第十話  異教の神殿





 ベアル教と呼ばれる宗教の起こりは、遡ればまだ新しく二十年ほど前のことになる。


 創始者は宗教団体の名称ともなったベアルという男。

 ベアルを合わせ、男女二人ずつ――計四人の男女によってベアル教は開かれた。


 その目的は、少なくとも語られているところによれば、神と崇めしドラゴンへと至ること。その大いなる力をもってこの世に変革をもたらすことである。

 彼らはドラゴンへと至るという聖神教徒ではあり得ない目的のために、様々なことを行ってきた。当初はベアル教の信仰がいかなるものか広まっていなかった上、聖神教への攻撃もなかったために、その存在すらあまり知られていなかった。


 そんなベアル教が一躍有名になった事件が存在する。


 未だ皆の記憶に新しい、一つの都が滅び去った、あの忌々しいドラゴンによる事件――通称を『オルゾンノットの魔竜』と呼ばれている事件である。


「当時オルゾンノットという名だった、グラスベルト王国の都。そこをドラゴンが強襲し、都が滅んだ一連の事件。『オルゾンノットの魔竜』、あるいは『オルゾンノットの魔竜事変』と呼ばれている事件が、ベアル教の名を世界に轟かせた。

 ベアル教はドラゴンがあるところに現れる。このオルゾンノットで起きた事件で、都一つが滅ぶまで『竜滅姫』がドラゴンを倒せなかった原因が、このベアル教にあるんだ」

 澱んだ空気を閉じこめた長い石の地下通路を歩く中、ジュンタがスイカから聞かされた話は、これから向かう場所をアジトとするベアル教の、その誕生の馴れ初めだった。


「創始者メンバーの四人。盟主ベアル。ドラゴン研究の第一人者だったアンジェロとターナティア。そして『狂賢者』と悪名名高いディスバリエ。この面子からして、彼らがドラゴンへと至るため最初に実行に移したことは、ドラゴンの生態をもっとよく調べることだったと言われている」


「確か、ドラゴンの研究はあんまり進んでないんだよな?」


 古より人と密接に関わってきた、魔獣の王――終わりの魔獣(ドラゴン)


 常人では敵わないかの獣には天敵が存在する。それこそがリオンの家であるシストラバス家、開祖ナレイアラの力を行使する竜滅姫たちである。

 彼女たちは代々竜殺しの役目を担っている。ドラゴンが現れれば、その場に赴いて滅するのだ。


 竜殺しに用いられるのは、竜滅の不死鳥を呼ぶ聖骸聖典――『不死鳥聖典』

そのあまりに強大な力故に、ドラゴンを一撃で跡形もなく屠ることができる。竜滅姫の命という多大な犠牲の上に。

 よって、研究に必要なドラゴンの死骸は一切この世には残らない。残って精々、鱗や血ぐらいのものだ。そのためドラゴンの研究は未だ進んでおらず、どこからどのようにして、どんな理由で誕生するのか未だ判明していないらしい。


 研究するにはドラゴンのサンプルが必要不可欠だが、ドラゴンを一分一秒でも長く生き長らえさせれば、その間にたくさんの人が死ぬ。正規の研究者に、あえて研究のために万人を殺すような非道が取れるはずもない。


 しかし、それをしたのがベアル教 ――


「彼らはドラゴンの思考分析をするために、特殊な道具を生み出そうとした。その道具は他でもない人間だったと言われている」


「人間?」


「ベアル教はまず『オルゾンノットの魔竜事変』の前に、大勢のエルフを攫って人体実験を行ったんだ。どうやってドラゴンの情報を得ようとしたかは分からないけど、それには高い魔力資質が必要だったらしい。後から発見されたベアル教の研究施設は、それはもう凄惨な光景だったという噂だ」

 不快気に顔を歪めて、歩きながら小声でスイカは話を続ける。


「ことが露見する前から、彼らは発足から数年をかけて、百人近いエルフや高い魔力資質を持つ人間をモルモットにし、ドラゴン誕生の秘密を探るべく何らかのヒトガタの道具を完成させた。

その上で彼らはドラゴンの現れたオルゾンノットに赴き、当時の竜滅姫だったカトレーユ・シストラバスを攫い、計画を実行したんだ」

「それは成功したのか? ドラゴン自体はカトレーユさんが倒したって話だけど」


「成功したのか、していないのか、それは分からないんだ。ドラゴンは多くを焼き尽くし、その中にはベアル教の創始者メンバーを始め多くの教団員も含まれていて、当時の資料も残っていなかった。実験が成功したかどうかを知っているのは『狂賢者』だけだろうな。この事件のあとに生存が確認されているのは彼女だけだから」


「そうなのか……でも、盟主であるベアルが死んだなら、今のベアル教を率いているのは誰なんだ? そのディスバリエって奴なのか?」


「ううん、彼女は元々客人として招かれただけの研究者で、新たにベアル教の盟主となったのは別人と言われているんだ」


 そのスイカの言い回しにジュンタは察する。


「使徒のスイカでも確証がないってことは、その盟主が誰だかまだ分かってないのか?」


「鋭い。確かに聖神教の情報網の中には伝わってきていない。ただ――


「ちょっと待ってくれよ、姉さん。それ以上こいつに話す気?」


 何かを話そうとしたスイカの言葉を、今まで黙っていたヒズミが遮る。


「それは聖神教でも極一部しか知らない情報じゃないか。こんな奴に教えることない」


「そうは言うけど、現にわたしたちはこうして、ベアル教の最高導師がいるかも知れないアジトへと向かっているんだ。わたしたち二人を除けば、ジュンタ君ほどにこの話に関わっている相手はいないと思うけど」


「それは…………ちっ、仕方ないか。分かっていると思うけど、下手なことは言わないでくれよ?」


「心得ている。――すまないな、ジュンタ君。説明の続きだ」


 何やら重要な秘密事項であるらしい説明にスイカは移らんとする。

 ジュンタも一瞬聞くべきか悩んだが、結局こうしてアジトに向かっている限り無関係ではいられないと、耳を傾けることにした。


「今のベアル教は、実は内部で覇権争いが起きているんだ。一度は解散しかけたベアル教を復活させた新たなる盟主率いる『改革派』と、開祖ベアルの息子を最高導師と崇めた『純血派』の二つの間で。

新たな盟主の素性は一向に知れないけど、『純血派』のトップである男のことは判明している。名をビデルというその男が、この先のアジトにたぶん、いる」

一気に説明したあと、スイカは捕捉をいれる。


「ちなみに聖神教に攻撃を加えているのは『純血派』の方だから」


「なるほどな、よく分かった」


 なんだかんだでよく関わっているベアル教だが、こうして詳しい話を聞いて分かったことがある。

 

 それは自分の敵であるということ。『改革派』も『純血派』も、両陣営とも変わらずドラゴンを目指すというのなら、それは竜滅姫であるリオンにとっては死活問題だ。なら、ジュンタにとってもベアル教は敵だった。宗教とかは関係なく。

 少なくとも、そう思っていた方がやりやすい――ジュンタは長く続いていた通路の終わりを目視して、腰の後ろの剣帯に手を回し、上下を反対にして並べた双剣の柄を握って勢いよく引き抜く。


「いよいよだ。とりあえずの行動原則として、出会った敵は速攻で口を塞ぐことにしたいと思う。騒がれたら面倒だから」


「了解。そういうわけだからさ。足を引っ張るなよ、サクラ」

 スイカが持っていた棒を右手に構え、ヒズミの魔法武装の両端から炎のような金属を生まれ、さらにその両端から炎の弦が生まれる。


 何度見ても摩訶不思議なヒズミの弓を見て、ジュンタは今更ながら質問する。


「聞いてなかったけど、ヒズミは後衛。スイカは中衛ってことでいいんだよな?」


「そうだな。わたしは結構オールマイティーに行けるけど、ヒズミは遠距離攻撃専門だ」


「別に、近距離でもやれないことはない。姉さんの方こそ、大器晩成型なんだから後ろに下がっていた方がいいんじゃない?」


 援護しかできないと言われ、ヒズミはプライドを刺激されたようだった。


「その点僕の『黒弦(イヴァーデ)』は、どんな距離からでも相手を必ず撃ち抜く。どっちが有効かは、比べるまでもないね」


「むっ! わたしの『深淵水源(リン=カイエ)』を馬鹿にするのか? 確かに水のない地下ではその本領を満足には発揮できないけど、それでもわたしはちゃんと棒術と薙刀を習っている。敵に遅れは取らない」


「はいはい。よく分からないけど、出撃前に姉弟喧嘩しないでくれ」


 それぞれ自分の武器にこだわりでもあるのか、二人はこんな場所だと言うのに睨み合う。本当に緊張感がない。


「俺は見ての通り双剣で、前衛しかできない。なら、ちょうどいいじゃないか。それぞれ得意なポジションで戦えば」


「それは確かに。ジュンタ君の言うとおりだ」


「一番合理的ではあるか。いいだろ。弱い前衛のために、援護射撃をしてあげるさ」


「間違って、いや、狙って俺の頭に当てるなよ?」


 スイカが水を吸収し、変幻自在の刃となす魔法武装――深淵水源(リン=カイエ)』を持って後ろに下がり、その後ろに炎の魔弾を放つ魔法武装――黒弦(イヴァーデ)』を持つヒズミがつく。

 互いを心の底から信頼し合っていないし、息も合わないだろう急造のパーティーだが、役割分担だけは上手くばらけている。


「よしっ、それじゃあベアル教のアジトに侵入するとしますか」


『了解』


 さすがは姉弟。力強い返事は完璧に揃っていた。







       ◇◆◇







 ブツブツブツブツと神経質そうな青白い男が、黒石でできた椅子の前で、行ったり来たりを繰り返していた。


 長い裾の服を着て、細い身体に不釣り合いなマントを付けた三十代前後の男は、自分の親指の爪を苛々と噛んで眉間に皺を刻んでいる。


 黒石の横に控えたウェイトン・アリゲイは、そんな男の姿をしばらく見て、いい加減鬱陶しいと口を開いた。


「ビデル最高導師。少々落ち着かれてはどうでしょうか? 御身が焦られても、哨戒に出した信徒たちはしばらく戻っては来ませんよ」


「そんなことは分かっておるッ! だが、だがこれが落ち着いていられるものか! 今まさにこの瞬間、我らの地下神殿の上に、あの翡翠の使徒の大隊がいるのだぞ?! 我が神殿が気付かれでもしたらどうするというのだ!?」


 ストレスのはけ口を見つけたと言わんばかりに怒鳴ってくるの男――ベアル教『純血派』最高導師ビデルに対し、異端導師と呼ばれるベアル教の導師ウェイトンは、内心とは裏腹に端整な顔立ちをすまし顔のままにして答える。


「ご安心を。相手が誰であろうと見つかる恐れはありません。この神殿への入り口はあの教会のみ。地上には何の痕跡もありはしません。それに、もしもを考えて哨戒を出しているではありませんか。偉大な指導者であらせられるビデル最高導師にありましては、ドンと構えていて下さって結構ですよ」

「う、うぬぬ……本当に抜かりはないのだろうな? あの神父が裏切らないという保証はないのだろうな?」


「それにつきましてもご安心ください。彼にはお金が必要な理由と、そして裏切った場合に狙われるべきものがたくさんあります。決して我々を裏切るような真似はしないでしょう」


 ウェイトンの淡々とした言葉に、苛立ちを隠せないようにビデルは唸り、荒々しい行作で椅子へと腰を下ろした。


 ようやく落ち着いたかと、ビデルに見えない位置でウェイトンが嘆息をつくのも束の間、


「ウェイトン・アリゲイ導師! この神殿に残っている信徒たちを集めろ! 全員だ!!」


 再びの猜疑心に苛まれたビデルから、そんな命令が下されてしまった。


 ベアル教を広める宣教師でもあるウェイトン・アリゲイは、ベアル教へは、『オルゾンノットの魔竜』以降に落ちぶれ、近年になって立て直されたときに入信したために、開祖ベアルに会ったことはなかった。しかし、その崇高な思想には深く感銘を受けていたわけだが、彼の息子であるビデルにはほとほと愛想が尽きていた。


 ドラゴンへと至るという思想を打ち立てたベアルの息子ならば、素晴らしき盲信者と思って『純血派』に入ったのだが……全くもって、懐のこれを授けられなければ、失敗だったと早々に彼を見捨てているところである。


 ポンとウェイトンは懐にある黒表紙の本の厚さを確かめて、胸に手を当てたままビデルに対してお辞儀をする。


「畏まりました、我が主よ」


「早くだ! 早くしろっ!!」


 足早に神殿の最奥にある最高導師の間を、臆病な指導者の叫びを背中にしつつウェイトンは去る。


 迷宮のように張り巡らされた通路を当然として迷わず進み、途中にあった部屋という部屋で控えていた信徒たちに最高導師の間へと急がせた。


 そうして適当な数に声をかけたところで、ウェイトンは部屋を巡るのを止めにする。ビデルの命令通りに本当に全員を集めたら、出口であり入り口である通路付近を守る人間がいなくなってしまう。


 入り口が見つかるはずないため、侵入者など考えられないが、そこは念のために配置しておくに越したことはない。


「まったく、最高導師の小者ぶりには呆れたものですね。このままでは、『封印の地』の解放に必要なこの神殿すら捨てて逃げ出しかねない。……『改革派』の盟主殿は、あのようではないのでしょうね」


 今戻れば、再びビデルの臆病ぶりを見せられるに決まっている。
これ以上敬愛するベアルの息子を嫌いたくはないウェイトンは、最高導師の間ではなく、地下にあるこの神殿の、さらに地下にある実験場に続く階段へと足を向けた。


 その最中に考えることは三年ほど前、壊滅寸前まで追いつめられたベアル教を立て直したという『改革派』の盟主のことだった。


 最初から『純血派』のウェイトンは、秘密のベールに隠された盟主の姿を見たことはないし、名前すら知らない。そもそも『改革派』は謎に包まれすぎていて、噂が一人歩きしている状態である。


 そんな状態ではあるが、開祖ベアルの死により壊滅状態だったベアル教を立て直した立役者ならば愚者ではないだろう。少なくともビデルよりかは。


「考えても詮無きことですか。どう足掻いても、私は枕替えなどできないのですから」


 溜息を吐きつつ、ウェイトンは懐から一冊の本を取り出した。


 黒い背表紙を持つこの書の名を、『偉大なる書』という。

 不思議な力を有した書であり、かつて『改革派』の弱体化を狙ったビデルの命によって、『改革派』のアジトと思しき場所からウェイトンが盗み出したものだった。


 一度はビデルの手に渡ったが、彼はこの書の力の素晴らしさを理解できなかったため、報奨としてウェイトンが賜ったのである


 戦う術を持っていなかったウェイトンにとっては、今や大事な戦力であり、そして未来の見えないビデルに代わり、『純血派』の中で思想の成就を見出せる唯一の対象である。


 パラリ、とウェイトンは『偉大なる書』のページを捲る。すると黒い光が表紙から溢れ、本全体を包み込んだ。


「『偉大なる書』――本来の名も知れぬこれを、一体盟主殿はどのようにして扱おうとなされていたのか。私が今試みているような実験をしていたのか……それは分かりませんが、少なくともこのような代物を手にいれられる盟主殿は、かなりの傑物と見える」


 灯りのない階段を下って行きつつ、何の文字も記されていない本を見る。

全てのページに何も書かれてはいないだが、その実見えない情報としてちゃんと記されている。ウェイトンには『偉大なる書』のページに何が記されているのかが、頭の中に直接情報を叩き込まれているかのように理解できていた。


「『反転』という、これほどまでにドラゴンへと至れる可能性のある品が、『改革派』にとっても大事な品でなかったはずがない。これを盗んだ私はあなたには会えませんが、構いません。最高導師があのような様でも、『純血派』には私がいる」


 狂笑と取れる含み笑いを浮かべながら、ウェイトンはゆっくりと階段を下り、そして地下の実験場代わりの牢屋へとたどり着く。

 長細い大きな空間には、悲壮な啜り泣きが満ちている。
 
部屋の両側には鉄格子の牢が並んでいて、その中には十歳ほどから二十歳ほどまでの、国籍も人種も違う人間たちが三十人近く捕らえられていた。

彼らは実験材料。ベアル教の神ドラゴンへと至るための、尊い犠牲だ。


「さぁ、では今宵も反転実験を始めましょうか。ああ、偉大なるかな」


 ベアル教創始者メンバーに引けを取らない狂人――ウェイトン・アリゲイ異端導師の暗い瞳で見据えられた子羊たちに、もはや救いなどはない。この場に今救世主がやって来ても、それは変わらない事実でしかなかった。






◇◆◇







 最初にベアル教の信徒の姿を視界に収めたのは、アジトに侵入して数分も経っていないころ。


 迷宮のように入り組んだ道の途中、先頭を歩いていたジュンタがまず、松明らしき灯りに照らされ、石床に伸びた人影を見つけた。


 どうやら相手は曲がり角の向こうにいるらしく、影から見て一人だけ。

 速攻で走って黙らせるかと、曲がり角の前に身を潜めて相談したところ、攻撃する役目を担ったのはヒズミだった。

 弓を扱う彼なら、確かに一番早く攻撃は届くだろう。しかし矢による攻撃の宿命として、真っ直ぐにしか射ることはできない。相手に応援を呼ばれる前に無効化するには、絶対に姿を晒すことが要求される。


 近接戦闘をヒズミはおさめていないらしいが、大丈夫なのか? ―― ジュンタのそんな疑問を、スイカが自信をもって杞憂だと断じた。


 まさしく、ジュンタの心配は杞憂だった。

 ヒズミの持つ弓『黒弦(イヴァーデ)』は魔法武装。魔法という神秘の力の恩恵を受けた弓が、普通の弓の定義に必ずしも縛られているはずがなかった。ヒズミが曲がり角から身を躍り出したのと同時に放った、炎を纏った二本の矢は照準も曖昧に、しかしその先にいた敵を下したのである。

 
通路の向こうに射抜いた敵以外がいたら厄介だと、すぐに曲がり角をジュンタたちも曲がったために、その不可思議な『命中力』の詳細を説明される時間はなかったのだが。なるほど、スイカが信頼し、ヒズミが誇るに値する武器であるのは間違いなかった。


 ジュンタは少々魔法武装と呼ばれるものを見くびっていたのである。また、その担い手であるヒズミや、同じく魔法武装を担うスイカのことも。


「…………」


 曲がり角を曲がったジュンタは、ただ通路にあった光景を見て言葉を失った。


「敵は他にいなかったようだ。悲鳴も聞こえなかったし、応援が駆けつけてくる心配もないかな」


「当然だろ? 悲鳴が出せないように一射目で声帯を。念を込めて二射目で心臓を的確に破壊したんだから」


 横で二人が言葉を交わしているが、ジュンタの耳には入ってこなかった。
 
ただ、床に転がっていた人間を――人の死体だけを見つめていた。顔色が、自分でも分かるぐらい青ざめているのが分かる。

「どうかしたのか? ジュンタ君」

「早くしろよ。置いていくぞ」


 死体の横を素通りし、道を進んでいったスイカとヒズミに声をかけられる。ジュンタは二人の顔色一つ変えない姿が信じられなかった。


 死んでいる。間違いなく、目の前の人間は矢で射抜かれて死んでいる。


 ヒズミの放った炎の矢は傷だけを残し、炎による傷口の接合で血さえ出さずに消え去っているが、でも間違いなく倒れた男の命を奪ったのが彼の矢であったことは分かる。そう、ヒズミは今まさに人を殺したのだ。

そんな弟の姿に、死体に、スイカはまったく動じていない……ジュンタは二人と自分の間に横たわる、行動原則に対する明確な認識の違いがあったことを自覚した。


(考えてみれば当然か。入り口が一つしかないなら、もしここで遭遇した相手を気絶させても、戻ってくる頃には目を覚ましているかも知れない。それなら一番簡単で間違いのない口止めの方法は殺すことだ)


 冷たく冷えた理性でそう考えると、ヒズミのやり方は決して間違っていないように考えられる。だけど、軽口すらたたき合ったヒズミが人を殺すことを躊躇しなかった事実に、それを認めているスイカがいる事実に、思いの外叩きのめされた。


 この異世界は戦乱の時代だ。
 剣や魔法が存在し、騎士がいて戦争があって、人が殺し合うことが実際に起きている時代だ。


 ヒズミが今殺したのは、ベアル教の人間――即ち、今の自分たちにおける敵だ。
敵であるのなら、遭遇すれば殺し合いが始まると言うことでもある。殺される前に殺すのは、生物の生存本能としては当然か。


(いや、止そう。考えるだけ不毛な事柄だ、これは)


 何とかヒズミが人を殺した事実を好意的に受け止めようとする自分を自覚して、ジュンタは頭を振る。


(分かっていたことだろ、サクラ・ジュンタ。ここは異世界だ。現代日本の倫理が通用することばかりと思うなよ)


 地球でだって、戦争があって殺し合いは起きている。ただ、日本で生まれた自分には遠い世界の話だっただけ。だけど、今こうして自分はその殺し合いのある世界に立っている。

 人が殺されることには嫌悪を覚えるが、人の死体を見て胃から込み上げてくるものもあるが、その全てを受け入れることで呑み込んで、ジュンタは死体の横を通り過ぎた。


「ジュンタ君。顔色が悪いようだけど大丈夫?」


「大丈夫だ。ちょっと人の死を見慣れてないだけだから。でも大丈夫。ここから先は動揺しない…………のは無理だけど、下手は打たないから」


「あ」


 この先もこういったことはあるだろうから、前もって告げておいたジュンタの言葉に、スイカはようやくその事実に気が付いたようだった。ヒズミも少しバツが悪そうに、一度自分が命を奪った相手を振り返る。


「す、すまないっ、そのことにまで気が回ってなかった!」


 スイカは慌てたように、棒を握った手を口元に寄せる。


「ただ、その、誤解しないで欲しい。確かにわたしもヒズミも、その、人を殺した経験はあるけど、好きでやっているわけじゃなく、今だって仕方がないからで――


「分かってる。ただ、俺は人を殺したことがないから、ちょっと戸惑っているだけだから。こういうことが起こりうる場面だってことは理解してるし、二人がそうしたからって軽蔑したりとかは絶対にない。…………だけど、悪いけど俺には人は殺せない」


「きれい事だね。要は覚悟がないだけじゃないか」


 ヒズミから飛んでくる馬鹿にしたような言葉に、ジュンタは彼の瞳を見返す。


「覚悟がないわけじゃない。俺は不殺を貫きたいんだ。貫くことを覚悟してる。少なくとも、俺自身はそう思ってる」


「ふんっ、それは本当に思ってるだけさ」


 ヒズミはもはや自分が殺した男のことなど眼中になく、ただ前へと進んでいく。その背中がジュンタには遠く見えた。


「いずれお前にだって選択するときが、覚悟するときが必ず来るんだよ。
 
大事なものを守るには力が必要なんだ。誰かを殺す覚悟が必要なんだ。きれい事だけじゃ前には進めない。譲れないものをただ奪われるだけだ」


 ヒズミの背中が語っていた。いつか、自らの騎士道を説いた騎士も語っていた。不殺を貫くのは、この世の中ではとても難しい、と。


 だけど、それでもジュンタだって譲れない…………でも、ヒズミの言葉に思うところもあった。


 不殺の誓い。それは果たして、誰に対しても行えることなのか?

 例えば、目の前で大切な人――リオンやクーやサネアツを殺されたとき、自分は復讐に狂いはしないだろうか? そうでなくても、目の前で殺されようとしている皆を救うために、相手を殺すことを選んだりはないだろうか?

 故郷でも許せないことをされて、怒りに任せて喧嘩したこともある。なら、今まで他者を殺したいほど憎悪したことがないだけで、誰かを殺したいほど憎悪してしまったとき、自分は誰かを殺してしまうかも知れない。


 考えても、その時が来るまでは答えが出ない悩みの中、ジュンタは思う。そんな時でも、人を殺さずにいられる自分でありたい、と。


「分からないな、これだけは」

 ヒズミが言った通り、選択を求められる日が来るかも知れない。それはほんの数時間後のことかも知れない。けど、今この瞬間ではない。

 ……本音を言えば、クーを助けるためという理由で人を殺したくはなかったのかも知れない。あの優しい子はきっと、自分よりもそのことについて気にしてしまうだろうから。







       ◇◆◇







 一体、どれくらいの時間が経っただろうか。


 恐らくは二十分ほどしか時間自体は流れていないだろう。しかしレイフォン神父には、その二十分が一時間のようにも、一日のようにも思えた。


 ベアル教のアジトへと向かった若者たちを見送ってから、ずっと考えていたのは子供たちのことだった。


 今は食堂で、集まって夕食を取っているだろう彼らには親がいない。
ここでの最後の役割を果たした後、自分が自首をすれば、彼らには養ってくれる大人がいなくなるのだ。


 元々経営自体が上手くいっていなかった。だからこそベアル教と手を組んだわけだが、自分がいなくなったあとはきっと苦しくなるだろう。得たお金を取り上げられなければ何とかなるが、少なくともこの教会は潰れ、皆は離ればなれになってしまうだろう。


 それだけが心苦しかった。家を無くした彼らに、また家を失わせる思いを味合わせることになることだけが、酷く辛い。


 恨んでくれて構わない。ただ、泣かないでくれるかだけが心配だ。


 そんなことをずっとずっと考えていたら、時間は本当にゆっくりと感じられた。


 その時間に、外から働きかけてきたのは、礼拝堂の扉が開く音だった。


 ベアル教の人間が早くも帰ってきた――そう思った神父は急ぎ立ち上がり、懐に忍ばせた短剣に手を伸ばす。

 相手は武芸者だ。とてもではないが、こんな老骨一人では勝ちようがない。しかし、相手はこちらを味方と思っている。そこをつけば、何人かは道連れにできるかも知れない。振り返った神父の頭から、しかしそんな考えは一瞬で消えた。


 振り返った先、礼拝堂に入ってきた二つの人影は、ベアル教の人間ではなかった。


 沈む間近の夕陽に輝く、鮮やかな紅髪を持った凛とした少女と、キラキラと輝く金髪を持った小柄の少女の二人である。その一人を、神父は知っていた。


「リオン様?」


「こんばんは、神父様」


「こんばんは」


 優雅な仕草であいさつを交わしてきた少女はリオン・シストラバスその人だった。
 
礼儀正しくお辞儀をしてきた隣のエルフの少女は知らないが、彼女の知り合いならば敵ではないことになる。


「昨夜は戻ることができず、また連絡もできずに心配させてしまい申し訳ありませ……神父様? どうかなさいました?」


「ああ、いいえ。お気になさらずに」


「そうですか。それで神父様に一つお尋ねしたのですけど、ジュンタを見ませんでしたか?」


「ジュンタさん……ですか?」


 尋ねられた内容に、神父はどう答えようか思い悩む。


 質問に対する答えは持っていた。彼は現在、この礼拝堂から行けるベアル教のアジトにいる。しかしそこを教えるということは、自分がベアル教に協力していたことを教えることになるし、さらにはもし彼女たちが彼を追っていこうとしたら、危険な目に遭わせることにもなる。


 正直に言えば、自分がベアル教と関係しているのは別に言っても構わなかった。今更だ。ただ、いと高きシストラバス家の竜滅姫を危険な目に遭わすわけには……


「あの、お願いします。ほんの小さな手がかりでも、何か知っているのでしたら教えてください!」


 神父が悩んでいると、名も知れぬ少女が必死な様子でそう訴えてきた。

 必死なその顔――彼とどのような関係にあるかは分からないが、この少女にとってジュンタという少年はとても大事な存在なのだろう。自分にとっての子供たちと同じように。


「…………分かりました。お教えしましょう。彼は今――


 神父は意を決し、二人に対し二十分ほど前にこの場に三人の人間がやってきたこと。その中にジュンタもいたこと。そして自分がベアル教の関係者であり、彼らはベアル教のアジトへと向かったことを説明する。

――と、言うわけでございます」


 ベアル教と手を組んでいたと語った辺りで、リオンからはショックそうな、名も知れぬ少女からはきつい瞳が向けられたが、全てを話した今はなりを潜めている。どちらかと言えば、捜索対象が見つかったから、それ以外に気を回している余裕はないと言った方が正しいか。

「そうですか、分かりましたわ。クー」


「はい、リオンさん。もちろん追いかけます」

 多くを語らずに通じ、二人は頷き合う。


「神父様。私たちもベアル教のアジトへと向かいます。入り口の方を開けていただいてもよろしいかしら?」


「それは構いませんが……よろしいのですか? 私が言うのもあれですが、ベアル教のアジトはとても危険です。それに、先程外に出て行ったベアル教の信徒たちが戻ってきたならば、挟み撃ちにもなりかねません」


「だとしたら、なおさら行かなければなりません。そのような危険な場所に、ご主人様をお一人にさせておくことなどできませんから」


 リオンの提案に、二人の身を案じて注意を呼びかけた神父に、そうクーと呼ばれた少女が強い眼差しで言う。何を言っても無駄だと悟るには、十分な瞳の輝きだった。


「分かりました。では」

 神父は頷くと、説経壇へと近づきそこでしゃがみ込む。床に手を触れると、瞬く間にそこに地下へと続く階段がのぞく。


 神父は立ち上がり、二人の少女に対してそこを手で指し示す。


「こちらになります。この階段を下りた先の通路をずっと行けば、ベアル教のアジトに辿り着きます」


「分かりましたわ。急ぎますわよ、クー」


「はい、リオンさん」

 二人は躊躇することなく、疑うことなく、その階段へと足を向ける。


「そういえば――


 さっさと消えたクーとは違い、すれ違い様に一度リオンは足を止めた。

――言い忘れていましたが、先程外で怪しい人間をたくさん見かけましたので、連れていた聖殿騎士の方と一緒に叩きのめしておいたのですけど……と言いますか、クーがほぼ一人で叩きのめしてしまったのですけど、あれはもしかしたらベアル教の信徒だったのかも知れませんわね」

「え?」


「聖殿騎士の方に拘束しておくよう言っておきましたら、私たちが挟撃に遭うことはありませんわ。だからご心配なさらず。せめて子供たちと一緒にいて差し上げてください。とてもいい子たちでしたもの」


 それでは。と、駆け下りるように真紅の髪が視界から消える。
 急に寂れたように感じる礼拝堂の中、神父はリオンが言った言葉を脳裏で反芻させた。


 彼女が言ったことが正しければ、ここにいて、命がけでベアル教の信徒の侵入を防ぐ必要はもうないということだ。それはつまり……子供たちと一緒にいていい?

 その事実に気付いたあと、神父は一目散に礼拝堂をあとにした。


 慣れ親しんだ廊下を進み、未だ夕食が続いているだろう食堂の扉を開け放つ。


 神父はそこで、信じがたい光景を見る――子供たちは誰一人として夕食を食べてはいなかった。

 食べ終わったのではない、食べていなかった。皆大人しく料理が並んだテーブルを囲み、椅子に腰掛けているだけ。先に食べておいていいと言っておいたのに、始まっていない夕食の光景を見て、神父は立ち尽くす。そこへ、ヨシュアが笑顔で話しかけてきた。


「あ、神父様! もう、遅いよ!」


「ヨシュア……私は先に食べていていいと、そう言ったはずなんですけど……」


「言われたけどさ、食事は家族全員が揃ってから取るものだって、いつも神父様言ってたじゃん。俺らが遅刻してもずっと待っててくれるしさ。だから俺らみんなで話し合って、神父様の用事が終わるのを待ってたんだ!」


「そうだよ、神父様。一緒に食べないと」


「一人で食べたって美味しくないもんね!」


 ヨシュアの言葉に、子供たちも口々にそう言った。それに混ざって、お腹が鳴る音も聞こえた。


「えへへっ。神父様、だから早く食べようぜ。みんな、お腹ペコペコだからさ!」


「あ、ああ…………ああ、食べようか……」


 いつのまにか、そんなことまで考えられるようになっていたヨシュア。言われた家族という言葉。神父は無言で目頭を押さえ、食卓を囲む席についた。


(家族。そう、私たちは家族なのだ……)

 

 濡れた瞳で、神父は子供たちを一人ずつ見る。

 

 ようやく食べられるご飯にうずうずとしている子。温め直したスープを持ってきてくれる子。お皿を並べる子。一人一人が違う、だけど変わらぬ大切な家族。大切な子供たち。


 そしてそれは、子供たちの方も一緒だったらしい。
 
一緒に暮らす仲間たちを、この自分を、家族と思ってくれていたらしい。


(ああ、だと言うのに、私は一人で何をしていたのだろうか?)


 熱くなる目頭から指をどけ、神父は胸の前で両手を組み、目を閉じる。それに子供たちも黙って倣った。


「偉大なる我らが神と、我らを導きし使徒様。今日も生きる糧を与えてくださったことに感謝いたします」


『感謝いたします』


「はい。それではみんな、食べましょう」


 神父が言い終わるか終わらないかの内に、皆は料理に手を付ける。


 わいわいがやがやと楽しそうに、決して豪勢とは言えない食事をおいしそうに食べている。それを穏やかな目で神父は見つめながら、目の前の深皿に盛られた野菜のスープを木のスプーンで一口口に運んだ。


 自分で作ったそのスープだが、飲むたびに思うのは初めてこの野菜スープを飲んだときのこと。


 命からがらジェンルド帝国を脱出し、追っ手から何もかもを放り捨てて逃げ、辿り着いた聖地――門を潜って安心した矢先に、この教会に駆け込んだ若く傲慢だった自分を助けてくれた神父様。


 彼が温かな笑顔と共に差し出してくれたスープの味を、今まで自分が食べてきたものとは比べ物にならない粗末なソレの味を、今なお鮮明に思い出すことができる。あのスープと笑顔があったからこそ、今の自分は存在するのだとはっきり言えた。

(神父様。私は……)


 ジェンルドの貴族であった自分を、彼は何の気負いもなく教会に置いてくれた。この教会を継ぎたいと言ったとき、涙を流して喜んでくれた。


 様々なことを教えてくれたあの人はもういないけれど、あの人から受け継いだ教会と、このスープの味だけは変わらずここにある。


 絶やしたくなかった。教会を守りたかった。子供たちを守りたかった。

 ジェンルド帝国の内乱が長く続くほど
、助けたい子供たちは増えた。子供が増えるにつれて悪くなる経済状況の中、子供たちを食べさせていくにはベアル教に手を貸すしかなかった……けれどそうする前に、一言相談すべきだったのだ。この場所を家と言ってくれて、自分を家族と呼んでくれる子供たちに。

 

自分一人の問題ではなかった。家の問題は家族全員の問題だ。一言相談すれば、こんなことにはならなかったかも知れない……

「神父様?」


「なんだい? ヨシュア」


「いや、なんだか調子が悪そうだったから……大丈夫?」

 
気が付けば、子供たち全員が食事の手を止め、こちらを心配そうに見ていた。
 その瞳を受けて、神父は本当にダメな親だと思う。また、自分は間違いを犯すところだった。


 神父はテーブルにスプーンを置き、見つめてくる瞳をゆっくりと見つめ返す。


「みんなよくお聞きなさい。私は今夜、この教会を離れなければいけなくなりました」


 正直に話すと、途端に子供たちが慌て出す。中には言われた言葉の意味を理解して、涙を浮かべる子もいた。

 どうして? と尋ねる声が幾重にも重なる。その中で、神父は言葉を続けた。


「私は、みんなに内緒で悪いことをしてしまった。その罪を贖ってこなければならない。だから、私はこの教会にはいられなくなるのです」


「それは、聖殿騎士団に神父様が捕まえられちゃうってこと?」


 ヨシュアが子供たちを代表して神父に訊いた。

 神父はもはや偽ることなく、首を縦に振って肯定した。


「そんなっ!」


 瞬間――ヨシュアが叫んだ。

「そんなのってない! だってさっき神父様、どこにも行かないって言ったじゃないか! それなのに、それなのに…………そんなのってないよ!!」


 一度は親を亡くしたことがある彼らだから、例え理解はできずとも、目の前の神父がいなくなることだけは理解した。喪失の恐怖に、皆は揃って涙を流す。


「すみません、ヨシュア。すみません、みんな」


 ヨシュアの叫びに、子供たちの泣く声に、神父は頭を下げて謝ることしかできなかった。


 ……やがて泣きやんだヨシュアが、赤くなった目を擦りながら言った。


「本当に、本当に行っちゃうんだ?」


「ええ、犯した罪の分、私は償わなければなりません」


「また、会える?」


 その質問に、神父はすぐには答えることができなかった。


 ベアル教に手を貸すこと――それは神聖教の中では、かなり重い罪となる。

 異端の宗教においても、とりわけ危険な思想を持つ彼らに協力し、何人もの人が死ぬ行為に手を貸した。良くて数十年の牢獄生活。悪ければ死刑もあり得る。そして老いた自分にとっては、数十年の牢獄生活は、獄中死することを意味していた。


「俺はっ!」


 神父の無言に答えを察したのか、唐突にヨシュアは声を張り上げる。

「俺は将来、聖殿騎士になりたいんだ! なって、神父様みたいに困っている人たちを助けるんだ! 俺、がんばってなるから! 絶対になって神父様の罪を軽くしてもらうよう頼むからっ! だから…………だからお願いだから、また会えるって言ってよ……」


「ヨシュア……」

 初めて聞くヨシュアの将来の夢に、神父はテーブルの下で握り拳を握った。


 涙を溜める子供たちを見つめる。喪失に傷ついた皆を見て、神父は決意する。それはとても大変なことだけれど、それでもそうしようと誓った。


「ああ、また会える。必ず会える。だから、またこの家に帰ってきたら、おかえりと言っておくれ」


 涙がこぼれた。止め処なく、涙がこぼれた。


「神父様!」


 一番近くにいたヨシュアが立ち上がり、抱きついてきたのを皮切りに、他の子供たちも席を立ち抱きついてくる。


「私の愛しい子供たち。私はいつでもどこでも、お前たちの幸せを願っているよ。
 
だから私がいない間、仲良くみんなで助け合ってがんばっておくれ。それが私の……こんな不甲斐ない親からの、一生で一度のお願いだ」

 一人一人を抱きしめる。頭を撫でる――そして、あの日この場所へと誘われた、温かな祈りの歌を歌った。


――おお、神よ。私はあなたに感謝します。

  あなたが見守ってくれていることを、私は知っています。

  ――おお、神よ。私はあなたを愛しましょう。

 あなたが愛してくれていることを、私は知っています。


  ――おお、神よ。私はあなたの子と出会いましょう。

  あなたが我らのために使徒を地上に使わしたのだと、私は知っています。


  ――おお、神よ。私は救われるでしょう。

  あなたの子がもたらしたこの導きの道を、私は歩き始めたのですから



 神父の声に、誰からともなく続く歌声が上がる。

涙でぐちゃぐちゃになった、だけど透き通る歌声で、精一杯に歌う。願いを込めて――再会を祈って。



――おお、神よ。私はあなたに感謝します。

  あなたが見守ってくれていることを、私は知っています。

  ――おお、神よ。私はあなたを愛しましょう。

 あなたが愛してくれていることを、私は知っています。


  ――おお、神よ。私はあなたの子と出会いましょう。

  あなたが我らのために使徒を地上に使わしたのだと、私は知っています。


  ――おお、神よ。私は救われるでしょう。

  あなたの子がもたらしたこの導きの道を、私は歩き始めたのですから



 この夜のことを一生忘れない。一緒に歌った歌を決して忘れない。

 忘れなければこんな自分でも、いつか正しい親として、皆に会えるかも知れないと思ったから。




 

      ◇◆◇







 ヒズミの矢の的中率は、凄まじいの一言。
的確に相手の声帯と心臓。二射をもって敵を倒す。その鮮やかさは、射られた人間が死んだとは思えないほどだ。


 だが、鮮やかさで言うならば、ヒズミよりもスイカの方が上だった。


 当初、水が無くて刃のない『深淵水源(リン=カイエ)』を棒として使い、棒術を用いて敵を倒していたスイカだったが、今では昨夜のように縦横無尽に変化する刃で敵を切り裂いている。


 あらゆる場所に水がある聖地ラグナアーツならともかくとして、地下にあるアジトではその魔法武装の真価は発揮できないと思っていたのだが、そうでもなかったと言うことだ。


 水を吸収し、操り、変化させて刃とする『深淵水源(リン=カイエ)――その吸収する対象は水限定ではなく、液体ならば何でも良かったらしい。

「ふっ!」


 短い呼気と共に振るわれるスイカの握る柄の先には、昨夜の蒼い刃とは違う赤い刃が形成されていた。

 

 鋭い刃が、今まさに敵の一人を切り裂いた。

 

 敵の身体から吹き出す血。それを浴びて、スイカの赤い刃はさらにその大きさを増す。

 そう、ここにある液体は人間の血液しかなかった。スイカは敵を屠れば屠るほどに、その血を奪って自分の力と変えているのだ。


 細い通路の中で、予期せぬ動きをする鞭となって赤い刃はしなる。


 敵の死角から強襲し、その血を奪うスイカの『深淵水源(リン=カイエ)』は、ジュンタの目にはさながら闇から襲いかかる吸血鬼のように見えた。


「これでラストだ!」


 ジュンタが剣を握った敵と交戦しつつ、周りの様子――特にスイカの様子を見ていると、そんなヒズミの声と共に身体の横を赤い矢が通り抜けた。


 狭い通路で味方に当たらず敵を確実に倒しているのは、何もスイカだけではない。

 障害物の多い中を、ヒズミの矢はまったく問題ないと言わんばかりに敵の身体のみを射抜く。

 目の前で声にならない悲鳴をあげて息絶えたベアル教徒の姿に、ジュンタはここでの戦いが終わったのを見て理解した。


「これで十一人目か……」


 殺すか殺さないかを除けば、間違いなく三人のパーティーの強さは確かだった。


 斬り込んでいき相手の注目をジュンタが集めれば、その隙にスイカが相手へと的確に攻撃を加え、ヒズミの矢が相手の心臓を貫いた。図らずもそれは、ジュンタが誰も殺さなくても、他の二人が役割分担として敵を殺すような形になってしまった。


 不殺を心がけて敵と斬り結んでも、その間に目の前で敵はヒズミに射られ、命を落とす。

 敵と戦う傍らで、目の前で人が殺されて死ぬ――間接的に自分が殺しているという事実に、胃の中の物を吐き出しそうになること数回。これ以上は足を引っ張れないという意地で、何とかジュンタは前衛としての役割を果たしていた。

 アジトの中も大分進んだ。迷路になっているから分からないが、かなり奥まで進んだと思う。


 幸いにも相手方に気付かれた様子もなく十一人を無効化――いや、目の前で起きた事実は受け入れよう――十一人を殺し、侵入計画は順調そのものだった。

 ただ問題をあげるとしたらジュンタの消耗の早さであり、どこに見つけるべき対象がいるか分からない、このアジトの構造だった。


 遭遇した敵を下しつつ、一つの三叉路に辿り着いた三人。来た道以外に、そこには選択できる道は二つ存在していた。


「地下へと続いている階段に、奥へと続く道。さて、どっちに行くべきだと二人は思う?」


 道の選択権を持っているスイカが、今までのどっちに行けばいいかまったく見当がつかない分かれ道ではなく、地下へと続く道のある分かれ道を前にし、ジュンタとヒズミに相談を持ちかける。


「僕らが求めているものは、恐らくここで一番偉い奴……ビデルが持ってるはずだ。一番偉いなら、やっぱりいるとしたら一番奥の部屋だろ」


 先にヒズミがそう言って、奥へと進む道を推す。


「クーがここにいるって考えれば、閉じこめておくなら地下だろうな、やっぱり。少なくとも一番偉い奴の近くにはいないと思うから、俺は地下へと進む道を推す」


 逆にジュンタは地下へと進む道を推した。


 スイカは二人の百八十度違う意見を聞いて、う〜む、と悩む声をあげる。


 しかし悩んでも意味がないことだろう。そもそも一緒にアジトに来たはいいが、求めているものは別々なのだ。それぞれが求めるものの在処が違うのなら、例えどちらを選んでも反発は出る。選択肢は一つしかなかった。


「おい、サクラ。お前、一人でこの先行けるのか?」


 同じ結論に達したのだろう、そうヒズミが尋ねてくる。


「行けるさ。そっちこそ、二人で大丈夫だろうな?」


「足手纏いがいなくなって清々するね。
決まりだな。姉さん、ここから先は二手に分かれて行動しよう」


「え? けど……」

 スイカが心配そうな視線をこちらに向けてくる。それを受け、ジュンタは信用されていないんだなぁ、とちょっとばかりショックを受ける。だが、仕方ないか。相手を殺せずにいるのだ。単独行動は、少しばかり危険と言ってもいいだろう。


 でも選択肢はこれしかない。奥へと進まなければいけない二人と、地下へと降りなければならない一人がいるのだから。


「大丈夫だ。俺だってそこそこ一人でも戦える。そっちは奥に、俺は地下に、それぞれ行かないといけない理由がある。なら、もうこうして渋っている時間すら必要ないだろ?」


「そう……だな。うん、分かった。ここからは二手に分かれよう」


 スイカとヒズミは奥へと進む道に足先を向け、ジュンタは見えない闇に満たされた階段の底を見る。


「ジュンタ君。また外で会おう、絶対に。……気を付けて」


「僕はどっちでもいいけど、帰ってくるならあまり姉さんを待たすなよ」


「ああ。そっちこそ、気をつけてな」


 互いに声を掛け合って、三人は二手に分かれる。


 駆け去っていく二人に背を向けて、ジュンタは階段を下りていく。その先に覚悟を強いられる瞬間があることを、未だ知らずに……









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