第十六話  光と闇は咲き誇り


 

 餓えた魔獣たちは『封印の地』に穿たれた穴に殺到し、かつて謳歌していた地上へと舞い戻らんとする。

 古の時代。ドラゴンが人を支配していた時代。世界は地獄だったのだという。
 その時代人の代わりに星に君臨していた魔獣たちは、それをいきなり奪われた。その無念を、嘆きを、憤怒を餓えに変えて、血を求めて境界線を越える。

 そこで――全ての魔獣は等しく稲妻の餞別を贈られた。

 空より降り注いだ稲妻は、間欠泉から吹き出す水のように現れた魔獣にぶち当たり、触れた傍からゴブリンであろうがオーガであろうが関係なく焼き尽くす。ドラゴンの息吹に匹敵するとさえ思える落雷は、ついには魔獣を押し戻し、自身も『封印の地』に飛び込みそうになる限界で一度大きく双剣を振るい、そのまま石床の上へと着地を果たした。

 身に纏う、黄金にも似た雷光の煌めき。
 両手に握られた長さの違う太刀は、彼女の誉れ高き姿に似つかわしい優美なるもの。

「……『誉れ高き稲妻』トーユーズ・ラバス」

『封印の地』から魔獣が飛び出すという最高の瞬間を汚されてなお、ウェイトンは認めざるをえなかった。その強さという名の美しさに。

「ご機嫌よう、ウェイトン・アリゲイ導師様。お噂通りの美青年で嬉しい限りですわ」

 開かれた『ナレイアラの封印の地』の門である浴槽をバックに、トーユーズは微笑む。

 十数メートル離れた位置でトーユーズと対峙するウェイトンは、自分の立っている場所が、彼女が本気になれば気付くことなく首をはねられる位置でしかないことを察して冷や汗を垂らす。 

「そしてもう一人。名高い『狂賢者』様が、こんなに若くてかわいらしい方だとは思っていませんでした」

「あら、そうですか? これでも長く生きているつもりですが」

 しかし他でもない『封印の地』を開き、自分よりもトーユーズに近いディスバリエは、彼女に対して何ら焦りを抱くことなく立っている。それは彼女の胆力がなせる技か、あるいは自分ならトーユーズにも対応できるという自負から来るものか。少なくとも両者のどちらかでももし戦った場合、瞬殺されるウェイトンでは推し量れない優劣であった。

「これでも急いできたつもりだけど、どうやら間に合わなかったみたいね」

 トーユーズは身体をディスバリエに向けたまま、泣きぼくろが印象的な目線を背後へと投げかける。

 彼女があれだけの高威力の一撃をもって押し返した魔獣の軍勢は、しかし残留する雷気がなくなった瞬間、死した同胞の屍を押しのけ『封印の地』からぞろぞろと出てきている。

 歯をむき出しにして奇声をあげる魔獣を見て、眉を顰めたトーユーズが右手の大太刀を微かに揺らす。いや、自分には揺れただけに見えたが、実際は恐るべき速度で雷を纏った一斬が放たれたことを、新たに出てきた魔獣の身体が半分になった時点でようやく気付く。

「どうですか、トーユーズ・ラバス。自身の村が不死鳥の使徒の故郷だと証明された気分は」

「最低ね。まったく、こんな厄介なものを残していかないで欲しかったわよ」

 激しい雷光の瞬きが炸裂したと思ったら、次の瞬間トーユーズは浴槽の入り口へと移動していた。そこで彼女に振るわれた太刀によって、先程彼女の攻撃を逃れ外へと出ようとしていた魔獣が切り捨てられる。直後にはトーユーズは再び移動しており、向こうの崖から飛び立とうとしていたワイバーンが真っ二つに裂けていた。

 まさしく雷光。まさしく稲妻。あまりの速度にウェイトンの目線はトーユーズを追い切れず、その間に、浴槽に現れた魔獣は駆逐されていた。

「素晴らしい速度と威力。お噂通りの実力で嬉しい限りです」

 ウェイトンでは追い切れなかった動きを、開かれていない目でしっかりと見ていたディスバリエの一言に対するトーユーズの返答は、するどい一睨みと、

――本当にお強い。あたくしが本気を出したとしても、あなたには勝てそうにない気がしてきましたわ」

 ディスバリエの立っていた場所に突き刺さった、音速の刺突だった。

「ウェイトン。あたくしたちのやるべきことはこれで終わりました」

「消えた……?」

 トーユーズのあまりに鋭い攻撃を避けたディスバリエは、二拍の間この場から姿を消し、気が付けばウェイトンの隣に立っていた。

「瞬間移動を行う魔法なんて、あたしは[召喚魔法]以外知らないのだけれど。若干タイムラグがあったから、高速移動なのかしら?」

「さぁ、どうでしょう。本当に瞬間移動したのかも知れませんよ?」

 トーユーズはその魔法という言葉ですら簡単に説明できない現象に、自分なりの考察をすぐさま立てる。ディスバリエは口元に手を寄せ、そんなトーユーズの態度を喜んでいるようだった。

「さぁさぁ、ここは稲妻と魔獣が踊る舞台。役目を終えた役者は舞台から下りなければなりません」

「わかりました」
 
 ディスバリエの言葉がここからの離脱を示していることに気付き、ウェイトンは頷く。

 是非もなかった。そもそも、今回の目的は『封印の地』を開くことのみにある。開いてしまえば後は何もすることがない。魔獣の攻撃対象に自分たちも含まれる今、甦った魔獣たちが人に地獄を見せるところを、遠目から観察することぐらいしかやることはないのだ。

「それでは、トーユーズ・ラバス。あなたの美しい煌めきをあたくしたちは観客席から見させていただきますわ。心おきなく踊り続けて下さい。ええ、どうぞご心配なく。お相手は無制限も同じ」

 ウェイトンの身体ごと、ここではない場所へと転移するディスバリエは、最後に止まることを知らず『封印の地』から現れ出でる魔獣を睨んだトーユーズに、ニタリと笑みを向ける。

――十万の魔獣は、決してあなたを飽きさせることはないでしょう」






 霧で視界の悪い『不死鳥の湯』の中には、魔獣が溢れかえっていた。

 決して強い魔獣ではないが、この視界の悪さは最悪だった。鼻がきく向こうに先に察知され、こちらが魔獣に気付くのは殺意を感じてから。リオンの反応速度は視認した直後に剣を奔らせるほどの伝達速度であるために、傷こそ負っていないが歩むスピードはかなり遅くなっていた。

(同じことをしていますと、トーユーズさんの実力がよくわかりますわね)

 玄関で別れたトーユーズは、魔獣を見るや儀式の進み具合に危機感を持ち、伝統ある旅館を何のその――壁をまっすぐぶち抜いて大浴場へ向かってしまった。

(儀式は一体どうなったのかしら? いえ、今私がすべきことはお父様の無事の確認)

 ベアル教の行っている『封印の地』の開放の方も気になるが、それは自分よりも強いトーユーズにいったん任せよう。彼女から指示された役割を果たし、その後にゴッゾと相談して動けばいい。

(食堂はこの次の曲がり角でしたわね。さて、もうすでに気配を感じますわ)

 周りの霧を退けるドラゴンスレイヤーを油断無く構え、リオンは曲がり角の向こうに潜んでいる相手を警戒する。

 リオンにとって警戒するということは相手の出方を待つことではなかった。
 先手必勝。自ら動くことによって運はこちらに味方し、勝機を得られるのだ。よってリオンは相手の動きがないと見るや、自ら曲がり角に躍り出た。

 瞬間、潜んでいた相手からの攻撃が放たれる。

(魔法!?)

 周りの霧が固まって襲ってきたかのような攻撃は、まさしく魔法だった。魔獣とばかり思っていたリオンは内心驚いたが、その動きに何の淀みもない。放たれた氷の矢を避けて、その発射角度から相手の位置を測定――一気にケリをつけるために剣を振りかぶる。

 しかし相手も素早い。リオンが前へと踏み出すのと同時に、懐に入ろうと向かってきた。

 予想よりも小柄な身体が弾丸のように霧の向こうから現れて、その手に凶器たる魔法の輝きを灯らせて首を狙いに来た。

 交差は同時。曲がり角の部分で、両者はそれぞれ相手の首に自らの武器を押し当てた状態で静止した。

「…………一応訊いておきますけど、この混乱に乗じて私を亡き者にするつもりだったとかではありませんわよね?」

「と、当然ですよっ! 偶然起きた不幸な衝突です!」

 お互いに視線を交差させたリオンと、慌てふためく相手――クーは、即座に得物を引き上げる。内心ではかなり危ないところだったと冷や汗をかきつつ。

「リオン。無事だったか」

「お父様もご無事で何よりですわ」

 魔獣と最初思った相手はクーであり、彼女の後ろにはゴッゾたちの姿があった。
 それを見てすぐ、彼らがクーの手引きにより脱出しようとしていることが察せられた。

「お父様、状況はお分かりになっていますか?」

「ああ、クーヴェルシェン君から聞いたよ。あの『狂賢者』が何かしようとしているんだろう?」

「その通りですわ。どうやら『狂賢者』は『封印の地』を開こうとしているようです」

 どうして『狂賢者』が関わっていることを知らないはずのクーから、彼女のことが聞けたのかはわからないが、とりあえずその疑問は頭の隅に追いやってリオンは簡潔に説明する。

 聡明なるゴッゾは『封印の地』の一言で、詳細は省いてことの重大さを認識したよう。騒ぎ出した村人たちの中、唯一慌てずに顎に手を当てる。

「なるほど。想定していなかったケースではない。限りなくゼロに近かったケースだったんだが……こうなっては仕方がない。リオン、よく聞きなさい」

「はい、お父様」

「私はこれから皆と一緒に外へと出た後、村にいる自警団の人間とコンタクトを取る。ラッシャ君が、警戒態勢で待機しているよう話は通してくれているはずだからね、村人の避難と戦力の準備はすぐに終わるはずだ」

 そこで一端指示を切って、ゴッゾは背後を振り向く。

 さすがは竜殺しの村といわれたラバス村の上役たち。『封印の地』の開放による魔獣の危機を察知しつつも、混乱することなく落ち着いた様子でゴッゾの指示に従うように頷いた。

「今ディスバリエ・クインシュの儀式がどこまで進んでいるかはわからない。だが、この旅館には『誉れ高き稲妻』と『鬼神』の二人の騎士がいる。そう易々と最悪の事態には陥らないはずだ。しかし、万が一にもあれは開いてはいけないもの……リオン。お前は私が準備を整える間、儀式の状況を調べて欲しい。できればクーヴェルシェン君にも頼みたいのだが」

「ええ、わかりましたわ」

「私も構いません」

 リオンはこの状況において、戦える人間としてゴッゾの指示を快く承諾する。またそれはクーも同じだった。

 二人は顔を見合わせると、先程から感じつつある気配が本物であることを確認しあい、ゴッゾに向き直った。

「では、私たちの最初のお仕事は、お父様たちが避難するルートを確保することですわね」

「そうですね。がんばりましょう」

 今度こそ本当に、廊下の端から魔獣の気配を感じた。

「魔獣か。リオン、クーヴェルシェン君、すまないがここは頼む。怪我のないようにね」

 状況を理解しすぐさま避難の指示を飛ばすゴッゾを先頭に、村人たちが玄関へと向かっていく。その最後尾に噛みつこうとする魔獣へと、リオンは駆け寄って剣を振るった。

 悲鳴と共に緑の血が壁に飛び散る。

「結構な数がいそうですわね」

 見通しの悪い中、少なくとも感じる気配は数十体――だが、何の問題もないことをリオンは理解していた。なぜならば、自分一人ではないからだ。

奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け

 リオンの背後から、脇の横を通って敵を飲み込む氷の奔流が放たれる。
 放った魔法使いであるクーへ振り向きはせず、リオンは剣を構えて魔獣たちを睨んだ。

「そういえば、二人で一緒に戦うのはもしかしてこれが初めてではありません? 以前聖地で出会った不埒者には、ほとんどあなた一人で対処してしまいましたし」

「そう言われてみれば、そうかも知れませんね」

「ふふっ、あなたに背中を任せるのならば何の問題もありませんわ。敵の二百や三百、どんとかかってこいですわ!」

 奇声をあげて飛び込んでくるゴブリンの群を、リオンは一歩も引かずに対処していく。
 一体二体と斬られ息絶え、しかし無闇に進むことはせず、あくまでも決してゴブリンが自分よりも後ろにはいかないように戦う。

 前衛がそうしていれば、あとは後衛が倒してくれる。

主の歩く道は白く染まる

 先程よりも短い詠唱と共に、先程と同じ魔法がクーより放たれ、リオンにより道を遮られていたゴブリンたちをまっすぐに貫いていく。その間霧は晴れ、倒れた敵の姿を瞳に映す。一撃で数十体。まさに騎士と魔法使いが理想的な形で戦えているが故の威力だった。

 この強い魔法使いと共に戦うのなら、何時間だって稼いでいられよう――何の不安なく剣を振るうリオンは、先程から気になっていることをクーに質問としてぶつけた。

 気になっていることがあるのはクーも同じだったようで……

「クー。ユースの方はどうなりましたの?」

「はい、無事に処置を施すことができました。直に眼を覚まされるかと思います。あの、それでご主人様はご無事なのでしょうか?」

「無事に決まってますわよ。私の代わりに今、あの獣臭い男を正々堂々倒している頃合いではなくて?」

 ほっとしたような吐息が二つ重なる。その直後には、ゴブリンたちの断末魔が盛大に響き渡る。

 僅か五分――ゴッゾたちが逃げる時間を稼ぎ切ったのと同時に、その場にいたゴブリンを倒すのにリオンとクーが費やした時間であった。

 

 

       ◇◆◇


 

 

 作戦は最初からジュンタとサネアツの間で決められていた。

 敵対すべきだろう相手であったヤシューは、過去の交戦経験から見ても、今のジュンタでは真っ向勝負では分が悪い相手であった。それも情報が少なく、相手の力量が完全には量れない段階でその評価である。

 確実に戦闘不能にするのなら奇策が必要不可欠だった――ジュンタはサネアツが合流したそのときに、ある作戦を考えたのだ。

 無論のことリオンとトーユーズが一緒であれば、奇策を持ちいらずとも勝てただろう。が、念には念を込めた結果作戦を考えて、そして結果的に一対一で戦うことになった。であるなら、考えた作戦を使わないという選択肢はなかった。

 ともすれば、使わずに勝てたら良かったのだが……そう上手くはいかない。

 故に作戦を実行した。懐に忍ばせていた刃ならぬサネアツの魔法を、ここぞというタイミングで使うという作戦を。

 で、その結果。ヤシューはバインドによって地中へと拘束。戦う予定のなかったグリアーと現在交戦していた。

風よ

 上空に飛んだグリアーが、真下にいるジュンタへと風の刃を放つ。

 ジュンタは双剣を構えて、一気に加速。攻撃を避けたところで、懐から顔と手を出している相棒へと指示を飛ばした。

「サネアツ。足場だ!」

「よし来た。高く聳えるもの 其は空への挑戦

 ジュンタの胸元で茶色の魔法陣が輝く。
 魔法の行使者であるサネアツの詠唱の元、ジュンタの足下から勢いよく石柱が飛び出した。

「そろそろ墜ちろ!」

「ぐっ!」

 魔法系統・地の属性――石柱ロックタワー

 足場として空高くへと自分の身体を持ち上げた石柱を強く蹴って、ジュンタは双剣を翼のように振りかぶり、空を飛ぶグリアーへと襲いかかった。

「舐めるなっ! この、ヤシューとの戦いから逃げた卑怯者が!」

 完全に死角から飛び込んだというのに、グリアーは見事に対処する。風を操って攻撃を避け、そのまま無詠唱で矢を放ってくる。

 ジュンタは空中で背後に向かってドラゴンスレイヤーを振り、風の矢を払い、先程から何度も使っているために、地上から幾本もそびえたつ石柱の一つに着地した。

「卑怯者って、正義の味方に向けられるべき言葉じゃないよな」

「仕方あるまい。逃げたと言われるのは心外だが、素晴らしい妙案とはなかなか理解されないものなのだよ」

「何が妙案よ、卑怯者に化け猫!」

 二人の会話を聞いたグリアーは、両手に大きな風の塊を纏わせて振りかぶる。

 何やらヤシューの持っていた純粋な勝負へのこだわりのようなものに、グリアーとしても思うところがあったらしい。卑怯な手段で勝負を決めたこちらを見る目は、まさに汚物とかその辺りを見る目である。仕方ないが。

「暗殺者に卑怯者って罵られるって、相当レアじゃないか? 俺たち」

「オーイエー。気にするな。元から卑怯な手段でメイド様を襲ったのは向こうの方。今更何を言っても、こちらには報復という大義名分がつく。民意は我らにあり。うぃ〜あ〜ジャスティス!」

「なんだか今日は微妙に怒ってるな、サネアツ。まぁ、俺だってそうだ。というわけで、卑怯じゃなくて戦術って言って欲しい」

「このっ、馬鹿にして!」

「馬鹿にしてない。今もさっきも全力だ!」
 
 作り上げた風の塊を思い切り投げつけてくるグリアーの様子は、褐色の肌でも彼女が怒りで顔を赤く染めているのがわかるほど。つまりは冷静さを今彼女はなくしており、ならばここが勝負を決めるタイミング。

 ジュンタは即座に集中が途切れ、効果を薄くしていた[加速付加エンチャント]を再機能させる。
 自分の誇れるところは、この持久力にあり。ヤシューとの戦いからぶっ続けでグリアーと交戦しているが、未だ魔力は尽きていない。

「サネアツ、加速する。気張れよ!」

「合点承知!」

 そして何より、今やもう隠す必要のない相棒が一緒にいる。負ける道理はなかった。

 自分に全力で戦えというのなら、この少々卑怯ながらも勝利を目指すやり方こそ全力。二体一であることを恥じと思わず、ジュンタは全力で跳んだ。

 足場が[加速付加エンチャント]で強化された踏み込みによる衝撃と、風の弾丸の威力により粉みじんになる。その粉塵が空に舞った頃にはジュンタは先程作った石柱へと移動しており、そこを三角飛びの要領で利用して、グリアーの背後へと迫っていた。

 右のドラゴンスレイヤーよりも多く雷気を纏う左の旅人の剣を、ジュンタは大きく振りかぶる。

 持ち主の属性や性質などを吸収して進化する剣は未だ無名の未完成――しかしながら、それでも魔力を制御・増幅させてくれる『魔法使いの杖』の役割程度は果たしてくれていた。

「喰らえ――

――雷迅剣!」

 短めの片刃の刃よりも雷の魔力によって効果範囲が伸びた、雷撃の槌と呼ぶべき斬撃がグリアー目がけて放たれる。何やらサネアツがよくわからない呼び名を決めているが、とりあえずスルー。あとでクーも混ぜて多数決を取ってみる所存である。

「ちぃっ!」

 少なくとも使徒の魔力と加速のスピードで底上げされた一撃は、いかな風の魔法使いでも避けきれない一撃だった。グリアーは何とか上昇して避けようとしたが、その結果足に多大なダメージを負う。

 そして攻撃はこれで終わりではない。

「ピッチャー振りかぶって第一球」

「サネアツ。GO!」

球は白猫 弾丸魔球

 移動の間に足下へと移動していたサネアツを、ジュンタは上昇したグリアーめがけて蹴り上げた。
 
 真下からの強襲。しかも魔法付き――避けられるものはない。

 サネアツの柔らかな身体は、その時ヤシューのように硬くなっていた。頭突きを腹に受けたグリアーは口から空気を盛大に吐いて、魔力の集中を途切れさせて地上へと落下し始めた。

「ジュンタ」

「俺は大丈夫だ。不時着できる」

 グリアーと共に落ちていくサネアツの言葉にジュンタはその意味まで悟って即答し、落下スピードを落とすために『加速』を始める。上へ。かつてグリアーと戦ったときはできなかった加速の微調整は少しまともになっていて、修行を初めて二ヶ月以上経った今では、

「ぐぅっ!」

 地上に降りた瞬間全力で回転受け身を取ることによって、何とか打ち身程度ですむぐらいの頑丈な身体を手に入れることができていた。

 盛大に転がって不時着したジュンタはよろよろと立ち上がる。その間に地上を沼へと変え、やはりグリアーごと不時着していたサネアツへと、[加速付加エンチャント]を解きつつ近付いていく。

「ゲホッ、くそっ」

 僅かに気を失っていたらしいグリアーは落下の衝撃で眼を覚まし、沼から出たところでジュンタに剣を突きつけられた。サネアツは泥だらけになった身体を震って泥を飛ばしてから、肩の上へとよじ登ってきた。

「さて、悪いが俺たちの勝ちのようだな。グリアー」

「お前にはもう一度牢に入ってもらうぞ。安心しろ。すぐにヤシューも掘り起こして同じ場所へと移送されるだろうから」

「アンタたち……清々しいほどに最低ね」

 以前は諦める姿勢を見せたグリアーだが、今回は今にものど元に食らいついてきそうな獣のように、じっと睨み続けている。

 こうなったら気絶させるしかないようだ。[加速付加エンチャント]を使えばある程度の雷撃の付加が剣につく。即席スタンガンとして、彼女の意識を奪うことは可能だった。

(ヤシューをあんな風に倒したあげく、相棒までこれか。いつになったら、俺はいついかなる時も格好いい騎士として戦えるんだか)

 今はまだ、死んで大事な人を悲しませないため、多少あれでも勝ちを拾って帰られる程度の格好良さしかない。トーユーズのように、誰もを魅せつつ勝てるほどの強さにはまだまだほど遠い。

(だけど、いつか。先生のようになれたらいいよな)

 右の剣をグリアーに向けたまま、ジュンタは左の剣に軽く魔力を収束させる。[加速付加エンチャント]ほどではないが虹色の魔力を纏わせた刃を軽く振り、睨むことを止めないグリアーの首筋に触れさせようとして、


 ――――背中から、感じてはならない気配を感じて振り返った。


「このっ!」

「しまっ――!」

 その隙を逃すことなくグリアーは逃げてしまう。彼女は再び上空へとあがった。

 ジュンタは彼女を目で追いながら、しかし内心では意識を背後――『不死鳥の湯』の方へと向けていた。向けないことなどありえなかった。

「……サネアツ。お前は気付いたか?」

「先程より『不死鳥の湯』から感じ続けている、大勢の魔獣が暴れているかのような気配のことか? これは驚きだ。ジュンタもついに気配を感じ取れるようになったか」

「いや、違う。俺が感じたこの気配は……」

 サネアツほどの感知能力のないジュンタが、それでも感じた気配。しかもサネアツには感じ取れなかったというのなら、この気配の主はただ一つ。

「……まずいことになったぞ。サネアツ。どうやらリオンと先生は間に合わなかったらしい」

「と言うことは、『封印の地』が?」

「開いた、ってことだろうな。しかも最悪なことに、ドラゴンの気配を感じるよ。まだこの世界には現れてないだろうが、確実に『ナレイアラの封印の地』の中に、ドラゴンはいる」

 ジュンタが感じ取った気配とは、ドラゴンの気配に間違いなかった。まるで近くからその波動が発せられたように、かの魔獣の王の気配が背筋を撫で上げていったのだ。明確な距離こそわからないが、間違いなく近くに自分以外で『侵蝕』の魔力を持つ者が脈動を始めている。

 それが意味していることは、つまり『ナレイアラの封印の地』の開放だろう。
 リオンとトーユーズは間に合わず、ドラゴンと魔獣の軍勢を内封するパンドラの箱が開いてしまったのだ。

「『封印の地』が開いたってことは、旅館は今大変なことになってるだろうな。あんまり時間をかけられない。すぐに決めるぞ、サネアツ」

「言ってくれるわね。生憎と、そう簡単に倒される私じゃないわ。もう油断もしない」

 一刻も早く援軍として駆けつけるために、ジュンタはグリアーへと再び剣を向ける。

 だが思惑とは裏腹に、グリアーの言うことはもっとも。挑発した後の奇襲じみた攻撃は、一度捕らえかけられた彼女にまた通じるとは思えない。少々疲労も感じてきた。サネアツと二人一組でいる限り負ける道理はないが、それでも持久力が売りの自分ではどう足掻いても戦いは長引くことだろう。

 一刻も早い帰還が望まれるのだが、仕方ない。焦っては、今度はこちらが相手の罠にかかって死ぬかも知れない。冷静に。だけど限りなく早く勝利しよう。

「……ふむ。仕方あるまい。適材適所という言葉が存在するしな」

 内心で決意を固め、剣を握る手に再度力をこめたジュンタの肩から、サネアツが意味深な呟きと共に飛び降りた。

「サネアツ?」

「行け、ジュンタ。ここは俺に任せておくがいい」

 ふりふりと尻尾を振って、目の前に地面に降り立つサネアツ。

「『封印の地』が開いたのなら、皆の協力が必要不可欠になろう。だとするなら、ジュンタ。他でもないお前もその輪の中にいるべきだ。ジュンタがいるといないのでは、成功率がまったく違う」

「だけど、お前一人で大丈夫なのか?」

「何、心配をするな。これでもジュンタと同じように、俺もみっちり修行をしているのだ。そう、他でもない敬愛すら抱く師匠からな」

 この場を任せろと言い放ったサネアツは、『封印の地』のことは別として、ここから去ることができないのだろう。

 サネアツの声からは、明確に怒りの念が感じられた。珍しいことに、サネアツにしては本気の怒りだ。本気でサネアツはグリアーに、彼女を含めた今回の敵に対して怒っていた。

(そうだったな。お前にとって、ユースさんは大事な先生か)

 ジュンタだってユースのことは大事な友人のように思っているが、それでもサネアツの方が関係も想いも深いだろう。なら自分が残ってサネアツが行くという道は選べない。大局を考えるのなら、彼のいうことが一番いい道だ。

 サネアツは幼なじみであり、ジュンタは彼が負けるところなど想像できなかった。

「さっさと勝って、さっさとこっちにこいよ。お前がいるといないのじゃ、リオンを言い含められる可能性がかなり違うんだからな」

「ふっ、この俺の愛くるしい肉体をご所望か。よし来た。すぐにあの褐色ねーちゃんを下し、ジュンタの元へと馳せ参じようではないか」

「なら、俺は一足先に行ってくる。……無理だけはするな」

 グリアーの集中力も回復し、場は一触即発の空気が甦りつつある。一人『不死鳥の湯』に向かうのなら、ここが唯一のタイミング。サネアツの小さいながらも自信たっぷりな背中を見て、ジュンタは迷うことなく後ろを向いて走り始めた。

「逃がさない!」

男のロマン万歳

 緑の光と共にグリアーから魔法の刃が放たれるが、ジュンタは振り向かなかった。
 信じていた。振り向く労力も避ける労力も必要なく、全てを走る力に変えて大丈夫だと、サネアツらしい詠唱の言葉を聞いて信じていた。

 ジュンタの少し長い後ろ髪を、さわやかな風が僅かに撫でる。

「そちらにこそ、逃がさないという言葉は贈ろう。グリアー。お前の相手はこのサネアツ様だ」

「……いいわ。相手をしてあげる、化け猫」

「化け猫などと呼んでくれるな。キャット・ザ・ラブアンドピースと呼んでくれ」

 巨大な土の壁をもってジュンタへの攻撃を防いでみせたサネアツが、背後でグリアーと闘志をぶつけあっている。

「がんばれよ、サネアツ」

 ジュンタは一言だけ信頼のエールを贈って、混沌の装いを見せる『不死鳥の湯』目指し、駆けていく。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 すでにそこの混沌たるや、かつての面影などどこにも残っていなかった。

 中央付近に『封印の地』へと道を繋ぐ露天風呂。石造りの床は破壊され、抉られ、まるで採石場の地面のような有様。しかし採石場というには、あまりにそこは凄惨すぎた。

 かつて霊湯といわれた湯が浴槽より溢れ、濡らしていた床。しかし今そこを濡らしているのは緑色の血――魔獣の血だ。

 ここは湯殿であるため排水機能は高いが、それでも次々に垂れ流される魔獣の血は粘着性が高く、排水が追いつかない。高く積み上げられた屍共々、かつて憩いの場として大事にされていたそこを戦場跡のように変えている。

 否、戦場跡ではない。そこはまさしく阿鼻叫喚の戦場だった。

「まったく、きりがないわね」

 双剣の一振りで、この凄惨な現場を作り出した張本人――トーユーズの周りにいた魔獣の群が血しぶきをあげて吹き飛んだ。

 斬撃のあとに雷鳴が轟くような音が鳴る。まさに音よりも早く対象を貫く雷光の刃。
 それを血に飢え、数が多いだけの魔獣が避けられるはずもなく、衝撃波のように吹っ飛ばされた魔獣の骸は、湯殿の隅に堤防のように積み上げられた屍の一つと化す。

『封印の地』開放の危険性を感じ取って、トーユーズが全速でここにやってきたのが十分ほど前。

 遺憾なことに、儀式の執行者たる『狂賢者』と異端導師には逃げられてしまった。
 まるで誰かに召喚されたかのように消え去った二人は一体どこへ消えたのか。現状、深く考える暇もなければ、探していられる暇もなかった。

「なるほど。十万近い魔獣が封印されてるって話も、決して誇張でもなんでもなかったわけね」

 自分でもどれだけの数を屠ったのかわからないほどに、辺りにはオーガやガルム、ワイバーンやゴブリン、その他諸々の魔獣が死骸となって転がっている。その数は百を優に超えていた。

 これだけの魔獣を一度の戦闘で斬ったのは、トーユーズも初めてのことだった。『封印の地』から続々と出現する魔獣は湯殿に溢れ、倒しても倒しても終わりがない。現在も止まることなく新たな魔獣が現れては、トーユーズの刃によって新たな肉の壁と変わる。

(この程度の相手、どれだけ来ようが負ける気はしないけど……)

 ワイバーンやオーガの放つ火球を避け、肉薄して双剣を振るう。まるで巨大な肉の塊を解体するように、並の騎士以上の力を持つ魔獣をトーユーズは小さな肉片に分けてみせた。

(う〜ん、さすがはあたし。見惚れるくらいに見事な、かくも素晴らしき剣捌き)

 百を超えた魔獣を一度に相手にするわけではないが、それでも連続して何体も倒しているトーユーズ。しかしその身に血の汚れはない。

 血を浴びている暇などないのだ。立ち止まることなく、考える中でも魔獣を倒さなければならなかった。
 
 何せ魔獣の数は無尽蔵のようなもの。『封印の地』が開いている限り、この場所に魔獣が現れるのが止まることはない。数百の魔獣を倒したのは大した成果でも、十万の敵がいると考えるのなら、大局に何の変化も及ぼさない。

(戦いを終わらせるには、十万を殺し尽くすか、『封印の地』をもう一度塞ぐしかないわね。けど、その方法はわからない)

 戦闘の合間、開いた孔を押し広げるように、我先にと外へと出ようとする魔獣の醜悪な押しくらまんじゅうを見て、トーユーズは顔を顰める。

「なら、あたしの役目は足止めか。……損な役目。誰も見てないってのに、労力だけは多いんだもの。この美しいあたしがやるような仕事じゃないわね」

 トーユーズは天才だ。最強と名乗っても何ら不遜ではないほどに、強い。
 魔獣如きに負けることはありえない。いや、千もの敵に同時に攻撃でもされたらわからないが、それでも孔の大きさから一度に出られる魔獣の数が定められている現状、この戦いにおいて自分が負けることはない。

 ただ、負けることはないが、同時に勝つこともまたできなかった。勝つにはあまりに、敵の数は多すぎた。

 しかし終わり無き魔獣の駆逐を、それでも続けるのには切実な理由がある。

 これほどの数の魔獣を相手にできるのは自分だからこそ。普通の市民では、いや、たとえ武装した騎士であっても、これだけの魔獣を相手にするのは絶望的だ。絶え間なく続く戦いにおいて集中力を乱すことなく、その力を維持し続ける――これが可能な達人はそうそういない。

 つまりはここでトーユーズが抑えなければ、すぐに魔獣は湯殿を出て、『不死鳥の湯』を出て、ラバス村の住人を襲い出すということだ。そうなれば一時間もせずに故郷の町は死に絶える。

 それは許せない。本当に久しぶりに帰ってきた故郷でも、それでもラバス村はトーユーズにとっての故郷以外の何ものでもなかった。守る価値はあり余るほどにある。

「あたしにしかできないんだから、戦いを止めるわけにもいかない。本当に、誰かに早く解決して欲しいわ。あたしはか弱い乙女なんだから、永遠に足止めできるわけじゃないのよ」

 一人戦い続けるトーユーズ。雷光の速さによって、出現した魔獣は屍と変わる。……それでも、この数を相手にすれば、数十匹に一匹、二匹取り逃がしてしまうのは、いくらトーユーズでもしょうがないことだった。丁寧に殺せば、逆にもっと大勢に防御網の突破をされる結果になる。

「さて、みんなが対抗策を考え出すのが先か、それともドラゴンが出てくるのが先か……さながら、ここは現世に甦った地獄ドラゴニヘル。ならあたしは、地獄に咲き誇る美しき華ってところかしらね」

 トーユーズは、こんな魔獣と隣り合わせだった古代の人に同情を寄せつつ、それ以上にここで自分と出会ってしまった魔獣たちに同情を寄せ、愛剣を構え直す。

「騎士の剣は心にあり。故に、この剣の切っ先は我が殺意と知れ。――さぁ、死にものぐるいでしがみつきなさい。『誉れ高き稲妻』の殺意から逃れられる、百分の一の可能性に!」

 稲妻が吠える――幾度となく夜の闇を照らす黄金の瞬きは、まさに闇に咲く光の花のようだった。

 


 

 雷鳴が轟く頃、またリオンとクーの二人も魔獣との戦闘に集中していた。

「まったく次から次へと、まるで羽虫のようですわね!」

 両側の壁が崩れ、もはや通路の装いをなくした中庭へと続く空間の中、紅の太刀筋がゴブリンの首を切り裂く。その直後、リオンを背後から襲おうとしたゴブリンの心臓を飛来した氷の矢が貫き、それと同時に、返しの刃でリオンはもう一体ゴブリンを切り裂いていた。

「まったくもって鬱陶しいですわ。早く大浴場へ行かなければなりませんのに」

「とは言っても、そう易々とあの肉の壁を通り抜けることはできませんよ」

 後方から援護していたクーが近くに寄ってくる。
 彼女はこちらに背中を向け、周りにいるゴブリンを氷の矢で射抜いていった。

「わかってますわよ。さすがの私でも、ゴブリンが相手とはいえ、あの数でできた壁を無傷で通り抜けることは難しいですもの」 

 時折詠唱を交える彼女は、戦闘中あまり話すことができない。思わず苛立ちからもれた文句をリオンはそれで打ち止めにして、目の前の魔獣との戦闘に戻る。

 敵の数は推定百。全てがゴブリンばかり。

 思うに、どうやらちょうどゴブリンの群がある場所に孔――調査のために大浴場に向かおうとした二人の前に眼前と現れた、時空の裂け目と呼ぶべき小さな孔は繋がったのだろう。かつてベアル教のアジトでも、実際に穿たれた『封印の地』への孔の他に、小さな孔が近くに開いていたのをリオンは覚えていた。

 小さくとも『封印の地』へと繋がった孔からは、絶え間なくゴブリンが現れていた。すでにリオンたちがこの場にやって来たときにはかなりの量が蠢いていた。すぐさま交戦して駆逐にかかったが、倒せる数と新たに現れる数がほぼ等しく、事態は膠着状態に移っている。

(ここに孔が開いているということは、大浴場では本格的に『封印の地』への道が開かれてしまいましたのね)

 クーと協力して旅館の外へと魔獣が出ないように、白い霧の中リオンは戦う。

(不幸中の幸いは、トーユーズさんが直接『門』へと向かわれたことですか。魔獣の大軍が一挙に押し寄せることはありません。ですけど……)

 リオンのドラゴンスレイヤーが肉を裂く。クーの氷の魔法が骨を粉砕していく。

 そうやって倒されたゴブリンの屍は高く積まれていく。倒しても倒してもきりがない。自分たちほどの実力者でも永遠に減らない敵にこれほど手こずっているのだ。常人が遭遇したらひとたまりもないだろう。

(恐らく今はまだ『封印の地』の中でも、一部の魔獣しか道が繋がったことには気付いていない。けれど、すぐにでも全ての魔獣がこの世界へと舞い戻る孔の存在に気付く。そうなればトーユーズさんでも、私たちでも手に負えない段階に移行する。それに、ドラゴンも)

 魔獣の王たるドラゴンに率いられた十万もの軍勢が現れたなら、ラバス村も含めて多くの人々が甚大な損害を負う。一度に全ての魔獣が解放されたなら、王軍や聖地が動くほどの大規模な『戦争』となろう。
 
 そんなことは決して許してはおけない。何とか進行を食い止められる今の段階で押しとどめなければ。

(どうにかして『封印の地』をもう一度塞がなければなりませんわ。お父様が方法を何とか探し出してくれるかも知れませんが、私もこの目で現場の状況を見て、解決方法を模索しませんと)

 それが『始祖姫』ナレイアラ・シストラバスの子孫である、竜滅姫の自分の役割であるようにリオンには思えた。

 いっそう燃える斬撃がゴブリンたちを纏めて薙ぎ払う中、リオンは足止めされているともいえる現状を、再度歯がゆく思ってしまう。

――リオンさん。ここは私に任せて下さい」

 リオンの内心を察したのか、背中を任せていたクーが唐突にそう述べた。

「クー?」

「行ってください、リオンさん。ここで二人一緒に戦っても、事態の解決は望めません。私一人でもゴブリンたちを足止めすることは可能ですから、どうぞ全てを解決するためにトーユーズさんの許へと行ってください」

 クーの真剣な言葉に、『でも』という言葉も心配する感情も、リオンは向けることが躊躇われた。

 一緒に戦っていたのだ。ユースを助けてくれたクーが、かなりの疲労を隠していることはわかっていた。それでも確かにクーのいうことは至極もっともで、頷く以外の選択肢がないように思われたのだ。

「……わかりましたわ。ここはあなたに任せます」

「はい、任されました。それでは道を作りますので、どうぞお気をつけて。ご武運を祈ります」

「クー。あなたにも、ご武運を」

 強く立とうとする少女の強さを、かつて一度その実力の前に敗北の寸前まで追い詰められたリオンはよく知っていた。さらに付け加えて、ここ一ヶ月ほどで彼女に少しだけ、ほんの少しだけだが余裕が見られるようになった。無理はきっとしないでくれるはずだ。

奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け

 信頼を向け、リオンはクーが放つ十八番の魔法の嵐が生み出す道を走り抜けるため、辺りの敵を一掃する。

 クーの手から放たれた氷の奔流は、ゴブリンたちの肉の壁にぶち当たってその身体を削っていく。あまりに多く群がる敵の前、向こう側へと完全に突き抜けることはできなかったが、その道を駆けるのはひ弱な人間ではない。騎士たるリオンである。

「おどきなさい!」

 弾丸のように紅い光を輝かせながら、剣を握ったリオンが最後の壁を自らの手で切り開く。

「安心なさい、クー。すぐに私がどうにかして差し上げますから」

 すぐ背後で肉の壁が塞がったのを気配で感じつつ、リオンはさらなる熾烈な戦場であろう大浴場へと、走る。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 それが夢だと気が付いたのは、本来在るはずのない光景が広がっていたからだった。

 地平線の彼方まで続く緑の草原。初めて外に出たあの日、実際は地平線の彼方までは続いていなくとも、それでも小さな窓から抜け出た自分にはどこまでも続く草原ように見えたそこで、小さなお茶会は開かれていた。

 小さなといっても、そこに連なるメンバーの顔ぶれを見れば、決して慎ましやかなとはいえない。

 穏やかな風が吹く草原にレジャーシートを引いて、その上に皆が紅茶のカップを持って座っている。

 右からクーヴェルシェン。次に、彼女にクッキーを差し出されているジュンタと、その頭の上で彼をからかっているサネアツ。リオンは隣の父親と話をしつつ横の様子に青筋を浮かべていて、そんな娘の不器用な様子を母親がおもしろがって見守っていた。

 そして――そんな笑顔で溢れた光景の中、一際穏やかに笑っているトリシャが、ぼんやりと眺めている自分と並んでそこにいた。

 ああ。これはなんて幸せな夢なんだろう。

 一緒にお茶会をしている彼らだけではなく、エリカやエルジンなどの知り合いも周りにいて、明るく穏やかな時間が永遠に続くと思われる夢……
 生きている人も死んだ人も関係ない。あり得ないあり得るも関係ない。デタラメで、だけど優しい、愛すべき日常を体現したような幸せな夢……

 だけど、これは夢だ。ユースは知っている。どのような夢もいつか覚めてしまうことを。目覚めたら忘れてしまうことを。日常は、唐突に崩れてなくなってしまうということを。

 ……気が付けば、みんなの姿は消えていた。

 草原はいつかの窓しかない部屋へと変わり、自分はベッドの上から四角で区切られた外を見ていた。

 今の日常が始まる前の、自分の始まりの風景。今なお心に刻まれた、だから日常は尊いのだと教えてくれる原初の景色。この原風景を見ると、まるで今の日常こそが弱り切った病弱な少女が見る、儚い夢なのではないかと思ってしまう。

 自分はあの鳥かごの中から出ることはできなくて、死を前にしてぼうっと外に憧れ続けているだけではないのだろうか……そんな震えるほどに恐いことを考えてしまって、なんだか酷く泣きたくなった。


――いいことを教えてあげる。泣いていいのは、親か好きな人の胸の中だけなんだって』


 ふいに逆光を背に、紅い髪をした誰かが窓の縁に座っていた。

――昔誰かが言ってた言葉。好きな人がいないのなら、好きっていう意味がわからないのなら、泣くことで知ればいいらしい』

 それはたった数回だけ会ったことのある人だった。

――誰かの目の前で泣きたくなったとき、それがあなたにとって親と呼ぶべき人。誰かの胸の中で泣けたなら、その人があなたの好きな人』

 無価値な自分に本当は会うべきではなかったのに、彼女はいつも気まぐれな風のように現れて、そんな風に心を燃え上がらせる言葉を告げたのだった。その何となくな気まぐれを、とぎれとぎれに告げられた言葉を、今も強く覚えていた。

――今を楽しいと感じられなかったのはわたしも同じ。けど、それは気付く方法を知らなかっただけ。わたしは知った。わたしは、わたしが胸の中で泣ける好きな人に教えてもらった。今まで色褪せて見えた世界でも、輝いていたものはあったんだって。ただ、気付けなかっただけで、私はこんなにも綺麗な世界で生きていたんだって』

 だって、その人の言葉に生きる気力をもらった。
 こんな自分でもこれから先、生きて、幸せな日常に出会えるのだと教えてもらった。

 彼女のことは好きではなかった。嫌いで、憎んですらいた。
 けれど……そう、誰が命の恩人かと言われれば、彼女こそが命の恩人。ユース・アニエースはほんのり幸せそうに笑った女性に教えてもらったのだ。大切な日常の見つけ方を。

 トリシャという女性が母親であると知ることができたのは、彼女の前で泣けたから。泣けるのなら、目の前のその人が大事な家族であると教えてもらったから。

 四角い狭い窓を焼き尽くし、大いなる風を舞い上がらせた、ユースという存在を誕生させた人――その紅い背中に悔しくも見惚れて、苦難の時間を乗り越えた。

 そうして出会ったのが、彼女の娘の従者をしていられるという今の日常。
 夢が覚めてしまうものなら、日常がいつか壊れてしまうものなら、必死に繋ぎ止めて守ると、そのために戦うと誓った。

 
 ――――夢は紅い背中を追いかけて、あの日の風景に辿り着く。


 吹く風に誇りであるメイド服のスカートをなびかせて、眩しく輝く世界を眺め、振り向くことなく忽然と彼方へ消えた紅い背中の代わりに、立ち止まって振り向いてくれた大事な人に笑いかける。

 守れなかった大好きな人は、草原の中、死に際に見せた笑顔そのままで笑っていた。

 ようやく気付く。その笑顔は、とても幸せだったということを教えてくれていたのだと。

――お母さん」

『ユース』

 声は果たして、草原を駆け抜ける風が運んだ空耳だったのか。たとえそれでも構わなかった。だって、彼女が言いたいことはわかっていたから。聞くまでもなく気付いたから。

 だから、この幸せな夢から目覚めよう。覚めても続く幸せな日常を続けるために。

 大事なことはすでに受け取っていた。
 そのことだけを胸に刻んで、ユース・アニエースは眼を覚ます。

 最後――大好きなお母さんに向けて、ユースは家族がいるから見せられる涙と共に、最後の別れを告げる。


――――お母さん。行ってきます」


 草原を一際強い風が吹き抜ける――それは炎を熱く燃え上がらせる、不死鳥の従者が招く熱い風であった。

 

 

 目の前に立ち塞がるように現れた魔獣を下し、ようやくクレオメルンはクーとユースがいる部屋へと辿り着いた。

 守るように扉を凍結させた氷を槍で砕き、扉を開け放つ。
 そこで、異様な空気が満ちる『不死鳥の湯』の中にあって、静謐で神聖な風を見た。

「ユース……?」

「クレオメルン様」

 背中を向けたユースが振り返る。

 まっすぐに背を伸ばし、胸を張る彼女の服装はシストラバス家のメイド服。
 ユースはその手に掴んだホワイトブリムを頭につけると、恭しく頭を下げた。

「クレオメルン様。お願いがあります。どうか私を、『封印の地』に続いてしまった大浴場までお連れ下さい」

 頭を上げたユースの、その眼鏡の奥に輝く翠の眼差しは、かの名高い竜滅姫の紅い瞳のように強い意志を秘めた瞳――その眼差しを向けられた瞬間に、クレオメルンにユースからのお願いを断る選択肢はなくなった。

「了解した。あなたは私が必ず守り抜こう」

「ありがとうございます。では、守りに行きましょう。今の幸せを。私が――

 頭をもう一度下げ、綺麗なお辞儀を見せる封印の風の継承者。


――トリシャ・アニエースの娘ユース・アニエースが、『封印の地』を再び閉ざします」


 ユース・アニエースはまたここに、日常を続けるために戦いの舞台へ上がることを宣言した。









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