第三話  鬼の宿り火亭





 ――輝く姿はあまりに綺麗で、一瞬で瞼の裏に焼き付いた。

 そんな出会い。かすかな胸の高鳴りと共に思い出せる出会いのあと、別れを経て、再び眼にした紅い姿。

 薄闇を照らし輝かせる真紅の髪。
 全ての美を足下に置く真紅の瞳。
 
 紅い羽を首もとにあしらった甲冑を身につけ、紅き刀身を連想させるルビーと黄金で装飾された鞘を腰に携えた姿は、まさしく騎士。

 優雅な身のこなしと纏う気品は、貴い生まれであることと、彼女が真実貴いことを否応なく理解させる。口元に不敵に浮かんだ笑みは、自分にこそ誇りがあるという姫君の笑み。

 騎士姫――それは誰もが憧れ、そして自分自身も焦がれたものに他ならない。

 それが目の前にあった。目の前に彼女がいた。ついにこの場所までやってきたのだと、そう思って………………気が付けば、宿屋のベッドの上で朝を迎えていた。

 ジュンタ・サクラは、リオン・シストラバスに会ってから、自分が何をしたか覚えていない。

「…………うわぁ、俺、相当恥ずかしい奴」

 ただ、小さな後悔だけが、胸の中に息づいていた。

 




       ◇◆◇






 グラスベルト王国は、神聖大陸エンシェルト中央にある聖地より、少し南下した辺り一帯を治める小国である。

 歴史は古く、聖地の誕生と同時期に発生した大陸最古の国の一つ。

 騎士国家として誕生したグラスベルト王国は、この戦乱の時代において平和な国だった。

 そんなグラスベルト王国の王都として、国で最も栄えている都と噂されているのが、ここ王都レンジャールだった。

 グラスベルト王国の国王カロファイト・イズベルト三十二世が住まう、高くそびえ立つ王城――フェニキアス城。王国騎士団と鉄壁の城壁に囲まれた広大な街は、古い歴史と新たな創造の息吹が融合した、非常に雄々しい景観となっている。

縦横無尽に駆け巡る道には、住人の他に騎士の鎧をつけた人間が行き交い、時に馬車に乗った貴族の姿も見られる。王都と呼ばれるにふさわしい近代的な整備がされた都レンジャールは、今いつにも増して活気に包まれていた。

それは街のいたるところにある決闘場。あるいは、王城の間際にある、最も大規模な王城コロシアムでよく知ることができるだろう。

道行く平民も、騎士も、貴族でさえも噂する、これより十一日後に行われる一大イベント――『第一回レンジャール武競祭』を控え、出場選手、観客、または観客を狙った商人たちと、様々な人々が王都に集っていた。

人々は武競祭に誰が出るか、あの噂は本当かと、口々に噂し合う。

出場者は剣や槍を磨いて、王者の栄冠を狙うべき戦いの時を待つ。

時は、聖神暦994年・ミフィンの月――

春もうららかな陽気の下。

王都レンジャールにまた一人、また一人と、王者の栄冠を狙う人間が、白熱の戦いを見ようと思った人間が、期待を胸に足を踏み入れていく。






 都ほどに街が広くなれば、区画ごとに特色が現れ出すものである。

 高級住宅街、貴族の邸宅、聖神教関係、スラムなどなどの特色だ。

その中でも、あまり治安のよろしくない方へと発展したその区画は、細い路地裏で繋がった、さながら迷路のような場所だった。


どんな場所でも発展と共に必ず生まれる場所――歓楽街。

 昼間のそこは夜の華々しさとはまったく違う、静まった通りとなっていた。


 その歓楽街の入り口付近に店を構える一つの店に今、ジュンタとクー、そしてサネアツはやってきていた。


 どこか中華風な外観と同じく、店の内装も赤と金を基調にした中華風なテイストとなっている。
 酒場というよりは、日本で言うキャバクラなどと似た店らしく、店員さんのほとんどがチャイナドレスに似た独特な服を着込んでいらっしゃった。いらっしゃらないでいいのに。


「うふっ、いらっしゃい。かわいこちゃんたち」

「…………マジですか?」


 パチンとウインクをして出迎えてくれたのは、源氏名をルイというらしい店長さん。

 他でもない、期待を胸にこの店に足を踏み入れたジュンタは、ルイ店長を前にして早々に回れ右をしたくなった。


「あう、あうぅ」

それでも逃げることができないのは、クーが恐怖に震えて腕にしがみついてきているからである。
 彼女をこんな風にしたまま、自分だけ逃げることなんてできない。あと、ルイ店長には勝てる気がまったくしないので、交戦は無謀かと思われる。

その浅黒い、ボディービルダー真っ青の巨漢というのも勝てないと思う要因の一つだが、それより何より、勝てないと確信する理由はルイ店長が男であるということに尽きる。

そう、今目の前にやってきたルイ店長は、ムキムキの野性味溢れる男性で、しかしピチピチのチャイナドレスを着て、オネェ言葉を話すお方なのである。そりゃ勝てねぇ。これまでに出会った何ものよりも、ジュンタは彼が怖かった。


 ジトリと向けられる視線。アイシャドーの入れられた瞳は、まるで獲物を狙う肉食獣の視線のようで……

――おいしそうだこと」


 ポツリと呟かれたルイ店長の言葉に、ジュンタとクーは全力で店の入り口まで後ずさった。


「ご、ごごごご主人様。し、舌なめずりしてます。わ、わわわ私たち食べられちゃうんですか?」

「食べられる? ぐはっ! ……と、とんでもなくえげつない攻撃だ。ごめんクー、無力な俺を許してく、れ……」


「ダ、ダメれす! わ、わらひを一人にしないでくだひゃいっ!」


 恐怖と混乱に陥ったクーは、もうすでに舌が回っていない。

 

 ヒシと掴んでくる手の震えを感じ、ああ、守らなきゃ。と、崩れ落ちそうになる身体をジュンタは必死に保つ。ここで自分が倒れたら、クーは死なないがきっと死んでしまう。あらゆる羞恥溢れる格好をさせられるに違いない……クーのあられもない格好?


(大丈夫。ジュンタ、お前はまだ戦えるさ。たとえ相手が触れることすらできない、近付きたくもない相手だろうが、クーがいる限り男を見せろ!)

 クーと同じくパニック状態の頭を回転させて、ジュンタは半狂乱のままに剣を鞘から引き抜く。


 どうしてサネアツが知る剣の師匠に会いに来たというのに、剣を抜いて闘争をしかけようとしているのか、取りあえず疑問はあるが気にしない気にしない。ここは地獄の入り口である。ルイ店長の向こうに、同じような筋肉さん数名が見えればもはや疑いようもない。


「俺はあなたを倒して、あなたがしたかったことを代わりに果たしてみせる!」

「うふんっ、あなたにできるのかしらね。決意ばかり立派でも、実際に力がなければ何も成せないのよ。あなたは一度それを知るべきねん。わたしが教えてあげるわぁ〜」

 体中から妙な闘気を発して、ルイ店長はしなやかな獣の構えと取る。

「ぐっ!」


 彼の巨体がさらに巨大に見えるほどの重圧。なんということか。戦う前から勝てないことがはっきりと分かってしまった。だけど、ジュンタは剣を離すことはできない。


「俺は俺とクーの貞操を守るために、あなたには負けられないんです!」

「上等よぅっ! オカマの底力、あなたに見せてあげるわ! あちょぁッ!」


「ご主人様あぁぁああ!!」

 クーの悲痛な叫びが店内に木霊する中、二人の切っ先はぶつかり合う。


 その余波で店の一部が吹っ飛んで……そこまで来て、さすがに静観していた店のオーナーも、青筋を浮かべてにっこり微笑んだ。


「本当に楽しそうね、二人とも。けど、少し悪乗りが過ぎるんじゃない? ――それ以上やるってなら、優しくぶちのめすわよ」


『ごめんなさい』

 ルイ店長が肉食獣なら、それはドラゴンの殺意にも匹敵する圧倒的な覇気。
 あと、身体の周りに触れたら危険なレベルの雷気が渦巻いている。笑顔でそのスタンガンも真っ青の指先を向けられた男二名は、ただその場で声を合わせ、土下座するしかなかったのだった。






高級酒場『鬼の宿り火亭』は、所謂ジュンタの知るところの、ニューハーフが接待するバーと同じであるらしい。


「それじゃあ改めまして。あたしがこの『鬼の宿り火亭』のオーナーをしている、トーユーズ・ラバスよ。よろしくね」

 グラスベルト唯一であり、恐らくは世界で唯一ここしかないという、繁華街でも有名なお店であると、そう『鬼の宿り火亭』のオーナーであるトーユーズ・ラバスは語った。


 店の数ある席の中でも上等だと一目で分かる革張りの席に、トーユーズと向かい合う形でジュンタたちは腰掛け、オーナーである彼女直々に応対を受けてもらっていた。

「初めまして。ジュンタ・サクラです」


 ジュンタは顔をトーユーズから若干背けたまま自己紹介をし、


「初めまして。私はクーヴェルシェン・リアーシラミリィと言います」


 クーは礼儀正しく革の椅子から立ち上がって自己紹介をした。


「よろしくね、二人とも。あともう一人、サネアツちゃんは久しぶりと言った方がいいかしらね」

「マイステリン。ご無沙汰しています」

 すっとジュンタの頭の上に乗るサネアツに流し目を向けて、トーユーズは薄く笑った。


 トーユーズに対してしっかりとしゃべれることを示しているように、なんでも彼女はサネアツの知り合いであるらしい。また、トーユーズこそがサネアツが言っていた、剣の教えを請うべき猛者であるのだという。

 ぱっと見はそんな風には見えないが、来店直後にルイ店長に遭遇したため錯乱していたのを、脅されて冷静に戻されたジュンタは確かに思い知っていた。


 自分の直感を信じるならば、この人は今までに出会った誰よりも強い人である、と。


(この人が剣を教えてくれるなら、たぶんそれ以上のことはないんだろうな)


 トーユーズという女性は、長い赤茶色の髪を後ろで一本の三つ編みにし、左眼の下に泣きぼくろがある、可憐というべきクーとは違い、背も高く、大人っぽくて蠱惑的な魅力漂う美人だった。

(しかし……目に毒だ)


 大きく膨らんだ胸元は大胆に見えるように開かれている。伸びやかな肢体を美しく見せる真っ赤なチャイナドレスには、太股の辺りまで深くスリットが入っている上に、彼女が足を組んでいるため、肉付きのいい太股が大きくさらけ出されてしまっていた。
 基本、素足を見せることははしたないと思われている異世界において、久方ぶりに見るその美しいラインは、真正面に腰掛けているジュンタとしては直視できない色っぽさだ。

「マイステリン。実は折り入って頼み事があるのですが」


「あら、なにかしら?」

 ジュンタがそわそわしている横で、サネアツがまずことの次第をトーユーズに対して説明し始めた。


「実はここにいるジュンタを、俺と同じようにあなたの弟子にして欲しいのです」

「お、お願いします」


 サネアツの言葉に続いて、ジュンタはトーユーズに対し頭を下げる。


「あたしの弟子に? へぇ、思い切ったことするわね」


 何やら納得したように頷いて、トーユーズはマジマジとジュンタに視線を向ける。足の先から頭の先まで、特に顔の当たりを念入りに観察している様子だ。


 筋肉の付き方とかでも見ているのだろうか? 

達人ともなれば一瞥しただけで相手の力量が分かると言うし……そう考えて、ジュンタはトーユーズの視線を我慢する。


「なるほどね、悪くはないわ。あたし好みの、ロスクム大陸の方の人によく似た顔立ちね。特に黒髪ってのがポイント高いわ」

やがてトーユーズはパンと手を叩いて立ち上がり、ジュンタへと近付く。

「うん、いいわよ。あたしもかわいい生徒が増えるのは大歓迎だもの。――ジュンタちゃんって言ったわよね? ちょっと立ってみてくれる?」


「あ、はいっ」

 間近に近寄られて思わず赤面してしまいつつも、ジュンタは急いで立ち上がる。


 トーユーズは先程の同じように、今度は間近で観察をしてくる。さらにそれだけじゃ飽きたらず、実際に身体に手を這わせてきた。これはさすがに恥ずかしすぎるが、我慢我慢。

「やっぱり肌もいい肌してるわ。ちゃんと石けんで磨いてきた肌ね。これなら飾りやすいし、この顔立ちをした子は、あたしたちから見ると童顔に見えるしね。太鼓判を押して上げる。きっとあたしの修行を終えた暁には、とても綺麗になっているはずよ」


「あ、ありがとうございま……す?」


 童顔とか綺麗になるとか、よく分からない褒め方だったけど、取りあえず剣を教えてくれる気にはなってもらえたようである。手を離されたことと合わせ、二つの意味でジュンタは安堵して顔をほころばせた。


「それじゃあ、ジュンタちゃん。まずは身体の寸法を取りたいから、ちょっと調べさせてもらうわね。ルイ、出番よ」

「はい、オーナー。お任せあれですわ」


 顎に手を当てたトーユーズが少し考えてから、パチンと手を鳴らしてルイ店長を呼んだ。
 
 合図に即座にルイ店長はやってきて、ジュンタを好意の眼差しで見つめる。

 

 トーユーズは彼の耳元に、二、三何かを囁く。
 
ルイ店長はうんうんと頷き、最後ににんまりと笑って、その厚い胸板を強く叩いた。

「了解しました。オーナー、万事ぬかりなくやり遂げてみせますわ」


「ルイ、将来有望な子よ。最初が肝心だからお願いね。それじゃあ、ジュンタちゃん。ルイについていってね」

「ジュンタちゃん。さぁ、店の奥の方へと行くわよ」


 トーユーズから離れ、ルイ店長は店の奥の方にあった扉の方へと近付く。扉の前で立ち止まると、手を振ってジュンタを呼んだ。


「……はい、分かりました」

なんだか異様に不穏な気配を感じるので、正直あまりついていきたくないのだが……折角できた師匠を初っぱなで失いたくない。ここはぐっと堪えてついていこう。まぁ、初見のインパクトが強すぎたが、ルイ店長も悪い人ではなさそうだし。


「それじゃあ、ちょっと行ってくるな」

「行ってらっしゃいませ。ご主人様」


「行ってくるがいい。うむ、それがいい」


「安心しなさい。あなたなら大丈夫だから」

 三人に見送られつつ、ジュンタはルイ店長の方へと歩いていく。

最後に背中を押すよう言ってくれた、トーユーズの台詞の意味しているところがなんだかちょっと恐かった。データを取ると言っていたが、もしかしたらルイ店長と戦うのかも知れない。


(…………負けたからって、取って食われたりしないよな?)


 手招きするルイ店長の視線にゾクリと背筋を震わせつつも、気のせい気のせいと信じて、ジュンタはにこやかに微笑むオカマさんの元まで辿り着いた。

「そんなに怖がらないでいいわよ〜ん。始めは恥ずかしいかも知れないけど、すぐに慣れるわ」


 意味不明なことを宣うルイ店長は、店の奥へと続く扉を開け放った。

 開店前の店の奥にある闇にジュンタは底知れない恐怖を抱き、怯んでしまう。


(ええい、これも強くなる――ひいては武競祭で優勝するためだ!)


 それでも強くなる意味を思い出して、勇んでジュンタは店の奥へと足を踏み出す。

未だ、その先で起こることの真実に気付くことなく……






 トーユーズと名乗ったサネアツが紹介したジュンタの剣の師は、なんというか、うらやましいぐらいに大人っぽい魅力を持った女性だった。


 自分と比べても、その戦力差は明らかだ。年齢という差はあるけれど、その保有戦力には思わず怯み兼ねない――特にトーユーズの胸元を見て、クーはそう思った。

(ご主人様も、やっぱりトーユーズさんみたいな女性がいいんでしょうか?)

――タイプは年上で落ち着きがあって、出来る女といった感じだな。容姿でいうならクールな感じ。つるペタよりも巨乳好き。属性はメイド――


 そう確かサネアツは言っていたと思う。

 それが正しくジュンタの好みであるというならば、トーユーズという女性は、その好みのいくつかに該当している。……自分は何一つとして該当していないというのに。

(伴侶でなく巫女だとしても、やはり連れて歩くなら好みの人の方がいいですよね? ご主人様の先の巫女様も、もしかしたらご主人様の好みにぴったりだったかも知れませんし)

 こんな我が身だ。せめて姿形だけでも、一緒にいてマシな巫女になりたい。


「しかし、久しぶりねサネアツちゃん。調子はどう? 修行の方は進んでる?」


「いやぁ、マイステリン。それがなかなか修行の進行具合は芳しくなく。やはり難しいと言う他ないです」


 話をするトーユーズとサネアツの傍らで、クーはポムポムと平らな自分の胸を叩き、小さく溜息を吐く。

(今後の成長に期待、でしょうか)


 まだ自分は十四歳。十分に今後の成長が期待できる範疇にある。現段階では歳不相応の未熟さしかないが、成長と共に成熟していくはずだきっと。してもらわないと困る。しかしここ数年の、自分のほとんど変わらない成長の空しさを思うと絶望が……

「[変貌]の魔法はあたしが十年かけて身につけた魔法よ。そう簡単に身につけられたら、あたしの立つ瀬がないわ」

「しかしながら、やはり一刻も早くマイステリンのような身体に自分もなりたく――


「その話詳しく聞かせてください!」

 バンと机を叩き、身を乗り出して、クーは二人の会話に割り込みを入れる。


 パチパチと瞬きをしたサネアツとトーユーズが、互いに顔を見合わせた。


「一体どうしたのだ、クーヴェルシェン?」


「話を詳しく聞かせて欲しいって、どういうことかしら?」


「はい。サネアツさん、今トーユーズさんみたいな身体になる修行をしてるって言ってましたよね? そんな方法があるのでしたら、私にもどうか教えてください! ご主人様のため、一刻も早い成長をしなければならないんです!」

 トーユーズはそれではよく分からなかったみたいだが、クーとジュンタの関係をよく知るサネアツは分かったようで、納得したように頷いた。


「ふむ、なるほど。話は分かった……だが、お前は誤解をしているぞクーヴェルシェン」


「誤解、ですか?」


 椅子の上、子供を見守る親のように笑ったサネアツは、クーの勘違いを指摘する。


「俺の言っているのは成長ではなく、魔法による『肉体の変化』なのだよ。あいにくと、それは成長を促進させる効果はない。ですよね、マイステリン?」


「その通りよ。クーちゃんって言ったわね? 同じ乙女として、あなたの気持ちは痛いほどよく分かるんだけど、残念ながらあなたを大人の女性に成長させることは、あたしの知ってる魔法ではできないの。ごめんなさいね」

「そうなんですか……残念です」

 トーユーズがはっきりとそう語ったところで、クーは諦めてしゅんと肩を落とした。

 
ぽふっと椅子にお尻を戻す。それから発育に乏しい自分の身体を改めて見下ろしてみる。悲しくなるぐらい起伏がほとんどない自分の身体を、何の遮りもなく足下まで見下ろすことができた。


「……やっぱり、時の流れに成長は任せるしかないのでしょうか? ですけど、エルフは種族的にも成長が遅いので、ご主人様好みの身体に成長するのに、一体何年かかるか……」

「そんなに気にしなくても、あたしは大丈夫だと思うわよ。クーちゃんは今のままでも十二分にかわいいわ。そんなに早く大人っぽくなりたいなら、ある程度化粧でどうとでもなるし、今は内面を綺麗に磨いた方がいい時季だと思うわよ」

「内面……そうですよね。無い物ねだりをしてもしょうがないですよね。トーユーズさん、ありがとうございますっ」


 大人な発言で慰めようとしてくれたトーユーズに、クーは感謝の眼差しを贈る。


 さすがジュンタの師匠になる人だけあって、とても人格ができた女性のようだ。仕草一つに気品と色気があって、感謝を超えて憧れすら抱いてしまう。

「でも、ちょっとジュンタちゃんを落とすのは苦労するかも知れないわね」


 そんな『大人の女性』そのものに見えるトーユーズは、そう言って少し困ったように笑った。

「え? どうしてご主人様――あ、えぇと、別に私なんかに落とせるなんて突拍子もなく不遜なことができるとは露にも思っていませんが一応! そう、一応その、どうしてなのか教えていただけませんか?」

「教えるも何も、さっき見た通りじゃない。ジュンタちゃん、女の子じゃなくて男の子が好きなんじゃないかしら?」

――――――――――ぇ?」


 クーのトーユーズに向けた真摯な瞳が凍りついた。

トーユーズの言葉は、そうなって当たり前の衝撃を秘めていた。だって『女の子じゃなくて男の子が好き』だなんて、それはつまり同性愛なわけで、そう言われれば自分が一緒の部屋にいても彼は何ら気にした風もなく……


「ごしゅ、ご主人様が…………ぇ…………そうなんですか、サネアツさん?」


 ジュンタの幼なじみであり彼をよく知っているサネアツに、クーはギギギギギと首を動かして、泣きそうな顔を向ける。

「本当にご主人様は、そう言ったご趣味の方なんでしょうか?」


「いや、俺も初耳なのだが」


 小さな白くかわいらしい子猫さんは、何やら神妙な顔つきとなる。

その後で、彼は爆弾発言後もマイペースなトーユーズに質問をぶつけた。


「マイステリン。なぜにジュンタが同性愛者だと、そう思われるのですか?」


「?? ……どうしてって、だってジュンタちゃんはサネアツちゃんと一緒で、[変貌]の魔法を身につけるためにあたしのところへ弟子入りに来たんでしょ? サネアツちゃんはあれだから違うけど、ジュンタちゃんはつまり性別を変えたいからで――

「性別を変えたい!?」

 トーユーズのさらなる言葉を受けて、クーはさらに衝撃を受ける。


 驚きの新事実に、手を胸の前で組んで、以前にもそうしていたように祈りを捧げるしかなかった。


「ご主人様がそんな秘めたる想いを隠していたなんて……それに気付くことができなかった私は従者失格ですっ!」

「気付かないのは当たり前というか、完全に誤解だなそれは。ある意味本当だとおもしろすぎるが」

 サネアツはニヤリと笑って、クーにも説明するように、トーユーズがしている根本的な誤解の訂正にかかった。


「違うのです、マイステリン。ジュンタは俺のように[変貌]の魔法を学びに来たのではなく、マイステリンの『騎士百傑』としての剣を学びに来たのですよ」

「何、そうなの? あたしサネアツちゃんの紹介だからてっきり……あ〜、それじゃあちょっとまずいかもね。今頃ジュンタちゃん、ルイに改造されちゃってるだろうし」


――――ッ!?」



 トーユーズが困った風に眉を顰めたのが合図となったように、店の奥から言葉になっていない悲鳴があがった。


「ご主人様!?」


 悲鳴の主が誰であるかなど、聞き間違えることの方が難しい。


 即座に悲鳴の主が自分の主であるとクーは気付き、椅子から立ち上がって、ジュンタが消えた店の奥へと続く扉へと走り寄る。その際、扉を破壊するための魔法を唱えるのを忘れない。


「きゃっ!」

 そのまま親の敵のように扉を睨みつけ、破壊しようと試みるクーだが、その前に向こう側から勢いよく扉が開け放たれたために、小さく悲鳴をあげて足を止めてしまった。


「あ、悪い。クー」

 クーに対して次の瞬間かけられた声は、先程悲鳴をあげたジュンタのものだった。

しかしどうしてか、視線を店の奥からやってきた相手に向けても、ジュンタの姿は見つけられない。代わりに橙色のドレスを着崩した、長い黒髪の縦ロール少女を見つけることはできたが。

少女は黒い瞳を潤ませて、肩で息をしている。胸の動悸を抑えるように膨らみのない胸元を押さえ、なんとか息を整えようとしているようだった。

「ふぅ〜〜」


 少女はなおも深い息を吐く。どれだけ怖い体験をしたのか、息はなかなか整わないよう。
 それどころか、店の奥でガタンと物音がしただけで、身体を小動物のように震わせている。

そこへ追い打ちをかけるように、店の奥の暗がりから巨体が現れた。

「ジュ〜ン〜タ〜ちゅわ〜ん」


「ひぃ!」

 現れたルイ店長の呼びかけに、黒髪の女性は心底恐怖しているという悲鳴をあげ、凄まじい速度でクーの背後へと移動し、身を縮めた。


「えっと、あ、あの?」

「ごめん。お願い。クー、あの野獣から俺を守ってくれ!」


「え? あの、どうして? いえ、それよりもしかしなくても、あなたは――


 涙目で必死にしがみついてくる手。その温度にクーは覚えがあった。

ことさらに綺麗という訳ではない。可憐という訳ではない。

しかしそのあまり見ない異国の顔立ちの所為か、どこか不思議な神秘性を感じさせる、素朴な愛らしさを持った少女――


「もしかしなくても、その、ご主人様ですよね?」

 その声、言葉遣い、肩を掴んだ手の温度は、間違いなく隠れようとしている少女が、クーの主人である『ジュンタ・サクラ』であることを示していた。示しているのだが……思わずクエスチョンマークを浮かべてしまうのはしょうがない。

 少女――否、女装をしているジュンタを、クーは困ったように見る。


「どうしてご主人様、そんな女性の格好をしていらっしゃるんですか? いえ、似合わないということではなく、むしろとってもとっても似合うのですが。はい、とても愛くるしいと思います。なんだか人を引き寄せるフェロモンが出ているといいますか――

「違う違う違うっ、勘違いしないでくれ! 別に俺は好きで女装……というか、今俺は女装してるのか? いきなり服を脱がされたと思ったら、女装をさせられてたのか俺はっ? 俺はてっきり襲われてるとばかり思ってたんだけど……」


 今ようやく自分の姿に気付いたのか、ジュンタは自分の身体を見下ろし、虚ろな瞳で乾いた笑い声を浮かべる。

「こ〜ら。途中で動いたらおかしくなっちゃうじゃないのよぉ」


 近付いてきたルイ店長の手には、フリルのリボンと櫛、そしていつもジュンタがつけている黒縁眼鏡が握られていた。

「逃げちゃダメでしょ、ジュンタちゃん――ううん、サクラちゃんの方が呼び方としてはかわいいわよね。と言うわけで、サクラちゃん、恥ずかしがらなくても大丈夫よんっ。クーちゃんの言ったように、今のあなたはとってもかわいいわぁ」


「何言ってるんですか!? 人を勝手にこんな姿にして。泣きますよ、いい加減に!」


 追い打ちをかけるようにルイ店長に褒められ、ガクリとその場にジュンタは膝をつく。


「あらあら、やっぱりこうなっちゃったわけね」


「なんと、これは! ……素晴らしい。やはりあの時感じた会話の違和感を指摘するなという、俺の直感は正しかったのだな! いや、さすがだ俺! と、こんなことをしている場合ではない。すぐに心の激写アルバムに念写しなくては!」


 サネアツやトーユーズが近付いてきて、状況は混沌へと移行を始めようとしている。


(ご主人様はやっぱり同性愛者ではなく、極めて普通の女性が好きな方です)


 その中でクーは一人、自分の姿を盛大に恥ずかしがるかわいらしい主を見て、そんな確信を抱いていた。







       ◇◆◇







 身につけているのは、やけにフリルの多い橙色のドレスだ。


 手にはご丁寧に白い手袋。腰にはコルセットがつけられ、女性的なウエストが強引に作られている。頭には、長い黒髪が縦に巻かれた巻き毛のウィッグ。さらには微妙に化粧なんかまで施されて、ついには泣くタイミングすら見失ってジュンタは落ち込むしかなかった。


「どうせ俺なんか……俺なんか……うぅ」

「涙目のジュンタも萌えだな」


 さらりととんでもないことを言って、グッと親指を立てるのはサネアツだった。

できることなら、そのもの凄いいい笑みを浮かべている顔に何か投げつけてやりたいのだが、生憎と近くに投げつけられそうな品はない。くそぅ、後で覚えてやがれ。


(我慢だ。今は我慢のときだぞ。大丈夫。すぐにこの拷問は終わるさ。終わってくれないかなぁ〜)


 ジュンタは涙目で膝上十センチのミニスカドレスの裾を下に引っ張りながら、改めてお願いするために椅子から立ち上がり、目の前の女性に向き直った。


「トーユーズさん。改めてお願いします。俺に剣を教えてくれませんか?」

「剣術、ねぇ」


 向かいの席に座るトーユーズは、膝の上にサネアツを置きながら、顎に手を当てて悩む様子を見せる。


 あまり彼女は剣術の方を教えるのは乗り気ではないようだった。先程剣術の師匠になるのを了承してくれたと思ったのは間違いで、そもそも剣術志願に来たことすら気付いてなかったよう。


 彼女には剣の他にも秀でた才があるらしく、そっちへの弟子入りだと思われたらしい。

 それがどう今現在の女装に繋がるかは怖いから聞きたくないが、誤解だと分かったらもう一度頼むしかない。こんな格好までしたのだ。断固として売り込むしか道は他にない。

「お願いします。俺に剣を教えてください!」

 ジュンタがもう一度頼み込むと、トーユーズは顎から手をどけて、何やら愉しげに笑みを零した。


「どうしてそんなにあたしに剣を学びたいのかしら? あたしとジュンタちゃんは、さっき出会ったばかりでしょ?」


 その質問が審査であるとすぐにジュンタは気が付いた。だからこそ、率直な意見を返す。


「それは俺が知ってる中で、トーユーズさんが一番強いと思ったからです」


 腕が強そうという話だけではなく、その在り方そのものが強いと、見た瞬間に思った。


 不思議な感覚で、思い知らされたと言ってもいい。それは以前紅い騎士のお姫様を見たときも思ったことだ。つまり、この世界にはこんなにも綺麗で格好いい人がいるのか、と。

「きっとトーユーズさんに教えてもらえれば、俺は強くなれる。そう思いました。だから、俺はあなたに教えて欲しい。どうかよろしくお願いします」


「う〜ん、そうねぇ。今は誰も生徒はいないし、そんなかわいい格好で頼まれたら、教えてあげるのはやぶさかじゃないけど……」


 トーユーズは笑みを作ったまま、次の質問を口にした。


「それなら次の質問だけど、ジュンタちゃんは一体どれくらい強くなりたいのかしら?」


「どれくらいか、ですか? それは武競祭で優勝できるぐらいです」


「武競祭!?」


 強くなるべき目的でもあるそれを言うと、トーユーズは驚きを露わにする。


「ジュンタちゃん。自分がどれくらいとんでもないこと言ってるか分かってる? 武競祭まではあと十一日。その十一日で並み居る強豪よりも強くなりたいっていうのは、世界最強になりたいって言うのよりも無茶なことなのよ?」


「無茶なこといってるのは分かってますけど、俺はあなたならそれができると思いました。それに、俺はどうしても武競祭で優勝したいんです。しないといけないんです」

「それはどうして? 優勝しないといけないなんて、生半可な理由じゃないでしょう?」


「それは……」


 理由をトーユーズに尋ねられたジュンタは、思わず昨夜の出会いを思い出した。


 昨日、王都へと到着してすぐ、フェニキアス城に武競祭の登録のためにジュンタは赴いた。
 もう夜ではあったが、もう少しで予選の参加者の受付も始まるし、剣の師に会いに行ったあとの予定が不鮮明だったから、念のために行っておいたのだ。

竜の鱗鎧(ドラゴンスケイル)』をつけて、サネアツがつけた偽名である『アルカンシェル』という名と共に、軽い気持ちで出かけた。王都を見て気持ちが華やいでいたのだろう。気持ち悪いと、お城の人間が向けてくる視線も気にならないくらいには心躍っていた。


 ――そして、そこで予想もしていなかった出会いを果たした。



 武競祭本戦の受付をしている場所に足を運ぶと、先客として、鮮烈なる真紅の少女がいた。まるで人の形をした炎のような騎士のお姫様――リオン・シストラバスがいたのだ。

 リオンは別れたときと変わらぬ姿で、胸を張って、悠然とそこに立っていた。


 全身甲冑をつけていたため、彼女は自分のことが分からなかったよう。
 リオンは、そのいきなりの登場に言葉を失っていた自分に、初対面であるかのように話しかけてきた。


 それで何とか我は取り戻したが、それ以後、自分がリオンに対して取った行動をよく覚えていない。何か話しかけてきたリオンに気のない返事を返して、武競祭の登録をして、逃げるように帰ってきたことぐらいしか覚えていない。

 名前を名乗った記憶もあるが…………おぼろ気だ。気のせいかも知れない。


 その後呆然と宿まで戻って、夜中の間ずっと眠れなかったのは恥ずかしい記憶である。

『鬼の宿り火亭』に入ってからのルイ店長との騒ぎは、徹夜明けのハイテンションの所為もあったのかも知れない。

(そっか……。俺は、昨日リオンと会ったんだよな)

 ジュンタはいい機会だと考える。

 リオン・シストラバス――初恋の相手で、今でも憧れている、格好いい騎士の女の子。


 武競祭で優勝したい理由に、オラクルのことは入っていない。そんなものはただの切欠で、自分にとっては何よりもリオンのことが理由として大きかった。それは認めている。


 リオンが噂通りに結婚するのが嫌だった……だがそれは、今でもリオンのことが好きだからか、かつて好きだった人がそういう風になることに対する拒否感から来るものか、会った今でもはっきりしない。いや、会ったからこそ考えがぐちゃぐちゃになって、よけいに分からなくなった。

 思い返せば、はっきりと胸の高鳴りと共に思い返される、自信たっぷりな笑顔。


 彼女に会った瞬間、全身が安心感に包まれているかのような、そんな感動が走り抜けた。
 
けど、それはリオンが好きだとはっきり言えた頃のような、恋慕ではなかった気もする。


(俺はリオンが結婚するのが嫌で、リオンと一緒にいるのは好きで、けど、どんな関係でいることを自分が望んでいるのか分からない。それに…………そうだ。俺は、リオンに名前を名乗った。けど、それはアルカンシェルっていう偽名だった)

 武競祭の登録にあたり、アルカンシェルという偽名を使ったのは、一重に後々の混乱から逃れるためである。

 武競祭優勝を目指すなら、優勝後のことも考えておくべきだとサネアツは語った。あまり目立つのはよろしくない。今でも使徒なんていう爆弾を抱えているのだ。これ以上のネームバリューという名の爆弾は、のんびりと生きるためには余計なしがらみとなってしまうだろう。


 偽名を使って、甲冑を着て登録しに行ったのもそれが理由だ。


 だけどそれはあくまでも、大衆に対する応対。知り合いに対して正体をバラすかどうかは、サネアツからジュンタは一任されていた。自分の好きなようにすればいい、と。


 だからリオンに昨夜、名乗ろうと思えばできたのだ。

 自分がサクラ・ジュンタだと、半年前一緒に過ごしていた男だと、そう名乗ることができたのだ。

 それは故郷を後にしたときから、ずっと望んでいたことのはずだった。

 リオンとそうやって再会することを望んで、ここまでやってきたはずだった。


 でも…………言えなかった。名前は言えず、口から出たのは偽名だけ。リオン相手に自分を偽ろうと忘我の中で思ったのは、一体なぜなのだろうか?


(リオンが好きかはわからない。けど、俺はリオンと再会したかったはずだ。だから、こうしてここまで旅をしてきたことを、武競祭に出場することを、兜を外してリオンに伝えれば良かったんだ。それが、俺の望んだことだったはずだ)


 リオンと予想外のところで会って、混乱していたというのは姿を隠匿した理由にはならない。……正味のところ、彼女が出場している可能性は、サネアツは語らなかったが予想の中にあった。確かに昨日会ったことは驚きだったが、もっと他に隠そうとした明白な理由はあるはずだった。

 果たしてそれは何なのか? …………認めたくはないが、どうやらそう言うことらしい。


(なるほど、な。俺はリオンに会いたかったけど、だけどリオンに会うのが本当は恐かったのか)


 リオンと最後に顔を合わせたのは、告白して振られたあの夜のことになる。


 その後自分は竜殺しに赴き、リオンを守ってこの世界から消えた。こうして戻ってきたことを知っているのは、あの時竜殺しを知っていたメンバーでは、まだサネアツだけだ。リオンはそもそも、ジュンタが使徒であり、あの日自分を助けたことすら知らない。


 きっと今もまだ、ゴッゾもユースも、リオンにあの日の真実は語っていないだろう。
 ならば、今のジュンタ・サクラという人間には、告白して振られて、ドラゴンを前にして消えたという形が残るのみだ。

 何も知らない人間から見たら、それはドラゴンに恐れをなして逃げた臆病者だ。振られたままいなくなった、ただの負け犬だ。

 そんな風に思われているかも知れない自分が、今更どの面下げてリオンに会えるというのか?


 これは予想でしかなく、リオンは快く再会を喜んでくれるかも知れない。

 
けど、もしも違ったら? ……そう考えると、リオンと一緒にいたいと思うほどに、会いたいと思うほどに、会うのが恐くなってしまう。


 だけど――それでもサクラ・ジュンタは、リオン・シストラバスと再会したいのだ。



(ああ、そうか。だから俺が姿を隠そうとした理由は……武競祭で勝ちたい理由は、それなのか)

 はっきりと、ジュンタには今分かった。

 どうしてリオンに正体を明かせなかったのか――いや、明かさなかったのか。それがはっきりとした。

 出た答えを持って、ジュンタはトーユーズの瞳をまっすぐに見る。


「答えは出たかしら?」


「はい。出ました」


 返答を待っていてくれたトーユーズに対しきちんとした返事を返して、そして自分が武競祭で優勝したい理由を――リオンの婚約を拒みたいという理由と共に芽生えた優勝したい理由を、ジュンタははっきりと告げた。

「俺はリオンって奴と、また一緒にいたいって思ってるんです。リオンと一緒にいることで、はっきりとした自分の居場所を見つけたいと思ってるんです」


 故郷から旅立つときにも、それは思ったことだ。


『自分はリオンに会って一緒にいれば、自分の居場所を見つけられるかも知れない』――
居場所を失った自分だからこそ求めた、その大きな願い。


「格好よくて綺麗な女の子の隣にもう一度立つためには、武競祭で優勝ぐらいしなきゃダメなんだと思うんです。だから――

 そのために必要不可欠な少女の隣に、ジュンタは、今度は対等な立場として並び立ちたかった。

 そのためには、まだ再会には早い。
 姿を隠して、偽って、そうやってその瞬間のためにがんばろうと思っている。


「だから、俺は勝ちたい。胸を張ってリオンに、自分がサクラ・ジュンタだって告げられるように、俺は武競祭で優勝したいんです」

 それは男の小さなプライドみたいなもの。憧れに追いつきたいという、素直な気持ち。

「だから、お願いします。俺を強くしてください……って、どうしたんですか? トーユーズさん」

 自分の心の内を語ったところで、改めてトーユーズの顔を見てみると、彼女は口を手で押させて爆笑一歩手前といった感じで肩を震わせていた。よくよく見れば、彼女の膝の上にいるサネアツも似たような体勢を取っている。

失礼すぎる二人を見て、ジュンタは憮然と口を尖らせながらも、自分が言ったことの恥ずかしさを自覚して頬を赤らめた。


「そ、そんなに笑われると、真剣に言った手前、かなり恥ずかしいんですけど……」


 大口開けて笑うのははしたないと思っているのか、必死で腹筋を震わしてトーユーズは笑い声を我慢している。それを見る度に、ジュンタは顔が火照るのを自覚した。


「ご、ごめんなさいね。あ〜でもほんと、おもしろい。最高におもしろい理由ね、それは」


 しばしの間、そのままトーユーズは声を噛み殺して笑っていた。

やがて口から手をどけたトーユーズは、目尻に溜まった涙を拭って、はっきり述べる。


「いいわよ。分かったわ、ジュンタちゃん――いえ、ジュンタ君。あなたをあたしの剣術の生徒にしてあげる」


「え! 本当ですか!?」


 どこに承諾へと働きかけるところがあったかは定かではないか、何かがトーユーズの琴線に触れたらしい。運が良かった……と言っていいのか? 少なくとも、これで師ができたのだから運がいいと喜ぶべきだろう。


 時折出てくる思い出し笑いを堪えながら、ちょっと声に真剣さを匂わしてトーユーズは話を続ける。

「ただし、あたしに師事するからには、中途半端にはさせないわよ? 
 武競祭優勝? そんな井の中の蛙では終わらせないわ。
『いついかなる時も美しく』――それがあたしの強さだもの。世界一のいい男になるまで、弟子を自分から止められるとは思わないことね」

 

「よ、よろしくお願いします」

 自分の師となった人にジュンタは頭を下げると同時に、確信を抱いていた。


(この人ならきっと、俺をそこまで辿り着かせることができるんだな)


 自分は目の前の女傑を侮っていた。

認識を改める。トーユーズは凄そうな人じゃなくて、本当に凄い人なのだ、と。

 そう認識を改めたからこそ、ジュンタは気になった。どうしてトーユーズが急に、乗り気じゃなかった剣の師になることを承諾してくれたのかに。


「トーユーズさん。一つ訊いてもいいですか?」

「あら、なにかしら? ああ、あとあたしのことは先生と呼ぶようにね。

それで質問は何? 別にいいわよ。かわいい生徒にならなんだって教えてあげる。そうね、まずはスリーサイズを――


「そんなこと訊いてません!」

 色っぽく流し目を向けてきて、聞きたいけど聞いてはいけないことを言いそうになったトーユーズを、ジュンタは慌てて止める。


「俺が訊きたかったのはどうして急に弟子にしてくれる気になったかってことです!」

 息継ぎ抜きで一気に質問を吐き出してから、ジュンタは深く息を吸う。

 

 からかわれているのはトーユーズの楽しそうな笑顔を見れば分かるのだが、こういうからかいには一切免疫がないから、つい反応してしまう。


 視線をトーユーズから逸らし、落ち着けと自分に言い聞かせてから、ジュンタは視線を戻す。


「あたしがジュンタ君を生徒にした理由ねぇ。
 一つは、ジュンタ君があたしに挑戦状を叩き付けたからかしらね。『あなたなら、短期間での武競祭優勝を可能にしてみせる』っていう挑戦状をね。あともう一つは――


 そう言ってトーユーズは、今までずっと黙っていたサネアツの背を撫で、

――かの竜滅姫リオン・シストラバスと肩を並べたいって、普通では抱きもしない夢を抱いた少年の、その夢の行く末を見届けたいって、そう思ったからよ」


 そんなことを平然と述べた。

「そ、そんな理由なんですか……?」


「もちろん。愛のために戦うなんて、他のどんな理由よりも素晴らしいと思わない?

 ジュンタ君のことは、前々からサネアツちゃんから教えてもらって少し知ってんたけど、こんな情熱的な性格だとは思わなかったわ」


「いやいや、マイステリン。俺もこんなおもしろおかしいジュンタを見るのはここ最近になってからです。恋は人を変えるということですね、プププ」

 口をあんぐりと開けるジュンタの視線な先で、『ねー』とトーユーズとサネアツが顔を見合わせて、頷き合っている。


(……もしかしたら早まったのかも知れない)


 サネアツと触れ合うトーユーズに、ジュンタは小悪魔の羽と尻尾を見た気がした。なるほど。そう言えばサネアツはトーユーズのことを指して、自分の類友と言っていた気が……


(いやいや、大丈夫。大丈夫だよ? トーユーズ先生は大人な女性だ。サネアツみたいな刹那の欲求のために、はた迷惑なトラブル歓迎っていう人じゃない。ないったらない)

 

一瞬見たそれを気のせいだと強引に思いこんで、思考の彼方に追いやる。

 しかしその嫌な予感は、次からのトーユーズの言葉で、パワーアップして帰ってきた。


「あ、それと。昼間剣術を教えてあげる代わりに、ジュンタ君、夜はうちの店を手伝ってね。あたしも暇じゃないから、一応先生やって上げる代わりに相応の対価はもらわないと」


 そんな大人発言をするトーユーズの言葉は、至極当然のもの。

店で働くのもアルバイトだと思えばいい。それで最上級の教師を得られるなら安いものだ。

「分かりました。それじゃあ、お願いします――トーユーズ先生」

だからジュンタは二つ返事で引き受けた…………この『鬼の宿り火亭』がどんな店か忘れ、今の自分の格好がどんなであるかを完全に忘れて。

「はい、任されたわ。ふふっ、これで当分退屈しないですみそうね。それじゃあ、今日のところは店の方の説明から始めましょうか」


 にんまりとトーユーズは笑って、パチンと指を鳴らした。


「オーナー、どうしました?」


 店の奥の方で、クーから涙ながらに相談などを持ちかけられていたルイ店長が、もの凄いスピードでやってくる。にんまりフェイスは健在だ。


「ルイ。一つ頼まれてくれるかしら。今日からジュンタ君が店を手伝ってくれるのよ」

今度は先程のように内緒話ではなく、店中に響くように、トーユーズはルイ店長に指示を伝える。悪寒を感じずにはいられない、小悪魔の瞳で。


「だから、今度こそ完璧に綺麗にしちゃいなさい。あたしが許すわ。だって先生だものね」


 心底愉しそうなトーユーズの一言に、ルイ店長の瞳が爛々と輝く。
 その口からは毒息じみた息が吐き出され…………メーデーメーデー。だけど逃げられない。がっしりと肩を掴まれてしまった。


――――オレ、ウン。ハヤマッチャッタネ」



 数分後――『鬼の宿り火亭』から、ジュンタの絶叫が轟いた。それはある意味切実にジュンタが、強くならなければ大切なものをなくすと悟った瞬間だった。









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