第五話  決意の日(前編)


 

「申し訳なかった――ッ!!」

 朝部屋を出ると、そこには土下座した少女がいた。

 扉を開けるとちょうど視界に飛び込んでくる位置に手をつき、額をつき、完膚無きまでの土下座を決めている翡翠色の髪をした少女。その土下座っぷりは、思わずラッシャが「ま、負けた……」とか呟くほどの見事さである。

 突然だが、今日ジュンタは決意の朝を迎えた。

 どんな決意かというと、一人の男としての決意である。
 好いた女に愛を伝えること。そのとても勇気のいることを今日執り行おうと、万感の決意で朝を迎えたのである。

 いつもよりもきちんと身嗜みを整え、この扉を開けた瞬間に運命の日は始まりを告げるのだと、そう部屋の扉を前にして疑うことはなかった。

 …………うん。確かに、いつもとは違う始まりだった。ある種の運命すら感じるほどの。

 だけど、それが歓迎できる運命でないのは、この光景を見た誰もが分かることだろう。少女の土下座から始まる運命なんて、ダメな運命に決まっている。出ばなをくじかれたというより、完膚無きまでに叩きのめされたという感じだ。

「ジュンタ・サクラ。本当に申し訳なかったッ!!」

 扉を開けた体勢で完全硬直していたジュンタの動きが再開されたのは、土下座少女の宿中に届くのではないかと思しき、再びの謝罪の言葉でだった。

「あ〜、お前は……」

 床に接着しそうなほど頭を下げているため、少女の顔は伺えない。しかしその特徴的な鮮やかな翡翠のポニーテールには、ジュンタは見覚えがあった。

 まさかという気持ちで胸一杯だが、生憎と心当たりが彼女しかない。
 胡乱げな眼差しを向けつつ、ジュンタは恐る恐るその名前を口にしてみた。

「もしかして、いや、もしかしなくてもクレオメルンだよな? 聖地で会った」

「いかにも。その通りだ」

 かつて出会ったその少女の名はクレオメルン・シレ。

 聖地ラグナアーツにおいて、誤解から追い回されることになった、真面目で実直な少女の名である。さらに言えば、何でも使徒ズィールの実の娘であり、クーの友人でもあるのだとか。聖地からランカへと戻った際、その程度の情報は得ていた。

『クレオメルン様はとっても真面目な方なんですよ。毎日毎日槍の修行をしていて、聖殿騎士の鑑と言える人なんです。え? 私の友人ですか? そんな、クレオメルン様はそうおっしゃってくれますが、聖君であるクレオメルン様と私が友達なんて恐れ多いです』

 その後、自分を卑下したクーを叱ったためにそれ以上の情報は得ていないが、分かっていることとして、クレオメルンが真面目であること。『聖君』という、聖神教においても全世界にとっても地位が高い立場にあることの二つがある。

 それで、どちらの観点から見ても、今の彼女の状態は理解の範疇外にあった。

「……いや、本当に何をしていらっしゃるんですか? 何でこんな場所で土下座なんぞをされているのでしょうか?」

 いい加減背後の同室者からの興味と疑いの視線が痛くなってきたジュンタは、核心をつく質問をする。

 クレオメルンはいい質問をしてくれたと言わんばかりに、土下座体勢から顔をあげずに説明を開始した。なんてシュールな光景なんだろう。

「ジュンタ・サクラ。私は貴様に詫びなければいけないことがある。それを明確に表すための格好として、今このような格好をさせてもらっている」

「詫び? クレオメルン・シレともあろうものが、土下座までするほどの詫びって……?」

 そもそもクレオメルンとの接点が少ないジュンタには、まったく心当たりがなかった。

「一体、ジュンタは何したんやろね? あんな見事な土下座までさせるなんて、きっとちょっと人としてはどうかと思うトラブルに彼女を巻き込んだんやないかとワイは思うわ」

「俺もその推測には票を投じよう。ジュンタはトラブルメーカーではないが、勘違いされやすくトラブルを知らず肥大化させるからな。彼女が謝っているのだから彼女がジュンタに悪いことをしたのだろうが、ある意味ジュンタの方が悪いと言えなくもない」

「さすがに麗しき婦人をこの状態にさせたままだというのは、男としても人としてもどうかと私も思うね。ある意味これはジュンタ君の密かな趣味の形ではないかと思うのだが、どうだろう?」

「はい。後ろうるさいですよ。ちょっと部屋の中で待っててくださいね〜」

 この状況を勝手に推測する男どもを廊下から追いやって、強引に扉を閉める。

「それで、俺にはそこまでされる理由が思い当たらないんだけど。お前は俺に一体何をしたっていうんだ?」

 ジュンタは扉を背中で押さえつつ、クレオメルンに再度疑問をぶつけた。

「覚えていないのか? 私は貴様のことを指名手配犯と誤解し、追いかけたではないか。それが結局、クーを傷つける結果に繋がり、貴様に多大な迷惑をかけた。だというのに、私は貴様に謝罪をしていなかったではないか」

「でも、確かクーの話じゃ、聖殿騎士団の任務があって聖地を離れてたとか」

「確かに。ベアル教が騒ぎを起こしているという情報を聞き、ズィール様について私は出かけた。結局それは誤報であったが、直後エチルア王国で起きたベアル教の騒動に迅速に駆けつけるという思わぬ結果も得られている」

「そんな理由で戻ってこられなかったんだから、謝れなかったのはしょうがないだろ? そんな土下座までして謝るようなことじゃ……」

「?? 何を言っている? これは謝罪が遅れたことを加味した謝罪ではない。これが私の通常の謝罪方法だ」

「あ、それがデフォルトですか」

 お偉い騎士とは思えない通常謝罪方法『DO・GE・ZA』である。
 話している最中にも一切頭を上げようとしないし、これでさらにとんでもないことをしでかした場合、普通に切腹とかしかねないっぽい。

「とにかく、あの件では私が全面的に悪かった。ジュンタ・サクラ。心から謝罪する。申し訳なかった!」

「あ、いや。結果的に全部丸く収まったわけだし、本当にもういいから。頭上げてくれって」

 あの時はさすがに焦ったり戸惑ったりしたが、それももう一月以上も前の話だ。
 結局それのお陰でクーとの仲も深まったわけだし、たぶんリオンとの仲も深まったし、今更改めて怒るという気持ちは一切わかない。

 むしろここまでされたら、例え未だに根に持っていようと怒っていようと、許さずにはいられないだろう。何も知らない第三者から見たらものすごく怪しい光景なわけだし。

「俺は気にしてない。そっちだって悪気があったわけじゃないし、何よりクーのために怒ってくれたんだ。なら、俺には怒れない」

「ジュンタ・サクラ……」

 ここでようやく、クレオメルンが頭をあげた。

 束ねた翡翠色の髪の鮮やかさに負けないブルーの瞳は、まっすぐ謝罪の意を伝えていた。クーが言ったように、彼女は間違いなく真面目で実直な騎士であるらしい。

「一度聖地に戻った際に聞いてはいたが、貴様は本当にクーと親しい関係なのだな。ならば、尚のことこのままにしてはおけない。ジュンタ・サクラ! 私に、私が犯した罪にふさわしい罰を与えろ!」

「はいぃっ!?」

 立ち上がったクレオメルンは、胸元に手を当てて唐突にそう言い放った。

 ほとんど変わらない身長のため、まるで視線で射抜かれているよう。騎士甲冑ではないが、それでもどこか機能美を優先した白い服を着た彼女は、紛れもなく綺麗な少女で……そんな彼女が吐いた言葉にジュンタは素っ頓狂な声をあげる他ない。

「さぁ、なんでもいいぞ。なんでもしてやろう」

「いや、別に俺はそんなことは望んでいないというか……」

「では、なにが望みだ? まさか金などという俗物的なものを頼むつもりではないだろうな? まぁ、それならそれで構わないが、それでは償いをしている気にはなれないのだが……」

 顔を目と鼻がくっつきそうなほど近づけてくるクレオメルンから、ジュンタは精一杯逃げる。が、最初から背中は壁際だ。逃げられないし、クレオメルンの瞳は視線を逸らすことを許してはくれない。

「言え。なんでもいいぞ。貴様の望むことをなんでもしてやると約束しよう」

「そ、そう言われてもだな」

「何かあるだろう? 貴様も男なら夢の一つや二つくらい。その手助けをしてやると言っているのだ。遠慮することはない。これでも様々な訓練を身につけている。失望はさせない自信はある」

 不敵に笑うクレオメルンの瞳が、逃がさない、言うまで絶対逃がさないと語っている。
 本当に真面目な人がこれほどまでにタチが悪いなんて、ジュンタはこれまで知らなかった。

「さぁ――ジュンタ・サクラ!」

「ちょっと、朝っぱらから騒々しいですわよ! 一体何を騒いでますのよ!」

 それでもって、そんな廊下で騒いだら、真向かいの部屋を使っている女性衆が気付かないはずもなく。女性四人組の中で最も堪え性のない相手が一番に出てくるのは当たり前で、出てきた相手がリオンならば、この状況を見て目を尖らせるのは当たり前も当たり前――

「……そんなに顔を近づけて、一体何をしていますの?」

 冷ややかに凍えた視線と声にジュンタは青ざめ、クレオメルンは自分の体勢に気付き、ハッとなって離れた。

「ほ、本当に、一体何をしていたのかしら? ジュンタ、ゆっくりお話しして欲しいのですけど。もちろん嫌とはいいませんわよね?」

 そこでクレオメルンが照れてすぐには声を出せなかったので、

「イ、イエス・マム」

 ジュンタは決意の日を、朝っぱらから色々と問題を抱えながら始めるしかなかったのでした。






       ◇◆◇






 聖地において『聖君』の地位と、使徒ズィール・シレ聖猊下近衛騎士隊隊長の役職を持つ少女がラバス村まで来たのは、本当に謝罪のためだけであったらしい。

 本当に生真面目というか、恐ろしいくらいの精神である。でもクーの友人と聞くと、妙に納得してしまえるのはなぜだろう?

 ともかく、クレオメルンがラバス村までやってきたのは、聖地でのジュンタ・サクラ指名手配誤配布事件の謝罪のためであり、廊下で言い寄っていたのは償いを求めてであり、それ以上でもそれ以下でもないのだとリオンに納得させるのにかかった時間は一時間ほどだった。

「なるほど、そういうことでしたの。一応信じては差し上げますわ、一応は」

 ……本当に納得させられたのかと聞かれたら、微妙と言う他ないレベルでの話だが。

(この誤解を解かないことには、告白とかどうしようもないからなぁ)

 朝食のあと、紅茶を飲むリオンにひたすら誤解を解いていたジュンタは、ぐったりとした様相でテーブルに突っ伏す。真向かいのリオンは不機嫌顔を若干弛めて、優雅な仕草で紅茶を飲んでいる。

 少し離れたテーブルでは、クレオメルンがその他のメンバーによって歓待されていた。

 ゴッゾに礼儀正しく迎えられ、ラッシャにナンパされ、サネアツにポニーテールを猫じゃらし扱いされ、ユースに紅茶を淹れてもらい、トーユーズの流し目に少し頬を赤らめさせられ、最終的に知り合いであるクーと談笑している。

「……いやにクレオメルンのこと気にしてますわね?」

「べ、別にそんなんじゃないって! ただ――

「ただ、なんですのよ?」

 クレオメルンに視線を向けただけで飛んでくる、リオンの不機嫌な声。
 まさか、どう見ても償いを諦めていないクレオメルンに、今日という日を邪魔されないかと戦々恐々していたとは言えなかった。

「いや、別に何でもない」

「……そうですの」

 それ以上噛みついてこなかったリオンは、カップをソーサーに置く。その後は偶に紅茶を飲むだけで、視線を落として無言のままである。

 …………あ、あれ? どうしてこんなに空気が固くて重たいんだろーか?

 いつもとは違って、全然爆発の気配を見せないリオン。こう、冷戦状態というか、水面下で致命的な威力の爆発を溜め込んでいるというか……とにかくおかしな態度である。

(ど、どうするべきなんだ? 明らかにいつもとは違うというか、告白の前にどこかへ誘うことすら憚られる気配なんですが。これは今日の告白は諦めろ、もといリオンは諦めろという神の意志か?)

 視線を膝の上の握り拳に落とし、ジュンタは緊張から額に汗を浮かべる。

(いや、この程度でくじけてどうする。やると決めたんだから、何があってもやるんだ。じゃないと、いつまで経っても悩みのループだ)

 握り拳をさらに強く握って、ジュンタはキッとリオンに視線を向ける。

 その強い視線に気付いたのか、リオンも顔を上げた。何かに悩んでいるというか、感情を抑えている顔は気になったが、先に自分の言葉を伝えることを気にする。

「リオン」

「なんですの?」

「今日、お前は何をするつもりなんだ?」

「別に、まだ決めてませんわ」

 質問に平坦な返答が返ってくる。口数も少なく、感情の揺らぎもほとんどない。

 お見合いの席でもあり得ないような緊張度がさらに増していく中、ジュンタは溜まった唾を飲み込んで、はっきりとその言葉を口にした。

「まだ決まってないなら、俺と一緒にどこか出かけないか?」

「え?」

 そこで初めてリオンの表情が揺らいだ。

 困惑を多分に含めた、それは怯えた表情と言えばいいのか。
 リオンにしては珍しいその表情は長くは続かず、すぐに彼女は静かな表情へと戻る。

「……出かけるって、どこへ行きますのよ?」

「それは……」

 まずい。考えていなかった――誘うことしか頭になかったジュンタは、その場ですぐ妥当な場所を見繕う。なんだかんだで昨日村の様子はリオンと一緒に見て回ったため、買い物とはいいにくい。かといって、ラバス村の名所など知らない。

「リ、リオンはどこか行きたい場所とかあるか?」

「特にありませんわ」

「そ、そっかぁ。ないのか……」

 なんだか泣きたくなるぐらいのダメダメ感。果たして、そんなジュンタに救いの手を差し伸べてくれたのは、こんな状況を作り出した張本人であるクレオメルンだった。

「ジュンタ。それならば、『騎士の祠』に行くといい」

「『騎士の祠』?」

 いつの間にか近付いてきていたクレオメルンの助け船に、ジュンタは朝のことは忘れて縋る視線を送る。

 リオンもまた何とも言えない視線をクレオメルンに送る中、彼女は厳かに頷いて説明を開始した。

「ラバス村から近い火山の麓に、そう呼ばれている祠がある。ラグナアーツが聖神教においての聖地ならば、そこは騎士を志す者の聖地と呼ぶべき場所だ。行ったことがないならば、一度行っておくことをオススメする。まぁ、もっとも。私も行ったことがないから、これは行った人間の受け売りでしかないのだが」

「い、いや、ありがと。リオン、そこはどうだ?」

「私、何度も行ったことがありますけど」

「あ、そうだよな。やっぱり」

 当たり前と言えば当たり前の返答に、ジュンタはクレオメルンと一緒に怯む。

 毎年のようにこの『不死鳥の湯』にやってきているリオンなら、そんな場所が近くにあるなら騎士として訪れていないはずがない。と言うか、シストラバス家の領地内であるラバス村の近くにあるなら、そこもまたシストラバス家の関係ある場所の可能性が高い。

 最悪なチョイスに近い助け船となったことに、恐らく償いの一環として助け船を出してくれたクレオメルンはどうしていいか分からないような顔となる。

 ジュンタもまた黙り込んでしまって、そんな二人の顔を交互に一瞥したリオンは、どこか嘲笑を孕んだ声で言い放った。

「ジュンタもクレオメルンさんも、行ったことがなくて行きたいのなら、どうぞお二人で行って来たらどうです? 確かに、あそこは一度足を向けた方がよろしい場所ですわよ。私は、今日は部屋でゆっくりとさせていただきますので」

「あ、ちょっと待てよ! リオン!」

「夕食の席にでも、お二人の感想を聞きたいものですわ。『騎士の祠』は我が家の開祖、ナレイアラ様と縁深き場所ですから。それでは失礼」

 ジュンタが止める声を無視し、リオンはさっさと立ち上がって食堂から出て行ってしまう。どうやら本当に部屋へと戻るつもりらしい。

 椅子から腰を浮かして、リオンに手を伸ばしていたジュンタは、呆然と椅子に腰を落とす。

「…………なんだよ、それ……」

「す、すまない。助け船を出すつもりが、まさかこんなことになろうとは……」

 クレオメルンが慌てて頭を下げるが、ジュンタとしてはどうでも良かった。

 彼女が本当に好意でやってくれたのは誰の目にも明らかだし、今度は何の否もないのも明らかだった。あるとしたら、それはリオンか。あるいは、自分か。

「クーたちからジュンタの想いを聞いて、せめて償いになればと思ったんだが……すまない。なんと詫びたらいいか。いや、こればかりは詫びても――

「なぁ、クレオメルン。『騎士の祠』へ一緒に行くか?」

「ああ、ジュンタが怒る気持ちももっともだ。貴様がそう言うなら、私としては是非もない。もちろん同行させてもらうが…………え?」

『『え?』』

 謝っていたクレオメルンの顔がポカンとしたものになる。その後の『え?』という声は、離れた席から様子を見守っていた他の面々が揃ってあげた声だ。

「嫌ならいいし、お詫びのつもりでついてこられるのはあれだから、ついてきたいと思ったらついてきてくれ。俺は一人でも、『騎士の祠』とやらを見てくるから」

 ジュンタは少しずれていた眼鏡の位置を直すと、立ち上がってクレオメルンに再度誘いをかけたあと、食堂を後にする。

 その背を見送ったクレオメルンは、硬直したまま動かない。






 リオンは部屋へと続く廊下をズンズンと進んでいく。周りを見ず、まっすぐ前だけを見て。

「リオン様。どうやらジュンタ様は、本当に『騎士の祠』にクレオメルン様と出かけるようですよ」

 だから声をかけられるまで、ユースが追いついてきたことに気が付かなかった。

 ユースの言葉に足を止めたリオンは――だけど振り向かない。

「リオン様はそれでいいのですか?」

「何が、ですの? ジュンタが誰とどこへ行こうと、私には関係ないではありませんの」

 ユースは強ばった声をあげる主を見て、小さく溜息を吐く。
 そんなこと本当は思っていない癖に、どうしてそんな分かりやすい嘘をつくのか。

「……リオン様だって、先程のジュンタ様の態度を見ればわかるはずです。彼は『騎士の祠』に行きたかったわけではなく、クレオメルン様と出かけたかったわけでもなく、他でもないリオン様と一緒に出かけたかったことが。そして、それがどんな意味であるかにも」

 これまでにも、ジュンタがリオンを外出に誘うことは度々あったけれど、それは遠回しな、自分の気持ちを悟られないように考慮した誘い方だった。

 しかし今朝のそれは、分かりやすすぎるほどにストレートだった。あんな誘いを男性からかけられて、女性側がその気持ちを察するなという方が無理な話。絶対とは思わなくても、もしかしてとは必ず思うはずだ。特に、一度告白を受けことのある相手ならば、尚更に。

「本当はジュンタ様の気持ちに気付いていらっしゃるのでしょう? でしたら、先程のリオン様の言葉がどれほど彼を傷つけたが、リオン様ともあろう方が分からないはずがありません」

「だとしたら、なんですのよ? 相手を傷つけないために、ユースはほいほいと好きでもない相手の誘いを受けろといいますの? そっちの方が、よっぽど後で傷つけることになりますわよ」

 顔を見せずに言ったリオンの言葉に、ユースはやっぱりと思う。

 やっぱり、リオンは先程の誘いでジュンタの気持ちに気が付いたのだ。隠そうとしていた気持ちを隠さずに誘ってきたジュンタが、一体どんな決意を決めているか察したのだ。

 だから、断った。だから、わざとクレオメルンと出かけるように差し向けた。……それは確かに、好きでもない相手からの誘いを断るのにはふさわしい行為だろう。

「確かに、好きでもない相手の誘いに乗って、夢を見させることの方が酷いことかも知れません」

「そうですわ。だから、私のしたことは間違っていません。クレオメルンさんには悪いですけど、彼女も何か償いがしたかったようですし、一日くらい付き合ってもらうのが二人にとって一番ですわ。咄嗟の思いつきにしては、さすがは私と言ったところでしょう」

 強気で言うほどに、いつも通りを繕うほどに、その背中がユースにはか細く見えた。
 
 だから、ユースは最大の嘲りをもってリオンに答える。

「本当に。さすがはリオン・シストラバス様です」

「っ!」

 リオンが初めてそこで振り返る。
 リオンの瞳は微かに潤んでいて、ユースの無感動な瞳を鋭く睨みつけてきた。

 リオンは睨んだまま何も言わない。いや、言えない。否定して欲しくて自分で言ったのに、肯定されて、だから何も文句が言えない。睨んだまま、ただ彼女は震えていた。

 それを見て、ユースは理解せずにはいられなかった。目の前の少女は、良くも悪くも竜滅姫なのだ、と。

「本当に、ええ、さすがはリオン様。でも、知っていますか? クレオメルン様のお父様――つまり使徒ズィール様は、清廉潔白の使徒様です。妻でありクレオメルン様のお母上でもある方は、元はただの平民でした。かの使徒様は神に敬虔であるが故に、身分に頓着しないのだとか」

「……何が言いたいのかしら?」

「特に何も。ただ、これでもしジュンタ様とクレオメルン様がお付き合いにすることになりましたら、ズィール様は結婚を反対しないだろうということです。使徒様が反対しないのでしたら、誰にも反対はできません。そうなったらリオン様は愛のキューピットですね」

 リオンの視線をしっかりと受け流して、今度はユースの方から背中を向ける。

「もしもそうなったなら、ジュンタ様は聖地ラグナアーツでお暮らしになられるでしょう。その方がいいのかも知れません。クーヴェルシェン様もあちらが故郷ですし、ランカへはただ一時滞在されているだけなのですから」

 そう、ジュンタ・サクラという人は、永遠にランカの街にいるとは決して限らない旅人だ――その事実に初めて気付いたのか、背後でリオンが息を呑んだ空気が伝わってきた。

「……リオン様はお休みになるようで。どうぞ、お好きなだけお部屋でおくつろぎ下さい。何かあったら呼び鈴を鳴らしていただければ参りますので。それでは」

 ああ、そうか。と、ユースは全てを理解し、リオンから遠ざかっていく。

 リオンと誰よりも一緒にいたために、気付いてしまった。
 明らかにジュンタの想いに気付いているリオンが、一体どんなことを今考えているのか。

(あのとき、やはり私もリオン様にご同行するべきでした)

 ――リオン・シストラバスは過去一度だけ、真剣な愛の告白をされたことがある。

 それは竜滅姫であろうとしたリオンが、死を覚悟したが故に一瞬見せた乙女の姿のときに、少なからず意識していた相手からされた告白。ユースはその場面を見ていなかったけれど、その瞬間の光景はきっと、リオンの心に強い影響を与えたのだろう。

 誰よりも高潔であるがために、きっとリオンには許せないのだ。
 その時その瞬間に在った綺麗な感情というものを、自分の手で汚すことが。

「本当に、不器用な人ですね。リオン様は」

「だからと言って、あんまり主を虐めるものではないよ」

 溜息混じりの苦笑を浮かべたユースに、そのとき横手から声がかけられる。

「トリシャさん。気配を隠して近付かないでください」

 袖の下に隠していたものを反射的に取り出そうとしたユースは、すぐに話しかけてきた相手がトリシャであることに気付き、取り出すことを止める。

「ユースや。まだまだ修行が足りんのう。こんな生い先短い老いぼれの気配にも気付けんようじゃ、主に迫る危機に気付くのも遅くなってしまうよ」

 いつの間にか近付いていたトリシャは、悪びれた風もなく笑う。
 その台詞を聞いて―― 特に昨日も言っていたその一言を聞いて、ユースは不機嫌な顔を作った。

「冗談でも、生い先短いなどとは言わないでください。トリシャさんにはもっと長生きしてもらわなければ困ります。あと、それを気配を隠して近付く理由にしないでください」

「それじゃあ、メイドの嗜みとでも言っておこうかねぇ。それに大丈夫さ。わたしはユースの花嫁姿を見るまでは死なんよ」

「なら、百歳以上まで生きてください」

 ユースのそんな言葉に、トリシャは呆れたような表情となる。

「本気でそれを言ってるなら、ちょいと女として悲しいし、冗談なら冗談になりそうじゃないから言わないで欲しいねぇ。もう少しこう、色恋に積極的になってくれるとわたしは嬉しいんだけど……もしかして、まだ初恋のことを引きずってるのかしら?」

「それは……別に……」

「引きずってるようだねぇ。一途なのは悪いとは言わないけど、諦めは肝心だよ。あの方にはもう立派な子供までいるんだから」

「……分かっています。私だって、ずっと引きずっているわけではありません。そもそもあれが恋などと……あり得ません。だって、あの人は――

 一番話題にして欲しくないことを遠慮容赦なく述べるトリシャに、ユースは少し赤くなって視線を逸らす。そこから先の言葉はなぜか紡ぐことが叶わなかった。

 トリシャは、気恥ずかしそうなユースがかわいくて仕方ないという顔で笑い、

「まぁ、まだ時間はある。ゆっくりおやりよ。ユースの結婚はもちろんとして、まだユースにこの『不死鳥の湯』を譲る気はないからねぇ。リオン様には長生きしてもらって、できれば一生譲らないでいたいくらいさ」

「私も……私も、そう思います。リオン様に幸せになっていただき、ずっと生きていて欲しいと思います。それを横から眺めていることが私の幸せですから。この伝統ある宿を継ぎたいという気持ちはありますが」

「嬉しいこと言ってくれるじゃないか。だけど、今は主が悩んでるんだ。そのことを一番に考えなさいな」

「はい。それがユース・アニエースが、トリシャ・アニエースから教わったものですから」

 トリシャが笑って歩いていく。そのあとをユースが静かについていく。

 それは主と従者の立ち位置ではなく、親の背中を見て追いかける子供という、親子二人の立ち位置だった。

 


 

       ◇◆◇


 

 

『騎士の祠』という場所を村の人に聞けば、すぐに場所は判明した。

 ラバス村の温泉の源泉ともなる、地下水脈を温める火山。その麓に小さな祠があるのだと言う。そここそが騎士たちの聖地。騎士の魂の行き着く先――『騎士の祠』なのだとか。

 そこまで行くのには、ちょうど『不死鳥の湯』から見える眼下の森を歩いていくのが一番の近道だ。しかしこの森には何やら罠などが仕掛けてあるらしく、森を迂回するように巡礼者の道のようなものは作られていた。

 ジュンタはその道を約三十分、無言で一人トボトボと歩いていた。

 胸中には語り尽くせない感情がドロドロと渦巻いている。
 
 完膚無きまでにリオンに誘いを断られたとか、なんでそこで諦めて特に行きたくもない『騎士の祠』を目指しているのかとか、告白どうしようとか、色々と頭に浮かんでくる。それと同時に、少しの虚脱感が襲ってくるのはしょうがない。

「まったく、何でいつもいつもこうなるんだか」

 自分ではそこそこがんばっているつもりなのに、いつだって空回り気味だ。
 
「リオンはリオンで、もう少しぐらい俺に優しくしてくれたって罰は当たらないだろうに…………俺、あんな我が儘女のどこを好きになったんだ?」

 タイミングが悪いのはこの際仕方がない。だけどがんばっているのに、リオンの反応はいつもきついもの。ここ最近、ジュンタはリオンからの心からの笑みというものを眼にしていなかった。

 他のみんなには礼儀よく接するのに、どうして自分だけリオンはああも高飛車に接してくるのか? 特別と聞けば響きはいいが、ストレスだって蓄積する。

「我が儘で、高飛車で、人の話は聞かないし、すぐ不機嫌になる癖に機嫌が良くなるのは遅いし。感情爆発させると剣を抜くし、暴力を振るう、何気に傷つく言葉いう癖に最悪な一言だけは言わなくて……要領いいんだか悪いんだか」

 考えれば考えるほど、口からは止め処なくリオンに対する悪態がもれる。

「クーみたいに優しくなんてないし、ユースさんみたいによく気が付くわけでもなし。先生みたいに大人っぽくもなくて……俺、本当になんでリオンが好きなんだろ?」

 森が横手になくなって開ける視界。
 上を見上げれば、ほとんど地肌が剥き出しになった巨大な山が見える。

 その麓に祠はあった。祠というよりは、山の麓からまっすぐ山を貫くトンネルという感じである。入り口の両脇に文字が彫られた岩が立てられており、近付いて薄暗い中を覗き込んでみると、鍾乳洞のような空間がずっと奥まで続いているのが確認できた。

 ジュンタは無言のまま、灯りもなしに『騎士の祠』へと入っていく。

 さすがに火山の中だけあって、地熱がかなり熱い。岩盤は人工的な舗装をしておらず、水晶が固まったかのようになっている。噴火していないところを見るに休眠している火山なのだろうが、それでもこうやってこの場所が崩れないのはそのお陰だろう。

 中に入って百メートルほど進むと、一気に空間が開けた。

「これは……」

 目の前一杯に広がるのは、燃え上がる炎ような空間。壁や天井、床全てが燃えているかのように美しい輝きを放っている。それは乱反射するルビーのような美しさ。ドラゴンスレイヤーの刀身のような、澄んだ紅の空間だった。

 しばし、ジュンタは声もなくその空間に見とれる。

 そして思ってしまった。出来れば、ここにはリオンと一緒に来たかった、と。

「仕方ないだろ。あいつは優しくなくて、勝手で、子供みたいな高飛車女だけど、それでもどうしようもなく好きなんだから」

 リオンの欠点をあげろと言われたら、ジュンタはたくさん上げられた。しかし、いいところを上げろと言われたら、それ以上にたくさん上げられた。

 リオン・シストラバスという少女は、とても綺麗で格好いい。

 凛々しい真紅の瞳が、気高い背中が、高潔な精神が、目を奪って止まない。偶に見せる綺麗な笑顔を見ると、まるで魂でも奪われたかのようになってしまう。

 欠点もある。苦手な部分もある。それでも、そんな全てをひっくるめたリオンという少女を、ジュンタは好きになったのだ。どうしようもなく愛おしいと思うのだ。もっとずっと一緒にいたいと思うのだ。

「そうだよな。とっくの昔に、俺はリオンに壊されてるんだ。なら、今更少し傷ついたところでどうってことない。俺が好きなんだ。俺がリオンを好きなんだ。なら、それを伝えるしかないだろ。悩むのは、落ち込むのは、その後だって遅くない」

 精々、諦めの悪い男に惚れられたことを後悔しろ――ジュンタはそんなことを心の中で思ってから、改めて『騎士の祠』の中を見回す。

 紅の空間の行き止まりには、神をまつっているかのような小さな祭壇が作られていた。
 それだけなら当然なのだが、ジュンタの目に止まったのは、その祭壇の下に作られた石の台座の上に置かれた幾つもの武器の存在だった。

「なんだ、これ? 全部壊れた武器……?」

 放置された武器の種類は様々だが、全てに共通するのは折れたり砕けたりと、もう武器として使えなくなってしまっていることだった。

 どういうことだ、とジュンタは首を傾げるが、ショックのままにここまで来たため、一人っきりだ。説明を求めようにも、求める相手がいない。

「説明してくれる人がいないんじゃ、来たって意味ないだろ。まったく、馬鹿か俺は」

 疑問は残るが、ここに残っていてもしょうがない。
 今日という日は変わらず覚悟の日なのだから、宿に戻ろうと、苦笑して来た道を振り返る。


――それでは、あたくしが説明をして差し上げましょうか?」


 振り返った先の入り口には、一人の女が立っていた。

 音もなく、気配もなく、空気のように自然とそこに立っていた。
 なぜか目を瞑っている女だ。ジュンタは彼女を見て、ただ純粋に驚いた。

「あなたは誰ですか?」

「ただの通りすがりの観光客ですよ。ですが、ここに来る前にこの場所の予習は完璧にしてきましたから、ご満足いただける説明を聞かせて差し上げることができると思いますが」

 笑顔を浮かべる女の態度と声に、ジュンタは咄嗟に身構えていた身体から力を抜く。

 どうにもいけない。いきなりトラブルに巻き込まれることが多かったから、いきなり話しかけられるとつい警戒してしまう。思い詰めて恥ずかしいこと考えていたから、彼女の存在に気付けなかったのは当たり前なのに。

「どうやら警戒は解いてもらえたようですね」

「え? なんで分かったんですか?」

 目を閉じていたのにとは、ジュンタも繋げられなかった。

 しかし彼女の方から自らの閉じた瞳に触れ、そのことを話題にあげた。

「ご覧の通り、あたくしの目は少々普通の方とは違うものですから。見えないからこそ見えるものはあるのです。気配というのですか? そういったものには敏感なのです」

「そういうものなんですか」

 確かに、常時瞳を閉じていれば、他の感覚が鋭くもなるだろう。と言うことは、彼女はずっと瞳を閉じたままなのか?

 盲目なのか、それは彼女自身がぼかしたために分からない。深く聞くのも躊躇われるため、ジュンタはそこには触れずに、ちらりと後ろを振り返った。

(ここまで来て、何も知らずに帰るってのも馬鹿らしいよな。夕食の席で感想を聞かせろってリオンも言ってたし、そこから話題を繋げられるかも。ここはご好意に甘えておくか。怪しくない……とは言えないけど、悪い人なわけないだろうし)

 人を疑ってしまう自分が悲しいと思いつつも、ジュンタは改めて女性を確認した。

 身長は百六十センチ前後ほど。年齢も二十代前後に見えるが、その美貌からは確かな年齢をうかがうことが難しい。まるで年齢は百歳を超えても、見た目は二十そこらのエルフを前にしているような印象がある。彼女の耳は普通の人間のものであるが。

 氷を溶かしたかのような水色のストレートヘアー。白いカチューシャを使って大きく額を見せており、髪と真っ白な肌から氷像の女神を思わせる。着ている服は旅装といった感じの薄紫色のローブで、確認すれば確認するほど、ゾクリと背筋が震え上がる美女である。

「それで、どうされます? 寂しい女の無聊を慰めると思って、付き合っていただけたら幸いなのですけど」

「でも、迷惑じゃないですか?」

「そんなことありえませんわ」

 目を閉じたまま、しかしまるで目が見えているかのような確かな足取りで、女はジュンタの目の前へと近寄った。

「ええ、そんなことはありえません。あたくしは、あなたのお役に立てるのが嬉しくてたまりませんわ」

「っ!?」

 そのまま、冷たい本当の氷のような手で手を取られたジュンタは、女の顔から魅入られたかのように視線を外すことができなかった。

「ですから、どうかご遠慮なさらずに。ただ求めればいいのです。本能のままに、欲望のままに、それがヒトたる者の正しい形ですよ」

 女は目を閉じているのに、まるで魂の奥まで見透かされているかのように感じられた時間は、一瞬で終わった。

 手を離されたジュンタは目の前の美貌を見て、数歩後ずさって咳払いする。

「じゃあ、お願いしてもいいですか? 何も聞かずにここまで来たので」

「ええ、もちろんです。あなたがそれを求めるのなら、あたくしもまた求めましょう」

 女の笑い声が祠の中に反響する。クスクスクス、と。

「あたくしが、求め続ける者であるが故に」

 説明が開始される頃になっても、ジュンタは自分が女の名前を聞いていないことに、ついぞ気付くことはなかった。









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