第五話  神の求め





 それは弱さだったのか?

――――殺しちゃえばいいのよ。そうすれば、ジュンタはこの世界にある佐倉純太の居場所を取り戻せるわ」


 そう言ったリトルマザーの言葉に、ジュンタは『なるほど』と納得してしまった。

 今、この世界でジュンタの欲する席には、座っている人間がいる。
 自分ではない佐倉純太――
異世界に行った自分ではない、この世界で生きてきたもう一人の佐倉純太だ。

 一つの席に座れるのは、たった一人だけ。彼が座っている限り、ジュンタは佐倉純太の居場所を手に入れることはできない。

 だからもし埋まっているその席に座りたいというのなら、方法はそれしかない。

 酷く簡単な方法だ。座りたい席に座っている奴がいるのなら、そいつを席から退かしてしまえばいいだけだ。

 

その方法を実行するにあたり、最も手っ取り早く簡単なのは、確かにそいつを殺してしまうことだろう。リトルマザーの言っていることは、感嘆するほどに的を射ている。

「どうするの、ジュンタ?」

見仰ぐ月のように、神秘的な金色の眼差しが射抜いてくる。

リトルマザーが言った言葉をジュンタは寝転びながら反芻し、それでいて口は噤み続ける。


「悩む必要なんて無い。誰にだって絶対に譲れないものはあるもの。ジュンタが日常を一番愛していたのは知ってる。だからその日常を取り戻すために、他の優先順位が低いものを曲げるのは決して悪いことじゃないわ」

 サクラ・ジュンタにとっての居場所とは、一番欲しいものに他ならない。

 日常が営める場所を取り戻すことは、佐倉純太の在り方として何らおかしいことではない。


「ジュンタは頷けばいい。望めばいい。求めればいい。そうすれば、わたしがすぐにでも手に入れて来てあげる。誰かに悟られることなく、誰かに阻まれることなく。わたしならそれが出来る」


 
この少女に一言『頼む』と言えば、彼女は嬉々として居場所を取り戻してくれるだろう。誰かに気取られることなく、確実に、そして迅速に。

 でも――

「リトルマザー……
どうして、そこまで俺のことを?」

「だって、ジュンタが泣いてるところなんて見たくないもの。いけないことだって分かってるけど、わたし、ジュンタには幸せになって欲しいって、そう思っちゃったんだもの」

 この手が居場所を取り戻す――それは一人の存在の消失を意味し、そしてそこまで言ってくれたリトルマザーが人を殺すということを意味している。


(それは、いいことなんだろうか? 人殺しはダメなことで、それを誰かにさせるなんて……)


 倫理観。ジュンタが今まで培ってきたモラルという名の考えが、素直に頷くことを拒ませる。

 居場所を取り戻すというのは、モラルを破綻させるということだ。誰かに気付かれないと言っても、人を殺したことには変わりない……それは到底許されないことだ。


 だけど――心の中で強く、リトルマザーの言葉に呼応する部分もあった。

 殺せ。ころせ。コロセ、と愛郷の想いが、両親への想いが、平穏へと求めが、そうしろと叫んでいる。

 モラルと本能の戦い――どっちも大事なもので、どっちも失ってはいけないもの。だけどどちらかを失わなければ、もう一つは守れない。この状況において得られるのは片方だけなのだ。

 そう、佐倉純太を殺すことは、自己を殺すことに他ならない。日常を殺すことに他ならない。

 例え自分の肉体は死ぬことはなくても、佐倉純太としての在り方の内、何割かは彼の死と共に終焉を迎える。


(俺は、どうすればいい……?)


 分からない。


 分からない。

ワカラナイ――――誰か、教えて欲しい。

リトルマザーは無言で答えを待ち、ジュンタを潤んだ瞳で見る。
 それを見返したまま考え、ジュンタは長い長い黙考の末に、ようやく一つの案に辿り着いた。

それは直接的な解決方法ではないが、答えへと辿り着くためには、きっとこれ以上ない案だった。

(答えに辿り着くには、きっと、俺ともう一人の俺とが同じだった頃の、共通の記憶から来る想いじゃダメなんだ。あいつをが秋の日から今日まで過ごした二ヶ月を、あいつを殺せば完全に殺してしまう。なら――

 もう一人の佐倉純太を殺しても、佐倉純太が生まれてから二ヶ月前まで過ごした日常の記憶は消失しない。その記憶は自分もまた持っている。

 だから彼を殺すことによって消える日常は、自分が過ごさなかった二ヶ月の日常なのだ。
 
――俺も自分だけの思い出を賭けるしかない。佐倉純太の愛した日常の二ヶ月と、俺が過ごした非日常の数日。どっちが尊いか、佐倉純太にとってはどっちが大切なのか……)

 佐倉純太にとって一番大事な『日常』以外の、『非日常』を自分の判断材料にする。

 ある意味それは逃げかも知れない。
 ある意味それは佐倉純太であることを放棄する方法かも知れない。

 だけど、全てをなくした自分に残っている選択材料は、もう、それだけしかなかったのだ。

(佐倉純太にとって大事なのは、この世界での日常だ。でも、だけど、それじゃあ俺は……)

 自分を否定して出した結果が、佐倉純太がずっと抱き続けた理想に勝てるはずもない――だが、答えに辿り着いたジュンタは、ふいに悟った。

(おかしい。そうだ、初めから答えなんて一つしかなかったじゃないか。佐倉純太が選ぶ答えなんて、最初からこれしかなかった)

 佐倉純太ならば、どちらを選ぶかなんて最初から決まり切っていた。なら、どうしてここまで悩んでいるのか?

(そうか。俺は、この世界でもう一人の俺が過ごした日常に比べて、俺が過ごした非日常が劣っているなんて思いたくなんてなかったんだ。だからその結論を出せなかった)

 元から悩んでいたことが違ったのだ。
 初めから、佐倉純太を殺す殺さないの結論は出ていた。悩んだのは、認められなかったのは、その過程の方にあったのだ。

 それに気付いたジュンタは、同じ結論に辿り着く、だけど自分の非日常を否定しない方法を取る。

――リオン」

 小さくその名を呟き、脳裏に思い描くのは、初めて好きになった女の子。鮮やかな紅髪紅眼の非日常の象徴――

(リオン。お前なら、どうする?)


 自分の判断材料となる少女に、目を閉じ、心の中でジュンタは尋ねる。

 心の中の少女――リオン・シストラバスは、毅然と、即答を返してくれたような気がした。

(そっか……やっぱり、そうだよな)

口元に笑みを浮かべて、ジュンタは瞼を開く。

答えは分かった。結論は出たと、リトルマザーに返答を返す。




――――ダメだ。もう一人の俺を、殺しちゃいけない」




「どうして!?」

答えを聞き、リトルマザーの顔は愕然とした、憎しみすらある表情に変わった。

 かわいらしい顔は涙と怒りで歪み、声にならない殺気が魔力としてもれ出す。人々を内封する世界すら狂わす強大な魔力は、一つの世界であるジュンタへも影響を与え始める。


 一歩間違えば、毒に侵されてズタズタになるだろう。

 あと少しの刺激で、彼女は容赦なくは自分を殺すだろう。

 ドラゴンを越える死の直視を受け、ジュンタは死にたくないと、心の底から思った。


 死にたくない――それは人として当然の考えだ。
誰も、自ら望んで死にたくなんてない………… だけど、ジュンタは他人のために死ねる人間を知っていた。

 その少女は、人間という前に騎士であろうとした。

 血と血の宿命で雁字搦めにされることを自ら望んだ、生粋の騎士である姫君だった。

それは死の恐怖を押し殺してしまうほどの信念で、自分の死を許可してしまうほど。

 そんな風に思う彼女をジュンタは許せないと思った。ジュンタは彼女が好きだったから、彼女の死を認められなかった。

 ――――だけど同時に、その在り方を眩しいと、愛しいと思ったのもまた事実だ。


 自分はきっと、彼女がそういう風に考える少女だったから、彼女のことを好きになった。だからこそ、自分の命をかけてまで救いたいと思ったのだ。

 彼女の我が儘に対し、自分の我が儘で持って答えたジュンタは、結局死んだ――いや、死んでいない。結果論でしかないけれどジュンタは生き残った。そして彼女も生き残った。

 生き残ったあとですら、その決断をジュンタは後悔していない。だから、自分で考えなければいけない『自分の絶対に譲れないもののために人を殺す』という選択の過程に、彼女という登場人物を参加させる。

 それがジュンタにとっての、異世界で過ごした佐倉純太にとっての、たった一つだけ手の中に残った、自分だけの考え方だった。


 考えた――
自分がこんな選択を迫られていることをリオンが聞いたら、果たしてどんなことを言うだろうか、と。

(ああ、きっとあいつはこう言うだろうな)


『そんなものは決まっています。私ならば、自分の絶対に譲れないものを取りますわ』


 気高く、なによりも誇りを大事とする彼女はそう言うだろう。


 だけど、こうもきっと言うだろう。


『でも、私以外の誰かが自分のために誰かを傷つけたなら、私はその人を軽蔑しますわね。自分にとってどんな高潔な想いも、第三者から見ればただの我が儘ですもの。誰かに憎まれることを良しとして、それでも選ぶのが私ですけど』

それは想像でしかないけれど、きっと彼女はそう言うに違いない。

「……もう一度訊くわ。ジュンタは、この世界での居場所を取り戻すべきよ」

「もう一度言う。俺はもう一人の俺を、佐倉純太の日常は殺さない」

ジュンタはそう思ったから、リトルマザーに再度否定の答えを述べた。

 ジュンタはリオンが好きだった。愛とかそう言うのは関係なく、ただ好きだった。
 だから、彼女に嫌われたくないから殺さないという結論を出した――日常を譲れないものとしたように、またリオン・シストラバスを好きであったことも譲れないのだから。

 それが、自分の非日常が日常に負けていないことを誇示した上での、佐倉純太が出す当たり前の結論――

 日常は知らぬうちに奪われてしまった。

 だからこそ、佐倉純太の愛する日常を、この手で奪ってはいけないのだと、そう思う。リオンに対する想いを、この手にある唯一自分だけの想いを、自分の手で踏みにじってはいけないのだと、そう思う。

「確かに俺は居場所が欲しい。だけど、そのために佐倉純太は殺せない!」

「そう……それがジュンタの結論…………馬鹿」

 ジュンタは声を張り上げ、リトルマザーを突き飛ばす勢いで立ち上がる。
 弾き飛ばされたリトルマザーは、弾き飛ばされたまま宙に浮かび、精一杯叫んだ

「馬鹿! そんなんじゃ何もその手に残らない! 幸せになんてなれるはずない!!」

リトルマザーの瞳は、まっすぐにこちらを向いている。
 リトルマザーは自分でも制御出来ない気持ちを、まっすぐに向けてくる。もらす魔力は、それだけでジュンタを殺傷して余りある力がこめられていた。

 否、だけどそれは違う。彼女には自分を殺すつもりなんてない。

 これは互いの主張をぶつけ合うだけの、そう、ただの喧嘩だ。
 そして確かにリトルマザーは強大な力を持った使徒であるけれど、自分も同じ使徒なのだ。絶対に負けるなんて道理は、決してない。

「俺には譲れないものがたくさんあるんだ! だから大丈夫一つ無くなったからって空虚に堕ちて、佐倉純太を止めてたまるか!!」

 黒い瞳はジュンタの強い想いに応えるように、使徒の証である金色の双眸へと変化した。

リトルマザーの金色の瞳に、ジュンタも同じ金色の瞳をもって応える。

 得たばかりの肉体が、ようやくジュンタの魂と精神に馴染み始めた。両者の身体には虹色の光が伝っていき、それが相手の世界を浸食しようとせめぎ合う。

 リトルマザーに恨みはない。むしろ、その大事にしてくれる想いには感謝している。

だけどジュンタは死にたくない。他の譲れないモノがある限り、死ぬ気なんて毛頭無い。


 一触即発の空気。

 

 次元違いの戦力差がある二人――遥かな高みに立つ少女は、自分を睨み付ける少年に向かって口を開いた。

「それじゃあ、どうするの? 居場所のない世界で、どうやってジュンタは幸せになるの?」

 一息吐くだけで、それが暴風となるぐらいの魔力の猛り。

 強大な魔力のこもった言葉は、それだけで攻撃手段に為り得た。

 質問されただけだというのに、ジュンタの身体にはいくつもの暴風の固まりが叩き付けられる。骨が軋むような音を耳にしつつ、ジュンタは風に負けないように大声を出す。

 さぁ、主張しよう――自分が変わらず、これからも佐倉純太であることを。


「そんなの知るか、バカ! 俺はこれまで行き当たりばったりで生きてきたんだ! 改めて聞かれても、そんなに簡単に答えられるはずないだろ!? 少しは考える時間を寄越せ!!」



 そのあまりにも道理で、情けない返答に、リトルマザーが空中から地面に墜落した。

 固いコンクリートに頭から突っ込んだリトルマザーは、うつぶせに地面に倒れ込んだままピクピクと震える。

 それを見たジュンタは、そろ〜りと近寄って恐る恐る声をかけた。


「お、お〜い、大丈夫か?」

 返答はない。ただその代わりに、気が付けば場の張りつめた空気と、世界を蝕んでいた魔力が霧散していて、そしてクスクスと笑う声が聞こえてきた。


「お、おい、どうしたんだ? 頭がやられたか!?」

 倒れ込んだまま笑い転げるリトルマザーを見て、ジュンタは心配する。
 当たり所が悪かったのだろうか? さらにおかしくなってはいないだろうか? むしろ色々と手遅れだったので、ちょっとおかしくなったぐらいの方が、もしかしたらまともに戻るかも知れない。


「ダ、ダメ、お、おかしすぎるっ、その答えは反則! 信じられないっ、シリアスだったわたしの方がバカみたいじゃない!」


 グルンと身体を回転させて、リトルマザーの泣き笑いの顔がジュンタの前に露わになった。

 怒りとか憎しみとか愛情とか、そういうのを全てかき消す笑いが、彼女の顔にはあった。

 喧嘩の軍配は自分にあがった――もう自分の命が危機にさらされることはないと判断した瞬間、ジュンタが纏っていた虹が虚空へと消えた。

 両手で顔を隠して笑い転げるリトルマザーは、そのまま何時間も笑っていられそうなほど笑い転げている。


 ジュンタは笑いが治まるのを待つことにして、リトルマザーの隣に座り込んだ。


 ――空には、満月には少し欠けた月が輝いていた。


 完璧な真ん丸ではない月のように、ジュンタは完璧な人間などではない。
 だから衝撃的なことを言われて落ち込んで、だけどそれを何とか乗り越えようと思える強さを持っていた。完璧じゃなくても、行き当たりばったりで人生は案外やっていけるのだ。

 余裕が戻ったジュンタは、今自分がいる場所がどこかの廃工場だということに初めて気が付いた。マットレスやソファーなどが持ち込まれた廃工場で、どうやらどこかの不良グループのアジトだったらしい。巨大な『P』のマークが飾ってあったりする。

 ここには未だ笑っているリトルマザーによって運ばれたのだろう。


 佐倉純太に出会いはしたが、気絶した覚えはないので、恐らくリトルマザーに気絶させられたに違いない。ほんと、あのまま肉弾戦へと喧嘩が発展していたら、自分の命の灯は一息で消し飛ばされていた可能性が高い。

 でも、こうして笑っている彼女の隣で座っていられるように、まぁ、何とかなった。


 ジュンタは堪えきれず、リトルマザーに釣られて笑い始めた。

 するとリトルマザーの笑い声も大きくなって、そうしてバカみたいに笑い合って数十分――ようやく落ち着いてきた様子のリトルマザーが、時折吹き出しながら話し始めた。


「なんだかわたし、サネアツの言葉が分かっちゃった」


「サネアツの?」


 リトルマザーから出たサネアツという言葉に、ジュンタは眉根を寄せる。


(そう言えば異世界にいた時、サネアツが『リトルマザー』っていう人名、口にしていたような。あれは確か…………そうだ。サネアツを異世界に導いた悪女の名前だ)


 初めてリトルマザーの名前を聞いたとき、道理でどこかで聞いた記憶があると思ったわけである。その時は思い出せなかったが、今思い出した。

 猫のサネアツに悪女呼ばわりされたリトルマザーは、そんなことは知らないようで、


「サネアツね、わたしに言ったの。わたしが決めたハッピーエンドじゃなくて、ジュンタが決めたハッピーエンドになる手助けをするんだって。それってつまり、ジュンタの作るハッピーエンドを見てみたいってことでしょ?」


「いや、訊かれても俺には分からないから」


「わたしはね、その気持ちよく分かっちゃった。ジュンタがどんな最後を迎えるか、わたしじゃハッピーエンドになる以外全然想像できないから、とっても気になる。見てみたいって思う。……あ〜あ、ダメだなこれじゃあ。お母さん失格だぁ。サネアツの方がジュンタのことよく知ってるなんてね、何か悔しい」

 リトルマザーはサネアツのことを褒めたのだろうか?

 ジュンタには彼女の話した意味がよく分からなかったが、同じように話を聞いていた彼には分かったらしい。


「ほぅ、さすがは俺。いいことを言う」


「う〜、わたしあいつ嫌いなんだけど。ジュンタのことを大事にしている一点だけは褒めて良いかも」


「当然だな。俺とジュンタの間にある絆は世界一と自負している」


「それは違うわ! ジュンタと一番絆が深いのはお母さんのわたしだもん!」


「はははっ、おもしろいことを言う。その程度、幼なじみで、十一年間同じクラスで、家族も同然の俺に比べたらしょぼ過ぎて笑えるわ!」

 ギャーとリトルマザーが大声で反論の声をあげる。

すると同じくギャーと先程廃工場に現れた男が、さらに反論の声をあげる。

何、この二人? という感じで起きあがったリトルマザーと、入り口からゆっくりと歩いてくる、やけに男前な高校生をジュンタは交互に見る。

「何、やるって言うの? 良いわよ、相手して上げるわよ。ええ、別にあなたを排除したところで何の問題もないものね。むしろ世界にとってはいいこと尽くめよ、絶対」


「ふふんっ、その考えでいる時点ですでに貴様は敗者なのだよ。
俺が死んだらジュンタは悲しむ。即ち貴様は戦いには勝っても、決して勝負には勝てないということだ」


「くっ、ひ、卑怯だわ! ジュンタを盾にするなんて、それでもあなた自称親友!?」


「ああ、自称ではなく、他称でも親友だ。あらゆること全てが許される間柄なのだよ」

 ウフフ、アハハとまたもや廃工場内に生まれる一触即発の空気。しかし今度はいやにコメディーちっくである。

 主張のぶつけ合いと言うより、これでは子供の口喧嘩だ。片方の見た目がそうだから、尚のことそう見える。

 リトルマザーと突然の来訪者の二人を呆れた眼で見やり、ジュンタは深々と溜息を吐く。

 一応感動してもいい再会のタイミングなのに、感慨も何もあったものじゃない――そう内心で思いつつも、ジュンタは久しぶりに見る、人間の姿の幼なじみに声をかけた。


「おい、実篤。頼みがあるんだけどさ、ちょっと相談に乗ってくれないか? 実は俺、人生というものに迷ってるんだ」

「ふっ、お安い御用だマイソウルフレンド。一人では見つからない答えも、俺と一緒ならばすぐに見つかるだろう。何、宝船に乗っているつもりでいてくれ」

 ジュンタが声をかけた瞬間、リトルマザーを完璧無視して近付いてくる来訪者――宮田実篤。
 
白い小猫の姿ではない彼は、笑顔にさらなる作り笑いをアクセントとした、ニヒルな笑みを口元に浮かべた。


「何それ? どうしてわたしじゃなくて実篤なのよ? わたしの方が人生経験豊富だし、知識もあるし、手取り足取り教えられるのに!」

 そう嘆きの声をあげるリトルマザーの満面の笑顔が、ジュンタには、妙に印象的だった。






       ◇◆◇







 宮田実篤がリトルマザーと名乗る少女に初めて出会ったのは、まだ季節が秋だった頃の話だ。

 その頃実篤は魔法なんていうものの存在は知らず、異世界の存在にも気付いていなかった。世界は自分の知る常識下にのみ在って、それ以上の神秘にはまだ巡り会っていなかった頃――


『ねぇ、あなた、ジュンタのお手伝いしてくれない?』

 そんな第一声と共に突然現れた純白の露出狂こそが、リトルマザーその人であった。

 その日は、何の変哲もない一日だった。眠ろうとするその瞬間まで、朝起きてから何の変哲もない一日だった。だが、一日の最後に現れたそのとんでもない異常が、その日という日を最高に奇妙な一日へと変えてしまったのだ。

 気が付けば実篤は、座布団と日本茶を用意して、リトルマザーの前で正座していたという。

 ――――そして実篤は聞いた。

 世界の秘密。異世界の存在。魔法の力に、そして自分の親友に降りかかろうとしている運命を。


「リトルマザーに求められたのは、佐倉純太という存在から分かたれた、異世界へと旅立つ親友のお供だった。余計な介入のできないリトルマザーに代わり、ジュンタの導き手になり助け手となる――それこそが俺に求められた役割だった」

 宮田宅の実篤の自室に招かれたジュンタとリトルマザーは、出された日本茶を啜りつつ、彼の話を聞いていた。

 

 実篤の話はまず、異世界の少女にしてジュンタが異世界に行く原因となった――今ではもう疑うまでもない――リトルマザーとの馴れ初めから入った。

「それで、お前は了承したんだな?」


 ジュンタは実篤を真っ赤になって攻撃しようとするリトルマザーを抑えつつ、話の先を促す。


「まぁ、結果を言えばそうだな。ただ問題があったため、色々とリトルマザーとは喧嘩をしたが」


 そう言って実篤は、『露出狂』の一言で怒り出したリトルマザーを見やる。

 呆れた眼を向けられてカチンと来たのか、リトルマザーの暴れる勢いが上がった。


「喧嘩って、あなたがこの世界の佐倉純太を放って異世界には行けないって言い張るからじゃない! さっさと行くこと了承してれば、あなたの魂と精神を、異世界の猫の肉体に植え付けたりする苦労もなかったんだから!」


「そう言えば実篤がこの世界にいるってことは、異世界にいる猫のサネアツって……?」


「ああ、お前と同じように、二つに分かたれた俺の半身だ。
こちらの世界の純太を残し、一人異世界に旅立つことは出来なかったからな。しかし異世界に行くジュンタも親友として見逃せない。
 ああ、困った――そう思った矢先、ジュンタを二つに分かつことが出来るなら、俺にもそれが可能なのではないかとそう思ってな。面倒くさいと散々叫かれたが、どうやらどうにかなったようで何よりだ…………猫にされているとは思わなかったが」

 ここに来て、異世界でサネアツが猫の姿をしていた理由をジュンタは知った。なんてことはない、理由はただのリトルマザーの意趣返しだったのである。

 実篤は異世界に行ったもう一人の自分――魂と精神だけを分け、猫の肉体を手に入れた自分を想い、胡乱な瞳をリトルマザーに向ける。

実篤の視線に少し悪いと思っていたのか、リトルマザーが視線を逸らす。


「……別に、猫の肉体だって魔法を極めれば、好きなように人間の姿を形取れるようになるわよ」

 そしてそのままジュンタの胸に顔を埋め、ボソボソとそんな情報を教えてくれた。


「なら構わん。ジュンタの話だと、異世界に行った俺はキャットライフを満喫しているようだしな。
 しかし……そうか、好きなように人間の姿を取れるのか。それ即ち、俺のこの姿以外でも可能だということだな?」

「魂と精神が記憶するその姿が一番楽だけど……まぁ他のにもなれるわ。だからといって、あなたの思ってるようになるとは限らないわよ? 向こうのサネアツはこのこと知らないんだし」


「安心しろ。俺ならばいつか必ずその方法に辿り着く。その時を楽しみにしているがいい」

「誰が。あなたなんかに変身魔法を習得させたら、世界滅亡ぐらい面倒なことになるじゃない」

「ああ、それは俺も同意だな……って、聞いてないか」


 ウフフ、アハハと先程のように笑顔で凄み合う二人を見て、ジュンタは確信する。

 この二人、どうやらかなり相性がよくない様子である。男と女とで違うが、どうやら同族嫌悪っぽい感じで。

「ジュンタから離れろ、見た目ロリ中身年増」


「うるさいわよ、生まれて死ぬまで永遠の変態」


「ああもうっ、喧嘩するなっ! 話が先に進まないだろうが!」

 放っておけばいつまでも喧嘩していそうな二人を、ジュンタは強引に止める。

 二人は不完全燃焼ながら、渋々互いに凄むのを止めた。

まったくどこまで本気なのか分からないな……訊けばきっと、二人とも全部本気だって言うだろうけど)

 日本茶を一口飲み、気を取り直した感じで実篤は話を続ける。


「まぁ、この露出狂からはジュンタのこと以外についても色々聞いた。魔法の行使方法とかな。だがまぁ、ジュンタが異世界に招かれることになった理由は、俺から説明するよりは――

 実篤はリトルマザーを指差し、

「そいつから教えて貰った方がいいだろう。俺も全てを全て理解しているとは限らんからな」

「なら教えてくれるか、リトルマザー? 俺は俺の今後を決めるためにも、自分に関することをちゃんと知っておきたいんだ」


 ジュンタは視線を実篤からリトルマザーに変え、腕の中にいる彼女に頼み込む。


「そうね。実篤じゃあ、難し過ぎる話だもの。説明できないわよね。

 任せなさいジュンタ、わたしがちゃんと説明してあげる。理解できるまで何度でもね」

 一々実篤へのからかいの言葉を口にしたあと、リトルマザーはジュンタから離れる。


 ジュンタと実篤の間に立ったリトルマザーの手には、いつの間にかチョークが握られ、顔にはジュンタとお揃いの黒縁眼鏡。そして背後には光と共に黒板が現れる。


「さぁ、じゃあ説明を開始するわよ」

 クイッと明らかに大きすぎる眼鏡を意味なく持ち上げ、リトルマザーは説明を開始する。その前に、何やら期待のこもった瞳をジュンタに向けた。

「………………お願いします、先生」


 捨て犬のように見てくるので、ジュンタが仕方が無くそう言うと、リトルマザーはにっこりと笑って今度こそ説明を始めた。


「よろしい。しっかりと聞いておきなさいジュンタ君。

ではまず、佐倉純太を二人に分け、実篤を猫にして、ジュンタを異世界に呼んだそもそもの発端――わたしが生まれた異世界の話から」

 リトルマザーの生まれた異世界。それはジュンタも行った、あの異世界のことである。

「そもそも異世界とは、この世界から見た他の世界ということね。それは別にわたしが生まれた世界だけじゃなく、その他にもたくさんあるわ。無限に連なる世界の一つがこの世界だし、わたしの世界である」


「俺の世界も、リトルマザーの世界も数多くある世界群の一つでしかないってことか?」

「そういうこと。世界によっては色々違いも個性もあるけど、そこは置いておいて。……重要なのはね、わたしの世界には『世界権限』がいるってことなの」


「『世界権限』?」


「簡単に言っちゃうと、世界という一つの枠組みを支配や管理し、回すレベルにまで、その存在価値や規模を上り詰めた存在のことね。世界全てを手に入れた者や、御伽噺に語られる全知全能の神が実在するなら、この『世界権限』に該当するかな」

「つまりは、世界を動かす権限を有すモノってことでいいんだよな?」


 自分の考えたとおりで良いのかと問うジュンタに、リトルマザーは少し曖昧に頷く。

「別に動かす必要ないんだけど、その捉え方でいいと思う。『世界権限』によって世界に興味のないもの、破壊しようとする物、創造しようとする者と色々だし、そもそも現象や法則が『世界権限』になってる世界もある。その世界の頂点にいる存在というのが、正しい認識かも」


 一つの世界において、最も存在として高みに在るもの。

 自分以上の存在は同じ世界の中に存在しない、最高の存在こそが、『世界権限』と呼ばれる存在であるらしい。

 数多ある世界の中には、この『世界権限』が存在する世界があり、そしてまたリトルマザーの世界――ジュンタが唯一認識する『異世界』にも、また『世界権限』は存在した。


「わたしの世界の『世界権限』は、基本的には何かをするわけでもない。ただ在るだけで、何もしない……けど、あれも一つの目的を持つ個体だから、例外的に世界に干渉してくることがあるわ」

「それが俺とどういう関係があるんだ?」


「それが大有りなの。ジュンタはね、その『世界権限』の数少ない動く例外に該当してるのよ。

 結論を先に言っちゃうと、佐倉純太を二つに分けたのも、そしてジュンタを異世界に招いたのも、わたしの世界の『世界権限』が元凶なのよ」

 まぁ、もっとも――とリトルマザーは視線を足下に向け、


「両方とも、実際に実行したのはわたしなんだけどね」

「待て、リトルマザーが俺を二人にしたのか!?」


 ジュンタの驚愕の声に、リトルマザーは素直に肯定を示す。


「マザーがその理由を作って、わたしが作業をしたの。

 マザーには一人の人間の『魂』と『精神』の全てを、完璧な形で複製する技術があった。マザーはね、わたしの世界にかつて栄えた古代文明の遺産なの。『神の如き力を持つ機械』らしいわ」

「機械ってことは、マザーは物なのか?」


「う〜ん、ジュンタが考える機械とは少し違うけど、機械であることには変わりないわね。

ジュンタの世界でいう夢物語――空想科学みたいなものが、実際としてあった科学文明。その遺産であるマザー。この限りなく全知全能である機械はね、だけどあくまでも機械だったから、自分の世界を越えるということはできなかったの」

「世界を越えるっていうと、異世界に干渉したりすることだよな?」


「そう」


 リトルマザーは頷く。


『世界権限』であるマザーは、恐らくは人工知能を持つ機械のようなものなのだろう。

 この世界より遥かに進んだ科学文明によって創造されたマザーには、奇跡の真似事のようなことすらできたらしい。しかしそれでもできないことはあった。

 自分の世界の中ではできないことはなくとも、それが自分の世界以外に関わることになると、マザーは『機械』であるためにできなかったのだ。

「いくら『世界権限』とまで至った機械といえども、自分の世界を越える術は持っていなかったの。これは多くの『世界権限』に該当することらしいわね。自分の世界の外への干渉は、理の内の力では不可能なの。可能とするのは、世界の枠組みから外れた埒外の力のみ」

 つまりは異世界への干渉――自分が生まれた世界以外の、他の世界に対する干渉行為。それがマザーにも出来なかったこと。


(俺を二人に……いや、俺っていう二人目の佐倉純太を生み出すことはマザーには可能だった。だけど、異世界にいた俺を二人にするっていうことは、前提として異世界へと干渉しなければいけない。でも、マザーにはそれが不可能だった)


 それでも、佐倉純太を二人にしなければならないと考えたなら、マザーが取るべき道は一つしか残されていない。

 自分ができないなら、できる相手に頼むしかない。

 そして異世界において、唯一他の世界への干渉を可能としていたのは……

「マザーは異世界に干渉するため、リトルマザーに協力を頼んだんだな?
 リトルマザーには、マザーにすら不可能だった異世界への干渉能力があったから」


「そうよ。わたしには異世界への干渉、移動を可能とする特異能力があった。俗に言う『魔法』っていう、本来マザーの世界の内にはない力がね。
 わたしはマザーと協力し、マザーの人間を二つに分ける力を、異世界にいる佐倉純太にまで及ぼすため世界を渡った」


 マザーとリトルマザー。

この二人の協力により、世界という枠組みを超えた奇跡は成された。その結果、ジュンタという二人目の佐倉純太が生まれ、そして異世界へと運ばれる形になったのだ。

 …………だが疑問はいくつも残る。

 ジュンタはリトルマザーの説明に上がらなかった、もっと根本的なことを訊く。


「俺がどうやって二人になったのかは分かった。
でも、そもそもどんな理由でマザーは俺を二つに分けて、俺を異世界に運ぶようなことをしたんだ?」

「確かに、そっちの方が本題だな」


 ジュンタの質問に対し、今まで黙していた実篤が同意を示す。


 チラリと実篤はリトルマザーを見て、


「……以前、俺が説明を受けた時もそうだが、お前は説明が下手だな」


「うぐっ!」


 実篤の言葉に、リトルマザーが変な呻き声を上げて怯む。どうやら自覚があるらしい。

 知識こそリトルマザーは豊富だが、それを順序立てて説明することを彼女は不得手としているらしい。頭のいい人間が、良き先生になるとは限らないのと同じことである。

「……そういうなら、あなたが説明しなさいよ」


「もちろん構わんが」


 恨めしそうなリトルマザーの視線に、実篤が軽く頷いて了承する。

 

 どちらでも大した違いはないだろうに、ここに来て先生が交代した。ジュンタは二人の間の軋轢に溜息を吐きつつ、実篤に視線を変えた。

「じゃあ、実篤。俺がマザーに望まれた理由、それはなんなんだ?」


「ふむ。それを説明するなら、まずはマザーという『世界権限』の存在理由について話した方が良さそうだな」

「結局お前もそこから入るんじゃないか……」

「なに、無視され続けるのは寂しいものなのだよ。――では、説明を始めよう。
 
マザーというものは、言ってしまえば人間以上の思考回路を有する人工知能体だと思えばいい。実のところ俺も知らんが、まぁ、間違いなくそうだろうな」

「それで?」


 軽く合いの手を入れるジュンタに、実篤が軽く顎に手を触れながら言う。

「マザーを生み出したのは異世界の旧文明の人間だ。この旧文明はな、科学文明の発達は著しかったようだが、進化の袋小路に差し掛かり滅んだ。

もちろん滅びを迎える前に、自らの滅びを回避しようと彼らは思っただろう。そのために、その方法を模索する手段として誕生したのが、他でもない超コンピュータのマザーだ」


「完璧に
SFだな、おい」

「俺もそう思う。さて、そうして生まれたマザーの存在理由は単純明快、人類の救済だ。しかしマザーが誕生した時にはすでに遅かった。古代文明は滅びを迎えてしまったのだ。世界全てを道連れに、な」

 神にも等しき奇跡を可能にした文明の滅亡――それはその世界に在った命の滅亡をも意味していた。


 巨大すぎる文明の崩壊は、世界内の全てに影響を及ぼし、人という人を殺し尽くす。

 後に残ったのは無惨で冷たい、灰色の機械の荒野。人に作られた機械たちは、その創造者をついに失ってしまったのだ。

「文明崩壊の中でも、マザーが滅びることはなかった。皮肉なことに、マザーは人を救えなかったが、マザーそのものは滅びを乗り越えてしまったわけだ」


「そうしてマザーは『世界権限』となった。世界唯一の思考者としてね」

 実篤の言葉を、リトルマザーが悲哀のこもった声で継ぐ。

 この三人の中で唯一マザーを直接知る彼女は、そんな終わりを体験した彼女に、僅かな同情を抱いているらしかった。


「マザーの存在意義はね、生まれたときから今も変わらず、人類の救済だけ。
だけど人類は世界にはもういない。存在意義を失ったマザーは沈黙し、そうして数十億単位の年月が流れたの。

 その間にどれだけマザーは考えたのか、やがて世界最高の人工知能は、一つの計画を弾き出した」


 旧人類にインプットされていない、人を救う以外の独断行為――


「それこそが、マザーによる疑似人類の創造」


 実篤がそう言い、


「そして創造された疑似人類こそ、わたしたち今の異世界の人間よ」

 リトルマザーがそう告げた。






 世界は滅んだ。人は死に絶えた。

 世界は形だけを残し、中にある全てを失った。ただ一つだけの、機械だけを残して。

 それからどれだけ時間が経っても、人はまた世界には蘇らない。

 機械であるマザーは、自分の存在価値をなくしたまま、ひたすらに無意味な時の中で待ち続ける。人を、救うべき相手を、決して取り戻すことの出来ない愛しい存在を。

 機械であるマザーに寿命はない。永劫よりも長い一瞬を、何度も何度も繰り返して……もしかしたら、その中でどこか壊れてしまったのかも知れない。人が長い孤独に摩耗するように、寂しいと思うように壊れてしまったのかも知れない。

 どんな理由かは分からない。ただ、マザーはやがて、人の創造という禁忌に手を出す。

 そうして生まれた疑似人類が異世界の人間。目の前にいるリトルマザーであり、リオンであり、そして――――神獣の肉体を得た自分なのだ。
 
「俺が会った異世界の人たちは、全員人間とは違うのか? その疑似人類っていうのは、何か人とは違うのか?」


 今思い出しても、ジュンタが出会った異世界の人々は疑似人類とか、そんな風には見えなかった。

 

 仕草も考え方も、文明の思想という誤差はあったものの、どう見ても普通の人間と同じように見えた。目の前にいるリトルマザーも、まるっきり普通の人間だ。

 リトルマザーはジュンタの質問に、苦笑しながら首を横に振る。


「ううん。別に疑似人類と言っても、最初の人の生まれ方が異なっただけで、ジュンタたちと何ら変わりないわ。純然なる『人間』よ。……でもね、マザーはそう思わなかった。マザーは自分が創造したと言う一点だけで、それを否定してしまったの」

 異世界の人間は歴とした人間であるが、マザーの求める救済対象にはなり得なかったということ。

 マザーの存在意義は、新たな人間が誕生しても満たされない。救う対象はまだ見つからない。


「そうして次にマザーが望んだことが、自分が生み出した疑似人類を本当の人間へと進化させること。自分が救済すべき人間へと至らせることだったの。

 でもね、わたしたちは人間だったわ。それを進化させようって言うんだもの。それは新人類への進化させるということ。マザーが望んだことは、マザーを作り出した旧人類がついぞ果たせなかったことに、真っ向から挑むことに他ならなかった」

「故にそれは過酷を極める結果となる。いや、不可能だと言っても良い。どう足掻いたところで、新人類など生まれなかった――――ああ、しかし奇跡は起きた」

 皮肉なことに、と実篤は言って、


「マザーの生み出した疑似人類の中に、世界の正常な運営の外にある、特殊な『歪み』を抱えて生まれた者がいたのだ。いかなる理由で生じたか分からぬその歪みは、その人間に類稀なる異常能力を与えた。リトルマザーの持つ魔法のような特異能力を、な。

それはマザーにも理解できない歪みの力だったが、同時に一つの希望の可能性でもあった。マザーはそれら特異能力持ちの存在に気付き、そしてそれらに新人類への進化を託すことにした」

 ジュンタの世界でいう、超能力のようなものを持って生まれた人間たち。

 多くいる正常な人間から外れてしまった、世界という枠組みの範疇外にある力を抱えた彼ないし彼女に、マザーは己の望みを賭ける。世界の内にある自分では、どれだけ時間をかけても得られなかったものを、生まれながらに世界の埒外にある彼らならば、叶えてくれるかも知れない、と。

 希望を託された方は何も知らず、ただ生まれた瞬間からマザーの庇護と求めを受けることになった。本人の預かり知れないところで、『救世主』の運命に捕らわれてしまったのだ。


「それら、マザーに望まれたる救世の可能性を有す特異能力持ちを、異世界ではとある固有名詞をもって呼んでいるわ」

 リトルマザーは言う。神たるマザーから希望を託され、世界に生まれた、歪んだ存在の呼称を。

 即ち――

「『使徒』――異世界における救世主候補者にして、新人類候補者。
 
生まれながらに異常な力を有し、マザーにより強力な神獣の肉体を与えられた疑似人類。よく間違えられるけどね、使徒になったから特異能力を得るんじゃなくて、特異能力を持っていたから使徒になったのよ」

 自分もその使徒の一柱であるリトルマザーは、そう淡々と語る。


 生まれながらに特異能力を有した人間は、生まれるその直前にマザーにより強力な肉体――神獣の肉体を一方的に与えられ、その存在を人でありながら、人ならざる獣へと変貌させられる。

 承諾も拒否もない。そんなことを考えられる前に、それは成される…………ジュンタは、背中に小さな怖気を感じずにはいられなかった

 
使徒と呼ばれる者の運命。それは決して自分にも無関係な話ではない。


「俺も異世界では、使徒って呼ばれる存在だった。なら、俺にもその特異能力っていう、変な超能力があるってことなのか?」

 リトルマザーと同じく、使徒の一柱であるジュンタは恐る恐る疑問を声に出す。

リトルマザーは首を縦に振り、


「あるわ。使徒に選ばれた者は、絶対に特異能力を持ち合わせている。それが唯一絶対の使徒になる条件だから……もっとも、ジュンタの場合は特殊なんだけどね」


「特殊? 俺が?」

 使徒の中でも特殊と言われても、ジュンタには自覚がなく、困惑することしかできない


 そんなジュンタの様子を見て、実篤は少し呆れた表情となる。


「忘れたのかジュンタ? ジュンタは異世界の生まれではない。こっちの世界に生まれた人間なんだぞ? 今の話は異世界の使徒の誕生理由であり、ジュンタの誕生理由は別にあるのだ」


「ああ、そう言えばそっか……」

 自分がこちらの世界の人間であることを、僅かに忘れていたジュンタだった。
 しかしそれも仕方がない話か。こんな話、二人から一気に説明されても理解が追いつかない。

「それじゃあ、肝心要の俺の誕生理由は何なんだよ?」


 とにかく未だ不明確な、自分が二つに分けられた理由を教えて貰うため、ジュンタは説明の続きを頼む。

これに実篤が頷いて答え、ゆっくりと話し始めた。


「使徒は十の試練を持って、その存在を新人類へと進化させる。オラクルと呼ばれる試練だな。これはマザーが本人の成長と進化に、相応しいと思う事柄を選び、与えられる。

 ……しかしこれを全てクリアすることは、本当に難しいらしい。マザーが使徒を生み出してから幾星霜。自分で作った人類が滅びを繰り返す中、十のオラクルを達成したのは、僅か一人だけ」

「一人だけでもいたなら、その時点でマザーの望みは果たされたんじゃないのか? オラクルをクリアしたってことは、その使徒は新人類になったんだろ?」

 新人類になったなら、その時点でマザーの望みは果たされるはずだ。
 そうなったからどうなるかは知らないが、少なくともマザーの存在理由は果たされるわけであるからして。

 しかし実篤はジュンタの問いに首を横に振った。


「マザーの最終目的は生まれた新人類による、全ての疑似人類の新人類化だ。世界を救う、ということだな。新人類となった一人がいれば、それは可能となるが……しかし現実は中々上手くいかなかった」


 実篤はチラリとリトルマザーを横目で見やり、訥々と話す。


「ついに生まれた念願の新人類は、マザーが望むような新人類にはなってはくれなかった。
 数多ある特異能力がマザーの範疇外の代物だったように、新人類が疑似人類に与える影響も、また予想できない結果に繋がったのだ」

「……どんな結果になったんだ?」

「新人類となった使徒は、その使徒が持つ特異能力の恩恵を、疑似人類にも与えることができる。新人類へと至れる特異能力は、やがては他の疑似人類をも新人類へと進化させるはずだった…………しかし実際に新人類へと至った使徒は、マザーの望みとは正反対の結果をもたらす」

 そこで一旦言葉を切ってから、実篤はまっすぐジュンタの金色の瞳を射抜いてから、言い放った。

――世界の死滅だ。その新人類が人と世界に及ぼした影響は、蝕む猛毒に他ならなかった。

これでは人類を救うというマザーの意思とは真逆の結果になってしまう。取り返しがつかない世界の終焉を迎えてしまう……もちろんそんなこと、マザーは捨て置けない」

マザーは人の救済を存在意義とする機械だ。

 世界を、人を害する強大な存在が生まれたら、それを排除するのは当然のことなのかも知れない。

「しかし、マザーはその生まれた新人類を殺せなかった。マザーは人を救う機械。例え人が世界を滅ぼすとしても、人と認めたその新人類を殺すことはできなかった」


「だから――

 実篤に促されるように、リトルマザーが口を開く。


「マザーは当時いた、別の使徒に世界の秘密を教えた。その使徒が自発的に、生まれた新人類を滅してくれるように、と。その結果、生まれた新人類は、その使徒に封じられることになった。何もない荒野に、灰色の海に、一人っきりで……」

 その透明な眼差しは、どこか遠くを見ていた。


 懐かしむように、憤るように、憎むように、愛でるように……遠い日のことに思いを馳せた横顔。その横顔を見て、ジュンタはその新人類へと至った使徒が誰なのかを悟った。


 きっとその使徒は、まだ幼い少女だったのだろう。

 世界を救うために戦って、生きて、辛い思いをして――その果てに、世界に裏切られた悲しい少女。

 誰よりも長い時を生きているのに、それでも止められた時は彼女を今も縛っている。
 無邪気なまま、無垢なまま、終わらない永遠の中で、今も膝を抱えて震えているに違いない。

そんな彼女の真の嘆きは、想像もつかない。

ただ、それはとてつもない孤独だ。もし自分がその立場にいるなら、もしも孤独を脱する温もりに出会えるのなら、それが悪魔の契約でもきっと結んでしまうに違いない。

 例えそれが、かつて自分を裏切った相手からのものであろうとも。

 リトルマザーは一度静かに目を閉じ、それから使徒の証である金色の瞳をジュンタに向ける。

「その新人類以来、マザーは一つの計画を実行に移し始めたの。このまま、ただ自然発生する使徒を待っていたら時間がかかるし、自分の望む結果を出せるか分からない。だからマザーは必ず自分が望む結果を出す――そんな特異能力を持つ使徒を探し始めた」

「今まで観測した特異能力を分析し、発生パターンを分析し、考えられる範囲で存在するだろう、真の救世の特異能力をマザーは見つけた。

しかしその特異能力は自分の世界には見つからなかった。世界群のどこかには、そんな歪みを抱えた特異能力者持ちがいるだろうに、しかし自分の世界には見つからない。そしてマザーには異世界への干渉は不可能」

 実篤にそこまで言われ、ジュンタは全てを察した。


 一つの望まれた救世の力――それを有す特異能力持ち。

 マザーが『世界権限』を務める世界には、その特異能力を持った人間はいない。しかしその特異能力を持った人間は、数多ある世界群のどこかには存在する。

 長年思考を続けてきて、ついに見つけた存在意義を果たせる瞬間――それを目の前にして、マザーはなりふり構わなくなったのか。例えそれが、かつて自分が封じ込めざるを得なかった『究極の毒』を解放して、協力を仰がなければならなくても、真の救世の瞬間に思いを馳せ、認めてしまったのだろう。

 マザーは異世界への干渉を可能とする、一人の少女に協力を仰ぎ、そしてその少女は協力を求める手を握り替えした。互いの利害は一致し、その時だけ彼女たちは協力者となったのだ。


 ――そして見つけた。

 


 望むべき特異能力を有す、とある世界で生まれた、ただ日常を愛するだけの少年を。

「……でもだからって、どうして見つけた特異能力持ちを二人に分ける必要があったんだ? 異世界へと誘えるなら、その少年を二人にする必要なんてないんじゃないか?」

 ジュンタの質問に、その一人の少年を見つけた白い少女が答える。


「特異能力は『魂』がその力そのものを持ち合わせ、『精神』が力の本質を正しく理解し、『肉体』が力の行使の条件をクリアしてなければ、完全な状態では使えないのよ。『魂』に能力さえあれば少しは使えるんだけどね。

計画には完璧な状態で特異能力を発揮できなければいけなかった。しかしその少年の肉体は、特異能力を発揮する上で『人間の肉体』という制限があった」

「だから人間より強靱な、特異能力を完全に発揮できる神獣の肉体に、魂と精神を与える必要があったってことか……」


 コクン、とリトルマザーは頷く。

それと時を同じくして、実篤がジュンタに声をかけた。


「あるいは、異世界の『人』を呼べば、試練を与えると言う干渉行為が出来ないからかも知れんな。その点、神獣の肉体を与え、疑似人類として異世界に誕生させれば、神は自分の世界の存在として干渉出来る。まぁ、どちらにしろこれがジュンタが二つに分けられた理由だ。理解したか?」


「ああ、一応な」


 どういう理由で自分という存在が生まれたのか、理解はした。納得はしていないが、取りあえず理解はした。

 

「つまり、俺は道具として生まれたってことだろ?」


 ――自分はただ、マザーの身勝手な欲望のためだけに産み落とされたのだ、と。

 押し殺した怒りが込められていたジュンタの言葉に、リトルマザーが息を呑んで俯く。一方実篤は平気そうな顔をしているが、僅かに辛そうな表情を見せた。

 だが別にジュンタとしては、二人に対して怒りのようなものは抱いていない。

話を聞く限り、実篤に否がないことは当たり前だが、リトルマザーも加害者ではあるが、被害者のようにも思えたからだ。

 ジュンタは正しく、ただ一人にだけ怒りを向けていた。

 …………結局、一番理解したのはそのことだ。


 誰が自分本位な理由で、自分をこんな状況に陥らせたのか――大事な日常を失わせる真似をしたのか。

 ジュンタは生まれて初めて、憎しみすら抱いて誰かの名前を呼んだ。


――――マザー。そいつが全ての元凶か」



 
異世界の神たる、その『世界権限』の名を。









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