第十九話  水火スイカ




 見渡す限り広がる灰色の荒野にはあり得ざる水が、ジュンタに対して牙を剥く。

 透明な水は聖地ラグナアーツを流れる豊饒の水。源泉より湧き出て、巡ることによって人々を見守り、育み、あらゆる形で支えてきた生命の源。

 その水を吸収し、刃となすのがスイカの有する魔法武装――深淵水源リン=カイエ』。
 かつての使徒『水の母』たるリンが生涯をかけて相棒とし、その偉大なる力をもって完成させた『英雄種ヤドリギ』の勇姿である。

 吸収した水の分だけ刃を自在に変化させることができ、その変幻自在な軌道の読みとりにくい戦い方は、白兵戦においては多大な力を発揮していた。

「ふっ!」

 呼気と共にしなる水の刃。柔らかく伸び、曲がる青い刃は、剣を構えるジュンタがまったく予想していない場所から襲ってくる。が、どれだけ近寄られたら払うべきか、その圏内が見えていたために攻撃は通じない。

 ジュンタが改めて『深淵水源リン=カイエ』の厄介さを認識したのは、防御のために振るった剣が水の刃に触れた途端、これまで鞭の形状をしていた水が形を変え、その切っ先を三つ又の矛へと変えたのを見てだった。

「残念。水の流れは受け止められない」

 払った剣が捉えたのは三つ又の矛の真ん中だけ、そして水の刃は一つの刃を止められても、他の刃はそのまま伸びる。真ん中の部分が水圧でジュンタの剣を弾こうとする中、剣の右を通って水の刃は加速する。

 なるほど、確かにこれでは防御の意味がない。これではまるで、襲いかかってくる鉄砲水に対して剣で対抗するようなものだ。完全に防御するには、水全てを弾き返す剣圧が必要だろう。

「せめてもう一振り剣があれば!」

 手元にない愛剣を欲し、叶わないことにほぞをかむ。

 無い物ねだりしていてもしょうがない。今あるものでどうにかスイカを止めないといけない。それに気付いたあとのジュンタの動きは早かった。

 手に力をこめて水圧に抗っているのを止め、押し寄せる力に突き飛ばされる形で後ろに下がった。地面を蹴って水が襲ってくるより早く下がったジュンタは、さらに足裏に魔力を集中させて、斜め前へと離脱を図る。

 一瞬の攻防の中、止まっていたように感じた時間が一気に引き延ばされる。

 スイカの放った『深淵水源リン=カイエ』が獲物を捕らえることができず空振る中、ジュンタは無防備に身体を晒す彼女へと一気に詰め寄る。

 中距離の武器の宿命として、避けられたなら隙がそこに生じる。
 鞭として長く伸びた水の刃に、即座に手元に戻る伸縮性は期待できない。

「スイカ。お前がその気なら。傷つけたくないけど、その意識を刈り取らせてもらう!」

「ダメだよ、ジュンタ君。わたしは本気だから、君も本気で来ないといけないんだ。わたしはね、『吸血鬼バンパイア』って呼ばれるようになってしまった異邦者だから」

「っ!」

 完全に隙を狙いきることができたと、接近して剣を振るったジュンタは、『深淵水源リン=カイエ』を握る右手とは逆の左手を、スイカが自分に向かって突きつけたことに嫌な悪寒を身体に走らせた。

 まさか魔法? それとも別の特殊攻撃?
 
 わからない。だが、相手に今の自分の力量を測らせない初撃でダメージを与えておきたい。組み立てた勝利への布石のためのこの一撃を、得体の知れない悪寒のためだけに譲れない。

「血を奪ってそれを武器とするからこその『吸血鬼バンパイア』?」

 果たして、スイカの手のひらから魔法や、その他の攻撃が放たれることはなかった。

「ううん、違う。わたしは――血まみれになっても死なないからこその『吸血鬼バンパイア』なんだ」

――ぁ」

 打撃として放たれるはずだった剣の一撃が、スイカが自分から手を動かしたことによって逸れる。逸れた先で、一撃はスイカの手のひらをグサリと貫通した。

 飛び散る赤い液体に、ジュンタの思考が一瞬止まる。
 そのときにはすでに、スイカは貫かれた左手を強引に横に振っていた。

 不思議な力に支えられた短剣は容易くスイカの細い手のひらを切り裂いた。持ち主の思惑とは関係なく、いとも容易く。
 切り裂かれて千切れそうな血塗れの手で、右手首を絡め取られてなお、ジュンタは動けない。気が付けば身体は宙に放り投げられていて、背中から地面に叩き付けられていた。

 ジュンタは自分を見下ろすスイカの金色の視線を見て、その右手に水の刃を戻ったことを知る。

 倒れた状態でスイカの足を絡め取ろうと足を捻る。スイカは倒れかけた状態で右手を振るった。

 受け流すのではなく剣を顔の前に立てて、ジュンタはスイカの攻撃を受ける。
 思い切り弾き飛ばされ、その飛ばされる中で体勢を整え、立ち上がって着地を果たした。

 足を取られ転倒したスイカもまた、ジュンタが体勢を戻したときには立ち上がっていた。
深淵水源リン=カイエ』は薙刀状に戻っており、左手の傷もまたすでに塞がっていた。『深淵水源リン=カイエ』で吸い取ったのか、血すらついていない。

 それでも目の前でスイカの血が飛び散った衝撃に、ジュンタは肩で息をしながら口を開く。

「リオンの振りをできたことといい……スイカ。お前の能力は錯覚を操ることなのか?」

「正解で、残念賞だ。名付けて曰く【ガラスの靴】――自分自身に魔法をかける特異能力だよ」

「そうか。『吸血鬼バンパイア』……似合わないのに、今だけはお前に似合うと思えるよ」

「酷いな。でも、わたしはやっぱり『吸血鬼バンパイア』だから。傷だってご覧の通りもう治ってる。ジュンタ君、わたしを止めようと思うなら、伝承にあるようにわたしの心臓を貫かないといけない」

 自分の左胸を左手でトントンと叩くスイカ。ジュンタは苦々しげに顔を顰めて、

「俺がそれをできないってこと、理解してる癖に。死なせたくないのに自分で殺したら何の意味もない」

「そうだね。ジュンタ君が優しいってこと、わたしはよく知ってる。だから――君はわたしに勝てない。敵の優しさは、つけ込むものだから!」

 再び始まる攻撃。横へと交互に移動する鞭の軌道は、蛇の迫り来るのに似ていた。

「ちっ!」

 スイカの技術はリオンのソレには遠く及ばない。攻撃の合間をぬって接近することは可能だったが、『深淵水源リン=カイエ』やスイカ本人の特異性は大きく立ちはだかる。

(スイカの使徒としての特異能力、【ガラスの靴】。あれは目の錯覚を操る能力でほぼ間違いない。さっきのリオンの姿を真似てたのもこれの能力で、胸の感触や匂いまではごまかせないみたいだな。だけど)

 ジュンタは剣を左手に持ちかえ、小刻みに震える右手を見やる。

(さっきの肉の感触は本物だった。本当に、スイカは再生能力に秀でているだけで、俺が切り裂いたのはスイカ自身だったのか?)

 それを確かめるためにも攻撃の手は休められない。

 隙をてらい、再度接近を果たしたジュンタは、今度はスイカの前方ではなく斜め後ろへと回り込む。急停止し運動エネルギーのベクトルを変え、一気にスイカへ急襲を仕掛けた。

 対してスイカはあくまでも自然体。迫る刃に危機を見せてはいない。その瞳は、あくまでも刃ではなく、剣を握る少年を見ていた。

 あくまでも無防備に、まるで恋人を待つ乙女のようにスイカは攻撃を迎え入れようとしていた。そんな姿にジュンタの攻撃の意志は剥奪される。ジュンタは人間を殺すことができず、なおかつ戦闘の果ての負傷はともかく、戦意を見せない無防備な相手を傷つけることも躊躇われた。それが相手の意識を刈り取る程度のものだとしても。必要なことだと言い聞かせても、そこには僅かな淀みが生じる。

 そして戦いにおいては、その僅かな淀みが大きな隙となる。

 スイカに振るわれた剣が、彼女に当たる前に一瞬担い手の心内を表すように怯える。スイカはその結末を当然のように迎え入れて、戦意も露わに『深淵水源リン=カイエ』を薙ぎ払った。

「もう一度言う。君ではわたしに勝てない。君は、優しすぎるから」

 いつの間にか引き戻されていた『深淵水源リン=カイエ』の水の刃が、射程距離は短くも、広範囲に放射線状に放たれた。

「ぐっ!」

 後方に跳んで逃げるジュンタの足に水の刃が触れる。鋭く、冷たく研ぎ澄まされた形無き水の刃は、容易くジュンタの皮膚ごと肉を切り裂いた。そこはヒズミによって射抜かれた傷の上。傷に傷を上書きされ、忘れていた鈍痛が蘇る。

 痛みの伴う着地を果たしたジュンタは、傷一つ無い、防御を無視した、あくまでも一撃狙いの攻撃態勢を変えないスイカを見て確信を抱く。

(スイカ。間違いなく、俺が今まで相手をした誰よりも厄介な相手だ)

 これまでの敵は、理由がどうであれをジュンタ自身倒すべき理由があった。
 誰かを守るため、何かをなすため、相手もまた戦意を見せていたために『戦闘』を行うことができていた。
 
 けれど、スイカは違う。ジュンタは彼女を敵と認識しておらず、守りたい相手ととらえている。だからこそ戦っているのだが、あまりにも彼女は無防備だ。スイカはこちらが人を殺せないこと、戦い以外で人を一方的に傷つけることを躊躇うのを知って、それを利用してきている。

 敵の弱点を知り、その弱点をつく容赦のない冷たい戦い方。それが、スイカが用いる戦い方だった。

 中距離から水の鞭を振るい、スイカの攻撃は続く。

 下手に攻撃に出ればスイカは自らの異常なまでの回復能力を利用して、こちらに精神的ダメージを与えてくる。避け続けるしかなかったが、このままではいずれ負ける。根本的な戦闘能力こそ拮抗しているが、そうなると武器の性能の差が明らかになる。

「もう少し予備の剣も慎重に選んでおくべきだったな」

 双剣使いのジュンタはそもそも一刀での戦いに慣れておらず、忍ばせていた短剣は常のと勝手が違って使いづらい。急遽用意した品物のため、手になれていないのだ。

 せめて愛剣の内、一振りでも手元にあれば、まだ活路は見出せるのに。

「武器……? そうだ、スイカはどうやって『深淵水源リン=カイエ』を取り出した?」

 そう意味のない無い物ねだりを再び頭に過ぎらせたジュンタは、ふと手ぶらだったはずのスイカが『深淵水源リン=カイエ』を握った一連の場面を思い出す。

「よそ見は禁物だよ、ジュンタ君」

「そうだ。俺は目を逸らしていなかった」

 大きく振り抜かれる水の刃が、巨大な鎌となって襲いかかってくる。全ての物体を切断する死神の鎌を、ジュンタは体勢を低くして避ける。

(『聖獣聖典』をどこかへやったように『深淵水源リン=カイエ』を取り出したのか? いいや、スイカは魔法を使うそぶりは見せなかった。なら特異能力の一端? そうかもしれない、けど『深淵水源リン=カイエ』みたいな巨大なものをどうやって……?)

深淵水源リン=カイエ』の特性。スイカの特性。それらを絡めて見当しても、いきなりの『深淵水源リン=カイエ』の出現の理由が説明できない。少なくとも既知の知識の中にはそれらの情報はない。なら、まだ自分の知らない知識が存在するということになる。

深淵水源リン=カイエ』……かつての使徒が生み出し、生涯を通じて鍛え上げられた武器。素材は伝説の金属である『英雄種ヤドリギ』……持ち主の能力を吸収して進化を果たす魂の片割れ……。

「可能性は、あるか」

 あるいは、あの出現はスイカの能力でも『深淵水源リン=カイエ』限定の能力でもないのかも知れない。確証はないが、今思いついたことが事実ならば……この戦力差、ひっくり返せるかも知れない。

「諦めてくれ、ジュンタ君。わたしは君も傷つけたくない。わたしとヒズミがいなくなったあと、君はリオンと幸せになればいい。それで、いいじゃないか」

「だけど、それじゃあきっと後悔する。あのとき止められたものを止めなかったって、後悔する。だから――

 一度そこで言葉を止め、ジュンタは決意も固く剣を構える。

「やっぱり俺は俺の我が儘で――お前を止めるんだよ。スイカ」

「このっ、わからずや!」

 足を止めたことによって水の刃はしなってやってくる。
 迫る水の脅威を睨んで、ジュンタは避けるのではなく真っ向から挑みかかった。

「なっ!?」

 驚きに声をあげたのはスイカの方。
 ジュンタは自分の身体に強く水が叩き付けられた苦痛を噛み殺して、前に足を踏み出し、何も握らぬ右腕を思いきり突き出す。

 今もまだ耳に響く祈りの声。

 守りたい。守りたい。守りたい。サクラ・ジュンタはアサギリ・スイカを守りたい。だから、応援してくれ、優しい歌い手。

「来い! 俺の剣ッ!」

 守るための相棒は、この手に必ずやってきてくれると!

 空を掴むばかりだったジュンタの手の中に確かな感触が現れる。
 それを確かめるまでもなく握りしめたジュンタは、驚くスイカめがけて思い切り振り抜いた。

「切り裂けぇえええええええ――ッ!」

 狙うはスイカの身体ではなく、その武器。その刃。

 虹色の雷を纏った剣。ジュンタの相棒たる双剣の一振り――英雄種ヤドリギ』の剣は、持ち主の意志に応えて根本から『深淵水源リン=カイエ』の刀身部分を切り飛ばした。

 雷が水の分子を分解し、根本部分を完全に本体から切り離す。瞬間、形勢の能力を失った青い刀身がただの水となり、ジュンタの身体を濡らしながら地面へと落ちた。ぶちまけられた水はすぐさま枯れた大地に吸い込まれていく。

「終わりだ」
 
 こうなれば、いかな『英雄種ヤドリギ』の武具といえどただの杖。元々の刀身を持たぬ『深淵水源リン=カイエ』とジュンタの旅人の刃では、武具としての性能差は明らかだ。

「やっぱり、持ち主のところに召喚できるのは『深淵水源リン=カイエ』だけじゃなく、『英雄種ヤドリギ』共通の能力だったみたいだな。段階あるのかどうかは知らないが……どちらにしろ、スイカ。俺の勝ちだ。この『封印の地』に、補給できる水はない」

 ジュンタは刃のなくなったを『深淵水源リン=カイエ』呆然と見つめるスイカに勝利宣言を突きつけた。

「わたしは、負けられない。負けられないんだ!」

 けれど、スイカは止まらなかった。

 刃のなくなった『深淵水源リン=カイエ』を振るい、杖として繰る。
 それはかなり様になった動きではあったが、咄嗟の機転で剣を二振り手に入れ、双剣使いとしての本領を発揮したジュンタには敵うべくもない。

 最初のようにスイカの自傷行為に似た行動を取らせる暇もなく、剣で『深淵水源リン=カイエ 』を挟みこみ、動きを封じる。

「諦めろ、スイカ。自在に泳ぐ刀身がない以上、お前じゃ俺に敵わない」

「ぐっ!」

 スイカとてそれは認めているのか、一端距離を取った。距離をとったところで、この不毛の大地に水がない事実は変わらない。

 ……いや。本当にそうか?

「いや、水はまだある。ここにあるよ、ジュンタ君」

 あらゆる液体を刀身と変え、自在に操る『深淵水源リン=カイエ』。かつてジュンタはその刃が魔獣を切り裂く度に、その刀身を膨張させたところを見ていた。

 スイカがくるりと手首を返し、刀身があった部分を自分の胸へと当てる。

「待て。スイカ、止めろ!」

「……誤解してるよ、ジュンタ君。確かに自分の血を刀身に変えることはできるけど、そんなことしても君には勝てない。だからわたしが刀身にするのは、わたしが手に入れた力。【ガラスの靴】の力だ」

 ジュンタは『深淵水源リン=カイエ』の新しい刀身として、スイカが自分の血液を用いると考えた。しかしスイカはそれを否定して、ゆっくりと『深淵水源リン=カイエ』を引いていく。

「本当は君には知られたくなかった。こんなの普通の人間じゃないから。わたしは、君と対等なお姫様でいたかったから。女の子として見られたかったから」

 その先には新たな刀身が生まれ出ていた。けれどもそれは血を示す赤い刀身ではなく、煌めくような水の色。スイカの胸より刃が生まれているように見える光景は、比喩ではなかった。

「でも、もうわたしは受け入れよう。わたしは君のお姫様じゃないって。ヒズミのためだけに生きるって。だから、もう本当の姿を見せることを戸惑わない。恐れない。たとえ人間じゃないって思われても、ヒズミを故郷へ戻せるなら、わたしは化け物でいい」

 変化は劇的だった。刀身が生まれるほどに、反比例してスイカの身体が消えていく。まるで『深淵水源リン=カイエ』に吸収されるようにスイカの身体が縮んでいく。

「【ガラスの靴】の本来の力は幻影じゃない。匂いも、感触も、全てを生み出せる魔法のドレス。水を願う姿に変化させる心の鎧。わたしは自分の弱さを隠したくて、七年前からずっと自分に魔法をかけ続けてきた」

 やがて刀身が完成したとき、そこには明らかな変化を遂げたスイカがいた。

 脱げ落ちたドレスを片手で切り裂き、強引に身体に巻き付けた起伏のない幼い身体。
 外見年齢は十歳前後。柔らかな頬に大きな瞳。その顔を見て、ジュンタは昔出会ったときのスイカの顔を思い出す。

 笑うとほんわかしていて、儚い姿はまるでおとぎ話に出てくるお姫様のようだと思った。

 そのままの姿のスイカが、そこにいた。

「これが、本当のわたし」

 スイカという少女はこんなにも小さくて、
 スイカという少女はこんなにも幼かった。

 使徒の身体の成長は覚醒した瞬間より停止する。つまり、スイカはこの世界にやってきてすぐ神獣となり、その瞬間から年齢の変化を止めていたのだろう。それを隠したくて、不老なんて存在しない地球の人間として自分のおかしさを怖がって、彼女は偽りの身体を維持し続けていた。

 使徒としての豊富な魔力も全て注ぎ込んでいたのだろう。本来の姿を取り戻したスイカの身体からは、フェリシィール並の魔力を感じる。それらは全て『深淵水源リン=カイエ』を中心として集まり、新たなる刀身を繊細に脈動させる。同時に偽りの肉体へと埋まっていた『聖獣聖典』が光を発し、彼女の背後に浮かび上がった。

「パーティーは終わって魔法は解けた。改めて名乗るよ、ジュンタ君」

 幼い顔を決意で固め、身の丈を超える武器をスイカはジュンタに突きつける。

「わたしはスイカ――使徒スイカ・アントネッリ・アサギリ!」

 幼い心を守っていた鎧が剣と変わる。これまでとは比べものにならない速度で、水の刃が殺到した。

  




       ◇◆◇






 パーティーも終わりに差し掛かりつつある中、リオンはジュンタを探していた。

 招待客が帰ったあと、家の人間だけで二次会ともいうべきパーティーを行うはずだった。そこへジュンタも招待しようと探しているのだが、一向に見つからない。彼を連れ出したヒズミも姉のスイカ共々会場に姿を見せず、一体どこにいるのか。

「終わったらすぐに私の許へ来るよう行っておきましたのに、もう」

 それに、気がかりなのがクーのことだ。

 会場で彼女が見せた突然の行動。今はユースが客間に連れて行って休ませているが、ついていてくれているサネアツ曰く、ずっと歌を口ずさんでいるという。しかも目に見えて疲労が蓄積して行っていると聞けば、実際はもうパーティーどころの話ではない。

 ドレスの裾を持って小走りで屋敷内を奔走するリオンは、擦れ違う使用人にジュンタやヒズミのことを尋ねつつ嫌な焦燥に駆られていた。

 予感がするのだ。自分の知らないところで、何かおかしなことが起こっているのだと。

 優しさによって半年前の事件において事実を隠されていたように、今自分が知らないところで何かが起き、進んでいるのだと。

 その予感がはっきりとしたものになるのは、アーファリム大神殿からの早馬が到着したときだった。

「失礼しますです! 誰かいませんか!?」

 招待客があらかた帰宅したのと入れ替わりに、玄関先へと馬で乗り込んできたのは小さな体躯の騎士だった。けれども、身につけた白銀の甲冑には、聖殿騎士団の中でも上位の騎士がつける紋章が刻まれている。

 門番をしていた騎士らをはね飛ばす勢いでやってきた騎士の少女は馬を止めると、ちょうどジュンタとヒズミが裏庭の方へ行くのを見たという証言を聞いて、外に出ていたリオンの姿を目に留めた。

「はわっ!」と、大きな声で驚いた少女はすぐさま馬を下りると、リオンの前で立て膝をつく。ふわふわな深緑の髪が頭を垂れるのと同時に揺れ、礼式も軽めにすぐに慌てた様子で視線をあげた。

「お初にお目にかかります。わたくしは聖殿騎士団第八師団師団長、ベリーローズ・フォルバッハといいますです。祝いの席ですが失礼して、使徒フェリシィール・ティンク聖猊下よりのお言葉を伝えさせていただきます」

「フェリシィール様からの?」

「はいです。こちらに現在招かれていらっしゃるはずの使徒スイカ・アントネッリ聖猊下、およびジュンタ・サクラ様の身に危険が迫っていると。聖神教の敵たるベアル教。奴らは恐れ多くも、使徒様方の身柄を拘束せんと企んでいるそうです」

「なんですって!?」

 憎悪と怨恨をこめたベリーローズの報告に、リオンは血相を変える。 
 つまりジュンタとスイカが狙われているということだ。ジュンタが誘拐されたように、未だ二人の身は危険に晒されている。

「まさか探しても見つからないのは……」

 ベリーローズの報告を聞いていた近くの騎士が、すぐさま屋敷の中へと走っていく。騎士の招集が始まり、宴の席はにわかに緊迫感に包まれ始める。

「リオン様。お二方は?」

「すぐに見つけ出しますわ。ベアル教なんかの手に攫われてなるものですか!」

「いいや、無駄だ。今更遅い」

 リオンの言葉を否定したのは、裏庭の方から現れた巫女ヒズミだった。

 反射的に行動するように、再びベリーローズが深く頭を垂れる。
 リオンはジュンタと一緒にいたはずの彼が一人で現れたことに、視線を険しく変えた。

「どういうことですの? ヒズミ。見つけ出すことが無駄だというのは?」

「言葉のままだ。姉さんもサクラの奴も、もうこの屋敷内にはいない。攫われたんだ、『狂賢者』ディスバリエ・クインシュに」

「そんな!? なんてことです……!」

「ジュンタが、また」

 ヒズミの言葉にギシリと奥歯を噛み締めるようにベリーローズが唸った。リオンは告げられた意味を正しく理解して、心臓に剣を突き立てられたかのような悪寒に苛まれる。

「落ち着けよ。二人が一緒にいるのなら、まだ手段は残されてる。一か八か試してみる価値はある」

 二人が慌てる中、ヒズミは酷く冷静で、冷たいとも取れる眼差しに剣呑な光を過ぎらせて言った。

「召喚を試みるんだ。シストラバス、クーヴェルシェン・リアーシラミリィは今どこにいる?」






 ぐっと背を逸らしてスイカの攻撃を避け、状態を起こすと共に前方に旅人の刃を叩き上げる。神秘をこめた斬撃は水の刃を断ち切って、盛大に水滴を舞いあげた。

 次の瞬間にはそれら水滴が繋がって、一気に落下してきた。まるで虫でも捕まえる虫網のように。それは触れたものを切断する断頭台の網。魔力が注がれた『深淵水源リン=カイエ』は、以前は不可能だった柄から完全に放れた水の同時制御に成功していた。

 水滴を後ろに下がって避けたところで、いくつもの水のカッターが飛んでくる。触れたもの全てを切り裂く流動の刃は、スイカの手を離れたあとも自在に軌道を変えてジュンタに襲いかかる。

 恐るべきはその力。ジュンタは性能の高い『英雄種ヤドリギ』の武具というものを甘く見ていた。
 
 使徒の持つ特異能力にも似た不条理な能力は、身体能力差や思惑をも容易く凌駕する。雷撃の刃で接触し、これを沸騰させても、今度は水蒸気から新たな刃が生まれて襲いかかってくる始末。

 スイカは手首を回して、大きく『深淵水源リン=カイエ』を振り回す。分かたれていた刃が直線上の一本へと繋がれ、巨大なハンマーとなってジュンタを横殴りに殴り飛ばした。さらに思い切り空高くへと刀身を跳ね上げると、数十に分かたれ泥に近いジェル状の固まりとなって落ちてくる。

「ぐっ……」

 ジュンタの身体は『深淵水源リン=カイエ』の刀身そのものに捕まり、身動きが封じられる。スイカとて殺害の意志はないが、首へと巻き付くように刀身が蠢き、息を詰めて意識を奪おうと動いている。

「動かなければ死んだりはしないから。もう、諦めて」
 
 ここで口から体内に侵入を果たせば窒息で、体表面から水分を奪ってしまえば水分不足での死をも与えられるところを、代わりにスイカは懇願してきた。

「きっとジュンタ君だけなら、事態に気付いたクーちゃんが召喚してくれる。わたしのことは忘れて、リオンと幸せになって」

「酷いこと……いうな。そんなの……」

「できなくてもして欲しいよ。もうわたしは、そこまでジュンタ君が必死になってくれただけで嬉しいから。だから、これ以上は本当に迷惑だ」

「案外はっきりと、いう奴だよな。スイカって」

 前々から頑固だと思ってはいたが、まさかここまでとは。大したものだ、スイカという少女は。
 けれども、ジュンタだって諦めきれない。ここで足を止めることはしたくない。伸ばせられる手がある以上は、最後まで足掻いてみせる。

 ジュンタを中心に侵蝕の虹が水を蝕んでいく。ふいに拘束が和らいだように感じた一瞬に一気に魔力を放出して、思い切り身体を捻った。

「っ!」

 スパークして弾けた雷気は、刀身を通って柄まで駆け抜ける。小さく悲鳴を零したスイカは拘束の手を緩め、その隙にジュンタの身体は転がり出た。

「[加速付加エンチャント]」

 虹の雷気を纏うジュンタが唯一使える魔法にして技法。水を操るスイカにとっては天敵となる雷の力。荒れ狂う雷神の如きうなりが、大気との摩擦から生じる。

 不思議な力に支えられた今、未だ完全なる制御には至っていないこれを使うと、制御に失敗する予感がジュンタにはあった。現にいつもより大きく揺らぐ[加速付加エンチャント]は不安定で、早くも肌にやけどをつけはじめた。

 けれどジュンタが恐れたのはこれにより、必要以上にスイカが傷つくこと。だけど、頑固な相手にはこれを使わないと止めようがない。

「あと、少しだ」

 もう一踏ん張りだと足に力をこめ、ジュンタはしっかりと立ってスイカを見る。

 回復した『深淵水源リン=カイエ』の刀身だが、無限というわけではない。大気中の水分をも枯渇へ追いやった結果、本当の意味でスイカの武器はあの限られた刀身しかない。それは徐々に減っている。

 薙刀のように『深淵水源リン=カイエ』を構えるスイカは幼い素顔に戻ったが、鋭い戦士としての眼孔は未だ衰えることをしらない。恐れることなく武器を振るう様は、古き武士の妻を思わせる。

「それが君の使徒としての力? でもそれは君にとっても諸刃の刃だよね? ここから先、粘った方が勝つ」

「わかりやすくていいじゃないか。だけど、先は長そうだ。それでも最後には俺が勝つが」

「違う。最後にはわたしが立っている。わたしは七年間、ずっと耐え続けてきたんだから」

 そう宣言して、再び攻撃を仕掛けてくるスイカ。最初と同じように水の鞭を振るう。その太さは最初よりも細いが、射程の長さはその分二倍以上ある。それも細くなった分、視界には捉えにくい。

 だが、灰色の世界の中、あまりに瑞々しい『深淵水源リン=カイエ』の刃は感じやすすぎた。迫る冷たい水の気配をジュンタは全身で感じて、攻撃地点から一歩逸れ、戻って先の方を叩き斬る。勢い良く水の先が地面にぶち当たって、そのまま乾いた地中に吸い込まれていった。これではいくら水を吸収する『深淵水源リン=カイエ』といえど、再吸収する術はない。

 けれど攻撃はジュンタの身体を掠めていた。浅く抉られた太ももからは血が滲み、ズボンを赤く染め上げる。最初は起こりえなかった血の滲み……それはスイカが追い詰められていることを示していた。

「はァッ!」

 ここに来てスイカがこれまでとは違うパターンに出た。
 刀身を巨大なランスの形に変化させると、思い切り突っ込んでくる。

 近接戦。これまでとは違う威力を重視した一撃の構え。
 遠距離戦ばかりだったスイカが今日初めて見せた近接戦に、ジュンタは果敢に応戦に応じる。が、見誤ったりしない。これは本当の意味で近接戦ではない。

 思い切り前方へと突き出されたランスを横へ避けようとした瞬間、その刀身から左右へと小さな棘がいくつも伸びる。それはカウンターを狙った足を掠め、ジュンタはバランスを崩す。

 その隙を狙って鎌の形へ変化した『深淵水源リン=カイエ』がなぎ払われた。本気の一撃は上体を逸らしたジュンタの前髪を数本奪っていく。と思ったら、根もとの部分が糸のように解け、振り抜かれた刀身がブーメランのように戻ってきた。

「なんでもありか!」

 思い切り右腕の剣で地面を叩き、足首を狙って戻ってきた攻撃をアクロバティック気味に避ける。後続として糸が現れるが、さすがの細さに変化はできず、体勢を戻す時間は確保できた。

 ジュンタがスイカへと向き直るのと、再び薙刀状へと『深淵水源リン=カイエ』を戻した彼女が上段に振り上げるのは同時。

 視線は一瞬の間互いの瞳に映り込む。それをどう感じたのか、スイカは小さく笑みを浮かべた。

「まるでダンスを踊っているみたいだな」

 と、ジュンタは攻撃を避けながら口にしていた。

 正道の攻撃に加えて軌道を予想させない無軌道な動きを見せる『深淵水源リン=カイエ』によって、ジュンタは無理な体勢や回避を何度も迫られた。その度にスイカへと少しでも近づこうとする様は、まるで傍目から見れば下手なダンスを踊っていたように見えたはずだ。

「本当は、一緒にダンスを踊ってみたかった」

 スイカはそう言って、ダンスを申し込むように手を伸ばす。しかしその手のはほんの少しの水が貯められていた。

 水はスイカの手のひらの上で流体変化を起こし、蜘蛛の巣のような形になるとジュンタに向かって撃ち出される。それは振り抜こうとしていたジュンタの左手に当たると、その動きを制止させた。

 そこからは、スイカは『深淵水源リン=カイエ』の攻撃に加えて特異能力を使った攻撃に切り替えた。

 千変を遂げる水の刀身へ左手を突っ込んだかと思うと、水で芸術を作り出すアーティストのように繊細に変化する技を繰り出す。無数の小さな棘が放たれたり、手甲のように凝固させた状態で殴りかかってきたりと、双剣に引けを取らない攻撃回数を生み出していた。スイカは水との一体感に幼い頬を紅潮させ、小さな唇に笑みを浮かべていた。

 一歩、ジュンタは大きくスイカへと近づく。代わりに左手から短剣が弾き飛ばされた。

深淵水源リン=カイエ』はその形状を盾へと変え、代わりにスイカの右手の先がランスへと変貌する。

 ジュンタはスイカを打倒の攻撃圏内に捉えた。
 スイカはジュンタの攻撃に必滅のカウンターを狙う。

 盾を砕けなかったらジュンタの負け。盾を砕かれたらスイカの負け。ついに戦いの終わりとなる交差は起きる。どんな楽しいダンスにもやがて終わりがくるように。

 ここで終わらせる。絶対に、スイカは死なせない!

「おぉおおおおおおおおおオオオオ――ッ!!」

 破壊の咆吼を声に乗せるジュンタの背中から巨大な二対の翼が現れた。
 それは虹の翼。一瞬限りのブースターとなるために後方へと放られた魔力が、加速の形となって具現した姿。

「虹翼の使徒……」

 忘我のままに虹翼の顕現を見て呟いたスイカの目にも、ジュンタの目にもとまらぬ速度で右手が斬撃を描く。

 届いたとき、この一撃はスイカの意志を剥奪する。他人の意志をねじ曲げる傲慢な刃を、しかしやはりスイカは全てを迎え入れるように見つめていた。

 結局の話、スイカが戦いの最中見せた穏やかな表情こそが彼女の本質だったのかもしれない。
 まるで幼い子供のようにまっすぐで純真な普通の女の子。使徒という大任を背負うにはあまりにも普通過ぎた彼女は、誰かにずっと助けの手を伸ばして欲しかったのかもしれない。

 ――わたしはね、ずっとお姫様に憧れていたんだ。

 助け出されるお姫様に。辛くても、悲しくても、やがては助けがきっとやってくるお姫様に。

 ならば、今だけは自分が彼女の王子様になろう。
 似合わないのはわかっている。けれど、彼女がそれを認めてくれるなら……。

 打ち砕かれる水の盾。スイカががむしゃらに突き出したランスよりも数段早く、彼女を救う剣は目的を達成しようとして、

「え?」


 ――――歌が止んだ。


 呟かれた疑問の声は、果たしてどちらのものだったのか。

(一体、何が……?)

 聞こえていた祈りの歌が途絶えた瞬間、ジュンタの両足は踏ん張りを失い、虹翼によって思い切り前へと身体は押し出された。そして突き出されたスイカのランスは深々とジュンタの腹を貫き、持ち主の意志とは別に体内から血を奪っていく。

 恐怖と衝撃にスイカが後ずさった瞬間、ずるりと抜けたランスがただの水に戻る。しかしべっとりとスイカの右手に付着したままなのは、赤いジュンタの血だった。

「あ、あああ……」

 腹部に風穴を開けられたジュンタは膝をつき、手から剣を手放してその場に倒れ込む。祈りの残照なのか、意識は不思議と保っていられたが、だからこそ恐怖に声を引きつらせるスイカの声が耐え難いほど辛く聞こえた。

「嘘……違う。わたし、ここまでするつもりなんて……ジュンタ君にもヒズミにも、ただ、幸せになってもらいたくて……」

 大丈夫だと、そう安心させたくて口を開いたジュンタの口から、言葉の代わりに逆流した血が吐き出される。

 それを見たスイカはさらに後ずさり、手から最後の支えとなっていた『深淵水源リン=カイエ』を取り落とし尻餅づいた。

 カタカタと小さな肩を震わせて目を見開くスイカの目からは大粒の涙がこぼれ出す。それはジュンタが初めてスイカと出会ったときに彼女が見せた、あの本当に怖くて辛くて震えていた姿と同じだった。

(泣かせたら、ダメだろ……)

 感覚が消えた左手で何とか地面を引っ掻いて、ジュンタは唯一動く右手を伸ばす。

(泣いちゃ、ダメなんだ……)

 しかし僅かな距離が遠く、ぱたりと途中で落ちた。
 その指先を包み込む白い光がある。召喚の光。元の世界へ招く招来の輝き。

「一緒、に……」

 血を吐き出しながら、それでもジュンタは何とかその言葉を口にする。

「……死ぬな……死ぬなよ……」

 光の向こうにスイカの姿が消えていく。

 最後まで、彼女は泣いたままだった。






       ◇◆◇



 


 泣いている女の子がいた。

 知らない女の子だった。黒い髪に黒い瞳の、だけど普通とは違うように見えるかわいい女の子。学校では見つけることができないくらい、とびきりかわいい女の子だった。

 まるでお姫様みたいだと、そう思った。

 お姫様が泣いているなら助けなくちゃと、そう決意した。

 お姫様の周りには怖い怖いモンスターたちがいる。それは大人という名前の、子供からしてみれば怖い怖いモンスター。

 きっと苛められているんだ。女の子を泣かせる奴は悪い奴だって、そうお父さんもお母さんも言っていた。助けなくちゃ。助けなくちゃ。助けなくちゃ。

 ……でも、やっぱり怖い。たくさんたくさんモンスターはいて、ガオガオ吼えている。

 だけど、辛いと。怖いと。
 そうとは声に出さずに、ただ泣いてる声は助けを求めていたから。

 自分がやらなくちゃと、勇気を振り絞った。

 だから―― ……
 

  




「目、醒めました?」

 幼い夢をくぐり抜け、目を覚ましたとき、そこにあったのは心配そうな顔で覗き込んだリオンの姿だった。

「本物……だよな?」

「なに言ってますのよ? このリオン・シストラバスが二人も三人もいてたまりますか」

 浅く頬を撫でる手が冷たくて気持ちいい。笑顔を取り戻したリオンの笑顔は、自信たっぷりな彼女だけの笑顔。

 ジュンタは安堵して笑みを浮かべようとし、その前に自分が眠っていたことに気付いて飛び起きた。

「ちょっと、あなた大けがしてましたのよ?! そんな急に動いては……!?」

「スイカは?」

 ジュンタは慌てるリオンの肩を掴んで、必死に問いただした。

「スイカはどこにいる? ヒズミは!?」

「それは……」

 途端、リオンの顔が曇る。

 彼女は逡巡したあと、決意を固めたように真面目な顔を作った。

「よく聞きなさい、ジュンタ。あなたなら気付いていると思いますけど、スイカ様はベアル教に攫われましたの。ヒズミの姿は見えませんわ。たぶん、スイカ様を捜しすために一人で」

「くっ!」

「ちょ、ちょっとジュンタ! どこへ行きますのよ!?」

 その説明は、まだフェリシィールたちがベアル教の盟主の正体に気付いていないことを示していた。

 それだけ聞けば十分全てを把握できた。ジュンタは心配するリオンを振り切って、部屋を飛び出す。

 シストラバス邸を抜け、宛もなく聖地の都を駆けめぐる。

「止めないと」

 アーファリム大神殿にはいない、きっとスイカの許へと行こうとしているベアルの盟主を追う。『封印の地』へと移動できる『聖獣聖典』がスイカの手元にある今、すぐにヒズミたちが『封印の地』へ行けるとは思えない。まだ、間に合う。

「止めないと。ヒズミの奴を、止めないと」

 ヒズミを探し出して引き留めないといけない。彼がスイカの許に辿り着いたそのとき、代償のある奇跡は起きてしまう。スイカは死んでしまう。

「助けられなかった。助けられなかったから、せめて……」

 上半身裸に包帯を巻き付けただけの格好のジュンタは周囲の目を集めたが、そんなものは目に入らないと全力で走り回る。走る度に痛みを発する身体。包帯の腹部には血が滲み、両足に危険な痺れが走ったが、何もかもが今はどうでもいい。

 スイカを助けないと。
 ヒズミを見つけないと。

 それだけを考えて走り回るジュンタは、やがて一つの場所にたどり着く。

「はぁ、はぁ」

 目の前の扉を開け放った。

 現れたのは小さな礼拝堂。レイフォン教会の礼拝堂。
 ジュンタが知る唯一ヒズミがいそうな場所に、果たして、ステンドグラスを通して差し込んだ陽光の下、彼はいた。

 一人、誰もいない静かな礼拝堂でヒズミは神を模したステンドグラスを見上げていた。

 ジュンタは礼拝堂に足を踏み入れ、それに気付いたヒズミは振り返ることなく口を開いた。

「僕は神様って奴が嫌いなんだ。それに頼る奴も、縋る奴も、大嫌いだ」

 彼の背中が拒絶と覚悟を物語っていた。

「どうして僕らが選ばれたのか、それはわからない。理由があったのか、それともただの偶然か……気にしたってしょうがない。わかっていることは、僕らは何かしらの理不尽に囚われただけってことなんだから。姉さんが、消えない傷を負ってしまったってことなんだから」

 スイカの傷とは、成長しない不老の身体のことを指しているのか。二人の目的は故郷への回帰。なら、成長しないスイカは戻ったあとどうなるのだろう? 周りの皆が正常に成長していく中、彼女一人が変わらずに居続ける。それはどのような孤独なのだろう。

「僕は抗う。僕は姉さんを癒す。そのためにこの世界を利用してきた。この、偽りの世界を」

「それでも、確かなものはあったんじゃないのか? この世界でだって、優しいものが、楽しいことがあったんじゃないか?」

 ジュンタは自分が見つけた、手に入れたこの世界の輝きを訴えるように一歩近づく。その足下に黒い点が穿たれた。それは目にもとまらぬ動きで、ヒズミが矢を射って作った境界線だった。こちらへ来るなと、そう振り向いたヒズミの冷たい眼差しが逆に訴えていた。

「優しさで神が殺せるのか? 楽しければ姉さんは救われるのか? 違う。ふざけた言い方にも聞こえるけど、姉さんを救えるのは『愛』だけだったんだよ。この世界では到底手に入るはずもない、愛だけが姉さんを癒せられたんだ」

「だけど、この世界だって好きな人くらい――

 必死に引き留めるためにジュンタはそう口にした。それが、致命的なまでにヒズミとの距離を生み出すことと知らずに。

「……ああ、そうか。やっぱり、姉さんの傷はそうなんだな」

 全てを納得したヒズミの顔には憎悪にも似た、怒りにも似た、悲哀にも似た諦観が浮かんでいた。人生の命題を達成してしまったかのような、この世の真理に気付いてしまったような、そんな顔で彼は笑った。

「おかしいとは思ってたんだよ。お前はそんなに鈍感じゃない。なのに、どうして他の奴は気付けるようなことに気付けないのか、って。姉さんの様子を見れば誰だってわかるだろうに、お前だけはそのことに気付かない。つまり、姉さんの【ガラスの靴】はそういうことなのさ」

「ヒズミ。お前、何を言ってるんだ……?」

「ははっ、何を? 簡単なことだよ。世界はとても残酷で、神様が死ぬほど憎らしいってことだよ。姉さんにとって王子様のお前は、だからこそ、姉さんが一番隠したがっていたものに気付けない。気付くことが許されない。お前じゃ――姉さんは救えない」

「ヒズミ……聞いてくれ。スイカがやろうとしていることは」

「わかってる。姉さんがしようとしていることは分かってる。『聖獣聖典』に自分を生け贄に捧げようとしているんだろ?」

「そこまでわかってるなら、俺と一緒に――

「黙ってろ! 人を殺す覚悟もないド素人が!!」

 ビリビリと礼拝堂を震え上がらせるほどの大喝。あまりに強すぎるヒズミ・アントネッリ・アサギリの覚悟に、ジュンタは続く言葉を奪われた。

「お前と僕とじゃ住む世界が違うんだ。何の覚悟もない奴が、こっちの世界に来るんじゃねぇ。それとも何だ。お前は他の何かを殺し尽くしてまで、僕と一緒に来る覚悟があるのかよ?
 教えてやる。この間は言ってなかったが、『聖獣聖典』の神威執行にはもう一つ代償が必要なのさ。なにせやろうとしていることが世界の境界越えだ。こっちの世界にも影響が出る」

 大きく手を振るヒズミ。それにタイミングを合わせるように、ヒズミの後ろに巨大な孔が浮かび上がる。それは『聖獣聖典』によって開かれた孔に似た、けれど致命的に何かが違う崩壊の孔だった。通り抜ける者には何の影響もないこの孔は、こちらの世界に傷跡を残している。

「この世界の時間と理がねじ曲がる。聖地ラグナアーツに住む人間を異変は喰らうだろう。
 姉さんを救うってことは、僕と一緒にやるってことは、つまりそれだけの人間を殺し尽くすってことだ。お前に――


 ――その覚悟、あるのかよ?


「俺、は……」

「ジュンタ!」

 悪魔のように嗤うヒズミの言葉に目を見開いたジュンタを、礼拝堂の扉を開け放ったリオンが呼んだ。

 ジュンタははっとなって振り返る。その顔には隠しようのない安堵が浮かび上がっていた。

 それが何よりも、ヒズミへの答えを表していた。

「やっぱり、お前はリオン・シストラバスを選ぶんだな」

「ヒズミ!」

 決別の呟きと共に、ヒズミの身体が孔の中へと沈んでいく。その傍らに、足下より浮かび上がってくるように出てきた『狂賢者』ディスバリエ・クインシュが追随する。

「ディスバリエ・クインシュ? どうして、ヒズミが……!?」

「盟主様。[聖地陥落ホーリー・ホロウ]の部分的な再起動、不備なしにございますわ」

 驚きを露わにするリオンに全てを暴露するように、恭しく『狂賢者』はヒズミに頭を垂れた。それがこの世界における全てに対する、ヒズミによる敵対宣言に等しかった。

「ご苦労。それじゃあ、渡るぞ」

「待て! ヒズミ!!」

「最後に、同じ神の道化として忠告してやるよ。サクラ・ジュンタ」

 呼び止める声も空しく、ヒズミの姿はディスバリエと共に孔へと消えた。

 消えていく孔。夜よりもなお暗い覚悟の闇より、ヒズミの呪いは残される。

「お前は姉さんを追い詰める。お前が姉さんを追い詰めた。次に姉さんに近づいたら、僕は――お前を喜んで殺そう」

 嬌笑が神の住む礼拝堂を木霊する。
 それ以上に、ジュンタの中に消しがたい痛みが駆けめぐった。

「くそぅ……ちくっしょう……!」

 助けられなかった。届かなかった。何に間違えたかもわからなくて、ヒズミのいうスイカについて自分が気付いていないこともわからない。致命的な何かを勘違いしている気がするのに、それが何かわからない。

 血が出るほどに拳を握りしめて、ジュンタはステンドグラスに描かれた神を見た。

 自分は、スイカは、ヒズミは、一体なぜ神に弄ばれなければならない? それぞれ大事なもののために、大切なものを守ろうとしているだけなのに。大切な人と、一緒に日常を過ごしていたかっただけなのに。

「どうして……神よ。お前はこんなにも、人を愛しているんだ」

「ジュンタ……」

 愛した人の声も今は遙か遠く、空しい。

 相容れなかった道の先にあるもののために、ジュンタは思い切り、腹の底から声になっていない咆吼をあげた。

 止めないといけない。
 止めないと、いけないんだ。

 ベアル教は、ヒズミは、スイカは、他でもない――自分が。サクラ・ジュンタが。









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