第三話  開幕の炎


 

 一週間後に控えた、使徒サクラの降誕祭に合わせて執り行われる式の準備は急ピッチで進められていた。

 陣頭指揮を執る使徒フェリシィール・ティンクの下、多くの人員が休み返上で従事している。アーファリム大神殿は忙しない雰囲気が広まっていた。

 ともあれ、それが一生に一度の喜ばしい出来事には変わりない。
 この時代に生き、この場所で祝福の鐘を聞くことができる幸せを噛み締めて、信仰の守り手たちは走り回る。

 そう、これは過去に類を見ない喜ばしい出来事。

『封印聖戦』を共に駆け抜け、終結させた二人の英雄――使徒サクラ・ジュンタと竜滅姫リオン・シストラバスがついに結婚を迎えるのだ。
 
 この輝かしい日は一つの歴史の節目となり、遠い未来まで語り継がれるものとなるだろう。






 山の稜線へ太陽が沈んでいく中、抱き合って再会を喜ぶ二人の姿は多くの目を奪っていた。

 変装じみた格好をしているジュンタとはいえ、リオンの容姿が目立ちすぎていた。ここまで見事な紅髪紅眼は竜滅姫でしかありえない。彼女に強く抱きしめられている相手となると、自動的にそれは婚約者である使徒サクラとなる。

 アーファリム大神殿の前には少しずつ人が集まってきていた。
 慌ててその場に居合わせた騎士たちが追い散らそうとするも、当の二人はずっと抱き合ったまま。

「あ〜、コホンコホン。そこのお二方、久しぶりに会って嬉しいのはわかりますが、時と場所を選んでくださいませ」

 そんな二人に物申したのは、リオンに続いて馬車から降りてきた少女だった。

 ハニーブロンドの髪を頭の後ろで結った、年若いメイドである。メイドらしく慎ましやかに振る舞っているが、活発さが隠しきれず全身から滲み出ている。

「ほら、聖殿騎士の方々に迷惑をかけてもいけませんし、ごあいさつしなければいけない方々もたくさんおりますから。さあ!」

「あら、そんな方々など待たせておけばいいのですわ。愛し合う二人の再会を邪魔できる者など、この世のどこにもいないのですから」

「そうそう。神様にだって俺たちの仲は引き裂けないぞー」

 あはは、うふふ、と笑い合うジュンタとリオン。
 そんなバカップル具合を見て、メイドの少女――エリカ・ドルワートルは眉をぐいっと危険な角度にまで上げ、

「ご主人様……」

 すぐに戻すことになった。

 このまま公衆の面前で情熱的なタンゴでも踊りだしそうだった二人に水を差したのは、どことなく消沈した様子で呼びかけた巫女の少女だった。

「あまりここで騒がれますと、せっかく隠しているのに、ご主人様が使徒様であることが皆さんにばれてしまうと思うのですが……」

 クーが一緒にいたことを思い出したジュンタは、そそくさとリオンの肩を掴んで離すと、コホンと一つ咳払いを入れてエリカに向き直った。

「いやぁ、エリカも久しぶり。やっぱりリオンのお供はお前だったか」

「はい、私はリオン様の専属従者ですから。――では若旦那様、花嫁をお返しいただいても構いませんね?」

「よろしくどうぞお任せします」

「まあ、酷い言い草。とても再会を喜んでいるとは思えませんわ」

 身体を反転させてエリカの方に突き出せば、今度はリオンが唇を尖らせた。

 しかしすぐに綺麗な笑顔を取り戻すと、

「なんて、少々はしゃぎすぎてしまった自覚はありましてよ。それもこれもなかなか会いに来てくれないジュンタがいけないのですけど。その辺りも全てひっくるめて、一回キスしてくれたら許して差し上げます」

 目を閉じ、軽くつま先立ちになってジュンタに顔を寄せた。

 さほど大きな音量ではなかったが、よく通るリオンの声は人々にも聞こえていたのだろう。ざわめきが駆け抜け、固唾を呑む音が聞こえた。

 これは逃げられそうにない。

「今はこれで勘弁してくれ」

 ジュンタは覚悟を決めるとリオンの肩に手をかけ、その頬へとキスを贈った。

 これには肩すかしだといわんばかりの溜息があちこちから聞こえたが、衆人環視の中でこれ以上のキスなんてできるはずもなく、かわいらしく頬を膨らませる婚約者からのジト目を甘んじて受け止めるしかなかった。

「まったく、ジュンタは意気地がありませんわね」

「結婚前の男女の交際は清く正しく慎ましく、だ」

「あはは。自分がこれまでしてきたことを、きちんと振り返ってから言えって感じだよね。クーちゃん」

「ご、ご主人様はプラトニックなケダモノなんです!」

「そこの乙女二人。妄想しながら俺を見ない」

 ジュンタはエリカとクーの視線から逃げるようにリオンの手を掴むと、

「俺はいつまでも純情な少年ですよ。というわけで、これから二時間ばかりリオンとイチャイチャしてくるから、神居には入ってもいいけど俺の部屋には来ないように」

「あ、ご主人様!」

 聖地の住人がこれ以上集まってくる前に、アーファリム大神殿の中へ駆け込んだ。

 そのまま式の準備に追われる人々を尻目に、南神居まで走り去る。
 南神居の中では、朝のラッシャとの追いかけっこでできた傷やら何やらをメイドたちが修復・清掃しているところだった。

「ジュンタ様、お帰りなさいませ」

『『お帰りなさいませ』』

 ヨリの号令の下、メイドたちは整列し、一斉に頭を下げて主を出迎える。

 ジュンタが出かけた際の怒りが治まっているわけがないのだが、そこはヨリもプロ。客人が同行している以上、いきなり怒り出すということはなかった。……頭を上げた際、間違いなく睨まれたが。

「リオン様もようこそ。我々南神居の使用人一同、心から歓迎させていただきます」

「こちらこそ、よろしくお願い致します。それと、初めての方もいるようですから、自己紹介させていただきますわね。
 私はリオン・シストラバス。この度、あなた方の主である使徒ジュンタ・サクラと結婚することになった者ですわ」

 リオンも再会したときとは違って、礼儀正しくドレスの裾を抓んであいさつを返した。

「それでヨリ。リオンはさっき到着したばかりなんだけど、式まで一緒に暮らしてもらうことに決めたから」

「ご一緒に、ですか? 婚礼前の男女が一緒というのは、あまり世間体的によろしいことではありませんが」

「今更今更。神居は広いんだし、いい訳なんていくらでも取り繕えるから」

「……何もされないとはおっしゃられないんですね」

「ふっ、ヨリは俺を誰だと思ってるんだ?」

 ですよねー、という感じで整列したメイドたちがうんうん頷く。

 その辺りも含めてヨリは視線を鋭くすると、

「承知致しました。ですが、くれぐれも式に影響あることは謹んでくださいませ」

「わかってる。あとさっきクーと、リオンと一緒に来たエリカにも言っておいたんだけど、これから二時間くらい俺の部屋には入らないように」

「んなっ!? いきなり何をされるつもりですか!?」

「野暮なことは聞かない。じゃあそういうことで。お手をどうぞ、お姫様」

「ええ、よろしくてよ。騎士様」

 リオンの手を取って、ジュンタは階段を上っていく。

 下からメイドたちの黄色い声とヨリの怒声が響いていたが、リオンはニコニコと楽しそうに笑っていた。

「想像していたよりも、女の子に囲まれて楽しく過ごしているようですわね」

「いやぁ、俺ってなぜか旅の行く先々でトラブルに巻き込まれて、気が付けばどこにも行く当てのない女の子を引き取るみたいな流れになるんだよな」

「殿方がそういうものであることは理解していますし、結婚前ですから私の方からはあまり強く言いませんけど……式を挙げたら、ある程度は謹んでいただけると考えてもよろしくて?」

「少なくとも、リオンを一番大事に扱うのは約束できるよ」

「でしたら、今は目を瞑っておくことにします。今は、ですけど」

 リオンは手を離し、最上階の扉を開けて中に入っていった。

 ジュンタも後から入ると鍵を閉め、部屋のありとあらゆる窓を閉めた。
 同時にリオンも緑色に発光する魔法陣を展開し、絶対の防犯対策が施されている部屋に、さらに危険がないか重ねて調査する。

 何の問題もないと判断したのか、リオンは魔法陣を消すと、

――改めて注意させていただきたいのですが」

 口調と態度を急変させて、酷く醒めた目つきでジュンタに向き直った。

「女遊び自体を咎めることはありませんが、避妊だけは徹底してくださると助かります」

「いや、本当にその辺りは大丈夫だから。女の子を悲しませるようなことはしないから」

「信じます」

 リオンはそう言うと、自然な足取りで部屋の隅にしつらえられたキッチンへ移動し、手際良く紅茶を淹れてジュンタに振る舞う。

 ジュンタの方もそうされることが当然のように、ソファーに座ってカップに手を伸ばした。

「う〜ん。やっぱりこの紅茶が一番だな。どうがんばっても、俺じゃこうはいかない」

「ありがとうございます。では、申し訳ありませんが同席させていただきます」

 折り目正しくお辞儀をしたリオンは、豊かだった表情をまったくの無表情に変えて、婚約者とは思えない低姿勢でジュンタの対面に腰掛ける。

「いやいや。そこで俺に伺いを立てる必要はないぞ」

「はい、申し訳ありませんでした」

「だからさ……いつも演技してろとは言わないけど、少しくらいは砕けてくれた方がいざというときのために楽なんだけどな。俺もそう思って敬語止めたわけだし」

「……努力は、しているのですが……」

 しょげかえるリオン・シストラバス――否、彼女と同じ顔をした、しかし彼女ではない少女。

「申し訳ありません。未だに人目があるところでリオン様として振る舞うことが精一杯で」

「まあ、それでストレス溜められたら本末転倒だし」

 ジュンタはカップをテーブルの上に置くと、現在を生きる唯一の紅髪紅眼を持つ少女の、本当の名を呼んだ。


――ユースの好きなようにしてくれ」


「はい」

 ユース・アニエースは言われた言葉を吟味するように頷くと、小さく、本当に小さく笑みを浮かべた。

 




 ユース・アニエース。

 薄茶色の髪に翠色の瞳。銀縁眼鏡をかけ、いついかなるときでもメイド服に身を包んだクールビューティー。代々竜滅姫に仕える家系の出であり、リオン・シストラバスの専属従者。

 ……それが二年前までの彼女のプロフィールだった。

 しかし、ユースは現在『封印聖戦』で亡くなったリオンが死んでいないと世間に誤認させるための影武者として過ごしている。周囲がリオン・シストラバスその人だと思っている紅髪紅眼の少女は、その実リオン・シストラバスとして振る舞っている彼女だ。

 長年一番近くにいて、リオンを陰日向と支えてきたユースである。
 彼女の演じるリオンの姿は『完璧』であり、たとえ顔見知りの相手だとしても、正体を看破することは難しいだろう。

 事実、ユースがリオンの振りを始めて一年半――身体が弱くなってしまったという体で外にはあまり出ないようにしていたとはいえ、ユースだと気付いたのはシストラバス家の人間、それもリオンとユースの両名に特別近しかった者のみである。

 とはいえ、いくらユースがリオンの内面を表現することができても、リオン・シストラバスは竜滅姫。紅髪紅眼という他にない特徴なくして完璧に模倣することはできない。いくら染料を使ったとしても、そこには違和感が残ってしまう。

 よって、ユースの輝くような紅い髪と紅い瞳は生まれついての天然物だ。
 また、眼鏡を取ってリオンと同じ髪型に揃えれば、二人の顔はよく似ていた。

 それもそのはず。ユース・アニエースこそは、生まれたときになかったことにされたリオン・シストラバスの双子の妹なのだから。

 シストラバス家は双子が生まれやすい家系であるが、当主の家系だけは継承の問題から双子が許されなかった。そのため、もしも双子で生まれた場合は妹の方が処分されるのだという。が、二人の母であったカトレーユ・シストラバスはそれを良しとせず、双子の妹の方を自身の従者であったトリシャ・アニエースに預け、義理の娘として育てさせたのだ。

 それがユース・アニエースの出生の秘密というわけである。

 竜滅姫しか持ちえぬという紅髪紅眼もまた、双子の妹であるため持ち得ていた。それを彼女はずっと髪を染め、瞳に色ガラスを入れることで隠していたのだ。

 恐らくは、リオンがあんなことにならなければ、ユースは墓までその秘密を持っていったことだろう。

 しかし、シストラバス家と竜滅姫を取り巻く状況はそれを許さなかった。

 より正確にはグラスベルト王国を取り巻く情勢が、だ。

「手紙には書きませんでしたが、ミリアン様からご連絡がありました。私たちの婚礼に出席されるとのことです」

「そうか。出られないって話だったけど、出られるようになったのか」

 ユース・アニエースの秘密を知らない者が入らないよう締め切った神居の最上階で、ジュンタとユースは近況の報告をし合っていた。

 久々に再会した婚約者同士にしては、あまりにも無粋で無骨な会話が飛び交う。それも仕方がない。偽装と同じように、ジュンタとユースの結婚もまた戦争回避に必要な策の一つであり、あくまでも結婚するのは使徒ジュンタ・サクラとグラスベルト王国の侯爵令嬢リオン・シストラバスなのだから。

 そして今話題に出たホワイトグレイル家のミリアンのことも、この結婚式の必要性を強く表すものの一つだった。

「それはつまり国内の問題が解決した……少なくとも、聖地に遠出できるくらいの余裕はできたってことか。聖エチルアの新王アース・ジ・アース。なかなかどうしてカリスマ性のある奴みたいだな」

 ホワイトグレイル家があるエチルア王国は、一年前にアースという革命家に率いられた革命軍によって滅ぼされた。そのあとに誕生したのがセント・ガイア・エチルア――通称・聖エチルアである。

 この国では革命当初、多くの貴族たちが新王に対して反乱を起こしたのだが、そのことごとくをアースは外国の力を頼らず撃破している。未だに地方では小競り合いが起きているようだが、元々あった国土の八割以上をすでに支配下に置いていた。

「とはいえ、内乱が終わったとしても両国の緊張は和らぎはしないか。グラスベルト王国にとっては、まだまだ厳しい時代が続くな」

 聖エチルアの革命から始まった問題は、隣国のグラスベルト王国にも及んでいる。

 エチルア王国が滅ぼされる前はかの国と親しい間柄だったが、その王家が追いやられたとなるとグラスベルト王国の対応はまた違ってくる。両国を友好たらしめていたホワイトグレイル家こそ残っているものの、革命王を認めれば、それは革命を肯定したことに繋がるからだ。自国にもまた革命の火種を抱えるイズベルト王家としては、軽々しく認可できない。さらに不埒なる革命王が自国に攻め込んでくる可能性も否定できない。

 現状、グラスベルト王国はジェンルド帝国ほどではないが、聖エチルアと静かに睨みあった状態になっていた。

 もちろん、ジェンルド帝国も隙あらば小国に過ぎないグラスベルト王国の国土を奪おうと攻め込んでくるだろう。国境を隔てる聖地のお陰で何とかなっているが、聖地を運営する聖神教は国家の問題には干渉しないという原則の下、すでに聖エチルアの建国とアース新国王の戴冠を認めてしまっている。グラスベルト王国の全面的な味方にはなってくれない。

 グラスベルト王国はにわかに大陸内で孤立し始めている――それを何とかするために講じられた策が、ユースによるリオン・シストラバスの偽装。そして、二人の結婚だった。

「使徒は原則国家には関われない。何せ、一言で国民の半分以上を煽動しかねない立場だからな」

 聖神教は世界の九割九分を信徒とする最大宗教。その指導者である使徒の言葉は尊く、重い。使徒が国の政策に口を出せば、暴力を振るわなくても内側からその国を崩壊させることなど容易極まりないだろう。

 そういう事情から聖神教を開いたアーファリム・ラグナアーツは、使徒に国家間の調停、異端宗教に染まった際の断罪などはともかくとして、原則干渉することを禁じた。

 しかし『原則』と付くということは、例外があるということになる。

 それが――結婚。

「だけど、もしも使徒がその国の王族、あるいはそれに等しい立場の人間と結婚した場合のみ適用外になる。使徒は政策には干渉してはいけないが、その国の擁護者になることが許される」

「事実上の間接統治ですね。政策に拘わらずとも使徒が擁護しているというだけで、その国に戦争を仕掛けるということは自国を含めた全世界の信徒を敵に回すことに繋がる。今の竜滅姫を間においた関係よりも、ずっと強固な絆となります」

「リオンが守ろうとした国だ。滅ばされてたまるか。ジェンルド帝国のグランヌス皇帝にも、聖エチルアのアース王にもな」

 つまりジュンタがリオンと結婚することで、グラスベルト王国は聖神教という絶対の守護者を得るのである。未来永劫というわけにはいかないが、少なくとも、結婚した相手が生きている間は外敵を恐れる必要はない。

 もっとも、逆に他国への侵略もまた使徒の絶対性から禁忌となるわけだが、長年戦争らしい戦争をしていないグラスベルト王国としては些末な問題だろう。

「俺たちの結婚式は来週。来週になれば、とりあえず現状における最大の脅威は取り除かれる。……それはいいんだが、ユース、本当に俺と結婚してもいいのか?」

「それはこちらの台詞になります。いくらリオン様の祖国を守るためとはいえ、本当によろしいのですか? 私はただジュンタ様の命に従うのみですが、その、少しだけリオン様を裏切っているようで心が痛みます」

 ユースはリオンと同じ顔で、眉をハの字にした。

「私たちしか知らないことですが、すでにジュンタ様とリオン様は結婚されたも同然なのに。その上で私が、たとえ名前と姿を偽ろうとも結婚するなんて……」

「いや、俺が言いたいのはそういうことじゃなくて、女としての幸せを捨てることになるけどいいのか、ってこと」

 見当違いの心配を見せるユースに、ジュンタは真剣な声音で語りかけた。

「結婚すれば、ユースは本当にリオンとして一生振る舞わないといけなくなる。二度とユース・アニエースとして外を出歩くことも、ましてや恋をして結婚するなんてことできなくなる。それはユース・アニエースを殺すってことだ」

 ユースは素性を隠すのを止めて紅髪紅眼を外界に晒した。けれど、それはリオンの妹としてではなく、リオンの影武者としてであった。そのとき、ユース・アニエースは人々の記憶の中以外にはいなくなってしまったのだ。

「今のリオンがユースだって気付いてるのは俺とパパさん、先生にラッシャ、他にはエルジンさんやエリカたちシストラバス家の人くらいだ。その人たち以外からは、この先死ぬまでリオンとして扱われるんだぞ? 
 今ならまだ、アニエースの従者としてでも、リオンの双子の妹としてでも生きられる。それを捨ててまで本当に――

「構いません」

 きっぱりとユースは断言した。

「ジュンタ様。リオン様はあなたを愛されました。そして、あなたはリオン様を死んでもなお愛され続け、その意志をお継ぎになろうとしている。それだけで私には十分なのです」

「ユース……」

「問題があるとすれば、それは天国のリオン様が怒らないかということだけ。仮初めとはいえ私はジュンタ様と夫婦として振る舞うのです。それにジュンタ様も、私などをリオンと呼び、愛する振りをするのは心が痛むのではありませんか?」

「……確かに、どれだけユースがリオンに似ていようと、リオンだって思うことはできない」

 ジュンタはユースの、出会ったときよりも長く伸びた髪を手ですくい上げる。艶やかな髪は、熱を持っているようにどこか熱い。紅い色がそう錯覚させるのだ。

「けど俺はユースのことも大切に思ってるから。リオンのためって言えるユースが相手なら、俺には何の文句もないよ」

 ジュンタはユースが過去の自分全てを捨てることを心配し。
 ユースはジュンタがリオンへの愛ゆえに偽りの夫婦を騙ることを心配していた。

 しかし、お互いにそれは杞憂なのだろう。二人を結びつけるものは、共にリオンという炎のように一生を駆け抜けた人なのだから。偽りの婚姻を経て偽りの夫婦となろうとも、そこに後悔が入り込む余地はない。

 リオンも嫉妬するかも知れないが、きっと、許してくれるとジュンタは思う。

(むしろ、謝らないといけないのはリオンじゃなくて……)

 ジュンタは、もしかしたら目の前にいる魅力的な少女に恋していたかも知れない親友を思い、少しだけ憂いのこもった溜息を零した。

「……ジュンタ様、やはり私では力不足でしたでしょうか?」

「とんでもない。むしろ好みのほどをいえば、ユースさんは最高です」

 いきなり不安そうに顔を覗き込まれ、思わず昔の呼び方に戻ってしまった。

 なにせ、上目遣いで見られたとき、ドレスの胸元に大きな果実が垣間見えたのだから。
 ユースがリオンに扮する際、最も困ったのは顔でも演技でもなく、ほとんど唯一大きな違いが生じた、そのバストサイズだったというのは記憶に新しい。

 今、ユースの胸元にはそれなりの大きさの膨らみが見える。が、それは決してバストが大きいとは言えなかったリオンとの差違をなくすため、コルセットで無理矢理押さえつけてのサイズだった。時間をかけて、ゆっくりと拘束を弛めていくという方針になっている。

「…………ゴクリ」

「ジュンタ様?」

「いやいやいや、気にしないでくれ。全然問題ないから」

 思わず生唾を飲み込んでしまったジュンタは、手を振ってあらぬ方向へと視線を逃がした。

 いけない。この結婚はあくまでもリオンへの愛の証明であり、ユースに対する恋心があるわけではないのだが、しかし長くグラスベルト王国を守るためには子孫が生まれたりするとよろしいわけでゲフンゲフン。

(……まあ、そんなことは思いつつも、俺はきっと当分ユースとはそんなことしようなんて思わないだろうな)

 胸を撫で下ろし、椅子にちょこんとお尻を戻したユースを見て、ジュンタは冷静に自分を分析する。

(俺の心にあるのは、変わらずリオンへの想いと、同じくらいの神への怒りだけ。きっと、俺はリオン以上に誰かを愛することなんて永遠にないだろう……)

 結婚してもいいのかと訊いた本当の理由は、たとえ結婚しても、ユースを幸せにしてあげられないと理解していたからだ。

 心変わりがあるとしたら、それは目的を果たしたそのときだけだろう。あるいは……

「……今の俺を見て、お前は何て言うのかな? なあ、サネアツ」

 懐かしさと切なさを言葉にこめて、ジュンタはその名前を口にした。

 ジュンタが『封印聖戦』で失ったものはたくさんあったが、その中でリオンと並んで最も悲しみに暮れたのはサネアツの存在だった。

 幼なじみで、この世界にまで一緒に来てくれた親友で、何でも相談することができた世界で一番のトラブルメーカー。今だからこそ、ソウルパートナーと呼んでくれたその関係は、何ら間違っていないと言い切れる。

(どうしてサネアツが死んだのかはわからない。誰かに殺されたのか、何かに巻き込まれたのか、それとも他の理由があるのか……ただ、リオンがいなくなったとき、俺の一番の親友もこの世界からいなくなったんだ)

 一緒に過ごしたときは休まったことなんて一度もなかったけど、そのありがたさにはずっと気付かされていた。サネアツがいてくれたら、たとえリオンが死んだとしても、今のような自分にはなっていなかったかも知れない。

「…………」

 サネアツの名前をジュンタが口にしたとき、ユースは表情を動かした。悲しみと怒りが混ざったような表情に。

「ああ、悪い。今は結婚のことだったな。とにかくミリアンが来るなら、もしかしたら噂の革命王と会うこともあるだろ。大した破天荒だとは聞いてるから、一応注意しておかないと」

「そうですね。結婚するまでは、ジュンタ様はグラスベルト王国の問題に関わることができませんから」

「まあ、あと一週間だ。邪魔しようとしてくる奴がいるとするなら、仕掛けてくるのはこの時期だろうけど、こうして再会できたんだ。これからは俺がユースを守るよ」

「恐縮です」

 芝居がかった仕草で立ち上がり、ジュンタは胸に手を当てて一礼する。さながら騎士のように。

 ユースは演技に釣られたのか、硬くなっていた表情を弛めると、お姫様のような微笑みを浮かべた。

 それがまるで、本当にリオンのようで……。

「それじゃあユース、明日は」

「はい。ご一緒させていただきます」

 あくまでも、ジュンタはユースの手に、ユース・アニエースに対するものとして触れる。

 たとえ誰からも呼ばれなくなっても、自分だけはこの名で呼び続けよう。
 主が死んでなお尽くし、献身を捧げるこの可憐な人を覚えていようと、そう思うから。

 リオンの代わりに。サネアツの代わりに。せめて、自分だけは。

 ――本当に?

 ふいにジュンタの中で何かが囁く。理由はそれだけなのか、と。

 ――ホントウニ?






       ◇◆◇






 一夜明けた翌日、ジュンタとユースの姿は神居の地下空間の中にあった。

『聖廟の泉』と呼ばれている、没した使徒たちの遺骸である聖骸聖典が奉られている場所だ。鍾乳洞に近い大きな空間の奥には流れる滝があり、透明な水が浅瀬を広げている。青と白とが混ざり合った壁が発光しているように輝き、まるで水晶の中にいるかのような錯覚に陥る。

「だいたい一年ぶりだな。『聖廟の泉』に入るのも」

「私は出席できませんでしたが、スイカ様の二周忌は神殿の方で行われたのでしたね」

「はい。『双竜聖典』の方も持ち出されましたし、ヒズミ様の葬儀もご一緒させていただきましたので、こちらへ来る必要はありませんでした」

 ユースの他に泉にはクーの姿もあった。本来は使徒と巫女しか足を踏み入れてはいけない場所である。むしろ場違いなのはユースの方だと言えた。
 
「本来でしたら、リオン様の二周忌も大々的に行われて然るべきなのですが……」

「仕方ないさ。俺たちが生きていることにしようって決めたんだから。だからせめて、知ってる俺たちだけでも祈ってやらないと」

 ジュンタが聖地の中の聖域へとやってきたのは、ここが世界の中心であり、リオンが死んだ場所に最も近しい場所だからだ。リオンの故郷であるランカの街には歴代の竜滅姫を祀る石碑があるが、ラグナアーツにはそれがない。リオンの死をなかったことにしようとしている以上、この場所でひっそりと捧げるのが最大の黙祷に思えた。

 そう、今日という日は『封印聖戦』が終結した日――リオン・シストラバスの命日である。

 ジュンタは泉の中心部にある、聖骸聖典が修められた円柱状の台が並んだ場所へ進んだ。

 聖骸聖典の数は、初めて『聖廟の泉』へ来たときから一つ増えていた。使徒スイカ、そして巫女ヒズミ姉弟の聖骸聖典――『双竜聖典』である。もう一つ、盗まれた『偉大なる書』の方は、依然として見つかっていなかった。

 ジュンタは空の台座の前へ行くと、左手薬指に填めていた紅い指輪を外して置き、少しの力を送り込んだ。

 使徒の魔力を注がれた指輪は炎のような紅い光を発し、次の瞬間には紅い背表紙に金で不死鳥が描かれた書――『不死鳥聖典』へと姿を変えた。リオンの形見であるこれを、ジュンタはゴッゾから譲り渡され、肌身離さず持ち歩いていた。

「リオン。お前が死んでから、今日で二年が経つよ。あっという間だった」

『不死鳥聖典』の前にしゃがみこみ、今は亡き最愛の人へと語りかける。

「世界はあれからだいぶ変わった。エチルア王国はセント・ガイア・エチルアになったし、グラスベルト王国も緊迫した状況が続いてる。ああ、だけどランカは平和そのものだし、聖地だって聖戦の傷跡を癒しつつあるよ。まだみんなあの戦いを忘れることはできないけど、大丈夫、お前が望んだ通り前へと進んでるさ」

 リオンが守ったのは、聖地ラグナアーツのみにあらず。此処を中心にして大きく広がる世界と人の歴史、その全てを守ってみせたのだ。彼女がいなければ今頃世界はドラゴンが闊歩する世界に逆戻りしていたかも知れないし、今日の平和な日常はなかったかも知れない。

 その偉業はまさに英雄――『封印聖戦の英雄』と、リオンが呼ばれている由縁であった。

 ただ、誰も彼もがリオンの栄光を讃えているわけではない。多くはリオンが死んでいないと信じているため全面的に喜んでいるのだろうが、彼女に親しかった者たちの多くは嘆き悲しんでいる。恐らくは、今頃思い思いの場所でリオンの死を悼んでいるだろう。

「俺も前に進んでる。いや、進んでると思いたいな。この世界のこともだいぶわかったし、どんな営みがあるのか、実際に世界中を足で回って理解できたと思う。俺が使徒としてこの生活を守らないといけないと思うと肩が重く感じるけど、リオンが守ってくれた世界だもんな。少なくとも、お前が大事だって思ってたものは守りきってみせる」

 ジュンタはそれぞれ目を瞑って祈りを捧げている、クーとユースを盗み見た。

 リオンとサネアツがいなくなって、ジュンタの周りに残った旅の仲間は彼女たちだけになった。クーの中にはアーファリムがいるし、ユースだってなかなか会えなかったけど、それでも残ってくれた大切な人だ。

 他にもトーユーズやラッシャも傍に居てくれる。ヨリやノリエラみたいに、この二年で出会った人たちもいる。日常は変わらず賑やかで、華やいでいる。

「だから心配するな。当分そっちへは行けないけど、俺はここでやりたいことをやり遂げてみせるから」

 だから――待っていて欲しい。
 あの日の戦いは格好悪くて、後悔ばかりすることになったけど、今回はきちんとやり遂げてみせるから。

 戦いの予感はすでに。

 全ての分かれ目であったリオンが死んだあの日から、今日で二年。
 それ即ち、サクラ・ジュンタの異世界における誕生の日であり、心の闇の中で出会った『紅き翼』が予見した約束の時である。

 そしてアーファリムもまた何かが起きると告げた。

 そう、何も起きないはずがないのだ。なぜならジュンタの特異能力は【全てに至る才オールジーニアス――心の底から望めば、何もかもが達成される力。であれば、この望みが成就される瞬間は必ず未来に用意されている。

 もうすぐ新しい波乱が起きようとしている。それはジュンタにとって、『神の座』へと辿り着くための戦いとなるだろう。

(そうだ。この二年間ずっと俺は願ってきた。たぶん生まれて初めて心の底から戦いを欲してる)

 リオンの守りたかったものを守る。まだ残っている大切なものを守る。ああ、それは間違いなく正しいけれど、決してそれだけではない。

 誤魔化せないし、誤魔化しようがない。

 リオンを失ったときから、ジュンタの心に芽生えた本当の願いとは、


――マザーを、殺す」


 この世界を、懸命に生きる人をその手で弄ぶ『世界権限』を、必ずこの手で殺してみせる。そうして初めて、リオン・シストラバスの献身が未来永劫讃えられるものとなるだろう。

 それはアーファリムが語ったように、決して否定できない救世主の業。
 サクラ・ジュンタが救世主として望まれているのならば、救うべき世界と倒すべき破滅がなければ何も始まらない。

 だから愛する人に誓いを。
 あなたへの愛のために――神を殺すその日まで、この先どんな敵が現れようとも迷わず全て倒してみせましょう。

 ジュンタは二人の協力者であり共犯者が見守る中、『不死鳥聖典』に手を伸ばし、指輪と聖骸聖典に続く第三の形態――紅き剣へ変えて、その柄を強く握りしめた。

「リオン、愛してる」

 そのときの自分の貌が、復讐者のそれと気付くことなく……。





 

――だから、何度言ったらわかるんだ! ここは使徒様が許されない以上、たとえ大国の王といえど通すことはまかりならない!」

 祈りを済ませ、地上へと戻ってきたジュンタたちを出迎えたのは、神居中に響くかといわんばかりの怒声であった。

「入り口で何かもめ事があったようですわね」

 人の目がある場所へ来たことで、ユースがリオンの演技をしつつ、怒声が響いた礼拝殿から神居へと入ることができる通路の入り口を見た。

 同じようにそちらへ目を向けたクーが「あっ」と小さく声を上げて、

「ご主人様。あそこにいるのはクレオさんですよ」

「クレオ? ……本当だな」

 クーの言うとおり怒声をあげていたのは、首筋で揃えられた翡翠の髪が美しい、使徒ズィール・シレの巫女であり近衛騎士隊隊長であり実の娘でもある、クレオメルン・シレその人であった。

「さっさと立ち去れ。さもなくば、使徒様を愚弄した罪に槍をもってお相手することになるが?」

 訓練へ行こうとしていたところなのか、しなやかな長身を白銀の甲冑で包み、身の丈を超える槍を持っていた。凛々しい美貌の持ち主であるため、その怒声にはかなりの迫力がある。

「……まったく、融通の利かない女ですね。槍で脅せば従うと思ったら大間違いです」

 しかし、クレオメルンと対峙している少女の方も大したものだ。
 クレオメルンの怒声に微塵も臆することなく、忌々しげにジト目で見返している。

「相手は知らない方ですね。年齢は十歳と少しといったところのようですから、神殿務めの方のお子さんでしょうか?」

「俺も知らないな。あんな将来有望そうな美少女と一度会ったら絶対覚えてるし」

 ジュンタは感心しながら、小さい身体でクレオメルンに立ち向かう美少女を観察する。

 薄紅色の髪をツインテールに結んだ、幼いながらも男の目を奪わずにはいられない魔性めいた美貌の持ち主である。レースがふんだんにあしらわれたドレスに身を包んだ姿は、まさにお姫様か女王様といったところだ。

 そんな際立った容姿の中でとりわけ目立っているのは、やはりその血のような深紅の瞳だろう。一方で違和感を放っているのは、首に取り付けられた金属製の赤い首輪だった。少女の持つ存在感には場違いな代物だ。

「あれ? あの子の耳、尖っていますね。私みたいなエルフ……ではないようですが」

「耳?」

 クーも長いエルフ耳をピクピクさせながら疑問の声をあげる。

 もう一度よく少女のことを見て、ジュンタもまた気が付いた。クーほどではないが、少女の耳も尖っているのである。ちょうど昨日出会ったプラチナのように。

「ほう、では試してみるか? 客人よ。我が槍を受けてなお立っていられたら、巫女クレオメルン・シレの名において、我が聖猊下に神居への立ち入りを認可してもらうことを約束しよう」

 そうこうしている間に、二人を包み込む空気は一触即発の状態にまで燃え上がっていた。
 クレオメルンはすでに決闘を申し込んでいるし、少女はそんな申し込みを小馬鹿にするように口元を手で押さえてみせた。

「ふぅ。愚かここに極まれりですね。メアはさっきから南神居へ入りたいと言っているではないですか。なのに、なぜそこで北神居が出て来るのですか? 理解できません。さっさとどいてくれませんか? あるいはゴミ虫のように地べたを這いずって踏みつぶされてください」

「……よく分かった。そちらの要望通り、私もまた相応の礼をもって応えよう」

「最初からそうすれば簡単なんです。無駄な時間に付き合わせてくださって、どうも迷惑千万でした」

「このっ、子供だからって容赦はしないぞッ!」

「ちょっと待ってください! こんなところで喧嘩しちゃダメですよぅ!」

 槍を構えた友人を見て、慌ててクーがすっ飛んでいく。

 ジュンタとしてはこのまま、クーが必死に仲裁してでもまったく役に立たずに両者から詰め寄られ涙目になるところを愛でる、というのも魅力的な案だったが、今まさに守るべきものを守ると誓いを立ててきたばかりである。

 それにメアという名らしき少女の口から出た南神居という言葉も気になる。つまり彼女の目的は自分ということになるのだが、ジュンタはメアなる名前も彼女の顔も覚えはなかった。

「止めてくれるな、クー! たとえ子供だろうと使徒様を馬鹿にするのは許さない!」

「いきなり現れてなんですか? このいかにも虐めて下さいオーラを発している胸が絶壁な子供は……いえ、その顔は確か……」

「ガーン! すごく酷いことを初対面の方に言われてしまいました!」

 どうやらクー目当てというわけでもなさそうなので、ジュンタはユースと一緒に近付いていった。

 そのときだった。


「止めよ、メア。我は騒ぎを起こしたいわけではないのだ」


 ――どこかで、開幕の鐘が鳴ったような気がした。

 ジュンタが行き着く前に響いた、熱を感じさせる男の声。礼拝殿の奥から太陽のような存在感を持つ何者かがやって来る。

「イエス・マイマスター」

 男の声に、これまで毒を吐いていたメアが身を引く。

 あまりにも潔いその姿に、クレオメルンとクーは困惑して動きを止めた。あるいは男の存在感に呑まれたのか。

 とにもかくにも、ジュンタは否応なく理解させられた。
 どこかで聞き覚えのある――否、絶対に聞いたことのあるこの声の持ち主こそが、あの『紅き翼』と名乗った男であると。

 であれば、これよりジュンタの目の前に現れるのは『敵』なのだろう。彼はそう名乗っていたし、その予感はジュンタにもあったのだから。

「どんな敵が相手だろうと、必ず打ち破る」

 不明瞭だった道が、次が、終わりが、ようやく形を伴ってやってくる。

 ジュンタは決然と、あのときの『紅き翼』がそうであったように、あくまでも自然体で出迎えようとして、

「…………え……?」

 決意も何もかもを、その姿に持って行かれた。

「すまんな、騎士よ。我が従者が迷惑をかけた。許せ。この子は我が頼んだからこそ、忠実にその命を果たそうとしてくれていただけだ。叱咤を受ける必要があるとすれば、それは我の方にあるだろう」

 神居の入り口へと姿を現し、メアの頭の上に手を置いた男は――紅かった。

 逆立った髪も瞳も、共に燃えるような紅。まずそこに誰もが疑問を覚えるだろう。紅髪紅眼は竜滅姫にだけ見られる特徴であるはずなのに、と。事実、聖エチルアを建国した革命王が紅髪紅眼であるという噂が届いても、誰もがそれを色褪せた赤銅色を誇張しているだけだと鼻で嗤った。

 けれど違った。灼かれてしまうかと思えるその輝きは、まさしく竜滅姫と同じ真紅。そこにいたのはあり得ざる色を持つ男であった。

「……革命王」

 後ろで、ユースがどこか苦々しげに男のことをそう呼んだ。

 ――だがしかし、そんなことはどうでもいい。

 ジュンタが目を奪われたのは、その男の『色』にではない。
 深く観察してそのことにも疑問を覚えたが、最初の疑問とは決してそれではない。

 ジュンタは、革命王の容姿そのものに驚いたのだ。

「して、虹の翼はどこにおる? この我が会いに来てやったぞ」

 革命王の顔が直接向けられたことで、より鮮明にその容姿がジュンタの瞳に飛び込んでくる。
 花をイメージさせる頬のタトゥーがアクセントとなった見目麗しい容貌。どこか異国の雰囲気を漂わせる男らしい甘いマスクは、幼い頃から見続けてきた『彼』の顔とどこまでも一致していた。

 そう、他の誰かにとっては紅髪紅眼にこそ疑問を抱くだろうが、この世界においてはただ一人ジュンタだけがその疑問を抱く。

 何もかもを疑問と驚愕の間に追いやって、ジュンタは忘我のままその名を口にした。



「サネ、アツ……?」

「久しいな、マイソウルパートナー」



 再会は静かに。サクラ・ジュンタの幼なじみと瓜二つの顔をした革命王は、口の端を歪めてニヒルに笑った。









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