第八話  勘違いの収束点(後編)





 驚いて言葉を無くすスイカよりも、先に声を取り戻したのはヒズミの方だった。

「ベアル教のアジトに連れて行ってくれ、だって?」


 言葉の端々に不満と不審をのぞかせて、ヒズミがジュンタの言った頼みを繰り返す。
 
 間違いなくそれをお願いしたジュンタは、下げた頭を上げて「ああ」と頷く。


「頼む。俺を一緒に、ベアル教のアジトに連れて行ってくれないか?」


「どうして、と訊いてもいいだろうか?」


 何か文句を口にしようとしたヒズミを制して、スイカがそう口にした。その表情はこれまでの柔和なものとは違い、引き締まって静かな圧力を感じさせる。


 下手な言葉では、きっとスイカは納得してくれないし、お願いに頷いてもくれないだろう――そのことを彼女の表情から察したジュンタは、ベアル教のアジトに行きたい、いや、行かなければならない理由を答えた。


「俺がこのラグナアーツにいる理由は、知り合いを捜すためなんだ。誰かに攫われた大切な奴を」

「攫われた? また、物騒な話だな」


「だけど事実だ。そいつはいきなり俺目の前で、俺の大事な奴を攫った。で、どうやらそいつはこの聖地ラグナアーツに潜んでるらしい。捜してみたけど、手がかりはなしだ。だけどこの聖地で犯罪を起こすなら、一番怪しい奴らがいる」


「なるほど、それでベアル教か。確かに、彼らはよく迷惑なことをしているし、聖地の多くの犯罪に荷担していると言ってもいい。ジュンタ君の攫われた知り合いのことに、ベアル教が関わっている可能性もあながち否定できない」

 クーの誘拐に本当にベアル教が関わっているかは、正直分からない。確率としては五十パーセントもないだろう。だけど、他に捜す手がかりがない現在、ただじっとしているよりは怪しいベアル教を捜す方が建設的のはずだ。


 ちょうどスイカとヒズミの二人がベアル教のアジトを知っており、なおかつ襲撃をかける気満々だという。これはもう何としてでも便乗するしかないだろう。


「他に俺には手がかりがないんだ。だから頼む。俺も一緒にベアル教のアジトに連れて行ってくれ」


「僕は反対だ」


 再度頼み込むジュンタの言葉に、即答したのはヒズミだった。


「そいつの知り合いがベアル教に関わっているかは、結局予想でしかないんだろ? そんな確率を求められて付いてこられたら、こっちはいい迷惑だ。姉さん、僕はこいつの同行に反対する。足手纏い以外の何者でもないね」


 自分の意見を述べてから、ヒズミは無意識にスイカに選択権を譲った。それがこの姉弟のどちらに、物事を決める権利があるかを雄弁に物語っていた。


「本当に頼めないか? スイカ。これでも一応剣術も習ってる。足手纏いになる気はない」


 ヒズミの言い分も分かるが、ここで引くわけにもいかない。
 
ジュンタはスイカにもう一度だけ頼み込む。彼女はヒズミほどきっぱりと断ることはなかった。

「困ったな。ジュンタ君の気持ちも分かるけど、ヒズミの言うことももっともだ。
 少人数での制圧だから、実際のところ助力があるのは嬉しいんだけど……これはとても危険なことだし、事実としてジュンタ君の知り合いがいる可能性も低い。ここでジュンタ君に怪我をさせれば、結果としてその人を見つけられなくなる可能性もある。

せめて、ベアル教が攫ったという可能性がもっとあればいいんだけど……ジュンタ君。攫われた君の知り合いだけど、何かベアル教に攫われそうな理由はなかった?」


「クーがベアル教に攫われそうな理由か……」


 ベアル教の可能性を最初に疑ったとき、一番のポイントだったのもそこだ。

 

 クーがベアル教に攫われたと考えるなら、ベアル教に攫われざるをえない理由が、彼女に何かあるということになる。でも、考えてもよくは分からなかった。出会ったばかりの少女のことを、仲がいいからと言って、よく訊かなかったことが悔やまれる。


「その子が何か聖神教に関わりがあるとか、もしくは昔にあったとか、両親が聖神教において重要な役割を努めているとか。そう言うのはなかった?」


「いや、ないと思…………待てよ」


 スイカのあげた例に、ジュンタはクーと出会った当初の話を思い出す。


 その格好から何となく聖神教の関係者かと尋ねたとき、確かクーはそう言っていた。自分は関係ないけれど、自分の祖父は聖神教に関係がある、と。


「確か祖父が聖神教の関係者だって聞いたことがある」


「本当か? それで、その人は何て名前なんだ? ある程度上にいる人なら、わたしかヒズミが知っているかも知れない」

「いや、聞いたかも知れないけど、名前は覚えてない。ただ、俺の捜している子は、クーヴェルシェン・リアーシラミリィって言うんだけど……」

「クーヴェルシェン? どこかで聞いたことがある名前のような気が……?」


 意外にも祖父ではなく、クーの名前に反応を見せるスイカ。彼女は首を捻って、何かを必死に思い出そうとしている。

 なかなか思い出せないらしいスイカがうんうんと唸っていると、その横でスイカがジュンタを同伴させようとする理由を捜そうとしているのを良く思っていなかったヒズミが、溜息を吐いた。


「クーヴェルシェン・リアーシラミリィ。姉さんがかわいいかわいいって、前に言ってた子だろ?」


「ああ! クーちゃんのことか!」


 弟の助け船に、姉はポンと手を叩いて得心する。


「クーのことをスイカは知ってるのか?」


「知ってるとも。彼女はアーファリム大神殿では、結構な有名人なんだ。なぜなら彼女は金糸の使徒フェリシィール・ティンクの巫女――ルドール老のお孫さんだからな」


「……巫女の、孫……? クーが?」


 使徒フェリシィールというのは、今日リオンが言っていた聖地にいる使徒の一柱の名前だ。『巫女』とは使徒一人に必ずいる者。かの使徒に巫女がいるのは当然だが、その巫女がクーの祖父だとは……


 初めて知る衝撃の事実に、ジュンタは唖然として空を仰ぎ見る。正確には、空は見えないので天井を。


「……クーよ。それは聖神教とちょっと関わりあるって話じゃないぞ? ものすごく関わってるじゃないか」


 使徒が三人――正確には四人――しかいないのなら、その巫女のまた同数しかいない。使徒がトップならば、その一番の従者である巫女は聖神教における二番目の地位にあると言えるだろう。その肉親が、聖神教において軽んじられる地位にあるわけがない。

 その考えはスイカも同じなのか、


「つまり攫われたのは、あのクーちゃんなんだな? ルドール老の後をちょこちょことついて回っていた、あのかわいらしいエルフの女の子。なら、ベアル教が手を出した可能性はグッと高くなる。巫女の孫ならベアル教にとって狙うだけの理由はばっちりだ。な、お前もそう思うだろう? ヒズミ」


「認めたくはないけど、可能性としてはあり得る話だね」


「なら、ジュンタ君の同行を拒む理由はわたしたちにはないな。それぞれ大切なものを手に入れるために行くんだから、多少の危険は覚悟の上だ」


「……足手纏いって僕の同行を拒む理由はどこに行ったんだ?」


 自分の意見が忘れ去れている事実に悩むヒズミの横で、決定権を持つスイカは勝手に決めてしまった。


 ジュンタはクーの素性の驚きをとりあえず横に置いておいて、頼みの結果を訊く。


「それじゃあ、俺もベアル教のアジトに……?」


「ああ、連れて行こう。――ただし、わたしたちの探しているものについては、秘密ということにさせてくれ」

 笑顔で頷いたスイカは、そう言って立てた人差し指を唇につけた。







       ◇◆◇






 リオン・シストラバスの許に、アーファリム大神殿の主の一人が姿を現したのは、礼拝殿に通されてから僅か数分後のことだった。

 いくらクレオメルンが近衛騎士隊隊長でも、聖域の聖域たる神居には自分の一存で通すことはできない。神居へと足を踏み入れることを許可できるのは、その主たる使徒だけだ。


 礼拝殿の一室に案内されたあと、すぐにクレオメルンは神居にいるクーに会えるようにと走り去っていってしまった。


 相手は使徒だ。忙しいだろうから、ある程度は待つのだろうと覚悟していたら、その足音はすぐに聞こえてきた。


 パタパタと忙しそうに駆け寄ってくる音。

 部屋の扉を開け放って来室してきたのは、長いスカートの裾を持ち上げた、何とも美しいエルフの女性だった。


 流れるように波打つ金色の髪と、母性を感じさせる見事なスタイル。
 
年齢は二十代前半ほどというのに、長く生きた貫禄を見せつけるその立ち姿に、凛としていながら柔らかく穏やかな印象を与える瞳――金色の色を確認した瞬間、リオンは反射に近い動きで座っていたソファーから立ち上がり、床に立ち膝をついた。

 リオンほどの大貴族がここまでの礼を尽くす相手は、この世に片手で数える相手しかいない。即ち、使徒相手のみである。


「お久しぶりです、フェリシィール聖猊下」


 頭を垂れて、リオンは使徒の一柱たるフェリシィール・ティンクにあいさつをする。


 リオンは以前に数度、彼女とは会ったことがあった。しかし数年前までは書生の身だったリオンは、あまり聖地に来ることがなかったために、竜滅姫としての最低限の会話しかフェリシィールとはしたことがない。公の場ではないにしろ、
『聖猊下』という敬うべき使徒をより敬うべき名で呼び、その返答を待った。


「よくぞ足を運んでくださいました!」

「!!」


 返答は思い切り飛びつかれ、抱きつかれて、胸に顔を埋めさせられると言う行為でやってきた。


「フェ、フェリシィール聖猊下!?」


「勅命がなぜか勘違いして伝わっているときは絶望すらしましたが、あなたと出会えたことで救われました! よくぞ、よくぞご無事で!」


 感激の余り、目尻に涙すらたたえて金糸の使徒は強く抱きしめてくる。


 羨ましいのを通り越して恐怖すら抱く大きな胸を押しつけられ、フガフガとリオンは藻掻く。


(息、苦しっ、できませんわっ!)


「ああもうっ、わたくしはこの再会を神に感謝いたしましょう! 神様、あなたは最高です! もうわたくし一生ついて行かせていただきますっ! でもこの運命の皮肉さもあなたの仕業でしたら、一発殴らせてから要相談でついて行かせていただきます!」


 鼻と口とを塞がれて息ができないのだが、使徒フェリシィールはまったく気付くことなく抱きしめたまま神様に祈りを捧げている。リオンはそんな神様の元へと旅立ちそうだった。


 これが彼女ではなかったら、問答無用で突き飛ばしてしまえるのだが、相手は自分よりもたった三人しかいない絶対的な上にある人。尊き人には礼節を尽くすのは貴族としても騎士としても当然であるが故に、リオンはどうすることもなく顔色を悪くしていた。


「フェリシィール聖猊下! リオン様のお顔が!」


「あら?」

 そんなリオンが旅立つ前に救われたのは、部屋にやってきたフェリシィールから数十秒遅れて現れたクレオメルンが、ようやく指摘をしてくれたからだった。


「申し訳ありません。大丈夫でしたか?」


「ぷはっ、は、はい……大丈夫……です」


 細いのに力強い抱擁の腕から逃れられたリオンは、息を整えた後、すぐに面を伏せる。


 視界にフェリシィールが着ている白い聖衣の裾を収めながら、


「この度は突然の来訪でありながら、わざわざご足労いただき誠にありがとうございます。つきましては、僭越ながら私めのお願いを聞き届けてはいただけないでしょうか?」


 礼節を尽くした言葉で、クーに会うために神居へと足を踏み入れる許可をもらおうとする。
そんなリオンに、フェリシィールはニコリを聖母の笑みを浮かべて頷いた。


「そのように畏まったことを申されなくても結構ですよ。話はクレオさんから聞きました。クーちゃんのために足を運んでくださったそうで……もう、本当に何とお礼を言っていいやら。わたくし感謝の気持ちで卒倒しかけてしまいました。―― と、こんなことをお話ししている場合ではありませんね。

もちろん構いません。むしろわたくしの方からお願いしたいぐらいです。どうかわたくしの神居にいるクーちゃんに、無事な姿を見せてあげてください」

「はい、ありがとうございます」


 快い許可にリオンはさらに頭を下げる。

その時、フェリシィールにいきなり両肩に手を置かれ、立ち上がらせられた。


 なぜか抗いようのない細い手に導かれるままに立ち上がると、
至近距離で美しすぎる、この世のどんなものよりも尊く美しい金色の瞳で見つめられ、リオンは動悸が速くなるのを感じた。

「リオンさん。あなたにお詫びしなければならないことがあります」


「お詫び、ですか?」


「はい、そうです。わたくしはあなたに――いえ、あなたとジュンタ・サクラさんに対し、とても酷いことをしました。そのお詫びを、どうかさせてはいただけませんか?」

「私とジュンタに酷いことをですか? しかし私にはそのような覚えは……」

 首を傾げている間に、肩から手を離したフェリシィールがその頭を深々と目の前で下げた。


「本当に申し訳ありませんでした」


「フェ、フェリシィール聖猊下!? そのような真似はお止めくださいませ!」


 よく分からない理由で頭を下げられたリオンは、その場で慌てふためく。


「何を謝られるのか、私にはまったく分かりません! そのような覚えもありません! ですから、どうか頭を上げてくださいっ!」


「いいえ。わたくしはあなたとジュンタさんに、本当に酷いことをしたのです。……こう言えば分かってもらえるでしょうか? リオンさん、水の魔法で崩されたお身体の調子はもう大丈夫でしょうか?」


「え?」


 今度こそリオンは本当に驚いて言葉を無くした。


 フェリシィールが今言ったこと。間違いなくクーを誘拐した人物による魔法によって、崩した体調のことを指している。だが、どうしてそれを彼女が知っているのか?


 変調のことを知っているのは一緒にいたジュンタだけだ。クレオメルンにも言っていない。だから彼女が知っているはずないのに……


 しかし彼女は知っていた。それが意味することにリオンは気付く。

 そう、ジュンタ以外にももう一人だけ変調に気付ける相手はいた。実際に崩したところを見たわけではないけれど、魔法を使った張本人ならば体調を崩したことに気付いているはず。


 ……思えば誰かに攫われたはずのクーが、どうして無事にこのアーファリム大神殿にいるのか不思議だったのだ。


 こうして使徒フェリシィールからヒントをもらい、リオンの中で全ての辻褄があった。


「それではもしや、レンジャールの別邸でクーを攫おうとしたのは……?」


 クーを攫おうとした相手に剣を向けましたわね何ということをしたのでしょう使徒様に剣を向けてしまうなんて――などなどの混乱を頭にしながらリオンが尋ねたところ、


「はい、他でもないこのわたくしです」

 きっぱりと、心苦しそうな返事が返ってきた。フェリシィールは認めたのだ。自分がクーを攫った犯人である、と。


 リオンは驚きを隠せない顔で、まっすぐフェリシィールを見つめる。


「どうして……なのでしょうか? どうしてクーをお攫いになられたんですか?」


 まず始めに欲したのは、真実に対する返答だった。


「いえ、失礼ですが、そもそもフェリシィール聖猊下とクーのご関係はどういったものなのでしょうか? クーは一体、この聖地においてどのような地位にあるのですか?」


「まずはそこからお話しすることにいたしましょう。クーちゃんとわたくしの関係から」


 クーが本来、常人では足を踏み入れることを許されない神居にいる理由――フェリシィールは自らが住まう神居への道を手で指し示しながら、静かに語り始めた。






 初めて足を踏み入れる神居は、リオンにとっては目を引くものばかりであった。


 回廊、壁、天井問わず彫られた繊細な模様の数々。
 
聖地の本当の中央である源泉を抱く中庭と、その四方に天高く伸びる神居の塔――四つの塔はそれぞれ離れた場所に立っているのだが、最上階に近い辺りで繋がっていた。

噴水の真上に作られた大きな一室のことは、以前父親であるゴッゾから聞いたことがあった。四方の塔から伸びる回廊の先には、使徒様同士が話し合う円卓があるのだ、と。

ここが聖域。使徒の住まう神居――そこに足を踏み入れたことに感動しつつ、しかしリオンが一番に耳を傾けていたのは、少し前を歩くフェリシィールの説明だった。

クレオメルンと別れて向かったフェリシィールの御居たる東神居への道すがら、彼女は色々と先程の質問について、懇切丁寧に説明してくれた。

「わたくしの巫女であるルドールは、あの子――クーヴェルシェン・リアーシラミリィの実の祖父なのです」


「クーが巫女ルドールの孫ですか? それは同じ森の出身という意味ではなく……?」


 エルフという種族には家名が存在しない。一生を生まれ育った泉の森で過ごすことがあるエルフには、そもそも家名が必要ないのである。が、森を離れて人里にやってきたエルフは別だ。家名がないと色々と困ることもある。


 そのため、人里に降りたエルフたちは通例として自らが生まれた森の名を家名とする。これを俗に『森名』と呼んでいる。


 エルフであるフェリシィールの森名はティンク。
それは彼女が、ロスクム大陸のエルフの森――ティンクの森で生まれたエルフであることを指し示しているわけだ。

 
 使徒フェリシィールの巫女もまたエルフ。
 
通称をルドールといった彼の森名はリアーシラミリィ――聖地に最も近い、西巡礼都市ウエスト・ラグナの西に広がるリアーシラミリィの森のエルフであることを示しており、またクーの森名もリアーシラミリィだ。

リオンはルドールの森名がリアーシラミリィであることは知識として知っていたが、まさかクーが彼の孫であるとは思わなかった。てっきり同じ森の出身ぐらいとしか考えていなかった。だが、紛れもなくクーは使徒フェリシィール・ティンクの巫女、ルドーレンクティカ・リアーシラミリィの孫であるという。それならば、クーが東神居にいるのも頷ける話だ。

だとすると、どうしてクーがジュンタのことをご主人様と呼んでいるのか、ものすごく疑問になってしまうのだが……


「わたくしがクーちゃんのことを攫うような真似をしたのは、実はわたくしの我が儘なのです」


 答えの出ない迷宮に沈みかけたリオンの思考を引っ張り上げたのは、フェリシィールの次なる説明の声だった。


「クーちゃんはルドールの孫娘で、十年ほど前から神居で一緒に暮らしていました。わたくしは彼女のことを本当の娘のように思っているのです」


「大事に思っていらっしゃるんですね」


「はい。あんなに優しくてかわいらしいいい子、大事だと思わないはずがありません」


 甚だ同感できるフェリシィールの言葉の中には、隠しきれないほどのクーに対する親愛と愛情が含められていた。
きっと本当に大切に思い、大切にしていたのだろう。だからこそリオンは解せない。どうしてフェリシィールがクーを攫ったのかが分からなかった。


「我が儘と申されましたが、それは一体どういうことなのでしょうか?」

「それはわたくしが、勝手に彼女を聖地へと連れてこようと思ったからなのです」


「この地へ? ですが、クーと既知なのでしたら、何もあのような真似をされずとも良かったのではないでしょうか?」


「ええ、その通り。今思えば恥ずかしい限りで。いい訳をするつもりはありませんが、あの時のわたくしはこう思っていたのです。わたくしには決してできなかったことを、彼が――ジュンタ・サクラさんが簡単にしてしまったことが悔しい、と」


「ジュンタ……彼にですか?」

「そう、クーちゃんが何よりも大事に思っている人。たった一人だけの主様」


 ここにはいない渦中の一人の名を聞いて、リオンは困惑を強める。


 先程も思ったがジュンタは、巫女の孫ほどの人物であるクーと、どうしてこれほどまでに関わっているのか? 一体どうしてクーはジュンタのことをご主人様と呼び慕っているのか? フェリシィールの言ったことは、そこに答えがある気がした。


「気になりますか? クーちゃんとジュンタさんのご関係が」


「え? あ、いえそんな……」


 悩んでいたのを悟られて、リオンは不躾だったと瞬時に視線を逸らす。
 逸らしてから、それが何より自分の答えを示していることに気付いて頬を赤らめた。


 穏やかな笑顔を浮かべたフェリシィールは、少し考える素振りを見せて、


「全てを教えるわけには参りませんが……そうですね、少しだけお教えしましょう」


 逸らした視線を見て見ぬふりをしつつ、説明を始めた。


「リオンさんは、わたくしたちエルフの間にある掟をご存じでしょうか?」


「確か『始祖姫』メロディア様が、自身の巫女であったエルフのシャス様と交わした契約だったと記憶しております。内容はエルフの間で秘されているという話で、耳にしたことはありませんが」


「そうですね、あまり外には広がっていませんね。秘匿されているわけではなく、口にするのが単に恥ずかしいだけなのですが……例えば、掟の中にこんなものがあります。

 一つ。生まれたとき、生まれた森の泉にて洗礼を受けるべし。

 一つ。エルフに生まれたからには、自分がエルフであることを誇りとするべし」


 歌うようにフェリシィールが口ずさむエルフの掟を、リオンは興味深く聞いていた。


 フェリシィールは口外するのが恥ずかしいと言っていたが、別に恥ずかしくない。むしろ誇っていい掟だとリオンは思った。


 その辺りが気になってはいたのだが……フェリシィールの口にする掟の数が進むにつれ、リオンは口外するのが恥ずかしいという理由を悟る羽目になった。


「一つ。異性に対して無闇に肌を晒すことは恥ずかしいらしいので控えること。

 一つ。お付き合いは健全に。しかし若い衝動は大切にするべし。それが青春。

 一つ。長い耳は種族の象徴だし魔性の感触なので、一生を添い遂げる相手にしか触らせてはいけない。例外としてわたしはいいこととする。むしろ積極的に触らせなさい」


「…………あ、あのフェリシィール聖猊下? それは……」


「全部本当のことですよ。ふふっ、メロディア様の性格を伺わせる掟でしょう? 日常の豆知識のような感じで増やしたらしく、その数は百を超えているというお話です。その中のほとんどは、あまりエルフたちの間でも遵守されていません」

 偉業のみで性格までは後世に残っていない『始祖姫』――自分の家の開祖であるナレイアラと同じ、その一柱であるメロディア・ホワイトグレイルの何とも言えない真実に、リオンはなんと言ったらいいか分からなかった。


「着きました。ここがわたくしの暮らしている、東神居の塔となります」


 そうフェリシィールに言われ、初めてリオンは気付く。
気が付けば、もう東神居の塔の入り口へと辿り着いていた。

リオンはフェリシィールと共にそこにいた侍女に会釈をして、東神居に足を踏み入れる。


「クーちゃんの部屋は、このすぐ先にあるあの部屋です」


 塔の中に入ってすぐフェリシィールは足を止め、一つの扉を手で指し示した。その後で、先程の話の続きを話し始める。

「さて、ではリオンさんにお願いしたいのですけど……その前に約束ですので、クーちゃんがジュンタさんのことをご主人様と呼んでいる理由をお話ししましょう。

 数あるエルフの掟の中には、比較的守られている掟があります。それはあまり掟を守るべき状況に陥ることが少ないから、今なお守られているわけなのですが。ねぇ、リオンさん。あなたは私の巫女の字をご存じかしら?」


「ルドール様は高名な召喚師と聞いておりますが?」


 クーの祖父であるルドール老は、長年を生きたエルフの魔法使いであると言う噂だ。

その実力は相当なもので、最高位魔法の一つである[召喚魔法]を難なく扱うという。
 
恐らく、屋敷でフェリシィール様共々召喚された、あの[召喚魔法]を行使していたのも彼なのだろう。ユース曰く、自分と最も縁が深い対象を喚び出すのが[召喚魔法]らしく、巫女であるルドールと最も縁ある相手は、彼の使徒であるフェリシィール以外にはあり得ない。


「ルドールの得意とする[召喚魔法]は、自分と最も縁ある相手を喚び出す魔法。その魔法を、彼の孫であるクーちゃんも、実は手助けがあれば使えるのです」


「クーもですか? 確かに、彼女はとても凄腕の魔法使いでした」


「とても努力をしましたから。そして、エルフの掟の一つにこうあるのです。

 一つ。[召喚魔法]使って自分の最も縁深き相手がわかったとき、主従の契約を定めるべき、と。そしてクーちゃんが[召喚魔法]で喚び出した相手と言うのが……」

「まさか、ジュンタなのですか!?」


「はい。実はそうなのです」


 告げられた事実に、リオンは知らず手を強く握っていた。

 なるほど、クーの性格ならば、使った[召喚魔法]によってジュンタが現れたなら、掟を守って彼を主と仰ぐのも当然かも知れない。

 リオンは酷く納得した。ただ、それでも心がざわつくのは、二人の間に目には見えないが紛れもなく存在する縁を証明されたからか。


(この世で最も縁ある相手。クーにとってそれはジュンタで、なら逆にジュンタも……)


 それ以上リオンは考えなかった。
 
握っていた拳を解くと、教えてくれたフェリシィールに向き直り、礼をする。


「貴重なお話を教えていただきありがとうございました。それでは私はクーの元へと行かせていただきます」


「よろしくお願いします、リオンさん。わたくしが会っても、彼女をさらに傷つけてしまうだけでしょうから」


 礼に礼を返されて、リオンはフェリシィールに見送られるまま、クーの部屋の前へと歩いていく。


 昂ぶった感情を静めてから、トントンと二度扉をノックしようとして、リオンはその戸のあまりの冷たさに一度目で手を戻した。


「なんですのこの冷たさは? それに、ここすごく寒いですわ」


 感情が暴れていたから今の今まで気付かなかったが、クーの部屋の前は恐ろしく寒かった。間近で見て初めて気が付くが、扉は氷のように凍りついており、辺りの壁にも霜が侵蝕してきていた。


 リオンは外でこの寒さなら中はどれほどだと想像し、ぞっとしてここが神居であることも忘れ、目の前の扉を蹴破った。


「クー! あなた、大丈――ッ!?」


 扉が衝撃で倒れ、床に当たって砕け散った。

そして、扉の破片じゃない氷の欠片が、扉を開け放った瞬間にリオンに襲いかかる。


「リオンさん?! 大丈夫ですか!?」


「大丈夫ですフェリシィール聖猊下! ですが御身に風邪を引かせるわけにはいきませんので、近寄らないでくださいませ!」


「え、ええ……分かりました。あなたに一任した方がよろしいようですね」


 フェリシィールからありがたいお言葉をもらって、リオンは吹き付ける冬国の冬の吹雪も真っ青な氷雪から眼を隠しながら、部屋の中に歩を進める。
神居の中にしてはそれほど広くない部屋の中は、目と鼻の先も分からないぐらいに真っ白だった。


「尋常ではありませんわね、これは」

先のフェリシィールを見るに、今の今までこの部屋の様子は分からなかったのだろう。この塔の壁は一級の防壁だ。一室で起こった魔力行使ですら防いで、隣室へと影響を与えなかったのだろう。扉の隙間からほんの少しの影響が見えていただけだ。実際に凍った扉に触れるまでは、リオンとて気付かなかった。


 だが気付いてみると、どうして気付かなかったと思うぐらいの有様だ。

 氷が、雪が、霰が、霜が、ゴウゴウと吹雪いて竜巻のように唸っている。

 床は湖に張った氷のようだし、壁は触れたら肌の皮を持っていかれそうで、声を出した瞬間に喉が凍るかと思った。


 これほどの極々局地的な猛吹雪は、無論氷の属性の魔法によるものに間違いない。そしてリオンすら押し返すほどの魔力の吹雪ならば、行使者はクーでしかない。今なお荒れているとするなら、魔力が続いているということだから、こうなってまださほど時間は経っていないということになる。つまりはちょうど限界に達したということなのだろう。

(上等ですわ。こんなになるまで、あなたはジュンタのことを心配していましたのね)


 もはや並の主従関係を超越したクーのジュンタへの献身に、リオンは口元をひくつかせながら前進を試みる。

 吹き付ける寒風は身体が持っていかれそうなほどだが、決して騎士の歩みを止められるものではない。いかなる冷気でも、風でも、再生と破壊と司る不死鳥の炎は消せないのだ。


 無意識に身体を魔力が纏い、リオンは雪山を強行軍する勢いで前へ前へと進んでいく。


 そうして、足の先に何か柔らかい感触が触れたところで足を止め、口を開いた。


「まったく、こんなところで氷の棺の中に閉じこもって、あなたは一体何をしてますのよ? 魔力があり得ないくらいただ漏れで暴走してますわよ?」


 目の前に、何かぼんやりと発光する紋様のようなものが見えた。

 それに向かって言葉を投げかけると、淡い光が消え、氷雪がピタリと止んだ。


 果たして、露わになったあらゆる全ての物が凍りついている部屋の隅――いじけるように体操座りをした少女の姿が、リオンの目の前に現れた。


 大きな帽子の上や小さな肩の上に雪を積もらせたクーは、膝に埋めていた顔を起こし、焦点の合っていない瞳でリオンを見る。

 瞬間――彼女の瞳に生気が戻った。


「…………リオン、さん?」

「どうして疑問形ですのよ? この鮮やかな真紅の髪と瞳を持つのは、世界中を探してもこの私――リオン・シストラバスだけですわ」

「リオンさん!」

 雪の結晶を輝かせる紅髪を掻きあげ、リオンが胸を張ってちょっと震える声でそう言うと、クーは涙でぐしゃぐしゃな顔に笑顔を浮かべて、立ち上がろうとした。しかしずっと座ったまま冷たい冷気の中にいたクーの身体は満足に動かず、よろけて彼女は床に顔面から倒れそうになる。

「ちょっと気を付けなさい。この床に顔をつけたりなんかしたら、しもやけでは済みませんわよ」


「は、い。ありがとうございます」

 震うことすらできなくなるほどに冷え、衰弱した小さな身体を抱き留めた後、リオンは少しでも体温を分け与えようとクーを抱きしめた。


「まったく、こんなになるまでジュンタなんかを心配するなんて……呆れを通り越して感心すらいたしますわ」


「!! そうです! リオンさん、リオンさんがご無事なら、ご主人様もご無事ですよね?」


 なんだかついで扱いされたみたいでちょっと気に入らないが、何はともあれ、リオンはここにやってきた目的を果たすことにする。


「私もジュンタも、怪我もせずに元気ですわ。当然のことですわね。私ほどの騎士が[召喚魔法]の誤差……ですわよね、きっと……に倒れるはずありませんし、ジュンタも図太いですもの」


 安心させるためにそう伝えると、クーは大粒の涙を流し始めた。

 

「良かった……本当に、良かったです。私が原因でご主人様たちが死んだらどうしようって……どうしようって……」


「クー、あなた……」


 胸の中でクーが流す温かな涙は、冷たい部屋の中でキラキラと結晶となってこぼれ落ちる。


 自分の『色』が髪と瞳の色でもある真紅だとするなら、きっとクーの『色』は、その涙のようなスノーホワイトなのだろう――そんなことを何ともなしに思って、リオンは急激に部屋に踏み込む前にあった自分の中の熱が冷めていくのを感じた。


「ほら、泣いてはいけませんわ。涙が凍りついても知りませんわよ?」

「ず、ずみばせんです……」


 ぽんぽんと優しくクーの背中の後ろを叩きながら、リオンは知った。


 例えクーとジュンタの間に[召喚魔法]が成立するような深い縁があったとしても、きっと二人があんなに仲がいいのは他のことが一番の理由なのだろう。縁は二人を巡り合わせただけ。つまり気にするだけ無駄だったわけだ。

 

「そ、それでリオンさん。ご主人様はどちらにいらっしゃるのでしょうか?」


 クーが少し落ち着きを取り戻し、そわそわと尋ねてきた。


 リオンはクーを腕の中から解放し、手を差し伸べて歩くのを手助けしてあげながら、一緒に部屋の外へと向かう。こんなところにこれ以上いたら、本気で風邪を引いてしまう。


「あの、リオンさん? ご主人様は……?」


 部屋を出るまでの間、クーの質問には答えなかった。


 部屋を出たとき、初めてリオンは伝えなければいけないことをクーに伝えた。


「確かに私もジュンタも無事ですわ。ですけど、今ここにジュンタはいません」


「え? ど、どういうことですか?! なら、ご主人様は一体どこに!?」

「それは私が聞きたいですわ。ただ、一つだけ分かっていることは――


 リオンは不安そうなクーの顔を覗き込みながら、

――ジュンタは[召喚魔法]ではなく、クー、あなたが自分の足で見つけなければならないということですわ」

 はっきりと自分が感じた決定を告げる。そうしなければきっと、あれほどまでに心配をしていたクーの気持ちは満足しないと、そう思ったから。






       ◇◆◇







 何かクーは言い足そうにしていたが、ひとまず冷えた身体を温めるために、半ば強引に東新居内にある浴場へと放り込むことになった。

 リオンが侍女長であるという女性に連れられて行くクーを見送っていると、隣に立つフェリシィールから問いを向けられた。


「一つ質問をしてもよろしいでしょうか? リオンさん」


「はい。なんでしょうか?」


「先程、あの子にジュンタさんを探すために、[召喚魔法]ではなく自分の足で行うべきだと申されたのはなぜなのでしょうか? ジュンタさんを見つけるためならば、[召喚魔法]を使った方がいいとわたくしは思うのですが」


「それは私も同じ考えです。ただ見つけるだけでしたら、[召喚魔法]を使う方が簡単だと……しかし、きっとそれではダメだと思ったのです。

 クーはさっきこう言っていました――『私が原因でご主人様たちが死んだらどうしよう』と」

 そのことを伝えると、使徒フェリシィールは青ざめた顔になって口元を手で覆い隠した。


「もしもクーに本当に原因であるのでしたら、原因である者の責任として自分で解決すべきと私は判断しました。ですが私にはクーが原因ではないと、そう思えたのです」


「ええ、クーちゃんは何も悪くありません。悪いのは全てわたくしですから」
 

 手を口元からどけたフェリシィールは、遠くなったクーの背中を見つめ、悲しそうに瞳を揺らす。


「そう言えば、わたくしがクーちゃんを攫おうとした理由を、まだしっかりとはお話ししていませんでしたね」


「はい。まだ伺っておりませんが……」


「では、それをお話しする前にもう一つお話ししたいことがあります。

クーちゃんは、恐らくリオンさんも察していらっしゃることだと思いますが、あまり――いえ、かなり自分のことが好きではありません。むしろ嫌悪していると言ってもいいでしょう」

 リオンはフェリシィールの言葉に頷く。


 クーとの付き合いは短いが、彼女が度を超すくらい謙虚で自己犠牲が強いことは分かっていた。武競祭でのことや、先程の悲しみ具合からしても察せられる。


「それはあの子がルドールと一緒に、十年前このアーファリム大神殿にやって来た時から変わらないのです。あの子はずっと昔から自分のことが大嫌いで、卑下し続けています」


「十年前から、ですか?」


 クーの年齢は確か十四歳だと聞いた気がする。十年前ということは、つまりは四歳だ。その時点で自分を嫌い、憎み、卑下するのは明らかに異常である。


「十年前ならば、クーは四歳ではないのですか? エルフは幼い頃から聡明だとは聞いておりますが、さすがにそんな歳からは……」


 思わず疑ってしまったリオンの言葉に、しかしフェリシィールは首を横に振った。


「いえ、このお話は事実です。あの子の内罰的な性格は十年前から変わりありません。わたくしの口からは詳しいことは申せませんが、あの子も過去に色々とあったのです。
わたくしはあの子が自分は決して許されない存在なのだと、そう語っていた姿をはっきりと覚えています」

 フェリシィールはクーの凍りついた部屋に、悲しげな視線を向ける。


「ですから、わたくしは思いました。この自分を好きになれない子が、自分を好きになれるように大事にしてあげたい、と。それは出会った日から変わらずにある、わたくしの誓いです。……ですが、わたくしにはほとんど何もできませんでした」


 全てを包み込むような母性を感じさせる、使徒フェリシィール・ティンク。

 そんな彼女はきっと心の底からクーを心配し、癒してあげようとしたのだろう。だが、それはクーには通じなかった。
 

 リオンには過去クーの身に何があったかは分からないが、それはきっと自分を憎むほどに嫌いになってしまうようなことだったのだろう。幼い心に強いトラウマを刻みつけるような、酷い出来事だったのだろう。


 贖罪――その言葉を、クーの姿からははっきりと感じさせる。


「あの子は今も昔も変わらず、幸福であることに苦痛を感じ、そして恐怖してしまうのです。わたくしもルドールもどうにかしてクーちゃんに、幸せになってもいいのだと教えようとしたのですが……十年の間一緒に暮らしていたというのに、あまりにも無力でした。わたくしではあの子を救えないのだと、そう理解してしまったんです」


 ですが、とフェリシィールは話を続ける。

「そんなクーちゃんは今、少しだけですが前進しているように見えるのです。それはきっと、クーちゃんに影響を与えることができる人と巡り会えたから」


「それはつまり」


「ええ、ジュンタさんです。彼は紛れもなく、この世で唯一クーちゃんを救える人であり、クーちゃんにとっての救世主様なのでしょう。

 ああ、ですが、わたくしはそんな彼に嫉妬をしてしまったようなのです。わたくしが十年かけてもできなかったことを、いきなり現れた彼が簡単に成し遂げてしまったことに対して」


「それでは、クーを攫ったのはジュンタへの嫌がらせ……なのですか?」


 問い掛けに、コクンとフェリシィールは肯定してみせた。


 雲の上の人であり、ベールに包まれた神秘なる至宝である使徒の、その意外なほどに人間らしい感情にリオンは困惑する。


 神の獣であるフェリシィールも、また人のように思い、考えるのか。幻想が崩れると共に、妙な親しみを感じた。


「もちろん、それだけではありません。ジュンタさんに嫉妬していないとは言えませんが、それ以上にクーちゃんが彼と巡り会えたことに感謝し、喜びを感じています。例え救う相手がわたくしではなくとも、あの子が幸せになれるなら、それはわたくしにとって何よりも嬉しいことですから」


「そうお思いなら、なぜ二人を引き離すような真似を……?」


「見定めたかった、という思いが強いですね。クーちゃんはあのような性格ですから、未来永劫ジュンタさんを主と仰ぐでしょう。ですから、ジュンタさんが真実クーちゃんを任せられるような相手かどうか見定めたかったのです」

「それが、あの方法だったというわけですね」


「はい。クーちゃんを攫う振りをして聖地に呼び、それを助けようとやってくる彼に試練を与えるつもりでした。あなたも含め、一緒に召喚してしまうことは予想外でしたが……いえ、そんな言葉で片付けてはいけませんね」


 フェリシィールはもう一度、リオンの目の前で深々と頭を下げる。


「本当にあなたにはご迷惑をおかけしました。クーちゃんにも、ジュンタさんにも、許されない真似をしてしまいました。全てはわたくしが悪いのです。クーヴェルシェン・リアーシラミリィにも、わたくしの巫女にも、何の責もございません」


 偉大なる使徒に頭を下げられたリオンは、先程のようにすぐに顔をあげてもらうことができなかった。


 それは実際に迷惑を被ったからという理由だけではなく、彼女の話を聞いて、そして分かったことがあったからだ。


 やはり自分は間違ってはいなかった――リオンは確信を抱くと共に、フェリシィールに頭をあげてもらう。


「聖猊下。例え結果がこうなっているとしても、誰が御身のクーを思いやる気持ちを責められるでしょうか? それに私は巻き込まれただけ。御身をどうなさるかは、きっとジュンタとクーだけが決められることなのでしょう。ですから、どうか私に頭などはお下げにならないでください」

「ご寛容痛み入ります。リオンさん」


 頭を上げたフェリシィールは、リオンが見ても分かるくらい反省していた。

 

 使徒としてだけではなくクーを大事に思う者として、彼女はずっと自分を責め続けていたに違いない。ジュンタを見つけることは、クーだけではなく彼女をも救うことになるだろう。この話を聞いたジュンタが、どう行動するかは別として。

 リオンは表情を引き締めて、フェリシィールに対し騎士の礼を取る。


「使徒フェリシィール・ティンク聖猊下。やはり私は、クーは自分の足でジュンタを捜索すべきと思うのです。それが誰にとっても、きっと一番救われる形になるとそう思います」


 クーは嘆いていた。全ての責任は自分にある、と。

 フェリシィールは間違いなくクーに謝罪し、全てを伝えたのだろう。ならその上でクーが自分の所為と責めているのなら、それはこう考えるしかない。


「クーは恐らく自分の存在そのものを責めています。今回の件について責められるべきは聖猊下ではなく自分であると。自分がいたから、こんなことが起きてしまったのだと」


「恐らくはそうでしょう。わたくしが何を言っても、あの子はその考えを止めることはないと思います。自分を大事に思えるようになったと思いましたが、それはどうやらジュンタさんと一緒にいる間だけのようです」


「ならば一刻も早いジュンタの捜索を。フェリシィール聖猊下。私、シストラバス侯爵家次期当主、リオン・シストラバスは正式にお願いを申し上げます。ジュンタ捜索の全采配を、私に預けてはもらえないでしょうか?」


 元よりジュンタのことは捜索するつもりだったリオンだが、クーを連れて行くとなると話は別だ。

 クーはただのジュンタの従者ではない。使徒の一柱フェリシィール・ティンクに愛された子供のような存在であり、巫女ルドールの孫娘だ。一緒に行くとなれば、その安全は保証されなくてはいけない。


 そんなこと気にしなければいいとは、フェリシィールは言わない。
きっと分かってくれているのだろう。これは騎士として、通さなければいけない道理なのだと。

 全ての采配と共に、全てに責任を持つ――リオンはそれを望み、フェリシィールは理解して頷いた。


「使徒フェリシィール・ティンクの名において、リオン・シストラバス。あなたにジュンタ・サクラ捜索の全采配を預けます。聖地におけるわたくしの名、あなたに全て託しましょう。――わたくしの大事な子供と、その子供の大切な人を、どうかよろしくお願いいたします」

「はい。竜滅姫の名にかけて」


 リオンはその場に立て膝を付いて、フェリシィールから全権を委託されると共に、一刻も早いジュンタの捜索を誓う。

(まったく、クーみたいないい子が心配してますのよ? さっさと出てきなさい)


 同時に、どこに行ったか分からないジュンタへと、そう悪態をついた。







 リオンもやはり心配していたジュンタは――


「こらっ、それ以上ひっつくな! ひっついたら『黒弦(イヴァーデ)』で射抜く!」


「気色悪いことを言うな! ひっついてないし、動いてもない。そもそも、ベッドで一緒に寝ようと言ったのはヒズミの方だろ?」


「仕方がないじゃないか! そうしないと、姉さんがお前と一緒に寝るとか馬鹿なことを言うんだから!」


「誰が馬鹿だ。聞こえているぞ、ヒズミ。実の姉に対してあんまりな言い草じゃないか。
 あと、姉さんの次は同性に走るのか? さすがにそうなったら、お姉ちゃんは何て父さんと母さんに詫びたらいいか……」


「するわけないだろっ!?」


『ヒズミ、うるさい。お隣に迷惑だ』


「だぁああぁああああ! シンクロするなぁぁああ――ッ!!」


 ――――明日に備えて、すでに就寝の体勢に入っていた。









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