第四話  宿命のオラクル


 

 天窓から柔らかな陽光が降り注ぐ礼拝殿の応接間。
 差し向かいで並べられた革張りの長椅子には、此度の結婚式に招かれた多くの王侯貴族の中でも、指折りの家柄を持つ少年少女が並んで座っていた。

 少女の方は、肩口で揃えられた白銀の髪に透明感のある肌を持つ清楚な令嬢だ。

 詩人は彼女を白百合にたとえ、貴族たちはこぞって理想の乙女だと絶賛したという。そこでついた呼び名が『理想の白百合』――ミリアン・ホワイトグレイルを表現するのに、これ以上ふさわしいものはないだろう。

 ……もっとも、それは彼女の本性を知らない人間に限定されるが。

「お久しぶりですね、ミリアンさん。お元気そうで何よりです」

「フェリシィール様もお変わりがないようで安心しました。相変わらずお美しくて、憧れてしまいます」

「まぁまぁ。嬉しいことを言ってくださいますね」

 幸か不幸か、対応する使徒フェリシィール・ティンクは知らなかった。にこやかな笑顔でお世辞を返され、満更でもない様子で頬を押さえる。

 こうして見ると、フェリシィールはミリアンとは対照的な美女であった。

 ミリアンがまだ少女特有の瑞々しい魅力に満ちているのに対して、フェリシィールのそれは成熟した大人の魅力だ。

 流れるような金色の髪。使徒の証である黄金色の双眸。エルフ特有の神秘的な容姿。
 何もかもを包み込んでくれそうな母性を合わせ持つ『聖母』という呼称こそが、ミリアンの『理想の白百合』をも超える人々からの称賛の証だろう。

 ……もっとも、それでも百二十年近く独り身らしいが。

「ところでキルシュマさん。先程から何か失礼なこと考えていませんか?」

「そうです、お兄様。ミリアン先程から何かこう胸の辺りがもやもやするんですが」

「いえ、何でもないです。すみません。ごめんなさい。許してください」

 美女と美少女から輝くような笑顔を向けられ、ミリアンと並んで接待を受けていたキルシュマは全速力で頭を下げた。その際、後ろで結った妹と同じ白銀色の髪が揺れる。

「そうですか。それならいいのですが……」

 フェリシィールが視線を逸らしたことで、ようやく蛇に睨まれた蛙の状態から立ち直ることができたキルシュマは、モノクルをあげると改めてフェリシィールに話しかけた。

「フェリシィール様。この度はこちらからの突然の申し出を受け入れてくださり、誠にありがとうございました」

「いえいえ、わたくしはジュンタさんに取り次いだだけですから。今回のそれは花婿と花嫁を祝う席。あなた方の王がジュンタさんを祝うといい、ジュンタさんがそれを良しとした。ただ、それだけの話ですよ」

 あなた方の王、という言い方に隣でミリアンが苦虫を潰したような顔になる。猫かぶりはどうしたと指摘しても良かったが、妹の複雑な心境を察せられたキルシュマは何も言わなかった。

「もっとも、ほんの少し打算めいたものがあったのは否定できませんが。噂に名高い革命王、一度お会いしてみたいと思っていましたから」

「……そんなすごい奴なんかじゃないですけどね」

「ミリアン!」

 ミリアンの呟きには、キルシュマも声を荒げずにはいられなかった。

 革命王アース。彼は紛れもない、キルシュマにとっての王である。そうである前からの付き合いではあったが、彼が自分の仰ぐべき主君であることには何ら迷いはない。

「そうですね。ではミリアンさん。あなたにとって、アース王とはどのような方なのですか?」

「わたしにとってのアース、ですか?」

 フェリシィールが場を仲裁するような形で質問をぶつけた。

 ミリアンは腹立たしいのを必死に笑顔の仮面で隠しながらしばらく考え、

「……変態ですね」

「ミリアン! いい加減にしないと僕も怒るぞ!」

「だって仕方がないじゃないですか。よくよく考えてみても、それ以上の美辞麗句なんて考えつかなかったんですから」

 至極真面目にミリアンは答える。決してアースを貶めようとしての言葉ではなく、本心からの感想だったらしい。

「だからといって、言うに事欠いて変態だなんて…………まあ、否定はできないが」

「できないのですね」

 フェリシィールが笑みを引きつらせた。彼を知らないというのは、それはそれで幸せというものである。

「それだけでは何ですので僕の方から補足させてもらいますが、王は為政者としてはなかなかの手腕ですよ。革命から一年で、こうして式に参加させていただく余裕ができたことが何よりの証拠となりましょう」

「わたしに言わせてもらえれば、あれは政治をやっているというよりも、改革をしまくっているという感じですが。これまでに誰もやったことがない農法やら何やらを推し進めて、これで結果が出なければ再度革命ですね」

「一応実験はしてあるそうだ。事実少なからず効果は出始めている。フェリシィール様。十年以内には、世界で最も発展を遂げたセント・ガイア・エチルアをご覧に入れてみせましょう」

「それは楽しみですね」

 フェリシィールが今の言葉をどれだけ真面目に受け取ったかは定かではなかったが、キルシュマには自信があった。

 確かにミリアンの言う通り、新王アースの政策は過去に類を見ないものだ。

 よく言えば画期的。悪く言えば独創的。一応彼には彼なりの未来絵図が描けているようだが、それを説明されてもキルシュマには七割くらいしか理解できていなかった。それでも、その半分でも現実のものになれば、聖エチルアは他に類を見ない大国になるだろうということはわかっていた。

「フェリシィール様、あまり期待はしない方がよろしいですよ。彼は正真正銘の変態です」

 期待と信頼を王に向けるキルシュマに対して、一応は臣下であるミリアンは毒々しい笑みを浮かべた。

「ええ、やはりそうです。フェリシィール様からのご質問に返すべき、私から王に対する評価はこれ一つだけ」

 そして革命王アース・ジ・アースを、そう評価した。

「『おもしろければオールオーケー』なんてふざけたことを大真面目に抜かす奴は、最高に始末に負えない変態野郎って相場が決まっていますから」






「そん、な……」

 心臓がきゅっと締め付けられるような息苦しさに、ジュンタは喘いだ。

 まるで脳天に雷でも落ちたみたいだ。目の前にある異常に脳の機能がまだ回復しない。クーやユースが心配そうに見ていたが、今は構っていられる余裕はなかった。

「どうした? 虹の翼よ。まるで幽霊でも見たような顔をして。我と再び相まみえることは、卿としてわかっていたことだろう?」

「っ! お前は……」

 肩に羽織った黒い上着をマントのようにはためかせながら、幼なじみの顔をした男は笑う。その悪戯っ子のような笑みも、ジュンタの記憶を刺激した。

 目の前にいるのは間違いなくミヤタ・サネアツだ。髪色と瞳の色こそ違うが、ジュンタがその顔を間違えるわけがない。

「お前はサネアツ……なのか?」

 それでも、問いを投げかける声には疑いが込められていた。

 彼がサネアツなら多くの疑問が残る。なぜ二年前に自分の前から姿を消したのか? どうして猫から人の姿に戻っているのか? その髪と瞳の色は何なのか? そして何より、心の闇の中で語り合ったとき、ジュンタの傍には白い子猫がいたのだ。

 目の前にいるのは幼なじみではない。得体の知れない違和感が、頭の中ではっきりとした警報を鳴らしている。

「サネアツ、さん?」

 そのとき、ジュンタが口にした名前を耳にしたユースが動揺を見せた。

 リオンの演技も忘れ、さりとていつものユースが見せるような顔でもない。心の動揺が直接伝わってくるような、それこそ幽霊を目の前にしたかのような顔だった。

「そんなはずはありません。だって、サネアツさんはあのときに……」

 一歩、ユースが後退る。

「あのとき、私が……」

 ジュンタはその動きに疑いを抱いて、

「ふむ。さっきから人を勝手に呼んでくれるが、我はまだ名乗ってもいないのだがな」

 問い掛けるその前に、紅い男は肩をすくめて手を腰にあてた。

「そうとも。我は約束通り、卿に名乗るために馳せ参じたというのに、まるで我の名乗りなど必要ないといわんばかりの状況ではないか。
 問うが、卿らの疑問は、まず我が名乗れば全て解決する問題ではないのか?」

「……確かに」

 ジュンタはよくわからないといった顔のクーやクレオメルンの顔を見て、

「名乗ってくれるならそれが一番だ。聞かせてくれ。――お前は、誰だ?」

――アース」

 絶対の自負をこめて、名前を名乗れることが嬉しいといわんばかりの表情で、紅き翼は名乗りを上げた。


「我が名はアース・ジ・アース! 紅き翼の救世主であり、セント・ガイア・エチルアの革命王だ!!」


 そのあとで、真紅の瞳でまっすぐジュンタを見つめた。

 ――卿も名乗れ、と。その視線が語りかけている。

「…………」

 しかしジュンタは無言。
 結局、アースはジュンタが望む名前も、真実も語ってはくれなかった。

「なんだ。名乗れば名乗り返すのが礼儀であろう? ……まあ良い。我の今回の目的はあくまでも名乗りをあげること。卿の名など、それこそずっと前から知っているのだから」

「それは、どういう意味だ?」

「そのままの意味だ。運命という奴だよ。我は紅き翼。そして卿は虹の翼。共に救世主とならんと欲する者同士。――運命によって結ばれた、敵同士ということだ」

 その敵対宣言を、ジュンタは自分でもどう受け止めていいのかわからなかった。

 どんな敵が現れても倒すつもりでいたし、その出会いから紅き翼と名乗るであろう男が立ち塞がる敵であることもわかっていたが……それがここまで得体の知れない男であるとは、さすがに予想だにしていなかった。

「意味が……意味が、わからない」

「なんだ? 我の話は難しかったか? ただ我と卿が敵であると――

「そうじゃない! お前の顔が、お前の存在が、俺にとっては意味がわからないんだ!」

「なるほど」

 ジュンタが睨みつけると、アースは腕を組んで口の端をさらに吊り上げた。

「ならばお互いに気になっている質問に答え合うというのはどうだ? 無論、嘘は絶対につかない。そう誓い合っての問答だ」

「それは……」

「ただし、質問の内容はお互いに最初に提示し合うという形にする。どちらかが答えたのにどちらかは答えられない質問というのはフェアではなかろう?」

「……いいだろう。それじゃあ俺からの質問はこうだ。お前とサネアツの関係を教えろ」

「マスター」

 この質問にはアースではなく、その斜め後ろに控えていたメアが反応を示した。

「良い。我にも虹の翼にどうしても聞いておきたい問いがあるのだよ、メア」

 従者を押しとどめると、アースは一歩ジュンタに近付き、自分からの質問を口にした。

「では我からの問いはこうだ。そこにいる我と同じ髪と瞳をもった少女は、果たして本当にリオン・シストラバスか?」

 そう来るか――ジュンタは内心で臍を噛む。

 質問に対する答えは『否』である。ユースはリオンではない。ただし、それは絶対にばれてはいけない秘密であり、そのことに疑問を抱かれることすら問題のある真実である。

「何をおっしゃいますの? 私はリオン・シストラバス以外の何者でもなくてよ」

 ユースも、ここに至って動揺より使命感が上回ったらしい。リオンならそう言うだろう返答をもってアースを睨みつけた。

「初対面のレディに対して随分と失礼な男ですのね、革命王。お噂はかねてよりうかがっておりましたから、お会いするのを楽しみに思ってましたのに。幻滅ですわ」

「そう言ってくれるな。卿があまりにも美しく、また輝かしいからこそ、我もこうして直接問い掛ける以外に確信を持てぬのだ。
 いや、これで本当にリオン・シストラバス本人でなければ、その演技はまさに真に迫っている。果たして、如何なる間柄であればそこまで再現することができるのか……実に興味深い」

「……これ以上の侮辱には、相応の対応をさせてもらいましてよ?」

「それもまた一興。が、今は我と虹の翼との問答だ」

 揺さぶりか本心か、読めない表情でユースを一瞥したあと、アースは改めてジュンタに向き直った。

「さあ、答えを聞かせてもらおうか。この条件への是非は如何に?」

 アースが幼なじみに繋がっているかを知るためならば――
 ここは頷いておくべきだ。所詮、質問に対する答えが本当かどうかなど確かめようがないのだから。今日が初対面の相手だ。嘘をつかれる可能性も否定できない。

 けれど、ジュンタにはこの取引が成立した以上、アースは絶対に嘘をつかないだろうという確信があった。それこそ初対面ではなく、絶対の信頼を向けた相手であるかのように。

 そんな相手に対して、たとえ嘘でも『隣にいる彼女は本物のリオン・シストラバスだ』と口にするのは……恐らくは両者の間に生まれる亀裂以上に、自分の中に生まれるだろう亀裂の方が大きくなるように思えた。

 どれだけ取り繕っても、ユースはリオンではないのだから。

「ジュンタ。何を悩む必要がありまして? 私がリオン・シストラバスであることは間違いないのですから、はっきり言っておしまいなさい」

 この危険な間を埋めるためか、それともアースとサネアツの繋がりを知りたいがためか、促すようにユースは頷いた。

「俺は……」

 ジュンタは唾を誰にも気付かれないよう飲み込んで、


――その質問への返答は、是非ボクにも聞かせていただきたいね」


 口を開く前に、第三者の声に邪魔された。

「誰だ!?」

 クレオメルンが誰何の声を向けたのは、礼拝殿から靴音を鳴らしながら歩いてきた藍色の髪の麗人だった。

 年齢は二十代半ば。華のある端整な顔立ちの若者で、耳にかかるくらいの髪型と黒一色の礼服が、男か女か判別させない細身のシルエットを作っている。女性的な男性のようにも、男性的な女性のようにも見えた。そして、その耳は普通よりも尖っている。

「誰? まさか巫女クレオメルン・シレともあろう御方が、ボクのことを知らないなんて驚きですね」

「なに?」

 肩をすくめる素振りが非常によく似合っている。男性にしては高音の、女性にしては低音の聞き心地の良い声と相まって、まるで歌劇に登場する役者のようだ。どこか皮肉的な返答にもかかわらず、クレオメルンは怒りよりも困惑の方が大きいようだった。

「もしかして、他の皆様方もご存じない? だとしたらそれはボクの不徳とするところだ。主役を気取るつもりはないけど、相応の存在感は欲している立場でね。できることなら、この各国の要人が一同に介している今、ボクの名前を刻み込んでおきたいものさ」

 堂々と、麗人は神居の入り口へと近付いてきて、

「失せなさい道化」

 アースに並ぼうとした直前、進路上をメアに塞がれた。

「これ以上マスターの邪魔をするというのなら、その身体、灰も残らず消えると思いなさい」

「へえ。他の方々は知っているけど君のことは知らないね、かわいらしいおチビさん。どうやら革命王の従者か、もしかしたら愛人といったところだけど……おかしいな。その耳、ボクたちと同じじゃないか。あの国がそんな実験をしていたという話は、我が国の諜報部には伝わっていなかったんだけどね」

「黙りなさい。人形風情が」

「ということは、自分はそうじゃないと言いたいのかな? これは驚きだ」

 そのとき、麗人の登場でどこへ向かうとも知れなくなっていた空気が、決定的に変質した。

 それは氷のように張りつめた、敵意。
 メアの瞳がはっきりと紅蓮の輝きを映し出し、その小さな身体が巨人のように見えるほどの存在感を放ち始める。

「聞こえなかったのですか? メアは黙れと言いました。それを無視するというのであれば是非もありません」

「ボクを排除すると? いいのかい? 君の立場が聖エチルアにおいて重要なものなら、君のその行動はボクの国との間に戦争を招く。戦争の発端が若者同士の喧嘩であることなんて、特段珍しいことでもないよ」

 敵意をぶつけるメアに対して、麗人は余裕綽々の姿で胸を反らす。

 一触即発。触れれば爆発しかねないほどのにらみ合いが神居の横で起きていることに対し、クレオメルンやクーもまた戦闘態勢に入った。

「どうやら、今回の取引はなしとした方がよさそうだな」

 その中でも変わらずジュンタのみを見つめていたアースは、自身の従者の頭に手を置くと、やれやれといわんばかりに首を横に振った。

 これにはアースの視線に抗うので必死だったジュンタも息を吐き出す。
 麗人の登場などアースにとっては何ら意識が逸らされないものだったらしい。彼の目的は徹頭徹尾にジュンタにあった。

「ではな、虹の翼よ。今日のところはこの辺りでお開きとしよう」

「……身勝手だな」

 結局、何もわからなかったジュンタは軽く睨みつけるが、アースは涼しい顔。

「案ずるな。この再会は始まりに過ぎんし、今の取引も卿が望むのであればいつでも受ける腹積もりでいる」

 アースは怒りを一瞬で打ち消したメアを促すと、背中を向けた。

 自分はお呼びではなかったことに気付いた麗人は再び肩をすくめると、メアの前から横へ半歩ずれた。

「やれやれ。本当に登場するタイミングを間違えてしまったようだ」

「なに、ある意味では絶妙のタイミングであったぞ」

 アースは上着を翻すと、麗人を見て一つ頷いた。

「許す。名乗るがいい」

「それは僥倖。では皆様方もどうか耳汚しにお付き合いあれ」

 麗人は恭しくお辞儀をすると、

「ボクはジェンルド帝国より、此度の婚礼に招待された外交官。名を、クォーツ・ウリクス・タダトと申します。どうか以後お見知りおきを」






       ◇◆◇






 去っていった二人と一人を見送ったジュンタは、僅かも待てず、クーの腕を引っ張って南神居の最上階に駆け込んだ。

 ご主人様――と、引っ張られた当初驚いた声をあげていたクーも、部屋の鍵をかけたときにはどうして連れ込まれたのか理解できているようだった。正確には理解している人格に変わっていた。

「アーファリム。これはどういうことだ?」

 ジュンタは金色の瞳をした巫女の肩を掴んで、ベッドの天蓋を支える柱に押しつける。

「どうして革命王アースが、サネアツと同じ顔をしている? どうしてあいつは俺のことを知ってるんだ!?」

「わかりません」

 そう答えたアーファリムの声も、どこか戸惑っているようだった。

「前にもお話ししたかと思いますが、あたしはマザーの計画についてはまったく知らないのです。ただの一時もマザーから仲間とは思われていませんでしたから。推測はいくらかできますが、それがサネアツさんのこととなれば、むしろあたしの知っていることは救世主様のそれよりも少ないのです」

「くそっ!」

 アーファリムの身体をベッドの上に突き飛ばすように放し、ジュンタは肩を荒げ、行き場のない怒りを大声に変えて叫んだ。

「誰だ?! あいつは一体誰なんだ!? 間違いなくあの顔はサネアツのものだ。だけど、サネアツとは思えない……!」

 なるほど。ニヒルな笑みやなぜか無意味に自信満々なところ、馴れ馴れしくも受け取れる接し方など、幼なじみを彷彿とさせる仕草も多々あった。が、やはりどうにも彼がサネアツだとはジュンタには思えない。

 それこそ自分とサネアツが過ごした時間を信じるのであれば、サネアツとはまったくの別人で、だけど完全に別人とも言い切れなくて……

「救世主様。落ち着かれてください」

「落ち着く? 馬鹿を言うなよ。お前の言葉が正しければ、アースの言葉が正しければ、俺とあいつは救世主の座をかけて戦うことになるんだぞ? 俺とサネアツかも知れないあいつが!」

 外套の裾を掴んできたアーファリムの手を振り払って、ジュンタは怒りも露わに敵意をぶつけた。

「親友を裏切ったお前と一緒にするな!」

「っ!」

 そのときアーファリムが見せた表情は、これまで見せたどの表情とも違った。怒りとも悲しみともつかない、まるで迷子の子供のような……

「あ……」

 冷や水を浴びせかけられたようにジュンタは我に返る。

「では、愛する人のために、どんな敵であれ倒してみせると誓われたのは嘘なのですか?」

 そのときにはすでにアーファリムはいつもの顔に戻っており、人を嗤っているようにも、慈しんでいるようにも見える微笑を浮かべていた。 

「はっきり申し上げれば、あのアース・ジ・アースと名乗った方がサネアツさんであっても、そうでなくても関係なんてありません。敵として立ちはだかるのであれば倒すのみ。
 これだけははっきりと申し上げます。救世主に――『神の座』に辿り着いて新人類になれる使徒は一人のみ。その他は所詮、その一人を昇華させるための生け贄に過ぎません」

 使徒とは生まれながらに持った『特異能力』を使って、マザーの語る新人類への進化を可能とする候補者に過ぎない。この世界においては人類の導き手、守り手などと言われて崇められているが、進化する可能性をなくした使徒の末路は『死』あるのみ。

 元々、存在するだけで歪みを生み出す特異点である。救世主を手に入れたマザーが要らなくなった候補者をどう扱うかなど目に見えていた。

「救世主様もわかっておられるはずです。通常の方法で、使徒が新人類になるための試練をクリアすることは不可能だと。人知を超えた何かに相対ししなければ、八番目以降のオラクルは達成できません」

「そして、最も効率よくオラクルを達成する方法とは、同類である使徒と食い潰し合うこと」

「はい。それにこの世界が許容できる使徒の数は元々三柱まで。それ以上は、世界への負荷が大きすぎます。今はまだ何とかなっていますが、ただでさえ瀬戸際のところに来ているこの世界において、その負荷は決して見逃してはいいものではありません」

 現在存在する使徒の数は、新人類となったメロディア・ホワイトグレイルの除けば七人。
 サクラ・ジュンタ。アーファリム・ラグナアーツ。フェリシィール・ティンク。ズィール・シレ。そして、まだ見ぬ三人の使徒たち……。

 少なくとも、この内四人は排除しなければ、世界は歪みに飲み込まれて消滅してしまう。

「新人類となったことで、世界を滅ぼす猛毒となった彼女の例もあります。他の使徒が新人類に辿り着いたことで、あるいは現状を悪化させる可能性もあるのです。真実の救世主である、御身以外は」

「俺が十のオラクル全てを達成して新人類に至らなければ、世界が終わる……」

「そう、『神の座』に辿り着いてメロディア・ホワイトグレイルの特異能力を打ち破らなければ、世界は終わってしまうのです」

 ――それがアーファリムの語ったこの世界の終焉だった。

「救世主様。あたしはあなたの手で殺されることに――世界を救うための生け贄として全てを捧げることに何ら迷いはございません。ですが、そのためには立ちはだかる全ての敵を倒さねばなりません。たとえそれが親友であっても。
 それが唯一リオン・シストラバスの献身を讃える方法であり、彼女が守りたかった世界を救うための方法なのですから」

「黙れ。見殺しにしたお前がリオンの名前を口にするな。そんなことはわかってるんだ」

 ジュンタはすでにアーファリムから多くのことを聞いていた。マザーの敵たる彼女から知らされたソレは、神の企みの全貌を暴くほどではないが、推測する切欠くらいにはなっている。少なくとも、やらなければいけないことははっきりしてした。

 迷いは捨てなければ。ジュンタの行動の源泉は、全て二年前にリオン・シストラバスが見せた、あの幸せそうな笑顔から来ているのだから。

「たとえアースがサネアツだとしても……敵として立ちはだかるなら、俺は倒さないといけないんだ……いや、あいつがサネアツなら殺すことなんて……けど、その場合はフェリシィールさんとズィールさんのどちらかを……」

「救世主様」

 わかっていても立ち尽くすジュンタを、前から優しくアーファリムが抱きしめる。どうしてか、今ばかりは彼女の手をはね除けようとは思わなかった。

「親友の命をその手で奪わなければならない。その気持ちは痛いほどよくわかります。愛しさが大きいからこそ苦しい。けれど、どうか間違えないでください。真に大切なもののためならば、切り捨てなければならないものがあることを」

「何度も言わせるな。……わかってるんだ、それくらい」

「はい。失礼致しました」

 拒まなかったのはきっと、彼女が目を瞑ったため、その瞳がどんな色をしているかわからなかったからだろう。

 ジュンタは両手を強く握りしめ、そうすることで感触が伝わってくる二つの指輪の存在を強く受け止めて、己が巫女の託宣を耳にする。

「第八のオラクル『神の膝元にて鐘を鳴らせ』――まずは一柱、使徒を倒さねば。
 孤独に震えることはありません。助け、支え、ずっと傍にいますから。あなたがあたしの心臓をえぐり出す、そのときまで」






「マスター。ご機嫌ですね」

 案内を受けた礼拝殿の客室で、アースはコーヒーを煎れたメアにそんな指摘を受けた。

 椅子に腰掛け、味わい深い苦みを楽しんでいたアースは、口の端を吊り上げて言外に『当たり前』だと返す。アースの胸の内は従者に指摘されるまでもなく躍っていた。それはまるで革命の烽火を抱いたあのときのように、激しく燃える炎に似ている。

 炎は、王者たるを心がけるアースから容易く余裕を奪っていった。口元は堪えようもなく弛み、笑みが零れる。

「ふ、ふふっ、いかんな。これではまるで恋人との些細な逢瀬を喜ぶ乙女みたいではないか」

「仕方がありません。マスターはこの日をずっと待ち侘びていたのですから」

 忌憚ない意見を述べたメアは、しかしそれほど喜んではなかった。眉根が少しばかり寄っている。

「メアはジュンタのことが気に入らなかったか?」

「正直に言わせていただければ。マスターの好敵手たるには、いささか以上に脆弱であると見ましたので」

「そうか。そうだな。確かに今のジュンタは二年前より強くなったがゆえに弱くなってしまった。そこには我とて落胆を隠せないが、狂乱から持ち直しただけあっぱれと褒めるべきだろうな」

 最愛の女性を失い、さらには頼れる人たちのをことごとくなくしてしまったのだ。温かな日常こそを幸せと信仰するサクラ・ジュンタにとって、それがどれだけの絶望だったかは想像に容易い。

 なにせ、それは二度目の喪失にして完全なる存在意義の欠落だ。一度目は何とか踏ん張った彼とはいえ、こうなっては狂気を身に宿すことは致し方ないだろう。

 事実、アースが知る限りジュンタは二年前、悪をなした相手で戦地ではあったとはいえ、数十人単位で人を斬り捨てるといった『正義』を数度行っている。それらグラスベルト王国でおきた粛正は半年後にはぱったりと途絶え、彼の精神も落ち着いたように見えるが、内心に溜まった泥はいかほどのものか。

「とはいえ、メアの言うことも一理ある。今のままでは、我と戦ったところで万が一にも勝ち目はなかろう」

「マスター。それは間違いです」

「なぜだ?」

 横でしゃがみこみ、アースの手の上に自分の手を乗せたメアは、いっそ淫靡であるほどの笑みを浮かべた。

「たとえサクラ・ジュンタが『生ける英雄マスター・オブ・ミスティルテイン』となろうとも、万が一つにもマスターに敗北はあり得ません」

 その絶対の信頼、苛烈なほどの信仰には、アースも一瞬とはいえ目を見開く。

「アッハッハッハ!」

 そのあとで、もはや堪えようもなくなり大声で笑った。

「そうだな! うむ、その通りだ! たとえ相手がジュンタであろうとも、我に敗北などあり得ん。至高存在たる我は最強だ!」

 メアの小さな手を握り返し、窓から入り込む日差しを心地よさそうに浴びてアースは目を輝かせる。

 威風堂々たる姿は王であり、純粋な期待に胸膨らませる様はまるで子供のよう。

「ああ、楽しみだ。楽しみで楽しみでしょうがない! ジュンタの進化がこの程度で終わるわけもなし。ジェンルド帝国の魔王もこのまま黙って座しているとは思えん。他にも楽しそうな輩が山ほどいる。なあ、この世界は最高だとは思わんか?」

「イエス。マスターがおられるこの世界は、メアにとってもあらゆる世界の中で最も価値ある素晴らしい世界です」

「であれば、紅き翼の救世主たる我――使徒アース・ジ・アースのやることは決まっているな? 我が巫女よ」

「イエス・マイマスター」

 自らの使徒を恋する瞳で見つめ、その巫女たるメアは謳う。

「第八のオラクル『神の膝元にて鐘を鳴らせ』――まずは一柱、使徒を跪かせなければ。
 もはや雌伏の必要もありません。これからは全てマスターの御心一つ。マスターが望まれるのであれば、メアはこの『救世主』の真名を必ずや証明してみせましょう」


 



       ◇◆◇






 本日の収穫を快く思いながら、クォーツはアーファリム大神殿を後にして、街の宿屋に向かっていた。

 正式な外交官であるクォーツにはアーファリム大神殿の中に客室が用意されていたが、神殿らしい小綺麗さというか清貧さといったものが、華美で豪奢なものを愛するクォーツの美的センスと合わなかったため、わざわざ外の宿屋で寝泊まりしているのだった。

 もちろん、名を売るという役目を思えば神殿内で寝泊まりする方がいいため、外で宿を取ったことには別の理由もあるのだが。

「ただいま。今帰ったよ」

 外観こそ静謐ながら内装は派手な宿の一室に足を踏み入れると、すでにここまで旅程を共にしてきた全員が揃っていた。

 ベッドの上で寝転んでいる銀髪の少女に、椅子に腰掛けた執事の青年。部屋の中だというのにフードを被って床に座り込んだ少女の三人だ。

「うむ、おかえりなのじゃ。お勤めご苦労」

 まずぴょんとベッドから飛び降りて出迎えてくれたのが銀髪の少女がプラチナ。

「で、頼んでおったお土産はどこじゃ? 早う渡すがよい。半日以上狭い宿に押し込められて、妾は退屈じゃ」

「ああ。そういえばお姉様からはお土産を頼まれていたっけ。すまないね。神殿で思わぬ幸運に遭遇してしまったから、つい忘れてしまっていたよ」

「なんじゃと!?」

 大袈裟なくらいプラチナはショックを受ける。

 わなわなと震えた唇は、次の瞬間盛大な雄叫びを発した。

「このうつけが! 姉たる者の頼みを忘れるとは、一体どういう了見なのじゃあああ――ッ!!」

 しかし慣れたもので、その場にいた三人はきっちり耳を塞いでこれを凌いだ。

「耳を塞ぐでない! 姉からのありがたい言葉、しかと聞き届けぬか!」

「その前に鼓膜が破れてしまうよ。それに、出会いに浮かれて忘れていたと説明したじゃないか」

「無駄だぜ、クォーツ。プラチナが自分に都合の悪いことをちゃんと聞いてるはずがない」

「それもそうか。ウィンフィールドの言うとおり、お姉様の耳は羨ましい限りのものだからね」

 青年――ウィンフィールドの言葉にクォーツは頷く。その上で肩をすくめ、少しだけ真剣な眼差しで姉を見た。

「けど、今回ばかりはちゃんと聞いておいて欲しいね。なんたって、ボクが神殿で出会ったのは、かの虹翼の使徒その人なのだから」

「なんじゃ、クォーツはジュンタに会ったのか」

「ええ。お姉様がお会いしたとき、どうしてその場にいなかったんだと悔しがったものですが、偶々足を向けてみたらご覧の通りですよ。ああ、これは運命と捉えてもいいのかな?」

 両手を大きく広げて、クォーツは感激を表現する。まるで舞台の役者のようであり、ウィンフィールドなどはあからさまにげんなりした顔になった。

「おいおい、昨日に引き続きまた遭遇かよ。止めて欲しいね、まったく。来るべき計画の日に警戒されたらどうすんだよ」

「構わないだろう。どちらにしろ、使徒と竜滅姫の婚礼だ。出来うる限りの警備と警戒がされているのは最初から決まり切っている。我々はその上で――

 優雅にお辞儀をして、クォーツは微笑む。


――我らが皇帝陛下の舞台を整えれば良いだけのこと」


 ジェンルド帝国の外交官が皇帝陛下と呼び称する相手は一人しかいない。ただし、今回彼は式に呼ばれていない。よって、もしも聖地へ来ることになれば、それは招かれざる客となることだろう。

 とはいえ、その来客を拒むことは誰にもできない。
 たとえ招かれざる客であろうとも――彼は正しく、聖地に降誕すべき資格を持ち合わせているのだから。

「精々楽しむとしよう。名高い聖殿騎士団がお相手なんだ。お父様から全力で戦っていいとの許可も下りていることだしね」

「そうじゃな。我らが力、大衆に見せてやるとしようぞ。祭りに華を添えてやるのじゃ」

「……ジェンルド帝国のためなら全てを、です」

「はあ……絶対疲れることになるんだろうなぁ」

 四者四様の思いを胸に、来るべきその日を待ち侘びる。

 この聖地に、現在この世に生きる使徒全てが集まる、その宿命の日を。









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