Epilogue




 ――ジュンタへ。

 この言葉がお前のところへ届くことを祈って、遺言を残そうと思う。
 柄じゃないって思うかも知れないし、嘘だと思うかも知れないけど、僕は本当にお前に感謝してるんだ。だから忠告とお願いを、ここに残す。

 まず第一に忠告だ。お前、自分をきっと極々普通の人間だと思ってるだろうけど、


 ないから。お前、変態だから。世界トップクラスの変人ですから。


 自分を普通だと思いたい気持ちはわかるし、慢心しないところは褒めるべきところだと思う。だけど、その上で自分が普通じゃないってことを自覚するべきだね。お前は幸福なことに、ピンチとかでも何か変なパワーに目覚めて復活を遂げるけど、普通の人間はそこで普通に死ぬんだ。

 だから間違えるな。お前は使徒なんだ。優しい使徒で、格好いい使徒なんだ。

 僕のことは全然気にしなくていいけど、この先そういう奴に出会ったら助けてやってくれ。僕のことを後悔するなとか言っても無駄だと思うけど、なら代わりに、目の前で傷ついた奴がいたらそいつを全力で助けてやってくれ。

 まぁ、簡単に言ってしまえば、自分勝手なお前に僕は一つの制約を残す。
 
 お前はこの先、困った奴がいたら助けないといけない。傷ついた奴がいたら癒さないといけない。

 何も言わなくてもお前はそうするだろうけど、たとえ自分を見失っても、魔竜になっても背負わないといけない制約だ。僕はここでいなくなるから、お前が魔竜になっても助けてやれない。だから、そんな時はこのことを思い出してくれ。

 次にお願い……だけど、その前に八つ当たりを残させてくれ。


 僕は最初、お前が大っ嫌いだった。 


 最初は姉さんを惑わして、奪っていく最低な奴だと思った。
 僕はこの世界で姉さんを傷つけようとする奴をたくさん見てきたから、お前もそんな奴の一人だと思ったんだ。ほら、姉さんってあんな調子で危なっかしいから、誰かが見てあげないとさ。

 でも、お前は違った。ある意味では誰よりもその通りだったけど、少なくともお前は姉さんに笑顔をくれた。

 お前と一緒にいるときの姉さんは、いつも楽しそうで、幸せそうだった。
 姉さんは我慢しちゃうし辛いのを隠すから、たぶんそれを止めさせることは僕でも無理だけど、それでも姉さんが幸せに生きるにはお前が必要だと痛感したよ。

 だから、僕はお前を認めて、託す。


 姉さんをどうか、幸せにしてやってくれ。


 お前がシストラバスの奴を好きなのは知ってる。たぶん、お前のことだからあいつ以上に誰かを愛することはできないんだろう。だけど、同じくらい愛することはきっとできるはずだ。
 二番目とか、愛人とか、たぶん姉さんとしてはそれでも満足なんだと思うから、頼む。シストラバスの奴が駄々をこねるかも知れないけど、この手紙を見せれば一発だと思う。あいつ何気に涙もろいし、こういうのに弱いから。

 きっと、お前がこの手紙を読んでいるときにはまだ、あの姉さんのことだから肝心なことを伝えてないんだろうね。なんで俺なんだとか、普通にお前戸惑ってると思う。だけど、きっといつかわかるときが来るから、僕の言葉を忘れないでいてくれ。

 ん。そーだな、あんまりたくさん残してもあれだから、この辺りで遺言は終わりにする。

 僕がお前に向ける感謝の数十分の一でも伝わったなら、とても嬉しい。だって、そんなものは僕がお前への感謝の中の塵ぐらいに過ぎないってわかってもらえるから。

 じゃあ、僕がなかなか認められなかった新しい世界で、みんなと仲良く生きてくれ。
 姉さんをくれぐれもよろしく。もしも悲しませるようなことがあったら、化けて出てやるからな! 死ぬまで姉さんを泣かせるなよ!!


 ――――アサギリ・ヒズミより。

 ――――親愛なる親友にして義兄へ。
 






 今日という日は何とも穏やかだ。うららかな春の陽気が気持ちいい。
 はらはらと舞い落ちるピンク色の花びらは、日本人の心をどこまでも和の神髄へと引き寄せてくれる。 

「あ〜、実篤がいないだけで、なんて平和に感じるんだ」

 佐倉純太がいつも使っている通学路ではなく、あえて遠回りして桜の並木道へと足を伸ばしたのは、今日という日がとても穏やかに始まったからであった。

 それはいつも一緒に通学している幼なじみが、今日に限って用事があると言って先に出かけたからである。そんな静かな朝にはちょっと早めに家を出て、桜並木へと足を伸ばしてみたくなるものだ。偶には純太だって、この世が平和だってことを思い出してみたかった。

 宮田実篤のいない朝には、通学路で不良が待ちかまえていることもない。
 どこの誰ともしらない外国人から、身に覚えのない取引を持ちかけられることもない。
 春の桜並木には桜が舞い散るばかりで、どこにも物騒な気配なんてない…………

「おや、誰かと思ったら純太さんじゃねぇですかい」

「ああ、平和って見えないからこそ尊く思えるんだよなぁ」

 なかったらとっても嬉しかったのですが、どうしているかな物騒な人。

「?? 春の陽気にでも頭がやられちまいましたかい?」

「酷いこと言わないでくださいよ、雅さん」

 桜並木の向こう側から、大きな樽を担いで現れたのは、何とも厳めしい大男であった。目にはサングラスをかけており、頬には傷跡。黒いスーツをつけているのにシャツは派手という、どこからどう見ても堅気じゃない人だった。

 名前を仙道雅という。『ミヤビ』と呼ばれるのが嫌みたいで『マサ』と人には呼ばせている、何というか普通にヤクザな人である。

「こんなところで奇遇ですねぇ。純太さんも桜の美しさに吸い寄せられちまった口ですかい?」

「も、ってことは、雅さんもですか? そんな大きなビール樽が必要ってことは、家族総出で花見ですか?」

「ははっ、わかりますか。親父が突然花見をしようなんて言いだしましてね。まぁ、朝からどんちゃん騒ぎってわけですよ」

 もうこれまでの会話で明らかではあったが、現実問題雅はヤクザである。しかしにこやかな笑顔は、そこそこ友好的なヤクザであることを示している。ちなみにこの辺りで純太はちょっと、普通にヤクザと話している自分が悲しくなっていた。

 とあることから一つの『組』と知り合ったあと、時間経過と共に話すようになった雅さん。恐いときはものすごく恐いのだが、基本的には堅気には手を出さない、面倒見の良い人である。樽を抱えているのだって、率先して自分が買い出しに行った結果だろう。

「どうです? 純太さんも一献。なぁに、気にするこたありません。親父たちもみんなも大歓迎です」

「実篤ならここで頷いたでしょうし、花見には心惹かれますが、さすがに新しい学年になって最初の登校日にサボりは遠慮させてもらいます」

 今日という日は久方ぶりの登校なのである。なのに実篤には用事があるという。雅たちが花見をしていると聞いて密かに疑いを抱いていたが、どうやら違うようで微妙に一安心。

 純太は手に持った鞄を見せて、やんわりと断りをいれる。
 雅は樽を抱えたまま、ニヤリとダンディな笑みを浮かべた。

「ははぁ、ついに純太さんも最終学年ですか。こいつぁ、いよいよってところですかねぇ」

「どういうことです?」

「なに、若人よ。青春せよ、ってことです」

「はぁ……?」

 意味深な雅の言葉に眉を顰めると、彼はあからさまに誤魔化しの笑みを浮かべた。何とも怪しい。怪しいが、雅の容姿に深く突っ込むことは躊躇われる。くそぅ、こういうとき厳めしい面は便利である。

「それじゃあ、そういうことなので俺はこの辺で。組長さんにもよろしくいっといてください」

「へぇ、行ってらっしゃいませ。きっと学校が終わる頃はまだここらで騒いでると思うんで、もしよろしければ寄っていってくだせぇ。親父が喜びます」

「気が向いたらそうします」

 まぁ、ある程度距離を測って付き合えば、雅ら強面の集団もそこそこ楽しい相手である。もしも放課後暇だったら、実篤を誘って花見としゃれ込むのもいいかも知れない。

 純太は放課後の予定を立てつつ、雅の見送りを受け、学校へと歩いていった。

「純太さん」

 その背に、どこか楽しげな雅の声が、届く。

――お嬢のこと、よろしく頼んますぜ」

 それは春風の招いた空耳かは、わからない。

 純太が振り向いたとき、雅は向こうの方へと行ってしまっていた。彼が先の台詞をどんな思惑と意味を込めて口にしたかもわからない。

 ただ、お嬢と雅が呼んだ相手のことだけは覚えている。ずっと昔、まだ幼かった頃、今こうして朝霧組と知り合う切欠にもなった女の子のことははっきりと覚えていた。

 もうずっと会っていない友達。弟想いの優しいお姉さん。名前の知らない、誰も教えてくれない、女の子。

「そういえば、今はどこで何をどうしてるんだかなぁ」

 久しぶりに思い出して、純太は足を止める。

 遠いところへ行ってしまった友達に想いを馳せるように青空を見上げ、舞い上がる春の匂いに、黒縁眼鏡の奥の目を細めた。






『もしも関係ないお前に願うことが許されるのなら――俺は、俺へと頼みたい。

 俺は彼女を泣かせない約束しか守れなかったから、せめてそっちでは、親愛なる親友にして義弟の遺言が果たされることを願いたい。

 俺があいつの残した制約をもらい受ける。だから、お前はあいつの残した願いを――






「…………あ」

 小さな呟きが、そのとき耳に入り込んできた。

 まるで春風が大事な何かを届けてくれたように、その声は妙に浸透する。

 前を向いた。ほんの少しだけ強い風に長い黒髪を揺らす少女が、黒い瞳を大きく見開いて、そこに立っていた。

 綺麗な少女だ。どこか中性的な印象ながらも、起伏に富んだスタイルの良さは抜きんでたものがある。だが、今時の若者にあるような過度な派手さはない、どこか慎ましやかな空気は、古き良き和を思わせる。

 舞い散る桜を背に佇む少女は、何がそんなに嬉しかったのか、ふんわりと微笑んだ。

 ドクンと心臓が揺れた。自分と同じ学校の制服を着ているが見たことのない彼女を一目見て、純太は見惚れてしまった。

「おはようございます」

「お、おはよう」

 見とれていた時間はどれくらいか。気付けばあいさつをしてきた少女に、純太は返事を返していた。

 偶然に道で出会っただけというには、どこか少女に感じる距離は近かった。
 それは正しかったのか、その場から少女は動くことなく微笑みを向けてくる。

「嬉しいな。こんなところで出会えるなんて思っていなかった。でも……うん、とっても嬉しい。変わらない君でいてくれたことが、わたしはとても嬉しいんだ」

 その声。その笑顔。少しだけ人より素直で率直な物言いは、純太には既知のものだった。

 偶々少し前に彼女のことを思い出していたからか、目の前の美しい少女の姿が、幼い日の友達の姿と重なる。

 間違いない。とても綺麗になっているが、目の前の少女はかつて共に遊んだ女の子で……

「姉さん! ちょっと待ってよ!」

 そんな彼女を後ろから呼んで駆け寄ってきたのは、見たことのない少年だった。

 全体的に目の前の少女に似た容姿で、少し男性として、また頼りなさを加えればこんな少年ができあがるかも知れない。彼は自分と同じ観鞘学園の制服を身につけていたが、やはり見たことはなかった。

 それでも純太は彼のことも知っていた。
 少女のことを姉と呼んだ以上、誰であるか知るのは容易い。

「あそこに僕一人おいてくなんて何考えてるのさ! 今日は転校初日だっていうのに、僕は飲酒状態だよ!」

「ヒズミ。お酒は二十歳になってからだ。そういうのを破るのは、お姉ちゃんいけないと思う」

「また、なんてずれた発言。時差ボケで寝ぼけているわけじゃないよね? ……ないよなぁ」

 姉のちょっと悲しそうな視線に、少年は深々と溜息を吐いた。そのあと、ギンッ、と鋭い視線を投げかけてきた。

「で、こいつ誰? もしかしてナンパ?」

「え?」

 と、小さく喜色の声をあげたのは少女だった。

 彼女の弟はそんな姉の姿を見て、睨む強さを跳ね上げた。

「その態度。まさかコイツが……認めない! 僕は認めないからなぁ!」

 突如として一人納得して叫びをあげる少年を見て、むくりと純太の中で悪戯心が鎌首をもたげる。

 しかし初対面であるので、今はそっとして置こう。うん。それがいい。だってまだ、彼女との再会のあいさつすらしていないのだから。

「久しぶり。って、言うべきなんだろうな。これは」

「っ! 覚えてて、くれたんだ……」

「思い出したっていう方が正しいかも知れないけどな。それで、今度は名前を教えてくれるのか?」

「って、そこぉ! なに僕のこと無視して――

「うん、教える! 今度こそちゃんとわたしの名前を、君に覚えてもらいたいから」

――姉さんまでぇ……!」

 弟君が感動の再会に水を差し込んでくるが、ここはスルー。そう、無視である。断じて無視すべきだ。そうするべきであると決めたのだから、気にしてはいけないいけない。

 かつて名前を教えてくれなかった少女もまた、弟のことはスルーする。きっと彼女は天然だろうが、それだけでシスコンらしい彼は撃沈した。

 視界からフェーズアウトする少年。一応彼のことを忘れていなかった少女は、彼を慰めるように肩を叩いて、自分よりまず先に彼の紹介をした。

「この子は火澄。わたしの弟だ。それでわたしが――

「姉さぁああぁああああああああんッ!?」

 桜の花びらが舞う中で、彼女は堪えきれなかったというように思い切り抱きついてきた。

 なびく黒髪。香る微かな蜜柑の香り。
 かつての日と変わらぬ笑顔をジュンタの目と鼻の先で浮かべて、少女は名乗った。



――――朝霧水歌です。うん。今日からとても楽しくなりそうで嬉しいなっ」



 佐倉純太は、そうして朝霧水歌と再会した。

 春の日。桜の中で、もう一度出会いを果たした。

 それがどんな結末へと至るかは、まだわからない。けれど、幸せそうに微笑む水歌を見て、純太の胸の鼓動は痛いほど高鳴っていた。

 始まりを予感させる季節の中の再会。

 それはきっとこの青空の下で繰り広げられる、何でもない物語の始まり。

 


 

 結ばれざるものと結ばれるもの。破綻してなお託される少年の願い。
 同じ場所から分かれた糸は別々の糸と結ばれて――そうして想いは巡り、巡る。










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