第六話  決意の日(後編)


 

 古き時代――人がまだドラゴンと絶望的な戦いをしていた時代。またラバス村も、人知れず強大な相手に対して戦いを繰り広げていた。

 その敵はある意味ドラゴンと同じ、人の身では対抗する術のない自然という名の脅威だった。古の時代においてラバス村の近くにある巨大火山は、いつ噴火してもおかしくない状態だったのだ。

 この地に長く暮らしていた人々は、火山の噴火を恐れて様々な呪術的儀式を行っていた。
 そうした習わしがいつしか村の人々を呪術師へと変え、また火山の噴火を恐れて行われた呪術は、実際に噴火を神秘の力をもって封じ込める『封印』と化した。

 だが、噴火の力は年々増すばかり。対して封印の力は生まれつきの力に依存するため、小規模な噴火は当たり前。村は年を重ねることに規模を小さくしていった。世の中がそうであったように、またラバス村も緩やかな滅びの中にあったのだ。

 そんな中、世の絶望を晴らさんとばかりに、ラバス村に奇跡のような子供が生まれた。

 名を、姉シスト。妹ナレイアラといった、双子の姉妹である。

「生まれながらに法外な力を持って生まれた彼女らの力は、『神衣を纏った者』と讃えられるほどで、自然の力すら完全に従えさせることができたのだとか。二人は火山を永久に鎮め、ラバス村に多くの恵みをもたらしたのだと伝えられていますわ」

 輝く紅の空間を見上げながら語った女の話の内容に、ジュンタは酷く興味を引かれた。

「その伝承に出てくる双子の姉妹の妹――ナレイアラって、もしかしてあの『始祖姫』のナレイアラ・シストラバスなんですか?」

 伝承に出てきたナレイアラという名は、あまりにも有名だ。

『始祖姫』の一柱。ドラゴンの天敵たる初代竜滅姫。『不死鳥の使徒』ナレイアラ・シストラバス――リオンの家の始祖にあたる、昔の使徒の名だ。

「『始祖姫』は千年の昔に実在した古の使徒。ご存じかもしれませんけど、逸話が乱立しすぎていて、正確な情報はあまり残っていないのです。
 アーファリム・ラグナアーツの情報こそ、彼女が開いた聖地に、その巫女ソニア・キティと共に伝わっていますが、他二名の『始祖姫』の情報はあやふや」

「そういう話を聞いたような気もします」

「メロディア・ホワイトグレイルが現・魔法大国エチルアのある地域に生まれたことや、その巫女がエルフのシャスであったことなど、多くは長い歴史の中で解き明かされています。けれど、ナレイアラ・シストラバスに限っては、それらの情報がほとんどありません。その力と役割、聖骸聖典の継承が優先されたため、詳しい素性が消失したという話ですが」

 あまりに有名すぎる『始祖姫』ではあるが、やはり千年も昔の人であるからか、あまり正確な記録は残っていない。聖神教の開祖アーファリムの情報は代々使徒により伝わっているというが、他二名――メロディアとナレイアラはあまり伝わっていないのだ。

 その中でも、出身地などが分かっているメロディアに比べれば、ナレイアラの方が謎か。

 シストラバス家にも伝えられていない、その氏素性。真紅の髪の美しい女であり、誇り高き騎士であり、火の魔法属性と『封印』の力を持ち、竜殺しに特化していた不死鳥の使徒であることぐらいしか分かっていない。いや、ナレイアラという使徒を語る上で、そこが一番重要なのだろう。

「ナレイアラ・シストラバス――生まれがどこか定かではない彼女は、救世の旅を終えたあと、グラスベルト王国の建国に深く関わったという話です。まだ使徒が聖神教に招集されていなかった時代のため、そこで建国王イズベルト一世より貴族の位をもらい、オルゾンノットの都を統治するようになったと伝えられていますわ」

 物知り顔で話し始めた女は、ジュンタの方を見て楽しげに笑った。

「そこから色々と推測することはできます。千年の間、誰もが気になって調べてきたことですから」

「それは、このラバス村の伝承にあるナレイアラと関係があるってことですか?」

「あくまでも確証のない、だけど限りなく正解に近いだろうお話として、ですが。
 ラバス村の伝承にあるナレイアラという女と、かの不死鳥の使徒には多くの類似性があるのです。火山を鎮める『封印』と、シストラバス家の『封印』の魔力性質。生まれながらに強大な魔力を持つ使徒だったなら、その強き力にも説明がいきます。
 他にも、巫女の名が伝わっていない不死鳥の使徒ですが、『神衣を纏った者』は双子の姉妹。巫女の多くは、使徒と繋がりのある人がなるというではないですか」

「じゃあ、双子の姉シストが、その巫女だったってことですか? そうなると、ラバス村のナレイアラがやがての『始祖姫』ナレイアラ・シストラバスで、このラバス村がナレイアラの出身地ってことになりますよね?」

「と、多くの歴史家たちは推測していますね。他でもないシストラバス家もこの場所に何らかの縁を感じ、その推測を真実だと認識しているようです」

 なるほど、と女の話を聞いてジュンタは思った。

『始祖姫』の伝説が残り、ドラゴンスレイヤーの要となる鉱石があり、なおかつ代々シストラバス家の竜滅姫に仕えるアニエース家が存在する。ここまでシストラバス家と関わりがあって、ラバス村に根本的な何かがないわけない。

「それじゃあ、ラバス村の人間にシストラバス家と同じ『封印』の魔力性質が多いのは、そんな過去があったからなんですね」

「小さな村ならば、ほとんどの村人に遠からず血縁関係がありましょう。ナレイアラがそうであったように、今でも多くの村人が『封印』の力を持っているのも納得のいく話。他にも、この地が不死鳥の使徒の出身地と裏付ける証拠は多くありますわ」

「例えば何があるんですか?」

「そうですね。おもしろい話もいくつかありますが……たとえば、シストラバス家は双子が生まれやすい家だと言われているのをご存知ですか?」

「双子の?」

「ええ、正確にはシストラバス家の分家に、ですが」

 シストラバス家は由緒正しい昔からの貴族の家である。そのため親類縁者、分家傍流も多い。本家であるリオンは一人っ子であるが、普通貴族の家が子供を一人しか産まないなど、滅多なことではあり得ない。

「シストラバス家は竜滅姫を抱える特別な家柄です。血になにかあるのか、あるいは祖先に双子を抱えるのが理由かはわかりませんが、分家端流には双子の子供が多いのですよ」

「それじゃあ、本家は? リオンには姉弟はいませんけど」

「おもしろい話なのですが、歴史上本家に双子が生まれたという話は聞いたことがありませんね。いえ、もしかしたら本当は生まれていたのかも知れませんが」

「……どういうことです?」

 彼女は噂話を好む人特有のもったいぶりを見せて、言葉を継ぐ。

「何も不思議なことはありませんよ。そもそもの話、貴族において双子はあまり好ましいことではありませんから。これが跡継ぎに関係ない子供ならともかくとして、長男長女が生まれるときに双子が生まれると、跡継ぎ問題がややこしくなってしまいますもの。
 シストラバス家もそれは例外ではないでしょう。いえ、むしろシストラバス家においてはさらに重大といえますわ」

「この世で最も重要ともいえる血であるが故に、ですね」

「シストラバス家の血は本当に特別。まるで神に祝福されているように、本家の竜滅姫が産み落とした子供は、例外なく長女にして紅髪紅眼を持って生まれてくるのです。つまりは次代の竜滅姫。
 それなのに、もしも双子だと困るでしょう? 僅か数分の差の姉妹だとしたら、もしかしたら同じ紅髪紅眼であるかも知れない。世間に知られれば混乱させてしまう。でしたら世間に晒される前に――

「なかったことにする……まさか、そんなこと」

「もちろん証拠などあるはずもありませんが、シストラバス家の竜滅姫の血を残すことに対する執念は恐ろしいものがありますから、あながち嘘ともいえませんわ」

「…………」

 女性の言葉を完全には否定できないために、ジュンタは押し黙るしかなかった。

 確かに、歴代のシストラバス家の竜滅姫が、そういった自体を恐れるあまり凶行に及んだ可能性は否定できない。だが、偶々本家に双子が生まれなかった可能性だってある。ジュンタは分家端流の双子出生率の割合を知らない。

 少なくとも、あのゴッゾが生まれた子供に対し、そのようなことをするとは思えなかった。ゴッゾも貴族であるが、そんなことは思いたくない。

 ジュンタがそんな気持ちで口を噤んでいると、女性は困ったように眉をハの字に変えた。

「すみません。少しはしゃいでしまったようですね」

「あ、いえ、気にしないでください。教えてくださいって頼んだのは俺の方ですし」

「いえ、選択を間違えてしまったのはあたくしの方ですから。ですがご安心ください。次は誤りませんわ。
 こんなお話もあります。都会ならばいざしらず、このような地方の村では、家名というものが存在していないことはご存じですよね?」

 女の問い掛けに、ジュンタは頷いて返す。
 
 村人皆家族のような地方の村で、他者と見分けるための家名など必要ではない。そのため、今でも地方の村では家名を名乗らない風習が根強い。家名を持つのは領主や、村でも力のある人――ラバス村でのアニエース家のような家柄だけである。

「もしもそのような村の出身者が都会に出た場合、家名を名乗る必要があるときは、大抵は村そのものの名前を家名に当てはめることが多いのです」

「ええ、知ってます。知り合いにもそう言う人が一人いますから」

 直接訊いたわけではないが、ジュンタの知り合いにも、そういう形で家名を名乗っている人がいる。それはこのラバス村に来て初めてそうだと知った相手――剣の師であるトーユーズ・ラバスである。

(先生の家名のラバスってのは、ラバス村出身者だからそう名乗ってたんだな。先生は『封印』の魔力性質じゃないけど、全員が全員『封印』の魔力性質持ちってわけでもないようだし)

『ラバス村のトーユーズ』――それが正しい、トーユーズ・ラバスの名の意味なのである。

「もしも、ナレイアラがラバス村の出身者だった場合、家名は持っていなかったはずですから、ナレイアラ・ラバスと名乗っていたはずです。しかしナレイアラは後に貴族となり、家名を得ることになった。この際、彼女は自分の家名を自分自身でつけたと言われています」

「自分でシストラバスって考えたわけですか……って、シストラバスってことは?」

「ええ、恐らくは二つの単語を組み合わせたのでしょう。ずっと一緒に戦ってきた双子の姉の名と、生まれ育った故郷の名前。シストとラバスを合わせて『シストラバス』――それが非常におもしろい、ラバス村がナレイアラの故郷と言われている理由の一つです」

 いと高きシストラバス家の、その名の由来にあった意味。それは証拠無き憶測に過ぎないが、それでもこれほどまでに類似点があるのなら、『始祖姫』のナレイアラとラバス村のナレイアラが同一人物というのは間違いないだろう。シストラバス家がラバス村を懇意にするはずである。

「まぁ、そのような背景がありまして、ラバス村は温泉地としてだけではなく、竜殺しの村などと言われているわけです。騎士の姫でもあったナレイアラの出身地として、多くの騎士にとっての憧れの場所ですの」

「それじゃあ、この『騎士の祠』は?」

「古き『神衣を纏った者』を祀った祠ですが、今ではナレイアラの祠として、多くの騎士が訪れる聖地となっていますわ。その台座の上に折れた剣がありますでしょう?」

 目を閉じた女が的確に指差した台座は、ジュンタもさっきから気になっていた多くの壊れた武器が置かれた台座だった。

「そこに置かれているのは、ここに訪れた騎士たちが捧げた己が半身も同じ武具です。壊れてなお、魂の込められたソレを供養する意味をもってここに捧げられ、月に一度山の火口に投げ入れられるのです。
 そこは不死鳥の炎の如き紅蓮が秘められた場所。長年自分を助けてくれた武具に対する、何よりの手向けになると伝えられていますわ」

「この壊れた武器にはそんな意味があったんですね」

「この『騎士の祠』にまつわるお話は以上になります。ふふっ、長々とお話してしまいすみませんでしたね」

「いえ、すごくおもしろかったです。ありがとうございました」

 女性が気を沈ませないよう、少しおかしな噂を選んだことはジュンタにもわかった。ジュンタは心からのお礼をいって、頭を下げる。

 女は優美な微笑みを口元から絶やさずに、少し嬉しそうに笑みを強めた。

「それでは、あたくしはそろそろお暇させていただきますね。とても残念ですが、少々これから用事がありますので」

「あ、すみません。用事があったのに、説明していただいて」

「いえいえ。あたくしにとっても、この時間は非常に有意義でした。あなたの疑問を解くことができたようで何よりです」

 女はそう言って、ジュンタに背を向けて入り口へと歩き始めた。

 一瞬村まで送ろうかと思ったジュンタだが、今はまだこの場所から離れたくなくて、見送ることに決めてもう一度お礼を述べた。

「本当にありがとうございました」

「お礼を言うのはむしろこちらの方ですが……ああ、そうです。感謝をしていただけるなら、代わりに一つだけ助言を聞いてください」

「助言、ですか……?」

「そう、助言です。あなたの未来のための大事な予言」

 入り口のところでふいに足を止めた女の言葉に、ジュンタは首を傾げる。

 紅の空間には合わない水色の髪を微動だにさせることなく、女は静かに語る。星を語る占い師が悪い予言を伝えるかのような、あるいはその悪い予言の回避方法を語るように。

「求めても答えが手に入らないのでしたら、もっともっと強く求めることをお勧めします。求め続けることに意味がある。求めた時間を無駄にしないためにも、求めることで切り捨ててしまったものを裏切らないためにも、求めた瞬間から、必ず答えを得なければいけない義務が生じるのです」

「求め、続ける……」

「そう求める。きっとあなたもあたくしも、同じ求める者なのでしょう。
 ジュンタ・サクラ――あなたが真に欲し求めた願いが、世界にとっても真に欲し求めた願いであるように」

 その言葉はジュンタの心の中にストンと落ちた。

 心の中で言葉を反芻させている内に、いつの間にか女は消えていた。
 まるでどこかに召喚されたかのように、瞬きの間に姿を消していた。

「…………不思議な人だったな……あれ? そういや俺、名前名乗ったか?」

 名前を普通に呼ばれたが、彼女の名前を聞いていないように名乗っていないはずだが……いや、そんなはずはない。呼ばれたのなら、忘れているだけで名乗ったのだ。この場所で思いを巡らせていると、ついぼうっとなってしまう。恐らくはその中で名前を名乗っていたのだろう。

「しかし、ラバス村があのナレイアラの出身地だったなんてな」

 ジュンタは再び正面を向いて、炎のような宝石の天井を見上げる。
 乱反射する真紅の煌めき。それはリオンの髪や瞳のように、とても色鮮やかなもの。

「…………ああ、でも。そんな話なら尚更に、リオンと一緒に見て、リオンから聞きたかったと思ってる俺は、相当イカレテるな」

 輝きを見ていると、どうしてもジュンタの脳裏にはリオンの姿が浮かんでしまった。

 だから、しばらくジュンタはじっと眺め続けた。
 覚悟をさらに固くするために――騎士の剣の奉じられた世界に、愛しい人の姿を重ねてながら。

 ……その後、ジュンタが『騎士の祠』を後にしたのは、クーとクレオメルンの声を外から聞いたあとだった。


 

 

「とても興味深いお話をされていましたね」

 ウェイトン・アリゲイは、いきなり目の前に現れた目を閉じた女に、恭しいあいさつのあとそう言葉を投げかけた。

 ウェイトンがいた場所は『騎士の祠』のすぐ近くだった。洞窟の入り口から、中をじっと覗き込んでいたのである。中にいる人物が人物だけに入ることこそできなかったが、それでも声は反響して、二人が話していた内容は耳に入ってきた。

「このラバス村がナレイアラの出身地と囁かれているのは有名な話ですが、あなた様はどう思っていらっしゃるのですか? ここが真にナレイアラの出身地だと?」

 敬愛する相手であるが故に、最高の敬意をもって接するウェイトンに、水色の髪の女はクスリと微笑を向けた。

「思っているも何も、ここが不死鳥の使徒の故郷であるのは真実ですよ。ウェイトン・アリゲイ」

「真実? 先程お話しされていた以外にも、何か証拠があるのですか?」

 ドラゴンを崇めるベアル教にとって、ナレイアラ・シストラバスは最悪の天敵と言っていい。シストラバス家でさえ絶対とは言えていないナレイアラの出身地について、自信をもって事実と言い放つ彼女の言葉には、非常に興味をそそられた。

「もしや、それが此度の任務と関係があるのでしょうか?」

 ウェイトンはゆっくりと森へと歩き出す女の斜め後ろに付き従いながら、質問を重ねていく。

 女は非常に上機嫌で、楽しげに説明をしてくれた。

「そうですね。そろそろお話してもいい頃合いでしょう。
 あたくしはね、知っているのです。この地が不死鳥の使徒の出身地であるという明確な証拠を。そしてそれが今回の任務の重要なところなのです」

「シストラバス家でも見つけられない証拠とは一体?」

 確信を尋ねる質問に、女はクスクスと笑って、心底楽しそうに嗤って、一言で述べた。


「あるのですよ、ここに。不死鳥の使徒が刻んだ刻印――『封印の地』が」


「なんと……!?」

 女の返答に、ウェイトンは驚きを隠せずに足を止めてしまう。

 なるほど、しかしその答え一つで、全ての疑問が解決してしまった。
 
『封印の地』――『始祖姫』がかつてこの世にはびこっていた魔獣の軍勢を封じ込めたという地は、それぞれ三柱それぞれの分があるという。

『封印の地』の明確な場所の明言はされていないが、噂によればそれぞれ『始祖姫』と縁深い場所にあるのだとか。実際に『アーファリムの封印の地』は聖地にあり、『メロディアの封印の地』はエチルア王国の『満月の塔』にあると言われている。

 しかしこれまで、ナレイアラ・シストラバスの『封印の地』だけが謎だった。

 かつてはオルゾンノットの都がそうであると言われていたが、そこにはないことが十年前の折にはっきりとしている。ならばどこにあるかという話であったが、このラバス村がナレイアラの出身地であるなら、ここに『封印の地』があることにも納得がいく話だ。

 ウェイトンは自分を助けた仮面の男の話していたことを思い出しつつ、女の後を追う。

「あの方が言っていた、封印を解くとはそういう意味だったのですね。『封印の地』にはドラゴンすらいるという。ああ、確かにベアル教にとっては素晴らしい任だ」

「そういうことです。ですからウェイトン。この地にあなたがご熱心な人物がいても、下手な行動は謹んでくださいね。あんな紛い物ではなく、あなたは本物のドラゴンに出会えるのですから」

「ええ、もちろんですとも」

 ウェイトンは自身が熱心しているクーヴェルシェン・リアーシラミリィに手を出すなと言われたが、全然不機嫌にはならなかった。

 ウェイトンが望むのはドラゴンだけ。クーヴェルシェンに興味があるのは、彼女が反転のあとにドラゴンに至る可能性があるからだ。他にドラゴンと相まみえる可能性があるというなら、わざわざ任務露見の危険を犯してまで彼女に近付く意味はない。

「それで、『封印の地』を開くと申されましたが、どのようにして封印を解けばいいのでしょうか?」

 はやる気持ちを抑えきれず、森の中に踏み込んだウェイトンは、女に早速具体的な方法を問う。

「『封印の地』を解放するには、維持している神殿を破壊するか、同規模の封印解呪の神殿魔法をぶつけなければいけないと思うのですが」

「いえ、もう一つ方法はありますよ。神殿と契約している封印の契約者を排除すれば良いのです」

「封印の契約者? 誰だが分かっていらっしゃるのですか?」

「もちろん。契約者がちゃんとここにいることを確認していますよ」

 ウェイトンはそう言われ、脳裏に自分ともなかなかに縁深い、ラバス村へと旅行に来ていた面々を思い浮かべる。下手に手強い人間がいて邪魔かと思っていたが、もしかしたら今回の件、わざわざその旅程に合わせて仕組まれていたのかも知れない。

 やはりすごい――全ての準備が終えられているその用意周到さに、ウェイトンはいっそう目の前の女に尊敬の念を抱く。

 そしてその念は、次に女が起こした行為によってさらに膨れあがることに。

「お、綺麗な女が二人いるぜ?」

 話に夢中だったためか、ウェイトンはそんな声が至近距離であがるまで、彼らの接近に気付くことができなかった。

「本当だ。すげぇかわいいじゃねぇか」

「近道だと思って入った森がトラップだらけだったときは運がないと思ったが、俺らってラッキーじゃないか?」

 木々の合間から現れたのは、いかにも傭兵といった姿の三人の男だった。

 彼らはニヤニヤと笑いながら気持ち悪い視線を注いでくる。
 ウェイトンは男であるが、その女顔故に、その視線のいやらしさにはすぐに気が付いた。

 しかし女の方は特に変化がない。いや、気付いていないのではないかと言わんばかりに、歩みを続けている。

「おい、何無視してるんだよっ!」

 ……だが、結局歩みは止まることになった。無視されたと思った男の一人が、彼女の右手を掴んだことによって。

――え?」

 ウェイトンが瞬きをしたときには、すでに女に触れた男は自分の首に剣を突き刺して息絶えていた。

 音もなく、悲鳴なく、血だけを地面にぶちまけて死んだ男に、その場の誰も思考が追いつかない。ただその中で、女だけが滂沱の涙を流し始め、その場に崩れ落ちた。

「ああ、なんてこと。触られた。汚らわしい手で触られた……ああっ!」

 それは子供が大切なものを奪われて泣いているかのような純粋な涙であり、悲哀の叫び。
 彼女は自分の服が男の血で汚れることには注意を払わず、ただ右手を胸元に抱きかかえていた。

 今は肉片と化した男に触れられた右手――そう言えば、と。ウェイトンは仮面の男より、彼女について一つだけ注意を受けていたことを思い出す。

 ――曰く、彼女に自分からは決して触れるな。

 その時には意味が分からなかったが、今ならば分かる。彼女にとって生きた人間に触れられる行為が如何様な意味を持つのかは定かではないが、それは彼女にとっては最大の禁忌なのだ。一瞬で殺された男が、それを自らの死をもって示してくれた。

「ああ……ああ……」

 やがて悲哀の声を憎悪の声と変える女。その頃には男たち二人も、友人が死んだという事実に――女に音もなく殺されたという事実に気が付いていたが、彼女が放つあまりの殺気に逃げることは封じられている。

「なんて醜い、汚れたケダモノ。その汚らしい汚物の手で、よくも、あたくしに……!」

 ウェイトンはただただ、その殺意に圧倒されていた。
 まるで蛇に睨まれた蛙のように、その閉じられた瞳に射抜かれた男たちの最期がどうなることかと、期待に目を輝かせながら。

「あ、あああ……」

「ゆ、許してくれ……お、俺らは別に、何もするつもり……ただ、剣を……」

「許さない。許さないゆるさない赦さないユルサナイ――」

 男たちは本当に何もするつもりはなかったのだろう。

 彼らはただ声をかけただけで、目的地は『騎士の祠』に折れた武具を捧げに来たに違いない。けれど『狂賢者』と呼ばれる女に、そんな命乞いは通じない。

 無慈悲に、冷酷に、欠片の容赦もなく、『狂賢者』は立ち上がって男らに告げる。

「あなたたちには死を。自分の剣で心臓を串刺しにして、死ね」

 ウェイトンは感激のあまり昇天しそうだった。

 女の言葉を向けられた男たちは、捧げようとしていた自らの折れた剣を逆手に握ると、それを思い切り、躊躇無く自分の心臓に突き刺したのだ。

 理性をなくした瞳で、男たちは心臓に幾度も刃を突き立てる。
 折れた剣だ。上手く刺さらない。だから男たちは何度も、早く早く女の命令通りに死のうと、何度も刃を突き立てる。

 林の中に木霊する、一心不乱に肉を裂く音――やがてどちらからともなく肉を削り、心臓を自らの手で破壊した男たちは、地面に倒れそこに血の池を作り出した。

「ああ、なんて――

 魔法という域を超えたその力に、ウェイトンは知らず、嘆きに震える女の名前を呼ぶ。

 最低最悪の狂人。人の尊厳を踏みにじる者。

「『狂賢者』ディスバリエ・クインシュ。おお、あなたは何て美しく、何て恐い御方なのだ」

 


 

       ◇◆◇


 

 

『騎士の祠』を出たジュンタを待っていたのは、結局やってきたクレオメルンと、彼女に誘われただろうクー。それに加え、見たことのない大男だった。

 身長は二メートル近くあり、歳はかなり行っていると思われるが、弱々しさの欠片もない肉体と相貌をしている。
 鍛え抜かれた鳶色の眼差しと、横へと撫でつけられた藤色の髪。白銀の鎧を着て緋色のマントを纏った威風堂々とした姿は、巌のように揺るぎない歴戦の騎士を思わせる。

「ご主人様!」

「クー。それにクレオメルン」

 遠目からでも目立つ男に気を取られていたジュンタの元へと、クーが駆け寄って声をかける。その後に続いて近付いたクレオメルンは、ジュンタが出てきた『騎士の祠』を見て、ちょっとだけムッとした表情となった。

「なんだ。私のことを誘ったというのに、一人で堪能してきたのか?」

「うっ。それは確かに悪かった」

 激情はおさまった今、勢いで声をかけられたクレオメルンには本当に申し訳なく思う。そう言われてしまえば、何も言い返すことができなかった。

 代わりに隣にいたクーが焦ったように、申し訳なさそうな顔となる。

「あ、その、すみませんっ。私が森を突き抜けようと言われたクレオメルン様に対して、迂回するべきだと言ったばかりに」

『いや、クーは悪くない』

 絶対に悪くないクーに対しての返答は、二人揃っていた。

 二人に声を揃えて言われたクーが目をパチクリしている間に、ジュンタとクレオメルンはアイコンタクトで通じ合う。

「少しだけからかっただけだ。別に本当に怒っているわけではない。それに、すぐに後を追いかけなかった私にも否はある。気にしてくれるな」

「了解。わざわざ来てくれたんだから、是非に楽しんでいってくれ。先に入らせてもらったけど、中はかなりすごかったぞ」

「ほぅ、それは楽しみだな」

「あ、あれ? どうして私のことを、そんなにお二人とも優しい眼差しで見ていらっしゃるんでしょうか?」

 クーという少女を悲しませてはいけないなぁ、という空気の下、二人の気持ちは通い合う。つなぎ合わせた本人は気が付いていないようだが、その微笑ましさは、個性の強い知り合いの中に在っては貴重な緩和剤だ。

「もう一度行かせるのも、この中で受けた感動に水を差すようで悪いか。仕方ない、クーと二人だけで行ってくるとしよう」

「あ、え? でも……」

 クレオメルンに肩を軽く押されたクーは、ジュンタの方を見て悩む様子を見せる。

 ここに置いていくことが憚られるからか、それとも一緒に見たかったからかは定かではないが、申し訳ないが今日だけは勘弁して欲しい。クレオメルンが気を使ってくれたように、『騎士の祠』の中で感じ抱いた感情は、再びあの場所に戻すべきものではない。

「行ってきな。クーも実は見たいんだろ? 俺はここで待ってるから」

「そうですか……はい。それでは少し行ってきますね」

 やはり『始祖姫』に関係あると言われているからか、クーも少し悩んだあと、素直に足を祠に向けた。

 二人が揃って祠の中へと消えるのを見送ってから、そこでジュンタは自分を見る視線に気付く。

 それは二人と一緒にいて、けれど二人と一緒に『騎士の祠』には入らなかった男からの視線だった。

「あ、すみません。俺の名前はジュンタ・サクラといいます」

 自己紹介すらせず、さらには存在を忘れていたことを謝って、ジュンタは男に向き直る。

 どこかシストラバスの騎士――エルジンに似た雰囲気を纏っている男は、話しかけられると髭に覆われた口を開いた。

「いや、気にすることはない。紹介が遅れたのはこちらも同じ。私はコム・オーケンリッターという。貴公のことはクレオより聞いている」

 放つ威圧感は貫禄から来るもので、口調は威圧感のない、丁寧で洗練された印象を受けるものだった。

 しかし使徒の娘であるクレオメルンを、愛称である『クレオ』と呼んだところを見るに、相当偉い人物であるのは間違いないようだ。胸元の天馬の刻印は彼が聖殿騎士であることを示しているし、尚かつその名をどこかで耳にしたことがあった。

 この穏やかな一月の間にジュンタが学んだ異世界の知識は狭く、浅い。
 一般常識の範疇に含まれる暦や曜日の呼び方、よく使う単語、有名なお話程度のものである。

 それでもその中にコム・オーケンリッターという名はあった気がする。考えれば考えるほどに確信はわいてきて……

「あの、もしかしてあなたは、使徒ズィールの巫女の……?」

「如何にも。私は僭越ながら、ズィール様の巫女をしている身だ」

「あ、やっぱり。……道理で聞いた名前だと思った」

 コム・オーケンリッター――彼は間違いなく、聖神教において最上級の地位を持つ人間であった。

 使徒にオラクルを伝える従者である巫女は、聖地においては使徒の次の地位にある。
 ジュンタは使徒であったが、それは内緒のこと。ラグナアーツで知るのはフェリシィール・ティンクとその巫女ルドールのみであり、隠すためには彼に対して敬う態度を取るのがベストだ。

 無論、礼儀として年上相手には敬語がデフォルトだが、貴人に向けるほどの敬意ある態度かと言われれば微妙である。加えて、下手にへりくだった態度を取ると、かわいらしい自分の巫女がへそを曲げてしまうのである。

「そう身構えなくてもいい。確かに私は巫女であるが、ここにいるのはあくまでもクレオメルン・シレの付き添いとしてだ」

 そんなジュンタの内心の葛藤を口を噤む動作から察したのか、オーケンリッターは小さくだが笑みを浮かべた。

「クレオが貴公に迷惑をかけたらしいな。アレに礼節を教えたのは私だ。よって、アレの失態は私の責任でもある。謝罪しよう、ジュンタ・サクラ」

「そんな。俺は全然気にしていませんから」

 相手が平民と分かっていながらの謝罪は、礼節を尊ぶ騎士そのものの姿。
 クレオメルンに対してだって怒れないジュンタが、オーケンリッターの謝罪に慌てないはずがなかった。

「本当に、俺は気にしてません。クレオメルンにはちゃんと謝ってもらいましたしね」

「そう言ってもらえると助かるが、クレオはそれだけでは認めはしないだろうな」

「やっぱり分かりますか? 相応の償いをって言って、それを果たすまでは自分自身で認められないみたいです」

「やはりか。クレオらしい思考だ。クレオは本当に、父君に似ているからな」

「父君って、使徒ズィールに?」

「罪には償いを。相手が誰であれ、罪を犯したならば相応の償いを以て贖罪せよ――そう言ってクレオを貴公の元に寄越したのは、他でもないズィール様だ」

 自分と話しているときとは違い、どこか親しみのある口調で、オーケンリッターはクレオメルンを見るように『騎士の祠』の入り口を見た。

「しかし、それはクレオが貴公の元に来るのが少しばかり早くなっただけ。ズィール様にことの報告をしたのはクレオ自身であるし、ズィール様の言葉がなくとも、きっと貴公の元へと謝罪に訪れていたことだろう」

 入り口からは、微かにクレオメルンとクーの声が聞こえてくる。どうやら反響してここまで届いているらしい。

「アレは決して、相応の償いを成したと自分が認めるまでは貴公の元を離れまい。それが迷惑になると分かっていない傍若無人さは、まさにズィール様そのものだ。
 要は潔癖性で完璧主義者なのだ。ズィール様もクレオも、良くも悪くもな。それに加えてクレオには、ズィール様に認めて欲しいという気持ちもある」

「認めて欲しい?」

「ズィール様は、神の敬虔なる奴隷と自らを評している。人とはやはり少し違われるのだろう。クレオのことを娘としてかわいがることはあまりない。クレオの方はそんなズィール様を心から尊敬している。認められないと思うのは当然か」

 クーと共に笑顔で『騎士の祠』に入ったクレオメルンをどう思ったのか、初対面の相手なのに、オーケンリッターはそんな話を口にする。

 ジュンタは見知らぬ使徒とその娘の関係を聞き、オーケンリッターがクレオメルンの保護者的立場にいるものと察した。

(やっぱり、誰にだって色々あるんだよな。そして、クレオメルンだって努力してる)

 自分にだってそう、周りの皆はいるのだ。

 ……もっと頼るべきなのかも知れない。もう少し、リオンとのことにだって。

「ふむ、どうでもいいことを話してしまったな。つまりクレオはああいった人間であるのため、すまんが貴公の方で適当なことにアレを使ってやって欲しいということなのだが」

「そうしないと、クレオメルンはいつまで経っても聖地には帰れないってことですね」

「そういうことになる。クレオは最近ズィール様とのことで思い詰めていたからな。ここには友人であるルドールの孫もいる。当分はここで気を休めるのもいいかも知れんがな」

 オーケンリッターと並んで、ジュンタは『騎士の祠』を眺める。

 やがて出てきたクーとクレオメルン――二人は紅の世界を見て何か思ったのか、その空気は静かな余韻を孕んだものだった。

「お待たせしました、ご主人様」

「待たせたようですみません。師匠」

 やってきた二人を見て、ジュンタは静かに決意する。

 ここからが本当の勝負の始まりだ。今日という決意の日の。その一瞬のためには、自分の力だけでは足りない。

 よって頼むことにしよう。頼りになる、この二人に。

「悪い。クー、クレオメルン。折り入って頼みがあるんだけど――……」

 


 

       ◇◆◇


 

 

 夕食の席が用意されて半刻ほど経ち、窓の外の夕陽が落ちていく中、リオンは誰も使っていない二人部屋のベッドの上で、一人ぼうっと寝ころんでいた。

 皆は今頃夕食を食べているに違いない。
 旅行に来たのに団らんである夕餉の席に出ないのはあまりに不作法だが、どうしてもリオンは食事の席につきたくはなかった。正確に言えば、その場所で顔を合わせたくない相手がいた。

 昼食も同じように部屋に引っ込んでいたため、お腹が空いていないわけではないのだが、それでも食欲はない。心がもやもやしているからだろう。

「…………ふぅ。私、一体何をしているのかしら」

 心が痛くて、身体がだるい。それは風邪の症状に似ているようで、けれど違う。

 リオンの知識の中には、今の自分の状態を言い表すのに的確な言葉があった。しかし、それは認められない。自分が竜滅姫リオン・シストラバスである限り、絶対に認めてはいけないものだった。

「…………ジュンタ……」

 いつしか当たり前のように呼ぶようになった、一人の男の子の名前を口にする。
 
 瞬間――体中を不思議な感覚が駆けめぐり、くすぐったいような気分になる。
 
 思わず顔が緩んでしまう感じと、暗闇に一人取り残されたような不安が一緒になって襲ってくる。それは喜びのようで辛い、まるで……

「おかしいですわ。こんなことをこの私が考えるなんて」

 また頭に浮かんでこようとしたその名を、リオンは枕に顔を押しつけて追い払う。

 ……昔は、こんな風ではなかった。

 十年前のあの母親と最後に会った日から、決して変わらず自分の中で息づいていた気持ち。例えそれが苦難の道であっても、いつか必然の終わりを迎える人生でも、その道を選び、その終わりを全うし、それまで胸を張って生きてやろうと決意をした。

 それは騎士であり由緒ある貴人であろうと決めた覚悟。
『竜滅姫』――その名を担うからには、そうでなければいけないと思ったのだ。

 だから強くなろうとした。厳しい剣の稽古でも弱音を吐かず、弱気を見せず、いついかなる時も優雅に生きてきたのだ。

 そう、できていた。誰からも憧れられ、敬愛される竜滅姫として生きられていた。自分のこの人生に間違いも狂いもないものと、そう信じていた。

 ジュンタ・サクラ――あの無礼で不埒な、厚顔無恥な日常の侵略者が現れるまでは。

「……酷い、ですわ。私、あの男に汚されましたのね」

 おおよそ、竜滅姫たる自分に向ける態度ではない彼の態度に、いつだってペースを狂わせられっぱなしだ。他の人にはできる優雅で余裕な対応も彼の前ではいつだって無理で、感情を露わにしてしまう。

 それが敵意だったらどれだけ良かったか。
 それが嫌悪だったらどれだけ良かったか。
 
 リオンにとって一番悔しいのは、感情をむき出しにしてしまっているのに、そんな関係が嫌でもないと思ってしまっていることだった。

 つまるところ、リオン・シストラバスの日常は、ジュンタ・サクラというインベーダーによって壊されてしまったのだ。狂わせられ、汚されてしまったのだ。

 だからこんなにも苦しい。前みたいに完璧な生き方を邪魔されて、彼の生き方に巻き込まれて、翻弄されているから、こんなにも胸が苦しい。

 許せない。許せない。許せない。あの男を、絶対に許してはいけない。
 だから…………好きになんてなってくれなくていいのだ。リオン・シストラバスは彼に好きになってもらうべき女ではないのだから。

 もっとジュンタには他にお似合いの女の子がいる。クーみたいな素直で女の子らしい女の子の方が、彼には似合っている。

 けれど、それでもジュンタの想いは自分に向いている――リオンだって鈍いわけではない。今まで確証らしい確証はなかったが、それでも今朝のような誘いを受ければジュンタの気持ちに気付かないはずもなかった。

「…………私はあなたのこと絶対許せないって思ってますのに、よりにもよって、どうしてそんな私を選びますのよ……」

 本当に嫌えてしまえれば良かったのに。
 本当に憎めてしまえれば良かったのに。

 それならば、叶わぬ恋に悩むジュンタのことを気にして、こんなにも自分が悩む必要はなかった。勝手にしろと、ツンと澄ましていつも通りに接することができたのだ。

 でも、ダメだ。リオンは決してジュンタのことが嫌いでもないし、憎んでもいない。たぶん一番の苦しみはそこなのだろう。あんな純粋な想いに応えてやれない自分が悔しくて、あまりに酷い女に思えて、だから苦しいのだ。

「…………」

 思い出すのは今朝、誘いを断ったときのジュンタの顔。あの泣きそうな顔を思い出すたびに憂鬱な気分になる。ジュンタのためにと思ってしたことなのだから、恥じ入る必要ないはずなのに。

 こうやって顔を合わせられないでいるのは、きっと後悔をしているからだろう。

 ユースに言われて、初めて気が付いた。ジュンタは当たり前のように隣にいて、一緒にランカの街で過ごしていたが、それは所詮一時のことに過ぎないのだと、

 リオン・シストラバスとジュンタ・サクラの間に、特別な関係などない。

 偶々昔ジュンタがシストラバス家で働いていただけで、言ってしまえば友人知人の関係に過ぎない。友人であるミリアンに年数回しか会わないように、いつ遠くに別れてもおかしくない関係ということだ。

 今ジュンタが近くにいるのは、自分に恋慕を抱いてくれているからだ。
 それがなくなってしまえば、きっと彼は自分の前からいなくなってしまうに違いない。

 そんな未来を考えて、そんな未来になるような真似をしてしまった自分に、リオンは一粒涙を流した。

 誰も部屋にはいないが、リオンは慌ててそれを拭う。

「情けない。なんて、情けないのでしょう。私はいつからこんなに弱くなりましたの?」

 ジュンタのことは好きではない。けど、好きと思われるのはとても嬉しくて幸せに思う。
 ジュンタのことは好きではない。けど、一緒にいるのは楽しくてこれからもそうしていたい。

 なんて矛盾をしているのか。こんなことを考えてしまうなんて、どこか絶対に壊れている。

 壊れているのだとすれば、それはきっとリオン・シストラバスという少女の恋愛感情なのだろう。

「認められない。認められるはずがありませんわ。私が私でありたいと願うのなら、私が竜滅姫でありたいと思い続けるなら、絶対に認められません。この気持ちだけは、絶対に」

 ジュンタ・サクラ――今や疑うまでもない、自分にとっては特別で不思議な男の子。

 彼のことを考えて、苦しいのは認められない自分の気持ち。
 辛いのは、彼が自分なんかのことを好きになってしまったこと。
 嘆きたいのは、自分の壊れた恋愛感情の中で、貴族ではない彼が決して恋愛対象の中に入ってくれない現実。

 そして何よりリオンが一番恐いのは――

「……もしも、あの時みたいにもう一度告白されたら、私は……」

 ――今告白されたら、どうなってしまうか分からない自分だった。


 

 

 正直、クレオメルンはこの罪滅ぼしに納得がいっていなかった。
 
 何も難易度が低いとか、意味が分からないとか、そういう理由から納得していないわけではない。むしろある意味難易度は高く、意味はとても分かりやすかった。

「……クー。本当にやるのか?」

 夕食の席をいったん離れ、リオンが引きこもっている部屋の前までやってきていたクレオメルンは、隣で意気込みを入れているクーに話しかける。

「相手はあのリオン様だぞ? なのに、ジュンタに頼まれたからといってこんなことをするのは……下手をしたら犯罪ではないか」

「大丈夫です。だって目的は誰にも邪魔をされずに話し合うためですし、ご主人様は誰かを不快にさせるようなことは決してしない御方ですから」

「だからといって、何もあんな場所を選ばなくても」

「いえ、あの場所はとても素晴らしい場所ですよ。あそこに一緒に入れば、心からの正直な気持ちで語り合えること間違いなしです」

 そう力説するクーの頬は、少しだけ赤らんでいた。

 まるで自分の身をもって体験したかのような発言だ。まさか……いや、そんなはずがないか。あのタイミングで自分たちに持ちかけてきたのだ。ジュンタのリオンに対する気持ちは真摯であり、本物だろう。

 そう分かっていても、そやっぱり気が進まない。正直、クーの太鼓判がなければあの場で彼をはり倒していた。

「しかし、クーは本当にジュンタのことが大事なのだな」

「はい。とてもとても大事な方です」

 もしもはり倒していたら怒っただろう謙虚な友人に、クレオメルンは改めて喜ばしいような悔しいような感情を抱く。

 クレオメルンから見たクーヴェルシェンという少女は、酷く謙虚で危うい少女だった。

 使徒スイカ、巫女ヒズミを抜かせば、神居内の唯一といっていい同年代の相手であったクーとは、身分の差こそあれ仲良くなるのは早かった。それはきっと、互いに相手に共感する部分があったからだとクレオメルンは思っている。

 クレオメルンはクーの過去を知らない。その異常ともいえる謙虚さの理由を知らない。

 しかし鬼気迫った努力の程を見れば、どれほどの決意を彼女が抱いているか知るのは容易かった。その目指しているものに対する姿勢は、まさにクレオメルンが手本にすべき姿に他ならなかった。

(私が父上に憧れ、目指していたように、クーはフェリシィール様に憧れ、目指していた)

 生まれながらに違う、手が届くはずのない相手に憧れて、お互い必死に努力を続けていた。そこから生まれた共感で仲良くなれたというのは、きっと正しい。

 けど、仲良くなればなるほどに、クーとの間にある壁を意識せざるをえなかった。

 クーはある意味誰も信じてなかった。自分を嫌っていたから、自分を信じられなかったから、他者の言葉を完全に受け入れることができなかったのだ。

 決して『クレオ』と愛称では呼んでくれず、様づけて接してきたように、クーの中には彼女の背負う咎から来る線引きが存在していた。それは長くクーと接した者なら誰でも分かる、明確な自己否定と拒絶がイコールで結ばれた、超えられない線だった。

 クーはとても良い子で見ていて危うかったから、その線を自覚した人間の多くは、その線を越えたいと、彼女のことを救いたいと思う。

 使徒フェリシィールや巫女ルドール、もちろんクレオメルンもその一人だった。

 けれど超えられない。救えない。接すれば接するほどに、優しくすれば優しくするほどに、クーからの距離は遠くなる。彼女は優しさを嬉しいと思うのと同時に、罪であると苦しんでしまう少女なのだ。

 だから、今の今まで誰もが救いたいと願ったが、誰も救えなかった――そう、ジュンタ・サクラが現れるまでは。

「……正直、私はジュンタのことがあまり好きではない」

「え?」

 ジュンタという少年はクーの線引きの内側にいた。クーは彼のことを本当に大事に思っている。前とは明らかに違う晴れやかさで笑っている。それがちょっと悔しくて、思わずクレオメルンはいう必要の無かった呟きをもらしてしまっていた。

 慌てて口を押さえたが、隣にいたクーにはしっかりと聞こえてしまっていたよう。ショックを受けたような、どうしていいか分からない顔をしている。

(馬鹿。私は一体何をしているんだ)

 クレオメルンは誰にもできなかったことを、自分ができなかったことを、僅かな時間で成し遂げてしまったジュンタに嫉妬している自覚があった。初対面がアレだったのも相まって、あまり彼のことを好ましく思っていないのも事実である。

 けど、クーにとっては大事な主であり、彼女の主として認めてはいた。だから今の自分の言葉は、完全に失言だった。

「……すまない。今の言葉は忘れてくれ。ちょっとした戯れ言だ」

「あ、はい」

 ちょっと気落ちした様子でクーは頷く。本心では納得していないのは明白だ。

(先程の言葉、もし私がクーと仲良くなければ、即座にクーの中ではあまり好きではない相手に認定されていただろうな)

 まったくもって、本当にジュンタ・サクラという人間が羨ましい。

 クレオメルンは、もし自分とジュンタのどちらを取るかクーに尋ねれば、即座に切り捨てられる方が自分だと察してしまった。

(やっぱり気にくわない。犯した失態がなければ、こんな頼み引き受けないものを)

 無理難題を罪滅ぼしの条件として突きつけてきたジュンタに対して悪態づいてから、クーはしゅんとしてしまったので、自分ががんばらなければとクレオメルンは決意をし、目の前の扉を二回ノックした。

「…………どうぞ、開いていますわ」

 ややあって、中からリオンの声が届く。

 尊敬すべき相手である彼女を騙すことに緊張しながら、クレオメルンは取っ手に手をかける。

「温泉に行きませんか。温泉に行きませんか。温泉に行きませんか――

 そして小さく誰にも聞こえないように、リオンにこれからいうべき言葉を練習してから、意を決し扉を開け放った。









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