第十三話  比翼の鳥




「ヤシュー……」

 城全てを揺さぶる振動に立っていられず、膝をつきながら、ジュンタは立ったまま敗北を認めたライバルを見上げた。

 自分がつけた傷は致命傷には僅かに届いていない。けれど、ヤシューは身体は崩壊を始めていた。

 もう、ヤシューの身体は彼自身の強さに耐えきれなくなっていた。いや、ずっと前からヤシューの身体は壊れていたのだろう。それをただ戦いたい一心で誤魔化し続けていた。それでも限界が来た。つまりはそういうことだった。

 よろめきつつ立ち上がったジュンタには、敗北に悔しがる男の胸の内を見ることができない。

 もう指一本動かすことができない。しゃべることすらできずにいるヤシューの心の内を、どうして勝者となった自分が察せられるのか。
 自分にできることは、敗者になりながらも泥に濡れることなく立っている彼を――理由はどうであれ今確かに立っている彼に敬意を示し、前へ進むだけなのではないか?

 素人目にもヤシューがもう助からないのはわかる。命をかけた最後の戦いを望み、その戦いの中命を落とそうとしている男に、勝者は声をかけてはいけない気がした。

(……楽しかったよ、ヤシュー)

 触れ合った時間は限りなく少なくとも、戦いの中で語り合ったライバルがこんなときどうして欲しいか、同じ男としてわかったからジュンタは背中を向けて歩き始めた。

 ヤーレンマシュー・リアーシラミリィとの戦いは終わった。あとは、彼女に任せよう。

「行かないと」

 傷ついた身体を動かして、ジュンタは部屋の奥を目指す。

 異変はすでに始まっている。灰色の城は紅蓮の炎に包まれ出し、空気が熱を持ち、焦げた臭いが立ちこめている。先程の衝撃から推測するに、火もとは玉座の間。クーたちが目指した場所だ。

 一つの戦いが終わっても、大きな決戦は終わっていない。まだやることは残っている。急がなければ。

 足を動かすジュンタは、玉座の間に近付くほど勢いを増した炎を見ることになった。
 クーたちがやられたとは思えないが、それでもこの被害は酷い。一体何が起きたというのか。

「っ」

 燃えさかる炎の熱に目を覆いながら、ジュンタは辿り着いた玉座の間の姿に驚いた。

 存在していなかった。

 玉座の間が存在していた痕跡を消したかのように、玉座の間があった場所は尖塔ごと衝撃に砕かれ、炎によって焼け落ちていた。今は灰色の壁の代わりに炎の壁がそびえ立ち、歪んだ景色が大気の熱によってさらに歪んでいる。

「クー! サネアツ! ユースさん!」

 ジュンタはここに辿り着いたはずの仲間の名前を大声で呼んだ。しかし応答の声はない。全てが消え去り、炎によって包まれたここは人がいられる場所ではない。三人は避難したのか、あるいは……。

「ジュンタ!」

 背中から呼ばれた声にジュンタは振り返った。

 そこには怪我を負いながらも、リオンが駆け寄ってくるところだった。

「リオン。やったんだな」

「ジュンタの方こそ。どうやら、けじめはきちんとつけたようですわね」

 先程別れたばかりなのに、リオンの姿は何ヶ月も会っていないかのように何かが変わっていた。輝きはより美しく、強さはより勇壮になっている。

 リオンの方もジュンタを見て同じことを思ったのか、少しだけ見とれたように足を止め、炎によって壁が崩れ落ちた音を耳にしたところで同時に頷き合った。

「どうやら、ユースたちの相手は手強かったようですわね」

「ああ。みんなはきっと一度退避してるんだと思う。とにかく、俺たちがやるべきことは最初から決まってる」

「敵を倒し、聖地を救う。わかりやすいことこの上ありませんわね。この場において倒すべき敵が誰かだなんて――ええ、本当にわかりやすいというものですわ」

 二人が見仰ぐ先に、その敵はいた。

「神ィィイヨ。神ヨォオオ!」

 炎の壁よりなお高く、信仰の熱を持つ狂気の魔獣。
 本来顔があるべきところにドラゴンの頭部を持ち、その頭部の額より人の上半身が生えた姿という、まさに混沌めいた存在。

「『混沌獣キメラ――

――ウェイトン・アリゲイ」

 リオンがその定義を口にし、ジュンタがその本質を口にする。

「神、神ヨォオオオ!」

 ベアル教の異端導師ウェイトン・アリゲイ。自分の正義に殉じた狂信者のなれの果て。
 
 以前『ナレイアラの封印の地』に現れたときよりも禍々しく、なお強大な力を取り込んだ彼は、この状況においてまさに最凶の敵といえた。ドラゴンの顎より炎を吐き出し、周り一帯を炎の海に変えているその力、ジュンタとリオンが見間違うはずもない。

「どうやら、ウェイトンの奴は本当に夢を叶えたみたいだな」

「『封印の地』に存在するはずの最後のドラゴン。確認されなかったと思っていたら、キメラが取り込んでいましたのね」

「神、神、神ヨォ」

 声ならざる異音を叫ぶドラゴンの口が三日月のように裂ける。以前はドラゴンであった存在も、一度キメラに取り込まれてしまえば混沌の一部。果たして真に恐れるべき最凶は、キメラに取り込まれたドラゴンか、それともドラゴンをも取り込んだキメラか。

「神ヨォオオォオオオオオオオ――ッ!!」

 封印の大地に君臨する混沌のドラゴン。
 現れた敵を目の前にして、ジュンタとリオンは強くお互いの手を握りしめた。

 


 

       ◇◆◇

 


 

『封印の地』に君臨する混沌のドラゴンの声も、未だズィールの耳には遠く聞こえる。

 燃え落ちる城を背にし、その熱を感じつつも、それでも騒々しくなった戦場の空気が今はどこか別世界での出来事のように感じる。ズィールの胸には静寂の風が吹き、視線は仰向けに倒れるかつての巫女を見つめていた。

「よもや、この私が、このような無様を最後に晒すことになろうとは、な……」

 苦々しく自嘲するコム・オーケンリッターは、ごっそり抉られた自身の身体を見て、すでに諦めているようだった。

「死ぬ、か。私は、ここで、死ぬのか」

 自分の生存というものを。

「…………」

 自らの攻撃の威力を確認したズィールは、無言でオーケンリッターの呟きを肯定する。

 ズィールが心臓の横を槍に貫かれた直後、オーケンリッターの身体を流星と化した[星の獣スターチャイルド]が真芯で捉えた。いかに身体を鍛えていようと、どれだけの防具を身につけていたとしても、星の仔の直撃を受ければ死は免れない。今こうして話していられるだけの余力を残していることが、そもそも驚嘆に値する。

 さすがは『鬼神』とさえ謳われたコム・オーケンリッター。敵ながら見事としかいいようがない。

「自らの技に裏切られ、歴史に裏切られ、そうして私は死ぬのか……ハッ、これが裏切り者にふさわしい最期だと神はおっしゃられるらしい」

 だが……その強さが全ては仇になった。

 最後、絶対の死を与えるはずのオーケンリッターの槍はズィールの心臓を僅かに逸れた。
 それはズィールが間一髪避けたわけではない。あのタイミングでは避けきれなかった。ただ、オーケンリッターが外すはずのない一撃を外した。それだけのこと。

 何百、何千、何万と繰り返しても逸れることのなかった一撃が、ここぞという最後に担い手を裏切った。生きた年月が、歴史が、本人を欺いた。

 いや、自分の歴史を裏切り欺いたのはオーケンリッターの方か。もし仮にオーケンリッターが『竜の鱗鎧ドラゴンスケイル』を纏わず『朽ちた血ロトゥンブラッド』を使っていなかったら、今倒れていたのはズィールの方だったろう。

 何千何万と反復練習を行った結果、オーケンリッターの刺突は呼吸をするのも同じ動作と化していた。だからこそ逸れた。いつもと同じ――自分が生きてきた年月の果てにある現在の動作をなぞった槍の軌道は、繰り出した本人の歴史の連続性の先にない力によって歪み、結果として槍は心臓の横を抉るに終わった。

 そんな自分の様をオーケンリッターは嗤って、笑って――そして最後にズィールを見た。

「何を呆けている? 我が主だった人よ。喜ぶがいい。貴様は神の敵を倒したのだ。裏切り者に宣言通り断罪を下したのだ。よって――

 口元に全てを皮肉ったような、そんな笑みが浮かべながら、死に行く老雄は、裏切ってなお自らの使徒であるべき男にそう告げた。


「喜べ。ここに貴公の第七のオラクルは果たされた」


 それは、ズィールにとって何よりも衝撃だった。

 オラクルのクリア……それが意味することに打ちのめされたズィールは、乾いた口を動かし、震える声を絞り出した。

「オーケンリッター……貴公は、まさか……?」

「はっ、おめでたいことだな。まさか私が貴様のオラクルを達成するために欺いた、などと考えているのではないだろうな?」

 まさにそう考えたズィールの予想をオーケンリッターは鼻で嗤って、何とも底意地の悪い邪笑を浮かべた。

「そんなわけがなかろう。私はあくまでも私のために貴様を裏切った。貴様のオラクルを達成してやろうという腹積もりなどまったくなかったわ。むしろ貴様は嘆くがいい。震えるがいい。私が死ぬことによって果たされた、自らが神に課せられた業の深さに」

「オーケンリッター……」

 オーケンリッターの言葉が彼の心からの本音か、それともこちらに罪を感じさせないがための偽りか、やはりズィールはわからなかった。生まれたときより共にいた相手なのにわからなかった。

「まったく、つくづく愚かな男だ、な……」

 ただ、一つだけわかったことがある。自分にとって、使徒ズィール・シレにとっての正義の代償が何であるか、それを今はっきりとわかってしまった。

「そうか。自分は……」

 生まれたときより共にいた巫女が死ぬことによって、達成された難関のオラクル。その内容は『分銅に刻まれた文字を消せ』というもの。意味すらわかっていなかった、オラクル。

 いや、本当は最初から気付いていた。この世界を救うために目指すものが、まだ何ものにも冒されていない原初の自分だと、神の祝福のみを有する真っ白な自分であると気付いたときより、オラクル達成の方法はわかっていた。

「天秤を釣り合わせる。好意には感謝をもって。悪意には裁きをもって。そうやって、自分は釣り合わせてきた」

 原初に戻る――それはこの世に生を受けたときより受けた施し全てに、然るべき返礼を返すことによって叶うはずだった。得た全てを同等の何かで釣り合わせることで叶うはずだった。それが正しいことと信じて、これまで生きてきた。

 けれども見逃していたのだ。この世を美しいと、人の優しさが嬉しいとそう思うのならば。やがていつの日か、返礼は喜びも優しさも全て捨て去り、相手をこの世より消し去ることでしか原初へ近づけない日が来ることを。

 第七のオラクルはそれを知ることがその達成条件。生まれたときより一緒にいて、喜びや悲しみの全てを与えてくれた好敵手、オーケンリッターの命をこの手で奪うことにより――天秤を釣り合わせたことによってオラクルは達成された。

 それはあまりにも惨い真実。ズィール・シレは、かつてフェリシィールが語った話を思い出す。

「使徒は、救世主になることができる。だが自分は、自分以外の大切なものを――全ての人間を殺し尽くすことでしか、救世主には至れない。それは救世主ではない。破壊者だ」

 そうと気付いてしまったこのとき、ズィール・シレの『神の座』を求める巡礼の旅は終わりを告げた。

 この世界を大切だと、この世界に生きる人が愛しいと、そう思っているのなら、もうこれ以上先には進めない。進んではいけない。たとえ存在意義を放棄しても、ここで全てを終わりにしなければいけない。

 好敵手との決着は、また一つの人生への幕引きでもあった。

 真実がどうであれ、それを気付かせてくれた自分の巫女をズィールは再び見やる。

 ……ズィールはずっと前から、オーケンリッターが死に行くとき、最後にかけてやる言葉を決めていた。

 自分が使徒でありオーケンリッターが人間である以上、やがては避けようのない別れが来ると覚悟していたからこそ、最後に言うべき言葉は『ご苦労だった』……その一言であると決めていた。

 やがてお互いに殺し合う運命だったとしても、オーケンリッターが自分を好敵手としてしか見ていなかったとしても、それでもズィールにとってこの人は父親だった。偉大なる人だった。それだけは踏み越えた今も変わらない。

 けれど裏切った彼に対し、もうその労りの別離は贈れない。

 ならば、一体何をもって別離の言葉とすればいいのだろうか?

「…………」

 裏切った相手であってもかけても構わない言葉。ふと、かつて娘が口にした言葉を思い出す。そうだ。たとえ敵であっても誇り高き好敵手ならば、その手管を賞賛することは許される。

「コム・オーケンリッター。貴公は――……」

 けれども、口を開いたときにはもう遅かった。

 逡巡したその最中に、偉大なる巫女は、かつて誰よりも敬愛し愛した老雄は、揺るぎない巌のようにもう二度と動くことはなくなっていた。

 いうべきだった賞賛を息として吐き出し、ズィールはただどうしていいかわからず立ち尽くす。

「……自分は、一体、この先どうすればいい……?」

 使徒としての存在意義を諦めた自分は、これから何のために生きていけばいいのか?
 巫女を失い、大切な人が死ぬ間際に何も言えなかった自分は、この先何をすればいいのか?

 戦いはまだ続いている。やるべきことがあることも、わかっている。
 だけど――立ち尽くすことしかできない。ここにいるのは使徒として崇められる男ではなく、何も出来ない、それこそ見た目通りの、ただのちっぽけな子供でしかなかったから。

「父様」

 そんなズィールの許へ馳せ参じたのは、一人娘――クレオメルン・シレだった。

「クレオメルン」

 娘であり近衛騎士隊長であり、死したオーケンリッターの弟子である少女。自分などを憧れてくれる、賢明に努力している少女。そんなクレオに今の自分を見られることがズィールは途方もなく恥ずかしかった。

 ともすれば、オーケンリッターと相打ちになった方が良かったとさえ、そう思う。今だけは使徒の再生力が恨めしかった。

 クレオメルンはそんな父親の心の内をどれだけ悟ったのか。死した師の亡骸に最大級の騎士の礼を取ったあと、徐にその場に傅いた。

 まるで忠誠を捧げる騎士のように。
 まるで神に頭を垂れる巡礼者のように。

「クレオメルン。一体なに――


――この血この肉この魂の欠片まで、全てを主に捧げん」


 何をしているのか訊こうとしたズィールの言葉を遮って、クレオメルンが徐に詠唱するように一つの誓約を口にした。

 かつて、この文句と同じ文句で始まる誓いを立てられたことのあるズィールは、その一言だけで彼女の身に何が起きたのか、全てを理解した。

「救世の道を辿り、神託を賜る我こそ、唯一使徒の従者を許された者なり」

 それはたった一つの聖なる誓い。一つの主従を神の下に定める聖約。

「忠誠こそ我が名誉。我が名誉は永劫にあなたの傍に。
 使徒ズィール・シレ聖猊下が巫女――クレオメルン・シレ」

 使徒存命の中巫女が死んだとき、その直後に新たな巫女の選定は行われる。
 巫女に選ばれるものに法則はないが、使徒と何かしらの縁がある人物が多いらしい。

 巫女オーケンリッターの死により神が新たな使徒ズィールの巫女に選んだのは、その血を引く娘――クレオメルン・シレであった。巫女となった身として全てを理解したクレオメルンは、この場に誰よりも早く馳せ参じたのだ。

 捧げられた忠誠の聖約。ここでズィールが認めさえすれば、近衛騎士であり娘である少女は、さらに巫女の名を得ることになる。彼女はそれを名誉と思いこそすれ、迷惑とは思わないだろう。

 だからこそ、ズィールは躊躇する。

 今の自分は果たして、この懸命に生きる少女の忠誠を受けるに値する使徒であるのか?

 再び無言で立ち尽くすズィール。何かをいわなければまた後悔すると思いつつも、言葉は出てこない。騒音が支配する戦場において、この神聖なる儀式の場だけは神に守護されたかのように静寂で満ちていた。

(……ああ)

 その中で、新たに巫女となる意志を持つ者の瞳はただ、誇らしさと決意で輝いていた。

(そうか。そうなのか? クレオメルン)

 大丈夫だと。この人は何があっても私が支えてみせると。共に歩いていきたいと、そうその純粋な瞳が語りかけていた。

 巫女が信じてくれる限り、使徒は使徒でいられる。ここで神の座を諦めてなお、クレオメルンがいてくれるなら、ズィールは誰にとっても憧れられる使徒でいられるだろう。

「我が巫女――クレオメルン・シレ。これから共に、救世の道を征く者よ。使徒ズィール・シレの名の下に、汝が誓約を認めよう」

 だから誓いに誓いを返す。

 今度こそは迷わない。
 今度こそは間違えない。

「……ありがとう、クレオ。ありがとう」

「父様……はい。私は、あなたの傍にいますから」

 歓喜に涙する大切な娘を強く抱きしめようとして、彼我の身長差から抱きしめられる。まったくもって無様な限り。だからこそ、ズィールはこれからの自分がすべきことを見出した。

 たとえ無様に過ぎる人間であったとしても、
 この子にとっては、いつまでも誇れる使徒で在り続けようと。

 


 

      ◇◆◇


 

 

 フェリシィールが率いる聖殿騎士団本隊は、順調に魔獣の群を駆逐していた。

 それは数分前までとは別もののような進行具合。物量差に苦戦を強いられていた姿はそこにはなく、使徒の指揮のもと着実に撃破数を伸ばしている。フェリシィールの許に届けられる報は、吉報の割合が圧倒的に増え始めていた。

「どうやら、ズィール様方が何かをやってくれたようですね」

「ええ、そのようです。明らかに魔獣の統率が取れなくなっていますから」

 傍に控えるフローラの言葉に、フェリシィールは心からの笑顔で頷き返した。

 聖殿騎士団が優位に立った理由は、敵である魔獣の動きの質が、あるときを境にぐんと落ちたからである。本来の統率を可能としない魔獣に戻り、隊列は崩れ、逆に近くの魔獣が枷になるかのように動きが鈍った。

 元々何かしらの力を受けて擬似的な軍の姿を形作っていた魔獣だ。崩れればもう跡形もない。物量差さえ覆せる本来の人と魔獣のポテンシャルの差に戻った。

 恐らくは、別働隊が魔獣を軍たらしめていた要素を排除したのだろう。その事実にフェリシィールは口元を綻ばせる。

「彼らばかりに苦労を押しつけるわけにはいきません。戦線を一気に押し戻しますよ」

「はっ!」

 力強い配下の者の返事を聞いて、フェリシィールは黄金の瞳で勝利へと傾きつつある戦場の様子に安堵する。

 そして祈った。願わくば――もう誰も死なないで欲しい。

「全ての人に、どうか神の祝福を」

 


 

 あれだけ濃密だったドラゴンの気配が逃げるように遠ざかっていってなお、肌で感じる異物の気配。

「一体退けたあとにまた一体。これもやっぱり、足止め役のあたしの仕事なのかしらね?」

 双剣を肩に預けつつ、トーユーズは若干乱れ気味だった呼吸を二息の内に整える。火傷や切り傷は小さいものから深いものまであるが、戦闘に支障が出るほどではない。やれというのなら、喜んであのでかいドラゴンを食い止めてみせよう。

「ふんっ。これ以上獲物を奪われてたまるものか」

 破壊を撒き散らしながら暴れ回るキメラにしてドラゴンを射抜くトーユーズに対し、先程別れた別動部隊が、隊長であるグラハムを先頭にして近付いてきた。

 辺りにガーゴイルの姿はない。どうやら全て倒し終わったようだ。ということは次にグラハムが目を付けそうな獲物といえば、トーユーズにはあのドラゴン以外に思いつかない。

「総員! 我々はこれよりドラゴンの討滅に移る! 持てる全ての力をもって俺の援護を行え!」

 疲弊してなお勇壮さを失わない別動部隊にそうはしゃいだ声をかけ、笑ってグラハムはドラゴンを睨む。

 グラスベルト王国に伝わりし竜滅姫の伝説。紅き騎士でこそないものの、騎士である以上ドラゴンを相手取る感慨は存在する。普通にしていれば一生出会うことがない強敵。出会うことが天災と同義の敵を前にして、最強の騎士団長は怪物馬の手綱を握る。

「いざ――強者に挑まん!」

「はっ、男ってほんと馬鹿よね!」

 背後を仲間に任せ、無謀ともいえる正面からの突撃に打って出たグラハムに、トーユーズは短く笑い声をあげて追随した。

 グラハムから非難めいた視線が向けられるが、それを気にする余裕も愛情もない。たとえあのキメラにしてドラゴンが、先程戦った平面のドラゴンと比べてなお異常とも思える気配を纏っていても、トーユーズとしては、この大馬鹿騎士団長に自分の獲物を奪われることが許せないだけで突っ込む理由には事足りる。

 恐らくそれは大馬鹿者のすることだけれど――生憎と、ここにはそんな大馬鹿者が揃っていた。

 グラハムとトーユーズを先頭に、その後ろに多くの騎馬が追随し、さらに背後から色とりどりの魔法光の明かりが追いかける。

 旗持ちが誇りである旗を高く掲げ、角笛も高らかに自らの疾走を讃える。
 紅き騎士らはドラゴンスレイヤーを構え、古の塔の魔法使いたちは最大級の呪文を唱える。

 そうして、ドラゴンが別働隊の動きに気付いた瞬間、世界が結界にくくられたように変質する。

 ドラゴンに挑んだ者たち皆が感じたのは、目の前のドラゴンが、ドラゴンと呼んでいいのかとすら思えるほど異質な気配を纏っていること。並のドラゴンよりなお歪んでいることを、半ば小動物めいた本能で全員が確信した。

 とはいえ、それぞれが名を馳せた勇者たち。咆哮と共に放たれた威圧感を退け、恐怖を押し殺して突撃していく。

「一番槍はもらった!」

「あたしが、ね!」

 まずは一番槍とグラハムの大剣が、大地に根を生やした巨木のようなキメラの胴体に突き刺さる。それとまさに同じタイミングで、雷光の斬撃が黒い肉を吹き飛ばした。

 続いて、すれ違い様に騎士たちがその表面を削っていく。いくら巨木とはいえ、百を超える騎士らの突進には耐えられなかった。その根元部分の過半数を消し飛ばされたキメラの巨体が右方向へとぐらつく。そのタイミングを見逃さず、ミリアン・ホワイトグレイルを筆頭にした大規模破壊魔法の閃光が天空を穿つ。

 雷光色のレーザーが、地上から雲を割って天までを焼き尽くす。
 轟音はキメラの顔――ドラゴンの顎部分を真っ二つに切り裂いたあと、遅れたように衝撃波をまき散らした。

「よぅし」

 騎士として突っ込んでいかずに魔法隊の近くに残っていたロスカ・ホワイトグレイルが、根本から頭の先まで真っ二つに切り裂かれた敵を見て、髭を撫でながらにんまりと笑う。

 それは巨体を倒したが故の喜悦の笑みではない。そう彼が思っていないのは、自らここに残ったことからも伺える。

 彼が笑ったのは勝利を確信したからではなく、自分たちが十分に戦えることを喜んだのだ。キメラの焼き分かたれた二つの肉片は、互いの表面からのびた黒い触手同士が絡み合い、傷口を飲み込むように完治する。

「第二射用意! 詠唱開始! 序説・六章。『雷を固定化する論理』!」

嵐の王よ まつろわぬ影より生じし破壊の雲よ 夜と昼とを覆すものを引き連れし者よ

 主に魔法隊の指揮官として指示を出すキルシュマに、ミリアンらが声を完璧に揃え、次の魔法の詠唱に入る。あれだけの巨体を倒すには、やはり剣より魔法の方が適している。ここでの勝負の采配が自分たちにかかっていることを、誰にいわれるまでもなく魔法使いたちは悟っている。

 キメラの足下で攻撃を続けるグラハムたちに時間を稼いでもらい、再び破壊の閃光は解き放たれた。

 見る者の目を灼くような雷撃の閃光。魔法隊が持ちうる限り、最強に近い大規模殲滅儀式魔法。図体の大きさ故に避けようのないキメラの首を横殴りに切り飛ばした一撃により、巨大なキメラの首がクルクルと空中を舞う。

 その最中、断末魔をあげるように口を開いた状態で飛んでいくドラゴンの顎に黒い灼熱が蠢く。

「総員全速力で退避だ!」

 キルシュマより先にロスカが吼えた。

 防御ではなく退避。最強の攻撃魔法を持つ彼らには、最強の防御魔法の用意もある。けれど、命じられたのは退避。歴戦の雄であるロスカの形振り構わぬ命令こそが、これより先の惨劇を避けられぬものと予見していた。

「こなくそがっ!」

「きゃ!」

 ロスカの太い腕がミリアンの細い身体を掴み上げ、図体に似合わぬ速度でその場を退避する。

 ドラゴンを前にしても震えないほど、自分たちの魔法を誇っていた魔法使いたちは、咄嗟に防御魔法を唱えてしまったため退避に反応が数秒遅れる。

 それが致命傷となった。

 放たれる漆黒のドラゴンブレス。ミリアンたちの魔法が夜に上がる太陽の如きものなら、ドラゴンのブレスは太陽を覆い隠す闇の影だ。

 まるで空間そのものを抉ったかのような灼熱は、百人以上いた魔法隊そのものを一瞬にして焼き滅ぼす。咄嗟に逃げられたロスカ。指揮官故に少し離れていたキルシュマとその周りにいた者以外の全てが、そのとき痛みも疑問も感じる暇もなく、灰さえ残らずこの世から消え去った。

「あ、ああぁ」

 父親のたくましい腕に守られながら、その一部始終を見届けたミリアンが喉を震わせて怯えた声をあげた。

 これまで共に戦い、共に最強を誇った勇者たちが、ただの一撃で殺された。

 これが猛毒。
 これが災厄。

 これが――ドラゴン!

 恐怖の念はまたキルシュマとて同じ。焼け付く大気に触れただけで、重度の火傷を負うに至ったキルシュマは、クルクル宙を舞ったドラゴンが肉体と再び同化したのを見て呟く。

「……化け物め」

 そんな化け物を倒さない限り、この戦いに勝利はない。


 

 

       ◇◆◇


 

 

 思い出すことなど今までなかったが……今際の際に、ようやくそのことを振り返る。

 十年以上も昔の話。まだ、男が幼い頃のお話。
 
 男には生まれつき欠陥があった。エルフという種族は、千年の昔より『始祖姫』の加護を受けている。世界にもたらされた魔法の力を一際高く受け継ぎ、種特有の属性までもを手に入れた。彼らは生まれついて魔法がなんたるかを理解し、自らの手足のように扱ってみせる。幼い子供は笑いながら、その身体の周りに蝶のような神秘の光を舞わせるのだ。

 だが――男だけは違った。

 男には魔法の力を肉体の外に発現できないという、致命的な遺伝子欠陥があった。

 生まれながらの力を成長していく過程で手に入れられないように、生まれながらの欠陥を治す術は存在しなかった。だから、生まれながらにして魔法に愛されるはずのエルフの男は、一生魔法を使えないことを決定付けられた。

 両親はそのことを嘆いた。周囲は男のその様子に同情した。事情を知らない子供たちは、自分たちが当たり前にできることを男ができないことを不思議に思い、自然と避けていった。

 悔しかったわけじゃない。
 虐められていたわけじゃない。

 ただ、浮いていた。当たり前のことを当たり前に使えないというだけで、男はその世界において立ち位置が僅かとはいえ、致命的にずれていた。

 ……いつからだろう。一人を好むことようになったのは?
 誰かと群れるより、一人でいることの方が気楽に思えるようになったのは?

 少しずつ男は周囲とずれていった。同年代の子供達が魔法の勉強をしている間、男は狩りの修行をし、暇を持て余すように身体を鍛えた。

 何か目的があったわけでも、何かに駆られたわけでもなく。

 ――退屈。

 その一言に抗うために、男は生きていた。

 そんな男に転機が訪れる。

 里へとやってきた狂気の賢者に攫われたモルモットの中に、男の姿もあった。
 連れて行かれた研究所で行われたのは人体実験。地獄よりも生々しい、人の狂気を見ることになった。

 男も例外にもれず改造を施され、多くの仲間たちがそうであるように死ぬのかと覚悟した。

 けれど皮肉にも、その生まれながらの欠陥が男の命を救った。魔力を身体の外へと放出することができない男にはモルモットとしての価値もなかったのだ。

 男は捨てられた。ゴミの中へ埋められるように放り投げられた。

 臭くて気持ち悪い反吐の上、耳には未だ仲間たちの断末魔が聞こえている。けれども男だけは自由だった。そのときその瞬間、しがらみも何もなくなった男は、本当の意味で自由だった。

 男は里へは戻らなかった。
 
 なぜなら、男は退屈していたから。変わらない毎日に、刺激のない人生に飽き飽きしていたから。

 男は旅に出た。理由はない。覚悟もない。ただ退屈だから、おもしろそうなことでもないかと旅に出た。

 とりあえず、男は戦うことが大好きだったから、強い奴に会おうと思った。強い奴に会ったら、本気の本気で戦い合おうと思っていた。

 いつしかそれが男の人生になっていた。

 ――退屈。

 原初の衝動を、いつしか忘れていた。
 自分が退屈だったことさえ、今の今まで忘れていた。

 思い出したのは今際の際。ゴキリの生々しく足の骨が折れ、無様に地面に転がったそのとき。

 そう、ヤーレンマシュー・リアーシラミリィは退屈していた。死に至るこの数分の間、何年も何十年も静止を強制されたように、退屈していた。

(ちっ、負けちまったなァ)

 部屋が炎によって焼け落ちようとしている中、ヤシューは何も出来ない自分の不甲斐なさに毒づく。

 ジュンタとの心躍る戦い。結果はこの様。ヤシューは負けた。死以外に選択肢のない現状、完膚無きまでに負けたといっていい。死ななければ負けじゃないが、死んでしまえばそこで終わり。ヤシューは、ジュンタに一度も勝つことができずに負けたのだ。

 何が悔しいかといえば、もちろん負けたこともそうだが、それ以上に。

(くっそ。もう戦えねぇってのが、一番悔しいなァ)

 もうあの心躍る戦いへと身を投じることができないことが一番悔しかった。

 力を追い求めたことは後悔していないが、その結果がこれじゃあ色々と納得がいかない。これで勝利していたら、きっとヤシューは何の後腐れもなく満足して死ねただろう。死に至るこの瞬間に、何回も同じ人生を繰り返すような退屈感に死にたくなることもなかったろう。

 勝ちたかったなァ。また戦いてぇなァ――それがヤシューの心を占める想念。

 強い獣ともう一度喰らい合いたい。そして満足の行く勝利を得たい。だが、今更後悔してももう遅い。自分の身体がどれだけ壊れているかはわかりきっている。今目を閉じてしまえば、もう二度と眼を覚ますことはないだろう。瞬きでさえ、あと何回できるかわからない。

(ジュンタ……)

 炎の中、ヤシューはくすんだ灰色の視界の中で、好敵手を思って後悔を胸に泥のように溜めていく。

 昔から退屈していた。
 退屈しのぎには戦いが最適だった。
 最高の戦いが、最高の相手との戦いが、最も刺激的だった。

 人生の価値を決めるものがあるのだとすれば、それはどれだけ強い奴と勝ったかという一点に尽きる。そう思えば、ヤシューの人生の価値は殺した最も強い奴にある。ジュンタは殺せなかったから人生の価値にはならない。

 ああ、誰だっただろうか? あまりにジュンタが強いから思い出せない。彼の次に強かったのは、一体誰だっだろうか……?

(……どうでもいいか)

 覚えていないのなら、きっとジュンタには及びもつかない雑魚だったいうことだけ。最強にはこの上ない礼儀を払うが、過去の強者には大した感慨もない。そもそもの話、人生の最後で過去を懐かしむのは性に合わない。

 潔く――さぁ、後悔しながら死ぬとしようか。

 瞬き一つ。

 一回ごとに世界と共に自分が死んでいく。視界には変わらぬ色褪せた灰色。感覚ももはやなく、高揚もどこか遠くに置き去りにして、頬を打つ生々しい血の臭いに獣の嗅覚だけが生きていた。

「……最後まで最低、ね。馬鹿ヤシュー……」

 耳に心地良い相棒の声が届く。

 そこで、初めてヤシューは気が付いた。視界を占める灰色の景色の中、自分を見下ろすグリアーの姿があることを。

 顔を間近まで近づけて、苦笑めいた、けれども滅多に見せない笑顔を見せているグリアー。まさか彼女がそんな花咲くような乙女の如き笑顔を見せるとは、死の淵から少しだけ戻ってくるくらい、それは衝撃的なことだった。

(よぉ、グリアー。似合わねぇことしてるじゃねぇか)

 声にはできずに内心で感想を伝えた。何年一緒にいると思っている。たとえ声は届かなくとも気持ちは伝わったようで、グリアーは強く自分の額をこちらの額にうちつけてきた。

 痛みはもう感じないが、それでも頭突きされたことだけはわかった。まったくもってこの女は何がしたいのか?

(さっさと逃げねぇと、テメェまで炎に巻かれちまうぜ?)

「別に今更よ。炎に焼かれて死ぬことは、絶対にあり得ないんだから」

(あァ?)

 怪訝に思うヤシューの視界に、あり得ざる色が入り込んでくる。
 モノトーンの世界の中、それは毒々しいほど鮮やかな赤色。血はグリアーの艶やかな唇を赤く染め上げ、なんとも色っぽく輝かせていた。

(おいおい、こりゃまたどういうこった?)

 色褪せた世界の中、少しずつ、けれど確かにグリアーの姿だけが色鮮やかになっていく。花開くように、薫り高い美女が現れる。赤い赤い生命の色で満たされた彼女は、こんなときにいうのは何だが、正直この世の誰よりも美しかった。

「あははっ、まさかヤシューが私に見とれるなんて。まぁ、最後くらいはいいか」

 美しく可憐な彼女は、

「ねぇ、ヤシュー。あんたの望みは強い奴を倒すこと。倒して、殺して、その強さを自分の価値にすることだって私は知ってるわ」

 何がそんなに嬉しいのか、

「アンタが最後に選んだのはジュンタ・サクラっていう獣。けど、アンタは負けた。完膚無きまでに負けた。負け犬。大馬鹿者の負け犬ヤシュー。情けないったらありゃしない。相棒として、そろそろ愛想が尽きました、っていうわけ」
 
 自分の赤い血で輝きながら、

「だから、ね――

 夢が叶ったように笑っていた。


「私で、あんたの相棒で――グリアーで我慢しときなさいよ」


 ドクンドクンと、もう途絶えた自分の鼓動の代わりに、ヤシューは自分の手が貫いたグリアーの心臓の音を聞いていた。

 強く握られ、強引に胸へと誘導させられたヤシューの破壊の右手は、容易くグリアーの胸を貫いて、その中にあるものを握り潰していた。今ある鼓動は触れた命の残照。血を流しながら微笑む相棒が刻んだ、最後の命の音だ。

 人生の価値をつけるものが殺した相手の命ならば。今彼女しか殺した相手のことを思い出せないのなら、ヤーレンマシュー・リアーシラミリィの価値はグリアーそのものにあった。

 出会ってから強引に後ろをついてきた相棒の望みが自分に殺されたい――殺されることで強者であると認められたいと知っていたから驚きはない。

 ただ、愛おしいなと、そう正直に思った。

(……ったく、俺はテメェに、そんな役回りは課してねぇぞ。グリアー)

 ヤシューは一人に一つの役割しか与えない。ジュンタはライバルであるし、嬉しそうに息絶えた相棒はやはり相棒だ。

 ヤシューは知っていた。とっくの昔に気付いていた。グリアーだけは、自分では唯一絶対に勝てない相手だということを。だって、いくら強くなっても戦う気がおきないんだから、こいつとだけは戦いたくないと思ってたんだから、最強はジュンタであっても無敵はグリアーだった。

(ちくしょう。どっちが我が儘だってんだ。最強の前に無敵を殺して、これは何の罰ゲームだ?)

 認めていたし、好きだった。それくらい言わなくてもわかれよ相棒なら。

 我慢とか満足とかそういう話じゃなく、自分の中ではグリアーというのは、ジュンタとは別の意味で特別だったのに。

 それを……ちくしょう。普通に愛し合えない理由を作っていたのはどっちの方だ?

 そうしてヤシューは、最後に一言心の中で呟いて、人生の幕を落とす。

 大きな後悔と小さな安堵。手に触れた鼓動の残照に包まれながら、満足なのか不満なのかわからないまま死ぬ。やっぱりもう一回強敵と戦いたいと思うけれど、あの世へ行ったらグリアーが待ってくれていると思うとそれもいいかと思ってしまう。

 けれど、一つだけはっきりしていたのは、

――あばよ)

 退屈だけは、どこかへ行ってしまったということだった。






 そして獣は、死者たちによる地獄の釜に堕ちた。

 

 


       ◇◆◇

 


 

 絶対なまでに圧倒的。ジュンタとリオンが目の当たりにしたキメラでありドラゴンであるものの力は、あれだけ強壮だった別働隊の精鋭をも容易く退けるほどだった。

 そしてキメラ――ウェイトン・アリゲイの中から、尚も断続的に魔力の波を放っている存在がいることを、儀式の阻止は未だ叶っていないと二人は気が付いていた。

「間違いありませんわね。あのキメラ、ドラゴンのみならず『狂賢者』も取り込んでいましてよ」

 つまり、わかりやすい最終決戦の構図。ここでウェイトンを倒し、彼が守るディスバリエを捕らえなければ戦いは終わらない。逆をいえば、今目の前で暴れている獣を大人しくさせれば勝負は終わる。聖戦に勝つ――そういうことだ。

 とはいえ、一度激闘を経て満身創痍なジュンタでは満足に戦えるはずもない。隣を見てみれば、リオンも同じような有様だった。ウェイトンの攻撃を避けられそうもない有様で、けれど指摘すれば大丈夫だと無闇に自信たっぷりに返されるのは分かり切っていたことだった。

 リオンには満足行くように振る舞っていて欲しいが、だからといって無駄死にさせるわけにはいかない。

 仕方がないと思う以上に、これしかないとそう思って、ジュンタはリオンの肩を抱き寄せた。

「ジュ、ジュンタ! こんなときにいきなり何を?! ふ、不健全ですわよ!?」

 と言いつつ、リオンは手を振り払ったりはしない。照れくさそうに身を寄せてきた。

 伝わる温度に、同じ場所に並んだ二つの黄金の指輪。それは隣あって並ぶ夜空の星の如く。自分とリオンがそうであることに、ジュンタは大きな安心と力をもらった。

(大丈夫だ。俺は、狂ったりなんかしない。リオンがいてくれるなら、俺は、絶対に大丈夫だ)

 不安や恐怖はどこかへ消える。
 天敵の炎に焼かれてしまったかのように、ジュンタの中から消え去ってしまった。

 小さく唇に笑みを浮かべながら、リオンはジュンタのことを見ていた。その視線には、何か秘策があることを察した、絶対の信頼が込められていた。

「好きな人にそこまで頼られたら、やらないわけにはいかないよな」

 ジュンタは目を閉じて、自分の中にある誰かに語りかける。

 それは世界を歪める力を持つもの。サクラ・ジュンタを狂わせてしまうかも知れない巨大な力。けれども今このときこの瞬間、それは愛する女を守り、美しい騎士の期待に応えるための都合のいい力でしかしかない。

――君が悪だというのなら」

 口ずさむのは聖句。目の前の全てを、それが正義であってもはね除けるという誓い。

――それでも想うが故に」

 自らの我を貫き通すという欲望の声。人ならざる獣の求め。

――それが救いと信じて」

 自らの行いを肯定する。自己満足のままに、傲慢なほどの肯定を今――

――我もまた悪の名を欲す!」






 ―――― ただ在って、全てに至る者 ――――

 


 


 金色の賢者は、炎の海の中で目の前にもう一体それが現れるのを見届けた。

 美しく伸びやかな純白の体躯には、黄金よりも美しい輝きの線が横切っている。
 大きく広がるのは虹の翼。奇跡の力によって編み上げられた、この世で最も美しい神の芸術品。

 獰猛な牙も爪も全ては輝ける双眸の下にあっては、畏怖と共に崇敬させるにたる神威を帯びる。

 終わりの魔獣ではなく、終わりの神獣たりえる獣。

 ドラゴン――使徒サクラ・ジュンタ。

「さあ、行くぞ。リオン」

「ええ、行きましょう。ジュンタ」

 その進化を目の当たりにした金色の賢者は、再び瞠目することになる。

 神獣へと姿を変えたジュンタの背にリオン・シストラバスが騎乗している姿を見て。

 ――それは、戦場にいる誰もがおかしいと感じる、あり得ない光景。

 世界の敵と恐れられ、人のために滅ぼされ続けてきたドラゴンと、誰よりもドラゴンを滅し続けてきた竜滅姫。相容れないはずの二人が共に在り、共に戦おうとしている。

 それは伝説ではなく、神話にも描かれない存在。
 愛によって現実のものとなった、嘘みたいな本当の話。

 虹翼のドラゴンは飛翔する。その背に愛する『竜騎士ドラグーン』を乗せて。

 地上の星は、空へと征く。









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