第十五話  不埒なる魔の手


 

 一刻も早く『不死鳥の湯』に戻り、異端導師と『狂賢者』の企みを食い止めるため走るリオンとトーユーズのかなり前方、ラバス村へと入る直前に、待ち人を待っているように魔獣の群はいた。

 ラバス村の人間に見つからない位置に隠れ潜んだそれらは、低級の魔獣ゴブリン――しかしそんなゴブリンも百匹以上集まれば、負けることはなくとも足止めは喰らってしまう。

「ウェイトン・アリゲイは、本当に私たちを『騎士の祠』に足止めするつもりでしたのね」

「ということは、すでに儀式は最終段階に入ってると考えていいようね。巫女オーケンリッターがいるんだもの、いくら『狂賢者』でもそう易々と侵入はできないだろうけど……」

「何がご心配な点でも?」

「そうね。『不死鳥の湯』が神殿っていわれて、あたしはまずどの部分が神殿たるかを考えたわ。そうなるとたった一つの場所しか思い浮かばなかったのよ。つまり、『封印の地』への入り口になりそうな場所は――

「大浴場の露天風呂、ですか?」

 前を行くトーユーズは頷く。彼女の疑問はまたリオンも思っていたことだった。

 トリシャが神殿の契約者であるならば、神殿が旅館『不死鳥の湯』であるのは間違いない。だが、あそこが神殿たる霊格を持っているかといわれれば首を傾げる他ない。

 確かに古の時代に『始祖姫』が訪れた由緒ある旅館ではあるが、建物自体は何度か補修されたと聞く。あの場所はアーファリム大神殿のような、『封印の地』の神殿とは考えにくい。

 しかし長く行方不明だった『狂賢者』が、再びベアル教に手を貸して動いているとなると、かなりの信憑性であの場所が『ナレイアラの封印の地』である確信があるという可能性が高い。リオンとしても、『不死鳥の湯』の建物自体は神殿とは思えなかったが、その源泉――『始祖姫』によって魔法がかけられたあの温泉だけは、そうである格があるように見えた。

「もしあの露天風呂が神殿なら、神殿破壊の方法は取れないわよね。それはつまり、あの水源全てを蒸発させるってことだもの」

「だからトリシャ婆やに手を出しましたのね。どういう方法を用いて『封印の地』に風穴を開けるかは分かりませんけど、すぐにでも食い止めなければ。巫女オーケンリッターが喰い止めてくれているうちに、なんとしても!」

 自分たちは敵の狙いである『不死鳥の湯』からまんまと引き離されてしまったが、それでもあの場所にはコム・オーケンリッターを筆頭とした強者がいる。そう簡単に侵入はできまい。

 だが、トーユーズは不安を拭いきれないようだった。
 いつもの余裕ある表情はそのままに、しかし内心では小さな焦りを抱いているように見える。

「……もしも『狂賢者』の狙いが大浴場なら、崖側から侵入されるルートもあるわ。そうなった場合、いくら巫女オーケンリッターでも察知できない可能性もある」

「それは……気が付いたときにはすでに儀式は施行され、背後より魔獣の大軍やドラゴンが飛び出して来るということですわね。想像を絶する光景に間違いありませんわ」

「そうなりかねないあたり、今回は本気でまずいわ。急ぐわよ、リオンちゃん」

「はい!」

 トーユーズの言葉に強く頷くリオンだったが、それでも足は今でも全速力だった。

 しかしトーユーズはどうやら違ったよう。宣言通りに加速してみせる。それはリオンをあっという間に置いていく、凄まじい速度だった。

(何という疾駆ですの。これが『誉れ高き稲妻』ですか)

 ジュンタの師匠でもあり、またリオンとも縁のある『騎士百傑』の騎士――トーユーズ・ラバス。その並はずれた身体能力にリオンは驚くも、本当に驚くのはこれからだった。

 視線の先にあった魔物たちが、リオンよりも先行するトーユーズの前についに立ち塞がる。

 そのときには、トーユーズは右手の大太刀だけではなく、左手にも太刀を握りしめていた。

 右手の大太刀よりもいくらか短い反り返った太刀――双剣使いであるトーユーズの得物は、両者とも銀色に近い直刃の片刃剣で、鍔もない飾り気のないもの。美しさを極めたと言われる『誉れ高き稲妻』の、装飾のない、しかし優美に過ぎる愛剣であった。

「悪いけど、ここはあたしの故郷なのよね。だから――

 トーユーズの呟きが聞こえた。そしてそのすぐあと彼女はさらなる加速に突入する。

 リオンですら目で追えない速度。トーユーズの身体が掻き消えたかと思ったら、すでに彼女の一太刀目は放たれていた。

――あたしは止まることすらしてあげない」

 残光だけが残る、それはまさに雷光の速さ。
 金色にも見える黄色の魔法光を輝かせながら、振るわれる両刀が紫電の輝きを見せつける。

 美しい円を描く右の刃。そのすぐあとにゴブリンが密集する場所に叩き込まれた左の刺突は、大地を抉り轟音を響かせる。その一撃は一体といわず数体のゴブリンを貫き、その一撃にリオンが驚いている内に、先に振るわれた右の刃により、さらにゴブリン数体の首と胴体が泣き別れしていた。

「す、ごい……」
 
 疾走の足を止めることなく繰り出される、雷の騎士の攻撃。

 大地から空へと駆け上がったかと思うと、雷気を引き連れて稲妻のようにトーユーズは地面に落ちる。

迅雷故に無情に悔いて

 着地の直前に彼女は前方に巨大な雷の塊を放っていた。その雷の塊を切り裂く形で着地と同時に振るわれた右の大太刀は、周り一帯に雷を引き延ばし、衝撃波じみた稲妻の斬撃をもって数十体を焼き尽くす。開いた空間へとトーユーズはその身を滑り込ませ、一直線に前方へと突きを放った。

速さとはなんたるかを説きたもう

 刺突ごとトーユーズは百メートル近く移動を果たしていた。

 一撃一撃がゴブリン数十体を持っていく。トーユーズは立ち止まることなく全てのゴブリンに等しく死を与えながら、その骸による汚れを一つとして身体に浴びることなく突き進んでいく。

「これが、竜殺しの村が生んだ『神童』の力」

 トーユーズに遅れること数秒――すでに障害ではなくなったゴブリンたちの死骸の中を通りながら、リオンはその鋭利な切断面に恐れおののく。

 あらゆる防御を弱体化させるドラゴンスレイヤーの使い手であるリオンでも、このような切断面にはならなかった。一体どれほどの鋭さをもって振るわれたなら、これほどのものを生み出せるのか。

 否、答えは簡単。稲妻の速さをもってして、トーユーズは成し遂げたのだ。

 閃光のように村の中を駆け抜け、『不死鳥の湯』へと向かってしまったトーユーズの背中はもう見えない。また、生きたゴブリンの姿も視界内から消えていた。

「すごすぎですわ。私が幼い頃に焼き付けた姿よりも、数段強くなっています」
 
 長きに渡りシストラバス家と懇意であり、多くの出身者が竜滅騎士団に入団してきたラバス村という竜殺しの村。多くの強者を輩出したラバス村にあって、しかしトーユーズに勝る才能を持ち合わせたものはいないとされる。

『神童』のトーユーズ。ともすれば古の『神衣を纏った者』にも匹敵するとさえいわれた、期待の星。

 かの騎士はラバス村の皆が期待した道とは少し違っても、まさしく期待通りの強さを体現してみせた。自らに才能があると認識するリオンでも遠いと思える、その背中――ジュンタが師を仰ぐのも無理はない。シストラバス流剣術の全てを継承したリオンが、それを捨てて彼女に師事することはできないけれど、できることなら教えを乞いたいと思ってしまうのだから。

「……何気にジュンタは恵まれすぎですわよ。『誉れ高き稲妻』を師に持っているなんて」

 ちょっとした嫉妬を覚えながらも、リオンはトーユーズが通った道を着実と進んでいく。

 いつかその世界に必ず追いつき、追い抜いて見せる――それは最強を望む騎士としての、シストラバスの騎士としての、リオンの意地に他ならなかった。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 軽やかなステップから、強烈な打撃が放たれる。

 赤い輝きが視界一杯を満たしたと思ったら、次の瞬間には、双剣に凄まじい衝撃が走っていた。それはまるで獣が一心不乱に食らいついてくるかのような、そんな全力の拳。

「ハ――!」
 
 雄叫びと共にヤシューが放つ右ストレート。
 それに左の剣を合わせたジュンタは、受け止める直前でそれがフェイントであることに気付く。

 いや、果たしてそれは本当にフェイントとして撃ち出された拳だったのか。フェイントというよりは、その攻撃よりももっといい攻撃を思いついたから、途中で変更したという感じの変化だ。

 引き絞って放たれたストレートは、その途中で鋭い肘での攻撃に変わる。
 一歩足を踏み出すことによって鎌のように向かってくるソレは、右の剣で逸らしてようやく紙一重でかわすしかない速度を持っていた。

 しかし肘の攻撃をかわしたところで安心はできない。

「ハ、ハハハハッ!」

 ひたすらに前へ。咆哮と共に弾丸を放ち続けるヤシューに、休息というものはない。間合いを測ったりすることもない。目の前のごちそうを食べ尽くすまで喰らうのを止めようとしない。彼の拳は止まることを知らない災害のようだった。

 まるで行き急ぐように、焦らされた分まで求めるように、ひたすらに振るわれる拳の嵐は、ついにジュンタから大きく距離を取るまで止まらなかった。

 ヤシューはついぞ当たることの無かった拳を見て、気に入らないように、喜ぶように目を輝かせる。

「最っ高だ! なんだよテメェ。俺と前に会ってからよ、わかってンのか? まだ数ヶ月しか経ってねぇんだぜ。なのに、よくそれだけ強くなりやがったなァ」

「『誉れ高き稲妻』直伝の双剣はお気に召せなかったか?」

「まさか! 言っただろ、最高だってな!」

「そいつは良かった。生憎と今の俺じゃ、これ以上のことはできないんでな。双剣だけ。魔法だって使えない」

 手に若干のしびれが残るものの、不備のない両手と双剣――確かにヤシューの攻撃は鋭く反撃を許されないものだった。だがジュンタは一撃も食らうことなく、双剣をもって攻撃を逸らし、受け流し、避けきって見せた。

(前は全然歯が立たなかった。だけど、今回は何とか戦えてるな)

 隙につけ込めるほどにヤシューとの実力は拮抗していない。
 自分が劣っているのは間違いなかったが、それでも一方的な展開にはなっていない。

(先生に感謝だ。俺は少しずつ、だけど着実に強くなれてる)

 改めて右のドラゴンスレイヤー、左の旅人の剣を構え直し、強く柄を握りしめる。腕から不可視の虹がさらなる輝きを束ね、重さを感じぬ中に確かな力強さを感じさせてくれた。

「いいなァ。やっぱりテメェは、その人間の面の下に、とんでもねぇ獣を飼ってやがる。俺にはわかるぜ。その獣がテメェを短期間でここまで強くしたんだ」

「俺からネタバレせずに、そのことに気が付いたのはお前が初めてだよ。確かに、俺は獣を飼ってるらしい。いや、人間って殻の下に獣が潜んでるらしいな」

「カカッ、んだソレ。最高に狂った答えだぜ!」

 狂った答えといわれても、間違っていないのだからしょうがない。

 ジュンタは使徒。使徒とは神獣であり、人の殻を被った獣である。
 ヤシューの言うとおり、短期間でここまで強くなれたのは、使徒としての膨大な魔力の恩恵と良き師のお陰だ。身のうちの獣は静かに、だけど確かに脈動していた。

 しかしジュンタは心まで獣ではない。あくまでもサクラ・ジュンタという一個人――『誉れ高き稲妻』の教えを受ける、いついかなる時も格好良くを心に刻んだ双剣使いである。これまでの攻防で得た情報は、自分の中で戦術のために消化されている。

「はぁ……やべぇな。こうして話してる時間すら堪えられねぇ」

 今にも飛びかかってきそうなヤシューに、ジュンタはだらりと両手を下げた迎撃の構えで応対する。

「悪いけど、俺は焦らし上手だからな。もう少し黙って追ってきてもらう」

「俺に猟犬になれってか!」

 まさに宣言通りに体勢を低くしてヤシューは向かってくる。
 ジュンタは迎撃の構えを保ったまま、横走りに移動して『騎士の祠』の出口を目指した。

 大立ち回りを演じるには、『騎士の祠』の内部は狭すぎた。よって、ジュンタは自分に状況を有利に動かすために、狭い入り口へと身を滑り込ませる。
 
「逃がすかよッ!」

「誰が逃げるって!」

 当然のように追いかけてきたヤシュー――だがジュンタは一気に外へと走り抜けるのではなく、いったん通路の途中で止まって迎撃に出た。

 狭い通路の中、入り込んできたヤシューに向かって双剣を振るう。

 紅い輝きが円を描いて襲いかかり、その合間を縫って無骨な弾丸が突き出される。左右が連動して、影響しあって、だけど異なる動きを演じる。双剣を全力で振るうにはこの通路は狭すぎるけど、手数をもって追い詰めるのには適していた。

 攻性からいきなり防御を演じることを強制されたヤシューは、しかししっかりと攻撃を捌いてみせた。左右ほぼ同時に襲ってくる双剣の攻撃を、腹を叩き身体を捻るだけで避けて見せるとは、一体いかなる野生の本能がなせる技か。

「猟犬に狩られるタマじゃねぇテメェだけどなぁ、まさか猟犬狩りに来るとは思ってなかったぜ!」

「攻めきれないか。犬なら狩人には狩られてろって話だよ」

 攻撃の合間を縫って反撃に出られたところで、ジュンタはこの通路が有利ではなく自分を不利にする場所になってしまったことを察する。
 
 なればこの場所に留まるのは不安――右の長剣による刺突で距離を離し、今度こそ一気に外へ出た。

 紅い輝きに満たされていた『騎士の祠』から、星のみが照らす夜へと。先程外に出ていったグリアーは一番近くの木の上にいて、じっと出てきたこちらを見つめていた。

「テメェ、あんまり俺を焦らすんじゃねぇ!」

 背中から感じた圧迫感に、ジュンタは振り向き様に左の剣を盾にし、右の剣で斬りかかった。

「おっと」

 ヤシューが避けている内に、さらに足場を固めるために入り口から離れる。
 森から抜け出た、地肌が露わになった山の麓にある『騎士の祠』――森までの間に十分立ち回れるスペースがあるのを再確認して、ジュンタは一気にこの辺りで勝負に出ることを決めた。

 興奮するヤシューに冷静さを取り戻されたら勝ち目はなくなる。短期決戦にこそ、サクラ・ジュンタの勝機はあり。

「あんまり長くやってると、リオンのところへ行ったら全て終わってたってことになりかねないからな。あんまり焦らすのも悪い。この辺りで加速するぞ」

 誰かに伝えるようにそう呟いて、ジュンタは距離を十メートルほど取って立ち止まったヤシューに剣の切っ先を向ける。

 意識は自分の内面に。心の水面に一滴の虹色の雫が落ちる。水面に落ちた雫は、幾重にも虹色の波紋を作って広がっていく。

「お?」

 身体に魔力が浸透していくイメージ。
 ただヤシューを倒すという集中の中、ジュンタの身体を可視の輝きが覆っていく。

 それは虹色の雷。頭の先から足の先、さらには双剣に至るまで全てを包み込んだ虹色の魔力は、ジュンタに大きな力をもたらす。

 即ち――

「[加速付加エンチャント]」

 ――其は稲妻の速さ!

――ッ!」

 ヤシューの蒼い瞳が大きく見開かれる。その口元には欲望剥き出しの笑みが浮かび、おもしろいと彼は全身で笑っていた。

 そんな彼の姿を、十メートルの距離を瞬く間に詰めて至近距離で見たジュンタは、加速した速度のままに双剣を振るった。

魔力付加エンチャント――身体に魔力を付加し、自身の魔力性質を発現させる魔法の基礎にして技法。これがジュンタの場合は『加速』と『侵蝕』を孕んだものとなり、強力な身体強化、特に素早さを底上げする[加速付加エンチャント]となる。

 それはまた剣速にも及び、刀身を磨くように輝くドラゴンスレイヤーと、刀身が虹色の光に埋もれたように膨大な魔力を纏わせる『英雄種ヤドリギ』の剣から同時に放たれる一撃は、並の武人でも反応できない速度を持っていた。

「速ぇえな。おい、コラ!」

「これでもまだ避ける、か。嫌な奴だな!」

 だが、それをヤシューは避けてみせる。先程のように小さな動きで避けることこそ敵わなくとも、着実に避けてみせた。まさにそれは獣の闘争本能が生む、本能の回避速度。

「だけど――俺はまだ速くなる!」
 
 ならばそれを凌ぐが狩人の努め――制御できる限界値の魔力を注ぎ込んだジュンタの速度がさらに上がる。
 
 スパークを足下で起こして一気にヤシューの背後に回り込む。
 すぐさま直感で反応してくるヤシューだが、その時にはもう半歩横にずれて、大きくクロスに薙ぎ払う斬撃を放っていたあとだった。

(取った!)

 四肢に戦闘不能のダメージを負わせる最高の一撃。身体を捻ることで直撃を防いだヤシューだったが、それでも――

「ハッハハハハハハ――ッ!」

 腹部へとカウンター気味に拳を打ち込まれたジュンタは、苦悶の表情で身体をくの字に曲げ、続く追撃のストレートを頬にもらって、大きく殴り飛ばされた。

「おうおう、ようやくヒットだぜ」

 倒れることなく踏みとどまったジュンタは、痛みに身をよじりながら口の中の血を吐き捨て、

「なんだ、その身体は?」

 ヤシューの身体についた傷は、軽度の火傷程度のものだった。

 十メートルの距離を詰める速度をもって、逆に今度は十分に距離を離す。
 そんなに長時間使うことのできない[加速付加エンチャント]を最低限で維持しながら、ジュンタは自分の直撃コースだった攻撃が、それでも傷を負わせられなかった原因を探りつつ、たった二撃もらっただけでフラフラする体勢を立て直す時間を稼ぐ。

「勘弁してくれ。なんだよ、そのタフネスは? 今のは俺の中でも、最高に決まったと思ったんだけどな。いや、参った」

「参ったのは俺の方だぜ。まさか日に二回も傷を負わせられるなんてなァ」

 どこか悔しげに太股に負った火傷をさすったあと、ヤシューは両手のガントレットに手をかける。

「気にする必要はないぜ。今のは確かに、最高に興奮する攻撃だっだからなァ。ジュンタ。
 正直な、ここまで強くなってるとは思ってなかった。どうやら俺はテメェを過小評価しちまってたみたいだ」

「それでも十分に、俺にとっては過大評価だろうよ」

「おう。俺の中では現在テメェは最高クラスに認定だ。だからよ、俺も少しは力を見せるべきだと思ったわけだ」

「見せてくれるってなら是非拝見したいんだけどな。どうせ身をもってってことだろ?」

「大正解、ってな」

 ニヤリと笑ったヤシューの腕から、赤いガントレットが地面に落ちた。
 
 ズシリと重い鉄が地面に落ちた音を合図に、一気にヤシューが走り寄ってくる。

 ガントレットの下の剥き出しになった腕には包帯が少し巻かれているだけ。なぜ武装であるガントレットを外したのか、理解できないままジュンタはヤシューの仕掛けた攻防に叩き込まれる。

 それは最初の攻防とは違う、まさに攻撃と防御の応酬だった。

 果たして、ガントレットを捨てたことによって拳の速度が上がったと聞かれれば、『是』と答えるしかない。だが一撃の威力が弱まったのもまた事実。差し引きゼロという感が否めないが、それでも驚嘆すべきは自分の速度についてこれるヤシューの反応速度か。

 先の傷を負わせた一撃ほど密度を高めた[加速付加エンチャント]でないとしても、それでも並の戦士では出せない、膨大な魔力に支えられた『加速』の一撃だ。しかも双剣という、左右から繰り出される刃の恐ろしさは、繰り出すジュンタが一番に理解しているものであった。

 しかし、それを避ける。浅く身体を切り裂かれるのは構わないという勢いで攻め立てる。

 そうして前へ前へと向かってくるヤシューには、その攻撃方法でありながら傷がついていない。浅く何度も切り裂いたはずなのに、彼の身体から血は流れていない。

(そういうことかッ!)

 ジュンタは、ヤシューの身体の特異性に判断が及んだと同時に、このまま自分が勝つのは難しいことを悟る。

 双剣を振るいつつ、迫る拳を避けつつ、思考を奔らせる。

 ……結論はこれしかなかった。

 双剣の合間に混ぜた加速された回し蹴りを腹にお見舞いして、その鋼鉄でも蹴ったような感触にやっぱりと思いつつ、ジュンタはヤシューから弾かれたように距離を取る。

「まったく、俺だって偶には正義の騎士っぽく勝ってみたかったよ」

 そしてあらかじめ決めておいた『獣狩り』の合い言葉を口にして、まさにこれからヤーレンマシュー・リアーシラミリィという名の獣を狩ることを決定した。

 


 

       ◇◆◇

 


 

 ユースとの同調を解除して、彼女の身体が峠を越し、魔力も回復し始めて快方に向かっているのを確認してから、疲労を押し隠してクーは手早く服を着た。

 高度な儀式魔法による疲労と、他者の精神に潜り込んでいたことによる負荷。さらには予想外にユースの保有魔力が多かったために、たくさん魔力を持っていかれたことによる虚脱感。体調はなかなかにきつかったけれど、それでも知った情報をゴッゾに伝えることの方が大事だった。

「まさか、裏でディスバリエ・クインシュが動いていたなんて……」

 知った情報とは即ち、ユースを襲った相手があの『狂賢者』であり、彼女がベアル教に手を貸している事実である。ことはウェイトン・アリゲイだけではない。創立者メンバーである彼女の恐ろしさは、彼女の最高傑作であろうクーが一番知っていた。

(早くゴッゾ様にお伝えして対策を練らないと。それにご主人様たちにもどんな危険な策謀が巡らされているか……不安です。とにかく何らかの企みが実行に移される前に急がないといけません)

 ベッドに運んだユースに服を着せてから、クーは帽子を手に取り部屋を出る。

 ――そこで、すでに『狂賢者』の企みが実行に移されていることを察した。

「これは……!」
 
 部屋を出た瞬間、視界に飛び込んできたのは、視界を塞ぐほどに濃い白い霧だった。
 無論ここは室内。霧が立ちこめるはずもなく、そして身体を瞬く間に包み込んでしまった霧からは、強い魔力を感じた。

 間違いない。これは魔法によって生じたもの。だとするなら、これは今回の敵対者――ベアル教が放ったものに違いない。なんということか。すでに敵の魔の手がこの『不死鳥の湯』には迫っていたのだ。

(クレオメルン様、ゴッゾ様……他の方が心配です)

 あまり吸い込むべきものではないと口を押さえつつ、霧がユースが眠る部屋にまで入らないように扉をきつく閉め、隙間に氷と結界を張り巡らせておく。

 そうしてユースの安全を確保してから、敵が忍び込んだ旅館の中を、いつでも魔法が放てるよう準備しつつクーは進んでいった。

(オーケンリッター様は屋根の上で見張りを。クレオメルン様は玄関前。ゴッゾ様は村の人たちと一緒に食堂だったはずです。……お二方は大丈夫ですね。まずはゴッゾ様の安全の優先を)

 疲労した身体に活を入れて、いざ、クーは十歩前も見えない視界の中を記憶だけを頼りに進んでいく。

 しかし、その足取りはすぐに止まることになった―― 背筋を撫であげた、先程もユースの心象の中で催した悪寒を感じたことによって。

 ゾクリと背筋を走り抜けた恐怖に、クーは背後に振り返り様に無詠唱で氷の矢を幾本も放った。が、この悪寒を感じる恐い女には、これだけではダメージすら与えられまい。すぐに強大な一撃を放たないと。

奔れ雪雲――

 恐怖に急かされるまま、震える声で何とか紡ごうとした詠唱の声が、爆発するような轟音によって掻き消される。いや、実際にクーの数歩前が小規模ながらも爆発していた。

 吹き付けてくる爆風に、視界を塞いでいた霧が晴れる。

 果たして、爆発したその場所に、煤一つない姿で恐い女は立っていた。

「どうやら出る場所を間違えたようね。――お久しぶり、『竜の花嫁ドラゴンブーケ』」

「ディスバリエ・クインシュ!」

 ベアル教の異端導師ウェイトン・アリゲイを傍らに控えさせたディスバリエ・クインシュが、十年前と変わらぬ水色の髪と閉じた瞳の『狂賢者』が、口元に優美な笑みを浮かべて目の前にいた。

「っ!」

 口から絶叫も同じか細い悲鳴が出るのをクーは我慢できなくて、この期に及んで目の前の女に恐怖してしまう我が身を叱咤する。

(何をしているんですか、クーヴェルシェン・リアーシラミリィ! 使徒ジュンタ・サクラの巫女よ!)

 記憶の中にある『狂賢者』の恐ろしさは、こうして彼女を理解できる『人』になってから初めて思い知った。昔無垢だった頃は接していても震えなかった身体が震える。けれど、今だけは怖がってはいけない。彼女は、目の前に実在する敵なのだから。

「あいさつもできないとは嘆かわしい。所詮は紛い物とはいえ、あたくしはあなたを大事に思っていますのに。ええ、ひとまず現れた瞬間に攻撃を仕掛けたことについては不問にして差し上げますわ」

「不問にしてもらわなくとも結構です。私は、あなたをここで倒します」

「私を? あなたが? ……酷い娘。あたくしが生み出したあなたは、いわばあたくしの娘であり、あなたにとってあたくしは母親であるというのに」

 挑発なのか本心なのか、眉を悲しそうに歪めるディスバリエ。そこで今まで黙っていたウェイトンが、その手に見覚えのある黒い背表紙の本を握りつつ、クーを見た。

「ウェイトン・アリゲイ異端導師。その本は……」

「懐かしいでしょう? 『偉大なる書』ですよ、ミス・リアーシラミリィ」

「やはり、アーファリム大神殿から盗んだのはあなただったのですね?」

「さて。どうでしょうか」

「ウェイトン。あまり彼女と遊んでいる暇はありませんよ。もうすぐ『誉れ高き稲妻』がここに辿り着いてしまいますわ。彼女相手では少々分が悪い。すぐに儀式に取りかかりましょう」

「はい、ディスバリエ様」

 かつてクーも味わった、人を反転させ魔獣に変える『偉大なる書』の背表紙を撫でていたウェイトンは、ディスバリエの言葉に恭しい態度で答えた。それだけで今回の企みが、ディスバリエ主導で動いていることは明白だった。

「それでは『竜の花嫁ドラゴンブーケ』、あなたはあなたのいるべき場所にお帰りなさい。あたくしがあたくしの求める場所に行くように」

 ディスバリエが差し出した手の先が、再び広がり通路を満たし始めた霧に触れる。すると不思議なことに、霧が幾重にも円を描くように動いて、空中に巨大な魔法陣を描いて見せた。
 
 さらに不思議なことに、その魔法陣に手の先を入れたディスバリエの手の先が、完全に消失していた。視界が悪いからではない。魔法陣を通して、彼女は今まさにどこかに消えようとしている。

「逃がしません!」

 詠唱を唱える暇はない。意味がないと知りつつも、無詠唱で氷の矢を二人目がけてクーは放つ。

 矢はズブズブと魔法陣に入り込んでいくディスバリエの手とは逆の手によって軽く防がれてしまった。それだけで、もうクーがディスバリエを追うのは不可能になってしまった。

「申し訳ありませんが、今日はあなたを導いて差し上げることが私にはできません。ですので、今日のところは彼らと戯れてあげてください」

「魔獣……!」

 完全に消えたディスバリエに続いて、笑みをたたえたままウェイトンもまた消える。彼が置き土産として残していったのは、霧に蠢く鮮血の瞳を持つ獣たちだった。

 数にして十数体。ゴブリンばかりだったが、それでもこの霧の中では戦いづらい。

「早く、伝えないといけないですのにっ!」

 消えた魔法陣――クーは最悪の状況に移行しつつある事態に焦りながらも、目の前の敵を倒すために魔法を唱え始めた。

 


 

 リオンがトーユーズに追いついたのは、『不死鳥の湯』の玄関入り口に辿り着いていたときだった。

 自分を置いてまで先を急いだトーユーズは、しかし玄関前で神妙な顔つきで何か考え込んでいるようだった。隣にはこの場の守護を任されたクレオメルンが、白銀の槍を持って立っていた。

「クレオメルンさん。一体こんなところで何をしていますの? 中の様子はどうなってまして?」

「リオン様。それが中の様子が一切分からない上に、入ることができなくなっているのです」

「入ることができない?」

 クレオメルンの隣まで近付いたリオンは、彼女と並んで目の前にある『不死鳥の湯』の扉を確かめてみた。

 開かれることなく固く閉じられた扉。手をかけて強く引っ張ってみてもびくともしない。これは普通の閉じられ方ではなかった。

「トーユーズさん。これは一体?」

「どうやら誰かが結界の類を張って、誰にも入らせないようにしたみたいね。かなり高レベルよ、これ。でもまぁ、リオンちゃんがいるなら問題ないわね。詳しい説明は必要かしら?」

「結界を破るということですわね。では、まず私が参りましょう」

 トーユーズの無言の催促を理解して、リオンは握ったドラゴンスレイヤーに強く意識を集中させる。

 リオンに魔法の嗜みはないが、それでも理論や法則などは心得ている。そして自分が強く集中することで、基礎の基礎である[魔力付加エンチャント]に近い効力を生み出せることも理解していた。

 このラバス村の住人の多くがそうであるように、『神意を纏った者』を祖に仰ぐシストラバス家の魔力性質もまた『竜滅』とも呼ばれし『封印』――ドラゴンの『侵蝕』すら切り裂くその力は、あらゆる神秘を切り裂く力に他ならない。

 その『封印』の力が込められた紅き刃はリオンの魔力のバックアップをもって、激しくその刀身を輝かせる。

「いざ、全てを切り裂け『不死鳥聖典ドラゴンスレイヤー』!」

 輝く紅き剣が宿の玄関へと叩き付けられる。すると玄関に叩き付けられた刀身が、激しく魔力の揺らぎを見せ、やがて結界そのものへと刃を到達させた。

「はぁッ!」

 ダメ押しとして、刃を振り抜いたまま横へとずれたリオンのすぐ横を、雷光が駆け抜ける。

 神秘殺しの剣の前に結界は歪み、純粋な圧力によって部分的に破壊される。
 トーユーズの疾走は、向こうに立ちこめていた白い霧すらも払ってみせた。

「ドラゴンスレイヤーの力があったとはいえ、すごい力業……」

「クレオメルンさん。結界は越えられたとはいえ、ぼんやりはしていられませんわよ!」

「そうね。取りあえず役割分担をしましょう」

 結界が再度塞がる前に宿へと足を踏み入れた三人の女傑たちは、それぞれが無言で意志を交わし合い、自分の役割を認識した。

「では、クレオメルンちゃんはクーちゃんたちの安全の確認をお願い」

「わかりました」

 指示を飛ばすのは、何事においても一番経験豊富なトーユーズ。

「リオンちゃんはミスタの安全確認と、『狂賢者』の企みについての報告をお願い」

「わかりましたわ」

「それであたしが――

 最も強き女傑は、双剣をあらゆる全てを切り崩す構えをもって握り、自らの役割を口にした。

――直接、儀式の妨害に行くわ」


 

 


 ――――もうすでに、儀式は止められないことを知らずに。


 

 


 まさに今、ウェイトンは計画成就の第一段階が達成される瞬間を目の当たりにしていた。

『不死鳥の湯』の大浴場。露天風呂であるそこには、なみなみと霊湯と呼ばれる湯がわきあがっている。『始祖姫』がその巫女と縁を深めるために入ったとされる、竜滅姫の従者がずっと守り続けてきた霊湯――

 その実、それは霊湯であると同時に、この世界と封印された世界とを繋ぐ門でもあった
 閉じた門だ。この温泉を通じて『封印の地』をこじ開けることにより、かの地に封じられた数多の魔獣たちは再びこの世に生誕を受ける。

 その中であって、ウェイトンが望むのはもちろんドラゴン。千年近く前に封じられた終わりの獣が、どのような威容を見せつけて咆哮を上げるか、それを考えるだけでこれまでの苦労が報われる心地だった。

「…………『始祖姫』たちが絆を深めるため、巫女と共に入った霊湯、ですか……」

「ディスバリエ様?」

 夢見る心地だったウェイトンを現世に呼び戻したのは、浴槽を見下ろしつつ、濡れた石の床に立ったディスバリエの呟きを聞いたからだった。

 閉じたまつげを微かに震わして、彼女は透明なお湯を見つめていた。最初は自分と同じように、『封印の地』よりドラゴンが出てくる瞬間を思って感動しているのかと思ったが、どうやら違うよう。

 閉じられた瞳に過ぎっただろう情景はわからない。ただ、どこか哀愁を背中に背負って彼女は霊湯を見つめていた。

「……いえ、なんでもありません。施された封印を解くとしましょう」

 そう言ったディスバリエの顔は、いつもの艶のある微笑に戻っていた。

 ディスバリエを敬愛するウェイトンとしては、そう言われてしまえば是非もなかった。そうしてウェイトン一人が見守る中、不埒なる儀式は始まる。

鍵をここに

 月明かりに輝く黄金のゴブレットを、ディスバリエは両手で持ち上げる。彼女は徐に杯を傾けると、中に並々と入っていた鍵――トリシャ・アニエースの血を湯の中に注ぎ入れた。

不死鳥の封印よ 刻印は汝が神殿に刻まれた

 血に濡れたような赤い唇が紡ぐ呪いに合わせ、透明な湯を赤く濁らせた血が蠢く。まるで内側から透明なお湯を蝕んでいくように、杯の中に入っていた血の量ではなせないはずの汚染を、刻印たる血は成し遂げていく。透明なお湯全てを鮮血の色に染め上げるまで、さほど時間はかからなかった。

 いや、果たして血が染めたのはお湯だけか――ウェイトンの決して優れていない知覚でも、神殿として機能している霊湯の神殿としての機能にまで、血が染み渡ったような気配が感じ取れた。

門は鍵によって開かれるもの

 血色の湯がそのとき、一切の波紋のない鏡のような水面を描く。

『狂賢者』の顔を赤く映す水面。それが映すものが、そのときまったく異なるものに変わる。

「おおっ!」
 
 感嘆の声を出したウェイトンも見た。赤い色の中に紛れ込む、寂れた灰色が。

 湯の中心から急速に生まれて広がる波紋は、幾重にも広がっていく。
 一つの波紋が浴槽の端を叩く音は、まるで開かない門を叩く音のようだった。

 ピチャン。

 そのノック音はどんどんと大きく

 ビチャン!

 激しく、

 ビチャッ!!

 乱暴になっていく。

 何とか持ちこたえようとする神殿の扉は、『狂賢者』の叩く乱暴なノックの音の前に、ついに開かれる。そう、開かれぬはずがない。なぜならば門の向こうにいる主人は、この客の到来を千年も前から待っていたのだから。


――今こそ世界は解放を選ぶ 我らは今宵 終わりの獣の勇姿を見よう


 ディスバリエの声に合わせ、波紋が渦となり、強大な魔力の迸りと共に門がついにこじ開けられた。

 浴槽の中心からどんどんと湯がなくなり、代わりに灰色の色褪せた砂塵が吹き込んでいく。砂塵はやがてこの世と灰色の世の境界線を覆い尽くし、二つの世界を繋げてみせた。

 ウェイトンはディスバリエと共に偽りの神に見捨てられた灰色の世を見つめ、期待に胸焦がしながら、確かな神の威光を感じた。

「ああ、我が神よ。ドラゴンよ。私は、あなたの僕ウェイトン・アリゲイの全ては、あなたの前に傅く瞬間のために……!」

『『オォオオオォオオオオッ!!』』

 濁流のように――魔獣の軍勢は再びこの世に現れる。


「ドラゴンではなく、あたしの美しさの前に跪きなさいッ!」


 そのとき落雷のように――稲妻の騎士は、『封印の地』が開かれた直後に紫電を瞬かせた。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 グリアーが見守るジュンタとヤシューの戦いは、まさに佳境へと突入していた。

 互いが最高の威力を信じて放った一撃は、互いの間で交差しぶつかり合い、互いを弾き飛ばす。どちらも転がることなく着地を果たし、同時に再び相手に向かって突っ込んでいった。

 両者ともが一撃に全力を注いでいる。もはや加減などしていられない。
 した時点で叩きのめされると知り、自らの力が相手を凌いでいると確信して攻撃を放つ。

 だが、それでも互いの攻撃は決定打にならない。

 

 

 ジュンタはヤシューの肉体の特性に気が付いていた。

「硬いな――お前はッ!」

「おうっ、どこもかしこもギンギンだぜこの野郎ッ!」

 拳と刃をぶつけあって、反発する力に合わせて再び離れる。

 ヤシューの身体はいかなる原理か、とてつもない硬度を持っていた。
 大男ですらまともに当たれば転倒は免れない一撃を何度も身体に受けてなお、未だに倒れることなく戦い続けている。傷すら満足に与えることができていない。

 それは刃をガントレットなき拳だけで受け止めることができるほど――ガントレットなど最初から彼には必要なかったのだ。その肉体自体が、何よりも彼の凶器。その凶器を全身の捻りと共に繰り出される威力は、大岩も砕くのではないかとも思えるほど。

 加速させて威力を高めた斬撃でも、その拳と満足に打ち合おうと思ったなら、足を使っての推進力をも上乗せした一撃でなければいけない。結果的にヒットアンドアウェイの戦い方になっているが、最初のように防御して隙を狙おうと思っても、今の彼の一撃は一発でももらえばまずい。逸らすだけで手が使い物にならなくなっていく代物だった。

(威力は現状で五分と五分。魔力は尽きないからいいとしても、このままじゃ決着はつかない)

 ぶつかって離れ、またぶつかっては離れる――その繰り返しの中、ジュンタはヤシューの肉体の硬度に気付き、そして彼の身を襲っている負担にも気付いていた。

「どうしたヤシュー、動きが鈍いぞ」

「うっせぇよ。テメェこそ、コソコソ逃げ回ってばかりじゃねェか」

 それは彼の身体を硬質たらしめている何かの所為ではないのだろうが、明らかに最初よりもヤシューの動きは鈍くなっていた。

 それは少しだが負った傷の所為というわけではない。ジュンタの負わせた傷の所為ではない。だとすれば何度かかすった自分の身体の疲労と同等であるはずだからだ。自分の疲労よりもヤシューの疲労が激しいのなら、それは疑うまでもなく彼の足の傷が原因だった。

(トーユーズ先生のお陰か)

 ヤシューの両足の太股につけられ、血をズボンに滲ませる傷は、戦う前にトーユーズによってつけられたもの。恐らくあの怪我が激しい戦いの中足に負担をかけさせ、機動力を奪いつつあるのだろう。最初から彼の機動力の何割かはあの怪我のお陰で削られていたのかも知れない。

 内心でトーユーズに感謝するジュンタ。ここまで計算してやったならとんでもないことだが、ジュンタは自分の師匠がとんでもない人であることを知っていた。恐らく全部計算尽くだ。

(まったく、先生の愛を感じずにはいられないな)

 トーユーズのお陰で今、ジュンタはヤシューを詰むタイミングを見出しつつあった。

 


 

 ヤシューはジュンタの速度に舌を巻いていた。

(ちっ、力も技も俺の方が上だが、こればっかりは負けてやがるな)

 離れたと思ったら、一瞬で接近して剣を叩き付けてくるジュンタ。
 ヤシューはそれに拳を合わせることができているが、追撃するまでには至らない。

 足の怪我の所為でスピードが下がっているのは自覚しているが、それでも自分の方が彼よりも鈍い――総合的に見れば勝っていても、自分よりも素早い彼に致命傷を与えるのは困難だった。

 回避行動をどれだけ修行したのか。とにかく、彼は攻撃を逸らすのが上手いのだ。
 何度か攻撃こそ命中したが、いずれも急所からは逸らされた。ダメージは最小限度しか与えられず、未だ戦いは続いている。
 
 それは徐々にヤシューが不利になっていることを示していた。
 
(俺が勝ってるのは力、技、経験、それに防御力。で、あいつが勝ってるのは速度と持久力か)

 虹色に輝く[魔力付加エンチャント]に今まで消費された魔力量は、高位の魔法使いを遙に凌ぐ量。それでもジュンタは未だ保っている。とんでもない魔力量である。

 持久力だけを見れば、明らかに自分が不利――この足の疲労が高揚で隠しきれなくなったとき、それがヤシューの敗北のときだった。

「楽しい時間は過ぎるのが早いもんだな」

 それがわかっているから、ヤシューはこの戦いの結末が近いことを予感せずにはいられなかった。

「ジュンタ。テメェとの戦いはよ、すげぇ楽しかったぜ。一撃一撃に心が高鳴って、総身が震えたもんだ」

 集中を持続するためにも、攻撃の合間に呼吸の切り替えを行うジュンタへと、ヤシューは手をブラブラさせながら賞賛を向ける。

「だがな、どんな時間でもいつかは終わるもんだ。楽しかったからよ、終わるのは残念だが……悪くねぇ。テメェに勝ったっていう勝利の美酒に酔えるのなら、この時間を終わらせるのも悪くねぇってもんだ」

「そろそろ決める、ってことか。それができないから、ここまで戦いが続いてるんだろ? 俺はいつだって急いでたんだから」

 確かにジュンタはそうだろう。今のこれが彼にとっての最高の戦いだ。これ以上は今のジュンタでは無理。……そう思えば惜しいものだ。今でこれほどなら、半年後には一体どれだけの化け物になってるのか興味があったのだが、ここで終わらせてしまうとは。

 そう、終わらせる。ヤシューは敗北など味わう気はない。戦い始めたなら、勝って終わりしかありえない。

「残念だがな、俺にはまだ切ってねぇ切り札があるんだよ」

「何?」

 戦闘の最中、冷静に努めようとしていたジュンタの顔が、初めて焦ったものになる。

 獣の構えを取ったヤシューは、グッと腰を落とした。

「見せてやるぜ。俺の本気を――全力って奴をよ!」

「悪いな。俺はそれを待つような奴じゃない!」

 この身に眠る『切り札』たる力を呼び起こそうとした矢先、これまで以上の速度でジュンタが迫ってきた。まだそれほどの余力があったのかと驚くのと同時に、彼がこれで決めようとしているのがわかるほどに、それは防御を無視した突撃だった。

「焦りやがったな! そんな攻撃で来るんなら、切り札を出すまでもねぇンだよ!」

 ジュンタがこれまで撃沈していないのは、ヤシューの攻撃を冷静に読んで逸らし続けていたからだ。切り札を使わせまいと突進してきた彼は、片方は防御に使っていた双剣両方で攻撃を加えてきた。それではこちらの攻撃はそらせまい。

 別段これを狙ってのブラフではなく、事実を口にしただけなのだが……まさかこうなるとは。しかしこれほどの攻撃を耐えてライバルを下す結末なら、そう悪くない。

「ハッハー! 終わりだッ!!」

 何度も駆け落ちてくる落雷の刃。
 それに立ち向かうは暴風の拳圧。

 あらゆる攻撃が攻撃をもって相殺され、相手に傷をつけ、自らの勝利のためにただ立ち向かっていく。二人の戦いの最後は、まさに取るか取られるかの獣の喰らい合いだったと、ジュンタの攻撃全てを耐えきったヤシューは口端を吊り上げた。

「ふッ!」

 大振りになったジュンタの剣の柄を、ヤシューのアッパーが捉える。

 ジュンタの右手から剣が空高々と弾き上げられる。それでも彼は左の剣一本で果敢に立ち向かってきたが、本来の戦い方である双剣でようやく同等近くだったのだ。一振りになってしまった彼の左手から、また剣が零れるのはそう遅いことではなかった。

「くっ!?」

 全身に雷を纏わせたジュンタは、得物がなくなったことによりついに後退する暴挙に出た。

 それしか選択肢はなかったとはいえ、あまりにも自分たちの戦いではそれは軽挙。相手に向かうことを忘れて下がった獣に、勝利の女神が微笑むことはない。

「楽しかったぜェ、ジュンタ!」

 下がるジュンタよりも、ヤシューが彼の懐へと飛び込む方が早かった。

 大岩をも砕く硬質の拳が敵の顎を狙って奔る。
 当たれば顎の骨ごと首の骨を砕く一撃は、もはやジュンタに避けられるタイミングではない。そして彼にはもう双剣はない。

 ここに獣同士の戦いは終わりを告げる。

「最後だ。受け取れ、これが俺からの――

 自らの勝利をもってして。

――獣のベーゼだァッ!!」


猫々賛美歌第三章 今日は俺がジャスティス


「なんっ、だとォッ!?」

 自分の勝利を確信した瞬間にジュンタから響いた詠唱の声に、完全に空振りした自分の拳に、ヤシューは驚いたまま転倒する中夜空を見上げた。

 いきなり目の前で茶色の光が輝いたと思ったら、地面がぬかるんで足が滑った。
 それだけではなく、現在進行形で足元が泥沼となってヤシューを呑み込み始めていた。

「ヤシュー!」

 地面に足を取られ、夜空を見上げる形になったヤシューは、耳にグリアーの声を聞き、慌てて抜け出ようとする。まだ硬い地面に手をついて、一気に飛び出ようとして、

「残念」

 その手を、思い切りジュンタに蹴り払われた。
 
「ジュンタ。テメェ……!」

「悪いな、ヤシュー。でも俺は一言も一対一で戦うとは言ってない」

 辺りの地面から泥の蔦が伸び、足に続いて両腕までもが束縛される。その中で自分を見下ろすジュンタに、彼の胸元から頭を出した白い子猫の姿に、ヤシューは声を失った。

「許しを請うつもりはない。だって、最初にやっちゃいけないことをしたのはそっちの方だ」

「その通り。我らが貴重なメイド様を襲い、しかもその柔肌に傷を付ける輩に騎士道など不要。そも、ジュンタの騎士道から言わせてみればこの展開こそ騎士道か」

「まぁな。ここで死んで大切な人を泣かせるよりも、こんな形でも勝って帰った俺の方がきっと格好いい。なら、誰に詫びる必要もないだろ」

 それは何て鬼畜な苦笑か。

 泥によって運ばれた双剣を握り直したジュンタは、最初からこうする腹づもりだった。初めから一対一で戦って勝つつもりなんてなかったのだ。

「なんて、最低な奴!」

「おっと、褒められてしまったな。ジュンタ」

「いや、どう見ても褒めてる様子じゃないだろ」

 怒り心頭といった感じのグリアーが空から風の刃を放つも、幾重にも伸びる泥の前に弱らせられ、ジュンタの元に届く頃には、その右の刃の一振りで霧散される程度に弱っていた。

 そうこうしている間にもヤシューの身体は地面に吸い込まれていく。上からも泥が張り付き、全身から力が抜けていく。それは身体がいくら硬くてもどうしようもない、拘束のバインドだった。

 グリアーが助けようとしてくれているが、首もとまで埋まってしまった今、もう間に合わない。なら、次に伝えられる言葉がここでジュンタに伝えられる最後の言葉ということ。なら惑わない。伝えるべき言葉はこれしかなかった。

「最っ高だ! 最高だぜテメェ! こんなにも俺を怒らせる奴がいるなんてよ、こんなにも俺を惚れされる奴いるなんてよォ! 神様ってのは本当にいるもんだなァッ!!」

「いるだろうな、性悪な神様が。俺とこいつを引き合わせた、恨むべき神様が」

「失敬な。俺とジュンタは二人で一人なソウルパートナー。最高の力をご所望されたなら、二人がかりでボッコにするのが正しいやり方といえよう」

 貶すことなく口元に笑みを作って、そのジュンタの容赦無さをヤシューは褒め称えた。

 騎士の決闘だったなら不敬も不敬だが、これは違う。自分たちの戦いは違う。獣の喰らい合いだ。勝った方が勝ち。負けた方が負け。わかりやすい、それだけしかない戦いだ。ならば誰がジュンタのやり方を責められよう。

「じゃあな、女の敵。せめて今度は、ただ馬鹿な奴であってくれ」

 そもそもヤシューはグリアーから聞かされていたのだ。彼の仲間に、魔法を使う白い子猫の存在がいたことを。なのにリオンとトーユーズがいなくなったことで安心してしまった。負けるべくして自分は負けたのだ。

(いいや、俺はまだ負けてねェ)

 完全に泥の中に沈んだヤシューはぎらつく双眸で、自分を怒りが秘められた瞳で見下した獣へ宣言する。

(油断した。だけど俺はまだ死んでねぇ。ならよ、まだ俺は負けてねぇ。勝つ。勝つ! 勝つぜェ! 最高に最高のライバル――ジュンタ・サクラ様よォ。待ってろ、すぐに贈ってやる)

 恨みも怒りも全て飲み尽くした歓喜だけで、ヤシューは全身を襲う圧迫感に抗う。

――最悪に最高な獣のベーゼをなァッ!!)

 最後まで、その笑みだけは消えることはなかった。









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