第九話 捜索×捜索
朝目を覚まして臨時にあてがわれた部屋を出たら、扉の前に土下座体勢のクレオメルンがいた。
ゴン、と彼女の翡翠色の髪に、見事に扉が当たる。
扉の金色の取っ手に手をかけた状態で、クーはクレオメルンを見下ろした。
「………………え、え〜と、クレオメルン様? ごめんなさい? それとも、おはようございますが正しいのでしょうか?」
「すまなかった!」
あまりにいきなりな登場に困惑するクーを置いてけぼりにして、クレオメルンは床に頭をめり込ませるのではないかと思えるぐらいの勢いで、謝罪の言葉と共に頭を下げ続ける。
「本当にすまない! 全ては私の責任だ。どんな叱咤も罰も甘んじて受けよう!」
「あ、いえ、え? あ、その……」
クーはどうしたものかと廊下をキョロキョロと見回す。しかし人はいない。
元より東神居だけに限らず、神居全体に人はそれほど多くない。ちょうどタイミング良く誰かが通りかかるなんてこと…………あった。
「あら、一体何ごとですの?」
「あ、リオンさん!」
ちょうどいいところに、向こうからリオンが歩いてきた。
彼女は用意された聖衣を着て、慣れない神居の中見事な落ち着きようで近付いてくる。そしてやはりクレオメルンの姿を見て、困惑に眉を顰めた。
「……クー、一体クレオメルンさんは何をしていますの? 何かこの神居の中では、こうしなければいけないしきたりでもありまして?」
「いえ、そんなしきたりは聞いたことがありませんが……もしかしたら私が知らないだけで、クレオメルン様が暮らしている北神居にはあるのかも知れません」
「ありません! これはしきたりではなく、ただ私がクーに謝罪しているだけです!」
「なるほど、そう言うことですの。そう言えばあなたが原因でジュンタは指名手配になったのでしたわね」
「ご主人様が指名手配? ……そうなんですか? クレオメルン様」
昨日はほとんど敬愛すべき主についての情報を、身体が衰弱しているからという理由で教えてもらえなかったどころか、問答無用で眠らされてしまった。起きて早々、事情を伺いに行こうと思って部屋を出たのだが……彼が指名手配されているとはこれ如何に?
「どうしてご主人様が指名手配に? それにクレオメルン様が原因とは……?」
「フェリシィール様がジュンタ・サクラ捜索の勅命を出されたのを、。私が指名手配状と勘違いして、騎士たちに配布させてしまったのだ」
「それで一度私共々、ジュンタは聖殿騎士団に追われましたのよ。それで私とジュンタは離ればなれになり、私だけはこうして誤解だと知ってやって来て、ジュンタは未だラグナアーツの何処かに潜んでいますの」
「では、ご主人様がご無事かどうかは……?」
「それは昨日言ったとおり、大丈夫ですわ。あの図太い男がどうにかなっているとは思えませんもの。さっさと探し出して、それで今回の件は終わりですわ」
そう言ったリオンは、未だ頭を下げるクレオメルンを見つめる。
「私としてはまったく怒ってませんけれど、クー。あなたには確かに、彼女から謝られる理由がありますわ。とは言え、このままずっと頭を下げさせているのはかわいそうというもの。どうにかして差し上げなさい」
「あ、はい。ご主人様がご無事でしたら、私にクレオメルン様を責める理由はありません。どうか気にしないでください」
指名手配してしまったことに思うところはあるが、きっとリオンが無事と言うのなら、ジュンタは大丈夫なのだろうとクーは思った。
無事ならばそれでいいのだ。だって、また一緒にいることができるのだから。
――でもそれが原因で、もしも彼がどうにかなっていたら、もちろん■■■もらうが。
「……っ!」
ふらり、とクーは一瞬思考に混じったノイズに倒れそうになる。
(あれ? わた、し。今、何を……?)
横の壁に手をついて何とか身体を支える。
頭が酷く痛かった。痛くて、痛くて、ほんの一瞬前に自分が何を考えたか、思い出せない。
「クー、どうかしたのか!?」
額を抑えるクーを見て、頭を起こしたクレオメルンが慌てて立ち上がる。
「頭が痛むのか? やはり、まだ眠っていた方が――
」
「いえ、私なら大丈夫ですから。私なんかのことより、ご主人様を早く捜すことの方が重要です」
クレオメルンが心配をしてくれていることは分かっているが、それでも優先順位は自分の身体を心配することではない。一刻も早くあの人を見つけなければ、自分は……
クーは壁から手を離して、何やら険しい顔で考え込んでいるリオンの前に立つ。
「リオンさんもご主人様を捜しにいかれるんですよね?」
「そのつもりですわ。あの不埒者のことなど心配していませんけど、このまま放っておくのは目覚めが悪いですもの。フェリシィール様にもジュンタ捜索の任を任されましたわ。クーもジュンタを探したいのでしたら、私の指示は絶対厳守でしてよ?」
「はい、分かりました」
「いい返事ですわ。それではまず最初の指示です。――
クー、あなたはベッドに戻って昼過ぎまで休息を取りなさい」
「はい――
え?」
ビシリ、とリオンに指を指されて、早速指示を受けたクーは、言われた言葉に即座に肯定をとろうとして、しかしすぐに呑み込むことは叶わなかった。リオンが口にした指示を理解したクーから出た返答は、肯定ではない。
「昼まで休息なんて、どうしてですか!? 私なら大丈夫です。今すぐにでもご主人様を探しにいけます!」
「ダメですわ。今のあなたは興奮して、自分の身体の不調を自覚していないだけです。しっかりと休まない限り、あなたを一緒に連れて行くことを許可しません」
「そんな……!」
早く会いたい。これ以上待ってなんていられない。
この聖地にいることが――自分の近くにいることが分かったのだ。すぐにでもお傍に馳せ参じなければ、巫女の名が廃る。
クーはリオンの言葉が、自分のためだということは理解していた。けれど、それでもこれだけは譲れない。これは自分にとっての存在意義に他ならないのだから。
「分かりました。では、私一人で行かせてもらいます」
「クー!?」
「へぇ、そう来ますの」
クレオメルンが驚いた顔を、リオンが愉しげな顔をする。
自分でも分かっている。自分がこんな強気で誰かの意見をはね除けるような事を言ったのは、もしかしたらこれが初めてのことかも知れない。長い間、恐らくは友人と言ってもいいような関係にあったクレオメルンが驚くのも当然だ。
「あなた一人でジュンタを捜すと言いましたけど、クーにはジュンタがどこにいるか、どこに行く可能性があるのか、何も分からないのではなくて?」
「それは……ですが、ここでじっとなんてしていられません」
「随分非効率的ですのね。ここで昼まで休んだ後、私と一緒に捜索にかかった方が早く見つけ出せるとは思いませんの?」
「リオンさんもお昼になるまでご主人様を捜さないと言うんですか?」
「ええ、私にも計画というものが存在しますのよ。まずは聖殿騎士団の方々にジュンタを広域捜索にかけさせますわ。闇雲に歩き回るよりもよほど効率的です。自分の足で歩いて捜すことが必要だとしても、その後で遅くありませんもの。
そして、クー。あなたに一人で勝手に歩き回られるのも承知いたしませんわ。これはフェリシィール様に全権を委託された者からの命令です。あなたは休んでいなさい」
「…………嫌です。これ以上休んでなんていられません」
「何言ってますの。元はといえば、あなたがいじけて部屋に閉じこもっていたのが原因でしょう? 自分でまいた種ぐらいは自分で回収なさい!」
「論点がずれてます! 今最優先すべきは、ご主人様の早期発見のはずです!!」
顔を突きつけるような形で、リオンとクーは睨み合う。
そんな二人を横で気まずそうに見やるクレオメルンが、友人の初めて見せる気概に驚きつつ、助け船を出すつもりでリオンに質問を投げかけた。
「あの、リオン様? そのように力づくで押し付けなくとも、クーならば順序立てて理由を話せば納得してくれると思うのですが…………すみません。でしゃばりました」
二人から一斉に視線を向けられ、クレオメルンは長身を縮ませて黙り込む。
「クーみたいな頑固者に冷静な対応など無駄でしかありません! ともかく、私が全権を委託された以上、捜査を乱す行動の一切合切は許可しませんわ!!」
「お、横暴です! 今こうしている間にも、ご主人様の身に何かとんでもないことが起きてしまっているかも知れないんですよ!? リオンさんは心配じゃないんですか!?」
「だ、誰があのような不埒者……ふんっ、まったく心配などしていません」
「酷いです。前から思っていましたが、リオンさんのご主人様に対する対応には目に余るものがあります! ご主人様がかわいそうですっ!」
「あなたが甘過ぎですのよ! ですから、あのような庶民がつけあがるんですわ!」
「……ご主人様の悪口は、例えリオンさんとはいえど許しません」
「許さないのでしたら、一体どうすると言うのです? ……どうやら、強制的に眠らせて欲しいようですわね」
その言葉が発せられた瞬間に、二人は同時に背後に飛び退って距離を取る。
完全に怒りの状態のリオンが手に紅い剣を握る。それを見て、クーはもう手加減とかそう言うのを忘れることにした。
「私が勝ったら、ご主人様のところに行かせてもらいます」
「構いませんわよ。もしも万が一にも勝てたら、ですけど」
魔力行使を行える準備をし、剣を構えるリオンにクーは相対する。
「え? え?! ええっ!?」
二人の放つ魔力が東神居の通路を満たしていく。すでに二人の視界から追い出されることになったクレオメルンは、二人の間でどうしたものかとあたふたする。止めようにもここは東神居、クレオメルンは非武装状態であった。
クーとて、長年ここで暮らしている身。基本、非常事態以外での戦闘行為が許可されていないことは知っている。しかし、もうこうなったらやけくそである。明日のことは明日考えよう。
「――行きます」
「――来なさい」
「行っても来てもダメです! ここは神聖なる聖地の神居ですよ――ッ!!」
クレオメルンの魂の叫びは、もうことごとく二人には聞こえていなかった。
数十分後――むす〜としたいじけ顔でクーはベッドの中にいた。
先の戦闘結果は、身体を衰弱させたクーがリオンに勝てるはずがなく最後は自爆でダウン。よろよろになったところをクレオメルンに部屋まで運ばれたという結末だ。リオンは現在、東神居を預かるリタ侍女長から問答無用で説教中である。
「しかし、驚いたな。まさかクーがあんなことをするなんて」
元々人が少ない神居の中、自ら看病を買って出てくれたクレオメルンが苦笑と共にそう言った。
クーは被った不毛布団を口元まで上げる。正直、今になってとんでもないことをしたと後悔している。カッなったとは言え、神居の中で、しかもリオン相手にだなんて。
「ごめんなさい。クレオメルン様にもご迷惑をおかけしてしまいました」
「いや、私は気にしていない。ただ驚いただけだ。クーにも、そしてリオン様にも」
「そう言えば、クレオメルン様は以前リオンさんに憧れているとおっしゃっていましたね」
クレオメルン・シレ――偉大なる使徒の血を継ぐ少女は、クーにとっては雲の上の人であると同時に数少ない友人で、そんな彼女は以前騎士として、同じ騎士であるリオン・シストラバスに憧れていると言っていた。
「リオン様の太刀さばきを以前見たことがあったんだ。同年代なのに、その実力は私なんかとは比べものにならない程に洗練されていた。あのときの気持ちはこうして出会った今も変わらないが、やはり彼女も一人の人間だったと言うことか」
「そうですね。私も思い描いていた竜滅姫様の印象とは少しだけ違っていました。それでも、リオンさんがとても素晴らしい方だということに変わりありませんが」
「ああ。まさしく、あれが私の目指すべき姿だと思えた。どのような形であれ、手合わせできたことがとても嬉しい。こんなことを言うとクーには悪いかも知れないが」
クレオメルンがリオンと戦ったなら、それは指名手配の件から派生してのことだろう。
失敗をかなり気にしている彼女は、改めてそのことを詫びてきた。
「すまなかった。彼――ジュンタ・サクラがクーにとって、これほどまでに大切な人であるというのに、私は彼に酷いことをしてしまった」
「それは私に謝ることではありませんよ。謝るのでしたら、きっとご主人様にでしょう」
「そうかも知れない。ここは責任を取って彼の捜索に手を貸したいところなのだが……近衛騎士隊隊長としての身分が、それを許してはくれない」
「何かあったのですか?」
「ベアル教のアジトの一つが見つかったという情報が入った。私たちズィール聖猊下の近衛騎士隊は、その討伐に向かう予定になっている。出発は今日の夕刻――当分聖地には戻ってこられないだろう」
およそ半年ほど前にクレオメルンは、先代より使徒ズィールの近衛騎士隊の隊長職を譲られた。
クーが巫女であることを最優先とするように、クレオメルンは騎士隊の隊長であることを最優先しなければならない。それは当然で、気にするべきでも、咎めるべきことでもない。
しかし当の本人は酷く気にしたように拳を握り、
「私はジュンタ・サクラの捜索には付き合えない。フェリシィール様が言っていた。もしも私が任務を放棄して捜索に加われば、父さ――ズィール様に気付かれてしまう。そうしたら聖殿騎士団を自由に使えないことになりかねないから、私にはズィール様に内緒のまま付いていって欲しい、と。……責任を取れないなんて、なんて恥知らずなんだ。私は」
「クレオメルン様。大丈夫です。ご主人様は、私が必ず見つけますから」
ベッドから起きあがったクーは、強く握られたクレオメルンの手を、優しく上から握る。以前ジュンタからされた、安心できる温もりを伝えるように。
「ですから心おきなく、自分の担った役目を果たしてきてください。クレオメルン様の夢、私にはとってもわかります。応援していますから、がんばってください」
「クー……ありがとう」
ようやく笑みを取り戻したクレオメルンは、しかしそれでも出発前で忙しいだろうに、準備には戻らなかった。
「あの、私のことは本当に大丈夫ですから、準備に戻ってくださって結構ですよ?」
「いや、それはできない。リオン様にちゃんとクーのことを見張っておいてくれと頼まれているんだ。そうしないと、クーはきっと脱走するから、と。そんなことしないと私は信じているんだが」
クレオメルンの言葉に、クーは笑顔のまま表情を固まらせる。
図星だった。
◇◆◇
どこか華やいだ雰囲気のある洋服店の隅に設置された、板と布とで仕切られた試着室の中で、ジュンタは布の向こうにいるスイカと最終確認を行っていた。
「それで、結局ベアル教のアジトはどこにあるんだ?」
すでに昼を回った時刻だが、肝心要のそのことを、ジュンタは未だ聞いていなかった。
「いい加減教えてくれてもいいんじゃないか? 今日の夕方に踏み込むとか言ってたけど、まさかそれまで教えてくれないわけじゃないだろ?」
「まさか。なんだかんだで言うタイミングを逃していただけ。ジュンタ君が何かとヒズミと遊んでいるから、なかなか言い出せなかったんだ」
「それはヒズミが悪い。ことあるごとに遊んで欲しいって近寄ってくるから」
「待て。いつ誰かそんなことを頼んだよっ!?」
スイカと話していると、隣の試着室に入っているヒズミが会話に乱入してきた。
「全部お前が姉さんにおかしなちょっかいを出すのが悪いんだろ? そもそもお前の所為で、こうしてこんな場所でこんな風な展開になってるんだからな! それが分かってるのか!?」
いつにも増して不機嫌な声で、それでいてちょっと涙をにじませたような魂の叫びを放つヒズミ。ジュンタはその言葉に全力で同意を示す。
「ほんと、どうして試着室なんかに入ることになったんだろうな……一体、これは誰が悪い? 俺が悪いのか?」
「ほら、こういう感じで話題が逸れていくんだ。ヒズミ、構って欲しいのは分かるけど、あまり話の腰を折らないでくれ」
また脇道にそれようとした会話を、ピシャリとスイカが戻す。
「……納得いかない。姉さんに言われるところが、特に納得いかない……」
ヒズミが何やらぶつぶつ文句を言っているがスルー。スイカの言うとおり、いい加減本題に入って欲しかった。
「で、ベアル教のアジトはどこにあるんだ? この聖地の中にあるんだろ?」
「難しいな。アジト自体は聖地の中にはないけど、その入り口は聖地の中にあるんだ」
ゴソゴソとスイカは、試着室の外で洋服を選びながら話を続ける。傍目から見たら服について相談しているように見えるだろう。服を選んでいるのは、そういう偽装のためだと思いたい。
「わたしたちが突き止めた情報によると、ベアル教のアジトは聖地近くの地中の下にあるらしい。そこへの入り口は巧妙に隠されていたんだけど、苦節半年、ついに入り口のある教会の居場所を突き止めたんだ」
「教会か。聖地の中にベアル教だって分かる教会は作れないから、聖神教の教会に偽装してるんだな。確かに、ここで一番隠しやすい建物は教会に間違いない」
「そういうこと。その教会は、ちょうどラグナアーツの北門の辺りにある。特に名前もついていない、あえていうなら神父の名前をとってレイフォン教会と呼ぶべき小さな教会だ」
「その教会に突入するのは夕方なんだよな? 何か理由があるのか?」
「うん。やっぱりわたしたち三人だけで、どれくらい敵がいるのか分からないベアル教のアジトに侵入するのは厳しいから。実は聖殿騎士団に匿名で情報を流しておいたんだ。アジトのことは話してないけど、その近くを騎士団の団体が通るようにし向けておいた」
「それってつまり、騎士団を囮にするってことだよな?」
「囮というよりはエサかな。ベアル教は聖神教を目の敵にしているから、様子見のために、必ず少なくない数の人員をアジトの外に出すはずだ。そして手薄になったところをわたしたちが叩く。夕方なのは騎士団の出発が今日の夕刻だからなんだ――うん、やっぱりジュンタ君にはこれがいい」
一通りの話を終えてから、スイカが試着室の布の隙間から一着の服を差し出してきた。
ジュンタはそれを受け取って、無言で口角を震わせる。
宿屋で昼食をとってあとこの洋服店にやって来たのは、指名手配されて目立つジュンタを変装させる目的でだった。
ここまで来たときのようなフード姿では、やはり少しだけ目立つ。かといってフードを取ったら指名手配犯として追いかけられる。二つを解決するために、フードで顔を隠す以外の変装案が取られたのだが……
「それでヒズミにはこれだ。やっぱりこれしかない」
「うぐっ……こ、これは……」
ジュンタだけではなく、スイカは隣のヒズミに対しても洋服を差し入れた。
洋服を受け取ったヒズミが、蛙が潰れたような呻き声を上げている。甚だジュンタも同意だった。ただ、悲鳴すら忘れて唖然となってしまったが。
「ど、どうして僕まで変装を。変装するのはサクラだけでいいだろ!?」
「なっ、ヒズミ! お前裏切る気か!?」
「裏切ってない! そもそも僕が変装する理由がない!!」
「いや、理由ならある」
試着室の壁を挟んでの見苦しい口論に発展しそうになったところを、妙に威厳のあるスイカの声が止めた。
布の向こうにいて姿の見えないスイカは、やけに説得力のある深い声で説明を始める。
「確かにわたしとヒズミは使徒と巫女として聖地に来てから、まだ七年ほどしか経っていない。その間公務にもほとんど参加していないから、名前はともかく姿は民衆にも露見していない」
「なら別に変装しなくていいだろ? このままで十分だ!」
「相手が普通の民間人ならそれでいいけど、ここは聖地ラグナアーツ。聖神教の総本山だ。街の中で、偶然にわたしたちを知っている人と出会わないとも限らない。きっと秘密裏に捜索隊が出されているだろうし。
ヒズミも知ってのとおり、今回の件は秘密裏に絶対成功させたいことだ。不安要素は最小限まで切り落とす必要がある。ジュンタ君だけじゃなく、わたしとヒズミの変装も必要だ。うん、そうに違いない」
最後のあたりスイカの声は完全に楽しんでいた。間違いなく、建前以上に本音ではこの展開が楽しいからに違いない。そしてシスコンのヒズミにとっては、建て前以上にスイカが楽しそうなことが決め手になったのでした。
「分かった。分かったよ! 分かりましたよ! すればいいんだろう、すれば!」
やけくそ気味に叫んで、ヒズミはゴソゴソと盛大に服を着替え始めた。
「ああくそっ、やりますよ! やらせていただきますよ――――女装をさぁ!」
「…………女装か……」
ヒズミの叫びに、ジュンタは自分の手の中にある服を改めて観察する。
ヒラヒラがたくさん着いたワンピースだ。どこからどう見ても水色のワンピースだ。どの常識に当てはめて考えてみても、女性が着るワンピースだ。さらに下を見れば、そこには先程放り込まれたウィッグとコルセットなどがある。
コルセットは細いウエストを無理矢理作る物であり、ウィッグは無論被る物。
ウィッグはなんの因果か、いつぞやと同じ黒髪の縦巻きロールだったりして、もう何がなにやら。いつから縦ロールは呪いのアイテムになったのだろうか?
「ジュンタ君。まだ着替えは終わらないのか?」
「そんなワクワクした声で言わないでくれ。こっちは男の尊厳を賭けた葛藤の真っ最中なんだから。……ああくそっ、クーとプライドが釣り合うわけないだろうが!」
ジュンタは男の尊厳とクーの早期発見を天秤にかけ、ヒズミに続いてやけくそ気味に着ていた服に手をかける。
「ありがとうございました」
店員の言葉を背にしながら、洋服屋から並んで二人の少女……の姿をした少年が出てくる。
二人ともが泣いているような、怒っているような、嘆いているような、絶望しているような複雑な表情をしている。背中には哀愁が漂っていて、時折意味不明な笑い声を口から垂れ流している。
そんな変装という名の女装を遂げたジュンタとヒズミの後ろから、これまた申し訳程度の男装をしたスイカが出てきた。
「なんだ、二人とも。まだそんなに落ち込んでいるのか?」
ダークスーツに似た洋服を着て、長い黒髪をポニーテールに結んだスイカは、高い身長と中性的な容姿が相成って、見目麗しい美少年のように見えなくもない。が、その隠しきれない豊かすぎる胸がスイカを女性であることを如実に物語っていた。
それに比べ――ジュンタは視線を隣の、半泣き顔のヒズミに向ける。
(恐ろしい。完璧に女に見えるぞ、ヒズミ)
元からスイカに似た中性的な顔立ちだった彼は、物の見事に女の子に変身していた。
子供っぽくてがさつなスイカ、と言う感じである。長い黒髪のウィッグでツインテールを作り、長いスカートがどこか背伸びをしているように見えて微笑ましい。
そうやって、ジュンタが視線を同類に向けて自分の姿から意識を逸らしていると、無邪気な悪魔が後ろから声をかけてきた。
「しかし、ヒズミもジュンタ君も、その格好がとてもよく似合っているな。うん、とってもかわいいと思う」
「あぐっ!」
スイカの一言にヒズミが悲鳴をあげ、一筋涙を零す。その一粒に込められた男としての矜持を思うと、似合いすぎていることがなおさら笑えない。
顔を真っ赤にしてその場に膝をつくヒズミは、恨めしい瞳をジュンタに向ける。
「お前が、お前がいた所為で僕までこんな目にあってるんだ。どうしてくれるんだよぅ……?」
「俺だって同じ目にあってる。俺だけが悪いみたいに言わないでくれ」
「そう言う割にお前は平気そうじゃないか……もしかして常日頃からこういう格好をしてるんじゃないだろうな?」
「よ〜し、ヒズミ。お前は今言ってはならない言葉を口にした。誰が好きこのんでこんな男の尊厳を踏みにじるような格好をしましたか? ここに至るまでの俺の葛藤をその肉体に直接叩き込んでやろうか?」
ボキボキと笑顔で殺気を飛ばすジュンタの格好も、ヒズミとそう変わらない女女した服装だった。
どこかエプロンドレスっぽい水色のワンピースに白色の上着。長い黒髪縦ロールで、眼鏡は外して胸ポケットにいれている。その胸が僅かに膨らんでいるあたりがとてつもなく空しい。
「ヒズミ、不用意な発言は控えた方がいいぞ? 自分自身にもダメージがあるんだ、こういうのは」
「そうみたいだな……悪かった」
意地っ張りなヒズミすら素直になる辺り、自分の格好は直視できない感じなのだろう。かわいいとか似合っているとかとは、もう別次元の問題で。女装を強要された男同士にしか分からない感覚なのである。
起きあがったヒズミは自分の姿から目を逸らして、一人その金色の瞳を隠すためにサングラスをかけたスイカを見る。彼女の武器である長い棒も手伝って、ちょっと怠惰で悪っぽい感じがする。それがよく似合っているのが意外と言えば意外だった。
「姉さん。取りあえず、夕刻になるまでどこか人気の全くない辺りで休んでよう。むしろ休ませてください」
「それは俺からもお願いしたい」
ジュンタもヒズミに同意して、視線をスイカに合わす。
スイカは二人の視線を受けて、ポッと頬を赤らめた。
「そ、そんな目で見ないで欲しい。なんだか妹が二人できたみたいで、照れてしまうじゃないか。――よしっ、分かった。ここはスイカお姉ちゃんに任せておくといい」
なんだかよく分からないスイッチを押してしまったらしく、スイカは目をキラキラ輝かせながらドンと胸を叩いた。
ジュンタはヒズミと顔を見合わせて、こんな時どんな顔をしていいか分からず、同じタイミングで溜息を吐く。
その時、ゾクリとジュンタは背筋を寒くさせる視線を感じた。
そちらへ視線を向けてみると、そこには聖地にいるにしては粗野な外見と雰囲気をした、三人組の男たちがニヤニヤと笑ってこちらを見ていた。
「なんだ、あいつら?」
「嫌な目でこっちを見てるな」
明らかにこちらを意識している彼らにジュンタが眉を顰めると、虚ろな目をしたヒズミも彼らに気が付いた。
「どうかしたのか?」
スイカも気付いたところで、彼らは目の前まで近寄ってきた。
敵か――ジュンタとヒズミは、スイカを守るように互いの距離を詰める。
「すみませんが、何か用ですか?」
「用って言うか、まぁ、用だな」
ジュンタが真ん中にいてリーダー格っぽい、は虫類みたいな男に声をかけると、男は軽薄な笑み強くする。
「お嬢さんたち、なんだか暇そうだね? というか暇だろ?」
「そうそう。珍しい黒髪で、とってもかわいいね。三姉妹かな?」
「もし良かったらお兄さんたちといいことして遊ばない?」
『は?』
「何?」
頭の悪い台詞を聞いて、ジュンタとヒズミは揃って口をポカンと開け、スイカは眉を顰める。
「………………あ〜、悪い。なんだって?」
口をパクパクさせて、もう思考が真っ白になっているっぽいヒズミよりかはマシだったジュンタは、痛そうにこめかみを指で押さえながら確認を取ってみる。
男たちは下品な笑いを止めることなく、
「なに? 焦らしてんの? 遊ぼうぜってことだよ」
「……そうか。つまり、お前らはナンパしてるのか…………男のお前らが、男の俺を」
最悪だ。最低最悪だ。これまでの人生においても最悪の経験だ。まさか男にナンパされる日が来ようとは…………ストレスの発散口見つけました。
「ふっ、ふふっ、これは許せるかヒズミ? 俺はちょっと無理っぽいけど?」
ぞっとするような笑みを浮かべ、ジュンタは双剣の柄に手をかける。
同じく、袖口から棒を取り出し炎の弓へと変貌させたヒズミは、狙いを目の前に定めたまま口角を吊り上げる。
「冗談、許せるはずないね。ああ、許せるもんか」
「二人がそう言うなら、わたしも手伝おう。お姉ちゃんは弟――じゃなく、妹を守るものだから」
さらには棒を構えたスイカも加わったところで、哀れにも、ナンパをしてきた三人組の明日は真っ暗になることが決定した。いい気味だ。
「あ、あれ?」
「え?」
「な、何この展開?」
ガクガクと震えながら寄り添う三人組に対し、ジュンタが笑顔で、ヒズミが泣き怒りで、スイカが照れた表情でそれぞれ告げる。
「このトラウマになりそうな悪夢をなかったことにするために」
「悪いけど、いや、全然悪いとも思ってないけど、君たちにはここで消えてもらうから」
「そういうことだ。潔く散ってくれるとわたしは嬉しい」
『ひ、ひぃいいいいいいっ!!』
男たち三人の悲鳴が聖地に木霊する。
哀れな子羊に八つ当たりを終了させたジュンタとヒズミは、取りあえず夕刻までその姿で過ごしても問題ない程度には、色々と受け入れることができたのだった。
◇◆◇
空が赤く染まったのを確認して、ジュンタたち三人は本格的に動き始めた。
変装した状態で通りを歩き、一路聖地ラグナアーツの北門へ。そこからすぐ傍にあるという、ベアル教のアジトへと続く入り口である教会を目指す。
スイカが前もって話していたとおり、件の教会は北門のすぐ近くにあった。
何の変哲もない、見るからに普遍的な教会と言った感じだ。ただ普通の教会と少しだけ違うのは、石造りの教会の横に、木でできた大きめの家屋がくっついていることか。
教会の礼拝堂の入り口を見ることができる、街中を流れる水路にかかった橋の、その下部分の石段へと姿を隠し、三人はつぶさに教会を観察する。
「聖殿騎士団が動くのは、アーファリム大神殿にいたときに聞いたから間違いない。どこが動くかはわからないけど。後は首尾良くベアル教が彼らを追って行ってくれるかだけど……」
「どっちにしろ、僕らが侵入するのは変わりないし、僕らが負けることがないのも間違いないんだけどね」
スイカとヒズミの二人が踏み込むタイミングを見計らっている。
計画では、先程北門から出て行ったと思しき聖殿騎士団が、街の近くにあるというベアル教のアジトの近くを通るのに対し、警戒のためにアジトの外にベアル教が団員を配置したら踏み込む手はずになっている。
ベアル教を隠匿する、聖神教を裏切った教会の礼拝堂に踏み込み、そこにあるだろう秘密地下通路から一気に突入するのだ。二人は自分たちの大切なもののために。ジュンタはクーを捜すために……でも、あまりにこれは悲しい真実だった。
(ここが、ベアル教に手を貸している教会……なんでだよ、神父さん)
視線の先にある教会は間違いなく、この聖地ラグナアーツに辿り着いてから数日宿を貸してもらった、人の良い神父が経営する教会兼孤児院だった。それはつまりあの優しい神父が、ベアル教に手を貸しているということになる。
作戦決行を前にして、無言でジュンタは背中にくくりつけた二本の剣の柄を握りしめる。
すでに女装は解いて、服は纏めて橋の下に置かれている。できれば悪い悪夢として水路に流したかったが、スイカによって止められてしまっていた。
すぐにでも戦闘に移れる体勢だ――でも、心の方は動揺している。隠しきれないほどに。
しかし時はジュンタの心の葛藤を待ってはくれない。
「来たっ!」
スイカの声が響くのと同時に、教会の扉からフードとローブ姿の人間たちが出てきた。その数十数名。間違いなくベアル教の信徒だ。
「これで確定したな。あそこがベアル教と繋がっている教会だ」
「よしっ、それじゃあ行こうか。アレを手に入れるために」
二人が勇んで橋の下から、橋の上へと躍り出る。躍り出て、未だ橋の下にいるジュンタにスイカが不思議そうな眼差しを向けた。
「どうかしたのか? ジュンタ君」
「なんだよ? 今更怖じけ付いたのか?」
「……いや、大丈夫だ」
どうしてあんなに子供のことを大切にしていた人が、ベアル教に関わっているのかとか、そういうのを悩むのは止めにしよう。ここには大切なものを捜しに来たのだから。
「行こう。クーを見つけに」
決意として、ジュンタは橋の上に跳び上がると、先頭を切って教会へと向かった。
教会の扉に辿り着くと、まず真正面にジュンタが。礼拝堂の中からは見えないように、それぞれ得物を手にしたスイカとヒズミが扉の両側につく。決して打ち合わせしたわけではなかったが、自然とそんな配置関係になった。
「礼拝堂から奴らが出てきたのを見るに、間違いなくこの礼拝堂の中に秘密の入り口があるはずだ。それはわたしたちではすぐには見つからないだろう。外に出た奴らが戻ってくる前に全てを終わらせたい」
「つまり?」
「この中にいる、確実に入り口の居場所を知っているだろう、ここの神父を問い詰める。実力行使も止む無しだ」
「了解」
スイカの指示をもらって、ジュンタは扉を開け放つ。
錆びなく大事に扱われている扉は、音もなく開く。
薄暗い教会の中に夕陽の明かりが入り込んだことにより、中にいた神父は来訪者が来たことに気付いた。
扉に背を向けて、祭壇を前にして何かをしていた神父は、慌てた様子で振り返る。
「これはこれは、どちら様でしょうか?」
「俺です、神父さん」
「おお、ジュンタさんではないですか。昨夜は帰ってこられませんでしたので、心配していましたよ。ご無事で何よりです」
警戒した表情から一転、柔和な笑顔に戻る神父。彼と面識あることにヒズミが睨みをきかせてくるが、それを片手で制し、ジュンタは真剣な顔で礼拝堂の中に歩を進めた。
「神父さん。あなたに訊きたいことが一つあるんですが、もしよろしければ答えてくれませんか?」
「私に聞きたいこと? ええ、私に答えられることなら何でも答えましょう」
「それはありがたいです。じゃあ――」
最後の一歩は大きく早く、ジュンタは神父の前に立ち、その両肩を掴む。
「――教えてください。ベアル教のアジトへと続く、秘密の入り口の在処を」
そう尋ねた瞬間、神父の顔が驚愕に歪んだ。
「な、何をおっしゃいますか? 私は、ベアル教のアジトなど……」
「偽らなくても大丈夫ですよ。もう、確証もあります。神父さんにお願いすることは、ただ入り口の場所を教えてもらうことだけです。……教えて、くれませんか?」
「…………」
視線を背けた神父はそのまま黙り込む。それだけで抵抗したりとか、逃げたりはしない。殊勝な態度は聖神教の神父らしく、だからこそ次の彼の言葉をジュンタは疑わなかった。
「……分かりました。元より、そう長い間隠し通せるものではありません。お教えしましょう。肩を離してもらえますか?」
何かを諦めたように、吹っ切ったように笑って、そう神父は言った。
「離すなよサクラ。離した瞬間抵抗されたり、自殺されたりしたらたまったものじゃないからね」
そう言って礼拝堂の中に入ってきたのはヒズミ。それに続いて、スイカも無言で入ってきて、後ろ手で扉を閉めた。
新たにやってきた二人を見て、しかし神父は一切動じたりはしない。
「抵抗も自殺もしません。もちろん、ベアル教のアジトへと続く入り口の在処もお教えします」
「その物わかりの良さ、逆に怪しすぎるね。信じられないっていうんだ」
「ちょっと待てヒズミ。俺はこの人が騙したりするとは思えない。ここは任せてくれないか?」
「何を――」
「ヒズミ。ここはジュンタ君に任せよう」
なおも否定の言葉を続けようとしたヒズミを、スイカが制す。そしてジュンタに向かって、一つ頷いた。
ジュンタも頷き返し、両手を神父の両肩から離し、一歩下がった。
「それじゃあ教えてもらえますか? 入り口の場所を」
「はい。こちらです」
神父は僅かの距離を移動する。そこは祭壇の前――リオンが歌を歌ったりしていた、説経壇のすぐ横だった。
神父は説経壇の前でしゃがみこむと、何やらコツコツと床を叩く。
すると光の線が丸く説経壇の上を走り抜け、ゴゴゴゴという音を立てて、説経壇が横にスライドし、中から地下へと続く階段が現れた。
「この先がベアル教のアジトへと続く入り口になります。階段を下りますと、街の外へと伸びた長い地下通路に出ます。その先にベアル教の最高導師――ビデルのいるアジトは存在します」
「この先だってさ。行こう」
立ち上がった神父の言葉をジュンタは迷うことなく信じ込み、それにスイカは同意し、ヒズミだけが疑うような表情をしていた。
「……解せないな。これが本当に入り口なら、あまりにもこいつの態度が分かりやすすぎる。神聖教からベアル教に枕替えした奴が、本当にそんな風に教えられるものなのか?」
「この人は信用できると俺は思う。そんなに疑うならヒズミ一人ここに残って、他に入り口がないか探せばいいんじゃないか?」
「馬鹿言うなよな。おい、お前。どうしてこんなに軽々と入り口を教えたんだよ? お前もベアル教の一員なら、これは仲間を売る行為だろ?」
神父の人と柄を知らないヒズミが、ある意味当然のこととして質問をぶつける。
神父はしばし目を伏せたあと、訥々と語り始めた。
「……私がベアル教に手を貸していたのは、別に神聖教が嫌になったからではありません。むしろ今でも私は神聖教を、使徒様を信じています」
「神父様。それならなぜベアル教に?」
スイカの問い掛けに、神父は視線を礼拝堂から家屋へと続く扉の方へと向けた。そちらには親を亡くした子供たちがいることを、ジュンタだけが知っていた。
「信仰は変わりません。いえ、こんな私が信仰を口にするのはおこがましいですが……私はベアルの神などは信仰してはいません。ですが、私には子供たちを養っていくだけのお金が必要でした」
「子供たち……ここは孤児院も兼ねてるのか?」
ヒズミに対し、ジュンタは頷いて答える。心の中では、神父がベアル教に手を貸さざるを得なかった理由が、すでに理解できてしまっていた。
「私は、元はジェンルド帝国の地方貴族でした。ですが内乱の中で土地を追われ、この地へと逃げ延びてきたのです。ここで私の前にこの教会の神父をしていた人に拾われ、こうして神父になりました。孤児院を兼任したのは、かつては彼らを虐げた側にいた者としての、贖罪からでした」
「元ジェンルドの貴族か。なら、経営が上手く行かなくなるのも当然だね。あそこで金を稼ぐってことは、つまり人を殺すか、奪うかってことだしさ」
辛辣に言い放ったヒズミの言葉に、もう神父は何も言わなかった。
ヒズミは不機嫌な顔のまま、ちっと舌を鳴らし、疑っていた地下への階段へと歩を進めた。途中階段の様子を探ったりとか、そういう仕草は一切見られずに地下へと消えた。
「まったく、素直じゃないな」
そんな弟の意地っ張りなところに笑みを零しながら、スイカも階段を下りる。
ジュンタも神父に一礼し、それから二人の後を追って階段へと足を踏み入れる。そこへ――
「ジュンタさん。あなたはどうして、騙していたこんな私を信じてくれたのですか?」
背後から、そんな声がかけられた。
ジュンタは上半身だけが礼拝堂の床の上に出た状態で足を止め、
「リオンは、ベアル教にとっては最大の抹殺対象らしいです。体調の悪いリオンがあなたの許に来たとき、あなたはベアル教の人間にリオンを差し出すことができたはずです。でも、あなたはそれをせずに部屋を貸してくれた。それが答えです」
「そうですか……こんなことを言うのもなんですが、あなた方がこうしてやって来てくれて、私は救われたような気がします。やはり、これ以上子供たちに嘘はつけない。全てを聖殿騎士団の方にお話しすることに致しましょう」
完全に吹っ切った笑みで言った神父に、ジュンタはかける言葉が見つからなかった。
子供たちのため――そうだとしても、彼がこの聖地において罪と呼べるものを犯したのは間違いない。ここがアジトへの入り口だったとしたら、この聖地であったベアル教のテロ行為の出発点となっていたはずだ。
温情をかけるべき要素はあったとしても、その罪自体を許すことはできない。
それが分かったから、それを分かっていながら自首すると決めた神父がいたから、もう言葉は出なかった。
「どうかお気を付けて。あなたに使徒様の加護がありますように」
「はい。色々とお世話になりました。あのスープ、とってもおいしかったです」
祈ってくれた神父に頷き返し、ジュンタもまた、階段を下りていく。
「やはり悪はこの世には栄えません。裁きの時は、やってきましたか」
去っていった若者たちを見送り、神父は入り口を閉じる。
張りつめていた緊張を解き、どっと出た疲れに聴衆席へと歩いて腰掛ける。
そこへコンマのタイミングで教会の扉が開かれ、大事な子供の一人が顔を出した。
「神父様。そろそろご飯の時間だけど?」
孤児院にいる子供の中では年長のヨシュアであった。
ヨシュアは神父が椅子に座っているのを見て、礼拝堂に足を踏み入れる。
「どうかしたの、神父様? もしかして調子が悪い?」
「いいえ、大丈夫ですよ」
「それならいいけどさ。じゃあ、ご飯食べようぜ! 俺、腹ペコペコだよ!」
心配をかけたくないので誤魔化すと、ニッとヨシュアは笑って食堂へと駆け去っていこうとする。
その背を見て、その誘いを受け、神父は悩む。
できることなら立ち上がり、子供たちと一緒に夕食を食べたい。子供たちと、これで最後になる時を一緒に過ごしたい。それは偽らざる、今一番の願いである。
しかし若者たちは悪を正しに行き、そして自分には贖罪と言う名のやり残したことが残っている。
先程入り口を出て、外へと消えたベアル教の信徒たち。彼らが戻ってくることがあったならば、何としてもアジトに戻すことだけは防がないといけない。
「神父様?」
扉を開いたヨシュアが、心配そうな、不思議がっている表情をする。
神父は静かに決意を固め、微笑みを子供に向けた。
「私は少々やり残したことがあるのでね。夕食は後で食べます。みんなで先に食べていなさい」
「え? でも……」
「お腹が空いているのでしょう? 遠慮をすることはありません。ただ、大切な用ですので、私が行くまでは決して礼拝堂に近寄っては行けませんよ。いいですね?」
「う、うん。分かった。それじゃあ……」
ヨシュアは納得して礼拝堂を出ようとして、だけどその前に、寂しそうな表情で振り返った。その顔は最近まったく見なくなった、彼を教会の前で拾ってすぐの頃に浮かべていた、あの表情に近かった。
「…………神父様は、いなくなったりしないよね?」
その一言は老骨にはとても堪えた。
例え子供であっても、親を亡くした彼には、やはりこの決意は分かってしまうのか。ここで来るかも知れないベアル教の信徒を待つことは、アジトに戻ることを止めるのは、それ即ち命すら賭けるということだ。
こんな悪道に走った老骨の命など惜しくないと思っていたが……ここで初めて気付いた。自分がいなくなっても大丈夫なくらいの知恵は授けておけたが、しかし彼らにとってはこれが二度目の『親』の死になるかも知れないことを。
「そうか…………これが、本当の私の罪か……」
神父は自分が犯した罪の重さに、自覚を持った。
持って、精一杯にいつも通りを心がけて笑った。
「いなくなりませんよ。私は、ヨシュアたちの親代わりなのですからね」
「そっか。そうだよなっ!」
ヨシュアは照れくさそうにはにかんで、元気いっぱいに礼拝堂を後にした。
神父はそれを見送って、誰もいない静かな礼拝堂で、祭壇の天馬アーファリムの像へと手を組んで祈りを捧げる。
「使徒様。神へとこの祈りを届かせたまえ。罪深い私にも祈ることが許されるのならば、罪のないあの子たちに――私の大切な子供たちに、どうかあなたの祝福を」
目から涙が一筋零れた。
◇◆◇
さぁ、準備は整った。後は目標を目指して前進あるのみ――夕刻、その段階にようやく至ったリオンは、背後から突き刺さる視線に若干怯えていた。
現在、ジュンタを探すためにアーファリム大神殿を出発して三十分。
大切な主を捜しているというのに喜ばず、背後の少女が罪悪感を覚えさせる視線を向けてくるのは、捜索開始が結局夕刻になってしまったからだろう。
「お昼……出発はお昼だと言いましたのに、夕方……もう夕方です……」
クーから、そんな悲しみに満ちあふれた呟きが聞こえてくる。
リオンはタラリと冷や汗を浮かべ、振り返る。
「何をそんな文句ありたげに睨んでますの? 言っておきますけど、これが最善策ですのよ? ちゃんと捜索に出していた騎士たちからの報告を参考にして、ジュンタが今いる場所を絞り込んでますもの」
「……どこなんですか?」
「そうですわね…………まぁ、少なくとも、人気のある場所にいないのは確かですわね」
「それは何も分かっていないと言うのではありませんか?」
「………………………………そうとも言うかも知れませんわね」
顔を背けて伝えると、クーはふらりと卒倒しかける。ちゃんと休んで体力は回復しているので、きっと悪い想像でもしたのだろう。
「ああ、ご主人様っ、あなたは今どこにいらっしゃるのですか?」
「そ、そんな涙目で見つめてはいけませんわ。仕方ないではありませんの。聖殿騎士団が思っていたより捜索には使えなかったんですもの。我が家の騎士たちならば、まず確実に絞り込みが行えていましたのよ?」
「そうですね。きっとそうです。リオンさんならやれていたはずです。ただ今回はちょっと失敗してしまっただけなんですよね」
「なんだかその言い方、ジュンタみたいですわ。まったく心配性ですわね。安心なさい。確かに作戦としては失敗したかもですけど、私の最大の切り札はまだ残ってますもの」
「切り札ですか?」
「そう、切り札ですわ。即ち神に愛されし私の勘、ですわ」
「…………勘、なんですか? 分析とかではなく?」
「そう、勘ですわ。私ほどの幸運の持ち主ともなれば、それが一番効果的ですのよ。そうですわね、きっとジュンタは――」
愕然とした表情を向けてくるクーに、リオンは自信満々に言い放った。
「――私共々一度お世話になった、あの教会に保護をお願いしているはずですわ」
そこしか候補が上げられないのでは? とは、クーは言わなかった。
むしろ言えないほどにショックを受けているようだった。
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