第四話  竜殺しの村


 

 触れそうなほど近い吐息に、リオンは身を強ばらせることしかできなかった。

「ハニー……」

 薄暗い寝室。軋むことなく二人分の体重を受け止めてくれるベッド。部屋には見つめ合う二人以外に人の姿はない。

「ハニー――愛してるよ」

 耳朶を打つ愛の囁きには、以前彼から受けた告白ほどの胸の高鳴りはない。当然だ。心の底から彼がそう思っているのは間違いなくても、それでも自分をベッドに押し倒す彼が正気ではないのは、誰の目に見ても明らかだから。

 いわばこの愛は一瞬の錯覚。一夜の幻。……だけど、それでもこの時この瞬間、目の前の少年は『本気』だった。

「……ぁ」

 胸へと延ばされた手に、リオンは睫を振るわせて、ぎゅっと目を瞑る。

 不埒な行為に及ぼうとしている彼を押しのけなくてはいけないのに、拒み、その狂った脳みそを正常に戻してあげねばならないのに、両手は胸元に寄せられたまま動かない。強ばった身体は自然に微かな震えを起こし、そういった震えが男の情欲を誘うものと、女であるリオンは半ば無意識に知っていた。

 なのに……それでも、リオンはジュンタを拒絶する真似に及べなかった。

 胸へと延ばされた手は、予想に反してリオンの手を握っただけに終わる。
 瞼を開いたリオンは、僅かな怯えとそれ以上の困惑、大部分を占める迷いを秘めた瞳で、目と鼻の先で微笑むジュンタを見つめ返した。

「ジュンタ……」

 今、自分は過ちを犯していると理解しているのに、なぜ自分はこんなにも、熱い吐息を吐いてしまうのか。

 決まっている。アルコールを摂取したからだ。それも飲み比べなどをして大量に。

 だから、そう、今の自分は正気ではないのだろう。ジュンタがそうであるように、また自分も酔っぱらって正気ではないのだ。でなければ、このタイミングで全てを受け入れるように、そっと目を閉じるなんてあり得ない。

 リオン・シストラバスは騎士にして貴婦人。一夜の過ちなどは犯さない。
 身体に触れることを許すのは、生涯を誓い合う唯一一人だけ。それも婚姻を終わらせるまでは、決してみだりに触れることを許してはいけないのだ。

「わ、私を、だ、誰と心得ますの。わ、私は、リオン・シストラバスですのよ……」

「リオン」

 愛おしそうに名前を呼ぶだなんて反則だ。リオンはもう、それだけで何も言えなくなった。

 浅く頬を撫でる右手。ぎゅっと指と指を絡め合う左手。 
 どちらも温かくて、優しくて――リオンは覚悟を決めて、唇を閉じ……


「それじゃあ寝ようか。お休み、ハニー」


「……………………………………………………………………ぇ?」

 呆然と、愕然と、リオンは自分の上から消えた気配に目を開けて、素っ頓狂な声をあげた。

「え?」

 横を見る。

 先程まで自分を見つめていたジュンタの瞳は閉じられ、幸せそうな表情のまま、クースーと糸が切れた人形のように寝入っていた。

「…………え……?」

 それはもう完膚無きまでに――――ジュンタ・サクラは眠っていた。

「………………………………………………………………………………ぇ…………?」






       ◇◆◇






 ジュンタにしてみたら今回の温泉旅行は、リオンと仲良くなるための旅行である。

 旅程に往復で四日かかるため、それ以上に休まなければ意味はないと言わんばかりに八泊九日の旅行となっている。その内五泊をラバス村の『不死鳥の湯』で行う。温泉地で身も心も解放される旅行中は、まさに男の正念場なのであった。

 なのに……深まるどころか、溝が広がっている気がするのはなぜだろう?

「俺は一体何やってるんだ? と言うか、俺は一体どんな風に酔っぱらったんだ?」

 部屋のベッドの上にボロボロなままの状態で寝転がったジュンタは、窓の外に広がる山を眺めつつ、乾いた笑い声を浮かべた。

 現在時刻は午前十時――朝食を終えたメンバーのほとんどが街へと繰り出していることだろう。

 だと言うのに、ジュンタは未だ宿の中にいた。別に昨夜のお酒が残っているとか、二日酔いで動けないとかではない。完膚無きまでに落ち込んで、無気力状態になっているのだ。一人反省会ともいう。

(昨夜の記憶がなく、朝起きた瞬間一緒のベッドにいたリオンには、にっこりと微笑まれた上でボロボロにされて、他の面々には生暖かい視線を向けられる……いや、本当に何があったんだ?)

 ジュンタには昨夜の記憶というものが、頭からスポンと抜け落ちていた。
 覚えているのはのぼせたクーの介抱をユースに頼み、リオンらに絡まれてお酒を飲ませられたところまでである。

 お酒を飲んだということは、つまり自分は酔っぱらったのだろう。それ即ち、サネアツが口を噤むほどの悪酔いが発揮されたということで……なぜにリオンと同衾していたのか?

(普通に考えれば、いたしちゃったわけだが……あり得ないな。俺もリオンも服着てたし、もし仮にそんな真似をしていたら今頃リオンによって殺されてる。すると、酔っぱらった俺がリオンを連れ込んで、そこで事切れて眠ったってところか)

 どちらにしろリオンに対する印象は最悪だ。
 
 もともとリオンに酒は飲まされたわけなので、大嫌いとまでは思われていないと思うが、好感度はマイナスだろう。好感度上げようと旅行にやってきたのに、下げていたら笑い話にもならない。

「くそぅ。金輪際お酒は絶対飲まない。飲まない……飲まないと決意するより、飲まされないように身体を鍛えた方が建設的だよなぁ」

 酔っぱらって手加減を忘れた相手とはいえ、リオンとトーユーズに腕力で歯が立たなかったのは、男として少々どうだろうかという話である。

 ジュンタは自分と同じくベッドに投げ出された、二振りの剣を見る。

 実用的な中に芸術品としての美しさも見られる、紅き刀身のドラゴンスレイヤー。
 無骨な輝きを放つ、短めの片刃の刀身を持つ『英雄種ヤドリギ』の刃―― 旅人の剣。

 それぞれ大切な女の子を守ると決めた証の剣だ。トーユーズの下で修行を積めばきっと強くなれる。強くなって、ジュンタは二人の少女を守りたかった。

「……そうだよな。この程度で諦めてたまるかってんだ。好感度を下げたなら、これからそれ以上に上げれば問題ないんだから」

 浴衣から普段着である、ボロボロになる度修復している制服へと着替えて、双剣を鞘ごとベルトにつける。ずれていた黒縁眼鏡の位置を直したあと、ジュンタは部屋を出た。

 まずは女衆が使っている部屋をノックする。しかし部屋の中には誰もいないようで、そろりと開けて中を確認しても、やはり誰もいなかった。

(みんな遊びに行ったんだとすると、リオンがどこに行ったのかわからないな)

 クーはトーユーズとラッシャ、サネアツと散策へと出かける旨を一時間ほど前に言って宿を出た。リオンは恐らくゴッゾと一緒に出かけたと思われる。

 さて、どうしようか――玄関の方へと足を運んだジュンタは、そこでばったり、手に新しいシーツを抱えたユースと遭遇した。

「あ、ユースさん」

「これはジュンタ様。ジュンタ様は皆さんとお出かけしていなかったのですね」

「ええ、まぁ。ユースさんは家の手伝いをしてるんですか?」

「はい。ゴッゾ様とリオン様に、旅行中は休暇を申しつけられましたので。宿の方のお手伝いをしようと思った次第です」

 どうやら昨日、実家に帰ってきたのにトリシャと大した会話もしようとしなかったユースを見て、リオンとゴッゾは強制的に彼女を休みとしたらしい。もっとも、リオンの従者としての仕事の代わりに家の手伝いをしていたり、彼女がメイド服なのは変わりないが。

「あ、そうだ。ユースさんはリオンがどこへ行ったか知ってますか?」

「リオン様ですか? リオン様はゴッゾ様と一緒に、恐らく街を回っておられると思いますが……お探しになられているのですか?」

 どこか冷然とした輝きのある、眼鏡の奥の翠眼で見つめられたジュンタは、少しだけ気恥ずかしくなったが素直に頷いて答えた。

 ユースは静かに納得の意を示すと、

「分かりました。それでは、私がリオン様のところにご案内させていただきます。少々お待ち下さい。このシーツだけ置いてきますので」

「そんな、仕事中なのに悪いですよ。場所さえ教えてもらったら、俺一人で行きますから」

「それは無理かと。お二方が向かわれた場所は少々特殊な場所ですので、ジュンタ様お一人では辿り着くことが困難かと思われます」

「特殊な場所……?」

 一体二人はどこに行ったのか。
 ジュンタが疑問に思っている内に、ユースはさっさと部屋の一つへと入っていってしまった。

「お待たせしました。それでは行きましょう」

 部屋から出てきたユースの手にシーツはなく、すでに彼女の中では案内することが決定しているよう。休暇中だというのに生真面目というか律儀というか……何というか出来る女という感じだ。

「すみません。それじゃあ、お願いしてもいいですか?」

「はい。かしこまりました」

 先行するユースの後に続いて、ジュンタは宿の玄関扉を潜ろうとする。

「ユース」

 その直前に呼び止めたのは、先程ユースが入った部屋から出てきたトリシャであった。

「おや、あなたは確か……」

 穏やかな笑みを浮かべた人の良い女将は、玄関に立つジュンタを見つけると、何やら考え込み始める。

「おやおや。まぁ、ユースや。主の男と逢い引きに出ようなんて、そんなメイドの嗜みをわたしは教えていないはずなんだけどねぇ」

「ぶっ!」

 笑顔で悲しそうに眉を顰めたトリシャの一言に、ジュンタは思わず吹き出す。

「まぁ、浮気と誘惑はメイドの華だからねぇ。リオン様はあんなだから、思わずからかってみたくなるのも分かるけど、ほどほどにしておかないといけないよ」

「いやいや、違いますよ、トリシャさん。俺とユースさんは別にそんなつもりで出かけようとしていたわけじゃなくてですね……」

「その通りです。ただ、これから少し一人では行けないような場所へと二人で行くだけですから」

「なるほど。そういうことなら、わたしから言えるのは一つだけだねぇ。ユースや、避妊だけはちゃんとするんだよ」

「??」

 トリシャににこやかに告げられて、ユースは不思議そうな顔で小首を傾げた。自分たちがどのように誤解されているかは分かっていないようである。と言うことは、つまりさっきの一言は天然か。

「いやですね、違うんです。ユースさんにはリオンのところまで案内してもらうだけなんで、俺とはそう言った関係ではありません」

「では、誰とそう言った関係なのかしら? もしかしてゴッゾ様かしら?」

「そ、そんなはずがないでしょうっ!?」

 今度は、ユースも声を大きくして力一杯否定した。

「ユ、ユースさん?」

「あ……」

 ユースはすぐはっと口を手で塞ぐと、見間違えないほど頬を赤らめつつも、表情を涼しげな顔に戻してみせた。

「トリシャさんも、いい加減にからかうのは止めてください。私だけならともかく、ジュンタ様やゴッゾ様を引き合いに出すのは、あなたが教えてくれたメイドの道に反しています」

「そうは言うけど、ユースももういい年だし、そろそろ恋人の一人や二人ぐらいはいてもいいと思うんだよ。わたしも別の意味でそろそろいい年だし、早くユースの赤ちゃんが抱きたいもんさ」

 憮然とした表情で責めていたユースは、そのトリシャの一言に押し黙る。

「確かに、メイドたる者、主のことを一番に考えるのは大事なことだし、当然のこと。だからといって、それは自分の幸せを捨てろと言ってるわけじゃないんだよ。自分も幸せになった上で主の幸せにも貢献するというのは、決して両立できないものじゃないの」

「それは……そうかも知れませんが。しかし私のことを好いている相手など、いるとは思えませんので。結婚など夢のまた夢かと」

「そうかねぇ? わたしが言うのもあれだけど、ユースはとても別嬪さんだと思うけどねぇ。スタイルもいいし、器量だっていい。旦那を立てることだってできるだろうし……まぁ、少々感情を動かそうとしないタチだし控えめだけど、そんなところもいいと言ってくれる男はいるもんさ。そうだ。あなたはどうお思いになりますかね?」

「俺、ですか?」

 仲が良さそうな二人の会話に入っていけず、そそくさと距離を離していたジュンタは、突如話を振られて戸惑った声を出す。

「うちのユースは、決して男に望まれないような女じゃないでしょう?」

「トリシャさん。ジュンタ様に何てことを訊いておられるのですか」

「別にあんたと結婚して欲しいと言ってるわけじゃないんだから、そう言わなくてもいいでしょうに。それで、あなたはユースのことどう思われます?」

「それは……」

 ユースがトリシャに勝てないことは、これまで言いようにからかわれているところを見るに分かり切っている。ここはもう、答えるしかないだろう。

(答えなんて決まってるよなぁ。ユースさんに女としての魅力がないかと聞かれたら、そりゃ……)

 ジュンタはメイド服に包まれたユースの、つま先から頭の先までを見る。

 身長はリオンよりも高い百六十五センチほど。胸は豊かでウエストは細く、ヒップラインの見事さには溜息すら出よう。確かにトリシャが言ったように感情の起伏が乏しいように見られるが、決してないわけではない。出会ってあまり日が経ってないためよくは分からないが、小さいだけで何事にも感情を動かしている節が見られる。

 そして、これがある意味一番重要だが――彼女はメイドさんだ。

 頭につけたホワイトブリム。魅惑の肉体を封じ込めた赤と白のエプロンドレス。
 立ち振る舞いは主に付き従う理想そのもの。眼鏡をかけた姿はクールビューティーなメイドさん。クーではないが、思わず憧れてしまうような従者の鑑と言えよう。

「安心してください。ユースさんは完璧です。ユースさんなら、それこそあり得ないような男ですら落とせるでしょう。俺はそう太鼓判を押せますね」

「あらまぁ」

「そ、そんな」

 思わずグッと親指を立てたジュンタに、そうでしょうそうでしょうと言わんばかりにトリシャは頷き、ユースは照れくさそうに視線を下へと落とした。

「さすがはリオン様が見初められた男性の方なだけはあります。いい目をお持ちになっているようで、このトリシャは安心しました。これならシストラバス家は安泰でしょうねぇ」

「俺は一重に男として当然の評価を下したまでです。むしろ、ユースさんをここまでのメイドに育て上げたのはトリシャさんのご様子。真に褒められるべきはあなたしかいない」

「あらやだ、嬉しいこと言ってくれること。ユースや、わたしが許す。浮気してきなさい。ついでにゴッゾ様に用事があると伝えてきてくれると嬉しいねぇ」

 カラカラと笑いながら、最後にちょこっと用件を伝え、もしかしたら単に見送りに来てくれただけかも知れないトリシャは奥へと下がっていく。

 その背を何とも言えない表情で見送ったユースは、小さく溜息を吐くと、いつもの表情に戻って振り向いた。

「それではジュンタ様。リオン様のところへと行きましょう」

 ジュンタには、なんだかそのいつもらしさがおかしくて、つい吹き出してしまった。


 

 

       ◇◆◇

 


 

 平たい丘の上に並んで点在する家屋は、やはり村というよりは町のイメージを抱かせる。

 ジュンタの知っているグストの村よりも広く、景観もどことなく賑やいで見える。ラバス村などと呼ばれてはいるが、温泉地として栄えているこの村には多くの人が住んでいるらしかった。

「すみません、ジュンタ様。トリシャさんがご迷惑をおかけしました」

 そんな村の中をユースについて歩いていたジュンタは、村の最奥の辺りにある『不死鳥の湯』から出て三分後あたりのところで、そう謝罪された。

「いつもトリシャさんはああなのです。若者と見ると、からかわずにはいられないようで」

「いや、俺は気にしてないですよ。むしろユースさんの方がからかわれてましたけど大丈夫ですか?」

「私はまぁ、来る度にですので。もう慣れてしまいました」

「来る度にあんな、早く子供を抱かせてくれみたいなことを?」

「はい。正直なところ、そう言われてしまうと困らざるをえません。まだ結婚できる年齢ではありませんので、婚約者という形になるのでしょうが、そういった人を今からでも作るべきなのかと思ってしまいますし」

「なるほど。やっぱり、ユースさんも…………ん?」

 完璧超人なユースの弱点は、どうやら色恋沙汰であったらしい。と、意外なのか意外じゃないのか、微妙な線であることにジュンタは笑みを形作って――なんだか奇妙な違和感を感じた。

(ん? あれ?)

 ユースの台詞の中に、決して聞き逃してはいけない言葉があった気がするのだが、それが何かよくわからない。お茶目な母親に困っている子供という感じで息を吐き出すユースを見ても、彼女が何か気になる発言をしたようには見えない。

 手を前で組み、背筋を伸ばして歩くユースの背中を見て、ジュンタは考える。考えて思いついたのは、まずそれだった。

(そういや、トリシャさんってユースさんの何なんだ? 母親か?)

 トリシャ・アニエースとユース・アニエース。この二人の関係は一体何なんだろうか?

 年齢的にもかなり離れているように見えるが、母親だと決して言えない年齢差でもない。しかしユースはトリシャのことを『トリシャさん』と呼んでいるし、母親ではないのかも。

(仲がいい家族みたいな感じだったけど、下手には訊けないしなぁ)

 他人の家庭事情に首を突っ込むのは躊躇われたので、ジュンタは浮かんだ疑問を保留扱いにして、他の話題をユースに振ってみた。

「ユースさん。さっきトリシャさんが言ってましたけど、ユースさんにメイドの教育を施したのってトリシャさんなんですか?」

「はい。メイドとしての教育や嗜みなどは、私はトリシャさんから教わりました」

「ってことは、トリシャさんも『不死鳥の湯』を経営する前はメイドをやってたってこと?」

「ええ。他でもない、カトレーユ・シストラバスの専属メイドをしていたのがトリシャさんになります」

「カトレーユさんって、リオンのお母さんの?」

「ええ、まぁ。そう言うことになりますね」

 ユースほどの完璧なメイドを育て上げたことから、さぞやすごいメイドだっただろうと思ったが、まさかリオンの母親である先代竜滅姫、カトレーユ・シストラバス専属のメイドだったとは。

 しかしある意味では納得する部分もある。

 リオンの母親のメイドということは、メイドの中でも取り分け栄誉ある仕事だったということだ。地球の方では本来執事が貴族の長男しかなれなかったように、竜滅姫のメイドになるのにも特殊な家柄が必要なのだろう。

「それじゃあ、ユースさんが今リオンの専属メイドをしてるのも、トリシャさんがカトレーユさんのメイドをしていたことと関係あるんですか?」

「アニエースという家は、代々竜滅姫様の専属メイドを歴任している家柄なんです。遡ること約千年前に『不死鳥の湯』が開かれ、それ以来シストラバス家とは懇意の間柄で、その縁もあって今ではそういう風になっていますね。トリシャさんのお母様は、カトレーユ・シストラバスの先代のメイドをしていました」

「なるほど。そういうわけだったんですか」

 予想は正しく、トリシャがカトレーユのメイドだったように、今はユースがリオンのメイドをしているのだろう。

「竜滅姫の血が脈々と受け継がれてきたように、また従者の血も代々受け継がれてきたってわけですね」

 何とも言えない血の継承に感心したジュンタの何気ない一言により、ユースはピタリと足を止めた。

 思わずその背にぶつかりそうになったジュンタだったが、何とかぶつかる一歩手前で足を止めることに成功する。

「ど、どうかしたんですか?」

「いえ。すみません、何でもありません」

 突如足を止めたユースは、振り返ることなく歩みを再開した。
 ジュンタは不思議なそのユースの態度を訝しげに思いつつも、後を追う。

 そのまま、相手が物静かなユースということもあって、しばらく無言のまま道を進んでいく。しかしその沈黙は決して居心地の悪いものではない、不思議な静けさだった。

 半年以上前、シストラバス家で無償奉仕の身だった頃は、この静けさに居心地の悪さを感じたものだが、今では気楽なものになったらしい。ユースはリオンとほとんど一緒にいるので、もう慣れてしまったのだ。

(リオンが竜滅姫を受け継いだように、ユースさんは竜滅姫の従者って立場をトリシャさんから継いだわけか。そりゃ、二人とも仲がいいはずだよな)

 リオンとユース――この主従の信頼関係には、主従の域を出た友人や家族のような信頼感すらジュンタには感じられていた。

 リオンはユースの前では自分を隠すことなく振る舞っているし、ユースはそんな主の態度に嫌な顔一つせずに――表情があれなのでわかりにくいが、たぶんそう――付き従っている。互いに信頼し、友情を向けていなかったらできない芸当だろう。

(でも、だとするなら……そんな血の継承があるとするなら、やっぱりトリシャさんはユースさんの母親じゃないとおかしいんじゃないか?)

 あるいは、その辺りにユースが足を止めた理由があるのかも知れない。 

 下手なところに触れたかなぁ、と首の後ろを触りつつ、ジュンタはユースの案内を受ける。

 しばし興味深くユースのことを観察していると、ジュンタはある事実に気が付いた。

「お、ユースちゃん。帰って来てたんだね」

「はい。お久しぶりです」

「ユースちゃん。相変わらず綺麗だねぇ」

「ありがとうございます。ですが私など全然」

「ユースちゃん。後ろの人は……ははぁ、ついにユースちゃんも身を固めたってことか。家の倅どもが悲しむなぁ」

「こんにちは。この方はシストラバス家の客人で、私のそう言った相手ではございませんのであしからず」

 地元ということで、何度か道行く人々に声をかけられたユースは、一人一人に丁寧に相手をしていた。

 ラバス村にやってきた観光客じゃなく、昔から住んでいる村人は一人残らずユースの目立つ姿を見つけては近寄ってきて、一声かけていく。その親しさは、ラバス村が村と感じさせる部分であった。

「すみません、ジュンタ様。一度ならず二度までも勘違いさせてしまいまして」

「いや、気にしないでもいいですよ。男と女が一緒に歩いていると、そう邪推したくなるのが人間っていうものですから」

 分かるか分からないかぐらいのレベルで申し訳なさそうな顔をされ謝られたジュンタは、軽く笑って手を振る。実際、口には出さないだけで、道行く人々は皆こちらを値踏みするような生暖かい目を向けてきたのだが、それは言わない方がいいだろう。

「でも、やっぱりラバス村に住んでいる人は、みんなユースさんのこと知ってるんですね」

「小さな村というわけではありませんが、大体村人の顔と名前は皆が知っていますね。私の場合は、家が千年続く老舗ですから、特に覚えられているのでしょうが」

 それに加えて、きっと美人なのとメイド服なのも理由だろうが、おおむねその意見は間違っていないと思われる。

 こういった温泉地の場合、村の上役とは即ち、温泉地の中でも昔からやっている老舗温泉宿である。『不死鳥の湯』は『始祖姫』の時代より続く老舗中の老舗。その宿をいずれは継ぐかも知れないユースを知らない人間はいないはずだ。

 ミステリアスにすら見えたユースの人との繋がりを見せられたジュンタは、妙な親近感を抱いた。

 それはきっと、村人と接するユースがどことなく嬉しそうに見えたから。
 素朴な人の営みを、繋がりを、時間すら置いて行かれたような穏やかさを愛して止まない、そんな横顔を見せられたから。

「ユースさんはもしかして……」

「はい。なんでしょう?」

「……いや。なんでもないです。何でも」

「そうですか。リオン様がいらっしゃるところまではもうすぐです。急ぎましょうか」

 首を傾げたユースは、そのまま何も聞かずに歩みを再開させる。

 やっぱりどこかミステリアスなのかも知れない――ユースのことを少し知ったジュンタだが、改めて抱いたのはそんな前にも増して思う気持ちだった。


 ――そこで先程のユースの台詞において、見逃してはいけなかった部分に気が付いた。ミステリアス、その一言によって。


「あ、え? いや、まさか……え〜と、マジですか?」

「どうかなさいましたか? ジュンタ様」

 立ち止まったジュンタを振り返るユース。
 ジュンタはその顔をマジマジと見て、先の彼女の発言を反芻させる。

『まだ結婚できる年齢ではありませんので』――それが意味するところに、ジュンタは気付いてしまった。

「……ユースさん。前、様付けを止めて欲しいってお願いしたことがありましたよね?」

「はい。あれはジュンタ様が使徒様であることが判明した折、私が然るべき呼び方に変えたときに要求されたことでした」

「それをユースさんは、メイドとしてはあり得ないと頑なに拒みましたよね?」

「ええ。申し訳ありませんが、使徒様に対し敬うことができないメイドなど、死んだ方がマシですから」

「そこまで言われたらしょうがないからって、俺が諦めたわけなんですけど……そのとき、ユースさんが逆に言ったことを覚えていますか?」

 今でこそ慣れたが、ジュンタはユースに様付けで呼ばれることに当初は違和感しか感じていなかった。直すようにお願いしたが受け入れられず、あのときはやるべきことがあったのでうやむやになってしまったのだが……いや、今気にすべきはそこではない。

 真に気にするべきは、そのときその要求を拒否されたあと、ユースの方から逆に提案されたことである。あることから断ってしまった、提案である。

「覚えております。私はジュンタ様に対して、『どうぞ、私に対しては敬語は使わないでください』と提案させていただきました。ジュンタ様が遠慮なされた以上、私にどうこうする権利はありませんでしたが」

「そうなんですよね。あのときは、なんかユースさんにタメ口で話すことが躊躇われたりしたんですけど。理由としては、ユースさんが大人びてたことと…………うわぁ、やっぱりマジですか」

 なんだかショックを受けてその場にしゃがみこむジュンタを、ユースは不思議な生物でも見るかのような眼差しで見下ろす。

 陽光が遮られ、細部まではっきりと見ることが可能となったユースの顔を、ジュンタは再度じっくりと観察する。

 改めて見ると、非常に整った容姿をしている。この世界に来てから、多く綺麗な人やかわいい女の子を見たジュンタであったが、ユースはその中にあっても相当なものだ。リオンとも、紅髪紅瞳という特別な部分を抜かせば、十分容姿としてはタメを張れる。リオンが少し幼さを残しているとすれば、ユースはどちらかといえば大人っぽいか。

 しかしユースも、眼鏡やメイド服のパーツや、大人な雰囲気に隠されていつもは気が付かないが、それらのフィルターを取り除いて見れば、幼さを微かに残している。年齢としては二十代前後と見ていたが、もしかしたらもっと低い可能性もあった。

 つまりはそういうことなのだろう。

 ジュンタはユースの実年齢を知らなかった。誰も言わなかったし、本人に直接聞くのも憚られたためだ。実年齢を匂わせる話題も今まで出なかったので、今日まで判明しなかったのだが、先の台詞から実年齢を読み解くことは可能だった。

(この世界で結婚が可能な年齢は、男女ともに十八歳。つまり、ユースさんの年齢は少なくとも、まだ今年誕生日を迎えていない十七歳以下になるってことで……少なくとも同い年!)

 しばし悩んでいたジュンタは、意を決して立ち上がる。

「ユースさん。一つ教えてください」

「はい、なんでしょうか?」

 急に立ち上がったジュンタに対しても、驚いた表情を見せないユース。当然だ。彼女はいつも突拍子な行動を取るリオンの従者をしているのだから、こんな程度で驚いたりはしない。

 ……いや、脇道に逸れるのはもう止めよう。ここで訊かなければ、きっと生涯訊くことはできないだろうから。

 はっきりとしよう。同い年なのか、それとも年下なのか。
 はっきりと訊こう。ユースの年齢は、果たして何歳なのか。

「ユースさん、教えてください。あなたは今――何歳ですか?」

「私の年齢ですか? 私は――

 ユースはどうして今更、そんなことを訊かれるのかわからないと言った表情をするが、律儀な性格であるが故に、すぐに返答をくれる。

 自分の年齢を、偽ることなく。当然のこととして。

「十六歳になりましたが、それがどうかしましたか?」






 ラバス村は温泉地として有名な村である。
 しかし同時にまた、とある理由でも有名であるのだとか。

 シストラバス家の竜滅姫に代々仕えるアニエース家がこの地にあるように、それはシストラバス家と深く関わり合うこと。温泉地としてではなく、そちらの理由からラバス村は別の呼び名を持っていた。

「遙かな昔、『始祖姫』よりも前の時代。人が溢れ出たドラゴンと絶望的な戦いを繰り広げていた時代から、ラバス村はすでにあったといいます。魔法なき古では、特殊な呪いを使う一族の村としてあったのだとか。魔法が現れた今では、その呪術と呼ばれるものは一つの魔力性質となって代々ラバス村に生まれた人間に宿ります」

「それこそが『封印』の魔力性質。代々ラバス村はね、潜在的に『封印』の魔力性質を持って生まれてくる人間が多い村なんだよ。地域性って奴かな。非常に珍しい『封印』の魔力性質も、このラバス村だけではそう珍しくはないんだ」

『封印』の魔力性質とは、その名の通り他者の力を封じることに長けた魔力性質である。

 他者の魔力性質を弱らせる力があるため、これを持つ魔法使いならば敵の魔法を弱体化させる魔法を放て、魔力性質を闘志によって纏う強者ならば、魔法すら切り裂く力を発揮する。

 魔法使いに対する天敵ともいえるこの『封印』の魔力性質だが、もっと必要とされるべき場面は他にあった。

 つまり『侵蝕』という他者を侵す魔力性質を持ち、魔法も物理攻撃も通用しにくいドラゴンに対し、『侵蝕』を退けて傷を負わせるという『竜滅』の場面である。

「シストラバス家の騎士が持つ紅き剣――ドラゴンスレイヤー。あれは剣自体に『竜滅』とも呼ばれる『封印』の魔力が[魔力付加エンチャント]されて鍛え上げられた物でね、もちろんそんなドラゴンスレイヤーを鍛え上げるには、鍛冶の段階で『封印』の魔力性質を持つ魔法使いないし[魔力付加エンチャント]が使える鍛冶師が必要だ」

 トンカントンカンという金槌が金属を叩く音と、燃えさかる炎の音を耳に、ジュンタはユースとゴッゾより説明を聞く。

「だから、シストラバス家が竜滅騎士団で在り続けるのに必要不可欠なドラゴンスレイヤーは、このラバス村でしか鍛えることができない。ナレイアラ様の時代より、このラバス村はシストラバス家のためにドラゴンスレイヤーを作り続けてくれているんだよ」

「そのため、ついた名前が『竜殺しの村』なのです」

 ゴッゾは顔に炎の影を揺らしつつ、まっすぐにその作業を見ている。
 ジュンタも顔に触れる高熱を感じつつ、その作業にじっと見入っていた。……何かを誤魔化すように。

(よし、受け入れた。ユースさんの年齢はリオンと同じ十六歳。年下です)

 ユースによってジュンタが連れて行かれた先は、村の中央付近にあった大きな建物だった。
 村一番で唯一の鍛冶場――シストラバス家御用達の紅き剣ドラゴンスレイヤーの鍛冶場である。

 中に足を踏み入れると、ユースの顔を知っていた係の人にすぐこの地下工房へと案内された。
 地下に潜ると地熱の熱さがサウナのように込み上げ、実際にドラゴンスレイヤーが鍛え上げられている工房まで行くと、まるで灼熱の砂漠のように感じられた。

 それもそのはず。様々な鉱物と器具が溢れかえったその工房には巨大な炉が存在し、それが千度を優に超える炎を噴き上げていたからである。

 そこで工房の状況を視察に来ていたゴッゾたちと会い、邪魔にならない程度の場所から、説明つきで剣を鍛つところをジュンタは見学させてもらっていた。

 特殊な金属を叩いて延ばす傍ら、絶えず注ぎ込まれる[封印付加エンチャント――鈍い黒色だった刀身が真紅に色づく瞬間の美しさは、言葉にできないものがあった。今自分が使っているドラゴンスレイヤーも元はここで生まれたのだと思うと、感慨深いものがある。

「今ジュンタ君が見ている工程は、千近くある工程のほんの一部分でしかない。何十人という腕の立つ鍛冶師が揃って、ようやくドラゴンスレイヤーは出来上がる。そう簡単にできるものではなくてね、月に五振りできればいい方だ」

「それだけしか……」

「実際は、それでも任命される騎士のスピードよりも勝っているわけだがね。なかなかシストラバス家の紅き剣の理念を、若者が理解するのは難しいようだ」

「紅き剣に騎士の名を――――我らは、真の竜滅紅騎士ドラゴンスレイヤーとなる」

「そうとも。ここで生まれる無名の『竜滅剣ドラゴンスレイヤー』を、名のある『竜滅紅騎士ドラゴンスレイヤー』にすること。それが古より託され続けた、シストラバスの騎士の本懐だよ。そうだね。このラバス村はある意味、シストラバス家の騎士にとっての聖地といってもいいのかも知れない」

「で、その聖地の、シストラバスの騎士しか知らない秘密工房に、どうしてこともあろうに我が家の騎士ではないその男がいますのよ!」

 炎の輝きに魅せられ、ゴッゾの言葉を深く心に刻んでいたジュンタの耳に、そんな怒声が入ってくる。

 ついにユースでも抑えきれなくなった、リオン・シストラバスその人の声である。

「どういうおつもりですか、お父様! ユース! なぜここまでジュンタを案内し、尚かつこの工房まで入れたのです? ジュンタは我が家の騎士ではありませんのよ!」

 リオンの今回の怒りポイントはそこだった。

 騎士としての誇りが人間になったような彼女は、シストラバスの騎士ではないジュンタが、シストラバス家の聖地ともいえるこのドラゴンスレイヤー工房に入ることが気にくわないのであった。

「はっはっは。ジュンタ君は確かに我が家の騎士ではないが、よく遊びに来てくれるし、その度に我が家の騎士の誰かしらに修行名目の喧嘩をふっかけられているじゃないか。これはもう、シストラバスの騎士も同然といえるね」

 そんな当然にして正論である娘の主張を、こともあろうに笑って流すダメ当主。

「それに加え、ジュンタ君もまたドラゴンスレイヤーを持つ騎士だ。一度くらいこの光景を見せるべきだと私は思ったわけだよ。ユースもそう思ってここにジュンタ君を案内したんだろう?」

「もちろんです、ゴッゾ様」

「ユースまでそんなことを!? クーといい、お父様といい、皆ジュンタを甘やかしすぎですわ! 確かに、ジュンタがシストラバス家と友好のある相手であることは認めてもいいですけど、それでも守るべき節度というものはあるはずです!」

 うん、まったく今回はその通りなリオンの発言――話の張本人であるジュンタはものすごく納得したのだが、全然意に返さないゴッゾ・シストラバスが一人。

「ふっ、何を今更。ジュンタ君はリオンと同じベッドで一晩過ごした仲じゃないか。つまりジュンタ君は、シストラバス家次期当主である竜滅姫と同衾した男。そんな彼に見せないで、一体誰に見せるというんだい?」

「んなっ!?」

「うっ!」

 巻き込まれないようにとちょっと自分の影を薄くしていたジュンタは、そのゴッゾの一言にリオンに続いて声をあげてしまった。

 炎の熱が原因じゃない理由で、リオンの顔がカーと見事に赤くなる。過去の中でもベスト10には入る沸騰具合だ。桃色の袖無しドレスのスカートを、白い手袋をした手で握りしめてわなわなと震えている。

 そろそろ来るんじゃないかと覚悟していたが、案の定、リオンの怒れる瞳がこちらにターゲットロックオン。

「……そうでしたわね。ジュンタ。こともあろうに昨夜、私が酔っぱらってしまったことをいいことに、よくもベッドに引きずり込んでくれましたわね」

「い、いや、そう言われてもな。俺も覚えていないわけで……べ、別に特に何かがあったわけでもないわけですし、朝思う存分発散したことでしょうし、ここは一つ穏便にことを済ませてみませんか?」

「穏便に済ませるなんてとんでもない。愛しの一人娘を傷物にされた父親としては、これはもう責任を取ってもらうしかないと思うわけだが。これについてはどう思う、ユース?」

「その通りかと。女性の初めてとは大事なもの。それを一夜の過ちと言えども散らされたならば、もはやジュンタ様には責任を取ってもらう他ないでしょう」

「ちょ、お父様もユースも何言ってますのよ!? 誰が誰に純血を散らされましたか!」

 敬愛すべき父親と、血の継承で結ばれた従者からの援護射撃というか包囲射撃に近い攻撃を受けて、リオンは相当パニック状態に陥っているらしい。

「確かに、ジュンタにベッドへと連れ込まれましたし、このまま一夜の過ちなどをいたしてしまうのかと覚悟もしましたけど、この男はこともあろうに私を押し倒して置きながらそこで眠ってくれましたのよ! つまり私の純血は無事って何で私がこんな恥ずかしいことを叫ばなくてはいけませんのよっ!!」

「あがっ!」

 顔を真っ赤にして目をグルグル回したリオンにより、ジュンタは思い切り突き飛ばされてその場に崩れ落ちる。悔しさやら怒りやら羞恥やらで威力が跳ね上がった攻撃は耐えられるものじゃない。

「ちょ、ちょっと待て! 俺は昨日そんなことを本当にしたのか!?」

「覚えていませんの? わ、わわわ私が、昨夜あれだけ恥ずかしい思いをしたといいますのに!」

 倒れたジュンタは自分のしたことにショックを受ける。そんなことをしたのになぜ覚えていないんだと……ではなく、そんなことをしてしまうなんて、本当に酔っぱらうとエロくなってしまうのだろうか?

 リオンからは責めるような視線を受け、ゴッゾやユースからは『寸止めかよ』という蔑みの視線が痛い痛い。

「屈辱ですわ! 酔っぱらって弱っていたとはいえ、この私があなたなんかに押し倒されただなんて……屈辱ですわっ! 覚悟しておきなさい! これまであなたが私にしてきた失礼千万の行為は許しても、今度ばかりは絶対に許しませんわよ!!」 

「そ、そこまで言いやがりますか。ふ、ふふっ……」

 ビシリと最後に、リオンに指差されて宣告されたジュンタは、そこで色々と吹っ切った。

 そう、元より自分はリオンと喧嘩し合う関係だったではないか。挑んでくるリオンが自爆し、がんばって取り繕うとするあの顔が好きだったのではなかったか。自分でも少々歪んでいると思うが、羞恥で顔を赤くするリオンはかわいいのである。

(そうか。俺はこれを見失っていたんだな。嫌われたくないからって、自分を繕う必要なんてなかったんだ)

 であるなら――この報復宣言こそがサクラ・ジュンタの想いの源泉。

 問題ない。落ち込みもしない。昨夜あったことを受け入れて、その上でやってやろうと決めたばかりではないか。恋愛の形など人それぞれなのだから、我慢はよくない。好きだからって我慢する必要性などどこにもないのだ。

「いいさ。その報復宣言、確かに受け取った!」

 ジュンタは不敵な笑みを浮かべて立ち上がり、腰に手を当ててリオンの紅い瞳をまっすぐに見る。

「だけど、何もみすみす享受する必要はないんだろ? 報復は結構だが、どうせお前が自爆するのが目に見えてるんだ。止めておいた方が無難だぞ?」

「い、言ってくれますわね。無礼者で不埒者の分際でいけしゃあしゃあと……いいでしょう。精々、盛大にほえ面をかかせて差し上げましてよっ!」

「望むところだ。どうせ無理だろうけど」

 燃えさかる炉の炎が、二人の影を巨大にしてゆらゆら揺らす。

 売り言葉に買い言葉。もはや避けられない戦いの気配――睨み合う男と女は、それぞれ視線で相手に挑戦状を叩き付けて、その後並びあって工房から地上へと続く階段を上っていくのであった。

 


 

 取り残されたユースは、呆然と去っていった二人の背中を見送る。

 隣でゴッゾが同じように呆然としている。それも仕方がない。まさか互いに大きな感情を抱いているというのに、どうしてあんな展開に発展したのが、未だに意味不明であるからして。

 去っていった二人の姿は、まるで二人が出会った当初のように見えた。

 これまでは、どうやら聖地での事件の折に自分の想いを自覚したジュンタが、試行錯誤して何とかリオンの好感度をあげようとがんばっていた。それが実を結ぶ結ばないにしても、ジュンタは悩み、落ち込み、それでもめげずに挑戦し続けていた。

 対してリオンの方は、そんなジュンタの態度が内心気になりつつ、しかし自分の感情が理解できずに苛立って、それをぶつけてしまうという形で表していた。ジュンタが我慢している傍らで、何気にリオンも自分の態度を反省していたのをユースは知っている。

 二人とも素直になれず、少々ぎこちない感じだったけれど、それでも互いに自分の中の想いを自分なりに表そうとしていたのが、この一月ほどの二人に見えた。しかし……

「……どうします、ゴッゾ様。昨夜の時点で何かしらの進展があったと思いましたら、信じがたい方へと転んでいきましたが?」

「いや、本当に信じがたいよ。ジュンタ君はリオンへの想いを自覚してから、結構リオンの言葉を我慢していたようだからね。ここに来て我慢する必要はないと、色々とはっちゃけてしまったようだ。これは好転したのかどうか今一不明だ」

「サネアツさんに報告して分析してもらうしかありませんか。今日の夜辺り、一度『恋愛推奨騎士団』会議を?」

「そうだね。一度議論する必要がありそうだ」

 このまま行くと、たぶんリオンが色々と屈辱への仕返しを画策して、それがことごとく失敗し、ジュンタの前でさらなる屈辱を募らせる結果となろう。

 それはそれで二人ともおもしろいと思うのだが、ユースらが望んでいるのは今回の旅行中での恋愛成就である。そこまでは無理でも、最低ジュンタに自分が使徒であることをリオンに告白させなければならない。

「それでは、私はこれから皆さんに連絡して回ってきます。ゴッゾ様は……と、そうでした。ゴッゾ様、トリシャさんが何か用事があると言っていました」

「私にかい? なんだろう? 仕事などは行く前に大抵片付けておいたはずだが……」

 顎へと指を寄せて眉根を潜めるゴッゾ。どうやらトリシャの用事に心当たりはないようである。

「まぁ、どうせ一度は宿に帰る必要はあるし、これから行くとしよう。それではユース、地上に出ようか」

「はい」

 主であるゴッゾが先を行き、その後をユースは数歩遅れてついていく。

 耳には絶えず響く炎の音。
 燃えさかる紅蓮の火はなかなか上手く行かない若者二人の恋愛を、果たしてどんな風に映し輝いているのだろうか?


 

 

       ◇◆◇


 

 

 どうしてこうなったんだろうと、朝に引き続いて夜もまた、ジュンタは自分自身に呆れかえっていた。

 大事な大事な男の正念場。温泉旅行二日目の今日、自分がしたことを思い出してみる。

 朝は昨夜の失態に落ち込んで再起し、その後ドラゴンスレイヤーの誕生秘話を聞き、そこでなぜかリオンに挑戦状を叩き付けられ叩き付けた。昼食の後、リオンから買い物に誘われて、早速来たと思って承諾。出かけた先で何がしたかったのか、本当に意地悪なことができないリオンが盛大に自爆。

「好感度上昇? ふっ、下降ですよ」

 プチャプチャと部屋に備え付けの露天風呂に入りつつ、ジュンタは自嘲する。本当にもう、一体何をやっているのか。

「楽しかった。これまで我慢してた分、リオンをからかうのは楽しかった……楽しくて大笑いはまずかったなぁ」

 口元までお湯に身体を沈めて、ぼんやりと薄暗い山を眺める。

「…………本当に、俺リオンに嫌われてないよなぁ?」

 やっぱり深く考えるのは性に合わないようで、考えることが上手く実行できない。

 ジュンタは深々と溜息を吐いて、一度浴そうの中へと身体全てを沈めてみた。

(確かに、自分の気持ちを我慢するのは良くない。どうせそう長くは保たなかったんだ。これでいい。けど反省しよう、俺はリオンが好きなんだから。……まったく。恋愛事で頭悩ますなんて、一年前の自分じゃあ想像もできなかっただろうな)

 潜った最中に目を開けると、入り込む月光にゆらゆらと揺れる水面が輝いて見える。

 水面に顔を出したジュンタは、顔を一回手で擦って、それから自分自身に宣言した。

「決めた。使徒とかだけじゃなくて、この旅行中にもう一度リオンに告白しよう」

 


 

「意味分かりませんわ。どうしてこうなりますのよ」

 広々とした大浴場に首筋まで裸体を沈ませながら、リオンはボソボソと不平不満を口にした。

「分かってます? 今は旅行の最中ですのよ? しかも癒し効果の高い温泉ですのよ? それなのに、どうしてこうも腹立たしいことばかりが立て続けに起きますのよ!」

 きっかけは昨夜ジュンタにお酒を飲ませたことだった。クーと申し合わせたように出て行ったことが腹立たしくて、思い切りワインを一気飲みさせたやったのだ。その後トーユーズが清酒を一気飲みさせて……その後のことは思い出したくもない。
 
 あり得ない酔っぱらい方をジュンタが見せ、訳の分からない内に二人部屋のベッドまで引っ張り込まれた。

 無論、自分は誇り高きシストラバス家の淑女として、そんじょそこらの馬の骨となんて過ちを犯すことなどできない。だが、そう、仕方なかったのだ。あの時の自分は酔っぱらっていたのとジュンタの態度に混乱して力が出ず、押し倒されても押しのける力が出なかったのだ。いや、本当に。それで嘘ではない……はず。

 そんな風にどうしようもなかったので、決死の想いで目を瞑ったというのに……今思い出しても殺意がわく。こともあろうにあの男はその段階までやっておきながら、そこで普通に寝入ったのだ。アホかと思う。馬鹿かと思う。信じられないと思う。いや、助かったが。

「くっ、あの男、本当は私が嫌いで嫌がらせしてるのではありませんの。クーにはあんな優しい癖に、私に対してはおかしなことばかり……!」

 お湯の中でむしゃくしゃしたリオンは、水面に映る月をジュンタに見立てて何度も握り拳を落とす。水面に幾つも波紋ができて、バシャバシャと水しぶきがあがった。

 だけどそんな行為でストレス発散などできるはずもなく、ただ空しさだけが募っていく。

「………………本当に、私、嫌われてるのかしら?」

 拳を湯の中に落としたリオンは、水面を見つめたまま呟く。

 どうしてだか胸がモヤモヤした。ズキンズキンと痛かった。

「別に、ジュンタに嫌われていようが私には関係ありませんけど、でも……」

 ジュンタに誘われて温泉旅行に出かけるときはあんなに楽しかったのに、今ではなんだかとても苦しい。ジュンタと会っているときは怒りをぶつけられて楽しいのに、一人になると途端に苦しくなる。

「どうしてしまいましたのよ、私は。これじゃあまるで、私がジュンタに――

 恋しているようではないか――喉まで出かかった言葉を、リオンはあり得ないと飲み込んだ。

 そんなことがあり得るはずがない。竜滅姫である自分が、平民などに恋をするはずがないのだ。恋とは将来結ばれるべき家柄の男性とするものであり、ジュンタなどとするものではない。

 でも…………なら、何なんだろうか? この胸の痛みは? この胸を悩ます感情は?

 深々と溜息を吐いて、リオンは空を見上げる。

 古の時、この地で祖先であるナレイアラ・シストラバスを照らし輝いた月は、今日もまた水面を照らしている。

 その月明かりにしばし見とれながら、けれど答えのでない問答を、ひたすらリオン・シストラバスは行っていた。

 


 

「さぁ、どうする?」

 議題を締めくくるため、開閉一番に口にした言葉を、もう一度深刻なファニーフェイスで鳥仮面が口にした。

 ここはとある由緒ある旅館の地下に作られた秘密の円卓。
 ろうそくの明かりに照らされた六人の動物仮面たちが、憔悴のファニーフェイスで話し合っていた。

 すでに会議は一時間以上も続いている。休み無しの熱いトーク。そろそろ皆、疲労の色が見え始めていた。

「ジュンタ君は迷走しているようだし、リオンは全然自覚が芽生えない」

「ジュンタの方は、シチュエーション次第で概ね予定通りの行動に出てくれるだろう。悩んでは答えを出し、答えを出しては悩み、吹っ切っては新しく悩みを抱くという連鎖そのものは、恋愛感情としては当然のことだと思うのだが」

 猫仮面の生首じみた猫の被り物から囁かれた言葉に、色っぽいイタチ仮面が答える。

「そうねぇ。ジュンタ君は経験値がないだけで、別段ヘタレているわけではないでしょう。ここぞと言うときには決めてくれるはずだわ。ちょ〜っと、おもしろいぐらいにすれ違っているだけで」

「まったくアホやなぁ。昨夜チャンスやったんなら、そこで決めてしまえば良かったっちゅうのに。ほんま、ありえへんぐらいのチャンスブレイカーやで」

「ご、ご主人様はがんばっていらっしゃるんですから、そう言うこと言っちゃダメです。ここは私たちが影ながら支えてあげるべきと言いますか、何か舞台をしつらえるべきだと私は思うのですが」

 イタチ仮面の言葉に猿仮面が反応し、さらにはウサギ仮面が『はい』と手を挙げて議論に参加する。いちいち手を挙げなくてもいいと最初に言われたのだが、未だに直っていなかった。

「すでに『一番風呂作戦』、『ほろ酔い作戦』と追い込んでいますから。次の作戦となると……『混浴作戦』ですか?」

「……やるしかないか」

 狐仮面の少し逡巡する声での提案に、鳥仮面が『是』と判断を下した。
 これには他の仲良しな動物たちも驚いて見せる。顔は変わらないのだが。

「いいんですか? リオン様の肌を、その、ジュンタ様に見せることになりますが」

「父親としては少々心苦しい部分もあるが致し方ない。……これはこれまで黙っていたことだがね、少々イレギュラーが発生したんだよ」

「イレギュラーですか?」

「そう。ミセス・アニエースが教えてくれたんだが、どうやら明日にでもこのラバス村に厄介な相手が来るらしい。彼女を下手に放置しておくと、ジュンタ君に接触し、リオンの機嫌が最悪になる可能性もある。否、それはもはや避けられないと言えよう」

 リオンの機嫌が最悪――それの意味する、旅行中での告白の絶望視に皆狼狽える。

 しかしその中で狐仮面だけが、鳥仮面がわざわざこの場でそう口にした意味を察する。

「こうなっては他に取るべき手段はないだろう。リオンの損ねられた機嫌すらも通り越して、二人の気持ちも露わにさせるにはこれしかない。私はここに、『混浴作戦』の実行を提案する! 異論のあるものはいないかい?」

 そう議長である鳥仮面に力強く言われてしまったら、他の面々は是非もなかった。

 心の底から応援している者。遊び気分で参加している者。
 色々といるが、それでもここにいる全員が、二人に上手くいって欲しいと思っているのだから。

「反対はないようだね。では『混浴作戦』実行を、『恋愛推奨委員会』の今回の総意とする! 決行は明日。皆、仕込みをおこたるな!」

 鳥仮面の決定に、皆一様に力強く頷いた。

 ふっ、とろうそくの明かりが消え、それぞれが静かに部屋から出ていく音が木霊する。

 地下室に暗闇が戻る。次にここに灯りが灯るときは是非に祝賀のときでありたいと、そう声なき声が伝播していた。

 


 

 静かに二日目の夜は更けていく――そうして、誰にとっても長くなりそうな三日目は開ける。


 

 

 早朝の日差しの中を走る白毛が見事な馬が二体、今まさにラバス村へと到着した。

 やってきたのは一組の男女。男女ともに高貴なる生まれであることを、その立ち振る舞いだけで示している。同時に、その胸に聖地の聖殿騎士団である証のエンブレムをつけた騎士であることも示していた。

「ふぅ、ようやく到着したな」

 先行していた美しい翡翠色の髪をポニーテールに束ねた少女が、馬を止まらせて目の前の村を見渡す。

「噂名高い竜殺しの村――ラバスの村か。こんな時でなければ、ゆっくりと見て回りたいものだが」

「可能だろう。貴公が命じられたことは正当な謝罪。速やかに謝罪を終えたあと、ゆっくりと温泉で休暇をとるといい」

 少女の言葉に返答を返したのは、男の方――年齢はかなり高齢に達しているのだが、それを思わせない力強さを見せる、背の高い偉丈夫であった。

 少女は男性の言葉に眉根を寄せ、首を横に振る。

「いや、ダメだ。あなたにまで私の不手際を手伝わせているのです。休んでいる時間などはない。今はベアル教が怪しい動きを見せている頃、すぐにでも聖地に戻らないと」

「しかし、かのお人はそれを許さないだろう。命じられた任をきちんと果たすまでは、貴公に神居の敷居を決して跨がせまい。そんなお人だ。それは他でもない、娘である貴公が一番よく知っているはずだが?」

「それは……分かっています。だが、休めと言われても、その間あなたは私の見張りとしてこの場所に一緒に留まるんでしょう? それがどれだけ近衛騎士隊の行動に不備をもたらすかを考えると、居ても立ってもいられません」

「それも自身の失態が原因。今は言われたとおりにした方が建設的だ。私の目から見ても、貴公には今余裕がないように見受けられる。貴公は父と師の目を疑うのかね?」

 自身の師でもある男性にそう言われてしまえば、少女としては二の句は継げなかった。

 静かに深々と息を吐き出すと、身を苛む不安を必死で押し殺しながら、渋々男の言葉の正当性を認める。

「分かりました。しばらくこの村に滞在します。宿の手配は任せても?」

「構わない。では、健闘を祈る。相手が誰であれ、犯した過ちには相応の罰と償いを。それが我らが使徒ズィール・シレ聖猊下のご意志だ」

 馬上で互いに意思の確認をして、少女は沈鬱とした表情で、男性は厳つい顔で互いの名を呼び、分かれる。

「それではまた後ほどに。『巫女』コム・オーケンリッター」

「ああ、また後で会おう。『聖君』クレオメルン・シレ」

 そうして、聖地からの旅行者はラバス村にやってきた――一つの騒動を招く風と共に。









 戻る / 進む

inserted by FC2 system