第五話  指名手配犯





 クレオメルン・シレはアーファリム大神殿へと久しぶりに戻ってきたという、友人の下へと向かっていた。


 一つの任務を終えて、今は一時とはいえ休暇の時。
使徒を、ひいては聖地を含めた聖神教の教えを守る聖殿騎士団の白銀の鎧を脱ぎ、私服――といっても神聖なるアーファリム大神殿を歩くのだからそれ相応のもの――を着て、クレオメルンは白亜の回廊を進んでいく。


「さて、帰っているというお話が本当だといいのだが」

 聖神教の教徒なら誰もが足を踏み入れることを望み、そのほとんどが一生を費やしても入れないアーファリム大神殿は、大きく分けて三つの区間に分けられる。


 聖殿騎士団や司教などが出入りを許された、入り口に最も近い『騎士堂』

 その奥にある、使徒が政務を執り行い、また謁見の場でもある『礼拝殿』
 そして
最奥であり中央にある、絶対不可侵の使徒の居住区たる『神居』


 以上の三つは広大な敷地の中、周りをグルリと城壁のように取り囲む形でまず騎士堂があり、騎士堂に囲まれ守られる形で礼拝殿。礼拝殿に囲まれた中庭の最奥に神居はある。

 例え大国の王といえど、入ることが許されるのは礼拝殿までである。

神居は本当に、使徒自身に許可された限られた人間しか入ることが許されない。

 
 クレオメルンは、その限られたほんの一握りの人間の中にいた。
 
聖地ラグナアーツの都を駆けめぐる水路の、源泉たる泉の水をくみ上げる噴水を囲んで、四方にそれぞれ使徒の居住区は分けられている。

四つの高い塔――『北神居』『東神居』『西神居』『南神居』である。

一時期に誕生する使徒の数は、これまでの歴史から最大で三人までと言われているが、もしも四人目が生まれたのに住まう場所がないとなれば、それはもう神に対する反逆行為にも等しい。よって居住区の数は三つではなく四つ建造されたと伝えられている。

クレオメルンは、入ることが許された北神居と東神居の内、自室のある北神居へは行かず、そのまま礼拝殿から友人のいる東神居へと向かっていた。

 
基本的に白を基調としている四つの神居に、特に内装としての変化はない。住まう使徒の趣味によって多少変わることはあるが、現在の使徒の中には特に手を入れようとするお方はいない。

荘厳であり美麗であるそこは、煌びやかな宮殿とは違う『聖域』だ。と言っても、鑑定士が見れば卒倒するほどの調度品や、朽ちたり色褪せたりすることのない細かな細工が至るところにまで施されているのだが。

幼少の頃より幾度も通り、もはや見慣れた、しかし通るたびに誇らしさで背筋が自然と伸びる回廊を通り、クレオメルンは東神居の中に足を踏み入れる。

クレオメルンの友人は、階段を上がることのない一階の、東神居の中で最も小さな部屋に住んでいた。

無論、使徒の住まう神居の一室なのだから、最小とは言え庶民の家がまるごと入るくらいの大きさはある。だが、あえてそれでも一番小さい部屋を選ぼうとする辺りが、その友人の性格を如実に表していた。

とにかく、彼女は謙虚なのである。

話に聞いたことだが、神居の中に住まう段階でもものすごい遠慮をしたらしい。『自分にはこんな場所は身分不相応だ』とか言ったのだとか。クレオメルンには、その時彼女が、申し訳なさで泣きそうになっている姿が簡単に想像できた。


「ん?」

 友人のことを考えながら歩いていると、友人の部屋がある少し手前で、忙しそうな見知った老婆の姿を見かけた。

同時に向こうもこちらを見つけたらしく、急いでいたようなのに足を止め、恭しくお辞儀をして柔和な笑みを浮かべた。

「これはこれはクレオメルン様。お久しぶりでございます」


「お久しぶりです、リタ侍女長」


 神居で使徒のお世話をしている侍女たちを束ねる地位にある、東神居の侍女長であるリタと会うのは久しぶりのことだった。


 クレオメルンも近衛騎士隊長に任命されたりと忙しかったし、友人が半年前に旅に出てしまい、この場所にやってくる最大の理由がなくなってしまったのが、東神居に足を運ばなくなった一番の理由であった。


「リタ侍女長。エレメンドラ侍女長から聞いたのですが、クーが帰還したというのは本当なのでしょうか?」


「ええ、間違いありませんよ。先日クーヴェルシェン様は、フェリシィール様と一緒にご帰還なされました」


 友人――クーヴェルシェン・リアーシラミリィをかわいがっていたリタにしてみても、彼女の帰還は喜ばしいことのはずなのに、そう教えてくれた彼女の顔はどうしてか曇っていた。

「お顔が優れないようですが、何かクーの身に問題でも? 怪我や病気をしているなどは……?」


「いえ、お身体の方は健康なのですが……」


 言いにくそうに――否、よく分からないといった風な困り顔で、リタは頬に手を当てる。


「どうしてかクーヴェルシェン様は、酷くお塞ぎになっておられまして。ご帰還なさったことはフェリシィール様より教えていただいたのですが、クーヴェルシェン様はお部屋にずっと閉じこもったままで。わたくしたち侍女には、その理由は知らされていないのでございます」


「リタ侍女長、あなたにもですか?」


「はい。何やらとても深い事情があるそうです。ただ、女としてとても大切な問題が起きたのだと、フェリシィール様はおっしゃられておりました」

「女としての大切な問題……」


 心苦しそうに息をつく老年の侍女長は、東神居の主である使徒フェリシィールにとっては、己が巫女の次に信頼している相手である。そんな彼女にさえ話すことができないクーが塞ぎ込んでいる理由とは、果たして一体何であるのか?


「そうですか。それならば、今日のところはクーの許を訪ねるのは止めにした方がいいですね」


「いえ。わたくしどもではダメでしたが、ご友人であらせられるクレオメルン様なら、もしかしたらクーヴェルシェン様もお顔をお出しになられるかも知れません」


「本当にそうであったなら喜ばしかったのですが…」


 ウェーブのかかった翡翠の髪の揺らして、クレオメルンは視線を友人のいる部屋に向ける。


 クーとの付き合いはもう十年近くにもなる。神居の中に同年代――彼女は四つ下だが――はクーしかいなかったので、自然と遊び相手として仲良くなったのだ。

しかしクーは謙虚な性格で、決して名前を愛称である『クレオ』で呼んでくれなかったし、それどころか様付けで呼んでくる。確かに実質的な地位の差でいえばそれは正しい態度なのかも知れないが、大切な親友だと思っているクレオメルンからしてみれば、それはクーとの間に壁があるようでどうにも嫌だった。


(果たして、私が訪ねていってクーは顔を出してくれるだろうか……)


 恐らくは、否、だろう。


 他人に心配をかけまいと、どんなに本当は辛くてもそれを隠して明るく振る舞う彼女が、それでも塞ぎ込んでいるのならば、きっと自分では救えない。それがクレオメルンが覚える、クーに対する自身の限界だった。


 ぐっと握り拳を強く握って、クレオメルンはリタに視線を向け直す。


「やはり、今日のところは止めておくことにします」


「そうですか? お気が変わられましたら、どうぞ訪ねてあげてくださいませ」


 リタは少しだけ残念そうに微笑んだ。


 なんだか少しだけバツが悪くて、クレオメルンは話題を変えるためにリタに質問をぶつけた。


「そう言えば、リタ侍女長。何か急いでいたようですが、私と話していても大丈夫なのですか?」


 彼女にしては珍しく廊下を早歩きで歩いていたのを思い出し、訊いてみたところ、リタははっとした表情になって少し慌て出す。


「そうでした! フェリシィール様にこちらを聖殿騎士団の方々に提出して欲しいと頼まれていたのでした!」


「騎士団の方にですか? 近衛騎士隊の方にではなく?」

「はい。今回は聖殿騎士団の方々の方へと」

「それは……珍しいことですね」

 使徒にはそれぞれ近衛騎士隊というものが存在する。人類にとっての至宝である彼らを守ることと、使徒の勅命を受けて行動するのを使命とする専用の騎士隊である。


 それらは百名ほどの精鋭たちで組まれており、大抵使徒の指示は近衛騎士隊に命じられることが多い。だから使徒フェリシィールが聖殿騎士団の方に指示を飛ばすのなら、それは大規模な騎士の出動が必要なことと言うことになる。

そんなことは非常に珍しいと言えた。現在ベアルの異教徒の討伐に力を入れている使徒ズィールならばともかくとして、かの使徒様が聖殿騎士団の方にいきなりの命令を下すのは…………クレオメルンの記憶の中には存在しなかった。


「でしたら、よろしければ私が預かっておきましょうか?」


「まぁ、よろしいのですか?」


「ええ。お急ぎなのでしたら、使徒フェリシィール聖猊下近衛騎士隊に対する書状でない限り、私の方から提出した方が早く受理されるはずです。
失礼ですが、リタ侍女長が聖殿騎士団の方に向かわれるのは珍しいことだと思われますので、向こうも何かと混乱してしまうことでしょう」

「確かに、そう言われてしまえばそうかも知れませんね。それではお手数ですが、お願いしてもよろしいでしょうか? なにぶん急を要する用件らしいとのことですので」

 急ぎのために遠慮することなく、良かれと思ってリタは持っていた二枚の書状をクレオメルンに差し出した。


(どうせ、予定は潰れてしまったし)


 クレオメルンは内心で苦笑したあと、丸められた二枚の書状を受け取る。


「はい、確かに承りました。――それで、こちらは一体何の書状なのですか?」


 さすがに何の説明もなしに書状を早々に騎士団の方に通すことはできない。使徒の勅命といえど、いや、勅命だからこそ手間取ることもある。


「こちらは開いても?」


「ええ、構わないとのことです」


 リタから確認を取ったあと、クレオメルンは丸められていた二枚の書状を広げた。


 一枚は使徒フェリシィールの勅命状。ものすごく急いで書いたのか、ところどころ焦っている痕跡が見え隠れしている。


 そしてもう一枚の書状の方には……


「これは……!?」


 広げて見てみて、クレオメルンは目を見開いて驚いた。


「それが今回騎士団の方々に動いてもらう、人捜しの相手の人相だそうです」


「人相……」


 二枚目の書状は、一枚目の書状に書かれていた『人捜し』の、その探すべき相手の人相が描かれていた。これまたフェリシィールが直々に書かれた絵のようで、かなり上手だ。特徴的な異国風の顔立ちが、かなり克明に描かれている。


 だが、クレオメルンが驚いたところはそこではなかった。


「この男、さっきの……」


 珍しい黒髪に黒眼。さらに黒縁眼鏡をかけた、描かれた十六、七ほどの少年。

 その人相は間違いなく、今日の昼聖地ラグナアーツに遠出の任務から帰還し、アーファリム大神殿に戻る最中に見つけた、婦女暴行未遂の疑いのあったあの男であった。


(どうしてこの男をフェリシィール様は探していらっしゃるんだ?)


 クレオメルンは視線を一枚目の書状に戻す。

『 
使徒フェリシィール・ティンクの勅命をもって、かの者を捜索することを命ずる。
  
名前はジュンタ・サクラ。年齢は十七。身長は百七十ほどで、中肉中背。異国風の顔立ち。か    の者を騎士団は総力をあげて捜索すべし。また、同時に張り紙をして情報を募るべし。見つけた者には、金貨千枚の報奨金を渡すものとする旨も書き込むべし 


「報奨金が金貨千枚とは……人捜しにしてはすごい金額ですね」


 神居に住まうクレオメルンや、聖神教の長たる使徒にしてみれば、さして瞠目すべきほどの金額ではないが、庶民にとってはものすごい大金である。庭付きの立派な家を購入することができる。


 感心すべきは、その金額設定が非常に人心をくすぐる値段であることか。

 あまりに高すぎれば現実味がなくなるし、少なすぎれば動いてくれない。急遽見つけたい相手を見つけるには、なるほど、見事といえる金額の設定である。


(しかしこの男、どうしてそこまでフェリシィール様が見つけたがる?)


 書状を丸めつつ、クレオメルンは考える。


(礼儀のなっていない、どう見てもただの一般市民だ。しかも言い逃れをされたが、婦女暴行の疑いもあるような男だ。それなのにどうして……?)


 気になったクレオメルンは、書状二つを手に持ったあと、リタに改めて訊いてみた。


「リタ侍女長。最後に一つお尋ねしておきたいのですが、この男をどうしてフェリシィール様が探していらっしゃるかを知ってしますか?」

「いえ、わたくしは詳しい話は。ですが――


 リタは視線をクーの部屋の方に視線を向けると、声を潜めた。


――どうやらクーヴェルシェン様がお塞ぎになられたことと、何か関係があるようです」

「何? そうですか……分かりました。それではこれは私の方から騎士団に渡しておきます。それでは失礼」

「はい。よろしくお願いします」


 お辞儀をするリタにお辞儀を返して、クレオメルンは踵を返して歩き始める。


(確証はない。予想でしかない。だが、まさかこの捜し人である男。クーに……確かめてみる必要性がありそうだな)


 振り返ることなく東神居を出て、北神居との境目からアーファリム大神殿の外側へと続く回廊に出る。


 礼拝殿を通り抜け、そのままクレオメルンは騎士堂にある騎士団の事務を担当している部署に向かった。


 並んでいる列を尻目に、忙しそうに書類仕事に追われている受付担当者の前に出る。

 並んでいた人たちが文句を口にしようとしたが、相手が使徒ズィール聖猊下近衛騎士隊隊長であるクレオメルンだと知り、口を噤んだ。代わりに広い部屋を満たしていた声が小さくなる。


「これはクレオメルン近衛騎士隊殿。何かご用件が?」

 受付の騎士が、何やら神妙な顔つきになってクレオメルンに向き直る。

 

 クレオメルンは受付の騎士に二枚の書状を受け渡し、そこにいる騎士たち全てに聞こえるように、声を大きくして言った。


「フェリシィール聖猊下からの勅命が出た。急ぎの用件とのことらしいため、私がリタ東神居侍女長より預かってきた」


「!! 分かりました。拝見させていただきます」


 にわかにざわめき出す空気の中、書状を受け取った騎士は大きく頷いて、同じ部屋の中にいた統括官を呼んだ。


 やってきた高位の騎士が、受付の騎士から書状を受け取り、その場で読み出す。
 
彼は読み終わった後、無言で頭の上に手を挙げ、指先を前に降ろす。騎士団を至急出動させる用意をしろ、というジェスチャーであるらしかった。

 
他の全ての仕事を一時中断して、騎士たちはドタバタと連絡のために走り回り始める。
 その中で、事務を引き受けている高位の騎士からクレオメルンは質問をぶつけられた。


「中身を拝見させていただきました。クレオメルン近衛騎士隊長殿。これからこの『ジュンタ・サクラ』に対する情報集めのための張り紙を制作します。それにあたって、一つ質問してもよろしいでしょうか?」


「構わない。なんだ?」


「まず一つ。制作すべきは指名手配状なのでしょうか? それともただの捜し人の案内なのでしょうか?」

「そんなのは決まっている――

 確かに書状には、肝心の捜し人をどういう理由で捜すかが書かれていない。だから犯罪者を捜す指名手配状か、行方不明者を捜す案内なのかは分からない。だが、そんなものは考えてみれば分かり切ったことだ。あえて確かめに神居まで走る必要もない。

 苛立たしげにまなじりを吊り上げ、騎士が臆するぐらいの勢いで、クレオメルンは答える。作るべきは、果たしてどちらなのかを。

――ジュンタ・サクラを第一級指名手配(ヽヽヽヽ)だ!」



 クレオメルンは知っていた。クーヴェルシェンという少女は、いつだって辛くても笑っていたことを。

 だから彼女の精一杯の笑顔をもしもジュンタ・サクラなる犯罪者が奪ったのだとしたら――それは絶対に許してはおけないことであった。






       ◇◆◇







 黄昏時になった頃、ジュンタとリオンは一旦お世話になった教会へと足を向けていた。

 今日一日クーについて情報収集をしたが、収穫は芳しくない。クーの居場所に繋がる有力な手がかりはついぞ出ず、疲労だけが蓄積していた。


 それでもリオンは粘ろうとしたのだが、それにジュンタが待ったをかけた。

 朝からずっと捜しているのである。昼食を取らず、休憩もなくだ。そもそも昼食を食べようにもお金はまったく持っていないので、そうなると好きなだけいてくれていいと言ってくれた教会へと戻るしかない。

 
くぅ〜という小さな音が、リオンのお腹から突然響く。


 ジュンタが思わずリオンの方を振り向くと、彼女は顔を真っ赤にして、猛然と抗議をしてきた。


「し、仕方ないではありませんのっ! 朝食も満足に取ってませんし、昼食に至っては食べてすらいませんもの! ずっと歩き詰めだったのですから、空腹になるのは当然ですわ! 生理現象ですもの、私に恥じるところは何一つありません!」


「別に何も言ってないだろ? それに朝食を食べられなかったのは、起きてくるのが遅いお前が悪い」

「それこそ仕方がないのです! 女には身嗜みを整える時間が必要ですもの。ふんっ、これだからデリカシーのない男は嫌ですわ」


「悪かったな、デリカシーがなくて」


「本当ですわよ。昼間のことといい、あなたはもう少し真面目にクーのことを捜すべきですわ」


 小馬鹿にするように視線を寄越してくるリオンの言葉に、さすがにジュンタもカチンと来る。


「誰がいつクーのことを不真面目に捜したって?」


「あら、昼間私の目を盗んでどこかへと消えていたのは、一体どこのどなたかしら? 
 どこで何をしていたかは知りませんけど、決してクーについての情報を集めていたわけではありませんわよね?」


「それを言うなら、リオンだって使徒ズィールとかなんだかに目を輝かせて、キャーキャー言ってたじゃないか。俺が不真面目だっていうなら、お前だってそうだろ」


「私はいいんですわよ。だって使徒様ですのよ? 使徒ズィール様。今いる使徒様の中で、唯一の男性使徒。あなたなんかとは比べものにならないくらい、素晴らしい方ですわ」


「…………」


 ジュンタは無言で、ムッとした顔になってそっぽを向く。

 ズィールとかいう使徒と比べられたことはともかく、リオンが他の男性を手放しに褒めるのがなんだか無性に腹立たしかった。


「…………何なんですのよ、まったくその態度は……」


 ジュンタはぶつぶつと文句を垂れつつ早歩きになったリオンに、少し遅れてついていきつつ、胸のムカムカを忘れるようにと考え込む。


 結局疲れと空腹に耐えきれず、一度教会に戻ることを決めたわけだが、今日という日の捜索をこれで終えるわけじゃない。夕食を取って休憩したあとは、再び夜の都へと繰り出すことになっている。


 さすがに聖地ともなると真っ昼間から飲んだくれているような人間は少ないが、夜ともなれば酒場に灯りが灯る。

一日様々な場所にいた人たちが集まり、酒のつまみに情報を交わし合うのだ。
 
そこに行けば、何かクーの手がかりが手に入るかも知れない。そこまで有力な情報でなくても、疑わしいベアル教の情報があればそれでいい。


 そんな風にこれまでとこれからのことをジュンタが考えている内に、二人はたくさんの子供たちと優しい神父がいる教会へと辿り着いた。







 完全に食い扶持を増やすだけの厄介者なのに、神父は快く迎え入れてくれた。


 決して豪華とはいえないが、温かい食事を子供たちと一緒に騒がしくごちそうになって、食後にジュンタは食器の片付けを手伝っていた。


 食後の休憩を兼ねた手伝いである。

 同じようにごちそうになるだけでは悪いと思ったのか、リオンは子供たちと遊んでいた。


「ちょ、誰ですの今私の髪を引っ張りましたのは!? 私のこの髪が一体どんな――きゃっ、お尻を蹴ったのは一体誰です!?」


 訂正、遊ばれていた。


 神父と一緒に食卓の上を布巾で拭きながら、ジュンタはギャーギャーと子供たちに囲まれているリオンを呆れ半分感心半分の目で見る。


「いやはや、とても子供たちに懐かれていますね。あのようなこと、あまり少ないのですが」

 同じように、しかしこちらは完全に温かい瞳で見ている神父が、リオンを見てそう褒め称える。


「いやぁ、やっぱり精神年齢が同じくらいだからじゃないですかね」


「そこ、聞こえてますわよ!」


 正直な予想を告げてみると、響いたのはリオンの怒声だった。


「一体誰がこのようなお子様たちと同じ精神年齢ですって? 一人前の貴婦人であるこの私に対し、そのような暴言は許しませんわよ!」


「許しませんわよ〜」


「わよ〜」


 リオンの少し不思議な口調を子供たちが真似をして、それで笑っている。


 身体の至る所に子供を張り付かせているリオンは、プルプルと赤い顔で震えている。
 
あれは爆発の前兆だ。そろそろ離れないと追いかけ回されるぞ子供たち……それが目的なのだろうが。

 しかしリオンが爆発する前に、子供たちは彼女から離れていった。


「さぁ、みんな。そろそろお風呂の時間です。準備をしてきなさい」


 神父さんの鶴の一声である。


 神父の言葉に、リオンと遊んでいた子供たちは『はぁ〜い』と大きな声で返事をして、部屋へと戻っていってしまった。


「はぁ……疲れましたわ」


 不完全燃焼を疲労に変えたリオンが、肩を落としながら近付いてくる。


「申し訳ありません。子供たちがご迷惑をおかけして」


「ああ、いえ、構いませんわ。子供のすることですもの、別に怒ってなどいませんわ。それよりこちらこそお世話になってばかりで心苦しいです。せめて私も家事をお手伝いできれば良かったのですけど……」


「お気になさらず。子供たちと遊んでいただけて本当に助かっています。あの子たちはなかなか人に懐くことが少なくて、あんなに楽しそうにしているのを見るのは久しぶりですよ」


「そうなんですの? でしたらいいのですけど……」


 神父の言葉に、リオンは曖昧に笑って勧められた椅子に腰掛ける。


 やはりリオンも気付いているようだ。先程の子供たちのことと、この教会のことに。


 ジュンタは今日の朝の段階でそのことに半ば確信を持っていた。
即ち、この教会は孤児院も兼ねており、あの子供たちには親がいないのだと。


 恐らくはジェンルド帝国という国から逃げてきた子供たちだと思われる。
 
この教会はジェンルド帝国のある方角――北巡礼都市ノース・ラグナの門の付近にあり、そして神父もジェンルド帝国の出身だ。

話題にするのが憚られることのため、確証はないがたぶん合っている。この教会はジェンルド帝国から逃げてきた子供たちを保護できるようにと、門近くに作られているのだろう。

あの子供たちは親がいない戦災孤児――リオンもそのことには気が付いているに違いない。子供たちに向けている視線には、複雑なものが混ざっていた。


「さて、片付けも一段落しましたし、どうでしょう? 紅茶でもお淹れましょうか? 生憎と子供たちばかりですので振る舞う機会がほとんどなく、大した腕ではないのですが」

 食卓の上を拭き終わった神父が気遣ってくれる。だが、ジュンタとリオンは顔を見合わせて、首を横に振った。


「申し出は嬉しいのですけど、私たちにはこの後まだ出かけるところがありますので」


「そうですか。それではお気を付けて行ってらしてください」


「ええ、ありがとうございます」


「すみません。大したこと手伝えなくて」


「いえいえ。では、私は少しお湯の調子を見てきますから。最近、老朽化で浴室の調子がおかしいようでして」

 何も事情を訊かずにいてくれる神父がいなくなるのを感謝と共に見送ってからを、ジュンタは立ち上がったリオンと一緒に、装備を手に取って部屋を出る。


 そこへちょうど、向こうからやってきた一人の少年と鉢合わせすることになった。


「うげっ!」


 教会にいる子供たちの中では年長らしい彼は、リオンの顔を見るなりそんな悲鳴をあげる。

「ちょっと何ですのよ、人の顔を見るなり。子供とはいえあまりに礼儀がなっていませんわよ?」


「うるさいなぁ。お前なんかに言われなくてもそれくらい分かってるよ」


「こ、このお子様は……!」


 ふんっ、と不機嫌面でそっぽを向く少年に、彼以上にリオンは不機嫌となる。


 リオンに懐かない珍しい少年である彼は、名をヨシュアと言う。どうやら彼は他の子供たちと一緒にリオンとは遊ばず、部屋に戻っていたらしい。


「ふ、ふふっ、最近の私は少々舐められすぎですわね。この辺りで一度、誰が最も強く気高い人間なのかを、はっきりとさせておく必要があるようですわね」


「止めろよ大人げない。えぇと、確かヨシュアだよな? あんまりリオンを怒らせないでくれ。主に被害を被るのは俺だから」


「うわぁ、お前怒ったからって彼氏にあたるのかよ。最悪だな」


「なんですって!? だ、だだだ誰が彼氏ですのよ、誰が!?」


 ニシシと笑って、ヨシュアはジュンタとリオンを交互に指差す。


 リオンは顔を真っ赤にしたと思ったら、キッとジュンタを睨みつけ、その後努めて冷静になろうと引きつった笑みのままヨシュアに語りかける。


「いいですの、ヨシュア。私とこの不埒者は、一切まったくこれっぽっちもそのような関係ではありませんわ。そもそも、私とこの不埒者が釣り合っているわけないではありませんの」


「ん〜……言われてみればそうだな。兄ちゃんにお前みたいな我が儘な女、似合わねぇもん」


「お、将来有望な発言だな」


「将来絶望的な発言ですわよ!」


 リオンにボロクソに言われたジュンタは、ヨシュアの援護射撃でちょっと回復。二人してリオンを標的に定める。


「酷いなぁ。普通いたいけな子供に向かって、将来絶望的とか言うか? なぁ、兄ちゃん。悪いことは言わないからこいつだけは止めておけって。後で後悔するぜ?」


「いや、でも、これでもいいところもちゃんとあるからな。例えば……」


「え?」


 てっきりからかわれるとでも思ったのか、ヨシュアの言葉にそう返答をすると、リオンは驚いた顔をして、次に少しだけ嬉しそうな顔になった。反対にヨシュアは不満そうな顔になる。


 そして二人の表情はさらに次のジュンタの発言をもって逆転した。


「…………………………ゴメン。思いつかない」


「お待ちなさい。それどういうことですのよ! 私を見れば、美点など山ほどあるでしょう…………って、何寂しそうな生き物でも見るような目つきで笑ってますのよ!?」


「あははははっ!」


 腹を抱えて笑うヨシュアに、ジュンタはグッと親指を立てる。


「これがちょっと高度なからかい方だ。将来のために覚えておくように」


「おうっ!」


 不機嫌面をいつしか満面の笑顔に変えて、ヨシュアは笑っていた。


 それを見るリオンは、なんだか不満げだった。それはからかわれたことだけじゃなく、自分よりもジュンタの方がヨシュアに懐かれていることに対する不満なのだろう。


「……納得いきませんわ。どうしてこの私ではなく、そんな不埒な輩に懐きますのよ」


「おい、それだとまるで俺が子供に嫌われるタイプみたいじゃないか。これでも結構俺は子供に好かれるタイプだぞ? 俺の餌付け技術を甘く見るな」


「絶対お前なんかより兄ちゃんの方がいいって。みんなは騙されてるんだって」


「散々な言い草ですわね。絶対私の方があらゆる点で勝ってますわ。美しさであれ器量であれ、強さであれ優しさであれ。ヨシュア、あなたどこをどう比べて、私よりジュンタの方がいいと思いますのよ?」


 ヨシュアの言葉に自尊心を逆撫でされたリオンは、そう彼に詰め寄る。

 爛々と輝く獲物を狩るハンターの目つきを見る限り、今自分で言った台詞の内、二つぐらいは間違っている気がしてならない。


「さぁ、おっしゃいなさい!」


 腰に手を当てて見下ろすリオンを見、ヨシュアは口を尖らせる。どこか子供らしくない、陰のある表情で。


「……お前、貴族だろ? 俺って貴族が大嫌いなんだよね」


「え?」


 リオンは意外な理由を返されて眉を顰める。

 口を尖らせたままのヨシュアは、言葉を続けながらリオンを睨んだ。


「そう言う高圧的な態度とか、仕草とか、言葉とか……分かるんだよね、俺。お前絶対貴族。しかも位の高い我が儘貴族。俺そう言う奴が大っ嫌いなんだ」

「それは……どうしてなんだ?」


 困惑を隠せないリオンに代わってジュンタがそう尋ねると、ヨシュアは少しだけ寂しそうな表情で教えてくれる。


「俺さ、ジェンルド帝国の生まれなんだ。あそこは貴族が威張りくさってて、それで俺たち平民はとっても生活が苦しかったんだ。生活できなくて家族みんなで聖地まで逃げてきたけど、その途中で父さんも母さんも、ばぁちゃんも妹も領主の追っ手に殺された。

 これも全部、皇帝と貴族が悪いんだ! お前らみたいな貴族がいるから、みんな死んだ! 神父様が助けてくれなかったら、俺だって死んでた!」


 そのときのことを思い出してしまったのか、ヨシュアの涙混じりの叫びには悲壮なものがあって、ジュンタとリオンは二人一緒に黙り込んでしまった。


(やっぱり、ここは戦災孤児を集めた孤児院だったんだな)

 ヨシュアたち戦災孤児が生まれた原因がジェンルド帝国の貴族にあって、だから彼は貴族を嫌っている。無論、リオンはそんな非道をする貴族ではないが、それでも子供の彼にとっては貴族全てが敵に見えてしまうのだろう。


 リオンは何も言えずに、スカートの裾を掴む。

 その弱々しい態度が見ていられなくて、ジュンタはヨシュアに話しかけた。


「なら、俺はどうしてヨシュアの眼鏡に適ったんだ? 確かに俺は貴族じゃないけど、それでもそんなに好かれることをした覚えはないんだけどな」


「それは兄ちゃんが俺と――俺らと同じだからだ」


「同じ?」

 涙を拭ったヨシュアは、少し照れくさそうに笑って、


「結構俺辛いことがあったから、同じ気配には敏感なんだ。兄ちゃんは同じだ。俺らと同じ、家族にはもう会えなくて、故郷にももう帰れない……そんな目ぇしてる」


――――ぇ?」


 そんなか細い驚きの声は、リオンの口からもれたものだった。

 ジュンタも言い当てられたことに驚いていたが、それよりもずっとリオンの方が驚いていた。


「だけど兄ちゃんは、楽しそうにやってる。そういう人が俺は好きなんだよ。それだけっ。何かみんないないし、風呂かな? それじゃあ、俺も風呂入ってくるから!」


「ああ、行ってらっしゃい」


 居ても立ってもいられなくなったらしいヨシュアは、ドタバタと走り去っていく。彼の姿が廊下の曲がり角に消えたところで、ジュンタは首の後ろに手を触れた。


「笑って泣いて、また笑って、子供ってのは表情がすぐに変化するな」


 
隣でリオンが無言でいる。それが軽く沈んだ様子なのは見なくても分かったから、あえて見るべきではないと廊下を少し進む。


 そこでリオンが立ち直るのを待っていると、


「…………先程ヨシュアの言っていたことは、本当ですの?」


 背中に強ばった声で質問を投げかけられた。


 先程ヨシュアが言ったことというと、両親に会えなくて故郷にも戻れないという話か。

 それは確かに事実と言えた。故郷は遙かに遠い異世界の地にあり、
百パーセント無理とは言わないが限りなくゼロに近い確率で、一生戻ることは叶わないだろう。

 雰囲気だけでそれが察せられるとは驚きだが、別に故郷を旅立ったことをジュンタは悔やんでいるわけではない。少しだけ寂しさはあるが、内緒にしておくべきことでもなかった。


「父さんと母さんが死んでるわけじゃない。故郷が滅んだわけじゃない。でも……そうだな。たぶん、きっともう会えないし、戻れないだろうな」


「そう、ですの。そう……」

 気落ちしたように声を小さくさせるリオンに、ジュンタは振り返って苦笑する。


「どうしてお前が気にするんだよ? 俺は故郷を旅立ったことを後悔してないし、これで良かったと思ってる。だからお前が気にするようなことは何もない」


 視線を床へと向けているリオンに近付くと、フードをパサリと被せて、手を引っ張る。


「クーを探しに行くんだろ? そんな調子じゃ、見つかるものも見つからない」


「…………」


「…………まぁ、偶には静かなのもいいけどさ」


 手を握っても、リオンは何も答えない。怒ったりもしない。


 調子が狂うが、どうしてリオンがそこまで気落ちしているか分からないから、何て声をかけてやっていいのかも分からない。ジュンタは歯がゆく思いながらも、リオンの手を引いて、そして夜の聖地へと繰り出した。







       ◇◆◇







 ジュンタが両親に会うことが叶わず、故郷にも帰られないことを、リオンは初めて知った。


 ヨシュアが言うまでは、まったく想像していなかったことだ。まさか彼にそんな事情があるなんて思っても見なかった。
そして、その驚きの事実を受け入れるとともに、自分がジュンタのことをまったく知らない事実にリオンは気が付いた。


 どこで生まれたのか?

 両親はどんな人なのか?

 家族は何人いるのか?

 友達はどれくらいいたのか?

 恋人はいたのだろうか?

 どれくらい旅をしているのだろうか?

 なぜ旅をしているのか?

 好きな食べ物は? 趣味は? 苦手なことは?

……全部全部知らない。知っていることなんて、ほんの僅かでしかなかった。

 
 リオン・シストラバスとジュンタ・サクラが接した時間は、一ヶ月にも満たない。それは確かで、その短い時間の中で相手の全てを知れという方が無理な話。だけどあれだけ濃い時間の中で何一つ知らなかったのだと言うのは、改めて認識してみると酷く衝撃的だった。


 つまりは、自分は告白をしてくれた人のことを、まったく知らなかったわけだから。


 それを自覚したら、なんだか無性に悲しくなった。寂しくなった。

 再会してからずっと近くにいるように感じられていたジュンタが、とても遠くなったように思えたのだ。


 こんな風に気落ちしている場合ではなく、手を無断で握ったジュンタを叱ったりしないといけないのに、しっかりとクーを捜さないといけないのに、だけど繋いだ手を離すと彼がどこか遠くに行ってしまいそうで……リオンにできるのは無言を貫くことだけだった。


 何か、胸の中にもやもやしたものが生まれている。
 それは自覚しているのに、それが何ていう感情から来るものなのか分からなくて、リオンは困惑と共に、ジュンタに連れて行かれるままに道を歩き続けた。


 門近くの教会から、流れる水のせせらぎに人の声が夜でも混ざった大通りへと出る。


 そこまで行ってもリオンは無言でいた。もしもフードがなく顔が晒されていたら耐えきれなかった沈黙だが、皮肉なことにフードはしっかりと表情を隠してくれている。リオン・シストラバスという尊き不死鳥の血を継ぐ騎士を。


 手を無言で引くジュンタは、当初の予定通り大通りにある大きめの酒場へ向かっているよう。


 耳には水の流れる音。歩く人たちのおしゃべりの声。そして酒場で騒ぐ人たちの声。

 酒場の喧噪は万国共通、聖地でもあまり変わりがないようだ。いや、酒場などほとんど足を運んだことなどないが。


(もうすぐ到着のようですわね)


 どんどんと近付いてくる酒場の喧噪に、手を離すべき瞬間が近付いてきたのをリオンは悟る。

 ふいに聞こえた金属の足音と、足いきなり止めたジュンタに、ついリオンは顔を上げて言葉を発していた。


「ど、どうしたんですの?」


「ん? あ、いや……」


 ちょっと自分でも上擦った気がするが、大丈夫。
ジュンタはどこか安堵したような顔で振り返って、手は離さないまま、視線を周りへとグルリと投げかけた。


 ジュンタに釣られて、リオンも視線を周りへと向ける。
 
言葉も必要とせず、ジュンタが何を不思議に思って足を止めたかを知ることができた。


 普通ではあり得ないことに、昼間とは違って夜のラグナアーツでは、白銀の鎧が美しい騎士の姿をところどころに見つけられた。


「どうして騎士がいるんだ? 夜になると見回りでもするのか?」


「お祭りの時などはともかくとして、夜の見回りなどをするのは衛兵の役目ですわ。あの鎧の天馬のエンブレムは、聖地と聖神教を守る聖殿騎士団の騎士であることを示していますわね。確認できるだけでも四人。一体何をしているのか……分かるのは普通ではないということだけですわ」


「事件か?」


「その可能性は大ですわね。そしてこの時期に騎士団が派遣されるような事件でしたら、クーにも関係があるかも知れませんわ。……ところで、あなたいつまで私の手を握っているつもりです?」


「あ」


 今気付いたと言わんばかりの顔で、ジュンタは慌てて手を離す。


「まったく、もう」


 ついに離れた手を胸元へと引き寄せて、リオンは口を尖らせる。


 クーへの手がかりになりそうなことを見つけて、おかしな胸のもやもやはほとんど消え去っていた。それは騎士として鍛錬を積んだ自分の、当然の反応であった。


「さ、さて、じゃあどうする? あの騎士たちにクーのこと訊くわけにもいかないだろ?」


「身分を隠している状態で教えてもらえるのでしたら、守秘義務と言うのは存在しないも同然ですわね。無理だと思いますわよ。せめて観察して、彼らが何を捜しているかを突き止める程度のことしか難しいですわね」


「そっか……」


 酒場の前で二人して、騎士たちの行動を観察する。

 
彼らは大通りから逸れた横道に入ると、何かを捜してから出てきて、さらに次へ。店に入っては何かしらのことをして出てきて、時折通りの壁に何かを貼り付けている。


 所属は違えど、同じ騎士であるリオンには、彼ら聖殿騎士たちが何をしているかが、何となく分かった。


「どうやら彼らは、人捜しをしているようですわね」


「人捜し?」


「そうです。先程から壁などに貼っている、あれ。ここからは何が書かれているか分かりませんけど、恐らくは捜し人の人相書きですわ。店の中に入っていっているのも、人相書きを渡したりして情報を募っているのだと思いますわ」


「なるほど……」


 聖殿騎士団は教育機関をもっていて、そこの卒業生がなるため数は多い。グラスベルト王国の王国騎士団近い規模を有している。そして使徒の敬虔なる僕たる彼らは、地道な作業にも真剣に取り組んでいた。リオンがジュンタに説明している間にも、黙々と作業を続けている。


 四人の騎士たちはそれぞれ分担して作業にあたっており、彼らはどんどんとこちらに近付いてきていた。その内一人が目の前の酒場へと入っていくのを見て、二人は次の行動に移る。


「ここでこうしていても埒があかないな。今の騎士が出てきたら、入れ替わりに酒場に入って誰を捜しているか確かめに行くか?」


「それがいいと私も思いますわ」


 そう決めて待つこと三分程度。
酒場に入った騎士が出口に現れて、リオンとジュンタは彼と店先ですれ違うように逆に酒場へと入ろうとして、


――見つけた! いたぞ、こっちだ!」



 ジュンタの顔を見た騎士がそう叫んだのは、まさに予想外のことだった。


「は――?」


 素っ頓狂な声をあげるジュンタの前で、白銀の鎧の騎士が持っていた槍を構える。

 武器を構えた騎士の呼びかけで、さらに通りにいた他の三人の騎士たちも集まってくる。


「な、何だ一体?」


「私に聞かないでいただけます?」


 リオンはジュンタと共に背後に下がる。背中で酒場の扉を開いて、一気に中へ。


 耳に喧噪が聞こえてくる。その中でリオンは持っていた剣の柄に手をかけて、ジュンタも腰につけた剣の柄に手を伸ばす。
四人の騎士たちが酒場に入ってきたところで、酒場の客たちもこの騒ぎに気付いたようだった。


 入り口付近が大きく開いて、そこで二人と騎士たちは向かい合う。


 リオンは隣で警戒の構えを取るジュンタに、小声で話しかけた。


「ちょっとジュンタ。あなたをどうやら狙っているようですけど、一体全体どうして聖殿騎士たちに狙われてますのよ?」

「分からん。どうして俺が狙われてるのかさっぱりだ」


「そうですの。では直接訊くしかないようですわね」


 本当に狙われる理由が分からないらしいジュンタの態度を見て、リオンは一歩騎士たちに向かって進み出た。


「あなた方、聖地を守る聖殿騎士団の騎士とお見受けしましたが、どういう了見でこの男を狙っていますの? 誉れある聖槍を構える前に、それをお聞かせ願いません?」


 騎士たちは顔を一度見合わせたあと、分隊長らしき男が一歩前に進み出て、


「こちらからも尋ねたい。そこの男、名はジュンタ・サクラで相違ないな?」


 名前を明確に告げられたことで、彼らの狙いがジュンタであることが確定した。


 リオンはジュンタに視線を向ける。

 名前を知られている理由も分からないと言う風に、ジュンタは首を横に振った。


「……私の質問に答えていませんわよ? 彼がジュンタ・サクラであったならば、一体なんだというのです? あなた方の目的は一体なんですの?」


「我々の目的はこれだ」


 騎士の男は持っていた丸まった紙を、リオンに向かって放り投げる。


 リオンはそれをつかみ取って、片手で器用に広げて見やった。


「…………これは……?」

 見て、リオンはわなわなと肩といわず全身を震え上がらせる。

 騎士の男から投げ渡されたのは、聖殿騎士団が正式に発行している書状であった。

 人相書きとして描かれているのは、間違いなくジュンタの顔。これが行方不明者の案内ならば良かったのだが、それだと騎士たちが物騒にも槍を構えるはずもない。


 果たして、その書状は指名手配書だった。


 賞金首ジュンタ・サクラに対する指名手配の理由が書き綴られた用紙だ。そこには彼が犯したらしい罪と、正式に聖神教が認可した拘束許可の印。そして掴まえた者に金貨にして千枚を与える旨が書き込まれている。


 リオンは指名手配書の掴んだ部分がぐしゃぐしゃになるまで力を入れて握りながら、ギンッと様子をうかがっていたジュンタを睨みつける。


「どうしたんだよ? 一体何が書かれていたんだ?」


「……指名手配犯ジュンタ・サクラ。かの者を捕まえしものには金貨千枚の報奨を与えることとする。罪状は…………婦女暴行未遂。これ、一体どういうことですの?」


「は?」

「ですからどういうことだと訊いてますのよ! これ、聖神教が正式に認可した指名手配書ですわよっ! どういうことですのよ、あなた?! 婦女暴行ってそんな、そんな……!」


「ちょ、ちょっと待ってくれ! 俺はそんな――


「お黙りなさいっ!!」


 慌てて指名手配書を奪おうとしたジュンタの首筋に、鞘から剣を引き抜いて、切っ先を突きつける。

 剣を引き抜いた時点で聖殿騎士たちが反応したが、今はそんなことはどうでもいい。今最も重要なのは、この指名手配書の真偽である。


 聖神教が正式に発行した指名手配書となれば、聖殿騎士団内で検討され、それが正しいと認められて発行されたものになる。使徒の勅命でもあったならばともかくとして、指名手配書の内容にはそれなりの信憑性があった。


 もしもこの指名手配書の内容が一言一句間違っていないのなら、自分が一緒にいたジュンタ・サクラという少年は、婦女暴行などをした許し難い犯罪者ということになる。未遂という二文字はすでにリオンの中では消えていた。


 ……正直を言えば、リオンはジュンタがそんなことをするとは到底思えなかった。


 確かに無礼だし不埒だし意地悪だし優しくない彼ではあるが、それでもそんな間違ったことをするとは思えない。たぶん、これは何かの間違いのはず……
だけど火がないところに煙は立たないとも言うし、取りあえず剣を抜いて突きつけてみたりするのはきっと正しいはずだ。


「さぁ、嘘偽りない返答を返しなさい。あなたはこの指名手配書に書かれたように、婦女暴行などをいたしましたの?」


 質問をぶつけると、ジュンタは憮然とした顔となって、


「するわけないだろ、そんなこと。何もかも間違いに決まってる」


「そうですの。まぁ、そうでしょうね。――と言うことなのですけれど、どうします?」


 リオンはジュンタの言葉を信じ、剣を降ろして視線を聖殿騎士たちに向ける。


「そのような言葉は信じられん。それに、どうであれ連れて行くことが我らに命じられた任務。大人しくお縄につけ、さもなくば――

彼らは槍を再び構え、囲むように包囲してくる。


――無理矢理連れて行く。そちらの貴様もだ」


 隊長格の騎士の言葉に、リオンはフードで隠れた紅眼を鋭くし、口元をひくつかせる。


「ちょっとお待ちなさい。あなた今、この私をも捕まえると言いました?」


「そうだ。貴様が何者かは知らぬが、金貨千枚の賞金首の仲間だろう? 貴様も十分に怪しい。一緒に拘束させてもらう」


 今、こいつは何て言ったのか? ……
リオンは剣を持った手を憤怒で震わす。

 剣を持ち上げて、その切っ先を騎士相手に突きつける。もはやそれは宣戦布告に等しい、戦うことは避けられないという合図だった。


「私を――この私をこともあろうに犯罪者扱いですって? ふふふっ、そうですの。分かりましたわ。あなたのような輩とは、もはや言葉を交わす必要すらありませわね」


「リ、リオン? なに勘違いなのに剣を向けちゃってるんだ?」

「決まってます。この高貴なる私を犯罪者扱いした輩に天罰を下すのです! 大丈夫です、問題ありません。正義は私たちの方にありますわ!」


「ない! あるかも知れないけど、とりあえずない! これ以上状況が悪化する前に――


「やる気か。いいだろう、受けて立とう」

――悪化したぁあッ!?」


 ジュンタの絶叫を合図として、リオンは騎士のリーダーに向かって剣を突きつける。


 よく分からないし、相手は聖殿騎士であるが関係ない。

 リオン・シストラバスの名にかけて、侮辱にはそれ相応の報復をしなければならないのだ。


 ひらり、と斬り込んだリオンの手から手配書がこぼれ落ちる。
……果たして、それを作ることを願った者の真意は一体なんだったのだろうか?


「使徒様を守るという聖殿騎士の力を、精々私に見せてみなさいッ!」

 それは無視して、戦いはもはや避けられない状況になっていた。









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