第十一話  開かれた瞳


 

 大砲か投石機の一撃のような豪腕がウィンフィールドに迫る。

 一気にギルフォーデとウィンフィールドに詰め寄ったボルギィは、その巨椀で殴りかかった。ハンマーの投擲で得物を砕かれたウィンフィールドは、同じ無手のフィールドにあがった時点で敗北は避けられない運命ように思われた。

 傷を押さえながら、突如始まった敵の仲間割れを見るリオンは、ここでようやく異形と化したボルギィの実力をしかと目に焼き付けることができた。

 技が特別優れているわけではない。特殊な能力があるわけじゃない。
 純粋なるパワーとスピード。身体能力がただただ異常。ただの拳が戦術兵器と化し、分厚い筋肉に覆われた肉体はあらゆる攻撃を無効化する。

「これは無理、だろっ!」

 ウィンフィールドはギルフォーデを守って戦ったが数合も持たなかった。

 ボルギィに比べてしまえば枯れ枝のように細いその身体は、先程のハンマーを凌ぐ一撃をもらい、小石のように吹き飛んだ。

「オォオオオオオ――!」

 血色の吐息を吐き出すボルギィは倒れたウィンフィールドには見向きもしない。その理性を取り戻した瞳は、ただ一人ギルフォーデにのみ向いている。

「これはこれは、なるほどドラゴンスレイヤーによって術式が破壊されてしまいましたかぁ。思わぬ誤算ですねぇ」

「ギルフォーデ……」

 ボルギィは怨嗟の声をあげている。地獄の底から響くような声だ。

 雄叫びというほど大きくはないが、それでも大気が揺れていた。全身全霊をこめて相手を呪う、それは呪詛の声だった。

 そんなものを向けられたギルフォーデはさすがに余裕がないようだった。
 視線はボルギィに向いているが、思考はどうやればこの場から逃げられるか、それだけを考えているようにリオンの眼には映る。

「もちろん私の術で狂っていたときの記憶は、都合よく失ってくれていたりはしませんよねぇ?」

「お陰様で……新鮮なのが一番なんだろ?」

 ギルフォーデからの質問にボルギィは皮肉で答えた。それが何よりも彼が理性を取り戻している証だった。

「貴様に対する憎しみはあの日から何一つ摩耗していない。ギルフォーデ・レブラス・ジ・シーデング。よくもオレを裏切ってくれたな!」

「何せ私は裏切りのギルフォーデですからねぇ。裏切りこそが存在意義です。故に――ウィンフィールド! 私を守りなさい!」

 大きな声で指示をして、ギルフォーデが会話の途中で後ろに跳ぶ。

 それより早く拳を振り上げたボルギィが動いていたが、さらに彼より早く、起きあがったウィンフィールドがギルフォーデの前に立ちふさがっていた。

「ぐはっ!」

 真正面から再びボルギィの拳を受けて、ウィンフィールドは口から夥しい血を吐いた。骨が折れ、内臓に刺さったのだろう。鈍い音に混じって何かが折れた音が聞こえてきた。

 それでもウィンフィールドは後ろのギルフォーデに当たる前でボルギィの拳を止めていた。何度も血を吐きながら、面倒くさそうな眼でボルギィを見る。

「たくっ、こんな拳を受けろだなんて、無茶にもほどがあるぜ……下手したら今ので死んでたっての」

「安心してください。脳と心臓さえ壊れていなければ、あとで私が治して差し上げますからぁ」

「まったく嬉しくねぇよ」

 ボルギィが逆の拳を振り上げたのを見て、ウィンフィールドは壊れかけの身体に鞭を打って回避した。

 跳んで逃げて、着地したのはギルフォーデの前。そこで彼は血と肉片を唾と一緒に吐き出すと、そこに落ちていた砕けた短槍の石突きを蹴り上げた。

 破片は再び地面に落ちる。何の意味もないように見えたその行動。しかしリオンには見えた。ウィンフィールドの指先から、細く透明なワイヤーが伸びて地面に垂れていることを。

「ボルギネスター・ローデ! その男は槍使いではありませんわ! 暗器使いです!」

「ご名答、ってね」

 ウィンフィールドが腕を振るう。それに合わせて、床がブロック状に切り裂かれて浮かびあがった。ブロックはさらにウィンフィールドが腕を振るうことで細切れになり、土煙をあげてボルギィになだれ込む。

「なら、真正面から戦わないってわかるだろ?」

 土煙に紛れて、ウィンフィールドの声が天井へとあがっていく。土煙が消えたとき、そこにはワイヤーを使って器用に天井に張り付く蜘蛛みたいなウィンフィールドの姿があった。

「おい、ギルフォーデ。さっさと逃げろ。ここはオレが足止めしてやる」

「ありがとうございます。では、死なないようにお願いしますよぉ。何せボルギィは私の最終傑作ですからねぇ。たぶん、強さでいえばメンバー中最強です」

「無茶な注文は早死の元だぜ」

「逃がすか!」

 背中を見せて走り出したギルフォーデを追い、ボルギィが床を砕きながら走り出す。

「おっと。そっちこそ追わせませんよ、と」

 その巨体が天井から降りてきたウィンフィールドのワイヤーによって拘束された。四肢にからみついたワイヤーは本来触れたものを切り裂くほどの威力。しかしあまりの筋肉故に切り裂くことができず、拘束用の太いワイヤーのように制限を与えるだけ。

 本当は降りるのに合わせ、首に巻いたワイヤーを使ってボルギィを引き上げ窒息死させようとしたのだろうが、生憎とボルギィの身体が浮くことはなかった。

「はっ、大したもんだな。これでも割と暗殺術には定評があったんだけど」

「……解せんな。貴様はなぜギルフォーデを守ろうとする?」

 部屋から消えたギルフォーデの方を見ながら、ボルギィはウィンフィールドに意識を向けた。恐らく彼も気が付いたのだろう。ウィンフィールドを倒さないことには、ギルフォーデを殺すことも追うこともできないのだと。

 飄々とした立ち振る舞いのウィンフィールドだが、その顔だけはまったく笑っていない。瞳にこめられているのは、ボルギィのそれとよく似た絶対の意志のみ。

「貴様も気付いているだろう? ギルフォーデは人の命を冒涜し、裏切りの快楽しか求めていない狂気の徒だと。彼女を治療させる引き替えに仲間になったようだが、あれが本当に治してくれるとでも思っているのか?」

「ヤケに実感がこもってるな、ボルギネスター・ローデ。まるで実際に似たようなことを体験したみたいだ」

 ボルギィの視線が初めてウィンフィールドに向く。
 その筋肉がさらに膨張したことで、ワイヤーがぷつんと音を立てて切れた。

「おお、怖い。こちとら諜報員なんでね、それくらいの情報は知ってるさ。ギルフォーデを信頼した結果どんな眼に遭うかもな」

「ならば、なぜ?」

「決まってるだろ。それ以外に方法が考えつかないからさ」

 床に散らばった槍の破片を蹴り上げ、切れたワイヤーの代わりを補充するウィンフィールド。どうやら短槍の柄の中に大量のワイヤーを隠し持っていたらしい。

「あれが世界一の治癒術師だってことに変わりはないし、オレにはあいつを頼る以外に道がない」

「怪物に……されるぞ?」

「望むところだ。オレはあいつが怪物にされても、それでも大事にできる自信がある。惚れた弱みだ。いいぞ、馬鹿にしろ。自分が馬鹿なことをやってるってことは、オレが一番よく知ってることだからな。へっ、オレの生まれてからこれまでの人生全部がパーだ」

 リオンにわかるのはそれくらいのことだけ。
 ボルギィとウィンフィールドが交わす遣り取りの意味はまったくわからなかった。

「……若いな」

「ああ。若いさおっさん。大恋愛中羨ましいか!」

 ウィンフィールドが手を振り上げる。放たれたワイヤーは何もない空間を切り裂いた。

 ワイヤーに捉えられる前に、ボルギィの身体が霞んで消えていた。またウィンフィールドも消え、部屋の壁に叩き付けられていた。一瞬の早業。ウィンフィールドからしてみれば、自分が攻撃したのに攻撃を受けたのは自分だという意味不明な状況だろう。

 壁はボルギィの一撃の重さに耐えきれず崩れ落ちる。その向こうにあったのは外。どうやらこの場所は外壁に接しているらしい。ウィンフィールドの身体は瓦礫と共に消えていった。

 闖入者が消え、この場に残ったのはリオンとボルギィの二人。最初に戦っていた二人のみ。

 リオンは僅かに回復した身体に鞭打って剣を構える。

 対してボルギィは構えを取ることなく、ギルフォーデが消えた通路へとゆっくり歩いていった。

「お待ちなさい。このまま行かせてもらえると、そう思っていまして?」

「行かせてくれ、リオン・シストラバス。オレはギルフォーデの奴を殺すために今なお生きているのだから」

 きちんと呼ばれた自分の名を聞いてリオンは駆け出した。

 ドラゴンスレイヤーは炎を纏いボルギィへと迫る。が、鉄をも両断する一撃は、ボルギィの手のひらで受け止められてしまった。

「行かせるはずがないでしょう? 余計な闖入者は現れましたが、これは私とあなたの決闘。あなたは私の敵です。祖父を殺したときあなたは確かに理性を持っていた、その事実があるだけで戦うには十分です」

 そのまま剣を押し込みながら、至近距離からリオンはボルギィを睨んだ。

 突然の豹変と仲間割れ。何か深い理由があるのは明らかだったが、それでもボルギィが犯した罪は消えない。祖父を殺した仇である以上、リオンが剣を収める理由にはならない。

「あなたを決して行かせはしません。みすみす自殺しになんて行かせられませんわ。あなたにはたくさん聞きたいことがあるのですから」

「…………」

「事情を知らない私でもわかることぐらいはあります。ギルフォーデ・レブラス・ジ・シーデング。あの男がそうであるのなら、あなたは決して敵わない。今頃あの男はあなたを狂わせた魔法を再び再構築して待っているでしょう。噂通りなら、あれは治すことにかけては紛れもない世界一ですわ」

「…………」

 無言で返す瞳には、ギルフォーデに対する憎しみの炎だけが燃えている。
 たとえ理性を取り戻してもボルギィが狂っていることには変わりがなかった。

「あなたが今やるべきこと、やらなければならないこと、それをよく考えてみなさい。そうすれば、自ずと私との戦い以外にないとわかるでしょう!」

 リオンはボルギィの頭に蹴りをたたき込んで、その反動を用いて彼の手から剣を引き抜く。そのまま空中を蹴るようにしてバク宙し、華麗に髪を空気に膨らませながら着地した。

「さあ、答えは如何に! ボルギネスター・ローデ!」

「……オレに復讐を諦めろと、そう言いたいのか?」

「ええ。それより先に、私の復讐が優先されるのですから」
 
 みすみすこの好機を逃すつもりはない。ギルフォーデを逃がしてしまったのは痛手だが、あれが噂に名高いギルフォーデ・レブラス・ジ・シーデングだとしたら、直接的な戦闘力以外の部分で並大抵の敵ではない。
 今この時点で矛を交えるのは作戦の観点からしてみても危険極まりないと言うしかなかった。外には多くの味方も控えていることだし、彼のことはひとまず任せておこう。

 元よりリオンの敵は目の前の一人のみ。そして今、よりボルギィは価値のある人物と成った。

 もしかしたら聞けるかも知れない。そんな期待をリオンは抱いた。

(これはもしかしたら、此度の『狂賢者』の企みを全て聞く絶好の機会かも知れませんわね)

 ボルギィは無言で睨みつけてきた。このままギルフォーデを追うと言うのなら、情報は諦めて戦うしかないが。

「…………オレではあいつに勝てない、か。認めがたいことをはっきりと言ってくれる。ああ、オレには、あれを殺せるほどには時間がないようだ」

 蹴られた頭に手を当ててそうボルギィは答えた。リオンが一番望む答えを。

「やるべきことなど今のオレにとっては一つしかない。ギルフォーデの困った顔が見たい。恐怖に引きつった顔が見たい。嫌がらせには喜んで協力させてもらおう。リオン・シストラバス、何を聞きたい?」

「全てを。この場所で何が起きたのか、何をしようとしているのか、その全てを」

「承知した。それがオレの復讐に繋がるというのなら」

 ボルギィはその場にあぐらをかくと、何を思ったのか、いきなり自分の右足を握りつぶした。

「なっ!?」

「時間にして数分は持つか。惜しいな、あと少しだったのに」

 潰れた右足を見ながら、ボルギィは酷く残念そうに呟いた。見れば、潰れた足の指先が壊死しかけていた。いや違うか。狂気を取り戻し始めているが正解だ。

 ボルギィはギルフォーデによって何かしらの魔法で操られていたようだが、それをリオンがドラゴンスレイヤーで偶然抉った。壊せたわけではなく、一時的に狂わせている程度なのだろう。時間と共にボルネスター・ローデは惨劇のボルギィに戻りつつある。

「今回のベアル教の企み、いや、ベアル教という組織そのものが目指したものについて話そう。そして然るのち――

 ボルギィは自分の左足を軽く握りしめた。まるで、いつでも壊せる準備をするように。

――オレを殺してくれ、リオン・シストラバス」

 今自分が真実に近付こうとしていると、そうリオンは確信した。







       ◇◆◇






 ガーゴイルと呼称されることになった魔獣の特徴を今一度確認すると、よくぞここまで個々の魔獣の利点を集められたことに感嘆の念がわく。

 ユースは風を纏って空中戦をガーゴイルたちに仕掛けながら、銀縁眼鏡の奥の翠眼を細め、観察に徹していた。その間も口から炎を吐きつつガーゴイルたちは群れになって襲いかかってくる。観察に徹するというよりは、それらの攻撃を避けつつ隙を見つけるのに終始徹しさせられていたといった方が正しい。

風の谷 踊りの舞台となれ

 室内へと外から流れ込んでくる風の流れを操り、圧縮して風の塊となす[風槌エアハンマー]の魔法を操って、間合いの外へとガーゴイルたちを追いやりながら、観察の結果を地上にいる仲間へと伝えた。

「気を付けてください。キルシュマ様が分析なさった以上に、ガーゴイルは強力です」

「そのようだな」

 地上で小さな身体を精一杯動かし、ガーゴイルの爪攻撃を避けているサネアツもまた、敵の脅威には気が付いている様子。

 ガーゴイルは肉体が硬く、翼があり口からは炎を吐く。視界も三百六十度見渡せ、なおかつ爪には毒もあるという恐ろしい魔獣だが、それ以上に脅威的な部分が存在する。

「まさか、このレベルの連携を可能にする魔獣が存在するとはな」

 サネアツが畏怖をこめて呟きをもらす。ガーゴイルの最も恐るべき点は、人が魔獣に勝る利点を覆すものだった。

 ――ぎぃいいいいいいい!

風槌エアハンマー]で遠ざけたガーゴイルが、奇声をあげて襲いかかってくる。それに続いてもう一体、さらに背後から三体目が同時に仕掛けてきた。

 動物的本能というより、飢餓によって動く魔獣は人が格上と戦うときに取る連携を取らない。あくまでも個々の力で襲うのみ。だがガーゴイルは違う。十体ほどのガーゴイルはそれぞれ一体の敵に襲いかかるとき、必ず仲間と協力して襲いかかってくる。しかも高度なものを。

 魔獣との戦いで常に頭に置いておくことは乱戦にならないこと。それさえ気を付ければ敵に囲まれることはなく、退路を確保することができる。しかし今三方から同時に仕掛けられたユースに退路はなかった。

回れ 回れ 妖精の輪の中で

 なければ作るしかない。固めた風の塊を手元に引き戻し、自分を中心に全方位に解き放つ。乱回転する気流はガーゴイルの勢いを押し戻し、炎を退ける。

 敵の動きを一瞬封じ込めた隙に、ユースは下降して床に着地した。
 そこは自分と同じように三体のガーゴイルに囲まれつつあったサネアツを援護できる場所。

風の谷より調べは響く 高く回れよ 風の民

 逃げる場所を封じ込められたサネアツを抱き上げ、先程の二度に渡る魔法行使によって、意図的に作りだした部屋中の大気の流れを一点に集める。

 ユースを中心とし緑の竜巻が猛威を振るう。触れたもの全てを容赦なく切り裂く風の断層が、近くにいた三体のガーゴイルの身体を切り裂き上空へと吹き飛ばした。ただし、絶命させられたのは三体の内一体だけ。一番近い場所にいたガーゴイルだけである。

「高位の魔法で一体のみですか。過去、ドラゴンについで恐れられたキメラのレプリカだけのことはありますね」

「しかし、ユースの『封印』の魔力性質をもってすれば倒せない敵ではない。あちらが連携をとるというのなら俺たちも協力しあえばいい。師弟の絆、決して劣るものではないぞ」

 腕から肩へと移動したサネアツがそんなことを軽くのたまう。
 ほんの少しくすぐったく思ったユースは、緊張が和らいだことを悟った。

(ジュンタ様が、サネアツさんと一緒にいるとき強くなるはずです)

 頼もしいとはいえない小さな子猫が何とも頼もしく見える。残り九体のガーゴイルを相手にするには、いささか二人だけなのは心許ないが、一切不安や恐怖が脳裏を過ぎることはない。それはサネアツの持つ力だった。

「ええ。リオン様とジュンタ様がいらっしゃるまで、存分に踊らせていただきましょう」

「ふむ。しかしいいのか? ダンスの相手があんなもので。ユースが望むのなら、ここにはお前の因縁の相手もいるのだろう?」

 サネアツの問い掛けに、ユースの脳裏に二人の女性の姿が浮かび上がる。

 一人は今は亡き母親。もう一人はその母親を殺した暗殺者。ヤシューがいるのなら、また仇である彼女もいるだろう。しかしユースはここでいい。

「憎くないと言えば嘘になります。しかし因縁の相手ではございませんので。因縁とは相互に向かうもの。彼女の願いはきっと、他の人に向かっていますから」

「そういうことなら。レディに恥をかかせるわけにはいかないからな。お相手を務められるか不安だが、精一杯がんばるとしよう」

 深くは聞かず、肩の上でサネアツが魔法陣を輝かせる。
 それに引きつけられるように、部屋中を飛び交うガーゴイルの一団が飛びかかってきた。

 ユースは太股からナイフを引き抜きつつ、肩に力強い仲間を乗せ、大いなる風に乗る。

「行きます!」

「レッツ――ニャーッ!」

 風に乗せて放った三本のナイフを、気合い一喝、サネアツが放出した大地の力が覆い隠す。

 小さなナイフは大地の加護をもって巨大な岩のジャベリンと化す。それによって一体のガーゴイルを牽制しつつ、残り二体目がけてユースは高速で接近する。

「サネアツさん!」

「心得た!」

 十をいう前にユースの言いたいことを理解したサネアツが、状況に適した魔法陣を構築した。

アンコールアンコール 今日はまだまだ帰させないぜ

 相変わらず詠唱の意味は不明だが、自己暗示は完璧だ。
 サネアツが至近距離から放った束縛のバインドが、ガーゴイルの動きを見事空中に縫い止める。

大気に溶けよ 無形の名剣

 ユースは動きを止めたガーゴイルの首に手を当てると、超至近距離で破砕の風の刃を放った。

 魔法が普通の魔獣より効きにくいガーゴイルといえど、ここまでの至近距離で、さらに『封印』の効力を持つ風の刃を受ければひとたまりもない。その身体を再生不可能なまで切断されたガーゴイルは、まさに風に溶けるように散った。

 役割分担は完璧の一言。魔法の威力に乏しいサネアツが動きを封じ、攻撃が必殺となるユースが止めをさす。風と地の魔法の相性と師弟の阿吽の呼吸が可能にした、まさに相性抜群の一撃であった。

 とはいえ先は長い。

 二体仲間がやられたことで、残りのガーゴイルから油断が消えた。本能を理性が打ち負かすという、これまた魔獣ではあり得ない知性を瞳に見せるガーゴイルたちは、グルグルと周囲を回り始めた。

 こちらの退路を完全に封じた状態で、なおかつ下手に接近できない間合いの外を回り続けるとは。完全にガーゴイルたちはこちらを追い詰める気だ。

 まずは包囲網を抜けないといけない。

「サネアツさん。しっかり捕まっていてください」

「承知した」

 肩に捕まるサネアツの力が増す。さらにその上から手で押さえることによって、これから特攻する中で彼が落ちないように気を付ける。

 風を後方に収束させて加速の準備を整え、狙いは風の流れ行く方へ。最も素早い飛翔が可能となる方向へと。

 その狙いを、ユースは起きた状況変化に即座に対応して変える。
 ガーゴイルの内一体が、吹雪いた冷気の渦に巻き込まれ動きを止めていた。

輝きの舞踊 見えざる光舞う光景を 切り抜き運べ 風の民

 四節の大詠唱による強烈な魔法を組み立てられたのは、ガーゴイルたちが間合いの外にいたから。ユースが放った広範囲を切り刻む魔法は、冷気によって動きを止めたガーゴイルを飲み込み、その身体を切り裂いた。さらにそのガーゴイルが抜けた穴を通って、ユースは覚悟していた傷も負わずに包囲網を脱す。

「運が良かったですね」

「それに即時に行動できた自分を褒めてもいいのだぞ? ユース」

 先程の援護射撃のような氷の魔法。それはあくまでも狙ったものではない。この場にいるもう一人の仲間であるクーヴェルシェン。彼女にこちらを構っていられる余裕はない。

 地上で幾たびも発光する白い輝きと虹の輝き。
 共に氷の弾幕を張り巡らせて攻防を続けているのは、クーヴェルシェンとディスバリエ。
 
 敵の首魁、ディスバリエ・クインシュが相手として選んだのはクーヴェルシェンだった。ユースとサネアツは有象無象を退け、クーヴェルシェンが周りを気にせず戦えるように整えることを自らに課した。

 因縁に無粋な横やりをいれられるほど、ユースもサネアツも勝てば全てなどと豪語できる性格はしていない。一番近くにいる人たちを思えばこそ、今は援護に徹する必要はあった。

「いつでもクーヴェルシェン様を援護できるよう準備を整えつつ」

「ああ、うるさい蠅の駆除に努めるとしよう」

 緑と茶の魔法陣が、交差するように輝く。
 二人の裏方は、主役たちが輝けるように再び舞台の上へと殴り込みをかける。


 

 

 クーは相手にするディスバリエの鬼気迫る憎悪の視線を受けて、若干の衝撃を受けつつも、いざ戦闘に入ればどこまでも冷静に応対していた。

 あらゆる魔法を行使できるという『聖獣聖典』を開き、蕩々と魔力を溢れさせ、それを操るディスバリエ。無数に存在する魔法の中、彼女が操ってみせるのは氷の魔法。クーと同じく氷の矢を魔法陣から連続して放ち、矢は互いにぶつかり合って氷の欠片を舞い散らせる。

 突き抜けた天井より入り込む光が、急速に低下した温度の中怪しく輝く。その輝きをはね除けるように、自己主張の激しい虹の輝きが幾重にも瞬き、終わりのない矢の連射は続く。

(このままではジリ貧です)

 クーはそう断じて、自分の方から撃ち合いを止めることを決断する。そうしなければ、引くことを知らない形相のディスバリエは、永遠にでもこの無意味な攻防を続けそうだった。

 魔法陣を維持しつつ、クーはジリジリと位置取りを変えていく。
 上空で戦うユースが操る風の魔法によって絶えず移り変わる室内の大気の状態を、ピクピク耳で読み取って、そうして待っていた特異点はできあがった。

「今っ!」

 大気がかき集められたため、一瞬できた真空の空間へと猛烈な勢いで風が流れ込んでいく。そちらへ矢の射出方向を変えて数本はなったクーは、すぐさま魔法陣を変更し、自分に迫る氷の矢に対する障壁を張った。

 ガガガガガ、と凄まじい速射によって氷の盾が削られていく。あと数秒も持つまい。しかしそれだけあれば十分。

「っ!」

 クーが一時的にできた真空に近い空間に向けて放った氷の矢は、途中でその軌道を変化させ、背後からディスバリエに直撃するコースを描いて曲がった。

 前面を気にしすぎていたディスバリエは、背後から迫る攻撃に咄嗟に気付けなかった。
 気付いたときにはすでに遅く、数本の氷の矢は『狂賢者』の華奢な背中へと突き刺さる。

 クーが張った氷の盾が砕け散ったのは、ディスバリエからの矢の攻撃が止んだのと同時だった。

奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け

 確保した隙を最大限利用して、クーは十八番の魔法を直線に放った。
 氷の魔法同士の撃ち合いによって大気中の水分と気温は氷雪の奔流にさらなる力を与えた。儀式魔法に匹敵する威力をもった[雪雲の暴風スノウストーム]の暴威がディスバリエの身体を飲み込む。

三千世界に凍てつく風よ 業火を掻き消す息吹となれ

 しかし、クーは油断していない。嫌というほど『狂賢者』の力を思い知っている。

 追撃として放った[氷渦トーネード]の魔法は、風の魔法に近い氷の魔法。風の属性が竜巻系の魔法の威力を大気の断層を差し込むことによって生み出すなら、氷の竜巻は冷気の刃をもって対象を切断する。よって、一度氷の魔法を喰らったディスバリエの身体にさらなるダメージを与えたのは間違いないが、果たしてこれで倒せたかどうか……。

 強く、昂る冷気を魔法陣の中に内封しつつ、クーは油断のない視線で相手のアクションを待つ。

 倒せていない。それはもう間違いようのない予感だった。『狂賢者』ディスバリエ・クインシュが自ら戦っているところをクーは見たことがないが、それでもこの程度でやられる相手が、冠はどうであれ『賢者』などと呼ばれるはずがない。

『狂賢者』ディスバリエ・クインシュ。その経歴は謎に包まれていると同時に、その狂気じみた知識は多くの新たな力を生み出した。

 彼女の経歴のはじまりはジェンルド帝国から始まる。どこかからふらりと現れた彼女は、軍事開発の責任者となって度重なる実験を企てた。ジェンルド帝国がエンシェルト大陸北部一帯を支配下に治めた背景には、ディスバリエによる軍の強化があるという。

 その後、彼女はあまりに非道な実験に着手したためにジェンルド帝国を追放されることになる。この辺りか。『大賢者』とさえ謳われたディスバリエが、畏怖をこめて『狂賢者』と呼ばれ始めたのは。

 彼女の二つ名が不動のものとなったのは、誰もが知るオルゾンノットの魔竜の事件があったあと。それ以外の経歴は一切不明。どこから『儀式紋』などの知識を得たのか、それもまったくもって不明だ。

 謎の賢者。比類なき狂人。幾度となく人々のうわさ話に登場し、市民を恐怖させた存在……クーにとっての創造主に等しい女は、その身を凍らせた様で再び現れた。

 髪の一本から指まで凍らされた姿は、もう身動きが叶わない氷像のようだ。氷の魔法使いとして温度を感じることに慣れていたクーは、ディスバリエの身体が氷のように冷たいことにも気付いていた。

(心臓は……動いていない。倒した?)

 心臓の停止まで確認したところで、堪えようもなく緊張が緩む。

 それを待っていたかのように、分厚い氷の奥で、にぃっと悪魔のような女が嗤った。

――凍りつけ』

 それは命令であった。

 耳で聞くのではない。目で聞くのではない。魂に語りかける絶対の命令であった。

「っ」

 まず呼吸が止まった。次に指先から足先までが、まるで針金で雁字搦めにされているように動かなくなった。脳の電気信号が指先まで届かなくなったように、あるいは電気信号自体が強引に書き換えられたように、クーが本来持つべき自由が剥奪される。

 驚きに目を見開いたまま、呼吸を求めて喉を震わすクーの前で、ディスバリエを包む氷に罅がはえ、砕け散る。

「いい様ですね、紛い物」

 呼吸困難にも関わらず、膝をつくことさえできないクーを見て、ディスバリエが歪んだ邪笑を浮かばせた。

「ふふっ、苦しいですか? 悔しいですか? ですがあたくしが味わった絶望はこんなものではありませんわ」

 身動きをとることの叶わないところへ堂々と近付いてくると、ディスバリエは細い指先で紅潮する頬を撫でてきた。ぞわりと背中が氷を突きつけられたように震える。ディスバリエの指先は氷のように冷たく、まるで死者の指のようだった。少なくとも生者が持つべき温度を持っていない。

「さあ、今こそ死の際まで追い詰められなさい。紛い物」

(魔力、が……)

 触れた手から温度と共に魔力が奪われていく。酸素を失っても、魔力さえあれば微かとはいえ延命はなる。ディスバリエがゆっくりと味わうように奪っていく魔力は、クーの命の残量も同じだった。

(……まったく身動きが取れません。これが、ユースさんがおっしゃられていたディスバリエ・クインシュの『真言』ですか)

 過去ディスバリエと交戦経験のあるユースと、クーはサネアツも含めて戦いの前に自分が持っている全ての敵の情報を交換し合っていた。他の面々が誰と相対し、自分たちが誰と相対するか、それは最初から半ば予想できていた。

『聖獣聖典』を使って空間を移動し、その手から魔力を奪うディスバリエ。その最も凶悪な力が、この命令することによって命令通りに相手を縛る『真言』であった。強力な催眠術の如く、命令した相手を縛り上げる絶対遵守の凶刃だ。

(油断してたわけではなかったのに、まさか、たった一言でこんなにも……!)

 動け。動け。動け。と、全身に活をいれて束縛を弾こうとしているのに、ピクリととも身体は動かない。まさに不条理なまでの力。魔法というだけでは解明できない力だ。

「ああ、なんて甘美な魔力。あなたの清らかな魔力が、あたくしの身体を満たしていく」

 憎悪に濁り我を忘れた言葉遣いから、元の言動に戻ったディスバリエは、そう言って今度は両頬へと手を伸ばした。吸い取られる魔力が二倍に膨れあがる。

(くっ)

 悲鳴を出す権利すら奪われたクーは、急速に熱を失っていく身体に危機を覚える。このまま魔力を吸い出され続ければ、待っているのは死だ。

(せめて、『儀式紋』を発動させておくべきでした)

 あらゆる害意を汚染する『侵蝕』の魔力性質を活性化させるため、最初から『儀式紋』を発動させていれば、ここまで一方的に蹂躙されることはなかったかも知れないのに……後悔はやはり遅く。クーはディスバリエに魔力を奪われるままに翻弄される。

「さようなら、紛い物。紛い物の『竜の花嫁ドラゴンブーケ』。救世主様の巫女となれた自分を幸せに思いながら死になさい」

 死ね――そう命令をディスバリエが紡いだ瞬間、クーの意識がブラックアウトを始めた。

 何が起きたのかすらわからない絶対の拘束。なすすべもなくそれにクーは飲み込まれかけて、

輝きの舞踏 光舞う光景を 切り抜き運べ 風の民」 

 この世界は美しいものなのだと、そういわんばかりの詠唱と共に、空間惨殺の風の魔法がクーとディスバリエを包み込んだ。

「きゃっ」

 上空からの強襲にディスバリエが悲鳴をあげてたたらを踏んだ。彼女の手が離れた途端、身体から流れ出ていた魔力の流出が止まる。さらに身体を切り刻む痛みによってピクリと指先が動いた。

 クーは一帯を包み込んだ魔法がユースからの援護であると気付いた。僅かに直撃からずれていることを信頼から読みとって、クーはディスバリエに向けて無詠唱で氷の槍をお見舞いした。

 腹に氷槍の一撃を受けて、ディスバリエが部屋の端まで吹き飛ばされる。

 壁に縫い止められた彼女は口から血を吐いて、ギリギリと歯を食いしばった。

「おのれ……!」

 ディスバリエは右手の『聖獣聖典』から無詠唱で炎を放つ。高熱に彼女の腹部を貫いていた氷がとけ、さらに癒しの光が続け様に『聖獣聖典』から放たれたかと思うと、跡形もなく彼女の傷が完治した。

 無詠唱ではありえない高位の魔法の連発。
 傷一つなく床に足を戻したディスバリエは、戦いが始まってから初めてユースへと視線を向けた。

――罪人には死を」

「っ!」

 それはクーではなく、ユースめがけて放たれた命令であった。

「ユース!」

「ありがとうございます、サネアツさん」

 絶対遵守の死の宣告を受けたユースが、その動きを鈍らせる。だが、サネアツがその頬を思い切り爪でひっかくと、我を取り戻したように束縛を押し返した。

「どうやら、あなたの『真言』は、痛みによって退ける程度のもののようですね」

「くっ」

 悔しそうなディスバリエの態度を見て、ユースは再びガーゴイルとの戦いに戻る。サネアツが一緒にいてくれる限り、彼女にディスバリエの『真言』が効くことはない。

ああ ご主人様ドラゴン あなたに愛の花束を

 そしてまたクーも、人の意志を剥奪する『真言』に再び支配される気は毛頭ない。

 発動した『儀式紋』により、クーの身体を白い光の線が覆っていく。身体が軽く感じるようになったのは、生きているだけで身体にかかる負荷を『侵蝕』の力が弾いているから。物理攻撃・魔法攻撃の両方を弾くこれならば、ディスバリエの『真言』の効力も半減するはず。

「あなたが……」

 戦いの構えを取るクーに向けて、再びディスバリエが生気で溢れた生の声をあげる。

 閉じられたまつげが怒りに震え、艶やかな笑みが憎悪に形を崩す。
 あれほど冷静で冷徹だった彼女の面影はすでになく、そこにいるのは何か大切なものを踏みにじられた純粋な乙女のようだった。

 彼女の感情の発露が何を発端としているか、それに薄々クーは気付いていた。

「あなたが、救世主様に愛を囁くなんてこと、許されないのに……!」

「やはりあなたはご主人様のことを……」

 なぜかはわからない。どうしてかは知らない。だけど、間違いなくディスバリエはクーが口にするジュンタに対する言葉に感情を露わにしていた。まるで大切な人を奪われたかのように、それは嫉妬に狂った女の形相だった。

 クーの魔力に匹敵するほどの魔力がディスバリエの身体を包み込む。吸い取った魔力を変換して自分のものにしているとでもいうのか。『聖獣聖典』は小さな太陽のように眩しく輝き、ディスバリエの姿が光の中に溶けていく。

 光が消えたとき、そこにディスバリエの姿はなかった。

「消えた?」

「クーヴェルシェン! 後ろだ!!」

 姿を消したディスバリエの行方を捜そうと辺りを見回したクーの耳に、サネアツの注意勧告が飛ぶ。

 クーは背後目がけて強固な盾を作りだす。直後、背後から放たれた冷凍光線が盾と接触し、クーの小さな身体は接触の余波に吹き飛ばされた。

 驚くのはそれからだった。空中で体勢を立て直したクーの眼前に、忽然と冷気の渦が現れる。目を見開く暇もなくそれに飲み込まれたクーは城の外へと吹き飛ばされ、

「死んでください」

 冷たい宣告と共に、背後に現れていたディスバリエの手から離れた氷の槍に、お返しのように腹を貫かれて地面に落下した。

「か――はっ」

 普通の人ならば致命傷の一撃をもらって、クーは激痛に悲鳴をあげながら、縫い止められた床の上で悶えた。その間にも『儀式紋』が半ば自動的に傷を癒し、槍を消すが、すぐに痛みは引かない。

「何が、起きたんですか?」

 よろけつつ立ち上がったクーの視界内に、上空にいたはずのディスバリエの姿はない。どこにもない。

 それをいえば先程の魔力による攻撃はおかしい。魔法が放たれる際には必ず魔力の気配を感じるものだ。稀に気配が薄い魔法もあるが、それでもあそこまで至近距離に迫られて感じないというのはありえない。クーが魔法の気配を感じたのは、直撃を受けたそのときだった。

「まるで、目の前に忽然と現れたように……」

「いいや、実際その通りなのだろうよ」

 クーの独り言に答えたのは、床を蹴って肩の上へとはい上がってきたサネアツだった。

「無事か? クーヴェルシェン」

「はい、なんとか」

「よし。では、疑うことなく俺のいうことを実行に移したまえ。動き続けながら、全方位に対応できる防御魔法を行使」

「わかりました」
 
 サネアツにいうとおり、だいぶ回復した身体で走り回りながら、クーは全方位に氷の障壁を張り巡らせた。
 
 それはあと一歩の差。クーがもしあと数秒でも障壁を張るのが遅かったなら、今し方忽然と現れた氷の矢が雨霰と降り注ぐ攻撃に、クーの身体はサネアツもろともズタズタになっていただろう。

「やはり、か。何の気配ももらさぬ突然の攻撃とは恐れ入る」

「サネアツさん? ディスバリエ・クインシュが何をやっているか、わかるのですか?」

「もちろんだとも。お前も知っての通り奴は空間移動を可能とする。これはその応用だ。奴は自分ではなく放った魔法を転移させている。つまりは不可視・気配無視の爆撃だ」

 サネアツの仮説を証明するように、次々とクーの周りに氷の魔法が降り注ぎ、盾にダメージを与えていく。

「そういうことですか」

 サネアツの読みは的中だろう。今はここにはいないディスバリエは、どこからともなく魔法行使を行い続けている。それを空間移動させることによって、突然クーの目の前に出現させているのだ。それならば気配がないのも納得がいく。

「ひとまず止まるな。止まれば、盾の内側、内臓の中から爆撃されるぞ。先読みができないほどの高速移動で、絶えず走り回れ!」

 大きな声で叫ぶサネアツの言うとおり、クーは速度をあげる。上空では、五体目のガーゴイルを倒したユースが速度をあげていた。

「とはいえ、これではジリ貧だ。負けもしないが勝てもできん」

 これならば、いくら超遠距離とはいえ直撃させることはできない。が、ディスバリエの姿がない以上こちらの攻撃を当てることもできない。

 ならば、先んじて倒すべきは彼女ではなく――

 そのとき部屋を三つの魔法光が同時に染めた。

 ユースが緑の、サネアツが茶の、そしてクーが白い魔法陣を輝かせ、三方から同時にガーゴイル一体目がけて放った。突然ユースのみならずクーにも攻撃されたガーゴイルは、為す術もなくこの世から消え去る。

「よし、まずはガーゴイルを駆逐する。その後、ディスバリエ・クインシュがしびれを切らすまで追い詰めるとしよう」

奔れ雪雲 主に仇なす敵を打ち砕け
 
 返答は返事ではなく魔法の詠唱で答えた。

 周りに障壁を張ったまま、ガーゴイルがいる方へと奔りつつ儀式魔法を放つ。白い光線は触れるものすべてを凍てつかせ、砕く。回避しようとしたガーゴイルの翼そのものを破壊した冷気の渦は、そのまま落下したガーゴイルを叩き潰した。

 残っていたガーゴイル全てを駆逐するまで、さした時間は必要としなかった。

 


 

       ◇◆◇


 



 ギルフォーデが虫の息のウィンフィールドを見つけたのは、一重に偶然のことだった。

 偶々城から脱出したルート上に彼が転がっていただけのこと。治すと約束はしたが、果たす気など毛頭なかった。が、ここで会ったのも何かの思し召しか。これでもギルフォーデは自分が信心深いと思っている。

 なぜならば、神のような存在がこの世にいなければおかしいではないか。

 使徒という生物的に異常な存在がいるから、という理由じゃない。神がいなければ、こんなにも人の命が美しくできているはずがない。こんなにもギルフォーデが人の命に心震えるのは、人の命こそが神がつくりたもうた極上の芸術品だからだろう。

 ギルフォーデはいつだって神に感謝している。
 だからこそ、神の御業を再現しようとする者らに謹んで協力しているのだ。

「結局……お前たちは何がやりたかったんだ?」

 痛みに顔を顰めながらウィンフィールドがそう聞いてきたことで、ギルフォーデは鼻歌を中断することになった。

 ギルフォーデは戦いの熱が届かない場所でウィンフィールドを魔法で回復させ、緊急手術を行っていた。この程度の傷、ギルフォーデの手を持ってすればどうとでもなる。完治には時間がかかるかも知れないが、聖神教の包囲網を抜ける突撃槍の役割を果たすくらいにはすぐにでも回復するはずだ。

 魔獣と聖神教が暴れている戦場に、一人で入り込むほどギルフォーデは自分の戦闘能力を過信していない。そもそもギルフォーデは探求する者であって戦う者ではないのだ。

 ウィンフィールドが回復するまでは下手には動けない。それまでの暇な時間を、この今まで何も聞かずに粛々と命令を受け止めていた彼からの質問に答えるのもいいかも知れない。

「そうですねぇ、何がやりたかったか、と聞かれると人それぞれなんですがぁ」

「それでもお前たちには共通の目標とやらがあったんだろ? じゃなきゃおかしい。協力しあうはずがない。個々で望みを別とするなら群れるはずがない。最終的な着地地点が違うとしても、今は同じ目標を目指して戦う必要があったんだろ?」

「上から目線むかつきますねぇ」

「っ!!」

 麻酔なしの手術中、ギルフォーデはウィンフィールドの腹に手を当てて、遠隔操作でぐちゃぐちゃと内蔵をかき回す。痛みに歯を食いしばっていたウィンフィールドは、身体をのけぞらせるほどの激痛に喉をかきむしって絶叫した。

 心地よいBGMに浸りながら、ギルフォーデは鼻歌を再開させた。

「しかしその通りですよぉ。ご存知の通りベアル教は開祖ベアルが立ち上げたもの。しかしそうなる前には、三人の友との出会いがあったのです。ディスバリエ・クインシュ。アンジェロとターナティアのリアーシラミリィ夫妻とねぇ」

 聞こえているのか、届いているのか。
 それはわからないが、気分がいいのでギルフォーデは饒舌に話を続ける。

「さらにさらにその前にディスバリエ・クインシュとアンジェロ・リアーシラミリィの出会いがあったわけですが、そこまで遡るのは面倒ですねぇ。結論から言ってしまえば、二人は出会い、一つの可能性を論文としてしたためました」

 それを初めて読んだときの身の毛もよだつ歓喜を思い出しながら、ギルフォーデはその論文の名を口にした。

「使徒とドラゴンが同種の使命をもって生まれてきたという異端の論文。それは表向きの話です。アンジェロも馬鹿ではありません、その論文がどれだけ世界を揺るがすものか理解していました。だから発表する前にいくらか改訂したんですよ。仮説の理論にねぇ」

「それが……『救世存在仮説論』……か……?」

「おや? 案外とがんばりますねぇ、まだ内蔵系はほとんど繋げてませんのに」

「昔から……胃の痛くなるようなドロドロとした環境で育ったんでね。毒やら何やら、内蔵の強さは折り紙つきだ……」

 ウィンフィールドは眼をぎらつかせながらそう言った。

 その瞳からはどんな情報を聞き漏らさないという、ギルフォーデ自身も覚えがある、裏切りのための野心が燃えていた。

 なるほど。これは今も王宮で生き残っている候補たちより何倍も曲者だ。彼の母親がもう少し長く生きていれば、あるいは多くの兄弟たちを押しのけて頭角を現していたかも知れない。が、それでもまだ足りない。あの男を愉しませるにはいくらか役不足だ。

 これを育ててみるのもまた一興かも知れない。ちょうどボルギィという玩具も壊れてしまったし。

 ギルフォーデは内心でほくそ笑みながら、ボルギィに施した術式と同じものをウィンフィールドの脳内に刻もうとして、

「ええ、その通り。それこそが『救世存在仮説論』ですよぉ」

 止めた。

 何ていうか、先程ボルギィに刃向かわれたときに感じたのだ。つまらない、と。
 よくよく考えてみれば、別にボルギィと一緒にいたからといって楽しかったというわけじゃない。憐れで滑稽な道化も、長く見続ければそれなりにまともに見えてきてしまう。

 やはり鮮度が大切だ。喰うか、喰われるか。そのスリルを今度は愉しむとしよう。

「ぐ、っ……で? その『救世存在仮説論』ってのは、ぎ、どんな代物なんだ……?」

「あなたも知っていると思いますよ。使徒とドラゴンが同じ使命をもってこの世に生まれてきた、限りなく近い生き物ということを突き詰めているだけです」

 本格的にウィンフィールドの治療を始めながら、ギルフォーデは悪魔ように嗤った。

 これを聞けばもう後戻りはできなくなる。

『救世存在仮説論』の本当の意味を知るのは、今回の計画に最後まで残っていた者たち。今は亡き、それをしたためたアンジェロ本人と手伝った妻であり助手のターナティア。あとは雪に閉ざされた魔窟に潜む魔物たちくらいのものだ。

 ……いや、そういえばもう二人ほどいたか。

 アンジェロが勝手に論文を送りつけてしまった父ルドーレンクティカと、嗅ぎつけられてしまった当時の『満月の塔』の学長ミリティエ・ホワイトグレイル。とはいっても、前者はなにも語ることができず、後者は謹んでこの世界から退場していただいた。

 ウィンフィールドがまたその内の一人になるというのなら、あるいは遠望の作戦に変化が生まれるかも知れない。慎重を期すならば危険は犯すべきではない。

 ああ、だけど我慢ができない。

 ボルギィよりもなお美しい花に育つというのなら、忠誠を誓うあの男に一時背を向けるのもいいかも知れない。

 ……まあ、そうは言っても。そもそも、そういうことなど一切気にしない男ではあるが。

 だからこそ『裏切り』のギルフォーデが忠誠を誓っているのである。そうすれば、いつかは自分のことを気にしてくれるのではないかと思って。無関心こそギルフォーデにとって最も憎むべきものだ。なぜならば、無関心の相手はどうがんばろうとも裏切れない。

 そういう意味では、あの男から生まれたこの種はよほどおもしろおかしい人生を送ってきたのだろう。それは所謂『愛』の力というものか。なるほど、あの化け猫のいうとおり、もしかしたら愛は最強なのかも知れない。

「よろしいよろしい。実によろしいですねぇ」

 お願いだから聞き逃してくれるな。
 ギルフォーデは持てる限りの技巧をつくし、ウィンフィールドの霞みかけている意識をはっきりさせる。

 そして、耳に舌を這わせるように、おぞましき禁忌の名を口にした。

「『狂賢者』の前に仮説なく。我らが目指しているのは、『救世存在論』の成就です」






「『救世存在論』――それは使徒とドラゴンが同一のものであるという確信の上に成り立った理論だ」

「お待ちなさい。使徒とドラゴンが同一であるというのはどういうことですの?」

 ベアル教の目的の発端が、アンジェロの発表した論文にあることも驚きなら、その裏にさらなる真意が隠されていたことがよりリオンにとっては驚きだった。しかも使徒とドラゴンを同一視するという異端の真意となれば尚更だ。

「使徒とドラゴンは相容れぬもの。一説には殺し合うことが当然の存在同士と言われてすらいますのに」

「根底の存在が同じということだ。『特異能力』、使徒を使徒として産声をあげさせたもの。そしてまたドラゴンも然り。二つのものは共に同じ起源を持つ。ただ、別の形を選んだだけのな」

「意味が、わかりませんわ」

「わかれという方が無理な話だろう。オレも十年をかけてようやく僅かに理解することができた――いや、できていたものだ。『狂賢者』に言わせてみれば、概念が違う、ということらしいが、オレにはその意味はわからない」

「わからないものをこれ以上説明しろというのは酷ですわね。続きを」

 ボルギィは頷き、右のふくらはぎを潰しながら口を開いた。生々しい肉の音が低い声に重なる。

「ベアル教は『救世存在仮説論』を、真の意味での『救世存在論』にするために発足した。そして『救世存在論』を証明する手段であり、その上で成そうとした儀式の名を『聖誕』という」

「『聖誕』?」

「聖なるかな、その降誕……即ち、人間に最も許されない罪とされた、人造の使徒の創造だ」

 儀式の名が意味することを聞き、リオンは一瞬頭が完全に真っ白になった。

 今、ボルギィは淡々と何を言ったのか?

 聞き逃していない。聞き逃していないが、あまりのおぞましさに身体が勝手に聞かない振りをしようとしていた。

「人間が、使徒様を作る……? そんなことがあっていいのですか……!?」

 ああ、なるほど。狂賢者。狂賢者だ!

 狂っている。使徒様を創ることを許されるのは、天上におわす神のみ。神の御業に挑もうなどと、よくおこがましくも思いつけたものだ。狂っていなければ、そもそもそんな選択肢が頭に思い浮かぶはずがない。狂っている。救いようがないほどに狂っている。

 吐き気すらするおぞましさに知らず剣の柄を握りしめながら、リオンは破裂しそうになる心臓を鎧の上から押さえた。

 それはこの世界に生きる『人間』である以上、息を吸うのと同じくらい普通の反応だった。

「認めろ。かつて誰も犯したことがない禁忌、それをベアル教は真実目指そうとしている」

「……『狂賢者』とは、そんなことを考えついてしまう『狂賢者』とは、一体何者ですの?」

「わからん。そればかりはオレも、誰にもわからん。突然ふらりと現れたかと思えば、存在し得ない知識をもたらした。今回もそうだ。『狂賢者』は十年前のあの日ふらりと姿を消し、また数ヶ月前に何の前触れもなく現れた。彼女をコム・オーケンリッターが盟主ヒズミに出会わせたことにより、今回の事件が起きたのだ」

 謎によってのみ形成された存在。それが『狂賢者』ディスバリエ・クインシュ。

 その謎がさらにリオンの中で深まったのと同時に、ボルギィの言葉の中から聞き逃せない台詞を見つけた。

「今、十年前とおっしゃいましたわよね? それはつまり、オルゾンノットの魔竜事変と呼ばれたあの日にも、ベアル教は『聖誕』を企てていたということですの?」

「そうだ。あの状況そのものが『聖誕』のために半ば仕組まれたものだった」

「……っ……」

 母が英雄となって死んだあの悲劇。あれもまた『狂賢者』による惨劇だったのか。此度も事件も、彼女がヒズミをそそのかしたことが始まりだという。やはり『狂賢者』ディスバリエ・クインシュこそ全ての元凶。全ての首謀者。

「『聖誕』とは、使徒を人の手で生み出すとは一体どういうことですの? そんな真似、いかなる魔法を用いても不可能ですわ」

 怒りの矛先が変わっていくのを感じながら、リオンはあくまでも冷静に説明を求めた。今はオルゾンノットの悲劇を追求するときではない。聖戦の行き着く先を知らなければならない場面だ。

 そのためにはこの儀式を、『聖誕』について知らなければ。知らないことには阻めない。

「不可能を可能にする。そのための『救世存在論』だ。多くの儀式がそうであるように、『聖誕』を引き起こすために必要な要素が三つある。儀式場と術式、そして生け贄だ」

 リオンは説明されながらも自分で考える。
 
 今回とオルゾンノットの都。二つに共通する要素とは一体何なのか……?

「……この『封印の地』が儀式場になる、というのは話がわかりますわ。三つの『封印の地』を一つにすること、それが儀式場には必要不可欠だったのでしょう?」

「そうだ。三つの『封印の地』を一つに重ねることで、元々異相がずれていたこの場所はさらに常識からずれていく。リオン・シストラバス、お前は覚えているか? オルゾンノットの魔竜が使った特異能力がどんなものであったか」

「もちろん」

 リオンが覚えていないはずがない。いや、あの夜を過ごした人間は決して忘れられないだろう。
 一人の夜が怖い。ドラゴンの恐ろしさをまざまざと、あの日多くの人々が悪夢として味わった。

――【魔の子守歌】。人々を眠りに誘い、悪夢を見せることで自身を侵蝕させる能力でしたわ」

 本来個々であるはずの夢がドラゴンによって繋がり、等しく皆が悪夢に苦しんだ。眠りながら、自分の故郷が、家が、友が家族が恋人が消えていく現実を見せつけられた。

「そう。オルゾンノットの魔竜は現実と夢の境界線を崩した。夢というものは自由だ。常識ではあり得ない不可能を可能とする。あのときもまた、『聖誕』にふさわしい儀式場が存在していた。
 そして今回も。限りなく歪んでいるが故に、この『封印の地』ではあり得ないことでも起きる可能性が生まれている」

「つまり『聖誕』に必要な儀式場は、自然の摂理から歪んでいること、そういうことですのね?」

「秩序の形は三角形。秩序とは即ち混じり合うことが許されない王が、それぞれ孤高である状態のこと。『封印の地』はメロディア・ホワイトグレイルによって創られた、いわば神の座に一番近い場所だという。そして三体のドラゴンはそれぞれの地を区切る境界線の守護者でもあった」

「けれど私たちはドラゴンを倒してしまった」

「一つが崩れれば、三つは混ざり合い特異点ができあがる。この『ユニオンズ・ベル』を中心に、この世界そのものが『聖誕』のために用意された儀式場だ」

 そのために三つの『封印の地』を一つにする必要があった。そうすることで特異点はできあがった。思い出されるのはラバス村の一件だ。

「『聖誕』を成就するためにベアル教が起こした行動はこうだ。
 最初に三つが混ざり合うようにそれぞれドラゴンに仕掛けを施すこと。
 二つ目はドラゴンのいずれかを滅し、儀式場を完成させること」

「私たちはまんまとその手助けをしてしまった、ということですのね」

 道理でドラゴンが滅せられるまで横やりもなかったはずだ。あれはドラゴンの力を過信していたのではなく、殺されることが本懐だったのだ。ズィール・シレの偉業も、力も、全ては『狂賢者』の計画通りに。

「『聖誕』のための術式は、すでにオルゾンノットの魔竜のときに手に入れてある。自然の厄災であるドラゴンと同調することで、その先にある『転生』の術式――死者蘇生の法は手に入れた。『狂賢者』はすでに自身の肉体に術式を組み込み『聖母』として機能している。あとは生け贄さえ揃えば『聖誕』は起きる」

「その生け贄とは一体?」

 リオンは術式を手に入れる方法は詳しく聞かなかった。聞かなくとも理解できたからだ。今は時間が惜しい。すでにボルギィの足は完全に潰され、彼の手は自分の左腕を握っていた。

「生け贄もまた三つ要る。儀式の発動には膨大な魔力が必要なのは理解できるな? これは儀式場の上でたくさんの血が流れることで確保される。魔獣でも人間でも、その死は少なからず魔力として吸収される。一つ目の要素はたくさんの命だ」

「そのために聖戦が必要だった。この場所が戦地となるのも予定調和だなんて……」

「血と断末魔が必要だった。オルゾンノットの都でもそうだったように。死が死を呼び、死が蔓延し、そうして生への渇望へと繋がっていく。
 生き返りたい……その願いを完成させるために、両極であり『救世存在論』が語る一対の力が最後に必要となる」

 そこまで言われてしまえば、残り二つの生け贄が何かリオンにもわかった。

「使徒とドラゴンの命……儀式場でその二つが死ぬことが必要ですのね」

「すでに使徒はくべられた。ドラゴンとして生け贄にすることもできたが、『狂賢者』はまず使徒として捧げることを選んだ。わかるか? 使徒はともかくとして、ドラゴンは必ずやこの地で死ぬものと最初から決まっている。
 気をつけろ。元よりベアル教は聖戦の勝利など求めていない。むしろ負けることこそが本懐だ。この地に残る二体のドラゴン……いや、三体のドラゴン。いずれかが死んでも『聖誕』は成る」

『ナレイアラの封印の地』のドラゴン。
『メロディアの封印の地』のドラゴン。

 そして……ドラゴンたる使徒、ジュンタ。

 敵味方に分かれ、互いに殺し合う関係。ドラゴンは最優先として排除しなければならない、それが聖神教の考え。そしてそれこそがベアル教の狙いでもある。もちろんドラゴンは普通の方法では倒せない。そのためにドラゴンを強者にぶつけ、殺されるように導いているのだろう。

 だとしたら『狂賢者』の願う最後の戦いの構図は決まっている。

 どちらかが勝っても負けても、『聖誕』は成就する状況。そのために描くべきはドラゴン同士の激突だ。

「ジュンタは……ジュンタは生け贄にされるためにこの場所に導かれましたのね。『狂賢者』はヒズミとスイカ様を仲間に引き入れることで、ジュンタが必ず来ることを知っていた」

「全ては『狂賢者』の手のひらの上。それはお前も例外ではないぞ、リオン・シストラバス。『不死鳥聖典』を欲したのも、もしもの際自分たちの手でドラゴンを滅すため。それを渡さなかった以上、お前もまた大事な儀式の歯車だ」

 ドラゴンを倒してしまえば『聖誕』は完成する。

 ならば、ドラゴンを倒さなければいいという話だが、そういうわけにはいかない。放っておけばそのまま聖戦の敗北に繋がる敵だ。決してドラゴンとの対決は避けられるものではない。そう思って『狂賢者』も使徒からまず先に生け贄としたのだろう。

「……方法は?」

 自分も、愛しい人も歯車の一つ。
 全てが許しがたい話を受け入れて、リオンは肝心なことをボルギィに問うた。

「『聖誕』を成就させない方法は?」

「ない」

 一発逆転の方法を求めたリオンに対するボルギィの返答は、あまりにも冷たい断言。

「ああ、確かにドラゴンを倒さなければ『聖誕』は起きない。だが、儀式場は『聖誕』が完成するまで決して破壊されることはない。ここは歪みの地。今は辛うじて大地を形成しているが、やがて境界を越えて世界へ侵蝕していく」

 リオンは聖地ラグナアーツで見た空の色を思い出す。二つの世界が混ざり合った、あの不気味な色を。


――そう、現実は破壊されます。魔王たる破壊の君によって」


 そのとき、不吉な声が舞い込んできた。

 リオンとボルギィが一斉に立ち上がって声の主を振り向く。水色の賢者は唐突に現れ、ボルギィの足に触れていた。立ち上がったボルギィの足は、しっかりと大地を踏みしめていた。

「やがて二つの世界は完全に繋がる。聖地は新たな儀式場となり、ドラゴンを生み出す魔窟と化す。巡礼の道は産道に変わり、ドラゴンが世界中へと羽ばたいていく。想像してみてください。それは地獄ではなくこの世の終わりでしょう?」

「『狂賢者』ディスバリエ・クインシュ……!」

「ご機嫌よう、『竜滅姫』リオン・シストラバス。そういえば、こうして顔を会わせるのは初めてでしたか?」

『聖獣聖典』を手にした全ての元凶が目の前で嗤っていた。閉じた瞳で全ての光を閉ざしながら。

「楽しいお話をされていたようですので、思わず足を運んでしまいましたわ。まさかお二人の戦いがこのような形に発展しているなんて、さすがに予想もできませんでした。さて、神様は予想されていたのでしょうか?」

「……あなたはユースたちと戦っていたのではなくて?」

 クスクス忍び笑いをもらすディスバリエにリオンは剣を突きつける。
 
 どうしてディスバリエがここにいる? 突然現れたのは件の空間移動能力であるとして、予定では彼女はユース、クー、サネアツの三人と戦っているはずなのに。もしや三人の身に何かあったのだろうか?

「ご心配には及びません。まだ彼らを倒してはいません。まだ、ね」

「戦いの最中にお出かけとは余裕ですわね。あなたが『聖母』という重要な役割を担っていると聞き及びましたわ。足下をすくわれでもしたら、それで『聖誕』の破綻を意味するのではなくて?」

 むしろこの手で決着をつけてあげましょうか?

 優雅に笑いかけるリオンは、慎重にディスバリエとの間合いを測っていく。乾坤一擲。ここで一か八かディスバリエを狙う価値はある。

「ええ、確かに『転生』の術式は誰かに教示できるものでも、譲れるものでもありません。なぜなら直接知ったあたくしの魂に刻まれているものですから。九つ。それが『聖母』に至る条件です。わかりますか? あなた方では、あたくしは絶対に殺せない」

「意味が――わからなくてよ!」

 一気にリオンは踏み込む。

 視線の先で、ディスバリエの笑みが一層濃くなったのがわかった。それを見て、リオンは剣を前ではなく横へ振るった。

「ぐっ」

 鋼鉄よりも硬い感触。咄嗟にとはいえドラゴンスレイヤーが切り裂けないものなど、この場所にはたった一つしか、一人しかいない。

 横からタックルされた衝撃にリオンは叩き飛ばされる。空中で体勢を整え着地しながら、盛大に舌打ちをした。

「ボルギネスター・ローデ……それは勝負再開の合図と受け取ってもよろしいのかしら?」

 忘れていたわけではない。けれど、このタイミングでは立ちはだからないと思っていた。リオンは拳を固めるボルギィを睨みつける。

「……すまん。どうやらそろそろ幕切れのようだ」

 対してボルギィの顔には苦渋の色が浮かんでいた。瞳は未だ理性を持っている。ただ、その拳は、足は、彼の意志に反して殺意の闘気を滲ませていた。

 先程ディスバリエが回復させたもの。それは両足の怪我に止まらなかったのだろう。

「恨むなら恨め。憎むなら憎め。お前のいうとおり、何をしようともオレはお前の仇でしかないのだから」

「ええ、言われずとも。あなたとの決着はつけます」

「その前に、あたくしともう少し話をしたいということですか?」

 横合いからディスバリエが声をあげた。まるで意味がわからない言動とは裏腹に、こちらの思惑は全て筒抜けといわんばかりに。

「そうですわ。先程聖地が新たな儀式場となると言いましたわね? 差し支えなければ、もう少し詳しいことを教えていただけません?」

「そのように媚びずとも結構。あたくしはこのことをお教えするために参ったのですから。何も知らず、ドラゴンを殺さないよう言いふらされたら大事です。それではあたくしの望みが叶わない」

「あなたに対する嫌がらせというだけでも、私にとっては十分選択する理由になりましてよ?」

 リオンはすらすらと口から出る台詞にむしろ自分で驚いた。

 こうして名前だけ聞いていたディスバリエと話すのはこれが初めてのことなのに、呼吸というかタイミングというか、そういうものがとてもやりやすく感じるのだ。まるで既知の相手と話しているかのように。

 水色の髪。閉じた瞳。氷のような美貌。
 
 ふと思った。あれ? 誰かに似てはいないだろうか?

「ここまで真実に近付いたご褒美です。もしもこのままドラゴンが倒されることなく聖戦が終わったときのことを説明いたしましょう。最後まで、どうか聞き遂げてくださいませ」

「もちろんですわ」

 ゆっくり吟味する暇は与えられない。
 リオンはディスバリエの声を聞きながら、向かってきたボルギィの攻撃に反応していた。

 振り下ろされる大砲の拳。いくらかまだボルギィの躊躇が遅らせているのか、反応できないほどではない。

「オレを殺せリオン・シストラバス。オレが死のうと負けようと、『聖誕』には何ら関係はない」

「少し口を閉じてなさい! 今は女同士の話の最中でしてよ!」

 馬鹿なことを言うボルギィに怒鳴りながら、リオンは避け、避け、避け続ける。
 跳びはね、走り、痛みを堪えて。錯綜する大気の悲鳴の中、大きくも小さくもなく、高くも低くもない、ディスバリエの声に耳を澄ます。

「このまま無意味に時間が過ぎれば、やがて『封印の地』は現世と繋がります。そこで儀式場が壊れることはありません。聖地という極上の地を新たな儀式場として機能するからです」

 それが魔窟と称す意味。

「さらにそれだけではことは終わりません。この地には神さえ予想しえなかった最高の器がいます。誕生させようとしている破壊の君にも匹敵する奇跡。彼の存在が、新たなドラゴンをこの世に生み出していく」

「ドラゴンを、誕生させる? それでもまた『聖誕』の効力ですの?」

 リオンは拳を剣でいなしながら、ディスバリエに声を向けた。しかし返ってきたのは矛を交える相手からだった。

「『聖誕』にそのような力はない。ドラゴンを生み出す仕組みを用いた法ではあるが、そんなことは……いや、待て。そういうことか。人造の使徒になることとドラゴンへ至ることが同じ意味合いを持つのは――

「あなたは狂っていなさい」

 何かに気付いたボルギィの理性を、ディスバリエの命令が打ち砕く。

「一体何を言いかけましたのよ!」

 リオンは理性を失い、一気に圧力の増したボルギィの拳を間一髪避け、距離を取って叫んだ。

「まだ説明は途中でしてよ、ディスバリエ・クインシュ!」

「……ドラゴンを誕生させることは可能です。元よりその方法を一緒に求めてきた我らならば」

 ベアル教の目的はドラゴンに至ることと言われていた。
 本当の目的が『聖誕』にあったとしても、二つの間には何かしらの関係性があるのだろう。否定はできない。

「『聖誕』がなれば儀式場は崩壊します。『聖誕』が破綻すれば、儀式場はそのままドラゴンを生み出す暗黒の生誕祭へと姿を変える。反転ですよ。使徒が生み出されるかドラゴンが生み出されるか、ただそれだけの違い。
 リオン・シストラバス。『救世存在論』をあなたは知るべきだったのかも知れませんね。この矛盾、知らずに抱き留めようなどとは傲慢に過ぎますわ」

「だから、もっともわかりやすく説明しろと言っているでしょうに!」

 恨めしい視線を向けられ、リオンは癇癪の爆発を起こしたように、一気にディスバリエに斬りかかった。

 たとえこの一撃が阻まれようとも、問い掛けなければならないことがある。

 これまで説明されたこと。そのことごとくをリオンは理解した。理論はわからないが結果はわかった。要は最初に言ったとおり、人造の使徒が生まれるということなのだろう。どこからどうやってどういうものは生まれるかはわからないが、結果として生まれるのだ。

 それが『狂賢者』の最終的な目的だ……なんて、無論信じられることではない。

「答えなさい! ディスバリエ・クインシュ。あなたは人造の使徒を生み出し、何をしようとしていますの?! ドラゴンでは困ると言った。それはつまり、自分の言うことを聞く使徒でなければできないことを企んでいるということでしょう!?」

 生み出すことが最終目標というのは創造者の理論だ。この場合、アンジェロ・リアーシラミリィの願いだ。

 ディスバリエの願いは違う。絶対にそうだとリオンは言い切れた。この先、まだこの先がある。

 たとえばそれは殺戮かも知れない。人造の使徒を自由に操ることが可能ならば、あらゆる火種を作ることができる。何せ使徒はこの世界の最高権力者だ。誰も逆らえない、誰も止められない地獄の指揮者の誕生だ。

 たとえばそれは王道かも知れない。使徒となって全てを支配する。一国の王でも叶わないことを、使徒ならやり遂げられるかも知れない。世界の王。絶対の君臨者。負けることなき『最強』になることも無理ではない。

「答えなさい! 地獄ドラゴニヘルを作りだし、一体あなたは何を望みますの!? ディスバリエ・クインシュ!!」

 それは想像でしかないが、人造の使徒を創造すると聞いて、そのために飛びついた者もいたかも知れない。

 どちらにしても、この先にあるのは地獄だ。
 此度の聖戦など目じゃない。世界全てを巻き込んだ戦争が始まるだろう。

『救世存在論』……それを生み出し、『聖誕』の中枢を担う狂った『聖母』は、静かに口を開いた。

 リオンは襲いかかってきたボルギィをくぐり抜け、ディスバリエに斬りかかる。迸る紅のドラゴンスレイヤー。世界の平和を願う竜滅姫として、今リオンは真逆の願いの体現者に問い掛ける。



――――救いを」



 それは酷く静かな声だった。
 それは酷く熱い声だった。

「救いを。この世界とこの世界に生きる人々に、あたしは永劫変わらぬ救いを授けます」

 繰り返される救世への言霊。
 嘘偽りが入る余地のない声で、顔で、ディスバリエ・クインシュは世界を救うと誓っていた。

 リオンが愕然としたのは、果たして何に対してか?

 そのあまりにも真摯な、しかし可能性としてはあり得た答えにか。そのために世界を地獄にたたき込むというその方法にか。それとも自分の剣が何ら抵抗なく彼女の身体を袈裟懸けに切り裂いたことか。あるいは心臓を確かに両断したのに、未だにディスバリエが平然と立っていることか。

 全てであり全てでない。
 
 最もリオンを愕然とさせたのは、開かれたディスバリエ・クインシュの瞳に――その蒼天の眼差しを知っていたことにあった。

 頑なに閉じられていた『狂賢者』の瞳。それが今、はっきりと開かれていた。
 
 澄み渡る蒼穹のようにも、穏やかな湖水のようにも見える、蒼き瞳。

 その瞳は大きく、一瞬で氷像のようだった雰囲気を打ち砕いていた。ディスバリエの姿はより可憐に、より苛烈に、世界に憎まれ呪われても、がんばって一人で立とうとする不屈の信仰に輝いていた。

「言ったでしょう? あなたではあたくしを殺せないと。本物の不死鳥ならばともかく、偽りの不死鳥であるあなたには生きていないものは殺せない。ここにいないものは否定できない」

「あなたは……」

 白い衣を血で染めてディスバリエは唇を近付けてくる。すでに彼女の手の中で『聖獣聖典』が起動し、虹の輝きと共に消失は始まっている。

「地獄の果ての救いか、破滅の先の滅亡か。此度の結末はそのどちらかしかありえません」

 虹の光の中、悪戯っ子のように笑う。
 知り合いによく似た少女は耳元に、そっと手向けのように呪いを残していった。


「竜滅姫ならどちらを選択するか――何をすべきかわかってますよね? リオンさん」










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