第六話  未来との約束


 

 まずは世界の興りから説明しよう。

 この無限に連なる世界群の中、一つの世界はどこからともなく発生する。
 最初、それは形も何もないただの現象のようなもの。混沌。歪み。それらを正常とも異常とも表す理のない原初。

 生まれたばかりの世界は生きているのだ。

 定まらない事象全ては世界が成長している証。あらゆる可能性を持って生まれてきた世界は、生きている限り、刹那の内に無限の変化を起こし、あらゆるものを誕生させては死滅させていく。

 ならば、今ある『確たる世界』が誕生するのはいつになるのか?

 ――死。

 揺るがない正しい形を世界が取るのは、その世界が死んだときである。

 変動をなくし、最後の理で世界が固定される瞬間。それこそ世界が死に絶えたときなのである。

 意志をなくした世界は機械の如き存在となる。定められた理を管理し、それを正常に稼働し続けるために自分の内なる全てを見守る機械。それが死んだ世界の在り方だ。

 世界が理に則ったままならばよし。理に反した現象が起きれば、これを排除・修正するために行動を起こす。その方法は世界によって様々である。敷いた理が世界によって異なるように。

 そうして生まれ、死に絶えた世界からなる無限の世界群。

 その中には科学によって支配された世界もあれば、魔法によって支配された世界もある。人知及ばぬ世界もあれば、夢物語の中でしか存在しないような世界がある。世界同士は隣あったり離れたり、中には多くの世界の集合体や連合を作りだしたりしながら、距離が意味の成さない関係を続けている。

 やがて世界が本当の意味で『無』になってしまうまで。

 死に絶えた世界の上、生まれた命たちは生きていく。
 世界が死んだそのときに夢見描いた、奇跡のような可能性の中で。


 

「【全てに至る才オールジーニアス――それは世界の縮図を思わせる、特異なる力の中でも一際特異なる力だ。世界がまだ産声をあげていたそのときと同じ力を持ち主に与える。つまり、これを持つ者は内に無限の可能性を秘めている」

「無限の、可能性」

 月下の下、ジュンタはサネアツから自らの持つ特異能力の名前を聞いた。

全てに至る才オールジーニアス――それがジュンタの持つ力。可能性の力。

「とはいえ、人の身である以上、世界がかつて起こした無限の変動は起きようもない。あくまでも人の肉体の限界内で、少しずつ変化を起こし続けている。簡単にいってしまえば、俺たち人類が猿から進化する過程で環境に最適化していったように、この【全てに至る才オールジーニアスはより適した形をつくる能力なのだ」

「つまりはどういうことなんだ? この力は、具体的にどんな影響力がある?」

「人よりも技術の習得が早い。技術の終着点が高い。どんな技術を手に入れようと思っても、必ず形になる」

「器用貧乏になるってことか? なら、今まで無自覚だったってことにも納得がいくけど」

「ははっ、まさか。そのような一言で片付けたいのであれば、前に『究極の』という言葉を付け加えるがいい。いいか? 器用貧乏とは何に手を出してもとりあえず器用といっていいくらいの適用を見せるということ。一つのことを突き詰めて達人になれる、とは違うのだ」

 サネアツは何か恐ろしいものでも見たかのような声色で、

「しかしジュンタは違う。究極的な器用であり、貧乏という損なう言葉は似つかわしくない。あらゆるものに手を出しても最初からある程度形になっている。これは一緒だ。しかしここからが違う。最初からある程度形になっている。努力すれば、全てにおいてその頂点に立てるのだから」

「頂点?」

「才能だよ。人には生まれ持っての天賦の才というものがある。身体的な才、頭脳的な才、それらは生まれながらに決められたもの、生まれたあとには決して手に入れられないものだ。
 育っていく中で何か将来になりたい夢を追いかけようとする。しかし、人は必ず才能という壁にぶつかるだろう」

「努力すればある程度のところまでは上り詰められる。だけど、同じように努力した生まれながらの天才には勝てない」

「さらなる努力をすればいい、とはいうが、それは努力できる才能があればの話。全ての物事に才能という要素を絡めてしまえば、才能には絶対に勝てないということになる。
全てに至る才オールジーニアス】。それは才能の根元であり、至高の才能だ。【全てに至る才オールジーニアスがもたらす特異点とは、『あらゆる才能を持ち合わせている』ということであり、『努力が才能を凌駕する』ということなのだから」

 ここまで来て、ジュンタは【全てに至る才オールジーニアスという特異能力について、ある程度理解が及び始めていた。

 この今まで無自覚だった特異能力を告げられても、実感は沸かなかった。しかしサネアツの語る口調に込められた驚愕と畏怖が、何よりも実感させる。

 ジュンタは自分のこれまでの道を思い出す。まだ日本にいた頃の、なんでもない時間を。

 思い返せば、そういえばジュンタは何かで苦労したという経験がほとんどない。勉強でも、運動でも、最初からある程度こなすことができた。
 元々頂点を目指す競技などに出たことがなかったのはあるが、体育大会のときなど、ある程度練習すれば自分の満足する成績は得られていた。授業をある程度受けていれば、特に勉強しなくとも市内でも有数の進学校に入ることができた。

 今まで気にしたこともなかったが、それは器用と呼ぶのではないだろうか? 一番身近にいたのが運動も勉強もできるサネアツだったから気付かなかっただけで、それは器用といっても差し支えないことだったのかも知れない。

「努力すればするほど形になり、実を結ぶ。この世にいる人の中には、どれだけ努力しても目指すべき場所に到達できないものもいる。が、ジュンタにはこれがない。心の底から本当に望んでさえいれば、到達できないものはない。実が結ばれないものがない。
 どんなものでもいい。これまで生きてきた中でまったく目も向けなかったものでもいい。一度本気になったなら、人よりも早いスピードで、その世界の頂点まで上り詰められる」

 それはフェリシィールやズィールのようにわかりやすい力ではない。ただ生きていく中では気付けないだろう力。だが、なるほど、確かにそれが事実なら恐るべき力だ。なぜならそれは成功が約束されているということなのだから。

「可能性の力、か。言い得て妙だな。神様みたいに全ての技術や知識が頭や身体にあるわけじゃない。あらゆる技術や知識を習得できる権利を持っている。つまりは可能性。
 あらゆる可能性があるなら、あらゆるものになることが許される。定まっていないからこそ、なりたい自分になることができる」

「故に『全てに至る才』。故に『全ての天才』。佐倉純太は本気で望めば、それが必ず叶う人間なのだ」

 佐倉純太――そう微かに別のニュアンスを含めて説明を一段落させたサネアツ。

 そう、佐倉純太という少年が持つ特異能力とは、異世界の神が望んだ力。【全てに至る才オールジーニアスをマザーは欲している。

「だから、ジュンタはマザーに願われた。幾星霜の時を費やしても達成できなかった『新人類』という可能性を、その力故に自分の未来の可能性として持つジュンタを」

 新人類。それはマザーが願った新たなる人の形。人間でありながら人間ではない、マザーが欲する『真実の人』。

「ジュンタの特異能力の極限は、何も既知の属性のみに止まらない。人知及ばぬ可能性、成長過程・学習内容が解明されていないものでも、ジュンタは大成する可能性を持ち、また心の底から望めば必ずいつかは果たされる」

「たとえそれが新人類っていう、救世主という存在だとしても」

「望むのなら神にでもなれるのだから、なれない道理はないな」

 未来の可能性の一つ。常人では可能性すらない『救世主』という未来を、ジュンタは生まれながらに持ち合わせていた。才能を道標とするなら、ジュンタは生まれながらに全ての道に繋がる道標を持っているのだ。

 ジュンタはいつか故郷の地でそうしたように、自分の手を見た。

 今日までに見続けてきた自分と変わらぬ手。だけどそれが、今は少し異質なものに見えた。

「マザーが異世界にまで干渉して俺を選んだ理由が、今わかった。俺の未来には救世主という可能性がある。それまで異世界なんて知らない高校生だったとしても、心の底からそれを望めば、俺は救世主にもなれたのか」

 広げた手を強く閉じて、自分を勝手に生み出したマザーのことを思う。

 無限の時間の果てに選んだ選択。新人類創造という夢。その新人類を救世主とする理想。
 自分にそんな未来なんてないと思っていた。けれど違った。この身体にはそうなることができる、無自覚の可能性が秘められていたのだ。

「ジュンタが二つに分かたれドラゴンの肉体を与えられたのも、またこのためだろう。どんな能力を持っていようとも、人の身である以上人間の肉体と寿命という二つの限界がある。最終的には必ず叶うとしても、それが死んだあとでは意味がない。あくまでも【全てに至る才オールジーニアスの根本は『成長』であるからだ」

 肉体という器に閉じこめられた魂に根付く特異能力である以上、あらゆる可能性はあっても無限の時間はない。救世主――そんな訳の分からないモノを目指す以上、時間はいくらあっても無駄ではなく、また人間の肉体という急速に変化ができない身体では不備が多すぎる。

「人の肉体は少しずつ成長する。天賦の才すら【全てに至る才オールジーニアスがある以上、生まれたあとに付加されるだろう。少しずつ少しずつ、自らの理想へと適応していく。が、それでは遅い。成長だけでは間に合わないと思ったなら、その上を目指すしかない」

 地球に生きる人間が、猿から長い年月を経て人に至ったように。

――『進化』だ。使徒ズィールの【時喰らい】と要は同じ理論だよ。ドラゴンという肉体を与え、神獣化という人の殻を捨て去り再構成するという方法をもって、【全てに至る才オールジーニアスは進化を約束する。人の殻を脱ぎ捨てるたびに目的の身体に近付いていく。急激に。人の限界を超えて」

 今もまだ地球にいる佐倉純太の【全てに至る才オールジーニアスは『成長』を司る力だが、今ここにいるサクラ・ジュンタの【全てに至る才オールジーニアスはすでに『進化』させる力になっていた。

 使徒が持つ神獣というシステムそのものがジュンタの成長――進化を早める工程になっているのだ。人間のくびきから解き放たれたが故の、それは特異能力そのものの進化であった。

「つまりマザーの目的は俺の進化を限定すること。オラクルはそのための導きってことか」

「【全てに至る才オールジーニアスの唯一の美点であり欠点は、本人がその気にならなければ意味がないことだ。オラクルを経ていくことで、マザーはジュンタに救世主への道を歩ませようとしている。それが奴にできる唯一の干渉。奴の目的は、ジュンタに心の底から救世主を目指してもらうことなのだ」

 過干渉に意味はない。あくまでもジュンタの自意識によるものでなければ【全てに至る才オールジーニアスは進化を歩ませない。だからマザーはジュンタの前に無限に広がる他の可能性ではなく、救世主の未来へと誘導している。

 
自分の力とマザーの思惑を知ったジュンタは、今までこんな大事なことを黙っていた親友に笑いかけた。

「サネアツが今まで教えようとしなかったのはこのためなのか。俺に自覚させないように」

「何も知らないまま誘導され続けるのも危険とは思ったが、自覚してしまうことで本来の方向性が歪むことを俺は恐れた。強い才能は時として持ち主の未来をも決定づけてしまう。この特異能力の中でも特異な力を知ることによって、ジュンタがこの力に振り回されてしまわないかと心配したのだ。もっとも――

 サネアツはふっと苦笑をもらして、

「今となっては、それは杞憂だったのかもしれんがな。あらゆる可能性への道標があるということは、つまりは何の道標もないも同じ。ジュンタが選んだ道がそのまま道となる以上、振り回されてしまうことはないか」

「……ありがとな。心配してくれて」

「なに、かまわん。俺はジュンタのソウルパートナーだからな。ジュンタの未来は俺の未来も同じだ」

 人知れず気遣ってくれていたサネアツは照れくさそうにお礼を受け取り、尻尾をふりふりと振った。

「ジュンタ。望む方向へと行こうではないか。己が望む方向へと。正しい方向へではない。間違った方向でもない。偉大な方向でも、誰かが望む方向でもなく、自分自身が望む方向へ。
 ――なぜならば、そちらにジュンタの未来はあるのだから」

 サネアツは月を見上げて、挑発するようにニヒルに笑った。

 きっと彼は空から見下ろす、人の未来へ干渉してくる嫌な奴へと今の言葉を届けたのだろう。なら。と、ジュンタはサネアツの横で同じように空を見上げた。

「そうだな。マザーの思惑なんて知ったことか。俺のこの力はマザーのためにあるんじゃない。俺のためにある力なんだから」

 この【全てに至る才オールジーニアスのことを知りたいと思った想いは、知っても何も変わらない。

 ジュンタは心に一人の少女の笑顔を描いて、彼方のソラへと挑む笑顔を浮かべて約束した。

「リオンを守るための未来へ、俺を導け【全てに至る才オールジーニアス】。お前はそのために今望まれている」

 それは誰との約束でもない。

「他でもない――この俺に」

 自分の未来との約束だった。






    ◇◆◇



 


 屋敷へと戻ったジュンタを待っていたのは、ささやかながら賑やかなお祝いの席だった。

 明日の戦いに対する前夜祭。騎士や使用人などが大きなダンスホールに集まって、飲めや騒げや大忙しだった。いつもは理性的な騎士も、紳士も淑女も今日ばかりは無礼講。酔った楽士たちの軽快な音楽の下、グラスをぶつけあっては飲み干している。

 大量のアルコール摂取を忌避しているジュンタと、そもそもアルコールに弱いサネアツは、中心部で行われている飲み比べに巻き込まれることを恐れ、隅のテーブル席にのんびりとすることにした。

「お待たせしました、ご主人様。サネアツさん。量はこのくらいで良かったでしょうか?」

「ありがと、クー。十分だ」

「うむ。というより、若干多いくらいだがな」

「そうか?」

 クーが持ってきてくれた料理は、大きな皿二つに山盛りで載せられていた。その量にサネアツは怯むも、修行の所為か最近たくさん食べられるようになったジュンタとしてはこれが適量だった。

 クーも席に座ったところで、みんなで周りの様子を肴に食べ始める。さすがはシストラバス家。いつも美味しい料理を振る舞ってくれるが、今日は一段と気合いが入っていた。これならデザートにも期待がもてるというものだ。

「すごいですね。リオンさん、あんなにお酒を飲んで平然としていらっしゃいますよ」

 クーは料理に手をつけるのも忘れて、飲み比べに参加しているリオンを感嘆の眼差しで見ていた。

「もはやあれは別物って感じがするけどな。俺と同い年であの酒豪ぶりって、もっと成長したらどうなるんだろ」

「今の俺たち三人には到底敵わない領域に辿り着くのは間違いないがな」

 大の大人相手に負けず劣らず、樽からダイレクトにワインをすくっては飲み干してみせるリオン。ワインレッドのドレスの裾をつまんで、ダウンした相手の隣でお辞儀をすると、老若男女問わず拍手が巻き起こる。その頬は微かに赤くなっているだけだ。

「あれで悪酔いするんだったら勘弁だけど、まぁ、リオンはそれもないし大丈夫か」

「むしろ悪酔いといえばジュンタだがな」

「……なあ、サネアツ。特異能力ついでにそろそろ俺がどんな風に酔うのか教えてくれてもいいんじゃないか?」

「だが断る!」

「即答!?」

「ふっふっふ。これほどおもしろいことをなぜしゃべらなければならない? しゃべるとしても、それは俺が思う存分欲望を満足するまで堪能してからだ」

「未来永劫解放されない気がするのは俺の気の所為か? なぁ、クー?」

「え!? そ、そのぅ……」

 いきなり話を振られて、クーが挙動不審になった。
 ジュンタはまさかと思い、果実水の入ったコップを見下ろすクーの、嘘がつけない耳元へと口を近付けた。

「もしかして、クーも俺が悪酔いしたところ見たことあるとか?」

「み、耳がくすぐったいです」

 へなりと耳を垂らして、クーは頬を染めた。

「すみません。黙っていようと思ったわけではなく、嘘をつこうと思っているわけでもないんですが、サネアツさんから絶対に黙ってろと言われてしまって。も、もちろんご主人様が望まれるのでしたら、私はたとえサネアツさんやゴッゾ様を裏切ろうとも、口を割る所存です!」

「そこまで決意を固めるレベルなのか? 待て。それより、ゴッゾさんにもばれてるのか……だとすると、もしかしてリオンやユースさん、ラッシャや先生あたりにもばれてる気が……」

「すでに全員の間で、この秘密は共有する約定を取り付けているぞ。ジュンタが口を割らせることができるのはクーヴェルシェンだけだが、よもや大切な従者に友を裏切らせるような真似、させるはずがないよな?」

「くっ! 卑怯だぞ、サネアツ。俺がクーにそんな真似させられないこと知っていながら!」

「その通りだ。友人を裏切るなんて真似許されない。チェックメイトだ。ぐふふふふっ」

「どういう笑い方だよ、おい」

 決意を固めて待っていたクーがほっと安堵する中、ジュンタは諦めることにした。クーに友達を裏切らせるような真似させたくない。きっとできないだろうし、ここは涙を呑んで諦めるとしよう。少なくとも、自分の酔い方は人に迷惑をかけるものではないようだし。

「しかし、こうなるとむしろ他の人の酔い方が気になるよな」

「酔い方というと、俺の場合はダウンか」

「プラス寝相がさらに悪くなる。リオンは若干怒りっぽくなって、ユースさんは暴君化。ラッシャは泣き上戸でエリカは笑い上戸。先生は絡んできて、フェリシィールさんは脱ぎ癖だっけ?」

「はい。おじいちゃんと一緒に止めるのですが、いつも大変なことになってしまいます。クレオさんは反省会で、ズィール様はたくさんお食べになられます。おじいちゃんはお酒が嫌いですから見たことないんですが、フェリシィール様のお話によると昔話を始めるらしいですよ」

「ゴッゾさんやエルジンさんの娘自慢大会よりはマシかな。あと残るは……クーくらいか。といっても、クーもダウンしちゃうんだけどな」

「自分としましても、乾杯くらいはできるようになりたいのですが……」

 コップ一杯で目を回すクーのささやかな願いがそれであるらしい。確かに、乾杯の一杯くらいは飲みたいものだろう。

「いつかは少しくらい大丈夫になるさ。クーなら変な酔い方しないだろうし」

「いや、待て。そう決めつけるのは早計かも知れないぞ」

 ジュンタがクーを慰めると、サネアツが何か悪巧みを考えついた顔をした。サネアツは持ち込んだ荷物――持ってきたのはジュンタだが――から小さな包み紙を取り出すと、包装紙を破き始めた。中には九つのチョコレートが入っていた。ただ、普通のチョコレートじゃない。

「サネアツ。それって確か、前に俺が作った……」

「ウイスキーボンボンだよ。とはいっても、甘党のジュンタが作ったわけだから、アルコール度数はあってないようなものだ」

「それをクーに食べさせて酔わせてみるって魂胆か」

 理解するジュンタと隣で、首を傾げるクー。

「どれクーヴェルシェン、ジュンタお手製の新作ショコラだ。食べたくはないか?」

「もらってもいいんですか? わぁ、ありがとうございます!」

 キラキラ瞳を輝かせて喜ぶクー。アルコールが入っているとは思ってないらしい。その純真無垢な瞳が何とも眩しい。

「それではいただきます。はむっ」

 それでも止めないジュンタだった。いや、だって気になるし。

「美味しいです。幸せ味です」

「一つでは流石に足りなかったか。良かろう。好きなだけ食べるといい」

 サネアツに勧められるままに、クーは都合三つのウイスキーボンボンを食べてしまった。ほっぺを押さえながら食べる様子はとても微笑ましい。

 変化が訪れたのは、その直後のことだった。

「あ、あれ? なんだか身体がポカポカしてきました」

 クーの瞳がとろんと眠たそうに潤んだかと思うと、肌が熱をもったようにピンク色に染まった。
 倒れてしまうギリギリ寸前の、クーにとっての酔っぱらっている状況がついに現れた。はふぅと熱い吐息を吐き出して、熱いのか頬に汗をかいている。

 その姿はなんというか…………とてつもなく色っぽいかった。

「熱いです。ご主人様、身体が燃えてるみたいです」

「そ、そうか。大変だな」

 見せつけるように身を乗り出してくるクーに、ジュンタはうろたえる。

 清純無垢ないつもの姿とは違い、外見の年齢も相まって、色香に満ちた今のクーの姿はそこはかとなく背徳感があった。あり得ないくらいの色香にあてられ、ジュンタの頬も赤く染まる。恋愛音痴のサネアツですら恐縮するくらいといえば、どれくらいの破壊力かお分かりいただけるだろう。

 正直、トーユーズの流し目に匹敵する破壊力の上目遣いで攻め寄られると……心の防波堤がガンガンと崩されていくのがわかる。

「本当ですよ? 嘘じゃないです。私がご主人様に嘘をつくなんてこと、ありえないんですから」

「いや、信じてるから。これっぽっちも疑ってないから!」

「本当ですか? 嘘ついてるだろとか思ってないですか? 演技キモいとか思ってないですか? うぅ、ダメダメな道と人生に迷うことしか能がない生物でごめんなさい。ごめんなさい。土下座します。毎朝毎晩神様に生まれてきたことを懺悔しますから許してください。私の人生は常に反省と共にありますから」

「そんな悲しい人生送らなくていいから! というか、いつも以上にネガティブなのに、何この色気!?」

 ペコペコ一生懸命頭を下げながらも、なぜかその度にはだけていく衣服。下げる度に帽子がずり落ちるものだから、それを直そうとしてなぜかめくりあがるスカート。本当になぜ?

「落ち着け。落ち着けよ、クー。謝らなくていいから。むしろ謝るのは俺とサネアツの方だから」

「こんなダメダメな私を信じていただけるのですか?」

「信じるよ。信じてるから!」

「…………わかりました。覚悟を決めます。私を大人にしてくださいっ!」

「何の脈絡もなくお願いされた――って、ほわぁ!?」

 口からすごいふんわりとした悲鳴がもれた。

 サネアツが横で「これは……」とにやついているように、クーの酔っぱらいぶりはついに最終着陸地点に降下をはじめる。引き寄せられたジュンタの手は熱をもったクーの身体の柔らかい部分に押し当てられていた。しかもにぎゅにぎゅと動かすことを強要されて、背筋にゾクリと来る。

「どうでしょうか? ご主人様。ここを触らせるのはご主人様だけですからっ。これが私の忠誠の証です!」

 押すと程よい弾力で押し返してくる柔らかな感触。先っぽは少しこりっとしていて、お酒の所為もあってか薄いピンク色をしていた。
 触るとクーは苦悶に似た表情となる。ふるふる震える唇からもれそうになる声を必死に手で押さえながら、目に涙をにじませつつ、クーは恥ずかしい場所を触られる刺激に必死に耐えていた。

 ジュンタの方も離さなければならないとわかっているのに、周りから『何してんだ? あいつ』という視線をもらっていることをわかっているのに、その魔性の感触に手が離せない。思わずなで回してその感触を味わってしまう。

「〜〜〜〜!!」

「おっと」

 クーの口からついに我慢できなくなって、か細い、悲鳴にならない声が呼吸音としてもれた。
 腰が抜けたのか、その場に倒れそうになるクーを抱き止めることで、ようやくジュンタはそこから手を離すことができた。

 そこ――つまりクーの耳から。正直エルフの耳は反則だと思います。

「大丈夫か? すぐに部屋まで運んであげるからな」

 ついに酔いが限界に達したらしいクーを抱きかかえると、彼女はとろんとした顔で蕩けるような笑顔を浮かべて、甘えるように胸元へと頬をすり寄せてきた。

「結論。クーヴェルシェンは酔うとエロくなる」

 サネアツが新たな何かを見出して、独りほくそ笑んでいた。

 



 
 部屋まで倒れたクーを運んでベッドに寝かしつけたあと、ジュンタは部屋を後にしようとした。

「ご主人様……行っちゃヤです」

 しかし、服の裾は握りしめられたままで、出て行くことができなかった。クーはうっすらと目を開けている。

 いつもより摂取したアルコールが少ないからか、目を回すこともできず、かといって本調子でもない。苦しそうといえば苦しそうで、楽しそうといえば楽しそうな顔だ。先程よりはマシになったとはいえ、艶っぽい空気は健在だった。

「仕方ないな。俺の所為でもあるし、眠るまで一緒にいてやるよ」

「えへへ」

 ジュンタはベッドに浅く腰掛け、服を掴んでいたクーの手を握ってあげた。甘えるようなことを言わないクーが、恐縮しない程度に望むこと。それが眠るとき手を繋いでいてあげることだった。

 思い返せば、初めてクーと出会ったときも、こんな風に手を握ってあげた。あの頃は使徒とか巫女とか関係なかったし、今思ってみれば、年頃の少女と同じ寝室で一緒にいるなんてかなり大胆なことをしたのではないか。ただ、今嬉しそうに微笑むクーのように、あのときも放っておけないと思ったのだ。

 懸命すぎて、無理ばっかりしていた少女。あの頃よりはいくらかマシになったとはいえ、まだまだ無理するところは多い。けれど、それを自覚できるようになった。クーは成長した。

「がんばってるよな、クーは。一人で立とうと一生懸命に」

「ご主人様がいてくれますから。傍で見守っていてくれますから。私はそれだけでがんばれます」

 閉じた瞳を少しだけ開いて、クーは握った手を胸元へと寄せた。

「ずっと、ずっと一緒にいたいです。最後のときまで、ずっと一緒に。ご主人様と一緒に。もちろんリオンさんやサネアツさん、ユースさんたちも一緒に……」

「ああ。一緒にいられたらいいな。ずっと一緒に」

「いられます。大丈夫です、ご主人様なら。たとえドラゴンが狂っていくものだとしても、ご主人様ならへっちゃらです」

「クー、お前……」

「知っていますよ、ご主人様のこと。ご主人様が何を抱えていらっしゃるか」

 サネアツ以外には言っていない呪いのことを口にしたクーは、そう言って祈りを捧げるように胸元へと寄せたジュンタの手に唇を落とした。

「だけど、大丈夫です。ご主人様は格好いい悪なんですから。とっても優しいんですから。だからご主人様は大丈夫です。安心して、ください。もしも、それでも苛められてしまったら、私がめっ、って怒って差し上げますから……」

「いや、虐めって」

「大丈夫……大丈夫です。ずっとずっと、私が一緒にいて、ご主人様を守って……」

 徐々にクーの瞼が落ちていく。今の言葉もきっと、睡魔と酒気の勢いに任せて言ってしまったものなのだろう。

 むにゃむにゃと寝言同然に唇を動かしながら、クーは幸せそうに微睡んでいる。

「がんばりますよ。私、がんばります。だからご主人様、この戦いが終わったら……」

「終わったら?」

「……伝えたい、こ……と………………………………幸せ味です〜」

「あらら」

 ジュンタは言葉途中で眠ってしまったクーを見て苦笑を浮かべる。
 
 戦いが終わったら何をして欲しいのか。何を伝えたいと思っているのか。まあ、こうなっては仕方がない。終わったときのお楽しみとしていよう。

 ジュンタはそっとクーの手を離すと、目元にかかっていた前髪をどける。

「おやすみ。クー、ありがとな。気付いてくれて」

 そっと額にお休みのキスをして、ジュンタは立ち上がった。

「ご主人様…………大好きです……」

 クーは布団を抱きしめて、まるでたくさんのショコラに囲まれているかのように、幸せそうな顔で眠っていた。





       ◇◆◇






 クーの寝顔を見たからか、ジュンタはあのパーティー会場へ戻ろうとは思わなかった。

 戻ればどんな目に遭うかわかったものじゃない。豪傑たちの酒盛りに付き合うには、年齢も経験もいささか以上に足りなさすぎる。

 なのでジュンタが目指したのは浴室。やることは全て果たした気がした。
 明日を迎えるためにも、今日一日の疲れを洗い流すため、ジュンタは大浴場へと足を運んでお湯につかっていた。
 
 薔薇が浮かべられた、何とも宮殿チックな大浴槽。温泉大好きなシストラバス家は、どんな別宅でもお風呂は豪華だ。優に三十人近くは一緒に入れるだろうそこを独り占めしているだけで、もう何ともいえない贅沢気分を味わえる。

「いい月だな」

 ジュンタは灯りをともさず、天窓から入ってくる月明かりのみを浴びて入浴していた。

 耳には笑い声が。宴は夜通し続きそうだ。それで明日戦いに行けるのかという話だが、恐らく大丈夫なのだろう。むしろそれがいいのだろう。

(あそこまで楽しめるようになったら、一人前かな)
 
 とはいえトーユーズの弟子である自分は、一人静かに月を肴にする方が合っている気もするが。

 ジュンタは十分お湯を楽しむと、浴槽からあがろうとして――パチンと、魔法灯が点され、浴室内が一気に明るくなったのはそのときのことだった。

 光を眩しく思えて目を細めたのは一瞬のこと。
 次の瞬間には、ジュンタは逆に目をいっぱいに広げて入ってきた少女を見ていた。

 酒気を帯び、色づいた白い肌。真紅の髪はまとめあげられ、同じく真紅の瞳は目一杯開かれている。その均整のとれた身体には無駄な脂肪はなく、磨き上げられた芸術品のような曲線は見る者全てを虜にする。

「…………」

 いつだったか、そうだ。その揺らめく炎のように儚く、凄烈な姿を見たことがあった。

 時が止まったかのような、錯覚。
 自分の人生がここに収束したかのような、錯覚。

 動揺も、慌てることすらできない一瞬を感じて、ジュンタは感動に似た感慨と共に思い出す。

 これだ。このときだ。

 サクラ・ジュンタが、リオン・シストラバスに一目惚れしたのは。

「…………ジュンタ……どうして、あなた……?」

 呆然としていたリオンは乾いた声でジュンタを指差し、それが徐々に下へと向かっていって、

「にゃにゅぴ!?」

 何を見たのか、顔をしゅぼんと真っ赤にさせたかと思うと、そのまま仰向けに倒れた。

「あらら」

 本日二回目の事態に遭遇して、ジュンタもようやく再起動を果たす。ひとまず腰にタオルを巻いて、それから目を回すリオンへと近寄った。大量に飲んだワインがここに来て猛威を振るっているのか、それとも後頭部をぶつけたからか、リオンは頭を抱えてうんうん唸っていた。

 ……うん。目の保養にはなるが、ここはいったんお風呂へ投げ込むとしよう。

 冷静だったのか、混乱していたのかは知らないが、ジュンタはリオンを抱きかかえると自分共々お風呂へと飛び込んだ。

 盛大にあがる水しぶきと共に、リオンの目がぱっちり開く。

「何事でして? 頭に響きますから、狼藉は控えていただけます?」

「それは無言で自分の身体を見ろという、遠回しなお願いと解釈していいか?」

「身体? ……ほわっ!?」

 自分が裸でジュンタも裸であることに気付いたリオンが暴れたことで抱えていられなくなり、そのまま彼女は落下した。

 再びの水しぶきと共に消えたリオンだったが、今度は浮かんでこない。と思ったら、どれだけの水泳能力か、一瞬で浴槽の端の方へ行き、頭を水上に出したかと思うと犬のように唸ってきた。

「どうしてジュンタがここにいますのよ? 入り口の立て札は入浴中になってませんでしたのに」

「あ、そんなのあったのか。なるほど。道理で。鍵もないと思った」

「今まで気付いてませんでしたの!?」

「いや、俺文字読めないし」

「そういえば。無駄に博識でしたから、文字が読めないことを忘れてましたわ」

「いやぁ、流石に常用語は覚えたけど、複雑なのはまだ覚えてなくて。お陰でいいものが見えました。ご馳走様です」

「どういたしまして……って、違いますわよ?!」

 拝むジュンタにリオンは怒って立ち上がろうとして、途中で気付いて止まった。惜しい。

「くぅ〜、まさかジュンタにまた見られるとは思いませんでしたわ」

「今度からは気をつけろよ。俺の裸だってタダじゃないんだから」

「それはこちらの台詞ですわ! 言っておきますが、いくら恋人同士だからといって、裸を見ていいなどとは思わないことですわね!」

「それじゃあ、一緒にお風呂もダメか?」

「そ、それは……………………ジュ、ジュンタがどうしてもというなら、考えて差し上げてもよくてよ?」

「じゃあ、どうしても裸が見たいです」

「そっちは頼まれてもダメですわ! 今日は欲望に正直ですわね?!」

「男の子だからな。それに、恋人だし」

 他の女の子だったら謝り倒すか、すぐに出て行くが、相手がリオンとなれば話は別である。

「……そういう言い方は卑怯ですわ。私が恋人という響きに弱いことを知っている癖に」

 ジュンタの欲望まっしぐらのお願いにも、断りきれないリオンだった。






 
 結局一緒にお風呂に入ることになった二人。

 ジュンタとリオンは背中合わせで座っていた。お互いの姿は見ないようにしているが、お湯の中では手を繋いでいる。密着度では過去最大レベルだろう。

 正直ドキドキが止まらないわけだが、ラッシャでもないのでジュンタは健全にリオンとの入浴を楽しむ余裕があった。ある意味健全じゃないわけだが、先程から一言もしゃべらないリオンの緊張に比べれば些細な問題だ。

「そう言えば、前にも一回一緒に温泉に入ったことがあったよな」

「まるで一緒に入ったことが当然のように言ってますけど、あれはあなたが私を罠にはめたと記憶していますわ」

「あのときは、いや、ほら…………ごめんなさい」

 ジュンタはラバス村のことを思い出して、会話の取っ掛かりにしようとしたのだが、見事に墓穴を掘ってしまった。

「そういや、色々あったから謝ってなかったよな。あのときは悪かった」

「もういいですわよ。それに、ジュンタがそういう手段に取って出たのだって、元はと言えば私が鈍感だったことが原因ですもの。あの頃の私はまだあなたへの恋心に気付いていなくて、それで意地悪なことをして、避けて、追い込んで……まあ、それでも混浴はやり過ぎですけど」

 混浴の記憶というより、二人の間ではそれは二度目の告白の記憶だった。ジュンタからリオンへの二度目の告白。結果は惨敗だったが。

「正直、あのときはショックだったな」

「うっ……申し訳ありませんでしたわ。今思うとどうしてそんな嬉しいことを拒絶したのか、我がことながら理解に苦しみますわ。今あのときのように真剣な顔で告白されれば、確実に私感極まってのぼせますわよ」

「謝る必要はないさ。あのときはそれがリオンの本心だったんだし、今はこうして手を繋いでいられるんだから」

「そう、ですわね。過去を悔やんでいてもしょうがありませんわね」

「そうそう。それに悔やむとしたら、もっと前からだしな」

 指先を触れ合わせるような繋ぎ方から、指と指を深く絡め合う繋ぎ方へと。
 そうすることで自然とお互いの距離も近付いた。リオンの背中がジュンタの背中に触れる。

 何も隔てるものがない距離。リオンは身体を少し離したが、すぐにもたれかかってきた。

「私とジュンタが出会ったのが、ちょうど去年のリガーの頃。今がジュリウスの終わりですから、もうすぐ一年近く経ちますのね」

「実際は半年だけど……リオンと過ごした時間は、それこそ何年も一緒だったみたいに感じるよ」

「私もですわ。ジュンタと出会ってから、大変な事件に巻き込まれてばかり。のんびりしていられる暇すらなくてよ」

「おいおい、人の所為にするなよ。事件の内いくつかは自分から首を突っ込んできた癖に。どっちかというと、俺だって巻き込まれた方だ。それに一年そこらじゃ甘い甘い。サネアツと付き合うようになってから、十年近く俺はトラブルまみれの毎日だ」

「幼い頃からサネアツに振り回されていましたのね。もっとも、どっちが原因かは判別しかねますけど。ふふっ、ジュンタの困った顔が目に浮かびますわ」

「人ごとじゃないぞ。俺のことを好きになったのが運の尽きだ。これから先、たとえこの事件が終わったとしても、リオンに平穏が訪れることはないと断言できる」

 サネアツだけじゃない。こちらで出会った人々みんながトラブルの種だ。
 相乗効果で種は芽吹いて、大きくなって花を咲かせて、また種をばらまいて芽吹く。その繰り返しだ。

「……また始まる、か」

「え?」

「いや。俺の生まれたところにもな、不死鳥の伝説があるんだよ。『始祖姫』の伝説とは少し違う不死鳥の伝説がな。それで、さ。不死鳥は永遠の象徴なんだよ。死んでも灰からまた蘇る。決して消えない炎の鳥」

「あら、それってナレイアラ様と一緒ではありませんか。『不滅』――それが我がシストラバス家にかけられた人々の願いですもの。だからこそ私たちは継承し、永劫を目指すのですわ」

「うん。だからさ、俺がリオンに出会って、リオンを好きになったのは必然だったのかも知れないって思ってさ」

「運命ということですの? 私はそういうロマンチックな物言いも好きですけど……驚きですわね。ジュンタはあまりそういうの好きではないと思ってましたわ」

「嫌な運命は歓迎しないさ。でも、素敵な運命だったら大歓迎だろ? 俺は運命ってのを否定してるんじゃなくて、俺にとって要らない運命が純粋に必要ないと思ってるだけなんだから」

「いいとこ取りということですのね。呆れましたわ。大した欲張りさんですこと」

「そうだぞ。俺は欲張りなんだ。もう少し自分の欲望に正直になろうって、さっきそうサネアツと最終結論として出したばっかりだからな」

「それが煩悩に繋がらなければいいのですけど。ラッシャ・エダクールのようになったら、流石に私としても考え物でしてよ?」

「俺がエッチになったら嫌いになるか?」

「いいえ。ただ、あなた好みになることに、多少戸惑ってしまうだけですわ」

 リオンはクスリと笑って、今度は頭までくっつけてきた。心地よい重さと熱が伝わってくる。長い間お湯に浸かっているが、それが気にならないくらいに心地よい。

 リオンは何というか、片思いだったときには考えもしなかったけれど、これはこれでいいお嫁さんになるのではないだろうか。淑女と考えればわかりやすい。夫を信じ、愛し、支える。つまりはパートナーとしてリオン以上の人はいない。

 比翼の鳥。連理の枝。

 お互いに支え合っていければきっと、最後のそのときまでずっと一緒にいられるはず。

 あの日あのとき浴室で出会った自分たちが、出会いは最悪だったけど、それでも一人呆然と月を眺めたあの日から、今こうして二人で一緒に見られるようになったように。

「……報復されちゃったよなぁ」

 裸を見てしまったら責任を取らなければならない。
 ジュンタはリオンの宣言通り、もっともふさわしい方法で報復を受けてしまった。

 そんなジュンタの呟きはリオンにも聞こえていたはずだが、彼女は何も言わなかった。

 ただ、楽しげに笑って、決戦の前夜の締めくくりを飾る。

「騎士の誓いを甘く見てもらっては困りますわ。
 私の裸を見た責任、一生をかけて果たしてもらいましてよ。旦那様」



 


      ◇◆◇






 仲間となった二人の少女の力は圧倒的であった。

 世にはびこる邪悪を、蔓延した流行病のような諍いを、その力をもって次々に鎮めていく。二人は自分の姿を神なる獣と変え、その奇跡によってついには誰も倒せぬはずの厄災をも退けた。

 彼女の夢から始まった旅路は、やがて大陸中の、世界中の人々の夢が集まる旅となっていた。彼女を含めた少女たちは『姫』と呼ばれ、栄光と希望の象徴となっていた。

 彼女たちこそは神が地上へとお使いになされた神の使徒に違いない。
 その神々しき金色の瞳こそその証。神の獣となりて、この地獄を食らいつくすのだ。

 いつしかそんな風に呼ばれるようになったことに、白い少女は無邪気に笑って、紅い少女は面倒くさいと呟く。そんな中、彼女だけがその呼び名を恥じていた。

『あたしは、二人みたいな奇跡を持っていないのに……』

 二人と同じく金色の瞳を持っていた彼女だったが、彼女は神の獣になることは叶わなかった。二人が持つような奇跡の力も、感じたことがなかった。

 二人がその身体の成長を止めている中、彼女だけが一人大人になっていく。
 自分と彼女たちはまったく違うのだと知り――そのときになって初めて彼女は気が付いた。

 確かに世界には笑顔が咲き始めたけれど、できることなら、自分はこの手でそれを成し遂げたかったのだ、と。

 彼女が自分の望みと役割を理解したとき、彼女は初めて神の獣となり、その身の奇跡を知ることになった。

『あたしには二人みたいに誰かを救う力はない。だけど、それでも応援することはできるから』

 彼女の持つ奇跡は、誰かのために祈り、誰かを応援することだった。
 その手では誰も救えず、誰も助けられず、何も成し遂げられないが――彼女には目の前の誰かが成し遂げようとすることを、応援することだけはできた。

 つまり自覚した、その手で救いたいという気持ちとは裏腹に、彼女は誰一人としてその手で救うことは叶わなかったということ。

 地獄の世界が終わるそのときまで。
 彼女は、自分ではない誰かの幸せのために笑っていた。






 ――――その笑顔が、ただただ悲しい。






 笑うことを止めればよかったのに……。
 自分のために笑えればよかったのに……。
 
 そうすれば、彼女は少なくとも人並みの幸せを得られたはずなのに……。

 なんて馬鹿なんだろう。
 なんて愚かなんだろう。

 だけど。

 だけど、それでも、わかってしまった。
 他の誰かではわからないその笑顔の理由を、わかってしまったから。

 たとえ誰かに否定されたとしても、自分だけは否定できない。してはいけない。その誰かを、人々を、世界を救いたいという想いだけは――……。
 






 それはまるで凱旋してきたかのような活気だった。

 一糸乱れぬ動きで行進する騎士の姿と、それを祝福する市民の歓声。
 早朝にもかかわらず、鐘の音よりも早く目覚めた人々がこれより『封印の地』へ戦いに赴く騎士たちへ祝福のエールを送っている。

 男も女も、子供も老人も関係なく、皆が声を張り上げて讃えている。

 神を。使徒を。騎士を。聖神教を。讃えて勝利を願っている。

 行進する騎士たちの胸には、自らが守るものの姿と共に新しく強い誓いが課せられる。先の戦いで死んだ同胞のためにも、これより向かう苦しい戦いの地では敗北は許されない。この身尽き果てても、最後の一人になっても戦い抜こう。

 白い甲冑は眩い太陽を跳ね返し、掲げた槍は天を向く。
 白い行進は古の使徒の名を持つ神殿へと、澱むことなく向かっていく。

 遙か昔にも見た記憶にも残るその尊い行進の音に、目が覚める。

 勝っても負けても聖戦が終わる今日という日。
 戦いの朝を迎えて、クーヴェルシェン・リアーシラミリィは。

 ただ今見た夢が悲しくて、愚かすぎて、情けなくて。
 もう思い出すこともできないのに、泣きたくなって、怒りたくなって、落ち込みたくなって――なぜだか笑顔が浮かんでくるのと同時に、そう思ったのだ。

「ああ、あたしは……」


 ――――世界を救わなくちゃいけないんだ、と。







     ◇◆◇






全てに至る才オールジーニアス――それは『あらゆる才能を持ち合わせ、努力が才能を凌駕する』特異能力。

 故に望まなければ始まらない。
 故に知らなければ始まらない。

 故に望もう。
 故に知ろう。

全てに至る才オールジーニアス――それが『あらゆる才能を持ち合わせ、努力が才能を凌駕する』力ならば、必ず至るまでの『過程』が存在する。

 証明せよ。
 過程を証明せよ。

 矛盾の答えを。誰一人として、神でさえ証明できぬ新人類までの道のりを証明せよ。

 其は救世主の力。至ることで新たな奇跡を描く可能性の力。

 我が望みを叶えよ。
 我が祈りを聞き届けよ。


 さぁ、新世界の始典バイブルを生み出せ――――全てに至る才オールジーニアス】!!


 







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