Prologue

 


 地平線に早い夕暮れが訪れる。

 大地を赤く染め上げた光は、猛烈な熱波を伴ってエチルア王国の王都ルナティメルシュに押し寄せた。

 まるで炎の津波だ。ルナティメルシュを囲む城壁の正面側は、打ち寄せる第一波によって瓦礫と化し、続く第二波で灰となって空に散った。

 この段階に至って、国を守る防人たちは敵の来襲を悟る。

 そして、地平線の向こうからやって来る一人の男に恐れおののいた。

 今の攻撃が、彼が握る真紅の剣によるものと理解したのだ。魔法大国と呼ばれたエチルア王国の兵士であっても、これほどの魔法は見たことがなかった。

 威力のほどをいえば『神殿魔法』の域か?
 いや、そもそも今のは魔法による攻撃なのか?

 それすらわからなかったが、唐突すぎる敵の、しかも単独による襲撃に次の行動を起こす判断を奪われたのは事実だ。

「さて――諸君、我が朋友たちよ。剣を掲げよ! 旗を掲げよ!」

 男は朗々とした声を張り上げ、高々と剣を掲げた。

「時は来た! 今こそ我らは新たなる世界の夜明けを迎えよう!」

 地平線を貫いたものと同じ真紅の光が、煌々と輝く。


――いざ、革命の烽火を見るがいい!!」


 大地を砕き、空を灼く。
 剣の切っ先から迸った光は天地を切り裂いた。王都どころか国のどこからでも見えただろう、それは天と地の間で翻る真紅の旗であった。

 呼応するように、王都中で、王都を囲む平原で、声が、旗が、剣が掲げられる。

 それはエチルア王国を包み込む、革命の烽火――

 

 


 近年、世界最大の大陸ベルルームで起きている市民層による革命が、ついにこの歴史あるエチルア王国でも起きたらしい。

 息せき切ってやってきた兵士の報告を聞いた貴族は、それを鼻で嗤った。

『馬鹿にするな。革命運動が秘密裏に我が国で行われていることなど百も承知』

『結果として、それが表側に出てきただけだろう』

『歴史の何たるかを知らぬ愚かな凡百共め。自らが矛先を向けた相手が誰か知るがいい』

『見せしめだ。一人残らず反逆者共を捕らえ、城壁に吊すがよい』

 王宮で連日連夜行われていたパーティーの参加者たちは、蜂起などすぐに鎮圧されるものと思っていた。自分たちの地位が市民の反乱如きで脅かされるなど考えもしなかったし、それよりも談笑に興じる方がよほど重要だ。

 彼らが顔色を変えるのは、革命軍によって白銀の城フレグラレイスが包囲されたとき。

 逃げ場はどこにもないと、そう悟ったときだった。

 

 


 白銀の髪を後ろで結い、片眼鏡モノクルをつけた青年――革命軍の参謀キルシュマ・ホワイトグレイルは、兵を引き連れて城内を進んでいた。

「これで残るは玉座のみ。そこを押さえることさえできれば我々の勝利だ」

 すでに敵性戦力のあらかたは無力化できている。貴族や彼らに付き従う兵士による反撃があるものと思っていたが、予想を遙かに下回る被害でことは進んでいた。いっそ拍子抜けするほど、国の中枢であるフレグラレイスにおける抵抗は乏しかった。

 しかし油断してはならない。

 キルシュマたちが引き起こしたのは革命という、自らの国に対する反逆だ。よって、その終結は自分たちの全滅か、国を打倒することでしかあり得ない。

 パーティー会場で中枢の貴族と王族の幾人かは捕縛していたが、肝心の国王は何者かによって避難させられていた。少なくともあの場に、革命軍の規模が王軍のそれに匹敵することを察していた人物がいるということになる。

「国を憂う人物、こちらに簡単に転がりそうな相手はすでに仲間に引き込んである。ならば――

 ならば、それが誰かは問うまでもない。

 あの場にいなかったキルシュマがよく知る人物。国に忠義する軍人である彼ならば、こちらの動きを把握して国王を逃がすことぐらいはやってのけるだろう。

 包囲されて城外へ逃がすことは不可能となると、彼が向かった先はここ以外にあり得ない。

 キルシュマたちがやってきたのはフレグラレイスの最上部、玉座の間だった。

 そして、件の人物は門の前で単身待ち受けていた。
 獣のたてがみを思わせる髪と髭。筋骨隆々の身体には現役時代の甲冑を纏い、巨大な得物を床に突き立てている。

「待っておったぞ。おう、待ちくたびれたわ」

 男は鋭い眼光に反し、友に対するものに近い笑みを浮かべてキルシュマに話しかけた。

 それもそのはず。男はキルシュマの肉親だった。

「父さん。やはりあなたは立ちはだかりますか」

「至極当然。吾輩は国に仕える武人よ。敵立てば、この身を盾にして国王陛下を守ろうぞ」

 父にしてホワイトグレイル家当主であるロスカ・ホワイトグレイルは、床からハルバートを引き抜いて息子に突きつけた。

「さあ、久しぶりに心躍る戦場だ。キルシュマ、我が息子よ。国王陛下の首が欲しくば、父の屍くらい越えてゆけぃ!」

 

 


 エチルア王国は神聖大陸エンシェルトの南部一帯を治める、千年の昔よりある大国である。

 かの『始祖姫』に多大なる支援をしていたグラニォール王国と、『始祖姫』の一柱メロディア・ホワイトグレイルの生家――ホワイトグレイル公国が合体してできた国であり、国の実権を代々グラニォール王家が、魔法使いの育成と魔法の研究が行われている『満月の塔』の実権をホワイトグレイル家が握ることで国を治めてきた。

 聖地との繋がりも隣国グラスベルト王国ほどではないが強く、長年北方の国と冷戦状態にあることを抜かせば豊かで平和な国だ。

 だからか、いつからか貴族たちは内側から腐っていった……そんなことは現王グラニォール四十世も気付いていた。

「ならば、これは知りながらも放置していた朕の責任と言えるだろうな」

 玉座に腰掛け、四十代にしては老け込んだ顔の王は自嘲めいた笑みを浮かべた。

「謀殺されるのが怖くて貴族たちに逆らわなかった。結果として、最も大事にするべき国民たちの反乱を招くとは……なぜ今日までそんな簡単なことにも気付けなかったのか。歳は取りたくないものだ」

「…………」

 目の前で膝を付く臣下は何も語らない。

 門の向こうでは激しい戦闘が続いている。パーティー会場から逃がしてくれたロスカと、革命軍の一員として王宮に乗り込んできたキルシュマの戦いだ。

 どちらも当然グラニォール四十世は知っている。特にロスカは、かつて若き日の自分の護衛を務めていた男である。まだ国を良くしたいと目を輝かせていた頃、何度も夢を語った相手だ。まさか貧乏貴族だった彼がホワイトグレイル家の当主に見初められるとは思っていなかったが、そう、グラニォール四十世にとっては兄といえる男だった。

 そんな相手が自分への友誼のために実の息子と殺し合っているのならば、これほど悲しいことはない。

「なあ、そちもそう思うであろう? ミリアン・ホワイトグレイル」

 唯一この場に残った臣下――ミリアン・ホワイトグレイルは下げていた顔を上げる。

 白銀の髪が美しい、まだ年若い少女だ。今戦っているロスカの娘でありキルシュマの妹である。パーティーでは男女問わずいつも皆の憧れの的だった。

 いつも絶やさなかった笑顔は、今の彼女にはない。紫色の瞳の奥には冷たい光があるのみ。

「そちは母君によく似てきた。違うのは、ミリティエが無邪気さの奥に冷たい魔女の顔を持っていたのに対し、そちの魔女の顔が仮面の裏側にあることか。……騙されておったよ。そちはこの国の栄華と腐敗の象徴であるとばかり思っておった」

「全ては家のためでした。ご容赦を」

「よい。謝るな。そちは魔女の末裔として、城の上から甘い蜜を啜ってきた蛆を潰すのだ」

 国の成り立ちから、グラニォール王家とホワイトグレイル家は同等だ。よって、ホワイトグレイル家は唯一公式の場でも国王に膝を折らなくてもいい。

 それなのにミリアンは今、膝を折っている。

「父親は臣下の代表として忠義を尽くした。息子は民の代表として革命を起こした。そして、娘は貴族の代表として国王を裁くか」

 ミリアンの右手に黄色の魔法陣、左手に緑色の魔法陣が浮かび上がる。
 二つの属性の魔法陣はそれぞれ雷と風を招き、重なり合うことで鋭い閃光となって玉座を横に両断した。

「ほんに素晴らしい血よ。努々、絶やす、な…………」

 それがグラニォール王家最後の王の、最期の言葉になった。

 胴体から離れた首は床に落ち、白銀の冠は一つの終わりを表すかのように真っ二つに割れた。



 ――否、新しい始まりか。どうあれ、今日よりこの国は変わるのだから。



「あたしはそんな大層なものじゃないですよ、陛下」

 結果として自らの国の王をその手にかけたミリアンは、震えを押し殺しながら罪を告白する。

「ただ、こうしないとお父様とお兄様のどちらかが死んでしまうから……本当に、ただ、それだけなんです」

 理想の白百合とまで呼ばれた白銀の髪を、玉座より噴き出る血に染めながら、

「革命とか、正直どうでもいい……民草かどうなろうが、本気でどうでもいい……あたしはあたしが幸せならそれで良かった……」

 床に転がった生首を拾いあげ、開かれた扉に向かって放り投げる。

「幸せ、だったのよ。腐った煌びやかな世界でも、あたしはとても幸せだったのよ」

 放物線を描いて跳んでいく首からしたたり落ちた血が、美しい玉座の間を染め上げる。そうだ。栄えある玉座を血で染めるがいい。煌びやかな玉座を血で汚すがいい。血で手に入れた玉座ならば、血で濡れているのがふさわしい。

「それなのに……」

 首を受け取ったのは、逆立てた真紅の髪に同じ色の瞳を持つ男。全身に付着した血もまた化粧のように、男らしい顔立ちを彩っている。

 ミリアンは思う。扉を開いた彼は、宝石の如き真紅の輝きを持つ者ではなく、血の如き真紅の汚れを持つ者であると。炎と血で染まった世界がふさわしい、平穏には生きられない世界の異物であると。

「よくも奪ってくれたわね……あたしを汚してくれたわねッ!」

「この国は火葬だったな。ならば、王もまた炎と共に旅立つがよい」

 殺意を向ければ、肩に羽織っていた黒衣をマントのように翻し、紅き男は玉座の間に足を踏み入れる。

 その踏み出した足から波紋のようにのびた炎が、その手から国王陛下の生首を、玉座の上より胴体を舐め尽くす。民に見せるために必要だろうと切り取ったものを、いとも簡単に葬って男は近付いてくる。

 彼の背後に見えた門の前には、どのような経緯を辿ったのか、重傷ながらも生きているキルシュマと膝を折ったロスカの姿もあった。

 二人は無事――そうわかった途端、ミリアンの足から力が抜けた。

 倒れると思った身体は男に支えられる。
 血の臭いがする男を見て、ああ、自分もコイツも汚れてしまったのだとミリアンは理解した。

「……この桃色変態野郎。覚えておきなさいよ。あたしの平穏を奪ったあんたを、あたしは絶対に赦さない」

 まったく身体に力が入らないまま、ミリアンは必死に男から離れた。彼にだけは手を貸されたくなかった。

「世界を救いたがるのはシストラバス家の女。ホワイトグレイル家の女はね、代々家族への想いが絶対なの。あんたがどれだけ尊い理想を胸に抱いていようと、あたしにとっては家族以上の価値はない。
 だからあたしの家族を不幸にしてみろ。今度はあんたの首を、その胴体から切り離して晒してやるッ!」

「ああ、ならば我が王道を見届けるがいい」

 支えを失った身体は今度こそ地面に倒れこんだ。

 男も今度は助け起こしたりはしなかった。していれば、ミリアンは我慢できずに魔法を放っていただろう。
 
 彼には他にやることがある。それは起こしたものの義務だ。

 男は玉座の間より行くことができるバルコニーへと足を進めた。
 眼下の広場は大勢の人で溢れ返っている。革命軍の戦士たちが、王軍の騎士たちが、騒ぎを聞きつけて集まってきた民たちが皆一様にバルコニーを見上げていた。

 直後――歓声が国を揺らす。

 男が顔を出した。それだけで十分なのだ。たとえ国王の首を持っていかずとも、彼のカリスマ性が全てを悠然と物語る。ミリアンが必死に努力して作り上げた仮面を、男はただ自然体で発揮する。こんなにも悔しいことはない。

「ミリアン」

「……見るな、ロリコン」

 瞳から涙が溢れて止まらなかった。それは長く続いた歴史に終止符が打たれたことを、身体に流れる血が悲しんでいるからか。それよりもミリアンにとっては体面の方が大事だったので、心配そうに覗き込んできた兄の手を借りずに一人で立ち上がった。

「諸君に名乗ろう。今日より始まる我らの国――セント・ガイア・エチルアの新たなる王の名を!」

 そして王を殺した者として、新たな王の名乗りを、聞く。


「我が名はアース・ジ・アース! この世を救う救世主だ!!」

 

 



 聖神歴996年――八番目の月リガー・一日。

 エンシェルト大陸の南部、エチルア王国にて革命が起こる。
 革命軍はグラニォール王家を滅ぼし、新たなるエチルア王国――セント・ガイア・エチルアの建国を宣言した。

 革命軍を率いた男の名はアース・ジ・アース。


 ――紅き翼は、そうして表舞台に現れた。










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