第四話  円卓


 

「もはや第一目的は魔獣の殲滅ではなく、ベアル教の殲滅へと変えることは致し方ありません」

『神座の円卓』にて開かれた、再びの『封印の地』への侵攻のための会議。
 至高を謳う円卓の場につく面々もまた、会議に参ずるにふさわしい面々だった。

「我々はベアル教という組織を見くびっていました。所詮は一宗教団体に過ぎないのだと。ですが、敵は今や我々を凌ぐ以上の軍勢を率い、ドラゴンまでもを操って襲いかかってきました。優勢なのは我々ではありません。ベアル教なのです。彼らは聖神教誕生以来、五指に入るほど脅威的な『敵』です」

 議長として使徒フェリシィール・ティンクが、これまでの反省を踏まえて熱く語る。

「わたくしの失態と彼らの策謀により、三つの『封印の地』は一つとなってしまいました。敵の軍勢も約三倍に。ドラゴンも残り二体。戦力差は絶望的といっていいかも知れません」

「しかし、決して逃げても捨て置いてもいいものではない。ことの発端がそうであったように、ベアル教の目的は聖地の壊滅。何が何でも止める必要がある」

 同じくフェリシィールの隣に使徒ズィール・シレ。その胸に熱い正義感を燃やしたまま、淡々と語る。

 フェリシィールはズィールの言葉に頷いて、

「魔獣の軍勢全てを排除することは、物理的に不可能と判断せざるを得ません。当初の目的は、残念ながら断念させていただくしかないでしょう。
 我々はこれより、ベアル教の殲滅を第一目的として動きます。魔獣の軍勢との戦いはあくまでも一手段に過ぎません。優先すべきは、ベアル教が推し進めているだろう聖地を崩壊させるための儀式の阻止」

「フェリシィール聖猊下。儀式とおっしゃられましたが、ベアル教がどのような儀式を企んでいるのか判明しているのでしょうか?」

 聴衆側を代表して質問したのは、白銀の髪が美しい少女であった。
 円卓の席につき、椅子の後ろに父ロスカと兄キルシュマを控えさせた、エチルア王国の代表――ミリアン・ホワイトグレイルである。

 円卓とは身分関係なく全てが等しい立場になって意見を交わし合うための場だが、暗黙の了解が存在してしまう。フェリシィールの後ろに巫女ルドール、ズィールの後ろに近衛騎士団団長クレオメルンが控えている以上、席につくのはそれ以上か同等の地位を持たねばならない。

「今回の事件の資料には目を通させていただきましたが、ベアル教の目的は噂されている通り聖神教を破壊することとしか記されていませんでした。特定の儀式の詳細等は判明しているのでしょうか?」

 いつからかまことしやかに囁かれていたベアル教の目的。それは聖地を破壊すること――大規模破壊の方法など数が限られている。たとえ『狂賢者』といえども、人の身でできる限界はたかが知れている。

 人の御業の限界、は。

「考えられる方法は一つだけです。ベアル教は聖骸聖典の一つ――『聖獣聖典』を用い、『封印の地』そのものの崩壊を行うつもりでしょう」

「なっ!?」

 これには本来声をあげるべきではない、ミリアンの背後に控えたキルシュマ・ホワイトグレイルも黙っていられなかった。

 口元を抑えて驚愕を押さえ込んだミリアンや首を傾げるロスカとは違い、黙って立っていたキルシュマは信じられない事実に咄嗟の制止ができなかったのだ。失礼、と謝罪してすぐに口を噤んだが、その顔色は悪いままである。

 それも仕方がない。まさかベアル教の計画の中枢を担っているのが、自分たちホワイトグレイル家の偉大なる祖先、『始祖姫』メロディア・ホワイトグレイルの聖骸聖典だと聞かされては動揺もしよう。

「ホワイトグレイル家が代々探し続けてきたメロディア様の聖骸聖典が、まさか『狂賢者』の手に渡っているだなんて……」

「残念ながら事実です。すでにベアル教側にかの聖骸聖典があることは確認されています。話によれば、あらゆる神秘が記述されているという『聖獣聖典』には、秘奥として世界の理の外へと影響を及ぼす法が記されているとか」

「[世界渡り]。あらゆる境界を崩す力……」

 探していたのだから、研究もまたしていたのだろう。フェリシィールの説明にすぐさまミリアンは理解を及ばせ、見ている方の心が痛むくらい痛ましい顔をした。

「存在したという[世界渡り]の秘術を用いれば、この世とは別の境界面上にある『封印の地』との境界も崩すことができるはずです。ああ、なんということでしょう。偉大なるメロディア様の聖骸が、そのような悪辣な行為によって汚されるなんて……!」

 耐えられなくなったのか、顔を覆い隠すミリアン。その指の間からツーと涙がこぼれ落ちる。

 人がいいフェリシィールは悲しそうな顔をしたあと、それでも会議の重大性のため、優しい声をぐっと堪えて話の続きを口にする。

「使徒と直系にしか使えぬという聖骸聖典を、どのように起動させるかはわかりません。しかし相手は『狂賢者』、方法を得ている可能性もあります。これは絶対の確証はないことですが――

 フェリシィールの視線が、円卓の一席に座るジュンタへと向く。

 ジュンタは会議が始まる前に、フェリシィールに対してヒズミから得た情報の全てを伝えていた。利用され、切り捨てられたヒズミがどこまで真実を聞かされていたかはわからないが、それでも判断材料にはなる。

「聖地にいる人々を生け贄と捧げることによって秘術が完成する、ということを彼らは口にしていました。どちらにしろ、ここまでことが大きくなったのですから、多少無視をしてでも、信憑性がなくとも彼らは実行に移すことでしょう。断固阻止しなければなりません」

 ジュンタから視線を外し、フェリシィールは円卓に集った面々を見やる。

「次の『封印の地』における戦いにおいての、大まかな作戦概要を説明します。
 まずは攻め込んでくるであろう魔獣の大軍をこちらも軍勢をもって足止めします。そしてその間に、少数精鋭をもって敵本陣へと攻め入り、『聖獣聖典』の奪取。及び主導者ディスバリエ・クインシュの確保を行います。敵の儀式が『聖獣聖典』を用いたものと絶対の確証がない以上、『狂賢者』の確保も非常に重要なものとなることでしょう」

「囮が気を引いている内に敵の大将の首を取る、ということですのね」

 円卓についた最後の一人、グラスベルト王国側の代表として、ゴッゾ・シストラバスを後ろにしたリオンが簡潔に作戦を纏めた。まさに彼女がいうとおり、今回の作戦は前回と違い、魔獣の殲滅ではなくベアル教の殲滅を主軸に捉えた作戦だった。

「わたくしたちの側の総司令として、引き続きこのわたくしが。また、わたくしが率いる大隊とは別に、少数精鋭の別働隊を使徒ズィールに率いてもらいます。
 わたくしの大隊は魔獣の軍勢を相手に足止めを。使徒ズィールの隊は敵本陣への道を空け、そして敵の主力であるドラゴンらを足止めする役割を担ってもらいます」

「各組織の振り分けもこちらで考えさせてもらった。援軍として馳せ参じてくれた盟友たちの実力を見るに、これが一番いい方法であると判断する」

 フェリシィールの言葉を継いで、ズィールがリオンとミリアン――正確にはその背後に存在するグラスベルト王国、エチルア王国からの援軍を見た。

「フェリシィールの大隊には聖殿騎士団を。自分の隊には盟友部隊が配属することになる。そして、その中よりさらに敵本陣へと強襲をかけるメンバーを選別するものとする」

 個々の実力が必要になる以上、『騎士百傑』と『魔軍レギオン』擁する援軍がズィールの下につくのは妥当だった。リオンもミリアンも頷いて拒否は見せない。たとえ最も危険が大きい役割であっても、騎士にも魔法使いにも自負があるのだろう。

「シストラバスが騎士、騎士の国が生んだ『騎士百傑』。共に剣をズィール聖猊下へとお預け致します」

「『始祖姫』様方が協力されたように、今度はわたくしたちが協力し、平和を守りましょう」

 それぞれの代表としてそれを理解した二人は、力強く呼応の声を返す。

 ズィールが頷き返したところで、フェリシィールが口を開いた。

「詳しい配置は今日の夜にでも配布されることになると思います。そして、これが一番重要なことになりますが――

 会議の占めとして一番重要なこと。それは無論、一つしかない。

 戦う意義はわかっている。
 戦い意志は揃っている。
 ならばあと必要なものは一つのみ。


――戦いは、本日より四日後に。全ては、その日に決着を」


『『はいッ!!』』

 戦い――そう、円卓には勇者たちが揃っているのだから。

 



       ◇◆◇


 


「あの、少しよろしいですか?」

 リオンでもクーでもなく、白い髪のお姫様が笑ってジュンタの前に立ったのは、会議が終わった直後のことだった。

(さて、どうしたもんかな)

 座ったままミリアン・ホワイトグレイルの顔をジュンタは見上げる。彼女がやってくることは予め予想済みだった。

 参列者の中では発言が最も少なく、反して表情の変化が一番多かったミリアン。彼女の表情遍歴をいうと、最初が驚愕で次が困惑。そこから黙考が始まり、何かに気が付いた途端しまったという顔をして脂汗を浮かばせ、最後は何かを吹っ切ったのかやけくそ気味な笑顔を振りまいていた。

 それら表情変化の発端が自分を見てのことだったのだから、その理由がジュンタにわからないはずがなかった。ずばり、一昨日の初対面における一悶着の件だろう。

(このまま無視しておくと、色々と支障が出るかな)

 リオンが話しかけたそうな顔をしているのがミリアンの向こうに見えたが、ここは同じ隊で戦うこともあるし、獲物を追い詰める狩人の顔をした淑女の誘いを受けるべきだろう。

 リオンには一つアイコンタクト。ごめん、と。

 仕方がないですわね――ミリアンが話しかけた理由をわかってくれたからか、少しだけ口を尖らせつつもリオンは頷いてくれた。

「もちろん、少しといわず好きなだけ。向こうで聞こうじゃないか」

 立ち上がって、ジュンタはくいっと円卓の南を指し示した。

 そこは住まう使徒のいないはずの『南神居』――『理想の白百合』の笑顔が、顔面筋肉痛を起こしたように引きつった。


 

 

「単刀直入に訊くわ。あんた、何?」

 南神居の最上階には、使徒が暮らしていないため最低限の家具しか取りそろえられていない。しかしそこは神居の塔。あらゆる家具は一流のオーダーメイド品であり、探せばティーセットの一つや二つはすぐに見つかった。

 ミリアンをテーブル席に待たせたジュンタは早速紅茶を淹れ、用意すると真向かいの席に腰掛ける。

 いざ和やかなお茶会の始まり――という空気を開閉一番ぶち破ったのは、猫の皮をかなぐり捨てたミリアンの鋭い視線だった。

「いきなり何、とか言われてもな」

 そんなものはどこ吹く風。ジュンタは紅茶に舌鼓を打つという、圧倒的上位の立場にいることを暗に見せつけつつ、間隔を置いてから答えた。

「ミリアン・ホワイトグレイルは賢い少女じゃなかったかなぁ。そんな質問をしなくても、十分根拠を揃えた予想が立てれるんじゃないか?」

「ぐっ……や、やっぱりそういうことなわけ」

 テーブルを叩いた状態のまま自分の額を抑えるミリアンは、力無く椅子に腰掛けた。しかし視線にはまだ強い光が残ったままである。

「円卓に座ることが許されてる時点で予想はほぼすでに確定だったけど、南神居にまで招き入れられれば疑う余地すらないわね。あんたは世間には公表されていない使徒……まさか、こんな落とし穴が隠されていたなんて……っ!」

「正解。実は使徒だったりするんだな、これが」

 ミリアンはギリリと心底悔しそうに歯を噛み締めてから、

「……それで、どうするつもり? あたしの本性をみんなにばらす? それとも権力にあかせて跪かせる?」

 縋るでもなく、媚びるでもなく、真っ向からにらみ据えてきた。

 これには少しだけジュンタは驚いた。ミリアンの会議中の様子は、ジュンタが使徒だと悟り、一昨日の無礼に当たる言動の数々を後悔したからに違いなかった。ただの平民と思って無理難題を押しつけたのだ。相手がまさか自分よりも上の地位にいるなんて、思う良しもなかっただろう。

 自分を偽って高貴を翳すミリアン・ホワイトグレイルという少女の特性を鑑みて、ジュンタは二人っきりになったときの態度は二択だと思った。

 一つは先のことを誠心誠意謝り、取り入ろうとする選択。
 もう一つは現に実行に起こした通り、完全に開き直る選択である。

 使徒と気付いてなお強気に攻める気概はあっぱれというしかない。それを選ぶとしてもある程度の謝罪はあるものと予想していただけに、こうも迷い無く選ばれると感嘆してしまう。なるほど、『理想の白百合』の異名な伊達ではないらしい。

「そうだな。そっちに選ばせてやる、っていうのはどうだ?」

「試されてるってわけ」

 ジュンタは別に謝って欲しいわけでも困らせたいわけでもなかったが、ここまで挑まれたら簡単に許すのも何だかつまらないと思った。それ以上にリオンが色々と前置きを入れながらも親友と言い切った彼女について知りたかった気持ちもある。

「ここには誰もいないし、俺が招かない以上入っても来ない。防音だってしっかりしてる。そっちが何を選ぼうと、何をしようと、俺以外は誰もわからない」

「……食えない男ね、あんた」

 落ち着きを取り戻しつつあるミリアンは優雅に紅茶を飲み、それから観察するような眼差しを注いできた。

「リオンが惚れた相手っていうから少し気になって調べてみたんだけど、出てきた情報がつまらなかったから途中で止めてたのよね。でも、最後まできっちりやっておくべきだったわ。少し考えればわかることだった。あのリオンが惚れたんだから、何かしらの理由はあるはずだもの」

「お褒めの言葉をありがとう、白百合様」

「褒めたつもりはありませんでしたわ、聖猊下」

 お互いに口元に笑みを浮かべて牽制し合う。

 このままでは埒が明かないかと判断したのか、すっとミリアンは両手を上にあげた。

「降参よ。残念ながらあたしの負け。本性を一度見せた時点で、あんたには絶対に勝てそうにない。煮るなり焼くなり好きにするといいわ。セクハラしない限り、甘んじて屈辱に耐えてあげる」

「意外だな。もう少し粘るかと思った」

「利益のない努力は死ぬほど嫌いなの、あたし。それにこれは間違いなくこちらのミスだもの。潔く認めた方が好印象だし、早期の名誉挽回にも繋がるわ」

「どこまでも損得勘定、ってわけか。お前はそこまで猫被って何がしたいんだ? その本性、みんながみんな嫌いになるようなものじゃないだろうに」
 
 初対面では見下される対応を取られ、自らの失態は認めても自分から謝ることはしないミリアン。不思議と彼女に対する嫌悪感の類は沸いて来なかった。

「自分の本性は自分が一番よく知ってるの。ホワイトグレイル家のお姫様をやってくっていうなら、隠すのが一番てっとり早いのよ。それに、相手を騙すのって快感じゃない?」

「やっぱり趣味と実益を兼ねてたのか。恐れ入るよ、まったく」

 今度はジュンタの方が軽く手を挙げて、

「了解。次に活かしてくれるっていうなら、こっちから要求することは何もない。もちろん誰かに言ったりも」

 これにはミリアンの方が驚いたのか、目をパチクリとさせる。

「いいの? あんなこと言われたのに」

「あれくらい大したことないしな。慣れてる……っていうと悲しいけど、実際慣れてるし」

 そう言うと、ミリアンはニンマリと笑顔を浮かべた。
 
 猫を被っているときの慎ましやかな笑みではない。腹に何か一物をかかえていそうな、それでいて見惚れずにはいれない、彼女の本当の笑みだった。

「ねぇ、あたしたちってとってもいいお友達になれそうじゃないかしら?」

「ああ。リオンに嫉妬されない程度になら、いい友達になれるかもな」

 腹黒いところが玉に瑕だが、ミリアンは悪人というわけではない。それに敵対すれば徹底的に叩かれるだろう。こういう手合いは、味方になって適度の距離をもっておくのが一番にいい。

 思惑を秘めた眼差しと共に差し出された手を、ジュンタは握り返す。

 その手の柔らかさだけは、年相応の女の子のものだった。


 

 

       ◇◆◇

 


 

 円卓に戻ってみると、まだほとんどの人間がいた。

 フェリシィールとズィール、巫女ルドールの三人は消えている。詳しい配置を考えに行ったのだろうが、だとするとここにみんなが残っているのはいささかおかしい。

 ここは『神座の円卓』。神居の塔からのみ行くことができる場所だ。ということはもちろん、帰り道として神居の塔を通らなければならない。

 ズィールの関係者を除く全員がフェリシィールの招待の下東神居を通ってやってきた。彼女のことだから帰り道に使ったとしても怒らないだろうが、礼儀を考えるならば無断で通ることはできない。それに気付かないフェリシィールでもないだろうに、どうして置いていってしまったのか?

 その疑問に答えを示すように、ミリアンと共に円卓に戻ったジュンタへと、ロスカとキルシュマの二人がその場に立て膝をつくという礼式を取った。

「ごあいさつが遅れて申し訳ない、使徒ジュンタ・サクラ聖猊下。吾が輩はホワイトグレイル家の現当主をさせてもらっている、ロスカ・ホワイトグレイルと申す。改めて、以後よろしくお願い申す」

「ロスカが子、キルシュマ・ホワイトグレイルです。我が愚妹が迷惑をかけたご様子。どうかご容赦を」

「そう来たか。フェリシィールさんはミリアンを神居へ案内したのを見て、俺に全て放り投げていったわけだ」

 会議へと招待を受けた面々はまず礼拝殿で集まり、その後フェリシィールの案内を受けた。そのときジュンタは初対面であるロスカやキルシュマとあいさつを交わしたが、そのときは向こうもまさかこちらが使徒であるとは思っていなかったようで、時間もないので簡単なものになった。

 誰が使徒であることを教えたのかは知らないが、どうやら二人共が知った様子。冷静沈着な様子のキルシュマはともかく、豪放快活な印象だったロスカのこの見事な礼。さすがは名高いホワイトグレイル家の人間である。

 かといって相手が誰であろうと、ジュンタは堅苦しいのは好きではない。二人が頭を下げているのをいいことに、横腹を肘で突っついてくるミリアンもいることだし、早々に止めてもらわないと。すぐに止めてもらえるとも思えないのだが。

「二人とも気にしないでください。俺はこうやって世間には知られてない通り、そういうのは苦手な人間ですから。できれば勘弁して欲しいんですけど」

「そうか。そういわれたらしょうがない!」

「礼を取ることが嫌がらせになる、というのはどうやら本当だったようだ」

「切り替え早っ!?」

 これまでに同じことをお願いした相手とは違って、言うが早いが頭を下げるのを止めて立ち上がる二人。ロスカは手を腰にあてなぜか笑い、キルシュマは下がったモノクルを直す。予想外です。

「うちって騎士として王侯貴族には礼儀を尽くすシストラバス家とは違って、基本的に礼をさせる方が多いから。お父様もお兄様もあんまり慣れてないのよ」

 ロスカの笑い声に紛れて、こっそりと溜息混じりにそう教えてくれるミリアン。基本的に猫を被っている彼女としては、二人の気楽さは頭痛の種なのかも知れない。

「ガハハハハッ! しっかし、リオンのいい相手がまさか使徒様だなんてなぁ!」

「円卓につくことが許されていた時点でそうである可能性は高かった。が、リオンと婚約状態にあるという方には驚きを隠せない。おめでとう、と言っておくべきだろうな」

「そうだな! うむ、そういえばお祝いの言葉を言っていなかったな!」

 あまりに簡単に納得されたことについていけないジュンタを余所に、親子は勝手に物事を勧めていく。

 ロスカはニンマリと笑うと、困ったように笑うゴッゾとその横にいたリオンを振り返り、大声で呼んで手招きした。

「おおい、リオン! ちょいとこっちへ来てジュンタ殿と並ぶのだ!」

「え?」

「いいから行っておやり。そうしないと、ジュンタ君が引っ張られることになりそうだからね」

 困惑を顔に浮かべるリオンだったが、ゴッゾの後押しもあって、ロスカの手招きに応じる。

「あの、ロスカ様。何か――

「よぅし、そらひっつけご両人!」

「きゃ!?」

「うぉ!?」

 ロスカの前へやってくるなり、リオンはごつい手に背中を押されて前へとバランスを崩す。
 それと時を同じくして、知り合いの猫のように笑ったミリアンの手によって、思い切りジュンタも背中を押された。

 ジュンタとリオンの二人はそれぞれの方へと倒れ込み、互いを支えにして止まる。結果的に、リオンがジュンタの腕の中に包まれる形になった。

「わわっ、だ、抱き合っちゃってます!」

「うんうん、とてもいい構図だね」

「すごい。ほ、本当に恋人なんだな」

「惜しい! もう少しで唇と唇の悪戯が!」

 外野もこれにはそれぞれ反応を示す。クーが頬を赤くして、ゴッゾがうんうんと頷き、クレオが驚いた顔をして、サネアツの言うことは理解したくない。というより、そうやって外野の反応をいちいち気にしていられるほどの余裕がジュンタにはなかった。

「ありがとうございます、ジュンタ。受け止めてくれて」

「い、いや、受け止めたというか……」

 傍目からは転びそうになったリオンをジュンタが前へ出て抱き留めた形になっているらしい。ミリアンが押したとは、彼女の猫かぶりもあって思われていないようだ。本来なら恥ずかしい公衆の面前で抱きしめ合っているというのに、リオンの瞳はどこか嬉しそうに潤んでいた。

 そんな風に好きな相手から感謝されると、離れる気力が沸いてこない。
 結果、ジュンタは頬を赤らめたまま、リオンと至近距離で見つめ合うことになった。

「さすがは若い。人目も気にせんか。いや、めでたいめでたい。ご両人、末永く幸せにやるのだぞ!」

「そこ、勝手にお祝いしない! というか、ロスカさん。リオンの奴を押さないでくださいよ。危ないじゃないですか」

 自分勝手に笑うロスカにツッコミをいれてから、そのままスムーズにジト目に変更。
 ジュンタはリオンの背中を軽く――といっても大柄のロスカだから世間一般的には強く――押したことを責めた。

 ロスカはそのことを責めされるとは思わなかったのか、ポリポリと頬を掻くと、

「おぉう、それを言われたら謝るしかないか。すまなかったな、リオン。悪気があるわけではなかったが、嫁入り前の娘にするには褒められたことではなかった。それもお嫁に行く相手の前では特にな」

「うぇ!?」

 よくわからないところで納得するロスカの一言に、ジュンタは過敏に反応した。

 これは下手をしたら羞恥心を爆発させたリオンの攻撃でも来るのでは? と、これまでのリオンとの付き合いから反応したジュンタは身体を離そうとして――

「ジュンタ。そんなにも、私のことを……!」

 ――なぜかさらに瞳を潤ませたリオンに上目遣いで見つめられ、全身の力を抜いてしまった。今のリオンには、男をそうしてしまう危うい魅力があった。

「私……精一杯ジュンタの優しさに応えますわ。何でも私に言ってくださいまし。私、喜んでそれに従いますから」

「リ、リオンさん?! い、いきなり何を……!?」

「尽くしますわ。がんばっていいお嫁さんになれるように、尽くしますから」

 リオンはまるで酔っぱらったように頬を赤らめて、周りに人がいるのも忘れてジュンタだけを見つめていた。

「だから、その――

 ジュンタの脳裏に、そんなリオンの姿に閃くものがあった。

 それはかつてクーを相手に体験したことに近いこと。
 まさか、あのときよりも大勢の人が見ている前で恥ずかしいことを、言うとおっしゃられますか? リオン様。

 止めなければいけない。止めなければ何かが終わる。そうわかっているのに、幸せに酔っぱらっているリオンを見ていると、ジュンタは止めることなどできそうもなかった。胸に湧き上がってくるのは紛うことなき期待で、


「どうか、幸せにしてくださいませ――――旦那様」


「……………………………………………………ああ、ちくしょうかわいいなぁ!」

 周りが色めき立つ中、ジュンタは耐えきれずに、思い切りリオンの身体を抱きしめた。


 

 

       ◇◆◇

 


 

「は、恥ずかしくて死にそうですわ」

「それはこっちの台詞だよ、まったく」

 からかってくる円卓に集った面子を、南神居を通って追っ払おうとしたジュンタだったが、気が付けば逆にリオンと二人で追っ払われていた。

 いわゆる恋人繋ぎで手を握ったままアーファリム大神殿を出て、まだ陽も高い中、シストラバス邸に戻るわけにも行かず、どこを目的地と決めるでもなく歩き始めて二十分。ようやく夢でも見ているかのようだったリオンに冷静さが戻り始め、今では民家の壁へと寄りかかって盛大に自分の行いを後悔しているのを、慰めていたりする。

「あ、あんなにたくさんの人が見ている前で、しかも神聖なる『神座の円卓』であのようなこと! お、お父様もいましたのに……!」

 声にならない悲鳴をあげて、その場に倒れ込みそうなくらい恥ずかしがっているリオン。ジュンタも相応に恥ずかしい真似をしたのだが、リオンを見ているとそうでもなかったのかなぁ、という気がしてくる。それほどまでの悶えっぷりである。

 まぁ、それも仕方ないか。だって――

「旦那様、だもんなぁ」

「ぴぃ!?」

 ビクンと身体を震わしたリオンが、わなわな震えながら振り返る。目尻に涙すら浮かべたリオンは、顔どころか全身真っ赤っかだった。

「そ、そそそ、それを今、わわわ、私に言いますか!? な、なんて酷い! この鬼畜!」

「おいおい、いきなり言い出したのはそっちの方だろ? さっきは全然恥ずかしそうじゃなかったっていうのに」

「さ、さっきは、その、ジュンタが私のためにロスカ様を怒ってくれたのを見て、ああ、私愛されているんだなぁと思ったらこう――って、はっ!? ま、また何を言わせますか?!」

 現在位置繁華街から少し外れた場所。人気はない。しかし大声を出せば周りに聞こえる場所だ。リオンの声は間違いなく外へと届いたことだろう。何よりも、ジュンタの胸にストレートに届いた。

 からかえ、と。

「あれは仕方がない。目の前で彼女があんなことされたんだから、彼氏としては注意しとかないと」

「う、うぅ、そういうことをまた……う、嬉しくなってしまうではありませんの!」

 怒ろうとしているのに、リオンの顔はにやけていた。予想通りの反応。本当にからかいがいのある奴である。

「いいですか? ただでさえ彼氏彼女の関係になれただけで幸せなのですから、さ、さらに追い詰めるのは卑怯です! もう少しお手柔らかにお願いしますわ! そうしないと、しょ、正直身体が持ちません!」

「リオン。お前今、自分が混乱してるって自覚してるか?」

「し、してます! ええ、していますとも! 確か私の胸が小さいという話でしたわね! こう見えても最近は少し胸が大きくなった気がしないでもない可能性がでも個人的にはもう少し欲しいというかユースの発育状況が凄まじいとでもクーを見ているとまだ自分はマシな方ではないかと思うわけですが最終的にはジュンタの好みが一番重要で――

 プルプルとリオンは震えながら、しっちゃかめっちゃかなことを言う。目も回っているようで、これ以上はさすがにまずいか。

 ジュンタは謝ろう一歩リオンに近付いた。しかし謝罪の言葉を出すより先に、さらに二歩近付いてきたリオンが胸に飛び込んできたことによって、中断せざるを得なくなった。

「リオン?」

「ふんっ。からかう酷いジュンタにはオシオキです。さっきみたいに私のこと、強く抱きしめるがいいですわ」

 胸に頬を押し当てたリオンの顔は見えない。それでも耳は真っ赤になっていて、照れを隠しているのが丸分かりだ。

「そういうとこ、お前卑怯だよな。そんなストレートな頼み方、断れるわけないじゃないか」

「断ったら、私泣いてしまうかも知れません」

 そんなことをいう恋人の身体を、ジュンタはそっと包み込むように抱きしめた。

「泣かれちゃ困るからな。これくらいでいいか?」

「さっきは、もっと優しかったですわ」

「これくらい?」

「さっきはもっと激しかったです」

「それじゃあ、これくらいかな」

 文句をつけるリオンが、小さく『ん』と頷いて大人しくなる。腕にすっぽりとおさまるように頬をすり寄せてくる様は、人懐っこい猫のようであり小鳥のようでもあった。

 抱きしめる温度と抱きしめられる温度。触れ合う温もりはこの世界のどんなものよりも優しくて、心がすっと優しくなっていく。前回の神獣化以後、常に胸の中で蠢いていた闇すら、この安らぎの前では出てこられやしない。

 まるで無敵の魔法のように。この熱は、ジュンタに途方もない力をくれる。

 ……戦いが始まる。大きな戦いが。

 そこでどんなことが起きようとも、それでもこの瞬間がある限り、きっとジュンタは心の闇にも、誰にも負けたりはしないだろう。

 リオンと一緒なら――――負けない。

「リオン……」

「ジュンタ……」

 どちらからともなく顔を見つめ合う。リオンはそっと瞼を閉じた。
 ジュンタはリオンの肩を掴むと、背伸びした彼女へと顔を近づけていく。

 そしてまさに唇を溶け合わせようとした刹那――


 ドン。と、音なき強い魔力の波動が聖地ラグナアーツを駆け抜けた。


 


 

 膨大な、使徒の魔力に匹敵する波がアーファリム大神殿を中心に聖地を駆け抜ける。

 大気も何もかもが震え上がるような、恐ろしく強く、恐ろしく怖い魔力が。

 それはアーファリム大神殿の中で放たれた波ではない。その裏側。コインの表と裏のように、同じものであり違う場所から、境界を貫いて放たれたのだ。

 いや、それは決して放たれようとして放たれたものではないのだろう。

 ただ脈動がこれまで以上に強く放出されただけ。剥き出しの魂が放つ欲望の黒き波が、求めの声を望んで自らの『聖母』の腹を蹴ったというだけ。それだけで、この規模の魔力の波が引き起こされた。

 恐ろしきは古の魔王。絶対の法則の一つを軋ませる、『破壊の君』の力か。

「結局は、誰にも聖なる決定を覆すことができなんだったか」

 森の賢者。美貌の老人は一人、私室にて目を閉じる。
 若々しい容姿に刻まれる小さな皺。それだけで、彼の本当の年齢をうかがわせるほどの老いた雰囲気が包み込む。

「血の儀式……『聖誕』の企み。ああ、悲しいな。アンジェロ。お前は、儂を遙かに凌ぐ天才だった」

 鎖に繋いで首にかけてあった古ぼけた鍵を取り出すと、ルドールは執務机の引き出しの一つについた鍵穴に差し込む。錠が外れた音がすると、主であるフェリシィールも見たことのない秘密の引き出しが開いた。

 中に入っていたのは膨大な資料。十数年ほど前、とある天才がしたためた一つの壮大な計画。

 十年前の真実――オルゾンノットの魔竜と呼ばれる事件の裏で仕組まれた、本当の『狂賢者』の企みが残らず書かれた、今となっては唯一無二の真実の資料がそれだった。

 ルドールは騒がしくなり始めた塔の中、資料を指でなぞり、長く瞳を隠すほどに伸びた前髪を横へとずらす。

「誰も彼もが神話の上。どうしようもない、止められない神託が、始まる」

 露わになる瞳。その瞳の中、爛々と輝く契約のサインがあった。

「ああ、神よ。どうしてあなたは我らを見捨てたのか?」

 それは烙印。罪人の証。

「ああ、神よ。どうしてあなたはそれほどまでに無慈悲なのか?」

 それは刻印。契約の証。

「ああ、神よ。どうしてあなたはそれほどまでに――

 ルドーレンクティカ・リアーシラミリィを『傍観者』という身に縛り付けた、忌まわしき祝福。


――――人を愛しておられるのですか?」


 


 

 ――――此処に、『聖誕』の産声は上がり始めていた。

 










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