第七話 宴に集った強者ども
『騎士百傑』序列十二位に席を置く女傑、トーユーズ・ラバスが持つ二つ名である。
その二つ名が示す通り、彼女の戦闘スタイルは高機動戦。
一撃の威力より手数を多くすることを選んだため、二つの剣を操ることになった双剣使い。だが、実際に戦えばそれが本当かと疑わずにはいられない。
「くぅっ!」
瞬間、身体が一気に後ろへと流れ、気が付いたときには地面の上で空を見上げていた。
スピードを上げるために双剣を用いているのに、なんだろうか? この一撃の重さは。
スピードが上がるほどに、当然だが運動エネルギーは増え、結果的に一撃の威力も膨れあがる。手数を多くするために選んだ戦い方は、そのまま彼女の一撃一撃の威力をも上げたのだ。
「ダメダメ。言ったでしょ? 相手の攻撃は受けるんじゃなくて受け流すのよ。あるいは、受けるなら受けるで、剣や身体に[魔力付加]させなさい」
剣に纏わせた雷を解きながら、トーユーズは倒れたジュンタを困った顔で見下ろす。
「そう言われても、あんまり速すぎて逸らすなんてできませんし、[魔力付加]は[魔力付加]でまだ習得できてないですよ」
「泣き言いわない。それならせめて、左右の剣を一緒に使うのは止めなさい。そうすれば、もう片方は生き残るんだから」
「頭では分かってるんですけど……」
実際の攻撃を受けると、反射的に手が動いてしまうのである。
最初から、攻撃を受けたとしても命に別状ないことは分かっているのに、だ。
今日は甲冑も付けていないが、トーユーズは木剣を使い、攻撃も手加減してくれているため問題はない。だが、いざ閃く切っ先の鋭さと疾さを視認すると、突き出された刃が身体を貫くイメージが浮かんできて、それを拭いきれずに左右両方の剣を防御に回してしまうのである。
「頭では左右で同じ動きをしたらいけないって分かってるのに、剣筋を見た瞬間に身体が動くんです」
「剣筋を見た瞬間に、か。下手に反応できるだけ、逆に両手で防御しちゃうのね。まぁ、よくあるっていえばよくあることだけど……こればっかりは場数を踏んで克服する他ないかしらね」
トーユーズは持った木剣を、だらりと腕の力を抜くように構える。
隙だらけのようで一切ない、どんな攻撃が来ても無力化できる迎撃の構えだ。ジュンタも師に倣い、立ち上がって右手に木剣、左手に特殊な力を持った『英雄種』の剣を構えた。
両者見合った状態で、先にトーユーズがアドバイスを口にする。
「集中なさい。高い集中をどんな時でも維持できるようになれば、[魔力付加]も使えるようになるし、戦闘中でも冷静に動けるわ。ジュンタ君の場合、戦闘慣れしてないから本能的な部分が戦いの間に見え隠れする。それは強みでもあり弱みよ」
「はい」
戦闘とは、まず自分を制しなければ始まらない。
何も学ばず、がむしゃらにだって戦うことはできよう。だがそれは獣と同じだ。本能のみで戦っているに過ぎない。それでも勝てる、天賦の才を持った俗にいう『天才』もいるが、最強ではない。古来から、そんな『天才』を倒すために研鑽されてきたのが武術であり剣術なのだから。
努力は天才を凌駕する――それはもう絶対の理だろう。
だからトーユーズは言うのだ。努力と才能を合わせた強者――即ち、格好良い男になれ、と。
(まず自分を落ち着かせる)
修行でのトーユーズとの模擬戦闘は、ジュンタが仕掛けるタイミングで始まる。自分の自由意志で始まるタイミングを測れるのだ。戦う前に今まで習った教えを脳内で反芻させることもできる。
(攻撃は柔軟に速く。けど、今の俺の速さじゃ先生には届かない)
まさしくトーユーズの防御は鉄壁だ。
彼女の左右の剣は、巨大な城壁に匹敵しているとすら思えるほどの防御力を持っている。それを突破し打ち崩すには、城壁を破壊する一撃が必要不可欠。
そして、そんな力を得る方法を、すでにジュンタは習っている。
([魔力付加]――これさえできれば、手加減されてる状態なら一撃だって夢じゃない)
それこそが魔法の基礎中の基礎と言われている[魔力付加]と呼ばれている法だ。
[魔力付加]は魔法使いが属性の枠組みを超えて、まず初めに会得する魔法だと言われている。会得難易度も、次に習うそれぞれの魔法属性の初歩魔法に比べても断然低い。なぜなら[魔力付加]は、ただ魔力に属性を付加するだけで使えるからだ。
本来魔力は無色――つまりは何の影響力もない状態でしかない。
そこに魔力性質という素質が眠っていても、何の働きかけもできないのなら意味はない。魔法とは、この無色に魔法属性という色を与えることによって、ようやく機能するものなのである。
無論、ちゃんとした魔法を使うには、それぞれの原理や魔法陣を学ばねばならない。
しかし[魔力付加]にはそういう原理や魔法陣は必要ない。魔力に色を与えるだけで発動する、個々人の資質に効果を依存する魔法であり、誰もが魔法使いを目指す上で最初にこれを会得する。
([魔力付加]の効力は、属性を得た上での魔力性質の発現。俺の場合は先生と同じ雷の『加速』)
あっても無色の状態では意味のない魔力性質を、魔法属性を加えることによって影響ある力として機能させる魔法が[魔力付加]だ。
個人個人、魔法属性も魔力性質も違うから、同じ[魔力付加]の魔法でも効果は様々になる。
ジュンタの場合は師であるトーユーズと同じ、雷の『加速』だった。成功によって得られる恩恵は、トーユーズの使っている高機動力に他ならない。
スピードは力を生む。ともすれば、トーユーズの防御を突破することも可能かも知れない。
「――行きます!」
ジュンタは身体の魔力を流し、そこに雷という色を加える。
そうすることで自身の魔力性質、『加速』と『侵蝕』が発揮される。それは実感としては、以前のオーガとの戦いの最後に使った感覚と同じだった。
「っぃい!」
足の裏で爆発を起こし、その加速を得てジュンタはトーユーズに向かい…………その途中で見当違いの場所に頭から突っ込んだ。
「うごっ、お、とあっ!」
下手に加速していたために剣先が地面を削って、数回バウンドするまで止まらない。
最後にスパークを起こして大きく空へと跳ね上げられ、ジュンタはズゴンと仰向けに地面に倒れこみ、また空を見仰ぐことになった。
そんな生徒の一人ダンスを見て、ボソリとトーユーズは呟く。
「よくできました。百点満点の自滅よ」
[魔力付加]――初歩の初歩たるそれを、未だジュンタは会得できていない。
地面に転がってピクピクと震えるジュンタを見て、トーユーズは小さく溜息を吐く。
(これでちょうど、通算百回目の失敗。十回目辺りからまったく進歩してないわね)
自分が剣を教えることになった生徒は、なんともはや特殊な生徒であった。
いや、特殊という言葉で終わらせることもできない。彼は使徒という馬鹿みたいな魔力を持つ存在なのだ。異常とさえ言っていいかも知れない。
(さすがに、あたしも使徒を生徒に持つのは初めてだから、他とは比べられないけど……使徒っていうのは全員、こんなかわいそうなくらい魔力を制御するのが下手なのかしらね)
トーユーズはよろよろと立ち上がったかわいい教え子を見やる。
「さて、今回で百回目の[魔力付加]失敗だったわけだけど……どうして失敗したか、分かる?」
「制御ができていなかったから、ですかね?」
「まぁ、半分は合ってるわ。ジュンタ君は使徒だもの。その魔力はあたしなんかとは比べものにならないほど。魔力が大きければ大きいほど制御が難しくなるのは当たり前だものね。
分かってる? 今ジュンタ君が[魔力付加]のために引き出した魔力、本来必要な分の百倍以上よ。つまり制御も百倍難しいってこと」
「……なんとなく、無駄にたくさん使った自覚はあります」
もはや疑うまでもなく、使徒であるジュンタという少年の素質は桁外れだ。この魔力量だけで、武術の才とは違うが、強者になる素質があるといえる。そして、だからこその問題というのが、ここに来て浮かび上がってきた。
それはジュンタが、まったく魔力の制御をできていないということであった。
[魔力付加]も含め、魔法を使うにはそれに見合った適量の魔力が必要となる。
この魔力が大きければ制御が難しくなって暴発の可能性が高くなり、少なければ発動しない。だから引き出す魔力の調整を、まずは制御の最初に学ばなければいけない。
そしてこの制御は、基本的に保有する魔力が大きければ大きいほどに難しくなる。
生まれながらにして高い制御を自然会得しているエルフならともかくとして、高い魔力を持って生まれてくる人間は制御でまず悩む。保有魔力が多いので、将来的に強力な魔法を使えたりと大成はできるのだが、初歩の段階で躓くのだ。
スプーンに水を注ぐ場合、蛇口が細く勢いが弱い水道なら、難なく適量一杯を入れられるだろう。
けれど大きくて勢いの強い蛇口では、スプーン一杯分だけ入れるのはとても難しい。大幅に量が増減してしまう。魔力が多いと魔力の汲み出しが難しいのも、ようはそれと同じこと。
つまり[魔力付加]は初歩であり多くの魔力を本来必要としないから、努めて少なく魔力を汲み取ろうとしても、大容量の魔力があるジュンタの必要以上の魔力を汲み取ってしまうのだ。
「使う魔力が多くても、その全てを制御できさえすれば、強い[魔力付加]が発動して強力になるわ。けれど制御がダメだと、さっきみたいに暴発する。最終的な到達点はその分高くなるけど、時間制限がある場合には、とんでもないマイナスよね」
本来なら、この制御は一朝一夕でどうなるということでもない。
ずっとずっと練習して、魔力の流れを感知して、コツを掴んで……そうやって長い間をかけて学び会得していくものだ。ジュンタもいずれはそうなるだろう。
ここで一番の問題なのは、強くならないといけない期限として、武競祭という時間制限があるということ。それまでに強くなることは、それまでに制御を学ばなければいけないということだ。
「やっぱり、武競祭期間中に[魔力付加]を会得するのは無理ですかね?」
「そうね。正直、あと一日だけで会得するのは至難の業ね」
ジュンタの質問に答えて、トーユーズは青空を見仰ぐ。
もうすぐ昼になる。
城壁に囲まれた王都レンジャールでは、そろそろ予選通過者が決まっている頃だろう。
時間はない――今日は武競祭予選の最終日にして、武競祭本戦の開会式がある日。
明日一日の休みを挟んで、明後日から武競祭本戦が始まる。
もちろんジュンタも戦う。彼に[魔力付加]を教える時間は、もうあと明日一日しかない。
(結局、教えられたのは基礎中の基礎と、[魔力付加]の仕組みだけだったわね。……あ〜、教えたいこと山ほどあったのに、欲張りすぎたわね)
本格的に修行できる時間のリミットが近づいてきて、トーユーズはちょっと失敗した自分の教育プランに頭を悩ませる。
そもそもの話、トーユーズが扱う剣術というのは、異端に近い珍妙な剣術なのである
双剣であるところや魔法との組み合わせ。騎士道を重んじない闇討ち上等といった、誰もが学べばそれなりになる一般剣術とは訳が違う。これまでも何人かに教えてきたのだが、最後まで技を伝授させられた生徒は一人もいない。全ての生徒は途中で、自分が教えるよりも大成できるだろう師匠を紹介して、移ってもらった。それだけ会得するのが難しい剣術なのだ。
しかし、ジュンタという少年には、自分の技を伝授できる可能性があった。それは彼が自分と同じ魔法属性、魔力性質を有しているというのが大きい。雷の魔法属性で『加速』――実際は二重性質だが――の組み合わせを持つ人間を見たのは、トーユーズも自分の他ではジュンタが初めてだった。
(けど、あたしと同じ魔法属性で魔力性質だから教えてる。……だけじゃないのよね、この子は)
同じ魔法属性で魔力性質だから自分の戦い方を教えられる。それはとても大事なことだし、そんな相手を待ち望んでもいた。けど、彼に対してはもっと大事なことが他にある。
そう、トーユーズは天才なんて欲してはいなかった。
欲していたのは、待っていたのは、自分の夢を代わりに果たしてくれる特別だけ。
簡単な話、トーユーズはジュンタが自分の力で果たしたことに敬意を払い、自分の技を教えようとしているだけだった。それはジュンタのためでもあるが、自分のためでもあるのだ。今この場に先生として立っていること。それこそがトーユーズにとっての何よりの見返りであるために。
(まったく、サネアツちゃんも酷いものね。このあたしのこれまでとこれからをかけた計画を、一夜にして丸つぶれにしてくれるなんて)
望んでいたものはひょんなことから目の前にやってきて、夢は期せず叶うこととなった。
夢を叶えるために生きてきたのに、まさか叶えられた夢の姿を見せつけられるとは思わなかった。
「そこそこがんばってきたつもりなんだけどねぇ。世の中不条理だわ。でもまぁ、これが本当の特別だって証明だし、ただ後先が反対になっただけ、か」
「先生?」
思わず声に出してしまった呟きに、宝物のような生徒は首を傾げた。
(や〜ね、ほんと。張り切りすぎて馬鹿やっちゃったのかしら)
トーユーズはジュンタの泥が付いた顔にクスリと笑う。
ただでさえ難しい自分の戦い方なのに、ジュンタの習得スピードが恐ろしく早かったため欲張りすぎていたようだ。基本的に一ヶ月以下で[魔力付加]は無理。武競祭優勝のためなら[魔力付加]に費やすべき時間を別の修行に費やすべきだった。
けど、[魔力付加]はいわば『誉れ高き稲妻』の戦い方の基礎・土台だ。――トーユーズの理念と目指す在り方そのものだ。
『いついかなる時も美しく』在ろうとした自分が、教えたくてたまらない、『いついかなる時も格好良く』なってくれそうな生徒を前にして、はしゃぐなという方が無理な話……うん、無理だった。
ほら、やっぱり託されたわけだから、つまりは自分の自由にしていいってことなのだ。
大事な要所要所さえ間違えなければ、あとは自由に鍛錬――もとい調教を行って無問題ということだ。本当にサネアツはいい仕事をする。
「あ、あれ? なんか急に、ものすごく背筋が震え始めたんですけど……?」
「気のせい気のせい。ところでジュンタ君。別に最終的に格好良くなれれば、最低武競祭に優勝できなくても構わないわよね?」
「さらりと問題発言を流そうとしても無駄ですよ?}
「悲しいわ。数週間前の、あたしの恰好見ただけで顔を赤くしていたかわいいジュンタ君はどこに行ったのかしら」
「たぶん、先生に悩殺されたんだと思いますよ。色々な意味で。最近、俺は羞恥心というものの在処がよくわからなくなりましたから」
フフフと笑うジュンタは何でも、明日開かれるシストラバス家のパーティーに招かれたのだとか。
何というか、馬鹿だろう。せっかく仮面をつけたり変装したりして姿を隠しているのに、敵地に自ら赴くとは。が、赴く理由は褒めてもいい。たぶん自分の想いが強すぎて何も気付いていないジュンタには、望むべくもない展開であるとも言えた。
自らリオンに会って気付いてくれたらそれでいい。気付かなかったら…………どうしようか?
(あたしは間違ってはいなかった。そんなあたしは、きっとジュンタ君を叱れない……さてさて、どうしましょうかね)
昔だったら何の躊躇もなく叱れただろうが、今の自分では無理だ。元より、騎士の正道を捨てて夢のために全てを費やすと決めた我が身。果てに巡り会った宝物を叱るなんてできようもない。がんばった彼が間違ってるだなんて、悪いだなんて到底思いようがない。
なら、見せるべきは先生であるトーユーズの本気か。
導くことこそ先生の務め。やっぱり、勝つことよりも大事なことはあるはずだ。
「……一つ教えておこうかしらね。ジュンタ君。あなたは負けないようにと思ってるけど、でもね、勝利よりも大切な敗北ってあるものよ」
いきなりの教えに眼をぱちくりさせるジュンタは、意味が分からないと眉を顰めた。
「どういう意味ですか? 勝つよりも負けることの方が重要って……?」
「勘違いしないの。無様な勝利より、華麗な敗北の方が綺麗だってこと。
大事なのは勝敗ではなく、その後自分が後悔なく胸を張っていられるかどうかよ。大事なものを見落としてまで拾った勝利は、きっと苦い思いしか胸には残らないわ」
「…………やっぱり意味がよくわかりません」
「ま、ジュンタ君ならおいおい分かるはずよ。それじゃあ、そろそろ修行を再開しましょうか。開会式まであまり時間がないものね」
少しハテナを背負ったままのジュンタに背を向けて、トーユーズはほんの少し口端をつり上げる。
(ジュンタ君がいて、ジュンタ君がそうであって、ジュンタ君にあたしが巡り会えたなら……あたしは間違っていなかった。ただ、こんな世界が、あたしが思っていたよりロマンチックだっただけ。愛で奇跡が起きたなら、それはとても素晴らしいこと。ならね、あなたもきっと間違ってはいない)
ここにいるのは長きに渡って夢を追い続けた騎士ではない。夢を見ている、幸せな一人の先生だ。
どちらも間違ってはいなかったのなら、ジュンタはどちらも知るべきだ。それがきっと、彼にはふさわしいと思うから。
「だから。――ねぇ、先輩。そろそろあなたの夢が叶ってもいい頃合いですよ」
◇◆◇
五日間かけて行われた武競祭予選。
十ある予選会場の一つ、シェノッフェンの決闘場では、今まさにこの決闘場から本戦に進む最後の一人が決まろうとしていた。
すでに先程の戦いで一人決まっている。
あと一人だけ――決勝戦第二試合の勝者だけが、武競祭本戦に駒を進めることができるのだ。
さぞや熾烈になるだろう決勝を見ようとやってきた観客たちは、まず決勝戦でぶつかりあう二人の選手を見て、どちらが負けるかを予想した。
決勝で戦う二人の選手は、巨漢の大男と小柄の少女だった。
そのあまりの体格差に唖然とし、これは決まったものだと思ったことだろう。
しかしそれは、今日だけ見に来た観客のみに言えること。数日前から戦いを見に来ていた観客は、逆の予感を抱いていた。
即ち、勝つのは、あの妖精のように愛らしい少女の方であると。
決勝まで勝ち上がって来たのだから、少女はそもそも見た目通りの実力じゃないのは明白だった。それを誰よりも分かっていたのは、対戦相手であった大男。
最初から、油断なく躊躇なく、全力をもって彼は少女に戦いを挑んだ。
バトルアックスを構え、渾身の力で振るう。
その一撃は当たらず、戦いを通して少女の柔肌に彼が傷をつけることはなかった。このシェノッフェンの決闘場での予選を通して、少女がついぞ傷を負うことはなかった。
少女に向ける全ての攻撃が、直前で氷の壁によって防がれてしまう。
それは可憐な少女が強いと観客に知らしめた力。神秘を引き起こす魔法の力に相違なかった。
結局、戦いは半分の観客の予想を裏切り、もう半分の観客の予想通りに集結した。
今の季節は春というのに、シェノッフェンの決闘場では、もう過ぎ去った冬の凍てつく風が吹き荒れている。
「勝者――クーヴェルシェン選手!」
その中央に立ち、ゆっくりと起こした雪風をおさめている少女――クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、レフリーに勝者として自分の名前が呼ばれたことにほっと胸をなで下ろしていた。
(良かったです。負けてしまったら、ご主人様に合わせる顔がありませんでした)
歓声をくれる観客たちに一礼をしてから、クーは控え室に戻ることにした。
昨日までのように勝って終わりじゃない。今日はこのあと、全ての予選通過者と各騎士団の代表が集まって、王城コロシアムにて武競祭本戦の開会式があるのだ。
今日勝利し、本戦への切符を手にした自分も、またそこに参列しなければならない。
「……開会式、ですか」
クーは控え室へと向かう途中の通路で、ポツリと呟きをもらす。
開会式のような人が大勢集まるイベントが苦手というのもあるのだが、それより何より、そこで顔を会わす人のことを考えると、クーは素直に喜べなかったりするけどやっぱり嬉しい。
(黙っていたこと、ご主人様に怒られてしまうでしょうか? それとも、予選を通過したことを褒めてくださるでしょうか?)
仲間はずれにされたことは怒らなくても、危険があるかも知れないことに勝手に参加したことは怒られるかも知れない。それは優しい怒りだ。不謹慎だが、ちょっと嬉しかったりする。
だけど、それよりももっと嬉しいのは頭を撫でて褒めてくれること。
もし負けたら失望されると思って黙っていたが、優しいあの人は気にしないで褒めてくれるかも知れない。でも心配したと怒られる可能性も、やはり否定できなくて……
「やぁ、ミス。百面相だね」
そうこう考えていたら、いつの間にか目の前に人がいて、クーは話しかけられていた。
「シ、シーナさん」
話しかけてきたのは、茶色の髪に瞳を持った中性的な女性である。
腰には簡素な鞘に入った、しかし豪奢な剣。彼女のことは知っている。自分より先に本戦出場を決めたもう一人の選手だ。
名をシーナという。
自分もそうだが、ファミリーネームは登録しなくてもいいので、登録されておらず分からない。けれど勝ち進む内に話すようになり、少し仲良くなった人である。
「本戦出場おめでとう、ミス・クーヴェルシェン」
「あ、ありがとうございます」
面と向かって初めて褒められ、そこでクーの中にようやくの自覚が芽吹く。自分は予選といえども、熾烈だった戦いを勝ち抜いたという自覚が。
「シーナさんも、本戦出場おめでとうございます」
自然、笑顔になったクーはお返しにそう言葉を返した。
「ありがとう。けど、これで終わりじゃない。僕が目指すのはあくまで武競祭の優勝だけだ」
「あ、そうですよね。まだ予選が終わっただけで、本番はこれからなんですよね」
「そう。まだこれからなんだ」
凛々しい眼差しを、シーナは本戦の舞台である王城コロシアムがある方角に向けた。
「ミス・クーヴェルシェン。悪いけど、君にも僕は負けるつもりはないよ。この王国の未来のためにも、僕は優勝しなければならない」
「王国の未来のため……ですか?」
「そう。僕は王国の未来を担うべき人間になるつもりだからね、そのためには是非とも優勝しなくはいけないんだ。いや、僕じゃなくても君ならいいんだが……ああいや、他人に頼るのは良くないか」
凛々しい顔がちょっとしどろもどろに揺れる。今度は彼女が百面相だ。
よく分からないが、ツッコムべき台詞ではなかったらしい。百面相するシーナを見て、クーは申し訳なさそうな顔となった。
「あの、大丈夫ですよシーナさん。勝ちたい理由は聞きませんから」
「そうか? ありがとう、助かるよ。それじゃあ、僕は先に王城に行っている。それでは、また後ほどに」
焦った顔を咳払いで誤魔化し、逃げるようにシーナは足早に去っていく。
その背に、クーは知らずに呟きを向けていた。
「理由は聞きたくないんです。だって聞くと躊躇してしまいますから。……武競祭で優勝するのは、ご主人様です」
◇◆◇
夕刻に十の予選会場において全ての戦いが終了してから、数刻後に武競祭本戦の開会式は厳かに始まった。
フェニキアス城に隣接する形で作られた、常は王国騎士団の訓練所として使われている大規模なコロシアムには、グラスベルト王国の名高い重鎮たちが揃っていた。
コロシアム正面には、不死鳥の翼と盾をあしらったイズベルト王家の紋章を背に老王――イズベルト三十二世の姿が。その横には彼の妻たる后が並び、王位継承権を持つまだ幼い王子王女の姿もある。これを見ただけでも、これが本当の武競祭の始まりだという気がしてくるというものだ。
国王陛下の周りには貴族などが特別席に座っていて、貴賓席がある場所から少し離れたところに、簡素な石造りの階段状の観客席がずっとコロシアムを一周するように続いている。
その観客席には、予選を勝ち抜いた選手。また各騎士団の代表として武競祭本戦へと出場する選手の顔ぶれを一目見ようと、多くの人々が駆けつけていた。
貴賤の差こそあれど、彼ら全てに等しいのは、コロシアム中央の石のリング上に視線を注いでいるということ。ようやくもって揃った本戦参加者たちが、彼らの注視の中、ゆっくりと入退場口からリング上へと入場を開始していた。
予選を勝ち抜いた、身分はないが、確かな実力を持った戦士たち。
常日頃より鍛え上げられた腕を持つ、王国を守る歴戦の騎士たち。
一人一人がこの場に集う輝きのようなものを持っており、その眩さにあてられた観客たちの間に熱気が立ちこめていく。そんな熱を、しかし一瞬で奪ったのも、また入場を果たした騎士の一人だった。
その騎士は黒かった。
頭の先から、足の先までを覆う漆黒の全身甲冑。
唯一色の違う兜から述べる獣の毛は、血で染められたかのように赤い。
その身に纏うは禍々しい気配。遠く離れた観客席からは詳細は分からずとも、その黒い騎士が場にそぐわないことだけは敏感に察することができる。彼だけ輝きというものが感じられず、黒騎士の登場とともに、熱気に包まれかけた観客は水を差されたように静まりかえった。
一体、あの騎士はなんなのか?
そんな疑問を抱く観客の中、この武競祭の裏で策謀を巡らす一部の者たちも同じことを思っていた。いや、疑念という意味では一般の観客よりも切実に思っていた。
戦いは始まったときには勝敗がついている――そう言われるほどに、戦いにおいて情報というものは重要だ。相手の弱点が分かれば、そこをつけば勝てるということも分かろう。そこまで極端でなくても、対戦相手の情報があるかないかではかなり勝率が違う。
そういう点で鑑みれば、なるほど、武競祭の参加者は皆平等といえよう。
これまでに人前で戦う姿を見せつけた、予選を勝ち抜いてきた一般参加者の方が不利かと思われるかも知れないが、それは違う。本戦からの参加者である騎士団の代表選手も、またその知名度故に情報が知られているのだ。
しかしあの黒騎士のみ、この例には該当しない。
わかっているのは、彼がバーノン伯爵家騎士団からの代表選手であるということだけ。
他は全てが謎の、情報のまったくない不気味な選手――それがアルカンシェルという選手だった。
(どうして、こうなってる……?)
そんな偽名を使っているアルカンシェルの中の人であるジュンタは、現在、嘆きの念もひとしおに開会式の始まりを迎えていた。
「――静粛に。これより、第一回レンジャール武競祭本戦の開会式を始める」
リング内に整列した総勢三十二人の参加選手に対し開会式の始まりを告げたのは、もちろん立ち上がったイズベルト三十二世。
それはありがたいお言葉だ。相手は一国の主。本来一生言葉などかけてもらえない相手だ。
その言葉は武競祭の参加者として聞く者の胸には、強く響く。
激励と賞賛の声は、戦いを生業とする者には一生の誉れとして残るだろう。
ここまで修行などを経験して参列したジュンタも、また国王の言葉を感慨深く聞きたかった。本当の戦いが始まる瞬間を、感慨もひとしおに聞きたかったのだが…………聞けなかった。
(どうして、俺はリオンの奴に睨まれてるんだ?)
理由は一つ。自分の右隣に並んだ、一人の少女が原因だった。
どうやら列は申し込みの順番のようで、ジュンタの隣にはその一つ前に武競祭への登録をした少女が立っていた。
紅い鎧を身につけたリオンその人が、どうしてか、先程から延々と睨みつけてくるのである。
「むかつきますわ。理由はありませんけど、なんだかやっぱりとてもむかつきますわ」
そんな理不尽な呟きが時折聞こえてきて、お前グラスベルト王国の騎士なんだから、国王様の話聞けよと思わずツッコミたくなる。
内心そう思うジュンタもやはりリオンに睨まれている状況で、ありがたいだけで救いにならない国王陛下の話など聞いていられなかった。ともすれば、今にも剣を抜いて襲いかかってきそうなぐらいの敵意を横にして、さすがにそれは無理というものだ。
他の面々がしっかりと開会のあいさつを聞いている中、隣り合った二人だけが国王ガン無視で、それぞれの思惑で互いを牽制している状態が数分間続く。
(ダメだ。リオンに意識を集中しているとどうにもならない。ここは俺の癒しに意識を集中しよう……まぁ、どうしてこの場にいるのかは甚だ疑問なんだけど)
不毛な時間を過ごすジュンタは、リオンよりもずっと向こうにいる少女へと視線を移す。
大きな帽子を今は脱いで、胸に抱えた白い服の少女。
帽子の下の美しい金髪が光を浴びてキラキラと光っており、まっすぐ国王へと注がれた蒼天の瞳が確認できた。
そのとき、彼女の普通の人より長い耳がピクピクと動いた。
どうやらこちらの視線を感じ取ったようで、こっそりという感じで視線を寄越してくる。
エルフの少女――クーは日だまりの笑顔を浮かべて、小さく手を振ってくる。それに猛烈に手を振り替えしたくなるのを必死で抑え、ジュンタは視線で『どして、あんさんここにおんのよ?』と尋ねてみた。
さすがは巫女であるクーか。視線だけで会話が可能のようで、青い瞳を微かに潤ませてアイコンタクトを取ってくる。
『すみませんご主人様。これには色々と事情があるんです』
なんて言っている気がする。
真面目なクーは式の最中でゴソゴソすることがあまりできないらしく、表情を精一杯変えて想いを伝えようとしている。コロコロと変わる表情がかわいらしくて……ああ、癒される。
ジュンタは『いいんだよ。俺怒ってないから』という想いを視線に乗せて、一つ頷く。
クーはちゃんと察したようで、ほっとしたような顔をしてから、嬉しそうにはにかんだ。
「な〜に、デレデレと見ていますのよ」
手が届く範囲にいたら抱きしめただろう笑顔が、鋭い紅の眼孔が輝く、美しくも怖い少女の顔に変わる。
思わず視線を背けてしまったジュンタは、正面へと顔を戻して、いきなり顔を割り込ませてきたリオンを無視することにした。
「ちょっと、どうして無視しますのよ。私が気にしていることには気が付いているのでしょう?」
「やりたい放題だな。今は国王陛下様様のあいさつだ。静かにしてろよ」
「あなたが吐いた言葉とは思えない台詞ですわね。さっきまで、あんな幼い少女に鼻の下を伸ばしていた輩が、どの口でそんなことをほざくんですのよ」
「……どうした? 今日はやけに絡んでくるな。欲求不満か?」
素朴な疑問をアルカンシェル風に直してジュンタは口にする。
「欲求っ!? だ、誰がそんなことを――ッ!」
リオンは顔を真っ赤に染めて、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
計画通り。これでのんびりとクーを見て癒されることができる…………どうして武競祭本戦参加者の列にいるかは、さておき。
ジュンタが視線を向けると、クーは反応を示す。
そうしてジュンタが癒されていると、リオンが嫌がらせをしてくる。
ジュンタはリオンを取りあえず言葉で誘導して黙らせて、またクーへと。
「これをもって、開式のあいさつとする」
そんなサイクルをぐるぐると繰り返している内に、国王の長い開会の言葉は終了した。
その内の数行も聞いていないジュンタは、最初より鋭い視線を向けてくるリオンを隣に置いて、赤く染まり始めた空を見上げる。
「……どうして、こうなる?」
たぶん、それはマザーにも分からない。
せっかくの栄えある武競祭本戦の開会式に参加しているというのに、疑問と隣の少女の殺人視線を抱えて、ジュンタは憂鬱げにため息を吐く。
三十二名の集った強者どもの中――黒い甲冑を纏ったジュンタが、やはり一番浮いていた。
イズベルト国王陛下、王国騎士団長グラハム、ならびに多くのお偉い方々の賛辞と訓辞のあと、武競祭本戦の開会式は最後にして最大の見せ場へと辿り着く。
国王のお話などは参加者にとっては名誉あることだろうが、わざわざ見に来た観客にはどうでもいいことと言えばその通りだ。
王都に住む全員を動員できるほどにでかい王城コロシアムに詰めかけた人数は、戦いがあるわけでもないため満員とはいわない。それでも出場者の顔を見ようと詰めかけた人数は多い。
その熱狂、アイドルのコンサートにやってきたファンの熱狂と似ている。
開会式最後にして最大の見せ場である、本戦の対戦を決めるためのくじ引きの準備が整うまでの僅かな時間。耳を澄ませば、参加選手の名前を叫んだりしている声が聞こえた。お偉い方々の話も終わり、静聴が破られたために起きた当たり前のざわめきである。
線が刻まれた白い石のトーナメント表。
線の一番上には王冠のマークが金で刻まれ、一番下には何かを引っかけられる留め具のようなものが取り付けられている。
トーナメント表の前に用意された机の上には、三十二枚のこれまた石でできた板が積まれている。どうやらあの板に名前を書いて、留め具に吊すようにできているらしい。
「それではこれより、武競祭本戦の対戦組み合わせを決めさせていただきます。名前を呼ばれた方は前へと出てきて、箱の中から一つ宝石をお取りください」
と、係の騎士が手に石を切り出して作られたと思われる四角い箱を持って、大きな声で言う。
「それではまず始めに――リオン・シストラバス選手。前へとお願いします」
「はい」
先程から観客に一番名前を呼ばれていたリオンが、うるさい中でもよく通る声で返事をし、前へと進み出た。
「それでは引かせていただきますわ」
「はい、どうぞ」
リオンは箱の中へと手を入れて、迷うことなくすぐに引き抜く。一番最初で何を引いても歓喜も何もないのだから当たり前なのだが、リオンがすると潔いというイメージが先に出るから不思議だ。
親指大のルビーのような宝石。それを手に収めたリオンは、自分では見ずに係の騎士に渡す。
騎士は宝石の表面に刻まれた、異世界の数字を見て声高々に叫んだ。
「リオン・シストラバス選手、十八番!」
『おぉ!』となぜか観客からどよめきが。取りあえず出てしまっただけで、何かに驚いたとかはないだろうとジュンタは思う。
すでに名前が書き込まれていた石の板、その一番上のリオンの札を持って、騎士がトーナメント表の左から十八番目の場所に吊した。
ようようと背筋を伸ばしてリオンは戻ってくる。
リオンは所定位置として決まっているわけでもないのにジュンタの隣に来ると、つんとすました表情で自信たっぷりにのたまう。
「これで一気にくじ引きの緊張感が高まりましたわね。一から十六までなら良し。十七から三十二までなら残念ですわね」
「大した自信だな。自分に近い番号であればあるだけ、くじ運が悪かったって言うのか」
「私、自分を過小評価も過大評価もしていませんの」
自意識過剰とも取れる言葉だが、まったくもってその通りなのでタチが悪い。
間違いなくリオンの強さは本物だ。強者がそろった本戦参加者の中でも飛び抜けている。ならば彼女に近ければ近いほど、勝ち抜くことは難しくなるのだが……
(ある意味、情報が露見してない最初に戦った方が、勝率的にはいいんだろうけど)
ジュンタは自分自身に当てはめて言えばそうだと認識していた。
ただ、やはり本音としてはリオンとは違うブロックで戦いたいな、と思いつつ、進んでいくくじ引きを見守る。
どうやらくじの順番は完全なランダムの様子だ。いや、リオンが最初のあたり意図していそうだが……少なくとも、自分の分がいつ来るかは分からない。
取りあえず今の段階ではリオンの隣は埋まっていない。
くじを引いた選手が一喜一憂する中、三十二人中六人がくじ引きを終えた。
(時間はあるな。なら、取りあえず先に疑問を解消しておくか)
特に誰も気にしていないので、ジュンタは自由に歩き回る。
リオンが視線を向けてくるが無視して、きちんと並んで待っているクーの元へと歩み寄った。
「クーちょっといいか?」
「あ、はい。ご主人様、なんでしょうか? と、やはり私がここにいることですよね?」
「そういうこと。どうしてクーがここにいるんだ? いや、どうしてここに並んでいるかは分かるけど、と言うか予選に勝ち抜いたから以外にないしな」
クーがどうして武競祭本戦参加者の列にいるのか?
そんなものは分かり切っている。クーが予選に参加して勝ち抜き、どこかの決闘場の代表選手としてここにいるのだ。
「だから俺が訊きたいのは、どうしてクーが武競祭に参加しているのかってことだけど、訊いてもいいか?」
「はい。たぶんご主人様も察していらっしゃると思いますけど、サネアツさんの提案です」
ちょっと申し訳なさそうな顔をして、クーは話し始める。
「サネアツさんが少しでもご主人様が優勝できる確率を上げるために、打てる手は全て打っておきたいとおっしゃられまして。それで確実にご主人様が一勝できるように、私にも参加して欲しい、と」
「クーが本戦に出場して俺と戦った場合、確実に俺が勝つからか」
「私は何があってもご主人様に危害を加えることはできませんから、ご主人様の不戦勝ということになりますね」
半ば予想はしていたけど、どうやら予想通りだったらしい。
色々と暗躍しているっぽいサネアツが、クーを出場させたのはジュンタのため。クーという仲間を出場させ、本戦参加者三十二人の席の内一つを埋めたのだ。これでジュンタは、三十二人中一人には確実に勝てるということになる。対戦の組み合わせ次第では、高い効果を発揮するだろう。
何かとクーが忙しそうだったのは、隠れて予選に出場していたからかと納得する傍ら、ジュンタは疑問に残ることがあった。
「でも、それならそうと、なんで俺に教えてくれなかったんだ? 別に俺が知ってても問題ないことだろ?」
ジュンタは仲間外れにされた気がして、ちょっとむっとしながらクーに尋ねる。
「あの、そのぅ……すみません。サネアツさんは悪くないんです。私がご主人様には言わないでくださいって頼んだんです」
恥ずかしそうにクーは頬を染め、ポソポソとサネアツに口止めした理由を語った。
「もし参加して予選で敗退してしまったら、ご主人様に合わせる顔がありませんでしたから。あまり自信もなかったですし、ですから、その……すみませんでした」
ペコリと頭を下げるクー。なるほど。クーらしいと言えばらしい理由だ。
「あの、怒ってしまいましたか……?」
上目遣いで、恐る恐るクーは尋ねてくる。
ジュンタは腕を組んで、小さく頷いた。
「ああ、少しだけ。前から言ってるだろ? クーはもう少し自分に自信を持った方がいい。素人の俺にだって分かる。クーはすごい魔法使いだよ。予選ぐらいなら楽勝だ」
「はい、すみません」
「また謝る。そういう時は笑って返事だ」
ポンとクーの頭に手を置いて、
「ありがとな。俺のために武競祭に出場してくれて。なんだか優勝できる気がしてきたよ」
「ご主人様……はいっ、私がんばります!」
ギュッと胸の前で握った帽子を握りしめ、クーは感激に震える。
「クーヴェルシェン選手、前へとお願いします」
「ひゃいっ!」
そんなタイミングで係の騎士に名前を呼ばれたものだから、心の準備ができていなかったクーは裏返った声で返事をしてしまった。
返事を聞いた周りの選手が失笑する中、クーは耳まで真っ赤になる。
「く、くじを引いてきます」
「ああ、行ってきな」
必死で込み上げてくる笑いを我慢しつつ、ジュンタはクーを見送る。
クーは小走りで前へと出ると、箱の中から抽選くじである宝石を引き、騎士に渡した。
「さて、クーは何番になる」
クーが引いたくじを確認して、係の騎士が声を張り上げる。
「クーヴェルシェン選手、二十三番!」
「二十三番、リオンと戦うなら準々決勝でか」
両者が順調に勝ち進めば準々決勝で二人は戦うことになる。
両者ともが強いことが分かっているので、どちらが勝つかは見当もつかない。
(それで結局は、俺がどこになるかってことだけど……)
二十人ほどが引き終わって、対戦カードが分かったトーナメント表をジュンタは確認する。
まだリオンともクーとも離れた一番から十六番までがかなり空いている。逆に十七番から三十二番まではもうほとんど埋まっていた。埋まっていないのは、リオンの隣と最後の最後の三十二番だけだ。
(これなら初戦からリオンとかクーとかになるのは避けられるかな)
なんてジュンタが考えている間にも次々とくじが引かれて、トーナメント表が埋まっていく。
「…………あ、あれ?」
「どうかしたんですかご主人様?」
埋まっていく。どんどんと埋まっていくトーナメント表の左側を見て、素っ頓狂な声をあげたジュンタに、戻ってきたクーが小首を傾げる。
「い、いや……え? 何このいきなりの偏り?」
目の前で、トーンメント表の左半分――即ち一番から十六番までが次々に消えていく。
九連続。誰一人として右側を引くことなく、まもなく左半分が完全に埋まりきってしまった。
そのタイミングで、
「アルカンシェル選手、前へとお願いします」
ついにジュンタは呼ばれた。
(おいおい待ってくれ。残ってるのってリオンの隣の十七か、三十二だけじゃないか)
この時点でリオン、あるいはクーと準決勝で当たることが確定した。
できれば決勝で対決したかったけどそれどころじゃなくて――口元を引きつらせつつ前へと進み出て、あと残り二つのくじが入った箱に手を入れながら、ジュンタはトーナメント表を見る。
残る席は二つ。……背後の紅い騎士から、ものすごい視線が突き刺さってくるんですけど。
リオンに無言のプレッシャーをかけられたまま、ジュンタは二つのくじの内一つを掴む。
(来いっ、三十二番!)
勢いに任せて引き抜く。勢いが付きすぎて箱の入り口をちょこっとガントレットで抉ってしまったが気にしない。顔を引きつらせる騎士にくじを渡して、颯爽とジュンタはクーの待つ列へと戻る。リオンの隣には怖くて行けないね。
(三十二番三十二番三十二番三十二番!)
くじを確認した騎士が、口を開く。祈るジュンタの目の前で、引いた番号が叫ばれた。
「――アルカンシェル選手、三十二番!」
「ちっ、惜しかったですわね」
リオンがお嬢様にあるまじきことに大きく舌打ちをしたのが、引いた番号が彼女の対戦相手でないことを如実に知らしめていた。
(危ない。ひとまず、初戦からリオンと戦うことはなくなったか)
ほっと一安心したジュンタは、最後に、最初と同じく意味のないくじを、絶望色で引き抜いた最後の選手に追悼の念を送る。
「それではトーナメントの対戦番号が決まりましたので、皆様今一度ご確認を」
トーナメント表を完成させた騎士が、机を片付けつつそう言う。
ジュンタの知っている相手の対戦番号は――
リオンが十八番。
クーが二十三番。
ジュンタが三十二番ということになった。
この組み合わせが幸となるか不幸となるかは分からない。だけど、これで武競祭本戦の開会式は終了し、明後日からの本戦の組み合わせが決定した。
「それでは、これをもって武競祭本戦の開会式を終了とする。
出場選手は明日一日ゆっくりと休み、明後日からの戦いに備えるように。貴君らには、騎士の決闘に則った素晴らしい戦いを期待する。以上だ」
最後に整列した選手に向かって、閉式の言葉をイズベルト三十二世国王陛下が述べる。
それで終わり。拍手が観客席から巻き起こり、来賓席から貴族たちが退席する中、選手たちはそれぞれ退場しようと動き始めた。
(あ〜、なんか全然感慨深いものがない開会式だったな)
「ちょっと、お待ちなさい。そこの無礼者」
さぁ、帰ろう。と、隣に立っていたクーと一緒に退場しようとしたジュンタをリオンが引き留めた。
「……無礼なのはどっちだよ」
「ちょっと、ミスタ・アルカンシェル! 止まりなさい!」
無視してスタスタと歩いたが、リオンの奴は追いかけてきて無視するのは無駄だと悟る。
「悪い、クー。ちょっと話があるみたいだから、先に行っててくれ」
「あ、はい。……分かりました」
リオンをチラリと見たクーにそう伝えてから、なんだ、と思いつつジュンタは振り返る。
夕日に輝く美しい紅髪の少女は、腰に手を当てて不機嫌そうにしていた。
「何か用があるのか?」
「質問があります。正直に答えなさい。あなた、あの少女とどういった関係ですの?」
あの少女、とリオンが視線で示したのは、少し離れた場所に移動して、こちらを心配そうに見ているクーだった。
この予想外すぎる質問には、ジュンタも兜の下で眉を顰めるしかない。
「なんだいきなり? どうしてそんな質問をするんだ?」
「いいから答えなさい。これはとても重要な質問なのですから」
「理解できん思考回路だなぁ。まぁいいけど。クーと俺の関係は――」
深く考えずにリオンの質問に答えようとしたところで、ジュンタは言葉に詰まった。
「……なんですのよ? 答えの続きは?」
「いや、俺とクーの関係は……」
――――なんだろう?
確かにクーは使徒である自分の巫女である。だけど、もちろんそれだけじゃない。仲間であるし友人でもあるし……でもそれだけでもない気がする。
なんだかクーとの関係をいい表すのに、適する言葉が思いつかない。
あえて言うなら…………妹がいたらこんな感じかな、というのが強いか。
「そうだな。家族、のようなものかな?」
「家族、ですの……そう、家族…………」
複雑な背景をそんな一言で片付けたジュンタに、リオンが神妙な顔つきになって悩む。
ある意味ではクー以上に関係が分からない相手である少女は悩んだあげく、
「それなら、まぁ、よろしいでしょう。一応納得して差し上げますわ。
では明日の夜、もしあなたも我が家に来るのでしたら、次はそこでお会いしましょう。それでは失礼」
髪をかき上げ、自分の疑問を処理したリオンは颯爽と去っていく。あくまでもマイペースに、意味深な置き台詞を残して。
一連の不可思議なリオンの行動の意味にジュンタが気付いたのは、その背を完全に見送ったあとだった。
「ああ、そうだ。やばい。あいつ、店に来たときクーに会ってるんだった」
リオンが一度『鬼の宿り火亭』にショコラを求めにきたとき、クーは店番をしていたのでまず間違いなく二人は顔を合わせている。あれからまだほとんど時間が経っていないので、確実にリオンはクーのことを覚えていただろう。
そんなクーと親しくしていた黒騎士――リオンが訝しく思い、関係性を知ろうとするのも無理のないことか。
「まずいな。俺が俺だってことはバレなかっただろうけど、『鬼の宿り火亭』で働いているサクラってことはバレたかも」
失敗した。武競祭が始まるとのことで、知らず高揚していたらしい。
やってしまったミスに、ジュンタはしまったなぁと手のひらで顔を覆う。
「…………まぁ、俺が俺だってことがバレてないだけいいって思うしかないか」
クーを待たせては悪いと、やってしまったことは仕方がないと、ジュンタは思考を早々に切り上げて歩き出す。
どちらにしろ全てはもう始まった。もう止まることはできない。
ならば自分が一番気にかけるべきことは、未だ習得できぬ[魔力付加]のこと――強くならなければ、そもそも優勝などは夢のまた夢なのだから。
ああ、だけど――
「…………シストラバス家にご招待、か。嫌だな。特に最近女装することに疑問を感じなくなりつつある自分が、本当に嫌だなぁ」
――武競祭以外のことで問題が多い気がするのは、何でなんだろうかね?
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