第十話  見えない弱さ


 

 空には太陽。蒼い空には雲一つ無く、水が溢れる白亜の都市を美しく彩っている。

 灰色の時間で止まった『封印の地』にいたために、時間感覚が若干狂っていたのだろう。目の前に青空をさらけ出されたジュンタは、しばらく凍りつくように立ちつくした。

「ん、眩しい」

 隣でスイカが縁側で日向ぼっこに勤しむ猫のような微睡んだ表情を浮かべ、組んだ腕をさらに強く握ってきた。

「ジュンタ君にはもう、取り立てて説明する必要はないよね? 今、何が起きたか」

「『封印の地』からこっちの世界へと、神殿の門も何も使わずに自由に移動する、か。とんでもないアドバンテージを平然と使ってくれるな」

 ジュンタが立っているのは、人気のない高台の上だった。そこからは近くの街並みを一望できるため、今自分がいる場所がラグナアーツの都の中だというのがすぐにわかった。

「その本の力――『聖獣聖典』の力は本物なんだな」

『封印の地』へと行くのに、ジュンタたち聖神教側は、一週間に一度だけという制限を敷いている。封印の正常なる稼働を妨げないためには、それはどうしようもないこと。だというのにスイカは容易く移動してみせた。無論、スイカ自身にそういった力はない。であるなら、今なお虹色の魔力を放つその手の本が理由だ。

 白銀の背表紙で装丁された、古書にも新書にも見える本。背表紙の表側には、虹色で輪郭をとった、犬にも狼にも見える白い獣の姿が金細工で描かれている。精緻なる造りは製本技術がそこまで発達していないこの世界においては、人ならぬ手による製造を意味している。

 法外な魔力を虹色として発現させるその本によく似たものを、ジュンタは見たことがあった。リオンが担う『不死鳥聖典』――使徒ナレイアラの聖骸聖典だ。スイカが持つのはそれと同種の遺物。聖骸聖典の一つ、『聖獣聖典』である。

「本物に決まってる。『始祖姫』メロディア・ホワイトグレイル。そう、これは他でもない、行方不明とされていた聖骸聖典の一つ、『聖獣聖典』だ。わたしとヒズミがずっと探していて、そして日常への回帰を約束する奇跡の書。異世界へすら門を開くんだ。隣り合う『封印の地』との道を開くぐらいは簡単なこと」

 うっとりとした顔で、スイカは閉じた『聖獣聖典』の表紙を撫でる。

 あらゆる魔法を使えるとされる最強の魔道書。実物を前にして、改めてジュンタは聖骸聖典というものの出鱈目さに舌を巻く。

「安心していいよ。これは何の悪影響もないから。でも、ジュンタ君がわたしのことを心配してくれたなら嬉しいな」

「心配するに決まってるだろ? 強い力は、それだけ大きな対価を必要とするもんなんだから」

『封印の地』にいたときから異変だと感じていたスイカの姿は、やはりここでも変わらない。甘えるスイカの姿など、最初出会ったときからも、再会したときからも、まったく想像できなかった。

 考えてもその理由はわからないから、ジュンタはそのままにさせておくことにした。本当のスイカの姿が小さくて幼いことを、ジュンタは知っていた。

「スイカ。お前はデートするとか言ってたよな?」

「うん。ここにはデートするために戻ってきたんだ。あんな寂しい場所でデートなんてできないから」

 組んだ腕を、スイカは街へと引っ張っていく。
 街は裏側で戦争が起きていることなど知らないように、いつもの活気に溢れていた。

 それを見て、スイカの笑顔を見て、ジュンタは一度、全てを忘れておくことにした。

 戦いのことも、『封印の地』に置いてきてしまったものも、全て。
 今はただ、スイカを全力で楽しませることを考えて――そのために、自分も全力で楽しもうと。

「行こう、スイカ。時間はあまりない」

「うんっ」

 そうして――使徒でも何でもなく、一人の少年少女としての、二人のデートは始まった。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 ヒズミから見た姉は、とても強い少女だった。

 昔から、ヒズミは姉に手を引かれて育った。年子よりも近しい同学年の姉弟ということで、学校へ行くのも、遊ぶのも、ずっと一緒だった。それは家が少々特別で、他に友達ができなかったから、というのもあるだろう。

 ヒズミは姉がいればそれで良かった。寂しくも辛くもなかったのだ。

 いつだってスイカは柔らかく微笑んで、しっかりと面倒を見てくれた。
 甘えれば仕方がないというように抱き留めてくれた。父親や母親もスイカの面倒見の良さやしっかりしたところを褒め、誰もがそう思っていたのだ。

 ――この少女はとても強いのだ、と。

「確かに、お前のいうとおりだ」

 ヒズミは一瞬止まった思考を再び動かして、質問から数分経ったあとサネアツに返答を返した。

「姉さんは苦しむだろうさ。姉さんは僕よりもずっと優しい。元の世界に戻るためとはいえ、誰かを傷つけることに、心を痛めないはずがないさ」

「ほぅ。それは解せない話だな。姉が心痛めると知っていながら、お前は姉のために聖地を生け贄に捧げるという。矛盾してはいないか?」

「してないね。確かに、今は辛いさ。これまでだって、この世界にやってきた日から辛さは僕らの中にあった。唐突に居場所を奪われ、知らない世界に放り込まれて……辛くないはずがない。そんな時間を、僕らはずっと過ごしていた」

 これまでの困難の連続だった日々を、ヒズミは思い出す。

 故郷の街で出会った謎の少女。
 輝く光が消えれば、そこはもう見知らぬ大地が広がる別の場所だった。

「僕らが連れて行かれた場所は、ここから北にある国、ジェンルド帝国だった。酷い国だったよ。人が人を監視して、弱みを見せればすぐに生け贄にされる。子供も老人も関係ない。おかしな服を着た迷子の子供二人なんて、周りの人間にとっては格好の獲物だった」

「ジェンルド帝国……皇帝によって荒れた国か」

「僕らは必死に抗った。何もわからないまま殺されるなんてごめんだった。逃げて、逃げて、逃げて……泣く声すら餓鬼を呼ぶ。あそこはそういう地獄だった」

 苦しげに、本当に辛そうにヒズミは語る。もう、あのときのことは思い出したくもない。

 虫すら貴重な栄養源だと殺し合う子供。温かな笑顔で迎え入れてくれた老婆に売り飛ばされそうになったこと。信じられるのは互いだけ。人が人を信じるということすらできない、現世の地獄。

「そこで、姉さんは……」

 悔恨と共に思い出すのは、そのときのこと。追い詰められて、殺されかけて、そして姉は――


『大丈夫だ。ヒズミには、お姉ちゃんがついてるから』


 ――血まみれになって、彼女は、人ならざる姿で笑っていた。

 同じ苦しみの時間を過ごした姉は、それでも変わらずに笑って、大丈夫だと抱きしめてくれた。それはこの世界に来ても変わらなかった唯一の温もり。姉は弱音なんて見せず、涙も流さず、故郷と同じように自分の手を引いてくれた。

(僕は姉さんにたくさん迷惑をかけた。甘えて、その結果姉さんは消えない傷を負って、変わっていくのが当たり前の時間を、止めてしまった。けど……)

 それでもヒズミの姉は強かった。

 泣かず、笑みを絶やさず、前を向いて歩いていく。弟の手を引いて、どんな困難にもめげず。

 やがて使徒であることを理由に聖地へ招聘され、この世界で生きていく基盤を手に入れるまで、ヒズミはスイカに支えられ、励まされて生きてきた。いや、聖地へとやってきたあともずっと、ヒズミはスイカに支えられている。

 だからヒズミもまた、スイカを支えようと思ったのだ。家族として。

「この辛い時間を終わらせる。それが僕の出した答えだ。だから、たとえ今は心痛めようと、幸せのために僕らは前へと進むんだ。姉さんも、きっとそう思ってる」

 そうであろうとした答えが故郷への回帰。そう、何も間違ってはいない。

 優しい姉はこの儀式に心痛めるだろう。けれど、その先には笑顔でいられる日常が待っている。そのための苦難なら喜んで耐えよう。スイカだって難なく耐えられるはずだ。だって、彼女は自分よりもずっと強いのだから。

「そうか。それが、お前の答えというわけか」

「ああ。だから、お前やサクラが何を言おうと僕は止まらない。僕らは、止まって何てやらない」

 この手が血にまみれようとも。姉と二人、一緒に家族の隣で笑ってみせる。

 そのための方法は手に入れた。ヒズミの心に不安の影はない。その眼差しはずっと、故郷から今日までずっと、スイカの浮かべる笑顔へ向けられているのだから。

「では、もしもそれが偽りだったらどうする?」

 サネアツの次の質問は、ヒズミの中で再度決意が固まった直後にやってきた。

「お前の姉が、本当はとても弱い人間だったら、お前は一体どうするのだ?」

 この質問の答えにも、やはりヒズミは即答を返せない。


 

 

 スイカは笑顔を消すことなく、腕を引っ張った。

「ほら、早く早く。ジュンタ君。そんなもたもたしてたら、行きたいところの半分も見て回れないじゃないか」

「こら、あんまり引っ張るな。恥ずかしいだろ」

 ラグナアーツの都を歩くジュンタたちは、酷く周りからの注目を浴びていた。
 それはスイカがサングラスなど何も付けず、その金色の瞳を晒しているから、ではない。

「ぐ。今通りかかった人に、絶対に微笑ましいわねぇ、って笑われたぞ」

 スイカは瞳を晒してはいたが、誰も彼女の瞳の部分にだけ注意を向けたりはしなかった。微笑みを向けてはくるも、それは彼氏の腕を引っ張るはしゃぎっぷりが微笑ましく見えたからだろう。

「いいじゃないか。別に、誰にどう思われても。ほら、早く!」

「仕方ないなぁ」

 人が溢れる通りを歩くジュンタは、周りから向けられる嫉妬と好奇の視線を気にしないことにした。貞淑なる信仰の都において、ベタベタと男女がくっつく姿はほとんど見られないため目立っているが、周りの眼を気にしていてスイカを不機嫌にさせたら意味がない。

「で、どこに行きたいんだっけ?」

「もう、ちゃんと聞いていて欲しい。おいしいスイーツを食べて、そのあと付き合って欲しい場所があるんだ」

「デザートか。それは期待大だな」

「現金だな。ジュンタ君は」

 甘味はここ最近あまり口にしてないので、その誘いは万々歳といえた。甘いものが好きなジュンタとしては、あまり長い時間甘味を取らないと、何かこう、色々な部分が鈍る気がするのだ本当だよ?

 スイーツと聞いて俄然足早になるジュンタに逆に置いて行かれそうになって、スイカはほんの少し頬を膨らませてヒシと掴んだ腕に力を入れた。

 ほどなくしてスイカがいっていた店が見えてくる。外観こそ周りとの景観に合わせた白い石造りだが、一歩中へと踏み込めば、どこか貴族の邸宅を思わせつつも敷居が高そうには見えない店内が広がった。いかにも女の子受けしそうな店である。

「こんな店がこんなところにあったんだな」

「結構有名だって聞いてたけど。男の子だけだと入りづらい場所だから、知らなかったのかな」

「甘いな、スイカ。俺はどれだけ男一人お断りの雰囲気漂う店でも、何の躊躇もなく行ける」

 今でこそクーやリオンという、女の子らしく甘いものが好きな少女たちが一緒に行ってくれるが、観鞘市にいた頃は女友達だって少なかったし、男友達は一緒に入ってはくれなかったため、一人で特攻していったのだ。

 最初こそ思い悩んだり、入ったはいいが恥ずかしくて味がわからなかったりしたが、やがて慣れた。ちなみにサネアツと一緒に行かないのは、彼と一緒に行くと、次の日なぜかおかしな噂が広まるからである。まぁ、サネアツがあ〜んとかやってくるのが原因だが。

「ジュンタ君は本当に甘いものが好きなんだ」

「男にしては珍しいかもな。でも、甘いものはいいものなんだ」

 彩度の高い服を着たウェイトレスに四人がけのテーブルへ案内されたジュンタは、メニューを開きつつ、熱い口調で語る。

「頭とかもよく回るようになるし、何より疲れによくきく。いや、本当に俺が甘いもの好きになった理由の何割かは、絶対サネアツが占めてるな」

「ストレス食いは身体に良くない。ほどほどにしておかないと。今はいいかもしれないけど、いつか太ってしまうかも知れない」

「大丈夫。取ったカロリーの分、修行とかトラブルとかで消費してるから。むしろ摂取カロリーが足りない気が最近はする。できれば、もう少したくさんの種類のお菓子を作れる設備と材料を手に入れられたらなぁ」

 やはり地球に比べて、この世界は甘味の種類とレベルが圧倒的に劣る。ジュンタの脳内にある甘味番付におけるトップ10からも、いくつか存在しないスイーツがある。ある程度は自分の手で再現できる料理もあるが、如何せん材料の不足は否めなかった。

 注文をオーダーしつつ、半ば本気の眼差しで、ジュンタは店の厨房を見つめた。

 甘いものを扱う店特有のいい匂いだが、故郷で嗅いだ匂いとは、若干混ざり合う種類が少ない。人間は食と共に進化する人間であるのだから、ここらで革命が起こらないだろうか。甘味革命が。

「ふふっ、もしもジュンタ君が使徒として生きるようになったら、甘味文化を広めそうだな」

「それは……考えたことなかった。いや、しかしなるほど。使徒の権力を使えば、あのレシピやあのレシピの再現も行ける気が……やばい。心が揺り動かされる」

「本気で考え込まれてしまった」

 革命には革命たる理由がある。そこには社会に問題を抱いた誰かの存在があるもので、然からば問題を抱いた自分こそが革命家になるべきだろうか?

 先よりも本気の色を強くしたジュンタはじっと厨房を見据える。厨房はケーキ等の販売のためにも、ある程度奥が見える造りになっていた。眼を細めて見つめれば、パティシエの腕のほどが垣間見られて――あ、眼があって逸らされた。

「ジュンタ君、顔が恐くなってるよ。そんな顔で見つめてしまったら、美味しいお菓子も美味しく作れない」

「そうだな。この辺りでこの危険な考えは止めておくべきか。……ところで、スイカ。一つ訊きたいんだけど」

「なにかな?」

「どうして、未だに腕を組んだままなんだろう?」

 ジュンタの眼には正面の先にある厨房がしっかりと見えるように、席の真向かいにスイカの姿はなかった。

 スイカは隣の席に座っていて、しかも椅子をピタリとくっつけ、もたれかかるようにして腕を組んだままだった。先程パティシエが目を逸らしたのだって、こちらの姿に驚いたのもあったろう。

「普通に恥ずかしいんだけど。道ならともかく、店の中までもってのは。そろそろ離してはいただけませんかね?」

 店のお客はこういう店であるから、ほとんどが女性。男性がいる場合も、女性連れのカップルがほとんどだ。その中でも間違いなく自分たちが一番距離が近い。二人なのにわざわざ四人がけのテーブルを宛ってもらったりと、突き刺さる視線の温度は妙に生温かかった。

「いいじゃないか、見せつけてやれば。わたしはこうしていたい。今日は、今は、こうしてても誰にも文句を言われる筋合いはないんだから」

「そりゃ、そうだけど」

 同じくらいの視線をスイカだって浴びているだろうに、彼女はこともなげにそう言い放った。

 さも気にしていない風に言われてしまえば、ジュンタもそれ以上抵抗する台詞を吐けなくなってしまう。嬉しくないわけではないのだ。スイカの大きな胸が腕にあたっているし、甘い蜜柑の匂いは漂っているしで、役得感は満載だ。

 かといって、この全身を撫でられるような恥ずかしさは厳しいものもあって……

「なぁ、そろそろ注文したメニューが来るだろうし、一時的にも」

 ジュンタはやんわりとスイカの手を握って、腕から離そうとする。
 すると、途端スイカは笑顔を曇らせ、まるで迷子の子供のような顔をした。

 ヒシリと掴んでくる手に、力がさらにこめられる。痛いほど、という言葉が比喩ではなくなるくらいの強さで。そこにはスイカの必死さがあって、彼女は俯いたまま蚊が鳴くような声で呟いた。

「離すのは、嫌。今離したら、幸せな夢が、見えなくなってしまいそうだから。だから……」

 お願い。離してなんて言わないで。と――そう言われてしまえば、ジュンタは手をどけようとした自分の手を、そっと離して首の後ろに触れるしかなかった。

「お待たせしました。ご注文の品になります」

 注文していた品が届いたのは、その直後のことだった。

 


 

「姉さんの強さが見せかけだなんて、そんなの、あるはずがないだろ?」

 辛うじて返せた言葉はそれしかなかったけれど、返したあと、その返答が妥当なものであるとヒズミは気が付いた。

「そうだよ。その質問は質問の形になってない。姉さんの強さが嘘なんてことあるわけないんだから、そんな質問に意味はないんだ」

「では、質問を少し変えよう。仮定の話だ。『IF』。もしもアサギリ・スイカがアサギリ・ヒズミが思っているような強い少女ではなく、強い振りをしているだけの本当は弱いだけの少女だったら、お前はどうするのだ?」

「そんな、ifの話なんて……」

 意味がない――そう言おうとしたヒズミは、けれど絶対に否定できない理由を持っていた。

(姉さんの特異能力――【ガラスの靴】の副作用。それはたぶん、気付いてもらえないこと。あの偽装の特異能力は自分が隠したいと思っているもの以外でも、無意識で隠したいと思っているものも隠してしまうんだ)

 一番近くにいたヒズミは、前々から姉の持つ力の代償に気が付いていた。確証を持ったのは、ジュンタがとあることに気付けない様を見たときだが。

(ジュンタに姉さんが隠したいと思っているもの……無意識で、そう思ってしまっているもの……簡単だ。あれしかない。だけど……僕も、なのか? 僕も僕が気が付いていないだけで、姉さんが隠しているものに気付けないでいるのか? それは、こいつの言うとおりのことなのか……?)

 もしも姉の強さが見せかけだったなら……そう、自分はどうするのか。

 スイカがいつだって持っていた強さがただの強がりだとするなら、これまで自分が見ていた姉の姿が、まったく違うものになってしまう。外はそのままに、内では泣いているなんて……それは声を出して泣いているより、きっとずっと辛いはずだ。

 弱いアサギリ・スイカは、そんな風に強がってしまう少女で、やがてその強がりは少女を追い詰めよう。

 強くならないといけない。弟のために弱音なんて吐けない、と。
 弱さを隠し、弱さを誰かに訴えられない彼女は、一人、誰に知られることなく弱っていく。

 笑顔の仮面の下で泣いて、だけど涙はこぼせなくて、こぼせない涙は彼女の中身を蝕んでいく。一粒の涙が次の一粒をも飲み込ませ、やがて彼女は涙を流す方法すら忘れてしまい、代わりに微笑みを浮かべるだろう。

(そんなにも人間として弱い姉さんが、もしも聖地を生け贄に捧げる儀式なんてやることになったら……)

 その想像だけで、ヒズミの全身は総毛立った。

「最悪のことになるだろうな。もしもアサギリ・スイカが弱い人間なら、何千、何万という命を生け贄に捧げる方法に耐えられるはずがない。幸せのために今の苦しみは耐えると言ったな? では、もしも耐えられなかったときのことを、お前は考えているのか?」

「そ、れは……」

 至った考えを先回りして質問とするサネアツに、ヒズミは声を詰まらせた。

 詰まらせたところで、これが所詮、もしもの話であると思い出す。

「か、関係ない! こんなもしもの話に意味なんて何もない! 姉さんは強いんだから、弱い人間である可能性の話なんて、そんなのは考えるだけ無駄なんだ!」

「そのわりには、するすると予想できていたようだが?」

「黙れ! 誘導しようとしたって、そうはいかないからな!」

 渦巻く得体の知れない恐怖をはね除けるように、ヒズミは『黒弦イヴァーデ』を握りしめた。
 炎を集めて弓矢とする魔法武装は、しかしいつもの強固な姿を見せない。握りしめた担い手の内心の動揺を表すように、揺れる炎を灯すだけだ。

 ヒズミは漠然とした恐怖に苛まれ、頭を抱える。

「なんだよ、これ。どうして、くそっ、どうしてこんなところで、僕は姉さんのことが信じられなくなるんだよっ!」

 揺るがない、憧れに似た『姉は強い』という絶対という気持ちが、サネアツの言葉一つで容易く揺れ始めた。まるで、軽く突けば崩れてしまう何かが、今崩壊を初めてしまったように。

「嘘だ。こいつは僕を騙そうとしてる。こいつの話は全部悪魔の囁きだ。姉さんと違って弱い僕の弱さにつけ込んでるだけなんだ!」

「かもしれん。お前はおろか、俺はジュンタにも大きく及びつかない程度にしかスイカとは接していないからな。あくまでもこれは俺の推測に過ぎん。
 しかし、お前は自分が姉と違って弱い人間というが、果たして本当にそうなのか? 本当にアサギリ・ヒズミは、姉よりも弱い人間なのか? アサギリ・ヒズミの弱さとは……ただ、真実を認められないだけなのではないか?」
 
「…………」

「正直、俺は手を出すべきではないのだろうが……これだけは言える。強いという評価は、決して、耐えさせていいという意味ではないのだぞ」

 ヒズミは、ただ無言を貫く。

『大丈夫だ。ヒズミには、お姉ちゃんがついてるから』

 頭の中では、その強さを信じた言葉が、ぐるぐると渦巻いていた。

 


 

       ◇◆◇

 


 

 スイーツを食べたあと、ジュンタはスイカの願い通り、短時間で多くの場所へと付き合った。

 買い物と食べ歩きが主で、今スイカは膨れたお腹を押さえつつ、ちょっと気持ち悪そうにしていた。これでもかというくらい甘いものを食べたため、さすがに女の子である彼女とはいえ限界なのだろう。

 同じだけ食べたジュンタは、けろりとした顔で青ざめたスイカを心配する。

「大丈夫か? スイカ。何なら、どこかで少し休むか?」

「大、丈夫。ちょっと無理してしまっただけだから。すぐに良くなる」

 とは言いつつも、結局一瞬たりとも離されることのなかった腕に力が入っているのは、吐き気を堪えているからか。とてもじゃないがすぐに良くなるようには見えなかった。

 早くも夕焼けの色が混じり始めた空。人通りもまばらな、大通りから横に逸れた現在位置。ジュンタは周りを見回して、どこか座れそうな場所を探す。これといって休憩に適した場所は見つけられなかったが、代わりに気付いたことがあった。

「あれ? ここって……」

 スイカに引っ張られるままに付いていったジュンタは、現在位置の捕捉がもはや不可能になっていたのだが、今いる場所の風景には心当たりがあった。聖地の中でも数少ない、自分が知る場所だ。

「レイフォン孤児院の近く、だよな?」

「そう。最後に行きたかったのは、そこだから」

 疑問を声に出したジュンタに、スイカが若干苦しみを和らげた声で答えた。

「本当にわたしなら大丈夫だから。ここが、最後。今日ジュンタ君と一緒に行きたかった、最後の場所。だからお願い、足は止めないで。今はわたしの我が儘に付き合って欲しい」

「……わかった」

 強がりを通そうとするスイカは、それでも辛さを隠せていない。目で見てわかる範囲である限り、その違和感はたとえスイカでも消せない。

 ジュンタは歩き出したスイカについていく。ここが最後。それが意味する終わりを思えば、ここはスイカの我が儘を通してやりたかった。

 泣いても笑っても、これが最後だというのなら……

 ジュンタはスイカのすがりつくような腕を、そっと自分の側に寄せた。




 

 かつて一つの事件の折に知り合った、レイフォン教会に内接する孤児院の子供たち。ジュンタはそこそこ彼らに懐かれていたが、スイカはさらに懐かれていた。

「あ〜、スイカお姉ちゃんだ!」

「わっ、本当だ!」

 礼拝堂の扉を開ければ、中で遊んでいた三人の子供たちに見つかり、スイカは瞬く間に囲まれる。花咲くような笑顔は子供らしく元気いっぱいで、

「見て見て! ジュンタお兄ちゃんもいる! しかも、スイカお姉ちゃんと腕組んでる!」

「カップルだ、ラブラブなんだぁ〜!」

「こ、こらっ。大人をからかうものじゃない」

 きゃいきゃいとはしゃぐ子供たちに指摘され、スイカの腕が――ここまで決して離さなかった腕が、離れる気配を見せる。

 子供たちにからかわれたのが恥ずかしい、というわけではないのだろう。それよりも、先程ここが最後といったことに意味はあるのかも知れない。スイカは迷いを断ち切るように腕を放し、しゃがみこんで飛びついてくる子供たちを抱きしめた。

 スイカはジュンタが彼らと知り合った事件の後から、ヒズミ共々ここを訪れると、子供たちの遊び相手になっていた。だからか、スイカに遠慮無く抱きついた子供たちは、無邪気そのままにスイカに訊いた。

「ねぇ、いつからお姉ちゃんたちは付き合ってるの? キスはもうした?」

「したぁ?」

「そうだな」

 ませた子供らしい興味から問われたスイカは、頬を染めることなく微笑を浮かべた。とても優しい、慈愛の微笑を。

「残念だけど、わたしとジュンタ君は付き合ってないよ。恋人じゃないんだ」

「そうなの?」

「うん。ジュンタ君が好きなのは、みんなも知ってるリオンだから」

「え〜? リオンお姉ちゃんも好きだけど、でもスイカお姉ちゃんの方がお似合いだと思うのに」

「そっか。ありがとう」

 どこに根拠があるのかはわからないが、そう言い切った小さな女の子の頭を優しく撫でてあげるスイカ。一頻り撫でたあと彼女は立ち上がると、何かを吹っ切ったような笑顔を子供たちにばらまいた。

「みんな。申し訳ないけど、少しの間この礼拝堂を貸してくれないか?」

「貸す? 全然構わないけど、僕たちが一緒にいちゃいけないの?」

 スイカと遊びたいのだろう。集まった子供たちが揃って不満そうな顔をする。

「それにヒズミーは? この間の続きがしたいのに」

「ごめんね。ヒズミは今日、別の場所でお留守番なんだ。一緒には来ていない。それと、わたしも今日はみんなと遊べないんだ」

「何か用事があるの?」

「うん、大事な用事が。だから少しの間、ここを貸してもらってもいい?」

 視線を子供たちに合わせて説得するスイカに、子供たちは互いに顔を見合わせて、

「わかった。もうすぐご飯だし、わたしたちヨシュアお兄ちゃんたちのところで遊んでくる」

「今度はヒズミーと一緒に遊んでね」

「ばいばい!」

 子供らしい直感で、スイカの大事な用というのが自分たちを追い出す建前ではなく、本当にとても大事な用があると気が付いたのだろう。頷き合った子供たちは大きく手を振って、パタパタと礼拝堂を入り口の方から出て行ってしまった。

 大きな扉を三人で力を合わせて開き、ご丁寧に閉めて行く。最後までスイカとジュンタに手を振って。

 親を二度失っただろう子供たちは、それでも本当に楽しそうだったから、見送ったジュンタは知らずに手を小さく振り返していた。スイカも扉が閉まるまで、いや、閉まってもしばらくの間振っていた。それを止めたのは、代わりに口を開いたとき。

「みんなとても元気で何よりだ。どんなに悲しいことが起きても、みんな力を合わせて一生懸命がんばってる。強くあろうと、そう支えって。……見習いたい。わたしは、あの子たちを見てるととても元気になれるんだ」

 だから。と、スイカは言葉を続ける。慈しみの笑顔のままジュンタへ振り向いて、

「わたしも、がんばろうと思うんだ。ジュンタ君。わたしは――――あの子たちを殺せるよ」

 ジュンタは驚くことも、怒ることも、嘆くこともしなかった。
 ただ、視線を細めて、目の前で笑う少女を見る。クレオをいたぶっていたあのときと同じ笑顔を浮かべるスイカを。

「スイカ。お前がここに来て、確かめたかったことはそれなのか? 今日俺と過ごして、得たかった答えは本当にそれなのか?」

「そうだよ。わたしは今日、わたしたちがしていることの果てに、死んでしまう人たちを見に来た。奪う命の輝きを、消し去る尊い笑顔を、犠牲にする愛おしさを確かめに来た」

 自分の震える身体を、スイカは抱きしめる。

「ああ、ジュンタ君。とても悲しいよ。わたしはこんなにも純粋に慕ってくれる子供たちを殺さないと、幸せにはなれないんだ」

 スイカの目的である地球への回帰には、この聖地に生きる人々の犠牲が必要になる。聖地と呼ばれる地に生きる命が必要となる。それはこの教会にいる子供たちとて例外ではない。スイカがしようとしていることは、そういうことなのだ。

「悲しくて、悲しくて、くじけてしまいそうだ。どうしてわたしは彼らを殺さないといけないんだろう? どうしてわたしは好きな人を殺さないといけないんだろう?」

「……殺さなければいい。悲しいなら、止めてしまえばいい。俺は、スイカがそう望むのなら、どんな敵だって蹴散らしてやる」

 三流役者じみた泣き真似をしていたスイカは、ジュンタの冗談ではない本気の言葉を受け、ケロリと表情を変えた。

「勇ましいな。そんなジュンタ君も格好良いと思うよ。……いいな。とってもいい。きっとジュンタ君なら、本当にそうしてくれるんだろうね。わたしが止めるといえば、ディスバリエも、オーケンリッターも、わたしを殺そうとしてくる。でも、ジュンタ君がいれば安心だ。ジュンタ君はきっと、わたしのために戦ってくれる。守ってくれる。たとえ――

 スイカはまっすぐに手を伸ばし、ジュンタの胸に指を這わせた。

「たとえ、敵を皆殺しにしても――あはっ、わたしを守ってくれるの? ジュンタ君」

 ジュンタはこの時この瞬間、スイカの本心がわからない自分を、本気で呪った。

 空虚なスイカの笑顔の奥にある、彼女の本当の気持ちがわからない。察してやることができない。

 今の言葉を本気でスイカが口にしているのなら、本当に敵を皆殺しにしてでも自分を守って欲しいと訴えているということになって、本心ではないのなら、彼女は敵を殺せるのかと問うているのかも知れない。

 ジュンタは人を殺すことができない。人を殺すことは、即ち自分殺しに相応する。きっとサクラ・ジュンタは人を殺したとき、もう二度と故郷に戻りたいという言葉をいうことは許されなくなる。

 ……自分が人を殺す日が来るとしたら、それは自分のかつての日常に比してなお、大事なもののためであると常々思っていた。

(……嘘だろうと本気だろうと、答えは決まってるだろ? なぁ、俺。俺は過去じゃなくて、現在と未来のために生きてるんだから)

 ジュンタは質問の答えを待つスイカの前で、深く深呼吸をすると――自分の心臓の鼓動に触れようとするスイカの冷たい手を握りしめた。


「それでスイカが救えるのなら――俺は、敵を殺してでもお前を守るよ」


「…………………………………………そっ、か…………」

 スイカからこぼれ落ちたものは呟きと仮面。

 呟きのあと、パシャリと床を水が打つ。しっかりと握ったはずのスイカの手が、自分の手からすり抜ける。それは彼女の手が小さくなったことを意味していた。

「思った通りの答えだった。ジュンタ君なら、きっとそう言うものだと、そう思ってた」

 冷たくも柔らかい手の感触がなくなり、ジュンタの手に残ったのは無機質な水の冷たさだけ。夕焼けがステンドグラスを通って輝く中、黒髪の幼い女の子は、氷のような無表情を張り付けて立っていた。

「思ってた。思ってたから、わたしは違う答えを欲していたのに。自分を優先して欲しかった。誰も殺さないと、そんな愚かなほどに甘い人でいて欲しかった。アサギリ・スイカなんて敵でしかないと、刃を向けてくれていれば、どんなに楽だったか……」

 笑顔も泣き顔もなく、シンデレラの仮面を脱ぎ捨てたスイカは、心を剥き出しにしたまま、呪詛のような呟きをもらしつづける。

「なのに、君はやっぱりそう言う。今日一日だって、そうだった。フェリシィール女史の優しさにつけ込んで聖殿騎士たちを操っても、クレオメルンを傷つけても、振り回すようにデートに誘っても……君は、わたしの行動を全否定してくれなかった。嫌いになって、くれなかった」

「嫌いになんてなれない。だって俺たちは――

「友達だ。そう、わたしと君は友達だった。ずっと前から、どんなに離れていた時間があっても、間違いなく、今ここにいるわたしと今目の前にいる君は友達なんだ」

 どれだけ眠れぬ夜を過ごしたのか、真っ赤に充血した瞳は、スイカの幼い顔には似合わない、疲れた老人のような瞳を思わせる。

「なんで、わたしと君は出会ったんだろう? こんな風に向かい合う未来が待っていると知っていたら、わたしは、君となんて絶対に出会わなかったのに。誰からも見破れない強さをいつか自分の本当の強さにして、それできっと、わたしは幸せになれてたんだ」

 暗く、暗く、絶望に金色の瞳を濁らせて、スイカは精根尽きた青白い顔を、ジュンタに向けた。

「……わたしはね、ジュンタ君。君に嫌って欲しかったんだ。そうじゃないと、もう、どうしようもなかったから。君が嫌ってくれないと、わたしも君を本気で嫌いになることができなかったから」

「スイカ。俺は、お前に言わないといけないことがあるんだ」

 ジュンタはスイカに会うと決めたときから、言わなければいけない言葉を用意していた。それはサネアツとの話から確信をもった、目の前にいるアサギリ・スイカの真実。この世界にいる異邦者全てに共通する、惨たらしい真実を。

「奇遇だね。わたしも、君に伝えておかないといけなかったことがあるんだ」

 嫌いになりたかったから嫌って欲しかったと独白した少女は、それほどまでに友達からの拒絶を必要とした理由を、ジュンタに先んじて口にした。

「……知ってしまったんだ、わたしは。もう、元の世界に戻ることに何の意味もないのだと。そして――わたしは知った。わたしはジュンタ君を殺したいほどに憎まなければならないのだと」

 それはジュンタも知らない真実。誰がここまで普通に暮らしていた姉弟を苦しめたのかという真実。サクラ・ジュンタが世界に望まれた救世主であることが招く、真実。

――わたしとヒズミは君のために連れてこられたんだよ。サクラ・ジュンタっていう救世主が生まれるためだけの、ただ、そのためだけに」







 考えたことがないといえば嘘になる。どうして、スイカはジュンタのことが好きなのかということを。

 スイカがジュンタに好意を持った一連の出来事は、ヒズミも知っていた。
 後に海外へと転校が決まる理由にもなった、家のゴタゴタに巻き込まれてスイカが誘拐された事件だ。彼女はそこで酷く恐い思いをして、だからそこへ颯爽と助けに現れたジュンタに恋をしたのだ。

 いわば、スイカにとってジュンタは、自分が辛いときに駆けつけてくれる白馬の王子であった。

 あのロマンチストな姉には、きっとお姫様願望があるのだろう。いや、女の子ならば誰もが持っているのか。辛いとき、悲しいとき、どこからともなく白馬に乗った王子様がやってきて手を差し伸べてくれる。そんな願望が。

 だが、それは逆を言い返せば、白馬の王子様を求めている限り、そのお姫様は何か辛くて悲しいことがあるということになる。

 ヒズミは知っていた。姉であるスイカが、どれほどジュンタという少年を求めていたのかを。

 ずっとだ。比喩ではなくずっとだ。一度彼に巡り会ってから、この異世界にやってきて今日に至るまで、ずっとスイカはジュンタを求めていた。自分にとっての白馬の王子がやってきてくれることを願っていた。

 それはつまり……そういう、ことなのか。

 スイカは白馬の王子様に助けを求めていたのか。ジュンタに助けて欲しかったのか。独りぼっちも同じ、誰にもいえない苦しみや悲しみ、辛さがあったから、手を差し伸べられるのを待っていたのか。

 アサギリ・スイカは弱い。そんなことは一度たりとも考えたことのないヒズミだったけど、ここに来て、そんな証明のような仮説が思い浮かぶ。

「……姉さんは強い振りをしていたのか。僕のために? 弱かった、守らないといけなかった僕のために、笑顔で必死に弱さを隠して強い振りをしていたっていうのか?
 サクラの奴が好きなのは、姉さんにとって、あいつが唯一強い振りをしなくてもいい、白馬の王子様だったからだっていうのかよ……?」

 スイカが誰かにただ一方的に助けられたのは……きっと、ジュンタにだけなのだろう。

 辛いことを口にしなくても、唯一無条件で助けてくれた優しい人。異世界という異常に放り投げられても、弱虫な弟を元気づけられたのも、強がって笑っていられたのも、彼という優しい人がいたから。本当に辛くなったときには、きっと王子様が駆けつけてくれると信じていたからなのか。

 そうだとすると、スイカがジュンタに出会ったときの、あの異様な喜びは、とどのつまり、スイカはあの時あの瞬間にはもう耐えられないほどに辛くて……

「……なぁ、どう、なんだろうな。ミヤタ。僕が気付いてあげられなかっただけで、本当は姉さん、今ものすごく苦しいのかなぁ?」

 それはあくまでも一つの可能性に過ぎないけれど、そんなこと今まで一度だって考えたことがなかったヒズミは、瞳から涙を零すことを我慢できなかった。

 何年一緒にいたと思っている。どれだけ言葉を交わしたと思っている。
 それなのに、言葉も交わしたことがなければ、僅かしか接したことがない相手へと質問をぶつけることでしか姉の真意を確かめられない自分が、あまりにも情けなかった。

「……その質問は、俺に問うべきことではないな。俺には無理なのだ。アサギリ・スイカについて答えを出せるのは、お前とジュンタ、二人しかいないのだろう。そして俺の仮説が正しいのなら、どちらか片方では無理なのだ」

 元よりサネアツは説教をしにやってきたのではない。ただ、何かを伝えに来ただけ。彼から答えを得ようとするのは無理であり、間違っていた。

 元々待ちかまえていたかのようにサネアツはここにいた。それはつまり、ジュンタはすでにスイカの弱さについて、半ば以上に確信を持っているということ。そこで初めてヒズミは知った。仲間に誘った自分にジュンタが言った、『俺は俺に関係している奴のために、ここで首を縦には振れない』という言葉の本当の意味を。

 彼は自分たちが知らないこの世界の友のために、首を横に振ったわけではなかったのだ。他でもない昔の友を、スイカが傷つかないように、聖地の崩壊を否定したのだ。

「俺は友達を助けたいと、そう言ったジュンタのために、自分が良かれと思っていることをしているに過ぎない。ヒズミ。お前は何のために戦うと言った?」

「僕は、姉さんのために戦うと言った」

「では、お前はお前がしたいことをするといい。姉のためにしたいことをするがいい」

 外へと視線を向けたサネアツは、ここにはいない幼なじみを心底から理解しているようだった。なのに、自分は姉のことを理解していない。サネアツの話が全て間違っているとしても、疑ってしまうのなら、それは真実姉を理解していないと同じだ。

 アサギリ・ヒズミは、姉について何か致命的なことに気付けていない――それはもう絶対だ。

「……そんなのは、言われなくてもわかってる。僕は、姉さんを支えたいんだ。そのために必要なら、ああ、お前みたいな奴の話にも乗ってやる。お前のアドバイスを実行に移してやるよ」

 サネアツとの話で再確認したのは、自分が姉のことを心底大事にしているということと、やっぱりサクラ・ジュンタは、どうしようもなくむかつく奴であるということ。

「姉さんのためなら、僕は世界だって壊してやる。それが姉さんのためになるのなら――僕は、嫌いな奴だって好きになってやる!」

 なろうと決めた。なりたかった。守られる存在じゃなくて、守って上げられる強い人間に。

 ――アサギリ・ヒズミはサクラ・ジュンタのように、アサギリ・スイカの身も心も、支えてあげられる存在になりたかった。






      ◇◆◇

 


 スイカが知った世界の真実は一つ。
 スイカが教えられた世界の真実も、一つ。

 一つは自分たちが、今なお故郷の観鞘市で両親と共に暮らすアサギリ・スイカ、アサギリ・ヒズミから分かたれた、もう一人のアサギリ・スイカ、アサギリ・ヒズミと呼ぶべき存在であるということ。

 それは即ち、聖地全ての生け贄に捧げて故郷に戻っても、自分たちの居場所はないということ。一つの居場所にいられるのは一人のみ。自分たちが両親にとっての唯一無二の娘と子供ではない限り、そこで起きるのは自分との殺し合いだ。

 万を超える人たちの命を費やしておきながら、平穏があると思っていた故郷での殺し合い。そんなもの、スイカもヒズミも望んじゃいなかった。故郷には無条件の平穏があると思っていたから、凶行を決意するに至ったのだから。

 裏切りだ。それはどんな裏切りよりも酷い裏切りだった。

 ヒズミが聖地の命を生け贄に捧げるを是としたのは、あくまでも自分ではなく姉を両親の許へと返してやりたかったから。二人して、互いを大切な家族と思っていて、互いを帰らせようとしていた。それが、全ての願いの源泉。

 けれど、この一つ目の真実はそれを容易く裏切って、意味のないものへと変えてしまった。

『聖獣聖典』を用いてヒズミを帰しても、それは彼を傷つける行為に他ならない。自分との殺し合いの果てには、きっと真実望んだ平穏などないだろうから。

 それがスイカから今回の儀式への意義を根こそぎ奪い去った一つ目の理由。

 そして二つ目。消え去った儀式への意義の代わりに、こぼれ落ちたアサギリ・スイカの生きる理由として、空虚な胸を満たした真実は……


 

 

「俺が原因で、スイカとヒズミは、この世界に連れて来られたっていうのか……?」

 そのスイカの言葉には、今日一日のスイカの様子にほとんど慌てなかったジュンタでも、慌てるなというのが無理な話であった。

「待ってくれ! それって……」

「何もおかしなことはないじゃないか。ジュンタ君も知っているのだろう? この世界の神について、その神の望みについて、そして自分が神にとってどのような意義を持つ存在なのか」

「それは……確かに、俺は知ってる」

 この世界には神がいる。遙かな古来より在り続ける、マザーという名を持つ『世界権限』という存在が。

 使徒を生み出す、まさに神と呼ぶしかないマザーの望みは世界の救済。そしてサクラ・ジュンタこそ、マザーによって異世界より選ばれし、真実の救世主となる可能性を持った特異能力持ち。故に、ジュンタは使徒となった。

「この世界に長くいたわたしは、全てを全て理解できたわけじゃないだろうけど、なんでもジュンタ君は神様にとって愛すべき存在らしいね。ジュンタ君が死んでしまうと、神様は、わたしたちをこんなところへ招いた神様は、とても困るだろうね」

 くつくつとスイカは喉の奥で笑いながら、

「困るから、実験したらしいんだ。異世界にいる特異能力持ちをコピーして、使徒にして、この異世界に招くっていう実験を。
 わたしはね、ジュンタ君。わたしとヒズミがこの世界に連れてこられたのは、わたしが使徒と呼ばれる存在だったからと思ってたんだ。わたしが使徒だったから、何の関係もないヒズミを巻き込んだ……そう、思ってたんだよ」

 笑わないジュンタを変な人でも見るかのように見て、

「でも、違った。わたしもヒズミと一緒で、何の関係もなかった。ただ、特異能力を持って生まれただけで、ジュンタ君の近くにいたってだけで、わたしはヒズミと一緒に勝手にコピーされて、使徒なんていう怪物にされて、異世界に放り込まれた。
 滑稽だ。ねぇ、とても滑稽じゃないか。何とも滑稽な理由じゃないか。ただ――

 それがなぜだかおかしいとでもいうようにさらに笑って、


「運が悪かった――そんな理由で全てを奪われて、わたしはどうすればいいの?」


 嗚咽で声がおかしくなるほどに、だけど涙を流さず泣いていた。

 きっと、もう涙は枯れ果ててしまったのだろう。ついには涙で身体全てを覆い尽くしてしまうほどに、スイカは独り、ずっと仮面の下で涙を流し続けていたのだろう。

「恨むしか、ないじゃないか。生きる理由も奪われたわたしは、恨むことを新しい生きる理由にするしかないじゃないか。酷すぎる身勝手な神様を恨んで――
 
 流した涙は戻らなかった。優しい言葉という形でも、誰かが自分のために泣いてくれるという形でも、慰めの抱擁という形でも、返ってこなかった。強がって生きてきた彼女は、ついにその強がりによって、涙を流しても誰も助けの手を差し伸べてくれなくなってしまった。

「神様に見つけられてしまった不運な自分を恨んで――

 そうして空いたとてもとても広い空洞に、彼女は憎悪を埋め込んだ。
 致命的に壊れてしまう自分を繋ぎ止めるために、小さな破壊を自分で刻むことを選んだのだ。

 だから、今アサギリ・スイカは壊れていた。

 涙と笑顔がごちゃごちゃになって、本心と嘘が自分でもわからなくなって、ただただどうしたらいいかわからない気持ちを埋めるために、さらに少しずつ自分を壊していく。壊れた部分に新しい生きる理由ぞうおを押し込んで、そうしてスイカは今、ジュンタの前に立っている。

「恨む。恨む。恨む。殺してやりたいほどにわたしは、君を恨むんだ。ジュンタ君」

 自分を異世界に招いた元凶に、サクラ・ジュンタに復讐するために。

 だけど……

「……恨まないといけないのに。そうしないともう生きていけないのに。なのに、馬鹿なわたしは、まだ君を心底から恨めない」
 
 スイカは怯えるように、一歩、一歩とジュンタから離れていく。

「こんなに近くに君がいるのに、何度も殺そうっていう意志を自分に刻みつけたのに、わたしは君を殺すことに怯えて、逃げてしまっている」

 ジュンタは離れていくスイカを無言で見送る。自分の所為で彼女とその弟を絶望に叩き落とした罪悪感とは、別の理由で。

「足りないんだ。まだ憎悪が。もっと、わたしは自分を壊さないといけない。ヒズミへの想いを最後のアサギリ・スイカの想いにして、それ以外の全てをジュンタ君への憎悪で塗りつぶさないといけない」

 スイカは纏う。泥を被るように、床に落ちた水を纏う。笑顔を、仮面として張り付ける。

「その方法はもうわかってる。簡単だ。君に嫌われればいい。君もわたしを憎んでくれれば、わたしは、きっと本当の本当に君を呪えるようになる。君を殺せるようになる。愛は、時として何よりも強い憎悪に変わるから」

 一人の少女から、聖地を血で染め上げる執行者へと。

「だから、わたしは君以外の全てを壊す。君の大切なものを傷つけて、殺して、君に嫌ってもらうんだ」

 礼拝堂の扉を潜ったスイカは、いつしか陽の落ちた暗闇へと、その身を委ねた。

 歩けば数歩の距離は、今は近づけない、あまりにも遠い距離。
 その距離のまま見つめ合ったジュンタとスイカは、そのまま、スイカが掲げた『聖獣聖典』の光に包まれる。

 この時この瞬間、ジュンタはスイカを救う方法が今ここにはないことに気付いて、自分にはないことを思い知った。

(俺が全ての原因だというのなら、俺は、きっと殺されてやらないといけないんだろうけど。……今、はっきりとわかった。俺が死ねば、本当に、スイカは壊れる。復讐を終えれば、そこにはもう、何も残っちゃいない)

 ジュンタはスイカではなく、彼女にそんな新しい生きる理由を吹き込んだ誰かを憎む。この世の隠された真実を知る、影の操り手に、怒る。

 そうだ。スイカは一体、誰にその真実を教えられたのか?

(やっぱり、あいつなのか。あいつがそうなのか)

 思い浮かぶ相手は一人しかない。マザーが干渉してくるとは思えない。リトルマザーはあり得ない。けれど、誰が言った? 世界の真実を知る存在がリトルマザーだけだと、誰が決めた?

 いるのではないか。自分が知らないだけで。この世界に、神の真実を知る神の僕がいるのではないか。その僕は悪意という形をもって、舞台をしつらえているのではないのか?

 悪魔のようなその操り手がスイカに与えたのは、ほんの僅かな間を生きるための理由だ。それは僅かな時間を生きるために、そのほかの全てを破壊してしまうもの。世界の真実すら知っていたその誰かは、きっと全てをわかっていながら、スイカに吹き込んだのだろう。

 それは、スイカに死ねと言ったも同じこと。許せない。絶対に、許さない。

「殺すよ、ジュンタ君。たくさん、たくさんわたしは殺すよ。ヨシュアたちも、フェリシィール女史たちも、ヨリも、クーちゃんも、リオンも、全部全部殺しちゃうんだ」

 白痴の笑みを浮かべて、虹の光の中、スイカは何もかもを嘘と本当か分からない、本心か虚心かもわからない自分の狂いを抱きしめる。

「いつか、君を殺すその日まで。君がわたしを嫌いになってくれるその日まで、わたしはたくさん殺しちゃうんだから。ジュンタ君は、いつまで狂わずにいられるかな?」

 口にするどんな言葉も、きっと今のスイカには破壊を加速させるから、余計な言葉口にできなかった。

 だから、ジュンタはこの一言だけを、まだ壊れていないアサギリ・スイカに贈る。


――俺にはお前を救えない。だけど、お前は絶対救ってみせる」


 光の向こう。もう見えなくなったスイカがどんな顔をしたのか、ジュンタにはわからない。

「……わたしはもう、奇跡は信じない。神様に嫌われてるって、分かっちゃったから。わたしは、もう何かを殺して壊して消すことでしか自分を保てない。わたしは、狂った獣になっていく。
 それが嫌なら――守ってみて。君が好きな人を。大好きな人を。愛している人を。それか――

 ただ、この誓いを、自分の強さとしよう。


――その前に、わたしを殺してくれても、いいよ?」


 スイカにそんな悲しいことを、もう言わせないために。

 


 

 ――そうしてサクラ・ジュンタの戦争が、灰色の地の始まりを告げる。






 ジュンタが再び前線基地へと到着したのは、『封印の地』へと戻ってきてから十分足らず後のことだった。

 再び灰色の地へ降り立ったジュンタの前に、スイカの姿はなかった。

 こちらだけ先に『封印の地』へと戻したのだろう。スイカの目的がはっきりとなった今そうだという確信はある。もうスイカはこれ以上、自分とは一緒にはいてくれない。

 けれど、ジュンタの心に迷いはなかった。やるべきことも、やりたいことも決まったのなら、後は全力で走るしかなかった。

加速付加エンチャント]を使っての全力疾走。それがジュンタの取った行動であり、聖地ラグナアーツの北門と同じ場所から、アーファリム大神殿の裏側である前線基地へと短時間で戻ってくることができた理由だった。

「とりあえず、ここまでは戻って来れたか」

 全力の[加速付加エンチャント]によって上がった息を整えつつ、ジュンタは扉の開いていない城壁を見上げる。高い城壁は[加速付加エンチャント]を使っても飛び越せない。暴発させればわからないが、さすがにそこまでやればこれからの戦いに支障が出る。

「幸か不幸か、あっち側からの対応は素早いけどな」

 いや、戦いに支障が出るどころか、射抜かれて死ぬのがオチだろう。
 城壁の上で見張っていた聖殿騎士たちが構えた矢は、聖神教を冒涜せし異端者へと向けられていた。やはり、まだ誤解は解けていないらしい。

 現状剣を持っていないジュンタに、彼らに対抗する術はなかった。時間のロスは痛いが、ここは大人しく捕まる他あるまい。無論、すでに脳内では脱獄の計画を練っているわけだが。

「城門を開け」

 手を挙げて降参の意を示すジュンタの前の壁に、そのとき扉ができあがる。地の魔法によって構築された城門は、歓迎するように開かれた。

 てっきり、空から誰かが飛びかかってくるものと思っていたジュンタは、開く城門を見て驚く。さらに驚きに顔を染めるのは、開かれた城門の向こうに見えた、城門を作るよう命じた人物が、他でもないここへと戻ってきた理由――ヒズミだったことに。

「ヒズミ」

「やっぱり戻ってきたな。サクラ」

 僅かに身構えるジュンタを見て、口をへの字に歪めながらヒズミは近付いていく。

「戻ってくると思ってたさ。お前はそういう奴だからな。だからこそ、僕はお前が気にくわないわけだけど」

 近付き、捕縛するでも攻撃するでもなく、ヒズミは横を通り過ぎていく。

「安心しろよ。ここにいた馬鹿な狂信者どもには、絶対にお前には手を出さないよう姉さんが命じておいてくれた。ついでに僕にもな。クレオメルン・シレの奴も解放してある」

「……お前は、どうするんだ?」

 敵対関係にある相手から贈られた意外な行為を、しかしジュンタは疑ったりはしなかった。
 一歩一歩、確かな足取りで城門から去っていくヒズミは、きっと嘘なんて言ったりはしない。

「僕がすることは決まってる。これまでがそうだったように、これからも変わらない」

「スイカを助ける、のか?」

「姉さんを支えに行くんだ。助けるって言葉を、僕はまだ使うべきだとは決めてないからね。全てを確かめに行くんだよ」

 十分な距離を取ったところで、ヒズミは立ち止まる。

「……今更何を言っても無駄だろうけどさ、もう一度言わせてくれ。サクラ。僕と一緒に来てくれ。――僕の仲間になってくれ」

「ヒズミ……」

「悔しいけど、お前は姉さんにとっての心の支えだったんだ。姉さんは僕を支える自分の支えとして、お前を選んだ。僕には姉さんを支えられないって、ようやく気付いた。
 姉さんには僕じゃなくて、お前が必要なんだ。サクラ。だから、一緒に来てくれ」

「嫌だ、って言ったら?」

「言っただろ? 僕は姉さんを支えるんだ、って。たとえ支えにならなくても、やること自体は変わりない。お前が来てくれないっていうなら、これ以上姉さんを惑わせないために殺すだけだ」

 ヒズミは振り返って、


「姉さんの敵であるサクラ・ジュンタって奴を殺し尽くして、お前を姉さんの味方にしてやるだけさ」


 ヒズミから向けられるのは、掛け値なしの友情。
 姉を守ると誓った一人の少年は、今姉をどうしようもなく救いたくて、手を差し出していた。

 スイカがサクラ・ジュンタを壊せないから、他の全てを壊そうとするのなら、
 ヒズミは他の全ての代わりに、サクラ・ジュンタを倒そうと決めていたのに。

 互いが互いを補完する。いつだって、この姉弟はそうやっていた。一人じゃできないことを、二人でやっていた。

「勘違いしてるぞ、ヒズミ。お前はスイカにとって必要だ。お前がいないと、きっと、スイカの奴は救えない」

 スイカを救うには自分の力だけでは足りない。このスイカにとって唯一の家族の力がなければ、彼女を救ってやれるとは思えない。

【ガラスの靴】―― それは見えない弱さに気付いてやることができなくなる呪い。
 ジュンタはスイカについて何かに気付いてやれない。ヒズミもスイカについて何かに気付いてやれない。だけど二人いれば、スイカの全てに気付いてやれるはずだから。

「だから、俺はお前の誘いを断る」

「……矛盾してる。姉さんを救いたいくせに、僕が必要だっていった癖に、仲間になるつもりがないなんて」

「いいや、俺とお前は仲間になる。スイカを助ける仲間になる。俺とお前、どっちが欠けてもスイカが救えないっていうなら、俺とお前は絶対に仲間にならないといけない。だから――

 ジュンタがスイカを目の前にして気が付いた、彼女を救うための唯一方法。ヒズミが絶対に必要だという確信。だけど、彼の仲間になって聖地を滅ぼすことなんてできないから、あと残された道は一つだけ。


――ヒズミ。お前が俺の仲間になれ」


 強引に、袂を別った友人を仲間にする。それしかなかった。

「……ようやく、僕はお前っていう人間を理解した。お前は、酷い奴だ。酷い、我が儘な奴だ」

 掛け値なしの衝撃に目を剥いたヒズミが、次の瞬間全てを理解したように笑みを浮かべた。
 共にスイカを助けたい。けれど、それぞれの立ち位置が違って、それぞれが前提とする救いの形が違う。

 だけど、共に互いを必要とするのなら、やるべきことは一つだけ。

「勝負だ。負けた方が仲間になる」

「俺とお前、勝った奴に従うんだ」

 ――戦うのみ。戦って、相手を問答無用で言い負かすのみ。

 ジュンタが勝てばヒズミはベアル教の盟主を止めて、故郷に帰る方法を捨て去る。 
 ヒズミが勝てばジュンタは大切な人たちに背を向け、異端の教徒の仲間になろう。

 大切なもののために、その他のものをかける。邪魔な甘さを捨てる。道は一つ。方法は二つ。選ぶための戦いを、今始めよう。

「ヒズミ。俺がお前を倒す。お前を屈服させて、お前と二人で、スイカを助ける」

「来るなら来い。僕がお前を支配して、お前の力を手に入れる。姉さんを支える」

 背中越しに戦うことを約束して、二人はそれぞれ前へと進んだ。

 ヒズミは姉を支えるために。
 ジュンタは友達を助けるために。

 決して、振り返ることなく。

 だって――たとえ道は違っていても、目指している場所は同じなのだから。









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