第一話 彼方からの誘い
『――手向けの花束よ。捧げられし花嫁よ。クーヴェルシェン。あなたはなんて幸せな巫女』
全ての終わりであり始まりまで、その言葉が全てだった。
誰も彼もがそう言って心底嬉しそうに笑ったが、言われても何も思わないし、感じなかった。
今だからこそそれは呪いだったのだとわかるが、そのときは本当に何もわからなかったのだ。
幼子に気付けというのが無理な話か。いや、違う。言葉自体は記憶していた。ただ、その時は何も感じなかっただけで。
何も感じない。何も思わない……それはつまり人間として生きてはいないということ。
見た情報に感情は伴わず、得た情報に感情は伴わず、触れた情報に感情は伴わず、ただそこに在るだけ――それは人形と呼ぶべきで、決して人間ではなかった。
だけど、彼女はそれでも人間だったのだ。そうでなければいけなかった。
白痴ではなく、無垢であるように。人間だけど人形で、人形だけど人間のように。どっちつかずのその存在にとって、やっぱりその言葉だけが全てだった。
『――手向けの花束よ。捧げられし花嫁よ。クーヴェルシェン。あなたはなんて幸せな巫女』
一番最初に覚える感情も、感じることも、何もかもをただ一つの用途に定められた存在。捧げられし手向けの花嫁。偉大なる神の手の中にある花束……
そう、全てが変わったのは――壊れてしまったのは、あの日なのだろう。
水色の髪の女。いつも目を閉じていた、怖い女。
彼女の手により捧げられた少女は、この世の果ての悪意に触れたのだ。
決して見てはいけないものに。
決して知ってはいけないものに。
触れて――――そして壊れた。
人形はその悪意を知ってしまったが故に人形ではなくなった。
人間はその悪意を感じてしまったが故に人間ではなくなった。
……では、それは一体何になったのだろうか?
簡単だ。枯れてしまった花束は、汚れてしまった花嫁は、きっと、悪意そのものに…………
◇◆◇
リオン・シストラバスはかれこれ二十分ほど、とある部屋の戸の前を行ったり来たりしていた。
徐々に温かくなってきた今日この頃。
肩を露出させたドレスを着たリオンは、本当に美しい少女である。
長い真紅の髪はどんな宝石よりも――炎よりも眩い輝きを放っている。同じく燃えさかる炎を閉じこめたような瞳の凛々しさといったら、老若男女問わず魅了するのには十分な美しさだった。
整った鼻梁に小さな唇。小顔に余分な脂肪なく引き締まったボディと、少し胸が足りないことを抜かせば、誰もが羨むほどの美少女である。笑いかければどんな相手も頬を染めてしまうはず。そこにいるだけで場の空気は華やかになり、遠目からでもその気配に気付くこと間違いなしなのである。
だというのに…………肝心要の部屋の主は、かれこれ二十分も待っているのに一向に気付きもしない。
「まったく、これだから美的感覚の乏しい庶民は嫌ですわ」
「あれ? リオンさん、ご主人様に何かご用事ですか?」
そんな風に自分がノックできないいい訳を他人の所為にしていたリオンの許へと、廊下の向こうから小柄な少女が走り寄ってきた。
リオンは持っていた鞘に入った剣を慌てて背中に隠し、目の前で止まった特徴的な耳を持った少女――クーヴェルシェン・リアーシラミリィことクーに応対する。
「お、おはようございますわ。クー」
「はい、おはようございます。リオンさん」
礼儀正しくお辞儀をするクーは、リオンとは違うベクトルで可憐な少女だった。
年齢の割に幼い容姿と体格ではあるが、それはそれで妖精のように愛らしい。
小さな顔や肌の白さを際立たせる高貴なる金色の髪をゴムで二つにくくり、そのまま後ろに流している。ツンと横に尖った耳は彼女がエルフであることを証明していた。
着ている服は、なんとも形容しがたい存在感のある白い服で、聖神教の聖衣に似通っている。大きな帽子を被った彼女は、思わず抱きしめたくなるぐらい、ぬいぐるみとかそういう感じでかわいらしい。
少し垂れ目がちな大きな蒼い瞳で、クーは頭をあげてからリオンを見つめた。
「リオンさん、入らないんですか?」
「う……」
じっと澄んだ瞳で見つめられたリオンは、なんだか自分が悪いことでもしたかような気持ちになってしまう。
「ご主人様に何かご用事があるのでしたら、もしよろしければ私が代わりに伺っておきますけど?」
「い、いえ、これはジュンタに直接言うべきことですから」
「そうですか」
気を利かせてくれるクーは、だけどどこか牽制しているような様子が見られる。
勘違いかも知れないが、そうされる理由があったのでリオンはそう思ってしまった。
(クーったら、まだ一昨日のことを気にしてますのね)
一昨日のこと――それはジュンタを中庭に呼び出した結果、彼と喧嘩になり、最終的に鞘に入った剣で彼をタコ殴りにしたことである。
打撃音を耳にしたクーに、思い切りタコ殴りしていた現場を見られてしまったのである。
一応は怪我人であるジュンタをタコ殴りにする場面……純粋な少女に悪印象を与えるには、十分すぎる理由だ。
さらにそれだけではなく、クーは何やらジュンタのことを慕っているらしい。
もの凄く、果てしなく奇特なことだが、その慕い具合は半端ではないよう。昨日一日中の怯え具合を見るに、クーの中では自分は大事な人を苛める怖い人という印象になっているようだ。
そんな相手が再びジュンタと会おうとしているのは、やはりクーの中では許容し難いことなのだろう。扉の前に立ち塞がるような形で、クーは心なしかビクビクした様子で動かない。
その姿はどこかうさぎを連想させる。ちょっとだけかわいい。
かわいいものが大好きなリオンは、つい狩人の目で見てしまい、敏感に反応したクーは扉に背中をつけるほど下がった。
「ちょ、別にそんなに怯えなくても、私クーを苛めたりはしませんわよ!」
「で、でもリオンさん。ご主人様に……」
「あ、あれはジュンタが乙女の純情を弄ぶような真似を! いわば正当な粛正ですわ! それに……私もさすがやりすぎたと反省してます。だから今日はこうして謝りに来ましたのよ」
「え? そ、それはすみません! それなのに私、邪魔するような真似をしてしまって!」
慌てて頭を下げて、クーは部屋の前からどく。
「どうぞお部屋に入ってください。ご主人様もだいぶ回復なされましたから」
「ええ、ここまで来たんですもの、入りはしますけど……その前に一つ、あなたに質問したいのですけどよろしくて?」
「私にですか?」
クーはきょとんとした顔で小首を傾げる。その後にぱっと笑って、
「はい、どうぞ私で答えられることでしたら」
「それでは質問させていただきますわ。あなたとジュンタ、一体どのような関係ですの?」
リオンは二人の関係がずっと気になっていた。
半年前にいなくなったジュンタと、そんな彼を慕うエルフの少女。
どうやら自分の知らない間を一緒に過ごしていたようで、本当に仲が良さそうだ。それはもう、ジュンタのあんなに甘くて優しい顔は見たことがなかった。
(それに、ご主人様って一体何なんですのよ!?)
それに輪をかけてリオンが興味を持っているのは、クーのジュンタに対する呼び方だった。
『ご主人様』――これは滅多なことでは使われない呼称である。
主と使用人の関係において稀に使われることはあるが、大体は様付けであったり旦那様のような形が多く、ご主人様と呼ばせているのは一部の馬鹿な破廉恥貴族ぐらいだ。
ジュンタがさすがにクーに呼び方を強要しているはずもないので、その呼び方は自発的に始まったと思われる。だとするなら、一体二人の間には何があったのか……リオンの興味はそこに尽きる。
「私とご主人様の関係ですか?」
「そうですわ。もしかしたらジュンタが貴族という可能性も考えましたが、それにしてはあの男はあまりにお下品ですし、そもそもクーはエルフでしょう?
だと言うのに、クーはジュンタのことを『ご主人様』だなんて呼んでいますわ。気になって当然――いえ、気にしなくてどうするのでしょうという感じですわ!」
「よ、よく分かりませんが、私とご主人様の関係なら簡単ですよ」
「そうなんですの?」
「はい」
はっきりと頷いて、クーは目を閉じ、両手を胸の前で組む。
「私はご主人様の従者をさせてただいています。つまりは主従関係ですね。
魂の一欠片、髪の毛の一本から血の一滴まで、私の全てはご主人様のものです」
「ジュンタ! あなた、クーに一体何てことしてますのよ!!」
クーの言葉が終わるか終わらないかの内に、リオンはジュンタが使っている部屋の扉を蹴破っていた。
「リ、リオンさん、何を……?」
「大丈夫ですわ。安心なさい。いたいけな少女の心を弄ぶ外道は、今日私がこの手で討ち滅ぼして差し上げますから」
「ご、ご主人様を討ち滅ぼしちゃダメですよぅ!」
鞘から剣を引き抜いて、リオンは部屋の中にズカズカと入り込んでいく。その後を慌てた様子をクーがついていった。
ジュンタが眠っているはずのベッドに視線が向いたところで――二人は同時に停止する。
「……あら?」
「……ご主人様、いませんね」
ベッドのシーツは何やら抵抗したかのように歪んでいて、そこにジュンタの姿はなかった。
この部屋はどうやら来客をもてなす部屋であるらしく、他の部屋に比べて見た目の豪華さを演出しているように見える。優美ながらも装飾過多ではない瀟洒なシストラバス邸の内装に比べれば、目に痛い光り物があちらこちらで輝いていた。
黒革の腰掛け二つが向かい合わせで置かれ、間にガラスのテーブルが置かれている。
朝の日差しが横の窓から入り込んできて、腰掛けの上にいるジュンタの向かいに座る、その男性の金髪を艶やかに輝かせていた。
大貴族の当主――ゴッゾ・シストラバスは紅茶を一口飲み、向けられるジュンタの白い目を見て肩を落として苦笑する。
「落ち着かないかい? まぁ、私もあまり好きではないんだが、グラスベルト王国の貴族は何かと安っぽい豪華さが好きでね。一応こういう部屋の一つや二つ用意しておかなければならないのさ」
「それが人を拉致まがいで連れてきての第一声ですか? 普通、こういう場合謝罪から入りません? もしくは縄を解いてくれるとか……」
「ははっ、何を今更。私と君の間にそんな無粋な真似は必要ないだろう?」
「一体いつから縄に縛られて部屋から連れ出されたあげくに、そのままの格好で腰掛けに転がされるのがデフォルトな関係になったんですか!?」
びにゅ〜ん、びみょ〜ん、とやけに弾むフカフカな腰掛けの上で、縄を体中にグルグル巻きにされたジュンタは芋虫状態で怒りを露わにする。しかし芋虫状態なのでコミカルにしか見えない。
それを自分でも感じ、さらにゴッゾは笑って見ているだけで解いてくれる様子はないので、溜息一つ吐いて芋虫状態からの脱出は諦める。
ゴソゴソと動いて、せめて同じ目線で向かい合いたいと、ジュンタは縄に縛られたままで強引に椅子に腰掛ける。色々な部位に縄が食い込んでくるが、これからゴッゾと話すだろう内容を考えたら、取りあえず真剣な態度は取らないと。
(……どんなにがんばっても、結局はコミカルな姿なんだろうけど)
紅茶のカップで必死に笑いを隠しているゴッゾを見て、ジュンタは諦めにも似た気持ちを覚える。どうせなら口に出して笑ってくれた方がまだマシだった。
「相変わらずジュンタ君はおもしろいね」
「俺としては、おもしろくするつもりなんて欠片もないんですけど」
「そういう風にすねて言うところが、何ともおもしろいのさ。……いや、まったく。ここまでやられたら信じるしかないね。ジュンタ君、君は本当に生きているんだね」
「まぁ、死んでたら蓑虫にはなってませんね、きっと」
紅茶のカップをテーブルの上に置いたゴッゾは、右手を顎にあててジュンタを見る。
表情には複雑過ぎる感情が隠せないほどに渦巻いていた。どちらかといえば負ではない感情の方が多い。
そろそろ本気で真剣になったようで、柔和な笑みはそのままだが、ゴッゾはふざけたことを口にはしない。
「色々訊きたいことはあるけど、まずはジュンタ君、私は君にお礼を言いたい。――ありがとう。君のお陰でリオンは死なずにすんだ」
テーブルに手のひらをついて、頭を深々と下げるゴッゾ。
彼がお礼を述べているのは、『双竜事変』と呼ばれている半年前の事件でのこと。
ジュンタがリオンのために本気で命を賭けた――いや、本当に一度は死んだ事件。リオンは知らないが、ゴッゾは全てに気付いている。だから今頭を下げている。
「ゴッゾさん、最初に言ったはずですよ。俺にとってもリオンは大事な奴だったんです。だから気にしなくてもいいですよ」
「だが、君がいたからリオンは救われた。その事実は決して揺るがない。私は死ぬまで、いや死んでも君に感謝をし続けるだろう」
頭を上げたゴッゾは、そう言って嬉しそうに笑った。
「……しかし、こんなことを言うのは失礼かも知れないけど、どうして君は生きているんだい? 確かにジュンタ君は『不死鳥聖典』を使って死んだはずなのに……もしかして『不死鳥聖典』を使っても助かるような、何か特殊な方法でも知っているのかな?」
やはりゴッゾの興味はそこへと移るのか、死んだはずの人間が生きて目の前に現れたことに困惑と興味を合わせて質問にした。
「確かに『不死鳥聖典』は今まで、シストラバス家の竜滅姫が使っていたものだ。聖骸聖典を使徒が使ったという記録もない。……もしかしたら『不死鳥聖典』を含む聖骸聖典は、使徒が用いたならば死なずに使えるのだろうか?」
どこかその言葉にゴッゾは期待を向けているようだった。
それも分かる。もしもそれが事実であるのならば、即ち竜滅姫がドラゴンを倒すために命を賭けなくても、使徒が使えば犠牲なくドラゴンを倒せるということになるのだから。それ即ち、リオンがいつかドラゴンを倒して死ぬ心配がなくなるということに繋がる。
だが、それは違う。少なくともジュンタはそう思っていた。
「どうでしょうか。俺はそこまで聖骸聖典っていう奴の仕組みに詳しくありませんけど、少なくとも『不死鳥聖典』を使えば死にます。今こうして俺はゴッゾさんの目の前にいますけど、間違いなく俺は一度死にました」
克明に覚えている。『不死鳥聖典』より生じた竜滅の炎に、内から外から焼けていく感覚を。
「そうなのか……だとすると、君は生き返ったとでもいうのかい?」
「ある意味では、そう言ってもいいと思います。運が良かったみたいで。まぁ、使徒としての特典みたいなものですかね。偶然が幾重にも重なって、死にかけたところを救われたようです。まず確実に、次死んだとしたら生き返ったりはしないでしょうけど」
「そうか。使徒には不思議な力があると聞くが、もしかしたらジュンタ君が助かった理由はそこにあるのかも知れないね」
持論が否定されたのに、どこかゴッゾは安堵しているようだった。
リオンが死ななくても良くなるゴッゾの持論ではあるが、それは同時に過去の竜滅姫の犠牲が回避できた犠牲であったことも証明してしまう。それは竜滅姫として殉じた彼の妻にしてリオンの母――カトレーユ・シストラバスを失ったのを考えれば複雑なのだろう。
「まぁ、ともかくとして。ジュンタ君は現実として今こうして生きている、と。私はそのことを素直に喜ぼうか。ユースも相当喜んでいるようだからね」
「ユースさんも?」
ゴッゾとサネアツ以外にもう一人、あの日の事実を知るリオンの従者――ユース・アニエース。優しくもクールな彼女も、どうやら喜んでくれていたよう。
「あれもかなりリオンを溺愛しているからね。リオンを救ってくれた君は、一生をかけて感謝するべき相手なのさ」
「そうなんですか……ある意味、あれは俺の我が儘みたいなものだったんですけどね」
「その我が儘でリオンの命は救われたのだから。それはきっと、この世で一番褒められるべき我が儘だろうね」
「あはは、だといいですけど…………ところで、そろそろ縄を解く気になってくれました?」
ゴッゾと語り合っていた間、無理な体勢のために縄が食い込んで食い込んで。かなり痛い。
ちゃんとこうして生きている理由も教えたので、そろそろ解いてくれると嬉しいなぁ〜と思ってジュンタは話しかけたのだが、なぜかそこでゴッゾの空気が変化した。柔和な笑顔はやはりそのままだが、なんだか顔が笑っていないように見えるのは気のせいだろうか?
「ああ、そうだった。そうだね…………解いてもいいけど、その前にもう一つばかり君に質問してもいいだろうか?」
「解いてくれるなら大抵の質問には答えますけど。なんです?」
なんだか妙な空気を放つゴッゾに気圧されつつも、縄を解いてくれるならと蓑虫ジュンタは頷く。
ゴッゾは口を滑らせるために紅茶を飲み干して、カチャンとソーサーの上にカップを戻す。優雅に足を組んで、それから彼は質問をぶつけてきた。
「単刀直入に聞くけど、君はあのクーヴェルシェン嬢と一体どのような関係なのかな?」
「クーと俺の関係ですか? なんでまたそんなことを……?」
「いやいや、これはなかなかに重要な質問だよ。本当に、これからのジュンタ君の命運を分けると言っても過言ではない」
「そこまで!?」
そういえば武競祭の時、リオンが同じような質問をしてきたような気が。
なんだろう。そこまで他人にはクーとの関係が気になるものなのだろうか? リオンの時はてっきり、怪しい黒甲冑男とエルフの美少女のミスマッチが怪しすぎたからだと思っていたのだが……ゴッゾまでとなると、他にも理由がありそうだ。
「で、どうなんだい? 彼女は君をご主人様と慕っているようだけど?」
「その辺りはあれですね。クーは俺の巫女なんですよ」
改めて質問を繰り返すゴッゾに、ジュンタは問題なくそう答える。
リオンのときは内緒だったから言えなかったが、ゴッゾなら全て知っている。クーが使徒である自分の巫女であると話しても、なんら問題はなかった。
「巫女。使徒にとってオラクルを伝える従者か……なるほど、それなら彼女が君をご主人様と呼ばうのも不思議ではないね。だが、私の記憶が正しければ、ジュンタ君の巫女はサネアツ君だった気がするんだが?」
「サネアツはそれに近いだけであって、厳密には俺の巫女じゃないんです。俺も最初はそう思ってたんですけど、クーと出会ってはっきりと分かりました。クーこそが俺の本当の巫女なんだって」
「君にそう言われたなら、納得せざるをえないな」
答えを聞いて、ゴッゾは顎にもう一度手を当てて考え始める。
蓑虫状態で未だ残る筋肉痛を縄で刺激され続けているジュンタは、さっさと縄を解いて欲しいと催促の声をあげた。
「ゴッゾさん。納得してもらえたなら、早く縄を解いて欲しいんですけど」
「ん? ああ、すまないね。よし分かった。取りあえずクーヴェルシェン君が君の巫女であるのなら、そこまで問題はない。私は、だけどね」
「……へ?」
意味深な言葉と共に、ゴッゾはテーブルの上に置いてあったベルを持って鳴らした。
ちりん、と小さな音がなる。だが、それが聞こえた音以外にも何かしらの意味を持っていることは、感じられた微量な魔力を見てジュンタにもすぐ分かった。
…………何か、とてつもなく嫌な予感がする。
「失礼します」
ガチャリと扉が開いて、誰か男性が入ってくる。
踏みならすブーツの金属音を聞くに、シストラバス家の騎士の誰かだ。
ジュンタは蓑虫姿だが、決して目の前しか見えないわけじゃない。首だけは動くので横を見ることはできる。誰が入ってきたかは確認できる。が、鳴り響く危険シグナルに恐れを抱いたために見たりはしなかった。
ただゴッゾを恨めしい眼で見やるだけ――そのときガシッと、力強く右肩を誰かに掴まれた。
「ジュンタ・サクラ」
ブリキの木こりでももっとスムーズに動くという動きで、ジュンタは隣を振り向く。
間近――目と鼻の先に、厳ついエルジン・ドルワートルの顔があった。
「お、おはようございますエルジンさん。わ〜い、エルジンさんが縄を解いてくるんですか、やったぁ〜」
起伏のない声でそう棒読みしつつ、『ですよね?』という瞳でエルジンを見る。
エルジンはただ握りつぶすほどに左手で右肩を掴んできながら、低い声でただ一つだけを教えてくれる。
「最近、エリカが貴様のことをよく話題に出すのだ。これは、とても良くない兆候だ」
もう色々な意味でジュンタは諦めた。
もうどうにでもしてくださいと、身体を問答無用で縛り上げるロープに身体を預ける。
ズルズルとソファーの上を滑っていくと、左肩から手は離される。代わりに、今度は首根っこを掴み上げられた。
「悪の芽は先に摘んでおくに限る。安心しろ、ジュンタ・サクラ。貴様を縛る鎖は、俺が後で直々に断ち切ってやろう。鍛錬場でな」
「解いてやるではなく断ち切ってやる……つまりは刃物を使うというわけですか。そうですか…………俺、一応怪我が治ったばかりなんだけどなぁ〜」
今度はズルズルと廊下をエルジンによって引きずられながら、ジュンタは部屋で嬉しそうに笑うゴッゾを見やる。
「恨みますよ、ゴッゾさん」
「安心しておきたまえ。どれだけ君が私を嫌っても、私はこれ以上どうしようもないくらい君のことが好きだから」
「なら助けてください」
「それとこれとは話が別だよ。何、これもリオンに告白しておきながら、他の女性に色目を使った君の自業自得というものだよ。それにリオンの好みは自分よりも強い男だからね。早くリオンよりも強くなって、私に一発殴られに来てくれ」
「あれぇ? どうして俺が悪いことになってるんだろ……?」
目の前でバタンと閉じる扉。その向こうから聞こえてくる悪意ある策士の笑い声に、ジュンタはどんよりと負のオーラを纏う。
「――そうか、つまり貴様はリオン様に色目を使ったあげくに、従者を弄び、俺のエリカをも誑かしたわけか」
悪鬼の形相と共に向けられたエルジンの言葉に『これが異世界の日常だったっけ?』と、やけくそな笑みを浮かべるのだった。
◇◆◇
昨日一日まるで武競祭を避けていたかのように降り続いた大雨から一転、今日は非常によく晴れている。
レンジャールのシストラバス別邸の庭は、騎士たちの鍛錬の場としても使用されるために広い。かすかに濡れた緑の芝生が陽光に輝き、光の絨毯のようにも見えた。
「ここにもご主人様はいないようですけど」
「庭は広いですから、ここからは見えない場所にいる可能性もありますわ。屋敷の中にはいませんでしたもの。きっとここのどこかにいるはずです!」
クーと共にジュンタを捜しに庭へと赴いたリオンは、鬼気迫る表情で周りを見回す。
屋敷内を最初は捜したのだが、どこにも彼の姿はなかった。
敷地外にクーを置いて出て行くはずもないので、彼は屋敷のどこかにいるはず。誰も行き先を知らないならきっと庭にいるに違いない。
リオンは舌打ちと共に、太陽を軽く見上げる。
「もうすぐ昼食の時間ですわね。その前にできれば捕縛して罰を与えたいのですが……む?」
視線の向こう。屋敷の角を曲がって誰かが姿を現した。
眼鏡姿に一瞬ジュンタかと思ったが、それもすぐに勘違いだと分かる。同じように眼鏡をかけているが、そもそも性別が違う。
「リオン様にクーヴェルシェン様。こんにちは。お揃いで何をされているんですか?」
「ユース。あなたこそ、こんなところで何をしてますの?」
「こんにちは、ユースさん。お散歩ですか?」
ジュンタの代わりに二人が遭遇したのはユース・アニエースであった。
リオン付きの従者である、薄茶色の髪を持つクールビューティーは、リオンとクーの質問に首を横に振ってから答える。
「いえ、違います。少々修行をしていました」
「修行? 魔法の修行ですの?」
ホワイトブリムにエプロンドレスという完璧にメイドとしてのスタイルだが、ユースは魔法使いでもある。リオンはメイド服が彼女にとっての戦装束であることも、また理解していた。少し驚いたのは、彼女がこんな真昼に屋敷の鍛錬場を使っていることに対してだった。
「珍しいですわね。ユースが修行をするときは、大抵誰の目にも付かない場所を選びますのに」
「メイドたる者、努力するところを主に見られるわけにはいきませんから。今回は私の修行というより、私が修行を見たという感じですので、鍛錬場を使わせていただきました」
「へぇ、ちなみに誰の修行を見ていましたの?」
「それは内緒です。まぁ、言うなれば、彼が関わっているということぐらいしか」
表情の乏しい美麗な顔の、その眼鏡の奥の翠眼をユースは自分の腕の中に向ける。
その仕草に自然とリオンとクーの視線は、コルセットの上に乗るような感じで存在感を放つ、ユースの豊満な胸へと移動することに。思わず怯んでしまう。
自分の胸と一度見比べて、羨望混じりに再度ユースに視線を向けたとき、同時に彼女が抱きかかえている白い毛むくじゃらの存在に気が付いた。
「サネアツ?」
「サネアツさん、ですね」
ユースに抱きかかえられて眠っていたのは、綺麗な白い毛並みに泥を付着させた、小さな子猫のサネアツだった。
「ちょっとユース。どうしてサネアツがそんなに泥だらけですのよ?」
「もしかして魔法の修行って……」
猫などのかわいいものに目がないリオンは、サネアツが汚れていることに眉を顰め、クーは何かに気付き慌てて口を閉じる。
その様子に気付き、今度はクーにリオンは疑いの視線を向ける。
「クー? 魔法の修行とサネアツが汚れているのと、一体何の関係がありますの?」
「あ、いえ、話の流れからして、その……と、ところで! ユースさん、ご主人様を見ませんでしたか?」
「ジュンタ様ですか? ええ、見ましたよ」
完璧に誤魔化すように急に声を張り上げたクーに、やはりリオンは疑いの目を強めるも、ユースの返答を聞いて取りあえずそのことは意識の中から外す。
「ユース、あの不埒で無礼な鬼畜男は一体どこにいますの? さぁ、すぐに教えなさい。今日のドラゴンスレイヤーは、女の敵の血を欲していますわ」
「ほ、欲していませんっ! 気のせい、気のせいですリオンさん! それにご主人様は不埒でも無礼でもありません!」
鞘に入ったままの剣の柄を握り、ウフフと壮絶な笑みを浮かべるリオンに、クーが必死にフォローを入れる。
そんな必死な少女を見て、リオンの胸はズキンと痛む。
「ああ、なんてかわいそうに。そうやって皆、あの男の分厚い外面に騙されていきますのね」
「やけに実感がこもったお言葉ですね、リオン様」
「お黙りなさい! こ、この私がいつどこであの黒髪エロ眼鏡に騙されましたか!?」
聞き捨てならない言葉を聞いて、リオンは声を荒げる。
クーはびくりと震えて、再び怯えるように距離を取った。
……どうして自分がそんなことを言われたり、怯えられなければいけないのか?
これも全てジュンタが悪いに違いない。そうに決まっている。いたいけなクーを騙し、あまつさえ魂も肉体も全て捧げさせるとは何たる卑劣にして鬼畜な所行なのか。
外道許すまじ。女の敵には疾く天誅を――目を怒りで爛々と輝かせながら、リオンはユースを凝視する。
「それで全世界の女の敵、ジュンタ・サクラは一体どこにいますの?」
「ジュンタ様なら先程、騎士エルジンと向こうで剣の修………………行をしていました」
「?? どうして今、修行の間にものすごい間が空いたんですか?」
「あれを修行と言っていいものか、少しだけ悩んだ末の葛藤と受け取っていただけたなら幸いです。私もまだまだだと痛感しました。たぶん、そろそろジュンタ様も限か……お疲れになっている頃だと思いますので、行っても邪魔にはならないと思いますよ」
自分も魔法の修行場所としていた、庭の少し向こうの方を手のひらで指し示してから、ユースは深々とお辞儀をする。
「それでは、私はサネアツさんを治療しなければいけませんので。これで失礼させていただきます」
「あ、はい。わざわざ教えていただきありがとうございました」
「お礼を言いますわよ、ユース。これでようやく、あの輩に天罰を下すことができますわ」
お辞儀にお辞儀で返すクーの隣で、リオンはついに怨敵の居所を掴み、上機嫌で口端を吊り上げる。
頭を上げたユースは、少しだけ呆れたような表情を浮かべると、すれ違い様にリオンの耳元で囁いた。
「ほどほどにしておいた方がいいですよ。彼女は強敵のようですから」
「んなっ!?」
彼女、とユースが見たのはクーだった。
クーを指して強敵とは一体何事か? どういう意味か?
違う。別に自分はそう言うわけではない。別に告白してきたと言うのに、やけに仲がいいクーに嫉妬しているわけではないのだ。
そんな風に、そう考えていなければ即座に分からないユースの言葉を聞いて、顔を真っ赤にしたリオンは沈黙する。
「どうされたんですか? リオンさん、顔が真っ赤ですよ?」
「な、何でもありませんわ! さ、さぁ、行きますわよクー! 私があなたの目を覚まして差し上げますわ!」
「あ、待ってくださいリオンさん!」
ズンズンと照れ隠しに先に突き進んでいくリオンの後を、クーが慌てて追いかけていく。
(まったく、冗談ではありませんわ。私はクーが誰のことを好きでもまったく関係ありませんし、ましてやジュンタが誰を好きでもまったくこれっぽっちも関係ありませんわ! ええ、そうですとも。あんな平民、どちらにしろ……)
自分が現在抱いている感情を何て言い表したらいいかよく分からず、苦々しそうな表情でリオンは早足で歩き続ける。
するとコンパスの差か、徐々にリオンとクーの距離は空いてしまう。
思考に埋没していたリオンはそのことに気付くことのなく、少しだけ置いて行ってしまい……
「――――きゃっ!」
突如として背後で上がったクーの悲鳴に、何事かと振り返っときには色々と手遅れだった。
「クー!?」
そこにあった光景に声を荒げ、リオンは咄嗟に剣を鞘から引き抜き、クーの身体を拘束しているフードとローブ姿の怪しい人間を睨みつけた。
「リ、リオンさん! 逃げてください!」
「馬鹿なことを言うものではありませんわ! あなた、一体誰ですの? クーを離しなさい!」
クーの小柄な身体を後ろから抱きしめるようにして拘束している、その突如シストラバス邸に現れたヒトガタは、フードからのぞく口元にたおやかな笑みを浮かべる。
「申し訳ありませんが、それはできない相談になってしまいますね」
上がった声は綺麗なソプラノボイス。間違いなく、そこにいる怪しい者は女性であった。
「あなたが誰であれ、どんな目的であれ、私の屋敷での狼藉はこのリオン・シストラバスが承知いたしませんわよ」
リオンにしてみれば例え相手が男であろうが女であろうが関係ないのだが……口元に微笑を浮かべたままの女性に対し、不思議なやりにくさを感じていた。
まず敵意も殺意も目の前の女からは感じられない。感じられるのは穏やかな空気と優しさだけ。とてもではないが、いきなりクーを羽交い締めにしたような相手とは思えない。それはクーも思っているのか、先程までは暴れていたが今では一応大人しくしている。
一方で、武競祭にて強者であることが分かっているクーを、自分にまったく気取らせずに拘束したほどの使い手でもある。下手に油断もできなかった。
即座に斬りかかれる位置にいながらも、リオンは睨みつけるだけ。
突然現れた相手の思惑が推し量れずに、しばしの硬直状態が生まれてしまう。まず、言葉で相手を牽制するしかなかった。
「クーを離しなさい。今ならまだ弁明の余地はありましてよ」
「残念ながら。わたくし、こうと決めたことは最後まで貫くタチでして。今更後には引けません」
「そう。でしたら、リオン・シストラバスの名においてあなたを捕まえますわ。怪我の一つや二つは覚悟なさい!」
「まぁまぁ、怖いですね。ですが――残念ながら、わたくしの勝ちのようです」
『え?』
疑問の声が、リオンとクーの二人で重なった。
女の場違いなまでに穏やかな声と共に、彼女を中心として強烈な光が溢れ出す。
女の足下には魔法光を放つ魔法陣が――その繊細な魔法陣を見ても、魔法使いではないリオンには何が起きようとしているかまでは分からなかった。しかしクーには何を示す魔法陣であるかすぐに分かったよう。
「これは、もしかして[召喚魔法]!?」
「ふふっ、正解です。よくできました」
「[召喚魔法]ですって!?」
[召喚魔法]――サモーニングとも呼ばれている魔法は、非常に高度な儀式魔法として伝えられている。
使い手のことごとくが高位の魔法使いとして名の知れた者であり、その効果はある意味到達点の一つとされる。即ち、あらゆる妨害を突破する移動手段としての到達点だ。
人と人とが関わる縁において、魔法の行使者に最も縁深き者を問答無用で喚び出すことを可能とする魔法。いかなる距離でも、空間を隔てても、一瞬で手元に喚び出せる魔法は、例え対象が自分の縁深き一人だけと決まっていても非常識極まりない。
[召喚魔法]は行使者の縁深き者の戦闘能力如何では、あらゆる魔法をも凌駕する力となる――果たして一体目の前の狼藉者が何者を召喚するのか、リオンは警戒し身構える。
「リオンさん!」
敵に掴まったクーが手を伸ばして叫ぶ。
それに安心するようにリオンは微笑み返した。
「安心なさい。例えどのような怪物が召喚されようとも、私のこの剣で切り裂き、あなたを助けて差し上げますから。もうしばらくの辛抱です」
「違います! この[召喚魔法]は、この人が行使者ではなくて――」
眩い魔法陣の魔法光の色は白。氷の魔法属性を表す色。
魔法陣は魔法の行使者――否、[召喚魔法]の召喚対象である女の力を混ざらせて、白と青のコントラストを描く。
それを見たリオンが自分の勘違いと気付くと共に、クーの叫びが庭につく。
「――この人が誰かに召喚されようとしているんです!」
「っ! ミスしましたわっ!」
強く地面を蹴って、リオンは弾丸のようにクーを捕まえ、白と青の魔法陣の光を浴びる女に斬りかかる。
「あらあら、お転婆さんですね」
「くっ!」
渾身の一撃はいとも容易く、女の前に展開された水の膜の形をした防御壁によって防がれる。それはリオンにとって驚愕すべきことだった。
(私のドラゴンスレイヤーでも切り裂けませんの!?)
無詠唱で生み出された防御壁の密度や精度などの全てが、尋常ではない頑丈さを作り出している。魔法を切り裂くドラゴンスレイヤーは膜を少しずつ抉っているが、刻一刻と迫る召喚の時に間に合わないことは、リオンが一番良く理解できた。
「リオンさん、離れてください! このままでは、あなたも召喚に巻き込まれてしまいます!」
「そうですね。三人までなら何とか大丈夫でしょうが、下手をしたらわたくしたちとは別の場所に召喚されてしまう恐れもあります。ここは一つ、引いてくださると嬉しいのですが……」
「揃いも揃ってお馬鹿なことを言うのではありませんわ! リオン・シストラバスともあろうものが、友人を見捨てるなんて真似できますか――ッ!」
「リオンさん……」
「あらあら、まぁまぁ」
気合いと共に鋭さを増すドラゴンスレイヤーが、ついに水の膜を打ち破る。
女の口からもれた驚きの声は、果たして防御壁を破られたことにか、それともリオンの発した言葉にか。
女は微笑を浮かべ、自分の身に届こうとする刃に向かって指先を伸ばした。
「あなたとはお話をする機会に恵まれませんでしたけれど、とても素晴らしいお心をお持ちになった人のようですね。できればもう少しお話していたいものですが、残念ながらそろそろ時間切れです――泡沫と消える」
「――ッ!」
「リオンさん!」
女の指先から巨大な泡が生まれてリオンを襲う。
泡は眼前で弾け、その反動でリオンは遠くに弾き飛ばされてしまった。
「くっ、一体何なんですの、あの女……!」
怪我はない。だが、身体が痺れて動かない。
女の使う水の魔法属性は、人と身体に変調を起こす付加効果を持つものもあるという。この痺れも、たぶんそれが原因だろう。
「申し訳ありませんが、今日のところはそこで大人しくしていて下さいな」
「ふざけるのでは……ありませんわよ!」
リオンは痺れる身体に鞭打って、気力で立ち上がる。
必死に立つ姿を困ったように見たのは女であり、クーだった。
「困りましたね。できれば怪我はさせたくないのですけれど……これ以上やるというのなら、わたくしも少しばかり本気を出さなければならなくなってしまうのですが」
「止めてください! 私ならどうなってもいいですから、リオンさんには手を出さないでください!」
身体を動かすのも億劫そうなクーが、必死にリオンに対し手を伸ばす女の腕を掴む。
女はクーの縋るような瞳をフードで隠れた瞳で見て、
「……分かりました。どちらにしろ、直に[召喚魔法]は完成します」
そっと手を下げた。
それが合図だったかのように、魔法陣の光が溢れ出す。それはリオンの視界を塗りつぶすほどに強大で、彼女の言うとおり[召喚魔法]が発動しようとしている前兆であることを示していた。
光に紛れて、リオンの耳にクーの声が届く。
「リオンさん、お願いします。ご主人様に謝っておいてもらえますか。私は――」
「冗談はお止めなさい!」
最後までクーに言わせることなく、リオンは痺れる身体で光の中へと飛び込む。
「――ああ、そうだ! そんな言葉聞き耳持つか!!」
その横を虹色の雷が駆け抜けていったのは、その次の瞬間のことだった。
白と青の魔法光を切り裂く、あり得るはずのない虹色の魔法光。
背後から猛然と追い抜いてきて横を駆けていく稲妻を見て、リオンは笑顔で叫ぶ。
「ジュンタ! やっておしまいなさい!」
「おうっ!」
虹色を纏う剣を前方に、高速で突っ込んでくるジュンタとの交差は一瞬。先に行くジュンタの身体に負けぬように、リオンも剣を構えて走る。
「これはっ!?」
光と光が激突する境界線で、ジュンタの刃と女の放った水の防御壁がぶつかりあっているのが見える。助太刀しようとリオンは全力で突っ込み、そのスピードのまま水の膜に向かって紅い剣を突き刺した。
バチン、と割れる防御壁。
「クー!」
「ご主人様!」
手をクーに向けて伸ばすジュンタ。ジュンタに手を伸ばすクー。
二人の手が触れ合おうとするその瞬間――無慈悲にも、ここにはいない誰かが行使している[召喚魔法]は、その場にいた四人全てを彼方へと誘う。
「きゃっ!」
「リオン!」
光が爆発的に広がり、前後左右上下をあやふやにさせるとてつもない衝撃が襲ってくる。その最中で離さないよう、リオンの手をジュンタは掴もうとする。同時にもう片方の手を、クーに向けてジュンタは差し出して……
「クー!!」
「ご主人様ぁあ!!」
光で前が見えない。ただ自分を呼ぶ声だけを頼りにして、ジュンタは手を伸ばす。
しかし――――最後まで、ジュンタの手がクーの手に触れることはなかった。
ユースが魔力の波動を感じ、駆けつけたときには全てが終わっていた。
遠目からでも分かるほどの魔力の猛りは、今では虚空に霧散している。それと同時に、そこにいただろう人たちもいなくなっていた。
「リオン様、ジュンタ様、クーヴェルシェン様……一体どこに?」
心なしか青ざめた顔で、ユースが呆然と誰もいないシストラバス家の庭を見渡す。その腕の中から、泥だらけのサネアツが飛び降りた。
「ユース。ここに手紙が落ちているぞ」
「手紙、ですか?」
サネアツが肉球で叩く芝生の上には、確かに一枚の手紙が置かれていた。
綺麗な文字が並んでいるそれを、ユースを拾って読む。
「『お姫様を返して欲しければ、王子様は聖地まで来ること。Byお姫様が大好きな謎の怪盗より』……なんでしょうか、これ?」
「分からん。分からんが、恐らく……」
ユースの言葉に返事を返しながら、どこかでサネアツは悟っていた。
再び何かしらの事件が起きた。またジュンタは巻き込まれた。
それが意味するところをニヒルな笑みで皮肉って、サネアツは聖地ラグナアーツのある方角へと瞳を向けた。