第十四話  その目に映る光




 趨勢は良くも悪くも膠着していた。

 剣を振るう度に消えていく魔獣の命。その代わりに孔より現れる新たな魔獣。
 部屋の中に魔獣の屍が積み上げられていくことだけを変化とし、最高導師の間での戦闘は決着へと至らない。

 だが、負けもしないが勝ちもしない戦いを何分も繰り広げた結果、リオンは魔獣たちを切り裂いて徐々に進み、先んじて魔獣との戦いに身を投じていた二人の許へと辿り着くことができた。

 背中合わせにそれぞれ得物を振るう、良く似た容姿の男女だ。恐らく姉弟で、ジュンタと一緒にこのアジトに入ったと思しき、敵ではない二人組だろう。

 リオンは二人の間に割り込むようにして近寄り、周りを囲むように穴を埋める魔獣たちを警戒しながら話しかける。

「ごきげんよう。名乗りは必要かしら?」

「いや、必要ない。その髪に瞳、そして剣の冴えを見せつけられたら、誰であっても君の名を理解する。竜滅姫リオン・シストラバス――そうだろう?」

「ええ、そうですわ。初めまして。そちらはジュンタと手を組んでいる方でよろしくて?」

「なるほど。ジュンタ君と一緒にいたフードの女性はあなただったのか。ジュンタ君にも秘密があるようだな。と、そんなことを話している場合じゃないな。わたしはスイカ。そしてこっちが弟のヒズミだ」

「スイカとヒズミ?」

 比較的余裕の見られる少女の方と会話を交わし、リオンは二人の情報を得る。
 少女の名前がスイカ。彼女の弟である少年がヒズミ……どこかで聞いた覚えのある名前である。

 しばらく二人と背中を合わせたまま、襲ってくる敵の相手をする。その中で、リオンは自分の記憶の中にある名前と、二人の素性を結びつけた。

「使徒スイカ・アントネッリ聖猊下に、その巫女ヒズミ・アントネッリ。まさかこのような場所で会うことになるとは思いませんでした」

 この世に現存する三柱の使徒の中で最も若い使徒であり、あまり公に姿を現さない使徒スイカとその巫女ヒズミのことを、リオンは竜滅姫という称号を継ぐが故に知っていた。

 相手は最上の礼節をもって接するべき相手であると、その金色の瞳を確認してすぐに理解した。可能なら立て膝をついて会話をしたかったが、この現状が許してはくれない。騎士として礼儀を尽くせないのは少々心苦しいが、スイカはそんなことは一切気にしていないようだった。

「本当だ。いや、これは巡り合わせたジュンタ君に驚くべきかな。とりあえずわたしはリオンと呼ばせてもらうから、そっちも好きに呼んでくれ」

「ではスイカ聖猊下と」

「う〜ん、できればもう少しフランクに接して欲しいんだけど……」

「何のんきに話してるんだよッ!?」

 背中合わせに言葉を交わす少女二人に、息も絶え絶えにヒズミが一喝する。

 スイカが損じた相手を狙い炎の矢を射っているヒズミは、ゼーハーゼーハーと肩で息をしつつリオンに話しかける。

「おいっ、シストラバス。協力しろ! 何とかしてこの包囲網を抜けて、神殿の外へと逃げるんだ!」

「また不躾ですわね。あなたが巫女でなかったら、礼儀を説いているところですわ」

「なら、わたしが後でよく言い聞かせておこう。だから協力願えないだろうか? 正直、わたしたち二人ではこの数の魔獣でできた包囲網は突破できない」

「使徒様の命を守るのは、騎士としてこの上ない栄誉。是非協力させていただきたく存じます……と申し出たいところなのですが、申し訳ありません。私には託された使命があります。ここで敵に背を向け、逃げるわけにはいかないのです」

 例え相手が使徒であっても、騎士の誓いだけは破れない。

 ジュンタに頼まれたのだ。自分がボロボロの身体で魔獣と戦うことになるのが分かっていながら、彼から頼まれたのだ。これを果たせずに、おめおめと逃げることは死んでもできない。

「私は、あのウェイトン・アリゲイが持つ薬を手に入れなければなりません。ですからご一緒に逃げることはできません。無論のこと、お二人が避難する時間は喜んで稼がせていただきますわ」

「そうか、それじゃあよろし――

「ヒズミ。それ以上言ったら本気で怒るから」

 スイカの鋭い眼差しに、ヒズミが「うぐっ」と黙り込む。それだけで、リオンにはもうこの姉弟の力関係が分かった気がした。

「リオン、さすがに君を残してわたしたちだけ逃げることはできない。実は、他にもう一つこの状況を打破する方法があるんだ」

「打破する方法ですか?」

「うん、すぐに全てを解決することはできないけど、少なくとも魔獣が『封印の地』から新たに現れるのは阻止できるはず。リオン。ウェイトンの足下に、他のガルムよりも小さいガルムがいるのが分かるだろうか?」

 スイカの言葉に、リオンは戦う中でニヤニヤと笑うウェイトンの方を見やる。

 下手に逃げようとしないのは、入り口に誰かこちらの味方が控えているとでも思っているからか。戦闘の渦から離れるようにして壁際に立つウェイトンの足下には、確かに一回り他よりも小さいガルムの姿があった。

「あのガルムはウェイトンによって魔獣に変貌させられた、ベアル教『純血派』の最高導師ビデルだったものだ。あれを倒せば、あの神殿魔法によって生まれた孔は閉じるはず」

「では、あのガルムを倒せばこれ以上魔獣が供給されることは?」

「ない、と言うことになる。もちろん、そこから先も魔獣がいなくなるまで戦いは続くけど、終わりは見出せる」

「分かりましたわ。それで、何か作戦はありますか?」

 話しを持ちかけてきたのを見て、何か策はあるのかと尋ねると、返答は首を縦に振る形で返ってきた。

 スイカはその手でよく分からない武器を振るい、周りの敵を一蹴しつつ、弟に話しかける。

「ヒズミ、もう一度[巨大弓バリスタ]いけるな? ちなみに、はいか首を縦に振るかで答えて欲しい」

「それ否定なしじゃないか! いや、一回ぐらいなら今の魔力量でも何とかいけるけど」

「よしっ、じゃあ準備だ」

「くそぅ……」

 スイカがヒズミを守るように立ち位置を変える。
 ヒズミは姉に守られながら、炎を撃ち出す弓に魔力を注ぎ込み始めた。

「スイカ聖猊下。一体どのような作戦なのですか?」

「まず、ヒズミがガルムに向かって[巨大弓バリスタ――儀式魔法レベルの炎の矢を撃ち出す。それで仕留めることは、恐らく間の魔獣がたくさんいて難しいはずだけど、道は開けるはずだ。後はわたしがビデルだったガルム、リオンがウェイトンをそれぞれ倒せばいい」

「分かりましたわ。それで行きましょう」

「……ちょっと待ってくれよ。そうなると、二人がいなくなった後この場に残る僕はどうなるんだ?」

 なんだかブルブルと震えながらヒズミがスイカを見る。

 スイカは綺麗に微笑んで、

「ヒズミは男の子だからな。わたしは一人でも何とかがんばってくれると信じている。この信頼は、美しい姉弟愛だとは思わないか?」

「思わないっ! くぅ、ちくしょ〜ッ!」

 そう言いつつ律儀に力を溜めるヒズミに、スイカが満足気に頷く。

「それでは行くぞ。リオン、タイミングを合わせてくれ」

「お任せを」

 一度ウェイトンの位置を視認してから、リオンはできるだけ残されるヒズミが楽になるようにと周りの魔獣の掃討にかかる。スイカもまた、自分以上に形状を変える刃を振るった。

 そしてヒズミが構える弓に番えられた炎が輝きを強め、その時はやって来る。

「今だ!」

「燃え尽きろッ!」

 ヒズミの弓から極大の炎の矢が、ウェイトンの足下にいるガルム目がけて放たれた。

 炎によって切り開かれた道を、リオンとスイカは駆け抜けていく。






       ◇◆◇






 なぜか、世界全てが裏返しになって見えた。

 美しいものが醜いものに。
 醜いものが美しいものに。

 善が悪に。悪が善に。あらゆる全ての美徳が悪徳に、悪徳が美徳に見えて仕方がない。

 狂っている。どうしようもなく、この目に映る世界は狂っている。なのに……この世界では救われるのだ。

 この世界では悪が肯定される。クーヴェルシェンという罪深き存在が、至上のものとして肯定されるのだ。かつてないほどに、この世界ではクーヴェルシェン・リアーシラミリィは愛されていた。

 地獄の底に生きているような、グチャグチャでぐにゃぐにゃな悪者たちから、賞賛の声がかけられる。正義が罵られ、美徳が嗤われ、美しいものを汚す喜びに世界が充ち満ちていく。

『それが正しいのだ』

 地獄の底から、その首をもたげてきた獣が言う。

『それが、正しいのだ』

「それが、正しい……」

 クーはその獣の言葉を繰り返した。

 目の前にいる獣は、その存在の一欠片までもが悪で構成された、唾棄すべき厄災の獣だった。だから、この世界ではこの獣こそがこの上ない至上のものとされる。そのおぞましさに込み上げてくる吐き気こそが肯定される感情なのだ。

 地獄の底から、漆黒の体躯を持った獣は、這い出てくる。

『それが正しいのだ。我が花嫁。この世界では我こそが正義。我こそが美徳。――見よ。この世界での醜悪なる悪の姿を』

 鮮血の眼差しで射抜かれた先を、クーは振り返る。
 そこにいたのは、確かにこの世界ではこの上なく醜く、悪徳に満ちた悪だった。

 憧れた女性がいた。金色の眩い光を放つ、神獣がいた。

『見よ。あれが悪。使徒と呼ばれし悪人だ』

「悪、人……」

 ドラゴンがその口から、燃えさかる豪炎を吐き出した。
 炎は穏やかに笑う金糸の使徒を飲み込み、跡形もなく消し去った。クーは息を呑んでドラゴンを振り返る。獣は、誇らしげに笑っていた。

「私は今、正しいことをした」

 今まで遠かったはずのドラゴンの声が、とても身近に聞こえた。耳元に囁かれているように響いた。その声は、なぜか自分の声と良く似ていた。

 なるほど。と、クーは納得する。自分は悪だ。だから目の前のドラゴンもまた、クーヴェルシェン・リアーシラミリィという名を持っているのだろう。

 自分が囁いてくる。

「これが正義。これが美徳。さぁ、今度はお前の番だ」

 ぐにゃりと視界が反転する。地獄の業火に包まれていた場所から、美しい神殿の中へ。
 噴水を囲んで四つの高い塔がそびえ立つ場所。聖地の中の聖域――アーファリム大神殿の神居。

 その中にクーはいつの間にか立っていた。本来美しい場所であるそこが、なぜか今は触れることすら嫌悪すべき場所のように感じられた。

 このときになって初めて、先程までいた地獄が美しかったのだと知った。戻りたい、とそう思う。戻るには、やらなければいけないことがある――囁くように自分の中から声が響く。クーは頷いて、そして振り返った。

「クー」

 噴水を背に、光り輝く人がいた。

 にこりと笑って、両手を広げて、その人は立っていた。偉大なる使徒が、愛すべき主が、そこにいた。

「おいで」

 彼が一言言う。瞬間、総身が震える。
 嫌悪が身体を駆け抜けた。恐怖が身体を駆け抜けた。得体の知れない気持ちが、手に氷の刃を握らせた。

 一歩、ジュンタ・サクラに足を進める。

 笑っていた。微笑んでいた。胸に飛び込んでおいでと、そう物語る笑顔を彼は浮かべていた。

 これが現実なら、それだけで幸福になれることなのに、なぜかクーは震えることしかできなかった。これは確かに幸福だ。この上ない幸福だ。だからこそ、この世界ではこの上ない不幸であったから。

「さぁ、疾く殺さなければ。善を。美徳を。でなければ、悪が在り続けていいことにはならない」

 心の中から響く幸福への渇望がある。目の前の人を殺さなければあの地獄には戻れないと、そう分かってしまった。

 だから殺そう。思って、前に踏み出す。
 だから殺す。決めて、氷の刃を握り直す。

 ころす殺すコロス――自分ではない誰かが自分を突き動かして、目の前の大事な人を殺そうとしている。だから、クーは刃を振り下ろしながら願った。願わずにはいられなかった。それが褒められるべき悪徳が、唾棄されるべき美徳かは、分からないけれど。


――お願い。私を、殺してください」


 肉を裂く音がして、目の前で甘美な朱が舞った。その雫の一滴が、口の中に落ちる。






 瞬間――――過去が襲ってくる。






 木霊する阿鼻叫喚。それは地獄を彩る亡者たちのオーケストラ。

 地獄を作り出し、覇者として君臨する漆黒のドラゴンは、その口から吐き出す息吹にて全てを灰燼と化し、爪で人の肉を裂き、尾で人を絞め殺し、足で踏みつぶし、口で咀嚼した。

 血が飛び散る。口に、甘い甘い殺戮の味が広がる。
 その喜びに、その快楽に、幼かった自分の世界は完全に崩壊した。

 気が付けばドラゴンと一緒になって笑っていた。何十人も何百人も何千人も殺して、喰らって、奪うことに悦楽を見出し、一緒になって楽しんでいた。

 殺せ、とドラゴンが言った。
 殺してくれ、と自分は言った。

 その時その瞬間、泣きながら狂って、狂いながら死を望んでいた。

 殺すことを強制されながら、殺されることを願っていた。
 自分とドラゴンとの境界線が曖昧で、殺すことを楽しんでいるのが本当はどちらなのか、もう分からない。

 だからきっと彼らを殺したのは自分なのだろう。
 オルゾンノットの地を血で染め上げたのは自分なのだろう。

 ――きっと、ドラゴン悪こそがクーヴェルシェン・リアーシラミリィの本質なのだろう。

 ……なら、もういいではないか。

 自分を偽らなくてもいいではないか。認めたくないけれど、それが現実なのだから、もう受け入れてしまってもいい頃合いではないか。
 受け入れれば楽になれる。人は結局、その本質を変えられない。どれだけ遠ざかろうとしても、変わることを願っても、汚い人間は汚いまま、一生綺麗になんてなれないのだ。

 だから――――諦めてしまえ。

(私が、嗤っている)

 暗い暗い闇の中、クーは囁く声が全て自分のものであったことに気付く。

 漂うように流れる中、考えることを放棄して外部からの干渉を遮断しても、自分の嗤い声だけは響き続けている。諦めてしまえ、受け入れてしまえ、お前は悪なのだから、さっさとドラゴンになって倒されるべき獣になれと、そう囁いてくる。

(それも……いいかも知れませんね)

 ドラゴンになる――それが本当に許し難いことであったか、もう分からない。

 ドラゴンになる。いや、元々自分は悪なのだから、その本質を露わにすると言った方が正しいか。我慢することを止めて、偽り続けることを止めて、正直に生きる。それだけだ。

 それ自体は決して悪いことではない。ただ、自分の場合はそれがドラゴンになることだっただけ。変われないのなら、認め、受け入れて、人でいることを止めてしまえば――反転してしまえばいいのだ。

(私がドラゴンになったら、きっと……)

 クーはこの悪夢のような暗闇の中、何度も殺すことを強要された人を想う。

 自分が悪になったならば、きっとあの善なる人が自分を裁いてくれるだろう。その手で自分を殺してくれるだろう。そうして自分は彼の物語の一ページとなる。それはある意味、とても幸せなことではないのだろうか?

(そうすれば、ずっとご主人様と一緒にいられる…………ああ、なんだ……初めから、悩むことなんてなかったんですね……)

 我慢を止めれば幸福が手に入るのだ。永遠に約束された幸福がそこにはあるのだ。
 
 この闇に身を任せてしまえばそれだけでことは済む。

 恋い焦がれなくても、努力しなくても、受け入れるだけで、それは――

(…………手に入る、のに……)

 どうして、こんなにも自分は拒んでいるのだろう?

 何度だってこの結論に辿り着いた。
 何度だって幸福になろうと受け入れようとした。

 でも、もう何回目かも分からない永劫の悪夢を、自分は今も繰り返している。
 ずっとずっと同じような悪夢を見て、同じような囁きを受けて、同じように受け入れてしまおうと思って、でも同じように受け入れずに繰り返す。

 永遠に。永遠に。何度でも幸福を手放して、次の悪夢に苦しみ続ける。

 それはもう自傷行為でもなんでもない、ただの狂った行為だ。幸福よりも不幸を選んで、幸福を目の前にしながら不幸にしがみついて……それで一体何が救われると言うのか?

(何も救われない。誰も救われない。でも私は、それでも否定している)

 受け入れることを拒む。また、次の悪夢へと移行する。


 その刹那――――ほんの一瞬だけ、見える光景があったのだ。


 背中があった。

 大きな背中があった。優しい背中があった。
 これ以上先には絶対に通さないと、ボロボロの身体で、懸命に剣を振るう背中があった。

 攻め立てる異形の攻撃に切り裂かれ、その血が飛び散る。肉がそげ落ちる。骨が軋む。けれど、それでも倒れない。後ろに守るべき相手がいる限り決して倒れないと、剣を振るい続ける人の背中がそこにあった。

 その人の血が舌の上に落ちる。

 甘い味。いつか味わった、甘美な殺戮の血よりも甘かった。
 甘くて、甘くて、甘くて……だからこそ、がんばらなければいけないと思うのだ。
 
 戦っている人が目の前にいる――それを知っているのなら、自分が先に折れてはいけない。

 そう、巫女とはつまりそういうもの。誰よりも自分の使徒を、救世主を、主を信じなければいけない存在のことを指す。そこに善悪など関係ない。巫女であるのなら、使徒よりも先に諦めてはいけないのだ。

 だから――

(ご主人様)

 負けない――

(私は悪です)

 負けてなんてあげない――

(でも私は、あなたが好きなんです)

 負けてなんて、あげるものか――

(だから負けません)

 負けるなんて、そんなこと不可能だ――

(私は、勝ちます)

 負けるのではない。勝つのだ。

(勝ちます。何度繰り返そうとも、決して負けません)

 勝つために、続けよう。

(勝つまで、私は繰り返します)

 終わらない悪夢を、この刹那の間だけの光を瞳に刻み込んで――

(だから、ご主人様…………)


 ――クーヴェルシェン・リアーシラミリィは、再び悪夢へと落ちていく。







       ◇◆◇






 燃えさかる炎の矢は魔獣を砕き、ウェイトンへと続く一条の道を作り出した。

 炎の熱を感じる中を、リオンはスイカと共に一気に突っ切る。そうしなければ横手から魔獣に襲われてしまう。その前に――この炎が道を切り開いてくれている内に、辿り着く。

 炎は一直線にウェイトンへと奔ったが、途中魔獣たちを飲み込む中で、その威力を弱めてしまう。炎が実際にウェイトンへと辿り着いたとには、すでに威力は半分以下まで落ちきっていた。

 ウェイトンは右へ、ガルムは左へと炎を避けることに成功する。
 それを確認した瞬間、ウェイトンたちから見れば炎に隠れていたリオンとスイカは、一気に二手に分かれた。

「あなたもしつこい人ですね」

「報復は私の特権ですわ!」

 強く地面を蹴って、リオンはウェイトンに襲いかかる。

 ウェイトンは魔獣たちの群の中へと逃げ込んだが、ここまで近付いて逃げられるほどリオンも甘くない。ドラゴンすら切り裂く紅の剣は、魔獣たちを容易く切り裂き、ウェイトンを追い詰めていく。

 リオンの剣は、やがてウェイトンを壁際まで追い詰めた。

「さぁ、後悔する準備はよろしくて?」

「……これはなかなかにピンチですね」

 ウェイトンは逃げ場のないそこで、懐に手を入れて立ち止まる。その手がクーを治すための薬を掴んだことを、リオンは悟る。

「あなたが今その手に掴んだものを私に渡しなさい。そうすれば悪いようには致しませんわ」

「見逃していただけると?」

「ご冗談を。今なら五分の四殺しで勘弁して差し上げると言ってますのよ」

 リオンは剣を右手で強く握り、左手をウェイトンに向けて差し出す。

 もはや逃げ道はどこにも存在しない。どこへ逃げようとも、刃を一撃はその身で受けなければいけない。そしてその一撃は、確実に戦闘不能に貶めることだろう。リオンはすぐにウェイトンが観念すると踏んで、睨む視線を強くしていく。

 ウェイトン・アリゲイという男を自分が侮っていたことに気付いたのは、彼が形振り構わず再び逃げようとしたのを見たときだった。

「逃がしませんわ!」

 ウェイトンは部屋の中央へと走ろうとする。無論のこと、それを容易く行わせるリオンではない。剣を前へと突き出し、その進行上に通せんぼする。

「さぁ、観念――――え?」

 完全に道を塞がれていながら、しかしウェイトンは走ってくる勢いを止めなかった。

 彼は懐から石でできた容器に入った薬を取り出し振りかぶると、部屋の片隅を一瞥し、リオンに思い切り体当たりしつつ部屋の中央へと容器を放り投げた。

「しまっ――!」

 剣が肉を貫く音を響かせたのを聞いたとき、リオンはウェイトンの恐ろしさを再認識する。

 何の躊躇もなく自分の身を犠牲にし、薬を放り投げたウェイトン――元から彼にとっては、自分の身よりもクーが反転することの方が大事だったのだ。そのあまりの執着ぶりには怖気すら抱く。

 しかし恐怖を覚えている暇などリオンにはない。

 ウェイトンが放り投げた容器を、リオンは目で追う。もしも床に叩き付けられて、容器が割れでもしたらそれこそお終いだ。

 リオンは剣を引き抜いて、放物線を描いて落ちてくる容器を追おうとする。
 大丈夫。距離的に見て、魔獣を倒しながらでも今すぐ追いかければ落下前に掴むことができる。――が、肝心の即断の行動に移ることが叶わなかった。

 剣と共にある人生を送ってきたリオンだったから、追いかけるにあたって、まずウェイトンの腹部に突き刺さった剣を半ば無意識に引き抜こうとした。しかし、その剣を引き抜くことができなかったのだ。

「行かせませんよ。『竜の花嫁ドラゴンブーケ』には、是が非にでもドラゴンになっていただかなければ」

 引っ張った剣に抵抗があることに驚いて視線をウェイトンに向けると、そこには自分の腹部に突き刺さった剣の刃を両手で押さえ、狂気の笑みを浮かべる彼の姿があった。
 
 その一瞬の静止が全てを分けた――リオンは即座に自分のするべき選択を選び、剣から手を離して容器を追う。

(最後の最後でなんてミスを!)

 一気に最高速に突入し、リオンは容器に追いすがる。

 途中魔獣たちが当然の如く行く手を阻むが、リオンの手には剣がない。
 魔獣たちの攻撃で身体に傷を作りながら、それでもリオンは必死に追い、そこで容器がどこへと向かって落ちようとしているのかを視認する。

――最悪ですわ!」

 部屋の端から、犬のけたたましい悲鳴が聞こえた。

 それはスイカが作戦通りに策を執行したときにガルムがあげた、断末魔の悲鳴だろう。
 これで孔は収縮を始め、すぐに消える。万々歳だ……しかし、今のリオンには手放しでその事実を喜ぶことはできなかった。

 クーを治すための唯一の薬――それが落ちていく先は、急激に塞がっていく孔の中に相違なかった。

「間に合いなさい!」

 どんどんと縮まっていく孔の方へ向かって、リオンは精一杯手を伸ばし、遮二無二跳ぶ。

 落ちていく薬が入った容器へと、リオンの指は伸びて…………






 ジュンタには剣を振るうことしかできなかった。

 まだまだ素人らしさが抜けきらない、怪我の痛みによる鈍さが隠し切れていない、だけど今のジュンタにとっては精一杯の全力で。背中にクーを庇って、次から次へと孔から落ちてくる魔獣と相対する。

「本当に、次から次へと……」
 
 目は霞むし、手が痙攣するし、なんだか寒いし、服はボロボロで身体はもっとボロボロだ。普通なら倒れて動けない傷だけど、使徒ってのも伊達じゃないらしい。

 自分の立つ場所を境界線として、ここから先には一歩も行かせないと決めた――その決意を貫き通してくれる身体が大好きだ。

「行かせるか!」

 境界線を踏み越えて、倒れるクーへと襲いかかろうとした芋虫みたいな魔獣を、ジュンタは蹴り上げて左の刃で切り裂く。その間に向かってきたゴブリンに対しては右の刃で食い止め、左の返しで絶命させる。

 握力がほどんとなくて、動きが鈍い右手では魔獣を切り裂くほどの威力が出せない。だからクーを守ると誓った左の刃で、敵を下していく。

 本当は今すぐにでも倒れてしまいたいけど、戦っている最中、ふいに目に入るクーの姿を見ると弱音なんて吐いてられなかった。

 戦っているのは、自分だけじゃない。

 黒い光に侵されるクーも、また必死に戦っている。助けてやれない、孤独な戦いをし続けている。なら、その戦いを応援することしかできない自分は、全力で剣を振るうことでしか想いを伝えられない。

 斬って、斬って、斬って、斬って、斬って――ズタボロになりながらも剣を振り続ける。

 時間なんて関係ない。クーが戦っているなら、負けるなんてことあり得ない。勝つために。勝つために。勝つために。敵をいつまでも敗者にさせ続けてやろう。

「訂正だ」

 口に溜まった血を吐き出して、ジュンタは笑う。
 
 異世界に来てから、傷ついて倒れて休んでまた傷つく――そんなことの連続だが、それでもこうして笑えるのなら問題ない。無茶していることを後悔せず、格好いいと酔えるのなら、問題なんて在ろうはずない

――クーを守ろうとする俺は強いんじゃなくて、無敵だって訂正した!」

 吼えるジュンタの気迫に怖じ気づくように、孔から出ようとした魔獣が動きを止める。
 
 その時、孔が急速に閉鎖を始めた。それを見て、ジュンタは部屋に出た残りの魔獣を掃討にかかる。踏み込んだ足の裏で雷気が弾け、凍りついた部屋に輝きが反射するように、左の雷光は最後の力を振り絞る。

「やったんだな、リオン」

 全ての敵を倒し終えたジュンタは、ウェイトンを追いかけたリオンに感謝を送って、自分が守り抜いた少女を見る。

 未だ苦しそうに戦っている、その小さな手を取り、

「もう少しの我慢だからな。がんばれ、クー」

 強く握りしめたまま前のめりに倒れ込み、折り重なるように意識を断った。






       ◇◆◇






 水のせせらぎを耳にしながら、ジュンタはカーテンがついた窓から差し込む光に目を覚ました。

 ふっくらとしたベッドが身体を包み込んでいる。それは、これまでに体験したことのないくらいのふんわり体験だった。

 一体どんな羽毛を使っているんだと頭の隅で考えつつ、ジュンタは天蓋付きベッドの中で身体を起こす。

 窓の近くに置かれたベッドに寝かされていたジュンタは、白を基調として整えられた部屋を一瞬病室か何かだと思った。けれど、病室にしてはやけに細かな細工が壁に施してあり、ベッドも調度品も何もかもが高級そうだった。

「見たことない部屋だな」

 高級と言えばリオンの家であるシストラバス家だが、生憎とここは聖地ラグナアーツである。

 一体どこなんだと首を捻りつつ立ち上がったジュンタは、広い部屋を確認する傍ら、自分が眠っていた天蓋付きベッドが、二つのベッドを隣り合わせにして作られていることに気付く。

 そして、自分が眠っていたのとは別の隣のベッド――そこには安らかな寝顔を見せるクーの姿があった。

「そっか……無事だったんだな」

 安心しつつ倒れたことを覚えてはいたが、やはりクーのことは気になっていた。

 安らかな寝顔を見せられて、ジュンタはほっと一安心する。
 一度ベッドの周りを回って、クーの眠っているすぐ横へと移動する。その額にかかった金糸の髪 をどけてあげようと手を伸ばしたところで、部屋の扉は音もなく開かれた。

 そして登場リオンさん――眠るクーを気にしてだろう、ノックもせずに入ってきた真紅のお姫様は、こっちを見るなり強ばった表情となる。

 ジュンタはクーに触れようとしていた手を慌てて引っ込めて、曖昧に微笑んだ。

「よ、よぉ、元気そうだなリオン」

「あなたもどうやら元気そうで何よりですわ」

 長袖の白い服を着たリオンは、足音を立てないように歩いてくる。もっとも毛足の長い絨毯が引かれているので、足音を立てる方が難しいのだが。

「身体の調子はどうですの? フェリシィール様がありったけの治癒魔法を施してくださったわけですけど、痛むところなどはありません?」

 険しい顔でそう言い放ったリオンに気圧される感じで、ジュンタは身体を動かす。色々と無茶とか怪我をした身体だが、何の不備なく動いた。

「大丈夫だけど、俺は一体何日眠ってたんだ?」

「一日と半日ほどですわね」

 同じように、特に怪我をしているようには見えないリオンにそう尋ねると、返ってきたのはそんな返答。それだけの期間であれだけの傷が治るなんて、使徒の身体に感謝するべきか、治してくれたフェリシィール・ティンクに感謝するべきか。

「それで、ここはどこなんだ? やけに豪華な部屋だけど」

「フェリシィール様の東神居……と言っても、庶民のあなたには分からないでしょうね」

「ああ、さっぱり分からん」

「どうして偉そうにいいますの? まぁ、簡単に言ってしまえば、ここはフェリシィール様の家であり、クーの家なのですわ。ここは用意されたクーの部屋。あなたがここで寝かされていたのは、あなたが一緒にいた方がクーが落ち着くからです」

「クーの家か。なるほど」

 意外なほどに豪華だが、よくよく考えてみればおかしくもない。
 スイカが言っていたが、クーは使徒フェリシィール・ティンクの巫女である、ルドールという人の孫なのだ。その家が豪華なのは当たり前である。

(何気にクーもお嬢様なわけか)

 そう思いつつ、リオンに背を向け、ジュンタは眠るクーをもう一度見る。

 寝苦しいのか、少し苦しそうに身動ぐクーの身体から、ふわふわな掛け布団がずれ落ちていた。

「……ジュンタ、どうやら気が付いてないみたいですから、単刀直入に言いますわね」

「なんだよ、改まって? ああ、クーが巫女の孫だってことは知ってるぞ」

 ジュンタはリオンには顔を向けず、ずれた布団を直すために、その掛け布団を両手で掴む。

 かけ直してやろうと思って持ち上げ――――そして現実を目の当たりにした。

「あ……なん、で……?」

 震える手が、掴んだ布団を取り落とす。落ちた布団は白く薄い寝間着で覆われたクーの身体全てを露わにして、その姿にジュンタは目を釘付けにされる。耳は、リオンの絞り出したような声を捉えた。

――クーの反転の呪いは、まだ治っていませんわ」

 クーの胸から下――そこには黒い繭に似た不気味な光が、変わらず覆い尽くしていた。









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