Prologue


 

 それは初めての経験だった。

 助けに来たよ――そう言って差し出された手。
 はにかんだ笑顔を浮かべる少年の顔はボコボコで、お世辞にも格好いいとは言えなかったけど、それでもその時、スイカにはとても格好良く見えたのだ。

 助けて――その声を聞いて現れてくれた彼は、まさにスイカにとって救世主だった。差し出された助けの手はスイカが何よりも心の奥底で願っていたものだった。

 たとえそれが偶然であっても、
 それでもこのときこの瞬間があっただけで、スイカにとって彼は王子様だった。

 辛いとき。苦しいとき。彼は現れてそっと手を伸ばしてくれるのだと、助けの手を伸ばしてくれるのだと、そう思えただけで、その先の苦難をスイカは乗り越えることができた。耐えることが前よりも辛くなくなった。それは、間違いなく彼との出会いがあったから。

 初めて差し出された王子様の手。最初、その手を握るのを戸惑ったのを覚えている。
 
 いつだって誰かの手を引く側であったスイカは、初めて引かれる側になって、その温かさの持つ力に気が付いた。

 だから、スイカは誰かの手を引くことを前よりもずっと大切なことだと思うようになれた。
 辛い人がいるとき自分が何をするべきか、それを教えてくれたのは、間違いなく彼だった。

 その先の道程を決定づけた、その出会い。

 辛いことや苦しいことをスイカは隠してしまうが、それはいつか打ち明けることができるから。王子様がきっといつか現れて助けてくれるから、それでも耐えることができたのだ。

 金色の瞳をもった彼女が現れたときより始まった苦難の日々も、そうやってスイカは耐え抜いた。

 きっと助けてくれるから――彼が助けてくれるから、今は耐えればいい、と。

 自分とは違って助けてくれる人のいない大切な弟のため、自分が助ける人で在り続ける――それでいい、と。

 それでいいと、そう思って、あるいは思いこんで、耐えてきた。

 ずっと、ずっと、耐えてきた。

 ずっと。ずっと。ずっとずっとずっとずっとずっと耐え続けてきた。

 ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと――……。






 血が飛び散る。懺悔するような、乞うような叫びと共に、血がはらわたから飛び散る。

 血を咀嚼する。喘ぐような、嘆くような啜り泣きと共に、飛び散った血を手ですくって啜る。

 喉が渇いた。

 とても乾いた。

 乾いている。とても乾いている。

 耐えられないほどに。
 耐えたくないと思うほどに。
 喉が渇いてしょうがない。

 癒すためには水が必要だ。でも、ただの水を飲んでもこの乾きは癒せない。

 だから水以外の何かを啜らないと。だから今はここにある血を飲み干さないと。

 この乾きが癒えるまで。
 この空虚が埋まるまで。
 この悪夢は終わるまで。

 血を飲もう。首筋を裂いて、はらわたをぶちまけて、ゴクゴクと血を飲もう。

 いつか、その果てに。耐えなくてもいい日が来ることを願って。

「…………血を……」

 殺戮の赤で、アサギリ・スイカを続けよう。









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