく必要性はなかったのではと思いますが?」

 やけに丁寧な口調が恐ろしい。主のために怒るという竜滅姫の従者としてではなく、一人の女性として十円ハゲでも作ろうとしているかのような視線を向けてくるユースは、その手に力を込め続ける。

「……仕方がなかろう」

 サネアツは我が身の罪深さをニヒルな笑みで皮肉りつつ、あの日、嘘を言わねばならなかった理由を口にする。

「その方がおもしろそうであったし、何より赤くなって慌てるジュンタが萌――

「報復を了承してください」

 その後のサネアツの言葉は叫びになっており、意味は伝わらない。ただ、周りの人たちをさらに遠ざける光景のみを作り出す。

 そこにあったのは――子猫の頭を鷲掴みにする、無表情で小さく笑うメイドという光景だった。
 



 

       ◇◆◇





 

 ぶつかり合う剣戟の音は激しく、鋭く――二人の戦いの優劣は、今や誰の目に見ても明らかだった。


 強力な威力を持つ大剣も、鋭く軌道を変える片刃の剣も、その真価を発揮することなく紅き剣の猛攻の前に剣の形をした盾と変わる。


 一撃一撃の繋ぎが上手い。ただの一撃も容赦がない。

 全力全快の斬撃の閃光――どの辺りに身体の不備があるのかと思わず尋ねたくなるほどに、リオンの攻撃はジュンタには圧倒的だった。


「くっ!」


 クリスナとの戦いの時のように剣で受けきれなくても甲冑で防げるということはなく、エルジンの時のように教示のために手加減されてもいない攻撃は、防戦一方にならざるをえないほどのもの。


 やはり違う。今の自分の実力に比べれば、リオンという少女の力量は圧倒的に上だった。


 大剣を巨大な盾として、片刃の剣を最終防衛ラインとして、本来左右で矛と盾とする双剣の両方を、どちらも盾としてジュンタはリオンに対抗する。


 十をとうに越え、二十を越え、三十を越え、五十へと迫る斬撃の嵐。

 暴風でありながら見る者を魅せるリオンの剣を受け、ジュンタは心地良いしびれと共に身をもって再認識する。


(リオン、やっぱりお前はすごい)


 さすがに素顔を晒したときは驚いたようだが、それでも今ではこれだけの攻撃を加えられるに至っている。


 リオンは間違いなく、騎士として一つの完成へと到達している。

 それは眩いほどに、貴いと思えるほどに、なんて美しい姿なのだろうか。
 
遙か古より受け継がれし血の定めを受け継いだ、今代の竜滅姫。大貴族としての気品と騎士の風格とを合わせ持った彼女は、最後に渾身の突きを放ったあと間合いを大きく取って離れた。


「まだまだ、こんなもんじゃ……!」


 逸らし弾く双剣の防御を貫いて、肩を甲冑ごと浅く切り裂いていったリオンの最後の突き――その痛みに笑みを強めながら、ジュンタは十メートルの間合いを外したリオンに戦慄と敬愛を混ぜた視線を送る。


「さすがだな。正直、ここまで力の差があるなんて思ってなかった。やっぱり、実際に戦ってみないと分からないもんだな」


「…………」


 黙りを決め込んでいるのか、話しかけてもリオンは何も答えてくれない。
 剣を右腕一本で構え、左手を後ろに身体を半身にし、静かににらみ据えて来るだけである。


 それも仕方がないことなのか。ずっと騙していたという事実は、きっとリオンには憤慨ものなのだろうから。清廉潔白な騎士は、そういう隠し事を非常に不愉快と思う人種だ。リオンはその中においてもとりわけ高潔な奴だから、きっと許せないに違いない。


 リオンの紅い瞳が怒りに静かに燃えている。
 
鋭い目つきをさらに鋭くして、気配を尖らせ剣の切っ先に乗せ、


「…………どうして、今更……」


 リオンは消え入りそうな声で、そう呟きもらした。


「リオン?」


 ずっと彼女に集中していたから、観客の声に紛れて消えそうな小声を耳に入れることがジュンタにはできた。


 寂しそうな声を、こんな時どんな顔をしたらいいのか分からないといった強ばった表情で口にしたリオン。こちらに向ける切っ先を僅かに揺らして、彼女はさらに弱々しくもらす。


「どうして、今更あなたが出てきますのよ……どうして、今更……あと二つで戦いも終わりだというときに、どうしてあなたがここで出てきますのよ? 最初ではなく!」


 最後に叩き付けるように叫んで、リオンは真っ直ぐに斬りかかってきた。


 速い踏み込みながら、迷った切っ先はジュンタの身体までは届かない。

 そこから続く連撃も、力押しなだけでキレがない。それは先程とはまるで違う、迷いで揺れ続ける攻撃だった。


 エルジンは騎士の剣は心の鏡だと言った。

ならば揺れるリオンの剣こそ、今の彼女が抱く本当の気持ちだということになる……リオンの感情は、戦いの場においてももう隠しきれないほどに大きく揺れているのか。


「リオン、お前は……」


 軽く払えるほど単調なリオンの攻撃を、ジュンタは大剣で払って、今度は自分から距離を取る。


 一瞬向かってこようとしたリオンの足は、続くジュンタの質問に止まる。


「お前は、何をそんなに苦しんでるんだ?」


 足を止めたリオンは、自嘲するようにジュンタを嘲笑う。


「苦しんでいる? この私が? ふんっ、一体なに馬鹿なことを言ってますのよ。本当に、久しぶりに会ってもあなたの馬鹿さ加減はお変わりないようですわね」


 どこか虚勢を張ったリオンの言い草に、ジュンタは心苦しそうな表情となる。


「久しぶりじゃないだろ。だって俺とお前は、もう十日近くも前に会ってたんだから」


「っ! あんな仮面越しの再会を、あなたは再会と呼びますの!?」


 リオンの怒気が膨らんで、彼女の身体が弾かれるように向かってくる。

 リングを砕かんばかりの踏み込みの重さ。ロケットのように剣を突き出してくるリオンにジュンタは反応して、片刃の剣で受け流すことに成功する。


「……そうだな。俺にとってもそうじゃなかったんだ。ならお前にとっても、あれは俺に会ったことにはならないか」


「そうですわよ! あなたとは今ここでようやく、ようやく……!」


 感情の振れ幅に合わせ、リオンの剣は縦横無尽に奔る。


 右から左に。上から下に。左から右に。下から上に。真っ直ぐに――その全てを何とかいなし、ジュンタはリオンからの声だけに耳を傾ける。とんでもない速度での斬撃だが、それでもここで倒れるわけにはいかないから。まだ決定的な答えを聞いていないから、何とか凌ぐ。

 

「ようやく、ですのよ。あなたが無断で私の前からいなくなってから、ようやく先程再会しましたのよ!」

 剣戟の合間に聞こえる声。


「アルカンシェルだなんて馬鹿げた名前ではなく、あなたがあなたの名前で私の前に。これが――


 それは泣きそうなほどの――


――これが、冷静に攻撃などできるものですか!!」

 ――――怒りに溢れた歓喜の叫び!


「つぉっ!」


 ジュンタはここに至って、リオンの剣が揺れていた理由を察した。

 それは多くがそうであるように、恐怖に、寂しさに、困惑に揺れていたわけではなく……怒りを爆発させる前に赤くなって震えるように、彼女はただ本当の爆発の時を待っていただけなのだ。


 揺れ幅はここに一つの収束を見せ、故にリオンが浮かべるのは怒りの形相。


「最悪ですわ。ええ、最悪ですわよ! あなた何私に黙って突然屋敷からいなくなってますのよ? 誰がそんなことを許しましたか?! あなたには私を傷物にした責任を果たす義務がありましたのに、それをよくも放棄してくれましたわね!」

「だ、誰が誰を傷物にしたって?」


「あなたが私を、ですわよ!」


 ギチリ、とクロスさせた双剣の間にリオンが力一杯剣を振り下ろしてくる。

 そのまま二人は互いの剣を挟んで、顔を間近に接近させて睨み合う。
 リオンはストレスを発散させるように、ジュンタは久しぶりの彼女の爆発を受け止めながら。


「忘れたとは言わせませんわよ。私の貴い裸体を視姦したのは、卑しいジュンタ・サクラという不埒者ではありませんの!」


「あ、あれは偶然の事故だし、もう過ぎた話だろ! いつまでもグダグダ言うな!」


「なんですって!? 私の裸はそんなに安くはなくてよ! あなたには一生をかけても償い切れないほどの罪にして幸福なのですから、そんな勝手な言い草は許しませんわ!

ええ、あなたが勝手に屋敷から抜け出したこと! 半年も義務を放ったらかしにしていたこと! 私は決して許しませんわ!!」

 剣を思い切り振り払うリオンに、ジュンタは突き飛ばされるように弾かれる。その際、以前オーガに攻撃を受けたときに耳にした金属音が響き渡る。


 見れば、エルジンとの苛烈な打ち合いを経た何の魔法的な付加もされていない大剣が、ちょうど刀身の半分から完全に折れていた。内側と外側、両方の負荷に耐えきれなくなったと物語るかのような折れ方だ。


「言ったはずですわよ。私は――リオン・シストラバスは、あなたから受けた仕打ちに対し、必ず相応の報復を与える、と」


 リオンはジュンタの懐に一瞬で踏み込んで、剣の切っ先を向けて宣言する。

 自信満々に誇りを見せつけ、相手を無視しての宣言は、いつかどこかで見たのと同じ悪辣すぎる宣言で――

「騎士の誓いは変わらぬもの。未だあなたへの報復を果たしていない今、あなたは私の傍に居続ける義務があるんですからっ!」


 ――そしてそれがリオン・シストラバスが半年の間溜め続けていた、本当の気持ちなのだった。


「それなのに、ジュンタは勝手にいなくなりましたわ! 折角死ぬ必要がなくなったといいますのに、折角何の縛りもなくあなたに報復の屈辱を与える機会に恵まれましたのに、ジュンタ・サクラは私の隣から勝手にいなくなりましたのよ? それ一体どういう了見ですのよ?! 私がどれほどの怒りを、あなたとの再会の時を思って溜め込んできたと思ってますのっ!」


「え? あ、いや……」


「去ったのは仕方のないことだと思ってましたら、あなた一体何なんですのよ? 何かをやり終えたあとすぐに私の元に戻ってくるのではなく、こんな場所でアルカンシェルだなんて意味不明な仮面をつけて遊んでいて――その間、私がどれだけ大変だったの思ってますのよ?!」


「あ、あの、リオンさん……?」

「どこの馬の骨とも分からない相手と強引に見合いをさせられる日々! それが終わったと思ったら、今度は優勝者と結婚しろなんていう勅命! 私の乙女な憧れは一体全体どこに追いやられてますという話ですわよ! 本当の本当に最低最悪ですわ!

なのに、どうしてあなたはそんな私のストレスの捌け口となるために、王城で会ったときに自分がジュンタだって言いませんのよ!? その後もそう……あなた、私を騙して笑ってましたのね? 私の不幸を見て喜んでましたのね? なんて悪辣な悪戯ですのよ! 私は――

 ガーと吼えて、リオンは次から次へと様々な愚痴を口から出し、剣をさらに突き出してくる。

 そして、真っ赤な顔で力一杯言い放った。


――私は、ジュンタに一刻でも早く会いたかったって言いますのに!!」



 色々な意味で圧倒されていたジュンタはそれを避けるでもなく、受け入れる。リオンの刃は顔のすぐ横を通って、頬に一線の切り傷を付けた。


 リオンの怒りに比べれば、それはあまりに小さな傷。

 赤い血が頬から流れ出た温かさで、ジュンタはようやくその結論に辿り着けた。


 エルジンが怒り、トーユーズが背中を押してくれたから気付けた、リオンの心……自分は本当にリオンという少女のことをまったく考えずに、アルカンシェルだなんて名前を名乗っていたということが、よく分かった。


 リオンが放った言葉――それがリオンの本音だ。


 そこにはどんな感情があるのか。自分が大変な目にあっていたというのに、のほほんとしていたことに対する怒りか。それとも勝手にいなくなったことに対する怒りか。あるいはその他の感情か…………きっと、その全てだ。


 全てを全てひっくるめて、一言じゃ言い表せられない感情で、リオンは望んでいたのだ。一日でも早い、サクラ・ジュンタという少年の帰還を。


 考えてみれば当たり前のことなのか。本当に痛快な日々は、誰にとってもそうだから完成する日々なのだ。

 一人でも欠けてはいけない。一人でもつまらないと思っていたらいけない。

 ならば、ジュンタがリオンとの日々を最高に楽しいと感じていたように、また逆も然りだったのだ。リオンという少女も、等しくその日々を楽しいと思っていたのだ。


 だからエルジンは怒った。そんな日々を取り上げて、謝るでもなく会いに来るでもなく、自分のプライドだけでリオンに正体を隠していたジュンタという大馬鹿者を。助けたことで満足して、今のリオンのことを考えなかった阿呆を。


(そうか、俺は……)


 荒く息を吐きつつも、頬の隣の刃は離さないリオン――ようやく気付けた自分の馬鹿さ加減を存分に味わってから、ジュンタは本心を口にした。



――俺もだ。俺も、ずっとお前に会いたかった」



 まっすぐに伝えると、リオンは怒気を霧散させて、動揺の赤を頬に差す。


「なら、どうしてすぐに会いに来ませんでしたのよ? こんな嫌がらせみたいに、武競祭に正体を隠して参加して……」


「本音を言えば、半年前いきなりあんな風にいなくなって、それでただ帰るのが恥ずかしかったというか決まりが悪かったから、お前に会えなかったんだ。せめてこんな嫌がらせみたいな勢いがないと、俺は会う勇気が持てなかった。

 結局それがお前を怒らせる原因になったなら、それは俺が全面的に悪い。俺にとってはプライドよりもそういうことの方が大事だから。だから、ゴメン。……でもリオン、俺がお前にずっと会いたかったのだけは本当だ」


 故郷を後にしたのも、リオンが原因というか理由だ。
 
武競祭に参加したのだって、始めこそ『雌雄決す場にて頂に立つ』なんていう三番目のオラクルが原因だったが、本気になったのはリオンの結婚騒動の噂を聞いたからだ。


 その後色々な人に助けてもらって、負けられない理由が増えて、勝ちたいっていう気持ちが大きくなっていったけど、根本的なところにあった勝利への欲求はリオンの存在故にだった。それを見失っていたのが、サクラ・ジュンタとしての小さな間違い。


 それが恋愛的な意味かは置いておいて、間違いなくジュンタの世界にはリオンがいた。

リオンがいたからこその世界だった。それを認めよう。恥ずかしいけど、ジュンタは認めた。


 剣を降ろすリオンに対し、ジュンタは残った一振りの剣を両手で握る。


「許してくれなんて言わない。今更虫が良すぎるってことは自分でも分かってる。
 だから、俺は俺が望んだ結末を迎えるために、お前に勝つ。お前に勝って、次の相手にも勝って、せめてお前が望まない結婚なんてしないで済むように、俺が優勝してやる」


「……私、分かりましたわ。いつかあなたは私を我が儘だと言ってましたけど、本当はジュンタの方が私よりずっとずっと我が儘でしたのね」


 クスリと笑って、リオンは後ろに下がって剣を構える。


 口元に微笑みを残したまま、リオンは視線だけを鋭く輝かせた。


「ですがそれを信念と言い換えるなら、ジュンタ、あなたは間違いなく強い信念を持っていますわ。もっとも――


 リオンの身体が、握る剣が、熱を出して赤く燃ゆる。

 さながら不死鳥が己の威容を示すかのような魔力が、リオンの身体を覆っていく。

――私の信念の方が、あなたよりも遙かに上ですけど」


「……それだと、お前の方が俺より遙かに我が儘ってことにもなるんだが?」


「う、うるさいですわよ! 人の揚げ足を取るのではありませんわ!」


 赤くなって叫びながら、しかしリオンの集中は微塵も揺らがない。
それは軽口を叩いたジュンタも同じだった。

 バチリ、バチリとリオンの魔力すら凌駕する魔力を、虹色のスパークとしてジュンタは現出させる。一刀だけになってしまった剣の刀身が、塗りつぶされるほどの雷気を纏う。


英雄種(ヤドリギ)』の剣――それは持ち主の魔法属性や魔力性質、特性や精神、魂の形までもを読みとって自ら進化する神秘の剣。相棒とするのなら、これ以上のものはないと断言できる剣。


 ジュンタの剣となった無骨な片刃の刃は、虹色の雷を普通の剣の何倍もの密度で高めていく。
 それは『魔法使いの杖』――魔法の制御を補助してくれる、見習い魔法使いが使うという杖のような効果でしかない。が、それでも少しでも制御を手助けしてくれるのならありがたい。

 

身体を包む魔力よりも遙かに多く、英雄の剣とも愚者の剣ともなれる剣は、未だ定まらない旅人の剣として全力を尽くす。

魔力付加(エンチャント)――ジュンタの全てが加速する[加速付加(エンチャント)――使徒としての膨大な魔力により支えられた速度が、ジュンタにあり得ない速度をもたらす。

――挑ませてもらうぞ、リオン」


――挑んできなさい、ジュンタ」


 一際大きなスパークを足下で起こし、ジュンタは切っ先を真っ直ぐにしてリオンに突き進む。


 十の距離を一瞬で詰め、虹色の半円を描きながら刃はリオンの身体へと叩き付けられる。
 だが相手もまた、一流の騎士であるリオン。彼女の無意識下で働いた[
魔力付加(エンチャント)]に近い現象が、長年鍛え上げられた力が、容易く討ち取らせてはくれない。


 一撃、二撃、三撃と加速する刃は、すでに振るうジュンタですら目で追えないほどの剣速を魔力によって実現させる。


「速いだけでは――勝てませんわよ!」

 それをリオンは天賦の才とも呼べる反応速度で避けきり、逆に返礼の刃を返す。

「相手の予想すら超えられれば、速いだけで勝てる!」

 一番最初のぶつかりあいのように、ジュンタの一方的な防戦にはならない。――否、すでに防御すら忘れるほどに、ただ攻撃の応酬が続く。

 ぶつかり合った刃の間で虹色のスパークと紅の火花を飛び散らせながら、観客を魅了する剣戟は続く。しかし二人に観客のことはもはや頭になく、今はただ、相手だけを見つめていた。


「大した物ですわね。剣術以外で、こうも力を底上げするなんて」


「生憎と、時間がなかったもんでな」


 離れたと思った矢先、ぶつかり合ってギリギリと鍔迫り合いをする二人。

 ジュンタの魔力性質である『加速』以外のもう一つ、『侵蝕』がリオンの剣を侵そうと蝕んでいく。それをリオンは『封印』の魔力で押し返す。


 魔力と魔力。剣と剣――
きっと色々なものが正反対に近い二人の激突は、やがてジュンタが自分の明らかな劣勢を悟ったあと、雌雄を決するために一撃勝負に移る。

「私をも越える魔力のソレは確かに驚愕に値しますけれど、それでも私の剣の腕には到底及びませんわ。今なら堂々と胸を張って降参できますが、いかがかしら?」


「冗談だろ? そんなことしたら、俺は大勢の人たちから顰蹙という名の愛の鞭を受けることになる。それを考えれば、重度の筋肉痛になっても俺はお前を倒す道を選ぶよ」


「最高におもしろい口上ですわね。ではあなたの本気の本気を、私に見せてみなさい!」


「言われなくても、そのために俺は戦ってきたんだから」


 全力で向かってきてくれるリオンに自分の存在を示すために、ジュンタは自分でも制御できない量の魔力を汲み取っていく。


 これまで以上の魔力が[
魔力付加(エンチャント)]へと流れていく。
 
身体を包む雷が、剣を包む虹が、遠慮なく注がれ飽和していく。

 
行き場を失った魔力が、荒れ狂う雷雲の如くジュンタを中心に蠢く。
 
弾ける雷気が大気を歪め、肉体のリミッターを外し、際限のない加速を生み出す。それこそがジュンタの本当の最強攻撃だった。

「これを使うと、もしかしたらクーに怒られるかも知れないけど……」


 自爆技を使うなと言った手前、自分がそれに近いことをしているのは少々どうかと思うも、ここで負けるなんて考えられない。


 勝ちたい。勝ちたい。勝ちたい。リオンに勝って、武競祭で優勝したい。


 勝利への渇望を、求めを、力と思い切りに換え、無茶苦茶な魔力を剣の切っ先に集中させていく。


「これはまさか――
稲妻の切っ先(サンダーボルト)]ですの!?」


 リオンが、ジュンタが何をしようとしているかに気付く。

 魔法属性・雷の系統――稲妻の切っ先(サンダーボルト)


 雷で身体のリミッターを外し、自分の身体を巨大な魔力の弾丸と変えて敵にぶつかる、ある意味では特攻に近い魔法。ジュンタはこれを無茶苦茶な術式で、膨大な魔力を注ぎ込むことによって擬似的に再現する。

 バチバチとさらに魔力が溢れ、切っ先に集う。


 天より落ちる雷のソレに近い膨大な熱量を発現させて、鋭い雷気を渦巻かせて、剣はただ一撃だけの威力を生む。


(リオンは魔力を軽減する。もっと、もっと強くなれ!)


 その次の瞬間に起きた現象は、ジュンタの望みであり、だけど想像の範疇外のものであった。


 ――オォオオオオオオオオオッ! 


 荒ぶる獣のような雄叫びが、ジュンタの内より唸りを上げる。

 それはジュンタの纏った漆黒の甲冑――かつてドラゴンだった『竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』が、持ち主の願いに共鳴している音だった。

 漆黒の甲冑が共鳴反応を轟かせ、魔力を肥大化させていく。


 もっと強く。もっと激しく。相手を喰らうほどに強く。何者にも侵されない絶対の意志を貫こう――迸る虹色の魔力は、ついには世界すら『侵蝕』し始める。その辺りが限界と感じ、ジュンタは両手で真っ直ぐリオンに切っ先を向け、睨みつける。

 
紅の燃える瞳が睨み返してくる。口元には笑みが。
 おもしろい、とジュンタもまた口角を吊り上げ、そして――――咆哮はここに。

「ぁぁああああああアアアアッ!!」


 刹那――王城コロシアム全てを染め上げる虹色の稲妻が、真横に駆け抜けた。


稲妻の切っ先(サンダーボルト)]が大気を切り裂き焼き焦がす絶叫は、聞く者全てに戦慄を走らせる咆哮に似ていた。

 そしてその咆哮の持ち主が放つ息吹のように、極大の雷は刹那においてリオンへと到達する。


 稲妻の如き一撃は、まさにドラゴンブレス。
 
人ならば一瞬で焼き尽くす終わりの魔獣の業火。それを受けた相手は灰も残らず消えよう。

 しかし例外は存在する。そしてその例外こそ――リオン・シストラバス。


「はぁあああああああァアアッ!!」


 古より竜殺しを担う一族に生まれ、その身に宿命の血と共に全ての力と義務を受け継いだ、今代の竜滅姫。
それがドラゴンの力であるのなら、それを討ち果たすことこそがリオンという少女であり、彼女が持つ『封印』の竜滅の血であり、最高のドラゴンスレイヤー。

 怒濤の稲妻がリオンの烈昂の気合いと共に振り下ろされた刃に触れた瞬間、切り裂かれていく。

 加速し続ける巨大な運動エネルギーを受けて、リオンの踏む足場が崩れかける。それでも騎士である少女には微塵の揺らぎもない。


「…………ああくそっ、悔しい、な……」

 そう、いつだってリオン・シストラバスは綺麗だった。憧れるほどに、彼女は綺麗で…………







 果たして、全ての虹が傷跡と共に虚空へと消えたとき、そこには悠然と立つリオンの姿と――


「……絶対優勝しろよ、リオン」

「当然ですわ。私が敗北などするものですか」


 ――悔しそうな、でも満足気な笑みと共に、グラリと倒れるジュンタの姿だけが残った。


 虹が全ての視界を塗りつぶしたと思ったら、それが消えたときには全てが終わっていた。

 観客たちは、ただリングに立つ紅い少女の姿を見て、この戦いの勝者が誰となったのかを知る。


 レフリーが、その勝者の名を高らかにあげた。

「勝者――リオン・シストラバス選手ッ!」

 

 爆発するような歓声と拍手に、リオンは全てを吹っ切った気持ちのいい笑顔を見せた。

 そんな風に笑うことができた騎士の前に、もはや敵などは存在しない――一人の少年がもたらしたその満面の笑みがある限り、リオン・シストラバスの武競祭優勝は、もう決まったも同然であった。






      ◇◆◇







 仮面を外して素顔を晒したアルカンシェル。

その敗北を水の膜に映された映像で見て、静かに暗がりの中で女性は微笑む。

 
別に彼が敗北したことを嘲笑ったのではない。ただ、とてもがんばった彼がかわいく思えて仕方がなくて、思わず笑ってしまったのだ。


「なるほど、とても楽しい方のようですね」


 ゆったりとしたソファーに身を沈めながら、女性は同じ貴賓者用の一室で一緒に、魔法の水鏡で試合を見ていた男性の様子を横目で見やり、彼には聞こえないよう呟きをもらす。

「さて、どうやらあの方はシストラバス家にもご縁があるようですが……」

 戦っていた二人の内、リオン・シストラバスの父親である――ゴッゾ・シストラバス。

 高き貴族の当主である彼が、アルカンシェルの素顔を見て絶句した姿は非常に珍しいと言えた。
 幾度か言葉を交わし面識のできた彼からは、策略家という第一印象を受けた。それは後々子煩悩な男性に変わったのだが、それでも驚きを素直に面に出すタイプでないことには変わりない。


 それでもアルカンシェルの正体を見て、誰でも分かるほどにゴッゾは動揺した。

『ありえない……』と呟いた彼は、喜んでいるような、戸惑っているような、そんな驚き方をしていた。


 その動揺は現在、いくらか落ち着いているように見えるが、試合が終わったのにもかかわらず未だ彼は悩んでいる。


 ゴッゾが一体どんなことを悩んでいるのかは分からない――だから、静かに語りかけるように質問を投げかけた。


「ゴッゾさん、何か今の戦いに問題でもありましたか?」


「いえ、特に問題は……ええ、ありません」


 話しかけると、ゴッゾはすぐに姿勢を正し、柔和な笑みで返してくれる。

 どうやら彼の中で、疑問は取りあえず横に置いておく形で消化されたらしい。なら、そろそろこれからについて話し合ってもいいだろう。


「わたくしが見た限りでは、リオンさんは問題なく武競祭で優勝すると思いますよ。ああいう風に笑える人は、とてもお強いですから」


「はい。次の対戦相手であるエルフリージ家の代表は、裏で色々と汚い手を講じてきましたから。それだけでも十二分に失格には追い込めます。もっとも、リオンが試合で勝てるのであれば何の問題もありませんが」


「それでは、わたくしの出番はないようですね。リオンさんへの理不尽な勅命は取り消さなくても、彼女は自分の力で勝利を勝ち取るでしょうから」


「……すみません。わざわざご足労していただいたというのに」


 立ち上がって頭を下げるゴッゾに、女性は首を横に振って、ほっそりとした手を頬にあてる。


「構いません。ナレイアラ様の血筋を守ることは、今を生きるわたくしたちの当然の役目ですし、それに一人の女として本人を無視した強引な婚姻などは認められませんもの。

 それに――ふふっ、とても有意義な時間を過ごさせていただきましたから。お礼を言うのはこちらの方ですよ」

 にっこりと微笑んで、女性は暗がりに浮かぶ水鏡が映す映像を見つめる。ゴッゾには聞こえない音量で、再度呟きをもらした。


「ええ、本当に。あの子とこんなところで再会できるだなんて思ってもみませんでした」

 

 クスリと金糸の髪を暗がりで輝かせ、女性は上品に笑う。


 ツンと尖ったエルフの証である耳を持つ女性は、じっと映像を見る。


 その視線は映像の中、倒れたアルカンシェル選手の元へと観客席から駆け寄る、準々決勝でリオン・シストラバスと戦った、かわいらしいエルフの少女を捉えていた。


 しっかりと――――その金色の瞳で。






 第一回レンジャール武競祭は決勝戦のあと、すぐに勲章授与式及び閉会式へと移行した。


 リングに建設された仮設舞台の上、武競祭の開幕者であるイズベルト国王陛下が、大きなメダルを手にありがたいお言葉を並べ立てている。
それを目の前で立て膝をついて耳にするリオンには、長々と話をする国王陛下が、自分にメダルを渡すことを渋っているように見えた。


 少なくとも喜々とはしていないだろう。国王陛下にしてみれば、優勝者は他にいることこそが望みであるのだから。そのメダルを、意味のない竜滅姫本人に渡すことは心苦しいに違いない。


「あ〜よって、この勲章を授与する」 


 しかしそれも試合の余韻から醒め、長すぎる国王陛下の話に白けつつある観衆の空気に後押しされて終了する。


 イズベルト国王陛下は一歩前に足を踏み出し、リオンの首へと金色のメダルをかけた。


「第一回レンジャール武競祭優勝者――リオン・シストラバス。汝の武勲にふさわしき名誉の形として、この勲章を贈るものとする」


「ありがたく頂戴いたします」


 勲章を受け取ったリオンは、そのまま面を上げて後ろに下がる。

 入れ替わりに二位の選手が、先程ボコボコにされた顔のまま国王陛下の前に進み出る。何かと王宮から優勝を期待されていた選手である彼に、国王陛下が引きつった笑みと共に二位のメダルを与えた。


 続いてジュンタが気絶から目を覚まさなかったため、不戦勝で三位となった選手が国王陛下の前に出る。

 

 それを毅然と背筋を伸ばして見ながら、リオンは堪えきれない笑みを口元に浮かべる。
 
首にかけられたメダルの重さにようやく優勝の、何より政略結婚を自らもって打破したという実感が沸いてくる。『良くやりましたわ』と大声で自分を褒め称えたいほどに、とても嬉しい。

「それでは、諸君らの変わらぬ武への姿勢に期待する。以上」


 イズベルト国王陛下の退場のあいさつに、三人の受賞者は揃って礼をする。

 その頭が上げられたのに合わせ、割れんばかりの歓声と拍手が観客席から響き渡った。


 これまでのどの試合の時よりも大きく、強い、歓声と拍手の音。

 その拍手に包まれたリオンは、胸を張ってかけられたメダルの輝きを主張し、余韻に浸るように目を閉じた。

 ……この半年、色々とあった。


『双竜事変』の日から、ランカの街のことだけではなく、色々な問題が起きた。それを解決すれば次の問題が起きて、本当に大変だった。その最たるものがこの武競祭だったのだが、自分はこれをもクリアした。


 これで終わり。本当に終わりだ。『双竜事変』に端を発した事件が全て、本当に終わったのだ。


 今日までよくがんばった自分に、自分を支えてくれた人たちに心の中でお礼をしながら、リオンは瞼を開く。


 人々――祖国グラスベルト王国に住まう、多くの人々。

 誰も彼もが讃える声をくれる。喜びを胸にするリオンには、その拍手の音が至高の賛美歌のように聞こえた。

 

「リオン選手、最後に是非一つスピーチをお願いします!」


 そこへ話しかけてきたのは、何かとおかしな紹介をしていた騎士アブスマルドだった。


 彼は魔法のマイクを片手に近寄ってきて、笑顔で差し出してくる。

 閉会式も終わった今、最後に優勝者に言葉をもらいたいと言うことなのだろう。


「構いませんわよ」


 リオンはアブスマルドからマイクを受け取ると口元に近づける。その動作で、会場がシンと静まりかえった。


 聴衆は一人の少女に注目する。リオンは大勢の人々へと、自分の感激を伝えるように話し出す。


――強さとは、決して折れない心にあると私は思っています』


 白熱した勝負は一人の優勝者を選び出し、今、その優勝者であるリオン・シストラバスは、武競祭の参加者全ての上に立った者として語る。


『剣はその心を映す鏡であり、力そのものではありません。本当の強さとは、その剣を執る者の心の内にあると私は思います。曲がらぬ意志こそ、貫こうという信念こそ、譲れぬ想いこそ、誇れる誓いこそ、本当の強さだと私は思っています』


 参加者一人一人に、きっとそれぞれ譲れぬ想いがあったことだろう。
 ならば彼らに勝った自分は、誰よりも強い想いを持っていたということになる。例え誰がなんと言おうと、勝った者として、自分の想いこそが一番だと誇示しなければならない。


 それがリオンの思う勝者の義務であり礼儀。


『今日までの戦いを見て、きっと強くなることを夢見た人がいると思います。そんな人は心に一つだけでもいいですから、誰にも負けない、譲れない、誇れる想いを持ってください。それがなんであれ、それがきっと自分だけの強さに繋がるでしょう』

 それを語る。声のない浸透を目で見て、そこで一度リオンは言葉を切る。


 観客を一周、その場で回って見渡す。

 この中に、自分が準決勝で倒した相手はいない。彼はまだ、運ばれた王都のシストラバス邸できっと眠っていることだろう。


 ここにはいない――ならば、とリオンはほんの少しだけ本音を語ることを決めた。


『そしてもう一つ、強くなるために必要なものとして、本音を言える友が必要です』


 ジュンタ・サクラ――


 アルカンシェルなんていう偽名で登録し、武競祭に出場していた不埒で無礼な男。
 本来いるべき場所からいなくなって、ずっとそのまま姿を見せなくて、ようやく現れた男。


『どんなに強い人でも、強いと思っている人でも、時折弱くなってしまう時が必ずあります。
 
苦しいとき、悲しいとき、寂しいとき辛いとき……そんなときに正直に気持ちを伝えられる相手が、分かち合える友がいることは、とても幸せなことです。私はこの大会で、それを知りました』

 

 今ならはっきりと言える。どうして自分が彼のことを、ずっと気にしていたか。


 それは初めて愛の告白をしてきた相手だからというだけではない。それがないとは言わないが、それだけじゃない。自分が彼のことを気にしていたのは、彼ならばどんなことでも言えたからだ。


 友人はいる。たくさんいる。父親やユースのような、頼りになる人もいる。
 だけど彼らには、竜滅姫として恥ずかしいところや弱いところを見せたくないと思っている。見せられない。弱音は吐けない。

けれど、ジュンタだけは少しだけ違う。

確かに格好悪いところを見せたくないという気持ちで言えば、彼に対する方がよっぽど上だ。だけど彼には怒っているところも、弱いところも見せている。ジュンタと一緒にいたら見せてしまったと言い換えてもいい。

 リオンという一人の少女としてぶつかれたのは、たぶんジュンタ・サクラという少年が、何でも受けて入れてくれたからだろう。


『私にも、そんな人がいます。何だって言えるような、何だって分かち合えるような人が、います。その人は不埒で無礼な、とても失礼な野蛮人です』


 言葉を続けながら、ほんのささやかな時間ではあったが、一緒に過ごした友人のことをリオンは考える。


『だけど――それがどんな出会いであったとしても、どんな過程を経たとしても、今ははっきりと分かります。言えます。その人は私にとって、かけがえのない人なのだと。楽しいことがあったとき、悲しいことがあったとき、まず最初に会いたいと思える人なのだと』


 どんな辛いことも悲しいことも、怖いことも、悔しいことも受け入れて、後悔などせずに彼は笑おうとするだろう。


 日々を楽しんで、笑って、最高に痛快な日常と変えてしまう。
それはとてもとても楽しいに決まっている。そんな彼の世界に、誰も彼もが強引に巻き込まれてしまうのだ。

全てを受け入れ、日常すること――それがジュンタ・サクラという人間なのかも知れない。

リオンは思う。自分がリオン・シストラバスとして生まれてこなかったなら、自分はジュンタ・サクラとして生まれてきたい、と。


『そんな人が隣にいれば、きっとどんな辛いときも笑えるでしょう。そんな力を、私の友人は持っています。傍にいるだけで不思議とどんなことでもなんとかなってしまいそうな、そんな不思議な力です。私は、そんな友人にこの言葉を贈りたいと思います――


 再会したその人に。かけがえのない友人に。リオンは最後に笑って、この言葉を贈る。


――ありがとう。私はあなたに感謝しています。
ですから、好きなときに遊びに来てください。おいしいお菓子とお茶を用意して待っていましょう』


 それが精一杯の、リオンの気持ち。目の前にいないからこそ言える、感謝の気持ち。


 これほどまでに晴れ晴れとした気持ちでこの祭りを終わらせることができたのは、最後にジュンタとの再会という嬉しいイベントがあったからだ。それを認めて、リオンはあいさつを終える。


 マイクを口から離し優雅に一礼すると、盛大な拍手が会場中から巻き起こった。

 ――
今日、リオンは一人の少年と再会した。

 
そのことが招く、これから楽しくなることが約束された日々に、リオンは胸にじんわりとした温かな気持ちを灯らせながら、祭の幕切れを引くためにリングを退場する。


 長い、長い、祭りは終わりを告げた。

楽しくて騒がしいその果てに――リオン・シストラバスは、日常における大事な一つのピースを取り戻した。









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