第十四話  破壊はここより
 



 ドラゴンとなったジュンタの口から放たれた虹色のブレスに対し、ウェイトンもまた漆黒のブレスをもって応えた。

 互いの間で炸裂する破壊の光。見る者に絶望を覗き込ませる黒い光と、見る者に希望を伝える虹色の光。燃え続ける『ユニオンズ・ベル』の周辺にいた者は、人間、魔獣問わずその激突に目を奪われた。

 ついで、衝撃波が砂塵を舞わせるに至って、両者の足下にいた騎士たちは慌てて退避する。
 ドラゴン同士が戦うということがどうなることか、ただ一目見ただけで歴戦の戦士たちは悟っていた。

「よろしくてよ、ジュンタ。皆さんの避難は終わりましたわ。暴れても誰に迷惑はかからなくてよ」

「了解。いっちょ暴れてやりますか」
 
 リオンの声が耳の後ろのあたりに響く。どこに聴覚があるのか今ひとつわからないドラゴンの身体だが、首の付け根近くに騎乗するリオンの声だけは一言一句逃さず聞こえてくる。さながら名騎手と名馬のように。何だか無性に奮い立つこの気持ちは、もしかしたら騎乗される喜びというものなのかも知れない。

 おおよそ王たるドラゴンが、人に騎獣扱いされて喜ぶなど甚だおかしいが、それがリオンなら別だ。二人で共に戦える。それだけで喜びもひとしおだ。

 ジュンタはドラゴンに変わることによって低く変化した声を震わし、自分の巨体よりなお巨大な敵を睨みつけた。

 金色の双眸で睥睨するそれ自体が、一つの圧力をもってウェイトンに襲いかかる。が、彼はビクともしない。

 キメラとしても破格の巨体は、大地に根を生やした大樹だ。何千年とその地に君臨する黒い大樹。とはいえ本来大樹を見て抱くべき感嘆はなく、それを見て抱くのは生理的嫌悪の方が強い。   
 表面は波打つ触手の壁。肉塊は粘液で濡れ光り、頭部の肉を裂いてのぞくドラゴンの頭。その額より文字通り生えたウェイトン・アリゲイ。

 キメラなのか、ドラゴンなのか、ウェイトンなのか。
 あるいはその全てであり、どれでもないのか。いまいち判別付かないそれは正しく混沌の獣だ。

「神ヨォオオ」

「来ますわ!」

 狂信の雄叫びをあげ、全身より無数の触手をのばしてくるウェイトン。リオンは手綱代わりに内股で強く首筋部分を挟んで動けと命じてきた。

 了解――声の変わりに、ウェイトンに負けじと雄叫びを放ち、ジュンタは一気に加速する世界へ突入する。

 虹の翼が凄まじい推進力をもたらし、飛翔速度は一秒以下の加速時間で音速へ。矢の嵐のように降り注ぐ触手の雨を避けるではなく勢いでぶち切って行く。さらにきりもみ回転を間に挟むと、切り裂かれた大気が唸りをあげ、猛烈な渦を作って直線上に佇んでいたウェイトンの本体に突き刺さった。

「無闇やたらと突っ込むものではありません! 即刻退避。大きく旋回!」

 竜巻の中でそのまま肉塊を突き破ろうと考えたジュンタを静止させ、リオンが指示を出す。
 それはどこまでも的確で、以前は突破が容易かったキメラの肉の壁を、ジュンタは貫き破ることができなかった。

 リオンの指示が前もってあったから、それを目に咎めた瞬間、物理法則をねじ曲げてジュンタは後方へと飛翔する。前進と何ら変わらぬ速度で来た道を戻ると、ウェイトンから距離をとって大きく旋回した。

「お馬鹿! あれは以前戦ったキメラ――いいえ、あなたでしたらウェイトン・アリゲイですか――とは違いますのよ」

 普通の人間なら圧死しているところを平然としているのは、ジュンタが纏う『侵蝕の虹』と一体化しているがための加護か、あるいは彼女がリオン・シストラバスだからか……恐らく両方だろう。初めて音速の世界と物理法則を超えた機動を体験しながらも、リオンは凛とした眼差しで冷静に敵の分析をしていた。

「ドラゴンを取り込んだウェイトンの力は、少なく見積もってもあなたと同等。自分に比類する敵と思って油断なく戦いなさい。獣の姿になったからといって、人間としての尊厳まで忘れていては意味がありませんわよ」

「ヤー。マイ・ドラグーン」

 気取って答えつつ、ジュンタはリオンの言うとおりだと心構えを改める。

 いけない。神獣化すると、人間の状態では感じない圧倒的な力の滾りに興奮してしまうのだ。戦闘狂になるとは少し違う。ただ、少し傲慢になってしまう。それが油断に繋がらないためにも、乗り手のいうことはきちんと聞かなければ。

 今の自分はリオン・シストラバスが駆るドラゴン。この世界では間違いなく初だろうドラグーンの騎竜なのだ。

 自らの役目を弁えろ。でなければ目の前に敵に勝つことはできず――

「っ」

 ――自分の世界の内側で蠢く狂気に負けてしまうぞ。

 いくら大丈夫と確信があったからといって、神獣化することにはリスクが伴う。神獣化した直後から、見えないところから狂気へと誘う声ならざる声が聞こえてきた。それは受け入れたが最後、怪物へと変わってしまうものだ。

 それに抗いつつ敵を倒すためには、リオンのいうことをよく聞かなければならない。己がドラグーンを信頼しなければ。

(大丈夫さ。俺とリオンなら)

 負ける道理はない。なぜならばジュンタは、リオンの心の底から信じ抜いている。

「さあ、邪々馬の気性にも慣れてきたところで、そろそろ私も行きましてよ」

 リオンは握っていたドラゴンスレイヤーを構え直す。
 それを合図と解釈して、ジュンタはウェイトンの背後へと大きく旋回しつつ一気に仕掛けた。

「ブレス!」

 喉の奥に灼熱を。大きく広げた虹の翼の中、炎を司る魔法陣の力を発動させる。
 無数の小さな魔法陣は赤く染まり、口の前に縦に重なり合う火属性の魔法陣を組み立てる。

 ジュンタの口から飛び出したブレスは魔法陣を通り抜けるたびに収束し、煮え立つ炎の吐息と化した。ウェイトンの巨体全てを包み込むほどの炎は、城一つをまるごと焼き落とすかのような一撃。

「接近!」

 しかし、そのブレスなど所詮は目隠しに過ぎない。表面で蠢く触手を焼き払ったのち、ジュンタはリオンと共にキメラの頭部目指して駆け抜けた。

 鼻先に触れる炎の壁は退けられ、リオンが握るドラゴンスレイヤーに吸収されていく。本当に吸収しているかは定かではないが、ドラゴンスレイヤーはまさしく周りにある業火を吸い込んだかのように燃えていた。

 その剣が獲物と見定めたのは、キメラの中でも重要な部分と丸代わりの箇所。
 炎の向こうに現れたドラゴンの頭部目がけて、すれ違い様にリオンの斬撃が見舞われる。

 大気を通じて世界そのものを殴りつけたかのような威力の斬撃が、ドラゴンの頭部に深々と傷を刻み込んだ。高速で移動する速度を上乗せしたリオンの一撃は、恐らく直撃すればドラゴンでも一刀両断できるのではなかろうか。
 傷を負っていたリオンだったが、騎乗することで自分の足以外の機動力を得、なおかつ虹の恩恵を受けたことによって十全の力を発揮しているようだった。

「やったか?」

「いいえ。手応えは十分でしたけど、僅かに軌道を逸らされましたわ。どうやら魔獣となったからといって、理性まで失ったわけではないようですわね」

 身体を揺することで炎を打ち消したキメラが健在であることを、リオンは振り向きつつ確認する。さすがに一撃では無理があったか。

「やはりリーチ不足は否めませんわ。ジュンタ。あなた、以前ドラゴンになったときに光の双剣を使えるようになったと言ってましたわね。あれは使えまして?」

「大丈夫だ。どうすればいい?」

「私のいうとおりに戦えばよろしくてよ。安心なさい。今のあなたの力と私の経験が合わされば、まさにドラゴンに竜滅姫ですわ」

「うん、そのままだな。何の比喩表現にもなってないな。言いたいことはわかるけど」

「な、なら黙ってなさい! 今は戦いの最中ですわ!」

 得意気に言い放つリオンにツッコミを入れたところで、かわいい反応が返ってきた。そのことにジュンタは気をよくしつつ、戦うほどに込み上げてくる狂気に抗いつつ、両手に力をこめる。

 ドラゴンの姿になる度にジュンタはそのポテンシャルを引き出していた。最初はブレス以外に攻撃手段がなかったが、無数の――組み合わせ次第で無限となる無限魔法陣の虹翼の力を使えるようになった。それは本能が勝手に動いた末身につけたものであったが、感覚としてそのときのことを覚えているため、問題なく扱える。

 両手に双剣を握ったのも、要は虹翼によるエンチャント・ブレスと似たようなもの。ブレスではなく直接両手に魔法を発現させればいいだけ。

 双剣という人間時に使っていたものの方が、むしろイメージを浮かべやすく使いやすくもある。集中からそう時間がたたずにジュンタの両手に虹色の巨大な双剣が現れる。

「一気に行きますわよ!」

「ヤー。マイ・ドラグーン!」

 すぐに次の作戦を考えついたリオンは、騎士が剣と同じくらい騎馬を巧みに操るように、ジュンタの力を我がものと変える策に打って出る。

 全方位に伸び縮みする触手の中をかいくぐり、ジュンタはウェイトンの顔がある場所まで接近を果たす。間合いを語るならキメラの全身を三枚におろすことも可能な位置。
 近いため抵抗も激しいが、ドラゴンの身体とキメラの触手とでは差がありすぎた。翼を故意にはためかせるで、適当な魔法が炸裂して退ける。虹の翼を持つだけで、ジュンタは魔法使いといってもいいほどの魔法行使を可能としていた。

 元々使徒は魔法使いの方に適正があるもの。無秩序に組み立てられては放たれる無差別魔法は、時に雷撃となり、時に炎となり、あらゆる外敵を排除していく。

 しかし、ジュンタが選んだのは剣を執るという道。
 あえて常道を捨て、リオンという眩しい騎士に比類するため邪道を選んだ。

 触手では埒が明かないと思ったのか、ウェイトンはドラゴンの口を大きく開かせる。目と鼻の先で呪いが固まったような黒い炎が揺らめく。触れれば腐り落ちてしまいそうな絶望の光は、虹翼の魔法でも防ぎきれない規格外。

 ジュンタは両手に力を漲らせ、吼える。

「その程度で――

――騎士の剣を阻めるものですか!」

 それに重ね合わせるようにリオンが見えない手綱を引いた。

 放たれるブレスに向かってジュンタの双剣が閃く。右が、左が、光の束が幾度となく役割を交代してブレスの切っ先と凌ぎを競い合う。それはまるでドラゴンという規格外に単身挑む騎士のように。

 ならば、ジュンタの双剣がブレスを真っ二つに切り裂き、その先にあるドラゴンの首を切り落としたことは、騎士の剣が尊いという証明になるのかも知れない。

 見えない縁を通じ、リオンの意志がジュンタには明確にわかった。あるいは『侵蝕』が二人の間にある壁を打ち破ったのか、このときこの瞬間、ジュンタとリオンの意志は二人で一つだった。

「まだまだァ!」

 ――オォオオオオオオオオオオオッ!!

 言葉と共に咆哮が響き渡る。首を切り落としてなお動きを止めない剣の乱舞。光が時に光線の如く伸び縮みする光の双剣による不条理の乱舞。二つしかないはずの剣の軌道は時に四つ、八つと別れ、頭上より下へと次々にキメラの身体を切り崩していく。

 ドラゴンと化したジュンタの剣の威力と、リオンの剣技が合わさった今の剣舞に抗う力などキメラにはない。瞬く間に小山ほどもあった巨体が小さな泥の塊にまで切り落ちる。

 最後に止めとして、広範囲に広がる炎のエンチャント・ブレスを吐き出したあと、ジュンタは空へと上がった。

 黒い肉があたりに散乱する、ともすれば凄惨な殺人現場にも見える光景。人間ならもちろん、魔獣であっても死は免れない解体現場。

 だが――二人は知っている。ドラゴンの不死性を。


「ああ、そうですね。神ならば、神らしくせねばなりませんね」


 透明な美声が聞こえた。

 小さな声だったけれど、まるで心臓を鷲掴みにされたように、ジュンタとリオンの耳には届いた。

 散乱した肉の中、一番最初に落下したドラゴンの頭部を中心に、必要な――ドラゴンの因子を孕んだ肉だけが動く。

 ナメクジのように這うのではなく、忽然と闇に消え、さらなる闇の許に出現する。
 闇の中心にはドラゴンの額より生えた金色の狂信者が。まるで全てを飲み込むブラックホールのように黒い海を足下に出現させつつ、ウェイトン・アリゲイは艶やかに微笑んだ。

「これは失礼しました、我が神よ。我が天敵よ。御身らの前で我が身が見せた無礼のほど、どうか容赦いただきたい。少々胃もたれしてしまったようで、ははっ、お恥ずかしい限りです」

 友好的に話しかけられたジュンタたちの方が困惑した。

 奇声をあげることしかできなかったウェイトンは今、下半身をドラゴンの中に埋め込んでいるという状態はそのままに、まるで生前の人だった頃のように中性的に微笑んでいる。

「ですがあなた方のお陰で余分な肉を落とすことができました。やはり欲張ってはダメですね。初心を忘れてはいけません。私にはこの身体だけで十分」

 闇の海より這いずり出てくるドラゴンと同化している――だからこそ、その穏やかさは異常を際立たせる。

 大きく骨のみの翼を広げ、瞳を持たぬ、腐り落ちたドラゴンは空へと浮かび上がる。

「そう、この身こそが人の果て。望みの果て。全ての欲望切望を叶える、聖なる神体」

 その瞳を鮮血の双眸に変えたウェイトンは大きく両手を広げ、自分自身の聖誕を祝福した。


「偉大なるかな、この私! 私はついに神へと至った!!」


 それは世界を腐らせる狂信の咆哮。

「ジュンタ」

「ああ、わかってる。ここからが本番だ」

 ジュンタは、リオンは、ここからが本当の戦いなのだと理解した。


 

 

      ◇◆◇


 

 

「まったく、足下にいるこちらの身にもなって欲しいものだな」

 焼け崩れる『ユニオンズ・ベル』から命からがら抜け出したサネアツは、ずるずる引きずってきた人を炎の中から避難させたところで、ずっとくわえていた服から口を離した。

 白い身体は煤や汚れで汚くなっており、ところどころ血が滲んでいるが、一番疲労がたまっているのは顎である。

 決して引きずってきた相手が重たかったとはいわないが、さすがに猫の身体で人一人分を運ぶのは無理があった。ある程度魔法で補助できたとはいえ、ほとんどは自力と根性だ。明日あたりは顎が相当痛くなっていることだろう。

 とはいえ、文句はいえない。

 ユースが血と火傷を負って気を失っているのは、サネアツを守った結果なのだから。

「頭が下がる思いだな。俺では、ドラゴンのブレスを浴びれば確実に死んでいた」

 ドラゴンブレスが放たれたあの瞬間、ユースは自分の身体を盾にして守ってくれた。それはサネアツの防御力が著しく低く、たとえ防御魔法を展開していても、ドラゴンのブレスを浴びればひとたまりがないとわかっていたからだろう。

 彼女が自分を防護するために展開していた魔法の一つを風の攻撃魔法と変え、思い切り吹き飛ばしてくれなければ今頃こんがりローストされていたのは間違いない。命の恩人は大切にしなければ、と、ブレスを浴びて瀕死状態になったユースをここまでくわえて連れてきたわけである。

「とりあえず命に別状はないか。とはいえ、このまま放っておくわけにも行くまい」

 ドラゴン同士の激突によりほとんどの魔獣が逃げ去っているが、どこに敵が潜んでいるとも限らない。こんな場所に無防備にユースを放っておくことは、ソウルパートナーが必死に戦っているのを見てなおできない。

「……行って、ください」

 か細い声でサネアツの背を押したのは、眼を覚ましたユースだった。

「ユース。大丈夫か?」

「ええ、大丈夫です。命には別状ありません。すぐに動けるようになるでしょう」

 弱々しい声ながらも、ユースの眼差しはいつも通りだった。

「ですから、私のことは心配なされないでください。サネアツさんはリオン様とジュンタ様の許へ」

「しかしだな」

「ダメですよ、自分の役割を忘れては。たとえあのお二人が結ばれても、私がリオン様の従者であるように、あなたはジュンタ様の親友なのでしょう? でしたら、助けに行って差し上げなければなりません」

 迷うサネアツに、倒れたままユースは言い聞かせるように言う。

「私はご覧の通り、今は歩くことができません。ですが死んだわけでも死ぬわけでもありません。ただ、今は疲れているだけです。
 ですから、今歩けるあなたに託すのです。私の分まで、どうぞお二人を支えてあげてくださいませ。あのお二人はとても危なかっかしい人ですから」

「ユース……」

「もう一つの心配事の方なら私にお任せを」

 そう言ってユースは魔法陣を手のひらに展開した。それは小規模なものだったが、その効力は一目でわかった。探索の魔法だ。

 ……あのとき、ドラゴンのブレスを受けるあのとき、ユースは防護の一つをサネアツを助けるために犠牲にした。それは同時に彼女が自らの命を守るカードの一つを手放したということ。あの漆黒のブレスは、封印の風のアニエースとて油断できるものではなかったというのに。

 しかし魔法行使が可能な程度の怪我で済んだのは、ユースの他にも仲間を救うために自らのカードを捨てた少女がいたということ。ここにはいない、見つけることができなかったクーヴェルシェンが、自分のための防御魔法のほとんどを仲間へと向かわせたからであった。

「クーヴェルシェン様は私が見つけ出してみせます。あの方でしたらきっと大丈夫でしょう。ですからサネアツさんはリオン様方の方をお願いします」

「一人でいいのか? あのとき、クーヴェルシェンの様子は尋常ではなかったぞ。そう、まるで」

「心配しないでください」

 サネアツの言葉をユースが止めた。

「サネアツさんの言いたいことはわかるつもりです。ですが、彼女をこのまま見捨てることはできません。そんなことをしては、ジュンタ様にもリオン様にも会わせる顔がありませんから」

「ふぅ……道理だ。了解した」

 強情なまでに無感動な瞳で懇願してきたユースを見て、サネアツはジュンタがリオンの我が儘になかなか逆らえない理由を分かった気がした。

「まったく、女というものは強いな。怖いほどに」

 きょとんと首を傾げるユースを見て、サネアツは少しばかり自分の中で揺れ動くものがあることに気付き、ニヒルに笑った。

「いや、何でもない。俺はジュンタたちの援護に向かうとしよう」

「お気を付けて」

「うむ。まあ、任せたまえよ」

 最後に激励を受けて、見送られるままにサネアツはその場を後にする。

 ……心配は残っていた。

 あのとき、あの瞬間――ドラゴンブレスが命中する瞬間、サネアツは確かに見ていた。見知った少女が得体の知れない力を纏い、ブレスを弾き飛ばしたのを。それが自分たちを救った最大の要因だと。

 だが……今はユースの言葉を信じよう。それが、仲間というものだ。


 

 

「ああは言ったものの、芳しくない状況ですね」

 サネアツがいなくなったのをきちんと確認してから、ユースは冷静に状況を把握した。

 一番危険な戦いに身を投じる主とその恋人のためにサネアツを行かせたはいいが、ユースの状態もよくはなかった。探査魔法を使えないほどではないが、その精度は著しく落ちている。これではとても、あの破壊の中離ればなれになったクーヴェルシェンを探せるとも思えない。

 そもそも、あの破壊の直撃を受けた彼女が、この世に生き残っている確証すら……。

「ダメですね。傷を受けて、気が弱くなっているようです」

 ユースには誰も知らない癖のようなものがある。
 それは一人でじっとしていると、考えること考えることネガティブになってしまうことである。

 それは過去を思い出したから。あの希望も何もなかった頃のことを思い出してしまうから。我がことながら情けないと思うが、こればかりはなかなか直せなかった。

 しかし、リオンと出会ってからはそうでもなくなりつつある。いつでも彼女が一緒にいて色々と騒がしかった――それもある。だがそれ以上に、いつも自信満々な彼女の傍にいることで、その自信が伝播してきたのが大きい。今では自分がネガティブなことを考えていると気付き、叱咤できる程度には改善の傾向が見られる。

広げて どこまでも見るために

 ユースはクーヴェルシェンが生きていない可能性を否定して、探索の領域を広げる。集中に足りない部分は竜滅姫の従者をしているという誇りで補って。

 呼吸を整えつつ、目をそっと閉じる。

 探索の魔法は相手のイメージを強調し、波長を合わせることが重要となる。自分をまるで誰にとっても等しく感じる風のようにイメージし、空がどこまでも広がっているように、大きく広がっていくイメージを浮かべる。

世界は美しい

 一言だけの自己暗示。あの過去があったからこそ紡げる、ユースが見つけた確かなもの。

 瞼の奥にここではないどこかのイメージが現れる。それは鮮明な映像ではなく、風にくすぐられた相手が身をよじるような、そんな些細な感触でしかない。けれど、ユースは確かに呼吸を繰り返し、この美しい世に生きている少女の息吹を感じた。

「見つけた」

 クーヴェルシェンの気配を捉えた途端、あれだけ遠く感じた距離が一瞬で近くなる。まるで隣に彼女がいるように。対象を捉えた探査魔法は、相手の深いところまでわかるようになるのだ。

 ユースは見つけたクーヴェルシェンを助けるため、ぐっと両腕に力をいれて起きあがろうとする。しかし傷は思ったよりも深く、思ったように立ち上がれない。

 そうこうしている内に、感じ取った少女の呼吸が弱っていくのを感じた。

(いけない!)

 腕に根性を注入して、メイドとしてあまりよろしくないかけ声と共に身体を起こす。

 なんとか立ち上がることに成功したユースは、気配の糸を長く延ばし、固定させ、紡ぎつつ、クーヴェルシェンがいる方を目指して歩き始めた。

 幸いなことに、クーヴェルシェンがいる場所は『ユニオンズ・ベル』から離れていた。どうやら落ちた先が良かったようで、これなら炎に巻かれる心配はない。とはいえ安心できる状態ではないのは確かなので、可能な限り速く移動する。これで心臓の音を捉えられればある程度安心できるのだが、精度がいまいちなのか、心臓の音が聞こえてこない。

 絶えず気配の糸を伸ばしつつ、ユースはクーヴェルシェンへと近付いていく。

「クーヴェルシェン様、ご無事ですか!」

 そうして目的地にたどり着いたユースは、見つけた。


「あら? 先程から誰かに探索されていると思っていましたが、あなたでしたか」


 そこにはクーヴェルシェンはいなかった。

 代わりにいたのは、汚れ一つなき純白の馬。
 なびくたてがみは金色。そこにいたのは、この世あらざる獣の姿だった。

「以前通じたラインを辿ってきたわけですか。やはり、まだもう少し紛い物の意識を押し流すのには時間がかかるようですね」

 美しかった。それはどんな名馬であろうとも持たぬ輝きを持った幻の馬。

 否、それは馬ではない。その背より小さな純白の翼がのぞいていた。一目見た瞬間、何かが欠けていると思ったのはそれだろう。本来それには大きく雄々しい翼があるはずなのだが、今はそれが小さい。

 故に、半神半魔。

 幻獣はときに神の獣の姿に選ばれるが、選ばれぬ幻獣はときに魔獣と呼ばれる。

 美しいほどに恐ろしい。完成されているのに欠落している。
 右の瞳は黄金で左の瞳は蒼天の色。狂ったそれは神獣とも呼べず魔獣とも呼べぬ。半神半魔。神に祝福された、許されざる罪人の証。

 しかし……

「天馬?」

 それでも見間違えるはずがない。美しいと思ったそれは、神話に語られるところの、唯一無二存在する『始祖姫』の一柱の神獣としての姿なのだから。

「どうして、天馬が? それに、私はクーヴェルシェン様を追っていたはずなのに……」

「はい、その通りです。あなたは優秀だ。間違ってはいません。あたしがあなたの探していたクーヴェルシェン・リアーシラミリィその人ですよ」

「それはどういう……っ!」

 花びらが舞うように、純白の光がユースの視界を塞ぐ。

 その刹那の間に、天馬の変身は終わっていた。

「こういうことです、ユースさん」

 愛玩動物を彷彿とさせる幼い顔に、長い金色の髪。白い大きな帽子に複雑に重ね着された服と、光がおさまった瞬間、天馬の代わりに目の前に立っていたのはクーヴェルシェン・リアーシラミリィその人だった。

「あり得ない」

 ただし、唯一ユースの記憶にある姿と、瞳の色だけが違っている。

 右が金色。左が蒼色。唯一天馬の名残を残す瞳の色。

「ああ、この瞳の色ですか? あたしも少しどうかとは思うんですが。醜いですよね、蒼い瞳。ですがすぐにこちらも金色に染まります。ほら、よく見てください。すでに金色に近付きつつあるでしょう?」

 ユースの動揺を見抜いたのか、そうではないのか。クーヴェルシェンは困った顔で近付いてくると、黄金に塗りつぶされかかっている蒼い瞳を見せてきた。

「ふふっ、まだ紛い物がかわいい抵抗を続けているようですが、時間の問題です。すぐにあたしの意識に流されていく。天に選択を任せましたし、あるいはドラゴンの一撃で身体ごと全てが消滅する可能性もありましたが、結果的にこの身体があたしを選んだ証拠です。世界があたしを選んだんですよ」

 なのに。と、桜色の唇で笑って、クーヴェルシェンは冷たい瞳で嗤った。


「なに人を化け物でも見るような眼で見ているんですか? 代用品」


「クーヴェルシェン、様……?」

 至近距離で繰り出された拳を無防備な腹に受けて、ユースは苦悶に顔を引きつらせてその場に崩れ落ちた。まるで臓腑を破裂させんとばかりの本気の一撃。

 一体なぜ? 自分はクーヴェルシェンに攻撃されているのか?

 そうユースが疑問に思っていると、今度は四肢を氷結魔法で拘束された。
 血の流れをせき止める意志があるとしか思えないほどの拘束。やはり、本気の一撃だ。

 身を逸らすように後ろで両手、両足と氷の手錠で結ばれたユースは、なすすべもなく地面に倒れ込む。そこへ、いつものクーヴェルシェンという優しい少女ではないあり得ない言動を向けられた。

「ああ、やはり素晴らしいです。身体も、魔法も、全てが素晴らしく、何より懐かしい」

「ふ、ぁっ……」

 後頭部に思い切り足をのせられると、地面に思い切り頬をこすりつけられる。
 体勢的に、まるでユースはクーヴェルシェンに土下座するような体勢を強制された。

 どうしてクーヴェルシェンが天馬に変身していたのかもわからなければ、こうして怒りに触れている理由もわからない。何より、ユースが知っているクーヴェルシェンという少女は、決して怒ったとしてもこんな行動を強制するような人ではなかった。

「……あなたは、誰ですか?」

 だからこそ、その問い掛けがもれるのは当然のことだった。

「あなたは、クーヴェルシェン様ではない。あなたは、誰だ……!?」

 ユースはクーヴェルシェンの足が頭の上に乗ったまま、背筋の力だけで顔をあげる。

「……あたしが、クーヴェルシェンでは、ない?」

 確かめるために視線を向ければ、こちらを見下ろす冷えた視線とぶつかった。

「あたしが、このあたしが、クーヴェルシェン・リアーシラミリィではない? 何を馬鹿なことを! 代用品の分際で!」

「くぁっ」

 怒りと共に、思い切り足を踏み下ろされる。

 勢いよく地面に顔を叩き付けられ、これまでの戦いでも割れなかった眼鏡が音を立てて割れた。飛び散った破片がユースの頬を切り、赤い血を流す。

「ああ、ごめんなさい。つい」

 それを見て我に返ったのか、頭を踏む力が弱まった。しかし、足は決してどけられない。

「ですが、あたしがクーヴェルシェン・リアーシラミリィであることは何も間違ってはいませんよ。クーヴェルシェン。古代エルフ語で『福音』を意味する愛し子の名。それがあたしです。あたしだけの名前です」

 瞳には嗜虐的な光と被虐的な光とが同席している。まるで誰かを傷つけることで自分を蔑み、快感を得ているような、そんな淫靡な顔だ。

「そう、あたしこそが本当の『竜の花嫁ドラゴンブーケ』。唯一無二の救世主様の奴隷。あの方を導き導かれ、あの方に蔑まれ、呪われ、裁かれながら、共に救世の道を行く伴侶」

「…………」

「もう他の誰にもあたしが汚いなんて言わせない。もう誰にも触れることは怖くない。なぜならこの身は救世主様の一部。換えのきかない、たった一つの『巫女』という部品。感じる……オラクルを感じます。あ、あは、あははははあははははっ!」

 自分の身体を抱きしめながら、歓喜に笑うその姿。

 クーヴェルシェンと同じであるからこそ間違っている。異物だ。目の前にいるのは異物だ。この世に本来存在していてはいけない異物なのだ。

 ユースは知っている。初めてそれと出会ったときも、それが異物と感じ、存在していることがおかしく感じた。目の前のそれはクーヴェルシェンと同じ肉体を持った別の誰かであると、ユースは気が付き、そして誰かであるかも理解した。

「『狂賢者』……ディスバリエ・クインシュ!」

 苦々しくその名を呼ぶと、クーヴェルシェンの笑いがぴたりと止んだ。

 クスクスとクーヴェルシェンは笑ったかと思うと、ようやく足をどけた。

「いいえ、それはあたしの前の肉体と同時に捨てた名です。他にもあった幾多の名、それも全て捨てました。この肉体まで持ってきたのはたった一つの名前のみ。故に、その呼称は間違っています。呼ぶときはどうぞ、これまでと同じようにクーヴェルシェンとお呼び下さい」

「…………」

 ユースは無言で立ち上がると、ドラゴンスレイヤーを構えた。

「仮説はどこまでも正しかったということですか。あなたは[共有の全シェアワード]を使い、人形を動かしていただけで、本体は別の場所にいた」

「慧眼でした。ただ、唯一思い違いをしていたのは、その本体にあなた方はすでに出会っていたということ。そして、それがすぐ隣にいたことがあなた方の敗因です」

 クーヴェルシェンの肉体。それが『狂賢者』の本体だった。

「サネアツさんに気付けというのは到底無理な話でした。気付けたとしたら、それはあなたか紛い物だけだった。一つの肉体に精神が二つ……多少異なるとはいえ、あなたなら気付けたかも知れないのに」

「まだ、遅くありません。その瞳、クーヴェルシェン様のご意志がまだ残っている証。ドラゴンスレイヤーと『封印』の力があれば、まだ!」

 そうだ。『狂賢者』の真実に気付くことができたのは、本当の意味で自分だけだったのに。そして助けられることができるのもまた自分だけだったのに……気付くことができなかった。それが罪だというのなら、今ここで。

 ユースはドラゴンスレイヤーを構えて、全身から魔力をひねり出す。細かい原理はわからないが、クーヴェルシェンと『狂賢者』の関係のそれが精神の入れ替えだけならば、あるいは『封印』の力でどうにかなるかも知れない。

「否。間に合いません。今必要なのは封印する力ではなく、封印を解く力ですから。言ったでしょう? 世界はあたしを選んだんです」

 炎と風を纏って、ユースは『狂賢者』へ刃を向ける。

 それを見て、『狂賢者』は左目を閉じ、黄金の瞳だけを見開いて告げた。

「それに忘れていませんか? 『狂賢者』と呼ばれたものが持つ、その力を」

 何をしようとしているか気付き、ユースは全力で抗おうとした。抗えるはずだった。 


――跪けよ、代用品。今夜ここに神はいない」


 元の肉体に戻り、その『真言』の力が強力無比な特異能力に戻っていなかったら。






       ◇◆◇

 


 

 ウェイトン・アリゲイが新たな身体としたドラゴンは、大きく特徴のあるドラゴンだった。

 体長や姿形は一般的なドラゴンそのもの。ただし、受ける印象は大きく異なる。たとえ負の象徴であるドラゴンといえど、人がその身から抱くのは畏怖が大きい。人とは一戦を画す、あるいは美しいとさえ思える獣――それがドラゴンだ。

 だが、ウェイトンは違う。その身体は骨と皮のみで構成されていた。筋肉などは見受けられず、骸骨のようなイメージを抱く。皮もまた腐肉のように爛れた様相で、まるで死体かミイラのようだ。

 しかし弱々しさは微塵もない。骨張った翼や欠けた牙や爪といったパーツの間には、形を持たない筋肉が張っている。それは怨念といった見えないものが凝り固まったような闇。

「まるで、地獄から甦ったドラゴンのようですわね」

 闇を肉とし、死より甦ったドラゴン。
 リオンが軽く背筋を震わせながら形容した言葉が、一番目の前のドラゴンに似つかわしかった。

「ええ、そうですとも。私は地獄の淵より甦ったのです。世を救え、と。哀れな者たちを救え、と。そう天命を受けているが故に」

 瞳のない頭部の額で怪人が謳う。ドラゴンが持ちうるべき鮮血の瞳を自分の双眸の色とすることで、ドラゴンと完全に同化していることを表す異端導師。ウェイトン・アリゲイとドラゴンが完全に融合を果たしていることは、目に見て明らかだった。

「さぁ、救われざるものに救いの手を。我が手を取りなさい、哀れな者たち」

 大きく人の両手をウェイトンが広げるのに合わせ、翼をはためかせて闇のドラゴンが空中に浮かび上がる。

 ジュンタとリオンはその際に気付いていた。闇のドラゴンが鎮座していた地面が、まるで毒の吐息を浴びたかのように腐り落ちているのを。

「なにが救いの手を、ですか。あなたの手を取った者は、例外なく溶け落ちるといいますのに」

「呪い……これは反転の呪いか。しかも前よりも強力な」

 リオンが皮肉混じりに視線の高さを同じくした敵を睨む。キメラとしての姿から考えれば随分縮んだものだが、しかし圧迫感は以前のそれを大きく上回る。ウェイトンの言は正しく、今も地面の上に散乱したままのキメラの肉は、ドラゴンを構成する肉としては贅肉だったのだろう。

 余分な肉をそぎ落とした今のウェイトンこそが、正しくキメラの完成形にして理想の形。ドラゴンという名の、魔獣の頂点に立つ存在。

「それでは行きます。この空に、神は二人も必要ない」

 薄く嗤うウェイトンの敵対宣言が戦いの合図。
 翼をはためかせて、虹と闇のドラゴンは激しくぶつかり合う。

 一直線に正面へと飛び、相手とすれ違った瞬間にクイックターン。背中を見せた相手目がけてブレスを放とうとして視線が交差する。同じことを考えていたのだ。両者が放った虹と黒のブレスは視線の間で接触し、爆発する。

 ターンの直後に激突したため、爆風によって両者は吹き飛ばされる。否、吹き飛ばされる勢いを利用して、ただでさえ短かった加速時間をゼロと変える。一瞬の数分の一の速度で音速の壁をぶち破って、ショックウェーブを撒き散らしながら相手の姿を確認する。

 変化のない景観だが、そこに見逃せない異物がいる。目で視認するより先に気配で居場所を捉え、ホーミングミサイルさながらのブレスの応酬が始まった。

 どこから放たれても、確実に相手の許まで到達するドラゴンブレス。しかし、接触までは至らない。あまりの速度の中での撃ち合いのため相手に当たらない。

 ブレスの軌道はほぼ一直線。レーザー光線のように地面を焼き尽くす破壊の束だ。音速で移動する物体を捉えるのは、そう容易なことではない。

「下方修正十一度。もうワンテンポ速く撃ちなさい!」

 だが、ジュンタは一人ではない。命中精度を大きくあげてくれる竜騎士が共にいる。
 
 リオンの指示に従って、ジュンタはブレスの軌道を僅かに修正する。相手の動きを先読みし、相手にまで到達した段階での相手の座標に弾丸をお見舞いする。さらにはエンチャントの属性を地属性に変更。散弾の如く分裂する岩のブレスによって、空間を串刺しにする。

 周り一帯全てを塞がれた闇のドラゴンは、ジュンタのブレスを避けられなかった。ドラゴンの防御力故に刺し貫かれることはなかったが、その身体に無数の岩のジャベリンを受け大きく減速する。

「おや?」

 ウェイトンが素っ頓狂な声をあげたときには、ジュンタの身体は闇のドラゴンに肉薄していた。

 その手には光の双剣が健在のまま。縦横無尽に閃く剣閃を浴び、闇のドラゴンの身体から血しぶきが舞う。

「なっ!?」

 しかし、その血しぶきを見て慌てたのはジュンタの方だった。

 本来ドラゴンが流す血は赤色。人間と同じ生命の色。というのに、今闇のドラゴンが首筋部分から飛び散らした血は黒色だった。いや、それを果たして血と呼んでいいものか。飛び散った瞬間触れた大気を呪い、腐らせるそれは、血という形の反転の泥だった。

 闇のドラゴンの身体を切り裂いた右の剣が、汚染され闇色に染まる。咄嗟に投げ捨てたのは正解だった。魔力を霧散するまでの間、剣は呪いに侵蝕され、得体の知れない泥に変わり果てていた。

「接近戦は止めた方が賢明ですわね」

「そうみたいだな」

 傷に頓着せずに呪いのブレスを放つドラゴンより、ジュンタは急速転換して距離を取る。

 その血が呪いをまき散らすなら接近戦はできない。ジュンタは遠距離でのブレスの撃ち合いに戻りつつ、手土産だと、残った左の剣を槍の形状に変え、闇のドラゴン目がけて振り抜いた。

 稲妻のように駆ける剣が深々とウェイトンの尾へと突き刺さる。またもや盛大に闇をまき散らしたが、これまたドラゴンの能力としてはおかしなことに、その傷が塞がる気配がない。

 ドラゴンは不死の怪物だ。その傷はすぐさま塞がる。しかし先程の首の傷、今の尾の傷、両方とも傷が塞がるような前兆が見られない。今も傷口は開き、ダラダラと闇の血を垂れ流しにしている。

「どういうことだ?」

「不死、ではないということですの?」

 これまで戦ったドラゴンとはまったく違う反応に、二人は揃って怪訝な声をもらす。 
 ドラゴンとの戦いということで、戦いは理不尽なほど長引き、ともすれば常識の範疇でないことも起こりうると思っていたが……これは逆の意味で予想外だ。

「ははっ、どうなされたのですか? 戦いの最中で呆けるとは、狙い撃ちしてくれと言っているようなものですよ」

 血を軌道上に撒き散らしながら、ウェイトンが笑い声と共に接近してくる。それを見て取って、ひとまずジュンタはこの問題を乗り手に丸投げした。
 
「しっかり捕まってろよ、リオン!」

 返答代わりに、舌を噛まないようリオンは口を噤んだ。それを確認したあと、ジュンタは音速を超える速度で再びアクロバティックな機動と容赦ないブレスの応酬へと戻る。

 灰色の空に鮮やかな色と色のない色とがぶつかり合う。
 その度に大気は揺れ、大地は揺れ、世界が軋むような音を立てる。

「オォオオオオオ――ッ!」

 烈破の気迫と共に、ジュンタは虹の翼を輝かせる。
 翼が告げる色は白。何者にも汚されぬ純白のスノウホワイト。ジュンタの口から吐き出されたのは、轟然と吹き荒れる氷のブレスだった。

 吹雪を真正面から受けた闇のドラゴンが押し出され、無様に地面へと落下する。さらにその周りを絶対零度の光が大気中の水分ごと凍りつくす。巨大な氷塊を棺桶として、闇のドラゴンは動けなくなった。

「お、おお、なんという力。さすがはドラゴン。素晴らしい!」

「……何なんだ、一体?」

 倒れてなお喜色の声をあげるウェイトンに、ジュンタは困惑を隠せなかった。

 ウェイトンの異常な態度。それにも困惑はある。だが、ドラゴンと融合した彼が元よりまともな精神を残しているとも思えない。だから困惑の一番大きな要因は、

「あまりにも、弱すぎる」

 ウェイトンの、そのあまりの手応えのなさだった。

 これまで戦ったどのドラゴンよりも速度に劣る。確かにブレスの威力と呪いには目を見張るものがあるが、それは当たらなければ意味のない話。これで不死性がないというのなら、最強の魔獣の名にまったくふさわしくない貧弱ぶりである。

 だからこそ、戸惑う。目の前のそれがドラゴンであることは、同じドラゴンであるジュンタが誰よりも理解している。

 ならばおかしいのは、やはりその弱さだ。

「何か企んでいるのか? それとも、何か奥の手を残しているのか?」

「特異能力……それをまだ、ウェイトンは行使していないように見られますわ」

 ジュンタの疑問の声にリオンが答える。

「ウェイトンの特異能力は、あの反転の呪いなんじゃないのか?」

「いいえ。あれはウェイトン・アリゲイが有していた『偉大なる書』の力のはず。キメラとなったあとにドラゴンを取り込んだとしたら、そのドラゴンが持っていて然るべき特異能力があるはずですわ。奥の手が残っているとすれば、それ」

 戦闘の指示は出さずに黙考に従事していたリオンは、自らの考えを述べていく。

「私は前回の戦いの折、確かにキメラの核となっていたものが『偉大なる書』であったことを覚えています。さらにあなたがフェリシィール様から教えられた、『偉大なる書』が聖骸聖典の一つということも合わせて考えてみると、ウェイトンは特異能力じみた能力を二つ有していてもおかしくありませんわ」

「かなり強力になっている反転の呪い……たぶん、触れたら俺だってかなりやばい。あれ以上の何かがないことを祈るしかないな」

 眼下で巨大な氷塊が、徐々に砕けようとしている。
 ジュンタは滞りなく次弾の装填を完了しながら、推察に緊張感を募らせる。

 唯一といっていいほど、あのドラゴンの恐れる部分は、その反転の呪いにある。ドラゴンになったことで加速していくジュンタの中の歪みを、あの呪いはさらに加速させるだろう。歪みに堕ちたドラゴンは魔竜と変わる。

「大丈夫ですわ」

 そのとき、ふわりと首筋に柔らかな感触があたった。

 見れば、リオンが首筋に顔を埋めて、そっと頬をすり寄せていた。まるで赤子を慰めるように。

「大丈夫。そんなに不安がらなくても、私とあなたがいれば、何の問題もありません」

「……そうだな」

 騎竜と竜騎士。今ジュンタとリオンの関係はそれだ。その一体感は相手の心の奥まで見透かせてしまうほど。だからリオンはそれとなく気付いたのだろう。今はまだ教えていない反転の呪いとドラゴンの歪みに。気付いて、元気づけてくれたのだ。

 ジュンタは全身から力が湧いてくるのを感じた。翼、口、そして尾の先に、熱が集まってくるのを自覚する。

「俺とお前なら相手がどれだけ強くても、真正面から打ち破れる!」

 灰色の空を黄金の閃光が薙ぎ払う。大きく翼を広げ、尾を振り回したジュンタによって、灰色の空が雲をかき分けられるように切り裂かれ、その向こうから黄金の月が現れる。

 月の光の祝福され、黄金の輝きが虹のドラゴンの尾に集う。
 尾の先に収束した黄金の光は円環状に形を変え、やがて眩しい光が収まったとき、そこには黄金に輝くリングが尾の先に填められた形で残っていた。

 同時に、リオンが右手で輝く指輪が淡く輝いているのを見つける。

「ジュンタ。あなた、これ一体どこで買いましたの?」

「ラッシャに聞いてくれ。何気にあいつ、とんでもないものを偶に仕入れてくるんだよな」

 驚くリオン以上に驚きつつも、ジュンタは同じくらいやっぱりという気持ちを持っていた。

「普通じゃないとしたら、つけた奴らが普通じゃなかったんだ。ドラゴンと竜滅姫なのに一緒にいることを選んだ普通じゃ考えられない二人……だからこの指輪の方から、自分も特別になることを選んだんじゃないか?」

「どういうことですのよ、もう。『英雄種ヤドリギ』の指輪ではないのですから」

 そう言いつつ、リオンの声にもどこかジュンタの妄言を信じている節があった。

「ですが、今はそういうことにしておきましょう」

 軽く右手の薬指に填められた指輪に口づけし、リオンはその指輪をはめた右手を大きく掲げる。手にはドラゴンスレイヤーが握られ、『封印の地』のどこからでも見えるほど鮮やかな紅に輝いていた。

「決めますわよ、私のドラゴン」

「ああ、決めよう。俺のドラグーン」

 互いにはめた指輪を通じて全ての意志を交換し、ジュンタは眼下のウェイトンに狙いを付けてブレスを放つ準備に移る。

 虹が集う。口の中に立体的な魔法陣が構成され、口の先にはバレルが展開されるように幾重にも魔法陣が構築されていく。

 眼下では、氷塊の中で甦ろうとしているウェイトンが、足を地面につけブレスを放つ準備を進めていた。暗い暗い光は、見る者皆全てに絶望しろといわんばかりの闇。

「消えなさい、神よ!」

 闇のブレスが先んじて放たれた刹那のあと、ジュンタはリオンが剣を振り下ろすのに合わせて虹のブレスを解き放った。

 あらゆる属性の要素を持ち、あらゆる属性にない純粋な力が秘められた光が、闇のブレスをはね除け地面に突き刺さる。轟、と大地の破片が天高く跳ね上がり、光の中で闇の影が掠れていく。

 やがて全ての光が消えたとき、そこにウェイトンの姿はなかった。

 しかし――そこに残っていたのは果たして、希望か絶望か?

 




 壊しましょう。

 全てを壊しましょう。

 ああ、救世主様。あたしはあなたを愛しています。

 あたしはあなたの奴隷。
 あたしはあなたの花嫁。

 故に――壊しましょう。全てを壊しましょう。

 傷つけ、犯し、狂わせ、そのことごとくを破壊しましょう。

 あなたはこの世の全てが見仰ぐべき、唯一無二の光となる。
 あなたはこの世の全てを救う、唯一無二の救世主となるのです。

 応援しましょう。支えましょう。助け、癒し、愛して跪きましょう。

 あなたができないというのなら、邪魔者全てあたしが壊す。
 あなたの歩む救世の道を邪魔する全てを、あたしが殺し尽くして差し上げます。

 聖なるかな。聖なるかな。聖なるかな。

 ああ、救世主様。あたしはあなたを愛しています。

 故にあなたの全てを破壊しつくし。
 然るのち、救うべきものを見つけたあなたの御許へと馳せ参じましょう。

 そのときは、どうかあたしを連れて行ってください。

 あなたの巡礼の旅へと。


 







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