第五話  前線の少年少女


 

『封印の地』に足を踏み入れたそのとき、輝ける騎士たちに魔獣が獰猛に牙を剥いた。

 餓えた魔獣はおめおめと灰色の地へやってきた新鮮な肉を、ギチギチと歯を鳴らし、瞳を輝かせて歓迎した。

 その瞳が驚愕に染まることになるのは、行進する騎士たちが一糸乱れぬ足並みを見せ、その足並みが止まることを知らないのを見たとき。灰色の地全てを揺るがすような行軍の音は勇ましく堂々としており、この地の王をも恐れぬ白銀の騎士団であることを魔獣たちは理解した。

 そのときには全てが遅かった。

「疾く駆逐せよ」

 先頭に立った翡翠の戦闘総指揮官より下された命に、騎士たちは持っていた槍を鋭く前に突き出す。くすんだ灰色の大地を輝かせる槍は、瞬く間に入り口であり出口にむらがっていた魔獣を掃討した。

 魔獣の身体より流れ出た血液は、乾いた土に吸い込まれる。
 地面が翡翠の男の力によって流動し、辺り一帯に波紋のように広がったのはその次の瞬間のこと。

 乾いた大地には、この千年の間与えられることのなかった祝福が与えられ、活力を漲らせる。大地はその場に整列を始めた騎士たちの具足をしっかりと受け止め、聖殿騎士団の前線基地の基盤を固めていく。

「浄化は完了した。総員、ただちに前線基地の設置に移れ! フェリシィール・ティンクが到着する頃までには、全てを終わらせるぞ!」

 前もって決められていた役割通り、俊敏に動く騎士たち。運び込まれた機材を分配し、いくつものテントを設置。地属性の魔法を扱う魔法使いたちは辺り一帯を囲む城壁の構築に取りかかり、見張り台には早くも兵が配置に付く。

 やがてそこに姿を現したのは聖神教の陣。最後に『封印の地』に現れたジュンタやフェリシィールが到着したときには、すでに前線基地は完成に近くなっていた。

 


 

『アーファリムの封印の地』に到着してから一日が経過した。

 今なお魔法によって強固さを増していく城壁で囲まれた前線基地の、中央より後方に僅かに下がったあたりに、百を優に越すテントの中、一際頑丈で大きなテントは設置されていた。

 近くに設置された美しさと光沢のある使徒の生活場所となったテントとは役割を異ならせたそのテントは、前線基地における作戦本部となっている。今そこには此度の戦いにおいて重大な役割を担う面々が列席していた。

 一番の上座に『総司令』使徒フェリシィール・ティンク。同じく上座に並ぶ使徒ズィール・シレを筆頭に、彼の近衛騎士団、聖殿騎士団の各師団長、協力を要請されたシストラバス騎士団の団長代理であるリオン等々、そこに並ぶ面子は皆一様に高い位に位置するに値する貫禄を備えていた。

 ……場違いだろう。この上なく。頭に子猫なんぞを乗っけた、サクラ・ジュンタなど。

「さて、こうして我々が『封印の地』に到着してから、約一日が経過しました」

 会議が始まる中、円卓に近いテーブルを囲んだ椅子に腰掛けるジュンタは、リオンの隣でひたすら身体を縮めていた。あちらこちらから『誰だお前?』とか『どうしてここに?』とか『きちんとしろ』だとか、そういう視線が突き刺さってくる。できれば無視して欲しい。存在ごと。

「前線基地の設置は何の不備なく完了しました。周辺にいた魔獣の駆逐も滞りなく終了。かねがね予想通りの開幕になりますね」

 フェリシィールも説明に困ったのか説明無しで会議を始めるし、ズィールはズィールで何も言うことはなかった。ジュンタとしては、ここにいる面子くらいになら使徒であることがばれてもいいかなぁと思っていたのだが、いい意味でも悪い意味でも予想を裏切られました。

「我々はこの前線基地を『封印の地』における本拠地とし、魔獣の駆逐に移る。最終的な戦略目標は変わらない。『アーファリムの封印の地』にいる全魔獣の駆逐だ。が、まず当面我々が目指すべき場所は、ここだ」
 
 ここ、とズィールが円卓中央に置かれたでかい地図の一点を指で指し示す。

 地図は聖地ラグナアーツを中心とした、四つの巡礼都市を含んだ『聖地』と呼ばれる地域一帯の地図。ここ『アーファリムの封印の地』の地形は、聖地の地形とほぼ同じなのである。よって、ズィールが指したサウス・ラグナの地が意味することは一つ。

「ベアル教が用意した城塞『ユニオンズ・ベル』。ここを叩くことをまずは第一目的に据える。恐らくはその際、我々はドラゴンとの戦闘を行うことになるだろう」

「ドラゴンと戦う……」

 ドラゴンという単語に、隣のリオンが反応を示す。自覚があるのかないのか、その指は右手中指に填めた指輪をなぞっていた。

 リオン以外の面々もドラゴンと戦うことに反応を示すも、それは動揺ではなかった。本来なら回避し、竜滅姫に任せるべき竜滅だが、今回においては違うのだ。使徒という神獣の力をもって倒すべき強敵――その認識が正しい。

「帰還のために必要なこの場所を守護しつつ、わたくしたちは順次ベアルの城を目指して進軍します。進軍のルート上で遭遇した魔獣は全て倒していき、最終的に過半数以上の戦力をもって城を落とすことになると思います」

 一つの城を落とすことに、フェリシィールもズィールも一切油断はしていなかった。最大の戦力をもって相対するに値すると、そういう認識が両者にはあった。

 ここでは口にしないが、恐れるべきはドラゴンだけじゃない。異能の弓を有する盟主や底知れない力を持つ『狂賢者』など、強敵はベアルの城に全て集まっている。

「皆、心せよ。『ユニオンズ・ベル』を落とせるか否かが、此度の聖戦の勝敗を分けるだろう」

 つまり――ここが天王山。


 

 

       ◇◆◇

 


 

『ユニオンズ・ベル』までの道が確保できたそのとき、全てを決する戦いは始まる。それは逆を返せば、それまではさしてやるべきことはないということである。

 もちろん、騎士たちの中には付近の魔獣の掃討、野営の準備等々、やることはたくさんある者もいるのだろうが、生憎とジュンタのような客分とも呼べる者たちは暇だった。

 リオンもその中の一人である。リオンはゴッゾよりシストラバス家の騎士団の全采配を受け取っている。騎士団が竜滅のために尽力するというのなら、それはまたリオンも剣を揃えるということ。

『不死鳥聖典』を用いての竜滅ではなく、使徒ズィール・シレの援護という形なので、リオンの肩にかかる重さはさしてない。以前にも相対したドラゴンと戦うことに思うところはあるも、役目が決まっているのなら、そのために全力を尽くすだけだ。

 だから、その瞬間が訪れるそのときまで、リオンの紅の瞳はただ一人の少年に向けられていた。

「判断が遅い!」

 振り分けられたテントの前、持ち込んだティーセットでいつもと変わらぬ紅茶をいれてみせたユースの腕に舌鼓を打ちながら、じっと百メートルほど向こうで鍛錬に勤しむジュンタを観察する。

 双剣を構え、地面を強く蹴って、鍛錬の相手であるシストラバス家の騎士エルジン・ドルワートルに立ち向かっているジュンタ。そこに先日まであった焦りや不安は感じられない。

 いや、焦りや不安は残っているのだろう。ただ、今自分がやるべきこと、やれることを見つけて、それに集中しているのだ。エルジンが振るう剣に立ち向かう姿勢には目が向かってしまうところがあり、剣戟の音も澄んでいた。

「立ち直りが遅い! それでは敵に首を差し出しているようなものだぞ!」

「あ」

 小さな声を出し、リオンは片手しかないエルジンに軽くあしらわれ地面に倒れたジュンタを見て腰を浮かす。

 ジュンタはすぐに立ち上がったため、浮かした腰はすぐに戻ったが、そわそわと落ちつきなく指を動かしてしまう。まいった。これでは不安と焦りを感じているのは自分の方ではないか。

「リオン様、少し落ち着かれては。騎士エルジンは加減をわかっていらっしゃいます」

「ぞ、存じてますわ! 別に、訓練では怪我の一つや二つ当然ですもの。ジュンタがどれだけ傷つこうとも、心配などいたしません」

「では、先程から空のカップを指で遊ばれているのは、どういった理由からなのでしょう?」

「え? いえ、これは……」

 従者からの意地悪な問い掛けに、リオンは口を噤んで八つ当たり気味にジュンタを睨みつけた。

 そう、別に折角ここに自分がいるというのに、今すぐにでも訓練の相手として付き合って上げられる格好の自分がいるのに、わざわざ他の騎士と鍛錬していたエルジンに修行を付き合ってもらっていることにむくれているわけではない。エルジンが教育者として自分より優れているのは理解している。

「別に、ただ少し退屈なだけでしてよ。ここは前線基地だというのに、戦いはまだ先という話ですもの」

「今は英気を養っておいて欲しいという意味合いなのですから、素直に休まれていてはいかがでしょうか。ここの地の空気は独特なものがあります。無理をしてしまえば、身体を壊してしまうかもしれません」

「そんな柔な鍛え方はしていませんわ。心配するのでしたら、ジュンタの方をなさい。まったく、何をどうやって不安を取り除いたのかは知りませんけど、相変わらずハードな修行を続けているのですから」

 すでに一時間以上もジュンタはエルジンとの鍛錬を続けている。

 剣の師であるトーユーズがいない今、ジュンタにとって教えを請うべき相手はエルジンであるらしい。的確な厳しさをもって剣を振るうエルジンと訓練を行うジュンタは、真剣そのものだ。

 不安と焦りに取り憑かれ、練習相手をモノのように見て、澱んだ剣を振るう姿よりは百倍いいが……なぜ相手が自分ではないのか? リオンとしては、そのことが少々おもしろくないのを認めざるを得なかった。

「その辺りの判断も騎士エルジンの仕事でしょう。リオン様、さぁもう一杯紅茶をどうぞ」

 そんな気持ちを恐らくユースは察しているのだろうが、認めるのは癪である。
 リオンはジュンタを見たままカップに新しい紅茶をいれてもらって、そのまま口へと運び、

「折角ジュンタといつも一緒にいるクーたんがいなくて、ジュンタと仲良くなる絶好のチャンスなのにぃ。放っておかれて、リオンちゃんってば寂しいんだぞ〜」

 ぶはっ――と、リオンは唐突に横手からあがった声に、口に含んだ紅茶を吐きそうになった。

 口を神速の動きで抑えて、間一髪淑女としてあるまじき行為を堪えることに成功したが、代わりに紅茶が下手な場所に入って声をあげることができない。涙が浮かぶ目は、よっこらしょという感じでテーブルの上に乗ってきた子猫を捉えているというのに。

「サネアツさん。どうぞ、紅茶になります」

「うむ。熱すぎず、さりとてぬるすぎない。猫の舌によくあった紅茶だ。さすがだな」

「ユース! 何あなたは普通に出迎えてますのよ!」

 紅茶をサネアツに振る舞うユースに、リオンはガーと吼える。
 眼鏡とポーカーフェイスの奥に素顔を閉じこめたメイドは、主の咆哮など毎日聞いているかのように慣れた動作で背後に下がった。いい訳すらないあたり青筋が浮かぶ。

「ジュンタと出会ってからというもの、絶対に私侮られてますわよね!?」

「人間、所詮は等身大の評価しかもらえないということだな。今までの評価が間違いだったのだろう。感謝するがいい、リオン・シストラバス。今お前は素顔の自分を見てもらっているぞ」

「あなたに言われても嬉しさ皆無ですわ」

 小さなカップを器用に持って紅茶をすするサネアツに、疲れたようにリオンは着席した。

「しかし、我ながら見事な声真似だったとは思わないか? お前の心情をよく把握し、表していたと自負しているのだが」

 いきなり無許可で同席して言うことはそれか――リオンはどぎつい視線を飄々とした子猫に送って、ついでにうんうんと頷く従者を睨みつけた。

「どこがですの。騎士たる私が、たとえ戦闘中でなくとも戦場に色恋沙汰を持ち込むとでもお思い?」

「戦場など、男と女の恋が燃え上がる絶好のシチュエーションではないか」

「戦場とは神聖なるものですわ。それを忘れてしまえば、ただ獣が食い合う地獄となります。色恋沙汰など不謹慎ですわ」

「ほぅ、残念だ。何かしらの進展があるものと思っていたのだが。ユースも残念だったな。ミスタより進展があったかどうか報告を義務づけられているのだろう?」

「はい、非常に残念です」

「こ、この二人は……!」

 心底残念そうに同意するユースに、リオンはぷるぷると肩を震わす。

 自分がサネアツの正体について知らなかった間、師弟関係やら友人関係やら何やらを築きあげていたらしい二人。互いが互いのちょっとどうかと思う部分を増長させている気がするのは自分の気のせいだろうか?

「ユースまでサネアツの毒電波にやられてしまいましたのね。悲しいことですけど、受け止めなければいけないことなのですわ。戦場では人は一人。孤独なものなのだ、と」

 仲良くなるほどに不安に思えてくる二人から視線を逸らし、リオンはジュンタを見た。

 さすがに一時間以上も続けて限界だったのか、ジュンタとエルジンの訓練は終わった様子。最後の反省を含めた注意を、ジュンタはエルジンから受けているところだった。

「ジュンタもがんばるものだな。ああも勤勉に訓練に励むジュンタなど、俺が知る限りでもかなり少ないぞ」

「そうなのですか? 私が思うに、ジュンタ様はコツコツとやられる方のように思われるのですが」

「ああ、それは違うぞ。断言してもいい。あれは努力をしなくとも何かをなすことができてきた人種だ。基本的に器用なのだ、ジュンタは。要領もいいしな」

 二人の話を聞いて、リオンはなるほどと思う。聞けばジュンタが剣術を始めてまだ一年にも満たないというではないか。使徒としての魔力などがあったとしても、ジュンタの成長速度は尋常ではない。

 リオンは自分に強い相手と戦ってみたいと思う一面があることをよく理解していた。ジュンタとももう一度本気で戦ってみたいと思う。あのときからずいぶんと自分も強くなったが、果たしてジュンタもどれだけ強くなったのか。非常に興味がある。

 つまり今ちょっとおもしろくないと感じているのは、ジュンタと戦いたいのに戦えなかったからなのだろう。ジュンタに構ってもらえないわけでは、きっとない。

 ……確かに、最近は色々とあったので、満足にジュンタと会話もしていないのは確かだ。結局誕生日の日にも進展らしい進展はなかったし、それはつまり彼への恋愛感情に気付いてから今日まで何の進展もないということ。

(予定ではすでに手どころか腕を組み、町中をデデデデートしていてもおかしくなかったはずですのに。これも全てもベアル教が悪いのですわ! ……少しだけ、私が勇気を出せなかったのもあるかも、ですけど) 

 ありがとうございました。と、大きな声と共にエルジンへと頭を下げたジュンタを見て、自分が恋愛方向へと思考が向かっていることにリオンは気付く。

 はっとなって首を横に振る。いけない。これでは本当にサネアツのいうとおりになってしまう。戦場にいるのだ。恋愛事にかまけているわけはいかない。公私混同など不謹慎の極みだ。ジュンタのことは好きだけど、この聖戦が終わるまではひとまず思考の片隅に追いやっておかなければ。

「それに……」

 小さな呟きに、リオンは懸案事項に対する複雑な心境を乗せた。

 考えるのは、共に馬車で聖地ラグナアーツへとやってきた少女のこと。敬愛すべき金色眼の神獣にして、倒さなければいけないかも知れない相手――スイカ・アントネッリ。

「……スイカ様は」

 彼女はリオンにとっても気になる相手であった。
 それは彼女がジュンタのことを、もしかしたら好きなのではないかと思ったからだ。

 ……リオンは斬れる。たとえ相手がスイカであっても、戦いの場で敵同士として向かい合うことになったら、彼女のことを斬れるだろう。その結果彼女が死んだとしても、許容できる。

 けれどジュンタは違う。それでもまだ守ろうと、救おうとしている。その温度差が、たぶん今は一番ジュンタに近づけない理由だ。

 嫉妬、なのかも知れない。これは自分の好きな人に、こんなにも強く思われているスイカ・アントネッリに対する嫉妬の感情なのかも。

 これまで誰かに嫉妬することなどほとんどなかったリオンは、今一判断がつかない。
 ただただジュンタのことを目で追って――視線が合うと、頬を染めてしまうだけであった。


 

 

「ありがとうございました!」

 暇ができた時間を有意義に使うべく、エルジンに訓練相手を頼み込んだジュンタは、訓練終了と共に頭を下げた。

 騎士とは礼節に始まって礼節に終わるもの。トーユーズとの訓練ならば特にそのまま倒れようと関係ないのだが、エルジンなどのシストラバスの騎士との訓練にあっては、最初と最後のあいさつは欠かしてはいけないのだと、骨身にしみてわかっていた。シストラバスの騎士たちはお嬢様に近付く悪い虫とこちらを認識しているのか、よく絡んでくるのである。

 今にも座りたい気持ちを隠して、ジュンタは頭をあげる。

 隻腕ながら、自分よりも遙かに高い技量を見せたエルジンは大して疲れていないようで、さすがだった。

 エルジンが態度で本当の本当に訓練の終了を告げたのと同時に、ジュンタは身体から力を抜いて、額に浮かび上がった汗をふき取る。

「常に気を張っていろとはいわんが、すぐにだらけるのはどうにかならんのか?」

「それ、先生のいつもの姿を思い出しても言えます?」

「……まぁ、貴様はアレの弟子だからな。そこまでは俺もとやかくいわないことにしておこう」

 眉を顰めて、エルジンは前言撤回する。本来の師であるトーユーズのいつもの姿。隙はないがものすごくだらけている姿を知っているエルジンとしては、下手なことは言えないらしい。

「すみません。訓練を頼んだのはこっちなのに」

「気にする必要などない。下手に臨時の師に合わせて、本来の師の教えを背くのは勧められないからな。それに貴様の訓練を見ることは、ランカの街を立つときにトーユーズから頼まれていたことでもある」

「先生から?」

「そうだ。さぼっているとは思わないが、無茶をしそうだと言っていた。暇な時間があれば見てやって欲しいとも頼まれたか。あれがああも弟子のことを心配しているのを見るのは意外だったからな。引き受けてやったというわけだ」

「そうだったんですか。何か色々とお見通しって感じですね」

 道理で他のシストラバスの若手騎士を鍛えていたのを中断してまで、自らこちらの訓練に付き合ってくれたわけである。ジュンタとしてはお邪魔ならいいと思っていたのだが、騎士であるエルジンが約束事を反故にしないのは分かり切っていた。

「しかし、ジュンタ・サクラ。訓練相手を引き受けることはやぶさかではないが、俺で良かったのか? 屋敷にいた間、貴様はリオン様と訓練を共にしていたのではなかったか?」

「うっ。それは……」

「もしや、何か不埒な真似でも及んだか? だとしたら……」

「してない! してませんとも!」

 ただでさえ鋭いエルジンの眼孔がさらに鋭く光る。それは彼の娘であるエリカと親しく話していると、どこからともなく感じる鋭い視線とよく似ていた。大した忠誠心である。あと親バカ。

「そういうことじゃないですよ。ただ、何度か戦ってみて、今の俺じゃあ訓練の相手を務めるのも満足にならないってわかっただけです」

「当然だな。今の訓練を見てもはっきりとしている。貴様は初見の相手にはその太刀筋のいやらしさからある程度虚は狙えるが、二度目以降の相手では勝率がガクンと落ちる傾向がある。正統から外れた剣によくあることだ」

「そんな状態で訓練しても、俺はともかくリオンの訓練にはならないでしょう? 屋敷にもここにも、俺よりずっとリオンのいい訓練相手になる人はいます。あいつだってもっと強くなりたいんだし、ここは俺が我慢しないと」

「なるほどな。要は訓練でも負けるのが悔しいから、というわけか」

「人がそれらしい理由を折角考えたのに、まったくもって無視しますね」

「ふんっ、もし本当にそんな理由でリオン様を避けているなら、本気で叩きのめすだけだったのだがな。残念だ」

 ジュンタにはエルジンがどういう理由でそれを言ったのか、いまいちわからなかった。ただ、もしかしてリオンも一緒に訓練したいのかなぁ、とは思う。訓練が始まったときから、ずっと遠くの方からこちらを見ていたし。今はサネアツたちと楽しそうに話しているようだが。

「それで、エルジンさん。俺は今どれくらい戦えますか? 今の自分にできること、できないこと、それをちゃんと知っておきたいんです」

 視線を遠くのリオンから剥がして、再びエルジンに固定する。

 エルジンは残った左手で顎に触れると、軽く考え込んだ。

「……そうだな。相手が魔獣であるならば、ワイバーンを単独で倒すことも可能だろう。貴様の属性と魔力性質は、ワイバーンのような速度が厄介な敵には効果的だ。
 逆にオーガとの戦いは避けた方がいい。一撃よりも手数を選んだ貴様は、強い一撃でなければ倒しにくいオーガとの相性はあまりよくない。もっとも、武競祭でリオン様相手に使った技を用いれば勝利はできるだろうがな」

「[稲妻の切っ先サンダーボルト]ですか。それで終わりの戦いならともかく、状況が連戦ならあれは使えないですよ。負担が大きすぎます」

「ある程度のセーブを覚えろ。貴様の動きには無駄が多く、貴様の魔力は無駄使いが多すぎる。使徒として多量の魔力を持っていたとしても、使えなければ宝の持ち腐れだ」

「そうなんですよねぇ。魔力の運用だけは全然上達しなく、て…………ごめんなさい。今、何て言いました?」

「宝の持ち腐れだと言ったのだ。きちんと聞いていろ」

「その前ですよ。俺を指して、使徒、って言いませんでした?」

「言ったが。それがどうした?」

 聞き間違えか比喩表現だと思ったのだが、エルジンから返ってきたのはそんな返事。間違いなく、エルジンはこちらが使徒であることを知っていた。一体いつから知っていたのか。少なくとも、今日昨日に知った態度ではない。

「いつから俺が使徒だってこと知ってたんです。いえ、もしかしてもしかすると、シストラバス家の人ってみんな、俺が使徒だってこと知ってるんですか?」

「そういうことか。安心しろ。貴様が使徒であることを知っているのは裏・騎士団関け……一部の部下を束ねる地位にある者だけだ。エリカのような使用人は知らん」

「それはよかったような、そうじゃないような」

 ばれてもエルジンの態度が変わらないのは素直に嬉しいのだが、なんか釈然としないのは、自分が知らない内に幾人かに知れ渡っていたからか。特別口を噤むようお願いしていないとはいえ、誰がばらしたのか判別つくので、何か不穏な動きを感じてしまう。

 なんとも言えない気持ちになって口をモゴモゴさせるジュンタ。

「いい機会だから言っておくが――

 エルジンは一際鋭く眼孔を潜めて、ジュンタを見下ろした。

――使徒であることを利用してエリカを誑かそうとしたら……わかっているな?」

「サ、サー・イエッサー!」

 いや、釈然としないものを感じるのは、もう少しだけ優しくなって欲しかったなぁ、という気持ちだったんだな。たぶん。

 


 

       ◇◆◇


 

 

『封印の地』に昼夜などはない。空は曇天に近い灰色に覆われ、日光はおろか月光も見えない。騎士たちは鐘によって知らされる時刻によって現在時刻を知る。ジュンタのように時計を有している人間は極一部でしかなかった。

 パチパチと火がはぜる音が聞こえてくるように、現在の時刻は午後六時――夕食の時刻だった。といっても、いつどんなときでも戦いに移れるように休憩や食事は交代制なので、前線基地内にはほのかにいい匂いが終始漂っていた。

 これもまた周りの魔獣を集める一つのエサであるわけだが、お腹も減り始める時刻、匂いに集まってくるのはお腹を空かした男たちである。

 魔獣討伐に出ていた者。見張りについていた者。訓練をしていた者。色々とあるが、慣れない場所で疲労も激しい。一日の最後を締めくくる食事は、体内時計をきちんと働かせて体調を整えるためにも、朝食昼食より豪華で賑やかだった。

 テントの前で小さなたき火を起こし、それぞれ受け取った食事を仲間と一緒に囲む騎士たち。この辺りの野営の様子は、聖地の騎士といっても特に変わりがないようだった。

 それと同じように、リオンの前に並ぶ料理もまた変わりない。

 笑い声が聞こえてくる中を歩き、夕食が用意されている自分用の大きなテントに入ったリオンの前に並べられたのは、テーブルにきちんと配膳された夕食であった。それも一品料理などではない。フルコースである。

「お待たせしました、リオン様。お料理の方ができましたので、どうぞお召し上がり下さい」

 給仕を務めるユースが椅子を引いて迎えてくれる。しかしリオンとしては、その席につくのが少しだけ躊躇われた。

 他の騎士たちよりも遙かに上等な料理を食べることを気にしているのではない。前々からこういう料理がリオンにとっての料理だったし、折角ユースが手間暇かけて作ってくれた料理を前にそういった躊躇は生まれない。ただ、それでもここ数ヶ月でリオンの食事風景は大きく変わったのだ。

 前は使用人がずらりと並ぶ中、ゴッゾがいるときは彼と、いないときは一人で食べた。
 さして会話をすることはなく、美味しい料理に舌鼓を打つ――それがリオンの以前の食事風景。

 しかしここ最近は、いつだってテーブルには会話が絶えなかった。それはジュンタやクー、サネアツなどが一緒の食卓についていたからだ。彼らは静かにすることを知らないように、こちらまで巻き込んで騒ぐ。ゴッゾも満更ではないようで、いつのまにかそれを普通の感覚としてリオンも受け入れていた。

 だからか、今一人で食べると何となく味気ないものに感じそうで、視線は自然とテントの外に向いてしまう。

 そこではシストラバスの騎士たちが、大きなたき火を囲んで食事を行っていた。
 
 微かに肌寒い灰色の世界の中、たき火を大勢で囲む温かさは、囲いの外にいるリオンには羨ましいものに見えた。豪快に笑い、豪快に食べる。そんな光景の中にジュンタがいるとなお疎外感は募る。

「リオン様。もしよろしければ、外へと食事を運びましょうか?」

「そういうわけにも行かないでしょう。私は上に立つ者として、そう易々と騎士たちと食事の席を共にすることはできませんわ」

 ユースが気を利かせてくれたが、さすがにリオンもあそこへと入っていくのは戸惑われた。男ばかりというよりも、自分が入ることであそこの雰囲気を壊しそうなことが理由で。

 リオンはユースが引いたまま待っていてくれた椅子に腰掛けると、並べられた食器に手を付ける前に、そっと目を閉じて胸の前で手を組んだ。

「偉大なる我らが神と、我らを導きし使徒様。今日も生きる糧を与えてくださったことに感謝いたします」

 生まれてからずっと口にしてきた食事前のお祈りの言葉もまた、最近変わり始めた。文こそまったく変わりないが、使徒へと祈る行為がどうしようもなく、ジュンタに重なって何とも言えない気持ちになる。
 毎日毎日ジュンタへ感謝を捧げるとなると、クーあたりにとっては嬉しいことかも知れないが、彼の性格を知る者としてはいささか釈然としないものを感じてしまう。

 組んだ手を離して、リオンは食器へと手を付ける。

 湯気を漂わせる料理の数々は、ユースが腕前を惜しみなく使った結果。連れてくるわけにはいかなかった屋敷の厨房のシェフと比べてもさほど遜色ない出来栄えであった。

(そういえば、また料理の練習をしないといけませんわね)

 料理に手を付けながら、リオンはそんなことを考える。

 以前ジュンタに振る舞うために料理を作ってみたリオンだったが、結果は失敗。ゴッゾを含めた試食者を全滅させるという結果に終わった。正直、あれは凹んだ。自分としては最大限のセンスと知識を駆使したというのに、なぜあんな劇物ができあがったのか。

(料理などより、お菓子作りの方がよろしいかしら。ジュンタは甘いものが好きですし。でも、だからこそ味にはうるさそうですわね。やはり簡単な煮込み料理からやるべきかも)

 舌の上でとろける味を覚えるように飲み込みながら、リオンは自分の中で明日への知識として蓄えていく。

(料理の修業でしたらここでもできますし。上手くいけばジュンタと一緒に食事を取ることだって)

 視線をお皿の上からテントの外へと向ける。変わらず笑い声が聞こえてくるそこからは、ジュンタの悲鳴に似た声が聞こえた。きっとまた騎士の誰かにからまれているのだろう。

――別に、よろしいのではないでしょうか?」

 唐突に、後ろで控えていたユースがそう言った。

「ユース? 何がいいたいのか、それだけではわかりませんわよ?」

「これは失礼しました」

 振り向いたリオンと視線を合わせ、メイドの本分を忘れないユースは、主を思って先程の言葉に主語を付け加えて繰り返した。

「では改めまして。よろしいのではないかと私は思います。公私混同を避けるためといって、好きだという気持ちを押し殺してまで戦いのことを考えなくても」

「それは……」

 ユースが何を言いたいのかに気が付いて、リオンは食器を皿の上に置いた。

「リオン様のお考えは立派だと思います。人の生死、聖地の存亡が関わる今回の戦い。待機の状態だとしても、戦闘の心構えは崩さないというのは。ただ、私の目には、ジュンタ様も決してそれを忘れてはいないように見えます。その上で、ああして他の騎士たちと自然体で笑っているのだと」

「私の方が、切り替えができていないと?」

「ドラゴンと戦うということに気を張りつめすぎなのではないでしょうか。それではお疲れになってしまいます。もう少し楽になって、ジュンタ様に甘えればよろしいかと。好きな人と一緒にいるのですから、たとえここが戦場でも、その気持ちを少し表に出しても誰も文句はいいませんよ」

 今日一日、どこかジュンタとの間に壁を感じた。それはてっきりジュンタが作っていたものだと思っていたが、どうやら違っていたらしい。

 ユースの言葉がストンと胸に落ちて、それがわかった。壁を作っていたのは自分の方。ドラゴンとの戦闘が、たとえ直接自分が滅すわけではないが控えた今、色恋沙汰を持ち込まないようにと気を張っていたからなのだろう。

 正直をいえば、今こうして食事しているときにもジュンタのことを考えてしまっている自分がいる。恥ずかしながら、進展して欲しいと願っている自分が。

「戦いが激化する前に、後悔しないようアタックを再開してみればいかがでしょう? 戦地にあっては、もしかするとそういったことが大事なのかも知れませんよ」

「ユース……ええ、そうかも知れませんわね」

 リオンはふっと微笑んで、穏やかな表情で外の思い人を見た。

 戦地にいながらも、他の場所にいるかのように笑っている少年と、うん、やっぱり少しでも近くにいたい。

 この場だけではない。この先も、ずっと。ずっと。

「決めましたわ、ユース。私、この地で全てを決します!」

「ついに決心なされたのですね。微力ながら、私もご協力させていただきます」

「ありがとう。それでは、あとでジュンタを食後のティータイムにでも誘いましょう。ユース。お茶の用意は頼んでもよろしくて?」

「畏まりました。とびきり甘いお茶菓子を用意しておきましょう」

『封印の地』の中で、リオンは初めて笑顔を浮かべた気がした。
 恋はいつだってどんなときでも止まらないもの――そうと気付いたリオンは、再び料理を口に運ぶ。

 少し冷めてしまった料理は、しかし先程よりも美味しく感じられた。

 


 

       ◇◆◇


 

 

 二日もすれば『封印の地』の感覚にも慣れてきたのか、騎士たちの中にも暇を持て余し始めたものがでてきた。

 かといって、こんな寂れた場所に暇つぶしの場所があるわけもない。よって必然的に暇つぶしとして始まったのは、実戦訓練の名を借りた騎士同士の戦い。それを観覧し、裏にて行われる賭けであった。

 無論上層部は許可などせず、真面目な騎士などは俗物的だと近付くこともしないが、今や誰にも止められることなく戦いはヒートアップしていた。

「勝者! ウィンフィールド・エンプリル!」

 騎士の決闘に則って戦いは一対一。今回の戦いで敵を下して勝者として呼ばれたのは、ジュンタより少し年上くらい青年騎士だった。

 名をウィンフィールドといった彼は、肩で息をしながら気怠げな笑みを浮かべている。彼の足下に倒れている騎士はあまり人気がないのか、観客となった騎士たちの歓声は非常に大きなものだ。

「まったく、聖地の聖殿騎士ともあろうものが……嘆かわしいことですわね」

 そんな歓声と興奮に紛れて、即席リングを見通せる位置に近付いていたジュンタは、隣のリオンが憮然としていることに苦笑を浮かべる。

「仕方ないだろ。ずっと気を張ってろなんて言えないし、だからフェリシィールさんとかも見て見ぬ振りをしてるんだろ」

「私だって、気晴らしが必要なことくらいわかってましてよ。実戦訓練の名を借りた喧嘩じみた戦いくらいは許容する精神は持ち合わせていますわ。ですけど、裏で賭けの対象にするのは気に入りませんわね」

「とはいっても、ここまで盛り上がってたら止めるに止められないだろ」

「そうですけど……」

 騎士たるもの高潔であるべしという心得に染まりきっているリオンには、騎士の決闘を賭け事の対象とすることは考えられないことらしい。きっと武競祭のとき、彼女は自分の戦いが賭けの対象とされていたことに憤慨していたに違いない。

 ジュンタとしては、こういうのも一つの楽しみ方だと思っていたので、特に感じるものはない。むしろ先程賭けの割り当てを見て、財布の中身を確認してしまったくらいである。

「これを止めようと思ったら、あれだよな。それこそ自分が参加して、勝って勝って勝ちまくって、対戦相手をゼロにするくらいの方法しかないだろうな」

「私の剣を見せ物にしろということですの? しかも賭けの対象に。嫌に決まってますわ!」

「そういうと思った。なら、放っておくしかないだろ」

 こういうのが気に入らないのなら、無視するのが一番である。
 しかしリオンは間違いと思うものから逃げることには反対で、再び始まった戦いから目をそらせなくて、う〜とどうしたものかとうなり声をあげていた。

 そんなこんなの間に、再びウィンフィールドが勝者として名前を呼ばれる。これで六人抜き。若いのに大した強さのようだ。

「そうですわ!」

「うぉっ! い、いきなり大きな声を出すなよ!」

 ウィンフィールドに気を取られている中、突如として大声をあげたリオンにジュンタは耳を押さえる。リオンの突然の大声にはまだまだ慣れない。耳が遠くなる日も、そう遠いことではないように思われる。

「で、何を閃いたんだ? お前のことだから、そこまで画期的な案じゃないだろうけど」

「言ってくれますわね。一分の隙もないくらい完璧な案だといいますのに。まぁ、驚くのは私の案を聞いてからでも遅くはありませんわね」

「お前の代わりに俺が出場して勝ってこい、ってところだろ?」

「先に言わないでもらえませんか!」

 意地悪くそう言うと、リオンは頬を少し膨らませて睨みつけてきた。
 鋭くというより上目遣いで見上げてくる感じなので、かわいくは思うも恐くはない。

「まったく、そこは気付いても気付かないふりをするものでしょうに。これだからジュンタは……それで、どうしますのよ? 修行にもなりますし、一石二鳥ではありません?」

「とはいってもなぁ。俺はお前みたいにここにいる聖殿騎士たちを何人も勝ち抜けるほど強くないぞ?」

「大丈夫ですわ。聖殿騎士団の精鋭は同時に敬虔なる信者の割合も高いですから、このような賭け試合に参加しているのは一般クラスの騎士くらいのものですもの。それでもあなたよりは強いでしょうけど、ジュンタは持久力ありますし、初見の相手には戦いにくい剣術を使いますもの。本気の本気でがんばれば、絶対無理とはいかないのではなくて?」

 リオンから初ともいえる賛辞に、ジュンタは目を見開き、そのあと視線を明後日の方向へ向けて首の後ろに触れた。

「けどだな、俺としてはあまり目立ちたくはないわけで」

「もう、煮え切らない男ですわね。あなたトーユーズさんから聖殿騎士団に喧嘩を売ってこいとか言われていたではないですの。これも修行の一つだと思ってがんばってきなさい」

 眉を逆ハの字にしたリオンは、そのあとなぜか口ごもった。

 視線をキョロキョロと下へ向けて、前で組んだ指を動かす。何やら照れているように頬は染まっていて……どうしてだろう。視線の端の方に今、子猫を頭の上に乗せたメイドが応援する姿が見えた気がするんだけど。

「で、ですけど、あなたにもご褒美はあって然るべきですわよね。私は優しいですから、何も賭け試合自体を止めろとはいいませんわ。五人。いえ、十人抜きしたら私の方からあなたにご褒美を差し上げますわ」

「ご褒美って、どんな?」

 照れながらも口にするリオンの褒美に興味を引かれて、ジュンタは半ば参加する気で目の前の少女を見た。

 一体どんなものをくれるのか。リオンに限って金銭ではないだろうから、何か珍しい道具か何かだろうか。そんなことを思っていると、意を決したようにリオンは決然とこちらを見据えてくる。髪をかき上げ、さもなんでもないことのように、そう言った。

「褒美といえばこれしかありませんものね。十人抜きをしたら、頬へ口づけして差し上げますわ」

「………………………………へ?」

 


 

「…………俺ってつくづく現金だよなぁ」

 周りを簡単なついたてと人の壁で区切った、円形の闘技場の真ん中へと足を踏み込んだジュンタは、双剣を握りつつどうして戦うことになっているのか頭を悩ます。いや、悩む必要などどこにもないのだが。

「ジュンタ、いいですわね! 必ず勝ちなさい! 負けたら承知しませんわよ!」

「わかってるって。くそぅ、あいつがあんなことを言い出すから」

 かなり切実に叫ぶリオンは、急遽用意された貴賓席の真ん中に座っていた。横にはどこからともなくサネアツを引き連れて現れたユースが陣取っており、周りからの好奇の視線を主に降りかかるのを防いでいた。正確には、防ごうとした結果さらに視線を集めていた。

 リオンは有名な竜滅姫であり、それは聖地においても特別な意味を持つ。特に騎士にとっては憧れの対象だ。リオンの周りの騎士たちは、さっきの野太い歓声をどこに忘れたのか、前髪を気にしたり、鎧を気にしたりしつつ背筋をピンと伸ばしていた。

 しかし歓声を送る数は減ったが、歓声自体は先程よりもさらに大きくなり興奮度を増していた。

 それもそのはず。リオンの来訪が誰にもばれていないはずがなく、先程の会話も盗み聞いていた者がいたのである。それも複数名。そんな彼らから噂は広がり、今この闘技場に決定事項として広まりきった噂は、

「絶対ですわ! 死守。死守なさい! 私の唇は誰にでも与えられるような安いものではなくてよ!」

 ここで十人抜きをしたら、それが誰であっても、リオンに褒美として頬へキスしてもらえるというものに早変わりしていた。

 リオンの提示した褒美で参加する気になっていたジュンタは、その噂のせいで勝たなければいけなくなっていた。今更ここで嘘でしたとは言えない状況だ。

「勘弁してくれ。参加受付に駆けつける騎士の数、さっきよりも倍増してて、あからさまに強そうな奴も増えてたじゃないか」

「勘弁して欲しいのはこっちだっての、めんどくさい」

 ジュンタのぼやきに答えたのは、対戦相手であるウィンフィールドであった。

 簡素な白い鎧をつけた彼は、その手に普通よりも柄が短めの短槍を握り、垂れ目がちな緑の瞳で恨めしそうにこちらを見ていた。

「シストラバスのお姫様があんなことを言った所為で、オレは現在信頼すべき仲間から非難囂々。負けろ、すぐ負けろ、即負けろという熱い応援を受けてるところだ」

 ボサボサな茶色の髪を掻きむしるウィンフィールドは現在八人抜き。あと二人に勝てばリオンのご褒美をもらえる立ち場に彼はいた。そんな彼は完全にアウェイ。飛び入りながら、ジュンタの側には爆発的な応援が向けられていた。好意からではない、リオンの唇を死守するためだけの応援ではあったが。

「俺の所為じゃない……と思う。それに、そっちが何のために参加したのかは知らないけど、オッズは滅茶苦茶あがってたぞ」

「まぁ、小遣い稼ぎで参加したから、その辺りはそうなんだけど……まぁ、いいか。どちらにしろ戦うなら勝つ方が面倒は少なくて済むし。痛いのは勘弁だ」

 気だるげなやる気のなさそうな雰囲気とは裏腹に、ウェンフィールドはチラチラとリオンの顔を盗み見てはやる気を滾らせている。このむっつりめ。意識してるのがバレバレだ。

 リングの中央で、ある程度の距離をとって向かいあう。

 レフリーはリング内にはいない。これまでの戦いを見ていた中で、どのタイミングで始めるかはわかっていた。

「聖殿騎士団・第八師団第一大隊第二小隊隊長――ウィンフィールド・エンプリル」

「『誉れ高き稲妻』トーユーズ・ラバスが弟子――サクラ・ジュンタ」
 
 先に名乗るは挑まれし者。後に名乗るは挑戦者。
 互いに掲げた剣先を合わせ、騎士の聖句を刻み合う。

――正義は我にあり。我が正義のための聖戦を』

 正義を貫くと誓い合い、そうしていったん距離を取ったのち、二人はぶつかり合う。

 聖殿騎士団本隊は近衛を除けば、基本的に十の師団からなる。一つの師団は二十の大隊を抱え、一つの大隊は十の小隊を抱える。一つの小隊は五人からなるため大隊は五十人。師団は千人構成ということになる。師団を統括する者は師団長。大隊を統括するものは大隊長。そして小隊を統括する者は小隊長と呼ばれる。

 ウィンフィールドはその小隊長に該当する。位でいえばそう上の方ではないが、これまでの試合において、彼は大隊長クラスを叩きのめしていた。実力のみならず指揮能力を問われるため大隊長にはなれなくとも、彼は腕前においては大隊長クラスにあるのだろう。

 数度刃を合わせただけで、それとわかる。今はこれまでの戦いの疲労により動きが鈍っているが、このウィンフィールドは常ならば全力であたらないと負けていた。

 普通より短めの短槍は、射程を捨てた代わりに小回りがきくようになっている。さらには時折片手で操ることによって、予想もつかない角度から迫ってきた。

 ジュンタは突きのラッシュを双剣で受け流すことによって凌いでいく。
 少しずつ背後へと下がらせられているが、この試合、決して勝てない試合ではない。

 何よりも――負けるわけにはいかない!

「はぁッ!」

 腕に力をいれ、受け流す防御から弾く防御へと変える。
 急に攻撃直後のタイミングを変えられたウィンフィールドは、一瞬槍を引き戻すのを遅らせた。

 その隙に懐へと一歩踏み込んで、その胸元を肩で思い切り押す。それで体勢を崩して、回転するように双剣の連撃を叩き込んだ。

 これまで遙かに格上の敵とばかり戦ってきていたジュンタにとって、戦いとは長く続くものであったが、実力が伯仲する者同士の戦いでは僅か一刀で勝敗が決することもあるという。様々な要因が絡んで実力が伯仲していたウィンフィールドとの戦いは、その次の瞬間決まった。

 鮮やかかつトリッキーな動きで連撃を捌いてみせたウィンフィールドが、再び攻勢に移ろうとした隙を狙って、一気にジュンタは勝負を決めに出る。

 踏み込んだ足を中心として、魔力を用いて加速。身体を包み込む虹の雷を加速装置として、微かなスパーク音と共にジュンタの姿はウィンフィールドの視界から消えた。

「これは[魔力付加エンチャント]か!?」

「ご名答だ」

 予想外のものを見たという感じで足を止めるウィンフィールドの背後に回っていたジュンタは、クロスさせた双剣を彼の首もとに向けていた。誰の目から見ても、この攻防で勝者は明確だった。

 ウィンフィールドがリングの外で待機していた審判へと横目を向ける。 

 審判は心得ていると頷いて、高々と勝者の名を叫んだ。

「勝者! ウィンフィールド・エンプリル!」

「ちょ、どういうことですのよ!」

 ジュンタが疑問の声を上げる前に、審判に食ってかかったのはリオンだった。

「今のはどこをどう見てもジュンタの勝ちでしょうに! 身内だからといって贔屓するとはどういう了見ですの?! それでもあなた信仰の徒たる聖殿騎士でして!?」

「お、落ち着いてください! 贔屓などではございませんから!」

「では、どういうことですのよ!? ななな、なんで私ががんばろうと思うといつもこうなりますのよ! 神様は私が嫌いですの? そこのところ実際どうなのですか!?」

 リオンが審判の胸倉を掴んで前後に揺する。自分の唇がかかっているとなると、リオンも容赦している余地はないらしい。竜滅姫の一挙手一投足に注目していた騎士の幾人かが夢が壊れたという感じで笑みを引きつらせ、また幾人かが親しみを覚えたよう。すでにリオンが口走ってるのは、揺すられている騎士とは関係ない事柄に及んでいるっぽいが。

 そんな風に周りを見る余裕があったジュンタは、双剣を鞘におさめてから、ウィンフィールドに尋ねる。

「もしかして、この試合って魔法の類は禁止だったのか?」

「そういうこった。間違いなく負けたのはオレの方だけど、試合自体はオレの勝ちってことになる。悪いな」

「いや、知らずに参加した俺も悪いんだし」

 禁止されていた魔法を使ったがための失格。ジュンタの敗因はそれだった。

「そ、そんな……まさか、こんな落とし穴があっただなんて……」

 同じく審判からそのルールを聞いたリオンが、ガクリと肩を落とす。非常に申し訳ない。ご褒美をもらうどころか一試合ですら勝てないとは。

 いや、しかし本当にどうしよう。ジュンタとしても、好意を寄せるリオンの唇を頬といえ他の男にあげるのは気にくわない。事故に見せかけて、このフィンフィールドを仕留めるべきだろうか。
 いやいや、かといってリオンはリオンで決して約束を違えたりはしないだろうし、うやむやにはできないか。実際に約束したわけじゃないのは置いておいて。

 どうしたものか――そう悩むジュンタの耳に、そのとき男たちの悲鳴が入り込んできた。

「邪魔です! 次はアタシが参加するっていってるでしょうがです!」

「うげっ」

 甲高い少女の声が響いたのは、参加受付のある方向だった。そちらへと視線を向けてみると、先にそちらを向いていたウィンフィールドが青ざめているのがわかった。

 彼の視線の先をよく見てみると、身の丈二倍はあろうかというのハルバートを振り回す、いやにちみっこい少女を見つけることができた。桃色のスカートの上に白銀の甲冑をつけた、深緑の髪を持つお人形さんみたいな少女である。

「上官命令! 予約もクソもないのです! アタシが参加するっていってるんですから。いいですね? もちろん嫌とはいわないですよね?」

 脅すように受け付け兼賭けを受け持っていた騎士を睨みつける少女に、顔を青ざめさせて騎士はコクコクと何度も頷く。

 よろしい――花咲くような笑顔と共に、少女はリングへ悠々と進み出てきた。

 どうやら彼女がウィンフィールドの十人目の対戦相手として決まったらしい。近くで見ると、その小柄さがよくわかる。

「それで、ウィンフィールドさんや。そこのレディーは一体どなたさんなんだ?」

「聖殿騎士団・第八師団師団長ベリーローズ・フォルバッハ! そこの死んだ魚のような目をしている金の亡者の上司の上司です!」

「ちなみに御歳二十三歳。主に歩兵として前線で戦う第八師団において、最強最悪のチミッコだ。ついた字が『暴投ロリータ』」

 恐れ入ったかと言い感じで小さすぎる胸を張るベリーローズに、ウィンフィールドは補足説明をいれる。

「だっれが、『暴投ロリータ』です! 一人前のレディーに向かって、それはあまりに嘗めた発言です! そもそも、誰がウィンをここまで育ててあげたというのですか!」

「育てられた記憶が微塵もねぇよ」

 二十三歳なのに十歳ちょっとにしか見えないベリーローズは、肩で切りそろえられたふわふわな髪を振り回して、子供みたいに顔を真っ赤にして怒り出した。どこをどう見ても子供である。

 師団長と小隊長と離れてはいるが、個人的な付き合いがあるのか、ベリーローズとウィンフィールドは仲が良さそうだった。もしかしたら、ウィンフィールドがリオンにキスされるというのが許せないと乗り込んできたのかもしれない。

「なのに、リオンお姉様の唇を狙うとは不届きにもほどがあるのですよ! 今日こそは教育してやるですから、覚悟するです!」

 違ったらしい。ベリーローズがリオンを見る視線には、危険な何かがこめられていた。

「あ、審判。オレ棄権します」

「って、恐れをなして逃げるとはどういうことですか! ちゃんとアタシにギッタンギッタンにされるです!」

「リオン。お前、本当にそっちの気があるんじゃないだろうな?」

 ウィンフィールドとベリーローズに付き合ってられないとリオンたちのところへ移動したジュンタは、そこで初めてベリーローズによって吹き飛ばされた騎士たちの中に、女性騎士も多くいたことに気付く。思わずリオンに懐疑の視線を投げかけてしまうのは無理のないことといえよう。

「とにかく良かったな。あのベリーローズって騎士、滅茶苦茶強いぞ。男にキスするのは避けられるっぽいな」

「それが負けた者の台詞ですの! ええいっ、こうなったらもう自分の剣で全てを切り開きますわ! 審判! 私が参加します!」

 疑惑と共にポンと肩を叩いてやると、リオンはやけくそだと叫んで、逃げたウィンフィールドに代わってベリーローズの前に立つ。ウィンフィールドを叩きのめしたかったらしいベリーローズだったが、相手がリオンというのなら話は別らしく、もじもじと頬を赤らめて身をよじっていた。

「いやぁ、見物だよなぁ。聖殿騎士団の師団長クラスはどれくらい強いんだろ」

 ジュンタは何やらユースから非難が混じった視線をぶつけられていることに気付きつつも、努めて気付かないふりをして始まった試合を観覧する。

 試合を見てわかったことは、師団長クラスはリオンレベルの使い手であるということだった。いや、頼もしい限りだよ。
 

 



 それが前線においての束の間の平穏。二日目までの様子。
 ジュンタが強くここが戦場だと理解することになったのは、三日目からであった。










 戻る進む

inserted by FC2 system