Prologue


 

 聖地ラグナアーツの東巡礼都市イーストラグナ。
 エンシェルト大陸外からの巡礼者や商人を集める港町でもあるそこには、聖神教の敵と定められた重罪人を投獄するための大監獄ロッケンシュリマー――通称『神罰の監獄』が存在する。

 港からだいぶ離れ、周りを海に囲まれた巨大な監獄には、聖殿騎士団の見張りが年中無休で立ち、どれほど凄腕の罪人でも逃げ出せないようになっていた。特別な移送方法で運ばれるために移送中の逃走も不可能であり、まさにこの監獄へと連れてこられた時点で、罪人の終焉は約束されたも同然なのである。

 そんな背景があるとはいえ、別に彼らは油断をしていたわけではなかった。

 今回移送されていた張本人であるウェイトン・アリゲイの眼から見ても、彼らの見張りとしての腕は優れていた。だから今全員が息絶えているのは、一重に襲撃者の力量が桁外れだった。ただ、それだけなのだろう。

「ウェイトン・アリゲイだな」

 眠らされていたウェイトンが石造りの通路内で眼を覚まし、自分がロッケンシュリマーの中に入ったことを確信した瞬間にやってきたのは、白い仮面をつけた長身の男と、瞼を閉じたままの美しい女の二人組だった。

「これは……驚きました」

 二人はどこからともなく出現すると、その場にいた十名近い騎士たちを、悲鳴一つあげさせる間もなく殺害してみせた。いや、本当に殺したのかすらウェイトンには分からなかった。女が手を振った瞬間全員が倒れたのだから、何か魔法でも使って眠らせただけかも知れない。

(いえ、そんな方法など今は考えるべきことではありませんね)

 汚れた金糸の髪を左右に振って、混乱していた思考を戻す。

「必要ないとは思いますが、一応自己紹介をさせていただきます。私はウェイトン・アリゲイ。ベアル教の導師をさせていただいていたものです」

「知っているとも。ついに絶えた『純血派』の導師だな。
 単刀直入に用件を言わせてもらおう。ウェイトン・アリゲイ、我々の仲間になって欲しい」

「仲間、ですか? ええ、ここから逃げられるのでしたらそれは別に構わないのですが。私には生きる目的としてベアル教の導師でなければならないのです」

 一度は捕まったが、それでもウェイトンは未だドラゴンを信仰するベアル教の導師であった。仲間になって欲しい要求する、助けにきた得体の知れない二人のことは気にはなるも、それだけは曲げられない。

「助けていただけるのならば、相応の恩返しはしましょう。ですが、私はドラゴンへと至りたい。それがあなた方の仲間になることで不可能となるなら、例え殺されたとしても、私はあなたの申し出を断らせていただきます」

「大した信仰だ。しかし、それならば何の問題も存在しない」

 即答を返した仮面の男は、ほんの少しだけ、仮面からのぞく口元を歪める。

「なぜならば、我らもまたベアル教に属する者だからな。貴公の願いは、また我らも願いとするところ」

「ベアル教? ということは、あなた方はまさか……!」

「そう。我々はベアル教『改革派』。新たなる盟主に付き従う者。ウェイトン・アリゲイ、貴公には我らが大願を果たすための、大きな役割を担って欲しいと思っている」

 そう言われれば、このまま行けば処刑されるウェイトンには是非もなかった。

 自分が属していたベアル教『純血派』とは敵対に近い関係にあった『改革派』だが、それでも今やもう唯一のベアル教である。仲間になれるというなら、こちらから頭を下げてでもお願いしたかった。

「そう言うことならば、我が神に誓って、私もまた盟主様に忠誠を約束しましょう。して、役割とは一体?」

「何も難しいことではない。貴公がこれまでしてきたことの延長戦ともいえる。ドラゴンへの布石だ。貴公には、とある一つの封印を解いて欲しいと思っている」

 満足げに頷いた仮面の男がローブの裾から取り出したのは、黒い背表紙の本だった。
 それは聖神教に奪われたはずの、ウェイトンにとって何よりも大事だった品に相違ない。

「それは『偉大なる書』! なぜ、それをあなたが!?」

「それは貴公が気にせずともいいことだ。ここにこれがある。そしてこれが再び貴公の力となる。大切なのはそれだけのはずだ。違うかね?」

「それは……確かに」

 暗に聞くなと言われたウェイトンは、口を閉ざして『偉大なる書』を受け取る。書は待ち望んでいた持ち手を再び得て、どこか歓喜しているように怪しい光を発した。

『偉大なる書』の手触りに暗い瞳で笑っていたウェイトンに、耳を疑うような具体的な指示が下されたのは、次の瞬間だった。

「我らが新たなる同士ウェイトン・アリゲイ。貴公にはラバス村へと行ってもらうことになる」

「ラバス村――竜殺しの村ですか? 一体あのような場所で何を……?」

「言っただろう? 封印を解いて欲しい、と。指示はそれだけだ。向こうについたあとは貴公の好きにしてもらっていい。自分の部下を率いて、かの地で任務を遂行してくれたまえ。詳しい話は道中でゆっくりするとしよう」

 紳士的な態度で仮面の男はウェイトンを誘導する。視線を黙ったままの女に向けると、

「では、頼む」

「ええ」

 女は目を閉じたまま、右手を虚空に向けて差し出した。

 その手に、虹色の光が収束する。光はやがて一つの形となり、女の手に一つの本を握らせた。

 白い本である。本の体裁としてはウェイトンの持つ『偉大なる書』に近い。いや、色違いなだけで、それは『偉大なる書』そのままだった。白銀に輝く背表紙に、虹を輪郭に纏わせる白き獣の姿が描かれているところだけが違う。

 あり得ざる虹の魔力を内封する白き本を開いた女は、今度は左手を虚空に向けた。

 女の指の先。ウェイトンの眼前の通路に、暗い孔が穿たれる。
 音もなく、まるでそこに、深い深い深淵の孔があることが当然であるように。

「ああ。一つ言い忘れていた」

 本を閉じた女を見つめるウェイトンに、仮面の男がどこか楽しげな口調で告げる。

「ウェイトン・アリゲイ導師。彼女は今回の任務の提案者であり、我らに力を貸してくれている者だ。名を――

「自己紹介は自分で致しますわ」

 今まで無言で微笑んでいた女は、仮面の男に紹介を遮り、ウェイトンの前に立った。

 ウェイトンはその女に恐怖を抱く。まるで人としての本能が、目の前の女に恐怖を抱かずにはいられないように。が、恐怖心は女の名乗りを聞いて、すぐ様敬愛の念に変わる。それは本能すら覆すウェイトンの信仰心のなせる業であった。

「初めまして、ウェイトン・アリゲイ。ベアルの意志を継ぐ者よ」

 目の前の女は、誰よりもベアル教の悲願に届きそうだった女。誰よりも苛烈な狂気をもって、大いなる実験を企てた女。


――あたくしの名はディスバリエ・クインシュ。どうぞ、よろしくお願いします」


 ベアル教設立者の生き残り――『狂賢者』ディスバリエ・クインシュ、その人なのだから。









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