第六話  逸れていく真実




 ゆらゆらと水の中を漂う。

 流れる水の音は鼓動。ひんやりと冷たい温度は体温。湿った匂いも、輝く色つやも、透明な青も、全てはゆらゆらと揺れる中で一つとなる。

 自然物である水に全てを溶け込ませ、水を自分に溶け込ませる。

 境界線をあやふやにしてやれば、ラグナアーツ中を流るる水は、何ものよりも広い光景を教えてくれる。

 いわば感覚が都全てに広がったように――現在フェリシィール・ティンクは聖地ラグナアーツにいる、全ての魔力を感じ取っていた。

 目を瞑って潜り続けていた東神居内にある、禊の場の深い水の中から、フェリシィールは数時間ぶりに顔を出す。すぐに儀式魔法をサポートしてくれていた近衛騎士たちの中、禊の場に入ることを許された女性騎士の傍らに控えていたリタたち侍女がタオルを片手に駆け寄ってくる。

「どうぞ、フェリシィール様。お召し物です」

「ありがとう、リタ」

 一糸まとわぬ裸体についた水分を拭き取られ、その上から服が着させられる。
 生まれたときからされていたので恥ずかしくもないが、それでも今日ばかりは完全に身だしなみが整うまで待っていられなかった。

「これで構いません、リタ。わたくしは今からルドールの許に行ってきますから」

 裾の長いゆったりとした衣を身につけた段階で、フェリシィールはやんわりとリタたちに断りをいれる。侍女たちはまだ胸元がのぞき、髪も水を含んだ状態で行かせることに難色を見せるも、一番付き合いの長いリタ侍女長だけは急いでいる理由を察してくれる。

「フェリシィール様。お探しの方は[水巡りウォーターウォーク]でも見つかりになれなかったのですか?」

「ええ、残念ながら。元々は意識を溶け込ませた水が巡る範囲内の、魔力の大小を見分ける程度の魔法ですので。わたくしが捜している人は魔力こそ膨大ですが、人の殻――いえ、強力な魔力封じを身につけていらっしゃるので見つけることは叶いませんでした。
 それは元より承知していたことですので、恐らく一緒にいるであろう大きな魔力を持つ方を捜していたのですが……」

「見つからなかった、と」

 リタの言葉に、フェリシィールは頷く。

「お二人がこの近辺にいらっしゃるのは確かなことですので、見つからないはずがないのですけど。まるでこちらの動きを察知して、気配を偽装しているかのように見つかりませんでした」

「では、その捜していた魔力を持つ方も、魔力封じなどを身につけていたのでは?」

「いえ、それはありません。ですが、恐らく魔力封じの効力による失敗でしょう。
 わたくしはラグナアーツにいるだろう、自分を中心して半径五百メートル以内の魔力を一般市民並に抑えるという、破格の魔力封じを有している人を知っていますから」

 ジュンタ・サクラ、リオン・シストラバス両名を捜索するための、広域探査儀式魔法の結果は失敗に終わってしまった。数時間かけて水と溶け合ったというのに、成果といえばそれ一つのみ。即ち、二人の近くに西神居を脱走した一組の主従がいるということだけである。

 フェリシィールはリタたちに頭を下げられる中、パタパタとこの結果を相談するために、長く生き、なおかつ深い魔法の知識を持つ己が従者の下へと駆けていく。

「ああもうっ、神様恨みます! わたくしが悪いとはいえ、どうしてこうも悪いことが重なるのでしょうか! 帰ってきたらお説教です。スイカさん! ヒズミさん!」






 夜に月明かりだけを光源として、東神居の一室のベッドに横たわる顔の見えない男性は、入ってきたフェリシィールを見るなり眉を顰めてそう言った。

「主よ。女性がそのような格好で男性の部屋にやってくるのは感心しませんな」

「緊急事態につきご容赦願います、ルドール」

「ふむ、何やら問題があったご様子ですな?」

 エルフの男性――ルドールは、神妙な声になって起きあがろうとする。それをフェリシィールは慌てて止めた。

「ダメですよ、ルドール。あなたはそのままでいてください」

「しかしですな」

「絶対にダメです。ルドールはわたくしとクーちゃんだけではなく、他に二人も……片方は聖君でもう片方は使徒なんていう、とても大きな存在規模を持つ相手を召喚しようとしたのですから。生きていられる方が不思議なほどの魔力消費なのでしょう?」

「ええ。儂の修行不足の結果です。情けないことに。儂がちゃんと[召喚魔法]を完成させておったならば、全てが丸く収まっていたというのに…………クーヴェルシェンの奴もああなることはなく、全てが全て」

 落ち込むルドールの手をフェリシィールは握って、柔らかく笑う。その笑みには自責の念が多分に込められていた。

「元はといえば無茶なことをお願いしたわたくしの所為。ルドール、あなただからこそ最悪の事態を回避できたのです。あなたはここでゆっくりと休んでいてください。お二人は必ずや、わたくしが見つけ出しましょう。そうすればクーちゃんだって」

 フェリシィールが口にした少女の名に、彼女の祖父であるルドールは心配する表情に変わる。

「主。クーヴェルシェンの様子は……?」

「……変わりません。部屋に閉じこもったまま出てきません」

 一つの最悪な失敗を犯し、そのことをクーヴェルシェン・リアーシラミリィに謝罪したときのことをフェリシィールは思い出して、悲しそうに吐息を吐く。

 いつも穏やかに笑っている主の珍しい溜息にルドールは口を開く。

「あの子に何か酷いことでも言われましたか?」

「それならば良かったでしょう。わたくしはそうなって当たり前のことをしたのですから。
 ですが、あの子は怒りませんでした。怒るでもなく、恨むでもなく、わたくしに失望するでもなく、ただあの子は……」

 あの時、彼女が浮かべた表情を思い出すたびに、自分のした馬鹿なことを後悔する。

 あの時、涙を浮かべていたあの子の瞳は――

「絶望を。ただ、絶望だけを瞳に宿していました」

 ――この世に希望も夢もない。どこに行ったらいいのか分からないと、故郷を無くした迷子の子供のような、そんな瞳をしていた。

 守ろうと思ったのに……かつてそんな瞳をしていたあの子を守ろうと、二度とそんな眼はさせないと思ったのに。今あの子を悲しませているのは他でもない自分自身……

 大切な人を奪ってしまった。引き離してしまった。
 その愚かしさ。神の御子と言われる使徒であろうと、決して許されない愚行だった。

「わたくしは選別者を気取り、なんて愚かなことをしたのでしょう」

「今更反省しても、嘆いても、始まりますまい。全てはあの子の、巫女クーヴェルシェンの使徒様を見つけたあとにでもできること。いえ、見つけた後にすることです」

「そうでしたね。今は何よりも優先して、一刻も早くクーちゃんにご主人様の無事な姿を見せてさしあげなくては。ルドール、あなたの知識を貸していただけますか?」

「もちろんですとも、我が使徒フェリシィール・ティンク」

 巫女ルドールの頼もしい頷きを受けて、東神居の主である、聖地三柱の使徒の一柱――フェリシィール・ティンクは、行方不明者捜索ヽヽヽヽヽヽヽのための案内を出すように聖殿騎士団へと命じたあと、自分が行った大探査の結果を告げる。

 事態が自分の思わぬ方法に進んでいることを、未だ知らずに……






       ◇◆◇





「うぎゃっ!」

 と、リオンに蹴り飛ばされた白銀の鎧を着た聖殿騎士の一人が、カウンターに頭から突っ込んで昏倒した。

 リオンは紅に輝く剣を鞘に戻し、つまらなそうに自分一人で倒した四人の騎士たちを一瞥する。

「……弱いですわね。弱すぎですわね。これで本当に使徒様が守れますの?」

「いや、お前が強すぎなだけなんだじゃあ……というか、何普通に犯罪行為に手を染めてるんだよ、お前は」

 結局使うことがなかった剣を鞘に戻し、ジュンタは呆れと感心を半分ずつリオンに向けた眼差しに乗せる。

 よく分からない内になぜか指名手配されていて、その上で捕まえようと聖殿騎士たちが襲いかかってきた。それをむかついたからという理由だけで撃退したリオンは、乱れることのなかったフードを一応直す。

「さて、これで報復は終了しましたわ……それでは、中途半端になっていた真実を問い質すとしましょうか」

「いや、ここは今お前がやってしまったことについて考えてみるのが先決かと」

 リオンはジト目でジュンタを睨みつけると、襟首を握って引っ張り、至近距離に顔を近づけた。
 聖地を守る聖殿騎士を倒してしまったという重大の議題は、彼女の中では重要議題として取り上げられることはなかったらしく、完全無視だ。

「それで実際のところはどうなんですのよ? 本当にあなた、手配される覚えがありませんの?」

「今までかつてそんな犯罪に手を染めたこともなければ、聖殿騎士団と関わり合いになったこともないからな」

「では、どうして彼らは手配書をそこら中に配ってますのよ? 普通あり得ませんわよ、そんなこと。絶対に何かしらの理由があるはずです!」

「そう言われてもな、本当に…………いや、待てよ」

 疑わしい瞳でリオンに見られること数秒、ふいにジュンタの脳裏に今日の昼のことが思い出される。暗がりにいきなり連れ込まれたのに始まり、聖殿騎士に槍を突きつけられて、冤罪で裁かれそうになったあの事件だ。

 あの時、クレオメルンとか名乗っていた彼女は、自分を婦女暴行未遂で捕まえようとした。それはちゃんと誤解が解けた……と言うよりかは、言い逃れに成功したという感じに終わることができたと思ったが、実際は逃れることに成功していなかったのかも知れない。

 手配される理由としては弱いが、正直それ以外に聖殿騎士団に関わった記憶がなかった。

「そう言えば今日の昼のことだけど、誤解から一人女の子を押し倒したんだよ。それを聖殿騎士団のクレオメルンとかいう奴に見られた……ってのはあるな」

「聖殿騎士のクレオメルン? それってもしかして、使徒ズィール聖猊下近衛騎士隊隊長のクレオメルン・シレのことですの? 翡翠色の髪をした?」

「なんだ、リオン知ってるのか?」

「知ってるも何も……って、それよりも女性を押し倒したってどういうことですのよ!? いつの間にそんな不埒な真似をして……はっ! わかりましたわ。私がいきなり消えたあなたを、ズィール様を見ることなく捜していたあのときですのね!」

 握られる襟首にさらに力が入って、リオンの怒りの表情が顔に近付いてくる。

「不可抗力だったんだ、不可抗力。不幸な事故だったんだ」

「あなた少々不可抗力や不幸な事故が多すぎですわよ! 思えば私との出会いも、あなた曰く不幸な事故でしたわね…………あなた本当は故意にやっているのではなくて?」

「だとしたら、少なくとも被害が来るような時はやらないさ」

 射抜いてくるリオンの瞳を真っ直ぐに見つめ返すと、リオンはしばらく睨んできたあとに手を離した。

「とりあえず、今はあなたの言葉を信用して差し上げますわ。あの手配書は何かの間違いだということにして差し上げます。感謝なさい」

「ああ、ありがと。でも、お前以外の人たちに信用してくれっていっても無駄だろうな」

 リオンの手から解放されたジュンタは、タラリと冷や汗を垂らす。

 今気が付いたが、そう言えばここは酒場の中で、周りには大勢のお客がいたのだった。その中に衛兵や腕に覚えのある傭兵がいたのだろう。先程騎士が酒場の店主に渡した金貨千枚の報奨金の出る手配書を見て、それぞれ得物を持って椅子から立ち上がっている。もう、狙う気満々である。

「なんですのよ? たかだか金貨千枚くらいで目の色を変えて。これだから心にゆとりのない人間は嫌ですわ」

「いや、そう言う問題じゃないだろ。戦うわけにもいかないし、逃げるぞ!」

 周りの殺気の確認してすぐ、ジュンタは酒場からの離脱をはかる。

「この私が逃げるだなんて……仕方がないですわね!」

 リオンは文句を言ってから、ジュンタの後に続く。

 二人は酒場の外へと出て、


――ようやく出てきたか」


 そこにいた騎士たちによって、完全に包囲されてしまった。

 酒場の周りをグルリと十数名の騎士たちが囲んでいた。夜の灯りに白銀の輝きを跳ね返す甲冑には天馬のエンブレムが。まさしく聖神教を、使徒を守る聖地の騎士団――聖殿騎士団の雄々しき姿である。

 十数名の騎士たちを率いているのは、他の騎士たちよりも美しい細工が施された白銀の甲冑をつけた、翡翠の髪をポニーテールにした女性騎士。

「お前は……」

「貴様にお前呼ばわりなどされる謂われはない、ジュンタ・サクラ」

 凛とした美麗な騎士は、昼間出会った使徒ズィール聖猊下近衛騎士隊隊長という長い肩書きを持った、あのクレオメルン・シレであった。

 彼女は酒場の出口の真ん前に立ち、出てきたジュンタに白銀の槍の穂先を向ける。

「クレオメルン・シレ、ですわね」

「いかにも。そちらはジュンタ・サクラの仲間と言うことでいいな?」

 自分の名を口にしたリオンに向かって、警戒の視線と共にクレオメルンが告げる。

「そうですわね、一応千歩ほど譲れば仲間と呼べなくもありませんわね。どちらかと言えば、主と使用人という感じですけど」

「おい、いつ誰がお前の従者になったって?」

「私の気が済むまで、あなたは我が家で無償奉仕の身の上ですわ。ならば、あなたは私の使用人といって間違いないでしょう?
 さて、そういうことですので、それ以上私の使用人に刃を向けるのでしたら、私も黙ってはいませんわよ? 例えあなたがズィール様の近衛騎士隊隊長といっても、やっていいことと悪いことがありますもの」

「リオン。お前……」

 毅然と胸を張ってクレオメルンに言い放つリオンの姿に、こんな状況なのにジュンタは思わず感動してしまう。が、クレオメルンの視線は鋭さが増しただけだった。

「主と言うことは、貴様もその男の犯したことに関わりがあるのか?」

「生憎と、この不埒者が何をしたかは存じ上げていませんわね。しかし使用人を信じるのは高貴なる者として当然のこと。ジュンタが否と言ったならば、それを私は信じますわ。……まぁ、何か証拠でもあると言うのでしたら話は別ですけど」

 リオンはそう言った後に流し目をぶつけてくる。その瞳は『もし手配書に書かれていることが事実なら、私が許しませんわ』と物語っていた。

「いやいや、ないないない。そんな事実は一切ないから」

「前科もありますし、いまいち信用できないのですけど……こちらの意志はそう言うことですので。それでどうなのです? ジュンタが婦女暴行を働いた明確な理由でもありまして?」

 他の誰かが言ったのなら罪の言い逃れにしか聞こえない言葉も、リオンの自分の意志を強くはっきりと告げる言葉には説得力があり、一瞬クレオメルンは怯む。

 しかし何か強い怒りに突き動かされるように彼女は頭を振って、向ける槍は降ろさない。

「私はこの目でその男が女性を押し倒していた姿を見ている」

「それは言っただろ? 誤解だ。不可抗力だし、俺に何かをする意志はなかった」

「ですって。実際にことに及んでいたところを目撃したのならともかく、未遂ならジュンタの言葉を絶対に嘘だと決めつけることはできないはずですわよ?」

「……確かに、そうだ。昼間に私が見たそれについては、私も納得している。だが私以外の、決して疑いようのないお方が貴様を捕まえろと命じなされたのだ」

 クレオメルンは懐から丸められた手配書を取り出して前方に掲げる。 その手配書は先程騎士が見せた手配書とは少し違って、二枚で一組の書状となっていた。

「それは――嘘、まさかっ!?」

 リオンがクレオメルンの取り出した書類を見て、目を見開く。

 どうしてリオンが驚いたのか、ジュンタには分からなかった。
 書類の細部まで見ることはできたのだが、異世界の文字は読めないジュンタには、二枚目の紙に自分の似顔絵が描かれている以上のことは分からなかったのだ。

 しかし、クレオメルンが提示した書状は、リオンに衝撃を与えるのには十分だったらしい。

 リオンはフードの下で下唇を噛み、視線をジュンタに向ける。

 ジュンタには何がなんだか分からなかった。だが、リオンが悩んでいるのだけは分かった。向けられた視線に視線を合わせ、決して逸らさないように見つめ返す。

 やがて視線をクレオメルンに戻したリオンの目には、一切の迷いはもうなかった。

「確かにそれは、使徒フェリシィール・ティンク聖猊下が出した勅命状ですわね」

「そうだ。かの使徒様が出された勅命状に書かれていることが、決して嘘だとは言えまい。分かっただろう? どうやら貴様はその男がどんな奴かは知らなかったらしいな。そこをどいていろ。
 ジュンタ・サクラ。フェリシィール様が命じられたのは、貴様を捕らえることだけだ。何か申し開きがあるのなら、かの使徒様の御前でしてもらおう」

 使徒フェリシィールの勅命状とやらを懐にしまい直したクレオメルンが、両手で槍を構え直す。

 リオンは彼女の言葉の通りその場からどく…………ことなく、剣の柄に手をかけた。

――誰がジュンタのことを知らないと言いました? 見くびらないで欲しいものですわね。私は一目見ればその相手が悪い人間かそうでないかぐらい分かる観察眼を、お父様から受け継いでいます」

「正気か? 勅命状の意味、分かっていないとは言わせないが?」

「分かっていてなお、私はジュンタを信じますわ。それにその勅命状。確かにジュンタを捕まえるようにとは書かれていますが、婦女暴行だとかはまったく記載されていませんもの。証拠としては不十分ですわ」

「愚かな」

 それ以上語る言葉は持たず、クレオメルンの槍の切っ先から鋭い圧力が放たれる。

 そうしてジュンタは、どうしたものかと悩むに至った。

(リオンが俺を信じてくれたのは嬉しい。嬉しいけど、どうして戦う形になっていますか? その使徒フェリシィール・ティンクがどんな目的であれ、ここは素直に捕まって誤解を解いた方が、長い目で見ればクー捜索にもプラスなのではないかとは、今更言えないよなぁ)

 他の騎士たちもそれぞれ得物を手に持って、ジリジリと包囲を縮めてくる。完全に交渉決裂。あとは肉体言語で語るぜ、みたいな雰囲気である。

 その雰囲気を作り出した張本人たるリオンは鞘から剣を抜こうとし、しかしそれを止めて、持っていた鞘をジュンタに向かって投げ放った。

「リオン?」

 投げられた剣を反射的に受け取って、ジュンタは訝しげな声を出す。

「どういうつもりだ? 剣を渡すなんて。お前、これがないと……」

「よく見なさい。それは私の愛剣ではありませんわ。……呆れました。あなたは昔自分が持っていた剣も分かりませんの?」

「俺が使っていた剣? あ、本当だ。これあの時の……」

 ずっとリオンの母親の形見である剣『不死鳥聖典ドラゴンスレイヤー』だと思っていた剣は、よくよく見てみると、まだシストラバス家にいたときにリオンから授けられたドラゴンスレイヤーだった。あのときの違うところといえば、鍔に刻まれていた不死鳥のエンブレムが取り外されていることだけだ。

「しかし、どうしてこれがここにあるんだ? というか、どうしてお前持ってたんだ?」

「そ、そんなのは今はどうでもいいことでしょう! あなた双剣使いのくせに、一振りしか今剣を持っていないのですから。ここを切り抜けますわよ。使いなさい!」

 そう怒鳴るように言い放ったあと、リオンは愛剣であるドラゴンスレイヤーを、指輪の形から剣の形に戻して構える。

 ジュンタは改めて渡された剣を持ち、一つ頷く。もう腹をくくるしかなかった。

 腰の後ろに括り付けておいた、少し刀身が短い片刃の剣を左手に握る。逆に少し刀身の長いドラゴンスレイヤーを、右手で握って構える。

「行きますわよ! 精々足手まといにならないように気張りなさい!!」

「ああ、こうなったら本当に指名手配犯になってもいいさ! お前が戦いやすいように動いてやる!」

 リオンが強く地面を蹴り、クレオメルンに向かっていったのを見て、ジュンタも他の騎士へと突っ込んでいく。

 何がどうなって、どんな思惑で手配されたのかは分からないが、すでに話し合い云々という問題ではなくなっている。戦うしかないのなら、戦うことを決めよう。

 正直怖いが大丈夫――だって、味方にこんな心強い騎士のお姫様がいるのだから。






「それでさ。本当に助けるわけ?」

 眼下で始まった剣戟を見ながら、吹く風にフードとローブの裾を揺らしている少年が、傍らに立つ少女に対して言う。

「助けてやったって、どう考えても僕らにプラスになることはないだろ?」

「そんなことはない。あの少年の方は、もしかしたらわたしたちと同郷かも知れないんだ」

 大通りに面した酒場の屋根の上に陣取った二人は同じような格好で、人目を忍ぶように相談を交わす。

「ふんっ、それはあり得ない話だね。どうやって陸どころか、空すら続いていない僕らの故郷と同郷の奴がここにやってくるのさ? 別にこの辺りでは珍しくても、黒髪黒目ならロスクム大陸にならいる。ただの気のせいに決まってるね」

 金色の瞳を持つ少女は、黒い瞳の少年の言葉に苦笑を浮かべる。

「それは分かっているけど、ほら、わたしたちという前例もある。もしかする可能性もあるだろう?」

「ないね。それに、もしそうだとしても僕らにはまったく関係ない。そもそも騎士に追われてるんなら、何か犯罪を犯したってことだろ? そんな奴を助ける筋合いなんてないね」

 肩を落として、少年は手の中にある、美しい細工のなされた赤色の細長い棒状のものをクルクル回して遊ぶ。

「それよりさっさと調査に戻らない? 人助けなんて無駄なことしないでさ。さっさと鬱陶しいビデルたちをやらないと、いつまで経っても僕らは安心して過ごせないんだから」

「それは重々承知している。だけど、わたしはどうしても彼を助けたいんだ」

 少女の言葉にパシッと棒を少年は掴み取り、口をへの字に曲げて、眼下で聖殿騎士たちと戦っている双剣使いの、自分と同じ黒髪黒眼の少年を睨みつける。

「……あり得ない話だとは思うけど、まさかあいつに一目惚れしたとか言わないよね?」

「一目惚れ? わたしが彼にか? ……なるほど、ある意味ではそういうのに似てるかも知れないな。いや、愛とかそう言う話ではなく、彼には運命を感じたんだ」

「……ふ〜ん、そうなんだ」

 少年は少女の少し嬉しそうな顔にさらに不満げになって、射殺さんばかりの視線を眼下の少年に向ける。

「…………分かった。そこまで言うなら、助けようじゃないか。だって僕は巫女なんだし、やっぱり使徒様の命令には従わないとね」

「本当か? ありがとうヒズミ!」

「くっ、本物なのか」

 ヒズミと呼ばれた少年は、少女のいつもなら来る使徒扱いに対する文句が来ないことに、青筋を浮かべて持っていた棒を左手に持って前に突き出す。

 その棒の両端から溢れたのは形ある炎。
 硬質な炎のような金属が弧を描いて伸び、その両端から燃える弦が生まれる。

 少年は右手で弦を掴み、一瞬で弓となった金属の棒を、左手の親指と人差し指の間を中心にして手のひらで前に押し、狙いを眼下へと付けた。

 背後で同じように武器を構えようとしている大事な人に対し、ニンマリと底意地の悪い笑みを浮かべて、

――でも、僕の『黒弦イヴァーデ』は自動照準の特殊追尾型の弓だからね。狙いが逸れてあいつに命中しても、文句は言わないでくれよ?」






       ◇◆◇






 クレオメルンは困惑と共に槍を振るっていた。

 白銀の槍を巧みに操り、鋭い突きを、薙ぎ払いを、名も知れぬ敵の少女めがけて繰り出す。
 自意識過剰でも何でもなく、事実として冴え渡ったその攻撃は、しかし彼女の握る剣の前に全て弾かれてしまう。

「くっ!」

 一撃一撃ごとに懐に潜り込んでこようとする彼女に対し、何とか懐に入ってこられないように対応する。

 長柄の武器を得物とする者の宿命として、攻撃攻撃の間にどうしても隙ができるが、それを何とかフットワークを生かして縮めることに専念する。そうしなければ、間合いの中に入られてそれで終わりだ。

「やりますわねっ!」

 下がりつつ薙ぎ払いを加えると、少女は長いスカートの下の足を大きく動かして、柔軟な動きで間合いから離れてみせる。そのフットワークの軽さは、認めたくはないが自分よりも上だった。

(くっ、この女、私よりも数段強い!)

 戦闘の中において、すでにクレオメルンはそのことを悟っていた。

 剣を握って向かって来た、指名手配犯ジュンタ・サクラの仲間である少女の剣の技量は、驚くべきものだった。

 まず仕掛けてきた彼女から自分を守ろうと前に出た二人の騎士を、彼女は一撃の下に下し、そのまま一気に詰め寄ってきた。その時に加えられた初撃の剣の重みと鋭さで、まず彼女が初心者ではないことに気付いた。続く舞踏のような剣の繋ぎを見て、相当な実力者だと気付かされた。

 そして、他の騎士たちは入って来られない高みにある戦闘が五分続いた今、クレオメルンは彼女の実力が自分よりも上であることを悟っていた。

 彼女の得物は普通よりも少しだけ長い剣だ。
 そうなると、武器の間合いは槍を持つクレオメルンの方が広く、有利となる。

 戦いに置いて間合いの広さでは重要である。戦場では剣より槍、槍より弓とされているように、自分よりも間合いの広い相手に太刀打ちするのは、それなりの腕を必要とされる。

 その点を言えば、彼女の実力は間合いの差を凌駕するのに十分だった。
 間合いが広いということは、逆に懐に入られたら対応がしにくいことにも繋がる。無論、槍の使い手は敵を遠い間合いから牽制し、懐に入られないようにするのだが……

(なんだ、この女の鋭さは!)

 初手で一気に突っ込んできた彼女の戦法は正しい。ある種の奇襲であった初撃で懐に入られたとき、決して楽観視できる敵ではないと悟ったのだが、その実彼女は予想の遙か上を行っていた。 

 懐に入られたのは、初撃だけではなかった。
 以後、続く剣戟の最中、すでに何度も懐に入られるのを拒めないでいる。

 彼女の剣には無駄がない。動き動きの全てが洗練され、その剣筋の見事さと言ったら、思わず感嘆の拍手を送りたいほどである。

 動きに無駄のない彼女の剣は、とにかく速くて鋭い。
 クレオメルンには視認できないほどのスピードではないが、恐らく最初にやられた二人の騎士は、その剣の動きを眼で追えなかったことだろう。

 一歩で大きく間合いの外から懐に入られたと思ったら、防御へと全力を注がなければ決着をつけられていた斬撃を、彼女は幾度となく『ただの一撃』として放ってきた。本来間合いが優位なはずのクレオメルンは、少女の剣の前に完全に防戦一方となっていた。

 弾丸のように突っ込んでくる彼女が懐に入ってくる前に、槍の間合いで対応する。それは霞でも相手にしているかのような最小限の動きで見切られ、避けられ、その後は彼女からの攻撃を受けないために動くので精一杯。それの繰り返し。

 防御に意識を集中していなければ、もうすでに数分前に自分は倒れている。攻撃する余裕などクレオメルンにはなかった。

(単独では敵わないっ!)

 認めたくはないことだが、それをクレオメルンはもう随分前に認めていた。ならば、周りにいる仲間の聖殿騎士に助力を乞えばいいのだが……如何せん相手が強すぎる。下手な介入は足手まといになりかねない。

 よって、戦いはクレオメルン劣勢の膠着状態に入っていた。
 クレオメルンは軽く舌打ちをしつつ、この場から逃げたもう一人の敵のことを思う。

(このままでは、逃げられてしまうかも知れない!)

 ジュンタ・サクラそもそもの標的である賞金首は、自分に応対している彼女をおいて、すでにこの場から逃走を測っている。

 それはもう見事なまでの逃げっぷりであり、目の前の少女とのコンビネーションだった。

 包囲していた騎士の中、少女の対応に出た騎士が守っていた場所を突き抜けて、一目散に逃げた。しかもすぐにクレオメルンが指示を出せないように、少女が攻撃を加えてくるタイミングを狙って、だ。並の意思疎通ではできないコンビネーションである。

 逃げた彼には、すぐに連れてきていた十二人の騎士の内、六人に追わせた。
 現在は視界内からいなくなり、どうなったか分からないが、今はそっちを気にしていられない。

 十二名の内二人が倒され、六名をジュンタ・サクラに追わせた。よってこの場にいる騎士の数は四人だけ。その数は、つまり数の差で目の前の少女を追いつめられないということを示している。つまりジュンタ・サクラが逃げたのは。彼女を見捨てたのではなく、彼女を全力で戦わせるための戦略だったのだ。

 あの一瞬で彼女を信じ、逃げた彼の慧眼には、敵ながらあっぱれと言うしかない。……無論、その程度で最低男の可能性がある彼を許す気など、クレオメルンには毛頭無かったが。

 近衛騎士隊隊長であるクレオメルンが、わざわざ聖殿騎士団の業務に休み返上で首を突っ込んだのには訳がある。それは友人のために、自分の手でジュンタ・サクラを捕まえるためであった。

 神殿に帰って来るなり、自室に閉じこもったままの友人――クー。

 何でも、彼女が塞ぎ込んでいる理由と、あのジュンタ・サクラという男は関係があるらしい。
クーのことを大切にしている使徒フェリシィールが、あの男をすぐに捜せと勅命をもって命じたのを鑑みても、恐らくそれは正しいだろう。

 そしてクレオメルンは知っていた。あの男は暗がりで女性を押し倒すような輩である、と。

 昼間に出会ったときは証拠も不十分であり捕まえられなかったが、こうなった今では無理矢理にでも捕まえておかなかったことが悔やまれる。ジュンタ・サクラは許し難い犯罪者である可能性が高い。彼がしようとしていたこと、フェリシィールの焦りよう、クーの気の落ちようから見れば、彼がクーに行った可能性のあることは自ずと推測できる。

 それは女性にとって最も許し難い行為だ。

 クーはとても強い魔法使いだけれど、不安になるほどにお人好しだ。
 あのジュンタ・サクラは、そんなクーの優しい心につけ込んで襲いかかったに違いない。

 最低だ。最悪だ。許し難い悪党だ。否、許してはいけない。

(できることならこの手で死をもって罪を償わせてやりたいところだが、フェリシィール様の勅命は彼を捕らえてくること。殺すことではない。それに確たるモノだってない現状、もしもの可能性を考えればそれはできないことか)

 つまりは自分が友人に元気を出してもらうためできる最大の手伝いは、一刻も早くジュンタ・サクラを捕まえることに他ならない。

 ……だが、何なのだろう? 怨敵である彼の仲間である彼女の、この剣戟の音の美しさは?

「どうしましたの? 他のことを考えている暇はありまして?!」

――ッ!」

 槍の柄に叩き付けられる、紅の刃の一閃。
 手に痺れるような衝撃が伝わってきて、それと同時に脳内に甘い高揚の痺れも走る。

 彼女の刃と自分の槍とがぶつかり合う度に響く剣戟の音は、酷く透明で美しかった。
 それは少女が自らジュンタ・サクラの主と名乗ったことを、思わず否定したくなるほどに、武人として魂の震えを感じる、澄んだ音――

 百の言葉を交わすより、一度剣を交えた方が相手のことを分かると言うが、果たして、クレオメルンにはどうしても彼女が悪い人間に味方をするような戦士とは思えなかった。

 懐に潜り込んでこようとする彼女への牽制として、槍を薙ぎ払うと共に、クレオメルンは大きく少女と距離を取る。

 その位置で一度槍の穂先を下ろし、込み上げる疑問の念をこれ以上我慢できず、戦いの最中であるというのに彼女に話しかけた。

「一つ問いたい。あなたはどうして、ジュンタ・サクラの味方をする?」

 少女にクレオメルンの質問に答える義理はない。しかし彼女はあざ笑うことなく、呆れることなく、当然のように礼儀として答えた。

「最初に言ったはずですわよ。彼は私の使用人。その使用人が自分は罪を犯していないと言うのです。ならばそれを私が信じなくて、一体誰が信じると言うのでしょう?」

「しかし現に、彼には正式に使徒様から捕まえるように勅命が出ているのですが」

 高潔なほどに礼儀を弁えた彼女に、自然クレオメルンは常の騎士としての丁寧な言葉遣いで言葉を続ける。

「あなたもまた聖神教の信者であるはず。ならば、使徒様の勅命がどれほど重たい真実を孕んでいるか、分からないはずはないでしょう?」

「そうですわね。確かに、あの勅命状の中にジュンタの罪が明確に記されていたなら、私も少し迷ったかも知れませんわね。もっとも、それでも私は彼を信じたでしょうけど」

「それはつまり……?」

「冤罪ですわ。誤解かも知れませんわね。誰が何を思って、どんな経緯を経てあのフェリシィール様の勅命状があのような手配書に変わったかは知りませんけれど、私は彼がそんなことをしない人だと知っていますもの」

 胸を張って毅然として言い放った彼女に、クレオメルンは騎士としてこれ以上ない震えを感じた。

 槍を左手に、胸元に刻まれた天馬の刻印の上に右の握り拳を乗せる。それは相手に敬意を払う、聖地の騎士としての最高の礼儀だった。

「まずは謝罪を。あなたほどの相手に対し、名乗りもなく戦いを始めたことに対して」

「それはこちらにも言える話ですわ。あなたも騎士。私も騎士。ならばこれは決闘ですわ。名乗りもなく始めたことを、謝罪いたします。……ええ、こうなったら仕方がありませんわね」

 礼儀を伝えたクレオメルンに対し、少女は意を決して、ずっと被っていたフードに手をかける。

 クレオメルンには、もう一つだけ少女に対して疑問に思っていたことがあった。
 それは剣。少女の持つ紅の刀身が美しい剣――それは確か、かの不死鳥の使徒の系譜に連なる家の、騎士の証である剣ではなかったか?

「では、まずは私から名乗らせていただく」

 疑問の答えが、少女がフードを脱ぐことによって露わになる前に、クレオメルンは名乗りを上げる。

「使徒ズィール聖猊下近衛騎士隊隊長――『聖君』クレオメルン・シレ」

「シストラバス侯爵家次期当主――『竜滅姫』リオン・シストラバス」

 名乗りの言葉に、彼女からも凛とした名乗りの声が。そして露わになる少女の威光。

 これ以上ないほどに鮮やかな紅の髪と瞳。
 それが意味し、そして彼女の名乗りが意味することを悟り、クレオメルンは騎士の姫たるリオン・シストラバスと手合わせの栄に与えられたことに感謝する。

 竜滅姫リオン・シストラバス――騎士にとっては憧れである『始祖姫』の一柱、ナレイアラの子孫であり、代々竜殺しを担う偉大なる騎士姫。

 クレオメルンは騎士として名乗り合ったこの瞬間に、自分がこれ以上戦わずして敗北したことを、静かに悟った。






 リオンが勝利を確約した頃、ジュンタは絶体絶命のピンチに陥っていた。

 とりあえず難敵であろうクレオメルン・シレと戦うリオンから、雑兵の方々を引き離したところまでは上手くいった。地形を知らない場所を逃げるにしては、よく逃げ回ることができたと思う。

 時折襲ってくる騎士たちに、そこら辺にあった物を投げつけ、蹴り飛ばし、そうやってなんとか稼いだ距離だが……やはり地の利を知る現地の騎士が相手だ。逃げ切ることは無理だった。

「……ここまでみたいだな」

 ラグナアーツの中に数ある噴水広場の噴水の際に陣取って、ジュンタは諦めと共に再び双剣を構える。

 挟撃のあとに、噴水と水以外は何もない広場へと追いつめられてしまった。
 完全に包囲してきた騎士六人がジリジリと槍を構えて近寄ってくれるのを見、覚悟を決める。

「腹を決めるか。この数の差はあれだけど……何とかするしかない」

 今の自分の腕で、彼ら六人の騎士を相手にして勝つことが不可能に近いことは、ジュンタも察していた。

 一対一ならともかくとして、六対一は正直きつい。きつすぎる。
 聖殿騎士がリンチみたいな包囲攻撃をしていいのかと文句をつけたくなるくらい、数の差はジュンタを劣勢に追い込んでいた。

 しかし、ここまで来たら戦う以外にどうしようもない。

 虹色が剣を纏い、重さを消失させ、限りなく腕の延長として扱えそうなことを確認すると、ジュンタはトーユーズの教えを反芻しながら、どこから誰が襲いかかってきても対応できるように集中する。

「覚悟!」

 まず襲いかかってきたのは、半数の三人だった。

 三人が一斉に間合いを詰めてきたかと思ったら、見事なコンビネーションで槍を繰り出してくる。数の差があるのだから、複数で攻めてくるのは当然か。

「ちぃっ!」

 槍の速度は、師トーユーズは無論のことリオンにも劣る。が、戦い慣れていない槍での攻撃、さらに複数同時攻撃はジュンタにとっては脅威的だった。二本の剣両方を盾としても使える双剣でなければ、今ので深手を負っていたに違いない。

 二人の槍の突き出しを双剣で弾き、最後の一人の攻撃は地面を転がるように避ける。

 そこで足を止めている暇はない。攻撃を避けられたことにより、騎士たちはさらに速度を上げて槍を繰り出してきた。

「くっそ!」

 時に一人、時に二人で組み合わせて攻撃してくる槍の攻撃を、剣で弾くのも限界かと感じたその時、ジュンタは騎士の背後に見えた光点に、遮二無二地面を強く蹴って後ろへと跳んだ。

 次の瞬間――

「なっ?」

「ぐごっ!」

 二人の騎士を巻き込んで、ジュンタがほんの少し前まで立っていた場所に炎を纏った何かが強襲し、地面に当たって小さな爆発を引き起こした。

「なんだ、一体……?」

 爆風に煽られつつ、ジュンタは急いで起きあがる。
 一体何が落ちてきたのかと爆心地を凝視して、しかし爆発の傷跡がそこにはあるだけで、地面には何も残っていなかった。

 至近距離での爆発に倒れ込んだ二人の騎士は、よろめきつつも起きあがる。

 彼らが当然、誰かが放っただろう遠距離武器の投手を確認しようと視線を上に向けたのと同時に、ジュンタも戦場であることを忘れて周りを見やる。視線を上に上げれば、そこには闇夜を切り裂く炎が見て取れた。

 弧を描くのではく真っ直ぐに突き進んで飛んでくる炎を纏ったそれを、今度こそジュンタは的確に視認する。

 それは『矢』だった。炎を纏った、赤い矢だ。

 放たれた矢は一直線にこちらに向かってきている。
 直線上の屋根の上に、赤く燃ゆる弓を構えた射手の姿を確認すると共に、ジュンタはその場から離脱をはかった。

 ゴゥ、と燃えさかる矢が身体を擦過していく。ジュンタは何とかそれを避けることができたが、背後にいた騎士二人は先のダメージから避けきれなかった。

「うぎゃっ!」

「おごぅっ!」

 先程よりも至近距離で一撃を受けた二人は大きく吹き飛ばされて、その後動かなくなる。時折震えているところを見るに死んではいないようだが、当分は起きられないよう。

――って、敵のことを心配している暇はないよな」

 風切り音を奏でて、降り注いでくる灼熱の矢それを撃ち出す射手の狙いは、間違いなく広場にいた全員だった。いや、と言うか問答無用に眼下に撃ち出しているという感じである。誰に当たっても関係ない、というトンデモっぷりだ。

 敵か味方かも分からない射手の登場に、ジュンタも残った四人の騎士たちも、慌てて逃げ惑う。

 相手が屋根の上にいたら、今から行っても捕まえられない。完全に噴水広場は射手の狩り場と姿を変え――

「止めろ! 誰彼構わずに矢を撃つな!」

 ――突如響いた少女の声に、鳴り響いていた爆音が止んだ。

 見れば、射手の隣にフードを被った誰かが現れ、射手の肩を掴んで攻撃を止めさせていた。

 最初の大声以外、離れた場所で話し合う二人の会話は届かない。
 だがやがて、少女に肩から手を離された射手は、再び弓を構えた。

 ゴゥ、と再び夜の広場に炎の線が刻まれる。

 先程と同じ攻撃のそれは、しかし先程とは違って狙う対象を絞っていた。
 誰でもいいから攻撃食らえというわけではなく、射手の攻撃は間違いなく騎士たちを狙い、ジュンタを狙うことはなかった。

「もしかして俺の味方……なのか?」

 自分を狙うことのない攻撃。射手とその傍らの少女が味方なのかとジュンタは考える。助けてくれそうな相手など知らないが、少なくともこの場においては敵ではないらしい。

「いつまでも喰らっているか!」

 あの射手はジュンタにとっては心強い味方で、そして騎士たちにとっては恐るべき敵だ――それを感じ取った聖殿騎士の一人が、いきなり持っていた白銀の槍を射手のいる方へと投擲した。

 夜に煌めく白銀の槍は、狙い違わず射手の足下へと着弾する。
 足場だった屋根が崩れていくと共に、そこにいた射手とフードの少女は地面に落下していった。

 落下の途中、バランスを崩した射手を少女が抱き上げる。
 彼女が手に持っていた長い棒を振るうと、ガガガガガという堅い物を削る音が響き渡り、落下のスピードは衰え、二人は都を巡る水路の上に盛大な水しぶきをあげて着水した。

「そちらは任せたぞ! お前は俺に続け!」

『了解!!』

 そこへ即座に拘束に向かったのは、二人の騎士。
 ジュンタの方へは、残った二人の騎士が攻撃をしかけてきた。

「下手な抵抗をして! 大人しくお縄につけ!」

「誰が!」

 向かってくる騎士は二人だが、一人は先程槍を投げた騎士だ。予備として持っていた剣を引き抜いて一緒に襲いかかってくるが、間合いの差からあまりコンビネーションが合っていない。

 槍騎士の攻撃をジュンタは左の剣で受け流すように弾き、右の剣で斬りかかる。 それは横から攻めてきた剣騎士に受け止められてしまったが、ジュンタはさらに一歩踏み込むことによって、剣騎士の腹を思い切り蹴り飛ばすことに成功した。

「よくもっ!」

 ジ〜ン、と金属を蹴り飛ばした痺れが足に伝わる中、一対一になった槍騎士と得物を合わせる。 

 確かに槍相手は慣れていないし、やりにくい。だが、一対一なら決して負けない。

「おぉおおっ!」

「ぐぁっ!」

 数合の打ち合いの後、ジュンタは敵の間合いの懐に潜り込む。
 肩を槍がかすっていく中一気に距離を詰めると、まず右の剣で敵の右手の甲を斬りつけ、左の剣を槍を握る右手と左手の間に叩き付ける。

 手に走った痛みと衝撃に、たまらず騎士は槍を取り落とす。無防備になった彼の兜で覆われた頭部に対し、続けてジュンタは、剣の平の部分で思い切り連続で攻撃を加える。

「まずは一人」

 やがて脳震盪で倒れた騎士を一瞥して、ジュンタは次の相手を見定める。

 その前に、つい見てしまったのが先程落下した射手と少女の方の存在だった。

 二階建ての建物の屋上から落下した彼と彼女だが、恐らくそれではどうにもなっていない。素人目だが、かなり落下スピードを落としていたように見えた。

 一応助けてくれようとした人だから、捕縛に向かった騎士たちに拘束されていないか心配する。
 着地をしてすぐに戦闘になっただろう彼らを方をジュンタは振り向き、そこで不思議な光景を目の辺りにした。

 それは一見すれば薙刀だった。

 聖殿騎士たちが持っている白銀の槍と似たような白い長柄の先にあるのは、蒼い不思議な光沢を持つ刃。その形状から見ても、彼女が扱っている武器は間違いなく薙刀だ。しかし、フードを被った少女が振るう度に、蒼い刃が形状を変えるのは一体どういう現象なのか?

 刃を足下の水につけた彼女が、騎士二人に向けて薙刀を振るう。
 その間合いは、本来騎士たちには届かない距離だったはず。しかし騎士二人は少女の振るった一撃をモロに受け、大きく後ろへ弾き飛ばされた。

「なんだ、あれ? 刃の形状が変わった……?」

 少女が持つ薙刀の蒼い刃が水のように揺らめき、その形状を変え、鞭のようにしなって騎士たちを弾き飛ばしたのをジュンタは確かに見た。

 それは本来堅い金属の刃ではあり得ない現象。ジュンタの脳裏に『魔法武装』という名前が頭に浮かぶ。

 魔法武装とは、魔法剣など、魔法的な効力を有する武具のことだ。
 少女の持つ武器の形状変化は、魔法という神秘の技術を用いてなければあり得ない、魔法武装でなければ説明が付かない。

 恐らく少女のあの魔法武装は、水を吸収して刃へと変える力でもあるのだろう。

 再び水路へと刃先を付けた少女が薙刀を振るったとき、長く伸びた鞭の先に巨大な水の槌が存在し、その間合い不明の一撃は騎士たちを戦闘不能へと陥らせた。

「なっ!? くっ!」

 バタバタと倒れる騎士二人を見て、そう驚愕の声をあげたのは、先程ジュンタに蹴飛ばされた剣騎士だった。

 彼は仲間が自分以外を残して全滅したことを確認すると、この場から脱兎の如く離脱を始める。

「逃がすか!」

「ぎゃっ!」

 応援を呼ばれでもしたらたまらない急いで彼を追おうとしたジュンタよりも先に騎士の背を捉えたのは、炎を纏った矢の一撃。蛙が潰れたような悲鳴をあげ、前へと走り出していた彼は見事な前転を決めて顔面から地面に激突し、ピクピクと痙攣し始めた。

「………な、何はともあれ、これで全滅だな」

 しかしジュンタは剣を鞘に収めることなく、警戒の眼差しで振り返る。

 向こうから薙刀を降ろした少女と、弓を油断無く構えた少年が近付いてくる。
 敵か味方が分からない相手だ。助けられたからといって、下手に信用はできない。特に後ろの射手の少年。絶対最初の数発はこっちも狙ってきていたし。

 そう思っていたジュンタだったのだが、薙刀を操っていた少女がフードを取り、その姿を確認できた段階に至って、驚きに目を見開いた。

「やぁ、また会ったね」

「お前……」

 朗らかに再会のあいさつを向けてきたのは、長い黒髪に金色の瞳を持つ少女――

「わたしのこと、覚えてくれているだろうか……?」

「覚えてるのも何も、お前の所為であの後俺がどんな面倒な目にあったことか……」

 ジュンタは微笑む少女と、憮然とした顔でフードを外す少年をそれぞれ見やる。

 少年の方は知らない。だが、少女の方は知っていた。

 それは忘れもしない今日の昼間の出来事クレオメルン・シレと最悪の出会いをすることになった原因、いきなり暗がりに引っ張り込んだ相手であった。

「名前、使徒スイカ、だろ?」

 金色の瞳を持つ彼女こそは、使徒の一柱であるスイカに他ならない。

「正解だ。うん、でも君には使徒とはつけてもらいたくないな、ジュンタ君」

 自分の名前を覚えていたジュンタに、スイカはそう嬉しそうに笑みを零した。









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